当初、ロシア系住民の保護などを口実にウクライナに侵攻したロシア。その前例となったのが、2008年、旧ソ連の構成国だったジョージアへの侵攻だ。黒海の東岸にあたるジョージアは、黒海の北岸に位置するウクライナとの間にロシアを挟み、北側にそのロシア、南側にはトルコやアゼルバイジャンと隣接する、人口が370万人ほどの国だ。同国出身の慶應義塾大学SFC研究所上席所員として国際政治を研究するダヴィド・ゴギナシュヴィリ博士は「2008年があったからこそ、今回、ウクライナやアメリカはロシアの動きを予測できた。それによって戦いへの準備を進めたことで、いまロシアに対して善戦している」と分析する。
* * *
世界中から約2万人の義勇兵の応募があったといわれているが、その国際部隊の中核を担うのがジョージア人部隊、通称「ジョージア軍団」だ。ゴギナシュヴィリ博士はこう説明する。
「司令官のマムカ・マムラシュビリ氏は14歳のとき将校だった父親とともにロシア軍と戦った。2008年にロシアがジョージアに侵攻した際にも参戦しました。非常に経験豊富な軍人です」
ロシアがウクライナ領クリミア半島を併合した14年、マムラシュビリ氏はジョージア軍団を創設した。
「今回のウクライナ侵攻ではロシア軍と戦っているジョージア人は非常に多いです。元防衛大臣が一人の兵士として戦っていますし、現職の国会議員も義勇兵として加わっています」
■ジョージアを支えたウクライナ
かつてロシアと戦火を交えたジョージアの人々は、ウクライナに対して強い親近感がある。だが、それだけではない。「恩返しの気持ちもある」とゴギナシュヴィリ博士は言う。
「90年代初頭、ロシアが介入した戦争の際、ウクライナ人が志願兵として、ジョージア側で戦ってくれた。難民を輸送するヘリコプターも支援してくれました」
(中略)
■ジョージア人のデジャヴ
今回の侵攻は、14年にウクライナ東部のドネツク、ルガンスク地方の親ロシア派をロシアが支援し始めたことに端を発する。だが、「あのときジョージア人は、ロシアがまた同じことをウクライナでやり始めた、と思った人が多かったのです」と話す。
その理由は、こうだ。
08年、ロシアはジョージアに侵攻した。名目は、ジョージアのアブハジア地方、南オセチア地方の親ロシア系住民を守るため、だった。
ゴギナシュヴィリ博士は、こう話す。
「このときの戦争は5日間で終わった、と言われますが、それはロシア正規軍との戦いで、実際にはそのずっと以前からロシアはさまざまな手口を使ってジョージアを攻めてきた」
(中略)
■ジョージアに「ロシア平和維持軍」の皮肉
それを象徴するようなジョージアとロシアの戦いは、1991年にも起きていた。
同年、ジョージアは旧ソ連から独立。ところがすぐに、ガムサフルディア初代大統領に対して「民族主義者」とレッテルをはるプロパガンダが強く流された。それらによって火がついた民族主義は、アブハジア人とオセット人が多く住むアブハジアと南オセチアで燃え上がった。
「例えば、ロシア軍から武器を供給された武装勢力により、アブハジアにある重要な鉄道が繰り返し攻撃された。それを防ぐため、沿線にジョージア軍が駐留するようになると、『アブハジア人を殺すための軍隊だ』というプロパガンダがロシア側から流されて、戦闘が拡大していった。でも、ジョージア軍と戦ったアブハジア人は少なくて、多くはロシアから潜入した武装組織だったのです」
ジョージア政府は、武装組織ではなくロシアを相手に戦っていると国際社会に訴えた。なのに、「無視された」とゴギナシュヴィリ博士は言う。
(中略)
■反撃とどまったゼレンスキー大統領
ゼレンスキー大統領は戦争が始まりそうな状況になって以降、ドネツク、ルガンスクでいくら親ロ勢力から挑発的な攻撃を受けても“反撃命令”を下さなかった。
「もし、そこで反撃していたら、もっと早い段階で戦争が始まっていたでしょう。2月末に侵攻が始まるまでの数カ月間、ゼレンスキー大統領は国際社会の団結に向けて、働きかけた。それはとても正しい作戦だったと思います」
開戦までに時間を稼ぐことができたおかげで、ウクライナは対戦車・地対空ミサイルなど、大量の武器をアメリカなどから受け取ることができた。
加えて、多くの義勇兵が世界中から集まる下地ができた。(続きはソース)
3/25(金) 11:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/740633fd471741d79e6dfe7519650dc990b8a690
