2022年5月1日 15時17分
“大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がかりとなる記録が見つかりました。
江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、専門家は「江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。
新たに見つかったのは「御仕置廉書(おしおきかどがき)」という18冊の冊子で、幕末までのおよそ150年にわたって江戸幕府の奉行所で言い渡された判決が年代や刑罰ごとに記録されています。
雇い主を殺した罪に問われ、死刑の中でも最も重い「はりつけ」とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。
また、ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(かまえなし)」という冊子もあり、事情によっては刑罰を科さない判断をしていたこともわかります。
記録は最高裁判所の倉庫で見つかりましたが、どこからどのように引き継がれたのかなどは不明で、最高裁では来年度をメドに国立公文書館に移管するということです。
江戸時代の法制史が専門の早稲田大学法学部の和仁かや教授は「江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、まとまって見つかるのは大変珍しい。江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。
裁判記録 保管の仕組み
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220501/k10013607711000.html 半島に書物って残ってるの?字が書けなかったのかメンゴメンゴ
後世の創作の影響で侍の強権がまかり通ったみたいな印象が強いが、実際はそこまで甘くはなかったようですね
判事と検察官が一体だったからその気になればむちゃくちゃ出来た立場
なのに意外とソレは無かったらしいから、江戸時代の幕僚の公務員としての意識の高さは想像を絶する
当時の死刑判決は老中の決裁がないと出せなかったから、死刑判決の記録に老中の名前があるからといって特別慎重に審議していたとは限らないんだよ。
そりゃまあ、変な判決だしたら恨み買って襲撃されるからなぁ。
これは貴重な史料の発見(/・ω・)/ この機会にみなさんも穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話をよみましょう
最高裁の倉庫にあるってのがまた
誰も知らなかったのか?
老中どころか将軍の決裁がないと死罪にはできなかった
安倍のときとは違うからな
何でももみ消しにされるとか
ちょっと異常だったわ
わーくには
>>11
老中だって報告よく読んでこれは死刑に相当するかどうか、とか
老中に見せるんだからきちんと審議して資料纏めないと とか
より慎重に審議 はしてたんじゃないか ???「お白州なんてもろ肌脱いで桜吹雪見せれば一件落着よ」
>>14
死ぬほど資料あるから、誰も分析なんてしてないやろ。 >>2
火盗改は常設ではないからな
放火や強盗の治安悪化に対して臨時に任命した準軍事組織
町奉行のような保安警察とは違う >>20
北朝鮮で逃げるなw
重要なのは、「いまの日本と比べてみて、どうよ?」 w >>22
実際には遊女の名前が小さく彫られていただけの模様 この子の腕を左右2人で引っ張り、勝った方が親と認めよう。
いててててて!
(子供が痛がっているので1人手を離す)
勝った勝った私がこの子の親です(^^)
奉行:本当の親なら我が子が痛がっているのに引っ張ることなど出来ん、お前は偽の母じゃ!
土手の芝 人に踏まれて 一度は枯れる
露の情けで よみがえる~
てなもんよ
>>23
ひたすら電子化してAIで分類させたら貴重な資料見つかるかもね 東映チャンネルの金さん祭りを見てる者としては
なんてタイムリーな話題♪
>>26
えっ
実在した人物なの?
架空かと思ってた 遊び人のフリをして、町の様子を見て回ったりもするからな
今より公平公正に裁判してたのかもなw
いや笑えないか
>>33
金さん実在の人物だよ 桜吹雪と遊び人で江戸の町徘徊は創作だけど >>22
金さんのべらんめえ調をいちいち書記役がそのまま記録してたかと思うと笑える そら江戸時代は自白至上主義だから拷問拷問又拷問だよ
>>1
>判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます
三手係とか五手係とか、結構幕府の大物が関わる。
老中、大目付、勘定奉行とかそういうレベル(正確には覚えていない)
数十年昔から史実として扱われていた。 >>27
それ創作だけど似たようなヨーロッパの寓話かなんかが
キリシタン経由で伝わったらしいね >>25
?
200年前と現代の司法を比較して同等ないし過去の方が公正な
国ってやばくね? >>44
実は科学的な捜査をしていた、という漫画あったな
ちうごくの本を元に >>35
慎重なら良いかっていうとそうでもない
武陽隠士の『世事見目録』(せじけんもくろく)によると、刑死は年に三百人、牢死人は一千人を超えるとも
実数を集めたわけではないそうだが幕末の東京府だと二千人近い牢死者がでた
公平さ公正さにこだわると時間がかかる
事件から時間が過ぎると証拠も記憶もどんどん風化するよね >>44
大岡忠相は、主人殺しなど幾つかの罪状を除いて拷問による自白強要
は規制したそうだ。
拷問によって得られた自白に証拠能力が乏しいことは、認識されていたんだろう。 うん
判決の判断自体はかなり慎重だよ
町人農民の死罪だって町奉行の判断だけじゃ駄目で老中の裁可が必要だったしな
た だ し、 容疑者として捕らえられた囚人の扱いは極めて過酷
捉えられ牢に放り込まれた時点で半分命無いのと同じ
取り調べで自白の為の拷問による死は当たり前だし、そうで無くて囚人が牢に満杯になったら
作造りと言って、牢名主に袖の下を出せなかったものからキンタマ潰されてどんどん殺された
本山にもいつの時代からあるかわからない文書が山ほどある
いつか整理したいと思って数世紀
>>1
江戸時代の人は今より信心深いわけで
重すぎる罪を課せば、自分に天罰が落ちるかもと思っただろうし
罪人の恨みを買って、自分が祟られたら洒落にならん
こんな罰なら仕方ない
と罪人を含めた皆が納得する落とし所を探してたんじゃね? 江戸には主な刑場が2つあって片方は20万人もう片方は10万人そこで処刑されたみたいな伝承があるがこれマジか?
人口3000万人で死刑30万(江戸だけで)て多過ぎだろキリシタン弾圧も含まれてるのかな
どんな犯罪があって、どうい価値基準で裁いてたのか読んだら面白そう
>>58
さてな
ただ、南千住は掘れば骨が出て来るって >>57
近世の武士は死後の世界を程度信じていたのかな。中世の貴族より実証的でリアリストではあろうとは思う。 >>38
遠山景元
遠山・金四郎・景元と書いてある
俺は遠山・左衛門尉(さえもんのじょう)・影元と覚えていた。
この職(名前だけだが)源義経や楠正成がついていた伝統ある肩書き。 >>52
清の無寃録述(むえんろくじゅつ)だっけかな
死んでから切ったり水に落としたりしても、生きた人はそうならないと中々実用的 今みたいに科学調査やカメラ映像とかに当たる事も出来ないから、事実を確定する方法が非常に少ない
そんな時代だからこそ慎重だったのかもしれん
結局、番屋とかで岡っ引きとかが非合法の拷問ででっち上げて
同心から小遣い貰ってたんだろ?知らんけど
調書が出来上がってたら有罪になる。今と変わらん
>>58
江戸時代265年なので
1年で単純計算で113人
無くはないかなぁ、って数字かと >>9
時代劇だとすぐに刀抜いて町人なんぞは無礼だと切り捨てたりしてるけど
実際は切り捨てどころか町中で刀抜いたりしたら厳しく詮議されたみたいね 法制史の講義では意外と人道的だったなんたら言ってな
福沢諭吉は自伝で幕末は警察もなかったから
辻切りがマジで怖かったとか言ってたな
なお適塾時代はそれを良い事に仲間同士で迷惑行為をやらかしていた模様
天下万民のため、とか暴れん坊将軍よくセリフ言ってたがホントだったんやな
目安箱とかあったんやろ?
