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【考古学】弥生時代の土器に「クジラの絵」確認 国内で2例目 福岡・糸島 [ごまカンパチ★]->画像>24枚
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https://news.yahoo.co.jp/articles/3c1e9541139552a186be15def8c413f4cb37d22a 福岡県糸島市は25日、同市の遺跡から出土した弥生時代の土器にクジラとみられる絵が描かれているのが確認されたと発表した。
市によると、弥生時代のクジラの絵としては長崎県壱岐市で見つかった土器に描かれたものに続き国内で2例目。
市は「自然の恩恵への祈りを表現したものと考えられる」としている。
市によると、クジラとみられる絵は長さ8センチ、幅1・3センチ。
弥生時代の拠点集落とされる深江城崎遺跡(同市二丈深江)から2022年1月に出土したつぼ(高さ60センチ、幅40・4センチ)に描かれていた。
クジラの左右に計6本の線があり、もりが刺さる様子を表したとみられる。
糸島市内の別の遺跡や、最初に絵が見つかった壱岐市の遺跡では、クジラの骨などが見つかっており、弥生人が捕獲したクジラを食べていたことがうかがわれるという。
市の担当者は「クジラの回遊ルートである対馬海峡周辺の人々がクジラという自然の恩恵にあずかれるよう祈る気持ちを絵で表したのではないか」と話す。
絵画土器に詳しい福岡大人文学部の常松幹雄非常勤講師(考古学)は
「壱岐市の絵は尾の部分が欠落しており、全体が確認できたのは今回が初めてだ」と指摘。
「絵は海の神のシンボルとして描かれたとみられ、海への畏敬(いけい)の念と支配への思いがうかがわれる。
時代的、空間的な広がりを考える上でも、2例目が見つかった意味は大きい」と話している。
土器は26日~7月17日、伊都国歴史博物館(糸島市井原)で公開される。
六本の線が銛だとしたらクジラというよりイルカだな
おれには光って飛行するUFOに見える
調べたら現代でもクジラが座礁したり漂着多い場所なんだね糸島
でっかいクジラが座礁したらお祭りだったのかも
大阪の守口~枚方とか、埼玉の浦和でもクジラの骨が出るからな
あの辺は縄文~弥生は海だった
当時の糸島にあったとされる伊都国は海人族の国だったらしいからな
準構造船の部材なんかも出土している
ゴッドハンドのせいでなにか出てくるとゴッドハンドかな?と思ってしまう
大和民族はその頃からクジラを食べてバイオリンの弓を装飾したりする伝統があったからな 捕鯨は日本の文化だ
アベ某は史上稀に見る亡国の徒ではあったが、ただ一つ、IWC脱退だけは評価に値する事蹟だった。
ゲイカツ!
ゲイテキ!
竜田揚げ!
大和煮!
日本国復興は鯨肉から!
弥生人だってクジラくらい食うだろ
絵も書くだろ
土人かなんかと勘違いしてね?
馬鹿にし過ぎ
最初に見つかった絵の遺跡にクジラの骨も出てるって事だから、クジラの可能性はあるな
>>24 縄文時代にすでに弥生人の走りが少数いたのではとも言われる
稲作はいかにも人工的なものだよね ここから領地の概念もできた
縄文は自然の恵をそのまんま受ける文化
>>28 今もガタガタだよ
未だに邪馬台国が畿内にあったとか捏造してる連中の集まり
むしろ公然とやっているぶん今のほうが酷い
>>8 紀記で出てなかったかクジラ
奈良には邪馬台国はない
やはり北部九州
これはクジラじゃないな
100人に見せてクジラだなんて答えるやつ1人もいないだろ
>>30 貧乏な引きこもり独身はホエールウォッチングなんて経験ないんだろうが、海でクジラを見たとき小舟で戦ったら死ぬと直感する
弥生時代に日本人がドングリを拾って食ってる間、中国ではいわゆる三国志の時代
文明の差がここまであった
絵見たら全くクジラに見えなくてワロタ
魚と水流では?
ラスコーの壁画とかにくらべると古代日本人の描いた絵はしょぼすぎる
後に漫画大国なった割に長いこと立体美術の方が傑作が多いし絵心を発揮し出すのは結構遅くなってからのような
>>52 キトラ古墳とかの絵は中国のパクリとはいえ上手いから土器に絵を描くのは難しいんだよ
本当は4つも5つもあるのを国が隠してる
だけじゃないか
>>50 弥生時代にゾウリムシを発見してた日本人スゴイわ
スマホもないのにどうやって捕まえられたんだろう
宇宙人が手助けしたんだろうな
>>46 弥生は稲作してるやろ
それにでも三国志時代みたいな文明や利器はなかっただろうけどね~
だいたい、文字もなかったんやからな~
逆に、ここから、今のこれだけの文化文明になった日本が凄いわ
弥生時代から鯨漁があったかは知らんけど
あの絵は無理がないか..
弥生人は海渡ってきたんじゃろ?
そしたらクジラも見てんじゃない?
>>35 と、いうのは二昔前までの巷説。
三内丸山の衝撃はその縄文像を根底から破壊した。
>>1 これが鯨の絵か、でもこれ本当に鯨なの?
>>71 バッタじゃないの?
バッタ入れる用の土器
【岸田首相爆弾事件】容疑者とみられる男性、国葬実施を批判 - 4/18(火) 13:17
ps://2chb.net/r/newsplus/1681793282/
>>1 国葬やれやれ団はアベ系要するに高市萩生田スガ(河野小泉)や維新(公明れいわN国参政)や立民(鳩山カン蓮舫細野)国民(玉木前原)辺だろ狙う相手が間違ってる
南北アメリカやオーストラリアみたいな移民と混血だらけの国家になったら、こういう話も人ごとになってしまうんだろうな
>>77 そもそも列島人は種々雑多な遺伝集団の混淆物、正に「移民と混血」の産物なんだが。
>>1 これがクジラとか、5ちゃんねらーレベルのこじ付けじゃねーか
低IQやべー
たまたま丸になるような傷さえも古代の人が書いた壁画だ!これは月を意味する!とか言いそう
予備知識なくクジラ初めて見たらビックリしただろうなあ
>>21 最後が俺の記憶と違う
>>85 無識なチョッパリはクジラ漁が韓国起源である事も知らぬのか?
その証拠に4世紀中頃に造られた高句麗古墳の壁画
『手博図』にはクジラを捕る二人の男の姿が描かれている。
福岡か
全然時代が違うが黒田如水の書状に捕鯨を奨励するものがあったな
弥生時代からクジラを食していた証拠
よって反捕鯨で日本を叩くのは文化弾圧
日本人のアイデンティティを傷付ける行為
日本人はおかしな民族で
普段は温厚で大人しい農耕民族なのだが
いざ海に出て鯨を捕るとなったら肉食民族以上に凶暴で荒々しい性格に変わる
>>71 トビウオとかに見える、クジラには見えんけど
これは・・・明らかに土器でクジラを獲っていた証拠だな! (;・`ω・´)
どちらかというと普通の魚に見えるが
トビウオとかそういうの
>>78 そりゃ食えるものなら捕れたらなんでも捕ってただろ
ただ近海魚のほうがちょっと海に出たら手っ取り早く捕れるし効率から考えて日常食としてはそっちがメインだろ
あとの時代だと脚色入れて海の怪物みたいに描いたりすることもあるだろうけどこの時代ならクジラなら下手なりもっと見たまんまにクジラっぽく描くと思うんだよな
>>1 2023年04月24日
ごまカンパチ関連スレ
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http://2chb.net/r/newsplus/1682333211/ 【危険薬物】お酒の依存症、早く治療を 安価でアルコール度数が高い「ストロング系」に懸念 医師連携、アプリで支援 ★2 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682380096/ >>1 2023年04月24日
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http://2chb.net/r/newsplus/1682332045/ >>1 2023年04月23日
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http://2chb.net/r/newsplus/1682253761/ >>1 2023年04月23日
ごまカンパチ関連スレ
大麻
【薬物】医師「アルコールは大麻より依存性の強い薬物です」 「真面目で気配りができる人」こそアルコール依存症に陥りがちな理由 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682254393/ 【米大統領選】ラッパーのアフロマン、来年の米大統領選に無所属で出馬へ [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682254641/ >>1 2023年04月23日
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その他
【魚】「味も最高でした」 戸石ゆうこうシマアジ、長崎ペンギン水族館で生体展示 「さしみシティプロジェクト」との連動企画 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682254839/ >>1 ホルスの目だな。
古代日本のルーツは、イスラエルどころでなく、実はエジプトだった。
>>1 2023年04月27日
ごまカンパチ関連スレ
大麻(酒)
【酒】国道16号、アルコール影響下で逆走 バイクに衝突 危険運転致傷の疑い男逮捕 千葉・市原 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682521897/ その他
【考古学】弥生時代の土器に「クジラの絵」確認 国内で2例目 福岡・糸島 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682521609/ どんな言葉を話していたんだろうな
今のに日本語とどれくらい違うのか興味ある
あれ以来、日本で何か発見あっても「どうせまた捏造なんじゃね?」って思うようになって素直に感動出来なくなってしまったわ
クジラの骨が発掘されてるって情報ありきでこの絵をみたのならあるいは……
>クジラの左右に計6本の線があり、もりが刺さる様子を表したとみられる。
よくもりだけで狩れてたな
6本なら昆虫の脚と子供でも気付くのに
考古学者は銛とか言ってるのか
>>124 空に輝く彗星だったかもしれないじゃん
画力が低い故の万能感
>>123 オセアニアの方では未だに銛で鯨取ってる島があるな
>>71 おかしいな。なぜ顕微鏡が無い時代に鞭毛生物が観測されてるんだ?
>>80 だからそれ以前と以後では全く別の国だよ
今の日本人の特性は移民と混血の産物
故にそれ以前の出来事は全くの他人事
>>1 クジラの絵ごときに驚いてるのか
イエス=キリスト様は弥生時代のど真ん中に
お生まれになって 隣人愛を説かれ、
いまだに残る御言葉を残しておられるというのに
鯨は食べてた
コオロギは食べてなかった
わかるだろ
>>71 純粋なまなこで見ればわかる
鯨ですね!!
