記者会見や議会の答弁でごつごつとした攻撃的な言葉を吐き続けた東京都知事としての姿。一方で、小説「太陽の季節」や「秘祭」などにあふれるみずみずしい感性。このギャップは何なのか。都政の課題を追うかたわら、一時は首相候補とも目された「人間・石原慎太郎」の内面の秘密を探るのが、担当記者としての私の取材目標だった。
「目の前の課題を解決するには、背景にある大きな主要矛盾をとらえなければならない」。1999年、都知事1期目の選挙戦最中のインタビューで、石原さんは中華人民共和国の建国を主導した毛沢東の論文「矛盾論」の方法論を高く評価していると語った。
さらに、作家や政治家として手がけてきた数多くの対談の中から、部落解放同盟元書記長で社会党衆院議員だった小森龍邦たつくにさんとのやりとりを「面白かった」と振り返った。「共産主義が嫌い」と公言する自分とは左右対極の立ち位置とみなされる人々の名を、ためらうことなく口にしたのだ。
自分は狭隘きょうあいな人間ではない、とアピールする術すべを心得ていたわけだ。
選挙戦で、朝自宅を出て深夜に帰宅するまでずっとその後を追ったことがきっかけとなり、知事1期目の4年間、私は少なくとも週に一度は石原さんの自宅で、深夜に2人きりで酒杯をともにする機会を得た。
忘れられないのは2000年6月13日のことだ。話が国家神道から天皇制に及び、天皇制について「…その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という共産党の見解をそらんじてみせた石原さんは「まさにその通りだよ」と賛意を示した。議会での激しい共産党攻撃とは対照的な言葉だった。
静かに己の思索をまとめる時には、他人のものの見方にも耳を傾け、かなり柔軟な思考を重ねているように見受けられた。作家としての繊細な感受性の大本おおもとである。しかし、ひとたび政治の世界に踏み入れば、言動が一変する。
「君が代」について選挙期間中には私の取材に「古色蒼然そうぜん」と話し、産経新聞のアンケートにも「歌詞は滅私奉公みたいで嫌い」と答えていたのに、知事就任後は都の行事での君が代斉唱を厳格に課した。
この矛盾をどう読み解くべきなのか。自著などで何より「個性」を重んじている石原さんは、「歌詞は滅私奉公みたいで…」こそが本音のはず。ただ、保守系の新興宗教団体をバックに政界入りしただけに、常にその支持層に受ける政治姿勢を表に出す必要性を意識していたのだろう。
若い頃、演出家の故浅利慶太さんとともに日生劇場の創設に関わり、映画の脚本・監督のみならず主演も務めた石原さんは、演じることにこだわりがあった。わが身の本質とは別に、何が喝采を博するのか、支持者の欲求を的確に見抜き、その期待に沿って政治家を演じてきたと思う。そこに究極のポピュリズム(大衆迎合主義)を見た気がする。(嶋田昭浩)
東京新聞 2022年2月2日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/157653