かなり都合良く書かれているんじゃないかって気がしないでもない
慎重だったというか重大犯罪の裁決は最低でも三手掛かり、さらに酷けりゃ五手掛かり→老中裁決になるというほぼ法化してた慣習があったってだけやね
老中決裁まで行くと大概一つ二つは減刑。逆に奉行や火盗改で死罪決定案件は上には持ってかないし必要がないくらいのハッキリとした案件
そのお約束をぶち壊して上げられた案件を減刑しないどころか過罪したのが井伊直弼
当時の冤罪率ってどれ程あったんだろうか
現代でも冤罪はもちろん国家権力への忖度あるし
>>62
心中物が流行って、心中ブームが来たら
心中は超速地獄行きだから、超辛いから、ホントだから
こう流布したとかいうのは聞きますな >>58
アメリカの受刑者200万、収監待ちとか含めると700万。人口は約3.5億
死刑はMAX1950年ころで毎年200人くらい 西町奉行と東町奉行で交代交代に開門して
閉門してるあいだはずっと事務処理に追われてたって話は聞いた事あるよ
徳川家康って有能だよな
秀吉ならこんな世の中にはなってなかったと思う
目明しのサダもあいつは真っ黒だが証拠がねぇと
言ってるしな
まぁ奉行は何か間違いがあると切腹だから慎重にもなるよな
>>73
クソボケ将軍、氏ね!あいつがしっかりしてないから!
という庶民の声を聞いて、ちゃんとやってんだけどなー
と悲しい顔をする吉宗であった
なんて回もありましたな 老中にここハンコお願いいたしますって言うだけじゃないの日本的に考えて
>>10
世代が経って腐ってもサムライって事かな
今の役人にも見習わせたいね >>1
今の日本の司法制度よりましじゃね。
判決コピペに判例丸写し。 >>33
金さんも鬼平も実在の人物
因みに金さんの適役の鳥居耀蔵は明治の世にも生きてた。 幕末から遡ってって実質約300年前の裁判記録って偉大な遺産すぎるやろ
>>89
全部の書類手書きだからそんなイージーなもんじゃないだろ >>9
でもたまには時代劇で逆さ吊りの水責め、石抱き、竹しばきの場面をもう一度観てみたい気もする。 お白州まで行くと公儀の文書だから念入りに吟味するんだが
その前の入牢と取り調べが過酷を極めるほうが問題でしょうね
>>48
その「公正」を、「運用する側の問題」として問うているけど? >>78
藩内での事件に対して奉行所は捜査権や裁決権は持たない >>76
現在でも科学鑑定の進歩と民主化で冤罪事件がどんどん出てくる。
本当は冤罪は相当多いだろう
特に痴漢は証拠不要で冤罪だらけ、すりは似たようなものだがプロだから冤罪は少ないだろう。
当時は証拠なんてゼロに近い。
盟神探湯レベルなんだろう。
末端(岡っ引き)の腐敗がすごいらしい。
大富豪同心なんていないだろうし
(BS時代劇「大富豪同心2」5月28日(金)スタート!中村隼人、ロケバス運転手と結婚した人、石井正則) 越前の回顧録とか見ると、すごいもんな
人格の崇高さが
現代日本人とはまったく別
江戸の牢屋の待遇調べたら過酷過ぎて草
けれど当時の世界水準で言えば決済が慎重なだけでもマシだったんだろうなあ……
>>20
大政奉還したら皇紀を批判しただけで有罪とか文化レベルが落ちたな
徳川のほうが良かったんじゃね説 流石に同じ罪で奉行所ごとに罰が違っちゃいかんだろうから、そういう意味での慎重なんだろうな。
>>102
そもそも地元の親分に犯罪者(無宿や渡世)を奉行所に突き出させるのがいわゆる岡っ引きなのでね
大体本業は裏社会の住人の親分で、表向きは宿屋とか髪結いといった感じ 大岡裁きの元ネタは中国の棠陰比事っていう裁判小説集
ネ卜ウヨ史観だと遣唐使やめて以降は中国からの影響一切ないことになってるが
実際はこういう風にパクったり影響受けまくりなのであった
>>51
「刑罰」には主観的な「反省」を促すメンもあるが見せしめによる「秩序維持」的な客観的側面もあるからね。最後に残ったのが死刑だわな。。。 >>72
福沢が成人してから居住したのは、江戸と大坂と思うが、
辻斬りなんて頻発してた場所と思えない。
(少年時代過ごした中津藩領内は知らん)
思うに旧時代を過剰に悪く喧伝しようという意識があった
気がする。
20世紀に入る時福沢は旧弊の悪習を描いた絵を
破って新時代到来を祝うイベント開催した。今のリベラルが
やりそうなことをした人。 江戸250年で今の東京一年分より犯罪少ないんだから近世にしては比類なき平和な時代
今の海外の犯罪率と比べればその異常さが分かる
まあ生類憐みの令だの江島生島事件だのでぐっちゃぐちゃになってたから
吉宗になって以降大岡裁きで整理したってのはあるだろうな
>>81
日本の原型って、タブン江戸時代に完成したんだよ。
幕末のクロフネ来航から大東亜戦争敗戦までが「異常な時代」で、戦後日本は江戸時代に「復古」したのだろう。幕府はアメリカや国連になった。 大岡や東山は自ら潜入捜査してたんだろ。
慎重だわなぁw
>>114
福沢が辻斬り云々ほざいてたのは中津か長崎から大坂に帰ろうとしてた時の話だと思うよ
金ないから夜道を歩いてたら後ろからくっついてくるやつがいて、ビビって鯉口切ったらそいつが逃げたってやつ
後ろのやつも怖くてビビってとにかく前歩いてる福沢にくっついてかったんじゃないか、でも吾輩は自称居合の達人だからもももも問題なかったっすとか偉そうに書き残してるやつ
天狗党を騙る辻強盗とか攘夷のための試し切りがあった時代だからね。その前の時代よりタチ悪かった >>102
民主だから冤罪を生まないなんて民主主義教の信仰も甚だしい。
小野悦男なんて民主主義だから無罪になったような
もんだと思う。
根拠なき妄想がさも事実であるかのように流布した結果
有罪確実な強姦殺人魔を無罪にした。 >>116
町ごとに夜は通行路を閉鎖し木戸番を置き潜り戸を開けないと行き来できないので夜間の通行が基本的に難しい
あと悪人にはわざと賭場を作って無宿渡世の情報を集め博打の親分から奉行所に通報させる
賭場とヤクザが警察機構の一部というのも江戸時代に独特かも 斬り捨て御免が、実際は切り捨てた後取り調べされて、妥当かどうか吟味されたんだよね
必殺仕事人の世界では武士はやりたい放題だったけど、実際はそうじゃないし、むしろ町人に嫌われたらやっていけない立場だったのが武士なんだよね
江戸時代の拷問手法のバリエーションは間違いなく国際レベルだったろ。
