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【佐賀】世紀の大発見!?「邪馬台国時代の墓」を発掘、有力者の墓の可能性も…吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で発見された石棺墓 ★5 [樽悶★]YouTube動画>10本 ->画像>42枚
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表面の石に「線刻」と呼ばれる多数の記号
佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡」にある「謎のエリア」で大きな発見です。邪馬台国時代のものとみられる石棺墓が新たに見つかりました。
■「線刻」と呼ばれる多数の記号
吉野ヶ里遺跡で先月末に見つかったのは、縦1.7メートル、横3.2メートルの「石棺墓」です。吉野ヶ里遺跡には長年、神社があり発掘調査ができていなかったいわゆる「謎のエリア」がありました。石棺墓は、去年5月に始まったこのエリアの調査の一環で見つかったもので、表面の石に「線刻」と呼ばれる多数の記号があります。一般の石棺墓より規模が大きく、見晴らしの良い場所にあります。
■来月に石棺墓の入り口を開ける
邪馬台国があったとされる時期と重なっていることから、王など有力者の墓の可能性もあります。佐賀県は、来月5日にこの石棺墓の入り口を開け、1週間ほどかけて副葬品などを調べる方針です。
5/29(月) 15:27配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1ecc567bd0e979d7100aa006959d899e4beb142 弥生時代の大規模な環ごう集落の跡が残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代後期のものとみられる墓の一部が出土し、専門家は「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。
吉野ヶ里遺跡では、歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」のすぐ西側にあり、貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった「謎のエリア」と呼ばれる場所で去年から、10年ぶりとなる大規模な発掘調査が行われています。
この調査で先月、4枚の平らな石が並んだ状態で見つかりました。
4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、調査を行っている佐賀県によりますと、墓の「ふた」だということです。
弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけられたとみられています。
吉野ヶ里遺跡では、これまで弥生時代中期の王の墓が見つかっていますが、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期の有力者の墓だとすれば、初めてとなります。
吉野ヶ里遺跡の発掘に長年携わってきた考古学者の高島忠平さんは「『謎のエリア』の中でも最も高く、見晴らしのよい場所にあり、かなり身分が高い人の墓の可能性が高い」と指摘したうえで「さらに調べれば、当時の政治のあり方を読み取るうえで歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。
佐賀県は今後、墓の中を調査することにしていて、副葬品などが見つかるかが注目されます。
2023年5月29日 5時40分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230529/k10014081181000.html 世紀の発見となるのでしょうか。佐賀県は5月29日、吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代のものの可能性がある石棺墓が見つかったと発表しました。
「邪馬台国時代の可能性が高い。いま、我々は非常に興奮してときめていて、これからどうなんだろうという気持ちが高ぶっています。」(佐賀県・山口知事)
吉野ヶ里遺跡で新たに見つかったのは、縦1.7メートル、横3.2メートルの石棺墓です。去年5月から発掘が始まった、「謎のエリア」と呼ばれる場所で見つかりました。
見晴らしの良い場所に単独で存在し、線刻といわれる記号が刻まれているなど、これまでにない墳墓だということです。
佐賀県は、吉野ヶ里遺跡でこれまで見つかっていない弥生時代後期、いわゆる邪馬台国の時代の有力者のものの可能性があるとしています。
6月5日から石蓋をあけ、副葬品などを1週間ほどかけて調べるということで、佐賀県の山口知事は「世紀の発見を期待する」と話していました。
5/29(月) 19:08配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5e6e9a20939b8f67d4fe4a0042eb3cdfa748a0c ★1:2023/05/29(月) 19:34:47.21
http://2chb.net/r/newsplus/1685432040/ 倭国使
http://www2s.biglobe.ne.jp/~koua/tamio/gif/kenzuisi_3a.jpg
一致
>>6 ただのアマチュアの愛好家を学者だと捏造してましたとさ
倭国使
祖母山一帯に何かあると踏んでるんだけど
掘り返さないかな?
後漢から遼東太守に任命された公孫氏と
後漢から金印を印綬された九州の倭奴國の漢委奴国王にとっては
後漢の第14代皇帝「献帝」から帝位を簒奪した
曹操の孫の曹叡(明帝)と、その軍司の司馬懿こそが
反乱軍であり
公孫氏は九州の漢委奴国王に玉璽を与えて
後漢の第14代(最後)皇帝「献帝」から帝位を簒奪した魏の曹叡(明帝)と司馬懿に反旗を翻して挙兵する
このとき公孫氏が九州の漢委奴国王に与えた玉璽が吉野ヶ里遺跡の墓から出てくると面白くなる
>>3 この辺の歴史、下手すると皇室の権威の正当性が揺らぐ恐れがあるので、左右が政治的な思惑で入り込んで、普通の論争がし難くなる問題がある
偶に変な左翼丸出しの書き込みをする人間が出るのもそれが原因だよ
考古学は捏造が多いからな
記録がない時代のことだからなんとでも言える
個人的には宇佐神宮が本当に卑弥呼のお墓の上に立っているのかどうかの真偽をつけて欲しい
仮にお墓だとすれば、宇佐神宮の真の主祭神は卑弥呼の可能性が高まるわけだし
弥生人のイメージだったけど国使が縄文人なら卑弥呼も縄文人だったんかな
もし埋葬者が女性だったらヤマト国の女王の可能性が高いな
埋葬されてる人の性別だけでも知りたい
男だったら、ワンチャン卑弥呼の弟の可能性も有るのかな
日本史三大ミステリー
邪馬台国
本能寺の変
近江屋事件
永遠に解けない謎だけどね
殉葬があるのかないのかそっちに興味があるわ
果たして日本にも殉葬の習慣があったのか無かったのか
>>6 朝刊一面に捏造の決定的瞬間を捉えた写真が載ったのを覚えているわ
さすがに日田に7万戸は無いからア日田説はアウト。
宇佐神宮なんかは6世紀以降に畿内のの所謂大和政権が整備させたもの。
当時既に現地にあったであろう卑弥呼の伝説の影を盛り込んで 比売大神 という女神キャラを祭り上げた。
八幡大神(応神天皇)、神功皇后はこれも当地にあった過去の大王と母君の伝説からつくりあげたキャラ。
宇佐の地神を自分らの祖先と位置付けることで列島全体の支配権の正統性を滲み出させることに成功。
極端に言えば、天才的なシナリオライターを抱えた一族が勝つってことだろうな(´・ω・`)
鬼道を使う処女を王にするなんて日本人は昔から変わらんな
墓開けて
ここが邪馬台国です
って紙が出てきたらもう間違いないな
>>24 あったんじゃね?
廃止する変わりに埴輪が並べられた
近くに100人くらいの奴婢が埋葬されてなさそうだから違う
>>3 そりゃもう卑弥呼バーガーとか邪馬台国うどんとかで大儲けできるやろ
全国全ての古墳に科学的調査が行われなければ日本の考古学はなんの発展も無い
>>38 卑弥呼って天照大神のモデルじゃないかとも言われてるから、事実としたらめっちゃくちゃ不謹慎なんだが……
>>1 アイドル女優タレント俳優モデル
芸能人は性奴隷になるだけの簡単なお仕事です
>>42 紀元前700年以上前の神のモデルが
紀元後247年の卑弥呼なの?
時系列おかしくね?
>>32 墓誌というものがありましてな
問題は卑弥呼の時代に文字があったかどうか
>>50 神武天皇は紀元前711年だからそれより前だろう
>>44 ヤ・マタイ なら ヤハウェ(神)からの贈り物 神の国
邪馬台国時代なんざ捏造や
全部嘘まみれw
なんなんこのアホみたいな世界はw
邪馬台国へ向かう魏の使者が上陸したのは末盧国
佐賀県の唐津と言われている
昔から外国との行き来に使われていた港
(津とは港という意味。唐の港というそのままの地名)
そこから伊都国へ行く。福岡県の糸島だというのが定説
だがその根拠は伊都と糸の名前が似てるからにすぎない
魏使者の上陸地点が唐津ならそこから糸島へは山越えの難路
https://www.google.com/maps/@33.4333524,130.0311195,33643m/data=!3m1!1e3 (今は海岸沿いに道路があるが当時はもちろんない)
そもそも船で唐津まで来てるんだからそのまま船で行ったほうがいい
さらに倭人伝で伊都国は、「東南へ500里」と書いてる。
だが唐津→糸島は北東で方角も違う
地図を見ると、ちゃんと唐津から東南へ道が伸びてる。
素直に読めばこの道を東南へ進んだと思える。
そうして行き着くのが佐賀平野。ここなら国があってもおかしくない。
(吉野ケ里遺跡も近い)
さらに佐賀の南には、山門(ヤマト)、八女(ヤメ)、柳川(ヤナガワ)、山鹿(ヤマガ)といったあやしげな地名が並ぶ。
山鹿の南には熊本県の菊池市がある。
倭人伝には、邪馬台国の南に狗奴(クナ)国という国があり、その官を狗古智卑狗(クコチヒコ)というとある。
クコチヒコとはキクチヒコのことで、クナのクコチヒコとは、熊(クマ)本の菊池ではないかという説は根強い
山鹿・菊池あたりには、ワカタケル大王と記した剣を出土した江田船山古墳をはじめ鞠智(ククチ)城、チブサン古墳、岩原古墳、トンカラリンなど史跡が多く分布している
機内説が昔は優勢だったけど、今は九州説の方が優勢なのね(*‘ω‘ *)
>>42 神武の東征があった後に安定した国家があったけど、九州で反乱が多発して反乱勢力として邪馬台国等の国家郡が存在していたのでは無いかな
この卑弥呼だの
邪馬大国だののあったと場所を
必死になっている勢力たちって何者?
この時代は歴史的にもつまらない時代で
ドラマにもならないほど関心が薄いにも関わらず
特定の者たちが異常な執着をしている
卑弥呼と書かれた死装束を着た遺体が発見されるんだろ?
いわゆる日本的ではない何かが出てくるであろう
半島でも中国でもない何かが
>>16 特に日本史はな。
西洋史は古代ローマという鬼文明があったせいで昔の記録でも文字で残ってる
>>48 神話の世界の天皇たちが存在して平均的な寿命だと仮定して計算しなおすと、卑弥呼と天照大神が同時期の人物になる可能性はある
>>32 中国朝鮮の属国の証が出てきたら
またそっと燃やすんやろな
>>66 歴史の教科書は畿内説vs九州説のままじゃね?
人間ではない宇宙人が出てくるかもしれんぞ
あと卑弥呼はわざと頭部を長頭にしたかもしれん
南米のように
>>65 何だそりゃこじつけがましいにも程があるぞ
>>63 まさかのヘブライ語の書かれた土器が······
邪馬台国と同時期に畿内で前方後円墳が出来始めている
だから邪馬台国がどこであってもヤマト王権の成立に影響がない
割れてるからきっと先客ありきなのかもな。でもロマンだな
>>74 三種の神器が出てきてもおかしくない
そこにまさかのシュメール楔形文字かヘブライ語とか
>>63 色付くとこれだぞwwww
🇱🇹リトアニアとか🇺🇦ウクライナとかの民族衣装そっくり!!
>>65 ない
471年の雄略天皇が揺るがないので、何をどう足掻こうと無理だよ
たとえ金印があったとしても
そんな大事なもんを墓に埋めるわけないだろ
>>17 広島と長崎の丁度中間辺りが宇佐、まさにUSAボンバー炸裂だ!
冗談はさておき、卑弥呼とは漢字からして田田袮呼(オオタタネコ)。
セガサターンの真女神転生デビルサマナーでは、ラスボスは卑弥呼だったような
>>22 俺は、空海の生死とか、三種の神器の現状が、永遠に解けない日本史のミステリーだと思ってる(´・ω・`)
>>48 そもそも神武天皇即位が西暦1世紀前後だと、皇室芸人様が仰っしゃられていました。
文献史学は相手にしないほうがいい
何とでも解釈できる
史実は土の中にある
任那日本が日本という地名の起源かも知れない
ミマキイリヒコ10代天皇が倭国を制圧
>>83 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡に似てるなあ
吉野ヶ里のあたりに大きな国があったのは間違いないが
魏志倭人伝には邪馬台国の「東」(文脈から実際は北の可能性が高い)に海があると書いてあるから
吉野ヶ里が邪馬台国とはなかなか言えないのよねー
>>92 天皇の家系図公開されてるからググれ
なんちゃって芸人より信頼性あるぞ
>>98 女王国東渡海千余里復有国皆倭種
だから30国連合のことじゃないかな
これを北に海があると読み解くのは難しい
>>17 石棺の目撃者の話は高木彬光の本に出てくるよ
>>97 邪馬台国のシンボルが八岐大蛇で
出雲はそれを倒した側だと思うわ
邪馬台国ってあったの?魏志倭人伝とまるで信憑性ないんだが
>>101 少なくとも9代目以前は信頼性が無い事が確認されてるやん(´・ω・`)
>>65 加上説というものがある。
欠史八代を省き、神武=崇神とすると辻褄が合うんだ。
>>111 どこにそれが書いてるかわらんけど
お前の中で結論出たならええじゃないか
よかったな。酒飲んでぐっすり寝ろよ
未盗掘で副葬品多数
なかには判別できる文字列つきの布や木片もあり、漢か魏との交渉が推察できる
しかも、墓誌っぽいものから被葬者の名前が判明するが、
その名は、中華の史書にも日本の記紀にもみあたらないものであった。
という謎が増えてしまう展開を希望する。
邪馬台国が九州なら当時のヤマト王権は吉備から畿内から伊勢濃尾辺りの勢力
邪馬台国が畿内なら当時のヤマト王権は上記に加えて北九州から出雲も含む勢力
どうなんだろうね
>>60 お前は楽しくないの?
別に、人それぞれの感性だから考古学を修めてなくても俺は楽しいし、お前はどうでもいい、それでいいじゃないか(´・ω・`)
1世紀~3世紀の墓との年代は確定なのかな。
大和王権の成立を崇神の3世紀ごろとすると、まだ大和王権はないんじゃないの?
日本列島にいくつものクニが割拠し、統合や分裂を繰り返した時代だな。
まだ、世襲王朝は出現しておらず、王は一代限り。
>>116 纏向がまさに伊勢東海を中心として北陸山陰、吉備河内、近江関東という崇神の四道将軍派遣エリアを網羅してるので九州勢力はエリア外だろね
そして崇神より後の世代で景行仲哀と九州侵攻が進む
甲骨文字が出て、えっ?時代が違くないというんでも、おもしろな。
これぐらい暗記してから書き込めよ
■魏志倭人伝に記載された倭人の墓のつくり
「有棺無槨 封土作冢」
棺が有り外郭は無い、土で封じて塚を作る
■魏志倭人伝に記載された卑弥呼の墓のつくり
「大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴碑百餘人」
大きな塚を作った 直系約百歩(150m) 殉葬者は約百人
呉からの下賜品と詔書でも、おもしろよ。
魏じゃなくて、呉とつながっていたやつがいたのかよ、と。
大和民族が中国軍と戦って敗れた歴史が明確になってくな
スコットランドの古い遺跡のガイドツアーに参加したとき、ルーン文字が彫ってあるのを見つけたのでこれは何?って聞いたら10世紀にやってきたバイキングの落書きですって言われたっけな
ちゃんと検証しないとリアルタイムのものかどうかはわからんからな
俺は卑弥呼の墓とは思わない
お互いに親交が出来た跡の旅で疫病になった中国の人かも(´・ω・`)
最悪の展開は、帯方役人の墓であると判明すること。
異郷で客死して、その地で葬られた。
形勢不利とボヤきながら邪馬台国九州説で大ベストセラーの中央公論日本の歴史の1巻を書かれた
井上光貞先生は草葉の陰で喜んでおられるに違いない
佐賀県には他に名物が何も無いんだから
邪馬台国くらいくれてやれよwww
25 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:39.93 ID:68Ek905f0
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178 > 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる
卑弥呼時代はちょうど鉄器時代の真っただ中でした。
魏志倭人伝に倭人が「鉄のやじり」を使っている記述があり、この時代の日本には既に鉄器文化が到来していたことがわかります。
また、『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』
よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。
猿でもわかる卑弥呼時代の鉄器文化圏
26 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:45.99 ID:68Ek905f0
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる
■■■ 日本史板での結論:邪馬台国の場所 ■■■
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に
>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう
その頃の朝鮮半島は中国の一部でしたね
魏志倭人伝ぐらい読んでおきましょう
<魏志倭人伝>
中国側の認識と倭人が訪れた際の記録をもとに後世の陳寿が編纂したものです。
「里数」表記の行程は中国側に残っていた記録であり、
「日数」表記の行程は朝貢に来た倭人からの伝聞記録です。
それぞれ表現方法が違うだけであり帯方郡から北部九州までの道のりです。
久しぶりに訪れた倭人に女王国までの行程を確認したところ、
・帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
・更に南に10日進み北部九州=邪馬台国に上陸します
・上陸後、女王の都までは徒歩です
・合計三十日の道のりです。
行程と位置関係:
これを陳寿は誤解し、南に水行三十日,陸行一月と記した可能性があります。
その他の記述を見ると、
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国々があった。
・南に敵対する狗奴国があり卑弥呼時代に戦争が勃発した。
・後漢時代の倭は100国あったが女王国は30国である。(馬韓が50国なので割と小規模)
なお、女王国の西側の国については一切触れられていないことから、おのずと女王国は倭の西部に位置することがわかります。
>>7 ネトウヨ統一教会の教科書に何かが書いてあるんだろう(なんて書いてあるかは俺は知らないが)
だからネトウヨは統一した意見でこのニュースに抵抗を示す。
>>133 箸墓は卑弥呼の墓では無いと言うのが寺澤薫
顔に入れ墨してたってのはどうなん
そんな人種いたのか
卑弥呼はスサノオに関係がある天照大御神って(´・ω・`)
DVが激しいから実家に逃げてきたんだろうな
佐賀から奈良への権力移転は戦いの末なのか遷都なのか
>>143 佐賀入ってないやん😡
あと宮崎らへんは黒潮でそのルートでは辿り付けないんじゃね?
