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https://news.yahoo.co.jp/articles/48367f6544d6e250cf62038cec7246bd8adbc2ec 邪馬台国はどこにあったのか? 古代史最大の謎といわれるこの難問に、意外な分野から斬り込んだ研究者がいました。
日本史のさまざまな謎を当時の天文現象をもとに解明する「古天文学」を標榜した斎藤国治氏です。はたして彼が導いた結論とは?
※略
■神話や伝説は事実を暗示する!?
※略
昭和初期まではミャンマーが世界で唯一の翡翠の産地と考えられていました。
しかし神話の世界に目を向けてみると、大きなヒントが隠れていました。
日本神話では、「越の国」(北陸地方一帯)を治めていた「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」という神がいたとされています。
※略
そして奴奈川姫は、このあたり一帯を支配する、翡翠の加工をしていた一族の首長であったとも記されているのです。
※略
この神話を知った糸魚川出身の詩人・歌人の相馬御風(そうま・ぎょふう)は、1938年、「越の国の翡翠はきっとこの山奥(糸魚川)のどこかにある」と思い立ち、
友人知人の協力を得て、糸魚川流域で翡翠探しを開始しました。そしてついに、小滝川にそそぐ土倉沢の滝壺で美しい緑色の石が発見され、
東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室で鑑定したところ、翡翠であることが判明したのです。
これらから、神話や伝説はまったくの架空の話ではなく、事実を暗示したものであり、したがって歴史の一部ともいえるものであることがうかがえます。
筆者は、神話は決して非科学的なものではなく、歴史解明に非常に重要であると考えています。
■天照大御神は卑弥呼がモデルか?
邪馬台国についても、卑弥呼をモデルとする神が神話の中に登場しているという指摘は、古くからなされています。
その神とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
※略
たとえば東洋史学者の白鳥庫吉(しらとり・くらきち、東京帝国大学教授)は
1910(明治43)年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」において、卑弥呼と天照大御神は酷似している、とまで述べています。
■「天岩戸隠れ」は日食か
ところで天照大御神といえば、『古事記』や『日本書紀』に記されている有名な神話に「天の岩戸隠れ」があります。
※略
この神話が、卑弥呼の死没をモチーフにしているとする解釈があります。そのときに皆既日食が起こったのではないかというのです。
そして、卑弥呼の後継者である台与(とよ。『魏志倭人伝』の「壱与」とされています)が擁立されたことを、天の岩戸が明けたときと捉えるのです。
これは決して荒唐無稽な思いつきではありません。卑弥呼の時代にいつ皆既日食が生じたかは実際に調べることができ、
247年3月24日と、翌248年の9月5日にあったことがわかります。
※略
■皆既日食がどう見えたかを手がかりに
※略
現代のサイエンスを駆使して、こうした皆既日食が卑弥呼の時代に、どこでどのように見えたかがわかれば、
邪馬台国がどこにあったかがわかるのではないかという期待がもてます。
天文学者の斉藤国治(旧東京天文台教授)は、1975年に東京天文台を定年で退官したあと、古い天文現象を現代の天文学によって解析する
「古天文学」を提唱し、邪馬台国の位置についても、247年の卑弥呼が没したときと考えられる日食を分析することで、
近畿説と九州説を比較した次のような研究を発表しています。
247年3月24日に日食が起こった時刻は、北九州では日の入りの頃でした。
太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗になり、そのまま日が没したと考えられます。
一方、九州より東に位置する近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
日没後も真っ暗にはならず、徐々に暗くなってゆきます。
この見え方の違いから、皆既日食によって世界が真っ暗になるという恐怖を体験したのは九州の人たちであると斉藤は結論し、
著書『宇宙からのメッセージ―歴史のなかの天文こぼれ話―』(雄山閣、1995年)に次のように記しています。
247年に福岡市で見えた日の入り時の皆既日食を岩戸日食と断定すれば、議論は明快に片付く。
そして卑弥呼の死亡年は247年となり、邪馬台国も九州と言うのが有力となる」
※続きはソースで
日本には江戸時代まで、時間っていう概念が無かったのはマメな
まあ普通に九州だわな
魏志倭人伝にだって壱岐対馬を経由したって書いてあるのに九州すっ飛ばして畿内とかねーわ
卑弥呼=天照じゃ無いよ 天照神話はもっと古いと思うよ
現実に起こった事件が神話に変成されるには もっともっと長い時間が必要だよ
卑弥呼の時代、紀元200年頃の九州には少数でも文字が書ける人間が居たはず…硯が出てるからね
中国と交易してたから、文字を知るのは大事な商売道具だからね古事記編纂時に稗田阿礼が聞き覚えた、、なんて無理、恐らくは各豪族、各地から古伝を文書で送られて来たはず、でないと編纂なんて出来ないからね
稗田阿礼はシナリオライターだったと思われる、太 安万侶は渉外担当
距離を間違えていても進んでいけば必ず到着するけど
方向を間違えていたら進んで行っても到着することはない
古代では距離を正確に測る方法なんてないけど
方向を測る方法はある
九州説の欠点は距離
機内説の欠点は方角
九州説に分があるのは明らかだろ
25 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:39.93 ID:68Ek905f0
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178 > 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる
>>9 天照大御神ってのは、天武天皇、持統天皇の時代に創作されたものだよ
モデルはもちろん持統天皇(女)
26 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:45.99 ID:68Ek905f0
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる
そろそろフェアな文書記録を残す重要性に気づけ
未だにデタラメやってるがなwwwwwwwww
邪馬台国の場所:日本史板での結論
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に
>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう
天照大御神の子孫の神武天皇即位が紀元前600年くらいなのに3世紀の卑弥呼が天照のモデルてどーゆー事?
昔、または邪馬台国よりずっと後に別の場所で起こった日食の体験談を結び付けた
というケースじゃないといいな
祇園山古墳が卑弥呼の墓で
背後にある高良山神籠石遺跡が邪馬台国の遺構な
皆既日食は247年と248年にあったのに
なんで247年だけで検証してるんや
高良山神籠石は神籠石遺跡のセンター的位置にあるもの
魏志倭人伝の記述ともピタリと合う
邪馬台国は御井で決まり
>>22 >>1はただのウソ
247年の皆既日食は日本では見えない
248年の皆既日食の間違い
248年のヤツは北部九州では見えた
>>20 卑弥呼のヤツは仮授だから返却してる
日本には無い
>>16 今どきそんなおとぎ話を信じてる奴はいないよ
九州の文化である破鏡の本州伝播の時期を見れば神武東征は3世紀末~4世紀初めごろ
台与の孫あたりだろう
10 :日本@名無史さん :2022/04/22(金) 07:19:38.38
九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない
九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する
その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期~終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より
弥生時代後期~終末期
古墳時代前期
弥生時代には破鏡の分布はほぼ九州の北半分に偏っていて、本州では九州から海人族が進出していた沿岸部に限られているのに対して
古墳時代になると本州西部全域に分布が広がり、逆に九州からは減少している
九州内でも、弥生時代には熊本平野、大分大野川流域に分布していた破鏡が古墳時代になるときれいに消滅している
破鏡は鏡の破片なので支配者層の持ち物ではなく、それよりやや下級の武人等が身につけたと考えられる
弥生時代に熊本平野に破鏡があるのは狗奴国と戦闘していた邪馬台国の兵が身につけていたものだろう
それが古墳時代に無くなり本州西部に移るのは、弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している
このことは、3世紀まで鉄器のなかった奈良盆地が4世紀に入った途端に大量の鉄器が出土するようになることとも符合する
考古学的に見て、神武東征の時期は3世紀末~4世紀初頭頃
太陽信仰の邪馬台国、
何を信仰していたかちょっと手がかかりに困る邪馬台国、
それぞれ別の平行世界にあったのだとすれば、
>>12 崇神天皇の時代に元伊勢神社が作られたんじゃね?
邪馬台国は福井にあった
昔は日本海側が貿易の海で表日本
太平洋側は裏日本
>>27 東征も東遷もない
考古学的に否定済み
神武東征は記紀の捏造
実際は神武は妻国から招かれて近畿日本の頭に据えて貰った雇われ店長
帯方郡から12000里だから北部九州しかないわな。巻向ってもっと後の崇神天皇の時代。
卑弥呼も邪馬台国も日本の文献には残してもらえなかった
つまり大和から現在まで続く日本国政権から見ると本流ではない
歴史に残してもらえなかった神々
>>41 卑弥呼の場合は自分でホトを矢で射らせた
この時代には残虐な殺し方をされた巫女は霊力を強くして
蘇ると言う迷信があった
倭国大乱で巫女が殺されたことから出て来た迷信
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは
卑弥呼は自分で望んで矢を射らせて死んだから
周りの者は皆それを知っていた
倭国大乱は巫女が奴国王を誣告して、それを知って激怒した奴国王が
巫女を斬り殺したことが原因
オオゲツヒメやウケモチの神話がこの事件を指している
この時代、巫女殺しは非常にショッキングなことだった
だから「殺された巫女は霊力を強くして蘇る」という迷信が生まれた
その迷信を本当に実行しちゃったのが卑弥呼
機織りの梭をホトに刺して死んでしまう巫女が居るよね
あれは卑弥呼のこと
日本ってほんと面白いよね
いつからあるかわからない神社が日本中に山ほどある
しかし過疎地の神社は徐々に村ともども
打ちすてられている
今のうちにインターネットの集合知によって
謎を解き明かしてもらいたい
巫女が奴国王を誣告して斬り殺されたと言う話しが
巫女が口からクソを吐いて奴国王を怒らせて斬り殺された
と言う話しに代わり
更に神話様に変形したのがウケモチとオオゲツヒメの神話
この時代、巫女殺しは余りにショッキングで正視に絶えない事件だった
だから神話では変形しまくってる
「卑弥呼=天照」説が前提とか
サイエンスじゃないだろ~
本当に日食なのかね
たかだか10分ちょっとで大騒ぎするかね
個人的にはムンクの叫びの様に火山噴火による説の方が納得出来るけど
文系にとってのサイエンスってこんなもんでいいのか?
欧州文献でも夏の無い年の記録とか割と全滅しかね無い被害だったし
フランス革命だって原因は火山噴火による寒冷化日照不足による食糧生産の低下が最終的な引き金だったし
10分太陽が隠れたところで曇りだったら気づかないし観測できた所で不吉な凶報くらいで終わりでしょ
>>55 サイエンスだよ
全体が辻褄が合うんだから
>>59 あんたが日食で騒がないのはたまたま現代に生まれて日食の知識があるからにすぎない
魏志倭人伝を素直に読めば邪馬台国がどこにあったのか判る
1.邪馬台国には楼観(物見櫓)、城柵、宮室があった
2.王様を選ぶ時に争いが起きて千人が死んだ
3.倭人は鉄の鏃を使った戦いをする
4.絹織物が特産品である
以上の条件をすべて満たしているのは佐賀県の吉野ヶ里遺跡だけである
大体、日本最古の三種の神器が出土した吉武高木遺跡を農道の下にしてペタペタ人を歩かせといて
祟りガーってアホかお前らはw
トーシロは昔卑弥呼って人気AV女優がいたのを知らんだろう
出雲だな
卑弥呼がああいう神殿で占ってて統治してたイメージがある。あの時代の雰囲気残ってるの出雲ぐらい
吉武高木遺跡が良い証拠だろ
九州倭国と近畿日本は別の国な
他人の王朝の遺跡だから農道の下で上をペタペタ人が歩いても平気なわけな
>>1 1-1
●偏差値50私立理系新設バイオ大学へ入学して卒業した。
すると、無職(むしょく)の私を見て親は混乱(こんらん)、動揺(どうよう)、狼狽(ろうばい)した。
親が混乱、動揺、狼狽する姿を見たくない。
そうなら、中学生は進学高校へ、高校生は上位大学へ入学したほうがいいよ。
私は明石家さんまの名言「生きてるだけで丸儲け」だ。
偏差値50バイオ大学は、男だらけの理工学部とちょっと違う。手先の器用な女が活躍する。
不器用な男教授の実験を女たちに肩代わりさせることによって、何百万円、何千万円もの経費を浮かす。
金持ちであっても弱い立場の男は、その女と男教授の人間関係に巻き込まれないようにね。
・お金持ちに損をさせてお金持ちに結婚を迫る千葉女タイプ
・お金持ちに放火する不良側に立つ女が不良よりも弱い金持ちに女性器出して結婚迫る島根女タイプ
大きく分けてこの2種類の女たちは、将軍H教授がクチャクチャにするバイオ大学にウジャウジャいた。
帝京大学スレッド part23
http://2chb.net/r/kouri/1643457784/10- >>1 1-2
複数の女たちが私へ住所電話番号を渡してるのに、将軍H教授は私を教授会でストーカーだと吊るし上げた。
教授会にいてノーベル賞を獲った大隅萬里子助教授や矢尾板仁助教授に聞けば、
「女が先に連絡先を渡してるのに、対応男をストーカーと決めつけてる」その通りだと答えるだろう。
受賞実験の要は女性の萬里子助教授が、ワトソン・クリックの女房役クリックで、苦労を引き受けたんだろう。
女たちが人前で私に四つんばいで女性器を向けるなど強烈に結婚セックスを迫ってるのに、
将軍が教授会で私をストーカーと決めつけて私の勉強実験を邪魔し私を無職破滅させた。
彼女たちは人前で女性器を私に向けるほど私のことが好きなら、彼女たちは教授会へ乗り込んで私の身の潔白を晴らして欲しかった。そう義務があった。
彼女たちは私に損させて結婚を迫るなど、拷問求婚の異常行動が多くて病気だった。不治の病かもしれないが。
私が5分話し合うと、彼女たちは共通して口から電子サイレン音を鳴らして都合の悪い記憶と正気を失う。
人前で女性器をうんぬんは、女性器を出す女本人を敵に回しかねない、シモの話は言いにくいことだ。
女の証言に頼るほか無い。
人前で女性器を私へ向ける話と違い、もう一度言うけど、
彼女たちが教授会へ乗り込んで「彼はストーカーじゃない。」と否定すれば良い。
>>10 > 距離を間違えていても進んでいけば必ず到着するけど
> 方向を間違えていたら進んで行っても到着することはない
> 古代では距離を正確に測る方法なんてないけど
> 方向を測る方法はある
逆、方角の方がわからんのよ
障害物もなくひたすら真っ直ぐに進めるのなら話は別だけど
現実の道というのは至る所で曲がりくねってる
道なりに歩いた結果、出発点からみて現在地はどの方角にあるのかってのは
GPSとかで出発点と現在地の正確な緯度経度を測定しないと出てこない
>>1 1-3
当時、米ソ冷戦時代の写真機を持ってると、私だけ差別で学科長の教授に叩かれて、卒業が危なかった。
実験研究棟の実習室で島根女が私に女性器を付き出してる写真を撮れればいいけど、
学科長の教授に叩かれて肝心の写真機をキャンパスへ持ち込めない。
銀塩写真機があれば、女の機嫌を取っての女の証言は必要ない。
今はスマートフォン携帯が常識だから、証拠はクラウド保存すれば、端末を教授に破壊されても、助かる。
大学へ教育を受ける権利を主張。今の時代はSNSイジメがあるだろうし、わからない。
弱い立場の金持ち男に損させて結婚を迫る女たちがいた。金銭欲は、田舎娘にそういう暴挙をさせる。
当時の私は、身を守るためにイイ顔して、私を破滅させる女たちに女性器を出されてもセックスしない。
病気女に言うとしたら、その男を助けても、男へ損害を穴埋めする原状回復になるから、結婚はない。
やった暴挙は仕方ないから、リセットボタンを押して、別の男と仲良くなったほうがいい。女の親も喜ぶ。
仮に、女側の娯楽作品作者なら、家族の概念を抜いてあるから、物語を娯楽の展開に舵を切れる。
彼女たちにも家族がいるように、私にも家族がいて、人に損をさせる女を興味本位で家族に混ぜられない。
>>1 女が30歳で医学的に安全な第一子を産む場合、恋愛4年、結婚1年を逆算すると、25歳で私と親密になるのがタイムリミットと決める。
女が人生最高のお膳立てのキャンパスでわざわざ男に損させて求婚する選択肢を選んだら、お互い疎遠になる女25歳時期の挽回はない。
女が二度と無い人生最高のお膳立てで男に損させて求婚したら、逆算でその女からその被害者男の赤ちゃんは産まれてこない。
タイムリミットを決めれば、暴挙女たちの存在が、チンコのないカツアゲ不良男たちに見えて、対立は避けるが敵味方ハッキリする。
バイオ大学卒業(退学)後の話だ。
自分がもうバイオ業界にいない状態で、なおかつ、バイオに未練がないなら、
その女たちにだけ限定し性欲を「淫乱女」など頭ごなしに否定すれば、
在学中と違い疎遠の女たちはこっちに大きな損を与えられない。
女全体の性欲を否定するような揚げ足を取られないよう、それは注意。
> また頭のおかしいこと書いている。
> お前の見たもの、聞いたことは全て幻想だったんだよ。
「お前(富裕層)に女との接点はなく幻覚だ。」と言い、
同時に、損させて求婚してくる千葉女から住所を書いてもらって、
嘘のラブレターを郵送したことはストーカーとでっち上げる。
> お前は人間になりきれていない出来損ない。
> 早く行政の福祉的サポートを受けて治療しろよ。
> 引きこもりは治る病気だぞ。
本来はあなたも「富裕層へ損させて求婚してくる女の方が、出来損ないだ。」と言いたいんだろうが、
将軍H教授の実験を女に無賃代行させるから、当時に置かれたら、暴挙女にモノを言えないだろう。
●単なる公益投稿だ。
相談すると、東大卒の心理カウンセラーはウソだと断言し、現実と違うから、公益で投稿している。
入学すると研究室から腕と肩を捕まれて、物を投げ出すように廊下へ放り出されたから、無理。
入学すると濡れ衣を着せられて、履歴書も就活スーツも買えなくなるほど親子関係が悪くなる。
そこは、女の指先労力を無賃使用する世界で、技術系就職に「最低限」必要な理系教育水準が未達成。
理系学歴もらっても、学食3日分相当の学研の科学学習漫画を読んだ程度。気がついたら廃学部になってた。
>>1 > まるで意味不明。
> いじめられるやつにも原因があるのが分かったよ。
分かってるくせに、偏差値50以下向けに伝わる言い回しで、シラを切ってトボけてるね。
しかし、この投稿部分は「玉の輿狙いの一般女性読者向け」なので一定の抽象概念の表現が許される。
将軍側は「千葉女に言い寄る悪い男を倒す正義の実現のための違法作戦」の大義名分を金科玉条として掲げている。
将軍の手下の一匹二匹の不良を私の側の働きかけで私を殴らせて、不良を警察に微罪逮捕させてもだ。
ただの衝動的な喧嘩扱いの微罪逮捕で将軍の家来はすぐ自由になる。
将軍の使い捨て家来の微罪逮捕で私は余計に危険視され、火に油を注ぐ。
将軍自身の研究の進捗を守るためにある建前の「千葉女たちをストーカーから守る正義の実現の大義名分」がある限り、
私の在学中の不良の逮捕が、将軍や別の富裕層を憎悪する巨大グループの用心深い嫌がらせに変化し、無職での卒業もままならない。
(卒業後に上野原警察に相談した以外にも、大学休学中にも別の暴挙女とその他の問題で上野原警察に相談した。
事を荒立てないよう対立を避けて教育妨害する不良へ金品献上で卒業し、不良と争った物証の物理ケガがないので、警察は動けない。)
今の時代は一部の暴挙女たちの異常行動をスマホのクラウド保存や秋葉原の小型防犯機器で記録すれば、金科玉条の大義名分は消える。
記録は、守るに値しない金目当ての強欲淫乱女たちだと公開ができ(総務課に形だけ事前相談し)学内中に周知できる。
(玉の輿研究の一般女性読者に向け文章に「強欲女」とは理解させやすい反面、強い倦怠感を与える書きにくい内容だ。)
そこで、将軍H教授の掲げる「どんな汚い手を使ってでも千葉女たちを守って正義の実現をしろ。」と富裕層を排除する大義が消え、
将軍は偉い先生たちがいる教授会で私の悪口を言えなくなる。
(当時の昭和仕様のデカイ銀塩写真機は学科長の教授に差別で撮影禁止され、島根女や千葉女たちの異常行動の物証を残せなかった。)
島根女や千葉女を失った将軍の実験代行は、女であれば先天的に手先が器用で無菌操作等の練習期間さえあれば、
学内に代わりはいくらでもいる。
代わりの女がいなければ、面目を失った将軍自身がバイオ研究規模を縮小させればいい。
>>1 ●「中瀬ゆかり作戦」「大久保佳代子作戦」
私は不良にカツアゲされてるとき、表に出す表情と考えてることが違い、不良も私の痛みを知ってて、カツアゲ金額の減額交渉になる。
一方、私が一部のバイオ女たちに拷問求婚されてるとき、リアクション芸によって、拍子抜けするほどアッサリ結婚を先送りできる。
拷問求婚する女たちは、私が暴挙女たちとセックスしたがってると本気で思って「もったいぶる」ので、入籍先送り作戦に引っ掛かる。
裏を返せば、私が暴挙女たちへ発する「拷問求婚をやめて」という暴挙の翻意を促すシグナルが伝わらない。
当時の私は、暴挙の翻意を促しても伝わらないから、促す行為に労力を投入して消耗し、電池切れを起こした。
・中瀬ゆかり作戦
仮定の話だが、ここで「富裕層と結婚するために(常識で富裕層と)セックスしたらどう?」と強要にならない提案をしたらだ。
「5時の夢中!」木曜日の中瀬ゆかりさんの発言返答パターンのように、
富裕層とのセックスをもったいぶる暴挙女たちは、富裕層と違う男でセックス技能習得をするだろう。
多くの男子学部生たちは、その非常識な練習性交の暴挙女たちをさげすんで、暴挙女たちは発言力を失い、私は勉強実験する自由を得る。
今の時代は、中瀬ゆかり作戦よりもスマホのクラウド保存や秋葉原の小型防犯機器で異常事態の証拠を押さえて法的措置をするのがいい。
・大久保佳代子作戦
これも仮定の話だが「小細工でモテるブス女を破滅させるのが大好物」とテレビで匂わせる大久保佳代子さんタイプにわかる言い回しで
(大久保佳代子さんタイプは女人脈が「年中不良男の体臭を嗅ぐ島根女」より強固で、会話方法は偏差値50以下向け話法とは全く違う)、
島根女タイプが(投稿には書いてないが)ブス行為でズル賢く支持されてることを伝えれば、
島根女タイプはバイオの女便所で敵だらけの地獄になり発言力を失い、私は勉強実験する自由を半分くらいは得る
(不思議ちゃんの千葉女タイプは女の世界の殴り合いに強いのでそういう次元は関係ない。)。
今の時代は、大久保佳代子作戦よりもスマホのクラウド保存や秋葉原の小型防犯機器で証拠を押さえて法的措置をするのがいい。
>>79 大体、仮説じゃサイエンスじゃないって言ったら数学以外全部
サイエンスじゃないことになるからね
歴史学なんて全部成り立たなくなる
自然な説明が出来れば、それが正しいと言うこと
>>1 ●暴挙女たちの変化しにくい三つの要素
・暴挙女たちは私から結婚相手として必要とされてるという誤った自信を持つ
・将軍の実験代行候補として期待されるので強い発言力が与えられる
・金目当てで富裕層に損させて求婚する婚活手法を選択する
(島根女タイプの場合は富裕層を憎悪する不良側の縄張りに立ちながら富裕層と結婚できるという誤算)
被害者側は顔芸やリアクション芸、嘘恋文などなどの手段で暴挙女側へ結婚できると期待を持たせる誤解を続けさせ、
「いつでも結婚できるんだから暴挙をやめて」と破滅を先送りする。
被害者側が、暴挙女たち側の誤解を利用する防御手段をしながら、
暴挙女たちへ「拷問求婚は無駄だ。」と暴挙の翻意を促す矛盾するシグナルを送る。
仮に小説なら、暴挙女の側が暴挙女側の認知能力で間違いシグナルに気がついて暴挙をやめ他の男を追い求める筋もある。
しかし、無業者だらけで廃学部になる偏差値50バイオ大学で発言力の強い女たちが弱い立場の富裕層に拷問求婚するとは、
被害者側をバカにしてるので暴挙女たち側は大きな精神力を投入して「暴挙の翻意を促すシグナル」を読み取ることはない。
加えて、私の側が、暴挙女たちは悪党たちに操られてるから暴挙をすると見誤って、操る糸を切ろうとする増大コストも払って、
暴挙の翻意を促して消耗し電池切れになる。
被害者側はどの道、勉強実験を邪魔されて無職卒業する(何かの偶然が重なり退学になる可能性もあった。)。
大学側が学部生の教育機会を確保させない、就職や進学の面倒を見ないで、廃学部になる世界だった。(今は医療資格学校に変わった。)
暴挙女たちの三つの要素は変化しにくいので、当時の私は将棋の詰みだ。
前述の「中瀬ゆかり作戦」や「大久保佳代子作戦」もあるが、
当時の私は中瀬ゆかりさんの異常な婚活観を知らないし、大久保佳代子さんの異常な大好物を知らないので、
当時の私はその異常性を足掛かりにした自衛作戦を思い付かないだろう。
詰んでる。
今の時代はスマホのクラウド保存や秋葉原の小型防犯機器があるので、全く同じ被害なら、異常状況を記録して法的救済を受ける。
伊都国基点の放射読みをすべきなのは
伊都国の記述のあと直ぐ使いは全部ここに留まると書いてあることから明らか
放射読みすべきなのは疑いが全くない
日蝕如きでそんな大騒ぎしてたらハレー彗星なんてどうなっちまうのよ
おれがまだ一度しか見たこと無いけど裸眼だけでに普通に見えるくらい大きかったし数日単位で見れるから見逃しようないし
そんなのが82年に1回は飛んでくる訳で
>>1 ●婚活は女性の妊娠可能年齢を逆算で考えるのが大切
妊娠は35歳が医学的限界で、例外もあるが奇形児可を含めてまともな自然妊娠が35歳になるとしにくくなる。
女性は30歳ぐらいに第一子出産が、五体満足の健康な子供を産む安全圏の時間期限だ。
偏差値50大学で弱い立場の富裕層に損させて求婚する女たちが、心を入れ替えて迫害される富裕層の第一子を産むか?