日本人は几帳面だからな
西欧の人権論に毒されたじゃっぷ
もう少し自国の歴史も振り返るべきだな
>>125
めっちゃ審査厳しいみたいだよね
許可出たら、一家皆殺しする場合もあるみたいだが 江戸時代の庶民は姥捨や間引きなど人殺しは日常茶飯事
武士も不祥事を起こせばすぐ切腹と、今より遥かに人命が軽かった
とりあえず武家優遇で良いと思うが
歴史捏造を何とかしろよ。
ウチなんか家名があるようで無いから
アイツラのせいで不便だし本当に酷いよ。
幕府がロシア人ゴローニン捕縛して、函館のお白州で裁判してた時も
何年もかかって長いって言ってるな
つか西欧人でもお白州で裁くの笑える
煽り運転も死刑
イジメも死刑
万引きも死刑
パパ活も死刑の
令和のネトウヨ奉行w
>>125
切り捨ても少なかったらしいが
酒に酔って町人と武士の諍いからの刃傷というのはちょくちょくあったらしい
これも厳罰で、最悪は町人イジメは士道不覚悟によりお家お取り潰しになってしまう
切腹で済めばお家は安泰なのでむしろ温情という 江戸時代以降も続く家柄って言うと
今の政界で有名どころだと
商人だったイオンさんとか
その辺しか思い出せないよな。
奉行と代官の違いが分らん
悪代官は聞くけど悪奉行ってないよな
>>131
あれは事情が事情だからな
家康以来初の外交問題が絡んでるから引き伸ばしするしかなかったんでシステム上の問題は二の次なんよね >>129
間引きは堕胎の一種くらいに位置づけだったろうと思う。今から見たら殺人だけど、
当時の人の感覚じゃただの明るい家族計画。 >>72
福沢のような九州など地方出身の適塾塾生が大坂の町で喧嘩の真似事を始めると
臆病な大阪の町人は驚いてバタバタと店の戸を閉めてしまい町から人が消えたそうだ
そういうイタズラを大阪の町でしていたらしいが、江戸で同じことをやると野次馬が殺到して逆にボコボコにされるそうだw >>135
奉行が裁判官
代官は知事みたいなもんだ >>135
悪奉行=鳥居耀蔵
金さんの天敵やで。リアルでもガチの悪人 田沼意次のワイロ政治なんて全部嘘
松平定信が責任を全部田沼におっかぶせるために作った作り話
>>10
治める者が政をきちんとしないと不満分子がとんでもない暴挙に出るぞ
という戒めでもあった忠臣蔵 >>125
武家屋敷が盗み放題だったっていうけど、やっぱ人件費かさむから警備厳重にするわけいかんし盗まれた事実がオオヤケになると体面に関わるから泣き寝入りになるしだったんだろな。
武士は今の公務員より酷くて、士農工商で一番卑しい商人が強くなるシステム。上手く出来てるわぁ。 >>101
話半分で聞いておくわ
ホントかどうかわかりゃしないんだし >>145
士農工商は身分制度ではないと、何度言えば… >>143
嘘っていうか、あの当時は賄賂受け取るのが当たり前で特段問題視されるようなものじゃなかった
定信は受け取らない代わりに、藩財政が老中の経費で圧迫されたんで、そんなわけない、中抜きされてるって藩の勘定役が上訴したんだっけら 明治にひっくり返ったとはいえ
陸奥宗光には子孫いないんだろ。
イアンに子供いたら相続するんだし
子孫名乗らないわけにはいかない。
都合悪い奴は処分して
ワケ分からん詐欺師が横入り。
人口3000万に到達すると食料的にギリギリになってるからな
もう無理やり人口調整するしかなかった次男三男坊はもれなくこどおじ(部屋住みと呼ばれた)
武士も家督継がないのは旗本の次男坊みたいな扱い新田開発・養子・坊さんになるみたいな救済措置はあったけど
江戸も独身者がゴロゴロいて風俗産業大流行りしてる
>>140
いた。10歳前後の幼児を売りにした女郎屋もあったんで
蔭間宿は坊主向けとはいえホモロリショタ嗜好のクソのための売春宿でもあった >>70
警察官が拳銃取り出しただけで全国ニュースになるようなもんかね >>153
レスのやり取りを遡ってみろ
半島の話してるぞ 重い罰を下すなら、そりゃ慎重になるでしょ
10両盗んで死刑よ?
上席に確認しなきゃ辛い
>>140
古くは「お稚児趣味」という言葉があり
元服前の少年を性的対象にする人々は居たが
その女版は聞かない
娼館には禿(かむろ)という少女たちが居たが、客は取っていなかった模様
ロリコンには厳しい時代だな >>143
当時は何をするにも口利き料を取ったのでまあ役得という位置付けでしょうね
上位の武士になると豪華な暮らしも体面ということで見た目は大身でも内情は苦しかったらしい
口利き料が無いと体面を保って暮らせない面もあったと思われ >>152
坊主が陰間茶屋の太客だったのは間違いないが、一般客のショタコンもいた。 薩摩の野蛮人どもが幕末の江戸で無実の町人を斬りまくってたせいで江戸の治安が悪くなった
示現流なんて田舎剣法では江戸の超一流道場の名門流派には勝てないからって卑怯な奴らだ
黒田清隆という妻殺しの暴れ者も旧幕時代は江戸の街で辻斬りしてた
ただし剣豪の山岡鉄舟には悪事がバレてたから鉄舟先生の前に出ると借りてきた猫みたいにちっさくなってたという
でも前向きに考えると助かるよね。
大家として名を馳せ実績を積んだ方が上と
詐欺師は証明してくれた。
この辺も含め史実として残すのがフェア。
>>118
むしろ江戸時代が日本史において異質なほど平和だった
基本的に日本は常に戦をしてる民族 >>158
遊女は満15歳で客とるそうで
14歳とならできるんじゃないかな 基本的に世襲の公務員だからね。面倒くさい事を起こすと、子孫の就職にも影響するからとにかく無難路線だろ。
>>166
山あいだったから、連絡悪くて地方政権が自立しやすかったせいかな。
つーか、江戸時代除いて室町から以前としても戦争が多かったと言えるかどうか。
限定的内戦で知れてるでしょ。 >>148
白河藩というか定信は吉宗の孫だってのがあり幕府からの助成もあったんで成り立ってた
天明の大飢饉の時に死者を出さなかったと誇ってるが、それも幕府からの援助米があってのこと
一節には田安から無理矢理養子に出された見返りや田沼の罪悪感から強い援助があったと言われてる 明治時代の識字(自署)率が高かった県
滋賀、群馬、岡山
明治時代の識字(自署)率が低かった県
鹿児島、青森、和歌山
>>154
警官は銃を抜いても切腹にはならんだろうからなあ…… >>166
どうかな?たとえば今の日本人はイクサ好きじゃないだろう?