櫂6本の船でも良いだろ
>>1 もうクソジャップはクジラ食ってたのかwww
クソジャップの後進性として外国にご注進せねば・・・
いや
これだとクジラと断定できないだろw
マグロかもしれんぞ
>>65 倭人が大陸まで行き来出来たんだから文明触れたり持ち帰ったり出来たろうな
>>140 それは当の昔からわかっていた事実なんですが
縄文土器はあれだけの芸術性があるのに、弥生土器はこれ、ただの落書きじゃねぇか
超文明国ローマの陸続き上という立地で700年までウホウホだったドイツさんもいるしな
福岡人の認識では糸島は芸能人が挙って移住したがる日本人なら誰でも知ってる全国屈指の海のリゾート地
非科学的な呪術を用いていた文明だったんだよ縄文時代は
>>12 捕鯨しなくてもヤツらたまに
座礁してくるからなw
この時代、文明人にすら知られていなかった大陸もあるみたいだが(笑)
米という土人国と言うらしいww
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ps://2chb.net/r/newsplus/1682417593/
>>1 創価公明(アベ左翼:スパイ朝鮮)と中身が同じ大阪維新(れいわN国参政)と入れ替わっただけ。どうでもいいローカルニュース
>>161 クジラ漁自体は縄文時代からあったみたいよ
そういう縄文遺跡がある
当時、このあたりは異端の地域だったんだと思う。
その後、在地勢力に武力制圧されて滅んだっぽいけども。
因幡の白兎にワニ(サメ)が出てきて絵本だとワニの絵とサメの絵が描かれたものがあるんだが、日本にワニいたのか
マツロコクとか伊都コクの漁民は身体に刺青入れて海に潜って魚介類をとってた
まるっきり縄文人やなあ
縄文人の定義は知らんが、まるでチョンや部落民みたいに先住民族としての意識だけは高いんだよなあ
等間隔でもりを打ち込んだのを上空から俯瞰した絵なの?
律儀に尻尾の方まで等間隔
ないわ〜
フナムシか世紀の可能性を考えた方がいいのでは
クジラなんかつまらん
それよりマウンテンゴリラとかサーベルタイガーとかプテラノドンとかの絵はないのか
>>169 モリを打ち込むなら頭部だろうしな
それと尻尾の向きが横に開いてないからクジラというにはお粗末
初めてクジラ見た昔の人とかめちゃくちゃ驚いだろうな
象とかも驚いただろうな
きりんも驚くだろうけど
オバケは旨い
あと、鯨油と骨も欲しい
その他はペリカン国に売り付けようぜ(笑)
高い文明が南から伝わったということは絶対にあり得ない話なのさ
クジラを獲っていたのは邪馬台国の人たちだな
<魏志倭人伝には陳寿の誤解が多く含まれています。>
中国史書は先代の史書と当時の記録をもとに後世の文書屋が編纂したものです。
「里数」表記の行程は中国側に残っていた記録であり、
「日数」表記の行程は朝貢に来た倭人からの伝聞記録です。
それぞれ表現方法が違うだけであり帯方郡から北部九州までの道のりです。
卑弥呼の使者が魏に来たので改めて女王国までの行程を確認したところ倭人は次のよう答えた
・帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
・更に南に10日進み北部九州=邪馬台国に上陸します
・上陸後、女王の都までは徒歩です
・合計三十日の道のりです。
この朝貢記録を陳寿は誤解し、南に水行三十日,陸行一月と記した。
卑弥呼時代の倭国たち:
・女王国の東には海が有り、それを渡るとまた倭種の国々があった。
・南に敵対する狗奴国があり、卑弥呼時代に戦争が勃発した。
・後漢時代の倭は100国あったが女王国は30国である。(馬韓が50国なので割と小規模)
倭人伝において女王国の西側の国については一切触れられていないことから、
おのずと女王国は倭の西部に位置することがわかる。
<その他の文献記録>
・韓国は東西が海に面し、南は倭と接する4千里四方の国である(魏志韓伝)
・倭人が鉄をとりに半島まで来ていた(魏志韓伝)
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を表現していた(隋書)
・伊都国の又南、至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)
・日本書紀 崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
魏志倭人伝と同様に短い里が使用されている
洗脳に弱い人間を騙すのってこれだかヤメられん(笑)
オモロイワ
ケーケケケ
シナ人って馬鹿だから翡翠の玉爾に惑わされて国が滅んだらしいよ(笑)
もちろん翡翠は糸魚川産だろう
何時の時代も日本は最先端を進んでいたんだなあ
ロマンあるわ
>>168 縄文人は弥生時代の前に住んでた人らだよ
もう生きてないのに意識高いのか?
>>184 アイヌや琉球の人達なんじゃね?
あと薩摩隼人とかな
これを鯨と言い張るのか
やっぱり考古学って声のデカい奴が言ったもん勝ちの世界なんだな
アイヌはアウト
白頭山の大噴火が鎮まってから北海道に移住してきた新参やな
形質的に縄文人と似たところはあるが関係はない
縄文人がクジラを捕ってたかどうかは分からんが
たまに陸に打ち上げられるクジラやイルカなら見つけりゃ当然食ってただろ
>>192 そうなんだよね。
馬いないと記述あるが
壱岐や遠賀北部に小型馬の骨の出土がある。
要する見ていないだけの話
>>192 魏志じゃなくて後の史書にクジラらしき生き物が出てくるよ
>>184,185
無茶苦茶勘違いしてるみただけど
人種は同じで時代が違うだけだぞ
なるほどな
弥生時代に捕鯨そのものは行われていたかどうかは不明だったんだな
イルカ漁をしてた事は分かってるが鯨は分からなかったと
迷い込んだり打ち上げられた鯨を食べていた可能性はあるが、捕鯨となると技術的に困難だった可能性が高いと
だけど骨で作られた道具などや、こういう土器から捕鯨が行われていた可能性が論じられるようになったと
そう聞くと興味深い発見だな
いとしまし
ってなんか古文でありそう
親分てぇへんだぁみたいな
土器の絵も船と比較してデカいって判断だそうだ
なるほどな
そう考えるとそう見えてくる
作者「ごめん、あれクジラじゃなくてナメクジを書いたんだ。絵が下手でごめん。体の横の線に意味はない。ただの落書き」
>>205 エロ本学部やな
鹿児島大人文学部法経社会学科が最強やけどな
この頃からピシヤは悪いやつやったんやなあ
小人の国にバカにされてやんの(笑)
>>196 >>198 まっ、つまり邪馬台国は出雲から奈良にかけての連合国だね
北部九州の漢委奴国王に対抗したんだろう
こんなところに中華の属国たる邪馬台国の影響力が及ばない文明が開けていたと考えると胸熱だわな
もうそこからもうちょい南の有田遺跡までいくわ
中華の属国、邪馬台国に"統一"されていなかった珍しい地域だし
>>45 でも19世紀半ばに甲板に固定式の捕鯨砲が開発されるまで大型帆船に搭載された捕鯨ボートに乗って銛や捕鯨銃で捕鯨してたっていう歴史的事実があるんだぜ
もちろん乗組員は死ぬ覚悟だけど
紀元前1500年ぐらいにクレタ文明で作られたタコが描かれた壺がこれ
>>150 そのはず
古代漢王朝との繋がりを示すものはたいてい北部九州から出土しているし、鉄で武装できたのも北部九州
ところがさ、弥生末期の大国は畿内にあったとかぬかす説が主流なんだよ
>>242 倭国を平定して遣魏使を派遣して金印を授かってんのに、大国ではないと?
>>244 平定なんぞしちゃいねえよ。
戦乱に飽きた諸国のオ偉イサン連中に神輿として担ぎ上げられただけ。
ちょっと何かあったら
「ヒミコさぁん、あんたァ最初っからワシらの担いどる神輿やないのっ、ぉ!?神輿が独りで歩けるぅ云うんなら歩いてみなぃやっ、お゙お゙っ!!」(©松方弘樹)
という山守組内紛のようなことになる。
世に謂う『神祇なき戦い 邪馬台死闘篇』だ。
倭国を平定した天皇は朝鮮から渡来した朝鮮人だろwww
若八幡宮古墳と東大寺山古墳
那珂八幡古墳と箸墓古墳
繋がりありそうだね
【考古学】福岡・八女市に弥生後期の環濠集落跡 大規模集落の一角か 吉田・辺田ノ上... ★ 2023/03/30
>>1 そもそも徳川トクチョン家康が朝鮮人(元寇の後に日本に浸入して今の群馬埼玉辺に居付いた李氏朝鮮役人の日本乗っ取り係スパイ8世)だし、関東/東海も朝鮮顔多いよ。お前もだろ?
ps://i.imgur.com/yieh40Y.jpg
(※もっとも、数世代結婚詐欺やレイプ続ければY染色体を除きほぼ日本人由来だろうが)
敗北したくせにいつまでも被害者面してるのが朝鮮人の特徴
>>247 天孫降臨なんてその解釈が一番納得いくもんな
今の半島人と古代半島人とは人種が違うという議論は置いとくとして
>>251 負け犬のはずが大王に匹敵する規模の古墳を残してる意味が分からんわ
>>253 古代中国から来たと言われたほうがしっくりくる
>>254 神武東征の後、畿内ヤマトから九州に派遣された多氏の墓でしょ
勘違いして畿内ヤマトに反乱を起こした愚か者の墓である
>>46 そんな遅れた国に金印を渡すとか、魏も相当に馬鹿なんだな
謎の生物に見えるよ。
その頃は半透明のこれが、
空を漂ってたのかもしれないよ?
邪馬台国畿内説は半島式ウリナラ起源説でした
邪馬台国時代の倭人は呉越の末裔と記されている
そして女王国の東の倭種の国の人は半島系と判明している
■邪馬台国は何処?
九州説:54.4%
近畿説:35.7%
その他:9.9%
半島系固有DNAの分布図
>>244 倭国の平定などしてないぞ
共立された女王という立場なのだからどちらかと言えば小国
古代日本の人口分布
>>225 発掘中の遺跡って公開してないし、公開してても見学会に応募しないと見にいけないんよ
富雄丸山遺跡に見に行きたいけど、GWに見学会はやってないっぽい
>>263 最近何回か目にしたけど、残念ながらそのデータには※※※信憑性はないよ ※※※
その著者が遺跡数に係数を単純に掛け算して出しただけで
人口推計でも何でもない
本来の人口推計では遺跡の大きさと、遺跡と遺跡の間の距離を測って
どのくらいの規模で人間の生活範囲が広がっていたのかを計算しないといけないので
単純な掛け算、割り算にはならない
元に使っているのは文化庁 平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数のデータ
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/maizobunkazai.pdf これの1ページ目遺跡数に単純に【63】を掛け算しているだけ
福岡 3033 * 63 = 191079
佐賀 792 * 63 = 49896
長崎 407 * 63 = 25641
以下略
遺跡数 * 係数63 = 人口というお粗末な計算
人口推計は考古学ではなく統計学の分野のお仕事です
掛け算すりゃいいってもんじゃない
おそらく最初に結論ありきで人口の数を決めてから、係数を掛け算するようにしてそれっぽく作ってる
自説に信憑性を持たせるために作った数字で、つまりその人の説は基本捏造論と考えていいと思う
>>1 陸自ヘリ事故、新たに複数の人らしい姿を確認 ★ 4/14(金) 8:28
://2chb.net/r/newsplus/1681430021/
邪馬台国って秦氏(百済系)の渡来人が建設に係わっていたというイメージ
ロリコン臭がするし、周防灘近辺じゃねえの?
そんなものを誇るのはこのあたりの人間だろ
博多湾沿岸は邪馬台国の時代よりも更に遡る、板付遺跡、有田遺跡が存在する。
これだけで十分だ。
考古学って捏造とか実は現代人のイタズラだったとか無いのかね?