今も昔も同じよ
そして女王国で国民は豊かな生活だった(´・ω・`)
>>152 卑弥呼共立前の男王の亡命先が奈良だったのよ
【応用編】
卑弥呼の時代(2世紀後半~世紀前半)には異常気象が多発し、大飢饉に見舞われ、多くの倭人が半島に避難したとのこと。
■新羅本記の記録
173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193年:倭人が飢饉。倭から多くの避難民が新羅へと流入
■当時の気候
1~2世紀は小氷期だった
3~4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。
『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。』
『飢饉が続いたために銅鐸を用いた過去の祭祀を捨て、新しい宗教をひっさげて卑弥呼が登場した。それが卑弥呼の鬼道だと石野氏(畿内説)らは解釈する。』
注意:桃は道教のシンボルであり鬼道とは関係ありません
■わかったこと
・纏向に住居がほとんど見られないのは飢饉を逃れ各地へ避難したためである
・飢饉を逃れるため九州に移住した畿内民族は、筑紫の胎土で畿内式土器を製作していた
(関西人はどこに行っても関西弁を使うという習性と同様)
・畿内説学者のコメントはいつも安定して「根拠不明な妄想」である
>>145 纏向が外れすぎてワラタ。
少なくとも権力の中心地じゃないのはわかる。
>>149 倭人の刺青文化っていつ無くなったんだろうね?
飛鳥時代にはもう無くなってそうだが、五胡みたいに400年位の間に漢化したのかね
と言ってもその期間交流あるのは北朝だろうから少し遅れて一緒に漢化した感じなんだろうか
>>52 うおおおおおおおお
日ユ同祖論万歳!日ユ同祖論万歳!
>>163 江戸時代まで続いてるぞ
犯罪者に入れ墨してた
肥前風土記に神埼郡のことが書かれている
神埼郡は吉野ヶ里遺跡があるところ
>>145 >帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
それなら投馬国みたいな大国が魏志韓伝に出てこないのがおかしいし
倭人伝の「里数」表記の行程にも出てこないのがおかしい
>>119 もう開けて中チェックしてるでしょ
ヤバイものが入ってたら取り除いて隠蔽
既存の古墳の調査すら渋ってるのに、こんなところでヘマやらない
>>142 菊池川の丁度すぐ南に江田船山古墳がある
ワカタケルの名前の書かれた2つ目の剣の出た古墳
>>126 一応呉から倭国を探す為に調査船出てるんだけどね
見つからずに帰ってきたw
漢民族に外洋航海は厳しかったとさ
神社の鳥居が冊封の発展だと分かると日本人にはショック大きいよね
隋書には、遣隋使が手紙で皇帝を怒らせた有名なエピソードも載っているが、これは九州の男王が派遣したことになってるんだよね
【参考】
福岡県北九州 城野遺跡発掘調査のもよう
石棺を開けるシーンがあるので見ておこう
なおこの石棺には朱で絵が描いてあったとのこと
>>174 うおおおおおお
ウガヤフキアエズ万歳!ウガヤフキアエズ万歳!
邪馬台になると偏狭なナショナリズムを前面に出しくる輩が増えたのって戦前からか?
>>170 考古学は中国のほうが信頼できるんだろうな
>>169 倭人たちが勝手にそう呼んでいただけ
長らく朝貢が途絶えていたので中国は知らなかった
当然女王国を邪馬台国と呼ぶことも知らなかった
>>183 五万戸もあるのに知らないとかありえんだろ
>>166 そんな懲罰目的の刺青やヤクザ者の刺青の話じゃないよ
>>1 やっぱ邪馬台国は渡来人コロニー説が高まったな
ここがヤマトを代表したらは本州は黙っとらんよ
中国系の支配者が倭人を隷属させて馬鹿にしてたんだから
見た目で区別できる侮辱として入れ墨を捉えてるのが伝わって倭人の権力層が入れ墨をやらなくなった
よって日本の荒くれ者にしか入れ墨文化は残らなくなったんだろ
>>192 日本列島に住んでる人々でも、
刺青ありとなしがいたんだよ
海の民は刺青あり
>>126 倭の五王の記録は呉があったエリアの南朝の宋書に記録があったから、呉とも国交があったとは言える。むしろ、漢字の呉音とか呉服とかそこ由来じゃねと言う気もする。
倭人伝には金印だけじゃなく奴国がもらった銀印も出てくる
詳しい人教えてくれ
(1)
金印「漢委奴国王」
匈奴みたいにイド。伊都国王でいい?
(2)
海外では金印出てないの?
日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本。百済、新羅、高句麗は倭国」
ヘブライ語の書かれた石板が入っていた的なカオスな展開希望
第四章 クシャン朝と倭
>>3 お前にとってはそうなんだろうな
明日の昼ごはんのおかずが何かの方が大多数の人にとっては重要だしなw
でもそれ言っちゃうのは割と恥ずかしいことだと認識しといた方がいい
>>200 > 神の手
これ。
この事件のせいで完全に確定出来るまでは日本の考古学は信頼度0になった。
ほんまに卑弥呼の墓なら
天皇が作った国の根幹が崩れるからやめとけ
アホみたいに畿内言って連中思い出せ
内乱に発展するぞ
>>125 魏志倭人伝の記述に倣うなら一里は70〜90m
そんで一里=三百歩なので一歩は20〜30cm
径百歩は20〜30mになる
卑弥呼の墓ならとっくに福岡の平原古墳に三種の神器セットで出てるだろ。悔しかったら箸墓開けてみろ、何も出てこんと思うわ
公孫氏は九州の漢委奴国王に玉璽を与えて
後漢の第14代(最後)皇帝「献帝」から帝位を簒奪した魏の曹叡(明帝)と司馬懿に反旗を翻して挙兵する
その公孫氏が九州の漢委奴国王に与えた玉璽が吉野ヶ里遺跡の墓から出てくると面白くなる
>>207 そんなので崩れるかね
大和政権が後からできたなんて大半の教養ある日本人は思ってるだろ
>>207 卑弥呼の墓なんてどこにも書いてないし
畿内説は卑弥呼と天皇に繋がりがある派もいれば繋がりがない派もいる
畿内説の往生際が悪いせいで余計な議論にパワーを割いて肝心の研究が進まない
志賀島金印は後世のものじゃないと分かったけど、状態からして埋まってたものじゃないよな。
>>212 日本書記では、倭の女王が親魏倭王になったのは神功皇后の時となってます
纒向の建造物は3世紀だけど卑弥呼共立は2世紀です。さて卑弥呼はどこに住んでいたのでしょうか?
>>219 日本書記に『魏志倭人伝』のことがそのまんま書かれているということを知らない人が多いのよね
日本書紀「第九巻:神功皇后」
西暦239年
神功皇后三十九年、この年、太歳己未
魏志倭人伝によると、明帝の景初三年六月に、
倭の女王は大夫難斗米らを遣わして帯方郡に至り、洛陽の天子にお目にかかりたいといって貢を持ってきた。
太守の鄧夏は役人をつき添わせて、洛陽に行かせた。
西暦240年
神功皇后四十年、魏志にいう、正始元年。
建忠校尉梯携らを遣わして、詔書や印綬をもたせ、倭国に行かせた。
西暦243年
神功皇后四十三年、——魏志にいう、正始四年。
倭王はまた、使者の大夫の伊声者掖耶ら八人を遣わして、献上品を届けた。
西暦266年
神功皇后六十六年、この年は晋の武帝の泰初ニ年である。
晋の国の天子の言行などを記した起居注に、武帝の泰初ニ年十月、倭の女王が何度も通訳を重ねて、貢献したと記している。
古代中国の影響が強すぎる歴史に恐れを抱いてるんだよな
親米時代故のアレルギー反応なのかも
>>220 神功皇后がなんで直で魏の皇帝に会いに行くんだよw
>>223 日本書記に書いてあるんだからしょーがねーだろ
>>214 邪馬台国論争なんて九州説の学者が絶滅寸前で下火になって畿内説の学者の間で大和王権と連続性があるのかないのか論争になってるな
イナカモンって過去にすがって生きるしかないの?
ださいねー
こんなのも発見できない情弱歴史学者www歴史的発見とかwww無能の上から目線wwwwww多分違うと思うぞwww
>>1 田中英道 #44 邪馬台国は存在しなかった!神社を辿れば日本がわかる
未来ネット 2021/04/07
田中英道・東北大学名誉教授
要約「邪馬台国や卑弥呼などは、日本の何処にも、物証どころか民間伝承の一つすら存在しない。従って、魏志倭人伝自体が中国人特有の"捏造"である。」
>>1 田中英道「漢委奴国印(金印)は偽造であった」日本国史学会 令和3年7月10日 日本経済大学(2021/7/10)
Hidemichi Tanaka
「所謂『金印』は、発見された江戸時代当時の製法そのものであり、明白に『偽造品』である。」
つまり、古代日本が中国に朝貢していたとされる唯一の根拠である『金印』が偽造品だと判明した事により、日本が中国の属国で有ったと言う歴史的事実は一切無く成った。
書籍紹介:
・鈴木勉『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣 / 2010年)
・三浦佑之『金印偽造事件—「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎 / 2006年)
>>1 田中英道「『倭の五王』は捏造(?)である」日本国史学会 連続講義 令和3年6月14日自宅代講(2021/06/14)
Hidemichi Tanaka
田中英道「『こじつけ』で考えて見ても、何とか一致性が見られるのは一人だけである。つまり捏造である。」
>>1 田中英道「秦の始皇帝はユダヤ人であった」日本国史学会 第69回連続講演会(2019/9/14)
Hidemichi Tanaka
>>209 三種の神器は卑弥呼の墓たる証拠にならんやろ
倭人伝ではそのことに触れられてないんだから
>>1 黄河文明はコーカソイド、つまり白人の文明だった。
夏王朝は「西方の牧畜民=コーカソイド」が築いた? - るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=243011 龍信仰を体系付けた紅山文化は五千七百年年前の寒冷化で崩壊して新たに小河文化が誕生します。
この小河文化それを担っていた人々は西方の要素が濃いとされおり、実際に発掘調査の結果、旧満州や黄河流域にはコーカソイドが住んでいたことが確認されています。
つまり現在中国と自称する国が有る地域は、白人に征服された歴史を持つ間抜けな地域であり、間抜けな黄色い雑種のコーカソイド、それが中国人である。
だから平原古墳に三種の神器とピアスが出てきたんだから、ここ以外で女王クラスの古墳がどこにあるのよ?
>>1 【世界最古の縄文文明】
1998年に世界最古となる1万6千500年前の土器が日本(青森)で発見された。
(その数ヶ月後に中国で1万7千年前の土器が発見された!と報じられたが、国際的な学術検証が為される前に「アイヤー、何者かに盗まれたアルヨ!」)
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%85%83I%E9%81%BA%E8%B7%A1
因みに、世界最古の磨製石器(3万5千年前)も日本(群馬県・岩宿遺跡)で発見されている。
更にその後の全国的な発掘調査で、日本の磨製石器は3万8千年前の物まで遡る事が判明した。
これらは勿論、断トツで日本が世界最古である。
要するに、吉野ヶ里遺跡、北九州にあったのは邪馬台国で近畿・奈良飛鳥の大和朝廷とは直接的な関係はないってことなんだろ
当時は各地で豪族が割拠していたというが、北九州をおさめていたのは邪馬台国、南九州は高千穂、中国地方(山陰)には出雲国がいて
大和朝廷は近畿
あと、東北には蝦夷がいたんだろ
とはいえ、古事記というファンタジー交じりの書物では高千穂にイザナギ・イザナミが天孫降臨して、近畿で国造りをはじめて淡路島や四国、本州など日本列島を造り、彼らの子・スサノオが出雲国にいたヤマタノオロチを退治したとある
要するに、広く瀬戸内海の周りの地域は繋がってたって事なのかな
>>230 今のところ1世紀から3世紀ごろの墓が見つかったというだけだからなんともってところじゃない?
自分は古代史が趣味だけど、古代史ファンは苦手
理由は、5まで伸びてるこのスレの書き込みを見ればお分かり頂けるだろう
ムーを本気で読んでいた妄想狂の基地外が古代史ファンには少なくないのである
よくやるよな、ゴッドハンド合戦w
なんでこんなに必死なんだよwww
径百歩は箸墓だけーとか言ってた畿内説が沈黙してるけど
>>230 多分だけど何も変わらない
恐らくは三種の神器を含む出土品は出てくるだろうけど
三種の神器も魏志倭人伝の記述にある槨のない円墳も既に九州で見つかってるので
特に目新しい物は出ないんじゃないかな?
何かあったらラッキー程度
>>241 子供がいるとは魏志倭人伝には書いていない
>>243 なにが言いたいのかわからんが
日本書紀「第九巻:神功皇后」には
魏志倭人伝によると、明帝の景初三年六月に、
倭の女王は大夫難斗米らを遣わして帯方郡に至り、洛陽の天子にお目にかかりたいといって貢を持ってきた。
太守の鄧夏は役人をつき添わせて、洛陽に行かせた。
のは神功皇后三十九年と書かれているから
神功皇后三十九年は西暦239年とわかるんだし
魏志にいう、正始元年。
建忠校尉梯携らを遣わして、詔書や印綬をもたせ、倭国に行かせた。
のは神功皇后四十年と書かれているから
神功皇后四十年は西暦240年とわかる
という単純なこと
崇神天皇は日本書紀第五巻だから、邪馬台国が親魏倭王になる西暦240年より前の話
一応
昭和天皇の墓は八王子にあるけど、そこに御所や国会があったわけじゃない
>>251 tobiiri
神功皇后が卑弥呼ってことかい
>>242 邪馬台国=ヤマト
卑弥呼=天照大御神
熊襲・隼人の牽制にニニギを日向・高千穂あたりに派遣
神武東征→九州から畿内に引っ越し
纒向に都市が作られる(それ以前に人が住んでた形跡なし)
中国の史書と日本の神話が全部つながるわ
>>251 魏志倭人伝をコピペして、皇室の事跡を上書き捏造してますね
>>251 卑弥呼の子供が応神天皇だと言うのかな?
纒向派の人たちは最低でも箸墓開けてから言って欲しいわ
定期的に邪馬台国スレ立つけど
邪馬台国って滅んで今の日本に繋がらないし、歴史的にあんま意味のない国じゃね?
