三部作を手に研究への意欲を見せる片岡さん
邪馬台国は、福岡、佐賀両県にまたがる筑紫平野の複数のクニで形成していた――。そんな「筑紫平野連合説」を唱えて、注目を集めている小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(65)が、自説をまとめた著書の三部作を完結させた。片岡さんは三部作を通じて、「近代国家の先入観にとらわれず、多くの人に邪馬台国を考えてもらいたい」と話している。
中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の女王卑弥呼は「共立」されたと表現されている。片岡さんは、この記述に基づき、「卑弥呼は、近畿地方の強大な勢力の女王ではなく、筑紫平野の複数のクニが共に擁立した」という筑紫平野連合説を提唱。最近の邪馬台国九州説の代表的論客となっている。
三部作は「邪馬台国論争の新視点」と題したシリーズで、2011年に副題「遺跡が示す九州説」、19年に同「倭人伝が語る九州説」と続編を刊行。昨年、新刊として副題「東アジアからみた九州説」を刊行し、三部作を完結させた。
新刊(194ページ)では、邪馬台国と「ヤマト王権」は、別勢力だったとする江戸時代からの説を紹介。
中国の史書に書かれた「倭」は「日本人が決めた領域ではなく、中国が認識した場所で、その範囲は当初は玄界灘周辺にとどまった」と指摘。後に熊本県の菊池平野、熊本平野まで入ったものの、近畿地方までは含まれず、「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」と考察した。
「南北朝時代にさえ、明国は、九州を制圧した南朝の懐良親王を『日本国王』と呼んだ」とし、「中国から見れば、九州の勢力を『倭の統一政権』と判断することがあり得た」と説明している。
片岡さんは、邪馬台国を特集した昨年12月のテレビ番組で、久留米市出身の歌手藤井フミヤさんを案内。朝倉市の平塚川添遺跡や卑弥呼の墓の可能性があるという久留米市内の祇園山古墳を巡るなど、九州説の紹介に力を入れている。
片岡さんは「小さなクニが協調して女王を立てた国のあり方を、現代や将来の国のあり方を考える参考にしてほしい」と期待を込める。
2022/02/02 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20220201-OYTNT50099/
★1:2022/02/03(木) 23:04:25.32
http://2chb.net/r/newsplus/1644046361/ >>954
>当時の倭は朝鮮半島南部から北部九州地域に架けての地域。
朝鮮半島南部も、「倭人(阿波勢力)」の進出地。 @阿波 >>1
倭の範囲の定義をそう考えた理屈を説明してもらわないと
ただのおれのかんがえるやまたいこくになってしまう。 近畿地方まで行くのに九州に上陸して整備されてない道路を貢ぎ物も持って敵対するクニを歩いていくのはねーわ
そのまま船で兵庫か京都くらいまで進む
お前ら早すぎだわ
くだらんレスは控えろ
有意義なレスだけしろ
九州の人は九州だって言うし、
近畿の人は近畿だって言うだけ。
プロレスというかビジネスというか。そんなもん。
日本人ってどこから来たか知ってるか?
お母さんのお腹の中から出て来たらしいぞ
卑弥呼=神功皇后なにを今さら。
チョンが12世紀に書いた三国史記とかw
信じるやつがアホ。
🇹🇷kuysemek.→🇯🇵困惑。
🇭🇺koszon.→🇯🇵ありがとう。
前スレの>>919
畿内説でも文献から推測する歴史学の学者たちはだいたい邪馬台国は滅んでヤマト王権は別物と考えているし
発掘したものから推測する考古学の学者たちはだいたい邪馬台国とヤマト王権は続いていると考えているんだよ
そして今はこの件で論争している真っ最中だよ まさかの新スレ(´・ω・`)
金印から紐解く邪馬台国
クニとかカネとかコメとか
漢字読めないと思ってるのか
>>1
10年やってきて引っ込みがな付かなくなった学者w
そう言い張らないとやってきた事が無駄になると考えるんだろうなぁ 普通に考えれば九州は本州の後に出来た島で歴史が浅いはずなんだけど、中国や韓国に近いというだけで本州よりも歴史があるということにされてる
まぁ倭人伝の記載そのまま読めば海渡ってないから九州だよな
天孫降臨も九州だし
>>30
天孫降臨の地は大和にもあるけどな
しかも宮崎の天皇家よりも先に 自民党が創価学会を切れないワケ
自民党政府が公共事業の発注→創価企業が中抜き→一般人が安価で労働
そして中抜きの一部が政治家へ戻り、選挙資金へ
そして自身はタックスヘイブンを利用して脱税🤤
これが続く限り、税金上がって給料減り続ける
パソナも天理の談合太陽光も不正融資太陽光もアベノマスクも全て創価学会🤗🤗🤗
邪馬壱(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬台(シェイマータイ)※台は臺の新字体
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。
なるほどね。伊都国は変わらず。邪馬壹國は近畿だな、元は小国 倭国を併合
拡大とか中央集権化進んだりで変わっていくと見る
>>26
10年以上前から畿内説が圧倒的に優勢になっていたけどね
だから引っ込みがつかなくなったとか違うと思う 邪馬台国は伊都国奴国から出雲、近畿までを支配していた。
>>28
それ言ったらそもそも本州は真ん中で半分に分かれてた話していい? 邪馬台国はヤマト王国を
当て字しただけだろ
どこにあったってそりゃ日本本土全部だよ
邪馬台国以前に、すでに倭人の存在は知れ渡っています。紀元前に前漢に貢ぎ物を持って行ってるし、朝鮮半島にも集住していた。
その倭人はみんな九州弁だった。
ところが、7世紀に奈良に行った裴世清らの中国人は、関西弁を聞いて、倭人とちょっと違うと思って、旧唐書では倭国伝と日本伝に分けた。
魏志倭人伝より前に書かれた『広志』の記載【到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載】
意味→伊都国に至る。また南に行くと邪馬嘉国があり、これより北の国はその戸数や距離を記載することができる
これは魏志と違い連続で、伊都國又南至邪馬嘉國と書いてるから覆すことは極めて難しい
筑紫て梁書 中国南朝の梁(502年から557年)の記載はない。
隋書にはある。「磐井の乱」の時は実際に筑紫という地名はなかったかもしれない。
後から筑紫と付けたかもしれない。
台湾大学の教授、周徳望教授は、古代中国の里数は中国内のものはある程度正確だが、
外国に関する里数は、現地の案内人に影響される為、全て疑うべきで、例えば梁書における中国→日本までの里数をそのまま当てはめてしまうと、メキシコまで行ってしまうので、魏志倭人伝の里数も無視して良いという。
その上で、「倭国に牛馬なし」との記述を見て、牛馬が無ければ外国との貿易品の運搬が相当に大変であったはずであり、
また馬がいないのであるから、人が移動するのもあまりにも遅かったはずで、
邪馬台国を伊都国から遠くに置くことは考えられないと話し、邪馬台国は九州であると結論づけている。
後漢書の倭国之極南界也光武賜以印綬
は「倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜う」と読む。
極南界なりでは意味を成さない。極南界って何それ?
「也」は「なり」ではなくこの場合は「や」で、文語の語気詞であり語気の停頓を表わす。
礼記
大道之行也,天下為公。
大道の行わるるや、天下を公と為す。
(大道が行われると、天下を公のものとし私物化しない。)
この「也」と同じ。
>>9
学者や公共団体を含めて本当の邪馬台国が見つかったら困る
今ならどこでも邪馬台国を売り物に商売可能で版権などの権利費用も無く使い放題
まったく関係ない地方も邪馬台国商売やり放題ですよ >>45
アホだから無視でオケ
魏志倭人伝は決着済み 中国魏晋南北朝歴史学会副会長・陳長崎(ちんちょうき)は、『魏志倭人伝』は、いくつかの時代の資料が混ざっていて、欠陥資料であると言う。
例えば、魏志倭人伝に「刺史」についての記述があるが、刺史を監察官と書いており、魏の時代は刺史は行政官だったのに、監察官として書いているので、この部分の竹簡が書かれたのは前漢代であると言う。
つまり、一つに20数文字しか書けない竹簡をバラバラに集めて、それをパクって一つの資料に作り上げてしまったので、色んな時代のことが書かれていると言うのである。
陳寿がとにかく倭国や邪馬台国について知っていることをなんでもかんでも盛り込んでしまった為に、本来なら『広志』や『魏略』になかった、
「南至投馬国」以降の部分は、ただの付け足しとし、邪馬台国は九州であると断言した。
※『魏志倭人伝』が、『広志』や『魏略』を丸パクリしているのは知識のある人にとっては当たり前の事実であるのだが、知らない人の為に書いておく。
>>46
しつこいなぁ
也の解釈間違いは前スレ>>941に書いたろ?
文末に登場し、也の前が極南界で体言なので「極南界なり」と読んで正しい
念の為ウィキソースで確認したけど
倭國之極南界也。光武賜以印綬。
文中の也ではなかったよ 畿内説の人は阿蘇山があるって記述をどう思ってんの?
ウガヤフキアエズの殿様が天下統一に乗り出して、名前も神武天皇に改名()して、九州から奈良県に引っ越しして大和朝廷を開いたんやろ?
>>6
>近畿地方まで行くのに九州に上陸して整備されてない道路を貢ぎ物も持って敵対するクニを歩いていくのはねーわ
神武東征はどうしたんだ? @阿波 >>39
御井ていうか、佐賀平野、筑後平野だな
邪馬台国は近畿だけどな。 前漢の首都・長安から、後漢に洛陽に遷都。その距離は337km。(唐皇宮跡から洛陽白馬寺まで)
長安と洛陽ですらこんなに距離が離れてる。
中国は卑弥呼がいた240年頃に倭国の首都を九州にあった邪馬台国と認識し張政を派遣。
608年には裴世清が倭国の本当の首都である畿内に行った。
だから、「何か、歴史書で見てきた倭国と違うじゃねーか!」と思って、『旧唐書』で倭国伝と日本国伝に分けた。
だから旧唐書で、日本は倭人の別種と書いた。
だから、1140年の『古今華夷区域総要図』で倭奴の島と日本の島を別々に書いた。
だから、1532年の『四海華夷総図』で、倭の島と日本国の島を別々に書いた。
そりゃあ、混乱するよ。卑弥呼は九州にいてそこが倭人の首都だと思っていたのに、裴世清は変なところ(奈良)に連れて行かれてさ。
>>57
お前が間違い。
也の後が。だと誰が決めたw
漢文には元々句読点なんかあるかww
それから也は極めるにかかるんだから何も問題ないよアホw
しれっとウソをつくなウソつき近畿パー
>>954
>当時の倭は朝鮮半島南部から北部九州地域に架けての地域。
朝鮮半島南部も、「倭人(阿波勢力)」の進出地。 @阿波 『魏略』→伊都國
『広志』→伊都國
『魏志倭人伝』→伊都國
『梁書倭伝』→伊都國
『北史倭国伝』→伊都國
邪馬壱(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬台(シェイマータイ)※台は臺の新字体
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。
↑
伊都國はどの資料でも伊都國である。
ところが、ヤマタイコクだけはみんなバラバラ。
ヤマタイコク、ヤマトコクもなかったのであり、とりあえず九州にあった邪馬台国から、後に首都が奈良県に移った為に混乱が起こったのだろう。
>>59
72代も先行王朝があったら、紀元前何年から成立してたことになるんだろうなぁ >>6
>近畿地方まで行くのに九州に上陸して整備されてない道路を貢ぎ物も持って敵対するクニを歩いていくのはねーわ
神武東征はどうしたんだ? @阿波 >>58
畿内説の信者は当時の倭人は火山のこと全般を阿蘇山と呼んだとか頭のおかしいこと言ってるよ >>62
卑弥呼の時は中心国でもない
開拓と宗教地だったんだから
そうなるな。 >>20
邪馬台国と別物のヤマト王権とは?
3世紀あたりの古墳時代に畿内に成立した王権がそのまま継続して大和朝廷になった事は
歴史書や考古学で明らか
途中で断絶のあった痕跡は文書からも考古遺物からも見つかってないね
自分でも実体のよくわからないヤマト王権なんてのを捏造するんじゃないよ 邪魔大王国もヒミカもビルドベースも九州にあるんだからそれで満足しろよ
強欲すぎるぞ
>>68
神武東征は船も使って畿内に向かった事が書いてるよ >>63
ウィキソース見てこいよ
ウィキソースの後漢書の底本は百衲本の影印
これにケチつけて、俺が正しいってならソース出せば? >>72
だからヤマト政権と邪馬台国は別なんじゃないの 日本書紀は中国に朝貢して金印受け取ったことに全く触れていない
東遷説も違うということだ
みんなさ、読み物にケチつけてどうする?
娯楽なんだから楽しく読めればいいじゃん。
でないと、小説家の仕事ってなんなん?ってなるぞ。
>>76
文献と考古学を突き合せれば同じ国になるよ >>59
そんなに「開音節」なの?
現代🇯🇵日本の周りに「開音節」な国は
どのくらいあるの? ウィキってシナチョンが好き放題に書き込むゴミソースの分際で
管理せずにお金だしてって広告が出てくるアレだろ
>>66
なるほだね。元々近畿にある。
卑弥呼は伊都国に居るてことだな。 中国漢字は、日本漢字と違い原則的に読み方は1つである。
さて、現代中国語を翻訳にかけてみよう。
・カッコ内が中国の史書に書かれている漢字。
・→の所は、現代中国語翻訳
・チンギスハーン(成吉思汗)→チョンギスハン
・テムジン(鉄木人)→テムジン
・イト(伊都)→イートー
・対馬(都斯麻)→トゥイスーマ
・阿蘇(阿蘇)→アースゥ
・日本国(日本国)→ジーベングゥオ※ジパングの語源
・博多(好古都)→ハクゥトゥ
・菊池彦(狗古智卑狗)→クゥクチピィーコ
・羽地(怕尼芝)→はねじ※琉球三山時代の山北王・はねじがそのまんま読みが一致
・サバチ(尚巴志)→シャンパージ※琉球三国を統一した中山の王
↑
以上のことから、昔の史書に書かれている中国語漢字を現代翻訳にかけても、さほど変わらないことが分かる。
「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」
瓦は同じ美馬市内にある坊僧窯跡群で焼かれたものと考えられている。
この坊僧窯跡群の存続は白鳳時代から平安時代にかけてである。 @阿波
>>76
そもそも邪馬台国と別に存在するヤマト王権とは何
どこにいつ成立して王は誰でどこにあったという事がどの歴史書に書いてあるの?考古学的な痕跡は?
まさかそういった根拠を何もなしにただ何となく畿内説にケチつけたくて
邪馬台国と別にあったヤマト王権と言ってるわけじゃないだろうな いくら議論しても平行線のままで埒あかないんだから、
もう九州ってことでいいだろ
何が不満なんだよ
縄文時代には、すでに北九州の人々は自分達のことを「ヤマ」と呼び、それを聞いた中国人が邪馬壹(ヤマイ)の漢字を当てたとする説を大阪教育大学準教授・張莉氏と、世界漢字学会会長ゲンコクワ教授が唱えている。
つまり、こうだろう。
中国人「ここは何という国ですか?」
倭人「ヤマったい」※九州弁の語尾◯◯たい
中国人「ああ、ヤマタイか!」
こういう例はたくさんある。
イギリス人「あれは何という名前ですか?」
豪州の先住民「カンガルー」
イギリス人「ああ、カンガルーか!」
※カンガルーは、豪州先住民の言葉で「分からない」という意味。
>>84
からくりは
「倭国語と日本語が別言語」
って事だろ >>66
ヤマの後が聞き取り難いんだろうな
中国の記紀の検証に絞った方が良いね
日本の記紀を混ぜると滅茶苦茶になる >>91
ヤマトはそうだとして、クダラ、シラーギは?
なんで、全部🇭🇺ハンガリー語なのw
一つぐらい違っても良さそうなのに。 >>90
平行線どころか考古学の発達で畿内説に有利な証拠がたくさん判明して
九州説はもう論じる学者も居ない状態
九州説は工作員がネットでよく知らない人を騙そうとしているのみなのが現状 >>91
だから何?権威て奴ほど邪魔だな。
天動説が当たり前の時代と変わらん。 >>98
なんか出てるか?
畿内だろうか九州だろうが、有利な物証なんて出てないと思うけど? >>95
それをこっちが聞いてるんだよ
そして阿波には何の痕跡もなし 考察するのはいいけど遺跡が出てから言えよ九州土人w
遺跡も何も出てこないのに九州すげえってバカしかいないのが九州土人の特徴だな
>>101
三角縁神獣鏡を始めとして畿内からは卑弥呼の時代の頃に
魏と国交を持っていた証拠がたくさん出てるんだよ
中国の方でも出てる >>84
ジパングってそういう事だったのか
初めて知ったよ >>88
出土した鉄器的には当時北九州と畿内に大きな国があったじゃん
そもそも当時畿内に大きな国があったからってそれが邪馬台国とは限らんくない
>>89
近くにあるって書いてあるじゃん >>104
三角縁神獣鏡なんてそれこそ畿内に限ったもんじゃないだろ >>102
>それをこっちが聞いてるんだよ
お前が有ったというヤマト王権の根拠は? @阿波 北九州説は学術的根拠は乏しいからな
妄想に近い
根底にあるのはただの反権力思想
>>103
吉野ヶ里遺跡
トンカラリン遺跡
蜘蛛塚
この辺とか 竹田恒泰や茂木誠といった超保守も邪馬台国は、九州と主張している。
>>111
>阿波があったと言う根拠は
阿波があったと言う根拠。
8世紀奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習書をしていた。
阿波国国府町の「観音寺・敷地遺跡」から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など
官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証なのである。
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>111
おまえも邪魔だわ
決め付けてるだけで根拠になってねえじゃん 魏志倭人伝より前に書かれた郭義恭の『広志』の記載
↓
【到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載】
意味→伊都国に至る。また南に行くと邪馬嘉国があり、これより北の国はその戸数や距離を記載することができる
これは魏志と違い連続で、伊都國又南至邪馬嘉國と書いてるから覆すことは極めて難しい。
はっきり言って、これだけでもう九州以外にあり得ない。
そして、この文から分かる通り、陳寿の魏志倭人伝は、郭義恭の『広志』(本当は旧字体の廣志)を丸パクリしているのは明らかである。
魏志倭人伝を素直に読めば
主舞台が筑紫平野なのは自明。
日本書紀には神武東遷とは異なる
大和の王権による統一物語が
含まれている。
それが崇神天皇の四道将軍派遣。
それより前には西日本全域を
支配する領域国家は存在しなかった。
>>75
アホ
だから百衲本に句読点なんかあるか
それは誰かが勝手につけたものだろがウソつき野郎
結局あれだろ、邪馬台国は九州にあった
それが侵攻して近畿から日本すべて征服した
それは北方の騎馬民族だから可能だった
つまり天皇家や貴族のルーツは朝鮮人、そういう話だろ
>>111
>阿波があったと言う根拠は
お前が有ったというヤマト王権の根拠は? @阿波 >>119
魏志倭人伝を素直に読めば支配などと書いてない 邪馬台国以前に、すでに倭人の存在は知れ渡っている。
紀元前に前漢に貢ぎ物を持って行ってるし、朝鮮半島にも集住していた。
その倭人はみんな九州弁だった。
ところが、7世紀に奈良に行った裴世清らの中国人は、関西弁を聞いて、倭人とちょっと違うと思って、旧唐書では倭国伝と日本伝に分けた。
したがって、邪馬台国は九州である。
>>109
もともと万世一系を肯定するために九州説が出てきたんだけどな
最近は違うらしい
俺は九州説なら記紀の記述通りの歴史(日向からのヤマト勢力の東征)がこの後起こると考えるのが妥当と思うのだが >>126
>日向からのヤマト勢力の東征
当時山越えて移動するにも一苦労する時代に一県跨いで戦闘するのがどれだけ大変か
それにも拘らず、九州から奈良に東征したというアホがいまだに居るという。 わははははは @阿波 近畿説
ヤマト王権の考古学的な痕跡でなく
祭祀での土器
近畿・瀬戸内・東海系が増える
福岡の那珂八幡古墳の二重口縁壺とかね
箸墓古墳を発掘調査すれば金印が出てこの話は終結する
『旧唐書』は、倭国伝と日本伝を分けて設けている。
それはずっと、前漢の時代から倭人とは九州弁を喋る人々であったが、
7世紀に裴世清が連れて行かれたところは奈良県。
関西弁を話す倭人を見て、日本伝の書き出しを「日本国は倭国の別種」と書いた。
この方言で別種とするのは、良くある。
例えば、19世紀に琉球国を訪れたペリーは、「琉球語は、日本語の亜種である」と書いている。
>>129
ヤマト王権の考古学的な痕跡はないんだな? @阿波 木の皮をなめしただけのを服にしていたような連中だから、なるべく温暖な地域を探したはずだ
ウラル語系とスンダランド系が混ざってるから、
上手く説明出来ないんだろう、と推測。
福岡県(佐賀東部を含む)エリアは躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国、
伊都国、投馬国だろうな。
邪馬台国は八幡平だよ
ヤマタイって読める
岩手は近年、開発が進んで遺跡が多数発掘
金印が見つかるのももうすぐ
ついでに卑弥呼失脚の原因とされる皆既日食もあった
九州、畿内では見えなかった
>>133
近畿説ではないな。
祭祀における共通項と推測
卑弥呼・壹與時代と重なるんだな。 ヤマトって山人=奈良の山奥の人という意味でしょ
ならヤマタイも山に関する意味だと思うし何なら発音の取り違えでヤマトもヤマタイも同義にならんのかな
福岡石塚山古墳から京都椿井大塚山古墳と同じ三角縁神獣鏡が出てるわけで
万が一にも九州に邪馬台国があったとしても畿内の勢力に滅ぼされてたと言う結論にしかならんだろ
佐賀じゃ太刀打ちできないから
福岡に有ったでいいよ。
>>139
>近畿説ではないな。
どこにあるんだ? @阿波 >>137
末廬国と不弥国が抜けていた。この2つも福岡県エリアだと推定する。 🇯🇵手を差し出すから→🇭🇺あなた[te]
に意味変わっちゃった?
比較言語学は、発音の方が重要だよ?意味は近ければいい。
>>143
邪馬台国は近畿一帯だな。
ないのはこれが
ヤマト政権という定義だな。 現代中国読みで
烏奴は「ウーノー」→大野
華奴蘇奴は「ファヌスヌ」→花園?(九州に3か所あり)
好古都は「ハゥクゥト」→博多
対蘇「トゥイスー」→鳥栖
狗古智卑狗「クゥクチピィーコ」→菊池彦
魏志倭人伝に出てくる国名が九州に集中しているのは明らかであり、したがって邪馬台国は九州である。
倭=九州のみ。本州、四国は含まない。
邪馬台国=九州の一部地域
もし、本州に大きな国があっても
魏志倭人伝には記述はない と。
まあ、魏志倭人伝の信憑性、正確性が低いからな。
>>148
女王国東渡海千余里復有国皆倭種って書かれてるのが本州だろな
絶遠で詳細がわからない国とも 反日樽悶をNGスレに入れよう!