>>271 >>263みたいに自説の為に数字を捏造する輩はごまんといるから
書いてる内容は真偽をちゃんと見抜く目が必要
説を組み立てる作業が足りてなくて突っ込みが入るのは仕方がない事だけど
数字を捏造するのは明らかに悪質
そこで鍵となるのは、財務とか電波だろうなあ(笑)
ケーケケケ
クレイ、クレイ、グレイ♪
クレー射撃してこよっと🤗
>>244 北部九州の、漢委奴国王は
107年に生口160人を献じ、「安帝」に謁見した
一方、邪馬台国は
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈を魏に朝貢
266年 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹を西晋に朝貢
ユダねるヤツと読めるから面白い
魏?そんなのに価値はねーわ(笑)
なんで弥生人が上空からの視点で鯨を描けるん?
まさか日本には当時からヘリコプターがあったのか…
>>279 なんか話が混ざってるよ
後漢から漢委奴国王の金員をもらったのは57年だし「光武帝」からの事
建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫
倭國之極南界也
光武賜以印綬
安帝に会いに行ったのは倭國王帥升で印綬を受けたかどうかは書かれてない
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
ついでに倭奴国は倭國之極南界也とある
頭の良い人達は"そのまんま"を名乗ったり、信じたりして拗らせちゃうんだよなあ(笑)
>>269 秦氏とか、全く時期が違うわ
応神天皇は370年程度の人間なので
邪馬台国は、後漢書東夷伝にある倭奴国・倭国帥升などの系列で、このときすでに韓国まで領土を広げていたわけだから大国ではある
ヤマト王権は全く別の畿内勢力
>>286 邪馬台国って女王の領域云々で30国くらいしか治めてるか治めてないかじゃない?
それでもそれなりの規模だろうけど大国ってイメージはないな
>>286 魏志倭人伝によると
「女王国の東に海があり、それを渡り千余里行くとまた倭種の国々がある」
と記載されている
女王国が北部九州で倭種の国が畿内ヤマトだと思われる
それが後世の史書になると東には山がありその向こうは毛人(縄文人)の領域と書いてある
これは関東以西の畿内ヤマト時代だと思われる
卑弥呼は共立された女王ってだけなので
その時点で邪馬台国は大国ではないことが分かるわな
>>286 もっと南東の、狂犬病を患った勢力が畿内ヤマト王権成立に大きく係わっていると思うわ
あの"暴れ"かたは尋常じゃないしな(笑)
実際、伏見稲荷とか畿内はそういうのを信仰してる人達が多くいる
実際、その影響で半島に一時的に避難し、戻ってきた勢力が再び倭国を平定したというのが有力だと思う
まだ質問はありますか?
このようなことは、今さら議論しなくても世界の知識人は誰でも知っています。
認めるところはきちんと認めましょうね。
>>292 そんなこと書いてあったっけ?
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
倭國王帥升って書いてあるけど、漢委奴国王とか書いてないよ?
どこソースなの?
海外だとこれがほぼ同年代な
中国の正史によるとまず
57年に倭奴国が後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜る
このときの印綬「漢委奴国王印」が出土していることから、この倭奴国は九州北部であることは確かだ
その後、何代目かの九州北部の倭奴国の漢委奴国王が
107年に生口160人を献じ、「安帝」に謁見した
そして後漢は西暦184年の黄巾の乱を経て衰退し
57年から代々「漢委奴国王」となっていた九州の倭奴国は、韓とともに、公孫氏が設けた帯方郡に属することになる
そしてその公孫氏は、魏に反旗を翻して独立を宣言し
韓と倭を掌握して玉璽を与え挙兵するが
公孫氏は、後に晋の皇帝となる司馬氏によって滅亡させられ
公孫氏から玉璽を与えられていた韓も、その後、司馬氏によって滅亡させられる
九州の倭奴国には、対馬ー壱岐の島伝いに、朝鮮半島から大量の【遺民・遺臣】避難してきて
57年から代々「漢委奴国王」となっていた九州の倭奴国は、司馬氏の追撃を警戒して、対馬ー壱岐の航路を封鎖し、なかば立て籠るように暮らすこととなり
魏の皇帝「曹叡(明帝)」とその軍事トップの司馬懿にとっては、北部九州の「漢委奴国王」の倭奴國は、いつまた反魏の温床になるかわからない注意するべき倭國【狗奴国】となった
238年に魏の皇帝「曹叡(明帝)」から印綬を賜った
邪馬台国の親魏倭王
初代は「卑弥呼」
二代目は「壱与」
しかし
265年 司馬炎が曹奐から禅譲を受け晋を建国し魏は滅亡しちゃったから
三代目はいない
>>164 元の話はマレーシア辺りらしいよ
ただこれは、その話を例えに語った出雲の建国史
大陸との交易路をワニ=倭人(九州人)に抑えられてた時代に、白兎=新羅を助け新たな交易路の開拓を行った出雲発展の歴史だ
しかし鯨ほどの巨大な生き物を狩るだけの人数や技術があったのかね
速く泳げて深く潜る巨大な海洋生物を捕まえるのって手漕ぎボートレベルの村落集団で出来る物なのかな
従来説の打ち上げられたり迷い込んだ鯨を捕まえてたと言う方が自然だと思うが
この絵もイルカ漁なんじゃないかね
太古の昔から真の意味で・文化としての鯨民族
日本しか攻撃しないうさんくせえガイジンの反捕鯨厨に一切文句言わすな
白ウサギって近親相姦してた人達の例えなんだが。
変な胎児になってたから北部九州を経由して出雲に到着したスサノオにが退治したという。
>>301 イルカも鯨つか、4m以下の体長はみんなイルカって話聞いたことあるが
原始的な鯨漁ならヴィンランドサガで読んだな
あれくらいなら弥生時代でもできそうな予感
新羅と出雲が繋がっていたのは認めるわ
やつらは高句麗や唐と結託して倭国百済同盟国を裏切るんだよなあ
>>296 中国の正史によると印綬を受けた倭奴国は倭国の南端にあったと書かれている
倭國之極南界也
そして次に朝貢したのは倭奴国ではなく倭國王の帥升
倭奴国が続いていたかどうかについては何も記されていない
倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
以降は何もソースがないんでどうにも判断に困る
玉璽とかまで話が飛躍しているのが何ソースなのか意味が分からん
というか、公孫氏の独立(というか離脱)から滅亡まではわずか一年も時間がない
そんなにわざわざ戦争以外に時間も取れないし
帯方郡も238年の春には魏に奪還されてる
倭奴国はどこにあったのか?
・金印の出た志賀島周辺で間違いないのか?
・倭国の南端ではないので倭奴国は倭国の南端にあり金印を保管した場所が違うのか?理由は?
・倭奴国の中心が志賀島周辺に移動したのか?
考えられるケースはいくつもある
説として構築するにももう少し当時の中国の歴史の推移とかと照らし合わせて
無理のないようにするべき
>>304 世界でも日本でも確実と言えるのは10世紀くらいからだね
イルカ漁については確実な物証があるから縄文時代からやってるみたいだけど鯨となると怪しいな
追い込むのも倒すのも引っ張っていくのも手漕ぎボートレベルで出来ると思えないし
イルカ漁の絵か、弱った鯨の回収か、はたまたただのゾウリムシかなんかの絵か
中国史の研究では
字の用例から倭奴国は倭国を貶めてる言い方で(匈奴と同じ)
漢委奴国も同じく倭奴国=倭国
極南界にありは倭国と倭奴国が別物だと思いこんで追加された文言だから
証拠にはならない
とはいえ結果的に金印もらった倭奴国=倭国の王はのちの奴国の王だったかもしれんけど
この時代から飛躍的に文明が進化したんだよなあ
ロマンを感じる
古事記や日本書紀に鯨の記述があると言うがそりゃまあ知ってるだけなら骨とか沢山あるから利用はしてただろうけど
漁をして捕まえてたかと言うと別問題だよな
仲哀天皇の時に敦賀で大量の鯨が打ち上げられてたと言う記事あし
そういう例での話じゃないかなと思う
黙っておけばいいのに
またシーシェパードに狙われるぞ
クジラ漁をやってなかったとなるとこの絵の意味が変わって来るよな
①イルカ漁の絵
②想像の鯨漁を描いた呪術的?な祈りの絵
③実はただのゲジゲジとかの無関係の絵
実際にクジラ漁が無いなら意味合いが変化する
>>316 今回の深江城崎遺跡だけでなく、同じ糸島にある縄文時代の桑原遺跡では
クジラの骨が出土しているし、同じく日本全国広い範囲の縄文遺跡からもクジラの骨を加工した道具なんかも出土してる
いつの時代からなのかはハッキリしないにしてもそうそう打ち上げられたクジラです!というには
クジラの痕跡が多くあるので、おそらく縄文時代には捕鯨は始まっていなのではないかと思う
一応今の日本史でも縄文時代から捕鯨が始まっていたというのは通説だしね
骨の出土は必ずしも捕鯨の証拠にはならないからね
それこそ打ち上げられた鯨でいいし、クジラの大きさ考えれば大量に見つかるのも道理
逆にイルカはモリを打ち込んだ骨とか漁の証拠がある
可能性としては残るけどクジラ漁をしてたというだけの話は早計だと思う
>>317 和弓は飛距離は出ないが、重い矢を飛ばせ、貫通性に優れる
上長下短の形状も水面に浸からぬ為の工夫ととれるし
元々はクジラを仕留める銛を撃ち込む為のものだったのではないかと妄想してみる
>>318 貝塚に捨てられてるケースもあるので、食ってたことは間違いないよ
そのうちもっと出土したら銛の跡の付いたクジラの骨とか出てくるかもね
>>311 イルカとクジラは大きさの差でしかないのだから
どちらでも良くない?
>>319 弓を使ったクジラ漁は現在では否定されてるそうだ
そういう説が福本っていう人から出されてたけど実証するだけの物が出てない
モリを投げつけて網で捕らえるってスタイルだそうで
ローマ人がミロのヴィーナスを作ってた頃に、日本人はこんなゲジゲジみたいな絵を描いて喜んでたのか
文化レベルの差がえげつないな
>>320 まぁ利用は間違いないよね
漁についてはこういう土器もあるしなんらかの結果が待たれるところ
クジラを捕らえるとなるとかなり大がかりな動員力と技術が無いといけないから歴史観変わるかも
>>321 その大きさが問題なんでしょw
デカくて早い海洋生物となると古代の手漕ぎボートで捕まえるのはそれだけで至難だと思う
つか浮いてる奴を引っ張り込むだけで難事業じゃないかね
アイヌはトリカブトの毒を盛りに仕込んで捕まえてたらしいけどそんな肉食って大丈夫かw
>>326 > クジラを捕らえるとなるとかなり大がかりな動員力と技術が無いといけないから歴史観変わるかも
とはいっても、現代の捕鯨が巨大なだけでその前の時代はあんまり変わらんのよね
江戸時代は銛+網でしとめるスタイル
鎌倉・室町あたりまでは銛で突くスタイルで捕鯨してたわけだし
>>312 翰苑とか通典のような別の史書では帥升は倭奴国でも倭国はなく
倭面土国や倭面上国、倭面国の王と書かれてるけどね
倭奴国が倭国ってのもソースもない厳しい説だと思うよ
>>334 「邪馬台国」はなかった
は、結局邪馬壱国だろって本だったけど、余りに無理やりなこじつけで、月間ムーを見てる感覚だった
フィクションとしては面白いが、うーんって感想
宮崎の弥生の絵画土器は飛ぶ鳥、龍、鹿、魚、草や月らしい
稲作や村なんてきっとやりたくなかった
【基礎知識1】
参考:
【基礎知識1】
・倭人伝は中国の史書なので、倭国の地名も倭人の発音に合わせて中国漢字で表記されています
・魏志倭人伝に書いてあるのは邪馬「壹(壱)」国であり、魏の公用語であった呉語(上海語)で読むと「シャマイ」国となる
・以降の史書に出てくる「邪馬臺」や「邪摩堆」は語尾が「タイorダー」であり「ト」と発音する文字は使われていない
※トと発音する場合は「都」という文字が使われている→伊都国(イトコク)
・後世のヤマトは識字能力が低かったのか、邪馬壹=ヤマトと読んでいたが、新井白石と本居宣長がこの誤読に気付き、邪馬台国論争が始まった
・「大和」は、魏志倭人伝では女王国で市場の監視役として使われていた「大倭」と記載されている
※魏志倭人伝より『国国有市 交易有無 使大倭監之』
>>324 ミロのビーナスを作ったのはローマ人じゃねーし
同時期のゲルマン人なんて家畜と同じ小屋に棲んでるレベルだし
>>337 北方にあった魏でなんで南方の呉の発音???
