https://www.yomiuri.co.jp/world/20220711-OYT1T50281/
インドのナレンドラ・モディ首相が、親交の深かった安倍晋三・元首相の追悼文を自らのブログに投稿した。
在日インド大使館が和訳し、読売新聞オンラインに寄稿した。
◇ 日本の優れた指導者であり、世界の枢要な政治家であり、印日友好の偉大な庇護者であった安倍晋三さんは、もうこの世にいません。日本と世界は偉大な先見者を失いました。そして、私は大切な友を失いました。
私が初めて安倍さんに会ったのは、私がグジャラート州の州首相として日本を訪問した2007年です。以降、私達は役職や儀礼の枠を超えた友情を育んできました。
京都では共に東寺を訪問しました。共に新幹線で旅をしました。アーメダバードのサバルマティ・アシュラム、カシのガンガ・アーラティにも行きました。東京では趣向を凝らした茶の湯を楽しみました。私達は実に多くの思い出深い交流を重ねてきました。
中でも、山梨県の富士山麓にひっそりとたたずむ安倍家の別荘にご招待いただいたことは、大変名誉なことでありました。
安倍さんが、首相という役職から離れていた2007年から2012年、そして2020年以降も、私達の個人的な絆はますます強固なものになりました。
安倍さんとの会合は、毎回、知的な刺激に満ちていました。安倍さんは常に、統治や経済、文化、外交政策やその他様々な分野に関する新しいアイデアや貴重な洞察を沢山共有してくださいました。
グジャラート州の経済政策を策定するにあたり、私は安倍さんの助言を参考にしました。そして、グジャラート州と日本の間に活力あるパートナーシップを構築する上で、安倍さんの支援は不可欠でした。
その後、インドと日本の戦略的パートナーシップを変革させるというこれまでにない取り組みにおいて、安倍さんと共に働くという栄誉に恵まれました。安倍さんは、それまで比較的経済面に限定されていた印日二国間関係を、国家利益にかなう他分野に拡大しただけではなく、両国そして域内の安全保障の柱となりうるよう、より広範かつ包括的な関係へと昇華させたのです。
安倍さんにとって印日関係は、両国国民そして世界にとって最も重要な関係の一つでありました。安倍さんは、インドと原子力民生利用協定を結ぶことを目指していましたが、これは日本にとって最も難しい課題のひとつでした。インドの高速鉄道開発で最も寛大な条件を提示する決定をされたのも、安倍さんでした。安倍さんは、独立したインドが成長を加速させる中、日本がその支援を行うという体制を作り上げたのです。これは、インド独立後の歴史に残る偉大な功績でした。
-中略-
私は安倍さんの温かい人柄や知力、優雅なたたずまいや寛大さ、そして友情と指導に、これまでも、そしてこれからも感謝し続けます。安倍さんに会えなくなるのは、とても寂しいです。
私達インド人は、心を開いて私達に接してくれた安倍さんの死を、まるで家族を失ったかのように悼んでいます。安倍さんは、安倍さんが最も愛したことをしている時に亡くなられました。それは、人々に勇気を与えることです。安倍さんの人生は、悲劇的な形で断たれましたが、安倍さんの遺志は永遠に受け継がれるでしょう。
インドの人々を代表し、そして私自身を代表して、日本の皆様、特に安倍昭恵夫人と安倍家の皆様に、心からの哀悼の意を表します。オーム・シャンティ(心の平安を)。
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