明治大学の、大塚初重教授(考古学)はのべる。
「私は吉野ヶ里遺跡が邪馬台国とは思わない。私の知るかぎり吉野ヶ里遺跡を邪馬台国と決 めつけた考古学者はひとりもいない。」
「簡単に吉野ヶ里を卑弥呼と結びつけて大騒ぎする論調は、中国や韓国の学界から見れば軽佻浮薄の日本と映じるのではあるまいか。」(以上、「吉野ヶ里の真相」『新潮45』1989 年6月号)
また、これもこの本におさめさせていただいた論考において、九州歴史資料館の高倉洋彰氏 (考古学)ものべている。
「この遺跡(吉野ヶ里遺跡)が直接に邪馬台国に関係するようなものではないことは、述べてきたところを斟酌(しんしゃく)していただければ、歴然としている。邪馬台国ブームに浮かれ、吉野ヶ里の正当な評価を怠ることは、この遺跡から予想をはるかに越える成果を導き出した調査員諸氏の学問的良心と熱意に対して、何よりも非礼であろう。」(「弥生時代のクニとオウ」 『季刊邪馬台国』39号)
さらに、北九州市立考古博物館の副館長の武末純一氏(考古学)も、つぎのようにのべている。
「吉野ヶ里は素晴らしい遺跡である。弥生時代に関するいろいろな新しい情報を提供してくれるし『ああそうだったのか』とはじめて納得のいく場面も少なくない。しかしながら、吉 野ヶ里遺跡を絶対化したり、『弥生時代像が大きく変わった』とか、短絡的に『邪馬台国は ここだ』とする一部の論調には、筆者は与(くみ)しない。」(「北九州吉野ヶ里の同時代史」『歴史 読本』1989年9月号)
吉野ヶ里イコール邪馬台国とするのは、専門の考古学者の多くからは、問題にならないように見られている。
https://yamataikokunokai.com/yasumoto/tyosyo51.htm 古田氏は、『吉野ヶ里の秘密』のなかで記している。
「わたしの胸はおどった。こわかった。 (墳丘墓中央の巨大甕棺から、)金印とまでいわずとも、せめて銀印くらいは、出土するか もしれぬ。ぜひ、なにか、『文字』が出土してほしい。そう願った。
はじめは、4月5日。一日のびて、6日になった。5日には、現場に行ったが、6日は待 機していた。ジリジリして。そして、銅剣一本、それが答えだった。最後の逆転劇、肩すかし。ショック。ガッカリしたんだ、本当に。」
それでも、なお、古田氏は、盗掘があったために、でてくるべきものがでてこなかったのではないかと疑う。『正論』に、記している。
「『盗掘』はなかったのだろうか。夜が明けるのを待ちかねて、電話した。」そして、現場責任者の、七田忠昭さんから、「盗掘はなかったようです。」との答えをうる。
https://yamataikokunokai.com/yasumoto/tyosyo51.htm >>262 過去にも卑弥呼の墓だと大騒ぎ
結果銅剣一本のみ出土
これが吉野ヶ里のやり方です
>>260 邪馬台国は倭国の構成国で日本のルーツだよ
いまだに九州説を言ってる人がいるのか。
普通に考えて奈良(三輪)だろ。
佐賀県とか勘弁してくれよ。歴史にほとんど痕跡
刻まれてない、ただのど田舎だろ。
俺が思うに邪馬台国は縄文の最後の砦で
大和を名乗った連中はそれを打ち負かした連中
朝鮮人やら倭人やら交わった連中
武力で打ち負かしたはいいが卑弥呼のような象徴が欲しかった
そこで誕生したのが天皇
その辺のガキこさえておまえは今日から神を名乗れと言われた
仮に魏志倭人伝があろうが無かろうが
物的なものが出てくるそれだけでいいんよ
>>264 卑弥呼って天皇家とも関係無いし、何処にあったかなんて重要か?
日本書紀「第九巻:神功皇后」
神功皇后摂政
卅九年、是年也太歲己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
卌年。魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」
卌三年。魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」
そもそも大和朝廷が古事記で天孫降臨は九州の高天原と言うとりますがな
九州の勢力が日本国を作った事は明白
邪馬台国は筑豊にあったんだろ。
もう結論は出てただろ。
>>253 日本書記によると
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」
は、全て神功皇后がやったことになってる
>>268 卑弥呼がイチキシマヒメなら天皇家とは無関係では無いよ
>>265 しかし、畿内からは掘っても掘っても証拠が出てこない
>>270 おれが思うに、たぶん先史時代には、まだ大隈重信公は
生まれていなかったんじゃないか。
>>265 あらすじ
中国の学者と普通の日本人と歴史学者(左翼じゃなきゃ出世しにくい)の比較
中国の学者
「九州の邪馬台国が古墳時代以降に畿内に東遷した。文体から写本が改竄されているのは明らか。陳寿が資料として使った元記事には『伊都国のすぐ南」とある」
普通の日本人
「神話だってある程度事実を反映している。初代天皇の神武が宮崎から畿内に三種の神器を持ち込んでるし、神武より前にニギハヤヒ(物部の祖先)が福岡から三種の神器を持ち込んでる。つまり福岡か宮崎の旧邪馬台国一派が畿内へ入っている」
出土物
「弥生時代に三種の神器が揃って出るのは九州だけです。古墳時代に三種の神器が畿内へ移動します」
歴史学者(左翼じゃなきゃ出世しにくい)
「日本神話は全部デタラメ。宮崎で何か見つかったら困る。見つかっても畿内のものより新しいことにしろ。そうだ畿内の遺跡を古いことにしたらいい(放射性年代測定が大幅に改訂されて行き詰まったのは数年前)」
「伊都国で世界最大の古代鏡が出てきた? 八咫の大きさ? 最悪じゃ絶対に潰せ! 歴史教科書にも載せるな! 載せる出版社がいたら右翼じゃ! 写真資料がふんだんに載せられる歴史資料集にも写真一枚たりとも載せるな!(ようやく国宝に指定されたのも最近)」
>>275 古墳が証拠なんじゃないの?
おれは考古学には門外漢なんで、何も知らないが、
箸墓古墳が卑弥呼の墓でファイナルアンサーかと思ってた。
まあなんにしても民族の誇りを捨てて異民族のもとに朝貢して喜んでいたんだからその程度の国力だったということだろう
呉や蜀と結んで三方から魏を攻略していたら世界史にも載るような大倭帝国たり得たというのにこれじゃまるで今の沖縄
やはり邪馬台国は今も昔も沖縄だろうな
平安時代の記録に日本が「姫氏国」を名乗っていたと言うのがある
太伯の末裔と言っていた名残かな
>>273 年代的にはいけるか・・・
14代 仲哀天皇
・
・
・
33代 推古天皇 592-628
>>279 箸墓開けてから言うべきだと思わないかい?
おっさんの墓かもしれんよ
人類のルーツ アフリカ
日本人のルーツ 佐賀
新中国→中共
新日本→カントン
元祖中国→台湾
元祖日本→九州
な?よくなってるんだわ
>>278 まぁ、何書いてんだかよくわからんが、イデオロギッシュなのはあなたの頭。
おれはシンプルに、箸墓古墳が卑弥呼の墓であってると思う。
佐賀県って、あなた(笑)
そんなわけないじゃん。
>>279 しょうがない
あなたには罪はない
いわゆるデマに騙されていた状態だが、しかしよほどのマニアじゃない限り騙される
>>289 その纏向遺跡を発掘してきた人たちが九州説なのよ
>>289 まんこに箸刺さって死んだとかいう面白エピソードあったら、昔の中国人も書いたと思うわ
日本書紀「第九巻:神功皇后」にハッキリ書かれている
神功皇后摂政卅九年、是年也太歲己未
・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
・・をやりました
神功皇后摂政卌年
・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」
・・をやりました
神功皇后摂政卌三年
・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」
・・をやりました
箸墓は嘘に塗り固められた捏造だよ、そもそも方角も距離も間違ってるから
>>291 ほんと?
まぁおれはどっちでもいいけど、邪馬台国はやっぱ奈良県の方がおさまりいいと思う。
佐賀県にあったなんてことになったら、九州人以外みんなしらけるでしょ。
古事記「天皇のルーツは九州」
九州にあった強国(邪馬台国か狗奴国)が日本を征服してヤマト王権→大和王朝を作った
纒向って突然作られた都市で、それ以前に人が住んでた形跡がないんだよな
>>297 邪馬台国が勝者でルーツなら古事記でもっとアピールしていいと思うけど、無い以上は邪馬台国が勝ったは無いんじゃないかな
>>297 日本書紀「第九巻:神功皇后」には
神功皇后は
摂政卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」・・をやりました
摂政卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」・・をやりました
摂政卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」・・をやりました
と、ハッキリ書かれているから
神武東征は、そのずーーーーーっと前の話になる
>>295 >>295 天皇家の先祖なんて軽く1億人くらいはいるだろう
吉野ヶ里に関して連合内の一国って見方が強かったと思うが
そういや吉野ヶ里町が卑弥呼の国!とか町おこししようとして歪められてたな
邪馬台国を重要視しすぎ
卑弥呼=天照と勘違いしてる学生が結構いるのは、無駄に邪馬台国を教え過ぎ、もう少し軽い扱いでいいよ
>>296 727 :名無しさん@1周年 :2020/03/27(金) 02:47:37.02 ID:wEfaFCG90
>>721 纏向を発掘した当事者である関川氏も畿内は違うと仰っている
考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku335.htm > 1.考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 (関川尚功先生)
> ・出土品と大陸系遺物の存在
> これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
> 大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
> (2)纒向遺跡の実態
> ・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
> 断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の
> 大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。纒向からは10本以上がみつかつている。
> 木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。
> 大陸系の土器が出てこない。
> 纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
> 九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F > 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
> 概略
> 1971年(昭和46年)から奈良県立橿原考古学研究所の所員として奈良県桜井市の纒向遺跡の調査に携わった。
> 石野博信とともに報告書『纒向』(1976年)を著したが、とくに外部から搬入された土器の分析と整理は関川がおこない、
> 古墳時代の考古学的な研究において、きわめて重要で画期的な資料となった。
>>292 ネット時代じゃないんだから、他国の面白エピソードを
どうやって伝えるのよ。
正史の魏志倭人伝ですら、2000語くらいしかないのに、
東スポ的記述が入るかよアホタレ。
>>296 以下の2冊は箸墓・纏向の専門家
関川 尚功 『考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国』2020/9/20
坂 靖 『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』2020/2/5
「弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。・・。さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない」
邪馬台国の条件は「伊都国のすぐ南」なので福岡南部、佐賀南部、熊本北部、広げて大分
福岡と佐賀からは
三種の神器が揃って出る。(弥生の)畿内からは出ない。古墳時代になると出る
佐賀はつい数年前に見つかった
佐賀市大和町・七ヶ瀬遺跡 「三種の神器」セットで出土 県内初、弥生後期に有力首長か
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/704143 卑弥呼も佐賀出身って言われるの嫌だろ
掘り起こすな
歴史に特に王権に連続性ってのは意外と無いもんだよ
衝突戦乱による融合・和の連続
>>303 古事記の記述信じるにしても越前の豪族やってた遠縁の爺さんが担ぎ上げられて即位したまでは事実だから
>>296 九州人じゃないけど、特別しらけないな
福岡の福岡城跡のすぐ隣にある鴻臚館跡展示館に行くと、平安時代初期まで鴻臚館を拠点に中国との交易が盛んに行われていたということが分かる
福岡と吉野ヶ里遺跡なんて、距離的には数十km離れてるけど、要するに鴻臚館が中国(当時の隋~唐~宋)との貿易港の役割を果たし邪馬台国にその情報・交易物が運ばれたってことでは?
>>307 どのみち、箸墓の被葬者とされるモモソヒメに卑弥呼を思わせる事績が一つもない、完全に別人だよ
>>295 まあ無知なのは罪ではないよ
ただ恥は知るべきだなぁ
息長タラシヒメはツヌガアラシト系統であろう
継体もそうかも知れない
日本書紀「第九巻:神功皇后」には
神功皇后は
神功皇后摂政卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」・・をやりました(西暦239年)
神功皇后摂政卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」・・をやりました(西暦240年)
神功皇后摂政卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」・・をやりました (西暦266年)
と、ハッキリ書かれているから
神武東征は、そのずーーーーーっと前の話になる
魏志には
漢の霊帝の光和年中(178~184 年に相当)に「倭国大乱」が起こった
と記述されているので、神武東征は「倭国大乱」
天照大神が出雲を武力制圧したのは、そのずーーーっと前になる
継体天皇が日本を征服した訳じゃねえw
九州の王が九州から東側を征服して大和を作った
>>313 あなたすごくおかしい前提でお話になっているが、卑弥呼の時代と
あなたのお書きの「平安時代初期」って、400年くらい離れています。
神功皇后=卑弥呼説だとモモソヒメ=卑弥呼説が完全に破綻するけどね。まあどっちも最初から破綻しているけど
>>314 それは確かだけど、現物があるんだよ。古墳が。
>>323 寺澤薫は箸墓は卑弥呼の墓では無いと言っているけどね
日本書紀「第九巻:神功皇后」には
神功皇后は
摂政卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」・・をやりました(西暦239年)
摂政卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」・・をやりました(西暦240年)
摂政卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」・・をやりました (西暦266年)
と、ハッキリ書かれているから
神武東征は、そのずーーーーーっと前の話になる
魏志には
中国後漢の第12代皇帝「霊帝」の光和年中(西暦178~184 年に相当)に「倭国大乱」が起こった
と記述されているので、「倭国大乱」は神武東征だ
天照大神が出雲を武力制圧したのは、そのさらにずーーーっと前
後漢王朝の初代皇帝「光武帝」から漢委奴国王の印綬を賜った時(西暦57年)ぐらいの時の話かな
>>321 そこから繋いではないけどその後の二代は前妻との子供だから即位には皇女関係無いけどな
まぁ皇統って所では皇女との間の息子家系で繋いで行ってるから重要なんだろうが
>>323 古墳は開けないと証拠にならないよ
箸墓だと言うなら最低でも開けてから言ってくれないと
>>327 無理だよ、宗教だから
信仰はブラックボックスなしには成り立たない
>>206 そう言えば「神の手」あったな
あの人って今どうしてんの?
天孫降臨の地として有名な高千穂峡がある
宮崎県高原町の立切地下式横穴墓群(5世紀中頃から6世紀)
典型的な縄文形質76体の人骨が出土
5世紀~7世紀古人骨の主な縄文型・渡来型人骨の分布
九州の古人骨はおおまかに筑前を中心として~肥前、
あるいは~豊後・南九州と縄文人的特徴への傾斜を示す
福岡県田川市轟尾横穴墓群(6世紀末~7世紀)
坂田邦洋氏の所見によると人骨には北豊前・筑前タイプ(渡来形質)と豊後・南九州タイプ(縄文形質)の両者が見られる。
史実と整合性が高いと言われる磐井の乱が6世紀
>>207 朝貢したから邪馬台国=ヤマト朝廷は中国の属国!て派閥じゃねえの
金印を捨てたのもそういう説を見る
あいつら記紀を読んでないから東征を知らんのよ
弥生時代の福岡辺りは赤色顔料ベンガラを塗りたくるのが流行っており、3世紀北部九州の墓から出土する女性酋長の多さから女系社会だったことがわかる
古墳時代の長崎熊本宮崎鹿児島の地下式横穴墓、地下式板石積石室墓
人骨にはベンガラを塗りたくって壁にも朱色模様が描かれている
>>334 元々は邪馬台国は朝貢してた=支那の属国、つまり大和朝廷な訳がない!ってのが主流だったんだけどな
まあその前の説は卑弥呼=神功皇后として大和朝廷と同一と見做しつつ九州説だったわけだが
佐賀には丹生神社があるから丹が取れたのだよ、今度開ける石棺も朱色に染まっているだろう。
奈良時代に朝廷から夷人雑類と記された肥人・隼人地域)長崎~熊本~鹿児島~宮崎南部辺り)に縄文人の国があった
地下式横穴墓から出土した人骨および人骨関連遺物に関する骨考古学的研究 (竹中正巳、篠田謙一他 2015)
主に大隅半島の古墳時代人骨に関する研究。5~6世紀
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24520873/ 宮崎県などの南九州の山間部では縄文人・西北九州弥生型の人骨が弥生~古墳時代にかけて出土することで以前より知られている(南九州山間部タイプと呼ばれる。)が、大隅半島では詳細が不明であった。
今回の研究で大隅半島に属する立地の遺跡(小野堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、 町田堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、塚崎古墳群 19 号地下式横穴墓(鹿児島県肝付町)、飯隈古墳 群鷲塚地区地下式横穴墓(鹿児島県大崎町)、
旭台地下式横穴墓群(宮崎県高原町)、地下式横穴墓群(宮崎県えびの市))で新資料が得られた。
広田遺跡C-8号男性人骨、町田掘遺跡60号地下式横穴墓男性人骨
>>335 イザナギとイザナミの征服進路は
天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神がいる
高天原(紀伊半島)←『魏志倭人伝』の『真珠』の産地
から進軍して、淡路島を足掛かりにして
四国←『魏志倭人伝』の『丹』の産地
隠岐島(出雲)←『魏志倭人伝』の『青玉』の産地
九州・壱岐島・対島←日本武尊の熊襲征討
佐渡島・本州←日本武尊の東国征討
確か中国の記録によると紀元前後には既に九州のどっかのクニと朝貢交流はあったんだよな
そこから2、300年邪馬台国時代になっても文字が定着しなかったのは何故なんだぜ
>>341 特権階級の選ばれた高官のみしか使わなかったんだろ。でも、福岡市の博多とか福岡空港近辺の遺跡からは日本最古の硯が発掘されてるから、文字は書いてたけど文字が残ってないだけの可能性はある。倭国からの上奏文も中国歴史書に残ってるし。
>>279 箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないとする根拠として
・魏志倭人伝において方墳部分に関する記述が一切ないことから卑弥呼の墓は前方後円墳ではない可能性が高い
・魏志倭人伝においては一里が75m程度なのでいちり=三百歩とすると一歩25cmとなり百歩は25mとなるので箸墓古墳は大きさが合わない
・出土品から中には石室があると推測されてるので「棺はあるが室はない」とする魏志倭人伝の記述と矛盾する
・年代測定法の見直しにより実際は四世紀に入ってから建造されたものである可能性が高い
・魏志倭人伝には「馬はいない」とあるにもかかわらず馬具が見つかっている
・埋葬者には別人が比定されている
下の2つは根拠として弱いし年代と寸法は反論の余地もあるけど、もし調査して石室があったら致命的だし
そもそもとして前方後円墳は卑弥呼の墓として候補に挙がらんと思うわ
>>341 旧石器時代の石斧文化圏が南西諸島~九州(大分だけは何故か瀬戸内文化圏に属す)、
弥生時代の沖縄から北海道まで続く貝の道、
古墳時代九州の南洋貝製品
古代からクロノコヤマト並みの物流があったんだな
フェイクニュース風プロバガンダ
しかしなんでこの手のスレはこんなに伸びるのか
反日コリアンたちは
邪馬台国が九州にあったということにしたいらしいけど
>>344 メダカの遺伝子の物流経路
かなり身分高いという割にそんな立派でもない石蓋だな
>>84 そういう説は存在するよ。ただし、忍穂耳命から五代も数に入れる。一代の平均在位年数が8くらい。雄略から遡っても、天照が三世紀中頃になるからありえる。
倭王武「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」
上表文「東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國」
大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
日本人の「完成」は古墳時代だった?