□スレッドNG方法
【NGワード】
[樽悶★]
※キャップ名と★の間はスペースなし!
■iOS
・twinkle
[スレッド一覧画面]→[↑](メニューボタン)→[NGスレッド設定]→[NGスレッド](板内での設定)→入力
■Android
・chmate
[スレッド一覧画面]→[︙](メニューボタン)→[NG編集]→[thread]→[追加]→入力
■Windows
・V2C
[スレッド一覧画面]→[設定(P)]→[非表示・キーワード(X)]→[NGEx]→ラベルに「スレタイNG」入力→[追加]→[スレタイ]→入力→[OK]
・JaneStyle
[ツール(O)]→[設定(O)]→[機能]→[あぼーん]→[NGThread]→入力→[追加]
→[Option]→デフォルトのスレッドあぼ〜ん法を[透明]に変更→[OK]
※前スレ
http://2chb.net/r/newsplus/1587791747/ 九州であれ近畿であれどっちでもいいんだが
神武天皇の東征の時期を意図的に遅くして
邪馬台国が九州、近畿どっちにあったとしても
ヤマト王権が滅ぼしたみたいなのは違う
神武天皇の東征は紀元前100年〜70年頃が正しい
つまり邪馬台国はヤマト王権そのものだとする
説が正しいだろう
>>6
当時はおそらく日本海側ルートで行ったのかもね。で、丹後半島か福井の敦賀で上陸し、琵琶湖を南下して甲賀、伊賀の忍者の里を通り、長谷寺から巻向という。
途中で、外国人用の館に泊まったり検問みたいのあるから陸路は一ヶ月くらいかかる。 🇻🇳ベトナム語は元々は「開音節」だった?戦争で閉音節沢山な言語に?
>>104
神獣鏡は呉の鏡
魏の敵国
231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」 どの論者も結局は己の結論ありきだからそれに沿うものを我田引水的にくっ付けて捏ね回してるだけなんだよな。
台湾大学の周徳望教授は、古代中国の里数は中国内のものはある程度正確だが、
外国に関する里数は、現地の案内人に影響される為、全て疑うべきで、例えば梁書における中国→日本までの里数をそのまま当てはめてしまうと、メキシコまで行ってしまうので、魏志倭人伝の里数も無視して良いという。
その上で、「倭国に牛馬なし」との記述を見て、牛馬が無ければ外国との貿易品の運搬が相当に大変であったはずであり、
また馬がいないのであるから、人が移動するのもあまりにも遅かったはずで、
邪馬台国を伊都国から遠くに置くことは考えられないと話し、邪馬台国は九州であると結論づけている。
>>151
陳寿がそう思ったんだろう
陳寿は九州だと決め付けてるから本州の資料があってもわからない 畿内出土の銅鏡は国産品だと明らかになりました
畿内説というのはこういう都合の悪い事実に全てほっかむりしてるだけの虚構です
337 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/01(土) 13:31:50.48 ID:xWuatOBT0
>>236
ただの国産コピーですがw
型取りすることでいくらでもコピーが作れるんだよ
今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。 中国側の史料と発掘内容がずれすぎやねん
近畿説→金印の奴国と違う、中国側の記述と違う
九州説→発掘内容と違う
九州邪馬台の近畿東遷説→これでも発掘内容と時代が50-100年違う
一番矛盾がないのは近畿ヤマト王朝が九州邪馬台を滅ぼした時に略奪して
何もかも近畿に持っていった説やけどこれも裏付ける根拠がないから消去法っていうだけ
>>161
陳寿は、自分で考えて『魏志倭人伝』を書いたわけだはない。
陳寿は魏志倭人伝より前に書かれた『魏略』や『広志』と文章が全く同じ部分がたくさんあり、特に場所についてはほぼこの2史の丸パクリ。 100年にも満たない南京虐殺や強制連行で揉めているのに
>>146
つまり、なんも無いのがヤマト政権なんだな? わははははは @阿波 大和は滅ぼされた側だろう
畿内説の学者ですら躊躇なくキッパリと断言しとるね
弥生時代の邪馬台(ヤマト)国の王都は奈良盆地の弥生時代集落や共同体の重層構造と発展の動向から判断して、唐古・鍵遺跡を想定すべきであり、この邪馬台国の王都が纒向遺跡の出現とともに急速に衰退、消滅していく事実は、倭国大王都纒向の誕生によってある意味で吸収消長したことを示している。
このように考えると、ヤマト王権(卑弥呼政権)の権力母体を弥生時代以来の畿内あるいは奈良盆地の勢力(とりわけ“ヤマト”国)に直結させることは不可能である。従来ともすると、前方後円墳の出現時期の早さ、規模の大きさ、内容の充実度からして、暗黙のうちにヤマト王権の出自をヤマトないし畿内(大和 ・ 河内連合論など)の前段階社会に求めてきたが、実際のヤマト(あるいは畿内)弥生社会にそうした考古学的兆候が見られないことは明らかである。寺澤
>>164
陳寿は資料の選択をしてるでしょ
集めた資料を全て書いたわけじゃないだろうし >>167
で、寺澤はヤマト政権はどこにあったと言ってんだ? @阿波 >>167
つまりヤマトが邪馬台国なのは確定だね。 >>163
奴国の金印は57年頃。卑弥呼の金印は239年頃。200年近く時代が違う。 >>169
それはない
西新町遺跡など現代でも海沿いにあたる地域にも弥生遺跡がある 日本史板で昔から孝量厨が主張してたように、狗奴国が卑弥呼死後に
台与を擁立した説が正しかったんだろう。
>>166
無いというより
三種の神器も
あっちこっちから出土だな。
後からヤマト王権が採用したかもな。 反日樽悶をNGスレに入れよう!
□スレッドNG方法
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[ツール(O)]→[設定(O)]→[機能]→[あぼーん]→[NGThread]→入力→[追加]
→[Option]→デフォルトのスレッドあぼ〜ん法を[透明]に変更→[OK]
※前スレ
http://2chb.net/r/newsplus/1587791747/ 25 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:39.93 ID:68Ek905f0
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる 179ニューノーマルの名無しさん2022/02/06(日) 12:03:38.640
>>169
埋め立てしてるのは間違いないが、東京湾や大阪湾ほど大掛かりなものではない
26 :不要不急の名無しさん :2020/09/18(金) 07:06:45.99 ID:68Ek905f0
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる 邪馬台国の場所:日本史板での結論
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう 中国魏晋南北朝歴史学会副会長・陳長崎(ちんちょうき)は、『魏志倭人伝』は、いくつかの時代の資料が混ざっていて、欠陥資料であると言う。
例えば、魏志倭人伝に「刺史」についての記述があるが、刺史を監察官と書いており、魏の時代は刺史は行政官だったのに、監察官として書いているので、この部分の竹簡が書かれたのは前漢代であると言う。
つまり、一つに20数文字しか書けない竹簡をバラバラに集めて、それをパクって一つの資料に作り上げてしまったので、色んな時代のことが書かれていると言うのである。
陳寿がとにかく倭国や邪馬台国について知っていることをなんでもかんでも盛り込んでしまった為に、本来なら『広志』や『魏略』になかった、
「南至投馬国」以降の部分は、ただの付け足しとし、邪馬台国は九州であると断言した。
>>173
旧唐書
倭国
金印は57年
日本
別種地になる邪馬台国
女王国 親魏倭王 >>43
>>164
こういう事はもっと日本で周知されて欲しいなあ
邪馬台国が九州にある事を想定して記述した事が明白じゃないか
以前にBSの特番で中国人学者が全員一致で邪馬台国は九州と言った意味が分かったわ
中国の学者にとったらこんな事は常識の範囲なんだろうな
魏志倭人伝だけ見て距離が合わない、方角が合わないなんてやってる日本の学者のなんとアホらしいことよ スレが変わる度にコピペで埋め尽くされ陳腐化する定番の邪馬台国スレか
>>184
陳寿の考える倭があってそれに合致する資料だけ書いたんだよ
まとめサイトみたいなもんだ
俺の書き込みを全部排除しやがってバカヤロウ >>147
そんな地名なら畿内にも沢山あるぞ。
特に博多は元々奴の津で他地区の地名だ。
大野なら室生口大野、小野
花園は高野山麓と東大阪に。
好古都、伯方に博多は瀬戸内海に、畿内でも
河内や奈良の御所の博多山のが古い。
対蘇なら津?
狗古智卑狗は高知や河内の事でもある。 >>184
邪馬台国が九州にある事を想定して記述した事が明白でもないな。
陳寿が九州などわかるわけがない。
記禄や過去文献等を参照してを書いたまでだな。
小人の遺骨さえ出てこない。 卑弥呼の次の男王が誰かということが重要だよな
布留が何かということにも関係してそうだ
卑弥呼が亡くなった後3世紀後半、纏向遺跡から突然吉備の土器が消えるんだよ
卑弥呼亡き後の男王の時代の内乱が引き金かもね
吉備はいち早くヤマト政権から撤退したのかも
それがその後の吉備征伐に繋がるんじゃないか
卑弥呼がアマテラスのモデルなら、その孫世代だからニギハヤヒのモデルかもね
そしたら物部はなんぞや?という話になってくる
吉備征伐は温羅ウラ征伐だから、卑弥呼亡き後の男王は温羅の王統?みたいな不思議な仮定も生まれるな
琉球王国(奄美諸島含む)ら辺だと言うなら刺青もわかる。滅んだ・淘汰もわかる。当時の潮の流れはわからないけど目指すものがあるならば。いまだに独特な祈祷師もおられる。中国との貿易も盛んだったわけだし。2000年前小舟で簡単に行けるものなのか??
要は陳寿が同時代に入手できる史料をまとめたら九州にしかならんかっただけ
>>176
>後からヤマト王権が採用したかもな。
そのヤマト王権がどこだと聞いてんだよ! @阿波 今時畿内説を唱える学者?は考古学を学ぶ才能はゼロ、素質が無いので
歴史が判っている江戸時代の研究でもした方が正解
>>188
勿論九州の事なんて知らない
でも行程を見ればどう考えても想定してる場所があるでしょ 定まらないからいくらでも妄想できるというのが
邪馬台国のいいところ
>>167
で、寺澤はヤマト政権はどこにあったと言ってんだ? @阿波 >>193
近畿にどこかだろうな。
ヤマト王権自体には興味はない。
邪馬台国と関連はあるかもしれないがな。 >>191
琉球はその時代、発見すらされてない。
琉球が初めて登場するのは、『隋書流求国伝』であるが、どう考えても記述から台湾であると分かる。
確実に沖縄に来たと分かる最初の資料は、鑑真。
それから琉球の1429年に統一するまで、ずっと台湾と沖縄の区別がついていなかったが、琉球の統一により台湾とは別の島だと気づき、
それ以降、台湾を小琉球、沖縄を大琉球とした。
台湾の西側には、今も琉球島という島がある。
ちゃんと人のいる島。 >>197
ふんわりしてるw
阿波のあの字も出てこないが >>200
>近畿にどこかだろうな。
限界だな。 わははははは @阿波 >>189
そういや備後に甲奴(こうぬ)と言う地名があるな
後漢書にいわく女王国の東に拘奴国があって女王国に属さずと言うのがある
これが吉備のことだとしたら
九州邪馬台国に反旗を翻し、畿内ヤマトに参画したものの、今度は畿内ヤマトに反旗を翻して、畿内ヤマトに滅ぼされたとかか >>203
>ふんわりしてるw
寺澤の限界だな。 わははははは @阿波 陳寿が想定した場所が正しいと言ってるんじゃないよ
結論ありきで資料を集めただけだから
>>195
想定してる場所はない。
位置関係や範囲だな
九州がメインと思うが
九州限定ではないな。
会稽東治の東 >>209
>九州限定ではないな。
限界だな。 わははははは @阿波 212ニューノーマルの名無しさん2022/02/06(日) 12:28:06.300
>>209
当時世界地図なんてなかった
カイケイトウチの東なんてこんな感覚
中国から貰った銅鏡100枚は箸墓古墳に眠ってるんだろう
>>209
行程を見ればどう考えてもある
だからそれに合致しないものは切り捨ててるのよ
切り捨てた資料が正しいか間違ってるかは別にして >>194
歴史研究ってのは当時の真実に近づくのが目的だからそれができない考古学者ってのはマジで存在意義ないよな
無能の極み 計從帶方至倭國、循海水行、歴朝鮮國、乍南乍東、七千餘里、始度一海。又南千餘里、度一海、闊千餘里、名瀚海、至一支國。又度一海千餘里、名末盧國。又東南陸行五百里、至伊都國。又東南百里、至奴國。又東行百里、至不彌國。
【又】南水行二十日、至投馬國。【又】南水行十日、陸行一月、至邪馬臺國、即倭王所都
↑
魏志倭人伝では、投馬国と邪馬台国までの行程に「又(また)」の文字がなかったのに、北史倭国伝では、又の字を追加して、不弥国→投馬国→邪馬台国であるかのようにしている。
一方で、北史では別のルートを通っている。↓
翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、竹島に行き着き、南に羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。
疑わしいが解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
倭王は小コの阿輩臺を派遣し、従者数百人、儀仗を設け、鼓角を鳴らして来迎した。十日後にまた、大禮の哥多毗を遣わし、二百余騎を従えて郊外で慰労した。既に彼の都に至り、その王、裴世清と(相見える)。方物を貢献させに来た。この後、遂に途絶えた。
陳寿に切り捨てられた情報とやらにはどんなものがあるの?
218ニューノーマルの名無しさん2022/02/06(日) 12:31:11.010
>>141
いや、そうとしか考えられない
邪馬台国からヤマト政権になったのなら、親魏倭王印は残ってるはずだし、奴国王印も埋めて隠す必要はない
ヤマト政権は、現代に至るまで滅んでいないのだから >>181
その地図での行程では水行が入らない
おそらく邪馬台国と狗奴国の位置が逆
また伊都国等は邪馬台国と同じく隣国の狗奴国と敵対していて邪馬台国と同盟を結んでいた
邪馬台国からの大陸までのルートは確立されており、大陸からの使者は狗奴国を避けて有明海を水行して邪馬台国入りした
いずれにしても合理的に徒歩で行くなら通ったルートの先に邪馬台国がある >>217
そんなのわかるわけねえじゃん
ただ倭は東南の大海の中にあると言う記述と
ほぼ南に向かう行程は別の資料だと思ってる 想定している範囲は無いって言っている渡邊義浩って無能だなって思いました
223ニューノーマルの名無しさん2022/02/06(日) 12:37:11.260
>>220
その辺は、重い荷物があるかどうかで変わる
重い荷物があれば舟を使うだろう 伊勢内宮神前祝詞
天照大御神、又の名は
撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命とある
サカキをつき切り開いて天を通した向かいの津のひめという意味か?
伊勢の真向かいは渥美半島
アマテラスは三河のひめ?
纏向遺跡で一番多い外来系土器は東海の土器
関係あるのか?
>>218
まだ持っているのかな?
書いてはいないけど266年時に返却したかもな。 >>221
なんだ親魏大月氏王のことは何故かバッサリとカットされてるみたいな話じゃなくて
ただの妄想か 227ニューノーマルの名無しさん2022/02/06(日) 12:42:57.080
>>225
下賜されたものを返却する文化はないよ
余程の無礼を働けば没収するかもしれんが、それなら記録に残る >>187
対蘇は土佐だと思うよ。
蘇奴は讃岐、呼邑は阿波だろうね。
ただし、現在の四国エリアではないように思える。 竹簡にはだいたい20文字ほどしか書けないそうである。
陳寿はこの20文字しか書けない竹簡をかき集めて、また竹簡に写し取って『魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条』を作ったのであり、
したがって、魏略や広志になかった「不弥国→投馬国」の行程を作ってしまったのだろう。
ちなみに、広志は「伊都國→邪馬嘉國」で、魏略にも投馬國はおろか、不弥国すら出てこない。
魏略では、「伊都國に至る。その国はみな女王に属する」で、これ以降の行程は存在しない。
陳寿が勝手に、不弥国→投馬国→邪馬壹國を付け足した可能性が高い。
アツミ、アツタ、アタミ、ア(イ)チ
ATが共通している
鎮魂歌に出てくるアチメもAT女と考えられるかも?
>>229
元の資料はあったと思う
ただ国名の羅列は陳寿の文章を書く手法で何処からかき集めたかわからん資料 里数の史料と日数の史料は本来別々の史料の情報だったものを
陳寿がくっつけて水増ししてしまったんだろうな
>>35
学会じゃ邪馬台国って近畿でほぼ一致みたいだね。
九州説を言ってた東大系も全滅みたいだね。
文献と考古学の専門家の意見を覆す何かって無いよね。 >>223
舟で行けるところまで行くのが一番合理的 >>232
水増しとか勝手な書き換えはやってないと思う
ばらばらの資料をそのまま書き写した 博多には到着した外国人の要人を迎える超巨大鴻臚館(海から見える丘の上に建ってた)
その南20キロにも及ぶ一直線の道路を作り都府楼に大宰府政庁。
倭人伝のころは伊都国がその役割を担ってたようだから何かあったんだろう。
大昔の日本(倭国)の玄関は大宰府を擁するところの博多に間違いはない。
倭人伝の一大卒って大宰府のことなんじゃないの。
>>126
元々は新井白石が最初は大和説でその後に九州説を言っただけだね。 >>233
日本国民のアンケートでは、九州54%、畿内37%で圧倒。
学会も考古学者がポジショントークで畿内。
歴史学者は九州。
中国の学者も九州支持。
台湾の学者も九州。 戦前までの自由に言いにくいときは九州説の圧勝だった
>>233
それもくつがえって来たぞ最近
共立して女王連合なんだから
畿内みたいに一国が強いのは可笑しいって >>227
返却ってあるんじゃなかったっけ?
志賀島の金印も北方民族用の金印の作り直しって説があるし
ただし返却したら新しい金印貰えると思うけど中国に記述が残って無いなら無いかもね >>241
そういう数字やアンケート工作する時点で九州説の立場の悪さが証明されてるぞ。
しかもやり方が韓国的なのもどうかとw 畿内なら
なぜ記紀の大半が、九州と出雲の話なんだろうね
可笑しいねw
任那の語源については、『三国遺事』所収の『駕洛国記』に見える首露王の王妃がはじめて船で来着した場所である「主浦」村の朝鮮語の訓読み(nim-nae)を転写したものとする鮎貝房之進の説が日本の学界では主流を占める。
↑
こんな事言ってるけど
日本書紀 垂仁天皇
大加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等、またの名は[于斯岐]阿利叱智[干岐(カガン)]という。
「お前が道に迷わず速くやってきていたら、先皇にも会えたことだろう。そこでお前の本国の名を改めて、御間城天皇(みまきてんのう)の御名をとって、お前の国の名にせよ←
>>229
広志、魏略はいつ頃書かれたの?
その後に使者が行った場合もある。
或いは交易がある人に聞いたりとか。
後漢書の倭国之極南界也光武賜以印綬
は「倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜う」と読む。
極南界なりでは意味を成さない。極南界って何それ?
「也」は「なり」ではなくこの場合は「や」で、文語の語気詞であり語気の停頓を表わす。
礼記
大道之行也,天下為公。
大道の行わるるや、天下を公と為す。
(大道が行われると、天下を公のものとし私物化しない。)
この「也」と同じ。
>>238
根拠は無いがそんな気はする
博多近辺は全て伊都国の領土であって奴国なんて無かったんじゃないか >>246
でも出雲地方での神話は何故か畿内から来た孝霊天皇の話ばかりだけどな。
しかも高天原は記紀では葛城や高野山を念頭に描いているぞ? >>246
でも出雲地方での神話は何故か畿内から来た孝霊天皇の話ばかりだけどな。
しかも高天原は記紀では葛城や高野山を念頭に描いているぞ? >>241
考古学も歴史学も畿内説
考古学に畿内説が圧倒的に多いというだけ >>248
少なくとも、魏略が一番古く、その次に広志、広志のあとに魏志倭人伝ということが分かっている。
魏略を書いたのは魚カン。
広志は郭義恭。
魏志烏丸鮮卑東夷伝倭人条は陳寿。 >>255
別に畿内説でもいいんだけど
その考古学や歴史学と言うのはどこの誰が言ってるの?
そこを紹介しないと空想か妄想でしかないよね
九州説はこの本書いた人でいいとしても 広志や魏略なんて完全な文がないからな。
伊都の南側にヤマガ国なら、伊都は出雲かもしれないぞ?
それなら出雲の南側に畿内のヤマガともとれるからな。
後々参考にしてまとめた物が魏志倭人伝だろう。
女王国の情報自体は後に判明したという事だね。
>>255
そもそも考古学だけで学校の教科書が畿内説寄りにならんだろと思うものな 思い込みで伊都を北部九州にしているだけで、本来は出雲の事かもしれない。
マツラだって松江なのかもしれないしな。
>>252
>御間城から任那を命名?
御間城(美馬)から任那(みまな) @阿波 >>253
>しかも高天原は記紀では葛城や高野山を念頭に描いているぞ?
違う! 「阿波」の神山・木屋平周辺だ。 @阿波 >>255
>考古学に畿内説が圧倒的に多いというだけ
在るのはお墓だけ。 @阿波 祭祀の中心は知られてはならんから隠すのが普通
隠さずに表に出しているのは単なる出先(外交窓口)
だから複数箇所あるのだよ
それを本拠地と考えたら大間違い
>>260
さすがに末盧は対馬と壱岐は間違いないし記述内容から繋がってるんじゃないか よく言われる邪馬台国はヤマイチ、ヤマイ説だって畿内の二上山麓の地名がフルイチにイマイチの地名があり、箸墓は大市墓ともいう。
モモソヒメの別名が日女命であり神大市姫という。
畿内説はヤマイチ説でも何も困らないんだからな。
>>260
>マツラだって松江なのかもしれないしな。
「末盧国」は、福津市(万津浦)辺り。 @阿波 >>1の書籍はほぼ俺の主張と同じだなw
つまり、3世紀後半までは九州北部は畿内勢力の影響下にはなく、影響が強くなるのはそれ以後
つまり邪馬台国は九州 卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳からは馬具のあぶみが発見された。
卑弥呼の時代、日本には馬はいなかった。
倭・高句麗戦争(391年)においても、倭軍は馬がいなかったことが歴史に記載されている。
したがって、箸墓古墳は391年以後の墓であり、卑弥呼の墓ではない。
>>243
覆るどころか畿内説の中で考古学vs歴史学の議論が活発になってる >>180-181
こういうちゃんとした出土品からの考証だと圧倒的に九州説なんだよね
畿内説は桃の種がでたからとかカエルの骨があるからとか無理矢理なこじつけばかり >>262
葛城地方の高野、天野で高天原だよ。
高天神社が金剛山(旧葛城山)麓にある時点で、ここを念頭にしたのは明白だから。 >>228
中国史書は非常に日本の地理をよく記録してくれて在るね
勝手な解釈が入る余地は無い
考古学上の実情に合うよう「この南というのは実は東でー」とか勝手な解釈は論外だわ c14年代測定でintcal20が採用されたとかいうニュースで
その後の学会の見解はどうなったの?