発想も江戸時代の百姓町人の発想ダシ。「ウエが決めて俺ら関係ない」っていう(w >>176
今は警官の犯罪は可能な限り徹底的に隠蔽擁護されるから江戸時代より腐敗しきってる >>139
否 船で悪人の元へ駆けつけて銛でぶっ殺して一件落着 >>125
斬り捨て御免と言ったって百姓や町人も別に黙って切られてた訳じゃねえぜw
当然抵抗するしもし返り討ちで逆にやられて負傷なんてなったら
武士の体面を傷つけたとしてそいつは切腹、御家は断絶
だから切り捨て御免なんてそうそう簡単に出来るもんじゃ無かったんよ >>166
戦闘民族の割に、広開土王、白村江、文禄・慶長と
対外戦争は殆ど負けてるんだよな >>177
源平以前の平安も平和な時代は長かったからね
源平という武闘派ヤクザが現れて終わってしまうが
明治~昭和の軍閥政治なんかもそうだわな
>>182
渡海ってのがいかに困難かって話よね。元寇も含めて >>180
つうか、破れ奉行といい長崎奉行といい錦兄ぃのお奉行様は自ら悪人斬りまくるからお白州何それ?状態で困る
おもしろいからいいけど >>182
あのころは限定的なランドパワー国だったので、渡海作戦がわかってなかった。 >>185
某将軍「やむをえぬ…カチャッ」
大岡「上様。全員殺しちゃ…」 >>172
歴史は半々で捉えるもんだよ
昔言われてた常識が
実は違ってたことなんて数え切れないほどあるからね 奉行、与力、同心が警察機構であるわけだが
数が少ないので甚だ行き届かない
そこで世情に通じた町人を御用聞きとして雇っていた
これが時代劇で有名な岡っ引きで、位置付けは士分である同心に仕える下男だが
犯罪者の情報を探り捕まえに行くので普通の町人では無理がある
そこで犯罪者の社会に通じた裏社会の住人で実力者を使った
裏社会でも親分、表社会でも親分という面白い位置付けだった
裏社会の者だけに犯罪者の事情は日夜熟知してるので、非常に効果的だったらしい
もっともこういう仕組みだから捜査は非常に荒っぽく冤罪も多数だったのだろうね
>>184
「戦闘」というなら向いてるかもしれぬ。戦国時代に最強の戦闘集団「シーマンズ」を生み出したクニ、イスラム原理主義と並び称される「カミカゼ」を生み出したクニ。
しかし、ワークニは「戦争」には向いてない。特に日本のロジックが通じない外国との戦争には。。。 >>188
暴れん坊全827回。
お手打ちにした首領幕臣が800近く、護衛陪臣が10名以上としたら8000名強か。
世直しを大義名分にしたリストラ策だろw >>184
平和なのは公家だけ
民衆は搾取されるだけの奴隷状態
それに反旗を翻したのが新興農場主である坂東武士 >>189
話かみあってないよ
横着しないで調べてみたら? >>191
旦那がその場で殺しても許されてた
武士だったら逃がしたら怒られる >>198
お前が俺の言ってる事理解できてないだけだろ
別に俺が無知でもお前に何の影響もないはずなのに
お前のズレたマウントは筋違いだよ >>125
町人も相手が直参なのか、よその大名の武士なのかちゃんと見てよそ者を煽っていたみたいやで
天領の民を斬ったら一大事なので、他藩の武士は町人を斬れない >>192
よく、国貞忠治みたいな人物を「警察のようなコトをしてたヒト」と発言して懲らしめられる教員が居るけど、あながち間違ってないんだよなー(w 極刑のみならず軽い罰以外は老中が決済するなんて昔からわかってる事じゃん
江戸の刑罰はたしかに死刑は多くないけど
叩きというのもあって結構酷いものだよ
叩きにも決まりがあり、慣例で細かく定められてた
叩かれたほうは瀕死や死んでたんじゃないかと思うけどね
>>202
天領どころか旗本の関係者を斬っても大問題だからね。国持ち大名ですら旗本には頭が上がらん状態なんでいくら旗本側が悪くても大名側が当事者を処分して事を納めてた 金さんとか毎回主犯は打ち首獄門、余の者終生遠島を申し付けるひったてーい!だよな
>>208
あんなにしょっちゅう遠島してたら三宅島・八丈島パンクしちゃう >>3
大韓民国国家成立宣言
大韓民国憲法初版
大韓民国国璽
どれも最初のヤツ散逸している、所在不明という形で。 >>207
旗本は格式は劣るけど、実権を持ってるからそこは立場が強いわな
てか江戸時代って幕政の実権がない家ほど格式が高くて不満が出にくかったりして、上手くできてたと思うわ >>146
江戸町奉行所の管轄は武家の土地と自社の土地を除いた残り
なので存外少ない >>200
元ネタが有るから大岡さんが裁いたのでは無い事は確定
実際に有ったかはわかんね 高瀬舟とか読むと家族が見送ったりお金持たせたり
けっこう人情的なはからいがあったみたいだけね
>>208
大岡越前の場合
余罪厳しく吟味の上きっと極刑申し付けるであろうとかなんとかいって
ボロが出た悪党にその場で重い刑罰を決めないようにしてる >>203
遊郭、岡場所、湯屋、茶屋、宿屋、興行、飲み屋、賭場といった、
裏社会もしくはその近辺でメシを食ってる裏社会の住人なんだよね
こういう裏社会まで取り締まると役人が多忙で困るので裏社会の親分衆に任せていた
その中でも信用できる者には岡っ引きとして下男クラスではあってもお上の御用の者として事実上雇っていた
無宿渡世、ヤクザ、親分、岡っ引きは同じグループと言っても全然おかしくないわけですw >>205
今もイスラムでやってるムチ打ちだもんね。
SMみたいに音が高らかに鳴るだけならいいけど、ふつうは皮が裂けてヘタしたら死ぬ。 お役人なんか大過なく仕事を終わらせればいいんだから
>>184
そのヤクザというのが京都視点の東国差別だからね
当時の関東は完全に自力救済の社会だからさ
中央の政治が全く機能していなかったからそうなったのを棚にあげて平然とヤクザなどといい差別するからね、京都系の研究者は
東の研究者は武士のことをヤクザなんて蔑まないもの
そもそもヤクザといえば関西の非差別部落民や在日朝鮮人でしょ
関東の武士達は馬に乗って弓矢で狩りをする狩猟民の系譜だからね
血を忌み嫌う渡来系の西の連中とは相容れない存在なわけだよ、武士というのは >>210
それ言うと三種の神器は全部パチもんだけどな
オリジナルは一つも残ってない >>216
そこの矛盾が後々問題になって関八州見廻りというプチプチFBIが出来るきっかけになる >>191