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP9K55ZJP9JULBJ00Z.html 金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表
魏志倭人伝にある倭国大乱って実は九州の戦争で
敗れた神武が奈良に流れたって憶測も出来るなw
>>342 なるほど
その頃は食べて行くだけで大変で、文字の読み書きができる人口は少なかったのかな?
>>346 でもこのスレ見てると九州説が有力そゔだけど?
妙に当て字っぽいのが多いのは縄文系の国家に中国からの使者が
現地人の言葉に当て字してったからだな
中間管理職を中華系技能者で占めて王族と農耕従事者の三層構造
そのうち中華系がクーデター起こしたんだろう
その姿を映したのだろうか銅鏡よ。
たった二千字の文字が伝える卑弥呼の伝説。
>>362 東京で応仁の乱がおこったって言ってるようなもの
先史時代の考古学者のインチキ臭さと言ったらない
まず導きたい結果が決まっているんではないですか?
そしてそれに沿ったサンプルを恣意的に見つけてくるんではないの?
捏造した例が旧石器ゴッドハンドや東日流某でしょうが
n数が可能な限り大きいできれば数千数万の全数調査志向の見える医学者医学的な現代近年調査は信用します
そういえば近畿説唯一の根拠と言われてた箸墓古墳だなと思いググるとこんなの出てきたw
箸墓古墳の実年代:歴博の炭素14年代測定による240~260年は根拠の間違いが明らかに
近畿説の今後どうするの?
科学的データ付き論文で出されたなら、科学的データ論文で反撃するのが学問で未だなし
箸墓古墳の実年代:歴博の炭素14年代測定による240~260年は根拠の間違いが明らかに
>>362 畿内派は邪馬台国に拘る必要ないと思うんだけどな
奈良は大和政権の礎となった地で日本という国を作り上げたんだから
邪馬台国みたいな田舎の集落のことなんかほっといて大和政権の事を真面目に研究すりゃいいのに
下手に邪馬台国に執着するから研究も進まんのじゃないか?
まあ大和政権のことを本気で突き詰めたら天皇家の歴史をごっそり書き換えることになるからわざとやらんのかもしらんが
皇国なのに、邪馬とかセンゴクに欲情する非国民ばかり。
畿内説者の権威が失墜するからもう修正できないんだよ
官僚機構と一緒だ
>>346 九州説が言われた始めたのは江戸時代
これでは古代の日本は中国の属国だったことになる。卑弥呼とは九州の一部を支配した女酋長にすぎない
と国学者たちが言い出した
>>367 田舎の集落とかいっても、当時の日本全体の人口なんて数百万だったからどこも似たようなものだったと思うけどね
奈良時代の人口は450万人で平城京が20万都市だったというが、現在の近鉄奈良駅を2キロほど南下したところに「京終」という地名がある
「きょうばて」と読んで平城京の南の果てというような意味合いだと思うが、それを思うと現在の感覚からいうと小さな都市だったんだなって
「ろしごろし」645年に大化の改新(乙巳の変)の舞台になった飛鳥寺なんて、田舎そのものだし
それを思えば、邪馬台国が小さな集落だったとしても何ら不思議ではない
平安時代中期の人口が550万人だというのだから、邪馬台国があった頃は300万人台だったのかな
たとえ3万人だったとしても、大都市だったのでは?
だいたい吉野ヶ里遺跡なんて、小さな竪穴式住居の集まりでしかないし
大国主の作った出雲もそうだけど大和王権も男性社会
地域の豪族との婚姻関係を沢山作って行きながら精力拡大していき四方に広がっていった
九州みたいな女酋長だらけの国々ではそういうことはできない
争いながら衰退し後継もおらず最後は巨大になったヤマト王権に成敗され滅亡した
現代人が密集して住んでる低い平地は弥生時代には大洪水の巣であり、人が住める場所ではなかっただろう
当時は山の麓や少し高いところに住んでたはず
素人の皆様でも邪馬台国は九州と一発で分かります
帯方郡から邪馬台国までは12000里です。
↓
帯方郡(平壌付近)→狗邪韓国(プサン)まで7000里
狗邪韓国→対馬まで1000里
対馬→壱岐まで1000里
壱岐→末盧国まで1000里
末盧国→伊都国(福岡県糸島市)まで500里
伊都国→奴国まで100里
奴国→不弥国まで100里
これで10700里です。どう考えても、残り1300里では畿内までたどり着けません。
>>98 女王国より東に海な
大分県も女王国の一部なら成り立つ
>>349 卑弥呼が60年ぐらい在位してる一方で、平均在位8年で計算したら、そりゃ一致するさ
大国主とか180人近く子供がいた
大和王権でもそれが普通だっただろう
進出先で有力部族の娘たちと沢山子作りしてそこを大和の支配下にしていった
がーばい楽しみ
何がでるかな?何がでるかな?
ばってん卑弥呼さまの墓をあばくというのはよくよく考えたらバチ当たりな話
相手は千年の眠りから現代に目覚める千年女王みたいなもんでしょう
人知を超えた鬼道によるなにかしらの霊的なトラップが施してあるだろうし
そこんとこがちょっと気になりました
卑弥呼さまー!
天皇が現れたのも九州だしな
卑弥呼と天皇は親戚筋なんじゃないかな
敵だったら同じ国名を使わないと思う
末盧国から伊都国にいく途中に邪馬台国があるわけないだろ
連合国の一員ではあるだろうけどさ
>>350 5世紀の「国」は3世紀の「国」よりも明確に大きい
5世紀に畿内より西の66ヶ国を倒したなら、卑弥呼の連合国30ヶ国を畿内とするならば、あまりにも少なすぎる。
したがって、邪馬台国とは九州に限定される
>>192 白村江って寧ろ内戦の側面が強いのよ
この戦いを機に国内の権力構造が入れ代わる
敗戦後、入墨文化を持つ安曇系は権力の座を追奪われ放逐された
>>387 身内だったら滅ぼしたりしないだろ
神武東征で海づたいで宮崎から四国に入ったところをみると、明らかに北部九州を避けてる
勢力を拡大し、邪馬台国を倒すための東征だったのだろう
>>379 水行十日陸行一月もかかる九州ってどこ?
卑弥呼ってなんで関西に邪馬台国作ろうと思ったの?
そんなこと、ちょっと考えれば分かるだろ
九州だと攻め込まれやすいが、畿内だと
淡路島が防波堤となって簡単に攻め込まれないから
当時の中国へのアクセスって九州から上海、南京あたりの海路が最速で安全
稲や渡来人もこの経路で来たことがもうDNAで判明してる
文化も人も朝鮮半島は経由してないよ
>>395 なるほど
すると倭国大乱という争いが続いた邪馬台国は、畿内ではないってことだな
他の国が九州にあって、邪馬壹だけ関西、中国四国地方の国は書かれない。アクロバティックすぎるだろ。
>>252 日ノ神を奉ってたなら伊勢神宮みたいに都から東に祀るのが妥当なんだろうけど
卑弥呼がそうとは限らんしな
>>394 それ中国考古学権威の人がスタート地点から里と距離表したのに、ここだけ急に1日2日と距離表してるのは明らか違う資料
よは、ここから邪馬台国の道順ではないとハッキリと発言された
なんで九州王朝は滅んだのw
日本の実質的な歴史は畿内の奈良や京都からスタートだよな
福岡、佐賀、まったく関係なし
つまり九州は出張所にすぎなかったということ
>>390 使役を通ずる30国は紀元前108年
女王国ではない
>>403 なぜ滅んだって、ヤマト政権が攻めたからだろ
ヤマト政権だって九州南部の発祥だけどな
>>305 流石に教科書に載せるのはどうかとは思う
中国の歴史書に記されるだけの証拠も何も無い国の話だし
九州がいくら、俺たちが元祖だと言っても
滅んでしまっては何にもならない
神武東征で神武がいなくなったとたん、滅んだ九州王朝
スゴいのは神武帝で九州はぜんぜんスゴくないということ
九州がスゴいのなら、神武がいなくなっても九州王朝は続いて
栄えていたはずだからな
邪馬台国が重要視されるというか大和朝廷と古事記の建国物語に都合のいいのが邪馬台国だったんだろうな
それ以前の年代の神社や文献やペトログリフも大量にあるけど
全部偽書とされたり黙殺されたりしてるし
凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國
紀元前108年から倭王が居るのはずっと同じ場所だ
>>409 滅んだのは邪馬台国であって、神武の留守舞台は残ってるだろ
宮崎にはたくさん前方後円墳が残ってる
>>306 答え出てんじゃん
纏向は比定するだけの出土品が出てない
畿内説を守るために九州叩きするのは情けないわ
>>392 滅ぼした?それ小説だろ
そんな記録は残ってないぞ
>>376 その辺分かってない人多いのよな
今と昔じゃ地形が全く異なるのに
>>392 四国に上陸なんかしてないよ
宇佐、遠賀川河口まで北上して本州に上陸してる
九州って戦国時代もだけど域内内紛起こして天下統一まで手が回らず結局他から制覇されるってイメージ
大和朝廷は4世紀ですよ。
邪馬台国と大和朝廷は別物、無理矢理同じにしようとゴッドハンドで騙すのはやめて下さい
畿内説という霊感商法詐欺が失敗に終わるかもしれませんね
物的証拠続々発見され
最新の研究で神武東征あった。と結論出たのに大学の先生達は避けてるでしょ
それは論争解決したのよ
九州上半分から四国近畿まで邪馬台国連合だったと
それではお前ら、困るだろw
だから先生達は神武東征に一切触れない
>>420 壱与の死後に国が乱れて天皇が立ち上がり関西で出直し
簡単に説明できるね
>>428 壱与の後だと、もう雄略天皇の時代さにぶち当たるけど?
神武とか縄文時代からの言い伝えを元にしてるんじゃないの
自分は高千穂から阿蘇山から耶馬渓から宇佐から日田までを中心として邪馬台国があったのではないかと感じるね
阿蘇山なんか、周りを見ると山が台みたいになっている
まさに台のようだ
>>426 神武こそが卑弥呼を解く鍵。
だからわざと時代を大きくずらされてる。
>>430 稗田阿礼が口伝で伝えたんだから、ある意味言い伝えであってると思うよ
その結果、橿原遺跡が見つかって、年代も紀元前7世紀なんだから大体あってたし
>>403 記紀に書いてあるとおりだろ
崇神が西道に吉備津彦を派遣し、景行、神功皇后が熊襲征伐したと
適正な寿命で計算すると、崇神が西暦300年頃
つまり265年から413年までの空白の4世紀に九州邪馬台国が滅んだと解釈できる
>>435 神武と卑弥呼は夫婦。
神武に先立たれたあとの姿が魏志倭人伝の記述
>>430 せいぜい西暦200年頃の話
つまり、倭国大乱で九州が国力を落とし、畿内が勢力をつけ始めた頃のお話が神武
>>431 中国語の台って意味が異なるからね
台湾になんかに使われてるの見れば判るように、険しい山の多い地形を指す
邪馬台国が九州なら
卑弥呼と天皇につながりはないってことだよ
>>439 険しい山なら耶馬渓も素晴らしい山だよじゃあ、耶馬渓のほうかな?