全く影響なし?
>>275
畿内派はショックで寝込んでるんだろうな >>265
だが出雲地方が倭の都という考察は充分有りだろう。
半島からだと流れに乗れば本州にたどり着くのは自然でもある。
逆は北部九州からじゃないと無理だけどね。
このあたりで魏に情報の混乱があった可能性は否定できない。 奴国までの国が市町村レベルの大きさなのに
畿内なら西日本全域で30国?w
市町村レベルで30国? 可笑しいねw
>>260
船だよ壱岐国から出雲には行かないっしょ。
その後の蒙古も壱岐から博多に上陸よ。
波風を考えたら昔も今も同じ航路でしょうに。 ヤマト、に蔑み語の邪とかあてて、邪馬台としただけなんじゃない?普通、自分の国に邪とか当てないよ。
邪馬台でヤマト。つまり大和で場所は奈良
>>116
全部誰にでも確かめられる出土品や史書に書いてるものが根拠だよ >>260
勢いよく連レスしだしたのはいいけど苦しそうでワロタ >>122
ヤマト王権があったなんて言ってないよ
阿波のあった根拠は >>280
イザナギの「ザ」は、どう説明すんの?
邪だよねw 干岐←かがんの「ん」が発音出来なかった?
🌾🇯🇵上代日本語時代は
>>275
> 163 :ニューノーマルの名無しさん :2022/02/05(土) 06:52:41.01 ID:duTbO3iO0
> 畿内説の希望だった箸墓古墳も卑弥呼より後の時代だと分かってしまったし畿内説には絶望しかない
>
>
> nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
> > INTCAL20 によって、箸墓築造が
> > 従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する。 >>238
平清盛が太宰府を通さずに、直接神戸に港を作り日宋貿易始めたんだよね。
それで大儲けした。 >>275
箸墓古墳は4世紀の遺跡だという以前の見解に戻るだろうね 邪馬台国(大和)の勢力がもともとは九州から移ってきたって説は神話からも信じるけど
魏書の時点の邪馬台国はすでに畿内に根を下ろして100年以上経っていて、後の大和と同じ国だろう
年代から考えて箸墓のモモソ姫が卑弥呼の正体
>>271
無理に出土品の解釈をこじつけしてるのは九州説だろう。
鬼道使いなら鉄器より桃の種の方が遥かに重要だからな。
何より畿内には丹である水銀朱の痕跡も豊富なのが最大の根拠だから。 学者らの間で畿内説vs九州説が下火になって畿内説の中でその先の議論がされているから
もしはっきり邪馬台国の位置がわかったとしても学者らは困らない
邪馬台国がない方の自治体は困るけどね
>>273
方角は本当に適当だよ。
例えば、1532年に書かれた『四海華夷総図』では、朝鮮の東に倭と書かれた島があり、その真南に日本という島があり、その真南に大琉球がある。
1140年の『古今華夷総図』では朝鮮半島の真南に、倭奴と書かれた島があり、その西東に日本と書かれた島があり、その南島に流求と書かれた島がある。
超絶テキトー >>278
後漢の時代には百余国
卑弥呼の時代には30国
倭王武の時代には西に66国、東に55国
↓
九州説 九州北部で30国
畿内説 九州から東海までで30国
こんなだもんな >>32
最低でも日向といってくれないかな
宮崎は関係ないよ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) たぶん畿内説は昔の考古学者が天皇家に忖度したんだろうね
畿内に天皇家の墓が多いのに日本の初代の王は天皇家では無く卑弥呼と言う別人だった
天皇家が初代征服者じゃ無いと都合が悪い人が多かった
そこで畿内に邪馬台国があって大和王権は続きのような感じにしたかった
けして簒奪者が天皇家ではあってはならないのかもね
しかし近年の調査で段々畿内説は苦しくなってきた?・・・こんな感じかな?
>>284
>ヤマト王権があったなんて言ってないよ
どこにも無かったんだな? @阿波 >>247
あと、国は邦で書かれてないとおかしいかもね?改竄か渡来日本人が書いたか。
任那邦 イザナギ、イザナミのイザは、イ座
イの国に根を下ろしているナギ、ナミの二神
邪ではありません
訂正
方角は本当に適当だよ。
例えば、1532年に書かれた『四海華夷総図』では、朝鮮の東に倭と書かれた島があり、その真南に日本という島があり、その真南に大琉球がある。
1140年の『古今華夷総図』では朝鮮半島の真南に、倭奴と書かれた島があり、その南西に日本と書かれた島があり、その南東に流求と書かれた島がある。
超絶テキトー
>>299
他人の批判ばかりしてないで自分の考えを述べるべき。 >>280
日本の言葉に文字をあてただけだからどうでも良いよ >>292
邪馬台国が桃の種を重要なアイテムとして用いていたなら何故魏志倭人伝には倭が桃を産するという記述がないのか疑問は残るぞ >>224
大和国の最初の王である大物主(事代主?ニギハヤヒ?)は三河県豊橋市出身の可能性が高い
三河県豊橋市の石巻山は三輪山の奥の院であり、三輪山は石巻山(神山(ミワヤマ))から名付けられたと大神神社の社伝に書いてある
大神神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋市の石巻山(神山(ミワヤマ))に向いているわけだな >>289
全くならないよ。
古墳の石室内を見ない限りは変更しようがない。 九州にあった邪馬臺が白村江で滅んで
近畿に天智が大和王権を作ったであってるよ
プークスクスw
🇯🇵半島日本人が書いた?
↓
大師諱審希俗姓新金氏其先任那王族草拔聖枝每苦隣兵投於我國遠祖興武大王鼇山稟氣鰈水騰精握文符而出自相庭携武略而高扶王室▨▨終平二敵永安兎郡之人克奉三朝遐撫辰韓之俗
— 金泰植 ; 李益柱 共編、(譯註)韓國古代 金石文
卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳からは馬具のあぶみが発見された。
卑弥呼の時代、日本には馬はいなかった。
倭・高句麗戦争(391年)においても、倭軍は馬がいなかったことが歴史に記載されている。
したがって、箸墓古墳は391年以後の墓であり、卑弥呼の墓ではないことが明らか。
>>297
いや、調査が進んで九州説が衰退、九州の自治体や素人研究者が必死なのが今の状態だよ。 日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国だ。日本の聖徳太子は隋に手紙を送った。百済、新羅、高句麗は倭国で日本の属国」
>>287
個人の見解じゃなくて学会の見解が知りたい >>297
天皇関係ないって。卑弥呼はアマテラスだから。
記紀で天皇家が卑弥呼と繋がってるように見せるためにアマテラスの子孫ということにしたわけで。
実際は卑弥呼、トヨ、男王と続いた邪馬台国の王の座を、宮崎から来た天皇家が
どういうやり方かわからないが受け継いだ。
連合国家だから王になるには、何らかの条件や認証はあったはず。
しかし、神武東征では無理矢理征服した記述がある。 >>292
それこそこじつけの極みだが
鉄は魏志倭人伝に倭人が鉄の矢じりを用いていることが明記されているから重要
水銀朱が魏から倭へ下賜されていることを考えれば倭にある丹はベンガラの意味と考えるしかない >>280
伊邪那岐
とか
伊邪那美
とか?
wwwwwwww >>306
訳の分らん「ヤマト王権」なるものは無いが、
倭国(阿波)王権の都は、鮎喰川下流域にあった。 @阿波 >>315
それより涙拭けよウソつき近畿パーwww 反日樽悶をNGスレに入れろ!
□スレッドNG方法
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[樽悶★]
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→[Option]→デフォルトのスレッドあぼ〜ん法を[透明]に変更→[OK]
※前スレ
http://2chb.net/r/newsplus/1587791747/ >>321
ヤマト王権があると言ってたのは阿波だろ
嘘をつくの 漢委奴国王の金印なんだけど、昔からの不思議に思ってたのが、倭の奴の国王って二重に言うものかなと。イト国王って読んだ方が自然な気がするんだが。。
ちなみに大和王朝では、天皇の血筋と三種の神器が天皇の条件となった。
箸墓がァアアアアア5世紀の産物なら
近畿に前方後円墳起源説が成り立たないじゃないか
近畿ガァー関東同列の移民による前銅鐸文明瀬乗り捏造国としてバレてしまうではないか
>>324
>ヤマト王権があると言ってたのは阿波だろ
話の流れだ。訳の分らん「ヤマト王権」なるものは無いが、
倭国(阿波)王権の都は、鮎喰川下流域にあった。 @阿波
九州説は畿内説および日本の歴史への
異常な憎しみによって存在している
またまた訂正
方角は本当に適当だよ。
例えば、1532年に書かれた『四海華夷総図』では、朝鮮の東に日本国と書かれた島があり、その真南に倭という島があり、その真南に大琉球がある。
1140年の『古今華夷総図』では朝鮮半島の真南に、倭奴と書かれた島があり、その南西に日本と書かれた島があり、その南東に流求と書かれた島がある。
超絶テキトー。
だが、大事な点がある。
1140年に至っても、1532年に至っても、「倭」と「日本」は別の島に分けられていることである。
したがって、紀元前に楽浪郡に貢物を持っていった時から卑弥呼までの「倭」は九州弁の人。
「日本」は7世紀に裴世清が奈良県に行って、「あ、こいつらちょっと倭人と言葉違うわ。」←つまり関西弁が日本人と中国人は思っている。
それ以降の日本人は関西弁の人。
>>307
大物主は海を渡って国造りを手伝う目的でやって来た王なんだが?
瀬戸内海では金比羅さんでもあり、南方方面からだとされているが。 >>69
それって本家阿蘇山のある九州が倭の宗主国だったって言ってるようなもんだよね 日本の歴史への異常な憎しみによって存在する狂気の集団
それが九州説
>>338
東遷する4世紀以前は畿内より発展してたよ >>56
要は後から丸パクリして自分の功績を大きく見せようと邪馬台国の位置など誇張して遠くにあるように見せたわけで
前の人より遠くにあるように書き写したがために位置がおかしくなってるんだね >>327
私は九州説支持者だが、委奴国を「イトコク」と読むのは完全にダメ。
中国翻訳にかけると「ウェイヌー」と発音される。
日本人は、委員会のように委を「イ」と読むからと言って、イトコクと読むのは詐欺に近い。 >>334
方角は適当だろうけど、九州論者はそれを認めると成り立たないから猛烈に反論するしかないんだよね。
歴史的事実は無視して。ただのプライドだけで主張してるから。 >>322
お前は何年同じ書き込みをしてるんだ?
九州説が狂人しかいないのを証明してるな。 そもそも九州に大和朝廷と敵対する国があって
中国に近いし鉄も豊富だし
一気に攻め滅ぼされてた可能性がある
つまり前提が間違ってる
現状、畿内説以外を唱える人は頭のおかしい人扱いなんだよな
>>349
あくまで説なんだから良いじゃん
絶対だと言うなら卑弥呼の遺骨掘り起こして来い >>349
いや畿内説が狂人扱いなのが現在
日本史板に行ってみ 10国名、出てこない事が最大の証拠なんだと思うが。
別の場所
>>337
ちなみに阿蘇神社には何故か孝霊天皇の世に創建された事になってるぞw
つまり奈良盆地に宮を持つ孝霊天皇の伝承場所は阿蘇、出雲、瀬戸内海、東海地方に及んでいる。
それが記紀では記述が無い時点で隠匿の意思は完全にある。
その皇女が百襲姫だからな、しかも日女命、ヒミコと呼ばれていたんだし。 >>338
・卑弥呼が死んだ途端に仲間割れ
・男王がたっても誰も従わない
・トヨ?が晋に朝貢してもすぐに消息不明になって東夷30国が朝貢し始める
女王国ってこんな国だよ
こんな仲間割れをしている間に
崇神のもと力をつけた畿内ヤマトの西征で土蜘蛛として滅ぼされる程度の国だろうな 畿内説最大の弱点は、魏志倭人伝をベースに邪馬台国が何処にあったか推察してるのに
そもそも魏志倭人伝の記述が間違っていて、東南に進んだと書いてあるが、東の間違いとか
南と書いてあるが北の間違いとか
魏志倭人伝の記述をいちいち否定しないと成立しない。根本的に欠点抱えすぎ
>>352
今の日本史板自体狂人しかいないからだぞw >>354
奈良盆地に宮を持つという記述が嘘なんだろ
もっと後の仁徳天皇でさえ御製に檳榔(あじまさ)が出てくることから九州にいたの確定だし
檳榔=ビロウは南方の木で北限は福岡県、瀬戸内海には生えていない 自分でも魏志倭人伝を見てみたが、
距離や方位を真に受けると畿内説でもしっくりいかない
むしろ沖縄周辺じゃないかとすら思う
だが、地名に注目すれば筑紫平野が最も有力
>>1の説は支持できる >>243
共立国だから絶対的な王として天皇が存在する記紀とも合わないよね >>357
惨敗して総崩れで逃亡した畿内説の人はそうやって酸っぱい葡萄するしかないよね >>241
日本語が分からない人?
一般庶民の人気アンケートが歴史になるんだw
半島の血かな? 邪馬台国は沼津という事でもう結論は出ている。子孫はみんなぬまっきに入る。
人は記憶型と思考型に大別できる
倭人とは?
東夷と縄文人のハーフだな
┌──┐┌──┐┌───┐
│東夷││倭人││縄文人│
└──┘└──┘└───┘
大陸の東夷が駆逐され倭人が東夷と認識される
┌─────┐┌───┐
│東夷+倭人 ││縄文人│
└─────┘└───┘
大陸の大国が仮想敵国だと想定すると九州が首都っていうのは地政学的に論外。
近畿か四国に首都があればどんなに大軍であろうと関門海峡で撃破できるし
瀬戸内海はお城でいうところのお濠で四国か近畿が首都というのは合理的。
九州の強国が東に移動しながら立地的に優れた首都を作ったというのが自然じゃないかな
大陸の要人が最初にやってくるのが九州で大陸の情勢も一番知ってたはずだから。
>>356
いやだって距離か方角かどっちか間違ってるんだから
方角じゃないのっていうだけだろ
もはや文献でも畿内説が圧倒的なんだぞ >>269
まあその馬具に関しては古墳の外、堀の浅い層にあったらしいから後年置かれた物である可能性はあるけどね
ただ箸墓古墳自体年代測定で四世紀に入ってからのものだと判明してるからどっちにしろ卑弥呼の墓ではないね >>356
糸島半島から博多に行く
方向は北東であって東南でないんだし
方角云々はどちらの説も間違ってるよ >>356
認識が間違っている。
畿内説は方角のみ訂正すれば証明完了。
対して九州説なんて距離、戸数、丹山の存在に
主要な遺跡の欠如と、欠点だらけだぞ。
そもそも魏志倭人伝なんだから、畿内説の場合は西日本全体で見れるが九州説の場合は基本的に九州完結論。
だから考古学的な常識からみると、鏡や水銀朱が北九州から畿内へ向く流れからは矛盾でしかないんだよ。 九州人だけど、九州で邪馬台国が存立出来てたなら相当な武力で九州の各国家の盟主として君臨してたってことになりそうで、影も形も判然としないのはおかしいから、邪馬台国九州説は無いと思う
>>366
それは日本が統一国家であるという前提に立たないと成り立たないので論外
魏志倭人伝でも倭はかつて100余国に分かれ現在連絡がつくのは30国とあり当時はまだバラバラ >>367
畿内説は距離も方角もどちらも合っていないし
文献では北部九州が圧倒的 >>364
遺伝子でいうと倭人(弥生人)は縄文人と北部中華(北京)の混血
半島南部に縄文人(倭人)がいて北部中華と混血したのが弥生人(倭人)
この倭人たちは日琉祖語をしゃべっていたが
北からところてんみたいに押し出されて次第に列島に押し込められた >>370
畿内説は距離方角戸数文化全て一致しない
欠点しかない >>292
丹って要するに朱色の染料だろ?
朱色の染料自体は阿蘇近辺で採れてたから正直そのことはアドバンテージにならんと思うぞ 九州説がアンケート目的で工作活動してるのはマジらしいからな。
これは根本的に研究者としての態度がおかしい。
正直日本人的ではなく、ほんとに韓国人的だぞ。
歴史を、兵力の移動と兵糧の輸送で組立てよう
ヤマトの背後にあったのは、尾張の穀倉地帯と、伊勢の余剰人口(兵員)だった
『旧唐書』は、7世紀に裴世清が奈良県に来たあとに書かれたものである。
ここから、なぜか「倭人」と「日本人」の区別が生まれる。
それはなぜか?
紀元前に楽浪郡に貢物を持っていった倭人、卑弥呼の時の倭人、倭・高句麗戦争391年の時の倭人は九州弁だった。
ところが、裴世清は奈良県まで行っているので関西弁の日本人を見て、「日本人は倭人の別種」と書いた。
そのあとも、1140年の『古今華夷総図』や1532年の『四海華夷総図』でも、倭人の島と日本人の島を分けている。
中国人にとっては、倭人=九州弁、日本人=関西弁。
ちなみにですが、私は九州でも関西でもなく、一族も全くどちらでもないので、私の九州説は少し九州人には耐えられないかもしれないが、こうです。畿内説は100%あり得ない。
>>305
魏志倭人伝には骨占いとか結構具体的なこと書いてあるからね
桃の種を用いた占いの類があったのならば魏志倭人伝にも記述が残るわな ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。
更に追記すると、倭国がもし真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として
相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい
中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
真朱や鉛丹を倭国への下賜品としたわけだよ >>376 より具体的に言えば、水銀鉱ね 伊勢の特産
抗生物質が無かった時代に、これは激レアな戦略物資だった 文章表現からも倭の丹はベンガラ
793 :名無しさん@1周年 :2018/11/20(火) 01:02:43.71 ID:iWOIC1AW0
>>784
で、該当の部分について、魏志倭人伝の原文はこうなっている
「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
お前はこの文章を倭国の貴重品についての文だと捏造するが、其山有丹の後に続くのは倭国に生えている木の種類や竹の種類、
食用植物に動物の記録だ
単に倭国に存在するものを事務的に並べただけで、別に宝物についての記録ではない
文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「こんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない
この一文の中で特別扱いを受けているのは真珠青玉のみである
木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ またヒミコが鬼道使いの宮を持ち、七万戸の邪馬台国を都とする一文からは該当出来るのは
畿内の旧磯城県エリア、つまり二上山、信貴山を中心とした国が唯一の候補として残る。
百襲姫なら別名が日女命だし箸墓なら三世紀中期から末にかけての最大級の古墳だろう。
しかも孝霊天皇の皇女として、瀬戸内海では神としての扱いを受けている。
>>379
何かで読んだ気がする大陸の書物で
「私がヤマトの代表です」
「いやいや私がヤマトの本当の代表です」
ってあったらしいから。 >>58
それ魏志じゃなく隋書でしょ
しかも邪馬臺国に阿蘇山があるじゃなく倭国に阿蘇があるだから
隋書の時代には九州から畿内まですべて倭国だからそう書いただけ >>384の引用部の投稿日時を見れば分かるが、こうした各種の議論はとっくの昔に終わっていて
完全論破された畿内説は日本史板から逃亡した
今いる畿内説論者はこうした経緯を知らないニワカと、知ってて知らないふりをしながら
素人を騙すために論破済みのネタを毎回主張している詐欺師だけ >>384
勝手な稚拙な推測されてもね。
四世紀初頭の最古の鉱物資料、抱朴子では丹は水銀朱、仙薬であり辰砂からの物が明記してある。
対して酸化鉄は代赭であり丹扱いはされていない、単なる赤い塗料だからな。
つまりベンガラは塗料で、古墳での使用も水銀朱の代用品扱い。
また倭の海人は朱丹を白粉のように使う!とある事からも、日常的に使用痕跡があるのでこれは紀伊半島辺りの様子だと判る。 >>389
>>382を見ろカス
>また倭の海人は朱丹を白粉のように使う!とある事からも、日常的に使用痕跡があるのでこれは紀伊半島辺りの様子だと判る。
水銀朱は希少品で王墓や祭器などにしか使われていない
ここからも倭人が使った朱丹がありふれたベンガラであることが分かる >>388
とっくの昔に否定されてるだろ、当時の中国側の資料ではベンガラは赤土で代赭だとw >>389
>日常的に使用痕跡があるのでこれは紀伊半島辺りの様子だと判る。
あえて「阿波」を避けたのか?孝霊厨。 わははははは @阿波 >>356
そもそも邪馬台国や卑弥呼の存在自体が魏志倭人伝を拠り所にしてるのに
それを比定するにあたっては魏志倭人伝の記述は誤りだとするダブルスタンダードなんよね
邪馬台国なんぞ無かった、卑弥呼など居なかった、
もしくは当時の日本の最大勢力は畿内であって北九州など弱小勢力に過ぎない、邪馬台国など取るに足りない、という主張なら首尾一貫していると思うんだがねえ
なぜか畿内を邪馬台国と結びつけたがる
これがどうしても分からない 阿蘇山は見間違いないけど丹は議論が別れるし
それこそ丹は紀伊からも四国からも九州に持ち込めるんじゃないの?
何せ海人なんだしさ
白粉みたいに日常的に水銀朱塗ると金額的にも健康的にもヤバそう
海に潜って上がる度に身体中に塗りたくるのかな
赤土なら日焼け止めとか?
ちなみに磯城県、二上山辺りは青玉、サファイアも採取出来るからな。
つまり奈良盆地からは丹の辰砂も青玉も採取出来た訳だ。
また百襲姫と同年代の河内の豪族の名前が河内青玉という名前だから。
その二上山、大坂山辺りの奈良時代まで旧地名がヤマダイ郷という名前なんだぞ。
邪馬台国は畿内で既に確定している。
>>397
倭人は長寿だとも書いてあるから有毒な水銀朱を塗っていたなんてありえないんだよね >>383
いやそれが具体的に水銀鉱を指す証拠はあんの? >>392
魏志倭人伝は三世紀末の資料だからw
現時点の認識なんてむしろ有害資料で論外なんだよ。
当然だが認識は四世紀初頭の抱朴子が正しい。 >>28
古代人の航海で、島を目印にしたり休憩地にするのは当然なんだ。
地図も無いし、山や大木や岬など目印が無いと何もわからない。
更に海流に逆らって手こぎで航海していたので
疲れを癒やせるなら必ず立ち寄らないと先で遭難する。
だからわざわざ、対馬島、壱岐島、佐賀県、五島列島、長崎県と
島を中継するルートになるわけ。
島を中継しないルートは妄想だけの嘘だよ。 >>387
裴世清一行は、驚いただろうな。
九州で邪馬台国に着いたつもりが、近畿まで連れて行かれ、そこから日本人が大歓迎のお迎えに来て、奈良県まで連れて行かれる。
そこで、邪靡堆(シェイミードゥイ)は、魏志倭人伝で言うところの邪馬台(シェイマータイ)であると記す。
日本には「邪馬台」と呼ばれる国があると思って行ったら、関西人に「邪靡堆(シェイミードゥイ)ですよ!」と言われる。
「あれ、ちょっと名前違くね?邪馬台じゃなくて邪靡堆(シェイミードゥイ)だろー」と。 丹は当時の産業に欠かせない物質だろね
顔料や化粧品はもとより水銀は薬や金の製錬に鏡のメッキに エトセトラ
いまでいえば石油やレアメタルみたいなもの?
