台湾で日本時代のコーヒーの木 記念碑除幕
https://www.sankei.com/world/news/190821/wor1908210023-n1.html
【東河=田中靖人】台湾南東部・台東県東河郷の山中で日本統治時代に植えられたコーヒーの老木が残されていることが分かり21日、
記念の石碑の除幕式が行われた。台湾では2000年以降、コーヒーの栽培が再び広まっており、
一部は日本にも輸出されている。地元の人々はこれを機に台東のコーヒーの知名度を高めたい考えだ。
同地では1931(昭和6)年、キーコーヒーの前身「木村商店」が農園を開拓したが戦後、放棄されていた。
2016年、同社の柴田裕(しばた・ゆたか)社長が付近の農場視察の際に偶然、老木が残されていると聞き、地元の人々とともに保存に動いた。
発見時、周囲は雑木林のような状態で、通常高さ2メートル程度に枝切りする木は約8メートルにまで育っていた。
コーヒーの木は一般の農園では20〜30年で植え替えるため、樹齢約90年の老木は「非常にめずらしい」(同社)という。
台湾では日本統治時代に総督府がコーヒー栽培を奨励し、1942(昭和17)年に栽培面積は1000ヘクタールを超えた。
台湾産のコーヒー豆は皇室にも献上されたとされる。
だが、戦後の台湾ではコーヒーを飲む文化はなく、53年には5ヘクタールまで減少した。
転機となったのは99年の集集地震(台湾大震災)だ。震災で被害を受けた農地で、
付加価値の高い作物としてコーヒー栽培が奨励され、現在は1150ヘクタールまで広まっている。
台湾産の豆はフルーティーな香りとさわやかな口当たりが特徴という。
一部は日本にも輸出され、産地ごとの特徴を楽しむ消費者に選ばれている。
以下略
画像
関連ソース
「日帝が植えた木」も「日本原産の木」も切り倒せと盛り上がる韓国
https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160907/frn1609071550009-n1.htm
参考
【台湾】日本統治時代のコーヒーの木 記念碑除幕
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1566424143/l50
https://www.sankei.com/world/news/190821/wor1908210023-n1.html
【東河=田中靖人】台湾南東部・台東県東河郷の山中で日本統治時代に植えられたコーヒーの老木が残されていることが分かり21日、
記念の石碑の除幕式が行われた。台湾では2000年以降、コーヒーの栽培が再び広まっており、
一部は日本にも輸出されている。地元の人々はこれを機に台東のコーヒーの知名度を高めたい考えだ。
同地では1931(昭和6)年、キーコーヒーの前身「木村商店」が農園を開拓したが戦後、放棄されていた。
2016年、同社の柴田裕(しばた・ゆたか)社長が付近の農場視察の際に偶然、老木が残されていると聞き、地元の人々とともに保存に動いた。
発見時、周囲は雑木林のような状態で、通常高さ2メートル程度に枝切りする木は約8メートルにまで育っていた。
コーヒーの木は一般の農園では20〜30年で植え替えるため、樹齢約90年の老木は「非常にめずらしい」(同社)という。
台湾では日本統治時代に総督府がコーヒー栽培を奨励し、1942(昭和17)年に栽培面積は1000ヘクタールを超えた。
台湾産のコーヒー豆は皇室にも献上されたとされる。
だが、戦後の台湾ではコーヒーを飲む文化はなく、53年には5ヘクタールまで減少した。
転機となったのは99年の集集地震(台湾大震災)だ。震災で被害を受けた農地で、
付加価値の高い作物としてコーヒー栽培が奨励され、現在は1150ヘクタールまで広まっている。
台湾産の豆はフルーティーな香りとさわやかな口当たりが特徴という。
一部は日本にも輸出され、産地ごとの特徴を楽しむ消費者に選ばれている。
以下略
画像
関連ソース
「日帝が植えた木」も「日本原産の木」も切り倒せと盛り上がる韓国
https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160907/frn1609071550009-n1.htm
参考
【台湾】日本統治時代のコーヒーの木 記念碑除幕
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1566424143/l50