>>440 そのとおり
そもそもヤマト政権は男子承継の世襲だし
>>440 九州北部から東遷したのを、わざわざ九州南部から東遷したと誤魔化す意味がないからな
これでは九州と近畿はほとんど重なっている
例えば、弥生後期から奈良時代までの500年間、形を変えず存続して作られていた南九州の成川式土器はある時期を境に途絶える
これが9世紀初頭、抵抗していた隼人の名が最後に記録された時期と重なる
まつろわぬ民と呼ばれた者たちは日本に組み込まれていく訳だ(公地公民)
「成川式土器」と呼称されてきた土器群を現在の編年観にてらすと、弥生時代後期から古代(9世紀)にまで及ぶが、
様々な編年案を経て、現在は弥生時代終末期以降の南九州在地土器を「成川式土器」と呼称するのが一般的である。
成川式土器終焉までの過程をたどってみると、徐々に古代土師器や須恵器が取り入れられるとともに、成川式土器を使用していた人々の生活が変わっていく様子を垣間見ることができる。
時期別に器種組成を見ると、大きく2段階に分けることができる(図4)。
弥生時代終末期から古墳時代前期の中津野式・東原式の特徴としては、大型の高杯が安定的に出土するようになり、同時に小型丸底壺や鉢類などの食器類の器種が充実する。
食器類が増加するのは、弥生時代中期後半の大隅半島に分布する山ノ口式(入来式縄文土器の系譜)や弥生時代後期の川内川下流域の松木薗式(曽畑式縄文土器の系譜)に見られたが、
それが全域に普及するのは東原式段階である。
食器組成として見ると、少量の大型高杯と多量の小型鉢類が多いことから、共用器である置食器と銘々器の手持食器を中心として構成されていることがわかる(図5)。
古墳時代中期以降の辻堂原式・笹貫式を見ると、薩摩半島から鹿児島湾岸地域は東原式段階の機種組成をほとんど引き継いでいるが、高杯は土師器系高杯へと変化し、小型化・多量化する。
小型の鉢類も多く、また、須恵器𤭯模倣品や在地的な坩など、飲用器の発達がみられる。坩には大型のものと小型品2種類が認められる。
したがって、共用器である大型飲用器と銘々器である置食器と飲用器、および手持食器がセットとなっている。
この様相は、少なくとも7世紀まで続くと考えられる。
8世紀段階では大壺が消失する一方、須恵器杯などの食膳具が安定的に加っている。
9世紀段階になると土師器食膳具の他、土師器煮沸具も加わって、成川式土器としては甕だけが残る。
もともと成川式土器の甕底部は脚台か平底を呈し、補助具なしに自立できる事が特徴だが、最終段階の甕にも
その特徴は残っている。紫コラ層直下から検出される建物には竃が確認されているが、同時に炉のみの建物も検
出されており、炉で使用する煮沸具として残った可能性が高い。
>>440 島国で山ばかりで政治システムも成熟してないのに一つの国として考える方が無理があるわな
穏やかな瀬戸内を中心とした文化圏と大陸からの交易が活発な日本海側の文化圏があったように思う
宮崎県都城市歴史シンポジウム「古墳をつくった人々~墓制から文化の多様性を探る~」
令和2年3月
【竹中正巳】
骨の研究や最近ではDNAの研究で、縄文人の遺伝的な要素、DNAを色濃く残しているのが北海道のアイヌの人々だということがわかっております。
アイヌの人々の軟組織を見れば、眉が濃かったり、髭が多かったり、そして目は二重であったり。そして耳垢が湿っていたりという特徴があります。縄文時代の人たちもそういう顔つきや体つきをしていた。
縄文人は基本的に日本列島全域でほぼ一緒の特徴を持っていたと言われております。近年では、DNAの研究で東日本と西日本の縄文人の中には、DNAのタイプとしてちょっと違うものがあるという面白い研究等もあります。
私はDNAの専門家ではありませんので、またの機会に譲るといたしまして。縄文時代の終わりから弥生時代にかけて大陸から、朝鮮半島や今の中国の地域から人がやってきます。
そのような人たちは顔が長くて、面長で平べったい顔で、毛は薄い。そして目は一重ということになります。縄文人とは違っていますね。
こういう人たちがやってきて、生活も弥生時代になると、金属の道具とか水稲耕作とか、色んな形で生活も変わってまいります。もう日本列島の人々にとっては大革命です。こういうことをもたらした人たちが、地元の縄文的な人たちと混血をしていくことになります。
そしてどんどん広がって、この人たちの特徴がどんどん後の日本列島の色んな所に広がっていくというのが、現代日本人の成り立ちの大まかなストーリーであると、大方の研究者が認めております。
~~~
最後になりますけれど、都城盆地の古墳時代の人々、多様な古墳がいっぱいありますけれど、
今わかっているところでは地下式横穴墓と箱式石棺墓から出てきている人骨から言うと、本土の縄文人に近い顔つき、体つきの人たちがこの都城盆地の古墳時代の主な住民だと思います。
隼人の故地にあたる南九州地方(宮崎県南部・熊本県南部~鹿児島県)における古墳時代の墓制 には、南九州にだけ認められる地下式横穴墓、地下式板石積石室墓、土坑墓・立石土坑墓があります。
地下式横穴墓は、竪穴を垂直に掘り込んだ後、横方向に水平に掘り広げて、墓室を造ったものです。
最も古いもので4世紀末頃の土器を出土するものがあり、5~6世紀に築造 の最盛期があり、7~8世紀頃まで存続して造られています。
古い時代の人骨というものは中々残りません。良い状態で出てくるということはほとんどないのですが、地下式横穴墓というものは、天井が落ちなければ空間が保たれるものですから、非常に良い状態で骨が残ります。
南九州ではこういうお墓が、宮崎から鹿児島にかけての東半分の地域に認められます。ですから古墳時代では有数の、残りの良い古墳時代人骨が出てくる地域であります。
ですが、たいていの土を被せて埋めてしまうお墓ですと、日本は酸性土壌、火山灰の土壌ですので、体が溶けて骨も溶けてしまっています。中々残らないのが実情です。
それで南九州の縄文時代、古墳時代の話なんですが、南九州では縄文時代に少し人骨が出ます。南九州で縄文時代の保存の良い人骨というのは、残っていても10体くらいです。
その次の弥生時代になると、ほぼ皆無であります。南九州の本土で1例だけで、それらはもうボロボロの状態の人骨で、そこから特徴を探るのは中々厳しい状態です。
そして古墳時代は地下式横穴墓をはじめ、人骨がたくさん出てきます。地下式横穴墓からは非常に良好な遺存状態で古人骨が出土し、その数は宮崎県内で600体を超える。
これほど大量の古墳時代人骨資料が出土しているのは全国唯一であり、考古学のみならず人類学研究においても重要かつ不可欠な資料群と言えます。
>>394 2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a >沈約宋書云?陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上?縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
>>453の続き
3 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:29.01
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる
神武の先祖コノハナサクヤヒメは阿多隼人族
日向神話は南洋ニューギニア付近に源流を持つ
色々おかしいな?
経百余歩=150mの円形、楕円形、円形を伴う前方後円墳がないので、九州は論外。
天皇一族は黒潮を自在に操る南洋海洋民族だったのか?
>>457 ヤマト政権の遺跡だろ
邪馬台国とは関係ない
>>394 帯方郡からの距離だから
合計1万2千里であることを忘れちゃいけない
邪馬台国=吉野ヶ里なら伊都国に行く意味は?
吉野ヶ里に七万戸は無理
吉野ヶ里まで水行十日陸行一月って牛歩戦術ですか?
五万戸の投馬国はどこ?
九州説とかいうファンタジーいい加減にして
>>457 倭人伝を含め、東夷伝は全体が1里約80mの短里で書かれている
例えば高句麗伝や扶餘伝には国の大きさが方可二千里とあるが
その場所に方二千里を設定すると公孫氏の遼東が飲み込まれて存在出来なくなる
表記は短里でしかありえない
1里=300歩であるため、径百歩は1/3里=27m程度となる
505 :不要不急の名無しさん :2020/08/31(月) 23:11:52.51 ID:V7dsXfha0
>>102 夫余や高句麗の方可二千里、東沃沮の可千里は短里じゃないとその場所に収まらないよ
長里だと夫余や高句麗は約900km四方になって朝鮮半島の数倍、黒龍江省と吉林省がまるごと入るくらいの巨大国家になってしまう
朝鮮半島の付け根にそんな巨大国家を設定すると遼東まで飲み込まれて公孫淵は一体どこを支配していたのかということになる
522 :不要不急の名無しさん :2020/08/31(月) 23:39:48.29 ID:V7dsXfha0
>>505のついでに言うと900kmって魏の都・洛陽から蜀の都・成都までの距離に等しい
魏の都・洛陽から呉の都・建業(今の南京)までは650kmに過ぎない
夫余や高句麗の方可二千里が長里ではあり得ないことが理解できるだろう
実際の三国時代の高句麗はこのくらい
短里で方二千里(約160km四方)程度
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kokuri/kokuri.gif
纏向の近くの塔古鍵遺跡から鳥の格好した巫女が描かれてるだろ
あれが百襲姫だよ
卑弥呼とは違うだろうな
卑弥呼は一切姿を見せてないけど百襲姫は外で祭祀やってたから
土木建築の指導もやってた
>>462 トゥマ=宮崎県西都市にあるツマ=妻だよ
>>461 なんにせよ
大和朝廷を興した人の先祖で
西から東にやってきた人を
神武天皇ってことにすりゃいいと思うけどな
他のエピソードが混ざってるからそんな人はいなかったって言う人って頭が固い以前の問題があると思うわ
>>459 論点ずらし。
150mの円形を伴う墓は九州にはない
>>468 東征して勢力を拡大しただけの話だろ
ヤマト政権がな
>>462 邪馬台国は北部九州の連合国家だよ
そもそも使者は行ってないし伊都国が受付だったんだろ
短里は始皇帝による度量衡統一以前の古い単位
春秋戦国時代の書物に出てくる
わざわざそんなものを持ち出したのは司馬懿の功績を大きく見せるためだろう
411 :ニューノーマルの名無しさん :2021/10/05(火) 12:20:44.24 ID:mpXV5LtY0
>>361 春秋戦国時代は短里だからね
当時書かれた戦国策に記された戦国七雄の領土は全部短里で書かれている
例えば楚の領土は方五千里と記されているけど長里だと方四千里でもこんなに広い
方五千里なんてほぼ中華全土統一で秦の始皇帝が存在できないw
> 655 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 19:14:02.48 ID:y1B9e6n60
> 魏志韓伝に韓の大きさが方四千里と書かれているが、
> 三国のほぼ中央に位置する荊州・襄陽を中心に方四千里の範囲を地図に描くとこんな感じ
>
古い神社ってのは当時の有力者のお墓の上に建てたと言われていて今回はその神社の下に眠る石棺だから有力者なのは報じられている通りだね。
今回の日枝神社の祭神は大山咋神〈オオヤマクイノカミ)らしい。
「大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する山の地主神とされる。」
https://yaokami.jp/saga/g42440/ よく言われるのが本当に凄いのは吉野ヶ里遺跡ではなくて近くの土地や山に多くの古墳?墓があり北墳丘墓と言われていてそれが紀元前1世紀〜らしく卑弥呼の前。卑弥呼の時代には使われていないらしい。
北墳丘墓を見上げて祀る形で吉野ヶ里が在って弥生時代の卑弥呼の時代となれば邪馬台国卑弥呼に関係なくとも素晴らしい発見になる。
注目は埴輪で出なければ卑弥呼の時代辺りかそれより以前(垂仁天皇期以前)で埴輪が出たらそれ以降。
奈良の箸墓古墳は円筒形埴輪が出てるから箸墓の卑弥呼と言われているヤマトトトソモモソヒメ時代のお墓かどうかも怪しい。後年の司祭の名残とも言われているがどうだろうね。本当は100年後の墓とも言われてるし。
卑弥呼でなくとも神社の本当の御祭神ではあるだろうね。御祭神は後年他の神社から持って来たり都合の良い神を選んだりする。
楽しみですね
>>464 歩は身体尺。手のひらを拡げた1尺の6倍が一歩。
>>458 記紀に従うなら、隼人の一族なので海洋民族であってる
ロマンシングサガ
ヴィンランドサガ
ゾンビランドサガ
>>474 千里刻みの水路、百里刻みの陸路を、いちいち測量しながら進んでるわけがない
>>477 その通り。
ただし墳丘の大きさなら測れる。
150mの円形の墓は九州にない。
瀬戸内での戦乱の結果
3世紀中頃から前方後円墳が作られるようになりヤマト王権が確立
この流れのなかで九州は全く存在感がない
>>472 こうしてみると朝鮮半島内の行程7000里がまず相当なインフレだな
ここまでは中国の役人もよく知ってるはずなのに楚より長いとかありえんわ
倭人伝の数字は傍証がない限り全て疑ってかかるべきだね
>>478 だからそれはヤマト政権の遺跡だろ
なんで畿内説って遺跡をすべて邪馬台国にするんだよ
遺跡が残ってることと、それが邪馬台国のものかは完全に別次元の話だ
ましてや、ヤマト政権の拠点は畿内にあったことは確実なんだからな
>>484 ヤマト政権より前に邪馬台国という九州政権があったら都合悪いからだろ
魏の時代はまだ車輪のついた測量機を開発途中だったよな
>>485 そういう事
獣ような人外は12000里離れた所とかそんな意味だろ
生きてるうちに答えにたどり着いた感じかなあ
宇佐だもんなあ
>>479 というか瀬戸内~畿内ヤマト付近と交流のあった西都原古墳群からは南洋の船や家を模した出土品が見つかるからな
旧石器時代から黒潮に逆らう謎の航海出土ラインがある
>>468 宇佐亀山古墳が卑弥呼の墓なのは邪馬台国マニアの内では定説なんだよ
>>462 7万戸はどこだろうが無理
平城京で10万人
ニューヨーク、ニュージャージー、ニューハンプシャーみたいに近畿に入植したのかな
古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明
http://2chb.net/r/news4plus/1656071245/ 縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性
ウィーン大学で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶」の古墳において、
日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。
卑弥呼の墓w
あれだけの絶対権威を誇った人物が墓?w
ふつうは古墳だろw
>>488 測量してないからといって当てずっぽうは書けない
距離的に水路は1日に進める距離と見られる
ならば陸路も同じく1日に進んだ距離だろう
ピッタリ、水路10日と陸路1月で1万2百余里だ
>>497 畿内説と違って卑弥呼の墓なんていってないぞ
邪馬台国時代の墓と言ってる
>>474 それは語源に過ぎない
単位としてはは1里=300歩と決まっている
>>472の通り他の書物でも使用されている
アキラメロン
>>498 短里なんて存在しないしぴったりじゃねえよ
>>495 みんな、おのぼりさんになったんだ
白状者の見えはりどもが東にジャパニーズドリームを求めて出ていきやがったに違いない
>>279 思うのは自由だが発言すると批難嘲笑の的になるのを覚悟せねばならない
>>501 だから、いちいち測量しながら進んでないっての
それに九州上陸までに1万里とはっきり書いてる
>>494 距離も戸数も見栄とハッタリだが方角は誤魔化せん
>>506 陳寿は12000里が実際の距離だと思ったんだろ
>>492 島産み伝説はハワイとかにもあるからね。ポリネシア系の伝説。
ちなみに中国は畿内のヤマト王権も邪馬台国と表記してまして
卑弥呼の邪馬台国と同じ国と見なしていたようです
>>509 伊都国までは使いが確実に言ってる
伊都国まで陸路5百里だ
残り1500里だな
>>484 ヤマトだからダメってアホなのかおまえ。
どんな墓なのかは史書に書いてある
■魏志倭人伝に記載された倭人の墓のつくり
「有棺無槨 封土作冢」
棺が有り外郭は無い、土で封じて塚を作る
■魏志倭人伝に記載された卑弥呼の墓のつくり
「大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴碑百餘人」
大きな塚を作った 直系約百歩(150m) 殉葬者は約百人
>>514 だから測量なんてしてないって
九州上陸までに1万里、そこから伊都国まで5百里、これは明記してあることだ
>>515 ヤマト政権の遺跡がある
だからどうした?
それが邪馬台国と何の関係があるんだよ
>>517 土を盛っただけの墓が当時の形を維持しているわけがない
>>367 そいう事
くだらん論争にパワーを割く暇があったら別のことやれ
目の前の事実を論理的に組み上げられず先入観が支配する学問は学問とは言わん
>>392 身内だからこそだよ
兄弟や叔父・甥、子孫どうし、お互い正当性を主張して争うのは歴史あるあるじゃん
で、勝ったほうが正当で負けたほうは反逆だの何だのと歴史書に残される
>>497 狗奴国すら敵対してるから全然絶対権威ではない
>>443 それは有明海側であって、地図見れば分かるけど福岡県と長崎県との県境にかけて山は沢山あるよ
>>506 測量してないのにそこだけ信じるんだ
へー
1世紀の世界
・光武帝が後漢を建国
・スキタイ王朝が絶頂
・キリスト処刑
・カリグラが3代ローマ皇帝になる
・ローマ大火、皇帝ネロが暗殺
・死海文書が作成される
・ベスビオ火山が噴火してポンペイが飲まれる
・日本、古墳時代 ←wwwwwwwww
考古学界は統一みたいなもの
メディアと組んで歴史を創作する宗教と化してるよ
そもそも糸島目指してんのに一旦松浦に上陸する意味よ
>>532 測量せずに目安としての距離(何日船に乗って何日歩いたか)を記録してるからな
すると、邪馬台国まで1万2千里、つまり水行10日陸行1月なんだよ
>>538 安全を優先すれば有視界航海になる
壱岐から糸島は見えない
あと食料の問題もあるしな
つまり九州は出張所にすぎなかったということ
九州がどれだけアホでも、攻め込まれた事を考えたら
最強の防衛を誇る畿内にも国を作るっつーのw
これが九州と畿内の2つに邪馬台国があった理由だよ
攻め込まれた時の事を考えない政権はない
つまり本丸は畿内で九州は出張所
本丸を攻め込まれやすい九州に置いておくアホはいないw
>>542 希望と妄想と史実の区別も付かないのに考古学気取りか?
>>518 最初に来た梯儁は建中校尉という武官だよ?
歩測もできない未熟な武官が未開の地に派遣されるか?
距離単位の一歩は、人間が二歩あるいた長さから来る身体尺
600歩ほど歩けば1里歩いた事になる
次の街まで何歩か?=何里か?
GPSもない時代、方角を間違えるのが命取りなのと同じで、距離をわかってないのも致命傷
実際に現地で歩いてみた距離と、報告した距離が違ってたのか、誰かが捏造したのか
>>546 歩測量した結果が百里とピッタリ同じなのが2回、5百里と積算したのが1回か、バカらしい
>>170 プレゼント開けるの待ちきれない子供かよ
>>541 じゃあ韓国→対馬
対馬→壱岐
も無理だな
もうそういう雑なデマうんざり
狗奴国の官は河内彦で卑弥弓呼は大神神社の神さま狭井の神のモデルと思うんだよな
井戸と酒と薬の神さま
後々関東に関係するんじゃないか
平安時代半ばに茨城に戻ってきたスクナヒコナや埼玉のサイとの関係も気になる
最大の謎は奈良時代の終わりから平安時代前半だな
酒が開きイワと徳が基盤を固め最後に孝に引き継いだのかもしれない
絆を確認しながらバトンタッチしていき、もう一度国作りの形をやり直した可能性はないだろうか?
>>542 魏に狗奴国と戦ってて大変なの助けてなんて言ってるのになんで中国に攻められたことを考えてるなんてアホな論理を導き出せるのか
日本書紀の神武東征経路上で、敵対した頭領の数を、府県別に表すと、
<出発地>宮崎県0、大分県0、福岡県0、山口県0、広島県0、岡山県0、兵庫県0、大阪府1、和歌山県1、三重県1、奈良県9<到達地>
となります。奈良県は敵対勢力の傑出する地域だったと言えます
>>497 絶対権威?