この産地をおさえるのは権力者の必須事項ではないでしょうか
奈良大和の二上葛城あたりも確か丹の産地があったはず
>>399
明朝の皇帝、第10代・弘治帝(35歳で死亡)、11代・正徳帝(30歳で死亡)、12代・嘉靖帝(60歳で死亡)、
13代・隆慶帝(35歳で死亡)、14代・万暦帝(57歳でリンチ死)、15・泰昌帝(38歳で死亡)のうち、
この中で万暦帝だけは、ニートで女と遊んでばかりで李自成の反乱軍にリンチされて死んだ。
それ以外の皇帝は、みんな医者が与えた水銀入りのクスリ(丹薬)を長年服用したことによる中毒死で死んだ。
中国人は明代に入ってもなお水銀は長寿の薬と思っていた。 孝霊は鳥取に石で牛鬼や牛蟹を退治する伝承が残っている
牛鬼は古い椿の根、古い海神と言われているね
東大寺二月堂の修二会では椿の造花がお供えされる
石に倒された後の牛鬼伝説が瀬戸内海など各地に残っている
共通しているのは、
牛鬼は海や水辺に現れる
牛鬼は磯女と一緒に現れる
牛鬼の子供は石である
倭人伝をベースに考えてるから箸墓が卑弥呼の墓なんだよ。鬼道。伊都国は、必ず立ち寄る所、伊万里(一万里)そっから2000里×400m=800キロ、ちょうどいいでしょ、合ってる。阿波は鬼道がない。祈祷師じゃぁ、鬼神扱いで韓伝のように中国人に解るように説明書きがあるの。無駄なあがき、上善若水水のように生きた巫女は、天地水の箸墓に眠り、神になったんだよ。曹魏と縁のある女性であったから親魏を与えられ、陳寿は書き残したのだよ。卑弥呼は張魯の娘、張h瑛しか考えられない。場所も前方後円墳も卑弥呼も説明してんだぞ。覆すならこれ以上の真実味ある話を聴かせてくれ、俺は柔軟だから
文言の分析なんて極力当時の常識から考察するのは当たり前なのだが、九州説の連中はそれすら理解出来ないようだなw
30年前ですら日本で「携帯わすれた!」なんて言っても
今とは全然違う意味なんだぞw
まあだから矛盾だらけの九州説なんだろうが。
>>28
数百万年単位の地理変動とせいぜい数万年単位の人類の歴史を一緒くたに語るのは流石に無理があるだろw
それに日本列島の成り立ちを言うならどっちが先もクソもない
大きな塊として大陸から分離してさらに海によって隔てられて4島に分かれただけだ >>367
そうやって権威を持ち出すのやめろ
ちゃんと説明しろ >>333
お前そんなに九州説を憎むなよはい論破w >>400
水銀朱は辰砂をすりつぶして赤い粉末状にするのだが、それを精製した土器辺が紀伊半島吉野からは縄文中期からの出土品がある。
また紀伊半島沿岸部各地からは弥生時代中期以降各地で散見されるんだよ。
河内の八尾からはそれを中国様式の分銅で計測までしている。 >>367
そんな議論にはなってない
はい、論破w >>410
当時の常識からいえば一般人が水銀朱を全身に塗りたくるなんてあり得ないんだが
結局君は>>388が完全に事実であることを身を以て証明しただけだったね >>410
お前矛盾だらけだよな近畿パー
はい、論破w いい加減に九州説は邪馬台国はどこかはっきりしろよ
邪馬台国はどこかわからないけど九州にありましたと言っているようなものだろ
自分達の説に都合がいいように文を解釈してあちらこちらに候補地を作るな
はっきり分かってるなら卑弥呼の遺骨を掘り起こして来い
いいか?
裴世清は「邪馬台国」という呼び名の国があると思って日本に来たら、首都は「邪靡堆(ヤミードゥイ)だ」と倭人に言われる。
おい、「邪馬台(ヤマタイ)じゃないのかよ!」と思って、漢字を邪靡堆にした。
すなわち、卑弥呼の時の邪馬台国と、裴世清が奈良県に行った時の邪馬台国は全く別の名前・呼び方だったんだよ。
※特別に「邪」を「ヤ」と読むことにする。
我こそがヤマトたい!
ヤマト政権に擬態してたんだよ
>>425
糞食って死ねば治るよ
はい、また論破w >>415
それを中国側が記録したという根拠はない
倭人が風習として体に塗りまくれるほどありふれていたのなら王墓や祭器にのみ使用痕があるのと矛盾する
ハイ論破
そもそも水銀朱でいうと、成分分析で産地が分かるのだが中国産の水銀朱は北部九州の王墓での出土が主で
畿内の墓からは日本産水銀朱しか出ない
魏から水銀朱をもらった邪馬台国が九州なのは明らか >>426
縄文時代には、すでに北九州の人々は自分達のことを「ヤマ」と呼び、それを聞いた中国人が邪馬壹(ヤマイ)の漢字を当てたとする説を大阪教育大学準教授・張莉氏と、世界漢字学会会長ゲンコクワ教授が唱えている。
つまり、
中国人「あなたの国の名前は何ですか?」
倭人「ヤマったい」←九州弁の語尾◯◯たい
中国人「ああ、ヤマタイか!」
これはよくあることで、例えば
イギリス人「この動物の名前は何ですか?」
豪州先住民「カンガルー」
イギリス人「ああ、カンガルーって言うのか!」
※カンガルーは豪州先住民の言葉で「分からない」という意味だが、そのまま今でもカンガルーと呼ばれている。 >>415
お前って頭悪いのん?
俺が聞いてることに全然答えてないんだけど 卑弥呼亡き後男王の内乱を契機にヤマト政権内でかなり大きな仲間割れがあったのかもね
孝霊、後漢の霊帝孝霊皇帝からのネーミングだが同じようなことが起きたからかもね
先ずヤマト国は107年に既に
倭国の覇権を握って朝貢していた。
倭面土国王師升がそれだ。
結局日本史板では>>181で概ね一致してる
畿内説は完全に滅びた >>433
その時の倭人は、間違いなく九州弁だったはずだ。
関西弁ではない。 >>430
だから国家名のヤマトを中国人は集落だと勘違いしたと言っている >>420
だから畿内だって
少なくとも学会では畿内説以外を主張するのは狂人か著作売りの詐欺師って扱いだ 107年には既に北部九州の覇権を握っていた。
この倭面土国が邪馬台国と当て字が変化しただけで、
結局、邪馬台国は山門八女としか考えようが無い。
卑弥呼亡き後の男王の時代の内乱後にヤマト政権の主導権を握ったのは、石(物部かな?)と百襲姫や桃太郎のモモということかもしれない
魏志倭人伝には鉛丹も出てくる事から丹の認識は年代の近い抱朴子を参照にするのが一番正確。
当たり前だがベンガラなんて何処にでもあるなら丹扱はされていないんだよ。
また阿蘇のベンガラならむしろ倭人伝には火山の記述が無いのも問題だろう。
当然海人の国でもないしなw
丹自体は佐賀から生水銀が発掘されていたし、
大分には丹生も有る。
弥生時代の甕棺墓も殆ど朱で塗られているので、
北部九州では日常的に朱を使っていたのは間違いないだろう。
どうして日本史を語る上で本流でない邪馬台国ごときを日本の中心であるかのように語りたがるんだろうな
畿内説のこのドグマが心底理解出来ない
邪馬台国が畿内で無くてはならない、から全てスタートしてるからキチガイにしか見えない
>>440
魏志倭人伝では真朱(水銀朱)、鉛丹、丹(ベンガラ)と書き分けてるね。 >>429
全然論破しとらんだろw
弥生時代中期の紀伊半島沿岸部では精製していた土器辺、河内からは水銀朱を計測していた分銅、秤が出土している。
まさに倭の海人の集落から水銀朱の使用した痕跡が既に確認済みだよ。
しかも紀伊半島南側なら冬も温暖だしな。 >>446
どっちも同じだよ
どうしても九州じゃなきゃダメなのか?
阿波でも出雲でも関東東北でも何処でも良いんじゃないの? >>448
文字が読めないのか?
>それを中国側が記録したという根拠はない
と言っている
倭人が風習として体に塗りまくれるほどありふれていたのなら王墓や祭器にのみ使用痕があるのと矛盾する
ハイ論破
そもそも水銀朱でいうと、成分分析で産地が分かるのだが中国産の水銀朱は北部九州の王墓での出土が主で
畿内の墓からは日本産水銀朱しか出ない
魏から水銀朱をもらった邪馬台国が九州なのは明らか >>451
いや間違いなく事実だとお前の論破済みの書き込みの数々が証明している 纏向学研究センターのクラウドファウンディングは、
達成度58%、支援者98人で終了してしまった。
古代の謎の解明に私財を投じる研究者も多いのに、
邪馬台国畿内説の総本山のクラウドファウンディングには、
僅か98人しか支持者が無かったのである。
研究者は98名どころじゃないだろうし、
それなりの給料をもらっているだろうに、
たった2万円すら出すのもはばかられる様だ。
結局の所は、2万円すら出すのが口惜しい邪馬台国畿内説であり、
ビジネスとして補助金をせしめとる為の畿内説であって、
自分のカネを出すようなモノではない説である事が、
世に曝け出されたと言えよう。
>>450
訳わからん奴だなw
倭人伝にある、倭の海人が日常的に朱丹を使用してた形跡なら、紀伊半島には縄文時代からあるという話だ。
日本産があるなら間違いなくそれは倭人伝の描くエリア。
以下はコピペ
辰砂の採掘は縄文時代から行われており、なかでも伊勢水銀として古くから知られている三重県勢和(せいわ)村丹生(にう)付近では、縄文時代後期の度会(わたらい)町森添(もりぞえ)、嬉野(うれしの)町天白(てんぱく)の両遺跡から、辰砂の付着した石皿、磨石や朱容器と考えられる土器が数多く出土しており、このころから辰砂の精製が行われていたことがわかります。徳島市国府町の矢野遺跡においても縄文時代後期から辰砂の精製が行われていたようです。
弥生時代以降の辰砂の採掘では徳島県阿南市の若杉山遺跡が有名で、弥生時代終末期〜古墳時代初頭の一大産地であったと思われます。
弥生・古墳時代の辰砂を精製するための石臼・石杵は、採掘遺跡、住居跡、古墳から発見されています。 阿波はダメだ。
何故なら槨埋葬圏だからだ。
槨無し棺ありと魏志倭人伝に
明記されているのに、
槨埋葬圏の阿波を邪馬台国と言ってしまえば、
その人間は邪馬台国論争など論ずる能力がないと、
自ら言っているだけでしかないのだ。
@紀元前1世紀ごろの『漢書地理史』→倭人は定期的に使者を送ってきて貢物を持ってくる。
A57年『後漢書東夷伝』→倭の奴国が朝賀する。
B107年『漢書地理史』→倭国王帥升が生口160人を送ってきた。
C239年『魏志倭人伝』→卑弥呼が帯方郡に朝貢したいと言ってきた。
これら全ては、九州弁の九州人であって、関西弁の関西人とは到底考えられない。
イエスキリストが生まれる前から、馬も牛もいない倭国が朝鮮半島に大量の貢物を持っていけるはずがない。
>>449
九州じゃなきゃダメなんて誰も言ってない
魏志倭人伝を普通に読み解くとどう考えても九州だよなあってだけ
結論ありきのドグマに沿ってしか考えてないのが畿内説の異常なところなのよね
そして他の人もみんな同じだと思いたがる
お前らだけだってw 事実なら九州説でとっくに確定しただろうなw
全く違うからお前はずっと何年もバカみたいに同じ事連呼してるだけの話。
>>457
じゃあ全てに可能性があるって事で良いじゃん >>457
普通に読みとくと思い込みしてるだけだよ。
大半の九州説は単なる知識不足なだけの話。
安い解説本やネット上の浅い知識しか得ないからだ。 1、紀元前1世紀ごろの『漢書地理史』→倭人は定期的に使者を送ってきて貢物を持ってくる。
2、57年『後漢書東夷伝』→倭の奴国が朝賀する。
3、107年『漢書地理史』→倭国王帥升が生口160人を送ってきた。
4、239年『魏志倭人伝』→卑弥呼が帯方郡に朝貢したいと言ってきた。
これら全ては、九州弁の九州人であって、関西弁の関西人とは到底考えられない。
イエスキリストが生まれる前から、馬も牛もいない倭国が朝鮮半島に大量の貢物を持っていけるはずがない
阿波、吉備、大和が、
槨埋葬圏という基本的な知識が
欠如している人間が、
邪馬台国畿内説だの阿波だの
喚いているだけでしかない。
畿内でも九州でも邪馬台国の女王国がどこだかハッキリしないのに
無理矢理九州に決め付けようとするから怪しまれる
九州連呼でウンザリさせて他の意見を追っ払おうとしてるようにしか見えない
>>461
ps://i.imgur.com/BUys93v.jpg
そもそも倭国とは九州を指す言葉だしな >>462
四世紀初頭の抱朴子を記述にみるなら、丹は仙薬だと言ってるが?
倭人伝が三世紀末の資料なら、当時の資料を見るのが当たり前の話、それを理解出来ないからダメなんだよ。 槨埋葬圏の阿波だの吉備だの纏向だのを、
邪馬台国だと言い張るクズに用はない。
追い出さないと日本の古代史が歪められてしまうぞ。
我々はゴッドハンドという悪夢を
体験させられてしまっているのだ。
我々一般人の方から、考古学会のあり方を、
正していくしかないだろう。
>>467
抱朴子が丹の概念を全て説明しているというお前の前提が間違いなのはもう>>405で証明済み
いつまで論破済みの話にしがみつく気だ >>454
文字が読めないのか?
>それを中国側が記録したという根拠はない
と言っている
倭人が風習として体に塗りまくれるほどありふれていたのなら王墓や祭器にのみ使用痕があるのと矛盾する
ハイ論破
そもそも水銀朱でいうと、成分分析で産地が分かるのだが中国産の水銀朱は北部九州の王墓での出土が主で
畿内の墓からは日本産水銀朱しか出ない
魏から水銀朱をもらった邪馬台国が九州なのは明らか >>468
まず邪馬台国は御井であることを認めてよ 邪馬台国や倭という存在の根拠が
真意不明の魏志倭人伝と出土した金印一個
これで邪馬台国は日本に有ったていう説はおかしいだろw
中国側の倭の地域概念が太平洋側の海の向こうの国々という概念だったら
どうするの、下手したらフィリピンや沖縄を倭として扱ってる可能性すら有るぜ
>>468
考え方自体は賛成する
ただし他の意見を抑え込むのは権威で抑え込む学者と同じじゃん
そうじゃなくてちゃんと意見を言って多くの人を納得させればひっくり返るのよ 我々一般人の方から、
考古学に真摯に誠実に向き合える人間が、
仕事をして成果を出せる様な考古学界に
していかなければいけない。
何でも自由だからといって、
ビジネスの為に、嘘をついていい
自由がある訳は無いんだよ。
>>469
いくら喚いても抱朴子が倭人伝と同年代の資料なのは疑う余地もないだろう。
当たり前だが年代差の有るものなんて、物の価値観を証明する資料には成り得ないんだぞw
論破とは相手を納得させて初めて成立するもので、反論されてるのに何をボケてるんだw 魏志倭人伝は、
1、伊都国基点の放射読みが正しい。
2、陸行一月は陸行一日の単なる写本時における写し間違い。
よって、邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一日で、これは筑紫平野のどこか。
また、筑紫平野の御井には祇園山古墳があり、これは全て魏志倭人伝の記述とピタリと当てはまる遺跡で、大きな矛盾は全く何もない。
つまり、卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳であり、
邪馬台国は卑弥呼の時代は御井である。
(邪馬台国は移動している。)
帯方郡から伊都国まで10500里ほど
伊都国から御井まで陸路で1000里ほど
ピッタリ
※魏の使いは二回来ている
一回目は恐らく倭国大乱の余韻が残っていて物騒だったから魏の使いは伊都国に留まり
不弥国と奴国は近くだから分遣隊を派遣し
邪馬台国と投馬国は伊都国からは遠いので倭人からの伝聞を記事にした
(隋書の倭人条に「夷人は里数を知らず、ただ日を以って計る」とある)
二回目は邪馬台国まで行っている
距離が日を用いたものと12000余里との二種類あるのはこれが理由
1. について
■魏志倭人伝では伊都国の紹介のあと、そのすぐ直後に「全ての郡の使いがここに駐留する」と明確に書いてある。
駐留したと明確に断ってるんだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは
あったりまえ。
■ 翰苑が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されているが、伊都国から南に行くと邪馬台国だと言っている。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
(嘉と臺とは非常にしばしば誤記される文字であるので、邪馬臺国のことだと考えられる。)
2. について
■十日だの二十日だの書いておいて、三十日だけ一月と書くと言うことは、駢儷文の観点から言って100%無い。
■また、三世紀などという時代には川にはロクに橋が架かっておらず、陸行一月できる場所は事実上物理的に存在しない。
そのような長距離は必ず水行するのであり、これは本居宣長が畿内説を否定した根拠でもある。
つまり、陸行一月は誤り。
■百済伝で「其南海行三月有耽牟羅國」と書かれているものがあり、
耽牟羅國は済州島のことなので百済から三ヶ月も掛かる訳がなく、三日の誤植とされている。
このようなケースも実際ある。
■梁書の倭人条は魏志倭人伝をほぼパクって作ったものだが、これには「陸行一月日」とある。
つまりこの当時すでに陸行一月の資料と陸行一日の資料とが両方あったのだろう。現在残っているのは陸行一月の間違ったほうだったわけな。
陸行一月は陸行一日の単なる写し間違いである。
祇園山古墳は
1. 三世紀の造築。
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの。(「大いに冢を作る」に符号する。)
3. 魏志倭人伝の「棺があって槨が無い、土で密封して塚を作る」にピッタリ当てはまる。(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている。
5. 前方後円墳などではなくありふれた方墳である。
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう。
7. 100名近くの殉葬者がある。
8. 位置が魏志倭人伝の記述とピタリと合う。
また逆に、このように魏志倭人伝の記述と次から次へとバチバチ全部当てはまる古墳は、祇園山古墳以外全く存在しない。
祇園山古墳のすぐ後方に巨大な高良山神籠石遺跡があり、
九州各地にある神籠石遺跡のセンター的存在であり、これが邪馬台国の遺跡と考えてほぼ間違いない。
また御井この位置は筑紫平野における軍事的な最重要拠点であり、当時の情勢から考えて邪馬台国の遺構と考える以外適切な比定候補は全くない。
卑弥呼の墓は祇園山古墳で間違いない。
※尚、前方後円墳は卑弥呼の墓では絶対に無い。よって箸墓は卑弥呼の墓ではない。
何故なら、中国人は埋葬のされ方に非常に興味を持ち、一々記載している。
前方後円墳は朝鮮半島南部と日本にあるだけで中国には全く存在しない形のものであり、
かつ三世紀は前方後円墳が作られた始めたものだから、箸墓のような大規模かつ見たことの無い形の墓を、
本国へ報告義務がある中国からの使いが目にしたとき、
その形について言及しない可能性など全くゼロと言ってよい。
前方後円墳は卑弥呼の墓では無い。
つまり箸墓は卑弥呼の墓ではない。
>>474
いや、中国人は遅くともイエスキリストが生まれる前から、中国に貢物を持って行ってる。
そして、朝鮮半島にも一部は集住していた。
すなわち、九州弁で話す倭人の存在は長く知られていたのは間違いない。
紀元前、57年、107年、239年、391年(倭vs高句麗戦争)まで九州弁を話す倭人のことは良く知っていた。 魏志倭人伝において
邪馬台国は山門国
発祥が山門で、その後卑弥呼の時代に南の狗奴国との戦乱に備えて
筑紫平野の軍事的要衝である御井に移った。
更に卑弥呼ののち甘木・朝倉地方へ移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最後は恐らく奴国と融合して太宰府に都を作り(倭京)、そこで滅んだ。
狗奴国は球磨国で熊本のあたり。
狗古智卑狗はククチヒコで菊池彦のこと。
不弥国は宇美国のこと。ただし現在の位置では無く旧糟屋郡のあたり+能古島(淤能碁呂島)。
魏志倭人伝で言う伊都国から東へ百里とは能古島のこと。
「海の中道」は由来が良く分からない地名だったが、あれは”宇美の中道”のこと。
また恐らくは「海」の語源が宇美であり、元々は博多湾のこと。
投馬国はtuma国で西都原の妻のこと。
また妻=隼人=囎唹。
侏儒国とは高知県西部の幡多(はた)のこと。
侏儒とはスクナビコナのことであり、恐らく四国の足摺岬に漂着したポリネシア人。
ワダツミも由来の良く分からない言葉だったが、「幡多つ宇美」のことだったわけだ。
幡多は足摺岬があり、ここは黒潮が陸に最接近する場所であり、黒潮が陸に直接接岸している。
またここは古代の灯台である唐人駄馬遺跡がある。恐らく、スクナビコナの漂着を記念して作られたもの。さらに小筑紫と言う地名もある。
>>398
>ちなみに磯城県、二上山辺りは青玉、サファイアも採取出来るからな。
>つまり奈良盆地からは丹の辰砂も青玉も採取出来た訳だ。
もっとも、採取していたのは、「倭人(阿波勢力)」技術者なんだがな。 わははははは @阿波 また、裸国、黒歯国とはハワイのこと。
何故なら東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイへ漂着している。
魏志倭人伝には裸国、黒歯国は絶海の孤島であり、周遊五千余里とあるが、
ハワイ諸島は地球上でどの大陸からも最も離れた位置にある島であり、
また実にハワイ島の周囲が丁度短里で五千里くらいになる。
黒歯とは黒い歯では無く、暗い歯の意味。
ハワイの先住民は前歯を折る奇習があった。
ハワイには溶岩の熱で海水が暖かい所がある。これが湯谷である。
孽搖頵羝
山とはハワイ島のキラウエアなどの山のことだろう。
扶桑が何かは最早分からないが、
ハラフルーツ
http://labaq.com/archives/51781217.html
かも知れない。 >>141
九州説派だけどまさにそういう考えなんだが?
邪馬台国が現在の日本とシームレスに繋がってる国って考えのひといるん? 九州ベンガラ野郎がする証明は、まず倭人伝が描いている丹とは、当時紀伊半島からは産出や使用した痕跡がある水銀朱や辰砂でないと証明する事なんだぞ?