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世界中から約2万人の義勇兵の応募があったといわれているが、その国際部隊の中核を担うのがジョージア人部隊、通称「ジョージア軍団」だ。ゴギナシュヴィリ博士はこう説明する。
「司令官のマムカ・マムラシュビリ氏は14歳のとき将校だった父親とともにロシア軍と戦った。2008年にロシアがジョージアに侵攻した際にも参戦しました。非常に経験豊富な軍人です」
ロシアがウクライナ領クリミア半島を併合した14年、マムラシュビリ氏はジョージア軍団を創設した。
「今回のウクライナ侵攻ではロシア軍と戦っているジョージア人は非常に多いです。元防衛大臣が一人の兵士として戦っていますし、現職の国会議員も義勇兵として加わっています」
■ジョージアを支えたウクライナ
かつてロシアと戦火を交えたジョージアの人々は、ウクライナに対して強い親近感がある。だが、それだけではない。「恩返しの気持ちもある」とゴギナシュヴィリ博士は言う。
「90年代初頭、ロシアが介入した戦争の際、ウクライナ人が志願兵として、ジョージア側で戦ってくれた。難民を輸送するヘリコプターも支援してくれました」
(中略)
■ジョージア人のデジャヴ
今回の侵攻は、14年にウクライナ東部のドネツク、ルガンスク地方の親ロシア派をロシアが支援し始めたことに端を発する。だが、「あのときジョージア人は、ロシアがまた同じことをウクライナでやり始めた、と思った人が多かったのです」と話す。
その理由は、こうだ。
08年、ロシアはジョージアに侵攻した。名目は、ジョージアのアブハジア地方、南オセチア地方の親ロシア系住民を守るため、だった。
ゴギナシュヴィリ博士は、こう話す。
「このときの戦争は5日間で終わった、と言われますが、それはロシア正規軍との戦いで、実際にはそのずっと以前からロシアはさまざまな手口を使ってジョージアを攻めてきた」
(中略)
■ジョージアに「ロシア平和維持軍」の皮肉
それを象徴するようなジョージアとロシアの戦いは、1991年にも起きていた。
同年、ジョージアは旧ソ連から独立。ところがすぐに、ガムサフルディア初代大統領に対して「民族主義者」とレッテルをはるプロパガンダが強く流された。それらによって火がついた民族主義は、アブハジア人とオセット人が多く住むアブハジアと南オセチアで燃え上がった。
「例えば、ロシア軍から武器を供給された武装勢力により、アブハジアにある重要な鉄道が繰り返し攻撃された。それを防ぐため、沿線にジョージア軍が駐留するようになると、『アブハジア人を殺すための軍隊だ』というプロパガンダがロシア側から流されて、戦闘が拡大していった。でも、ジョージア軍と戦ったアブハジア人は少なくて、多くはロシアから潜入した武装組織だったのです」
ジョージア政府は、武装組織ではなくロシアを相手に戦っていると国際社会に訴えた。なのに、「無視された」とゴギナシュヴィリ博士は言う。
(中略)
■反撃とどまったゼレンスキー大統領
ゼレンスキー大統領は戦争が始まりそうな状況になって以降、ドネツク、ルガンスクでいくら親ロ勢力から挑発的な攻撃を受けても“反撃命令”を下さなかった。
「もし、そこで反撃していたら、もっと早い段階で戦争が始まっていたでしょう。2月末に侵攻が始まるまでの数カ月間、ゼレンスキー大統領は国際社会の団結に向けて、働きかけた。それはとても正しい作戦だったと思います」
開戦までに時間を稼ぐことができたおかげで、ウクライナは対戦車・地対空ミサイルなど、大量の武器をアメリカなどから受け取ることができた。
加えて、多くの義勇兵が世界中から集まる下地ができた。(続きはソース)
3/25(金) 11:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/740633fd471741d79e6dfe7519650dc990b8a690
![【軍事】ウクライナを支援する義勇兵「ジョージア軍団」の高い戦力、ロシアのしたたかな手口は見破られていた [樽悶★]YouTube動画>2本 ->画像>1枚](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220325-00000010-sasahi-000-13-view.jpg)