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【京都】石田三成の腹心、関ケ原後も生存? 名将・島左近の墓から全身の骨発掘、今後年代など調査 三木住職「実像に近づければ」 [樽悶★]YouTube動画>2本 ->画像>7枚
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島左近=大阪城天守閣蔵
戦国武将・石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓の発掘調査が5日、京都市上京区の教法院(きょうぼういん)で行われ、ほぼ全身の骨が見つかった。左近の骨かどうかは不明だが、今後、骨の年代などを調べるという。
左近は「治部少(三成)に過ぎたる(もったいない)ものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と評されるほど有能な家臣だった。関ヶ原の戦い(1600年)で討ち死にしたとされるが、生き延びたとの説もあり、墓が左近の出身地とされる奈良県など各地にある。
教法院の墓には、左近が土葬されたと伝わる。墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている。
調査は、墓石の修復と建屋の新設に伴い、京都市文化財保護課や京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らが実施。読経後に墓石があった場所を約20センチ掘ったところ、甕(かめ)式の棺(直径45センチ)が見つかり、中に頭や顎、骨盤などの成人とみられる骨が入っていた。
調査に立ち会った歴史学者の磯田道史さんは「左近は民衆や敵方からも崇敬を集めた武将だった。本人の骨かはわからないが、研究が進むのを楽しみにしている」と期待した。
教法院の三木天道住職(53)は「今後、専門家と協力して骨の調査を進め、実像に近づければ。墓所は整備後に改めて公開したい」と話している。
6/6(木) 12:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/577541bd265bbb5c3e6182b799bc1fb32831b538
戦国武将、石田三成の腹心で、慶長5(1600)年の関ケ原の戦いでの勇猛な戦いぶりが伝わる島左近の墓の発掘調査が5日、立本寺(京都市上京区)の塔頭(たっちゅう)、教法院(きょうぼういん)で行われた。関ケ原で島は討ち死にしたとされる一方、遺体は見つからず、合戦後の消息については生存説を含めて複数の説があった。この日の調査では複数の人骨が見つかり、三木天道住職は「骨はないと思い寂しい気持ちだったが、(骨が見つかり)ありがたい話だ」。今後、さらなる実態解明を進める。
三木住職によると、島の墓所は全国に5カ所ほどあるというが、教法院の墓石には唯一「土葬」との文字が刻まれている。教法院には島の墓牌と過去帳などが残されており、それによると島は関ケ原の戦いから32年後の寛永9(1632)年に亡くなっていた。また三木住職は、関ケ原の戦いの後も島が京都で生存していたなどの証言があることも強調した。
発掘調査は島の墓石の修復や建屋の建立に伴い実施された。この日、調査に先立って墓前で三木住職が読経する中、関係者が手を合わせた。その後、協力した京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らがスコップで土を掘り、慎重に作業を進めた。地表から約20センチ掘り進めた場所で壺が見つかり、中から頭蓋骨や骨盤などが見つかった。骨は状況から18歳以上の成人とみられる。石神教授は「(骨は)大変いい状態で残っている」と話した。
「治部少(石田三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近に 佐和山の城」と評価されるほどの武将だった島。だが関係史料は少なく、その実像には謎が多い。教法院や関係機関は引き続き調査を進め、島の生存伝説の解明を目指す。(森天音)
6/5(水) 18:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9358ea5ed8ecc9e6dfa02d1180c57cbe6642c1f6
ええ加減そうな俺でも
しょうもない捏造とかは嫌いねん
212 競馬もうアレよ将軍@虎 ◆BeerJJ8YSo 2024/01/21(日) 08:14:57.92
生活保護は日本共産党に言えば99%通ります。
で、生活保護受給の内10%が日本共産党への斡旋料(中抜きとして支払い、その生活保護を受給出来る代わりに赤旗配りが義務となる。
日本共産党が支払う人件費は0円どころか、共産党ナマポ受給者が一人増えると日本共産党に11,000円の収入が出る。
ほんと?
ですか?
ん?
ン!
んっ?
北斗の拳の人が書いた左近の漫画、打ち切りだったな。
もし関ヶ原を生き延びても
この時代は殿が死刑なら家臣は切腹だろう
>>13 ムリやり作らされたのか知らんが、本当にこれが鼻の刑事描いたヒトの作品かと疑わせるような
ひどい出来だったな。
薩摩とかに落ち延びずに、衆人の目につき易そうな京都に居たのか
意外
イシダミつなり
京都で生存って無理っぽいけどな
出家でもしたとか?
>>13 影武者徳川家康。
原作と違って徳川家康がやたらと美形になっていたな。秀忠が二重人格でそれなりに面白かった。
原哲夫の漫画すげえ。島左近が実は関ヶ原の合戦で死んでいなかったとすると徳川家康も戦死したから影武者が代わりに演技してたのか?
たった20cm掘っただけの所に埋めるか?
戦国時代から20cmぽっちの土が雨風に流れもせず暴かれもしなかったのか?
どうも胡散臭いな
>>31 継続してる寺院の墓地なんだから管理されてたに決まってるだろう
直径45cmの瓶に土葬か。
島左近て人物は小さかったんだね。
そもそも三成公は茶坊主からあの鬼才秀吉に見出されて
長く国政の中枢を任されて次代まで任されたほどの逸材だから
ぬるま湯みたいな平和な時代の名無しの凡夫どもがどうこう論評する対象じゃない
バチが当たるわ
島左近の墓は各地にある
この時点で本物の可能性はほぼ0やな
その辺の素浪人の死体埋めただけ
>>35 教法院は怪談和尚の実家だから多分お兄さんでしょ
北斗の拳みたいな漫画のタッチの
コミックス持ってた
もし生きてて1632年に死んでたとすると大阪の陣に出て来そうなのに出てない辺り偽物だろうな。
映画、関ヶ原に出て来る朝鮮人兵は何なんや?
島左近が朝鮮人に殺られるわけないやろ…
糞みたいなラストシーンだったよな
「〇〇には過ぎたるものが二つあり」って言うの、戦国時代に流行ってたのか?
>>37 全然関係ないが、前田慶次は藤竜也がよかったなぁ
石田三成の生存説も興味がある
大河ドラマでやって欲しい
>>46 結婚式のスピーチで
「3つの坂がありまして」ってのと同じ
常陸太田市には「風車の弥七」の墓が
架空の人物だろ
>>31 そこら辺に適当に埋めたと勘違いしてる低能かよw
管理されてる墓なのにバカじゃねーの
画像ぐらい見てから書き込めよバカが
高山ウコンっていうのもいたよな?
二日酔いによく効くみたいな
本多忠勝も家康に過ぎたるものとか言われてなかった?こういう言い回し流行ってたのかね
関ヶ原後じゃ石田三成の腹心してて生きていられないだろ
それはそうとよく分からん人よな
>>1 生きていたら大阪冬の陣、夏の陣に参加してそうなものだが
西軍について改易されたのに領地増加で大名に復帰した新庄直頼という謎人物名
いつ死んだか不明なのに調べて意味あるんか?w
謙信は上杉家が調査許してくれないのよね、実は女説とかあるけど
また教科書にも載ってないマイナーな武将でスレ立ててる
そういうの三国戦国板でやれよ
>>38 へうげものの石田三成がイメージ的にしっくりくる
>>75 細川氏に秀吉から貰った金の使い道について説教する手紙残ってるんだよなw
自分の趣味に使わずに領地領民の為に使えよみたいな
>>30 いや、だから「花の慶次」も原作小説があるから……
隆慶一郎は他の作品も面白いから読んでみそ
島左近→西軍の旗色が悪くなったから逃亡しただけやでw
>>38 茶坊主っていうとまた感じがかわるけどな。
秀吉が寄った寺(観音寺)の小坊主(修行中の子供の僧)が
お茶を出しただけ。
島左近とか島津義弘に比べて毛利勝永はなぜに知名度か低いのか
一方通行の突撃や味方をトカゲの尻尾切りして逃げた奴より
突撃してシッカリ帰還まで往復した方が凄いと思うんだけど
朝鮮出兵にも参戦して加藤清正救出戦にも参加し活躍てるのに
>>79 原さんを否定するわけじゃないけど、故ブロンソンや故隆慶一郎は偉大だったのだな。
ジャンプの影武者徳川家康、あれ原作通りにやって欲しかった
次の仕切り直しの左近もいいんだけど原作通りにやって欲しかった
>>77 知ってて当たり前ってほどの武将ではないだろ
>>46 そこら辺は江戸時代の講談が元ネタだから
水戸黄門漫遊記とか
真田幸村とか
石田三成に過ぎたるモノとか
東国無双、西国無双とか
ほぼ後付けの創作
石田三成は人望が無かった
リーダーシップもなく
上に媚び下にはきつく蔑み
それでいて自身の戦の力量はとても低かった
ただ帳簿の几帳面さや正確さは当時の武将の中では突出していた
今で言えば役所の事務方にすぎない
>>68 【実際の上杉謙信】
・十代でアルコール依存症になる
・アルコール依存症から統合失調症と糖尿病を患う
・糖尿病のせいでインポになり子供が作れず
・統合失調症の誇大妄想を患い「神の声を聞いた」「私は神の生まれ変わり」と電波発言を繰り返す
・神の自分に逆らう奴には天罰を降すと粘着攻撃を繰り返す
・手紙にも馬鹿だの愚か者だとのと罵詈雑言を並べ立てる
・自分が優勢になると神の慈悲を与えると敵だった奴にも塩を贈る
・酒乱で酔って暴れ度々家臣を斬り殺す
・家臣に面倒臭がられ距離を置かれると「何で俺のことそんなに避けてんの?俺の事がそんなに嫌なわけ!?」というネチネチした手紙を送りつける
・そんな上杉謙信に嫌気がさして部下が謀反を起こしまくる
・「神の自分が圧政に苦しむ民を救う」と近隣諸国に攻め込みその土地を治めず、青田刈りをして自領に戻るを繰り返し民を苦しめる
・戦の決着がつく前に自領に撤退するから勝ち戦も負け戦もほぼ無く引き分けばかり(自称勝ち戦ばかり)
・それに反発した近隣の民を捕まえ奴隷として売り払い大儲け
・糖尿病が悪化して左脚が壊死、馬に乗れなくなる
・トイレで力んだ拍子に脳の血管が切れて死亡
>>88 それはヒカリを当てるヒトが居ないからだろう。逆に坂本リョーマとか過大評価されすぎて見直され、
教科書から消えようとするヒトもいるくらいだ。
俺は林忠崇とかが面白いと思う。
徳川の再興を願いつつアパートで生涯を終えた最後の大名。
まあ、当時の有名武将だから誰かが討ち取ったなら当然恩賞目当てに首を持ってきたはずなので、落ち延びて潜伏したまま死んでても別に不思議ではないな
ハンパ知識で頭わるい奴ほどマイナー武将の名前を出してマウント取ろうとすんだよな
三国志あたりでもそう
馬袋を出すやつが典型的なそいつな
序盤で狙撃されて大した活躍もなく終わる講談のオリキャラだろう
>>92 あれそんな原作と違うのか?
途中から家康じゃなくて島左近描きたくて仕方ないんだなってのは読んでて感じたけど
昔は
島野左近だと思ってたな
なぜ「の」だけひらがななのかと疑問だった
若気の至りだな
筒井時代の経歴ははっきりしないのよね、まぁそもそも筒井自体がドマイナーな大名だったからしょうがないんだが
とはいえ三成が佐和山の半分の知行を与えてたようだし、実は利休七哲筆頭の万能大名氏郷とか
秀長にも仕えてて、部隊指揮はほぼ任せてたって言われてるから軍事的な能力は相当買われてたのだろうけど
ちなみに筒井家にはあの島原の乱で有名な松倉の親父も仕えてたのよなw
島左近を生で見たことがある人がまだ生存していた
だったらめちゃくちゃ驚くけど…このニュースでは大して驚かんわ
伊達政宗みたいにお顔を再現できないかな
夏八木勲さんに似てるか興味あるわー
最初の二行で既に胡散臭い
左近である証拠なんて出てこないだろ
考察して楽しむのは良いが、藤村新一みたいな捏造屑が湧く温床でもある
生きてたなら大坂の陣に出てほしかった
それでも他の有能浪人衆同様、重用されず意見が通らなかったかもしれんが
ドマイナーな隠れた名将といえば水野勝成かなあ
最近じゃコーエーでも島左近以上の評価に変わりつつあるようだが・・・w
徳川家ってあんなのがゴロゴロ居たんだからそら天下取るわなw
>>56 なんだその、イッコン、ニコン、サンコンみたいのは
まあ「影武者徳川家康」(原作)の島左近ってちょっとカッコよすぎ。
昔テレ朝でやってたドラマでは左近役は寺田農だったから、強い武将というよりは知性派の参謀というイメージだったんだろうな。
やっぱり最近の説のとおり
西軍は戦が始まったらソッコーで崩壊して
島左近もとっとと三成見捨てて
自分は死んだことにして
逃げ延びたってのが正解なんだろうな
後藤又兵衛とか他にも大河ドラマの主役級か大勢討死してんだよな。
>>87 次男だから出されてただけだろうな
兄は堺奉行だし父も三成の代わりにずっと佐和山治めてるし元々そういう方面に向いてる一家なんだろう
>>109 歴史を動かすプレイヤーじゃなくてたんなるモブだよ
そもそも島左近は関ヶ原じゃなくて関ヶ原の前哨戦で重傷負って
関ヶ原の本戦には参戦してなかったのがこれまでの史実とされてた気がするけど
元々結構いい年だったはずだから関ヶ原後まで生きたとしても
そんな長くはないだろうし大発見!みたいな話とは違う気がする
>>87 寺男や寺小姓とかじゃなかったの?
口減らし兼学問取得を目的で寺にいたんだろうけど
みんながみんな出家してるわけじゃない
年代測定したら明治時代あたりの人骨で
島左近は江戸時代を生き抜いたという新説爆誕
島 左近 生誕 天文9年5月5日(1540年6月9日)
>教法院の墓には、左近が土葬されたと伝わる。墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている。
普通に92歳まで生きるって考えられんな
島左近がマイナー武将は無いだろ、大半は信長の野望で得た戦国知識だけど
あとあの時代は寺行ってもすぐに出家できるわけじゃなく稚児という前段階
仁和寺にある法師のように先輩坊主達にアッーとされる役目もw
>>136 大多数が子供で死ぬから平均はめちゃ下がるがご長寿は当時もそれなりにいて
関ヶ原関係者だと真田幸村の兄とか宇喜多秀家あたりは現代人並に長生きしてる
歴史に詳しい自信あるけど島左近なんて聞いたことないわ
石田三成は知ってるけど
西軍の総大将だし腹心なんて沢山居てその中の1人程度のヤツだろ
>>88 島津なんて大勢を見極めることができず流れで三成について
戦の最中も積極的な決断ができず日和見を続け
形成が決した後に追い詰められ逃げ出した最悪のヘタレなのに
パニックの挙句とった自己保身の戦法が英雄視されてるんだからおかしいよね
島左近の子孫ているのかな?