前後で内乱起きてる上、すぐ南の国すら脅威の危うい国でしかないのに
>>551 見えるんだよ
1977年に野生号で再現して確認してる
雑なのはお前
3世紀中ごろは奈良盆地の勢力が倭国では抜きんでた存在になっていた
そして当然そのような勢力があることを魏は知っている
これはもう紛れもない事実
となるとあとは
1 これこそが邪馬台国であり九州まで制圧していた
2 これこそが邪馬台国であるが九州までは支配権は及んでなかった
3 これはのちのヤマト政権であり北九州の邪馬台国が倭王として魏と交渉していた
3 これはのちのヤマト政権であり北九州の邪馬台国は傀儡そして接していた
のどれかしかない
邪馬台国が九州なら魏の行程記録が急に曖昧になるのがよく分からないんだよなあ
洛陽から伊都国まで来たら後は吉野ヶ里でも朝倉でもすぐ目と鼻の先なのに
>>558 国賓を迎賓館に招いても、皇居には入れんだろ
使者は伊都国に滞在するとも書いてるしな
>>560 あと古墳の下もな
既存の墓の上に建てられたものが大量にあるだろうな
神武東征の戦闘場面は、当然ながら、弥生時代の武器出土数に反映されているだろうと。そう思いますね。
つまり神武東征経路では、戦闘場面が登場する大阪府、和歌山県、三重県の武器出土数が上昇し、奈良県が全国的に見ても、武器出土数が突出しているであろうと。
しかし実態は
鉄鏃 鉄製武器計 敵頭領数
宮崎県 100 013 0 <出発地>
大分県 241 033 0
福岡県 398 312 0
山口県 097 033 0
広島県 079 031 0
岡山県 104 030 0
兵庫県 092 045 0
大阪府 040 010 1
和歌山県005 001 1
三重県 003 002 1
奈良県 004 001 9 <終着地>
>>558 地図だと分からんけど
糸島から吉野ケ里って山越え険しすぎて当時通れたとと思えないんだよなあ
九州にあった地方豪族の集落でしょ
多分二代目女酋長で弱体化して終わった
歴史学ほど無駄な学問はないよな。昔のこと知ったところで人の未来に何の役にも立たない。
>>549 だから歩測した本人が嘘を書いたのか、誰かが途中で捻じ曲げたのか
本人が測ってなかったわけではないと思うけどね
陸行一月が本当なら、帯方郡から狗耶韓国まで徒歩で移動するだろうよ
陸行一月は陳寿の勘違いよ
>>557 1か3の選択肢ってことだよな
ただ「制圧」じゃなく「緩やかな連合体に九州が入っていたかどうか」が正確だと思うけど
2だと邪馬台国は魏と通交できない、伊都国を駐在所にできないし
一番下の4はよく意味がわからないが傀儡が勝手に親魏倭王になる?
>>567 歴史を知らないとなぜ現状があるのか把握できないし、現状を見誤ると未来が厳しいものになる
>>568 昔のノウハウは大切だぞ
ロストテクノロジーとかな
有名どころの古代建造物のほとんどが現代の技術でも再現出来ないんだから
>>572 具体的に歴史を知ってて役立った例あるか?研究というより趣味的な同好会にすぎないだろ。こんなのに科研費使う理由無し。
>>564 陸路だと筑紫野経由だな
それだと朝倉の方が近くなるね
>>568 ウソが書けるなら、歩測自体、やる意味がない
日数から概算した目安にすぎない
男を臣下にし女性1000人近くが政権支配してたとかそれって外部から侵略してくれっていうようなもの
武力全くなかったんだろうヤマトに簡単に制圧された
地図は軍事上非常に大切、昔ならなおさらそう。
ヤマト側に秦の者がいるなら入れ知恵して、距離なんて虚偽隠蔽されてるよ。
>>570 本当の都は奈良だけど軍事上機密情報なので北九州が本部なんだよと折衝させたという説
これは邪馬台国九州説だと同じように長大な里程で魏使をごまかした説にもなるけど
>>574 たとえば、歴史を学んで尊王思想が広がり明治維新につながった
ヤマトは四道将軍遣わして統一しようとしてた時に呑気なことやってたな九州
なんで古事記 日本書紀 万葉集は九州から生まれなかったんだよ
>>581 全然のんびりじゃない
卑弥呼の前後で倭国大乱が起きてる
そのスキをついてじっくりと神武は畿内で勢力を拡大できたともいえる
>>584 じゃあ神武が偉大なだけで九州は偉大じゃないということだな
>>557 >そして当然そのような勢力があることを魏は知っている
ダウト
根拠がない
道路状況が今と同じにぐらいにしか考えられないのが畿内説派思考
昔は道路もないし重機もないしトンネルもないし獣も沢山いただろうし等々
>>585 もともと地域が偉大かどうかの話じゃないだろ
畿内説は地域のメンツにこだわってるようだけどな
>>581 履中天皇以前の非現実的な寿命を現実的な寿命として計算すると崇神は300年頃
>>436,438
>>565 縄文時代から普通に北九州から北陸東北は交易圏で人は行き来してるし漢の時代に九州の使者は洛陽まで行ってる
韓国と北九州の往来も頻繁で普通の活動圏
3世紀の古墳時代初期を旧石器時代時代かなんかと間違ってる?
>>585 日本初期の神武東征記を読むと大阪や奈良に敵対勢力がいたって話だ
当時は馬もいないからね。もちろん車やバイクなんてないですよ。このくらいは畿内説派程度でも理解は出来ますよね
>>563 そんなこと言ったらどこにも行けないけど
>>576 蛮族の島に渡るのに、逃走ルートもわからない状態とか、三国時代の武官がそんなにお気楽か?
神武は攻め込まれやすい九州にずっといることはできない
畿内に移動じゃと言って東征を開始した
もちろん、そこには平伏しない関西勢力の山口組とかがいた
でも、山口組をやっつけて関西に落ち着いた
3世紀の奈良は何も無い
古墳造営キャンプ場だ
倭種の国々(吉備、河内、東海)が共有していた空き地だ
①3世紀当時ヤマトという名称は存在しない
②倭種の国々は北部九州の邪馬台国(女王国)と事をよく知らない
倭種の国々の史書 → 日本書紀
③魏は邪馬台国を知っていたが、倭種の国々は知らない
古代倭国の史書 → 魏志倭人伝
漢字の読み書きを覚えた頃の後世は③の邪馬壹をヤマトと読み邪馬壹国の末裔であると自覚していた
中国に対し一度もヤマトとは名乗らず、日本と名乗り唐と歴史の擦り合わせを行なった(たぶん藤原氏)
唐に日本記(海外向け日本書紀)を渡し新唐書に記載してもらった
ヤマト朝廷だけでなく邪馬台国も近畿とかいうのが矛盾
邪馬台国と卑弥呼凄えな
1800年もの月日が経っても未だに日本人の心を捉えて離さない
>>409 畿内に引っ越して力つけた後に、九州時代から敵対関係にあった熊襲(南九州勢)を討伐したんじゃねーか、何も矛盾しねーし
大国主が国譲りした後にその子孫に入婿して国を取り返したのが神武
よって大和は大国主出雲の系譜
>>594 朝貢してる国への訪問だぞ
客としてもてなしただろうさ
たから道案内も食事も宿も確保してくれる
斯馬国や巳百支国から奴国まで列挙していてこれらが女王国を構成している国々だと書いているけど
そこに書かれている奴国は
伊都国から東南にある(実際にある方角は北東だけど)と書かれている福岡の奴国とは別の国?同じ国
>>600 突厥は「ヤマト」とも「倭」とも呼んでない。
抑、中国が出てこないw
>>607 基本的にはもてなすだろうさ
でも、倭国全土を治めてるわけでもないから、わざわざ制詔に親魏倭王にしてやるから、周りを落ち着かせて孝順させろ。と書いてるんだよ
何も起きないなんて、楽観的に考えるのは、流石に平和ボケ
>>611 無理矢理タブガチを中国にしてる。
だから辻褄合わない。付隋したんじゃないのか?
>>440 だから卑弥呼=天照大御神だろ
記紀にもイザナギが筑紫の国で天照大御神を産んだと書いてある
つまり北部九州に天照大御神、その孫のニニギを南九州に派遣、さらにその孫の神武が日向から畿内に引っ越し、その子孫が畿内で大勢力となって、改めて九州で敵対関係にあった熊襲を討伐する、記紀の伝承そのままじゃねーの
魏志倭人伝は、卑弥呼の周囲が顔に入れ墨していたって言うんだから縄文人だろ
もし卑弥呼が近畿なら、卑弥呼の時代から400年の間に弥生人によるクーデターがあったことになる
も卑弥呼が九州なら、卑弥呼の時代は分裂国家だったことになる
なので卑弥呼は大化の改新のときに日本史から抹消されてたが、
中国様が記録していたと
>>541 意味不明、呼子から見える
わざわざ、陸路がわからない。
>>615 倭人が入れ墨しているとは書いてるけど卑弥呼の周囲が入れ墨をしているとは書いていない
>>612 魏からの使いを襲って、どんなメリットがあるんだよ
それに、伊都国にとどまる限り、邪馬台国連合国以外からの侵入があれば、情報が入ってから逃げても間に合う
戦闘機もミサイルも飛んでは来ないからな
>>609 両方の説があるんじゃないの
不弥国や投馬国も女王国の構成国かどうだかわからない
対馬国や一支国や末盧国や伊都国は女王国の構成国ではないように読めるけど
卑弥呼=天照=キリスト
つまりキリストは実は女性だった説
>>616 呼子が見えるから呼子を目指すんだろ
あと、玄界灘は荒波だしな
ちゃんと後日舟まで再現し、実際に渡航して検証されてるルートだ
>>614 もし記紀に卑弥呼の伝承を盛り込んだとすれば天照大御神しかないね
>>614 > 記紀にもイザナギが筑紫の国で天照大御神を産んだと書いてある
そんなこと書いてるか?
イザナミイザナギ辺りの神話はギリシャやエジプトあたりを参考にして書いてる
>>460 合計1万2千里は邪馬台国までの距離ではなくて女王国までの距離だぞ
>>623 ヘェーッ そんな航海実験やってるんだな
>>627 その地域の人たちも渡来していた可能性は否定出来ない
中国の王朝も一時期トルキスタン系だったはず
>>623 呼子から何故、陸路なの?
そのまま、糸島へ行かないの?
ヘレニズムの影響受けてる
太陽信仰そのものは太古からあったし
>>628 いずれにしても、伊都国から残り1500里の範囲だ
>>618 そんなにガチガチの警護がついているのは、G7サミットと錯覚してるよ
藤原史観の日本書記
持統の都合で男神を女神に変えたんだよ
>>634 視察も兼ねてたんだろうさ
地勢なんかも記述してるしな
>>637 がちがちの警護なんていらんだろ
邪馬台国連合にしてみれば、自分たちの領内だ
>>641 数回行っていると思うが?
わざわざ、下賜品もあるのに?
>>628 これな
邪馬台国は投馬国から水行二十日・陸行一月の場所にあるとしか書かれてない
>>644 普通に考えて、邪馬台国のほうをシナに呼びつけるだろ
>>643 警護が無いから、身を守れる武官がやってくるんだよ?
安全の保証があると思ってるのが間違い、平和ボケ
卑弥呼の存在はどっちにしても万世一系を否定するものなので、
天智天皇が歴史から抹消したし、今の宮内庁もそれを受けて
卑弥呼の問題に口を閉ざす
>>648 なんで警護がないと言い切れるんだ?
ガチガチの警護はいらんが、普通に国賓としての警護はつくだろ
倭国大乱が収まったから訪ねてるのに、それでも怯えてたら被害妄想だな
魏志倭人伝はいろいろな資料を集めて陳寿がまとめているというのが味噌だな
どの部分を信用していいのかがわからない
>>639 どんな都合なん?
推古に皇極(斉明)と、前に既に女帝の実績はあるし
>>649 朝貢してる側と、される側じゃ立場が違う
>>625 嫁から逃げ帰ったあと、禊した場所が筑紫の日向と古事記に書いてるよ、そこで天照大御神、月読、素戔嗚尊が産まれる
>>652 それこそ平和ボケな考えだよ
武官を派遣する意味を考えてみたらいいよ
>>655 意味不明
下賜側を歩かすのか?
卑弥呼が求めただろー。
>>654 「継体持統」は四文字熟語で意味は「血統をよくぞ繋げてくれた」という尊崇の意を含んだ称賛だから
九州の継体系から持統は大和朝廷に嫁に行き大和朝廷が天皇家になったんだ。つまりアマテラスを女神に変えたのは持統から系統が変わったという話だ
>>647 放射説だと不弥国や投馬国の旅程を書く必要性がない
>>659 殿様が褒美を取らせるときは、城に呼ぶじゃないか
>>661 それは流石に説得力がなさすぎ
系譜が変わったから、女神に変える必要がどこにあるん?
>>658 武官がボディガードでついてきて、それがどうした?
邪馬台国の場所は変わらんよ
>>666 ボディーガード?
誰の?
どんどん話が無茶苦茶になってるよ
>>662 そして、1万2千里問題も解決する
なげ途中から下記ぶりが変わったのかの説明もつく
>>667 シナから邪馬台国側を呼びつけるときは家来に近い
なんでこの時代の書物が中国にはあるのに日本には無いのか
ここをはっきりさせた方がいい
>>1 神の手事件以来、遺跡や土器とか信用して良いものか と思ってしまう。
>>668 めちゃくちゃはお前
武官がどうした?
邪馬台国の場所と関係あるのか?
邪馬台がヤマトであるというのは中国側の認識
中国の資料を信じるなら奈良になる
>>670 意味不明?
交流を求めたのは卑弥呼。
礼儀知らずの国なのか?
お前らはもう少し吉野ヶ里の話をしろとw
風土記によると景行天皇が巡行するまでこの辺りには荒ぶる神がいたとかなんとか
>>675 貢ぎ物をして交流させてくださいと言ってきた
手紙を出したのか、それとも使いを品差し向けたのか、どっちだ?
>>661 後、継体、持統と名付けたのは、記紀の出た後の、淡海三船なので、時代背景も逆転してる
>>665 持統(女)から文武への皇位継承が天孫降臨
>>673 武官が歩測もしなかったという君の話に突っ込んでるだけだよ?
>>674 邪馬台の名前をヤマト政権が乗っ取ったからな
>>662 これが放射説の問題点だな
他にも放射説には問題点があったように思うけど忘れた
放射説は榎一雄が邪馬台国を無理やり九州内に収めるために作り出したもの
里数を調べた使者が伊都国までしか行ってないという榎一雄の説は奴国があまりにも近すぎるからもしかしたらそうかもしれないが
>>672 神の手は今も続いてるよ
畿内説という壺売り
>>681 歩測してたら百里や5百里なんてキリ数字は出てこないと教えたろ
で、武官がどうした?
相変わらず邪馬台国とか叫んでる人って
「倭人伝だけ」「独自解釈」
とかで語ってるから笑うなw
こんなもの学問でも説でも何でもない
ただのお前の妄想でしかないのにどやってんだからギャグだな
>>633 ハンガリー語を無理矢理漢字で書けばいいの?
>>688 数えてたかどうかだよ
君は数えてないと考えていて、俺は数えていると考える
少し落ち着け
>>684 郡からとかがおかしなこと
投馬国からどうやって伊都国へ行くのか?
邪馬台国からどうやって伊都国に行くのか?
>>674 学会という名の韓国式歴史捏造グループお疲れ
>>691 idő→移動??
時間
日本人が意味間違えて使って定着したとか?
>>693 で、歩測してなぜ百里刻みになるのか理由は考えたのか?
邪馬台国の会とかいう珍説を垂れ流してる集団の受け売りなんだろうな
>>620 いやいや名前の上がってる30カ国は争いなく女王国連合だよ
対海国一支国から末盧国に上陸して北から順番に邪馬台国まで詳細を記載
詳細の分からない名前だけ分かる遠絶20数カ国含め女王国連合
一番南に何故かもう一つ奴国がありそこが女王の境界尽きるところ、そのさらに南に狗奴国
投馬国や不弥国が女王国非構成なんてとても読めない
里数が明記されている箇所と日数になっている箇所は出典が別だとみていい
最初の里数表記で邪馬台国に至っていないことを考えると、北九州説は厳しいと思う
>>702 なぜ伊都国までしか行ってないと難しいんだ?