人間には無限の可能性があって、可能性ばかり考えると、考えがまとまらなくなる。
特に超ド級高学歴の社会学心理学インテリたちの助言が、実際の経験上、ロクでもないことを言う。
妊娠限界年齢の逆算こそが、その女と結婚できるかできないかの判断決断の助けになる。
女が五体満足の子を産むには30歳までが安全圈と決めると、平均恋愛期間が4年、結婚1年だから、
もう大学生になって赤の他人の男へ拷問求婚する悪い女たちが、25歳までに優しい女へと行動変容するか?
幼い子供が7年後には性格がまるで変わるのは良くある。
しかし、大学生にもなると、環境変化があっても7年後の25歳でプライベートの行動変容は起こりにくい。
この暴挙女たちが被害者男性の子を30歳までに産むのはほぼ不可能と私には思える。
そう逆算すると拷問求婚してくる一部のバイオ女たちへ結婚拒否の気持ちの整理ができる。
赤の他人に拷問求婚してくる女たちは、チンコが生えていないカツアゲ不良として接すれば、限りのある人生で誤算がないと思う。
たとえバイオ大学内部で発言力がある恐ろしいバイオ女たちでも、
「こいつは女じゃない。手先が器用だが、チンコがない不良男だ。」と見なせば、荒れた公立で不良対応した経験から気持ちが楽になる。
それに田舎者の彼女たちは「被害者側が作る笑顔」と「感じる痛み」とが違うとは全く予期してない。チョロい。
(ごく普通の不良は、カツアゲされてる側の恐怖と痛みを正確に把握してる。)
暴挙女たちからどんなに揺さぶり求婚をされても「こいつはチンコのないカツアゲ不良男だ。」として自衛策を立てられる。
カツアゲ不良から身を守ることに、被害者側は心の葛藤は起こらない。
今の時代は、スマホのクラウド保存や秋葉原の小型防犯機器で異常事象を記録すれば、法的救済を受けられる。
>>87 うわあ。数学以外全部とか言っちゃってるよ
ゲーデルの不完全性定理も知らなさそうな痛いレスだな
>>1 ●「三枚のお札」の便所
バイオ大学で一部のバイオ女たちがモヤシ金持ち坊っちゃんへ拷問求婚する。
その被害者の坊っちゃんが自衛で暴挙女たちに良い顔をして、昔話の「三枚のお札」のヤマンバの便所のように入籍を先送りし、
暴挙女たちへは指一本触れず、ほうほうのていで無職卒業する。
相手に損させて求婚する女が男に逃げられて落ち込むか?落ち込むわけない。
相手に大損させて求婚したくせに、逃げた男のあら探しをして、自分を正当化するだろう。
理系大学で勉強実験したがる理系男に一度もキスされずに逃げられたら、今の時代なら「発達障害」なんて格好のレッテルがある。
「あの男は発達障害だ。」と別の男を探せば良い。別の男が見つかればね。男を見つけて元気な赤ちゃんを産んでね。
大学生まで成長しきってる女が男へ拷問求婚したら、前述の期限の女25歳までに男へ優しく接する行動変容はたぶん起こらない。
25歳までに他の男へちゃんと優しく接することができたら、モヤシ金持ち坊っちゃんだけをバカにしておちょくってたということだ。
配偶者候補を選んで、その男へ向かって故意に拷問求婚して大損させてくる大学生年齢の女とは、結婚はない。
それに拷問求婚してくる女たちは「被害者側が作る笑顔」と「感じる痛み」とが違うとは全く予期してない。
ごく普通のカツアゲ不良の対応よりも単純。ごく普通の不良は、カツアゲされてる側の恐怖と痛みを正確に把握してる。
カツアゲ不良が富裕層の感じる恐怖と痛みを正確に把握しないと、獲物に逃げられるから。
短い説明が難しいが、カツアゲ不良側が「袋のネズミ」を確認してると、こっちは観念してカツアゲ金額の減額交渉に移り、脱出。
当時は、その暴挙女たちが悪党たちに操られていたように見えて、必死に女たちへ暴挙の翻意を促し、ひどく消耗して電池切れになった。
電池切れを起こすと、他の人への挨拶もままならなくなり、頭も回らないわで、大変だった。
正直なあんま信用無いんだよね日本の考古学
ゴットハンド先生に聞けば場所特定してくれるんじゃ無いか
>>10 過去の移動記録という意味では逆じゃない?
どちらの方向に進んだかよりも、どれぐらいの時間がかかったかのほうが確実な記録になりやすいはず
古代ギリシャ人は既にアンティキティラの歯車
コンピュータを作って日食や天体の運行まで
予測してたのに、同じ頃の日本人は文字もなく
天岩戸伝説を残しただけって、同じ人間なのに
どうしてそんなに差がついてたんだろう。
この話の真偽は別として、理科系の優秀な人達が考古学に参入したら、考古学は一変すると
思う。
>>96 大体全部ゴットハンド先生が悪い
アレのせいで大体全部検証し直さなきゃならんくなった
世界からも信用ゼロになったし
ゴッドハンドさんのときは昔のことにこだわる行為について海外の人には信じられないって言われてた
日本人はなんでそんな昔の歴史を偽装してまでこだわるんだと
海外だとそんなのないらしい
>>96 例えば、現代日本人でもノーベル賞を取る学者もいれば、算数すら覚束ない人もいるわけで、
一体どこで差がつくのかは興味深いよね。
>>96 ギリシャは世界トップの先進地域だったのになんで現代ではあんなになっちゃったんだろうねw
>>103 大きな川が有って肥沃な土地に人が集まりやすいから発展の速度は早いけど人が集まりすぎて派閥発生したり遊牧民族が襲ってきたり外敵多くて戦争になるから足引っ張りあって ある程度で発展が止まってしまうとか
イギリスや日本みたいに島国だと人口の増加と発展は遅くても外敵が攻めづらく戦争が少なく平和な期間が多く時間経過と共に逆転するとかそんな感じだったよ
地政学的な話だと
そもそも邪馬台国が日本だと何故勘違いした?
邪馬台国は邪魔台国をもじった呼び名
つまりシナにとって邪魔な国、台湾国の事だと気づけよアホ学者共
>>7 吉野ヶ里遺跡は町興しで作った単なるテーマパークだから歴史なんて無いよw
>96
ガイアの法則
地球の自転軸が回転する25776年の歳差周期
その周期の1/16、1611年周期で文明の中心地が東西で移り変わっている。
東側は精神文明が栄え、西側は物質文明が栄える傾向がある。
これから新たな文明の中心となるところは子午線の通る日本の明石、淡路島近辺
天岩戸隠れって、なにかの騒乱を象徴的に表したものではないの?
本当にあった前提で考えるのはどうなの
>>96 まー侵略したりされたりしたから、
いろんな国の天文学が合わさったんよ。
バカ丸出し。自分たちで自分たちを九割がた殺戮して、よそから奴隷や傭兵を連れてきてまで殺戮をやめず、
混血だらけになり、北方の騎馬傭兵に国を奪われたサイコなテーノー民族のテキトーな文書をありがたがる宗教。
状況証拠からも九州説でしょ。
神武も東征してるし。
九州のどこだったのかが問題。
魏志倭人伝を読めば別に古代史最大の謎ではないけどw
北部九州
天照大神と卑弥呼を同一視できるのかがまず問題だし、
その日食起きた頃には卑弥呼死んで大乱起きてるか死にかけだろと。
一回隠れた卑弥呼が出てきて万々歳、とはならない。
>>120 九州の遺跡からはネズミに齧られてない大量の桃の種とカエルの骨が見つかってないから纒向が有利力らしいw
どいつもこいつも唐の都で日本の領土の馬鹿でかさを
自慢して帰っていくが、
我々はウソをついているんじゃ無いかと思っている😂
そもそも日本の考古学は頭大丈夫なのですかという所あるよなw
近畿説で唯一の根拠と言われる「南至投馬国水行二十日」の1文
それまで里数で道順示してたのに、急に日数で示してる。これ、どう見ても不自然で別の時代書き足したでしょとしか思えない
>>123 魏志倭人伝に書かれたのは邪馬台国の一時代に過ぎないのにその女王がたまたま天照だったなんてことがあるだろうか?とは思ってた
卑弥呼に日食伝説なんてないだろ
勝手に卑弥呼=アマテラスを決めつけるなよ
場所すらわからないのに
卑弥呼の行動はわかるとか
なんとも胡散臭い話だ
日本は嘘で塗り固められた歴史のようだ
>>131 北部九州説でも投馬國は宮崎県西都市妻地区が有力視されてるね
長官と副官がそれぞれ彌彌と彌彌那利とあるが妻地区の地名にも耳川が流れてるのが論拠の一つらしいね
>>1 > 247年3月24日に日食が起こった時刻は、北九州では日の入りの頃でした。
> 太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗になり、そのまま日が没したと考えられます。
> 一方、九州より東に位置する近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
???
> 一方、九州より東に位置する近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
本日の日没時刻
奈良 19時12分
福岡 19時31分
科学的に
> 一方、九州より東に位置する近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
コレは、有り得ないwww
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A2?wprov=sfti1 住んでたんでしょ?やっぱり…返してあげないと!
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埼玉
筑紫平野も奈良盆地も巨大淡水湖で卑弥呼の時代
数万戸の大国になるだけの、米の生産なんて出来ない。
>>139 日食は月の影が地上に反映したもの
だからその影は西から東へと動く
ただ日没時刻を比較するんじゃなくて、地上各地で見られる影の状況の時間差を考えないと。
昔は「改暦」を頻繁にやっていたからねー。まあ太陽暦換算の日付で
言っているんだろうが、うっかりすると二月も違ったりするからね。
>>1 > 247年3月24日と、翌248年の9月5日にあったことがわかります。
と書いてんのに何で247年の日食のことしか言及が無いんだ??
248年の方は何か都合が悪いのか??
この頃の日本は記録を残しておく知恵は無かったのかな
天岩戸隠れ=日食説など過去に何回か聞いたことがある、
けっこう説得力のある説だと思うけど学会では何故か黙殺されるんだよね、
九州説と近畿説が拮抗した状態を続けたい勢力が存在してるのかな
実際はそんなに太陽なんか見ないしただの曇りくらいにしか思わない。
日食になっても真っ暗になるわけではないし。たんに薄暗くなるだけ
>>131 別の時代の書き足しというか、日本に関する伝聞集だからな。
当時、辺境の海越えた訳わからん国の詳細なルートなんて偉い人は知らんから、知ってそうなヤツから話を集めた。
当然、よくわかってないから間違った噂話も混じってるから、魏志倭人伝の話を全部真実とすると矛盾が生じて辿り着けない。
>>148 説としては有りだけどそれだけじゃ学会では話にならんだろ。
トロイの木馬の伝説状態。
蝕はこう見えたはず、だからこの地点に遺跡があるはず、実際にあった。さらにそれを補強する遺物が色々なところから発見されたとならないと。
卑弥呼が魏から鏡を貰ったのは景初三年(239年)だから、そこに時代を合わそうとしてるのかも
しれないけど、239年に遣いを送ってるということは、それよりずっと前に統一しているはず。
天岩戸隠れは冬至説もあるんだけどなw
つまり冬至を境に日が延びてくるから
卑弥呼は小国の王に過ぎず、
大戦の末の和睦交渉の際に名目上の盟主として担ぎ上げられただけ
っていう説が好き
>>36 しかし神道の祭祀を担っていた安曇一族は宗像を起源に持つ海の一族
1週間くらい続くならまだしも10分足らずの現象でこんな神話になるかねえ
>>80 海を渡って来たんだから船乗りが同行してる
船乗りが方角を間違う訳がない
>>158 そのあと一週間くらい曇り続きなら、有り得る
>>6 寛喜三年四月小十四日庚午
陰 月蝕 虧初丑七刻 復末寅一刻 不現云々
鎌倉時代の吾妻鏡での月蝕が在った事を記した文
欠け始めの時刻から満ちた時刻を記している
平安時代など、陰陽師が時刻を計算して月蝕などの発生時間を奏上していたのだ
九州の邪馬台国は畿内のヤマト王権に滅ぼされたってのが一番シンプルだよな
いやいやイヤ あそこ普通に翡翠落ちてるから
何でそれと結びつける
特定の神さまだけ特定の伝承だけ持ち上げるのは好かないがアマテラスの話か
アマテラスは伊勢に祀られている神さま
能の三輪によれば伊勢の神と三輪の神は同じらしい
岩戸は関のことじゃないかという示唆も与えてくれる
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
アマテラスの別名は撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命
サカキのイワを撞いて、塞いでいるものを取り除き天を通した向かいの津の姫ということか?
邪馬台国九州出張所が福岡にあっただけ(´・ω・`)卑弥呼はそこの事務の姉ちゃんだよ
>>158 この手の天文学的なアプローチはけっこう有名だよ
古来、日食始め月蝕などは重大な変じだったからな
例えば、中国の夏の時代には、日食が在ったのに報告しなかったと天文を予想する者が処刑されたと記されているのだが
天文学的に該当する日食が無いので、記載の信憑性が疑われたり
中国と異なりその時代の日本にはそこらの知識は無くとも太陽が隠れる変事であるので、それを記載してもおかしくはない
しかし、記紀の記載は、古事記や日本書紀が編纂された時代のものを過去の天皇の時代の事績として投影している記載も多く
古事記は推古天皇の時代まで記載されているので、推古天皇の時代に起こった日食を過去の天照の事績として投影した可能性も高い
実際、その推古天皇の時代の日食の発生から数日して推古天皇が崩御しているので
天照もそれを投影して、過去が改変されたという可能性だな
>>164 翡翠そのものはあっても
それを古代日本人が使ってた歴史が忘れられてたという話だろ
戦前まで古代日本人の使ってた翡翠は全部大陸原産だと考えられてた
ところが日本神話とか古代の文献を調査したら実は全て日本産だったことが判明したという話
>>5 隋書には魏志にある邪馬台は大和の事であると書いてるよ
天照と神功のモデルは推古天皇だろうな
記紀が作られる年代とも合致してる
>>8 邪馬台国に行くには一旦奴国や伊都国のあたりに上陸してから水行すると魏志倭人伝に書いてるんだよ
通り過ぎてるから逆に九州ではないね
アマテラスが祀られている伊勢
伊勢という地名は元々その地を治めていた伊勢津彦から名付けられたらしい
伊勢津彦は伊賀に石の砦を築いていたという伝承もある
伊勢津彦はイワ大神の子で、ヤマト政権誕生時に敗れ、風になりシナノに逃れた、風になり東国に逃れたという伝承が残っている
伊勢津彦は風の神さま
伊勢に祀られている風の神さまの名はシナツ彦
信濃のシナと関係があるのだろうか?
シナが付く枕詞がある
シナ照るは片岡やにほ鳥に掛かる枕詞で、坂照るの字を当てられることもある
ちなみににほ鳥のは息長川やカツシカに掛かる枕詞
伊勢と言えば夫婦岩、固い絆で結ばれた岩
推古天皇の前から天照大御神や神功皇后は
神社で祀られていたよ
>>25 その500年前の出来事かもしれんだろ、千年前かも、、
比喩するのなら、卑弥呼が亡くなって世の中が混乱して壱与が擁立されて安定した話かも知れんし、、どうとでも取れる
たかが300年ほど前の話を神話化するのには身近すぎるんだよね
イワ大神の伝承は播磨風土記に幾つも出てくる
今の兵庫辺りを拠点にしていた神さまなんだろうか?