いたらDNA鑑定してみて欲しい
幕末、幕府を倒さんと、討幕に勤しみ関ヶ原の恨みなどと言っていた
毛利、島津、長宗我部の遺臣の土佐郷士
毛利 総大将なのに一戦もせず弁当食って帰ってきた
島津 何にもせず戦い終了後キレ散らかして撤退
長宗我部 毛利と同じく一戦もせずにボケーと戦いを眺めて帰る
どこに徳川を恨む筋があるのかさっぱりわからない
石田、宇喜田、大谷、平塚、小西ら奮戦し取り潰された諸将
上杉、佐竹、真田ら、徳川勢を惹きつけ立派に戦いを有利に導いた諸将
別働で頑張って取り潰しされたが頑張って大名復帰した立花
特に毛利は彼らからしたら何やってんのかと恨まれる側としか思えない 旗幟を翻した小早川の方がまだスッキリしている
>>142 敵に向かって逃げて生還するという全く逆の離れ技をやってのけたからね。
シーマンズは。
小説の影武者徳川家康
作:隆慶一郎
では左近大活躍だったな
文庫本を擦り切れるほど何回も読んだ
>>104 うろ覚えだけど大陸だか朝鮮半島入りが琉球編に変わったようなことは聞いたことがある
信長の野望戦国立志伝でも
武将プレイで島左近は歯応えがあった
久しぶりにまたやろうかな
>>147 トクガワに冷遇されたじゃん。所領減らされてお手伝い普請させられて、そりゃ恨むだろう。
212 競馬もうアレよ将軍@虎 ◆BeerJJ8YSo 2024/01/21(日) 08:14:57.92
生活保護は日本共産党に言えば99%通ります。
で、生活保護受給の内10%が日本共産党への斡旋料(中抜きとして支払い、その生活保護を受給出来る代わりに赤旗配りが義務となる。
日本共産党が支払う人件費は0円どころか、共産党ナマポ受給者が一人増えると日本共産党に11,000円の収入が出る。
ほんと?
ですか?
ん?
ン!
んっ?
>>90 武論尊死んだっけ…ってまだご存命じゃねーか
来週の日曜日で77歳
噂には聞いてたけど
司馬遼太郎の本って嘘ばっかなんやな
まあ、骨がほぼ揃ってるんだから死亡年齢は確実に推定できるな
中年以下の骨だったら偽物ということでw
原哲夫の漫画でイメージするから若そうに思えるけど関ヶ原当時で結構な歳じゃなかった?
花の慶次も読み切りの時点で最低でもアラフィフ、定説なら還暦まであと数年の爺だし
212 競馬もうアレよ将軍@虎 ◆BeerJJ8YSo 2024/01/21(日) 08:14:57.92
生活保護は日本共産党に言えば99%通ります。
で、生活保護受給の内10%が日本共産党への斡旋料(中抜きとして支払い、その生活保護を受給出来る代わりに赤旗配りが義務となる。
日本共産党が支払う人件費は0円どころか、共産党ナマポ受給者が一人増えると日本共産党に11,000円の収入が出る。
ほんと?
ですか?
ん?
ン!
んっ?ユ?
島左近の近親者の子孫とか、血判状みたいなのが残ってればDNA鑑定できるんじゃね?
知らんけど
(´・ω・`)
>>163 虚構を史実だと勘違いしてるヒトって結構多いぜ?
日本の戦後歴史教育や特アの反日教育など、虚構を積極的に活用して国民に誤った認識を
植えつけている連中もいるし。
それだけリアリティがあるというコトだから小説家にとっては褒め言葉かもしれないが。
>>41 三成には過ぎたるものだから、相対評価なので無能であっても過ぎたものって意味だぞ
吉田松陰と坂本龍馬は嘘だらけで
教科書から消えるらしいね
宮本武蔵も嘘だらけ
宮本武蔵は父親が黒田官兵衛の家臣で
上流階級なんだよな
武蔵本人も明石藩で町奉行務めて
養子の伊織は小笠原藩筆頭家老
北条早雲も足利将軍の側近
上流階級じゃなきゃ息子が筆頭家老になったり
妹が今川家当主の嫁になったりできないもんな
>>25 お茶のエピソードひでえなw
文句を付けるなら別の件にしろよ
>>33 20cmなら腐って臭うくね?
しかも陥没しそうだし、明け方にカラスがほじりそう
>>122 それ徳川が天下取ったから徳川四天王とか徳川家臣が持ち上げられただけだぞw
徳川家の権威付けの為に
>>148 島津は兵を決死隊として残して追撃の足止めさせて親分だけが逃げきっただけだからな
毛利勝永は大阪城から徳川四天王家の軍を突破して家康本陣まで突撃し、更に大阪城まで島津みたいに敵中突破して帰還してるからな
部下を決死隊として捨てずに
石田三成が戦場から逃げることができてるから左近だってやろうと思えばできたはず
江戸時代の石田三成を際立たせるための創作の人物じゃなかったのか
>>99 幕末はこの人と酒井玄蕃が大好き
なんで知名度が低いのか分からん
まあ最後の大名候補4人(林忠崇、分部光謙、徳川家達、浅野長勲)の中では1番家が小さかったからね。
三成に過ぎたる物が二つ有り
島の左近に佐和山の城
家康に過ぎたる物が二つ有り
唐の頭に本多平八
誰それ?と答える日本人がほとんどな島左近より
前田慶次のほうが数十倍は有名
慶次を知らんやつは在日の疑いすらある
島左近とか立花宗茂とか蒲生氏郷あたりは歴史好きじゃ無いと知らない名前だろな
>>1 自民党というのはアメリカによる日本間接統治のための委託業者である
政治部門担当が自民党(監視が公明党)
世論誘導担当が電通
実行部隊がカルト
カルト=宗教はCIAなどの海外工作機関の格好の隠れ蓑になる
秀吉や家康がなぜキリシタンを弾圧したかを考えれば一目瞭然だ
日本の名だたる宗教にはCIAが潜入し、乗っ取られている
そしてそれが凶悪化したのがカルト団体だ
オウム真理教も始めは麻原の宗教だったが
早川らCIA組が乗り込んで武装化された
一連のオウム事件を
教祖麻原と信者たちによるテロ事件だと思っている国民が多いが
実際はCIAによる日本転覆計画だった訳だ
麻原が裁判で「おかしいだろこんな裁判!インチキ!」と言ったのは本心であり、
自分が犯罪者という認識はあったものの
首謀者扱いされるのは納得がいかないという気持ちがあったからこそ出た言葉であろう
なぜ地下鉄サリン事件の容疑者達の死刑がなかなか執行されなかったかと言えば
CIAが関わった事件だったからだ
国松長官狙撃事件は「余計なことは表に出すなよ?」という脅しである
容疑者達が口を滑らす前に死刑を執行して消したかったのがCIAの本音
それを実行した上川をアメリカが次期総理候補と持ち上げるのも自明の理だ
オウム元幹部の村井秀夫はTVで「米軍が毒を撒いている」
「阪神大震災は人工地震だ」と訴えて殺された
これはケムトレイルや地震兵器のことを指しているのだが
(ケムトレイルは花粉症の元とも言われている)
なぜ村井がそれを知り得る立場に居るのかと言ったら
オウムにCIAが潜り込んでいたからだ
村井よりも上祐の方がよほどぺちゃくちゃ喋っていたのに
村井が殺されたのはそういう訳だったのである
村井は死の間際に「ユダに殺られた」と言ったそうだが
これは「ユダ=裏切り者」ではなく「ユダヤ=DS」という意味だったと思われる
現場指揮は巧かったのだろうが
名将扱いするには実積皆無と言っていい
隆慶一郎も早死しなきゃもっと面白いの読めたのだろうか。
あったとしても落ち延びた石田家の家臣てだけだろ
で石田家の家臣と言えば島左近って周囲が勝手に話を膨らませたってとこだろう
逆に落ち延びたなんて武将にとっては不名誉でしかなかろう
影武者徳川家康を途中で放り投げて島左近が主役の漫画を描き始めたけどあっという間に打ち切りになった印象
>>13 元担当の堀江の件でジャンプってか集英社と関係最悪だった時期でしょ
堀江が会社立ち上げた時に原、北条、次原みんなついていったし
>>147 毛利軍が側面をついてたらワンチャンあったよね
歴史なんて年寄りの昔話と同じで話半分で聞いとけばいい
どうせ殆どが嘘っぱちだぜ
ちば先生とかが生きているうちに満洲のこととかしっかり聞いておけ。
>>213 今伝わってる歴史人物の逸話のほとんどが講談師の嘘松話
主君の三成も墓所の発掘調査が行われて
身長やだいたいの顔つきなど判明している。
整った顔立ちだけどずいぶん頭がでかかったんだそうな。
>>212 毛利が側面突く疑いがあるなら家康はあんなに本陣を突出させない
イチかバチかの賭けというより、毛利が南宮山を降りる可能性はほとんどないと読んだのだろう
>>209 過大で大袈裟すぎるからな、前田慶次と互角の大道寺政重とかさ
>>212 毛利元就「毛利隆元が生きていたら・・・」
>>181 まあ好意的に見るなら部下が言い出したことなのでそれだけ人望があったとも取れる
ただ結果として家久の子供も死んでるのが勿体無くてな
大坂城のサウロン毛利輝元の目は専ら西の空巣に向いていて
東はあんま見ていなかったからね
>>161 司馬スレでちょっとでもそんなこと言おうものなら袋叩きにあうでw
あそこは司馬様が絶対神で疑問を挟むことさえ許されんからな
島左近の墓は複数あるってワケワカメ
962: ↓名無し:24/06/06(木) 15:05:38 ID:Us.jf.L1
島左近って大阪の十三に墓があるんだけど、それは子孫が戦前に功績を讃えて建てたと聞いて訳分からんと思ったね。
楠公も島左近も戦前はしがらみだらけのイヤな世の中だったんだろうね。
島左近の骨なら関ヶ原で銃撃された跡が
どっかの骨に無いんかな
>>222 人望のない主君だと肥前の熊さんみたいに置き去りにされて
討ち取られてしまうな。
島左近 島勝猛 島清興 3つくらい名前のある武将というイメージ
柳生兵庫助の子孫って残ってるのかな?
DNA比較すりゃわかるだろ
蓮久寺住職三木大雲です
本日も怪談説法始めさせて頂きます!
の実家の寺か
>>195 戦国ゲームが一時流行ったので知ってるやつ多いのでは?
一人勝ちすることを無双というのもそれ由来だけどもう言わないのかな
昨日の読売に出て読んだけどすぐに他人だろと思った
と同時に他人かどうか確認なんてのも出来るわきゃねーなと
流石に左近レベルの老将が90まで生きてたらどこかしらに召し抱えられてるだろう
>>140 今大河でやってる平安時代でも道長の嫁さんとその母親に娘と三代現代人でも長寿の部類だもんな
>>231 当時改名は当たり前だったからね
黒田官兵衛も元服した後黒田孝高小寺官兵衛黒田如水ドン・シメオンとちょいちょい名前変えてる
4万石の大名だった時に2万石払って家臣になってもらった
関ヶ原では東軍の武断派大名の一斉攻撃にも負けないレベルまで強くなった石田隊
歴史てのは結局空白は空想で埋めてんのよ
弥助の騒動とか見ると古文書に全部書いて
それが正しい歴史となってると思ってるやつ多すぎる
こういう風にいろんな説がレースをしてて
一番手の説を史実と言ってるだけなのに
>>240 史料批判ってやつね
史料も片寄った見解や誤った見解で書かれている(戦争や政争におけるプロパガンダ、本人の勘違いや思い込み)事がしばしばあるので、
同じ事件についても複数の史料(なるべく当該事件と時代が近い一次資料)を用意して、内容の比較・精査が必要になる
>>225 歴史てのはそんなもん
信長だって沢山ある
性善説なら尊敬の念から
性悪説ならその場の威厳を高めるため
あるいは今回のように本当に遺体はあったとか
いろんな伝説の結果複数あるんだろう
三成って優秀な武将抱えてた割に槍働き皆無じゃね
これは三成が優秀な部下を持っても使い切れなかったのか、
抱えた武将は言うほど優秀でなかったのどっちやろ
>>239 三成自身は戦が苦手だったかもしれんが
武闘派を多く抱えていて、石田軍は大変な戦闘集団なんだよね。
>>238 官兵衛のは孝高(諱=官位を貰うときの正式名)
官兵衛(通称)、如水(法名)、ドン・シメオン(洗礼名)
で意味合いが違う
今でいうところの戸籍上の名前はずっと黒田孝高
改名王といえば立花宗茂かと。
統虎から始まって鎮虎とか親成とか10回近く改名している。
>>243 そもそも合戦に出る機会もなきゃ前線でまともに戦うのが関ヶ原がほぼ初めてみたいなもんだからな
完全なる事務方だけど槍働き出来る人間も持っておかないとってことで召し抱えてただけだから
忍城での失態も土木設計と指揮する事務方の責任だし
>>241 そういうことなのよね
結局、説が何でもありにならないよう
裏をとれた分だけ範囲をどんどん狭めていく
でも結局は推測
こういうまさかの説が頭角現すからおもしろい
もし遺骨が1600年代辺りだったら...
こういう生存伝説が本当だったと歴史が書き変わる初めてのケースじゃね?
>>248 三成は小田原征討のとき三成から戦功を与えたい秀吉から
忍城攻めを任されたが水攻めなのに堤防が敗れる失策で
まったく戦功が立てられなかった
>>244 相対した敵の数と側面から突っ込んで来た小早川隊の数を考えたら
かなり善戦してると思うけどな
やっぱり開始早々で小早川が裏切ったから毛利隊が動けなくなったんだろうな
>>250 いや
結局、主君から熨斗付鞘巻という象徴的贈り物
や屋敷ももらったという記述から
身分はある程度特定はされる
甲州征伐に付き添ったり
本能寺の変の現場にいたり
信長の死後も信忠のため戦う忠誠心あったりと
こういう事実で作られる枠の中では
日本人は大体、小姓として弥助を理解してきたから
弥助は武士と表現することは今さら騒ぐことではない
これを機に歴史の根拠となる史料に触れて
例えば名字がわかる史料がない!とか騒いでるんだけど
そういう史料が足りないのなんて戦国では当たり前なのよ
山本勘助が実在したと確認出来る史料も最近になってやっと出たんだから
それまでは多分山本勘助いたっぽいくらいの感覚を史実にしてた
島津って何しにわざわざ関ヶ原までやってきたの?
1番意味が解らん奴。
>>136 >>140 茶人は長生き多いやっぱりカテキン効いてるんだろうね
細川三斎や上田宗箇なんか典型で
古田織部も切腹したときも70超えで当時としては長寿だった
小早川が寝返ったから西軍負けたって話し。多くの人がそう思ってるけど
別に小早川が裏切らなくても西軍は普通に負けてたよって説を唱える人はおらぬのか?
