https://ironna.jp/article/10319
記録的な猛暑が続くこの夏。気象庁の予報官も「命に危険を及ぼすレベル」「災害と認識」と述べるほどである。
こうした猛暑の中、朝日新聞社と日本高野連主催の全国高校野球選手権大会の地方大会が開かれており、地方大会を勝ち抜いた全国の代表校により8月5日から17日間の日程で甲子園において全国選手権大会が開催される。
(略)
選手たちが試合で伸び伸びと最大限の力を発揮できる中で「一球のドラマ」が生まれるのであれば素晴らしいことだと思うが、猛暑の中で体を酷使し、どんなにつらくても踏ん張らなくてはならない極限の疲労状態の中で生まれる「一球のドラマ」は手放しで称賛されるべきなのか。選手が本来の力も出せない中でのドラマは、感動よりもむしろ「選手がかわいそう」という感情の方が先立つはずである。
しかし、朝日新聞がこうした「演出」から脱却できないのは、極限で生じるドラマが、新聞の売り上げにつながるからであろう。
朝日新聞は、全国高校野球選手権大会を主催し、地方大会から紙面で大々的に生じることで、販売促進につなげている。そして、猛暑下の大会の抜本的な改革に乗り出さないのは、「一球のドラマ」が生まれやすくなる状況をつくるためではないのか。邪推かもしれないが、そう勘繰りたくもなる
果たして、それは高校球児のためになっているのか。「朝日の商業主義」が高校球児をすり減らせ、もし彼らの将来を潰しているのだとしたら、朝日新聞は抜本的に全国高校野球選手権大会の在り方を見直すべきだろう。
甲子園は、高校球児にとって今も夢であり、目標である。しかし、もしこの先、夏の甲子園が形を変えたり、なくなったりしても、野球というスポーツの高みを追い求めることはできる。夏の甲子園を目指す選手が将来、より高い舞台で活躍することを願うのであれば、高校時代に極限の猛暑下で身体を酷使することが選手のためになるとは思えない。
高校球児にとって何が重要なのか。甲子園での全国大会を健全に発展させたいのであれば、朝日新聞は新聞を売ることだけを目的にするのでなく、真に高校球児にとって何が良いのかを考え、猛暑の中での開催を根本から見直すべきではないだろうか。
もし朝日新聞が抜本的な改革に踏み出せないのであれば、「高校球児を酷使する新聞」として非難の声が高まっていくことは自明の理である。
記録的な猛暑が続くこの夏。気象庁の予報官も「命に危険を及ぼすレベル」「災害と認識」と述べるほどである。
こうした猛暑の中、朝日新聞社と日本高野連主催の全国高校野球選手権大会の地方大会が開かれており、地方大会を勝ち抜いた全国の代表校により8月5日から17日間の日程で甲子園において全国選手権大会が開催される。
(略)
選手たちが試合で伸び伸びと最大限の力を発揮できる中で「一球のドラマ」が生まれるのであれば素晴らしいことだと思うが、猛暑の中で体を酷使し、どんなにつらくても踏ん張らなくてはならない極限の疲労状態の中で生まれる「一球のドラマ」は手放しで称賛されるべきなのか。選手が本来の力も出せない中でのドラマは、感動よりもむしろ「選手がかわいそう」という感情の方が先立つはずである。
しかし、朝日新聞がこうした「演出」から脱却できないのは、極限で生じるドラマが、新聞の売り上げにつながるからであろう。
朝日新聞は、全国高校野球選手権大会を主催し、地方大会から紙面で大々的に生じることで、販売促進につなげている。そして、猛暑下の大会の抜本的な改革に乗り出さないのは、「一球のドラマ」が生まれやすくなる状況をつくるためではないのか。邪推かもしれないが、そう勘繰りたくもなる
果たして、それは高校球児のためになっているのか。「朝日の商業主義」が高校球児をすり減らせ、もし彼らの将来を潰しているのだとしたら、朝日新聞は抜本的に全国高校野球選手権大会の在り方を見直すべきだろう。
甲子園は、高校球児にとって今も夢であり、目標である。しかし、もしこの先、夏の甲子園が形を変えたり、なくなったりしても、野球というスポーツの高みを追い求めることはできる。夏の甲子園を目指す選手が将来、より高い舞台で活躍することを願うのであれば、高校時代に極限の猛暑下で身体を酷使することが選手のためになるとは思えない。
高校球児にとって何が重要なのか。甲子園での全国大会を健全に発展させたいのであれば、朝日新聞は新聞を売ることだけを目的にするのでなく、真に高校球児にとって何が良いのかを考え、猛暑の中での開催を根本から見直すべきではないだろうか。
もし朝日新聞が抜本的な改革に踏み出せないのであれば、「高校球児を酷使する新聞」として非難の声が高まっていくことは自明の理である。