それと九州の海岸沿いの集落遺跡で朱丹を日常的に使用した痕跡。
墓の内部に僅かな使用では日常的とは言えないからな。
紀伊半島にはこれが既に辰砂の精製跡や土器辺が沿岸部集落では沢山確認されている。
やれるものならやってみろw
扶桑を大きな桑と言う意味ではなくて
大きな桑の実のような実をつける植物と言う意味とかんかるなら
ハラフルーツはまさしく扶桑
>>415
>水銀朱は辰砂をすりつぶして赤い粉末状にするのだが、それを精製した土器辺が紀伊半島吉野からは縄文中期からの出土品がある。
>また紀伊半島沿岸部各地からは弥生時代中期以降各地で散見されるんだよ。
もっとも、採取していたのは、「倭人(阿波勢力)」技術者なんだがな。 わははははは @阿波 >>482
私は九州派だが、それは退ける。
不弥国やら投馬國やらは、魏志倭人伝にしか出てこないのであって、それ以前に書かれた魚カンの『魏略』はそもそも伊都國で止まって、この国は女王に属すると書いてる。
郭義恭の『広志』は、【到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載】
意味→伊都国に至る。また南に行くと邪馬嘉国があり、これより北の国はその戸数や距離を記載することができる。
これは1つの竹簡に連続して書かれているものであって、切り離すことはできない。
したがって、邪馬台国は確実に伊都國の近くにあったのであって、陳寿は投馬國や不弥国を別の竹簡で見つけて、いかにもこの順序で進むかのようにしただけであろう。
何しろ、陳寿は刺史の時代のズレさえ気づいていない。 >>486
現実には九州倭国と近畿日本は別の国なんだよね
しかし、実にバカの神武がこの二つを繋げていると言う歴史の皮肉 >>474
東夷がくそデカいから倭国も実際よりデカくなってるだけで
中国側の倭の地域概念が太平洋の向こう側なわけないだろ
せいぜい会稽東冶の東くらいの認識だとかかれてるのを無視してはいけない
>>490
魏志倭人伝は伊都国基点の放射読みが正しいはい論破 >>480
残念ながら箸墓は江戸時代の絵図では円墳で描かれている。
前方後円墳なんて概念自体が江戸以前には存在詩ないんだよw >>429
>魏から水銀朱をもらった邪馬台国が九州なのは明らか
違う! 魏から水銀朱をもらった邪馬台国は、「阿波」。 @阿波 >>494
まるでイミフ
箸墓は造築当初から前方後円墳であったことが判明している 箸墓が卑弥呼の墓なら、林に埋もれた古墳ではなく造築当初の古墳を見ているはず
丹の産地はだいたい地名に「丹」の字が入る
銅や金や鉄や鉛の産地は?
>>371
小島を一国扱いしてる時代だし30国といっても大した規模じゃないだろう >>489
歴史的には最古の物が縄文中期の吉野川上村の丹生神社にあるので、オリジナルが紀伊半島なのは否定しようがない。
また神武天皇がわざわざ吉野を経由するのも、紀伊半島の丹山利権目当てなのは否定でもないしなかない。
記紀に書いたらもう誰も反論は出来ないからなw >>490
東夷伝序文には東夷のことがわかるようになったので詳細を記すとあり
暗に司馬懿の功績を仄めかしている
だからなのか倭人伝は時代も場所もバラバラな情報が切り貼りされて水増しに水増しを繰り返して書かれてる
行程部分も里数の資料や日数の資料を切り貼りして書いてるんだろうな >>387
今の日本にとっての富士山みたいな感じで阿蘇山のこと書いてない? イエスキリストが生まれる前に、すでに倭人は楽浪郡(今の平壌)まで、定期的に、定期的に、定期的に、定期的に、定期的に、
貢物を持って行っていたんだぞ?
牛も馬もいないのにだ。
したがって、邪馬台国は伊都國の近くでなければならない。
奈良→大阪→岡山→広島→山口→関門海峡→伊都國→壱岐→対馬→韓国→楽浪郡
この行程を定期的に定期的に定期的に、貢物を持っていくのは、牛も馬もいない倭国には絶対に無理であり、したがって、邪馬台国は伊都國に極めて近い所でなければならない。
常世の国の話かな
常世の木は橘だったなぁ
源氏物語に載っている歌をみると雁も常世出身のようだ
花札では山にススキに雁、山にススキに月
山ヤマが常世なのかもね
たしかに黄泉ヨミ、エンマ、ヤマは同じ、エンマはサンスクリット語のyamaの訳だからね
スクナヒコナもイザナミと同じく黄泉に逃れたんでしょう
源氏物語の歌
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ
>>496
どっちがイミフだよw
妙な形でも人々は円墳としてみていた証拠。
前方後円墳なんて形式区分は明治より後々の話だ。 >>503
ようこそ卑弥呼の里吉野ケ里へって観光バスが走ってるしね。 >>500
>歴史的には最古の物が縄文中期の吉野川上村の丹生神社にあるので
それも、「倭人(阿波勢力)」技術者の痕跡だ。 @阿波 >>501
陳寿に水増しする理由は無いしやらないでしょ
選択した元の資料の内容が間違ってただけで >>502
そもそもアソは火山の事をいう。アサマ山も本来は同じ意味。 倭人は手で物食うし、山椒の旨味も知らない技術者じゃあねぇ、働かされてる側でしょ
>>509
やらないでしょもなにも
魏志倭人伝読んだら時代も場所もバラバラな引用記事だらけ >>512
ばらばらだし関係ないのも貼り付けてるだろうが陳寿が水増しする理由は無い 橘寺で生まれた聖徳太子も亡くなる前の日に妻に一緒にあの世に行こうと言ったという伝承が残っている
あの世は常世、黄泉の国
芦原中津国と繋がりヒラサカの上にある黄泉の国
>>508
いやそれはない。
神武先導者である珍彦が、吉野辺りに元々いた話があるからな。
これはかなり以前、吉野集落の丹生神社関係者から聴いた話なので真偽は不明だが。 >>478
邪馬台国は移動していない。
卑弥呼が移動だな。 阿波は何でもあるから魏から水銀朱を貰うわけないわな
むしろくれてやる立場だね
>>503
吉野ヶ里遺跡を含む北部九州地域全体が邪馬台国
>>504
伊都國に卑弥呼は居たと魏志倭人伝をよく読めば書かれているのが分かるね。
>>511
日本人は今でも寿司とか手で物食うよ。 土人っていつまで過去にすがってんだよw
九州なんか島流しの地でお前らその子孫なんだよバーカw
>>516
糸島市南東部が伊都国だね
北部は斯馬国
二丈までは末盧国の一部だな。 >>519
奴国と不弥国は適当に貼り付けた物で何処にあった国かわからないと思ってる >>511
>働かされてる側でしょ
誰に? @阿波 >>518
正解、卑弥呼が船で移動していた事は、百襲姫や神功皇后の逸話にも反映してるしな。
百襲姫は村上水軍の祖とされたり、神功皇后も船で移動して戦いまくり。 >>506
こらこらキチガイ
これを、造築当初の、墓に興味津々の中国人が
何も形について記載しなかっただと
あり得ない
絶対にない
前方後円墳は朝鮮半島南部と日本にしかない
中国人にとっては間違いなく奇異に映る形だ
>>515
>神武先導者である珍彦が
神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人(うし)・宇志比古尊が、
日本で唯一、式内社「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。 @阿波 >>530
前方後円墳の形は上から見ないとわかんないでしょ >>522
水銀朱は色は鮮やかだが中毒を起こすから使用には注意が必要だ
倭人は朱丹を躰に塗っていたとあるが水銀朱ではなく安全なベンガラであろう 九州の蛮族土人の希望
邪馬台国があったかも
微笑ましい蛮族土人どもじゃないか
まるで猿が人真似をするようにな
>>526
末盧國は東松浦半島から糸島市の二丈付近までだな。 >>513
倭国の詳細がわかってもないのにさもわかった振りをするために
あちらこちらから「倭人」に関係ありそうな情報をかき集めてきて
切って繋げて魔改造したのが魏志倭人伝
東夷伝序文に「詳細がわかったので記す」と
詳細がわかってもない癖にわざわざ言及して言い訳してる
だった二国しかいない親魏○王金印の大月氏はほぼスルーなのにな >>534
バカかお前は
造築当初の林のない古墳だぞ
前方後円墳は卑弥呼の墓では絶対に無い。
何故なら、中国人は埋葬のされ方に非常に興味を持ち、一々記載している。
前方後円墳は朝鮮半島南部と日本にあるだけで中国には全く存在しない形のものであり、
かつ三世紀は前方後円墳が作られた始めたものだから、
箸墓のような大規模かつ見たことの無い形の墓を、
本国へ報告義務がある中国からの使いが目にしたとき、
その形について言及しない可能性など全くゼロと言ってよい。
前方後円墳は卑弥呼の墓では無い。
つまり箸墓は卑弥呼の墓ではない。
ほんの数十年前まで鉛入りのおしろい使ってたし
古代人が水銀朱を体に塗るのは別に変でも無いと思う
ただ凄い高価だろうね それを考えるとベンガラだろうな
>>537
東南500里
東南方向か?
500里は何m? 箸墓は最新の研究でまた年代が50年ほど後になったから卑弥呼の墓ではあり得ないんでしょ?
印象としては畿内説はふりだしに戻ったと思う
>>530
アホ、お前の頭の中では三世紀にヘリが存在するのかw
現地に行った事ないだろ、箸墓を上から眺める場所がそもそもない。
山之辺道からは円墳にしか見えない。地上からも基本的に変わった円墳位にしかわからないぞ。 ところで、この時代日本に文字なかったって絶対嘘だと思わんか?
もしなかったら金印貰っても何これ?ってなるだろ
>>520
>阿波は何でもあるから魏から水銀朱を貰うわけないわな
いや、鳴門の「萩原2号墓」と「天河別神社古墳群2号墓および4号墓」に、
下賜された「中国貴州省産の水銀朱」が使われている。 @阿波 歴史が消されてる東北か北海道にあったんじゃねーの?
>>538
水増しってのは距離や戸数の事でしょ
これは陳寿が水増しするんじゃなく元の資料を書き写しただけでしょ
金印に関しては奴国じゃないよね
もしそうなら触れないはずがない >>520
>阿波は何でもあるから魏から水銀朱を貰うわけないわな
いや、鳴門の「萩原2号墓」と「天河別神社古墳群2号墓および4号墓」に、
下賜された「中国貴州省産の水銀朱」が使われている。 @阿波 >>542
まあ朱丹というのはベンガラか水銀朱という表現だろう。
粉末状じゃないと塗れないからな。
だが普段から朱丹を使う海人という意味なら、紀伊半島の沿岸部や四国海岸線辺りしか証拠がない。
特に弥生時代中期なら今の所はこの二ヶ所。 >>546
さすがに読み書き出来る奴は居るでしょ
中国語喋れる奴も まだ、そんな疑問を?箸墓は円方キレイな一対一で魏の寸法100歩100歩なんですよ。倭人は里を知らない、寸法もないんですよ、箸墓は中国人が手を貸さない限り造れないはずですよ。だから九州じゃあ、箸墓は誰が造ったの?ってことになるわけ。
末盧国への上陸場所の呼子付近から末盧国と伊都国の境である伊都GC付近までが500里(1里80mとして40km)
末盧国と伊都国の境である伊都GC付近から伊都国と奴国の境である糸島峠付近までが100里(8km)
伊都国と奴国の境である糸島峠付近から奴国と不生国の境である入部付近までが100里(8km)だな
>>544
振り出しじゃ無くて否定
畿内説はもう学説としては存在しない
畿内説論者は纏向学論者に名前を変えて、邪馬台国論争からは遁走
>>549
俺が言ってる「水増し」は数字を過大に表現することではなく
情報密度を高めることを言ってる
違う時代の情報を持ってきて卑弥呼の時代として説明したり
違う場所の情報を持ってきて邪馬台国の国々として説明したり
行程にしても里数と日数と別々の資料を繋げたのだろうと言う見解 >>546
魏志倭人伝の中にも物品を文書で確認してたみたいな記述があるし
北部九州地域からは硯や机、削刀等の文房具が多数出土してるからこの時代
邪馬台国では文字が使用されていたね。
前方後円墳は卑弥呼の墓では絶対に無い。
何故なら、中国人は埋葬のされ方に非常に興味を持ち、一々記載している。
前方後円墳は朝鮮半島南部と日本にあるだけで中国には全く存在しない形のものであり、
かつ三世紀は前方後円墳が作られた始めたものだから、
箸墓のような大規模かつ見たことの無い形の墓を、
本国へ報告義務がある中国からの使いが目にしたとき、
その形について言及しない可能性など全くゼロと言ってよい。
前方後円墳は卑弥呼の墓では無い。
つまり箸墓は卑弥呼の墓ではない。
>>556
確かに学説として畿内説なんて存在しないかも。
もう邪馬台国は畿内で確定してるからな、今さらバカみたいに妄想するしかない九州説とはちがうw 邪馬台国畿内説は否定証明済み
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて
緩やかに連合している状態であり、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全な定説で、否定するものなど誰も居ない。
ところが邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり近畿に邪馬台国があったと主張することは、
近畿は自分の周辺国すら軍事的に統括出来ずに居たのに
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、最早学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないファンタジー。
はい、完全論破w
畿内説はこんなもん一つで大破轟沈するシロモノw
>>558
>行程にしても里数と日数と別々の資料を繋げたのだろうと言う見解
繋げたんじゃなくて里数と日数で二重に説明したつもりだったんだ
読む側が間違えて続けて読んでるだけ。 文字は卑弥呼は使って男子1人が読み上げていたんでしょ、僕にとっては卑弥呼は中国人だからこの男子は倭人との通訳も兼ねてたね。
>>477
お前のは反論ではなく事実を認めるのはイヤイヤと駄々をこねているに過ぎない
>>405のとおり既に当時丹は赤土の意味で使用されている言葉であることは明白
中国産の水銀朱が出土しない畿内が邪馬台国ではないのも明白 >>557
呼子付近から唐津市方面へは略南
唐津市から糸島市へは略東
なので東南と感じたのだ。 >>559
弥生時代末の硯は北部九州と出雲から出土品がある。
でも墨書文字の土器辺は北部九州と一番古いのが三重の松阪周辺に多いんだよ。
これはやはり当時精製跡も多い伊勢の水銀朱目当てと推測。
あと遠方だと千葉にも墨書土器辺が出土してるはず。 出来た当時の前方後円墳は埴輪で飾られて壮観だろうね
見る人が度肝を抜かれた姿が目に浮かぶ
>>572
>弥生時代末の硯は北部九州と出雲から出土品がある
砥石だな。 @阿波 >>570
そのままお返しします、駄々こねるなよw >>573
「倭人(阿波勢力)」の古墳技術者のお陰だ。 @阿波 >>571
没だな。
やり直しだな。
なぜ?呼子?
津ではないのか?唐津、今津、福津とある。 >>487
>九州ベンガラ野郎がする証明は、まず倭人伝が描いている丹とは、当時紀伊半島からは産出や使用した痕跡がある水銀朱や辰砂でないと証明する事なんだぞ?
・そもそも水銀朱は希少であり一般の倭人が白粉代わりに使えるほど量がない
・倭人は長命だと記載されており有害な水銀朱を体に塗っていればあり得ない
とっくに証明済だが
>それと九州の海岸沿いの集落遺跡で朱丹を日常的に使用した痕跡。
日常的に使用可能なほど埋蔵量のある朱丹はベンガラ以外に存在しない
紀伊だろうがどこだろうが水銀朱は希少で日常使用など不可能
お前は自爆が好きだな >>551
・そもそも水銀朱は希少であり一般の倭人が白粉代わりに使えるほど量がない
・倭人は長命だと記載されており有害な水銀朱を体に塗っていればあり得ない
朱丹はベンガラ以外にありえません
残念でした >>420
朝倉八女など巨大環濠などが多く候補がありすぎるんだよな九州は
一方奈良は・・・ まあ何故普通の考古学者に畿内説が確定的かというと、弥生時代中期以降は北部九州から畿内方面への流れが否定しようがないからだからな。
九州から南側へ向かう流れなんて皆無、神獣鏡にしても水銀朱も畿内に集中するんだから否定しようがない。
九州説の連中は神仙思想や神獣鏡が九州発祥とでも言いたいのか?
それこそバカだとしかいいようがない。
>>579
ああ忘れていた
・魏志倭人伝には魏から倭へ真朱が下賜されたと記録があり倭で水銀朱が取れることを魏は知らない
完全に証明されているな >>583
神獣鏡は魏の敵国だった呉の鏡だと過去に何度も既出
また>>388は事実だと自ら証明してしまったねw
231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」 魏志倭人伝の末盧国とは呼子(よぶこ)の波戸岬のこと
■まず、唐津平野では絶対にない。
理由その1:「草木が盛に茂っており、前を行く人の姿が見えない。」
唐津平野では、この魏志倭人伝の記述と全く合わない。
理由その2:魏志倭人伝の記述では末盧国から南東に伊都国があることになっているのだが、
唐津平野から南東へ行くとどのように考えても山の中に入ってしまい方角が合わない。
魏志倭人伝の記述する伊都国は港湾都市であり(恐らく志登支石墓のあたり)、山の中なわけがない。
■呼子の波戸岬から見ると伊都国は東南東になり、
これを魏志倭人伝では東南と表記したのだと考えたらムリが無くなる。
■また「上手に魚やアワビを捕り、水深の深浅にかかわらず、皆が水中に潜って、これを採取する。」
この魏志倭人伝の記述は、リアス式海岸であり三大朝市である呼子朝市が開かれる呼子地方のイメージと非常に良く合致する。
恐らく呼子で朝市が開かれるのは古代の末盧国の記憶が住民にあるのだろう。
魏志倭人伝「また、南に一海を渡ること千余里、、、、、一大国(壱岐国)に至る。
、、、、、、耕作しても食べるには足らないので、また南北に物々交換に出かける。」
この壱岐国から見て南北のうちの南ってのが正しく呼子のはず。
■狗邪韓国(現在の釜山市あたり)から単純に南→南→南、、、と行ったら呼子に行き当たる(方角的に話しが簡単)。
■朝鮮半島から見て九州本土で一番近い土地は呼子。
■呼子の波戸岬は一応外洋なのだが馬渡島とか加唐島とかの周りにある幾つかの島が
天然の防波堤になってて波がかなり静か。
波戸岬は外洋に突き出している割に海が静かで、
外から訪れる人のための目印の機能と、舟をつけるという機能の
どちらにも絶好の場所。
■また古来より呼子は九州から半島へ行く際のお決まりのコースだった。
だからこそ豊臣秀吉は朝鮮出兵の際の拠点になる名護屋城を
呼子に作ったわけだから。
結論:魏の使節は波戸岬に舟をつけたに違いない。
注意1:これで分かるように魏志倭人伝の〜〜国に着くとは、その国の地理的な真ん中や王墓や王都のことなどではない。
一番最初に行き着くその国の目印になる場所や入り口の意味のこと。
例えばアメリカに行くなら、
ワシントンD.C.に着いたとき「アメリカに着いた」と表現しているのでは無く、
自由の女神像に着いたときに「アメリカに着いた」と表現する、
そういう表記の仕方を魏志倭人伝はしているはず。
だから例えば「伊都国へ到る」とあるのは三雲や平原のことではない。
多分、志登支石墓の辺りにあった港湾都市のことを指している。
注意2:恐らく「呼び込む」から呼子(よぶこ)の地名が出来た。
google mapの3Dとかで朝鮮半島側から九州を見て見ると良く分かる。
呼子の波戸岬がちょうど招き入れるようにこちら側に突き出している。
壱岐島から舟で来るというパターンだと
波戸岬はこっちに突き出して呼び込み、招き入れるような格好になっている。
恐らくこれが呼子の地名の由来だろう。
呼子笛(よぶこぶえ、よびこぶえ)の呼子と同じ語源。
(つまり元々呼子とは波戸岬のことだったのだろう。)
注意3:ただし、これだと壱岐島〜波戸岬が千余里だと言うのが全然合わなくなる。
これは正直理由は良く分からない。
例えば、魏志倭人伝では対馬と壱岐島の大きさが4:3になっているのだが、
これはどう考えてもおかしい。
対馬は壱岐島より面積が遥かに大きい上に、南北に長い。
壱岐島は面積がずっと小さい上に丸い形をしている。4:3なんて数字は出て来ようがない。
例えば5:2とかになるはず。
このように元々海上での計測は非常に誤差が大きかったのだろう。
とりあえずこれが理由だとしか考えられない。
恐らく海流に流され流されで計測して六、七百里くらいになって、
それを千余里(約千里)と表記したのだろう。
(流されることを考えずに地図上で測ったら五百里くらいになる。)
海上では地上と違って障害物が無く、壱岐島から南へ行ったらどのみち九州へ着かざるを得ないのだから
これで用が足りたのだろう。
見よう見まねで巨大前方後円墳はつくれない
あれは技術者を呼ばないと
クソ田舎の紀伊半島から水銀が出る?
ヘエでおしまいだろ。
槨埋葬圏の、大陸との交流の痕跡の無い、
鉄鏃も無い絹の生産地でもない畿内の、
和歌山のクソ田舎から水銀が出たから何なんだよ?
甕棺墓埋葬圏で、
大陸との交流の痕跡が数多く存在し、
鉄鏃も出て、絹の一大生産地であり、
卑弥呼が貰った方格規矩四神鏡も多数出土する北部九州から、
生水銀の鉱山もあったね、
ああなるほどだろうが。
漢倭奴国王の金印が出たり
魏志倭人伝では、北部九州のローカル地名ばかり出るし、
筑紫磐井は新羅と結んで大きな反乱を起こしている。
九州には勢力があり、朝鮮や中国と交流があったのは間違いない。
ところが万世一系の天皇が日本の統治者として存在したはずだと、戦前の日本は歴史にたいして、不誠実な解釈を行い、近畿説を推進していた。
サルタヒコの話か?
伊勢湾と大阪湾には類似性があるんだよな。
荒魂は本来の地と別の場所に祀るという風習がある。三輪山の大物主という名の八咫の鏡も伊勢に祀られている。
伊勢で猿田彦を祀る阿射加神社、大阿坂、小阿坂。大阪湾岸に大阪オサカ、浅香アサカ、小阪コサカという地名が残っている。
猿田彦がいたのは天の八衢だが八衢は道が幾つにも分かれる所という意味である。 堺のアサカの近く仁徳天皇陵の辺りに方違神社があり方違幸大神が祀られている。堺はなにわ、和泉、河内、阿波の境。行き先が分かれる、方を違える場所。猿田彦はイスズ川の川上に消えたが堺を流れる川はイシズ川である。
伊勢と大阪湾の類似性、伊勢は大阪湾をコピーした鎮魂の場所かもしれない。
>>592
というか魏から水銀朱を貰ってるんだから水銀朱の産地はむしろ邪馬台国の候補から外れる
実際中国産の水銀朱は北部九州の墓からの出土が中心で畿内の墓からは日本産水銀朱ばかり
魏から水銀朱を贈られた邪馬台国が北部九州なのは明々白々 >>583
教育の失敗、これに尽きるな。
卑弥呼の死亡時期に流通していた鏡の中に、
三角縁神獣鏡が無かったことは、
平原遺跡の数多くの舶載鏡の中に、
三角縁神獣鏡が無かったことで
証明されてしまったことだ。
今更三角縁神獣鏡を魏の鏡などという考古学者は存在しない。
ソレはデタラメな人間だ。 >>589
伊都国は港湾都市?