>>339 言語変わってるのよ
この後の五胡十六国時代にね
>>340 いやそういうことじゃなくて、魏と呉の位置関係が離れてるのに
なんで呉音だって話になってるのさ?
五胡十六国時代に移り変わったのは周代~後漢頃の発音の上古語から
中古語への切り替わりのタイミング
三国時代はまさにこの発音の移り変わりの以降時期なので
実際にどっちの発音が使われていたのかハッキリしてない
邪馬臺は上古語だと/*s?.?A m?ra? l??/となり
中古語だと/*lja? mra?? d??/となる
(と中国の偉い言語学者の先生は古語解析で推測してる)
ルールが無かった縄文人に、文明を授けたという委奴国王。
知恵の実を授けた悪魔といわれがちだが、本当は良い人達なのである。
>>342 ルールもなく人間が集団生活をできるわけもないし、祭祀を行うこともできない
単に文献記録が残ってないってだけで、人間の集落には必ず一定のルールはあったはずだよ
ほんとに情けない。
事実から目を反らさず、少しは現実を見たら如何です?
どこぞの国とは違うんですから、そんなことは簡単なはずですよ。
>>1 2023年04月28日
ごまカンパチ関連スレ
大麻(酒)
バールで3回殴り、包丁で50歳息子を刺し殺した79歳父の悲しすぎる「裁判」 自宅で暴れるアルコール依存症の息子に追い詰められていた [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682681246/ 【先進国】期日前投票日と選挙日に合わせてアルコール飲料販売禁止 違反者には厳しい罰則 タイ [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682681555/ >>1 2023年04月28日
ごまカンパチ関連スレ
その他
【米国】米富豪ピーター・ティールが共和党への支援撤回、トランプに不満 ペイパル共同創業者 [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682681884/ 【米国】ペンス前副大統領、連邦大陪審で約7時間にわたる宣誓証言 トランプ氏が大統領選の敗北を覆すため違法行為をした疑惑を巡り [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682682956/ >>1 2023年04月28日
ごまカンパチ関連スレ
その他
【医学】ガンの中にすむ細菌、癌細胞を助ける仕組みで新たな発見、免疫からガンを守る働きも [ごまカンパチ★]
http://2chb.net/r/newsplus/1682683464/ >>46 弥生時代って農耕が始まったところから弥生時代なんだけどww
発掘やらで弥生時代初期の年代がどんどんさかのぼってるらしい
>>354 今の弥生の定義は農耕ではなく水耕稲作だよ
君たちは鬼道の入り口にすら入っていない
まだまだだね
>>356 鬼道とは正道の対義語
魏から見て正道とは儒教
それ以外は実は全部鬼道扱いになる
ただし同時代には鬼道教団と固有名詞で呼ばれる存在あった
それが五斗米道
曹操が漢中から北へ追放した連中
いやいや、正道ですよ。
蛮族共が争い、無駄な力や時間、カネを消費すればするほど、我々はその分を吸収することができる。
ケーケケケ
>>343 あれも諸説ある
百済語でクチは鷹
つまりクチらという事で鷹が掛かったと言う話もある
歌的に鴫じゃなくてクジラが掛かった!というシャレの利いた物ともいえるし、鴫じゃなくて鷹が掛かったと言う至極真っ当な歌ともとれる
どのみちこの歌で「クジラを罠で取っていた」と言う話にはすぐにならない
クジラの存在は周知で、この歌そのものがシャレだから事実をそのまま歌ったとは言い難い
>>341 華北華南で発音が異なるようになったのはこの時期でしょ
華北は北方遊牧民の侵攻の影響を受けて発音が変化した
一方の華南は漢民族の避難先となり、当時の発音がそのまま残った
呉音そのままではないにせよ、南方の発音ベースで考えるのはそんなに変な事ではないのでない?
何万年も前から食べてきたのに
なぜ食べるのをやめなければいけなかったんですか?
>>365 犬食と似たようなもんなんじゃね
俺は日本人はおおいに捕鯨鯨食すべしと思っているけども
日本は伽耶との繋がりが強い
そして伽耶はインドから影響を受けてた
インドの航海技術は古代から発展してたから極東にもかなり来ていたんだろう
>>363 それを何故北にある魏に当てはめられると思ったん?
>>367 狩猟採集生活といえば弥生ではなく縄文
とはいえ、縄文末期には大きな実のなる栗の木を厳選して育てるくらいには進化してる
倭人のルーツはアッサム辺りだと言われている
遺伝子的にもチベットに近い
>>372 日本人のDNA解析のプロジェクトとかの成果をみたことない?
ルーツが一種類なんてことはなく、いろんなルーツの人類が日本列島に定着して土着したのが日本人
>>308 建武中元二年(57)、倭の奴国が貢を奉り朝賀した。使者は自ら大夫と称した。倭国の最南端にある。光武帝は印綬を賜った。
それ以降、後漢にとって「倭国王」は漢委奴国王
縄文時代は充分に長かったのに、なんで文明が築けなかったのだろう。
こういうのって素人がみるとただの落書きだけど研究の積み重ねでちゃんとクジラの絵だと分かるんだよな
面白いな
>>327 正始八年(247)、(弓遵の戦死を受けて)王頎が帯方郡太守に着任した。
倭女王の卑弥呼は狗奴国の男王、卑弥弓呼素と和せず、倭の載斯烏越等を帯方郡に派遣して、互いに攻撃しあっている状態であることを説明した。
(王頎は)塞曹掾史の張政等を派遣した。
それにより詔書、黄幢をもたらして難升米に授け、檄文をつくり、これを告げて諭した。
卑弥呼は死に、冢を大きく作った。直径は百余歩。徇葬者は奴婢、百余人である。
新たに男王を立てたが、国中が不服で互いに殺しあった。当時千余人が殺された。また、卑弥呼の宗女、壱与(イヨ)、年十三、を立てて王と為し、国中が遂に治まった。張政たちは檄をもって壱与に教え諭した。
つまり、卑弥呼が病に倒れたのに乗じて、元々仲が悪かった狗奴国の男王が邪馬台国に攻め入り、
おまえらなにケンカしてんだよ、仲良くしろゴルァと、帯方郡太守の王頎が仲裁に入った
結局卑弥呼が死んでしまい、帯方郡から派遣されていた張政等は狗奴国の男王を新たに親魏倭王に立てたけど、邪馬台国諸国は納得できずに抵抗しまくり
帯方郡から派遣されていた張政等は、狗奴国の男王を親魏倭王にすることを諦め、卑弥呼の宗女、壱与(イヨ)、年十三、を立てて王と為し、国中が遂に治まった。張政たちは檄をもって壱与に教え諭した
そして泰始元年(265)
壱与は倭の大夫で率善中郎将の掖邪拘等二十人を派遣して、張政等が帯方郡帰るのを送らせるとともに、
晋の都の洛陽の中央官庁に参上し、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、模様の異なるいろいろな錦二十匹を貢いだ
帯方郡から派遣されていた張政等は、卑弥呼の死後、なぜ狗奴国の男王を新たに親魏倭王に立てようとしたのか
それは
狗奴国は、北部九州の嘗ての倭奴國で
男王は、卑弥呼が親魏倭王になるまで漢委奴国王だったから
>>369 御免
言ってる意味が判らない
漢の時代、洛陽と建業で言葉が違ってたって意味?
>>374 日本人と中国の史書に出てくる倭人はイコールではない
この場合の倭人は稲作を日本にもたらした狭義の意味での倭族でしょ
>>71 マジでこれどう言うロジックで鯨言ってんのか知りたい
帯方郡から派遣されていた張政等は、卑弥呼の死後、なぜ狗奴国の男王を新たに親魏倭王に立てようとしたのか
それは
狗奴国は、北部九州の嘗ての倭奴國で
男王は、卑弥呼が親魏倭王になるまで漢委奴国王だったから
ならば
帯方郡から派遣されていた張政等は、卑弥呼の死後、
新たに親魏倭王に立てようとした
狗奴国・・北部九州の嘗ての倭奴國
男王・・卑弥呼が親魏倭王になるまで漢委奴国王
とは誰なのか
それは『新唐書』「日本伝」に書かれている
日本は古の倭奴国である
その国王が自ら言うには、
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊を尊称として、九州の筑紫城に存在していた。
>>269 秦氏って秦の始皇帝の子孫を称してたから秦という姓になったとかいう氏族じゃなかったっけ?
むろん自称のフカシだった可能性もあるけど大陸系だった可能性もあるのでは
来るのには百済通ったかもしれないが
分かっちゃったわオレ
これベルヌーイの定理の説明してるんだわ
>>386 ・遺跡から出てくる骨などのクジラの痕跡
・他の遺跡からも同様の骨と絵の共伴関係がある
・他の漁や魚の絵、ともに描かれる船などと比較して格段に大きい
などの他の出土物との比較検討によってクジラではないかと言う説になるようだ
何にも知らない俺達素人が一見すると分からない情報の蓄積が背景にあると思うと面白いな
>>376 > それ以降、後漢にとって「倭国王」は漢委奴国王
一々根拠がない
せめてどこかの文献に書いてあるとかソースも添えたら?