>>253 いまは小早川は開戦前から東軍だったというのが定説。
陣の構築が完全に西軍を敵にした造りになってる。
俺ぐらいだと関ヶ原の末裔なんだけど
父方のご先祖が
母方のご先祖に鉄砲撃たれてるんだよなあ
父方が小早川秀秋
母方が徳川家康って言うんだけどさ
>>260 へーそうなんだ。小早川後々裏切り者のレッテルはられて迷惑だな
>>258 小早川関係なく、岐阜城が落ちた時点で西軍の負けが決まってる。
>>256 家康に伏見城の防衛依頼されたので来たけど手違いで伏見城入れずウロウロしていたら
内府違いの条々という弾劾状が出て家康が
豊臣家公式の敵認定されてしまい行き場を無くしたとこを石田三成に誘われて西軍についた
島津は石田三成に度々救われてきた恩があるので石田三成には逆らえない
>>262 早死にしたから汚名をつけやすかったんじゃね。
左近はとうに西軍の敗北を悟っていたが、友である三成の為に死んでやるかと
まさに義の腹心だな
>>264 それはそれでいいんだけど
なら関ヶ原でもきちんと戦えよとしか。
三成は淀殿(秀頼)を巻き込めばよかったのに
子供でも総大将が秀頼なら弓引けない大名が多かったのでは
島左近(しま さこん)
統率 88
武勇 91
知略 84
内政 46
外政 61
『転生貴族、鑑定スキルで成り上がる』にハマってるけど
なかなかお強いじゃないか・・・墓参りにでも行ってくるかな
>>260 小早川の裏切りを加味しても毛利軍が動かなかったのは惜しいとしか言いようがないよな
西軍が壊滅状態になっても家康本陣を壊滅状態に持っていけた位置におるよ
>>256 わざわざじゃなく義弘(当主義久の名代)で大坂にいた手勢で参陣しただけ
義弘は親豊臣政権なので反豊臣の義久を無視する形で参陣
当然本国の本隊は義久の指揮下にあるんで動けない
>>253 いや仮にも総大将なんだから
本当に動くつもりなら動いてたろ
勝てない戦いではなかったし
吉川広家だけで段取りしたとかあり得んと思うんだが
>>272 いや、薩摩からじゃなく
なんで戦う気も無いのにわざわざ関ヶ原まで参陣してんのよと。
>>150 それは花の慶次や
>>79 秀忠の扱いが酷いw
西軍チャンスいっぱいあったのに全部つぶしてしまった感じがするわ。
関ヶ原も大阪の冬と夏も
>>268 家康も関ヶ原では秀頼さまのために戦っているを明言してたし
三成方にとらわれている秀頼さまを助け出す戦いと
言い訳するだけだろ
取り合いになってどさくさに紛れて秀頼が死んでしまえば
後から殺す手間が省けて家康としては万々歳
淀はそれが嫌で秀頼を大坂城から出さなかった
島津みたいなやる気のない奴は大津城でも囲んでればよかったんだ。
代わりに立花が関ヶ原に来てれば良かったのに。
>>268 本人来なくても豊臣の旗印を持ってこれたら政治的戦略的には勝てたかもしれんよね
勝手に持ち出してでも持って行けば良かったのにね
>>278 別に大坂城から出る必要ないんだぜ。
自分の名前で諸大名に文を送るだけで効果絶大。
>>275 そりゃ当然戦後のことを踏まえてだ
だから最初はあくまで秀頼の許可を受けた家康の上杉討伐へ助力した
しかし本筋で豊臣の意向であろうと義弘が思う三成が挙兵したから参陣
三成や左近たちは忠義に厚く誠実な武将たちだったが
家康の人心掌握術と巧みな恫喝で味方に引き入れる戦略にまるで
歯が立たなかった
>>278 淀さん自決前にインタビューしたいわ。敗因はなんだと思います?
今どんなお気持ちでしょう?
>>283 だからそれなら
三成と一緒に関ヶ原で本気で戦えば良いのに。
>>244 島左近以外にも舞兵庫や横山喜内という当時名のしれた猛将もいた10万石で有名な渡辺勘兵衛とか
あと蒲生家は改易になったとき大量に浪人を召し抱えてる
>>260 小早川が先に来ていた他の西軍を松尾山から追い出して乗っ取った
これで麓の大谷吉継隊が孤立してしまいさらに後方の佐和山城までヤバくなったから西軍が慌てて関ヶ原に展開したとこを東軍が追ってきて激突
>>277 岐阜城落ちた時点でノーチャンスかな。
唯一チャンスあるとしたら大坂城で秀頼と共に籠城戦。
>>285 毛利輝元が総大将だしな
前田利家ならまだ話は違ったかもだが死んでるし最初から勝ち目はなかった
>>286 大坂の役では秀頼が天下人でいられなくなるくらいなら
自決を選んだんだろう
秀頼はすでに23歳で自分の意志もあったと思われる
関ケ原時点での7歳の秀頼はまだ立場としては天下人だったから
島左近は有名だけど
正直、なんで有名なのかさっぱりわからんのよな。
三成の腹心だから有名になったのかな?
>>270 しかも家康本隊は徳川の主力ではなく実戦経験薄い若い世代ばかり
朝鮮出兵で最新の軍事技術を取得していた毛利や小早川はクソ強かったからなあ
徳川は実は小牧・長久手の戦いを最後に本格的な実戦は経験してない幕末第二次長州征伐や鳥羽・伏見の戦いまで
20cmとかずいぶん浅いところに埋まってたな
後年埋葬した別人のものを島左近の~と間違って伝わってるとかじゃないのかこれ
てか島左近=夏八木勲のイメージ
>>274 輝元は大阪城で現場の大将は秀元だよ
ぶっちゃけ現場で広家としっかりコミュニケーション取れていたかというとグダグダだったと思うよ
>>290 毛利輝元は総大将なのになんで出陣しなかったんだ?
そりゃ負けるだろ。
>>284 歴史というのはそうやって作られて行くんでないかい?
西軍の決戦予定地は
三河→清須城→岐阜城→大垣城→関ヶ原とどんどん後退していったから
これで士気上がるかと言われると
>>289 なるほど岐阜城か
岐阜城の戦いってガンダムで言えば
ア・バオア・クーの戦いだな
>>295 秀元は徹底抗戦派なのに
なんで毛利軍があんなに消極的なんだよ。
>>294 夏八木勲は戦国自衛隊の景虎のイメージが強いな
骨からどれくらいのことが分かるの?
性別?身長体重?血液型?誕生日?亡くなった時の年齢?
島左近の子孫の人とDNA鑑定して照合とか?
花の慶次の影響で信長の野望で前田慶次の能力値が強キャラになったってマジ?
そして影武者徳川家康がコミカライズで連載されたら、今度は島左近の能力値が強キャラになったってマジ?
>>195 信長の野望やってないと蒲生氏郷はまず知らん
>>294 ある程度身分の高い人にしては珍しいような気はする。
最近だと千々石ミゲルの墓所発掘調査では1mくらいは掘ったみたいだが。
>>267 軍勢が1500程度で大勢に影響与えられなかった軍勢の数=政治力だから島津義弘が超有名人でも厳しかった
それでも退却戦で徳川方にダメージ与えて
生き残りには成功したが
>>299 岐阜城落ちるまでは家康もビビってたからね。
先に清州を責めておけば西軍は勝てた。
>>307 1500しかいないから
戦場にいても戦わないって意味わからんよ。
>>287 後に創作やらで夜襲の提言を無下にされたからだとかなんとか色々言われるが敗戦を悟っただけじゃね。もしくは個人的に三成にムカついたとか
その場での裏切りは薩摩武士的に許されるものじゃないからただただそこにいるだけ、と。徳川方と槍を交えちゃうとマズイしな
徳川方のあらゆる方面から調略受けてるけど一切応じてないところからすると戦うつもりは十二分にあったと思うよ
>>310 戦う前に敗戦を悟ったなら傍観してないでさっさと逃げろよ。
>>4 西軍の生き残りで再雇用されたって人いんの?
同じくらいの兵数である大谷吉継があれだけ戦えたんだから
西日本最強の軍である島津なら相当のことがやれたんじゃないかな。
>徳川方と槍を交えちゃうとマズイしな
撤退時に四天王の井伊を撃ち殺しといて(即死じゃないが)
何言ってんだよ。
>>296 器やね。秀頼の周囲の意向にも逆らえなかったんだろう。お前が大坂から出たら誰が秀頼を守るんや的な
叔父さん二人が優秀じゃなくても輝元は当主として色々ダメダメだったろう
>>311 まぁな。変な美学あったんだろ
西軍にワンチャンあるかもと思ってたかもだし
左近ばかりが話題にされて見向きもされない右近がかわいそう
>>308 家康もアレだな、けっこうギリギリな人生と言うか、ちょっと間違えば死んでたみたいなwww
まぁ俺なら毎日心労で🤮吐いてたと思うわ。
とても真似できないから家康天下人で納得だ。
>>262 裏切るにも石高が50万石級の大大名だから
インパクトが大きい
他の連中が寝返っても石高小さい大名で生き残るためだから仕方ないよねで済まされるが
小早川クラスとなるとそんなセコいことやらず堂々とやれよと思われるから裏切れば世間体悪くなる
>>293 秀康は関東の抑えに残してるし秀忠は真田に通せんぼされてるからね
あの数であの位置にいて何もせず帰ったあげくに厳封だから小早川隆景あたり存命なら秀元も広家も大目玉を食らったろうね
>>316 それってただの優柔不断なだけじゃ。
義弘らしくねー。
>>245 まあマジレスされても困るんだが、以前黒田家譜を読んだ時「そんな風に呼ばれてたん?」って名が多かったんよね
あと黒田家資料館で見た縄張図には如水の名が記されてたし孝高は多分そんなに使われてなかったんじゃないかな
>>317 右近は荒木をあっさり裏切ってるからなあ。
>>317 右近の息子と孫は悪い方で有名人になってしまった。
>>314 撤退戦と正面切っての戦闘とは意味合いが全く違うよw
ましてや捨てがまちになった雑兵が当てる気ないのに当たったようなもんなのに
しかも追撃戦に有名武将が先陣切ってやってくるなんて両陣営誰もが夢にも思わなかっただろうよw
>>300 そこがやっぱり広家とのコミュニケーション不足なんだと思うよ
トップの2人がギクシャクして方針が正反対
そして総大将の輝元はもっと優順不断
会社で考えてみようや
大企業だけど典型的なダメ企業やで
>>325 一緒だよ。なんで撤退戦だと許されると思うんだ?
まさか関ヶ原で何もしなかったから撤退戦で大暴れしても許されるとでも思った?
>>268 それやってるよちゃんと
大老や奉行味方にして内府違いの条々という
家康への弾劾状だして豊臣家の公式な敵と
認定までやったそのため西軍は軍勢の数は
東軍よりも多く集めることに成功
だから家康は上杉討伐どころでなくなり大慌てで小山にいた東軍大名を取り込むための褒美で釣る工作やりまくったから戦後石高多い外様大名が大量に生まれた
三成は政治的にはかなり家康を追い詰めていた
>>321 義久と揉めてたからな
義久の反対を押し切って参陣したけど負けました。義弘一人の責任じゃ済まされません。島津家なくなるかも
となりゃさすがに義弘だって迷い出るわ
>>327 コミュニケーション不足以前に
現場にトップが2人いること自体が最大の誤りなんじゃないのか?
家康そのものが既に死んでて影武者だからな
信長は光秀の手引でバチカンに行ったし
歴史は嘘だらけ
>>330 だったら多くの部下を殺してまで薩摩に逃げ帰ってこないで
家康も前でさっさと1人腹斬って死ねばいいのに。
>>260 ただ小早川隊の将の1人が突撃時「この行為は許されるものではない」と戦列を離れてるんよね
秀秋が直前まで迷ってたのもまた事実じゃないかな
>>328 お前が一緒だよと思うのは勝手だが当時の認識として事実はそうなんだから戯言でしかないよ
島津が改易されなかった理由ってのは財政や距離等色々あるが積極攻撃しなかったってのも理由の一つなんだから
>>320 小早川隆景存命ならむしろ外交戦でうまく生き残ってただろうな
安国寺恵瓊も政治力は割と持ってるんだけど
キャリアでいうと小早川隆景には及ばない
家康は天下を取るにはどうしても大義名分の大戦が必要だったわけだが
その程度の事を何故豊臣恩顧の人々は共有できなかったのか
やはり大ボスが居なくなると子分たちは身の振り方を考え鈍くなるのだろうな
>>286 カナフレックスのCM見たことないの?
淀君は大坂城からの脱出に成功してる
>>260 裏切る可能性がある小早川をなぜ松尾山に布陣させたんだじゃ無く
小早川が勝手に味方追い払って布陣して動かなかったらしいね
で開戦と同時に西軍に雪崩れ込んで石田も大谷も即刻ジエンド
>>333 後世から見たらそうだね。後ろにゃれっきとした当主の義久も健在なんだから。義久は戦後処理の天才だしね
でもまぁ島津兵の中にはそう思ったのもいるんじゃね。自分が死んでも後から義弘が仇討ちしてくれると思ってるのもいただろうし
でも大半は郷中連座で処分されてどうせ死ぬしと思ってたのが大半だろう
>>338 あれ脱出したあと真田といっしょに
家康の首取りに行ってますな
死んでるだろwwww
>>295 輝元と吉川はもう腹を決めていて
吉川に輝元を抑えさせてたでいいんだよな?
小早川の動き関係なくもう動かなかったんじゃない
説によっては小早川はすぐ離反したというのもある
普通に考えたら黒田長政通じてお互いもう腹決まってたんじゃないかな
関ヶ原ってこの辺の謀略合戦が一番おもしろいから
ここ大河とか簡略化されがちなのもったいない
>>129 嘘吐きなの?
>>288 よく知ってるね
>>300 輝元が吉川広家と安国寺恵瓊の調整できなかったからそのため両人バラバラに動いてしまい統制とれず
特に吉川家のほうは吉川元春と長男が九州征伐中に相次いで死んでいて豊臣に暗殺されたんじゃね?的な噂もあり豊臣にはあまり好感なかったんだわ
>>313 義弘は中央の軍に勝ったことないよ
義弘がまともに勝ったのは九州内と弱々の朝鮮兵相手ぐらい
「島津」の大きな戦績は大体家久が挙げてる
戦国真空スポット小野木重勝
こいつもキリシタンか…
>>335 処分なしは義久の外交能力と明の貿易船のためで
義弘が関ヶ原で積極的に戦ったかどうかは関係ないよ。
>>331 かたや徹底抗戦派かたや東軍に内応派
その2人を一緒に出したのは総大将の輝元なんだから
せめて関ヶ原と四国侵攻とでわけたら良かったよね
伊達家もそうだけど島津はど田舎だから許されてた感ある
>>317 片山右京が有名だから良いじゃん
片山左京なんて誰も知らんやろ
>>336 小早川存命だったら
輝元は西軍の総大将を引き受けなかったか、
もしくは毛利がまとまって東軍に勝っていたかのどちらかだと思うわ。
>>313 泗川の戦いで日本中に名がしれて伝説的な武将になってたぞ島津義弘は
この戦いのおかげで日本軍は損害抑えて全員帰国できたのて島津だけは朝鮮出兵の恩賞を貰えてる
>>336 存命してれば金吾中納言もまだまだ隆景に教育されてるだろうからね
毛利家は備中高松城と関ヶ原と戦国のターニングポイントにここぞとばかりの場所に布陣してるんですよ
>>353 当時の人口と生産力は圧倒的に上方だったからそこを抑えて長期戦に持ち込めば家康のほうが不利だった
小早川隆景なら外交戦で東軍切り崩していったんじゃないか
小牧・長久手の戦いに勝った家康も経済力や外交戦は圧倒的に秀吉に負けて最後は降伏したわけで
>>353 隆景が生きてたとして官兵衛の敵に回るとは思えん
と言うか関ヶ原の戦い自体が起きてないな
>>355 実際どうなんだろうな?秀秋は朝鮮出兵ではそれなりに活躍してるから武将としてはそこそこだったけど政治家に向いてたかといえば
微妙
>>102,206,208,210
面白すぎるだろ
コピペにしたいわw
>>353 関ヶ原でもいいんですよ
松尾山に金吾中納言じゃなくて隆景
南宮山に秀元率いる毛利本隊と吉川隊
大阪城の輝元含め隆景に逆らえる人間は毛利家中にいない
この布陣でもう関ヶ原に勝ってしまう
>>361 軍師「的」なら結構いるやろ
秀吉の官兵衛小六
政宗の小十郎
上杉の直江
毛利の隆景
骨を調べたところで大雑把な年代と年齢性別が推定できるぐらいだろ
誰の骨なのかなんて分かるわけねえ
年代や年齢が一致していたとしたも、素性の分からん落ち武者らしき人を
「あれは島左近に違いない」って周りが勝手に思い込んでただけだろうと思う
>>363 秀吉に大将の心構えとしてみたいな説教されてるくらいだから肖像画からは想像できないですが
猪突猛進タイプだったかもですよね
政治力に優れていたら関ヶ原であの立ち回りはしませんよな
もう5年位は養父隆景に教育されていれば良かったのに
豪華声優でおなじみのPS2決戦(無印)の一騎打ちでショボい武将に負けて
(´・ω・`)ショボーンってする島左近が面白かった
>>264 >島津は石田三成に度々救われてきた恩があるので石田三成には逆らえない
そうなの?