なぜ、直接行かないんのだ? https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=hu&tl=en&text=kast%C3%A9ly&op=translate
中期朝鮮語において高句麗語の「忽」と百済語の「己」はその痕跡を見いだすことができないが、新羅語 の「잣(cas)」は15~16世紀まで命脈を維持し、実際に用いられたようである。中期朝鮮語における用例 を以下に示す。
城山잣뫼[cas-moi](『竜飛御天歌』巻1・52)(1447年)
城은자시[cas-i](『月印釈譜』巻1・6)(1459年)
城잣셩[cas-syeong](『訓蒙字会』[比叡山本]中・5)(1527年) >>591
「倭人(阿波勢力)」の専売特許だから。 @阿波 >>405
赤峰市なら中国の巴林石、鶏血石産出からの由来。
勿論真っ赤な希少な石で辰砂に含まれる。
当たり前だがベンガラが由来ではないよ。 日本から500枚も出る三角縁神獣鏡が、
邪馬台国の外交上の拠点として、
大陸からの贈り物を管理したと
明記されている伊都国の、
卑弥呼の死亡時期に埋葬された、
舶載鏡の数々の中に、
三角縁神獣鏡が一枚も存在しなかった事で、
三角縁神獣鏡は卑弥呼の時代に、
流通していなかった鏡である事が、
100パー確定してしまった事なのだ。
コレを覆す事は理論上不可能であり、
こんな事は考古学者なら皆んな知ってる事だから、
後は嘘つきかアホかでしかない。
オレは嘘つきとアホは信じないんで。
>>596
>魏から水銀朱を贈られた邪馬台国が北部九州なのは明々白々
いや、九州が大好きなベンガラだろ? わははははは @阿波 >>601
>赤峰市なら中国の巴林石、鶏血石産出からの由来。
>勿論真っ赤な希少な石で辰砂に含まれる。
ほらほら苦しくなるとすぐそうやって捏造する
辰砂に巴林石が含まれるなんて事実は存在しないよ
ソースを出してみな嘘つき >>602
昔から三角神獣鏡は国産だと主張してきたオレには何の問題もない、重要なのは神仙思想がベースにある神獣鏡が畿内を中心に全国に配布されてる事だからな。
対中国の権力の場所が畿内だったという証明でしかない。
また平原の王墓が畿内や東海の様式な時点で、そこは畿内勢力の基盤だったという事。
つまり方角以外は倭人伝の記述そのままなんだよw >>606
>重要なのは神仙思想がベースにある神獣鏡が畿内を中心に全国に配布されてる事だからな。
それも「倭人(阿波勢力)」が全国へ進出した痕跡だ。 畿内にそんな力を持った勢力は居ないよ、孝霊厨。 @阿波 >>605
少し鶏血石をひらっただけでも辰砂がでるのだか?
高純度,緻密で色彩の美しいものは蠟石細工,印材としても珍重されている。この場合の着色は微量に含まれる異種鉱物,
例えば印材として貴重な鶏血石のように,
少量のシンシャ(辰砂)HgSの混在による例などがあげられる。
何処でも採れるベンガラは関係ないぞ で、卑弥呼の死亡時期に築造された平原遺跡の墓から、
多数出土する事で、卑弥呼の時代に流通していた事が確実視される方格規矩四神鏡で、
近年、青龍三年という、三国史魏志に記録がないにも関わらず、
存在が確認されている年号の記年鏡が発掘され、
卑弥呼に贈られた百枚の銅鏡が、
方格規矩四神鏡である事が確定した。
ここまでもう分かってんだよ。
邪馬台国に謎はない。
>>607
そもそも論点がずれてるだろw
ベンガラなら赤土、代赭なんだからな。
だが赤峰市周辺から希少な辰砂や巴林石もとれるから赤峰なんだよ。
象徴的なものとして赤土が用いられてる例だな。
でも倭人伝は三世紀末の資料で、丹なら仙薬の意味で辰砂を指すというだけの話。
紀伊半島や四国には水銀朱の痕跡が多いのだからそこが丹山だろう。
丹生神社がそこにあるのに否定する理由がないからな、それを否定する奴は只のバカだろう。 >>614
あなたね
人のこと言わずに邪馬台国御井説についてどうぞ
言ってるはしから三角の二の舞いするつもりか
荒廃している人間界を見た天照大神が
人間界を神様たちが暮らす高天原のように素晴らしい国にしてきなさい、と
孫のニニギノミコトを使わせたのが九州
これが天孫降臨伝説
この伝説からも当時の文化の中心が九州だったのは間違いない
このときニニギノミコトを先導するために
駆けつけたのは猿田彦という人間界に暮らす神様だった
猿田彦は三重県の伊勢に暮らしていて
後に天照大神やニニギノミコトなどを祀る
伊勢神宮が建立されるきっかけにもなった
ということは天孫降臨の前から三重県には文化圏があったということ
この文化圏がどれほどの規模だったのか気になる
もしも九州より大きい文化圏であったならどんな位置づけだったんだろう
邪馬台国は御井で間違いない
ちゃんと口を開いて主張しなさい
なぜ黙る
邪馬台国は御井で間違いない
ちゃんと口を開いて主張しろ
>>621
移動していると考えるのが一番自然な考え 沖縄のユタと卑弥呼って類似しているそうだし沖縄から上ってきた民族が居付いて影響を与えたであろう九州が自然だよなやっぱ
三輪山の麓には日本最古の市場、海柘榴(
ツバイチ)、もしくは椿市なんて存在するからな。どちらも赤の象徴。
これは宇陀の辰砂、つまり赤い石を産出したからに他ならないだろう。
古墳内部の水銀朱使用量ではこの近所にある桜井茶臼山古墳が最大、今のところはね。
邪馬台国は既に海底に沈んで滅んだ
文献を読めばこの結論が最も正しい
学問とは
正しいと考えられることを主張することだろうが
当然のことをやれ
何がゴッドハンドだ
お前らだって似たようなもんだろが
>>622
邪馬台国が移動?
ひょこり瓢箪島なのか?
伊都国から里数表示がないからそう思うのか?
不自然だな。 もうここまで分かってたら畿内説とか
有り得ないんだよ。
畿内説の畿の字も口に出す事は恥ずかしい。
理論上覆す事は不可能。
紀伊半島から丹が出るとか、
恥の上塗りだから、
教えといてやるから、
ちゃんと反芻しといてえや。
>>627
卑弥呼の時代の邪馬台国は御井で間違いない
邪馬台国はヤマト国としか読めないから山門国としか考えられない
山門と御井は離れているから移動していると考えるのが当然の自然な考え
さらに卑弥呼の後の時代に甘木・朝倉へ移動したと考えると全てキレイに説明出来る
邪馬台国は移動したと考えるのが極めて自然な考え
>>1
まあ縄文人の人口が一番多いのが大和畿内だけどなw
博多筑紫は先端技術の鉄器と馬があったから人口少なくても
神武東征出来たんだよw 畿内説がなくなったら筑後説が似たようなポジションになりそうだねw
>>365
君の自己紹介はいらないよ、アンケートが歴史になるって言う馬鹿も存在してるんだね。
日本人じゃないでしょ。 邪馬台国は山門八女だ。
で、伊支馬長官が滞在したと思われる地名が、
旧生目八幡神社として残っている。
祇園山古墳のある高良大社から、
この旧生目八幡神社までの間に、
邪馬台国の都があったのは間違いないだろう。
で、高良大社の始祖の大祝家が丹波氏である事で、
丹波氏系の姫の倭姫命が、
邪馬台国の卑弥呼で間違いないだろう。
昔から邪馬台国、特に九州説の連中は変な爺さん多かったが
今も全然変わらないんだね。
まともな会話になってないのが大半だぞw
>>635
いやあの高良山神籠石遺跡は邪馬台国の遺構と考える以外にない
邪馬台国は御井だ >>613
そうやってすぐ関係ない話に逃げる
成分として含まれていようが古代において取り出すことは不可能だぞ
そして>>607のとおり巴林ことバイリン地区は紅山区とは別の場所
ただの赤土の山だ
>>634
アンケートでは決まらないよ
ロジックで決まる
邪馬台国は御井だ
>>616
論点をずらしているのはお前だよ
>だが赤峰市周辺から希少な辰砂や巴林石もとれるから赤峰なんだよ。
>>641のとおり間違い
単なる赤土の山が丹山と記されているのだから丹は赤土=ベンガラをも含む概念であることは明白
それを水銀朱に勝手に限定するお前はただの詐欺師だ
>でも倭人伝は三世紀末の資料で、丹なら仙薬の意味で辰砂を指すというだけの話。
山海経のほうが先だからそれは成り立たないし
まず>>581,586でとっくに論破済み
またしても>>388が事実であることが証明されてしまったな >>297
おれが小学生の頃は邪馬台国は九州にあるって教わってた
邪馬台(ヤマト)の読み方すらも聞いたことなかった >>629
上陸は唐津
ポラテック西日本付近
唐津街道 多久市、吉野ケ里。
直線で東南40km 伊都国である。
甘木・朝倉で山門国ではない。 国のことを邦といい、←
弓を弧といい、賊を寇といい、行酒を行觴といっている。
先ず高良大社は筑紫の一宮であり、
丹波氏が始祖である事から、
邪馬台国の重要拠点である事は間違いないだろう。
また高良山は筑紫の要害でもあり、
筑紫の支配者が高良山を重要拠点としていた事は疑いようがない。
で、ここを拠点として、狗奴国の久々知と対峙する為には、
日田を後詰として押さえておく必要があり、
ここに張政が詰めていた可能性が高いのである。
>>648
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛
の遺跡は? で、日田には、倭姫命から旗を授けられたと言う
大幡主の伝承が数多く残っており、
大幡主=張政の可能性が浮上して来た。
小郡を「おごおり」と読めるやつ福岡県民説
なお福岡や佐賀には馬郡(まごおり)という名字もあるので郡=こおりは珍しい読み方でもない
これ豆な
質の悪い中世戦国の大河の見過ぎだから、軍事拠点、狗奴国と対峙とか、戦闘する事ばっか考えてるのよ、魏志倭人伝を確り読みなさい。卑弥呼は鬼道で惑わすのよ、言わばガンジー、わからん九州連中やなぁ。大体伊都は代々女王国に属しとる位だから一番最初に惑わされとるぞ
邪馬台国の
邪
卑弥呼の
卑
他国にこんな漢字を当てはめる中国の恐ろしさ。
そしてそれをいまだに使う日本政府。
大和国で良いし
ひめみこで良い。
>>654
お前が間違い
応神天皇の時代に帰化した阿知使主を祖 >>656
中国は最初「倭」と呼んだ、
日本ではその字が気に入らず、同じ読み方の「和」を使い、「やまと」と呼んだ
そしてすぐ「大」をつけて、「大和」とかいて「やまと」呼ぶようになった
外国から、いろんなものを導入して、すぐ自分たちで変えてしまうのは、
この民族の特性じゃないかと思う 領客府,本名倭典,眞平王四十三年,改爲領客典(後又別置倭典),景コ王又改爲司賓府,惠恭王復故,令二人,眞コ王五年置,位自大阿湌至角干爲之,卿二人,文武王十五年加一人,位與調府卿同,大舍二人,景コ王改爲主簿,惠恭王復稱大舍,位與調府大舍同,舍知一人,景コ王改爲司儀,惠恭王復稱舍知,位與調府舍知同,史八人
帰ってきました!
『旧唐書』は、倭国伝と日本伝を分けて設けている。
それはずっと、前漢の時代から倭人とは九州弁を喋る人々であったが、
7世紀に裴世清が連れて行かれたところは奈良県。
関西弁を話す倭人を見て、日本伝の書き出しを「日本国は倭国の別種」と書いた。
この方言で別種とするのは、良くある。
例えば、19世紀に琉球国を訪れたペリーは、「琉球語は、日本語の亜種である」と書いている
邪馬台国の官、奴佳鞮って誰やろね
匈奴っぽい名前だが
>>664
邪馬台=ヤマト=山門=福岡
答え出てるよ >>664
邪馬台国は「ヤマト」と読めない。
シェイマータイである。
魏志倭人伝では、邪馬壱なので、シェイマーイーである。
邪を仮に「ヤ」と読むとしても、ヤマイーである。 >>662
壬申の乱でもわかるようにこの時は大化の改新派(日本派)とその反動グループに分かれて戦っていた。
つまり二つのグループがあるのは当たり前。唐の時代の話を卑弥呼の時代と混ぜて考えるのはよほどのバカか悪意のある歴史家。 >>667
根拠がテキトーすぎる。
イエスキリストより前に、楽浪郡に定期的に貢物を持って行ってる。
牛も馬もいないのに、奈良県からそんなことができるはずがない。 >>665
古墳や銅鏡がたくさんある大和
特にこれといった物もない山門
どっちが邪馬台国らしいかわかるよね 魏志倭人伝「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」
後漢書「自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王」
邪馬台国の時代、九州と本州で別の勢力だったのはちゃんと書かれている
>>670
お前馬鹿だろ。なぜ白村江の時代の話と卑弥呼の時代の話をまぜこぜにする。あるいはできる根拠は何だ。 >>666
日本のどこにシェイマータイ国やシェイマーイー国やヤマイー国という呼び名の国があるの >>671
邪馬台国よりも時代の新しい物しか出て無いんじゃないの?
桃の種とかじゃ証拠不十分だけど >>675
邪馬台国が魏に朝貢した頃の魏の年号の入った銅鏡が畿内からいくつか出ているよ >>673
旧唐書でいきなり、倭国伝と日本伝を分けて、「日本國は倭国の別種である」といちいち記載している。
したがって、倭人は九州弁、日本人は関西弁。 >>678
>魏の年号の入った銅鏡が畿内からいくつか出ているよ
奈良からなんで出ないんだ? @阿波 >>678
それは証拠ならないよ邪馬台国から奪った物かもしれないし >>679
お笑い。つまりその時代まで九州は別の国だったのかw
むすび大学とか気をつけろよあいつの話はいい加減な話が多すぎる。
坂本龍馬の話でも幕府から坂本龍馬捕縛禁止令が出ていたことも知らない初歩的レベル。 魏志倭人伝は、それより前に書かれた魚カンの『魏略』を丸パクリしている部分がたくさんあるが、
魏略は一貫して「女王國」としか書いていない。
そして、列挙した国の名前を挙げて、全て女王國に属すると書いている。
したがって、郭義恭の『広志』の
【到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載】
意味→伊都国に至る。また南に行くと邪馬嘉国があり、これより北の国はその戸数や距離を記載することができる
これは魏志と違い連続で、伊都國又南至邪馬嘉國と書いてるから覆すことは極めて難しい。
つまり、邪馬台国という名前の国すら無かった可能性が高い。
>>684
別の国だよ。いつその時代に国民国家になったんだ?
アホすぎる。 まあ本質的な話をすると
各遺跡の状況から
北九州〜東海までに一つの共同国家が存在し
島根〜新潟までもう一つの共同国家が存在している
その二つのどちらでもないと言うなら
日本史になんの影響もない小国と言わざるを得ないし研究価値もない
>>684
中国側がそう認識した、ってだけの話だろ
そもそもとして今の感覚での「国」って概念が日本人にはなかったんだし
多分中国にも 景行が九州侵攻したときは土蜘蛛の女王とか、三種の神器を差し出して恭順したらしいからな
戦利品はお宝として持ち帰ったのかもな
>>687
はい国民国家w素人騙して商売するYouTuberはたちが悪い。 >>689
海を渡った先は女王国に属さないと書いてあるから九州と本州は別の勢力と考えるべきだろ
あと四国もか >>654
なぜ、伊都国からの里数がないのか?
投馬国はどこなのか?
邪馬台国よりさらに南にならないか?
女王国なのか? >>694
関門海峡を見て別の島と考えるのは少し無理がある。
それに銅鐸も三角縁神獣鏡も九州からも出土してる以上は、北部九州と畿内方面を特に別けて考える必要性はあまりない。 >>233
そりゃ大阪のご都合かなあ
最古の屋敷跡は豊国の日田にある
一方、最大の古墳は大阪にある
応神の大阪征討で虐殺された反抗軍が埋まってるかもね
古墳築造の土師氏族はそれで皇族に重用されていたからな >>697
関門海峡を見たかどうかはわからんぞ
海の向こうは別の勢力で女王国に属していないと言う説明を聞いただけかもしれない >>660
丹波氏(たんばうじ)は、「丹波」を氏の名とする氏族。
一般に渡来系氏族の1つとされ、後漢霊帝の後裔(こうえい)で応神天皇の時代に帰化した
阿知使主を祖とする丹波史の出身と称し、本姓は坂上氏とする。
丹波康頼の代で丹波宿禰姓を賜る。 >>681
畿内の古墳や銅鏡は卑弥呼のいた時代の3世紀中ごろのものだね >>683
邪馬台国から奪ったものじゃないかも知れないよ
とにかく邪馬台国に関連付けられるモノは畿内から見つかってるんだからな 魏志倭人伝より先に書かれた、または陳寿がパクった『魏略』は、女王國としか書いてない。
郭義恭の『広志』では、伊都國からまた南に行ったら邪馬嘉國と書いている。
で、裴世清が607年に日本に来た時は、邪靡堆(シェイミードゥイ)は、邪馬台のことであると書いている。
伊都國は常にどの書でも伊都國なのに、邪馬台国だけは、
邪馬壱(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬台(シェイマータイ)※台は臺の新字体
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。
↑
コロコロ変わる。
すなわち、ヤマタイなる名前の国は存在しなかった。
>>679
倭国から漢字教わった?!🇯🇵日本人は
だって、文法も発音もてんで違うぞw >>706
隋書には魏志の邪馬台は大和の事と書いてるよ 祇園山古墳 渡来系
祇園山方形台状墳丘墓
出土、庄内式甕(近畿系)
//wi12000.starfree.jp/forGmap/html/iseki_chikugo_mirror.html
女王になって邪馬台国を治めた卑弥呼は
占いで選ばれた一般人かね ダライラマみたいな
随書と後漢書李賢注はほぼ同時代に書かれているが
李賢注が「ヤマダイの訛りか?」と案じないとわからんと言うことは
その時代の資料からは確信が持てなかったということだな
>>711
伊都国や奴国と書いている九州が邪馬台国というなら
暦史学的理論的に都合がつかないよ >>719
そいつがアホなだけ
古代日本語にdaiのような連母音はない >>714
>>715
隋書倭国伝
「都於邪靡(摩)堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
訳:倭国の都の大和は魏志倭人伝の邪馬臺のことである >>678
あいにく畿内出土の銅鏡は国産品だと明らかになりました
畿内説というのはこういう都合の悪い事実に全てほっかむりしてるだけの虚構です
337 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/01(土) 13:31:50.48 ID:xWuatOBT0
>>236
ただの国産コピーですがw
型取りすることでいくらでもコピーが作れるんだよ
今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。 中国漢字は、日本漢字と違い原則的に読み方は1つである。
さて、現代中国語を翻訳にかけてみよう。
・カッコ内が中国の史書に書かれている漢字。
・→の所は、現代中国語翻訳
・チンギスハーン(成吉思汗)→チョンギスハン
・テムジン(鉄木人)→テムジン
・イト(伊都)→イートー
・対馬(都斯麻)→トゥイスーマ
・阿蘇(阿蘇)→アースゥ
・日本国(日本国)→ジーベングゥオ※ジパングの語源
・博多(好古都)→ハクゥトゥ
・菊池彦(狗古智卑狗)→クゥクチピィーコ
・羽地(怕尼芝)→はねじ※琉球三山時代の山北王・はねじがそのまんま読みが一致
・サバチ(尚巴志)→シャンパージ※琉球三国を統一した中山の王
↑
以上のことから、昔の史書に書かれている中国語漢字を現代翻訳にかけても、さほど変わらないことが分かる
>>723
魏志倭人伝には九州は伊都国や奴国と書いている
邪馬台国はそこから水行陸行した先だね >>699
だが平原の王墓は当時は畿内、東海に多い方形周溝墓だからな。
それを無理に別けて考えるのは無理がある。
畿内、本州勢力の拠点、協力国が北部九州にあった事は出土品からは否定出来ない。 >>725
それは地名が似ていたから隋の使いが勝手にそう思い込んだだけで何の裏付けも無いぞ
実際はヤマトなんて地名は北部九州だけで数カ所もあるありふれた地名なんだが、隋の人間がそんなことを知る由も無い
そもそも魏志から数百年も経っているのに見ただけで分かる訳がない
赤壁賦を詠んだ蘇軾が地名だけで別の場所を赤壁の戦いの古戦場だと勘違いしたのと同じことに過ぎない
https://www.town.arita.lg.jp/main/3822.html
> ご存じの方も多いかとは思いますが、実は「赤壁賦」は、赤壁の戦いとは直接関係はありません。
> 北宋時代の元豊5年(1082)に、蘇軾(そしょく)という人が長江沿いの「赤壁」で客人と舟遊びをした際に詠んだ(?)「賦」という韻文の一種です。
(中略)
> また、蘇軾は赤壁の古戦場だと思いこれらの賦を詠んだようですが、実際には赤壁の戦いのあった古戦場はもっと長江上流の別の場所だったことから、
> 赤壁賦の場所を“文赤壁”、古戦場の方を“武赤壁”と呼ぶそうです。 大和は古の邪馬臺のことである
ということはこれが記された時には既に邪馬臺国は消滅
してるということやね
>>726
畿内の銅鏡は蛍光分析機で分析した結果
魏の銅鏡に使われているのと同じ銅で作られている事がわかっているよ 隋書にはこう書いている。
邪馬台は、いにしえの邪靡堆(シェイミードゥイ)のことである。
中国読みで「ト」は、伊都國の「都」である。
仮に、ヤマトと読ませたいなら、邪をヤと読んだとしても、「邪馬都」と書くべきである。
>>732
隋が国交を持ったのは畿内の大和の国だから
間違いの可能性はごく低いね >>733
つまり、それが間違い。
勘違い。
沖縄と台湾の区別が1429年まで中国はできなかった。 >>736
それは金属研究の専門家によって否定されている
> 650 :名無しさん@1周年 :2019/06/08(土) 14:37:02.32 ID:vlUn2Ajg0
> >>618
> >そもそも黒塚古墳の三角縁神獣鏡は成分分析の結果、後漢鏡と同じ成分だと判明している
>
> あいにくだが、それは完全な誤りだと金属分析の専門家からとっくの昔に指摘されてるんだ
> しかも平成十六年には既に指摘されていたのに平成三十年になって同じ過ちを繰り返している悪質なゴッドハンド
>
> http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> > 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> > 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> > すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> > すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> > 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
> 中略
> > たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> > 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> > とまで述べておられた。 >>739
理由になっていない
畿内の大和が300年も昔の邪馬台であると判断できる材料を隋は持っていない
単に音が同じだから勘違いしただけ >>722
日本国語の方は
一文字で一つの意味だったのでは?