イワがつく人物で思い出すのはイワナガヒメ
イワナガヒメはコノハナチルヒメと同一と言われている
イワナガヒメは須佐之男命の子の八島士奴美神と結婚する、木花知流比売と言われている
八島士奴美神、またの名は清之湯山主三名狹漏彦八嶋、またの名は篠清之繁名坂軽彦八嶋手命
>>178 ああブサイク女神ね
とあるラノベじゃ美人過ぎてわざとブサイクだと触れ回ったという設定だったが
前8世紀、縄文晩期の寒冷化で人口が南に偏る
津軽の亀ヶ岡式土器の影響を受けて弥生式土器が誕生
長江流域に住んでいた龍信仰の百越系海人により倭国両岸に稲作が伝播
前4世紀、燕国から鉄器が伝来
まず倭国両岸には縄文人しか住んで居なかった。
弥生初期に稲作を持ってきた龍信仰の百越系海人が倭国両岸に徐々に流入共存し始めて、
古墳時代になると鳥を崇める太陽信仰の天孫族が大陸北方から本格的に南下して来たのが大まかな流れ
日本人の内なる3重構造
2~3世紀『魏志倭人伝』倭人の習俗
男子は大小と無く皆、鯨面文身す
男子は皆、露紒し
木綿を以て頭に縛り
其の衣は横幅、但々結束して相連ね、略々縫うこと無し
渡海して中国に詣でる際は常に一人を頭は櫛を通さず虱のいるまま衣服は汚れ放題、肉は食べず、婦人を近づけず、喪人のようにしておく、これの名を持衰という
倭王卑弥呼が魏に絹布を持参して朝貢
弥生時代に蚕飼と絹織技術は北九州にしかなかった
4~5世紀 四道将軍派遣、景行天皇、神功皇后、雄略天皇
奈良の纏向から高塚古墳が全国へ拡大、中央集権国家の成立
南東北~北陸~出雲~北九州~朝鮮半島を征服『東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国』
5~6世紀 蘇我氏が仏教や百済文化を積極的に取り入れて飛鳥を開発、先進都市化する
南九州の地下式板石積石室墓・立石土壙墓・地下式横穴墓人骨の習俗
赤色顔料の塗布
縄文形質
異形鉄器
インドネシアのクリスに似た蛇行剣を用いる
7~9世紀 大宝令『夷人雑類とは、エミシ・クマビト・アマミビト等の類を謂う』
肥人の習俗
肥人の額髪結へる染木綿の染みにし心我忘れめや(万葉集)とあるように、結髪法も大和人の髻と違った額髪であり、
染木綿で頭を捲いていたことは隼人と同じであって、今日、東南アジアにも見られる習俗である
(西九州古墳人・箱式石棺墓)底顔という点では南九州古墳人をしのぎ、大腿骨骨体の柱状性も強い
隼人の習俗
朱丹・顔面塗布
白・赤に染めた木綿の耳形鬘(南西アジア・東南アジアにみられる「裏頭」の系統を引くともされる)
大横の布衫
緋色の肩布(悪霊を祓う呪物)
犬・狼のトーテムを持つ
犬舞・狗吠を使う
日向神話の元ネタは赤道のニューギニア付近
・国立天文台は「3世紀の日食の場所なんて正確に計算できません」と、議論への関与を拒否
・2009年の皆既日食のとき、こちらでは部分日食だったけど、暗くなり始めると鳥や犬が騒いで
食が最大になったころは黄昏のようで、鳥や犬も静まって…あれは本当に神秘的な体験だった。
喜界島の皆既日食が本州であれなんだから、3世紀に本州~北九州で皆既日食があったなら、部分日食といえども真っ暗になったはずで、
厳密に皆既日食か部分日食かなんて関係なくどこででも天岩屋戸神話が生まれる可能性がある
歴史あんまり詳しくないから口出せないけど、やっぱり場所が特定出来ると他にも色々分かったりすることが有るのかね
当時の情勢
・朝鮮半島北部の高句麗(紀元前37年から7世紀) 首都は卒本城→丸都城(-427年)→平壌城(427年-668年)
・朝鮮半島南部の三韓(紀元前2世紀末から4世紀)
言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の3つに分かれていたことから「三韓」といった。
朝鮮半島南西部の馬韓52カ国〔後の百済〕、朝鮮半島南部の弁韓12カ国〔後の任那・加羅〕、朝鮮半島南東部の辰韓12カ国〔後の新羅〕
(346年):百済は国際舞台に初めて登場する。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。蘇我氏の出自は半島南西部の全羅道とされている。
『三国史記』(1143年執筆)では紀元前18年建国になっており、韓国・北朝鮮の国定教科書ではこれを引用している。
歴史的な建国時期に関しては、三国史記の記述自体に対する疑いもあるため、韓国でも紀元前1世紀説から紀元後3世紀説までさまざまな説がある。
またその当時に書かれた中国・倭等の文献と後年になって書かれた三国史記の内容には隔たりがある。
中国の史料で百済という国号が明らかになるのは4世紀の近肖古王からである。
(369年):百済から倭国へ七支刀を献上している。
4世紀後半以降、倭国(ヤマト王権)が朝鮮半島南部へ進出したことを示す文献史料・考古史料は少なからず残されており、
史実として立証されている。〔広開土王碑・七支刀などの考古物や中国朝鮮の文献など、全く別の史料によって実証されており研究がすすめられている。〕
(413年から478年):倭国(ヤマト王権)の倭の五王〔允恭天皇、安康天皇、雄略天皇など〕は、
東晋→宋〔中国南北朝時代の南朝〕に断続的に朝貢を続け、朝鮮半島南部での倭国の支配権の国際的承認を求めた。
南朝は朝鮮半島南部の徴発権、軍事指揮権、裁判権は倭国(ヤマト王権)にあると認めた。
(7世紀中葉):倭国が白村江の戦の敗北により大陸での影響力を完全に喪失する。国号を「日本」と改める。
神功皇后の三韓征伐(4世紀後半)について
・中国側の視点
宋書(479年)等の記述は、倭国が朝鮮半島南部の小国家群に対して支配力を及ぼしていた傍証であり、
南朝梁の梁職貢図(469年〜530年)には、新羅が或るときは韓の属国であり、或るときは倭の属国であったと記載されている。
・朝鮮側の視点
朝鮮側の史書三国史記(1145年)からも度重なる倭の侵攻や新羅や百済が倭に王子を人質に差し出していたことが知られる(倭・倭人関連の朝鮮文献)。
また、韓国南部の旧加羅(任那)地域の前方後円墳の発掘で倭国産の遺物が出ていることも証拠の1つとなる。
・高句麗側の視点
広開土王碑文(414年)には、4世紀末に倭国が朝鮮半島に進出して百済や新羅を臣従させ、高句麗と激しく戦ったことが記録されている。
・日本側の視点
日本書紀(720年)等の史書では、百済が倭国に対して複数回朝貢し人質を献上していたことが記述されている。
391年、倭が百済と新羅を破り臣民とする。393年には倭が新羅の王都を包囲する。397年、百済が倭国に阿シン王の王子腆支を人質に送り国交を結んだ。
いったん高句麗に従属した百済が、399年高句麗を裏切り倭と通じる。400年には倭が新羅の王都を占領していた。
高句麗の広開土王が新羅の要請に応じて軍を派遣し、倭軍を任那・加羅に退かせ、高句麗軍はこれを追撃した。
402年、新羅も倭国に奈忽王の子未斯欣を人質に送り国交を結ぶ。404年には高句麗領帯方界にまで倭が攻め込んでいる。
卑弥呼の時代(3世紀中頃)
狗邪韓国(3世紀中頃)朝鮮半島南部〔後の任那・加羅〕にあった国。中国正史の『三国志』や『後漢書』に見え、『三国志』では「其(=倭国)の北岸の狗邪韓国」とある。『後漢書』では「倭の西北端の国」とする。
・『三国志』「魏書」東夷伝韓条には、 韓は南方では陸続きに倭と接すると述べている。倭国(または倭人居住地)の領域内とする説、領域外で対岸とする説、倭の海と岸が接する意味とする説の3説が挙げられている。
・『後漢書』東夷伝(列伝第七十五)は三韓の位置関係をより具体的に、「韓」の西岸に馬韓が、東岸の北部に辰韓、東岸の南部に弁辰(辰韓)があり、馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と述べ、ここでも朝鮮半島の南海岸部から「倭」の領域であるとしている。
・『後漢書』東夷伝倭人条では、邪馬台国は楽浪郡から「一万二千里」、倭の西北端である狗邪韓国は楽浪郡から「七千里」と記されている。
韓国の欲知島新石器時代個体はmt-M7aで、これは結局縄文人女性が普通に九州から半島に渡っていた傍証になる
https://www.kyushu-u.ac.jp/f/46087/21_11_26_02.pdf >韓国の欲知島Yokchido遺跡出土の女性人骨のDNAが95%縄文という結果が得られた。
>年代は新石器時代中期、紀元前3500―2000年と推定される。
>九州と韓国の間、黒曜石や貝製品などの交易が縄文時代にあったことは考古学的な調査で既にわかっていたが、DNA分析で証明できたことは重要である。
>また、従来の考古学者はこの縄文時代の日韓交易は男性を中心とした漁猟集団が行ったと考える研究者が多いが、
>欲知島遺跡の縄文系人骨は女性 であったことから、男性と女性の両方がこの交流に参加したと考えられる。
半島に住む縄文人と大陸北部から南下して来た華北との混血が初期の渡来系弥生人
弥生初期の福岡新町遺跡では、大陸式の支石墓(ドルメン)に完全な縄文人(在来系弥生人)が埋葬されていたことから
ぽつぽつと渡来する少数の渡来系弥生人を圧倒的数で勝る在来系弥生人が受け入れながら共生する様子が伺える。
>>80 天文学がなんのために発展してきたと思ってんだ
北極星がなぜ重要視されてきたと思ってんだ
奈良からは楼観・城柵のある遺跡は見つかっていないし、倭人が使っていた
鉄の鏃の出土もゼロ。絹織物の出土も無いので倭人伝の記述とは合致
しないから邪馬台国畿内説は破綻している。吉野ヶ里が邪馬台国であるのは
確定だし卑弥呼の墓は伊都国の平原女王墓と言う事になっている
伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
製鉄関係はもう少し南まで続いているので、
>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
狗奴国との国境は菊池川だろう
鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの
免田式土器だけじゃなく、海人の宝である貝輪や弥生時代の鉄工房の分布とも一致する
考古学的に見ても文献的に見ても海人族の最大勢力・安曇が伊都王家なのは明白
伊都の安曇族を味方につけて海運を掌握したからこそ邪馬台国は強大になれた
特に鉄原料が国産化されておらず弁韓からの輸入に頼っていた時代には、海運を制するものが圧倒的優位であった
纏向を発掘した当事者である関川氏も畿内は違うと仰っている
考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku335.htm > 1.考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 (関川尚功先生)
> ・出土品と大陸系遺物の存在
> これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
> 大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
> (2)纒向遺跡の実態
> ・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
> 断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の
> 大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。纒向からは10本以上がみつかつている。
> 木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。
> 大陸系の土器が出てこない。
> 纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
> 九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F > 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
> 概略
> 1971年(昭和46年)から奈良県立橿原考古学研究所の所員として奈良県桜井市の纒向遺跡の調査に携わった。
> 石野博信とともに報告書『纒向』(1976年)を著したが、とくに外部から搬入された土器の分析と整理は関川がおこない、
> 古墳時代の考古学的な研究において、きわめて重要で画期的な資料となった。
強引にに無理やりに九州に皆既日食があったみたいな事実を
作り上げたかのように感じたわ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%BA%9C 九州王朝説では、大宰府が、古代北九州王朝の首都(倭京)であったと主張している。
大宰府には天子の居所であることを示す「紫宸殿」「朱雀」「内裏」といった地名が残っていること、山城である神籠石の分布が畿内ではなく大宰府を防衛していることが明らかであること、条坊築造時期が藤原京条坊築造時期より古い可能性があり、その場合、日本最古の条坊がなぜ大宰府に築造されたのかの合理的説明が難しいなど、一概に俗説に過ぎないと言い切れない面もある。
井上は、第一期大宰府政庁の条坊築造時期について7世紀末との説を発表したが、さらに観世音寺よりも条坊が先行する可能性も示している[19][20][21]。観世音寺創建が7世紀後半とされることを考え合わせると、大宰府条坊築造時期はそれ以前ということになり、日本史上最古とされる藤原京条坊築造時期と同時期あるいはより古い可能性が出てくる。
神籠石
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%A0%E7%9F%B3 また、仮にこれらすべてが単純に古代山城であった場合でも、それらが戦略拠点たりえた状況を含めて、そのようなものが西日本の広範な地域に存在していること、現在までほとんど知られていなかったことは、大和王朝成立前後や、その過程の古代史を考える上で非常に重要なはずであるが、現代(21世紀初頭)の歴史研究を取り巻く環境の中で強い興味を持って捉えられることは少ないことから、歴史がどのように形成されていくのかを現代において知る極めて有効な事例であるとの声もある。
古代の日本の中心はやっぱり九州だね
87 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/28(水) 02:23:05.26 ID:02Gx9kmc0
面白いものを見つけた
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が
九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ラインだろ
>>189 違う、倭王武が中国に朝鮮南部の軍事権を認めて欲しいと上表したら
百済はだめだと認めてもらえず倭国は百済の一個下の格の低い将軍になった
>>1 卑弥呼 まず この当て字が アカンねん
× 卑弥呼
〇 日巫女
日の巫女だから、アマテラス と 同一視が可能となる
巫女は神事をつかさどる
つまり
巫女がいる場所には、御神体が必須
北九州に
日本古来からの有力な御神体は存在せぬ
纏向には
日本最古の神社、大神神社と、その御神体
伊勢より格上の日本最古にして最高の聖地 三輪山が鎮座
纏向を中心に
日が昇る方向の地の果てに 伊勢
日が沈む方向の地の果てに 出雲
九州にコレを超える聖地があるか?
なるほど
日食が見られたのは九州だから、邪馬台国は九州か
そういう方向から考察しても九州説になるんなら
やっぱり邪馬台国は九州になるんだろう
>>204 日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?cx_amp=all&act=all さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。
この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。
2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。
すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。
この時期は日本と百済は同じ言語だったかもね
どう読んでも無理やり九州で日食があったかのようにした感じでしょw
>>203 魏志倭人伝が全くの創作でなければ、まあ実在はしたんじゃない
わざわざそんな空想する必要を考える方が大変
>>205 卑弥呼という漢字は中国人が勝手につけたもの
なので当て字がおかしいから云々という屁理屈は通用しないよ
>>1 天照は卑弥呼じゃない説の方が有力なんだから、ほぼ無意味
>>208 そんな風には読めない
当時皆既日食が見られたのは、畿内ではなく九州だったという話でしかないだろう
>>214 この物語はフィクションであり、
実在の人物・団体とは関係ありません
俺は九州説だけど
九州王朝説や
短里や
放射説は
インチキだと思ってる
謎が多いと言う点では卑弥呼は天照というより月読っぽい
糸魚川の翡翠発見ってけっこう新しいんだな。知らんかったわ。
>>212 どう読んでも日食なんてなかったのに、微調整してあったかのようにした感じだわよw
>>220 ん?
どの部分でそう感じたの?
ちょっと抜き出してみて
イザナキノミコトがイザナミノミコトを迎えに行く話はオルフェウス型神話だし
ニニギノミコトがブスのイワナガヒメと美人のコノハナノサクヤビメ姉妹のうち美人の妹を取ったことで短命になったのはバナナ型神話の変形
隠れてしまった太陽を呼び出す招日神話はアジア各地にあって
卑弥呼時代の日食と天照大神の岩戸隠れを結びつけるのは強引かも
>>205 海の正倉院 沖ノ鳥島 くらいかしら?
2000年前から祭司が続いてるのが土器で分かってる
宗像大社のご神体です。(天孫降臨時に道案内した宗像三女神を祀っている)
>>224 天岩戸隠れが日食だろうというのは
30数年前に小学生が読むような書籍にも出てきてたから
つい最近出てきたような説ではないんだよな
卑弥呼とアマテラスを同一視する説も昔からある
ふと思ったんだが
皆既日食が畿内で見られて九州では見られなかったという事だったら
畿内説の人はこの説を強烈に指示してたんじゃね?
都合のいい部分だけは信じるし、逆は信じない
というのはよくわかるwww
まぁ、記紀では神功皇后が卑弥呼と重ね合わせられてるんだけどな
「岩戸隠れは日食に違いない」
「天照は卑弥呼に違いない」
仮説に仮説を重ねた上で
「多分この辺りの地域で日食があったと思われるような気がする」
科学でも歴史学でもねえよ
>>205 そもそも高校日本史で習う「宇佐八幡神託事件」
天皇を決めるのになんで九州の宇佐八幡が重視されるのだ???
九州にルーツがあったと考えるのが自然
>>228 岩戸隠れは日食ではない
アマテラスは卑弥呼ではない
という仮定をしても
邪馬台国は畿内だったとはならないんだよ
>「多分この辺りの地域で日食があったと思われるような気がする」
これはもうちょっと確実性はあるだろうな
>>96 ジャレド ダイアモンドが銃・鉄・病原菌
て本で考察してるよ
文明が発達するためには人口が必要
人口が増えるためには食料が必要
妊娠に必要な食料は基本たんぱく質
家畜に適した動物がいないとだめ
それらがたまたまいたところ、
人種の優劣ではない
だってさ
なるほどねーってかんじ
九州土人共ってまだこんな瑣末な事でギャーギャー言ってるのかw
むかし何かの雑誌で読んだが古代の日食を推察するのにΔTという不確定要素があるとか
ΔTが何だったかは忘れたw
猫間中納言じゃなくてНелкоなのか?
🇧🇬ブルガリア人?!
>>228 そもそも日食=太陽の死を意味だからな
その時点で、現在の固定観念が違うんだよ
残念でしたw
日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国だ。日本の聖徳太子は隋に手紙を送った。百済、新羅、高句麗は倭国で日本の属国」
斉藤国治さんって、すごい高齢になっても研究していた人だった。
最後の著作の後書きはお別れの言葉だった
天照大神はキリストのことで一度死んだキリストが生き返ったのが天の岩戸のことだって本で読んだ
九州だと言うのにw
いつまで論争やってんだよ時間の無駄w
宇佐神宮掘ってみ?卑弥呼のハカって書いてあるからw
日食が無かった土地でよその土地の伝承を語っちゃいけないこともないだろう。
むしろ日食がなかったからこそ、日食の話を聞きたがる人が多く話が語り継がれたのです。
魏志倭人伝で「邪馬台国」なんて一言も書いてないから
書いてあるのは「邪馬壹国」
邪馬台=ヤマトと読みたい畿内説派が
「壹は台の書き間違えだ、だからヤマトと読める台に違いない」と言う
トンデモ理論で言いだしたことだぞ
少なとも九州説派は邪馬台国なんて書くなよ
ちゃんと「邪馬壹国」と書けよ
ちなみに読み方は「ヤバイ国」だw
対馬国壱岐国伊都国(糸島)は議論がないところで
博多津は沼地で大宰府政庁跡地近くまで干潟と思っていい
吉野ヶ里近くまで行くには有明海経由筑後川さらに宝満川に沿えば大宰府もすぐ
街道がない時代に川沿いの平地を歩くというのはこれ以上の道しるべはないだろう
海の幸山の幸川の恵平原の恵が豊富な地域に暮らしやすさから人口が多いのは容易に想像できる
伊都国が島から陸続きとなってることから大村湾から有明海に繋がってるとする
なら海路の大幅な時間短縮と穏やかな海が続くことになる
>卑弥呼と天照大御神は酷似している
太陽神という以外に共通点などない
古天文学は有用だが仮説に仮説を重ねていてはサイエンスにならない
>>248 壱は台の間違いと公に言い出したのは松下見林な
機内説のこうし(なぜか変換できない)ではあるな
>>193 立ち止まった状態でどっちが北か方角を確認するのと
移動しながら出発点からトータルでどの方角に移動しているのかを把握するのでは
必要となる技術や難易度は全然違うよ?
>>1 サイエンスを駆使したラノベですね
ラノベと歴史研究はまったく異なるものです
聖徳太子
神武天皇
卑弥呼
日本武尊
この辺りは実在したか怪しい
>>193 北極星の観測で緯度はわかるけど
経度はどうするの?
>>259 そこに聖徳太子並べるのはさすがにおかしい
実在疑ってるのごく一部の人だけだから
2000年前、北極星の位置は違う
今より右下の位置に真北があった
これすなわち日の出が今より北よりってことになるし
日本はより寝そべった方位・地形になる
え
すごいアバウトだな
部分日食か皆既月食か
多分、後者だろうけどさ
それだって具体的な記述は無いんだから範囲広い
これ調べれば福岡だけは晴れてなくて雨だったってオチがつくだろ
全ての神話は事実だったのかもな
類似する状況は起きる
不思議なのは極右はなんで騒がんの?
卑弥呼邪馬台国って研究が進めば進むほど天皇神話の矛盾しか産まんわけじゃん
卑弥呼の話するな、研究するならそんなもんは一切認めん
みたいな主張する極右がいないのが不思議
俺が知らないだけ?
天皇神話はそれはそれでファンタジー、矛盾があっても
目をつぶるのがお約束みたいな共通認識?
まぁ三種の神器ですら、ばったもんでもOK、無くしても燃やしても
新しく作って天皇が触れればそれが神器、
みたいなハチャメチャ設定が容認されてるくらいだからな
今更かw
スサノウが前2世紀頃の荒神谷遺跡関連の話なので、
卑弥呼を天照大神に比定するのは間違っている。
旧・天照大御神と卑弥呼の逸話が融合したのが
今の天照大御神の逸話
>>174 だよねその日程をを現在の地で言うと
邪馬台国はフィリピンにあったことになるよね
つまり、天照大御神は昔からいた神だが
卑弥呼の逸話と、くっついて
天照大御神と融合・神格化したのが
今の天照大御神=卑弥呼
>>278 それ、距離を直線でつなげるアホな考え方をしたからだよ
舗装されてない曲がりくねった獣道のようなものを通ると考えたら
そんなに遠くまでたどり着けない
>>278 ならない。
古代の水行20日は高千穂→岡田宮程度と日本書紀に明記されており、
陸行1ヶ月は百数十キロと唐書に明記されている。
よく覚えておくように。の
>>194 鉄も絹も豊富は九州
遅れている地域が邪馬台国だ
近畿だよ。
なんでいつもどっちか?議論なのかね
「どっちも」ってパターンはないのか
>>283 近畿から共立されて九州へ
行ってんだよ。
>>283 九州説にはそれがある
九州で勃興した勢力が東に移動して大和王権となったという説はある
狗邪韓国→金官伽耶
対馬国→対馬
一支国→壱岐島
末廬国→松浦
伊都国→怡土糸島
奴国→那の津、那珂
不弥国→宇美
投馬国→妻、都間
狗奴国→隈、球磨
であるので、これらの国々をプロットして出来た空白地帯が邪馬台国になる。
山門八女~日田~宇佐大分の範囲である。
天照ってのは各地にアマテル神社アマテラス神社があるから一柱のことじゃない
現に物部の祖である饒速日命も天照
高天原は考古学的に見て奴国であり、
この銅剣銅矛を出雲に大量に持ち出した
荒神谷遺跡がスサノウの遺跡で間違いないだろう。
コレが前2世紀頃の話になる。
一方同時代の大量の銅鐸が見つかった賀茂岩倉遺跡が
大国主命の遺跡で、
大物主との協力関係が築かれたのが
1世紀中期の話になる。
当時日本のどこかで皆既日食があったのは確実だろうが
伝説をそのまま当てはめるのは間違ってる
昔から天文学的には邪馬台国が九州なのは有名な話。
しかし、権威がそれを認めず畿内ありきにしているw
でもさぁ、
皆既日食が起きたのが畿内だという内容だったら
批判せずに信じちゃうんだろ?www
銅鐸の生産地の中心が大和に移った時代が
1世紀中期頃で、この頃に大国主と大物主の協力関係が築かれた事になる。
その後、大物主がモモソヒメと婚姻して崇神に取り込まれるのが3世紀中期~後期ということになる。
魏志倭人伝には出発地からの里程も記載があるので里程だけを考えれば
邪馬台国は北部九州にあった事が一目瞭然
畿内と言ってる人の理由は学者が言ってるからw学者はこの分野で素人に負けた感があるから意地になってるだけじゃんw
まともな学者なら
史料が乏しい邪馬台国の研究などやってないんだけどなwww
>>274 大和朝廷が開かれてからずっとそれ以前の歴史を隠蔽してきたし
今でも天皇家は古墳調査とかにも非協力的じゃん
研究者は遠慮してあまり大胆にいろいろ暴けないんだと思ってるけど?
しかし考えてみれば大和に好都合な存在なら邪馬台国の記録は消されていない
だから卑弥呼はアマテラスではなく、大和と関係ない消えた古代史の一部なのだと思う
何を今さら
過去に遡って一目瞭然にわかる
岩とがくれした時に日食があったのは北部九州だけ
邪馬台国の卑弥呼は倭姫命(ヤマトのヒメミコ)で確定で、
コレが祀っていたのが天照大神であり、
スサノウが前2世紀前後の人物なので、
前2世紀に奴国に実在した女王、
または、祀られていたしていた女神が天照大神になるだろう。
邪馬台国は後漢書に倭面土国として登場する。
107年の事である。
ヤマトのヤを倭の当て字として、
倭面土国と記したのであろう。
コレに先駆けて、奴国が武帝より
金印を授受されており、
奴国は魏志倭人伝の時代にも存在するので、
奴国が倭面土国になったのではない事が分かる。
わらわは天津神 アマテラス
今後ともよろしく頼むぞよ
>>292 伊都国=いつこく=倭津国=ワノクニ
倭の中心がどこかわかるよねw
はい論破
倭面土国=邪馬台国であり、
帥升は倭姫命の祖先であるので、
倭姫命の氏族、丹波國造の祖先、
彦坐王が帥升という事になる。
彦坐王が奴国を制圧して、
漢に使者を派遣したのが107年という事になる。
>>299 学者ってのもここにありきで話進めてるだけやからな
九州で出てきたものは無視して畿内で出たものだけで物事を考えている
それに魏志倭人伝の距離的な話も時間で距離を書いてあるんだから
海路と陸路では距離間隔がズレてくのは当たり前で
とくに陸路なんて国から国へと行くには未開の地を進む事になるんだから海路での計算とは違い倍近く時間がかかってると考えるべきなんよ
後半の記述は筑後川を上流に向かって遡ってると取れるしな
倭国大乱は狭穂彦王の乱であり、
丹波國造の王子狭穂彦王が、
投馬国の西都原に進出して、
日向生目氏と争い、
討ち取られた戦いである。
ここで狭穂彦王を破って、
邪馬台国の長官になったのが
生目=伊支馬=垂仁である。
曹操級の鏡が九州で発見をされたのに、華麗にスルーをするのが畿内論者だしねw
ここで丹波國造の姫達が生目に人質に取られ、
その間に生まれた姫を邪馬台国の女王にしたのが、
倭姫命である。
倭姫命には年の離れた弟に世話をさせていた伝承があり、
また、夷狄との戦いで活躍した大幡主に、
旗を授けた伝承がある。
この旗が張政が卑弥呼に授けた黄幢で間違いないだろう。
>>207 徐福の出航時期と10年くらいしか違わんやん
卑弥呼が九州にいる。
邪馬台国は近畿
九州から
水行で20日、10日もかかる
陸1月。
卑弥呼の墓は66人の殉死が想定できる
祇園山古墳で間違いない。
ここと平原遺跡の16人の殉死を合わせて、
82人の殉死が卑弥呼の死亡時期に想定できる。
畿内説ではどうにもできない魏志倭人伝の記述
・女王国東 渡海千余里 復有国 皆倭種
・自女王國以北 特置一大率 検察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
・其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
女王国の、東、北、南の描写が決定的に畿内説と合わないのだった
ちなみに西側には会稽東冶とその先に海があるわけで、これも畿内説と相いれない
>>319 近畿ではあう東海
卑弥呼は九州なので
奴国の南に狗奴国。
生目氏が長官となって
邪馬台国に居を構えた地が、
筑後市西小路の旧生目神社跡地付近であり、
それによって、玉垂宮が
邪馬台国の重要拠点の湊
であった可能性が高まっている。
>>1 2000年近く昔のことなんか今ではよく分からなくなってるが2000年後の世界では今の時代の記録はきちんと残っているだろうか
畿内説はintcal13の改定によって、
箸墓が3世紀中期の遺跡になった事に基づく
一本足打法であったが、
intcal20の改定によって、
その可能性はゼロになった。
>>323 映画AIのラストのように未知の人間を調査するAIが人間型ロボットから人類を推察するような未来が来るのかもね
>>89 魏志倭人伝には2回使者が訪れてることが記載されている
1回目は、倭国の近況をしっかり把握するために派遣され、伊都国が到着地であったと考えられるが
とまり伊都国までの詳細な行程は最初の使者の報告に基づいている。
2回目は、邪馬台国の安定をあ春ために派遣され、狗奴国との戦闘に始まり、卑弥呼の死と内乱が収まるまで数年-十数年滞在していることから
伊都国にとどまらず、女王国や周辺国との和解ににも奔走し、最初の使者の時と比べ、内乱によって国の権力構想も変化していると考えられ
日程記載によるぼんやりとした国のまとまりを報告されたものが、魏志倭人伝に混在していると解釈するとすべての矛盾が解決する。
つまり、伊都国以降、文法が変化するのもそうした理由によるものだろうと考えられる。
天岩戸が史実なら他の神話も史実かも
>>318 宮崎の生目古墳群近くに殉葬100のがあるってよ。宮崎だから天孫降臨やね
使者は九州止まり
邪馬台国には行っていない
卑弥呼が九州にいる。
副官 卑奴母離がいる所が九州。
いない所が九州以外。
邪馬台国には副がいない
陳寿が使った原資料に邪馬台国は「伊都国のすぐ南」とある
>>282 九州に卑弥呼がいてその勢力圏が畿内にまで及んでいた説?