その割には関ヶ原で三成の命令と言うか要請は悉く撥ねつけてるけどw
>>371 政治力に優れていたから関ヶ原であの立ち回りができたんじゃないか?
はっきりいって戦功第一だろ。
ただ短命で無くなったから、
死人に口なしと汚名をあびせられてるだけとしか。
>>373 島津も津軽も三成のおかげで存続できたと言っても過言じゃないからな。
だから関ヶ原での義弘の動きは全く理解できんのよ。
>>373 九州征伐で降伏した後に都にも屋敷もって中央に行くわけだがそのとき三成にあれこれ便宜図ってもらったり梅北一揆で改易の危機にあったのを島津歳久の自害で収めてもらったりと周旋してもらってる
あと関ヶ原直前にあった庄内の乱でも家康と共に島津側有利に仲裁してもらったり
>>375 戦を決定づけた立ち回りだけど戦功第一じゃなくて汚れ役でしょ
最初から東軍と旗色がわかってたらあの位置に布陣できないわけでね
むしろ合戦始まったら周りから一斉に集中攻撃されるわけだから
>>378 真実がどうあれ
小早川これからもずっと
裏切り者って言われるんだろうなwww
>>376 「ナニをしたかったんだ?」ってのはあるわな
その場の空気に流されて致し方なく参陣してしまったのかw
石田三成は軍事的な才能無さすぎなのよ
島左近に防衛策をあれこれ献策されてるのにそれを退けて関ヶ原で迎え撃つ羽目になってしまった
島左近はさっさと進軍して清洲抑えて熱田で
東軍の進撃食い止めようとしてた当時のあの辺は干拓されてないから干潟で大軍が簡単に移動できないから楽勝よ?と提案したのに三成が却下
>>381 そういえば令和の小早川秀秋なんて言われていた有名芸能人がいましたねえ…。
>>380 汚れ役というのは最後まで毛利の立場でいながら
完全に裏切っていた広家だろうよ。
そもそもあの布陣を引いた時点で東軍とはっきりわかっていた。
それなのに集中攻撃できなかったのは西軍の問題でしかない。
>>374 何か工事でもするからじゃないの?この手の発掘はだいたい改修とか工事があるときにやる伊達政宗の墓も瑞鳳殿再建に併せて発掘されてた
>>386 まぁなぁ…俗世に無理矢理戻されてなぁ……そっと寝かしとけばいいのに
>>385 毛利両川どちらも汚れ役だからね
小早川と吉川が戦場にいなかったらワンチャンあったわけでさ
左近の漫画面白かったけどな
主人公が珍しくケンシロウ顔ではない男前のガチムチマッチョで、戦闘能力は当然超人的
敵側の美形二人が最後味方になって終わり
>>88 誰かが毛利勝永主役の小説か漫画で大ヒットさせれば一気に知名度挙がる可能性はある
関ヶ原での島津家の奴ら、行動が行き当たりばったりすぎてワラタ
>>387 攻撃する前に東軍出てきたから無理よ
それに山頂に陣取られてるから簡単に落とせない
そうなると関ヶ原に展開して守りを固めるしか無くなる島左近に提案されたように熱田で防ぐという案を採用してれば関ヶ原の合戦は無かったよ
>>280 それそれw
まあそれができる策士なら関ヶ原に至る状況にはならなかったと思うけど
>>388 北の王者にふさわしい豪華な副葬品もたくさん出てきたが
ほとんどは仙台市博物館に持ち去られてしまった。
本人にしてみれば盗掘に遭ったのと変わらないかもしれんね。
>>284 そう豊臣家の公式の戦いというカタチにするば影響力大きかった
鳥羽伏見の戦いも錦の御旗出たら譜代の井伊家や淀藩の稲葉家(春日局の子孫)がそっこう寝返った
>>241 幕末の混乱やら太平洋戦争でいろんな資料が散逸紛失してるんだろうな
>>399 ネット社会なったしそのうちメルカリに出てくるだろ
>>399 資料があっても整理が進んでないってのが多い
この手の資料は大学や自治体に所有していても保管してるのがほとんどなのよ
整理する予算がどこも無いから研究者が自分で資料調べていって新しい資料が「発見」となるいまでも新資料発見とニュースになるのはこのパターンがほとんど
>>195 子供の頃三重の松阪に住んでたから当時は歴史興味なくても氏郷は知ってた
氏郷まつりやってるから
>>269 実際の上杉謙信は
>>96って感じなのに
【天と地と】と【信長の野望】で軍神と呼ばわれてる
まぁ島津とか立花とか真田とか地元民が過剰に持ち上げてネガティブな情報は封殺しちゃうからなぁ(´・ω・`)
>>397 かと言って太平洋戦争の空襲で瓦礫の山と化した墓所をそのまま放置ってのも
どうなのよ?
同じように港区増上寺の徳川将軍家の墓所も再建のついでに遺体の調査とかしてたな
徳川歴代将軍の豪華絢爛壮大な霊廟も東京の空襲で灰塵に帰した
あれ現在でそのまんま再建するなら何千億円と掛かるんじゃないかね
>>195 立花宗茂は柳川では有名人
旧大名家としては珍しく地元に住んでるし
岡山の池田家と並んで柳川の立花家くらいだろうな今でも地元にいるのは
>>284,398
錦の御旗は薩長が偽造した偽物なんだっけか
>>405 再建しようにも土地がないのでは?
焼ける前は広大な土地に霊廟あって残ってたら間違いなく世界遺産になってただろうし
>>404 武力90台な立花道雪は身障者だったという説もあるからな
>>407 偽旗だけど朝廷から授与される形式とったから本物になってしまった
当時は国史を読んでるのが倒幕も佐幕派も常識だった時代で錦の御旗がヤバいのは佐幕派にもわかってた
>>94 適当なこと言っちゃいかんよ
立花宗茂の西国無双は一次史料でそれに近い秀吉の言葉が残されててそれが西国無双の元ネタになってる
時期としては九州征伐で豊臣本隊や毛利の援軍がまだ到着する前の話で、周囲の味方の城が落城していく中、城を守備するだけでも困難な状況下で立花宗茂は打って出て高鳥居城を攻め落とした
それを知った秀吉は書状(天正14年9月10日付秀吉書状)で「誠九州之一物ニ候」、つまり宗茂は九州の傑物だと秀吉は最大級の賛辞を送っている
>>404 本能寺の変がなかったら上杉は織田家にやられて滅亡してたからな謙信が後継者をはっきりさせてなかったから御館の乱が起きて弱体化してしまった
>>412 北条からの養子に越後の武将があれだけ味方につくじてんでなあ。
景勝って少しな。
>>408 現在の港区芝公園のあの広大な土地が全て増上寺の境内だったそうだからな
(同じく上野公園全体が江戸時代は寛永寺の境内)
でも墓所の霊廟の広さは現在と変わらないんじゃね?
江戸時代は墓所以外に伽藍がたくさん建てられてたのよ
>>96みたいなアホの話をまともに信じる馬鹿がこんなにいるとはww
信長も文官の明智光秀に簡単に打ち取られたしな
光栄の能力数値はイマイチ実態に合ってない
秀吉が配置した東海道筋の山内堀尾中村は徳川が上方へ進行するのを阻止するためにそこに配置したんだろうがまったく用をなさず
秀吉の死後たった二年後に起きた戦で甥の小早川秀秋は徳川方へつき関ヶ原で決定的な立ち回りをする
>>417 本能寺の状況で文官も武官もあるかいな
戦国無双じゃあるまいし
>>418 そもそも家康に関東8州を渡す秀吉が阿保過ぎる。
絶対的No2をつくったのは秀吉。
しかもNo3の前田家とダブルスコアで大きく差をつけて。
>>194 原作ありきではあるが漫画パチンコで有名になった類の武将じゃねえか
江戸の時代の講談ガーと同じレベルの奴上げるなよ
>>414 あれは越後内の権力闘争も絡んで景虎方が巨大化した景虎のほうは武田伊達芦名北条が味方したのもあるし上杉憲政が景虎支持したことで正統性もってしまった
上杉謙信は絶対的な君主として存在はしたんだけど家臣団の掌握はやってなかった
>>417 明智光秀は合戦でもそれなりに活躍してる
鉄砲の名人だったから本圀寺の変ではそれで
活躍して信長の援軍が来るまでに持ちこたえるのに成功
島左近は関ヶ原で死んで無いよ。
家康に成り変わった影武者と共謀して歴史の裏側で暗躍したんだよ。
左近
肩書:「双天来舞」(そうてんらいぶ) / 登場時の書き文字:不明
属性:風 / 武器:双刀 / 一人称:「俺」
石田三成に従う、豊臣軍の若き切り込み隊長。賭け事を何よりも好む陽気な青年で、軽薄な見た目や態度だけではなく、身のこなしも極めて軽い。主である石田三成に憧れており、忠義に厚い一面を見せる。
>>417 本能寺の変は明らかにおかしい。
とにかく護衛が手薄すぎ
あと、本能寺にいるからって場所バレすぎ
信長がそんなマヌケかな?
絶対なんかある
信長の遺体も見つかってないってありえない。おかしい
関ヶ原が2,3年続くと思って動いていて
意外な展開に泣いたのって上杉家なんだろうなあ。
>>420 あの当時の関東は人口少ない未開のど田舎だから心配されてなかったんだよ
実際に関東八州で年貢でまともな収入得られるようになったのは4代将軍の時代になってから
>>376 島津は単に兵が少なくて動きたくても動けなかっただけだよ
無い袖は振れないからな
慶長5年の義弘書状を読んでいくと事あるごとに国元に援軍を要請してる
しかし島津は朝鮮出兵でのダメージや関ヶ原の前年に発生したお家騒動(庄内の乱)の影響から義弘の援軍要請を拒否
義弘からだけじゃなく毛利輝元や宇喜多秀家からも義久に早急に兵を率いて上洛してくれという書状も残ってるがそれも無視
と言うか義弘は会津征伐に際して家康から伏見城の留守居を頼まれてるが上方での島津兵が不足していて役目は果たせないとの理由で話が流れてる
そこでもう一度家康に伏見城の留守居役を仰せつかるべく直談判しようとしたら家康は既に会津に向け出陣
どうしようか悩んでるうちに内府違いの条々が出されてじゃあ世話になった三成に味方するかって感じの流れだからな
土葬の墓を掘り起こして別の殺害した死体を埋めるとかありそう。
>>430 爆死だからな
本能寺は火薬商人で大量の火薬持ってた
それに引火してしまえば遺体なんて残らんだろ
ちなみに本能寺が火薬商人なのは種子島氏の菩提寺だった関係からで種子島氏は鉄砲伝来の後は火薬ビジネスやっていたため本州での
代理店として本能寺が機能していた
>>431 真田も同じ思いだったろうな
伊達も東軍ながら内心がっかりだろうなw
政宗は第二次戦国時代期待してただろうに
>>431 黒田官兵衛伊達政宗も影響出た
うまくいけば黒田官兵衛は九州抑えて天下狙えたし伊達政宗も東北で大大名になれたからな
上杉さんはちょうど最上義光相手に苦戦してたときに関ケ原の連絡が来て退却戦に難渋したが戦力をほぼ温存できたので戦後の和平が有利になった
>>420 五大老のうち3人が西軍だったんだけどね
>>278 意外だけど「秀頼様の御為に」ってのは西軍が多用した言葉なんだよ
関ヶ原直前の家康書状を見ると秀頼のためとは一度も言ってない
浅野幸長の書状には会津征伐の直前に秀頼と淀殿、北政所から会津出陣を止めるよう説得され家康は機嫌が悪くなったなんてことも書かれてる
東軍サイドで見ても秀頼様のためにと言ってるのは8月24日付福島正則書状と9月15日付加藤清正書状くらいしかないな
>>435 ぐぬぬ……俺のノッブ生きていた説が……
>>432 北条があれだけの兵数を動員できてて
それはないだろ。
石田三成に人望があって秀吉家臣たちの武闘派連中とも仲よかったら
歴史は変わっていただろう
仮に家康が決戦しかけたとしても東軍の猛者たちが三成の味方してみんな西軍につくからな
まあ家康も勝ち目なしと踏んで戦自体起こらないかな
>>432 馬鹿すぎ
こいつ鎌倉幕府も知らんらしいw
>>438 正直、九州抑えたくらいじゃ天下とれないだろ。
伊達と同じで自領を拡大しようと思ってただけじゃね。
>>442 助かりようがない
信長の直属軍の数千いる馬回り衆は洛内で分散していて本能寺で護衛してなかった完全無防備状態だったしかも近くに信忠までいたと
この故事から家康秀忠家光は上洛する時はからなず数万の武装兵連れていった
家光が30万連れて行きましたってのも大げさじゃない
>>420 治めにくいとこに大領与えて失政したら大削減か改易狙いだったんじゃね?佐々成政みたいに
北条が善政敷いてたり、あと煩い国人がうじゃうじゃいた関東なら家康とて治世はやばいと思ってたんだろうけど、
見事に治めきって隙見せなかった家康が上手だった
それでも秀次いた頃だったら江戸時代の前田みたいな外様大藩の地位で終わったんだろうけど、
秀次とその側近団が消えて外様が政権中枢に入れないといけなくなっちゃったくらい、
豊臣政権が不安定になったのは秀吉の大失策だろう
>>438 官兵衛が天下狙ってたなんて本気で思ってる馬鹿がまだいたのか
ちょっと考えればそんなのあり得ないって分かるだろうに
確かに秀次を中継ぎにしてたら関ヶ原というか徳川の専横はなかったかもしれんね
>>443 動員できても経済力無くて長続きしなかった
でしょう北条は
北条氏政が秀吉に求められ上洛しなかったのも金が無くて上洛できなかったから
弟氏規を代理で上洛させるだけでも北条兄弟が金を出し合い他にも臨時課税やってやっと
費用捻出できた
>>438 如水や家康の書状見ていくと如水は家康の意向に沿って動いてるし、10月4日付吉川広家宛黒田如水書状の
「上方於美濃口御取相当月迄も御座候者、中国へ切上、花々と見知返し候而、一合戦可仕と存候ニ、はやく内府御勝手ニ罷成残多候」
この一文がクローズアップされ過ぎて一人歩きしてるような感じするわ
如水は家康と敵対して隙あらば第三勢力になってみたいなことは思ってなかったと思うけどね
>>312 丹羽長重とか石高少ないけど国主大名として復帰したような
そもそもとして官兵衛は野心のかけらもない人物、ってことを理解してない奴がいるのがね
関ヶ原の戦いを石田方目線で描く系の創作だと
大体男気あふれる超かっこいいオッサンになるのが島左近と大谷刑部
小西行長とか朝鮮の役でも大活躍してる実戦経験豊富な名将もいるから
もう少しクローズアップして欲しいよね
「まだだ、まだまだ、無駄玉を打つな!」
「放てー!」
「槍隊!前へ!」
>>458 大谷は不利を承知で三成に付いたからガチじゃないの?最初は「お前は家康に人望で負けてるから勝てるわけないだろ」と説得したんだし
>>322
書状の花押の上の署名の変遷を見ると
最初は「孝高」で文禄2年に剃髪して以降は「卜庵」や「如水」、最晩年は「圓清」だな
一例を挙げるとこんな感じ
如水軒
○月○日 圓清(花押)
○○様 小西行長ってガチで西軍なのに意外と兵力少ないんだよなあ。
>>462 それってどうみても史実だとは思えないんだよな。
そもそも西軍を三成が仕切ってたわけじゃあるまい。
>「お前は家康に人望で負けてるから勝てるわけないだろ」
加藤清正と肥後わけあった石高だけど本国防衛に全部持って来れなかったからじゃね?
