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久しぶりの表舞台は逆に存在感の低下を印象づけた。6月16日、国民民主党の前原誠司元外相(58)は自らが立ち上げた地方分権の勉強会の挨拶に立った。
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「地域が競い合うことで、国は外交・安全保障、国家戦略に特化できる、失われた30年を変える大きなきっかけになるはずだ」
日本維新の会との合同勉強会で「すわ野党再編か」との声が上がったが、集まった約40人のうち国民からは10人足らずで大半は維新から。国民の平野博文幹事長が所属議員に参加しないように根回しし、国民の一部は偵察目的での参加だった。政治記者は「前原氏は『外交・安保、国家戦略』と大義を語ったが、勉強会の真の狙いは次期衆院選での生き残り。地元・京都に維新が対立候補を立てれば前原氏も危うい」とみる。
前原氏とともに、存在感の低下が際立つ野党の大物がいる。立憲民主党の枝野幸男代表(56)だ。17日、元格闘家の1年生参院議員、須藤元気氏が立憲からの離党を表明。東京都知事選で、立憲が推す宇都宮健児氏ではなく、消費減税を訴える山本太郎氏を支援するためだ。離党会見では「世代交代したい。上の人たちは引退してもらいたい」と号泣しながら枝野氏に引退勧告。当の枝野氏は「あんなの除名にしちゃえ」と指示し、須藤氏の離党届を受け取らなかった。
枝野氏は野党第一党党首として求心力が高まるどころか、むしろ遠心力が強まるばかり。枝野執行部の強権に反発し、立憲を離党した山尾志桜里衆院議員は16日に国民に入党届。無所属だった馬淵澄夫元国交相も国民に入った。「支持率1%政党」と揶揄される国民は、枝野離れの反作用で漁夫の利を得る状況が続く。
2人が“政策新人類”と脚光を浴びたあの頃……
前原氏と枝野氏。2人は、自民党が下野し、細川政権が生まれた1993年の衆院選で日本新党から初当選。2人そろって新党さきがけを経て鳩山由紀夫、菅直人両氏による民主党結成にも参加。「政策新人類」として脚光を浴びた。民主党政権では、前原氏は外相や政調会長、枝野氏も幹事長や官房長官と要職をこなした。
かつては市場経済重視で経済成長を目指す前原氏と、脱成長で新たな生き方を志向する枝野氏を朝日新聞が「マエハラノミクスvs.エダノミクス」と持て囃し、未来を担う二大ホープに見立てたが、今は昔。かたや自らの当落に汲々とし、かたや野党第一党党首ながら離れる者が続出。「2人の凋落は、政治家個人の終焉に止まらない。『政権交代可能な二大政党制』を求めた平成政治史そのものが令和になって終焉したことを物語る」(政治部デスク)。ホープは今や、1年生に引退勧告されるオワコンになった。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年7月2日号