それだと吉備の王が銀印を貰うはず。海人だし。実際は奴国王と伊都国王が銀印
すでに強大だった吉備が出てこないので、
倭人伝いわく「倭国の東の海の向こうに別の倭種がいるがよく分からない」のやつが吉備では?
>>57 少なくとも歴史学や考古学では文献一辺倒ではなくこういう手法もあるということ
日記に花が咲いたという記述があれば開花時期とつきあわせて当時の気候を推定するとか
地震や津波らしき痕跡を発掘したのと誰かが記録した古文書をつきあわせて時期を絞り込むとか
古文書もあえて意図的な嘘を書いたり記憶違いなどもあるのでそういう手で信憑性を検証するとか
そういう手もよくあるのよな
>>330 近畿から九州に行ってんだよ。
邪馬台国は宗教地であって重要な地域ではない。
>>9 稗田はそもそも口伝の人じゃなく漢文で書かれた帝記やらを暗喩させてそれを太安万呂に書かせたって話
口伝の人って教えてた昭和の教師のレベルが低かっただけの話なのよ
天皇の出自に関わるからね
古事記以前の歴史は闇の中だよ
>>70 「こわれちゃうぅー」って叫んでたのは覚えてる
魏志倭人伝には九州の事は細かく書いてるのに
瀬戸内や出雲や四国の国々をすっ飛ばして突然畿内の邪馬台国の話が出てくるとかないわな
某天文シミュレーションソフトだと卑弥呼日食は248年9月5日で確定してるね
ただし日の出が5時53分でこの時は部分日食の状態で上がってくるから皆既ではない
あとは明るくなる一方
249年のは皆既一歩手前で沈んでるけどどうして248年を採用したのか
>>338 最後の行の249年は247年の間違い
失礼しやした
関西人が意固地になってしがみついてる大和説を在日団体も後押し
理由は「ナラ=古朝鮮語で都を表す」だからなのだそうで、
「これ以上明確な証拠あれへん」と奈良県民も鼻息が荒い
>>337 なので
投馬国、邪馬台国 水行、陸行のみ
投馬国 出雲〜妻木晩田? 可5万戸
邪馬台国 吉備〜奈良〜伊勢 可7万戸
可なので実際ではなく見積。
卑弥呼=天照大神は違うと思うがな
日本にとって特別な人じゃない
>>344 古事記や日本書記書いた人が
魏志倭人伝読んでモデルとしたかな?
八百万神々「どうでもいいから ウズメのストリップ見せろや」
邪馬台国は九州でそれとは別に近畿に勢力が合ったんじゃないの
腐るほどある古墳を掘り返してもわからんねやろ
考えるだけ無駄無駄無駄
伊都国ってどう考えても伊勢のことだわ。
伊勢の南だから今だと志摩市ね。解決。
バカだな、戦後の日本人って
戦前まで卑弥呼や天照や天皇は普通に教育や出版で教えられていたのに
戦後はアメリカのGHQか本当の日本の歴史に関する本を全て焼き尽くした為に、戦後の一から歴史はデタラメなモノに変わってしまってる
>>261 厩戸も馬子も入鹿も実在はするが、それが即ち聖徳太子かどうかはわからない 彼らが何と呼ばれていたかもわからない
>>352 伊都国の志摩から取られてつけられたのが伊勢志摩やぞ
だから九州各地の地名が近畿あたりにたくさんあるやろ
九州の勢力が畿内へ東征したのは確実
>>352 伊勢は糸島の真似だから
糸島には志摩の地名もあるし、二見ヶ浦もある
伊勢二見ヶ浦みたいにショボくないやつね
天照も日本武尊も神武もデタラメなファンタジーだからしかたない
始度一海千餘里至對海國
又南渡一海千餘里名日瀚海至一大國
又渡一海千余里至末盧國
對海國が対馬で一大國が壱岐で末盧國が北部九州の海岸沿いの何処かなんだろう
記述が正しいと思えるのはここまで
>>353 文献を捨てられ破壊されたのは大和朝廷の時代の話
おそらく畿内へと進軍して来た九州勢力を神化する事で怒りだの祟りだのを鎮めようと考えたんやろ
それで古事記が作られたし伊勢志摩の天照信仰へと繋がったんやろな
皆既日食のまま日没
一晩ウズメちゃんのポールダンス見ながら飲めや歌え
翌朝日の出でめでたしめでたしなんだけど神様みんな酔いつぶれて起きません
蛙の骨、桃の種、木製の鞘
これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)
悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ! (`・ω・´)
>>349 同じように考えたらルメイに勲章 呪いのアイテムだろ
日本で最初に栄えるとしたら美味い魚が獲れる漁場がある場所だろうなw
俺は別府温泉支持派。
卑弥呼は巫女であり温泉郷の経営者で地主。
当時の中国の使者も、温泉遊びでヘロヘロになってええ所やぁと魏志倭人伝に書いたのだろう。
そもそも日本神話が海外の神話のパクリである可能性も考えないと
槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。
>>319 魏志倭人伝は邪馬台国が九州の遥か南方にあるという地理観をもとに書かれている
だから邪馬台国論争は方角が正しいか、日数(距離)が正しいかで論争があったのであり、こんなことは小学生でも知ってる
小学生でも知ってる基礎知識がないやつが方角は正しいと言い張ってるようなものだからお笑いでしかない
なお、倭種の国云々は、山海経から引用された実態のない架空の国と並んで書かれている部分で信憑性なし
魏志倭人伝で最も信憑性の低い記述であり無視でいい
ちなみにこの記述は九州説の弱点でもある
邪馬台国を大分県に比定すれば、千里の距離を無視して何とか説明がつくが、そこは伊都国や奴国のあった玄界灘沿岸地域とは異なる文化圏であり
邪馬台国が伊都国や奴国を傘下に置いていたというもっと重要な記述と不一致になる
>>354 聖徳太子は豊聡耳命
トヨサトミミのミコトと呼ばれてたようだよ
魏志倭人伝で描写されてる国は、パプアニュギニアだろ
刺青入れてる海洋民族を倭って呼んでたんだよ
>>371 三韓が方四千里と書かれていることすら無視しないとたどり着かない畿内説哀れ
邪馬台国は大和国のこと
考古学や資料に有力な証拠が見つかってるね
俺は本当の場所を知ってるけど、世の中がひっくり返るからと国の偉い人から口止めされてて言えない。
>>1 臆説のうえに臆説を重ねて作った仮説の山だ。この説は今の段階では科学的な評価を下せない。
俺、凄いこと考えた
タイムマシンを作って見に行けば場所特定出来るんじゃね?
邪馬台国って書いてるやついい加減にしろ
魏志倭人伝に邪馬台国なんて一言も書いてないから
邪馬壹国だから
魏志倭人伝に信ぴょう性はない
信用できるのは邪馬台国=ヤマト国で日本は当時からヤマトの国だった
後漢書その他を参照してとりあえず原文は邪馬臺国だっただろうとされている
倭人伝だけが唯一の資料じゃないわな
これをヤマトと読むのはちょっと強引過ぎるかなと思う
なのでヤマタイコクという呼び方が広く認知されてるのはヤマト説がいまいち普及しない要因になっているという意味ではまあいいんじゃないかな
畿内は大和朝廷
九州は邪馬台国
それだけの事。いちいち混ぜない危険w
>>382 残念だけどタイムマシンを作っても、そのタイムマシンを作った時点より前には行けないんだ。
日本中ヤマトが多すぎるんだよ!って思ったら、ミナトの方が多いんだよな。
ヤマトと言う地名と言うか土地の形状を指す言葉が国名のように解釈されるから混乱する
ヤマタノオロチも本当は
ヤマトノオロチだったと思うよ
金印が「漢ノ委ノ奴ノ国王(かんのわのなのこくおう)」だからね
中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれている
数時間前は九州説を支持していたが 酒を飲んだら畿内説支持者が無性に
可哀想になって、これからはどんなにバカにされても畿内説を支持する
事にしたよ
説得力があるようだが戸隠が年代的にはまさに当て嵌まるんだよね 長野県手力男命だったか
日本書紀では卑弥呼=神功皇后で決着ついてる話
つまり、邪馬台=大和
以上なのである
畿内を支持してあげたいけど、厳しいよ。あまりにも何も無さ過ぎるからねw
邪馬台国と大和朝廷は別物
これだけ仮定すれば全ての問題が解決する
無理矢理くっつけようとすると謎と矛盾だらけになる
どっちが正しいんだろ~
>>373 身体中と顔にまで刺青入れるの流行ってたんやな
倭人格好ええな、さぞかし野蛮なんやろな
江戸しぐさと対極にあるやろ。これも日本の歴史
>>402 まあ九州発祥、後に畿内に遷都ないし吸収されたってとこじゃないの
>>404 九州発祥の痕跡って畿内ヤマトにあるのかな?記紀以外で
卑弥呼は朝鮮渡来人である
「邪馬台国」は「呪術国家」であり、「卑弥呼」は「シャーマン(巫女)」
であったという。「卑弥呼」は「シャーマン(巫女)」として祭祀を司り、
政治は男子がとっていたと言われている。これは、「古代朝鮮の各国の王の
筆頭ブレインの中に女性のシャーマンがいた」のと似ている。シャーマンは
「預言者(祈祷師)として政治の中心人物に含まれ極めて重要なポスト」にあった。
古代朝鮮の各国は、シャーマニズムをもつ北方民族(騎馬民族)の覇権争いによって形成され、
シャーマンが政治の場に重く位置していた。
朱蒙王の高句麗建国の際にも、「女性シャーマンが王によりそい、政治の
予言(占い)を行って王へのアドバイス」をしていた。「王はわからぬことがあるとシャーマンを呼び相談していた」のである。
従って、古代朝鮮のシャーマンには相当な勢力をもつ者がおり、配下にはかなりの数の人材がいたと推察される。
* 朝鮮では祈祷が盛んで、その影響があってか、日本でも戦後しばらく
祈祷が盛んであった。小さな田舎町(村)には決まったように祈祷をする老婆がいた。
40~50年前ごろまで、日本でも霊媒師なる者がおり、
困ったことがあると霊媒師をたずねる者がいた。現在でも、神社、お寺での祈祷によって合格祈願、結婚祈願をし、
災難、病などを逃れようとする人の数は恐るべき量に達する。このような祈祷による暮らしが生活に密着している国は、
先進国では、恐らく韓国・日本において最も顕著であるだろう。
北方種族によって形成された朝鮮文化(シャーマニズム)を、弥生時代以降の倭国へ持ち込んだのは渡来人である。
大和という名は九州から畿内に移ってるんよ
それは九州の大勢力が畿内へと移動したから
考古学的には邪馬台国はさいたまということで決着がついている。
あほか
史書に書いてある事をきちんと読み取れ
中国の史書は古い記録をベースに新しい情報を追記する形式で編纂されている。
謎の水行陸行の箇所は、魏に朝貢に来た倭人から得た最新情報であり、その起点は帯方郡である。
■史書に書いてある事
①魏志韓伝によると韓国領土は東西は海に面し、南は倭と接するとのこと
②後漢時代に朝貢していた倭国は100国だったが、魏の時代に朝貢に来たのは女王国30国のみ
③女王国以北(女王国北部)は距離や戸数まで確認できた(対馬~邪馬台国)
④③以外の国は遠いので国名のみ紹介(次有斯馬・次有已百支・次有伊邪~)
⑤南には敵対する狗奴国がある
⑥東には海があり、その先にまた倭種の国がある(魏に朝貢しなかった70国)
⑦帯方郡から邪馬台国内にある女王の都までの距離が12000里である。
■図解:
参考)
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を示していた(隋書)
・伊都国の又南至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)
・馬韓は50国、倭は30国、その他倭種の国などが70国(魏志)
ゴッドハンド 「歴史の謎はこの俺が解き明かす!!」
弥生時代 「邪馬台国」なる「国?」を作り、「卑弥呼」なる女王をもうけたのは、朝鮮からの渡来人であったと推測される。
縄文時代以前から存在した倭人は、弥生時代でもって終焉に等しくなり、奈良時代に新天地として倭国へ渡来した人々は、
倭国を「日本」として独立・建国させたのである。「魏志倭人伝」に記録されている「邪馬台国」の軌跡は、
日本の歴史の流れが朝鮮半島を泉源としていることを明らかにする証明書に等しい。
倭国の原住民から「卑弥呼」なる「預言者(祈祷師)」が生まれたとすれば、彼女を取り巻き支える倭人は
全て渡来人であったということと矛盾する。
第一、縄文人の90%が東北部に在住し、西部には一万人もいなかったであろうと言われているのに、
弥生時代に「邪馬台国」を支える原住民がいたとは考えられない。「卑弥呼」なる「預言者(祈祷師)」が
縄文人の子孫から生まれたとするだけの素地が無いのである。
なぜ「須恵器」が弥生時代に生産され始めたのか、水稲がなぜ弥生時代に盛んになったのか、
古墳時代の古墳はなぜ朝鮮の古墳と「うり二つ」であるのか、「高松塚古墳」とそっくりな古墳がなぜ朝鮮にあるのか。
「荒神谷の銅剣」はなぜ出雲で発掘されたのか、出雲弁はなぜ韓国語に似ているのか。
あげれば数え切れないほどの古代朝鮮の文化の流れがある。このような時代背景の中で、
「邪馬台国」は何を生み出したのか。「邪馬台国」は3世紀に生まれたとされているが、3世紀と言えば、
弥生時代の末期である。稲作が日本中に広がっている時代に、
わけのわからぬ「邪馬台国」がどのような存在のものであったのか、単なるある規模の大きな集落であったかもしれない。
神話同士はいくらでもこじつけできるし、似てるなと思うことある。
昭和の頃も似たようなことやってんだな。
弥生時代末期 朝鮮からの渡来人が増えたので、日本の原住民(縄文人の子孫)は10人の内1人もいなかったという。
「消えた縄文人」なる書籍まで目にするが、縄文人は弥生時代でもって終焉に近い存在となり、
倭国の住民の90%以上が渡来人によって占められたと言える。従って、「邪馬台国」なるものは、朝鮮渡来人によって作られたとしか考えられない。
「邪馬台国」についてわかりやすく言えば、アメリカの原住民のアパッチ族を拡大・高度化したような集落・集団であったかもしれない。
縄文晩期の人口が十万人にもならなかったということは、その人口を全国に散在させれば、
各集落にはスズメの涙ほどしか人が住んでいなかったことになる。殊に、縄文人は東北部に主として暮らしており、
西部には1万人も居なかったという。従って、当時の九州や近畿地方に、日本原住民からなる「○○国」があったなどと言うのは、
「魏志倭人伝」に書かれているということで「邪馬台国」を過大評価し、真実の姿を誤解しているのである。
「邪馬台国」は「呪術国家」であったと言われている。酋長(王)なる人は部下をたずさえて渡来したシャーマンであった可能性がある。
「邪馬台国」は日本国の出発点というようなものではなく、渡来人による大集落であったと推測される。
倭国に当時の文献が一つもないということは、「邪馬台国」が国家などと言われる様相をなしていたかどうか疑問である。
645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺し、蘇我蝦夷の館に火をかけたから、それまであった書物が燃えてしまった!
中大兄皇子と中臣鎌足は歴史的大罪人だな。
延喜式の内容は面白いね
皇御孫之命が祭祀を行う旨が書かれている
イザナミは火結神を生んだ後、吾は下津国を知らむと宣言する
皇御孫之命が宮柱を建てたのは下津磐根とある
また皇御孫之命は大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す、八衢比古・八衢比売・久那斗であるとも書かれている
下津国は、記紀と照らし合わせるとイザナミが逃れた黄泉の国か
皇御孫之命の宮も下津国、黄泉の国にあったのだろうか?
もう一つ大切なのは、磐根、湯津磐村など磐という言葉
イワとは何なのか?
石器と関係があるのだろうか?
津、港の近くにある湯の村で思い出すのは、温泉が沸き人々が集まり栄えた伝承の残る摩湯
摩湯丘陵の海側には池上曽根遺跡がある
巨大神殿、勾玉銅鐸蛸壺などが見つかった弥生時代の大集落
池上曽根遺跡には石器を収めた祠の跡も見つかっている
「魏志倭人伝」が書かれてから「記紀」「万葉」が書かれるまでの約400年の間に、倭国に関するまとまった文献が一つもない。
「日本」という国号が作られたのは、奈良時代に渡来した百済の上層階級によるものである。
このことは、現在の日本人が想像しているような国を「邪馬台国」に期待するのは思い過ごしではないだろうか。
日本国の出発点としてではなく、文字を書けない者からなる大集落であり、しいて言えば、
アメリカのアパッチ族に類するものではなかったかと推測される。
まして、酋長なる「卑弥呼」の存在を考えるとき、彼女が「霊媒師」であったことは、
当時の社会風潮からすれば、当然貴重なる存在者として崇められていたと言える。
「霊媒師」としての能力をどこで覚え、配下に部下をもつほどの指導力を携えるようになったかは、
その文化的素地を養ってくれた朝鮮にしかありえないだろう。「卑弥呼」がどのような人であったかを推測するとき、
弥生時代という時代背景を考えなければ、とんでもない推測をしてしまうことになるだろう。「魏志倭人伝」なる漢字で書かれた文献に惑わされて、
何か偉大なものが倭国にあったかのような錯覚に陥っていると言える。「魏志倭人伝」は漢字で書かれているので、
解釈において多面的な意味が生じるので、一層始末が悪く、あれやこれやと色々な解釈をあげつろって混迷に陥り、
わが説こそ正論であるかのような論文が出回っていのである。
>>417 半島の霊媒師の話も魏志に書いてあるよ
邪馬台国は半島の南端~北部九州一帯の範囲で女王の都はその南端だ
今の八女市付近だろう
祇園山古墳とかあるあの辺が最有力だろ、畿内説なんて桃の種とか
そんなふざけたのばかりじゃんか
>>420 中国が狗奴国を分けて認識する訳ねえじゃん
>>400 ところで大和と書いてヤマトと呼ぶことにしたのはいつのことだ?
さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで
常磐やね
日本人には古代から岩石信仰がある
石のお地蔵さんや伊勢の夫婦岩とかね
ちなみに常磐鳥は時鳥のこと
瀬戸内海や奈良と大阪の境の二上山は旧石器時代最終氷期からサヌカイト石器製造の一大拠点だった
瀬戸大橋建設時に数万点のサヌカイト石器が見つかっている
二上山の大阪側の麓からは日本最古の竪穴式住居も見つかっている
>>27 神武東征には考古学的根拠がないとかいう話を聞いたけどちゃんとあるんだな
>>425 細石神社があるのは伊都国こと糸島だが
畿内説の無理矢理なこじつけは見苦しいだけ
>>400 卑弥呼=神功皇后
そそ
それが最も歴史と伝統のある解釈だよね
逆にいえば大和政権がそう解釈させようと必死で年代改竄して半ば成功した嘘歴史が崩れた時点で畿内説は終るべきだったんだろうと思うよ
>>428 大和朝廷=邪馬台国なのに何故改ざんする必要があるのか?
奈良時代の編纂者が伝承通りに解釈しただけですよ。
神功皇后は女性、つまり皇女(ヒメミコ)、これを聞いた魏の使者がヒメミコに卑弥呼という字を当てただけ。
邪馬台国朝倉説を唱えている安本美典氏はその証拠として朝倉を中心とした
地名が奈良の纏向を中心とした地名・方角と重なる事を説いているが
俺の考えは違う。卑弥呼時代の邪馬台国があったのは佐賀県の吉野ヶ里だったが
その後 邪馬台国は朝倉に遷都して朝倉にあった時に奈良に動いたと考えるのが
第1案、第2案は後で示そう
第2案は吉野ヶ里の山並みの方角は東西方向だけだが、纏向の山並みの方角は
南北と東西方向の交点に纏向(桜井市)があるから吉野ヶ里付近の地名を
纏向に当てはめることは出来ない、朝倉の平塚川添遺跡近辺の山並みの
連なりは纏向と同じなので朝倉を中心とした地名を当てはめたと言う事だ
理解出来るかな?グーグルマップを見て勉強してくれ
卑彌呼以死 大作冢
卑弥呼もって死すは間違い
卑弥呼の死をもって大きく冢が作られた、が正解
247年に卑弥呼が死んだとは一切書かれてない
247年に王頎が帯方郡太守に着任しただけで
張政等の派遣も卑弥呼の死も狗奴国不和も男王立てたのも壹與就任も同年とは言えない
邪馬台も日本も倭も大和も全て読みはヤマト
言葉が先にあって後から文字を付けたんでしょ
じゃあヤマトって何よ?
文字から推察できるでしょ
日本書紀
あとらふ…[他]ハ下二 さそう。
これ、タミル語じゃね?!
何処でこのルビ見つけたんだろう…??
அழைக்கவும்
高木神(タカミムズビ)と天照(アマテラス)の系統を合体させって皇統を説明する必要があったので、
日本神話には外来系の要素も入っている。
渡来人の渡来も長い月日のなかで何波にも渡って続いてきた結果で民族形成されているので、
征服王朝をことさら強調して考える必要もない。
仮に九州が邪馬台国なら九州は属国と云うことになる、つまり中華が九州を侵略する大義名分になるだけ、属国アイテムの金印なんか有り難がって平和ボケかと
九州倭国は漢委奴国から倭面土国、そして邪馬台国と冊封体制下にあった
一方、畿内ヤマトは倭の五王から柵封体制下に入った
畿内ヤマトが大陸(半島)と繋がりを持てたのは
崇神の四道将軍派遣によって九州北部を勢力下において以降だろう
景行仲哀と列島内をほぼ支配下において、やがて半島に進出しはじめたとき
ようやく畿内ヤマトは中華の柵封体制を意識した
クニ・国・外交レベルではあるいはそんな感じもありうるけど、
まあ日本海があるしね。交通的にはそれなりのルートがあったろ?
実際、それで北九州が次第に衰退していくわけだし。
日本古代史の飯のタネだから
わざと解決してない説を提唱する
徳川家康から400年前の徳川家が何処でも何してたかわからんでしょ
そういうもんでしょう
>>430 改竄したから神功皇后の年代を120年ほどさかのぼらせてるんだよ
卑弥呼墓もわからないが
天照大御神の墓もわかってない
もう答え出てるよねw
>>443 あー、🌾🇯🇵上代日本語に『ン』が無いから
ク・ダ・ラなんかね?
投馬国が今の宮崎県西都市妻周辺であることは間違いない
中国の史書は後の時代に書かれてても文字があったし記録として残ってた可能性がある
日本は文字もなく暦もわからんから正しいとは思えない
ネットのコラムで
九州から対馬海流を当時の船じゃ突っ切って半島や大陸へ向かうの
非常に危険が伴うってあったな、これまで何度も当時の船を再現して検証したみたい
>>457 対馬国や一支国の住民は船で南北と交易してたと書いてある
あの記述は正しいと思う
越の国といえばベトナム、つまり古代日本は東南アジアを支配してたんだよ!
どこにあったかもよくわからないレベルの国だったってことだけはわかる
何で奈良という糞田舎に大和の都が置かれたかを考えたらすぐ分かるよ
邪馬台国は例えば筑後川や淀川など大河の流域に栄えた都で
台風などの水害で壊滅したんだ
それで大河は危険だから避けるようとなって桜井や飛鳥という不便だけど安全な所に都を造ったのさ
他に奈良なんぞに都を造る理由があるか?