>>192
商家とかで主人の奥さんと奉公人が不倫したら大罪だが
「公」になってどうにも収まらなくなった件だけ奉行所が扱った
長屋では醤油の貸し借りみたいに女房の貸し借りは当たり前だった
あんな少ない人数で奉行所が回っていたのは、何かあったらその町内で私刑をしたいたから >>217
何で一件落着になるかって言うと潜入捜査で裏とって
現場で一回見せつけてるからなんだぜ まあ、無茶やって江戸で、反乱なんてなったら、おしまいだしな。
火つけたら、おしまいの時代に、自暴自棄で反幕府はこまるやろ。
>>216
昭和30年くらいまでは893と警察の違いは警察手帳を持って警察から給料貰ってるか否かくらいしかなかった >>209
ふつう代官になるような人物は人格者で、悪代官なんて珍しいからハナシのタネになるって言われたらしいね。 >>24
火盗改は近代で言えば憲兵、今だと自衛隊の立ち位置だしなぁ
町方では手を出せない案件を火盗改が出動すると >>1
というか裁判の場というかお白州で裁きになる前に
捕まると牢屋に入れられるのだが
そこで作造りで牢名主の気分で殺されるパターンが多い
奉行としては処理する件数がそこらで少なくなっているのでお白州までゆけないパターンが多い
1つの事件に対して処理する手間がかけられたという皮肉でもある >>230
将軍の警護にもあたるエリート部隊がお先手組だからね
しかし町方奉行から見ると
火付盗賊改は加役といって一応臨時の治安部隊だからあまり快く思われなかったらしいわな >>232
お手先組は番方で有事には戦争に出る軍人
町奉行所は役方で文官 >>222
韓国のは全て近代の物なんだけど
特に国璽の騒動は面白かったな
いつの間にか失くなってた → 職人が伝統技法で再製作 → 伝統なんて大嘘で材料は横領
韓国らしさが山盛り 奉行というかなり高位の役人が裁く以上、手続きは立派なものだったんだろうね
ただし庶民の人権がどの程度守られた社会だったかはよく分からないね
もっとも当時のアジアの中ではだいぶマシな法治国家だったとは思う
日本は貴族社会だったからフランスとかあの辺の国に士農工商とかの考え方が近いんだよな
フランス革命が起きたのは当時の江戸幕府も把握していて
後の江戸城無血開城に繋がったという説もある
>>191
重ねて四つと言って法的には妻と間男は死罪かつ現場で殺しても良かったんだけど
実際には内々に示談金ですませてたらしい
間男の首代は七両二分なんて言われる 以前から死罪は老中の合意が必要だと
歴史研究者が言っていたような
>>1
江戸時代は殿様が金正恩みたいなもので
今の北朝鮮みたいな時代だからな
北朝鮮国民の笑顔と江戸時代の町民の笑顔は似てるんじゃないの?
日本のどの時代にも生まれ変わりたくはないという
今がこれでも一番まし 徳川時代で言うところの武士が今現在の寄生虫ゴキブリ公務員!!
武士は食わねど高楊枝!
武士は名こそ惜しけれ!
引き返なしそもののふの道!
百姓が飢饉であえぐ中、ここで高潔たる武士が見捨てておかりょうか!
失業増加?廃業連鎖?自殺?非婚化?少子化?ぐぬぬ・・捨ておけぬッ!!御国の大事ッ!
見よや百姓!聞けい平民!
武士である寄生虫ゴキブリ公務員は我が肉を削り、我が血を民に与えるッ!
飢饉で餓死の百姓と生死を共にッ!!
これが誇りッ!これが武士道!これが忠節報国ッ!!
餓死覚悟で「民間準拠」に殉じて
「な・・な、なんとなんと!!2020年度冬のボーナス0.05か月分カット!!」wwww
だいたい綱吉公は綱紀粛正にうるさかったから、黄門様の出番は初めからなかった。
無知なお花畑さんが「やっぱり昔の武家は高潔だった」的な勘違いしたズレた解釈してそうな予想www
要するに今の「自分の行動に一切のリスクも責任も負わない寄生虫ゴキブリ公務員」と違って
責任やリスク背負ってたから必然的に慎重になってたってなシンプルな構図なw
今の寄生虫ゴキブリ公務員は
「決まったんだからこれが結果w」
「客観的俯瞰的に精査した結果こうなりました、尚異論は受け付けませんw」
これで全部逃げ切れる形骸化された利権職ってだけだからなwwww
当時は何か不祥事なりトラブル引き起こしたら藩単位で追及されて最悪御家取り潰し、家名断絶とか当たり前www
要するに厳格な執行責任と管理義務負わせてた徳川時代の方が今よりも民主主義が成立してたってな皮肉な構図wwwww
死刑執行にサインする法務大臣みたいな役が老中なんやろな
>>243
全く違うね。
江戸時代に某藩の殿様が鷹狩り中に民家の奥さんを手篭めにしたら、「すけべ殿さんすけべ殿さん」てクニ中でバカにされて面目を失って、最後は幕府が知るところとなり、お家断絶となった。という逸話があるくらいで、
今の北鮮と違って、昔の日本には少領主の暴走を止める機能があったんよ。 池波正太郎が長谷川平蔵に元盗賊の配下を架空で置いたのは理由がゼロでは無いんだよな
町方奉行でも困る凶悪盗賊を捕まえるには元盗賊団からの情報提供が一番確実であろうね
罪状 朝鮮ヒトモドキ故、市中引き回しのうえ打首獄門
役割には責任が伴うからだろ、今の役人とか裁判官や弁護士はな~んも責任ないから若いときに勉強頑張ったらあとは無責任で務まる。江戸時代以下
清水次郎長も今でいうヤクザ、無頼者、渡世人
顔が広く清濁併せ呑む大物だったから人脈広く交友広く食客も多かった
今でいう派遣会社の条件を備える数少ない人間
そこで政府から有期採用かつ大量に人工が必要な公共事業の依頼を受けてたという
昔の方が合理的で生産的効率的なんだよな
今の寄生虫ゴキブリ公務員が総じて有害要素しかない糞ってのと対照的
斬首や犯罪奴隷に落としてから冤罪発覚ともなれば今度は自分達が介錯なんて可能性あるからなw
三権分立なんてな後世の言葉とはちょっと違うが、江戸時代の方が権力の監視暴走抑止機能が成立してたんだよな
徳川幕府ってな厳格な監視組織があって、汚職や民への迫害圧迫なんかは即幕府からの叱責懲罰対象になった
実際は民主主義が今より成立してたってな皮肉な構図
今の寄生虫ゴキブリ公務員は「徳川幕府が存在しない状況の武家」みたいなもんでそりゃやりたい放題増長するわな
正に寄生虫ゴキブリ公務員
江戸時代の殿様なんて窮屈なもんだよ
