2022/10/15 19:07
岩手県奥州市埋蔵文化財調査センターは5日、同市の国指定史跡「 胆沢いさわ 城跡」から出土した「 漆紙文書うるしがみもんじょ 」について、現代の戸籍に近い「 歴名簿れきめいぼ 」だった可能性が高いとの分析結果を発表した。出土当時は文字を確認できなかったが、今回、赤外線テレビ装置による解析で判明した。
胆沢城は平安時代の802年、坂上田村麻呂が造営した城柵で、朝廷の政治的・軍事的な拠点だった。
同センターの佐久間賢所長によると、1983年の発掘調査で出土した漆紙文書は縦約26センチ、横24・7センチ。
今回の分析結果では、25行にわたって文字が記載され、1行ごとに個人の名前、年齢などを列記していた。判別できた性別で見ると、女性16人、男性1人と女性に偏っている。
国内の他の遺跡で発見された歴名簿にも同様の傾向が見られ、佐久間所長は「女性は税負担が軽かったため、男性を女性に書き換えた『偽名簿』だったのでは」と解説する。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20221013-OYT1T50299/
岩手県奥州市埋蔵文化財調査センターは5日、同市の国指定史跡「 胆沢いさわ 城跡」から出土した「 漆紙文書うるしがみもんじょ 」について、現代の戸籍に近い「 歴名簿れきめいぼ 」だった可能性が高いとの分析結果を発表した。出土当時は文字を確認できなかったが、今回、赤外線テレビ装置による解析で判明した。
胆沢城は平安時代の802年、坂上田村麻呂が造営した城柵で、朝廷の政治的・軍事的な拠点だった。
同センターの佐久間賢所長によると、1983年の発掘調査で出土した漆紙文書は縦約26センチ、横24・7センチ。
今回の分析結果では、25行にわたって文字が記載され、1行ごとに個人の名前、年齢などを列記していた。判別できた性別で見ると、女性16人、男性1人と女性に偏っている。
国内の他の遺跡で発見された歴名簿にも同様の傾向が見られ、佐久間所長は「女性は税負担が軽かったため、男性を女性に書き換えた『偽名簿』だったのでは」と解説する。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20221013-OYT1T50299/