「✊て」「👣あ(の)し」「👀め」
閉音節まで駆使してたかも!
な、むー、だああ(涙) >>740
隋とは使者のやり取りをしているね
つまり大和を誤認する可能性はごく低いね >>742
ヤマトと読ませたいなら「邪馬都」と書くべきだが、
全く一貫性がない。
それはヤマタイなる国が卑弥呼の時代にあったという勘違いのせい。
邪馬壱(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬台(シェイマータイ)※台は臺の新字体
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。 >>743
畿内には大きな古墳があるから
それを見て隋の使者は魏志にある径百歩の墓と確信を持ったんだよ >>745
それは中国人である蘇軾が赤壁の位置を間違える確率が低いという詭弁と同じ
当時は考古学なんて無いのだから300年前の都市の位置なんて分からない >>747
それならますますただの勘違いだな
畿内説の希望だった箸墓古墳も卑弥呼より後の時代だと分かってしまったし畿内説には絶望しかない
nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
> INTCAL20 によって、箸墓築造が
> 従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する。 >>230
安曇だよ
ワタツミー綿津見ー海神と呼ばれた人々
安曇野、安心院、渥美、熱海などの地名は彼らが各地に散った名残り
ワタツミが転じてアダとなって仇とか徒となった
大海神はオオワダツミで大和多罪の文字をあてられ「ヤマトに罪多くある者」とも言われた >>726
残念だな、オレはずっと昔から三角縁神獣鏡国産説の立場で畿内説だったぞw
あたり前だが卑弥呼が鬼道使いなら神獣鏡は重要アイテムだからな。
それを国産して畿内から配布しているなら、それは正に鬼道使いを証明する事になるだけだからな。
その鏡作神社が奈良盆地の田原本にあるので、もはや卑弥呼の宮が証明されてしまっている。 >>741
三角縁神獣鏡と魏の鏡は銀・アンチモン比が互いに一致する事がわかっているよ
つまり同じ銅で作られている事が科学的にわかっていて
紋様や形式もお互いに共通
そして三角縁神獣鏡は魏の都のあった洛陽でも見つかっているから
魏で作られた鏡と科学と考古学から結論が導かれている 「堆」は随唐時代の発音でツァイ
つまり畿内ヤマトのことを当時は「ヤミャツァイ」と聞き取っていたということ
なので「邪馬臺国」も魏人がヤマダイと聞き取っていても
倭人の言葉としては「ヤマト」でも不思議はない
ただしそれが畿内ヤマトなのか九州ヤマトなのかはわからん
250年までに、九州を含む日本の武力統一は無かった。
日本史的に武力統一は、信長だろ?
豪族の血統婚姻大奥の平安政権って何?
皇室だけどw
247年以降、対魏の防衛と半島進出で、筑紫は畿内政権?
大和朝廷になる、東海、越、出雲、機内、四国の連合に加わった。
あたりまえの日本史は、記紀の嘘への忖度で成立しないのか?
>>746
古い時代には邪馬台でヤマトと読んだんだろ
後漢書や隋書も今風の音にすると邪摩堆つまりヤマトと書いている >>744
一生懸命朝鮮の方へ朝鮮の方へ持ってくる人いるけどw
スンダランド系単語とウラル語系単語で混ざってるから
上手く説明出来ない。 >>753
>三角縁神獣鏡と魏の鏡は銀・アンチモン比が互いに一致する事がわかっているよ
>>741をよーく読めアホ
それらの結論は検査ターゲットがそもそも間違っていて何の意味もないと専門家に否定されている >>748
径百歩の古墳があるし音も邪馬台でヤマトだから
隋の使者はここが魏書の邪馬台国だろうと確信があったんだろ >>750
畿内には箸墓古墳の他にホケノ山古墳や纏向石塚古墳など
3世紀の前半あたりに作られた前方後円墳がある >>757
ヤマトとは発音しない
魏の時代はおそらくヤマダイに近い発音だった
ただし倭人は「ヤマト」と言ったつもりなのに魏人にはヤマダイに聞こえたということはありうる >>761
確信という名の勘違いがあっただけだな
赤壁はここに違いないと勘違いした蘇軾と全く一緒 >>763
形式からホケノ山が一番古いとされているが4世紀だ
畿内説は科学的測定から逃げているだけの詐欺師
460 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/05(水) 01:21:05.99 ID:cfsy/uqY0
>>436
期待するのは自由だけど、箸墓古墳は形式が4世紀のホケノ山古墳より新しいから可能性はほぼないと見たほうがいい
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku318.htm
> 纏向古墳群のなかの、ホケノ山古墳の築造代は、箸墓古墳の築造年代よりも古いとみられている。
> 考古学者の寺沢薫氏の年代論によれば、ホケノ山古墳は、庄内3式期のもので、箸墓古墳は、そのあとの、布留0式期のものである。
> 2008年に、『ホケノ山古墳の研究』(奈良県立橿原考古学研究所編集・発行)が、刊行されている。
> 『ホケノ山古墳の研究』によれば、ホケノ山古墳出土の、「古木効果」がはいらないよう慎重にえらばれた十二年輪の小枝の、炭素14年代測定法による測定値は、
> 四世紀を主とする年代を示している。
> (4)ホケノ山古墳出土の試料によるばあい、歴博仮説は1%以下の危険率で棄却できる小枝の資料だと、ホケノ山の年代は320年〜400年ごろとなる。
> 箸墓古墳はそれよりも新しいと言われており、もっと新しくなる。詳細は317回「炭素年代法記事について」参照。 >>755
>日本史的に武力統一は、信長だろ?
やっぱり家康なのでは? >>751
大輪田なる地名は奈良盆地、斑鳩の対岸にあったりする。
近くは広陵町、かぐや姫伝承の場所だったり、讃岐系、また海に関する神社も多い。 >>760
残念だけど検査は何度も行われてるよ
そしてそのたびに三角縁神獣鏡と魏鏡は同じ銅で作られてると出てる
検査ターゲットが間違っていると言うのは真っ赤な嘘だね >>755
筑紫は卑弥呼の時代にはない。
あれば魏志倭人伝に記載する。 >>759
筑後の三潴(久留米市)、下妻(筑後市)、上妻郡(八女市)あたりじゃね? >>772
一度間違いが指摘されているのにもう一度同じことをやって世間を騙そうとした悪質なゴッドハンドだな
指摘しているのは金属考古学の専門家で畿内説は素人 >>772
そして鉛同位体比の測定では呉の銅であると結論が出ている
神獣鏡という形式も呉のものだ
231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」 >>765
考古学からも邪馬台国が畿内にあった遺物が出ている
隋の使者が書いてるように邪馬台国は大和国というのは
科学や考古学的な裏付けがあるね
>>768
ホケノ山古墳は古墳内の出土品と木棺の炭素年代測定から
3世紀前期から中期の建造
纏向石塚古墳は3世紀前半と鑑定されている 筑紫の山門は3世紀の遺跡が出土していない。
畿内の大和は遺跡が出土。
学会で畿内が優勢なのは当然。
>>762
狗奴国より南
ありゃ?
次有奴國,此女王境界所盡。其南有狗奴國
女王国なのか? >>774
九州説は魏志倭人伝に奴国や伊都国と書かれてる九州を
邪馬台国と言い張って聞かないということ 🇲🇲ミャンマーとかもあるんだけどね。
極東🇭🇺ハンガリー語話者につられて開音節のみの美しい現代🇯🇵日本語が完成したんだろうか。
>>756
神獣鏡の国産には製造場所、工人の出身に何の問題も無いのだがw
むしろ当時の畿内には色んな交流があったに過ぎないぞ。 「我々は邪馬台の末裔です」と大陸の使者に説明した
それが隋書に書き記された
末裔かどうかの真実は別にして邪馬台との連続性が奈良には必要だったんだろね?
>>724
近畿説が崩壊すると皇統2000年以上の系譜は同時に崩壊し現天皇制のバイブルとする記紀が少なくとも700年以降の情報しか有していないことを証明してしまい宮内庁共に必至にその痕跡をもみ消してる。
その最たる所以が近畿古墳発掘を禁止したこと。
同地域圏内の高松塚古墳は内部調査までしているのに他の古墳は一向に許可が降りない。
これは宮内庁が真相を隠し姑息な歴史観のまま偽りの安寧を維持しようとする怠慢でもあり、結果としてその驕りがA宮の様な税金を貪る暴君を生み出す結果へと繋がっているのである。
従って正当な民主先進国を標榜する日本として存在するためには科学に基づく根拠の上に正しい歴史を受け入れることがその道筋でもあり邪馬臺九州説は近畿説の悪しき捏造と嘘から日本を守る正義の論説なのである >>778
>考古学からも邪馬台国が畿内にあった遺物が出ている
出ません
魏志倭人伝に記載のある鉄鏃も絹も青玉(グリーンジャスパー)も北部九州で出土します
>ホケノ山古墳は古墳内の出土品と木棺の炭素年代測定から3世紀前期から中期の建造
古墳の年代は出土したものの中で一番新しいもので決まる
それが>>768のとおり4世紀 >>759
投馬國は、魏略や広志には出てこない。
したがって、陳寿は1つに20文字ほどしか書けない竹簡を集めてテキトーに付け足しただけ。
これは中国魏晋南北朝歴史学会副会長・陳長崎(ちんちょうき)が、「魏志倭人伝は欠陥資料でただ付け足しだけだ」という主張と同じ。 >>776
三角縁神獣鏡を分析したのは蛍光分析の専門研究所だよ
その研究結果で魏の鏡と三角縁神獣鏡は
含まれている銀・アンチモンが同じ割合なので同じ銅で作られているという結論を出している
成分が同じと出ている鏡を違うと言い張っている金属考古学者とやらは非科学的な事を言っているね 魏の人(山を指さして)「ここは何という所アルか?」
倭の人(山を何というか聞いてるんだと勘違いして)「山たい」
魏の人「邪馬台国いうアルか」
倭の人は九州弁で答えたんだろうから九州説が正しいな
>>768
個人の希望的観測だからな、それはw
公式見解でもなんでもない。 >>775
狗奴国はどこの南?
投馬國、邪馬壹國なんで卑奴母離がないのだ。 >>783
親魏倭王が呉の鏡を配ってたら問題になるわな
魏から反逆者とみなされるだろう
ハイ論破 >>777
鉛同位体比というのは金属鑑定には使えないね
なぜなら青銅を作るときに添加する鉛の量で決まるから
銅の年代や産地で含まれる鉛の量が変化するという確たる研究結果はないね >>790
>含まれている銀・アンチモンが同じ割合なので同じ銅で作られているという結論を出している
ハイ嘘
それはあくまで銀とアンチモンの割合が同じと言っただけで同じ銅だという結論は畿内の素人が勝手に付け足した感想文でしかない 北九州のヤマトから3世紀の遺跡が出土していない。
邪馬台国九州説は考古学的証拠が無い。
>>787
畿内からは卑弥呼が遣使した頃の魏の年号の入った
三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が見つかっているよ
これは卑弥呼の時代ころに畿内は魏と交流していた証拠
ちなみに絹も鉄鏃も畿内から出てるんだけど >>797
掘ればいくらでも出てくんだろ
でそれを宮内庁が許すと思うか >>792
『ホケノ山古墳の研究』は個人の希望的観測ではない
また畿内説は嘘をついた 九州説・奈良説 どっちが崩壊しても皇統には都合が悪いだろ
天皇の始まりは奈良でも天皇の先祖は九州だし
初神武は九州から奈良に移住したということになってるし
>>781
奴国や伊都国だけで九州の全面積占める訳じゃなかろうに
つか広誌には伊都国のすぐ南に邪馬壹国あるみたいに書いてあるじゃん 何を言ってるのか、判ってないだろ?
倭人伝は240年から247年まで、筑紫と魏は交流が有ったことを証明している。
で、238年は公孫氏滅亡で、246年は韓王朝廃絶、 日本は危機感抱くだろ?
卑弥呼の死で見た、張政の大倭は、
以降、半島に進出する予定の九州の筑紫を巻き込んだ朝廷勢力だろ?
>>796
魏鏡と違う銅が使われてる銅製品は銀・アンチモンの割合が違うんだよ
なので違う銅で作られているという事がわかる どこでもいいでしょ
くだらん
確たる証拠が出てこなきゃ
誰が何言っても推測の域を出ない話なんだし
ムダな争いにしか思えない
>>801
天皇の始まりが奈良ならいいんじゃない? >>798
>畿内からは卑弥呼が遣使した頃の魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が見つかっているよ
それは国産のコピー品にすぎないと>>741で教えてやっただろう
ホントお前らは>>388を証明するのが好きだな
>ちなみに絹も鉄鏃も畿内から出てるんだけど
数が北部九州とは桁違いに少ない
お話になりませんね >>802
遺跡から見たら弥生時代あたりに九州には奴国と伊都国しかないと言っていいよ 農村が点在してるだけの九州なわけないじゃんw馬鹿なのかな?
>>804
>魏鏡と違う銅が使われてる銅製品は銀・アンチモンの割合が違うんだよ
そんな科学的事実はありません
だから検査ターゲットがおかしいと専門家に否定されているんだよ 天智が唐に疑われるのを恐れて
全ての前史資料を焼却した焚書から近畿説は始まったに過ぎない。
いい加減自分で考える思考を持とうな
西の連合女首長国の使者を、魏が勝手に東の大王国と勘違いしたんだろ
そうとしか思えん
親魏倭王を頂いている。何を言ってるか?、さっぱりわからん
自分もどこでもいと思う
ロマン的なもんが歴史オタを惹きつけるのかなあ
>>789
そりゃ天皇家と直接の関係がないからだよ
これは畿内説だろうと九州説だろうと同じ >>808
コピー品としても魏と国交がなければ魏の年号は鏡に入れられないね
そして科学的な分析では三角縁神獣鏡は魏鏡と同じ銅で作られていて
形式や紋様も共通
魏の都のあった洛陽でも見つかっている >>803
筑紫てどこよ。
倭人伝の国のどこよ。
伊都国でいいのか? 魏略や広志も極めて不完全な資料だからな。
魏志倭人伝はその補完を兼ねて記された資料だろう。
結論としてはやはり不完全な資料だが、第一資料として参考にせざるを得ない。
畿内説の場合は問題になるのは方角のみで、後は全く問題はない。
>>795
>鉛同位体比というのは金属鑑定には使えないね
>なぜなら青銅を作るときに添加する鉛の量で決まるから
お前が同位体比という言葉の意味を理解していないのは分かった
比率なんだから量には依存しねえよアホ
畿内説というのがいかに知能の低い人間しかいないかよく分かる例だな >>808
鉄鏃は畿内の古墳一基から100以上見つかる
鉄器の数は畿内が九州を圧倒 邪馬壹国は「壹」はつくりの「豆」からトウと言う読み方もありうるってYouTubeで言ってた
こういうのは面白い
>>820
方角だけじゃねえだろ
その時代の遺跡なんてありゃしねえよ 台湾大学の周徳望教授も、「中国の外国の里数はテキトーで、例えば梁書の里数をそのまま当てはめると、日本に行くはずがメキシコまで行ってしまう。このような外国の例は多数あるので、外国の里数は全て無視して良く、邪馬台国は九州北部」と断言している。
>>820
畿内から海を渡った先にある別の倭の国って何? >>811
漢の鏡や日本の鏡も比較分析してあるんだよ
その結果三角縁神獣鏡は漢の鏡とも日本の鏡とも違って
魏の鏡と銀・アンチモン比が一致すると分析結果が出てる
これは三角縁神獣鏡が魏の鏡と同じ銅で作られてるという事を示すものだよ 誤爆
何を言ってるのか、判ってないだろ?
倭人伝は240年から247年まで、筑紫と魏は交流が有ったことを証明している。
で、238年は公孫氏滅亡で、246年は韓王朝廃絶、九州日本は侵略の危機感抱くだろ?
卑弥呼の死で見た、張政の敵、大倭は、
以降、半島に進出する予定の九州の筑紫を巻き込んだ朝廷勢力だろ?
47 使 大倭 監之 自女王國 以北 特置 一大率 檢察 諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史
48 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
卑弥呼が死ん247年で日本の臨戦態勢は整っていて、
張政は博多上陸は許されなかった。
記紀が読めても、漢文読めない馬鹿に何言っても無駄だが。
>>818
そうやって論破された嘘を連呼することしかできないから畿内説は敗れ去ったんだよ
まさに>>388のとおりじゃねえか
土で型を取るんだから年号はわざわざ入れたんじゃなくて模様の一部に過ぎないし
専門家による成分分析では呉の銅が使われている
神獣鏡という形式も呉のもの 邪馬台国はただの当て字
卑弥呼もただの当て字
九州人は朝鮮人種だから何でも起源を主張したいだけw
>>806
神武は九州出身だし
九州説が壊れると色々都合が悪い人達が居ると思うよ
千代田区に住んでるあの一族とか
わしらには何の関係もないけど >>794
だから遠く離れた畿内で国産なら何の問題もないよなw
ハイ論破 >>822
それは4世紀以降の古墳でしかない
卑弥呼の3世紀には北部九州が畿内を圧倒している
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
>
>
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と >>821
添加する鉛の量が増えたら
銅に含まれる鉛同位体の量は必然的に増えるね
調査の結果鉛同位体と銅の産地は直接関係しないという事が明らかになってるよ 近畿は3世紀以前銅鐸奴隷民しか存在した痕跡はなく
魏志邪馬臺の記述に沿う遺跡など地名も何も存在してないんだよ。
あるのは銅鐸と方形周溝墓ばかり
>>834
魏の権威を利用するのに呉の鏡を使うのは不自然極まりない
普通に魏からもらった鏡を使えよw
ハイ論破 >>831
三角縁神獣鏡は呉では見つかってなくて
魏の都のあった洛陽や魏の領地だった帯方で見つかる
三角縁神獣鏡は魏の領地のあった所と倭でしか見つかってないね >>826
台湾大学の周徳望教授と
日本の学者と質疑応答などあったのか?
たんに見解を聞いただけじゃないか? >>790
全然関係ない話だけど
蛍光分析というとラーメン天目騒動を思い出す >>836
>添加する鉛の量が増えたら銅に含まれる鉛同位体の量は必然的に増えるね
増えねえよアホ
鉛同位体比の意味もわかってないの丸出し
>調査の結果鉛同位体と銅の産地は直接関係しないという事が明らかになってるよ
ハイ嘘
ソースを出してみろウソツ畿内
結局こうやって苦しくなると見え透いた嘘に逃げるから畿内説は信用を失い日本史板から敗走する羽目になったわけです(笑) >>835
畿内で見つかっている鉄器
○ホケノ山古墳 畿内 3世紀中期
鉄鏃 約60本
素環頭大刀 1口
鉄製刀剣類 10口
○椿井大塚山古墳 畿内 3世後期
鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、
銅鏃17本、鉄製甲冑1領、鉄鎌3本、鉄斧10個、
鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上、
鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
その他鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品
○黒塚古墳 3世紀後期
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品 >>839
>魏の都のあった洛陽や魏の領地だった帯方で見つかる
見つかっていません
古物市で買ってきた鏡があるだけです 台湾大学の周徳望教授は、「魏志倭人伝の倭に牛馬なし」と記述から、牛馬がいないのに畿内から朝鮮半島まで行くのはあり得ないとし、邪馬台国は伊都國から極めて近い所以外あり得ないと主張している。
実際、日本は391年の倭・高句麗戦争でも馬を持っておらず、倭・高句麗戦争後に馬を輸入したことが分かっている。
>>835
また九州説のバカ加減を晒しているなw
邪馬台国に鉄が豊富なんて記述がない、卑弥呼の宮は鬼道の宮で巫女ばかりなんだからな。
鬼道に重要なのは鏡と水銀朱、巻向周辺にはそのどちらもある。
戦場なら間違いなくそこは卑弥呼の宮に一番不適格な場所だ。 >>843
だからそのホケノ山古墳が4世紀だと教えてやったばかりだろ痴呆
他の古墳も形式からホケノ山より新しい
460 :ニューノーマルの名無しさん :2021/05/05(水) 01:21:05.99 ID:cfsy/uqY0
>>436
期待するのは自由だけど、箸墓古墳は形式が4世紀のホケノ山古墳より新しいから可能性はほぼないと見たほうがいい
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku318.htm
> 纏向古墳群のなかの、ホケノ山古墳の築造代は、箸墓古墳の築造年代よりも古いとみられている。
> 考古学者の寺沢薫氏の年代論によれば、ホケノ山古墳は、庄内3式期のもので、箸墓古墳は、そのあとの、布留0式期のものである。
> 2008年に、『ホケノ山古墳の研究』(奈良県立橿原考古学研究所編集・発行)が、刊行されている。
> 『ホケノ山古墳の研究』によれば、ホケノ山古墳出土の、「古木効果」がはいらないよう慎重にえらばれた十二年輪の小枝の、炭素14年代測定法による測定値は、
> 四世紀を主とする年代を示している。
> (4)ホケノ山古墳出土の試料によるばあい、歴博仮説は1%以下の危険率で棄却できる小枝の資料だと、ホケノ山の年代は320年〜400年ごろとなる。
> 箸墓古墳はそれよりも新しいと言われており、もっと新しくなる。詳細は317回「炭素年代法記事について」参照。 >>842
割合で言って100の銅に1の鉛を添加しました
また100の銅に2の鉛を添加しました
鉛の割合が多くなるのはどっち? >>844
三角縁神獣鏡は洛陽の他に帯方に相当する地域でもいくつか見つかっている
帯方はかつて魏の領地だったところ 水行10日、陸行1月は、中国から来た一行はまず長崎あたりに入国した
その後、長崎を出て裏日本を水行し舞鶴あたりに入港
それから徒歩で1カ月歩いた
どう考えても行った先は中部地方です
東欧では日本のことをヤポネという
ネは何かに付いているような響きだが日本人という意味ではない
ヤマタイのヤマは国に関する名称だろうがタイは何か別のものだろう
>>846
バカはお前だけだから安心していいぞ
邪馬台国は狗奴国と戦争中だし卑弥呼の宮が城柵や高楼で厳重に守られ
物々しい警備がつけられていたことも魏志倭人伝に書いてある
倭人が使用していたと明記された鉄鏃が出ない地域は邪馬台国ではない >>848
だからお前は鉛同位体比という言葉の意味を調べてこい
鉛の量の話なんて誰もしてないんだよアホ >>847
ホケノ山を四世紀だとするのは一部の連中だけだぞw >>847
ホケノ山古墳は木棺の炭素年代測定と副葬品が
ともに三世紀中期以前のもので一致してるから
3世紀中期以前の建造と鑑定されてるよ 日本は391年の倭高句麗戦争の時、馬がなく歩兵だけであったことはWikipediaでも分かる。
ところが、卑弥呼の墓と主張する箸墓古墳からは馬具のあぶみが出土した。
したがって、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。
やっぱり九州人は朝鮮人なんだよなw
ばかばかしくて話にならない連中ばっかりw
卑弥呼は王でもないし、王に会う前に卑弥呼に合っただけ
ヤマトの王に合う前に別の場所に住む曾巫女が面接してただけ
女王の真偽は不明だが
東の女王国から奴隷戦士30人が魏に送られた
背は低かったが非常に強かったと
三国志正伝のほうに記述がある
女王国は存在したのだ
>>852
よくわからないな
鉛同位体比というのはどういうの?何か魔法のような超科学的な方法で年代がわかるものかな? >>853
科学的測定の結果なんだから仕方がない
現実を受け入れられない見苦しい畿内説学者の願望よりも科学のほうが上 >>858
フチが三角になってる神獣鏡
なので三角縁神獣鏡ですね >>837
あるだろろう。
//inoues.net/honpen01.gif
近畿 大坂、丹後、兵庫 畿内からは卑弥呼がいた頃の魏の年号の入った三角縁神獣鏡が出土
これは畿内は卑弥呼のいた時代に魏と国交を持っていた事を示す
>>860
科学的には三角縁神獣鏡は魏の鏡と同じ銅で作られていると
蛍光分析機spring-8によって分析されているよ 記紀のどこにも卑弥呼を皇室の祖とはしてないんだし
これを勝手に無理くり皇室の祖とするのはあまりにも不敬じゃね?