邪馬台国と卑弥呼は中獄塵の作り話
日本史から削除すべき
新潟の翡翠と半島の鉄が交易の主要品目だったらしいね
40代のオッサンだけど、昔読んだ本は全部九州説だったので
何の疑いもなくそれを信じてたけど、大人になって色んな資料自分で見るようになったら
九州説ってなんかおかしくね?って思うようになった
とはいえ、じゃあ畿内説なのかといわれると、それもちょっと違うよな、と
結局どこにあったとしても、どこかしらの矛盾が生じてくるんだよな
だからこそ、延々と議論が続いてるんだろうけど
>>464 素人か?河内湖や大和湖を知らないとはな、大和湖は当時の海岸線でその畔が飛鳥なんだが、河内湖なら聞いたことがある奴も多いだろうが、最近は大和湖と云うのが定説になっている
>>464 昔の海水面が高くて、現在の平野は海か干潟だぞ。
陸に住むには、農耕民族が住む場所は必然的に盆地になる。そこがヤマト
>>468 >九州説ってなんかおかしくね?って思うようになった
どの辺がおかしい?
>>464 中華思想を取り入れたからだよ
方万里、中心に天子がいる中華思想
奈良が日本の地形の中心地って
その当時の人も知ってたってこと
もう答え出てるよねw
>>471 そもそも九州説ってあやふやすぎることかな
九州説ってあまりにも説が多すぎるんだよ
その一つ一つで主張が異なってくるし、それに対しての根拠は今んところ無し
とにかく「九州という広範囲のどこかにあったんじゃね?」くらいのアバウトさで話にならんのだよな
イワレヒコが最初に建国した地
それは広島県は阿岐国
ここが倭の中心地だったってわけ
そのあとに、日本の地形を掌握し
吉備を従え、出雲を降ろしたら
畿内の向こうの毛人の領域も取り込むことを決意
それで奈良に東征したと
阿岐の段階でちょうど西日本の中心にくる
奈良の段階で今度は日本全体の中心に
答え出てますよ、簡単にw
調べてみると昭和40年代に邪馬台国ブームがあって
その時のブームのきっかけとなった書籍が九州説で
子供の頃にそれを見て、そのまま九州説を鵜のみにしてたんだよな、ワイ
今はもうほとんど内容も覚えてないけど
確か、製鉄技術が九州にしかなかった、みたいなのがあって
それを根拠の一つとしてたけど、現在は同時期に四国やら中国地方やら
複数の箇所で製鉄を行われていた痕跡が発掘されているから
もしかしたら、当時のその書籍を読み直したら、穴だらけかもしれんね
天地開闢で最初に現れたのは葦の芽
国の始まりは国作りから
最初のありように戻って平安が訪れる、当たり前のこと
>>471 一番の問題点は魏志倭人伝と合わないことだろう
だから九州説では倭国倭人についての記述を邪馬台国の記述と曲解して、九州だと一致が多いと主張する
しかし肝心要の邪馬台国についての記述は不一致になるからガン無視
>>471 もう一つ
九州説は考古学の進展など最新の知見を無視していること
高校の教科書レベルの基礎的な日本古代史と矛盾してること
>>467 むしろ近畿説が陰謀に近いと思うよ
なぜなら魏志倭人伝を普通に読めば北部九州
中国古代史権威の先生も古代の漢字意味を読み取ると北部九州と断言してる
>>481 最新の知見では
共立なのに、畿内説では畿内一強はおかしい
こうなってるよ?w
>>482 普通に読めば北部九州のわりに
陸路1ヶ月っておかしくね?
そもそも、九州説って短里つかわにゃ矛盾しかない
あと、「普通に読み取れば」というわりに、場所の同定すらできてない
読み取ってるのに場所がわからないという矛盾
>>485 アホかオマエは。
短里とかはないんだよ。
魏志倭人伝に出てくる地名と距離と里の関係から、
1里70m前後という数字が算数によって計算されただけだ。
>>486 要するに「九州説にあわせた単位」でしかないんだよな
そのうえ「陸行1ヶ月」だもんな
仮に1日10kmというスローペースでも300km移動することになって
さらに水行10日を考慮すると、九州からはみ出てしまう
普通に読み取れば九州説なんてなくなってしまうんだよな、本当は
狗邪韓国→金官伽耶
対馬国→対馬
一支国→壱岐島
末廬国→松浦
伊都国→怡土糸島
奴国→那の津、那珂
不弥国→宇美
投馬国→妻、都間
狗奴国→隈、球磨
これらの国々をプロットして、
出来た空白地帯が邪馬台国になる。
山門八女~日田~宇佐大分の範囲である。
>>479 畿内説ではどうにもできない魏志倭人伝の記述
・女王国東 渡海千余里 復有国 皆倭種
・自女王國以北 特置一大率 検察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
・其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
女王国の、東、北、南の描写が決定的に畿内説と合わないのだった
ちなみに西側には会稽東冶とその先に海があるわけで、これも畿内説と相いれない
ところがこれが九州ならすんなり意味が通ってしまう
畿内説では魏志倭人伝はデマだデマだと言い張るしかないという……
5ちゃんの邪馬台国スレでは古代の海はかなり陸地を浸食していたとの
書き込みが多いが、福岡空港の国際便ロビーそばにある雀居(ささい)遺跡
の海抜は7mなので福岡市でも七割以上は陸地だったと言う事だ
>>490 どっちもなんだよな
九州説だと距離があわない
畿内説だと方角があわない
でも何故か、九州説を信じてる人は、
畿内説「だけ」あわないだけで、九州説は問題ないと思ってる
投馬国から邪馬台国まで「陸行1月水行10日」
果たして、九州横断して、その先にでもあったのか・・・?
>>488 古代の水行31日は日本書紀の神武の東征の記述によって高天原から岡田宮までであり、
したがって不弥国から水行20日は
およそ美々津までとなる。
また陸行は唐書や隋書によって、
倭国は東西五月行南北三月行と明記されているため、
陸行1月は百数十キロとなる。
よく覚えておくように。
2世紀に金印紫綬や曹操墓出土の鏡を貰ってた日本
卑弥呼と曹操つきあってた可能性あるな。。。。。
☆「曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表」
☆「卑弥呼が魏に金印紫綬を授与される」
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/472520 >>488 よく知らんが接待を受けて同じ所に留まったりして遅かったとかはないん?
>>490 >
>>479 > 畿内説ではどうにもできない魏志倭人伝の記述
>
> 畿内説では魏志倭人伝はデマだデマだと言い張るしかないという……
解 つ
「魏志倭人伝」は三国志の「魏」が書いた書物
場所や距離は、作為的に
ある目的の為に創作して記述してある
「魏」と敵対する「呉」の背後の海に
強力な同盟国「大和大国」があることになるから
脅しにちょうどいい
このスレだったか忘れたけど、以前あった書き込みで
九州説と畿内説の差として
「A駅からX書店への行き方は、A駅を出て南へ10kmです」
という文言を見て
「X書店というのは、A駅を出て北へ10kmいったところにある○○書店のことだ
南というのは北の誤植だ」と言い張る畿内説と
「X書店というのは、A駅を出て南へ1kmいったところにある××書店のことだ
10kmというのは1kmのことなんだ」と言い張る九州説みたいなもんで
実際にはどちらも間違いでないの?って話が、割と的を射てると思う
邪馬台国である為の最低条件は
1.楼観(物見櫓)、城柵、宮殿がある事
2.騒乱の痕跡がある事
3.鉄の鏃や絹織物の破片が出土していること
以上最低条件の3項目をクリアしているのは吉野ヶ里遺跡のみ
>>493 それも九州説ありきで無理矢理な解釈だからなぁ
そもそも不弥国から投馬国まで水行20日で美々津なら南九州
ここら辺が「九州説」の悪いところで
「九州」という非常に広範囲で、北九州説もあれば南九州説もあり
その差はとんでもなく広いのに、同じ「九州説」でまとめられているアホみたいなところ
>>495 吉野ヶ里は集落遺跡部分が縄文時代末期に最盛期を迎えその後明らかな衰退を見せているからなぁ
時代があわないから、一部の九州説信者以外は誰も相手にすらしてないよ
中華思想の方万里
天子を中心に世界(当時は地球平面説)は成り立ってると
司馬懿が遼東征伐に
洛陽から遼東まで約4000里と三国志には書かれてる
同時に、朝鮮半島は方4000里とも書かれてる
これで気付くよね、だいたいw
↓この地図認識だとw
中華思想の同心円的拡がりから
日本の地形は間延びして認識されいたと予想できる
そして、これだけ日本の地形が歪めば
方位も距離も三国志的に合ってたとw
もう答え出ちゃったねw
>>499 オマエは日本語が読めないのか?
日本書紀の神武東征記に、
水行31日は高千穂から岡田宮(宇美付近)までと書いてあるので、
不彌国から水行20日は美々津になる。
唐書や随所に倭国は東西五月行南北三月行と明記してあるので、
陸行一月は百数十キロになる。
文献からコレが定まっているので、
これ以外のことを書き込むんじゃないバカが。
>>483 >>484 こういう教科書レベルの日本古代史と矛盾した珍説に説得力はない
「弥生時代の後期には、すでに大きな墳丘をもつ墓が各地で営まれていたが、
3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。
これら出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室におさめた埋葬施設や、
多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」
>>489 末廬国までは概ね正しいでしょう
後は何処にあったか実在したかもわからん
その地図のように
中心(洛陽)から離れれば離れるほど、地形は歪む
日本は、南アメリカみたいに間延びして認識されていたと
ゆえに、日本の方位も距離も三国志的に合ってたとw
もう答え出てますよw
1里が何キロかも(中心から離れれば離れるほど長くなると)w
>>505 ずばり卑弥呼の死後、結束力の衰えた九州勢力が
崇神の四道将軍派遣にはじまり、景行仲哀らによって壊滅させられていく様子が目に見えるようだ
スマホなんだがなぜかIDが変わるが、479、481、505もオレ
>>506 「魏志倭人伝はデマである」と強弁するしか手がない畿内説哀れ
キンキー「水行30日で陸行1ヶ月は台湾かフィリピンになるー」
バカめ、キンキーはなんの根拠にも基づかない事を平気で口ばしる。
脳が破壊されているのである。
歴史の史書に真摯に向き合う私は、
日本書紀や唐書や隋書の記述に基づいて、
古代の水行20は日本書紀の神武東征記に基づいて、
不彌国から美々津であり、
陸行一月行は百数十キロである
とビシビシビシッっと言い切っているのである。
全くもってお話にならない。
>>505
3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、
奈良県を中心として、なんの助走・前触れもなしに突然、
大型の「前方後円墳」がつくられるようになるという、実に不可解な現象が起こりました。
なんでかな~ @阿波 畿内説などこの期に及んで言い張るアホは、
歴史の史書は全く無視する人間で、
魏志倭人伝すら読まない。
で、教科書に邪馬台国畿内にあると書いてあると言い張るのである。
バカである。
思考能力が破綻している。
甲骨文字にかかれてた月食で正確な年代が判明したことがあるんだっけ
>>505 残念ながら、生口から答え出てますよw
生口とは奴隷とよく言われてるが
正しくは、各国からの人質
そう、生口の数=国の数
卑弥呼時代は【男生口四人 女生口六人】
つまり、10国の連合国家
トヨ時代に【獻上男女生口三十人】
30国の連合国家体制に移ってる
これで【今使譯所通三十國】の説明もつく
邪馬台国が奈良を指すなら、トヨ時代だろうねw
ここまで、答え導き出してますよ俺はw
>>505
3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、
奈良県を中心として、なんの助走・前触れもなしに突然、
大型の「前方後円墳」がつくられるようになるという、実に不可解な現象が起こりました。
なんでかな~ @阿波 >>522 邪馬台=ヤマト=日本(ヤマト)だから場所は特定出来ないね
そして晋書には、こう書かれてる
『晋書』武帝紀 太康10年(289年)条
「東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻」
30国で合ってるね、トヨ時代w
>>511 九州説は魏志倭人伝の邪馬台国についての記述とことごとく不一致
・邪馬台国が30ヶ国連合の盟主
・邪馬台国7万戸
・邪馬台国連合で15万戸以上
・水行二十日、水行十日陸行一月
・卑弥呼の宮殿に1000人の従者が仕える
・卑弥呼の墓が径百余歩
・一大率が刺史のごとく
九州説は代わりに邪馬台国とは無関係な記述を根拠だと言い張る珍説
だから九州説と書いてクズ説と読むと言われるんだ
IDがコロコロ変わって面倒いから家に帰ってからまとめてレスする
狗邪韓国→金官伽耶
対馬国→対馬
一支国→壱岐島
末廬国→松浦
伊都国→怡土糸島
奴国→那の津、那珂
不弥国→宇美
投馬国→妻、都間
狗奴国→隈、球磨
先ず、これらの国々の地名と範囲は
明白であり、
これらをプロットして出来た空白地帯が邪馬台国になる。
山門八女~日田~宇佐大分の範囲である。
宇佐大分も弥生後期には他の地域と遜色無く発展していたが、
不彌国と投馬国の間に国としての記述がない。
そして卑弥呼の次の女王はトヨの姫である事から、
豊の国を含む範囲が邪馬台国であるのである。
コレは倭国大乱時に、狭穂彦王が
妻国西都原に進出していた事からも分かる。
「前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料」
徳島県鳴門市大麻町萩原の「萩原2号墓」で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を
積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。
県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末~3世紀初頭で、
邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。
石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、
ホケノ山古墳の構造に影響を与えたのは確実。
前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。 @阿波
http://www2.odn.ne.jp/kofun/hagiwara.htm また、魏志倭人伝には、邪馬台国の東から海を渡って1000里に倭種の国があると書かれている事から、
邪馬台国の東が海に面した地であることも分かる。
邪馬台国の王=日本の王
さて、卑弥呼は何処に居たでしょう?って事だから
また邪馬台国から4000里南に離れた場所に、
小人の成人の国、侏儒国があると書かれており、
コレが近年の発掘成果によって、
種子島の広田遺跡である事が明らかになっており、
種子島が南に4000里=280キロm
の地域は、
山門八女になる。
>>8 中国人は当たり前のように九州だと思ってるらしいね
畿内にしたいなんらかの理由がある人以外は普通は九州だと思うよこんなの
>>482 普通に読めば九州北部は通り過ぎてるよ
そして畿内からは卑弥呼の時代に魏と交流していた証拠の
魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡がたくさん見つかる
>>536
>魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡がたくさん見つかる
それ、「倭人(阿波勢力)」が持ち込んだものだから。 残念だな。 @阿波 そもそも、纒向遺跡が邪馬台国の王都なる畿内説は、
intcal13改定によって、纒向遺跡が3世紀中期の遺跡になっただけの
一本足打法であった。
我々はソレは考古学的に間違っているよと
言い切っていたのであるが、
ソレがはからずも、intcal20の改定によって、
纒向遺跡が3世紀後期ー4世紀前期の遺跡になり、
我々の考古学に基づく見地が正しかったことが、
科学的にも証明されたのである。
ネトウヨがどれだけ邪馬壱国とかイキっていても、もしも劉備や曹操に攻められたら一日で白旗揚げる土人の小国なんですよね。
ネットの一般人議論はほぼ九州で確定してるような状況なんだけど
専門家だとまだまだ畿内説らしいな
マジでこれで九州の方が正しかったら専門家ってマジ何なんだっていうね
邪馬台国とは大和国の事ね
裏付けとなる資料や考古発掘物は豊富に見つかってる
学界でも九州説の学者はもう居ない状態で
現在ネットで九州説をゴリ押ししてるのは中国朝鮮工作員のみ
158年の日食は、近畿から北九州。
国立天文台が、天岩戸の日食の可能性の1つと
して、考察資料を公開している。
また、邪馬台国の超重要拠点の伊都国の、
卑弥呼の死亡時期と同年代に作られた平原遺跡が、
ただの方墳である事で、
邪馬台国は初期の大型の前方後円墳の
築造を権威の象徴とする勢力なる
畿内説は完全崩壊している。
>>526 ・邪馬台国が30ヶ国連合の盟主 ←九州でも余裕
・邪馬台国7万戸 ←大月氏国に合わせて水増し
・邪馬台国連合で15万戸以上 ←大月氏国に合わせて水増し
・水行二十日、水行十日陸行一月 ←畿内説でも不自然な行程にしかならない
・卑弥呼の宮殿に1000人の従者が仕える ←畿内説でも根拠ゼロ
・卑弥呼の墓が径百余歩 ←前方後円墳などという特殊な形状への言及ナシ
・一大率が刺史のごとく ←後漢時代の古い情報だが、各国が一大率を恐れるというのに畿内説では辺境の地にあることになってしまい不自然
>>544 伊都国は邪馬台国に一大卒が置かれて監視を受けていたとあるよ
伊都国および九州北部は邪馬台国の被征服地
また、邪馬台国の外交拠点として、
魏志倭人伝に明記されている伊都国の、
舶載鏡が数多く出土する、
卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡の銅鏡の中に、
三角縁神獣鏡が一枚もない事で、
卑弥呼に送られた三角縁神獣鏡が
多数出土する畿内が邪馬台国なる説も
完全崩壊している。
>>546 結局
・邪馬台国の勢力が九州に留まっていたのか
・機内にありながら北九州まで従えることができたのか
っていう邪馬台国の壮大さがどの程度だったのかっていう視点で考えた方が楽そうに思えるんだけどそこらへんの研究とかはどうなってんだろ
奈良の先住民は北部九州勢力に侵略されて最低でも平安時代までは
奴隷同然の暮らしを余儀なくされたと言う事だ
卑弥呼に送られた100枚の銅鏡は、
卑弥呼の死亡時期に作られた
平原遺跡から多数出土する
方格規矩四神鏡で間違いないだろう。
銅の分析結果が、長江周辺の銅が不足した結果、
魏の領内の銅が混ぜられて作られた鏡であることを示しており、
魏の時代に徐州を呉に取られて、
銅銭の流通に困難した魏の鏡である事が分かっている。
>>548 たとえ日本中の人を集めても、従えたと言えるほど人がいなかったって言う。
有田遺跡では古くから養蚕を行っていたらしいね
つまり、秦氏などの渡来人がやってくる以前から日本独自の養蚕技術が存在していたと言うことだよ
邪馬台国畿内説ではなくヤマト説ですね
他の畿内の地域は邪馬台国ではないでしょ
こういうミスリードもかなり嫌らしい
邪馬台国はヤマト政権そのもの
ヤマト政権の始まりはヤマト平定から
大和川の北側まで進軍したが大阪湾などで破れて奈良の地を先に平定してヤマト政権が始まるんだよね
ヤマト政権の極初期は大和川の南や大阪湾岸を平定できていない、つまり対立しているということ
邪馬台国と対立していた狗奴国、邪馬台国の南にある狗奴国は大和盆地より南に位置する大和川の南の河内和泉エリアでしょう
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦じゃないかな
狗奴国は延喜式に登場するクナトと関係があるかもねえ
>>548 神武天皇が2世紀あたりに九州を出発して畿内に入り
大和国を建国したという神武東征という出来事が記紀にあって
魏志倭人伝や後漢書には180年頃にあったという倭国大乱の事が書いてあって
考古学的にも2世紀末辺りに畿内の文化の変化が見られるから
記紀に書いてる通りの状況だったんだろうね
何れにしても、intcal13による、
纒向遺跡が3世紀中期の遺跡で邪馬台国なる
畿内説の一本足打法は脆くも崩れ去った。
それだけで邪馬台国が畿内なる主張は危険だ有り得ないと、
口酸っぱく教えてやったのに、
教科書にまで邪馬台国は畿内纒向遺跡とか書いて、
このザマだよ。
■倭人伝の国々の人口
魏志倭人伝には倭の国々の戸数が記されており、一戸数あたり3~5人ほどの居住ということで、人口が考察されたりもします。
倭国の戸数は
邪馬台国:7万戸 投馬国:5万戸 奴国:2万戸 3カ国の合計14万戸です。
対海国:千余戸 一大国:三千許家
末盧国:四千余戸 伊都国:千余戸 不弥国:千余家
これらの国々は末盧国が4000家で一番大きいくらいです。
合計で1万戸数ちょっとですね。
上の大国と合わせて総合計は15万戸数。すると一戸数4人としたら60万人がこれらの国々の人口です。
このほかにも約30近い国があるから全部でどれくらいになるのでしょうか?
ざっくり5万戸としたらあと20万人増えて80万人になります。
さて九州説であればこんな意見が出ます。
九州だけで80万人は多すぎるのではないか?
近畿説であればこうですね。
奈良から西が3世紀に80万人は妥当ではないか?
畿内説を取るようなやつは、
史書を読まない、
歴史に対する造詣が無い、ゼロだ。
考古学の発掘成果にも真摯に向き合えない事が分かる。
私達のように、考古学の発掘成果に真摯に向き合い、
史書を読んで、水行20日、陸行1月とはどのような距離か、
史書から判断しようと正しい努力をする人間であれば、
邪馬台国は山門八女と秒で言い切れるのである。
>>557 史料には邪馬台国は会稽東冶の東
位置で言うと沖縄とか台湾のあたりと書いてるよ
>>528 畿内説だとこれらの地名はどこに比定されるの?
だから邪馬台国はヤマト国で日本なんだって
卑弥呼は日本の何処かに居たんだよ
邪馬台国30国連合はどこか?
日本を事実上統一した倭の五王の時代
倭王武の先祖は西に66国平らげたという
当時の国のスケール感とはざっとこのようなものだっただろう
邪馬台国30国連合は北にある伊都国に置かれた一大率を恐れたという
畿内説で考えるならば
九州の辺境に島流しされたような場所にある一大率を
一体どこの国が恐れたというのか?