なければそれは君の根拠のない自説でしかない
>>402 魏にとって倭国王は「親魏倭王」
親魏倭王は
初代は邪馬台国の「卑弥呼」
2代目は狗奴国の「男王」
3代目は邪馬台国の「壱与」
『新唐書』「日本伝」に書かれている
日本は古の倭奴国である
その国王(ということは「漢委奴国王」)が自ら言うには、
初代の国王(漢委奴国王)は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊を尊称として、九州の筑紫城に存在していた(古の倭奴国は九州の筑紫城)
つまり
後漢から、倭国王として金印を授かった
古の倭奴国は九州の筑紫城
その国王「漢委奴国王」は
初代の「天御中主」から「彦瀲」に至るまでの、およそ三十二代にわたる
神武天皇の祖先
>>408 公文書はちゃんと残ってる
『隋書』
文林郎の裴世清を派遣して倭国へ使わせた
倭国は邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。
『新唐書』
後漢から、倭国王として金印を授かった
古の倭奴国は九州の筑紫城であり
その国王「漢委奴国王」は
初代の「天御中主」から「彦瀲」に至るまでの、およそ三十二代にわたる神武天皇の祖先である
>>406 それは偽書の内容を鵜呑みにして、さらに拡大解釈してるだけ
>>411 新唐書は日本書紀の影響強すぎて何の参考にもならん
>>411 その話じゃない
邪馬台国の二代目、三代目の印綬についての公文書がないのはなぜか?
初代卑弥呼についてはちゃんと制詔が残ってるのになんでかな
>>18 福岡市内の川でもクジラ来たことあった
小学校の頃だったので覚えてるけど別にわざわざ観に行こうとは思わなかったな
白魚漁で有名な川で浅いからクジラとか入ってくること自体が難しいんだけど
河口付近に迷い込んだっぽい
長宗我部元親がクジラ丸ごと一匹秀吉に献上したら秀吉が大喜びしたってエピソードがあったな
>>413 新唐書は日本書紀ではなく、王年代記の内容に影響を受ける
王年代記とは奝然という留学僧から送られたことになってる偽書
新唐書の内容はデタラメだよ
>>413 607年
奈良の飛鳥京から「日出処の天子……」の国書を持参した小野妹子が遣隋使として派遣され
小野妹子の帰国に同行するかたちで、煬帝が勅使「裴世清」を派遣
608年
煬帝の勅使「裴世清」の帰国に同行するかたちで
奈良の飛鳥京が、再び小野妹子を遣隋使として派遣
609年
隋から小野妹子が帰国
630年
奈良の飛鳥京から舒明天皇が遣唐使を派遣
唐の官吏「高 表仁」が同行して帰国
高表仁が唐に帰る
この、裴世清と高表仁が、
奈良の飛鳥京の大和朝廷から聞いた話しと
遣唐使とともに唐に留学した日本の留学僧の話から
636年に唐(618年 - 907年)は
奈良の飛鳥京の「邪靡堆」と
魏志の女王国の「邪馬臺」は
同じ場所である
と断定した公文書「隋書」を完成させた
>>421 爵位の任命罷免は皇帝の専権事項
卑弥呼同様に必ず洛陽に公文書が残る
>>422 新唐書が偽書な理由くらい、過去のスレで見たことあるでしょ?
スレチな話題が続いてるなw
<旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
◆倭国条 ~631年 (倭国時代末期)
「倭国者,古倭奴国也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
※漢委奴国王の金印は福岡で発見されている
◆日本条 701年~ (畿内ヤマト政権時代)
「日本国者,倭国之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小国,併倭国之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。
>>425 その文章の続きは?
誤魔化しはバレるよ?
そして唐は『隋書』と同時に
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・・『周書』・『晋書』
も
邪馬台国は奈良の大和を前提として編纂した
弥生時代と言えばやはり鉄器時代の到来だね
魏志倭人伝に倭人が「鉄のやじり」を使っている記述があり、この時代の日本には既に鉄器文化が到来していたことがわかります。
また、『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』
よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。
鉄器出土量と卑弥呼の女王圏
弥生時代の奈良?
はいはい
【参考】唐古・鍵遺跡の変遷
■ムラの衰退(古墳時代前期)
弥生時代中・後期には大環濠はなくなり、ムラの規模が縮小します。環濠の一部は再掘削されますが、 井戸などの居住区関連の遺構は大幅に減少します。
■ムラのその後(古墳時代以降)
遺跡の中央付近で古墳時代後期の前方後円墳がみつかっています。この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
>>424 どっちにしても邪馬台国は奈良よ
『唐書』(旧)
倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の筑紫国
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという
大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ
なぜヤマトと名乗らずヤマタイだの日本だのという国名を名乗ったのか?
纏向遺跡は4世紀初頭でほぼ閉鎖されている
そしてその南に
https://www.asahi.com/articles/ASLCX5JHQLCXPTFC01S.html 大壁建物が4世紀末~5世紀初めに築かれ、渡来人の同町への移住時期が100年近くさかのぼる可能性が出てきた
奈良時代ごろ、飛鳥地方の住民の80%~90%が朝鮮人であったことは、「続日本紀」「姓氏録」に書かれており、
「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。」と井上光貞・山本健吉は述べている。
また、司馬遼太郎・上田正昭・金達寿の対談集によれば「飛鳥は朝鮮文化をぬきには語れない」と語り、
「飛鳥における政治の実権は蘇我氏<朝鮮人>の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」と亀井勝一郎氏は述べている。
「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。」と佐々克明は述べている。
畿内説というのは統一の壺と一緒
坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。
邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。
さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、
常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない。」
>>430 邪馬台国の場所の話ではなく、新唐書が偽書の王年代記をもとに書かれてるって話なんだが?
新唐書の内容を当てにして推測することはできないよ
広志いわく、
~至る東南500里で伊都国、又南、至る邪馬臺国・・・(魏志と同様に周辺国の紹介へと続く)
※広志(史書編纂:晋の郭義恭)
【考古学】福岡・八女市に弥生後期の環濠集落跡 大規模集落の一角か 吉田・辺田ノ上... ★ 2023/03/30
ps://2chb.net/r/newsplus/1680186646/
>>1 そもそも徳川トクチョン家康が朝鮮人(元寇の後に日本に浸入して今の群馬埼玉辺に居付いた李氏朝鮮役人の日本乗っ取り係スパイ8世)だし、関東/東海も朝鮮顔多いよ。お前もだろ?
ps://i.imgur.com/yieh40Y.jpg
(※もっとも、数世代結婚詐欺やレイプ続ければY染色体を除きほぼ日本人由来だろうが)
>>435 だからね
唐(618年 - 907年)の時代の後の後晋(936年- 946年)に
『唐書』(旧)
倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の筑紫国
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという
大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ
って書かれちゃったから、
984年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
職員令と「王年代紀」を朝貢して
いやいや、大和の国【日本】は、九州のいにしえの倭奴国出身すからって説明したんだよ
>>1 徳川トクチョン家康は李氏朝鮮パシリの日本乗っ取り役人(スパイ朝鮮人)だからな。
ps://i.imgur.com/YtKPo9V.jpg
>特に外様大名の多い西国に徹底させた。
とあるが、城(特に山城)というのは元来が侵入高麗/朝鮮人に備えた櫓だから、もともと西国(福岡〜大阪間や山陰)に多いはずとは思うが
〜wikiより〜
一国一城令(いっこくいちじょうれい)は、慶長20年閏6月13日(1615年8月7日)に江戸幕府が制定した法令である。
諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じたもの[1]。
概要
土井利勝、安藤重信、酒井忠世の連判の元、徳川秀忠が発令したが、法令の立案者は大御所徳川家康であった。
目的は大名、とくに西国諸大名の軍事力を削減するためであり、数日のうちに約400の城が壊されたという[1]。
発令されたのは大坂の陣(1615年5月)のすぐ後であり、幕府に対する反乱はもちろん、大名同士の戦争も封じるためのものである[2]。
実施の意義
これにより安土桃山時代に3,000近くもあったといわれる城郭が約170まで激減し[13](陣屋を含めると約300)/
大名の勢力(軍事力)を統制して徳川家による全国支配を強化することを目的としており、特に外様大名の多い西国に徹底させた。
「みんなの心に浮かんだことを そのまま描けばいいんだからねー」
玄界灘は江戸時代に鯨がたくさんいたらしい
江戸時代に捕鯨をよくやってたみたいだ
江戸時代に紀州や土佐、九州、房総などで花開いた伝統的な捕鯨業。北部九州沿岸は日本最大の捕鯨地へと発展し、中でも呼子の北に浮かぶ小川島の近海は屈指の好漁場として名を馳せました。千人近くもの人々が従事した鯨組の操業は、唐津藩を代表する一大基幹産業でした。
その後、明治期の末には動力船と大砲を使った近代的な捕鯨が導入され、戦後には小型船によるミンククジラ漁も盛んになりますが、昭和35年(1960年)を最後に玄界灘沿岸での捕鯨業は姿を消しました。江戸時代からの伝統を受け継ぎながら、同一の漁場でこれほど長きにわたって捕鯨業が継続した例は、全国的にみても非常に稀なことです。
https://saga-museum.jp/nagoya/exhibition/limited/2021/06/003637.html 646 日本@名無史さん[sage] 2023/04/29(土) 23:20:21.90 ID:
>>643 【おしらせ】各説による邪馬台国関連遺物の出土状況(2023年4月時点)
[九州説]
・魏志倭人伝の行程とほぼ合致
・卑弥呼の時代から存在するクスノキ
・大量の鉄製武器、鉄製工具他(魏志の記録に合致)
・絹および紡績用具
・警備厳重な城柵に囲まれた吉野ヶ里遺跡
・中国から授かった漢委(倭)奴国王の金印
・すずり、およびすずり工房(文書を用いていた)
・魏王の鏡と同型の鉄鏡
・殉葬と思われる多数の墓に囲まれた祇園山古墳
[畿内説]
・定住者がほとんどいない大集落
・東海・伊勢産の飯炊き土器と残飯各種(鯖の骨、猪の骨)
・大型建物(古墳被葬者の遺族向け宿泊所?)