かなり仲は悪かったみたいだし
>>460 ( °∀°)豊臣秀吉の朝鮮征伐モノは朝鮮人が騒ぎ出すからワークニではテレビ放映出来ない
というウワサが真実がどうか見てみたいよね。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
加藤清正ってあれだけ秀頼様言ってて
会津征伐にも出ていないのに東軍なんだよなあ。
蒲生氏郷が生きていたら、バカの福島や加藤を上手く丸め込んで
徳川と対抗できてただろうにな
よく言われることだけど関ヶ原は豊臣対徳川じゃなくて豊臣内の内紛だから
>>472 でも家康が豊臣家や他の五大老を蔑ろにしていたのは周知の事実だし。
内府違いの条々をだして公式な敵と認定しているし。
会津征伐に共に付き添った武将ならともかく、
国元にいる豊臣家恩顧の将は少しねえ。
>>469 小西行長自体は朝鮮の役だけじゃなくて秀吉子飼いの武将としてずっと活躍してるんだけどね
しかもキリシタン大名
かなりマニア心をくすぐる武将である
秀吉って朝鮮征伐の途中で死んでるんじゃないの
二代目が無能で統制とれなかったんだろ
>>476 統制もなにも秀頼は関ヶ原の年に数え年で8歳だぞ。
今だと小学校1年生。
秀頼の本当の父親は誰だよw
当時から誰も信じてないだろ?秀吉の子ってw
>>467 >そもそも西軍を三成が仕切ってたわけじゃあるまい
三成は貫目が無いから総大将には成らなかったが
家康包囲網の首謀者だったのは確かだろ
戦後の扱いもまさしくそれだべ
>>470 清正は庄内の乱に勝手に首突っ込んでしかも反乱軍側の伊集院忠真に兵糧送ったりして家康の勘気を蒙ってるからな
清正が会津征伐に参陣しなかったのは家康の命令
関ヶ原前年の9月には家康は清正の上洛を禁止して、もし強引に上洛するようなら淡路辺りでそれを阻止するよう有馬則頼や菅達長に命じてる
更に慶長5年5月17日付島津義弘書状には
「加藤主計殿事、此度會津立御供雖被望候、御留守之儀者国元へ被下置之由候」
清正がこの度の会津征伐にお供することを望んたが、留守居として国元に居るように命じられたとある
裏切り者の代名詞と小早川は言われてるけど前田利家に比べたらマシなほうだぜ?
前田利家はそれこそ自分の恩人の柴田勝家を裏切って秀吉に付いたわけだからな
賤ヶ岳の戦いも前田利家が動かず勝手に撤退したことで先陣の佐久間玄蕃隊が孤立してしまい大敗に繋がった
太閤記や後の時代劇でも賤ヶ岳の戦いの場面のこの前田の裏切りはなぜか曖昧にされてる
土葬という割には瓶小さくね?
肉付いたまま分解して詰めたのか、それともどっかから掘り起こして骨になってから瓶に詰め直したのか?
>>467 上杉討伐のときに三成が挙兵するのは家康のほうも予想してたが三成が大名纏めて他の大老や奉行担ぎ出して自分を弾劾してくることまでは想定外だった
島左近って影武者家康の後のマンガでめっちゃ元気に暴れてたよな
連載打ち切りになったけど
>>480 内府違いの条々に三成の署名ないからね。
前田利家と秀吉は若い頃からの同僚同士で家も隣同士で家族ぐるみのつきあいだったそうだしな
柴田勝家も秀吉からこっちにつけと前田利家に言ってないわけないだろうくらい思ってたろうし
小早川秀秋
これは豊臣秀吉の甥で秀頼のいとこ
小早川家の養子に入り小早川秀秋となるわけだけど
どう考えても本来は豊臣側の人間だからなぁ
>>478 秀次粛清やった時点で終わってた豊臣は
秀次生きてたら家康の出る幕なかったな
>>312 当時は文禄慶長の役で国内がかなり不景気だったしそこ疎かにしたら統治なんて無理よ
トップは兎も角、家臣以下は再雇用されてることが多い
>>480 その辺は研究者によっても意見が分かれるところで難しいところだな
現状だとやはり三成が関わってたという研究者の方が多いね
内府違いの条々が発給されたのは7月17日で、石田三成が一次史料で動き始めることが確認できるのは7月30日付の真田昌幸宛石田三成書状
約半月ほどタイムラグがありこれを根拠に三成は西軍の挙兵に関わっていなかったと言う人もいる
その一方で慶長5年7月15日付上杉景勝宛島津義弘書状では
「今度内府貴国ヘ出張二付、輝元・秀家を始、大坂御老衆・小西・大刑少・治部少被仰談、秀頼様御為二候条、貴老御手前同意可然之由承候間、拙者も其通候」
今度内府が会津征伐を行うにつき、毛利輝元・宇喜多秀家・大坂御老衆(増田長盛・長束正家・前田玄以)・小西行長
・大谷吉継・石田三成が相談して、秀頼様のためにと挙兵した。貴方も我らに同意すると聞いております。
とあるので、やはり三成は首謀者だという人もいる
景勝の会津移封があと5年早ければとか
秀家の内乱が起きずに弱体化しなければとか
秀元がもっと強権をもっていればとか
いろいろ思うところがある。
戦国武将の墓で本当に遺骸があるのってどれくらい?
家康の東照宮、秀忠の増上寺、謙信の上杉神社、政宗の瑞鳳殿くらい?
>>486 それがどういう種類の(例えば公的な書?)書類なのか分からんが
豊臣政権内部の公式な書とするなら(五奉行にまだ在任してる人の署名があるよね)
当時五奉行をもう罷免されてた三成にはそこに署名する資格がないんじゃね?
例えると部長をもう解任だか退職しただか人に部長決済の印はもう押す権利がない
みたいなw
>>494 打ち首になった頭蓋骨が残ってるしなあw
>>497 その権利すらない人が首謀者にはとてもなれないよね。
>>492 関ヶ原の知らせを聞き慌てて引き返す徳川を
上杉が大軍で追討してれば結果は変わってた
矛先を最上に向けた直江兼続が最大の戦犯
>墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている
伝説のままにしておけよ 案件
誰得なんだよw?
もしも生かされてたのなら家康に「こいつ噂よりたいした事ないな」と思われてたのかも
大阪後だけど明石全登に明石狩りと言われるほどの大捜索したとか
>>501 最上や伊達が背後にいるのに追撃できない
それに補給線伸びるから宇都宮で足止めされる
>>487 関ヶ原の時はどちらも豊臣軍を名乗っていたからな
徳川家康も5大老の一人、だから福島正則も東軍で戦っている
もしも秀頼を西軍が総大将で着陣してきたら
小早川は西軍のままだろうし
福島正則も西軍に寝返って家康は惨敗だった
>>497 内府違いの条々は弾劾状だよ
西軍の立場からすれば公儀が発給したものだから当然公的な意味を持つ書類と言うことになる
三成が内府違いの条々に署名しなかった理由として考察されるものとして、発給日の7月17日の時点で三成は挙兵計画は
知っていて首謀者のメンバーの一員ではあるが、正式に奉行に復帰してなかったから署名がないと言う研究者もいるね
近年の関ヶ原研究者に大きく寄与してる白峰旬氏なんかはまさにこの説を唱えてる
>>501 会津移封2年では追撃戦をやるだけの動員や兵站維持は無理だろ。
だからあと5年早ければと。
>>500 はあ?
首謀者って別に公権力持ってる人間の活動と関係無えだろ
要は徳川包囲網を裏で(ほぼ公然だが)画策した人間って話だよ
アホか
>>501 結城秀康が宇都宮にとどまってたから
三成と上杉で家康を挟撃なんて無理な話
>>510 普通に上杉軍が関ヶ原に向かう家康を追撃しようとしたら
前から結城秀家と徳川秀忠の本隊が迎撃するし
後ろから伊達や最上から挟み撃ちされて死ぬだけだよな
>>487 前田利家は柴田勝家に借りがあって絶対裏切れないと思われてた
若い頃茶坊主切って浪人したときその間に妻子の面倒みてくれたのは柴田勝家で罪の赦免や帰参の取り成しそのための陣借りまですべて柴田勝家に面倒見てもらったのは織田家家中には広く知られていた
それを裏切るのはとんでもない恩知らずと
当時でも問題になっても仕方ないんだけどな
その負い目があるから馬車馬のように利家は
秀吉にこき使われたと言えなくもない
執念深い家康が生かしておく訳がない
秀吉のマイゾーキン探す方がロマンあるだろー!
マイゾーキンさがせー!
>>501 直江は間違ってないでしょ
当初上杉は伊達も最上も調略で味方にしてそれに佐竹を加えて江戸に攻め込むという壮大な構想(笑)を持ってたけど伊達も最上ものらりくらりと上杉にいい返事をしながら二股外交してた
このままだと時間だけが過ぎていくということで上杉は後方の最上を叩きに行ったけど最上が予想以上によく奮闘したってこと
仮に上杉の思い通りになってたとしても秀忠がいるしどっちみち江戸乱入なんて無理だけど
甲斐六郎という忍者を信長の野望で作ったのは俺だけじゃないはず
>>142 と言っても義弘は伏見城に援軍したいって言って断られての西軍なんだよな
読めないというのは少し可哀想だよ
あと千だと大勢的には影響ないから、削られるより温存を選んだのは現実的
不参戦はプライドの問題が大きそうだが
>>509 弾劾状に名前を連ねられない程度の人間の策を誰が採用するんだよ。
>>515 上杉は飛び地で酒田に領地あったからそことのルートを確実に確保するために山形へ侵攻
したが山形城の出城である長谷堂城攻めに苦戦してる最中に関ヶ原の戦いの結果が判り慌てて撤退
上泉信綱の孫の安綱が戦死したが最上側の追撃をかわして戦力温存に成功
戦後の徳川との講和交渉が有利になった
>>501 戦犯と云うのは気の毒過ぎるわ
他の人達が書いてる様に無理難題ではあった
しかし、やるべきだったとも思うし、やってみなきゃ分からん部分は多々あったはず
>>518 庄内の乱の直後で本国は動けなかったし
薩摩なので上方で何が起きてるか状況把握が全くできなかった義弘の兄の義久と後継者巡って確執あり
そもそも京都の記録に三成の名前全然出てこないからね。
斬首されたあとに初めてでてきてる。
でも西軍挙兵~終結までのリアルタイムの東軍諸将間の書状だと三成が代表で名前が挙がってるんだよね
不思議
>>527 毛利か宇喜多に呼ばれて外交を頼まれてたんじゃないの。
三成に恩ある将は多いし。
>>475 ( °∀°)うん。しかも小西行長は朝鮮から帰化したヒトなんだよね。ゆえに当時の朝鮮にも通じて
タンだろうね。
( °∀°)宣戦布告という映画で朝鮮から帰化したヒトが内閣府で大活躍するけど、小西行長もそんな
カンジだったのだろうか。想いをハセてしまうよね。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
>>528 三成と大谷、安国寺が発端となってその他の大老や奉行が乗っかった
以上
>>521 確かにそれもあるな
ただやはり最大の理由としては最上を叩くことに主眼が置かれており、更に最上攻めは次の攻撃目標は伊達だぞと言う伊達への牽制にもなってる
一応景勝も上方と連携して江戸に攻め込むという当初の構想は持ち続けてたと思うよ
9月3日付本庄繁長宛直江兼続書状で
「最上とは一応和睦交渉を続けるが、このままダラダラ交渉を引き延ばすようなら、外聞のためにも最上領へ一働きする」と最上との交渉が上手くいかず焦っている様子も伺える
伊達に「最上領は切り取り次第」って約束したら
喜んで攻めたかもしれんw
まあ、歴史的な敗者ではあっても三成のDNAは現天皇家につながってるからな
いくさには負けたど
石田三成や島左近は名を残したし
一方の家康は、主家簒奪と一族根絶やし処刑で悪名を歴史に残した
>>495 畳の上で死ねたやつはだいたいあるんじゃね?
まぁ信長なんかは信長公記のおかげでだいたい像は見えてるけど
( °∀°)石田ミツナリと大東亜戦のトージョー首相はカブるよね。
ドッチも主君の為に頑張ったんだけどね。官僚の限界だよね。。。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
本当に言うほど猛将で有能だったの?怪しい
案外ヘタレだったかも
>>536 戦力に大差ないなら挟み撃ちや脇からの奇襲(しかも味方だと思ってた部隊による)
で一瞬で戦力は崩壊するよ
>>230 馬袋 義則(ばたい よしのり、1972年10月3日 - )は、兵庫県出身のボートレーサー。登録番号3612。身長168cm。血液型B型。71期。兵庫支部所属
字は間違ってるが読みはあってるんだなこれがw
はっずかし~
>>527 挙兵から半月の東軍方の書状で誰が首謀者なのかを調べるとこんな感じだな
細川忠興だけは毛利輝元が首謀者だとかなり早い段階で言ってる
また内府違いの条々が出される前日に蜂須賀家政が石田・大谷が謀反したことを述べてるのも面白い
宛先の堅田元慶は毛利輝元の側近ね
家康の書状だと7月29日に三奉行が謀反したことを述べていてここでようやく三奉行が敵だと認識したことになる
※内府違いの条々は7月17日に発給されてる
・7月16日付堅田元慶宛蜂須賀家政書状
「仍今度石治・大刑逆意、無是非存候」
・7月21日付松井康之・有吉立行・魚住昌永宛細川忠興書状
「石治部・輝元申談色立候由、上方ゟ内府へ追々御注進候」
・7月23日付最上義光宛徳川家康書状
「治部少輔・刑部少輔以才覚、方々觸状を廻付而、雑説申候条、御働之儀先途令御無用候」
・7月24日付中川秀成宛松井康之書状
「毛利殿・御奉行衆被仰合、内府様へ御謀叛之由申候」
・7月26日付堀秀治宛徳川家康書状
「仍今度治部少輔・刑部少輔雖企謀叛候」
・7月27日付秋田実季宛榊原康政書状
「然者於上方石治少・大刑少別心仕ニ付而」
・7月29日付黒田長政宛徳川家康書状
「先度御上以後、大坂奉行衆別心之由申来候間、重可令相談与存候處、御上故無其儀候」
>>541 秀秋の裏切りに気づいて佐和山まで撤退するつもりらしい
吉川広家はそういってる
影武者徳川家康
みたいに関ヶ原戦後は裏で活動してたのかも
>>260 毛利や西方の大物に手柄にさせるわけにはいかないから汚名着せて追放かね、恩賞ももらってたよな確か
吉川広家書状(吉川家文書913号)による関ヶ原の戦い
家康が9月14日に赤坂に着陣したことにより、徳川方の先手衆が青野ヶ原(垂井)に進軍
↓
すると松尾山の小早川秀秋がそれに呼応するかのように裏切りの色を見せた
↓
秀秋の裏切りを察した大垣城の宇喜多秀家や石田三成らは、山中に布陣していた大谷吉継が危ないと見て大垣城を出て関ヶ原方面へ進軍を開始
三成らは佐和山城に退くように見えた
↓
そして三成らを追って東軍も関ヶ原方面へ進軍
これが最近よく言われる関ヶ原の戦いは追撃戦だった説
>>540 あれは霊廟が戦争の空襲で瓦礫になってそれを整理する時
どうせならと残った遺体の調査もしたまで
無事だったと言うか健在な霊廟を掘り起こしてはいない
例えば家康の遺体は別に発掘調査などされておらず
埋葬時のまま安置されてる
と言っても実際にどこにあるのか確定してない(調査してないので)
まずは静岡の久能山に埋葬しその後日光に亡骸を移すようよう遺言した
と言う話は残ってるがそれを実行したかどうかは分かっておらず(確認取れてなく)
実際に家康の以外にどこにあるかは確定されてない
(一応日光に安置されてるとはされてるが)
>>353 九州の小競り合いに中央が裁定に入ってきて懲らしめられただけなのに、朝鮮半島でちょっと活躍しちゃったので千五百でも全国区の自分が行けば敵も味方も震え上がってお辞儀すると思ってたんじゃないかな
>>253 毛利軍は大津城に精鋭割かれてるから秀元本軍はハリボテ
秀忠に主力持ってかれた家康軍みたいなもん
>>142 でもない
流れでついたにしては激戦が予想される
危険な石田隊の隣に布陣している
日和見でもなく石田隊の側面を守った形
を取っていて最後まで逃げずに
留まっていたおかげで三成は逃げることも
できた
島津は三成に恩があって結局見捨てること
をしなかった
それで窮地に陥ったがその代わり豊臣家や
三成に恩わ返したとして大坂の陣には
参加しなかった
>>411 それそれ一発吹いただけだよね
自分たちが負けたのは相手が強かっただけで自分たちは悪くないと
宗茂、高橋、道雪で講談でセット売りした持ち上げ方
>>416 >>96はワリとマジだぞ
色々と資料が残ってるからデマカセじゃない
酒宴の席で配下を斬り殺したとか
家臣の謀反が相次いで統治困ってたとか
相手を叱責する手紙は何通もあるし
足が不自由に成って騎乗が出来なくなったって資料もある
ま、上杉謙信が好きな人は認めたくないだろうけど
>>449 官兵衞はドサクサで九州で領地広げてるからな
それで官兵衞に簒奪されたのが毛利勝永の父親が治めてた領地
官兵衞が東軍に付いて勝ちましたと報告に来た息子(長政)に「なんで後から家康を刺さなかった?」と怒鳴り付けたなんで話もあるぐらい
>>445 お前は鎌倉幕府から秀吉天下人まで何年のブランクがあると思ってんだ(笑)
>>547 ↑
ごめん
これレス間違い
>>537へのレスね
>>548 真の
天皇陵で在る事がほぼ確実でも放置。指定陵墓や参考地も、前方後円墳の後円部だけとかで、陪塚とか墓域の大部分は放置。宮内庁は仕事しろ。真の天皇陵とか人手も金もかかって迷惑なんですよ。そういうのは保全して、偶然出て来た遺跡の行政発掘を丁寧にやる方が、歴史の探求には有意味。
>>499 そりゃ偽物の頭蓋骨ぐらい用意するだろw
>>548 空海の墓を・・・
日光東照宮は暴かれてるんだっけ?