>>113 いやいやw色々出土してるし、その後町興しに利用したのはそうだろうね
近畿説の人が涙目でカキコしてる姿が見えます (´・ω・`)
近畿としては、どっちでもいいよ。
それが邪馬台国であろうとなかろうと
近畿に王国があったんだし。
九州は邪馬台国が九州にないと困るよね
邪馬台国は既に107年に
後漢書東夷伝に
倭面土国として登場している。
ヤマトのヤを倭国の倭に当て字にして、
ヤマト国=倭面土国である。
奴国はその後も奴国として存在する事から、
奴国が倭面土国になったのでは無い事が分かる。
奴国が57年に武帝に朝貢して金印を授かってから、
50年後に政権交代が起こったのである。
3世紀中期どころか、2世紀前期に、
既にヤマト国が
倭国の覇権を握っていたのであるから、
ヤマト国は北部九州の山門八女であるのである。
もともと九州北部の博多から熊本平野まで古の委奴国が存在していたんだと思う。
その後、秦氏(実は百済人)一族が渡来。
つまり、倭国大乱とは秦氏一族を語る百済人たちによって引き起こされた委奴国侵略のことだよ。
奈良の唐古遺跡、築秦平野(筑紫平野)に拠点を築いて委奴国を崩壊させ、北(奴国)と南(狗奴国)に分断させた。
>>1 ●大久保佳代子さんグループ
30歳までに第一子を産んでもらう締切を考えると、恋愛結婚の準備期間で25歳には優しい女になってもらうのがタイムリミットだ。
善悪の分かる女子大生の時点で富裕層の私に損させて求婚したら、二者間で女25歳からの恋愛開始は無いなと先が見えてくる。
そう先が見えると、拷問求婚してくる女たちが、生物学的には女性だけど、人様へカツアゲする不良男のケモノと同じだと見えてくる。
私をカツアゲしてくる不良に「カツアゲをやめてください」と正論を言わないように、
拷問求婚してくる女に対して、暴挙の翻意を促すような疲れる作業はしない。
暴挙の翻意を促すと、疲れて電池切れを起こす。頭も体も動かなくなる電池切れ状態はもう勘弁してくれ。
発言力のあるバイオ女たちから拷問求婚されたら、当時は身を守る術がないので、無職破滅し将棋の詰みだが、苦痛はいくぶんやわらぐ。
当時は暴挙の翻意を促すことで頭が一杯で、他のバイオ女たちのことを深く考えられなかった。
当時の頭に余裕ができると、他のバイオ女たちを観察できるようになって、大久保佳代子さんタイプに気が付くのかもしれない。
大久保佳代子さんタイプは、他のバイオ女が小細工で大久保佳代子さんよりヒエラルキーが上になるのが怖い。
島根女タイプは強い男に媚びて可愛がられ、ヒエラルキーが自分より下になった女へは突っかかてマウント確認してバカにする。
島根女と大久保は、何かのきっかけで女仲が悪くなりやすい。もしも、不仲になったら、初期ならゾウとアリで、大久保側が圧勝。
富裕層の私に女性器を向けて威張り散らし、被害者ぶって将軍に可愛がられ、不良の無臭フェロモンを嗅ぐ島根女タイプのことを話せば、
大久保佳代子タイプは頭が良いので、このまま手をこ招いていると性格の悪い島根女が自分よりヒエラルキーが上になるのが見通せる。
あとは大久保佳代子さんグループが、いくら島根女が将軍や不良グループの輪に隠れていても、島根女を女部屋で八つ裂きにする。
しかし、今の時代は小型防犯機器で異常事象を記録して法的救済を求めれば良い。
30歳までに第一子を産んでもらう締切を考えると、拷問求婚してくる女に対して頭に余裕ができて、別の対応が考えられる。
倭面土国=邪馬台国=ヤマト国でずっと同じ場所
日本の事だしそらそうだろう
帥升も卑弥呼も日本の王だ
大和は、大物主の拠点であり、
1世紀中期から、出雲の大国主命と
協力して、
国造りをしていた事が
銅鐸の編年と密度分布から分かっている。
この大物主がモモソヒメと婚姻することで、
崇神朝に取り込まれたのが3世紀後期ー4世紀初頭なので、
魏志倭人伝には大和は登場しないというのが正しい見方になる。
>>1 まぁ
仮に卑弥呼がいたとして
その墓地と規模が適合するのが、纒向遺跡の箸墓古墳 以外 に ひとつも存在しないからねぇ
九州に300m級の 3世紀中期後期の 古墳 が 発見されるんなら 話 別だけどなwww
考えてみろよ
5世紀後半に
日本武尊(ヤマトタケル)が埋葬されたと言われる
軽里大塚古墳が全長約190mだぞw
3世紀中頃に
建造された最古にして
当時他に類を見ない巨大古墳
かつ。
最初の巨大前方後円墳
全長278mの 纒向遺跡の『箸墓古墳』は、
当時どれだけの ”大物” が埋葬された事になるんだ?
他の古墳は全部
4世紀以降の産物。コレだけが異常に突出してんだよね
はっきり言って
この当時、実在した最大の 権力者は、生前名:”卑弥呼(日巫女)”
崩御後名(アマテラス)しか
存在しないんだよ
247年、248年の日食は、アマテラスが卑弥呼で
あればを仮定した場合であり、そうでない場合も
あり得る。
昔からあるいろいろな話をパクって乞食を作っているから矛盾がある
そもそも卑弥呼が天照ではないし
天岩戸が卑弥呼の住んでいた場所にあったというわけでもない
もちろん卑弥呼は神功皇后でもない
何もかも混ぜてしまっているからヤマトタケルはほぼ同時期に別の場所にいたりする
そんなわけがないということを無視してつじつまがある説を考えようとしているのは滑稽
intcalの改定による畿内説完全否定から教訓を得るなら、
科学的視点といえども、
先ずは考古学の視点から、
それが正しいか否かを
考えなければいけないと言うことだな。
従って、考古学的に見て、
前2世紀の遺跡の荒神谷遺跡が
スサノウが高天原(博多湾周辺)から、
銅剣銅矛を持って出雲に
移住してきた拠点と考えられるので、
その同時代の天照大神もまた
前2世紀の人物であり、
コレを卑弥呼に当てて、
天岩戸の日食の日時と地域から、
邪馬台国を割り出すという手法は
間違っていると言い切れる。
>>574 卑弥呼と同時期の天皇が、10代目の崇神天皇。
邪馬台国と覇権を争っていた
狗奴(くな)国の男王が崇神天皇。
魏志倭人伝に邪馬台国との対立が描写される
「狗奴国」(熊本説などが有力)
初代「神武天皇」と第10代「崇神天皇」は、共に「ハツクニシラス天皇」と称される
つまり
実際には、初代(神武天皇 = 崇神天皇)という説が有力
神武東征
古事記では
日本統治のために本拠を東(大和)へ移そうという提案をし
宇佐(大分)、岡田宮(福岡)、安芸(7年)、
吉備などを経て高嶋宮(岡山)に入り、
8年もの準備期間の後に大和(奈良県)に入る。
しかし
大阪から大和に入ろうとするが阻まれ、
熊野に廻って大和入りを目指すが、
ここでも苦戦がつづき、兄弟を失い自らも重症を負う。
ようやく高天原からの支援(神剣を贈られる)により
大和入りを果たし、橿原宮で即位する。(古墳:橿原神宮) ※狗奴国の王の墓は大和にある
つまり
大和には「狗奴国」を退ける巨大な勢力があった事になる=(大和大国)
卑弥呼が亡くなったのは
魏志倭人伝によると248年
その死の直前に、
狗奴国王との争いがあったことが魏史に記されている
天照が主神になったのは天武のクーデターで伊勢のアマ氏が勲一等になってからなんでないのかい?
>>1 つか日没間際なら日食がかすんで見えないんじゃね?
九州の邪馬台国を畿内の豪族が滅ぼすなり吸収するなりして
大和王権立てたって流れだろ
九州関係ないなら高千穂とか訳わからねー所に天孫降臨したり神代三陵とか
言って箔付けしたりしねーわ、大王が邪馬台国の血統を飲み込んだんだろ
うーむ日没直前か・・・
土民たちには日食なのか日没なのか区別がつかなかった可能性もあるな
卑弥呼を神話の時代の天皇にしようとするから
初期の天皇はやたらと長生きしたことになる
それ自体がもう間違っていることにさえ気がつかない
邪馬台国はいわば秦氏の名を騙る百済人どもの侵略国家だもの。
狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたんだからざまあといったところだわ(笑)
翌日には日が登って来るんだから『日食なんか怖くねえよ』とならんのかね
普通の日常に戻ると思う
>>587 そりゃあんたが日食がどういう現象か知ってるからだ
時の漢の皇帝(光武帝)に金印を授かった委奴国と、中国大陸を統一出来ていない状態の魏(結局、司馬一族によって簒奪されるがw)の曹叡にもらったという邪馬台国の金印とでは価値も意味合いも全く違うけどな(笑)
>>587に同意する。
古代人が日食の現象を知らなくても、
日食も地震も雷も、しばらくすると普通の日常に戻ることは、古代人も知っている。 @阿波 >>587 元に戻るのは知ってても、平安時代辺りでも日食月蝕の日は物忌してたそうだし
学がなく、文字も文化もまともに理解できない体育会系土建屋のアホカスどものために、どれだけ多くの貴重な過去の遺跡が消されたのかと思うと、悔しくてなりません。
>>238 魏志倭人伝の使者は日本海を渡り
北九州に着いている。その先が不明。
熊本の山幸彦と博多の海神ワタツミの娘の間に産まれた子がいわゆる神武天皇。
それ以外は負け犬でしょ。
>>594 宇佐神宮を全面的に発掘調査すれば何か新しい発見がありそうだが
別々に起こった事象をくっつけている説を、俺は唱える
これ、俺が最初だからな?
歴史の教科書に載るくらいの、偉い説だからな?
そもそもヤマトは山門か山都と書くのが普通で大和と書くのは当て字だから
弥生時代に大和と書く訳が無い。九州にあった倭国が奈良で全国制覇をして
大きな倭になったから大倭→大和と変化した訳だ
たとえば遺跡のような物理的痕跡や信頼できる文書もないのに
いったいどこに天文学を活かせる余地があるんだ?
「山処(やまと)の地」
「倭大国魂神社」が建立されている阿波国美馬郡は、貞観ニ年(八六〇)までは、
現在の三好郡と、美馬郡(木屋平村を除く)を合わせた七郷からなり、
徳島県の中西部に位置し、山地が九〇㌫を超える山処(やまと)の地。 @阿波
福岡市早良区に地下鉄藤崎駅があるが、ここを建設前に試掘したら
弥生遺跡が出土している、海抜は僅か4mなので弥生時代の福岡市は80〜90%
は海上にあったと言う事で、調べたら筑後地方の殆どは海上だったと言う事だ
>>600 ヤマトは
屋が纏まる場所という意味で
大規模集落を意味する一般名詞だよ
大和も山門も間違い
野方遺跡あたりは面白いよな
小戸、上山門、下山門、日向峠、吉武高木も近いしさ
大和朝廷を何がなんでも邪馬台国にしたいのはなぜか考えたらわかるじゃん
要するに権威と利権だろうwww
語源が山門であろうが山人であろうがヤマトの言葉に
大和、倭、日本の文字をあてた時には既に意味は変わってたんだよ
同じ考え方で邪馬台国の場所を特定しようとしたテレビ番組があったけど、いくつか候補は絞られたもののいずれも致命的な矛盾点があって結局特定にはいたらなかった
なんでヤマトに大和、倭、日本なんて文字をあてたのよ
実際問題、畿内は大和朝廷なだけ
倭人伝の邪馬台国は九州だよ。
日本神話の7割は出雲。
大和は出雲を平定後、出雲の神話を引き継ぎ、
書き換えたり、付け足したのだろう。
なので、天岩戸が出雲の可能性もある。
158年に西日本で日食があった。
倭人伝でわかるのは不彌国まで。
投馬国、邪馬台国はわからない。
>>545 >・邪馬台国が30ヶ国連合の盟主 ←九州でも余裕
何の根拠も証拠も裏付けもないのに、ただ吠えてるだけ
>・邪馬台国7万戸 ←大月氏国に合わせて水増し
>・邪馬台国連合で15万戸以上 ←大月氏国に合わせて水増し
魏志倭人伝の記述を否定してまで九州だとごり押し
>・水行二十日、水行十日陸行一月 ←畿内説でも不自然な行程にしかならない
九州では不一致と認めたわけだな
・卑弥呼の宮殿に1000人の従者が仕える ←畿内説でも根拠ゼロ
>畿内なら1000人が仕える広さのある遺跡はあるが、九州だと可能性ゼロ
>・卑弥呼の墓が径百余歩 ←前方後円墳などという特殊な形状への言及ナシ
現代人の先入観でイチャモンは無意味
そして九州だと完全に不一致
>・一大率が刺史のごとく ←後漢時代の古い情報だが、各国が一大率を恐れるというのに畿内説では辺境の地にあることになってしまい不自然
この記述が九州説では不一致になる理由を理解できていないのか、トンチンカンな反論
このように九州説では魏志倭人伝の中で邪馬台国について書かれた記述とことごとく不一致になる
一致するのは南の方角くらいしかない
魏志倭人伝をガン無視してる珍説が九州説
>>177 伝承が続かないのでそんな昔ではない。
天皇の名前くらい伝えろよ。
日本書紀に書いてある
読み下し「大和は国のまほろば たたなづく青垣山籠もれる大和し麗はし」
現代口語「大和は我が愛する国 幾重にも重なり合う青々とした垣をなす山に囲まれる大和はなんと美しいことか」
日本神話とかどうでもいい。他国の記述による邪馬台国がどこで卑弥呼が誰なのかが大事。
倭国は九州を指す、卑弥呼の墓もそこにあるよ。さっさと掘ろうw
>>614 168年に近畿に金環食
元々、投馬国(出雲・妻木晩田)
吉備、東海、若狭の四つで
近畿を開拓する。なので邪馬壹国の
官名に副がない。鬼道によてまとまる。
>>616 何の根拠も証拠も裏付けもないのに、ただ吠えてるだけ
↑畿内説のことだな
魏志倭人伝の記述を否定してまで九州だとごり押し
↑畿内説のことだな
九州では不一致と認めたわけだな
↑畿内説のことだな
畿内なら1000人が仕える広さのある遺跡はあるが、九州だと可能性ゼロ
↑なんの根拠にもならなくて草
現代人の先入観でイチャモンは無意味そして九州だと完全に不一致
↑畿内説のことだな
この記述が九州説では不一致になる理由を理解できていないのか、トンチンカンな反論
↑何を指摘されたかも理解できない畿内説哀れ
このように畿内説は「九州説を否定したつもりのその理屈」で
畿内説自体をも否定してしまう頭の悪さをどうにかしないといけない
>>613
>倭人伝の邪馬台国は九州だよ。
だから、九州のどこなのさ? @阿波 >>618 で、倭面土も邪馬台もおそらくヤマトでしょ
中国人が文字をあてただけで文字に意味はないけど
>>61 断片的に辻褄が合えばサイエンス、ではないんだよ
サイエンスとは「再現性」なんだよ
同じ条件で同じことをしたら同じ結果が得られる
誰がやっても
これがサイエンスだ
出雲で栄華を極めていた集落は紀元前後に営みを終焉しているね
その後、加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で見つかっている
理由はわからないが出雲の人々が1世紀初頭に畿内に移動したと考えられる
イザナミが黄泉に逃れる話と関係があるかもね
イザナミは黄泉の主祭神で道の神さま
イザナミが葬られたのは和歌山のアリマ
ちなみに孝徳天皇の皇子、有間皇子が亡くなる前に訪れていたのが和歌山の牟婁の湯
ていうことは天照大神は卑弥呼の後から出てきた人で
時代が違うってことね。よって2人は別人。
>>96 ただ、土器については世界的にも最古レベルだよね
中国で最近同じくらいの年代の土器が見つかったらしいけど
>>626
>理由はわからないが出雲の人々が1世紀初頭に畿内に移動したと考えられる
違う違う。 倭国(阿波)から、出雲や畿内などに「倭人(阿波勢力)」によって銅鐸が広まっただけのこと。 @阿波 >>132 アマテラスなんて、地方の伝承を元に奈良時代に後付けで作った話だろう
魏志倭人伝を参考にしてても不思議じゃない
>>612 それは簡単。
元々チャイニーズが日本周辺を倭と呼んでいたから。
ソレをヤマトに当てて、倭を和に変えたのが大和になった。
南九州から東征したという畿内の百済人勢力があんまり嘘つきなもんだから唐書に日本(百済系が打ち立てた国)と、倭国(博多湾岸)は別種なり
きちんと中国の史書にも招待ばれていますよ(笑)
ずーっと前からなw
>>148 証拠となる物が出土されたりしなければ
ただのヨタ話だから
>>634 まあそうなんだけど大和、倭、日本は国家でしょ
ヤマトは国家の意味だからこれらの文字をあてたんでしょ
古代日本の歴史を語る時は出典根拠を併記してほしい
何かしらの根拠があるものと隙間を埋める妄想が同一線上で語られるから困る
>>626 銅鐸の時代編年と密度分布を分析すると、
大国主命の國造の変遷に見事に一致する。
大和に銅鐸の生産地の中心地が変遷した時代が、
大物主が大国主命に協力を願い出た時代になる。
>>637 倭の字は野蛮人とか列島民族みたいな意味だから
変えたんだってよ
>>640 倭だけを言ってるんじゃないから
倭も大和も日本も全部ヤマトだから
>>637 ヤマトは107年に倭面土国として
後漢書東夷伝に登場する。
それ以前は、奴国が倭の支配者として
金印を授かった。
つまり、ヤマトとは、奴国と同じ様に、
元々は倭の国の一つであったのである。
ソレが、倭面土国以降、メインストリームの支配者として君臨して、
倭=ヤマト(山門)と言われるようになったのである。
銅鐸って西洋鐘と何が違うのかね
一方、梵鐘のほうは我が国の文化としていまだに根付いているから貴重だけどね
あカンターレ(笑)
銅鐸の出土遺跡は、出雲や畿内より「阿波」が断トツに多いのを知らない考古学者がいるのだろうか? @阿波
「阿波」が銅鐸王国だということを知らない 考古学者がいるのだろうか? @阿波
>>640 それも後付けなんよね
元々は東らへん程度の意味合いしかなかった
「阿波」が鉄器王国だということを知らない 考古学者がいるのだろうか? @阿波
途中までは間違いなく北九州だろうし、そこからすると邪馬台国は
九州の何処かだろう
>>650
九州の何処かだろう と想像するのは楽しいか? わははははは @阿波 邪馬台国がさいたまにあったという厳然たる事実を疑う輩は非国民。
考古学を知らない無知蒙昧。
>>642 実際には志賀島の金印は一個だけ石の下に埋まって畑から出土した
同時期の大陸の印はみんな王墓から出土してるのに
つまり中国史書に書かれている
奴国王だの倭王だのと言うのは実在しなかった
チャイナが支配圏拡大のため印だけばらまいただけ
>>654 倭王は存在したでしょ
倭の五王も当然いた
天皇家とつながってるかわからんけど
安曇の君でしょ
誰かさんが滅ぼしたらしい
海部照らす
九州説が東京帝国大
畿内説が京都帝国大
利権つーか学閥争い
魏志倭人伝には邪馬台国は7万戸あって径百歩つまり140mくらいの大きな墓があると書いてる
九州の山門と畿内の大和のどちらがふさわしいか
>>651 絡んでくるな おまえだけには絡まれたくないんじゃ
さすがはエルカンターレ
私の想像の範囲内に収まってくれるから素晴らしい(笑)
バカチンあカンターレw
>>658 それは昔のこと
今は東大も京大も九州大も畿内説
ごく一部の異端学者が九州説で残ってるだけ
邪馬台国はなかった
場所もわからないのに寝言はやめろw
>>10 > 古代では距離を正確に測る方法なんてないけど
> 方向を測る方法はある
邪馬台国への行き方として記載されてきるのは方向と移動手段、それに距離ではなく所要日数
陸行○日
水行○日
こういう「目的地まで何日かかったか」は古代でも正確な記録が残せるだろう
そして陸行か水行かは当人には間違えようがない
当時の技術レベルからみて方角に関する記述が一番不正確な情報になる
>>659 前方後円墳という特異な形状に言及がない
距離も方角もデマと決め付ける癖に
7万戸という数字だけは根拠なく正しいとする畿内説のチェリーピッキング
邪馬台国が埼玉にあったのは事実だが、埼玉のどこにあったかと
問われたらまともに答える事が出来ん者ばかり
日食議論には与しないが
卑弥呼は天照
邪馬台国は九州で間違いない
200億年前、ビッグバンはさいたまで起こりました。
40億年前、地球はさいたまから形成されました。
6億年前、カンブリア爆発が起こったのはさいたまでした。
サルが最初に木から降りたのもさいたまでした。
さいたま市民の矢部氏が中東を歴訪して神と崇められヤーヴェと呼ばれるようになりました。
邪馬台国はさいたまです。
さいたまこそが宇宙の中心なのです。
>>670 7万戸がそのまま正しいとは言ってないよ
奴国の2万戸に比べてずっと規模が大きいと魏志倭人伝に書いてるという事を言っている
九州最大の奴国で2万戸
邪馬台国は7万戸
これはもう結論は出たようなものだな
太陽系は銀河系の中心と外縁の間にある。
例えるなら東京とグンマーの間にある。
つまり、太陽系はサイタマ!
>>670 径百歩つまり140mくらいの大きな墓は
九州にはなくて畿内に見られるものだね
不彌国(箱崎(バテレン追放で知れる))から先は文明が開化してなかったから距離感も時間も測ることができなかった!?
知らんけど(笑)
>>678 また径百歩を根拠なく正しいと決め付けた
都合が悪いものはデマと決め付け
自説にゴリ押しする時は根拠なく正しいと決め付ける
さすが畿内説のチェリーピッキング
志賀島は今でも安曇族の阿曇氏が、
志賀海神社の神主を務めており、
奴国の主要構成員の安曇氏の
氏神の居る志賀島から
奴国の金印が出たのは
歴史の必然である。
奴国は、銅剣銅矛を祭祀の道具とする海人族の国であり、
ここからスサノウやニギハヤヒが
出雲や河内や大和に進出していった。
コレが記紀で言う高天原であり、
銅剣銅矛の伝播が、天孫降臨と言われるモノである。
>>669 その通り
後漢時代から頻繁に往来があった玄界灘沿岸地域の末盧国→伊都国、伊都国→奴国の方角でさえ90度近く間違っている
訪問記録が2回しかない邪馬台国への方角が正しい保証はまったくない
九州説で魏志倭人伝に一致する唯一の記述である方角でさえ実際は信憑性が乏しい
>>685 女王国東渡海千余里復有国皆倭種
東の海とはどこのことですかね?
そしてこの奴国が、
金印を貰った57年から50年後の107年に、
既に倭面土国に制圧されてしまっていたのである。
コレが日本の歴史なのである。
>>680 だって畿内には径百歩つまり直径140mの古墳の現物があるからね
ちなみに前方後円墳だけじゃなくて円墳でもそのくらいのサイズのものもある
>>686 回答済み
基本的な知識もないなら絡んでくるな
実際の距離の五、六倍もある里数を単なる計測ミスととらえるのはとても不誠実だよね
論より証拠
畿内からは魏志倭人伝に書いてあるものが見つかっている
福岡市の注連縄は竹で作られる
これマメな
そういうことなので委奴国はハイになって気持ち良い思いをしていたヤク国の高天原とは違うので一緒にしないで!
魏志倭人伝にかいてあるものと
銅鏡や古墳などそれに合致するものが見つかっているのは畿内
魏志倭人伝と実際にあるものの合致が見られるのは畿内をおいて他にない
ちなみにニギハヤヒの天孫降臨は、
河内を拠点とし、
一部は長野県安積野に進出していった伝承があったが、
コレが大阪湾型銅戈の出土分布と一致し、
実際に高天原=奴国から、
安曇族が河内大和安積野穂高に
進出していった事が実証されたと言える。
九州説って方角のみの一点張りだから、方角の信憑性が崩れたら詰みなんだよな
魏志倭人伝にある方角以外の記述とことごとく不一致になるんだから
>>694 見つかっていない、
一致しない、
intcal20によって、
畿内説は完全崩壊した。
>>1 天岩戸隠れを皆既日食ではと考えるのは学者じゃなくても思い付く人間は多いんじゃねーの?
卑弥呼の死没もあり得ると思うけど、日食と同時に起ったという想定は意味がない。
そもそも天照大神が天岩戸に隠れたきっかけは須佐之男命との喧嘩だから、何か日食とは別の天変地異、例えば火山の噴火による噴煙で太陽が隠されたって可能性もあるんじゃないかな?
>>694 貴方は恐らく考古学に興味がないのでしょう。
intcal20の改定も知らないし、
方格規矩四神鏡の分析も知らない。
日本側の古事記なり日本書紀なりに
卑弥呼や邪馬台国の影も形もないんだよね?
福岡空港の敷地内に弥生時代の雀居遺跡があるがこの遺跡からは
原型をとどめた木簡を書く為の経机が出土している
畿内説では漢字は弥生時代の日本には無かった事になっているが
俺の想像では北部九州では文書によるやりとりが弥生初期から頻繁に
行われていたと思っている。ひょっとしたら縄文時代まで遡るかも知れんな
有事の際に例えば沖縄や北海道あたりで陣頭指揮にあたるのが本物の英雄の器である。
ダメだねこの国は(笑)
>>701 日本書紀編纂の500年も前の話しだしみんな知らないんだろ
せいぜい、原爆廃止という妄想サミットをうじなー堤のホテルで開催してなされ(笑)
①intcal20の改定によって纒向遺跡は3世紀後期~4世紀中期の遺跡となった。
②そもそも纒向遺跡や奈良の弥生遺跡からは大陸の遺物が出土しない。
③弥生の奈良は絹の生産地ではない。
④三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡は徐州の銅で作られた西晋鏡で、平原遺跡からは出土しない。
⑤前方後円墳は3世紀後期の墓で、卑弥呼とは無関係であり、邪馬台国の超重要拠点の伊都国の卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡も方墳。
⑥ホケノ山から槨が出土し、弥生の奈良は槨埋葬権だった。
⑦畿内説が卑弥呼の墓とする箸墓から馬具が出た。
⑧纒向遺跡の外来土器には九州の土器が殆ど出土せず、纒向王朝が北部九州を支配していたとは言い難い。
よくわかんないけど邪馬台国とか卑弥呼って皇室とは関係ないんでしょ
戦前では邪馬台国と卑弥呼はどういう扱いだったん
近畿にあって神話時代の皇室の祖先と敵対関係にあったのか、九州にあった異国とその女王という扱いなのか
>>706 上記は使者が訪れた地域であって
邪馬壹国についての記述ではないのでは?
