2022年11月17日 07時01分
「なぜ芸大には校歌がないんだろう」。東京芸術大(台東区)の学生の疑問が発端となり、前身の東京美術学校にあった校歌の再生に学生有志が取り組んでいる。先月末、落ち着いたテンポながら、荘厳で抑揚の利いた一分二十秒ほどの「校歌」が完成。学生たちが歌い、演奏し、ユーチューブに公開した。
前身の東京音楽学校時代を含め、古くは滝廉太郎から團伊玖磨、芥川也寸志、坂本龍一さんら名だたる音楽家を輩出しながら、芸大には校歌がない。
昨年十月、授業の課題で芸大の歴史を調べていた美術学部先端芸術表現科三年の高田清花(さやか)さん(20)は不思議に思い、音楽学部の大学史史料室などに問い合わせたが、理由はわからなかった。
だが、インターネットで検索すると、前身の東京美術学校には校歌があったことがわかった。大学の図書館にあった山田耕筰=東京音楽学校出身=の全集に歌詞とメロディーのみ書かれた譜面が載っており、一九三〇年ごろに作られていた。
作詞は東京美術学校出身の詩人・川路柳虹(りゅうこう)。「巨匠の揺籃(ようらん)ここにこそ見よ」に代表される歌詞に、高田さんは「当時の芸術に対する志や熱が伝わってくる」と感銘を受けた。美術学校は四九年に音楽学校と統合され、東京芸大に。この校歌は二十年間ほどしか歌われなかったとみられる。
幼い頃からピアノを習っていた高田さん。楽譜を基にコンピューターソフトでアレンジし、声楽科の同期に歌ってもらった音源を課題の成果として発表した。
さらに友人たちから「私も演奏したい」と声が上がり、今年二月、高田さんら二〇二〇年度入学の学生が参加するLINEグループに呼びかけたところ、三日間で八十人が集まった。
「芸大生の手で“創造的に”再生したい」−。学部学科を超えたプロジェクト「藝(げい)大校歌再生活動」が動き出した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/214369