>>550 少し前にテレビで久能山東照宮が取り上げられた時に神職が
「日光に改葬などされていない。埋葬されているのはここ」
という趣旨の発言をしていた。
>>25 覇王伝の武将ファイルだね
覚えてる
辞典の方は朝鮮出兵の項目で
日本は未来永劫謝罪しなければならないとか書いてあってひいたわ
>>556 謙信の背景ってのを戦国オタや関西人は知らなさすぎる
上杉家ってのは元々日本の半分くらいを抑えていた強大な一族な
鎌倉大草紙つまり室町創世記を知ってる者ならわかる
東日本最大の名族を継いだのが謙信
>>568 継いだ、ってか下剋上で乗っとったの方が近いんでないの?w
>>555 俺は立花宗茂について言ってるだけで東国無双とか真田だとかについては創作だし何も言ってないぞ
立花についても後世の創作でーとか講談でーと言ってればいいと思ってないか?
立花は秀吉に限らず当時の武将たちからの評判も良く能力を認められてたんだよなぁ
読めるかしらんけどソースね
(慶長2年)9月16日付前田玄以・増田長盛・石田三成・長束正家宛宇喜多秀家ら14名連署状
「羽柴左近事、慥なる仁にて御座候、併其身わかく候間、嶋津・鍋嶋城之間ニ一城取拵、被致在番候へと申義ニ候」
>>572 んでも、「雷切」とか、まあ、伝説みたいなのもたしかにあるからなあwww
>>558 >ドサクサで九州で領地広げてる←創作
>官兵衞が東軍に付いて勝ちましたと報告に来た息子(長政)に「なんで後から家康を刺さなかった?」と怒鳴り付けたなんで話もあるぐらい←明治、大正時代に書かれた本が出典の創作
合戦後のイキリ確変モード逃げれれば普通に高禄で再就職
陪臣は別に犯罪者じゃないし
>>568 関東管領を日本の半分とか東日本と言い換えるのは無理あるだろw
>>572 日本語読める?理解できる?
>それそれ一発吹いただけだよね
>自分たちが負けたのは相手が強かっただけで自分たちは悪くないと
>>572 木村重成って知ってる?
立花宗茂ぐらいみんなから讃えられてたけど?
>>575 上は創作じゃないぞ?
実際に毛利勝永はそれで領地を失ってる
>>578 何言ってんだこいつ
>自分たちが負けたのは相手が強かっただけで自分たちは悪くないと
何に対して言ってんの?w
>>579 まーた創作の話ですか
木村重成が皆から讃えられてたって一次史料ソースプリーズ
重成は常日頃から兜に香を炊き込めてたから首実検の時にいい匂いがして家康に関心されたとかも信じてそうw
>>582 一次ソースの信憑性の話をしてるんだよお馬鹿さん
>慶長2年)9月16日付前田玄以・増田長盛・石田三成・長束正家宛宇喜多秀家ら14名連署状
>「羽柴左近事、慥なる仁にて御座候、併其身わかく候間、嶋津・鍋嶋城之間ニ一城取拵、被致在番候へと申義ニ候」
これが何処まで事実か?って話だよ
>>1の墓も手紙があれば無条件で事実と信じるのか?w
バカタレ(´・ω・`)
>>580 へー
家康の指示で如水は小倉城(毛利吉成・吉政父子の居城)を攻めてるけど
どこがどさくさに紛れて簒奪してるの?
(慶長5年)9月28日付黒田如水宛徳川家康書状
今度大友其地へ相働候之處、被及一戦、数多被討捕、殊大友被生捕之由、誠感悦之至候、然者毛利壱岐守所へ可成程被相働、可被申付候、
>>583 ガイジで草
じゃあ一次史料より信頼できる史料とやらプリーズ
>>585 日本語が通じないのかw
一次ソースの信憑性の話をしてるのに
他に信じられるモノが無いからそれが100%正しいとか
論理展開が無茶苦茶過ぎるwww
>>584 慶長5年に家康が命令出せる立場にあったの?
徳川家康が征夷大将軍になって幕府を開いてたのか?(笑)
>>586 ガチガイジやん
話にならんね
そりゃ一次史料であってもバイアスや誤謬はあるし鵜呑みにはできないものも中にはある
立花の件に関して一次史料で諸将から信頼されていたことという史料を俺は示したけどお前は信じられないんだろ?
それならなぜ信憑性が低いのか他の史料でもって反論しろよ
アホか
>>587 話にならんね
お前はゴミだわ
そりゃ三成には共に死のうぞワッハッハと言っときながら
徳川家康の前では地面にめり込む勢いで土下座して
涙を流し鼻水垂らしながら
命だけは 命だけはお赦しを~!
が島左近だからな
腹を壊すから柿は食わんと言う三成を指さして
バッカですね~あいつ
だから敗けるんですよね徳川様
が島左近
>>588 アホかw
書状を書いた人が事実を書いてるのか?って話をしてるんだぞ?
戦国時代の人は手紙に嘘を書かないのか?
相手を欺いたり保身の為に誇張したり、嘘を書いたりしないのか?
1通の手紙を取り上げてそれに書かれてる事が全て正しいとか
お花畑かよwww
>>588 で、徳川家康は命令できる立場に居たの?
逃げないで答えてよ?
ネェネェ?
大衆愚民向けの物語を信じられるよりかは健全でしょうに
>>590 だから一次史料でもバイアスや誤謬はあると言ってるやん
日本語読めないガイジくんw
信憑性が低いと主張するならそれに対する史料持ってこい
ガイジには分からんかもしれんけど単にお前の妄想でこの書状は嘘言ってるかもしれないは通らんよ
>>591 征夷大将軍とか幕府とか何言ってんだこのバカ
>>587 征夷大将軍になる前に関ヶ原の論功行賞家康が全部一人でやってるじゃん
慶長四年から五年にかけての庄内の乱や宇喜多騒動、七将訴訟事件の処理は全て家康の指示で動いてるけど
関ヶ原の時点で結構高齢なはずだろ?
その後30年も生きるもんかね
島左近とか過大評価じゃね?
歴史的に見ても大した実績残せてないじゃん
Q 被差別部落の方に暴力団やカルト宗教や政治にすすむ人が多いのはなぜ?
Copilot 被差別部落の方々が暴力団やカルト宗教に進む人が多い理由は実力主義だからです。
(人間と違いCopilotははっきり言うんですね)
歴史的な背景:被差別部落の人々は、歴史的に経済的・社会的な差別を受けてきました。
その結果、学歴に関係なく、実力で勝負できる世界、 例えば芸能界や暴力団や政治の世界に足を踏み入れる人が多いと言われています。
暴力団との関連:暴力団は実力社会であり、 被差別部落出身者にとっては、社会的な地位を確立する一つの手段 、
中略、被差別部落の方々が暴力団やカルト宗教や政治に進む理由として考えられます
0yjk
>>597 蒲生氏郷や島左近は同時代人に評価の高かった人だからさ
墓を荒らしてまで調査せんでええやろ
こんなの詳しく解ったって今の政治や生活には1ミリも影響ないのに
>>602 お前つまらん人生を送ってそう
学問の自由だし好きにやらせとけばいいんだよ
たかだか150年前の明治維新でさえ、当時名を成した人の姿が創作だらけで実態が分からないとかだからな
写真もあったのに
400年以上前の戦国時代の武将のエピソードなんてほとんど後日創作のファンタジーの域だろ
> 名を成した人の姿が創作だらけで実態が分からない
それこそ、今でもまったく変わっていないだろwww
自民党は統一教会とズブズブだったし、安倍晋三はきちがいだったけど、未だにそんなこと
あるはずがない、みたいなことにされてんじゃんwww
石田とかいう生かす価値すらない無能な人間のクズとか普通に殺処分しとけって話なのに
のさばらせて挙句結局殺処分するのは変わらないんだから何がしたかったんだろうな
>>607 クズなのは、謀略を駆使し天下を盗った家康。悪人だからこそ、覇者になれたのだよ。そして江戸幕府の統治政策により、日本人は感情を抑制する事が美徳であると教育(洗脳)され、現在に至る。
260年の平和を家康がもたらした事は事実だが、功罪両面が家康にはあるのだよ。
>>208 この時間に爆笑して目が覚めた。
賠償しる!
>>608 全然現在に至ってないけど
そもそも幕末期に優秀な幕府の人間はテロリストに殺されまくってそも人殺しのテロリストらが新政府として政治の中枢牛耳って今に至ってるんだけどちゃんと勉強しようね
戦国時代の武将とか漫画、花の慶次とか影武者徳川家康見て時代劇好きになったな、ロマンを感じる
>>567 これは書いた人間に問題があるな
悪意しか感じないし、全く同意できない
>>611 殺し合いで負けた
というのは
要するに能力が無かったんだろ
>>617 横須賀に造船所作った小栗のおかげで日露戦争勝てたんやで?
1995年くらいまで機能してた造船所を国内に作ると言う発想自体が当時にはない
勝海舟をはじめどうせ作れないから外国から完成品買えばいいやみたいなやつばかり
そんな小栗を旧幕臣というだけで警戒して登用しないばかりか因縁つけて消したのが明治政府の薩長
>>611 違う。日本は世界でも稀な、感情を抑制する事が美徳とされる国民性の国。そのような文化が醸成されたのは、反乱を極度に恐れた江戸幕府の統治政策によるもの。
君は幕末には詳しいかもしれないが、歴史を体系として理解していない。勉強が必要なのは君のほう。
>>618 いかにもねらーらしい揶揄。具体的に記述しない駄文に、説得力は皆無。
>>619 先見の明がある人間が幕府の中にいたとしても
薩長土に権力闘争で負けたんだから無能だよ
>>621 有能な人間でも、(社内)政治に負けて不遇となる事は多々あるのだよ。君はそれを理解していない子供か、社会に対し無関心であるかのどちらか。少なくとも大上段で物事を論じるあたり、「大人」ではない。
或いは、軍記物フィクションに浸りすぎの、(バカな)オタク。
余談だが、中学の時「俺は武力85で知力90だ~。お前より上なんだ~」と主張していた、バカなオタクがいたが、彼はFラン大学の付属高校に進学し、そのままFラン大学へと進学した。その後の事は知らない。
一方、私は国立大学へと進学。彼にとっての知力90とは100点満点ではなく、300点満点だったのだろう…。
豊臣政権が続いてたら鎖国なんかせずにアジアの覇権を
握っていたかもしれないのになあ
>>622 Fラン大学を出てどこかの社長をやってるとかかもよ?
>>276 飯がうまいです!
って誰のセリフだっけ?
花の慶次だと石田三成バカ殿みたいな描かれ方だけど、影武者徳川家康だとトキみたいにめちゃくちゃカッコいいよなwww
かかえれ、かかれえ
の声が東軍のトラウマになった人か
寛永9年だとちょっと長生き過ぎないか
世間の好む物語を背負うキャラがこうして後世でもてはやされます。 エンターテインメントとしてナニを成したかよりも物語の有無が大事なのです。
>>621はアホだけど、
>>622も下二行で劣らぬバカを露呈している。
>>1 鑑定したら近代のものだった程度の話で落ち着くのではないか?
そもそも島左近が1932年に死んだとすると92歳ほどになる
まあ関ヶ原で討ち死にしているだろ
1932年まで生きてたってそれ徳川幕府の滅亡を見届けて
昭和まで生きてたって事だからとにかく驚異的に長生きだぜ
>>629 ( °∀°)ヒトは感情移入出来るエピソードをコノムものだ。逆に、たとえばこんな素晴らしい
電脳世界の便所落書帳を発明したヒトの事を聞いても「フーン」で終わってシマウ。
( °∀°)こうして多大な恩恵を受けているにも関わらず、だ。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
いまも滋賀県ではしまさこにゃんとして親しま れている武将のひと 話変わるが日本人は東西対抗が好きだよな たまには南北対抗とかやればいいのにね
TBSの「関ヶ原」の石田三成が加藤剛、島左近が三船敏郎が最高の適役
>>615 当時の光栄の解説本はそんなのばかり
思い込み、感情論、決めつけの見本市でゲームで歴史に興味を持った層を深みに呼び込むテキストとしては最低の部類
小説の体で出していた司馬より解説本の体なんで一冊の悪影響は100倍ほど
売れ行きは1/10000程度だから害悪の総量はそれほどでもないけど
>>627 花慶キャラは有能無能の差が極端だったけど
三成は小物の嫌味キャラとして出て来たのに、豊臣政権を支えるプレッシャーに押し潰されそうになりながら
慶次に鼻水流しながら本音の苦しさをぶちまけてスッキリして現実に立ち戻る姿が、キャラの長短をよく表せていて良い感じで人間味が出ていた
>>634 ( °∀°)具体的にドコを境界とするかで争いはあるが、地域的なコウゾウが東西日本になるのだろうね。
( °∀°)東北もタマに北東北VS南東北はあるけど、アンマ聞かないな。東北はまとまらない。
奥羽越列藩同盟もガッチリまとまっていたら戊辰戦争も西軍に負けなかったダロウ。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
>>615 ( °∀°)まるでジツワBUNKAタブーの「社説」を読んでるような感覚に襲われるな。
後藤又兵衛も生き延びて、大分の裏耶馬溪で亡くなったしな。
>>619 小栗消したのは新政府軍のイキった若造指揮官だったよな
新政府内でも見識ある人は皆小栗を処刑したのを惜しんだ
>>644 惜しむくらいならなんで止められないのかな。
若造の意見くらい簡単に却下できるだろうに。
所詮は後からのいい訳だろうに。
>>640 まとまってればって
裏切ったの秋田藩だけだし。
>>617 殺傷能力の高い人間が優秀とは限らないからね。
>>646 ( °∀°)よく県内の大名が一丸となって戦ったように勘違いされるが、福島県内だけでも
三春藩を筆頭にウラギリモノが居て、実際はモザイク状に東軍派と西軍派が分かれていたんだよ。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
>>644 >イキった若造指揮官
山県有朋のことか?w
つか、むしろ、新政府軍にはそんなのしかいなかった、というのがほんとのところだろうw
>>650 ( °∀°)なので、西軍ガワとして戦った県内の人々の御霊を祀るタメに、
福島県にも護国神社があるという訳だ。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
>>650 三春は会津への通り道だから裏切っただけだよ。
自領荒らされてまで会津と心中する義理ないからね。
ぽっと出の新興企業って個々の能力に頼りすぎで基板が弱いから長続きしない
そういうことなんじゃないの?