>>75 御井って福岡南部の街のこと?
たしかあの辺は高木神社って珍しい神社があったような??
なんかほかの神様に家を貸したら乗っ取られたみたいなやつ
そこらについてはなにか知ってることある?
⑨弥生の奈良には倭国大乱を示す戦乱の遺跡がない。
⑩楼閣もない。
⑪鉄鏃が殆ど出土しない。
⑫鉄の武器が出土しない。
ムリムリムリの12連発が畿内説。
>>708 邪馬台国の卑弥呼は
倭姫命であり、
この系列の丹波國造が天皇家の外戚となって、
神功皇后などを排出し、
倭健命の系列が代々天皇になることになった。
>>36 当時だと中国が認めるかどうかが最優先やろ
邪馬台国と大和朝廷が別物っていうパターンの畿内説ってあるんだっけ?
日本国は倭国の別種なり
中国に内緒で倭国を滅ぼして打ち立て国なんじゃね
しかし百済人勢力のウマヤドが独自の小中華思想の国造りを進めていたことがバレたからその後、大海人勢力に返り討ちにあって滅びたんでしょ(笑)
>>711 H弥生の奈良には倭国大乱を示す戦乱の遺跡がない。
I楼閣もない。
J鉄鏃が殆ど出土しない。
K鉄の武器が出土しない
これこそ邪馬壹国の証拠と思うけど?
水行20日、10日 つまり大陸との交流の玄関口九州より遠方にある。
卑弥呼が共立されて九州へ。
⑬100人規模の殉死が想定できる弥生の墓もない。
13連発でした。
intcal20の改定が無くても畿内説は不可能ですが、
intcal20の改定によって、畿内説は完全崩壊しました。
>>716 不彌国より南に水行20日は妻国の美々津である事が、
日本書紀の神武東征記より確定している。
>>718 これも邪馬壹国の証拠
卑弥呼の墓が九州にあっただけ或いは
後の時代に移動もありうる
>>719 時代が違うからネタ元があるかもしれない
>>714 天皇家が途切れてる可能性は当然ある
だから大和朝廷とのつながりとかどうでも良いと思うけどな
そもそも実在したかわからんし
水行20日とか、陸行1月とか、
チョチョっと史書を当たれば出てくるんだよ。
そういう事をしない、興味がない連中が、
水行30日と陸行1ヶ月は台湾かフィリピンになる~
とかテキトーに口走っちゃう訳よ。
>>719 魏志倭人伝に筑紫はないが
“都”の文字が
使われいるのは伊都国と都支国。
都支国が筑紫と推測
>>709 邪馬台国の記述です。
キンパーはしっかり魏志倭人伝を読みましょう。
>>725 違いますね。邪馬壹国に絞った記述はありません。
>>558 史料には邪馬台国は会稽東治の東と書かれている
会稽東冶ではない
会稽の東も治めていたことがあったので
会稽の東側の治めていた地域の東ということ
>>723 イレズミのおかげで
パプアニューギニア説を信じるわ
決め手はないんだしどっちでも良くね?
ヤマト王権の本拠はどのみち近畿で揺るがないんだし。
邪馬台国が近畿だったとしたらヤマト王権の起源だったのかなあということだし、
九州だったとしたらたまたま支那の記録に九州のクニが残ったというだけだね。
>>725 水行の行ぐらいしかありません。後は可7万戸
官職4人いても副がありません。不確定要素が多い。
実際に邪馬壹国に行ってのかは定かではない。
>>729 そうなんら邪馬壹国は力がなく
中心国でもない発展途上国と推測
宗教地と思う。
陸行1か月もしてたら道中の風景や地形の記述があると思うが
>>189 その通りだと思う。
もっと時代を広げると
最後の氷河期が終わってから
4000年間、朝鮮半島は無人だった。
そこに北の沿海州からの縄文人と
南の対馬からの縄文人が
無人の朝鮮半島の住み着いて
半島全部に拡大した。
>>734 朝鮮半島に倭人が勢力を保っていたのは
そこが縄文人の土地だったからだ。
九州説カルト信者による畿内説批判って面白いな
・ド素人のブログや同好会のHPに書かれてるガセネタがソース
・魏志倭人伝を曲解したトンチンカンなイチャモン
Intcal20がどうたらとかアホの典型例
委奴国や筑紫館、古代大宰府が博多湾岸にあったのに、その後太宰府市内や朝倉、久留米付近の筑紫平野にあったことになってるのが興味深いね。
近畿邪馬台国はクールー族が打ち立てた国だったのかもな(笑)
邪馬台国ニ到着ス 遥ニ火山噴煙望ム
それぐらいの記述があれば
>>738 そりゃ白村江の戦いに敗れたあと唐の襲来を恐れて内陸に移ったんだろ。
イワレヒコが最初に建国した地
それは広島県は阿岐国
ここが倭の中心地だったってわけ
そのあとに、日本の地形を把握し
吉備を従え、出雲を降ろしたら
畿内の向こうの毛人の領域も取り込むことを決意
それで奈良に東征したと
阿岐の段階でちょうど西日本の中心にくる
奈良の段階で今度は日本全体の中心に
答え出てますよ、簡単にw
陸を一ヶ月歩くなんて途中に食料補給できる所がないと不可能だべ
倭人は航海する時いつも陸を一ヶ月歩いてたのか?遠すぎて船の整備できんがな
>>739 魏志倭人伝にはないな。
丹もあるが水銀とかベンガラとか?
>>743 大雑把に聞いただけじゃね。
発展途上国で重要な国でもないとか?
未だに所在が解らないとか
実在しても大した国でも無いんじゃないか
>>746 邪馬台国はヤマトでそれは良いんだけど卑弥呼は歴史から抹消したいかもね
663/10 白村江の戦いに敗北した倭国は国力を失った。
対日本帝国と同じだよ。
そして国力を失った倭国とは別種の日本に併合された。
7世紀までは倭国の時代、8世紀から日本の時代だ。
日本は倭国の歴史を焚書改竄捏造している。
>>749 狗奴国が近畿を乗っ取り
卑弥呼らを女土蜘蛛としたとか?
後漢書では東になっている
>>752 卑弥呼のやった事なんて国を売り渡す国賊でしょ
>>736 最後の氷河期が終わってから
朝鮮半島は4000年間無人地帯だった。
そして今から6500年前に北の豆満江(tomam)方向から
沿海州の縄文人が無人の朝鮮半島に南下した。
今から6000年前、対馬の縄文人が北進して
東三洞(とさんど)・釜山周辺の無人の朝鮮半島に住み着いた。
北や南からの縄文人の進出定住は、ほぼ同時期だと思う。
沿海州からの北の縄文人と、対馬からの南の縄文人の言語が
そっくり同じだったとは思えないが、系統は同じなんだろう。
それぞれ海岸沿い、川沿いに定住地を広げて
朝鮮半島全土に広がった。
日本列島も沿海州、東シベリアも朝鮮半島も縄文人の土地だった。
>>754 邪馬台国、開拓に鉄が必要になったとか?
鬼道でまとめた。なので祭祀に近畿系土器が九州に増える。
>>749 邪馬台国ではなくて邪馬壹国だけどね
仮にヤマトだとしても畿内とは限らない
福岡にも山門(ヤマト)と呼ばれている場所があるから
正確には甲と乙の発音の違いはあるが
昔の音だからそこだけ厳密にしても仕方がないので気にするな
>>758 俺も気にしてないからなんとなくヤマトだと言っている
ヤマトとは日本の事だ
>>751 大分というのは少し検討してもいい
どの記述に対してもピッタリ感はなくて
はずれているのだけれど
どの記述に対しても大きくはずれてない
少なくとも畿内説のような大きな矛盾点を持たないのが大分
ほとんどの専門家が畿内説って時点で九州説は素人の与太話の域を出ないんだよな
言ってみりゃ反ワク陰謀論みたいなもんでさ
>>757 自分の地位を守る為に魏に援軍を頼んだと解釈している
やっぱり方舟とか天地創造をしたという土人宗教の流入かな。
文明が急に退化したのね(笑)
白ウサギのクールーが流入したことで一時的に那大津が使用不可能になったのは間違い無さそう。
その後、三重の津を拠点に尾張に一大勢力が誕生したんだろうな。
日食で日御子である卑弥呼の霊力が疑われて殺された説は昔からあるだろ
そもそも近畿説なんて鉄器の数的にありえんし絹も出てるのは北部九州なんだから
魏志倭人伝の邪馬台国が北部九州なのは明白だよ
ヤマト王権に繋がる国家が同時期に大和にあったかどうかは全く別の問題
邪馬台国は半分フィクション
無理やり当てはめると畿内に大勢力が居たってだけ
もう一つ言っとくと狗邪国が敵国だと思ってない
卑弥呼と卑弥弓呼は個人的に仲が悪いんだから権力争いでしょう
>>768 鉄器や絹が皆無が邪馬台国という定義なので。
数的に多いは九州。
>>770 だよね。卑弥呼亡きあと
千人死んだとあるが
狗奴国との戦いでの死者の数の記載がない
>>770 筑後平野から上の邪馬台国連合と
今でいう熊本から南の狗奴国との抗争だろう
最終的に魏の後ろ盾があった邪馬台国が勝って九州を統一
>>772 魏志倭人伝も読んでないバカは書き込むなよ底辺低学歴のカス無職
古代の中国は大げさに言うって中国人が言ってたから九州だよ距離は大げさに言っただけ
>>775 読んでいるよ。
邪馬壹国について絹、鉄の量が多いとか少ないとかピンポイントに書いていない
博多と名古屋は似ているもんな
調子こいた近畿勢力を征伐する構図はいつの時代も同じ
>>564 邪馬台国の中の一つの国だった事自体は確実
卑弥呼の居る女王国だった可能性はかなり低いが町興しの為にそこには全力で目を瞑ってる状態
>>767 やはり、三重ですか
伊勢、斎宮のある明和町あたりだと思います
>>780 可7万戸でせ、もっと範囲が広い
官職も4名と最多。
三重も含む近畿。
投馬国は出雲、妻木晩田、吉備、阿波とか?
>>781 ありがとうございます
三重で決まりですね
魏志倭人伝には邪馬台国は
1.楼観(物見櫓)、城柵、宮室(宮殿)があると記載している
2.国王の後継者問題で揉めて内乱が起きている
3.戦いには鉄の鏃を用い、絹織物が特産品である
以上僅か三点だけでも満足させているのは吉野ヶ里遺跡のみ
纏向は何1つ合致していない
>>784 魏志倭人伝には邪馬台国にそれらがあるとは
書いていない。
>>784 上記は伊都国、不彌国、奴国の
いずれかだろうな
邪馬台国という国賊集団に相応しいのは肥国なのである
シャブ浸けの吉野がヤマトの発祥だったらそれはそれで面白いけどな(笑)
鳥取に決まってるじゃん
鳥取、カラスを家来にする
カラスは厄を察知できる
わろた
カラスは厄を察知できる
昔、カラスが止まった家は死人が出ると言われた
大嘘
カラスはここに厄がやって来ていると教えるためにカーカーと鳴くたわけ
その忠告を無視したから死人が出たの
天皇はカラスを従えて厄が飛んで来ている家を探し回ったのね
柴犬も厄を察知できるけどね
こんなこと教えないといけないわけ?しんどー
七つの子という歌を聴きなさい
何一つ悪いことを言っていない
野口雨情さんの歌は浄化効果があるからね
カラスの勝手でしょーで切り離されちゃった
まあ経済発展のためには必要だったんでしょう
九州、九州しってるけどさ、
少なくとも卑弥呼の時代、邪馬台国があったのは奈良かもしれない
かつて世界一の超能力者と呼ばれたベラが断言してる
九州、九州いってるけどさ、
少なくとも卑弥呼の時代、邪馬台国があったのは奈良かもしれない
かつて世界一の超能力者と呼ばれたベラが断言してる
なぜ古代の天皇がカラスを飼っているのか
少し考えなさい
>糸魚川流域で翡翠探し
その糸魚川って川、どこにあんのさw
糸魚川市に糸魚川なんて川はありません@新潟県民
畿内は絶対にないのよ。畿内とか言ってるのは日本の自称学者だけ。
本場では九州で決着がついている。曹操の鏡も大分で出土しているがスルーをされているw
すげーバカ記事だな
卑弥呼はアマテラスに決まってる!
天岩戸の話は日食に決まってる!
日食は九州であったから九州だ!ドーン!
仮定に仮定を上塗り
不彌国、奴国、狗奴国までは九州。
投馬国、邪馬壹国は九州以外
>>800 小沢一郎が自民幹事長の時に「この人はこれ以上偉くならない」と言い当てた人な
おまえらがなんと言おうと、最強の軍隊である一大卒が駐屯していた伊都国が邪馬台国の中心なんだよ
先進的な文化もあったしな
その後東遷して奈良に移っていった
あとアズミ族の話もそうで、福岡市東区の志賀島にいた海洋民族のアズミ族は全国各地に拠点を構えていた
現在は名残として地名に残されている
渥美半島とか安曇野とかな
で、海幸彦がアズミ族で、山幸彦が伊都国=邪馬台国の中心勢力な
山幸彦が海幸彦を併呑していく物語なのだが、このことからも伊都国は全国各地に影響を与えていた
くゎくむそう
この方に聞きなハレ(笑)
@覇家台の王
>>800 その人は伊勢に行った時に外宮の神が格上と言い当てたからな
日本人ですらほとんど知らない外宮神道の存在を外国人が知っていたとは考えにくい
>>812 崇神が四道将軍を東西に派遣して畿内勢力が九州までやってきた時
おそらく伊都国は一番最初に九州邪馬台国を裏切って畿内ヤマト勢力に恭順している
単に九州邪馬台国がでかい面するのが我慢ならなかったのか
それとも過去に枝分かれした同族だから受け入れるのも容易かったのか
アマテラスは男神だろ。
男神であるアマテラスを夜迎えて伽をする役目だったのが巫女。
巫女は女王ではなくて、神に奉仕する側女(そばめ)のようなもの。
人間から神に捧げられた人身御供だ。
巫女が神の言葉を伝えるという鬼道を行うようになり、巫女の言葉に従って
政治を行う邑が集まって連合国家となる。
そういう政治スタイルの国が男王が強権をふるうようなスタイルの国を
撃ち破っていった。
中国人は、巫女を女王だと思っただけのことだ。
巫女は歳をとれば神域を去るだけ。
その墳墓なんてものは存在しない。
>>820 アマテラスと卑弥呼は別の存在だろう
卑弥呼は土蜘蛛に多い女酋長(シャーマン)だ
アマテラスは崇神の一族の先祖、大物主の妻モモソ辺りだろうか
アマテラスはただの太陽神
卑弥呼は太陽神のご機嫌をとる側女なので
日食なんかで太陽が姿を隠すような異常事態が起きると
卑弥呼、お前何かやったな、そそうしたんじゃないか、ということになる。
>>1はトンデモぽいが
神話と事実のリンクは無視できない所があって、例えば亜人系の妖怪は
異民族のメタファーになっている事がしばしばある。
(ギリシャ神話のケンタウロスは中央・西アジアからヨーロッパを脅かしていた騎馬民族、
コロボックルはアイヌ到来より前から北海道に居た縄文人がモデルとされる)
近畿地方は環濠もなく元々人々は土蜘蛛も含め平和に暮らしていた
九州宮崎の人々が九州東部の海人や吉備と結託し大和を平定してヤマト政権が始まった
九州の熊本の熊襲を征伐したのはこの流れをくむ竹内宿禰
四道将軍、ヤマトタケルで日本列島を平定して回ったのもこれらの人々
沖ノ島を支配していたという阿曇氏。
我が国に多大な利益をもたらした士族言えよう。
かの有名な出光佐三氏も、おきゅうとを博多からわざわざ取り寄せていたという。
上の方に生口の数が国の数という説を書いてる人居たが
国の数とまではいかずとも国力を表してはいると思う
107年倭面土国王師升は生口160名を後漢に贈っている
一方卑弥呼は景初2年に生口たったの10名しか贈っていない
これは邪馬台国連合の国力がしょぼいということと
送り先が魏ではなく新興独立勢力の燕だったからかもしれない
台与は248年に張政派遣のお礼と共に生口30人を魏へ献じている
これも師升に比べれば大国の威勢は全く感じられない規模である
また邪馬台国連合は卑弥呼の死後早速仲間割れを始めた
卑弥呼一代のカリスマだけで各国の結束力もお粗末としか言いようがない
これでは畿内から大勢力がやってきたら裏切りが続出するはずだ
景行が九州征伐をした時
三種の神器を献上して仲間の土蜘蛛を密告した神夏磯姫などまさにその類だろう
日美子の文字は卑字
蔑まれた卑しい文字で付けられた名前
卑弥呼はほんらい「日巫女」だろう
太陽の巫女
中国文献伝来の「卑弥呼」なんて漢字をあてるのはやめるべき
卑弥呼が天照というのがな。
たまたま魏の国書に乗った時の女王ってだけでは?
邪馬台国も大和と血統が必ずしも一緒かどうか。
九州なら一緒なんだろうけど。
邪馬台国が機内なら東征の記述からして
大和に討伐された側ということも。
元は邪馬台国の傘下だった大和が連合のトップになったんじゃ?
邪馬台国が奈良で卑弥呼がヤマト政権の始祖でアマテラスなら大変なことになる
九州の海幸彦隼人を倒した宮崎の山人、九州北東部の海人、吉備の人々が卑弥呼やアマテラスの事績を簒奪したことになる
>>171 魏志には邪馬壱国って書いてある
誤字説で進めるのはやめて欲しい
ヒミコ、トヨマヒメ、タマヨリヒメ、神功様、斉明、持統
何でもいんじゃね(笑)
誰も興味ねーしさww
ケーケケケ
記紀を編纂した九州南部の山幸彦の子孫天武の時代、海幸彦の子孫隼人の乱が起きた
九州内の勢力争いに日本列島が巻き込まれたのが日本の歴史か?
博多の倭国が百済を救援に出かけた隙をついて、もぬけの殻になっていた博多を奈良の百済勢力が滅ぼしたってのが事実だろうけど(笑)
結局ヤマト政権に抗い続けたのは九州の海幸彦隼人、畿内の在地の人々、東北の人々ということか?
纏向は環濠も城柵も無いし、出土したのは大型の建物と大量の桃の種
犬の骨 魚の骨と土器の破片だけ鉄製品はおろか銅製品すら出土が無い
勿論争乱が起きた形跡も全く見つかってはいない、倭人伝に記載した
事が全く見つからないのが纏向遺跡の特徴。つまり纏向は箸墓古墳を
作る際の労働者の休憩所だったと言う事になる
>>807 姫川だっけ
大糸線の線路がよく流される暴れ川
またのんびり旅したい
卑弥呼は土蜘蛛の女王
その末裔を完膚なきまでに滅ぼしたのが神功皇后
歴史から抹消したともいえる
畿内勢力は野蛮だから、戦後処理として東日本に住まう方々を、防人として強制的に九州北部に移住させる政策を起てた。
東北の方々は何も悪くないよ
昔から独自の技術を持ってたし、鎌倉時代を打ち立てて畿内の野蛮勢力を倒した英雄でしょ
僻地、辺境ほど大雑把な地理把握になる
投馬国、邪馬台国は大国というわけではなく広範囲、いわば地方で把握されただけ
戦争、侵略などで王は各地に宮を作ったが、邪馬台国は卑弥呼が宮を作ったところとして知られただけ
倭国の中心は他にある
伊都国か奴国か太宰府あたりか
こう解釈するのが一番スッキリする
邪馬台国に幻想を抱いている人は認めたくないだろうが
大宝律令で、旧安倍関係国が前後に分断解体されてる。
各地の祭りで竹で叩かれるという要素が見られる
竹内宿禰が平定して回った名残りだろうか?
耳に纏わる神社はあちこちにあるがよく似た風習が残っている
錐キリをお供えする
竹の筒に紐を通した絵馬
竹で作った錐キリ
キリは九州南部の霧島と、竹は竹内宿禰と関係があるのだろうか?
耳とキリと竹はどういう関係なんだろうか?
>>773 狗奴国
「立ち会いで強く当たって、あとは流れで」
邪馬台国スレを読んでいるのは九州や関西の考古学ファンだけじゃ無いので
畿内説を信じている近畿パーはウソ、デタラメなどいい加減な事は
書かないようにせんと畿内説支持者がどんどん減って行くぞ
皇室の威信を高めたい捏造勢力と学者と観光資源として利用したい勢力と
対立をあおって日本を壊したい勢力と歴史が欲しい歴史がない国の工作とか
面白いねw
>>689 百歩で140mは昔の人の身長考えるとデカすぎ。
邪馬台国と後の大和朝廷が関係あるのかどうかだよな
それによっては邪馬台国がどこにあったかなんて誰も興味が無くなる
>>855 昔の1歩は今で言うと2歩
今の1歩は昔で言うと半歩
>>842 読み物としては面白いんだけど
信頼できるソースがない
邪馬台国が九州に有ったという説は、江戸時代新井白石ら国学者が突然唱えだした説で、
その始まりは、
「皇室の先祖が朝貢を行っていた事を認めたくないので、大陸に朝貢をしていたのは皇室とは関係の無い九州の地方王朝という事にしよう。」
という無理やりなこじつけ。
それ以前は、邪馬台国はすなわちヤマトコクで、大和朝廷の事だとされていた。
九州説の人は、町おこし的な感じで乗っかっちゃってる人が多すぎて冷静な議論は難しい。
いやいや、飛鳥も奈良以降も朝貢の連続なのにw
先祖だけってw
しかも記紀には卑弥呼=神功皇后的なことも書かれてるののw
大和朝廷と邪馬台国は 別物だろ
刺青とか蛮族の風習じゃん
>>848 春分の日と秋分の日は太陽が真東から上り真西に沈む。
昔は暦なんか無いから、今日が太陽が真東から昇る日だなとか
どうやって分かったのか
竹で計測したのである。
竹を真っ直ぐに立て、影のところの地面に印をつけていく。
そうすると、そろそろ春分の日だなというのが分かる。
春分の日、その日に東と西を確定する。
真南と真北も確定できる。
https://manab-juku.me/science/sun-shadow-curve/ 竹を真っ直ぐに立てるのは、たぶん高い木の枝から吊したんだろう
東西の線を確定し、その線上に巫女のいる館を建てる。
そうすればアマテラスの神が訪れる。
>>860 足利義満は実利を重視して日本国王号を得て日明貿易したのに、酷い叩かれようようだったからw
倭の五王は、倭だけではなく、朝鮮半島各国の将軍号も得たから、江戸時代の国学者は見逃したんでしょう。
聖徳太子以降は、一応冊封を受けた訳では無いという建て前ですし。
近畿にはでっかい墓があるしそらなんか居たんでしょう
それが天皇家とつながってるかなんて考えてもわからんしどうでも良いでしょ
邪馬台国を探し求めていた人たちかわいそうだわ。
一生を捧げた人もいたでしょうに。
「だいたいその辺」って程度の国だったなんて、、、。
そりゃ見つからないわ。
機内説はダブスタチェリーピッキングしないとたどり着けないから大変だなぁ
毎回揉めてるけど、機内説でないと困る層が一定数いるみたいだよな
3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、
奈良県を中心として、なんの助走・前触れもなしに突然、
大型の「前方後円墳」がつくられるようになるという、実に不可解な現象が起こりました。
なんでかな~ @阿波
倭國之極南界也
後漢書のこの一文をどう解釈するか
鹿児島や和歌山を指してると考えるか朝鮮半島を含んでて日本列島と考えるか
TVで中国台湾の学者全員が邪馬台国は九州って即答してたぞ
3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、
奈良県を中心として、なんの助走・前触れもなしに突然、
大型の「前方後円墳」がつくられるようになるという、実に不可解な現象が起こりました。
なんでかな~ @阿波
ていうか畿内説っていつから浮上したの?