大藩になればなるほど何かあったらすぐに取り潰しを狙う幕府の目に留まらぬよう
神経すり減らしてた
好き勝手なんてやるのは浅野内匠頭みたいなキチガイ大名だけ
>>260
食いねえ食いねえ、寿司を食いねえ
オイラが手酌してやるよ、あらよっと >>260
お前さんやくざ者に詳しいようだけど、そんなに次郎長にゃあ良い子分が居るのかい >>263
なんで石松のセリフを言うんだよw
そこは江戸っ子のセリフ言わないと 江戸時代は今よりずっと「権力の行使には責任が伴う」時代とも言えるよなぁ
>>262
その幕府が一番警戒してたのが朝廷
だから石高も3万石に制限してた
幕府ですら悪政敷けば庶民は朝廷になびく事を懸念しなければならない
パワーバランスとしては絶妙だよな >>243
江戸時代も中期に入れば立憲君主制みたいなもので
代によっては将軍はあくまで君臨者
老中が統治者として実権を握っていた 証拠の捏造なんてちょっと頭がよかったらいくらでも出来ただろうし
逆に言うと冤罪がいつ降ってくるかわからんから緊張感あっただろうな
>>268
もっと言えば「増長、備蓄、成長、肥大化」にも厳しかった
宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名が自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。この工事で亡くなった人たちを祭
幕府から警戒されてた島津は今でいう公共工事を
「お前等の財布とお前等の人工でお前等の責任で完遂せえやw尚無理なら懲罰なw」
て形で半強制で請け負わされて甚大な疲弊を出した >>272
気持ちの良い野郎だねえ、ハッカ飴みたいな野郎じゃねえか >>181
水戸光圀は辻斬りしてたみたいだが、まあ御三家の藩主の嗣子だったし、上手いこと逃げ切ったのだろう
また隠居後もやってたみたいね >>274
当時の公共工事って幕府が財政難なので
地元の村民や金持ちに出資させたりが多かった
千本松原だけでなく難工事のウラには常に大損した誰かがいるのが恐ろしい
ちなみに薩摩藩を難工事で潰す気だったのは本当だと思う >>274
鹿児島市城山東登山口に「薩摩義士碑」(大正9年設置)が建っている。
宝暦年間(1753年)に薩摩藩が幕府に命じられた木曽川治水工事に従事した人々のことである。
薩摩藩士の総勢は947人。その内、異郷での病死者が34人で、
さらに54人の自殺者(自刃、切腹)が出て計80余名が義士として祭られているのだが、
54人が自刃というのは異常である。
wikipediaなどで調べると、幕府役人の横暴な振る舞いに対する抗議の自決であった
と美談調で説明されている。
しかし名古屋大学羽賀祥二氏の検証で、自決を裏付ける史料はほとんど存在しないことが明らかにされた。
薩摩藩士佐久間源太夫が幕府にあてた上申書によると、工事期間中に病気(赤痢)が流行し薩摩藩関係者の半数が罹患、そのうち数十人が病死したとあるだけだ。 >>10
咎める立場の人がいたからね。
サンキュー黒川 言うて牢内で「病死」する分には誰の責任にもならんからな
>>191
戦国期は厳しかったみたいだな
イタリアの商人の日記に不倫に関する記述がある
江戸時代は示談で済ませたりとそこまで厳しくはなかったようだが
日本では姦通罪は重く、有罪判決を受けた場合、密通した両人とも死罪となる。
起訴されたのち、間男と女性の姦通者を連れて車に乗せ、両手を後ろに縛り上げられ夫の家に連行される。
その場で間男の陰茎は切断される。この際、皮膚を多めに切られた陰茎は女の方の頭の上に置かれる。
女の方も陰唇を切り取られ、間男の方の頭に置かれる。
こうして頭を相手の隠部で飾ったまま、裸で市中引き回しにされる。
フランチェスコ・カルレッティ『世界周遊記』 >>45
昔から稟議書形式で無責任にハンコ押したり名前書いたりだったのか >>283
富裕商人の小説的冒険譚だと思うけどね
面白すぎる描写は当時の航海商人譚では普通らしいよ
そういう小説家もいたぐらいだ >>10
判事と検察どころか警察もだよ
但し町奉行は若年寄りから厳しく管理されてた
今は最高裁を管理できない 喧嘩両成敗って実際はあまり適用例ないんだよね、裁判だと
>>261
基本民事不介入が原則だし、村や民が望んだことだからね ラインハルト陛下も国を治めるには公平な税制と公正な裁判さえあればよい、と言ってたぐらい統治機構として裁判は重要
江戸時代はヤクザに「おひけえなすって。手前生国とはっしますは」とやれば一宿一飯にはありつけたらしいが
今山口組に行って「おひけえなすって」ってやったらどうなるんだろう?
>>118
いまの日本政府は秀吉側だよ。桐の紋章つけてる。徳川幕府は天皇家を冷遇したからだと思う。 今の司法は適当みたいな書き方だなw
まあそうなんだが
>>276
辻斬りといっても斬ったのは非人だったからなぁ
これは「玄桐筆記」に記されている
筆者の井上玄桐も非人への辻斬りに対して悪逆非道の行為ではなくあくまで若い頃のヤンチャという解釈で書いたに過ぎず
当時の穢多非人はあくまで人間の言葉を喋る畜生という扱いでしかなかった >>293
それが不思議だったが
実はヤクザの宿(賭場)に無宿者を呼ぶのは藩が推奨してたらしい
まず放置すると藩内で泥棒するので役人は詮議が面倒だし
もし他藩から逃げてきた犯罪者なら捕縛して送ることになる
つまりヤクザが警察でもあった
全く任侠道ではない >>293
一宿一飯の恩で命かけたり仕事させられたりするのもまた渡世の道なので
それなりに厳しいもんではあるで 中村主水は貧乏設定だが、定町廻の同心は大量の付け届けで金持ちだったようだ
時代劇はウソばかり
同心も相当なエリート
今でいうと東京都内の副署長ぐらいかな
付け届け多数で優雅な暮らしだったようだ
>>296
黄門は老人になってからも藩邸で家老の藤井紋太夫を自ら刺し殺すなんて事をやって
しかも殺し方がプロかというほど異常に手馴れてるから繰り返しやってたんだろう 江戸の警察の問題点はそもそもサムライの仕事で
圧倒的に執務人員が足りないことだな
牢屋が満員で放置されてるのもそういう原因だ
この点は褒められたものではない
江戸時代って1日に1000人は斬首してたらしいが?