何が起こってもいずれ徳川に権力が移るそういう流れだったんでしょうし
>>25 現代の政治家なら誰だろう
菅さんみたいに上に立つより目立たず活躍するタイプかな
携帯代の引き下げは国民の宿願だったのでそれ一つでもすごい功績だけど
>>653 義理はあると思うがねw
つか、結局のところ、上杉にしろ、伊達にしろ、「裏切った」のだと思うけどwww
>>655 はっきりいって、菅みたいなただのヤクザといっしょにされんのは、さすがに三成が可哀想だwww
>>653 ( °∀°)そんな風に東北には我が道を行く独自の気風があるんよ。だからまとまらないのさ。
( °∀°)東北は大和朝廷とバトルしてたコロとアンマ変わって居ないのかもしれぬ。
ナニがそうさせるのかは分からんけど。
( °∀°)つ酒
(/◎\)グビビー
>>658 奥羽列藩同盟は?w
おまえさんも、完全に的外れなんだよなあw
>>647 治安を守る能力の問題だよ
警察や自衛隊が犯罪者やテロリストに負けるというのは
政府の治安対策に問題があるということ
>>660 売国万歳って?www
そういうのを、サロンパスみたいな理屈ってんだよwww
どこにでもひっつくってやつだwww
>>656 会津救済のための共同での懇願が
いつのまにかかってに軍事同盟に変えられてたのに
そこまでの義理はないよ。
白河の戦いまで付き合っただけでも充分。
仙台藩なんか藩領に敵が迫っただけで
「自分らもうやめた、一抜けた」だぜw
なんで三春が領内を焼け野原にまでせなあかんのよ。
ただ、仙台藩があんなに弱いとは当時も今も誰も思わなかった。
>>662,663
>>646 もう支離滅裂だね、君www
>>99 アパートたって一棟自分のアパートの一室だし…
>>661 意味が分からんね
薩長土と幕府は日本の政権を奪い合う闘争をしていた
その闘争に薩長土は勝ち、新政権を立てた
幕府は負けて政権を奪われた
それだけの話だろう?
>>664 それもかなりトンチンだなwww
仙台藩がそんなに強いだなんてそれこそ当時思ってた奴なんていないと思うがwww
島耕作が討ち死に以外で殺される要素がないからな
島に別に恨みも無いし、生きてるのがわかったら誰でも家臣にしたいくらいだ
>>668 そりゃ、つまり根本的に頭が悪いか、じゃなかったら、全然そのへんの歴史を知らんってことだろ?w
相手にするに足りねーよwww
>>661 仙台藩も江戸時代は徳川幕府体制の忠実な犬としてすっかり骨抜きにされ
第二の加賀藩みたいなもんだったからなw
伊達政宗の時代の戦国の勇みたいな気概は幕末の仙台藩には無かったでしょ
>>673 ああ、お前もサロンパスかwww
つか、ほんとお前も相手にするに足りなすぎるわwww
>>542 でもその「ばたい」じゃないでしょ?
あなたがはじめに書いたつもりだったのは
ドヤ顔で誤字なんてよくある事だから適当なところで矛を収めれば大丈夫だよ
>>675 まあ、あんたの能味噌レベルじゃなあ。
あんたの相手はこっちから願い下げだね。
以後NGしとく。
>>479 一説によると大野だか浅野だかそんな地味目の側近
>>677 俺は素直に勉強になったけどな
社会人になればわかるけど人間力の差が出るから素直、謙虚は大事だよ
馬岱ってほとんど資料に残ってないのだから
間違えても仕方がない。
>>672 幕府が米買ってくれないと財政保てなかったからね。完全に依存状態
ただ、国持ち大名として薩摩や長州に対して対抗心はあった。そして島津に対抗してほんのちょっと官位を上げるために馬鹿みたいに金使って財政危機
色々もうあかんかったね
三成の秀吉と初めて会った寺での3回に分けてお茶出した話って史実なの?
>>686 武将感状記は江戸時代の中頃に書かれたものだからね。
真実かどうかまではねえ。
こんなのより三成は柿の食い過ぎで処刑時ひどい下痢だったって説の方に興味ある
>>686 眉唾と思ってる
長浜を与えられたはいいが譜代の家臣が全然いなくて困ってた時に三成の親父が仕官するから自然と小姓になっただけだろうし坊主だったかどうかすら怪しい
そもそも逸話の初出が三成の死後の200年後で裏付ける資料どころか伝聞もない
もし三成存命中にその逸話があったとしても秀吉の能力に箔をつけたいのと事務官僚としての能力に箔をつけさせたい秀吉の思惑じゃないのと思ってる
三成を貶めるために小姓の出自ということにしたと言う説もある。
また、三成は18歳のときに姫路で秀吉に仕えたという身内の資料もある。
>>639 出奔前の利家とのやりとりのまんま焼き直しでなければね
>>542 一晩かけて探したんかw
ただでさえ笑い物になってるところにこのレスでさらに恥ずかしいことになったんだけど、それすら気づいていないってw
甕に座った姿勢で収められて上杉神社に葬られているらしい
上杉謙信の調査をやって欲しい!
>>692 墓暴きなんて基本やらないよ
やっぱ不敬だからね
>>694 ならんね。信長小姓の森4兄弟の下3人は可成の多大な功績で小姓に取り立ててるしね
親父がクソショボい武将で信長から絶大な評価を受けてなかったなら森蘭丸は歴史に埋もれてた
なんかレス番号狂ってると思ったら専ブラはズレるのか
>>698 ならんよな
小姓って出世コースに乗る一番の手段だろう
>>657 それは菅直人のことか?
>>655が言ってるのは菅義偉のことだと思うぞ
そうか
よく政宗がもう2〜30年早く生まれてたらって言うが
そうだとしても天下を狙えたってわけではないんだな
>>704 早かったら北条氏康や武田信玄上杉謙信いたから逆に無理
伊達政宗で出たころは中小の大名がある程度整理され大名権力も強くなっており大軍も編成しやすい環境になっていたから伊達政宗もやりやすかった
別に小僧の出だって貶めなんかならんだろ
上杉謙信も今川義元も「小僧」の出やでw
>>706 あの時代は学問教養身につけるために一回は寺に行く当時は知識人と言えば寺の坊主だった
「三献茶」の話の成立は後世なんだろうけど三成の仕事ぶりを分かりやすく評してあるから広く伝わったんだろうけども
豊臣秀吉は今で言うと「名プロデューサー」だから
「七本槍子」とか初め飼いの家臣や武将に泊を付けて売り出すのが当時時点から実に上手
伝わってる各武将の逸話エピソードになってる元のネタとかも割と多いんじゃないかな~
>>705 よくそのメンツの中で生き残れたな
最上は母親の実家としても北には南部もいたんだろ
>>702 菅義偉こそはまさにヤクザw
ゴロツキといったほうがいいかなあwww
>>694 寺小姓っては雑用係兼坊主達のアッーの相手ですよ
教科書に出てくる徒然草の仁和寺の法師の逸話も美少年稚児を巡る坊主達の争いから起きてる話なんだし
>>700 蘭丸は小姓の分際で領地まで貰ってるしね
>>710 譜代筆頭の井伊彦根藩が官軍側に寝返ってるのに敵前逃亡も何も無えw
>>712 東北では名門の家だったのと稙宗晴宗輝宗と政宗の先代3代が有能だったおかげ
これら3代が東北各地の豪族に自分の子を養子に送り込んで自勢力化して家を強化してきたのを政宗は引き継いだから出だしから有利
あの芦名もお家騒動で政宗の弟を当主にしようという話が出たくらい伊達家の影響は強かった芦名が政宗の弟を当主にしてたら政宗は
佐竹義宣と直接対決してただろうな
彦根って戊辰戦争でめちゃめちゃ奮戦してなかったかと思ったがそれ桑名藩だったわ
>>717 伊達政宗も徳川家茂も和宮も公認で墓荒らされてます
こっちは伝説のままにしておいたほうが・・・
「みんな得」だと思うけどね
まともな学者がこんなのを掘るとか?するのかねw
>>719 井伊は桜田門外の変の時の対応で完全に幕府に愛想つかしてたからな
取り潰されなかっただけ幕府にかばってもらえたとは思えなかったらしい
>>719 彦根藩は安政の大獄の責任をすべて井伊直弼に押し付けられ領地を20万石にまで削減された
上にその没取された領地を京都に守衛総督や京都守護職に赴任してきたのが直弼暗殺した水戸藩系の慶喜や松平容保の給与としてまんま与えたもんだからそれを恨んで新政府に速攻寝返ったw
サムスンも関ケ原の決戦の後伊吹山中あたりをウロウロしてたのは
よくなかった。
さっさと日本アルプスあたりに逃亡すべきだったね。
>>718 詳しくありがと勉強なった
名門って藤原氏だったよな奥州藤原の流れなんだろうか
和宮さんの棺から出てきた乾板の画像の男性はきになるよね
保存さえ良かったら家茂公の唯一現存する写真だったかも知れんのに
>>720 何度も言うけどそれって太平洋戦争の空襲で焼失したり崩壊したりした
墓所の再建のために発掘調査したからだからな
墓所や霊廟が健在な所は基本発掘調査なんてしないよ
>>723 そりゃ彦根藩すりゃそのあと藩主暗殺した水戸藩の系統の人物が京都に赴任してくるんだぜ徳川慶喜と松平容保なんてモロ水戸系の人士で没収された領地を幕府はこの2人の手当ててとして支給したもんだから彦根藩からすれば屈辱以外何物でもない藩内に尊王攘夷派が台頭し瞬く間に藩論になった
>>705 北条や上杉以前に、蘆名があるから無理かな。
>>727 たしか発掘したときちゃんと保存しなかったんだよなそれで一晩で消えたとさ
中国も兵馬俑を最初に発掘したときは像についてた染料の色が変色したからそのあとから
保存方法確立するのに苦労したとか
始皇帝陵を当面発掘しないと発表してるのも
発掘しても保存する技術がまだ確立されてないから
あと中国各地で再開発で遺跡がアホみたいに出てきてそっちの発掘保存のほうにマンパワー取られて其れどころじゃない
>>731 芦名は当主死亡後継無しになったときに
伊達家から政宗弟を養子入れる話があったから成功してたら芦名が伊達傘下になってた
>>730 その魏延が漢中に要塞作りまくってくれたおかげで曹爽侵攻してきた時は撃退できたんだぜ蜀は興勢の役ってやつ
>>731 盛氏が存命だったころの蘆名は伊達にはどうにも出来なかっただろうからね。まさに奥州最強
政宗は早く生まれても遅く生まれてもノーチャンス
桜田門外の変なんて武家としては最悪の失態だろ
普通なら取り潰しになってるよ
それを譜代筆頭の面目を考慮して3分の1減封程度で済ました貰えたのに
(それでも譜代最大領封)
それを恨みに思うって逆恨みも良いところだなw
>>733 20年前に政宗が領土拡大を目指して中央を狙うなら
蘆名と必ず直接対決になったのでは?
>>733 夏侯淵を倒して漢中を手に入れた際に劉備が
張飛を差し置いて魏延を漢中太守に任命したんだよな
これには周囲の皆が驚いたらしいがそりゃそうだろう
後で考えるとこの大抜擢は劉備の慧眼だわ
>>739 いつの東スポだよwww
ってか、まだやってたりするのか?www
>>737 劉備は何かにつけ若手を活躍させようと積極的に下から登用するのが好きなのよ魏延に限らず孔明もそこから見出されたようなもんで
あとこれまでパッとしなかった人を起用して
活躍させたりと黄忠とかその典型でいまある人材を活用することが得意「野村再生工場」の三国志版みたいなもんだ
その劉備にダメ出しをくらった馬謖
その馬謖を後継者と大事にした孔明
劉備の姜維評を聞きたかったかな。
>>716 大老として必死に汗をかいていた井伊直弼が殺されても幕府何もしてくれなかったからな、、、
普通に考えたら水戸藩取り潰しが妥当
>>735 幕府の失態だし取り潰されるべきは実行犯が所属していた水戸藩
>>745 水戸藩には会津藩や桑名藩その他有力藩が味方にいるから取り潰しは無理
水戸藩は歴代藩主の繁殖力が凄くて諸大名の養子に入ってるとこ多いのよ
会津藩や桑名藩の藩主の爺さんは水戸藩主の息子で斉昭の叔父だからな特に会津は跡取りいなかったときにその息子の子(松平容保の叔父)を養子にとって断絶免れてるから
水戸藩に足を向けて寝れない
>>743 孔明は黄忠と共にくだって来た魏延を最初は
反骨の相があるから斬首にしろって言ったんだよな
そこを劉備がまあまあちょっと待てと登用した
結果的に謀反を起こしたから孔明の人相占いは当たってはいたんだけど
馬鹿なの?
江戸市中、しかも江戸城の門前で幕府の最高職が不逞の輩に襲われ
殺されるなんて武家としてこれ以上の恥さらし無いんだぜ(笑)
幕府の体面に泥を塗る痴れ者の所業
普通なら改易取り潰し処分だよ
それを幕府が助けてくれなかったとかナントカ
もう脳味噌ピヨピヨお花畑が湧いてるわww
>>748 謀反というより孔明死んだあとの内部対立で粛清された感じだな魏延は
まあ魏延は現実的ではない子午谷経由で長安攻め主張して孔明に却下されたように全体観を観るに乏しいから孔明も全権委譲しなかった
馬岱って魏延切ったとこくらいしか表舞台に出てこないのに
何故か日本人のなかでは有名だし、結構人気あるよな。
全国に五箇所ってw
なにか証拠でもみつからんかぎりは証明できんな
浅野内匠頭は城中で吉良に斬りつけたという
藩取り潰しに相当する重大な理由があったが
彦根藩は何も悪い事してないのに水戸藩はお咎め無しで彦根藩だけ一方的に処罰したら
それこそ討ち入りが発生したやろ
生きてるうちに後継ぎ決めてなかった彦根藩は本来なら改易になるのだが
井伊直弼が生きていたことにして後継ぎ決めさせるくらい幕府としては彦根に配慮していた
彦根藩を減封したのは斉昭の息子の一橋慶喜が将軍後見職になったから
>>634 南北で分けようが東西で分けようが
ほぼ一緒w
>>759 北日本とはいうけど南日本って言わないよな。
南日本最大の都市ってどこだろ。鹿児島かな。
もし仮に島左近が生きていれば、
大坂の陣に参加していたはず。
謙信の配下だった爺さんが大阪の陣に呼ばれて参戦し
戦い終わった後に家康からこの度の激しい戦はどうじゃった?と感想を聞かれて
は?子供の石合戦かと思ったとケンモホロロだったらしい
関ヶ原の最新の研究によると
小早川秀秋らの裏切りは開戦早々に起きて短時間で決着が付いた小規模な衝突だった可能性が指摘されているな
>>760 滋賀あたりで横に切るなら大阪、名古屋、福岡は南日本に入るのでは?