ものごころついたときから邪馬台国と言えば九州だったわよ。
>>873 順番が逆、九州説は江戸時代に突然提唱されだした説
畿内説が強いのは理屈でもエビデンスでもなく、組織力だよな
千年以上大和説を守ってきたのだから年季も入っている
本人たちは何かを守ってるつもりかも知れんがニホンの学術を貶めてるだけではと思う
あと真理真実の探求が目的じゃないから得てして語り口がキモい
まぼろしの邪馬台国を著した宮崎康平氏が民間の邪馬台国研究家の嚆矢と言って差支えない、
彼の著書が発行されて以来、各地で民間の研究科による「おらが町の邪馬台国論」が盛んになった。
ちなみに宮崎康平氏は、邪馬台国は九州島原だと主張した。
>>876
前方後方墳でも同じこと。
3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、
奈良県を中心として、なんの助走・前触れもなしに突然、
大型の「前方後方墳」がつくられるようになるという、実に不可解な現象が起こりました。
なんでかな~ @阿波 末尾に「@阿波 」をつけてる名無しさんは、阿波説を妄信してる信者さんなので、相手にするのは無駄です。サクッと無視してくださいw
>>879
「阿波」を論破できないから、無視ってか? ヘタレじゃのうww わははははは @阿波 間違いだらけの説を相手にするのは時間の無駄ですよ。
誤)3世紀の終わりごろ、集落遺跡がほとんど無い寒村にもかかわらず、 正)奈良盆地はじめ畿内には多数の集落遺跡が存在
誤)なんの助走・前触れもなしに突然、 大型の「前方後方墳」がつくられるようになるという 正)奈良盆地には大型の墳丘墓が多数存在
誤)実に不可解な現象 正)以上のことを踏まえ、不可解な現象は存在しない。
>>874 いやそんなことないよ。朝貢してたという理由で唐突に九州説が生まれたわけでは決してない。
魏志の内容から判断すれば邪馬台国は九州にあったというふうに解釈できるからそうあったまで。
同時に畿内にも大きな国(纏向)があったことは戦前にもちゃんと知られていたから
九州の邪馬台国と畿内の国が連合して後の大和朝廷につながったという見方だったそうだよ。
前方後円墳の形状に関しては、阿波・讃岐東部の影響が有った可能性は否定しない。
>>881
>正)奈良盆地はじめ畿内には多数の集落遺跡が存在
いったい、奈良湿地にいくつあるんだ? 畿内湿地ぜんぶ集めていくつあるってんだ?
ぱらぱら数えるほどか? わははははは @阿波 >>881
>正)奈良盆地には大型の墳丘墓が多数存在
それのどれが、「前方後円墳」の助走・前触れ遺跡なんだ? 考古学者で、だれがそう言っているんだ? @阿波 >>882 大和との連合ではない。
あくまでも九州出自の丹波氏と
吉備津彦の連合だぞ。
銅矛銅鐸の出土分布を見ると北部九州銅矛文化と近畿銅鐸分化が瀬戸内海沿岸で重複しながらも明確に分かれている
近畿邪馬台国説だと魏の使節は敵国領土を通った事になるがそんな危険な事はしないだろと
とりあえず落ち着けw「北部九州銅矛文化と近畿銅鐸分化」(誤字注意なw)そんなもん今や存在しない概念や。
>>883
>前方後円墳の形状に関しては、阿波・讃岐東部の影響が有った可能性は否定しない。
阿波・讃岐東部が発祥地。 吉備楯築は阿波・讃岐東部からの伝播。 @阿波 >>888
>銅矛銅鐸の出土分布を見ると北部九州銅矛文化と近畿銅鐸分化が瀬戸内海沿岸で重複しながらも明確に分かれている
その北部九州銅矛文化圏と近畿銅鐸文化圏、双方共有する所が「阿波」。
まさに「阿波」が発祥地。 @阿波 畿内説は完全な妄想なので魏使は九州を通って畿内に行った事になっているアホクサ
>>881
>正)奈良盆地はじめ畿内には多数の集落遺跡が存在
いったい、奈良湿地にいくつあるんだ? 畿内湿地ぜんぶ集めていくつあるってんだ?
ぱらぱら数えるほどか? わははははは @阿波 >>881
>正)奈良盆地には大型の墳丘墓が多数存在
それのどれが、「前方後円墳」の助走・前触れ遺跡なんだ? 考古学者で、だれがそう言っているんだ? @阿波 銅矛文化圏と銅鐸文化圏という概念は、青銅器の出土数が増えた結果、否定さてています。
いつまでも古いデータ前提の説に惑わされていてはダメですよ。
銅矛文化圏と銅鐸文化圏という概念は、青銅器の出土数が増えた結果、否定されています。
いつまでも古いデータ前提の説に惑わされていてはダメですよ。
>>864 天皇のでっかい墓もあるから
そら繋がりはあるだろ
>>868 考古学の発達などですでに畿内説で確定的
だから別に困らないけど
神武東征だからな
大阪から東なら名古屋か関東になる
>>892 魏志倭人伝を見ると九州は通り過ぎてるよ
初代神武天皇は紀元前600年ではなく紀元前33年頃と言われてるし、
9代開化天皇の妹が三輪山の日の巫女、12代景行天皇の妹が伊勢の日の巫女だから、その途中くらいなのかな
>>896 そう断言するってことは最新のデータ出してくれるんだよね
>>263 飛鳥に水時計の遺構が発見されて、そこでなんでそこが「水落」って地名なのかわかった的なことをブラタモリで見た気がする
魏志倭人伝の位置の記述をそのまま信じるなら沖縄が該当するってのはマジ?トンデモ珍説?
>>905 トンデモだね
魏志倭人伝の位置の記述をそのまま信じるなら「東夷全体」が馬鹿でかいサイズに描かれてるので
その中の巨大な九州の中ということになる
>>503 ↓この地図のように正距方位図法なら説明つくんよ
方位も距離も三国志的に合ってたとw
>>905 アンカーが逆になってしまったw
>>503 508 ニューノーマルの名無しさん 2022/06/17(金) 17:07:28.47 ID:HfAGBGpu0
その地図のように
中心(洛陽)から離れれば離れるほど、地形は歪む
日本は、南アメリカみたいに間延びして認識されていたと
ゆえに、日本の方位も距離も三国志的に合ってたとw
もう答え出てますよw
1里が何キロかも(中心から離れれば離れるほど長くなると)w
そもそも文字すらないジャップランドで日食の観測記録なんか有るわけない
>>250 古代日本で太陽神信仰はそこら中にあったわな
>>905 沖縄じゃなくて海の上になる
九州信者が訴える「短里という九州説を成り立たせるためだけの単位」を使い
尚且つ、「陸行1ヶ月・水行10日なのに極端に短い距離」を設定して、
はじめて九州内におさまるからな
「普通に読めば」九州でも畿内でもない
3世紀の日本列島の中心は奈良にあったことが考古学の進歩で明らかになってきた
九州説とは魏がオレオレ詐欺に遭い、九州の弱小勢力に騙されたという陰謀論になる
>>905 魏志倭人伝に邪馬台国は会稽東冶の東にあると書いてる
会稽東冶の東とは中国の会稽郡東冶県の東側ということで
今の位置にすると福建省福州市の東側
福建省福州市の東側は沖縄とか台湾のあたり
古代中国は邪馬台国をかなり南の沖縄あたりにあるとしていた
決して九州北部とは思ってなかったし魏志倭人伝の行程も
奴国や伊都国の九州北部の国々を通り過ぎて南に陸行一月水行30日すると書いてある
>>677 あの国、城郭の中に引きこもってただけ説
>>912 3世紀の日本列島の中心を探しても意味はない
邪馬台国は倭国大乱の中心地を探さないといけない
桓帝・霊帝の治世の間(146年 - 189年)争った地域はどんな地域なのか?
それは男子を王として70~80年を経ていた地域だ
そんな地域で共立されたのが邪馬台国の卑弥呼
背景的なことは事実なんだと思うよ
天皇が九州から来たってのも
>>896
いずれにせよ、
その北部九州銅矛文化圏と近畿銅鐸文化圏、双方共有する所が「阿波」。
まさに「阿波」が発祥地。 @阿波 >>897
古墳の大きさは、臣下豪族の勢力誇示。
だから、奈良湿地も河内湿地も古墳の大きさも墓の向きも墳型もてんでんばらばら、好き放題。
これらがもし、歴代続く大王陵・天皇陵ならば、陵墓の大きさ・向き・墳型など一定の規則性があるはず。
「大きいから天皇陵」 単細胞の思考回路。 わははははは @阿波 >>904
>飛鳥に水時計の遺構が発見
朝鮮半島動乱避難渡来人のものだ。 @阿波 >>911
>「普通に読めば」九州でも畿内でもない
よって、四国「阿波」一択。 @阿波 邪馬台国は都城にあったんだよ
でも卑弥呼さんは宇佐にいました。
北九州の諸国邑を治めてたんだから当たり前でしょ。
都城みたいな鹿児島と宮崎の境みたいなところにいたら
統治できないじゃん
九州の整地である宇佐の聖地にいたんですよ
その聖地に、時代時代によって力を持った国から巫女が送り込まれた。
台与ちゃんも豊の国の邑から宇佐に送られた。
魏は今の北京くらいの位置にあった国
帯方郡は北朝鮮の国境を流れるアムノック川からウラジオストク一帯
対馬国が最初はこの付近にあったということ
伊都国は半島東南の端にあって九州の伊都国の飛び地になってたところ
最終的に卑弥呼のいたところは脊振山地
その中の吉野ケ里遺跡
だから帯方郡から水行二十日で朝鮮半島の投馬国
次が水行十日で日本上陸
陸行1月で何処か歩いて行ったんだろ
>>928 吉野ヶ里はない
「大規模」というだけで、邪馬台国につながるものは何一つ発掘されてないからな
未発掘の場所を同定するしかない
天の岩戸神話って、日蝕じゃねーだろ。卑弥呼が死んで、男王が後を継いだら、国が乱れた。台与を新女王に据えたら国が治まったって暗示だろ
>>931 太陽神が隠れんだから日蝕に準えられてるってのは割と通説
それを卑弥呼に繋げてなおかつ邪馬台国の位置分かるお!ってのは中々に意味不明だが
楼観・城柵
唐古・鍵遺跡→吉野ヶ里
ト骨
鉄 琵琶湖、大阪
卑弥呼は、近畿から九州へ。
うちのお父さん、🤪
🤴👑バカ王様みなごろしにしたんだぞーすげ〜だろ!
>>930 じゃあ脊振山地をさがすしかないな
見つかればいいけど
家族構成から半期一年の倍年システムまで加えたら卑弥呼=天照大御神としか思えんからね
だとすれば天孫降臨や神武東征、欠史八代や神功皇后の三韓征伐も史実に沿った神話や記録となる
神話ダカラーで思考停止してた歴史家はほんと反省してほしい
倭人伝の元になる本は草書もしくは行書で書かれていて、それを楷書に書き直す際に
水行10日陸行1日の行が誤って入り込んだと言っていた、本当は冒頭、もしくは
末尾にあったと言っていたな、従ってこの部分を重要視するのは不要
単に里程のみを考えれば良いだけ
>>932 まず天の岩戸隠れのエピソードは皆既日食ではないか?という仮説が有り、そこで古代の日本列島で皆既日食が見られた時期を計算して求めたところ、卑弥呼が死んだとされる年(247年)と一致したんだよね
あとは、ただの偶然とみるか、何らかの関連性が有ると考えるかの問題
吉野ケ里遺跡は3世紀まであった街の遺跡で日本最大級
卑弥呼の時代と一致する
吉野ケ里遺跡は3世紀に捨てられ
そして3世紀からヤマト王権が始まるわけだけど時系列では一致する
吉野ケ里をすてて畿内に移住したと考えるほうが自然
>>943
>吉野ケ里をすてて畿内に移住したと考えるほうが自然
で、畿内のなんという遺跡に移住したんだ? @阿波 ヤマト王権が九州征伐し卑弥呼を倒したとかそういう歴史はないので
>>943
>吉野ケ里をすてて畿内に移住したと考えるほうが自然
で、畿内のなんという遺跡に移住したんだ? @阿波 >>943
>吉野ケ里をすてて畿内に移住したと考えるほうが自然
詰めが甘いぞ! わははははは @阿波 まあ、科学的手法なら、先ずはアマテラス=卑弥呼を証明しないとw
>>927 畿内説は資料や考古学に基づく学問だけど
九州説はカルト宗教
>>947
>詰めが甘いぞ! わははははは @阿波
まあ、吉野ケ里が消滅遺跡なら、纏向遺跡も消滅遺跡だ。 どっちもどっち、お相子だな。 わははははは @阿波 日本の考古学は全く信用できないからなぁ ゴッドハンド
>>943 ならば畿内まで甕棺墓持ってくるのが自然だろう
九州説の正体は嘘をついて人を騙しては悦に入ってる
カルト宗教
地球の自転速度の変化をどのくらいに見積もるかで皆既帯の位置が違ってくるから
正確に求めるのが難しいらしいね
3世紀の大和王朝は 呉の内乱と滅亡から逃げてきた呉の人間が
畿内に作ったんだろう
魏志倭人伝の邪馬台国とは 別物
サイエンスっていうのは、未来を定量的に予測できる理論体系のことを指すので
こういう過去の解釈はサイエンスではありません。
経済学と同等のゴミです。
Qアノン=アメリカで陰謀論を信じてるカルト集団
九アノン=九州説という俗説を信じてるカルト集団
>>949 三角縁神獣鏡を信じている時点で終わっているのだが
神話の因幡の白ウサギが
中国人が海洋民族を騙して新天地に移動に移動したが海洋民族に身ぐるみ剥がされた
地元の権力者である大黒様が白ウサギを保護したって暗喩だと思う
>>967 サメに食われた人が居ただけだろ
漁師とか
神話で天皇の先祖のトヨタマヒメは出産の時にワニの姿に変わった
ワニとは、イレズミした海洋民族の倭人のことだろう
>>966 三角縁神獣鏡は製作地が中国か日本かで見解が分かれている
もし中国製なら、畿内と中国で物の交流があった証拠
もし日本製なら、畿内と中国で人の交流があった証拠
どっちにしろ九州説にとって極めて不利なもの
>>1 > 247年に福岡市で見えた日の入り時の皆既日食を岩戸日食と断定すれば、議論は明快に片付く。
> そして卑弥呼の死亡年は247年となり、邪馬台国も九州と言うのが有力となる」
「馬鹿めと言ってやれ・・・ 馬鹿めだ」
ヤマト艦長 沖田十三
>>973 亡くなった場所は邪馬台国ではないかもね
別場所とも考えもあるのが?
>>972
その「三角縁神獣鏡」のお手本としたのが、
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
または、同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡
この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。 @阿波 これだけ注目されているからね。
フェイクの出土品でこの地域で確定ってベタな作戦はできないのよね。
町おこし程度ならいくらでもやってしまえるんだけどね。
「三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた?製鏡で、全国へ配られている可能性が高い」
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、
その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、
それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)
・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
>>972 さすがダブスタチェリーピッキングの畿内説だ
>>859 そんなガセを今でも信じてる人がいるんだねwwww
ただの日食を大事件として神話に入れる訳ないもんなあ
>>979 九州説は、江戸時代に新井白石ら国学者が提唱したのは事実、それ以前に九州説は確認不能。
>>978 どこがダブスタで、どこがチェリーピッキングなんだ?
何でもいいからイチャモンつければ反論になる思ってるのか?
>>984 中華と交流があったら邪馬台国というなら九州だって構わないはずだが
それは認めず畿内にだけその理屈を当てはめようとするダブスタ畿内説乙
>>983 帯方郡から水行二十日で朝鮮半島の投馬国
水行十日で日本上陸
1月歩いて日本の何処かに行った
わかってるのはここまでだ
引き続き調査する
一体なんの話かと思ったら、卑弥呼が日蝕の責任をとって処刑されたという説があるんだな。
なんか色々と証拠もないのに飛躍しすぎじゃないのかと。
>>986
>中華と交流があったら邪馬台国
東四国(徳島・香川)では、古墳時代前期の古手の古墳には、漢鏡(とくに後漢晩期のもの)が副葬される例が多い。
通常は単数副葬例が多いが、東四国(徳島・香川)では、2面副葬される例が複数ある。
例:天河別神社5号墳(上方作系浮彫式獣帯鏡・斜縁神獣鏡)
例:阿王塚古墳(舶載画文帯神獣鏡2面)(宮内庁保管の優品)
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>986 邪馬台国は30国連合の中心の国
小勢力が中国と交流があったからというだけで邪馬台国とはあまりにも根拠に乏しい
もう一つ
3世紀に中国と交流があった九州勢力とは具体的にどこで、何が根拠だ?
伊都国や奴国は邪馬台国とは異なる国なんだから、伊都国や奴国以外で九州のどこにそんな国が存在した?
九州には3世紀にも中国との交流を裏付ける遺物があるに決まってるという思い込みから
こんなマヌケなレスをするんだろうな
邪馬台国は30国連合の中心の国???
これも定かではない。
今時、畿内とか言ってるのは頭がお花畑ぐらいじゃん。
作業員の弁当のゴミ捨て場を邪馬台国なんて発表したよね、恥ずかしい(笑)
>>995 邪馬台国は作業員の弁当のゴミ捨て場かもね?
>>994
>邪馬台国は30国連合の中心の国???
30か国連合の総称が邪馬台国。 @阿波 畿内は馬具が出た。畿内論者が顔面蒼白をした。
大和朝廷と邪馬台国が別物である証なんだよね。
だけど認めぬ。決して認めぬ。邪馬台国は大和ありきw
金印の連動性についてめ金印は贋作だと言う。ならばと科学的根拠を示すと認めぬ決して認めない。
昔昔に曹操級の鏡が九州で発見。最近になり曹操級の鏡だとわかる。
しかし認めぬ、そして無かった事にした。
もうさ、いい加減にしようねw
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・想定外の物価上昇で今年4月にも「インフレ2%」達成か 〜れいわ新選組の経済政策が破綻する日〜
・【速報】「イスラエル」とかいうアメリカが支援している謎の国で「日本」が大ブーム。「うま味」「素材の味」を生かす日本食など人気
・【考古学】『国宝 翰苑の世界』 天満宮に残る唐の事典 邪馬台国の卑弥呼などが記される 関連する北部九州での出土品も展示 福岡 [ごまカンパチ★]
・【安倍政権】”ブルーインパルスで感謝”から見る「日常の政策」を軽視し「お祭り政治」に明け暮れた7年間(平河 エリ)【馬の骨】 [ramune★]
・【韓国】今日から首都圏の防疫対策レベル引き上げ カフェは持ち帰りのみ 結婚式・葬儀場は100人未満に制限 映画館 飲食禁止[11/24] [右大臣・大ちゃん之弼★]
・【国際】ベルギー:フライドポテトを週に2度食べるよう呼びかけ ロックダウン(都市封鎖)の影響で75万トンのじゃがいもが余る [特選八丁味噌石狩鍋★]
・トランプ氏が大統領になれば、CIA絡みの日本の原発は止めることができるかもしれない
・【続報】中国から帰国し風邪症状がある人、保健所に連絡するも「現時点では、日本どこでも検査はできない」
・ネトウヨ「台湾は親日 ドイツ人と日本人は似ている」 これ本当ですか?
・台湾TSMCが日本で生産施設拡大か 背景には「莫大な補助金」=韓国ネット「韓国に来ればいいのに」「結局はサムスンが勝者だ」 [10/20] [新種のホケモン★]
・【台湾メディア】 「日本は良い選択、韓国ではダメ」=TSMCの熊本工場開所前にペガトロン董事長が言及 ★2 [2/23] [仮面ウニダー★]
・【韓国】文大統領、激怒 「極めて無謀な決定。これから起こる事態の全責任は日本にある」と警告
・【食】中国のソウルフードが日本上陸、ブームとなるか?中国では異様な盛り上がり[8/31]
・ホンマでっかTV「若い女が好きなのは日本人だけ!外国人は自己成長のために年上女を選ぶ」
・フルーツ、オムレツ、パンケーキの朝食、毎日使えるシャワー 刑務所内にまで特別待遇の米軍 [ひよこ★]
・ゴーン被告の息子ら4人が日本に怒り「日本は残酷な場所。基本的人権を踏みにじった!」 ネット「論点ずらすやり方…どこぞやの国みたい
・ニンテンドースイッチ:国内販売数が1年半で500万台突破 最も売れたソフトは「スプラトゥーン2」
・【国際】香港・台湾で夏のインフルエンザが猛威 香港では3日間で21人、台湾では1週間で14人が死亡[8/03]
・結局、壺は日本=サタンの国と本気で思っているから、日本を躊躇なく滅ぼすことができる
・習近平が中国の景気を停滞させてるおかげで、現状でも世界的なインフレ圧力はかなり和らげられてるから感謝すべきだぞ
・【国際】トランプ米大統領「選挙は仕組まれていた。第三世界のようだ。今後数日で大きなことが起こる」★74 [ばーど★]
・映画評論家「アベンジャーズが日本だけ1位になれないのは日本人は何年も続く作品を追うことができないから」
・一般人の撮り鉄批判ツイートをスクショして暴言を浴びせた撮り鉄の田近将吾くん、名前どころか無事に住所も特定される
・よくモー娘。が韓国や台湾とか海外でライブするとき現地のファンが出待ちしてくれてるけどさ
・【レコードチャイナ】アジアの海軍力ランキングで韓国5位、「これでは日本を制圧できない…」―韓国ネット[1/18]
・カントリー4周年イベに稲場まなかんは来たのに何でももちこと嗣永桃子は来なかったの???
・トランプ「自分の国は自分で護れ」←これが危険思想だと騒ぎ出すくらい日本人は右も左も属国根性が叩き込まれている事が判明
・【速報】自民党「ワクチンが日本で遅れをとったのはゼロリスクを求める国民性が大きい。国は早く打ちたかったのに…」 ★7 [ネトウヨ★]
・韓国は僅か十数年で米中に次ぐ世界第3位の経済大国になりポスト米国と称されることになった
・【ゲーム機市場】「モンハン特需」で「PS4」が品薄状態に。対する「ニンテンドースイッチ」はついに定価割れ[02/21]
・国際法違反だけ心配する変な国・日本 家族が殺された後に反撃? 立民では「台湾有事に巻き込まれることない」とトンチンカンな言動も [きつねうどん★]
・98年前、日本は国際連盟規約に人種差別撤廃条項を入れることを提案したけれど、米国と英国の反対で実現できなかった。 [無断転載禁止]©2ch.net
・【日米韓】北朝鮮ミサイルめぐる日米首脳の電話会談に韓国から懸念の声「韓国を差し置き見過ごせるものではない」聯合ニュース[04/06]
・【JR九州】コロナ禍なので韓国-博多路線に就航予定だった「クイーンビートル」が遊覧船に 船体が3つに分かれているのが特徴 [和三盆★]
・日本政府のウイルス対策に、玉川徹「韓国びいきと言われるかもしれないけど、ネトウヨの方々、出番です」 ネット「今すぐ韓国に行って
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