もちろん全国で合わせて1000人だから少ないかもだけど
>>299
同心暁欄の助では、大量の付け届けで金持ちの定町廻の同心の話があったな。 >>51
はりつけ火あぶり島流しなら今みたいに死刑になりたいとか刑務所に入りたいとかはなくなりそう 江戸時代の日本は世界で最も死刑が行われていた国
人口が10倍多い当時の中国よりも死刑が多かった
>>81
家康は北条家の体制を参考にしたと本で読んだ
北条は公平でお金のかからない訴訟と裁判を民衆の要望でやってたらしい 時代劇ってなんで作られなくなってしまったの
まあ再放送等で見きれないほどあるにはあるけどさあ
昔の時代劇は面白いよなあ
>>309
制作費が高い。
スポンサーがつかない。 金さんこと遠山景元は痔で苦しんでいた、オウオウオウオウッ!は苦悶の叫びだったのかもしれない
当時は3~4人くらいが口裏合わせればいくらでも捏造出来そうな気がする
何で今更見つかるの
最高裁は一度建て替えてるからその引越の時に見つけろよ
日本はウクライナ問題よりも中国を警戒した方が良いと思う
与党に中国追従を隠そうともしない宗教政党もいるしね🤤
>>308
後北条氏の善政は有名だな
特に氏康の代に実施された政策は優れてるものが多い
目安箱とか通貨の統一なんかも他の大名と比べるとかなり早い時期にやってる
有名な小田原衆所領役帳も氏康の代に作成されたものだしな >>286
町方が引っ捕えて調べ上げて奉行が刑罰を上申
四人から六人いる老中が決済して刑の執行
三権分立の社会制度ではないが法務大臣が押印して執行されるという枠組みと大して変わらん >>24
不祥事が多くて何度も設立&廃止を繰り返しただけで
火盗改自体が臨時の部署として創設されたわけではないよ。 >>191
江戸の庶民はフリーラブ・フリーセックスだけどな
武士は違うがww 基本的に人の証言で証拠を集めてたんだよな。
そりゃそれしか無い。今の時代でよかったよ。
俺なんて人相悪いから何か犯罪が近くであったら
あいつが怪しい!て冤罪食らいそう
>>309
NHKだけ今も全然量産してるぜw 耐えられる財力が民放にはもうないんだろう >>10
行政と立法もだよ。
基本的に江戸町民に関することは全て町奉行管轄。
逐一老中の裁可が必要で、遠国奉行ほど好き勝手はできなかったらしいけど
役料2000石で旗本寄合席のポストとしては一番高かったから人気があったらしい。 時代劇って50年代からも撮ってて
その頃より今のが貧しいとも思えんけど
なんでそんな金金言われるのだろう
撮れる環境がなくなったってことなのかな?
遠山の金さんみたいに週毎に凶悪な事件起きてた訳じゃないとは思うが冤罪も多そうだな
江戸町奉行所に治安専従の武士なんて300人もいないし
>>326
江戸町奉行所で治安専従の武士というと南北それぞれ十人くらいだね。
与力(基本的に御家人)の多くは事務職だし
同心は武士ではなく
岡っ引にいたっては役人でさえない。 >>276
辻斬りと切り捨て御免は全然違うものだろw >>307
江戸は治安が良いって
江戸に入る直前の街道沿いに刑場があって
死刑の後 遺体そのままで鳥や犬に食わせてた・・・
そんなの見せられて江戸でなんかやる気に普通ならない
∧∧ 死刑逃れても島流しで
( =゚-゚) 島でじわじわ野垂れ死にだし・・・
.(∩∩) 江戸市中が平和なのはそりゃそうだろ
門がある要塞の中なんだから
∧∧
( =゚-゚)
.(∩∩)
>>327
そも奉行所自体、警察と裁判所機能はごく一部 いつの世も裁きは慎重だろ
デタラメにやったら民が怒って焼き討ちに発展するんだから
>>324
豊かになった分、人件費がかかりすぎて作れなくなったんだよ(´・ω・`)
みんなタダじゃ働きたくないからね
物事は貧乏のほうが進むんだ >>106
国内法で上手くやってたとこへ西側の金と武器借りた奴らがクーデター起こしただけだからな >>324
予算は無いよ
ゴールデンのバラエティみりゃわかるじゃん
自前でネタ取材してるとこはないしロケは宣伝料を取れる食い物屋ばっか
作れなくなりましたって作らないならまだ良心的
NHKの時代劇なんて人気時代小説を原作にしたはいいが、芸者が沢山登場する作品なんで原作レイプして別の作品に仕立てあげる
だから大河以外は絵がとことんしょぼく屋外ロケなんてやらない >>305
「この桜吹雪を見忘れたとは言わせねえぜ」を候文で書くとどうなるか >>16
?
浅野と吉良に対する処分は江戸幕府としては至極妥当だろ
・吉良は反撃してない→喧嘩両成敗成立しない
・いやいや、吉良が浅野を追い込んだんだよ→立証できない >>332
どういう意味?
奉行所の仕事のうち、警察裁判所はごく一部ってこと?
それとも江戸の警察裁判所機能のごく一部を奉行所が任されてたってこと? >>1
慎重になるんじゃね?すぐ極刑にしてそうだし >>24
戒厳令布告して憲兵を野戦軍律適用で治安維持に投入だからな。 >>1
それって要するに、「先例主義」と「責任回避」の徹底がなされていたということでは?