・農具は無く、大量の木製土木用具
・東日本で流行った仮面(木製)
・大型建物の柵列の下の穴に捨てられていた桃の種
・同じく蛙の骨
・箸墓古墳で出土した馬具(中国のより古い4世紀初のもの)
日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本国。百済、新羅、高句麗は倭国」
唐(618年 - 907年)の時代の後の後晋(936年- 946年)に
『唐書』(旧)
倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の筑紫国
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという
大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ
って書かれちゃったから、
984年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
職員令と「王年代紀」を朝貢して
いやいやいや、大和の国【日本】は、九州のいにしえの倭奴国出身すからって、北宋の皇帝に説明したんだよ
で、大和朝廷の説明通りに北宋が書いたのが新唐書
邪馬台国
それを親魏倭王にした曹氏の王朝である曹魏
それをのっとった司馬氏の西晋は
あまり良く思われていないのよ
むしろ
後漢の役人だった公孫氏や
それに従属していた九州の倭奴國の漢委奴国王のほうが
後の北朝の皇帝たちから正当な評価をされてるんさ
>>447 悉くマスゴミみたいに自分の都合のいい部分だけ切り抜くなー
旧唐書
日本國者倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名
或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
或云 日本舊小國 併倭國之地
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
或いはいわく、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり。
旧唐書では倭国の別種であるとは断定しているわけではない
>>419 どちらにせよ日本書紀の内容に相当影響されてるので、日本書紀と同等の内容は参考にすべきじゃないな
>>439 ただ日本書紀の内容に沿っただけの説明で、それが史実である根拠は何もない
日本書紀に沿った内容の記述は単に日本書紀を参考にしたと解釈する方がいい
日本書紀にない記述の方がむしろ重要
つまり、倭国と日本国は別種だとか、日本国の使者の説明は胡散臭いとか、日本はもとは小国だったが倭国を併合したとか、そういう記述に真実がある
やはり倭国邪馬台国は日本国ヤマト王権に滅ぼされたのだろう
ID:nvx0bbAu0
↑
こいつ寄生虫チョン丸出しで笑うw
履中天皇以降は平均在位年数12年前後で実際の在位年数と直線的にフィットするが、履中天皇以前は急激に在位年数が延び、平均60年ほどになる
これはあまりに非現実的すぎ、人数が不正確、寿命が不正確などの理由が考えられるが、おそらく人数はおおよそ正しくて、寿命が無茶苦茶説を推す
平均在位12年で計算した神武天皇の実在時期は西暦200年前後。
中臣氏や物部氏など他の氏族の系譜を1代20年で遡ると、天皇との関係が記紀にある各氏族の推定実在時期と推定天皇実在時期がぴったり重なり合う
記録にある人数もおおよそ正しくて、寿命も現実的に考慮するとやはり卑弥呼が実在した頃に、神武天皇が即位しヤマト王権のはじまりがあると考えていいだろう
大伴氏も西暦500年頃から1代20年で遡ると神武天皇と同時代の道臣命もだいたい西暦200年頃になるね
九州倭国大乱で卑弥呼が共立し、居場所の無くなった日向神武が居場所を求めて畿内に移動というナラティブ
>>1 これをクジラと6本のハープーンと解釈するとかアホの極み
脚が6本の玉虫・カミキリムシ・ゴキブリと見るのが妥当
>>454 確かにモリにしては等間隔に6本だな
これは、長いオールをつけた船の絵かも
黒潮に逆らって南下して交易してた船
>>396 いや公文書なんだから、発音統一するのが普通じゃね?
方言ってなんだよw
それとも西晋から東晋へ変わる時に標準語が変化したとか?
まああれだけ混乱すれば色々変わる可能性はあるだろうが
>>449 単純に神武以降の天皇の名前の列挙だけで
何ら日本書紀の影響を受けてるわけではないよ
そもそも日本書紀のどこにも【神武】天皇なんて記述は存在しない
日本書紀が編纂されたのは奈良時代の720年当時、天皇には諱と和風諡号しか存在しておらず
【神武】という漢風諡号はまだない(他の天皇も同様に漢風諡号は存在していない時代)
和風諡号が神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコのスメラミコト)、諱が彦火火出見(ヒコホホデミ)
日本書紀にもこの二つの名前しか登場しない
漢風諡号は764年に淡海三船が歴代天皇に一括して漢風諡号してから登場するもの
1070年に編纂された新唐書には「神武」と書かれている
720年に編纂された日本書紀には存在がなく、1070年に編纂された新唐書には登場する
新唐書が参考にした王年代記は、淡海三船が一括諡号した764年から
奝然が留学する983年までの間に書かれたものであるという事
偽書、トンデモ本の類を参考に書いた新唐書はアテにならない
>>456 日本からの使者が発した音を、漢字に直す時に
どの発音をどの漢字に当てはめるか?
それが南方の呉の発音になっていると考えるほうが無理がある
というか全然つじつまが合わない=説が繋がってない
>>77 まるで日本は移民と混血が無かったとでも思ってる言い方だが、縄文人と弥生人で全く人種が違うように習ってるのになんでそう思えるんだろうなバカは
縄文人が弥生人にトランスフォームしたとでも思ってるのか?
>>257 >>46 弥生時代には農業が行われてたことくらい普通に習ったでしょ
縄文時代晩期ですら農業やってた説あるのに
他にも狩猟も漁も行われてたしドングリだけ食ってたわけじゃない
>>196 日本全国津々浦々を見て回ったわけじゃないから一部地域の話でしかないんだよね
>>460 縄文人が大きな実のなるクリの木の実を集落の近くに植えることで、大きな実栗の実を得てた事はもうわかってるからね
縄文人のことを知れば知るほど面白い
まさか縄文時代からあったのか?と思うようなものがいっぱいある
>>458 呉音=呉の発音ではないからね念の為
そこ勘違いしてるんだったら話が噛み合わないのも納得だが
>>453 吉備の崇神系統と日向の生目系統を1系にして作られているので、
この辺をキチンと分解して組み立て直す事が必要になる。
コレに邪馬台国丹波系が外戚として絡んでくる。
>>140 何をもって中心とするかだな
小国や集落があちこちにあったと思うけどな
北九州にあった国は中国と貿易してたから記録が残っているだけだろう
>>401 弥生時代にいなければたった数千年でクジラに進化したことになる
それはすごいことだ
>>468 あくまで後の時代のね
北方遊牧民の侵攻で上書きされた華北の発音を正音とし、南部に残った古い言葉を呉音と蔑称した。
呉音=南部の発音ではない
昔の言葉という意味も含んでいる
ググって出てくる定説がこんな感じ?
それを否定する意図が有るならすまん
てかそれならもう少し分かるように説明してくれ
>>470 記録だけじゃない
北部九州は弥生時代の遺跡だらけで出土品が豪華
漢鏡や鉄製の剣、勾玉、硯箱、古代漢王朝の高貴な人が身につけていた装飾品や染料など
保存方法は塩漬け燻製くらいかね
昔から鯨ベーコン的なもの食ってたのか
>>476 >>468が正しい
ググったら正しいっていうなら、wikipediaさんにでも聞いてみ?
>>448 都合が良いのはおまえだろ
なぜ倭國伝を書き込まないんだ(笑)
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
一方
日本国は倭国の別種である。
その国は日の出る所に近いので、日本という名称を国号としている。
あるいは、このように言っている。「倭国はその名称が雅美でないことを嫌って、日本に改めた」と。
また「日本(大和)は、もと小国であったが、その後、倭国の地を併合した」とも言っている。
その国人が唐朝廷に参上した時は、その多くが自国を広大と自慢し、真実をもって対応しようとしない。
従って中国側としては、彼らの主張するところに疑念をもっている。
だから984年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」を朝貢して
いやいやいや、大和の国【日本】は、九州のいにしえの倭奴国出身すからって、北宋の皇帝に説明したんだよ
で、大和朝廷の説明通りに北宋が唐書を書き換えてくれた
日本(大和政権)は古の倭奴国(漢委奴国王)である
その国王(天皇)が自ら言うには、
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
>>477 九州説の柳田康雄國學院大學教授も
遺跡や出土品が
57年からの漢委奴国王のモノなのか
238年からの親魏倭王のモノなのか
年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題だっつって
半ば白旗揚げ始めてる
まあ
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡
北部九州の鏡やすずりなどの出土品
なのに
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
しか輸送できない、朝貢できないからな
>>481 だから旧唐書の原文と書き下し文を書いたろ?
もっかいはったるからちゃんとよめ
旧唐書
日本國者倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名
或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
或云 日本舊小國 併倭國之地
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
或いはいわく、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり。
旧唐書では倭国の別種であるとは断定しているわけではない
旧唐書に書いていることのようやく
・日本国は倭国とは別種(日の昇る方角にあるから日本と名乗った)
・倭国は名前が悪いとので日本に改名した
・日本国は倭国を吸収した
3つの話が列記してある
つまり、九州から立派な遺跡や出土品が出れば出るだけ
ぐらいしか献上できない邪馬台国とはかけ離れていくわけだ
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
桃の種しか出土しない畿内
三雲・井原遺跡や平原遺跡や吉野ヶ里遺跡
鏡やすずりなど、立派が出土品が次々と発掘される北部九州
どっちの朝貢だ・・っつー話だ
>>484 要するに唐も倭国と日本は同じなのか違うのかどっちなんだよわかんねーなって困惑してたってこと?
>>484 大事なことが抜けてるだろ
中国側としては、彼ら、大和の国【日本】の主張するところに疑念をもっている
>>480 後の時代ならね
この時代に呉音漢音なんて区別はない
華北の人間も大量に南部に避難してきて、中央政府も建業に移動してるのに呉音が当時の南方限定の言葉だったと何故言えるのか、それこそ無理が有り過ぎだ
>>480 そして
>>468が正しいいうのならせめてその根拠をあげてくれ
今のところ無茶苦茶な事の言ってるようにしか見えないわ
>>486 唐の国力が衰え、大きな危険を冒して遣唐使を派遣する意味が薄まったと考えた菅原道真が894年に遣唐使の廃止を提案し、904年大和朝廷は遣唐使を廃止しして一般人の対外渡航を禁止する半鎖国状態になったのよ
それ以降五代と呼ばれる唐の滅亡後に中原を支配した後梁・後唐・後晋・後漢・後周の5つの皇帝が挨拶に来いと言っても、大和朝廷は正式に挨拶に行っていない
その間に後晋(936年- 946年)が
唐(618年 - 907年)の時代のことを書いた『唐書』を編纂してしまった
そして960年に北宋が五代を終焉させて再び中国を統一すると、日本に対しても朝貢を促す使者が送られ
日本側ではどう扱うかで逡巡していたが、最後には受け入れて宋に対して返答の使者を送っている
で、始めて大和朝廷は、後晋(936年- 946年)が編纂した『唐書』の内容を知るわけだ
その内容にビックリした大和朝廷は日本に帰国して対策を練る
そして984年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」を朝貢して
いやいやいや、大和の国【日本】は、九州のいにしえの倭奴国出身すからって、北宋の皇帝に説明し
北宋に唐書を書き換えてもらった
>>486,487
だからどれがホントのことかわからんってなった
唐の結論はどれになったとも書いてない
>>490 > 北宋に唐書を書き換えてもらった
たかが外国からの留学生の要望で歴史書をもう一冊作ったとか正気か?
旧唐書の内容に誤りが多いから、新唐書を編纂したんだよ
>>490 王年代記については
>>457に書いてある
>>1 そりゃ弥生時代にもクジラくらいいただろうよ
>>494 クジラそのものは縄文時代から食べたり骨を利用してた事は知られてる
この発見のポイントは「捕鯨をしてたかどうか」と言う点
打ち上げられたり迷い込んだ鯨を捕まえてたとは思われてるが、捕鯨と言う行為を行ってたかどうかは不明だからね
その証拠の一つになるんじゃないかと言う話
他にも類似の土器絵が見つかってるんでその証拠が増えたと言うこと
>>492 北宋は旧唐書に誤りが多いと気づいたのはどうして?
具体的にどこが誤りだと分かったのでどう書き換えたの?
間違った記述をどうやって正すことができたんだ?
>>496 旧唐書ってどこの国だい?