残り1500里だが
>>704 すると、邪馬台国には文字がなかったと考えるのが自然だな
>>698 どこかのだれかが、捏造する以外にないだろ
日本人の墓じゃないでしょ
日本に渡来してきた朝鮮人の墓
>>707 魏志倭人伝というのはシナが残した記録だろ
>>709 だから、捏造できるような記録なら、最初から歩測する意味もないよな
>>650 卑弥呼本人だけアマテラスでいーじゃんって神格化して土地はシカトした感じじゃね
北部九州は当時の交易や防衛の要なのに神話の人々の子孫扱いにしてない
神武天皇より古くから栄えて目の上のタンコブだった説
>>715 ないんだろ
邪馬台国からシナにも手紙なんて残ってない
>>713 使者が本当の距離を知る必要性は書いたろ?
その数値が使われてない事や、単里を否定してるんじゃないぞ?
そこには誰かの意図や都合があると考えればいい
>>718 伊都国から1500里だろうと100里だろうと畿内には届かない
始皇帝陵と比較すると恥ずかしくなるくらい、しょぼい墓
>>684 廣志曰 國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國
魏史はこの行間に後付で他の国を挿入したに過ぎない
伊都国の南は邪馬台国
アレの習性を知っていれば一目瞭然
半島系固有DNAの分布
邪馬台国時代の倭人は呉越の末裔と記されている
そして女王国の東の倭種の国の人は半島系と判明している
■邪馬台国は何処?
九州説:54.4%
近畿説:35.7%
その他:9.9%
>>723 領土の広さが違いすぎるし、持ってる権力も力の及ぶ範囲も違いすぎるからしゃーない
>>720 なんのために記録に残すんだよ
邪馬台国のおおよその場所だけでも後世に伝えるためだろ
意図的にデタラメ書いたら皇帝からクビを切られる
>>689 日本書記編纂は藤原だろ
つまり藤原史観の誕生
>>724 残ってないよな
邪馬台国から出した手紙なんて何ひとつ
>>728 自分がちゃんと無事に変えるために決まってるだろ
>>729 松浦から糸島までの、せいぜい3倍の距離なんだが
それも南にな
あのさ
世界史的にみると
邪馬台国って、大したことがない。
30の村国家を束ねた辺境の連合共同体組織。
敵対してた狗奴国の方がでかかったはずや。
馬鹿丸出しやな。
卑弥呼と宇佐神宮比売大神が同じだと思う
元々は男神のアマテラスではない
あっちから来た人が大和朝廷を大きくしたかもしれん。つか、倭人伝の邪馬台国とは関係がない
>>730 その藤原史観では、なぜ女神に変える必要があるの?
>>650 神武天皇は3世紀後半から4世紀の人物。
万世一系は否定されないよ。
>>733 なんで帰りには案内がつかないと思った?
>>734 意味不明
不彌国から
水行20日後10日だよ。
>>736 こんな墓で金印が出たら一発確定と言えるな
>>743 不弥国から、とは書いてない
トータル1万2千里も忘れてるぞ
>>735 というか日本全体で見ても弱小…
九州100国のうちの30余国が集まって作った連合に過ぎない
九州だけでも残り70国くらいは別の勢力なわけで
>>743 知能が足りないのか?
<魏志倭人伝>
中国側の認識と倭人が訪れた際の記録をもとに後世の陳寿が編纂したものです。
「里数」表記の行程は中国側に残っていた記録であり、
「日数」表記の行程は朝貢に来た倭人からの伝聞記録です。
それぞれ表現方法が違うだけであり帯方郡から北部九州までの道のりです。
久しぶりに訪れた倭人に女王国までの行程を確認したところ、
・帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
・更に南に10日進み北部九州=邪馬台国に上陸します
・上陸後、女王の都までは徒歩です
・合計三十日の道のりです。
行程と位置関係:
これを陳寿は誤解し、南に水行三十日,陸行一月と記した可能性があります。
その他の記述を見ると、
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国々があった。
・南に敵対する狗奴国があり卑弥呼時代に戦争が勃発した。
・後漢時代の倭は100国あったが女王国は30国である。(馬韓が50国なので割と小規模)
なお、女王国の西側の国については一切触れられていないことから、おのずと女王国は倭の西部に位置することがわかります。
タイムマシンが出来れば考古学の全ての謎が解明されると思う。
>>742 かならず無事だという前提が平和ボケだと言ってるんだけど
三国志研究の早稲田大学の渡辺先生の説だと、大月氏国(クシャーナ朝)と釣り合いを取るために邪馬台国の距離と戸数を陳寿が盛った説だよな
司馬懿の功績を曹真以上と言うために
短里はさすがにむちゃくちゃ
>>740 持統=天武の嫁で天智の娘
藤原と縁が深い天智は天武とは赤の他人だから
>>754 1万2千里と書いてるからな
帯方郡からとすると、ピッタリ一致する
>>737 文字通り名を奪われた神よね
「オマエは明日からアマテラスだよ!」
>>758 それが理由で男神を女神に変える必要がある?
>>756 帰りには案内つかないと考えるほうが平和ボケだな
万世一系でも先祖がしょぼい
孔子の子孫のほうが凄い
>>764 畿内には行けないな
距離的にも、方角的にも
魏に朝貢使者を出してたのは確かみたいやが。
三国志の編纂者の陳寿も癖の強い人。
四川出身で、もともとは魏に敵対した蜀に使えてた一族の人。蜀が滅ぼされて魏になり、魏から禅譲されたらしい晋の役人。
三国志は、晋が統一してから280年後に編纂されたとか。年代があわねー春秋2年制でもあわね-
ま、口伝伝承の資料をまとめたものらしい。
>>767 南に至れば水行30日充分いけるな。
行っていないけどね
>>736
「親魏倭王印」が出土すれば、ほぼ1発で決着かと ちゃんぺ >>746 女王国は郡より万二千里とする資料と
郡から不弥国に至るまでを書いた資料が同一とは限らない
というか別である可能性は高いと思う
そうすると引き算に意味はない
>>750 そうなんだよね
県一国みたいな国だよな
>>767 別に邪馬台国まで万二千餘里の記述はない
>>744 なんで大事な金印を墓に埋めると思うの?
>>768 学者はそうした背景や編纂環境に関する考察が物凄くお粗末だからな
必ず確率の低い妄想を混えて作文を書いてしまう
>>763 案内がいるから必ず無事だと思うのはどうなんだ?
邪馬台国がどこにあったかってのがナンセンスで
そもそも日本の歴史書では邪馬台国なんて出てこないんだよね
魏志倭人伝の場所の情報が不正確だったら
大国がどこにありそうかで推測するしかない
奴国も別に皇帝から金印貰ってるんだから
奴国と邪馬台国が同じ北九州にあるってのはおかしい
大和で卑弥呼がいなくなった後に覇権の戦いが起きて
それに勝ったのが初代天皇で仁徳陵も初代から3代目くらいまでに作られて
その後、大化の改新でクーデターが起きて
それまでの歴史を勝手に書き換えられた
ってのが真相なんじゃないかね?
ちなみに、陳寿自体が
倭国にきてるわけないので
伝聞か、資料をもとに編纂してるよね。
>>779 案内が付かないよりかはよっぽどマシだよな
>>16 小保方さんも考古学ならうまくやれたかもね
こういうのみて思うんだが
この辺全部掘り返したらなんか出てくるんじゃね
関西も掘りてえな
何だソウルから一万二千里を南に行けばそこが邪馬台国なのか
魏晋の一里は約400メートルだからソウルから南東に4800キロの海上
これでいいんじゃないの
陸行一月はよく分からないが
>>786 もちろん案内がある方が安全性は上がる
でも今よりは平和でも安全でもない時代なのは間違いない
つまりは自衛はちゃんとできる必要がある
>>796 案内がいないとメシにもありつけない
案内といるのが最も安全だな
>>784 滅ぼされた公孫氏の記録を元にしたツギハギだらけの記述
>>790 よいかも。
30邑国の連合小国やさかい。
大した意義はない。
ま、私的には八女の石人山古墳が
代々の日宮の巫女の墓やと思ってる。
歴史浪漫やなー
>>797 帯方郡から狗邪韓国・・・7000里(水行7日)
↓
狗邪韓国から対馬・・・1000里(水行1日)
↓
対馬から壱岐・・・1000里(水行1日)
↓
壱岐から末盧国・・・1000里(水行1日)
↓
末盧国から伊都国・・・500里(陸行5日)
>>798 行っていないから、出だしのみだよ。
行っていたら、間違えない。
細かく里数や戸数を確認してきた使者が、水行20日、10日、陸行一月、の移動中の集落を記載しないわけが無い
しかも女王国北部は詳細を確認出来たと書いてある
という事は投馬国も邪馬台国以北の一国という事だ
里を知らない倭人によるざっくりとした位置関係の説明を既存の情報に併記したまでよ
馬具が出て来てびっくり、畿内派、顔面蒼白事件。
有名な話だよねw
>>684 一番の問題点は伊都国を起点にした放射説を使っても有明海沿岸は伊都国から近すぎるということだよ
>>799 飯にありつけのは、そのとおりだと思うよ?
>>805 箸墓もモモソも4世紀の可能性大なんだから、馬具が出てきてもおかしくはないな
>>792 千尋のモデルはアマテラスなんて話もあったしね
宮崎駿に感謝や
「ヒメ」は高貴な女性に対する一般名詞だし(今でも
「ヤマト(ヤマタイ)」も元は山岳の拠点集落を指す一般名詞だよ
山の村で巫女が神祭りしてる
というのをシナ人がたいそーに書いただけ
間違えて大村湾に入ってないグルグル回ってたかも知んない
というか王というほど立派なものじゃないでしょ
村長レベルだろ
>>808 案内をおいて自分だけ逃げてもしかたないのに、歩測する意味がない
さらに、暴漢に襲われたら、歩測なんてそっちのけになるからますます意味がない
>>780 日本の歴史書は畿内ヤマトで天皇家を中心に書かれてる
そこに出てこないのなら、無関係だって意味だよ
傍流の部族集団
>>737 アマテラス男神説は中世の神仏習合期の産物だよ
古代には女神だよ
>>804 これを見ても九州説では投馬国が苦しいな
畿内説だと出雲か吉備で割とピタっと来るけど
まあ魏志倭人伝の矛盾を指摘し出すとキリが無いから畿内説にしろ九州説にしろ不毛だが
>>800 話は違うが、
古代中国で二字姓って、南匈奴系漢族やないような気がする。
倭人系かモンゴル系やないやろか?
>>811 トータルで1万2千里
女王国だとしても、その先にあるのは女王国の限界であって邪馬台国ではない
>>805 馬具って今回の話?
竹田が日本が古代に大陸の支配受けてないって根拠に
古墳に馬の装飾がないからって言ってたけどね
侵略されてるなら中国人や朝鮮人は馬の装飾を入れると
もともと日本に馬はいないらしい
>>815 方角と距離がわかってなければ、逃げる方向も、距離もわからない
グーグルマップのない時代では、生き延びるのに大事な情報
スマホなしに知らん山の中に置き去りにされて、距離と方角を知ってるのと知らないの、どっちがいい?
>>813 現在とだいぶ違うと思う
大村湾から抜けるコースもあるな。
南下して鹿児島、種子島とかあるけどね
狗奴国との関係で行けなかったから
聞いたのみだったかもしれん。
>>822 命からがら逃げ出したら、もうそこがどこか分からないし、どこまで測ったか有耶無耶
魏志倭人伝の記述で方角を間違えているのも謎なんだよな
一支国や伊都国や奴国の方角が時計とは逆回りに少しずつずれていっている
>>816 というか、600年と607年に遣隋使を出した年代が確実なアマノタリシヒコですら、日本書紀では推古天皇だしいったい誰なんだって有様だから卑弥呼なんて女王がいたというのも出鱈目かもね
>>812 秘め事をしてるからヒメやよ
当時のヒメは○○○○をしてる女性の事
>>825 方角がわかっていて、どのくらいの距離を移動したのかわかってれば、目的地までなんとかたどり着ける可能性は上がる
>>820 だれか邪馬台国と言った?
南の限界は奴国だよ
邪馬台国がどう大和政権になったんだろうな…
いや邪馬台は中国からの呼び方で元々ヤマトなのか?全然わからんけど…
>>829 そんな大事な方角なのに、一月も間違い続けるのかよ
>>819 公孫氏が倭人系…考えた事もなかったわ!
邪馬台国時代の石棺墓!? なら世紀の大発見であり幻の邪馬台国再びくる~
>>832 狗奴クヌー
なのかwwwwクヌートソン
>>830 伊都国までで残り1500里
どの方向に進もうと、その先は女王国の限界
>>833 何の話をしてるん?
もしかして畿内説の話と混ざってないか?
俺の書いてたこと、全然読んでない??
というか
三国志の元ネタは、漁師や船乗りからの伝聞だと推測される。
距離の正確性が担保されてるわけないやろw
>>837 方角は東南でOK
>>841 なんの根拠もなく歩測したと決めつけ、距離を改ざんしたことにしたいんだよな?
天照大神は男神であり、瀬織津姫は天照大神の妃(正室)であった(ホツマツタエ)。
外宮の渡会氏の書(鎌倉時代)によれば「荒祭宮は、瀬織津姫を祀る」とする。神道五部書は天照大神荒御魂の別名は瀬織津姫とする。
伊勢神宮では荒祭宮は正宮と同格として位置づけられている。荒祭宮では皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等である。祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行する。
記紀成立以前、男神天照大神と並祭されていた瀬織津姫を宮中祭祀から分離・抹消したのは持統だとされる
せやから邪馬台国は九州吉野ヶ里遺跡ってゆうたやろ
わいの勝ちや
>>833 行っていたら細かい方向は記述する。
出だしだけで後は官名、戸数の紹介のみ。
行ってもしょうがない国
やたら広範囲の邪馬台国
そもそも「畿内説」と「九州説」とか言う言い方が笑う
まるで両論が並んでるみたいな言い方
九州説なんて素人のバカかこの記事の人みたいな郷土と紐づいてるようなご当地学者しかいねぇよw
スレでいまだに「行程の俺解釈」を喚いてるやつ見てるとそらそうだろうとよくわかる
>>818 畿内説に固執してるからそう見えるんだよ
何度も頭を空っぽにしてからやり直せ
>>848 客とはいえ、国防上本丸には入れんだろ
一大率のある伊都国で丁重にもてなすのは自然なことだ
>>844 見るとかの記述はないし
東だな。東南500里ではない
>>835 最終氷期開けてしばらくは
東アジアに存在したのは
倭人系YDNA-D
クロマニヨン-モンゴルYDNA-Cが、
ほとんどやったはずやで
>>847 径百歩の墓はあったの?直径150メートル
>>843 卑弥呼も公孫氏の姫だという説もあるしなあ
天孫族=公孫族なのかw
公孫氏は今も日本で存続してる!!
>>821 前の話、邪馬台国の位置を特定したと大々的にマスコミに売り込み予算も注入、邪馬台国は畿内説派の芸能人まで登場。3ヶ月以内に倭人伝に記載されている何かしらが発掘されると強気の発言。
発掘されたのは、馬具と桃の種。
もう一度言うね、発掘されたのは馬具と桃の種。
>>849 それは学者馬鹿の時代の話
今はもう令和なんだよ
目的地がハッキリしない行程の距離って帰りに測るんじゃないかな
迷う事想定すると行きの距離は当てにならないし
現地の人に近道聞いて既に見た景色を目印に測りながら帰ったと思う
考古学なんか微塵も知らんが想像すると面白い
>>855 アホかw
公孫氏を滅ぼしたことを功績にしてる司馬懿がその一族に親魏倭王なんてやるかよ
そもそも卑弥呼とか他の使節も公孫氏に妨害されて使節がいけないと史書に描いてんだろ
珍説喚いてる奴ってまともな思考回路ゼロだな
そもそもが邪馬台国を畿内とか言ってる学者は日本だけで、世界的には九州だと断言されてますよ。
畿内は大和朝廷であり邪馬台国ではありません。
>>860 良いじゃん別にw
考えるのは自由だよ!
ネトウヨの歪んだ皇国史観を押し付けられるのは勘弁して欲しい
>>845 使者が本当の距離や方角も知らないってのが、おかしいと言ってるんだけど?
改ざんと言ってしまえば改ざんになると思うけど?
んで畿内説と九州説って一体いつになったら決着するんだ?