つまり、今と変わらない。 上様や大岡越前や金さんのご子孫はたまに出てくるけど鬼平のご子孫は見かけないな。
>>38
絵柄はしらんがもんもん入ってたのはガチだろ? 死刑(同じ死刑でも6種類あった 軽いものから以下)
下手人
(げしゅにん) 斬首。遺体は引取人がいれば引き取って埋葬可能。 情状酌量の余地のあるケースでの殺人。
死罪(しざい) 斬首の上、試し斬り。 十両以上の盗み。不義密通。
火罪(かざい) 市中引き廻しの上、磔柱に縛り付け火焙り。火焙り(ひあぶり)刑。 放火。
獄門(ごくもん) 市中引き廻しの上、斬首。試し斬り後、首は晒し。 毒薬の販売。偽の秤の製造。主人の妻と密通。
磔刑(たくけい) 市中引き廻しの上、磔柱に縛り付け鑓で突き殺す。処刑後3日間晒し。 キリスト教信仰。関所破り。親殺し。主人殺し。にせ金作り。
鋸挽き
(のこぎりびき)
市中引き廻しの上、二日間土中に頭のみ出し埋め晒したのち磔刑と同じ 反逆罪。鋸は置いておくだけで実際は使わない。
遠島(御定書百箇条[一部]、1742年)
江戸十里以内で許可無く鉄砲を所持するもの 幼女を強姦したもの
博打の胴元 女を犯した寺持ちの僧
指図を受けて人を殺したもの 人殺しの手伝いをしたもの
不当な言いがかりをつけられ刃傷沙汰に及び、相手を殺したもの 口論の上で人を傷つけ、重度の後遺症を負わせたもの
車を引っ掛けて人にけがをさせたもの 十五歳以上で殺人や放火を企てたもの
オプション刑
闕所(けっしょ) 田畑・家屋敷・家財などを罪の軽重に応じて没収(死罪・遠島・追放等)
非人手下(ひにんてか) 恥辱刑で非人の身分に落とされ、非人頭の支配に属する刑。
入墨(いれずみ) 敲き刑や追放刑に付加された。江戸では左腕に2本線。
>>355
鋸挽きは本来晒ageだったが、ガチで引こうってのが出てきて大騒ぎになったとか >>349
長谷川平蔵の子もお先手組で活躍したんだと思われ、エリート旗本として存続してるね
ただし池波正太郎が注目するまで長谷川平蔵は現代人にはほぼ無名だったようだ
平蔵活躍時は江戸で大人気だったのに不思議なことだ >>350
難解な草書を書けたんだから大分頭が良いだろね
寺子屋では論語を普通に勉強してたらしい
読み書き算盤できると商家の勤務なら管理職の道もあるので親も熱心だわな >>309
原作が活劇だとしてもリアリティーをもたせる時代考証の差だと思われるね
最近の時代劇ってお武家様に飯屋の女性がタメ口とか見てて幻滅する
身分の上下や渡世人の危険さ、浪人の困窮とか、昔の時代劇は細部がしっかりしてたよ 窃盗が多かったようで結構冤罪もあったんだろうね
窃盗でも十両以上は死罪、もっとも大半は少額だった
窃盗でも敲きといって専用の棒で繰り返し殴るのでかなり過酷な罰になる
裁きが必要な犯罪なんて1日に
何十何百件と起きるのに
本当にお奉行様一人が全部裁いてたのかね
切腹した奉行は恐らく最期の間際に昼行灯の同心に会っていたと思うの
ブスッ
????「お見事な御自害でございました」
報告書もよくできたのとそうでないのあっただろうな
論理的でいい文章の報告書はこいつできるなと老中の目にとまる
>>358
近代化したはずなのに現代の方が頭悪くなるの失敗してるな
それでも日本が発展できたのは一部の頭いい人はとことん頭良くなったんだろうな >>338
海外ロケもクッソ減ったよな
なるほどザワールドとかせかい不思議発見なんてもう作れねえ 金さん「おうおう越後屋!しらばっくれるのもいい加減にしやがれってんだ!」
午前中は早い時間から江戸城で幕閣への報告とデスクワーク
奉行所に帰ってきてまたデスクワークで帰宅は9時とか10時とか
警視総監 兼 消防総監 兼 東京高裁長官とか絶対やりたくねえ過労死まっしぐらじゃん
>>338
その大河ですら基本室内ロケ全振りで合戦シーンは諦めてるからな…
伝説の50人対50人で川中島の戦いをやったバストアップだらけの風林火山とかw 昔の時代劇は現代のアニメのような立ち位置だったからな
>>342
町奉行所って今で言う都庁みたいなもんだぞ
お白洲なんてほんの一部署にすぎん >>367
明治の技術者って普通にマルチリンガル
漢籍も読めて英仏独のどれかはペラペラ
江戸時代から鍛えた勉強パワーが凄かったわな
その代わり幼少時からすごいスパルタ教育受けたようだね >>371
天と地とや敦煌なんか3000人くらい集めてガチ合戦シーン取ってたのにな
どちらもバブル期の作品やっぱ予算が潤沢じゃないとこう言うのは無理だね >>371
母親がファンの韓流時代劇の方が予算遣ってるように思うw >>359
視聴者の共感を得やすいように考証より優先させる。アメリカだったか、欧州だったか
しらんが、中世か近世が時代設定の王女と貴族とのやり取りの場面みたら、
もう大学サークルの男女間の会話みたいw
重厚な歴史劇よりポップさを加えた十代二十代の女性がメイターゲットなドラマみたいなんで
そんな演出なんだろうな。 >>161
示現流の初代って柳生新陰流の兄弟子の流派の人に勝って薩摩藩に採用されたんじゃなかったっけ?
そして上意討ち係w >>378
三国志スリーキングダムとか予算のかけ方半端ないもんな
あとあっちはCG使うことに衒いがない
日本は技術が未発達なのと予算がないのに変な職人気質が蔓延してて
CGでかさ増しするのは邪道だと思ってる(NHKは特に そりゃ各藩が商人からの莫大な借金で苦しんでたくらいだからね
武士が横暴なら財産取り上げればいいだけなのにやらなかった
相当モラルが高いのは容易に想像できる
>>385
商人が毎年運ぶ融資でギリギリ生きてる藩だから
商人死んだら自分も死んじゃうのはありそう 江戸時代の司法官は今の司法官よりは人格はまともだったけれど、その司法判断の基準となる法律は滅茶苦茶すぎたな
>>1でも白状しているように雇い主を殺しただけで有無を言わさず磔にしたり、不倫をした場合、男は無罪だが女は磔になるなど無茶苦茶すぎる。
やはり欧州の最先端の法律を取り入れた明治の
御維新は本当に有難い。 >>385
薩摩・長州「返すよただし250年払いでね」ニッコリ >>359
それで思ったけど
昔の時代劇再放送すると、一部表現が現代ではふさわしくないですが当時のまま放送します云々のテロップ出るな
最近の男女平等とかの観点からも時代劇て敬遠されてんのかもね(作り手から) >>389
勝新太郎の座頭市とか差別語だらけだが名作だったなあ 江戸時代の牢屋の過酷さ見ると
牢屋に入ること自体がかなりキツイ刑罰だったんだろうな
江戸時代には体罰無かった説(俺は大分疑ってる)あるけど
これだけ刑罰が過酷なら体罰抜きでも悪い事しようとは思わない奴が大半だったろう
>>385
伊達政宗死後
政宗の息子「この証文 『政宗』としか書いていない 『伊達』と書いていない
つまりこれは「親父個人の借金」で有って「藩や伊達家の借金」ではない
だから親父の借金の回収は親父個人の遺産からとっていきな」
商人「そっそんな!」
と言う酷い踏み倒しまがいの事はやっていたりするw
ローマのハゲの借金王の借金も甥っ子がそうやって逃げたそうなw しかし警察と検察と裁判所が同じ機関なんだからおそろしい
現代のような科学的な鑑定方法があるわけでもなく拷問も許され弁護人もいない
どれだけ慎重にやっても冤罪はあっただろうな