現代ビジネス 1.18
https://gendai.media/articles/-/104407
「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」
昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。
ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。
父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。
その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。
家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします。
記事を寄稿したあと、僕の中には、何か大きなモヤモヤした感情が立ち上がり始めていた。
寄稿した記事をざっくりまとめれば、父が生来の知的好奇心から保守メディアに触れたことと、商業化し、なりふり構わなくなった右傾コンテンツによって、父の中にあった古き良き日本に対する喪失感の矛先が嫌韓嫌中思考に誘導されたのではないかという推論が、その柱となるだろう。
しかし、「商業右翼が分断の主犯!」とばかりに、怒りに任せて単純な決着をつけてはみたものの、それでは決して胸のモヤモヤは晴れなかったのだ。
まず第一に、一歩引いて客観的に自分を振り返ったときに、寄稿前後の自分が平常心を保てていたとはとても言えないということがある。例えば、下記は寄稿後に感想をくれた取引先の担当編集に返した一文だ。
----------
冷静にお話しする努力が必要かと思いますが、嫌韓嫌中といった心理構造そのものは本当に下衆な民衆心理の骨頂であり、障害者差別、自己責任論、いじめ問題、あらゆる集団が内包する集団心理の醜さが凝縮された、「民意の肥溜め」だと僕は思っています。言いたくない言葉ですが、衆愚とか言いたくなる。だからこそ、自身の父がその言説に「汚染」されたことが悔しくて悔しくて、たまらないのです。
----------
もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。
けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……。
さらに、いくつかの媒体からの取材や問い合わせに答える中で、僕の中には新たにいくつもの疑問が立ち上がってきてしまった。きっかけは、取材に応じるべく何とか記憶を掘り起こしていく中で、不可解な事実を思い出したことだ。
その事実とは、父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということである。
この頃から、父の口からは「支那と言って何が悪い」「三国人は○○」「いかにも毛唐のしそうなことだな」といった、故・石原慎太郎氏の常套句みたいな排外的ワードがこぼれるようになっていた。
けれど2002年と言えば、日韓共同開催となったFIFAワールドカップで偏向審判騒動があったことで、まさに日本国内(特にネット内)での反韓言説が大いに湧き上がったという頃合い。翌年はドラマ「冬のソナタ」に端を発した韓流ブーム元年であり、一方で保守本流を再編したともいわれた「新しい歴史教科書を作る会」が教科書検定に合格して物議をかもしていたタイミングでもある。
こののち、いわゆる嫌韓本の萌芽期が訪れ、次いで商業右翼コンテンツの百花繚乱を見ることになるのだが、この時点での父は「本当にこれが定年後か」と思うほど活動的で知的で、老いなど微塵も感じさせていなかった。
この時期既に父が排外的な発言をしていたのであれば、「老いと病で衰えたところを商業右翼コンテンツにつけ込まれた」という推論は、時系列的に全く的外れになってしまうではないか(「WiLL」の創刊は2004年、「日本文化チャンネル桜」の一部コンテンツがYouTubeで視聴できるようになったのが2009年)。
見失っていた事実を思い起こした瞬間、ギョッとした。ギョッとしたのち、再び混乱した。というのも、「であれば父は、もともとの素地にそうした保守や排外的な思想を持っていたのか?」というと、それもまた、全く腑に落ちないのだ。
※以下出典先で
★1:1/18 9:03
https://gendai.media/articles/-/104407
「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」
昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。
ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。
父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。
その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。
家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします。
記事を寄稿したあと、僕の中には、何か大きなモヤモヤした感情が立ち上がり始めていた。
寄稿した記事をざっくりまとめれば、父が生来の知的好奇心から保守メディアに触れたことと、商業化し、なりふり構わなくなった右傾コンテンツによって、父の中にあった古き良き日本に対する喪失感の矛先が嫌韓嫌中思考に誘導されたのではないかという推論が、その柱となるだろう。
しかし、「商業右翼が分断の主犯!」とばかりに、怒りに任せて単純な決着をつけてはみたものの、それでは決して胸のモヤモヤは晴れなかったのだ。
まず第一に、一歩引いて客観的に自分を振り返ったときに、寄稿前後の自分が平常心を保てていたとはとても言えないということがある。例えば、下記は寄稿後に感想をくれた取引先の担当編集に返した一文だ。
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冷静にお話しする努力が必要かと思いますが、嫌韓嫌中といった心理構造そのものは本当に下衆な民衆心理の骨頂であり、障害者差別、自己責任論、いじめ問題、あらゆる集団が内包する集団心理の醜さが凝縮された、「民意の肥溜め」だと僕は思っています。言いたくない言葉ですが、衆愚とか言いたくなる。だからこそ、自身の父がその言説に「汚染」されたことが悔しくて悔しくて、たまらないのです。
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もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。
けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……。
さらに、いくつかの媒体からの取材や問い合わせに答える中で、僕の中には新たにいくつもの疑問が立ち上がってきてしまった。きっかけは、取材に応じるべく何とか記憶を掘り起こしていく中で、不可解な事実を思い出したことだ。
その事実とは、父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということである。
この頃から、父の口からは「支那と言って何が悪い」「三国人は○○」「いかにも毛唐のしそうなことだな」といった、故・石原慎太郎氏の常套句みたいな排外的ワードがこぼれるようになっていた。
けれど2002年と言えば、日韓共同開催となったFIFAワールドカップで偏向審判騒動があったことで、まさに日本国内(特にネット内)での反韓言説が大いに湧き上がったという頃合い。翌年はドラマ「冬のソナタ」に端を発した韓流ブーム元年であり、一方で保守本流を再編したともいわれた「新しい歴史教科書を作る会」が教科書検定に合格して物議をかもしていたタイミングでもある。
こののち、いわゆる嫌韓本の萌芽期が訪れ、次いで商業右翼コンテンツの百花繚乱を見ることになるのだが、この時点での父は「本当にこれが定年後か」と思うほど活動的で知的で、老いなど微塵も感じさせていなかった。
この時期既に父が排外的な発言をしていたのであれば、「老いと病で衰えたところを商業右翼コンテンツにつけ込まれた」という推論は、時系列的に全く的外れになってしまうではないか(「WiLL」の創刊は2004年、「日本文化チャンネル桜」の一部コンテンツがYouTubeで視聴できるようになったのが2009年)。
見失っていた事実を思い起こした瞬間、ギョッとした。ギョッとしたのち、再び混乱した。というのも、「であれば父は、もともとの素地にそうした保守や排外的な思想を持っていたのか?」というと、それもまた、全く腑に落ちないのだ。
※以下出典先で
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