>>764 加えて、西軍首脳部は小早川秀秋の裏切りを事前に察知してたらしい
三成が大垣城から関ヶ原に転進したのは秀秋が大谷吉継陣に攻めかかる可能性を考え、吉継を支援するために行ったとのこと
>>695 謙信は生涯独身ってだけでいまだに女性説あるよな
>>766 吉継支援に城外に出て、そこでぼこぼこに全軍壊滅までやられるとか
朝倉義景の最後より酷い戦いじゃねーか。
>>766 事前に察知しててあんな横っ腹の急所に布陣させるって
西軍は馬鹿の集まりなの?
>>772 あれは小早川が実力で西軍から奪い取った陣地だから。
要するに前哨戦で西軍が破れて有利な地を奪われたってだけのこと。
島左近が本当に有能なら家康のチンコをしゃぶりながら亡くなるのを待つべきと諭すだろ
そう言えば西軍って全体を統制する総司令官って誰がやってたの?
総大将の毛利輝元は大阪城にいたんだよな
>>772 西軍は廃城があった松尾山を伊藤盛正に主要拠点として修築させてたけど
小早川秀秋が勝手に盛正を追い出して占拠していた
>>774 司馬遼太郎小説の「関ヶ原」では
島左近は盛んに家康暗殺を三成に勧めてたねw
信長も土方も生存してたら
ロマンなくなるよな
劇的な玉砕遂げることで判官びいきが生まれる
西軍が陣取ってた松尾山を小早川が乗っ取ったことで小早川の寝返りが確実になり背後にいた大谷吉継や佐和山城が危なくなってきた
んだろ?立花宗茂が後詰めすれば良かったんだけど大津城攻めしてたし細川幽斎が田辺城で別の部隊を足止めしていたのでこれまた到着遅れた
>>774 会津攻めさせりゃよかったんだよ
最上や伊達は面従腹背で上杉とは本気で対峙してなかったんだし相手が上杉軍なので苦戦するのは確実だったそれで身動きとれなくなったときに三成が打って出るべきだった
歴史は勝者によって作られるもんで
負けた側は雑魚扱いされるのが常
その中で名将扱いされてるんだから
相当凄いってこと
西軍勝利の暁には、関ヶ原戦後、石治少には近江一国78万石、
大刑少には越前一国68万石が与えられた
>>783 長束正家「俺は国を追い出されるんか?」
武田信玄が家康を本気で殺してたら関ヶ原では誰が東軍の総大将なったんだろう
何かと物議を醸す『信長の野望』での評価
石田三成 統率70武勇61知略77政務98
島左近 統率87武勇90知略85政務45
大谷吉継 統率89武勇68知略90政務90
徳川家康 統率99武勇87知略90政務98
本多正信 統率29武勇29知略92政務93
福島正則 統率78武勇91知略68政務53
長束正家 統率26武勇36知略38政務87
小早川秀秋 統率62武勇53知略64政務62
>>775 慶長5年9月10日には南宮山に居たんじゃなかったっけ?
あ、大谷の政務80だったわw
いくら何でも過大評価だなぁと思いつつ書いたが
しかしゲームだから仕方ないとはいえ家康と三成の政治力が互角って?
でも一時期より三成はだいぶ評価上がったなぁ
島津は元々が関白近衛家の荘園の管理で、
庄内の島津荘の管理で地頭になったもので、
それを秀吉が近衛家に養子に入って関白になったので、
秀吉に庄内乗っ取りを仕掛けられており、
その実行犯が石田三成と伊集院であった。
秀吉の死後、庄内の乱で家康の許可を得て伊集院をぶっ潰し、
そのお礼として伏見籠城で恩を返そうと思ったところ、
家康に拒否され、そこで庄内の乱の許可も
島津家追い落としのための策略の一環である事に気づき、
西軍として参加はしたものの、
三成のために戦うということはせず、
関ヶ原後に行われる島津討伐に対して、
単身家康本陣に突っ込んで、
死ぬ気で伏見籠城を申し出た事を証明し、
自ら島津討伐の口火を切ってみせたのが、
島津の退き口と言うことになる。
関ヶ原後に実際に家康は島津討伐令を出したものの、
家臣達に「庄内の乱のお礼の伏見籠城に来たのに追い返させたアンタが悪いんだろうが」とたしなめられて、
家康は振り上げた拳を降ろさざるを得ず、
1ミリも領土を失う事も無かったのである。
関ヶ原が無かったら前田征伐に続き上杉征伐後、毛利も潰されてただろ
関ヶ原はその工程を一括で終わらせただけ
>>790 政務力と政治力は違うだろ
政務力なら家康といえど三成には敵わんのでは?
>>788 これでも現代に換算すると40付近からもう有能なんだろな
現代では政治や外交能力は壊滅的だし軍を率いる事の出来る人も少数
>>794 なるほどな、戦略家としての政治力じゃなく能吏としての実務的な政務力か
>>795 確かむか~しののぶやぼで名も無き足軽頭が出てるんだが能力値がオール30だったんよ
つまりよ、普通よりちょい上くらいの足軽頭で30ってことよな
>>793 そこまでの圧倒的な力は関ヶ原以前はまだ徳川に無かっただろ
そこまで無理強いすれば「明日は我が身」と大大名は反徳川で結集してたわ
壮絶な戦死、行方不明説あったが
死地を乗り越えて畳の上で往生したんか?
なんで西軍はあんなにやる気なかったんだ?
毛利なんて参加して何もしないで減封されて何目的だったんだ
>>800 毛利家は輝元が大大名の当主かつ名目だけとはいえ西軍総大将としては凡庸な武将
あと内部にいざこざを抱えてて吉川広家と安国寺恵瓊が対立してた、ということになってる
しかも布陣した場所が主戦場からは遠く離れてるとか実際はどうか知らんがいろんな要素で
動けない感じで終わった
そもそも毛利軍が南雲山に陣取ったのは西軍首脳部が大垣城撤収を決める以前からであって
関ケ原での決戦をあらかじめ想定して山に登ったわけじゃないからな
>>800 増税(-□д□-)に呼びつけられた陸自って感じだったんじゃね
毛利は典型的なカド立てなくないムーヴでしょ
西軍の大名達にいい顔したいけど
かといって徳川とガチで戦うと今度は徳川さんと遺恨が残るからそれも避けたい
結果がアレ
毛利が減封で済んだのは関ケ原で徳川と積極的に戦わなかったからだと思うわ
>>46 >>58 1個フレーズが流行ると大喜利になるのは
日本人の昔からのクセなのかも
>>815 島津くらいに気合いがあればむしろ加増されるのに
>>820 朝鮮に行かせてあげたかった
別の世界線の可能性 微レ存
幕府が安定してきたら毛利島津などの有力大名は取り潰しておくべきだった
>>823 取りつぶす口実も無い以上、いくら徳川が独裁していてもそれは不可能。だから家康は豊臣に、いい加減ないいがかりをつけざるを得なかったのだよ。
家康のような悪人が英雄扱いされるのには、疑問を感じる。もっとも、悪人だからこそ天下を盗れたのだがね…。
家康には「どんな手段を用いても戦国の世を終わらせる」と言う大義名分があった。
そしてそれを実現するためには「善人」では不可能、と言う事です。
どんな汚い手段を使おうが徳川270年の太平の世を築いたのは事実。
太平の世 () 草 徳川洗脳され過ぎ
大航海時代からこぼれ落ちただけの
あらゆる新規も発展も許さない思考停止歴史退行しただけの日本の黒歴史暗黒時代
徳川家康と江戸幕府の時代は、唾棄すべき「日本史の癌」そのもの
>>827 今の岸田よりは国民負担率低いし町人なんか住民税すら取られてないぞ?
今よりはまとも
>>827 馬鹿だね
「大義名分」の意味分からない?チテキショウガイw
あと徳川の鎖国が世界から遅れた要因とか言ってるが
それが日本の独自性とアイデンティティーを育み
ヨーロッパの帝国主義から日本を救いその後のアジアの中で唯一
欧米諸国に伍する国家の礎になったんだよ
>>828 徳川三大改革 () 勃興する市民経済社会を暗黒鎖国で規制
幕府一個の財政しか考えてないで世間一般にまで華美禁止
お笑いデフレ緊縮と禁止倹約規制 が「改革」は大草原
まさに日本の暗黒史
既にアダム・スミス以降時代にあって日本歴史の恥そのもの
太平洗脳の奴隷には何を言ってもねw
徳川のおかげで太平の時代脳 草
哀れ過ぎる
>>833 でさあ
おまえさん
鎖国をせずずっと外国に開放してた日本以外のアフリカやアジア諸国はどうなった?
言ってみ
オラ
ヨーロッパと同じように近代国家に発展してたか?www
>>827 その、産業革命から取り残された歴史を
「60年分」と冷静に見極め、文明開化を現実の政治のレールに乗せた、
岩倉具視って悪公家はすごい奴だったね!
>>838 そうだよ、きみもえのころ飯たべるか? じんたんもあるよ
島左近てそんなに有能だったか?
三成に仕える前の年代で名前聞いたことない
>>838 歴史マニアは、一部の例外を除き、基本、聡明。その一部の例外とは、三国志、戦国時代、幕末等を扱ったアニメ、ゲーム等でしか、歴史を知らない人間。
中学の頃、「俺は武力85で知力90だ~、お前より上なんだ~」とほざいていたオタクがいたが、彼はその後Fラン大学の付属校に進学し、そのままFラン大学へと進学した。その後の事は知らないし、知ろうとも思わない。
一方、彼が蔑んでいた私は、国立大学へと進学。彼にとっての知力90とは、100点満点ではなく、300点満点だったのだろう…。
>>1 島左近が生き残っていたのは有名だぞ
甲斐の六郎を使って家康を暗殺したからな
そもそも生き延びていたら大阪冬夏の陣で顔だしてるんじゃあるまいか?
>>842 KOEIゲームさえやれば知力100やぞ?
>>838 歷オタの記憶力は認知症になっても衰えないという説
>>827 近隣の明→清朝、李氏朝鮮、ヴェトナムも当時は殆ど
海禁鎖国政策だが何か?
左近死んだことにしたのはドラマとかではあるが一応不明なんだよね
あと大坂夏の陣の明石掃部とかも諸説あり
とてもワクワクする
でも400年前の人の骨をどうやって本人だと断定するんですか?
子孫のDNAで調べるの?
このスレ見てると小説は読まずに漫画だけ読んでる奴が多いと感じる
毛利輝元が秀頼連れ出して関ヶ原に豊臣の旗立てたらよかったのに
>>1 つか、支那に領土持ってたんじゃないのか?
細川
>>782
そうだよね
この時代の覚書なんて実際は何十後かに書かれたものだったりして 信憑性がないんだよな
しかも勝った方かなり持ち上げてたり
やたら正義やら善悪二元論で片方貶すやつは損してる
家康・東軍側にも、三成・西軍側にもドラマがある。
あちこちに潜伏してた伝説あるけどそんな潜伏できるほど目立たない影薄い男だったのか?
>>856 そもそも豊臣家が西軍寄りじゃないしなぁ…
淀の動きを見ると心は東軍寄りでしょ
榊原康政宛に「三成と大谷形部らが良からぬ企みしているから、(家康は)早く上方に戻ってきておくれ」って書状だしてるし
>>841 筒井康隆の小説で有名な、筒井順慶の家老だったことは確か
そこでの具体的な実績は不明だが、当代の名士として三成に迎えられた
>筒井康隆の小説で有名な、筒井順慶
いや
この紹介はかなりマニアックだろw
本能寺直後の日和見でお馴染みの順慶には島左近と松倉右近という有能な家臣が筒井家を支えていた
司馬遼太郎の関ヶ原の島左近は今思うと薄い本みたいな印象だわ
>>870 淀に情勢を認識し把握する能力があったとも思えんけどね
>>877 上杉は後に赤穂浪士討ち入り事件でもミソをつける事になる
上杉って関ヶ原以降残念回廊を突き進んでるイメージだよなw
>>855 そもそもレベル的には小説も漫画も同じだ
それらは史料じゃないんだから
>>881 名君、なんだろうけどやった事は超倹約のケチケチ政策で
(殖産興業も行ったが)
超借金の米沢藩の財政改革の端緒を作っただけだから
(立て直しできたのは鷹山の死後の世代)
事跡としては華やかさはねえなあw
>>880 減封されまくったのに家格維持しようと見栄張って
貧乏でどうにもならなくなったって話らしいな
>>1 石田の軍師なのに家康得意の野戦を許すとか
動くかわからない毛利一万や小早川秀秋一万を看過できなかった
軍師としてはレベル低いんじゃね
これ、お向かいは信長京都滞在時の宿んとこじゃねえか、こないだ行ったわ
上杉は名門は名門だから無理して大名やってないで
高家とかになってた方がよっぽど気楽で裕福な生活出来てただろうな
>>890 関東管領家って他の大名と比較してどうなの
景勝以降の上杉は有職故実とか引き継いでなさそうだから完全に名前だけじゃね
>>891 一応関東(東国)武士団ナンバー2、だろ
戦国時代になったら名目だけの存在だっただろうけど
謙信はその肩書で戦の遠征を行った
越後上杉
山内上杉
扇谷上杉
深谷上杉
戦国時代に四家くらいあったけど残ったのは謙信が引き継いだ山内上杉くらい越後上杉は謙信の親父が下克上で潰した
>>893 そもそも関東公方が何人いるかわからん状況が続いてたのにナンバー2って言ってもね
上杉家も分裂しまくりだし
>>876 西軍総大将は毛利だから上杉にはならないんじゃね
>>878 毛利輝元が徳川の留守居追い出して大坂城西の丸に入ったり、上方が騒然としてるんだから流石に分かるよ
そもそも淀殿は北政所と共に会津征伐の前に中止を家康に訴えてるし情勢は把握してる
>>681 勉強になるのと、それを取り上げるタイミングがあってるかどうかは別じゃないのかな
>>903 分かってたら(関ヶ原の結果がどういう事か)あんな対応はしない
もしくは対応する度胸がない
どちらにせよ豊臣家の悲劇はこのお姫様が最大要因だろうね
今日の読売新聞朝刊に掲載されてた磯田道史氏が寄稿してる記事によると、島左近の墓石は砂岩でできているので崩れやすく基礎まで確認するために発掘調査が行われたと言ってたな
磯田氏も発掘調査に立ち会ったそうで、骨は小さく最初子供かと勘違いしたそうだ
>>901 主君の三成も敗走した結果捕まって首を打たれているんだから
上手く逃げたか下手に逃げたかの違いだけで左近の墓が本物としても評価が下がったりはしない
>>908 石田軍のツートップはどっちも部下見捨てて逃げ出したってことか…
三成は総崩れって奴だよ。撤退命令も出てるだろうし。見捨てて逃げるのとは違う
左近にしたって重傷で引いたなら当たり前
三成と義継、三成と兼続、兼続と慶次
西軍は熱い友情が多い
そしてこいつら一癖も二癖もある
だが、それがいい
主君の病弱インテリ系バトル坊主筒井三代(最後のはゴミ)を支えた忠臣…!
なお右近は息子がやらかした
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