>>497 少しでも九州に関連した遺跡の話がでると
すぐに邪馬台国が~って話をしたがるの連中がいる
畿内説という壺を売る霊感商法詐欺が湧いてるな
坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。
邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。
さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、
常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない。」
邪馬台国はどこでもいいけど
当時の航海技術では遣魏使は北部九州の港を経由していたとしか思えない
>>500 近距離に陸地があるのに利用しないはずもないよな
>>491-493 983年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」を朝貢する前から
唐が書いた『隋書』(倭国伝を含む)
大和政権は邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
後晋(936年- 946年)が書いた『唐書』「倭国伝」
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
問題は、九州の倭国王の阿毎氏が、なぜ日本国にいるのか
その答えを
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」で説明した
>>491-493 983年に日本から
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」を朝貢する前から
唐が書いた『隋書』(倭国伝を含む)
大和政権は邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。
後晋(936年- 946年)が書いた『唐書』「倭国伝」
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
問題は、代々、中国へ使節を通わせている九州の倭国王の阿毎氏が、なぜ日本国にいるのか
その答えを
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
「職員令」と「王年代紀」で説明した
じゃないと大和朝廷はいつまでたっても中国から
代々、中国へ使節を通わせている九州の倭国王の阿毎氏の偽者扱い
だからな
>>501 そう、それに
稲作の始まりは北部九州
遣漢使を派遣して金印をもらったのは奴国(福岡)
遣魏使は○○から派遣
遣隋使、遣唐使は博多津(福岡)を経由
遣唐使廃止後に貿易港として栄えたのは博多津(福岡)
日宋貿易は博多港(福岡)を経由
※平氏は博多にも人工港を作ってる
○○だけ九州が入らないとか不自然だよ
>>505 遣隋使がどこから大陸に向けて船出したか?と、遣隋使一行が旅立った場所はどこか?
これが別だということには思いが至らない?
ん?遣魏使??新しい造語を作るなややこしい
魏にどこから使いを出したか?
これを明確にできる資料でも見つからないと、どうせ反対意見がいっぱい出てくるだけ
その反論を封じるだけの証明もできない
だから未だにグダグタしてんだろ
>>507 邪馬台国がどこだろうと別にいいんだって
北部九州の港から派遣されたか、北部九州の港を経由して派遣されたんだろうって推測しているだけで
>>19 バカの一つ覚え
あいつが弥生時代に関心なかったことくらい、中学レベルの歴史知識でわかるだろう
>>511 流石にそこまでのことは中学生じゃ知らんでしょ
ちょっと歴史をかじってる人なら、藤村が旧石器時代の遺物の捏造をしたアマチュア歴史愛好家だと知ってても当然だけど
>>512 例えばこのスレでも根拠がなかったり、数字を捏造してるのは、明らかに福岡大好きな輩だと思うけど?
人口捏造
>>263とか、明らかに頭がおかしい
■旧唐書より
<倭国伝>AD631年までの記録
倭国(九州)は古の倭奴国なり。
※漢委奴国王の金印は福岡で発見された
<日本伝>AD701年以降の記録
日本国(畿内)は倭国の別種なり。
■史書における「別種」の使用例
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。
<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。
■結論:
記録文献には邪馬台国の人々は呉越(中国)の末裔だったと記されています。
ヤマト民はおそらく半島系人種だったので「別種」と記述されたのでしょう。
参考:ハプログループ
O1b2(L682) 半島系固有の遺伝子分布
>>505 漢委奴国王は確かに北部九州の港からだろう
それは倭奴國で、
北部九州の港から代々、中国へ使節を通わせている倭国王の姓は阿毎氏
邪馬台国の卑弥呼では無い
後晋(936年- 946年)が書いた『唐書』「倭国伝」
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
>>514 纒向宮殿とかぬかすゴッドマウスが湧いてるな
[奈良県]古墳完成までの遺族向け宿泊所と思われる無防備で貧弱な平屋物件
纒向の大型建物
纏向の大型建物の柱と人
柱細過ぎワロタ
>>518の追補
魏志倭人伝の記述
「宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛」
宮殿や高楼は城柵が厳重に作られ、常に武器を持った人が守衛している。
[佐賀県]高貴な人が住んでいたと思われる警備厳重かつ頑丈な建物
吉野ヶ里の大型建物と人
吉野ヶ里周辺建物と人
>>480 えーっと返信ないって事は自分の誤認識を理解したって事で良いのかな?
こんなの基本知識のはずだったんだが、知らんって事は新規さんか
新説でも披露してくれるのかと期待してたからガッカリだよ
しかし久し振りに覗いてみたら、閑古鳥が鳴いてるね
以前は色々勉強になるレスも多かったんだが…。
当時の常連さんは皆去ってしまったか
最早議論も煮詰まって同じ話の繰り返しになってたから是非もなしか
では、邪馬台国はどこだったのか
それは大和朝廷が都としていた奈良である
唐が書いた『隋書』
邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。
107年に生口160人を献じ、「安帝」に謁見した
北部九州の、漢委奴国王に相応しいのは
吉野ヶ里の大型建物と人
//i.imgur.com/NHwxcAf.png
吉野ヶ里周辺建物と人
//i.imgur.com/ieqxWzX.png
一方
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈を魏に朝貢
266年 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹を西晋に朝貢
しかできなかった邪馬台国に相応しいのは
纒向の大型建物
//i.imgur.com/rJscQF5.png
纏向の大型建物の柱と人
//i.imgur.com/LL8YcSm.png
ですね
クジラのような巨大な生き物を捕らえるだけの船や狩りの技術があったかもしれないと言うことか
面白いな
記録としては8世紀からだけどクジラに限らず記録される以前からの伝統や技術と言うのは当然あるだろうからな
考古学は面白い
>>523 希望的観測と妄想に明け暮れる畿内説の典型w
【現実】邪馬台国関連遺物の出土状況(2023年4月時点)
[九州説]
・魏志倭人伝の行程とほぼ合致
・卑弥呼の時代から存在するクスノキ
・大量の鉄製武器、鉄製工具他(魏志の記録に合致)
・絹および紡績用具
・警備厳重な城柵に囲まれた吉野ヶ里遺跡
・中国から授かった漢委(倭)奴国王の金印
・すずり、およびすずり工房(文書を用いていた)
・魏王の鏡と同型の鉄鏡
・殉葬と思われる多数の墓に囲まれた祇園山古墳
[畿内説]
・定住者がほとんどいない大集落
・東海・伊勢産の飯炊き土器と残飯各種(鯖の骨、猪の骨)
・大型建物(古墳被葬者の遺族向け宿泊所?)
・農具は無く、大量の木製土木用具
・東日本で流行った仮面(木製)
・大型建物の柵列の下の穴に捨てられていた桃の種
・同じく蛙の骨
・箸墓古墳で出土した馬具(中国のより古い4世紀初のもの)
クジラ漁にしても何にしても記録が無ければやってないわけじゃないからな
最古の記録って言うのは記録として最古なだけで別にそれ以前が無いわけじゃないからね
こうやって考古学が古代の記録のない時代の姿を解明してくのは面白い
「書かれてない」時代は確かに資料として不安定だから重視されにくいけど、そこには当然人間の営みがあるわけだからな
歴史として確実視するかどうかは別に「そこにも必ず歴史がある」という視点で考えるべきだろうな
ともすれば「記録が無い=なにもない」「記録が無い=全てうその価値も無い時代」と言われがちだからな
記紀神話とかを作り話としてすべて否定した戦後のヒステリーみたいな浅はかな考え
クジラ漁の実態については文字記録だけじゃない視点も大切だな
鯨というのもかなりの想像だし、これがモリだというのもこじつけくさいな
もうちょっとはっきりした絵かと思ったわ
>>529 考古学は資料の積み重ねの上で結論が出るからね
この絵をそのまま何もなく見せられてもそれこそフナ虫みたいにしか見えないw
でも今までの過程を踏むとクジラだと理解できる
ただの妄想の積み重ねじゃなくて資料の積み重ねが考古学の土台
①この遺跡からはクジラの骨の道具などが複数出土してる
②他の同様の絵が出た遺跡でも同じようにクジラの骨の道具などが出土している
③これに類似する漁の絵と比較して船と獲物の比率が明らかに大きいのでクジラではないかと判断される
という段階を踏んで「クジラの絵だろう」と言ってるわけ
単なる思い付きや妄想じゃなくて他の様々な遺跡の資料との突合せで結論を出してるわけだ
大変興味深い
>>531 縮尺比で言うとモリが異常に長くないか?
>>525 いやあ現実でしょ
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
しか朝貢できない邪馬台国、親魏倭王が、こんな立派なわけねーじゃん
吉野ヶ里の大型建物と人
//i.imgur.com/NHwxcAf.png
吉野ヶ里周辺建物と人
//i.imgur.com/ieqxWzX.png
【現実】邪馬台国関連遺物の出土状況(2023年4月時点)
畿内
・定住者がほとんどいない大集落
・東海・伊勢産の飯炊き土器と残飯各種(鯖の骨、猪の骨)
・大型建物(古墳被葬者の遺族向け宿泊所?)
・農具は無く、大量の木製土木用具
・東日本で流行った仮面(木製)
・大型建物の柵列の下の穴に捨てられていた桃の種
・同じく蛙の骨
・箸墓古墳で出土した馬具(中国のより古い4世紀初のもの)
だもん
238年に 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年に 生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
しか朝貢できないのも納得です
>>457 日本書紀に神武の記載がないから影響されてないというのは全く論理的じゃない
それは単に淡海三船の影響があると言えるだけ
>>518 それ高床式倉庫の遺跡っぽいけど、だれがそれを宮殿跡なんて言ってるの?
>>535 淡海三船が謚号するまで存在しなかったものを使って書いてるって時点で
王年代記は764年以降に作られた偽書であることがわかる
>>539 王年代記を参考に書いた新唐書をアテにしても、間違った事しか言えないってことだよ
ノコギリや斧など鉄器道具もろくに無い真原始時代だし
>>540 日本書紀に影響されてる新唐書は全く参考にならんと主張してる俺に対してそれを言う意味は?
>>545 影響というか、新唐書は日本紀の写しだよ
日本書紀の海外提出用
内容が少し違うので現存する日本書紀はどこかの時代で改竄されている可能性があるとか
>>520 いま手つかずだった古い神社の下を発掘してんだけど、ここから金印・銀印やら鏡やら出てきたら決着がつくね
>>547 だから影響されてるでええやんけ
どうでもいいことにこだわるやつだな
書物は話半分でいいがな
又聞きだったり、編纂当時の権力者の都合に合わせたりで、半分は創作だと思っていい
ただ、もう半分は事実だろうから解釈は人によって変わるだろう
それより遺跡や出土品をしっかり調査してくれ
纏向のどこが宮殿だよ
古墳を設計して作った職人さんたちの住まいにしか見えんわw
高貴な人がいたであろう警備のしっかりした建物や、高貴な人が身につけていた装飾品や祭事に使うもの、愛用の剣が出土してから言ってくれ
>>551 というかまた同じレスをしないといけないわけ?