むしろ討たれた田油津姫の方が怪しいだろ
学会では畿内説で確定。
歴史教科書も邪馬台国は纏向遺跡が有力と記載。
ヤマトとかヤマタイとか言う名前の国に卑弥呼がいたかどうか疑わしい。
魏志倭人伝より先に書かれて陳寿にパクられた『広志』では、伊都國からまた南に行ったら邪馬嘉國。これより北の地域はその詳細を書くことができると書いている。
『魏略』にはそもそも邪馬台国という国が登場しない。
伊都國までの記述は魏志倭人伝とだいたい同じ。
ところが、伊都國でストップして、これらの国は「女王國」に属すると書いている。
魏略は一貫して「女王國」としか書いてない。
したがって、ヤマトとかヤマタイは後のこじつけに過ぎない可能性が高い。
>>851
邪馬台国が戦場だなんて記事は全くないのだが?
高齡の巫女が戦場に行くとでも言うのかw
それに巫女が100人もいたような場所が九州に?初耳だな。
三輪山麓なら豪族の娘たちを集めた場所だからな。
邪馬台国は卑弥呼が都とする七万戸の国。
対抗するのは北部九州にある奴国とその南側の狗奴国だろう。
そこが戦場になるんだよ。 >>864
それは測定ターゲットが間違っているから無意味だと金属研究の専門家に否定されているよ
本当に>>388が的確すぎて笑うしかない >>863
国交ってほどの頻度ではあってないだろ、潰れる寸前の魏国がヤマトと仲良くすればワンチャン巻き返せるかも
って近づいたのはいいけど崩壊してるじゃん >>1
世間的にはどーでも良いことに10年…
まあでも趣味ってそういうもんだね
お疲れさま >>866
なんかそれっぽいけど鉛同位体比で金属の産地や年代がわかるというのは
科学的には根拠のない全部作り事ね もしかしたら 済州島じゃないだろか?
ということで済州島は日本のものだ
韓国は返せ
>>863
それはただの国産コピー品と判明したので無意味
しかも魏の敵だった呉の鏡が元 >>870
それでは三角縁神獣鏡というのはどういう定義なの >>875
いや極めて科学的な測定だな
その結果が呉の鏡という事実 >>850
ヤポネはジャポン、ジャパン、ジパングがそれぞれの地域の発音で訛ったものだよ >>872
どの測定ターゲットが間違っているのかな
蛍光分析にかけた鏡は複数枚でしかも何度か検査が行われていて
検査結果はほとんど魏の鏡と三角縁神獣鏡は同じ銅で作られていると出ているよ >>865
唐古、志摩。吉備、東海からト骨
九州から卑弥呼時代は佐賀平野と
筑後平野の八女の二カ所のみ。 >>871
>邪馬台国は卑弥呼が都とする七万戸の国
筑紫平野どころか福岡平野より狭い奈良盆地ではあり得ないな
ハイ自爆乙 >>877
国産コピーとしても魏の年号は
魏と国交を持ってないと鏡に入れられないね
そして三角縁神獣鏡は中国では魏の領土のあった所で主に見つかり
呉からは1枚も見つかってないね >>882
> すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
間違ったターゲットを何回調べようが無意味 >>886
全部あった年号だよ
景初四年も使われてた事が史料などからわかる >>879
三角縁神獣鏡は呉からは見つかっていなくて
魏から見つかっているから金属考古学の鉛同位体分析というのは非科学的な検査方法という事がわかる >>887
砂で型を取るだけだから年号は模様の一部として勝手に入るだけ
魏との交流ならば魏の鏡を使用しなければおかしい
>そして三角縁神獣鏡は中国では魏の領土のあった所で主に見つかり
見つかりません
古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
きちんとした出土例は中国では一つもありません >>889
こういうソースのない嘘を流布するだけなのが畿内説です
景初に四年なんてありません >>845
だから卑弥呼が九州に居ればなんら問題ではない
なんら邪馬台国は、中心国でもない。
卑奴母離もない、つまり紛争地域ではない。 >>888
間違ったターゲットというのはないね
なぜなら三角縁神獣鏡と比較分析したのが漢の鏡と魏の鏡と倭の鏡
そのうち魏の鏡と一致したから間違ったターゲットを調べたわけじゃないという事がわかる
ターゲットが間違っているならその中のどれとも一致しないはず >>891
魏の洛陽のあった場所から三角縁神獣鏡は見つかってるよ
つまり三角縁神獣鏡は魏の鏡 >>885
ヒミコが居るのは洲になったり島になったりする場所だと聞いてるのは無視?都合悪いのか?w
ヤマト壱国は淡路島しかない、一宮の曾巫女が卑弥呼 >>890
三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません
古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
魏があった中国北方で当時流行した鏡は北部九州を中心に出土します
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku365.htm
> 中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
> 「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳鏡(きほうきょう)・
> 盤竜鏡・双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
> 従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
> とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・至位三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
> 位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(365〜316)に大層流行しましたが、
> 呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
> 日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に
> 中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」 >>896
九州とおもうけど
無論、邪馬台国は近畿。 >>894
検査ターゲットの意味も理解できないほどアホなのは分かった
アンチモンなんて調べても無意味だって専門家に言われてるんだよアホ >>892
景初四年があった事は
晋書天文志などに書かれてるね
その他魏志に書かれてる日付の干支や当時の文化風習から見たら
景初四年は半年くらい使われていた可能性が高い 安部ちゃんの祖先は曹操も越えなかった白狼山北の部族らしいよ
ということで安倍晋三に聞いてみよう
職権乱用で調べた岸少佐の資料が残ってるかも
>>895
見つかっていません
あるのは古物市で買ったという胡散臭い鏡だけ >>897
三角縁神獣鏡は魏の領地のあった帯方郡でも見つかっている
そして使われている銅は魏の鏡と同じものなので
三角縁神獣鏡は魏で作られた鏡というのが確実視されてるよ >>901
書かれていません
お前の勘違い
528 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 19:36:39.82
>>205
晋書天文志
「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。
四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。
景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」
これは訳すと、
「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
(景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
(青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」
田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ
佩文韻府も同じ間違い 57年小国倭奴国(伊都?)朝貢。
107年帥升等倭面土国(出雲)王その他99王面会を打診するが、帰される。
239年卑弥呼使者、魏は半島攻略中にもかかわらず、都まで丁重に案内され、魏皇帝は、初対面の卑弥呼に対し、初めてで知らないはずなのに、我甚哀汝といい、曹魏への忠孝、親孝行であるといい親魏を貰い受ける。
倭五王、200ヵ国近くを携え朝貢するが将軍止まり、親魏とは、雲泥の差、メチャクチャ格下。
タラシピコ、言ってる事が怪しいと、疑われる
小野妹子、皇帝からの返書を、とても見せられないので返書を海に捨てる。
>>904
三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません
古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
銅は鉛同位体比分析の結果呉の銅が使われていることが判明したので魏のものではないことが確実です >>900
漢の鏡と魏の鏡と倭の鏡でそれぞれ有意に違う値が出てるのに
なぜ銀・アンチモン比の分析が意味がないのか
それより鉛同位体比の方が意味がないように見えるね >>903
三角縁神獣鏡は魏の領土だった帯方郡からも見つかっている
そして紋様や形式は魏で作られた鏡と共通で
使われている銅は魏の鏡と同じもの
景初三年と魏で使われていた年号も入っている >>857
日本から若い男女数人が貢物として中国へ送り込まれた
その事実はあっても戦士ではないな
姿良く、顔良く、技術を持った者で中国の文化発展を願った善意の贈り物だろう >>909
アンチモンが原料の錫に由来するという前提が完全に間違いだからだと何度言ったら
> すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
>それより鉛同位体比の方が意味がないように見えるね
それはお前が現実を受け入れたくないと駄々をこねているだけ 近畿説は鏡は真偽サッパリわからん
祭祀の道具として活用、鉄という外貨獲得手段と見る
>>905
それは間違いじゃなくて景初四年で正しいね
なぜなら当時の文化で皇帝の死から1年は同じ年号を使い続けるという習慣があって
それから見ると景初4年は半年くらい使われていた可能性が高いから >>899
島の始まりは淡路島って寅さんの口上だけど
元は陸続きで独立した島になったのが淡路島なんだよな、一宮があるからヤマト壱の国なんだよ
ヤマトの王とは別人、そこからまた遠回りして都の場所を覚えられないようにした
なんせ相手は腐れ外道の魏国人だからなw >>910
三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません
古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
前進とされる画文帯神獣鏡は圧倒的に呉の地域から出土します
また魏があった中国北方で当時流行した鏡は北部九州を中心に出土します
312 :不要不急の名無しさん :2020/08/30(日) 23:22:03.72 ID:MnedjF5X0
>>284
画文帯神獣鏡は呉鏡だよ
洛陽でもごくわずかに出土していて皆無ではないが長江流域に比べると著しく少ない
中国社会科学院考古学研究所所長・徐苹芳氏が挙げている銅鏡はいずれも北部九州からの出土が多数
>>912
漢の鏡と魏の鏡と倭の鏡はそれぞれ有意に銀・アンチモン比に違いがあって
それによってグループ分けも可能なんだけど
こういう結果も出てるのにどうしてそれが間違いなの >>915
> なぜなら当時の文化で皇帝の死から1年は同じ年号を使い続けるという習慣があって
> それから見ると景初4年は半年くらい使われていた可能性が高いから
ソースは?
そこを景初四年で読んだらその下に景初元年の記事があるのと矛盾するんだが
結局そうやって苦しくなるとすぐ見え透いた嘘に逃げることしか出来ないのが畿内説の敗因なんだよなぁ >>921
>漢の鏡と魏の鏡と倭の鏡はそれぞれ有意に銀・アンチモン比に違いがあってそれによってグループ分けも可能なんだけど
ソースは? >>917
魏の領土のあった帯方郡でも三角縁神獣鏡は見つかってるよ
魏と倭でしか見つからないのが三角縁神獣鏡
これは三角縁神獣鏡は魏鏡であって倭に下賜された鏡である事を示している >>925
何だよいきなりだな
このパターンはお前が朝鮮人なんだろ >>922
佩文韻府にも
晋書天文志景初四年三月己巳太白與月倶加景晝見月犯太白
と景初四年と書いてるね 当時の歴史書(魏志倭人伝他)だって、すべて正しいことを書いてるわけじゃないし、
どうやってもすべてのことは推定。いまのように情報伝達がスムーズじゃない時代なんだから、なおさら。
>>924
何度同じ嘘を繰り返す気だお前は
・三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
・前進とされる画文帯神獣鏡は圧倒的に呉の地域から出土します
・また魏があった中国北方で当時流行した鏡は北部九州を中心に出土します
もう諦めろ 追い込まれると差別心をむき出しにする
畿内説の一つの類型だね
>>903
>三角縁神獣鏡は魏の領土だった帯方郡からも見つかっている
それは初耳だ
凄い発見だね >>930
そっちが中国で出土例がないといってるから
魏の領土のあった帯方郡でも三角縁神獣鏡は見つかってるよと訂正してるだけなんだけど
三角縁神獣鏡は魏の領土のあったとこから見つかっていて
呉からは一枚も見つかってないね >>929
どこにどう書いてあるんだ嘘つき
嘘じゃないというなら引用してみろ >>932
普通に以前から知られていた事だけど
九州説は都合が悪くて無かった事にしたいのかな >>926
九州説言ってる奴、畿内を否定する奴は100%九州の在日だと思ってるw
絶対あり得ないのが九州説 >>934
何度同じ嘘を繰り返す気だお前は
・三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
・前進とされる画文帯神獣鏡は圧倒的に呉の地域から出土します
・使用されている銅も鉛同位体比の測定によって呉のものと判明しています
・また魏があった中国北方で当時流行した鏡は北部九州を中心に出土します
もう諦めろ >>931
九州バカチョンが勝ち目もないくせにしつこいからだよw >>937
朝鮮人ことばっか考えてるのは朝鮮人しかいないよ >>940
残念だな、我が家の家系は阿波藩の武家の出だwwお前は釜山か? http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」
中国社会科学院考古学研究所所長・徐苹芳氏が挙げている銅鏡はいずれも北部九州からの出土が多数
>>933
間違いじゃなくて景初四年が正しいんだろう
じゃなきゃ三角縁神獣鏡に記銘されないからね
どうやら資料を突き合せると景初四年は半年ぐらい使われていた事が浮かび上がってくる >>943
ネットで言ってもなぁ
在日ほど騙るからな 邪馬台国は浪漫。ケンカとかやめた方がいいよ。所詮地図すらない時代の話。想像と妄想しかないのだから。
魏は持っていたはずだぞ、張魯の軍団を抱えていた時期があんだから。皇帝曹叡は、鬼道は何か?を解った上で好物を与えてんだから、卑弥呼は、張h瑛なんだから親戚だよ。
>>938
だから魏の領土のあった帯方郡でも三角縁神獣鏡は見つかってるよ
三角縁神獣鏡は魏の領土のあったとこから見つかっていて
使われている銅は魏で使われていた銅
そして呉からは一枚も見つかってないね >>942
誰が書いた文かってのが重要なんだよバカ
>泉屋博古館古代青銅鏡放射光蛍光分析研究会
>泉屋博古館
>廣川 守
専門家でも何でもないやつが個人的感想を述べているだけだな
過去の分析時に金属考古学の専門家から指摘された問題点もまったく解消せずに
そりゃ全くの無意味だな 漢鏡と魏鏡と倭鏡は銀・アンチモン比によってグループ分けが可能
三角縁神獣鏡は魏鏡のグループに入る
これは三角縁神獣鏡は魏で作られた鏡である事を示している
>>946
邪馬台国は当て字
魏志倭人伝は保存状態の悪い物を書き直した
この二点は知ってるんだよね?九州土人君は >>945
そういうのを自家撞着という
バカが陥りやすい落とし穴の典型例 >>949
何度同じ嘘を繰り返す気だお前は
・三角縁神獣鏡はそもそも中国では確実な出土例がありません古物市で買ったという胡散臭い鏡があるだけです
・前進とされる画文帯神獣鏡は圧倒的に呉の地域から出土します
・使用されている銅も鉛同位体比の測定によって呉のものと判明しています
・また魏があった中国北方で当時流行した鏡は北部九州を中心に出土します
もう諦めろ >>952
九州説は追いつめられてとうとう誹謗中傷に走り出したようだね
これが九州説
正体はネット工作員 >>951
お前のレス数と内容からして粘着してるの畿内説じゃん だから魏の領土のあった帯方郡でも三角縁神獣鏡は見つかってるよ
三角縁神獣鏡は魏の領土のあったとこと畿内で多く見つかっていて
使われている銅は魏で使われていた銅
魏の年号が入っている
そして呉からは一枚も見つかってないね
日本のはじまり→九州
日本を蒙古から守る→九州
日本を近代化→九州
>>957
事実の指摘は誹謗中傷とは言わない
少なくとも平成十六年には専門家から行われていた指摘を完全無視して同じことやってる
> 650 :名無しさん@1周年 :2019/06/08(土) 14:37:02.32 ID:vlUn2Ajg0
> >>618
> >そもそも黒塚古墳の三角縁神獣鏡は成分分析の結果、後漢鏡と同じ成分だと判明している
>
> あいにくだが、それは完全な誤りだと金属分析の専門家からとっくの昔に指摘されてるんだ
> しかも平成十六年には既に指摘されていたのに平成三十年になって同じ過ちを繰り返している悪質なゴッドハンド
>
> http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> > 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> > 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> > すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> > すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> > 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
> 中略
> > たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> > 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> > とまで述べておられた。 >>956
魏はヤマトに相手にされてないから九州から多く出土してるだけだろ? 距離は大月氏国を意識して大月氏国より遠目に(実際の大月氏国は書かれている距離よりも遠かった)
方角は呉を意識して呉の隣の南に
だから魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の位置通りの場所を特定すると九州を通り越してさらに南の太平洋上になる
>>958
九州説が三角縁神獣鏡は呉鏡だ国産だと
科学的な分析結果とは全然違う事を言って粘着してくるんだろ
九州説はただの印象操作をしようとしているに過ぎない 発掘じゃなくて古物商という流通経路から出てるもんじゃ怪しいって言われてもしょうがないだろ
言い張ってるのは畿内説でおまけに立場のすり替えもやるとか
ネット工作員のノウハウあるのは畿内説だな
>>963
へー魏は畿内ヤマトから相手にされてなかったんだ
じゃあ親魏倭王・卑弥呼がいたのは北部九州ってことだな
結論出たじゃないか
めでたしめでたし >>962
科学的な分析結果から見て
九州説のいうその専門家とやらはどうやら間違ってるよ 呉から日本に伝わったものは多いけど魏から日本に来たものなんて何もないよねw
九州土人は魏に貢物して喜んでたみたいだけど
>>966
>>944のとおり中国鏡の本場・中国の研究者も北部九州で出土する鏡が魏や晋の鏡だと言っている
お前は畿内詐欺に騙されたんだよ >>964
三角縁神獣鏡が帯方郡で見つかってる事や
銅は魏の鏡のものと同じものである事や
魏の年号が入っている事は全部ソースがあるよ >>965
東夷全体が巨大に書かれてるので
巨大な九州の上にしかならない >>972
九州で出土する鏡は主に漢鏡
中国の専門家とやらも歴史や考古学じゃなくて文化人類学の専門家とかだろ >>971
これ以上無くはっきり言ってるが
・魏の鏡は北部九州で出土する
・畿内出土の鏡は国産コピー品でコピー元は呉の鏡
これで理解出来ないならお前の頭が悪すぎるだけだぞ >>972
結局権威に頼る
おまえのやり方は卑怯なのよ 三角縁神獣鏡が中国で見つかったというのは骨董市だぜ?
だから、日本から仕入れた可能性は高い。
200年〜2022年までにむしろその骨董市でしか、中国では見つかってないという方が珍しい。
骨董市で買った中国人は、「魏が邪馬台国にあげたものと信じてる」と、テレビで話していたが、ただ信じてるだけ。
普通に、日本から中国に渡っただけの三角縁神獣鏡で、中国から出土した例はゼロ!
>>975
中国社会科学院考古学研究所所長が考古学者じゃないって?
斬新なバカだなお前w
九州で出土するのが魏の鏡だよウソツ畿内くん >>968
魏志倭人伝の頃まで国交無いのは明白だろwww
九州土人にヤマトの王に合うには曾巫女の許可がいるそうだ、その女の国は島になったり洲になったりするところにあるらしいって
聞いてヤマトイまで行ってんだからなw
九州なわけないだろバーーーーーかwwwwwww >>978
畿内説のほうがずっと権威に頼ってきただけのように思えるがw >>978
5ちゃんの素人の主観なんてどうでもいいわ
負け犬の遠吠え乙 >>980
中国の考古学局とやらも呆れたものだな
九州から見つかるのは1世紀あたりの漢鏡が多いんだよ
卑弥呼が居たころの3世紀あたりの魏鏡がよく見つかるのが畿内
なので邪馬台国は畿内にあったというのが有力なわけさ 魏は直ぐ滅んだからな、だが、卑弥呼を列島に送ってくれたし、宗女台与が後をうけ、大仙までは続いたよ、卑弥呼は張魯の娘。魏の縁者。水のように生きましょうを守ったのも魏だよ。
>>973
それらは全て間違いであるとソース付きで論破済みだよ
君は論破された嘘にいつまでもすがりつく負け犬 九州かもしれんが北九州はねえわ
畿内説よりさらに胡散臭い
>>979
三角縁神獣鏡は
魏の領土であった帯方郡でも見つかってるようだよ >>989
三角縁神獣鏡が中国で見つかったというのは骨董市だぜ?
だから、日本から仕入れた可能性は高い。
200年〜2022年までの800年間でむしろその骨董市でしか、中国では見つかってないという方が珍しい。
骨董市で買った中国人は、「魏が邪馬台国にあげたものと信じてる」と、テレビで話していたが、ただ信じてるだけ。
普通に、日本から中国に渡っただけの三角縁神獣鏡で、中国から出土した例はゼロ! >>985
中国の場合文字記録があるから年代は確実なんだよアホ
あちらは墓誌によって埋葬者や埋葬年代のはっきりした墓から出土した鏡で年代を論じているので間違いようがない
畿内のエセ学者がゴッドハンドしてるのとは違う 景初三年や正始元年など
卑弥呼が居たころの魏の年号の入った3世紀あたりの魏鏡がよく見つかるのは畿内
なので邪馬台国は畿内にあった国というのが有力
今回もなかなか有意義だったな
詳しい人のおかげで
・陳寿が魏志倭人伝を編纂するにあたり参照した文献には邪馬台国は伊都国の南にあるとハッキリ書いてある
・c14年代測定でintcal20が採用されたことにより箸墓古墳の築造年代が4世紀だと従来の説に戻る
この2つが分かった事が収穫だった
>>989
■畿内説の特徴
・論破されると記憶障害を起こす
だな >>991
洛陽でも見つかってるし
帯方でも見つかっているんだけど
もしかして九州説はマニュアルにある以外の事は答えられないのかな 九州説はマニュアルがあって
それ通りにしか答えられない説
>>993
それらは国産のコピー品に過ぎないと証明されてしまっている
残念だったなウソツ畿内 >>996
洛陽で出土してないよ。
そもそも1800年間で1つしか出てこないのはおかしい。
普通に日本から仕入れただけ。 lud20230128015239ca
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