俺が産まれて物心付く前からずーーっと論争続いてるみたいだけど
双方自分の主張を曲げないから永遠に決着しない気すらするんだが
>>862 それは政権、邪馬台国の地を起点にしただけだよー。なんら卑弥呼の時代は力はない。後のこと
>>861 夕刻に日の沈む位置を確認して、翌朝陸路で出発、地図があるわけじゃないから2~30度ぐらいはズレる
さすがに90度以上はないだろうがな
オカルトの話してるって自覚して楽しんでるならともかく、歴史の話してると思いこんで珍説喚いてるから笑えるよなw
宇宙物理の話してるところにUFOとか叫んでる奴が自分が並んで語ってると思ってるレベル
バカすぎて笑いしか出ない
この手のスレってそういう奴を観察するのが楽しいな
九州→ 女王国30国連合「俺たちはヤマト国だ」
畿内→ 崇神の頃東西に四道将軍を派遣して伊勢東海、山陰北陸、河内吉備、近江関東を勢力圏にする
魏→ 「倭国から使者がきた、ヤマトと名乗っている奴らだ」「女王国の東に海を渡るとまた倭種の国がある」
↓
・景行仲哀の頃に畿内勢は九州侵攻して土蜘蛛を討伐して回った
・266年を最後に女王国の消息が途絶えた
・倭王武「先祖が西に66国平定した」
・倭人「日本はもと小国だったが倭の国を併合した」
歴史が変わる瞬間!?
6月5日は吉野ヶ里で何があるんですか?
>>864 あのあたりは海流あるんで
南に行きたきゃ
南西に進まないといけない
しかも、帆船だろうから
風によってはジグザグ航行やな。
>>818 個人的に宮崎の妻町を推したい
倭人伝に出てくる彌彌那利とか現地周辺の地名に耳川、美々津など近い名前が当てはまるかと
>>867 予測補正するだろうな。
進みながら確認はする。
>>864 目安程度ではあるが本当の距離だったんだろ
地図もなしにクネクネ歩くんだから多少の方角のズレはある
見通しのつく水路で90度以上もズレることはないけどな
>>860 そうして全く根拠のない話でもなく
晋書に
乃立女子為王名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見
という記述が有るんだよね
卑弥呼は公孫氏なり
>>874 邪馬台国がのちのヤマト政権の地だよ。
ヤマト政権との関係性は定かではない
>>860 司馬懿はそのころそんな権力ないし
物知らずは勉強しなおしな
>>881 地はない。大和朝廷は4世紀。
九州で決定は揺るがない。もう権威は堕ちたんですよ。
>>879 当然だよ。
唐津あたりで何里進んだ?
そこから見た糸島はどこの方角?
>>883 知らんがな。
しかし、司馬姓の子孫にはYDNA-Cが多いらしい。直系もYDNA-Cらしいで
>>881 頑張って300キロ歩いて金印を鹿の島に捨てにいきました
邪馬台国は本来九州
後に奈良へ遷都、初期大和王権誕生
九州から邪馬台国とは違う一派が奈良に侵入、奈良勢力を圧倒、大和王家に入り婿という形で入り、西日本占領支配
これでいいと思うけどね
認定されたら福岡死んじゃうかも
みんな佐賀に押し寄せる
佐賀卑弥呼Tシャツでも作るかな♪(´ε` )
>>885 地図がない状況で、出発地点から見て現在地である唐津がどの方向に位置してるのか正確に分かるかよ
水路のように直進するんじゃない
道沿いにクネクネ歩くんだぞ
倭=今で言う日本に近い地域のこと
倭国=卑弥呼を担いでいる諸国の集合体
卑弥呼の前は男がトップだった
女王国=倭国のこと
女の卑弥呼がトップだから女王国
邪馬台国=女王の都するところ
卑弥呼が政治を行ってたところ
>>886 司馬VS公孫
ファイっ!
あれ?どっちも倭人?
中国は何処へw
>>876 海岸線沿いに何歩歩いたとか、そこから草の茂ってる山の中を何歩歩いた
休憩のときに太陽の出てる方角を確認したら、東に歩いてるようだ
この程度のことは、測量器具がなくても武官なら当然わかる
邪馬台国は、30邑国連合の小国。
連合地域は県位の広さ
北部九州一部と島嶼部
こんなもんやろ。
6月5日 10時より 石蓋を開口
謎エリアで出まくりですね。下手したら丸っと歴史が変わるかもしれんよ。
畿内説派の学者は顔面蒼白状態でしょうね。
つぎつぎとバカが無知とバカ丸出しの妄想を
「これが真実だ」
とかレスし続けるから笑い過ぎて死にそうだwww
もっと笑わせてくれwww
>>891 邪馬台国は近畿だけど
卑弥呼が佐賀かな?
共立されたのは卑弥呼、
何故だか、遠方の邪馬台国が
中心国になるとか不思議なんだけど?
>>899 お前さんが一番の空っぽの馬鹿丸出しのレスしかしてないの気付こうぜ
アクロバットな推論重ねなくても残された資料を時系列に並べたら
勢力拡大した畿内が九州を飲み込んで邪馬台国は土蜘蛛として滅ぼされたとしかならん
>>896 東と東南ぐらいなら誤差は出る方法だよな
なんせ道が折れるなんて数メートルおきでも不思議じゃないし、太陽が見えなくなる場所もある
てか、伊都国までは確定済みなのに、東南じゃなく東だ!なんて意味がない
まして、見通しのよい海上で北東と南を間違えたとする奴がいうのはギャグでしかないで
あ、ごめん
バカにレスするつもりないけどこれは大爆笑だから書いていいかなw
>>877 なりじゃねぇよバカwwwww
漢文習っただろお前www
>>894 だーかーらー
最終氷期がおわり、タリム盆地あたりの環境が緩やかになった7000年くらいに西からクロマニヨン系YDNA-Nが東進。タリム盆地〜バイカル湖周辺にオアシス遊牧民文化圏を構築。
一部は、紅山文化圏に流入。
その後に、Nから分派した匈奴YDNA-Oが、東アジアに流入。その一部の南匈奴が西周に帰属したのが3700年前。漢中を所領として与えられたのが、確か2500年前。これが漢族の始まりやろ。
>>101 あんなもんマジで信じられる奴がいるとはw
>>905 多分それはまともな人間なら畿内派九州派同じなんだよな
北部九州が200年前後に畿内の勢力下にあれば、畿内説
北部九州が266年以降に畿内の勢力下になったなら九州説
次に起こるのはどれ?
1.棺内に金印が入ってる
2.邪馬台国連合の別の国と判明
3.卑弥呼のてしたがあらわれた!
4.スカ
日本の歴史は天皇の歴史であって、卑弥呼って天皇家となんの関係も無い時点で、わりとどうでもいい国
はい、次のバカの方どうぞー
漢文の也をバカ読みするレベルのバカを期待してるよ
>>902 女王国の都はない。
女王の都なんで霊場とか修験地だな
奈良、三重の丹産出で人口増加だろうな
>>906 怡土縣だけでなく松浦縣も場所がはっきりしてるけどな
その区間を歩くのに何歩必要か?
どんな道を通ったか?
そんなことぐらい記録を取ることはできる
学者馬鹿はビックリするほど文献を読めない
中国の史書なのに固定概念と日本的解釈でしか理解できないんだろうよ
簡単に言うとIQ低い連中だ
>>917 邪馬台国の場所次第でヤマト政権の統一時期、つまり日本建国時期が変わってくる
邪馬台国は、30の村が連合した、
小さな神聖連合国だと理解すればよろしい。
大業に考えるなや。
>>893 卑弥呼は邪馬台国の女王じゃなくて倭国の女王なんだよなあ
>>913 女王国は266年を最後に消息が途絶えた
一方畿内勢が何をしていたかというと九州を平定し海を渡って95国平定しやがて宋に使いを送って将軍にしてくれと言った
>>920 暗算でやるためには三角関数の知識が必要
当時は図解法で近いことをやってるが、そのためには経路図を作りながら進まなきゃならん
それぐらい、出発地点からみた到着地点の正確な方位を割り出すのは難しい
測量に来たわけじゃないのに、いちいちそんなことするかよ
>>923 伊都国まで支配してるのなら、そんなに滅ぼさなきゃならん国は残ってないだろ
>>916 雄略は、じゃなくて雄略の先祖たち代々で、じゃね?
>>920 地名と遺跡ぐらいだよ。
北東には行かない。
魏志倭人伝の記述道理
東南500里を重視。呼子のみで東南とか
ありえない。太陽が見える場所があると
確認しながら進む
>>480 > 箸墓の箸は土師からきてる
> 出雲の土木集団だよ
それは違う
倭迹迹日百襲姫命が箸が陰部に突き刺さって死んだので箸墓古墳
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/倭迹迹日百襲姫命
土師は埴輪と関係している埴輪は倭迹迹日百襲姫命の時代には無い
国と言ってるが、
当時の国って、国邑のことで、
漁村とか農村のこてやで。
「ぼくのかんがえたすごい行程」
とかまいどのありきたりでツマンナイ
もっとパンチの利いたバカを頼むよ
バカの皆さん
>>936 司馬懿が当時権力を持ってたと間違えてるバカが何かいってる(笑)
>>933 北東に2キロ、東に8キロ、南に7キロ、東に5キロ、北に4キロ、南東に2キロ進みました
さあ出発地から見て、到着地はどの方向にあるでしょう?
何が引っ掛かってるかといえば①東遷説話と② 奈良がヤマト名乗ってることだが
東遷は仮にあったとしても紀元前だろうからここでは無関係のエピソードとすればいい
もしかしたらその時に九州にあった地名が畿内にコピペされたのかもしれない
次に奈良がヤマトを名乗ってることだが
もしかしたら倭人はみんな「俺たちゃワコクだ」なんて微塵も思ってなくて
九州だろうが畿内だろうがみんな「俺たちゃヤマトだ」って思ってたのかもしれない
>>935 一万人だかの国が三国志時代の魏に使いを送ってまともに相手にされるか?と
赤壁の戦いだけで93万人だぞ
>>19 地震の話だったらリニアの方がやばいだろう
中央構造線ぶち抜くような巨大な地下工作物作るとか頭おかしい
龍脈とか風水とかそんなの気にしないとかならともかく
調布の都市高速の工事ですら大規模陥没事故とか起きてるのに
リニアとかまともな神経してたらあんなルートで作ろうとか神をも恐れぬ外道の発想
>>820 1万2千里は女王国の端までの距離
女王国の数十か国の中に邪馬台国も含まれるから
邪馬台国が1万2千里のさらに先に邪馬台国がある
>>943 末盧国からみた伊都国の方向を言ってるんだろ?
末盧国が出発地点だ
>>941 三韓と同じ扱いでしょ?
あと、240年の魏の国力は赤壁の頃の3分の1になってる。
>>935 当時の倭は青銅器主体に鉄器も入ってる時代
中国なら春秋戦国時代
ある程度まとまった領域をもつ国が成立してる時代だよー
>>949 末盧国からみた唐津の方向が、正確には分からんだろ
>>945 最後にトータルで1万2千里と書いてるのに、なんでその先にあるんだよ
>>58 畿内説は京大のねつ造学者と御用マスゴミが
意味不明な断定とねつ造しすぎて自爆してる
年代測定無視して無理やり卑弥呼の墓と主張する無関係の墓を
必死に卑弥呼の墓とかごり押しして墓穴掘ってるし
3世紀の倭が春秋戦国は言い過ぎか
周の初めくらい?
>>942 日本の皇室の歴史はBC660年の神武からとギネスブックに載ってるから
バカは口開けば開くほどバカをさらすから面白い
ほら、もっとバカなことを自信たっぷりに書き込んで笑わせてくれ
もうさっきから腹がよじれるくらい笑ってるwww
>>818 出雲や吉備だと博多から水行で行くには日数が足りない
>>941 いやその人数をマトモに信じるのもどうかと…
当時の補給能力の貧弱さから、そんな大軍は運用出来ない
>>948 蜀が南方に領土拡大する時にイケニエ風習を改めるために諸葛亮孔明が「饅頭」を発明するんだが
卑弥呼の墓ってイケニエあるよな
あの文化って殷の墓でも人形が代わりになってるんだが
そんな遅れた国が相手にされただけで驚き
漢字を日本にもたらしたのはいつなんだよ
中国留学した人が居たんやろ
>>958 サッパリわからない。
直接行かない理由もわからない
素直に東南500里到、吉野ヶ里近辺
でいいよ。
もう少し面白いこと書けよ
残り少ないんだから
ぼくちゃんのすごい行程は飽きたっての
301年は、干支でいうと辛酉(しんゆう/かのととり)の年です。
そして『日本書紀』が記す初代神武天皇の即位年も辛酉年です。この辛酉年は西暦になおすと紀元前660年にあたり、301年とは960年も離れているのですが、干支では一致
>>968 そうか、糸島市のものすごい行程は飽きたよ
>>967 だから地図もコンパスもないんだよ
東南なんて概測だ
誤差はあるし伊都国は確定してる
私が1番卑弥呼の記述で気になるのはやっぱ殉葬に関してだな
卑弥呼の墓周辺には殉死者の遺体が多数ある
>>954 帯方郡から女王国まで総計すると一万二千里と書いてあるよ
邪馬台国までとは書いてない
邪馬台国が女王国の範囲内のどの辺りにあったかによって邪馬台国までの里数は異なる
>>978 気にしてるのはチャイナ
と国内左翼歴史学者
日本人なら検証すべきは記紀
>>849 畿内説は文献からも遺跡からも同定できるものがまったく出てこない
>>976 女王国が連合国全体を指すなら、女王国の内側に邪馬台国はある
女王国が卑弥呼がいる国を指すなら、やっぱり女王国の内側に邪馬台国がある
>>973 誤測説をいうんなら距離が一番あやしい
沿岸沿いに行っても日本の沿岸地形は湾曲しているし
陸路でも山あり谷ありだ
距離を基準にあたりを着けてるのが一番間違いだろう
方角と日数は太陽の天測だけでも大凡は有っていると考えるべき
>>966 俺も勘違いしてたんやが
呉音→漢音と伝わったらしい
漢音は、隋唐代の音で6〜7世紀
呉音は、それ以前の蜀や東晋の中古代の中国語音ではないかと言われてる。
4〜6世紀かな。
あー終わりかぁ
結局漢文のバカ読みくらいしか新しいバカはいなかったな
いつも通りの確定くんと行程くんだけか
老人しかいないから同じことしか言わんなぁ
>>948 蜀が南方に領土拡大する時にイケニエ風習を改めるために諸葛亮孔明が「饅頭」を発明するんだが
卑弥呼の墓ってイケニエあるよな
あの文化って殷の墓でも人形が代わりになってるんだが
そんな遅れた国が相手にされただけで驚き
ちなみに南方ってゾウで戦いを挑んでくりエリアだぜ
なかなか南方
>>985 だから距離は1日に歩いた距離
でなきゃ百里刻みなんてざっくりした記述にならない
畿内説の馬鹿がトチ狂った書き込みしか出来ないのが哀れだなw
>>987 君のレスを追ってみた。
中見が、まるでない。
知識もない。
問題提示もない。
意味もない。
面白くもない。
がんばれよ
>>971 同時代の大陸では、墓に蔵書も副葬するよな。
未盗掘の高官の墓から、失われたと思われていた書籍がでてくることがある。
この佐賀の墓からも書籍がでたらすごいな。
期待しすぎか。
>>987 君のレスを追ってみた。
中見が、まるでない。
知識もない。
問題提示もない。
意味もない。
面白くもない。
がんばれよ
オモシロ畿内説まとめ
Q:奴国から南に向かって畿内に着くのは無理でしょう?
A:そんなん知らへん!!
Q:東の海の先に倭種の国があるそうですね?
A:知らんのや!!
Q:シナで見つからず、魏志倭人伝に記載がなく、実在しない年号が記された三角縁神獣鏡ってなんですか?
A:知りまへん!!
Q:畿内のどこに倭国大乱の跡があるのですか?
A:知りまへんのや!!
Q:纒向遺跡から大陸系遺物は出土しましたか?
A:知らんちゅうとんねん!!
Q:吉備国や出雲国を通らずどうやって畿内に入るのですか?
A:知らへんのや!!
Q:帯方郡から12000里だと畿内に届かないのでは?
A:知らへんゆうとるやろが!!
Q:本当に畿内に邪馬台国があったんですか?
A:あったで(ドヤッ
Q:ではその証拠は?
A:知らへん!!知らんがな!!知ったことかいな!!
卑弥呼が鏡におめこ映しながらオナニーする映画があったな
篠田正博監督やったかな
>>991 そう、だから全体的に記述より近い事はあっても遠い事はありえないね
>>984 帯方郡に近い方女王国の端は一万二千里地点にあるとわかるけど
遠い方の端はどこまでたかわからんだろ
もし遠い方の端に邪馬台国があったら距離は一万二千里よりもはるかに遠くになるだろ
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