うんざりだな
535 自分:ウィズコロナの名無しさん[sage] 投稿日:2023/05/01(月) 05:47:26.86 ID:kBflT+gK0 [1/5]
>>457 日本書紀に神武の記載がないから影響されてないというのは全く論理的じゃない
それは単に淡海三船の影響があると言えるだけ
日本書紀に影響を受けてるのなら、天之御中主からはスタートしない
日本書紀の本文には天之御中主神は登場せず、一書に出てくるだけだし
その記述にしても最初に登場する神様は国常立尊で次が国狭槌尊、三柱目が天之御中主神
>>553 淡海三船が謚号するまで存在しなかった漢風諡号で書かれてると言うことは、いつの時代以降に書かれたものかは断定できる
決して東大寺秘伝の古文書ではなく、のちの時代に作られた偽書
>>540 ということは、王年代記を参考に書いていないこれが正解だな
『隋書』
文林郎の裴世清を派遣して倭国へ使わせた
倭国は邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。
後晋(936年- 946年)が書いた『唐書』「倭国伝」
倭国は古の倭奴国で、九州をねじろとして
代々、中国へ使節を通わせて
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けていて
邪馬台国では無い
>>556 隋書の倭国ってどんな距離感かな?
ぶっちゃけ、中国の史書「だけ」をアテにしても、正確なところはわからないという結論にしかならないはずなんよ
参考にするのはいいけど、矛盾や間違いを見なかったことにして
これが正しい!とするのは不毛だと思う
なんで弥生時代の話しないでずっと邪馬台国の話してんのwww
まあ弥生時代のこと詳しい人はいないか
>>557 607年
奈良の飛鳥京から「日出処の天子……」の国書を持参した小野妹子が遣隋使として派遣され
小野妹子の帰国に同行するかたちで、煬帝が勅使「裴世清」を派遣
608年
煬帝の勅使「裴世清」の帰国に同行するかたちで
奈良の飛鳥京が、再び小野妹子を遣隋使として派遣
609年
隋から小野妹子が帰国
630年
奈良の飛鳥京から舒明天皇が遣唐使を派遣
唐の官吏「高 表仁」が同行して帰国
高表仁が唐に帰る
で
636年に
唐(618年 - 907年)は
奈良の飛鳥京の「邪靡堆」と
魏志の女王国の「邪馬臺」は
同じ場所である
と断定した「隋書」を完成させた
そして唐は
奈良の飛鳥京の「邪靡堆」と
魏志の女王国の「邪馬臺」は
同じ場所である
を前提として
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・・『周書』・『晋書』も編纂した
そしてその後は飛鳥京が唐から
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』・『晋書』を編纂した唐の学者を招いて
『日本書記』の編纂を開始してる
>>555 論理的な会話ができないバカと判断したので終わりで
しかし
663年の白村江の戦いで
飛鳥京の大和朝廷と唐は敵対することになり
飛鳥京の大和朝廷と唐は国交断絶
702年に
国交回復のため第42代文武天皇が
奈良の藤原京から第8次遣唐使を派遣
粟田真人が
国名を大和から日本としたこと
首都を飛鳥京から藤原京に遷都したこと
法である大宝律令を制定したことを告げるも
894年に
唐の国力が衰え、大きな危険を冒して遣唐使を派遣する意味が薄まったと考えた菅原道真が遣唐使の廃止を提案し、
904年大和朝廷は遣唐使を廃止しして一般人の対外渡航も禁止する半鎖国状態になった
それ以降五代と呼ばれる唐の滅亡後に中原を支配した後梁・後唐・後晋・後漢・後周の5つの皇帝が挨拶に来いと言っても、大和朝廷は正式に挨拶に行っていない
そして後晋(936年- 946年)が
倭国は代々、中国へ使節を通わせている九州の倭奴國で、倭国王の阿毎氏も九州の倭奴國にいたはずだ
奈良の日本国と天皇は、偽物だ
という「唐書(旧)」を完成させた
倭国は古の倭奴国である。
唐都の長安からは一万四千里あり、新羅の東南方、大海の中で山多き島をねじろとして居住している。
その島は東西が五ヶ月の行程、南北は三ヶ月の行程である。
代々、中国へ使節を通わせている。
倭国王の姓は阿毎氏で、十二等の官職を設けている。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の出る所に近いので、日本という名称を国号としている。
あるいは、このように言っている。「倭国はその名称が雅美でないことを嫌って、日本に改めた」と。
また「日本(大和)は、もと小国であったが、その後、倭国の地を併合した」とも言っている。
その国人が唐朝廷に参上した時は、その多くが自国を広大と自慢し、真実をもって対応しようとしない。
従って中国側としては、彼らの主張するところに疑念をもっている。
日本書紀成立以前に日本書紀と同等の内容が中国の史書にあれば、日本書紀の内容の裏付けにもなるが、日本書紀成立後の中国の史書における日本書紀と類似性の高い内容は、すべて日本書紀の影響があることを強く考慮せざるをえない
つまり
>>451 そして960年に北宋が五代を終焉させて再び中国を統一すると、日本に対しても朝貢を促す使者が送られ
日本側ではどう扱うかで逡巡していたが、最後には受け入れて宋に対して返答の使者を送る
そこで大和朝廷は始めて
自分達が、後漢から漢委奴国王を賜った九州の倭奴國を語る偽物だ
とされている後晋(936年- 946年)の『唐書』の存在を知って、対策を練る必要に迫られたわけだ
しかし中国は、倭国は九州の倭奴國で、日本国(大和朝廷)は偽物だと思っているので、大和朝廷の説明は疑り聞き入れない
そこで984年に
藤原一族の奝然という東大寺の学僧を派遣して
北宋の皇帝に「職員令」と「王年代紀」を朝貢して
いやいやいや、大和の国【日本】は、九州のいにしえの倭奴国出身すからって、説明させたわけだ
それでも北宋の皇帝は「九州のいにしえの倭奴國から現在の日本国に至るまで、ずーーーっと阿毎氏が何代も倭国を統べているとかホントかよ」って、死ぬまでなかなか信じなかった
おおきなエンジン船や帆船がなかった太古の昔はクジラとかの鼻先を触れたんだろうね。
縄文人の文化はアジアで同じように広がっていて、そのなかに南インドのグループやユダヤのグループが属していたのかもね。日本の縄文人がてくてくイスラエルまで行ったとは思えないし。
>>563 一般人の渡航を制限できるほど各地の港湾に監視の目があったのかね。
しっかりした船と知識さえあれば好き勝手に渡航も貿易もできたんじゃないかな。
>>570 少なくとも博多港は貿易で栄えたよ
最古のチャイナタウンまであるw
後晋(936年- 946年)が編纂した
倭国は代々、中国へ使節を通わせている九州の倭奴國で、倭国王の阿毎氏も九州の倭奴國にいたはずだ
唐の時代に書かれた隋書によれば
魏志倭人伝の邪馬台国と都を同じくするという奈良の日本国と天皇は、偽物だ
という「唐書(旧)」
>>570 中国から来るのはオケ
日本から中国に行くのは留学する僧侶以外禁止
一般人を載せて帰ったら出禁
後晋(936年- 946年)が編纂した
倭国は代々、中国へ使節を通わせている九州の倭奴國で、倭国王の阿毎氏も九州の倭奴國にいたはずだ
唐の時代に書かれた隋書によれば
魏志倭人伝の邪馬台国と都を同じくするという奈良の日本国と天皇は、偽物だ
という「唐書(旧)」
日本国と天皇が使者を送っても
偽者の言う事など信用できるかと
北宋の皇帝は信じてくれない
そこで学者(僧侶)に
いやあ、神武の時に奈良の邪馬台国を滅亡させて、九州の倭奴国から引っ越したんすわ
と説明させた
それでも北宋の皇帝は「九州のいにしえの倭奴國から現在の日本国に至るまで、ずーーーっと阿毎氏が何代も倭国を統べているとかホントかよ」って、死ぬまでなかなか信じなかったけど
奈良の大和朝廷が
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』・『晋書』を編纂した唐の学者を招いて書いてもらった『日本書記』もそう書いているっしょ
でようやく信じてもらって、唐書を新しく書き換えてもらった
>>576 いや、おまえ論理的な会話できてないやんけ
アホにはそれすら分からんオンカ
アホには「影響を受ける」ということがどういうことなのか理解できないのだろう
仮に日本書紀以後に書かれた、日本の成立を記した史書であるにも関わらず、日本書紀に記載のないことばかり書いていたとしたらこれは日本書紀の影響がないと言えるだろうか
否である
むしろ日本書紀の影響を受けて、意図的に内容を違うものにしたと考えるほうが妥当だろう
これすら理解してないアホが、「天之御中主からはスタートしないから影響受けてない」だの「神武という名称は使われてないから影響受けてない」だのアホな主張を繰り返す
こいつみたいな馬鹿でなくとも影響を受けてない根拠を示すのは不可能だよバカが
>>578 新唐書日本国伝の内容って、ちゃんと読んだことある?
インドのロマとか歩いてヨーロッパやエジプトにまで一気に広がったから中東からもインド経由でアジアに広がっただろう
インドの川を下ってインドシナ伝って海に出れば海流に乗って日本にたどり着く
反対に戻るのは難しいけど
日本へ島をを辿って南方から来た人達が圧倒的なんだから何万年もずっとクジラは身近な存在
打ち上げられたものも食べて生きて日本を目指してきた
新唐書「居築紫城 ?瀲子神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州」
日本は、古の倭の奴国なり。
その王の姓は阿毎(あめ)氏、自ら言う、初主は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、
彦瀲(ひこなぎさ)に至る迄およそ32世、皆、尊(みこと)をもって号となし、筑紫城(ちくしじょう)に居す。
彦瀲の子、神武立ち、改めて天皇を以って号となし、治を大和州(やまとしゅう)に移す。
そもそもヤマトが何処だったのかは不明
■万葉集における「ヤマト」と読む当て字は多種有り
『倭』 19首(1)
『山跡』 18首
『日本』 14首
『夜麻登』 5首
『八間跡』 1首(1)
『也麻等』 1首
『夜萬等』 1首
『夜未等』 1首
例)
大倭には 群山あれど、
とりよろふ 天の香具山。
登り立ち 国見をすれば、
国原は 煙立ち立つ。
海原は 鴎(カモメ)立ち立つ。
可怜し国ぞ。
あきづしま大倭の国は。
ちなみに国見山、国見岳は全国各地に存在する
♬ 縄文土器 弥生土器
♬ どっちが好き?
♬ どっちも土器?
>>585 607年
奈良の飛鳥京から「日出処の天子……」の国書を持参した小野妹子が遣隋使として派遣され
小野妹子の帰国に同行するかたちで、煬帝が勅使「裴世清」を派遣
608年
煬帝の勅使「裴世清」の帰国に同行するかたちで
奈良の飛鳥京が、再び小野妹子を遣隋使として派遣
609年
隋から小野妹子が帰国
630年
奈良の飛鳥京から舒明天皇が遣唐使を派遣
唐の官吏「高 表仁」が同行して帰国
高表仁が唐に帰る
で
636年に
唐(618年 - 907年)は
奈良の飛鳥京の「邪靡堆」と
魏志の女王国の「邪馬臺」は
同じ場所である
と断定した「隋書」を完成させ
奈良の飛鳥京の「邪靡堆」と
魏志の女王国の「邪馬臺」は
同じ場所である
を前提として
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・・『周書』・『晋書』も編纂しましたけど?
ヤマタのオロチだって
ヤマトのオロチかもしれんし
ヤハタのオロチなのかもしれない
>>587 しかしヤマタイと名乗った
つまりオレオレ詐欺
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