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【邪馬台国】卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心 [ごまカンパチ★]->画像>9枚
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https://www.sankei.com/article/20211020-X3UJYBQUXJMSDPJJBJ3EYKPT6Y/ 古代史最大の謎として江戸時代から続く邪馬台国(やまたいこく)の所在地論争。
「女王・卑弥呼(ひみこ)は、北部九州や吉備(岡山)を中心とした勢力によって擁立され、奈良・纒向(まきむく)遺跡を首都として国を治めた」との説が打ち出された。
有力候補地の纒向遺跡(奈良県桜井市)などを調査してきた寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長が、県内で行われた講演会で披露した。
「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも、九州勢力の関与を指摘。「畿内VS九州」という二者択一ではない、新たな見解に注目が集まる。
■文献研究では限界も
寺沢さんは講演会の冒頭、「かつて『考古学者は邪馬台国に足を突っ込むな。あれは文献の世界だ』と言われた」と振り返り、
「文献では、江戸時代以来300年にわたって研究されても結論は出ていない。考古学的な視点が必要」と述べ、近畿や山陰、瀬戸内、
九州各地の遺跡の状況を示しながら、考古学の立場から解説した。
魏志倭人伝には、女王・卑弥呼が誕生した経緯や、中国との外交について年代も含めて詳細に記されている。
記述によると、倭国では長年、各地の勢力が互いに争っていたが、2世紀末頃に卑弥呼を共立。
卑弥呼は239年に中国の魏に使者を送り、銅鏡百枚などを下賜(かし)され、「親魏倭王」の称号と金印が授けられた。248年ごろに亡くなり、大きな塚(古墳)を造ったと記す。
※無料部分ここまで
生まれ変わりと名高い高市早苗烈士に直接聞けばハッキリする
考古学的に畿内は無理があるからってなに九州に擦り寄ってきてんだよw
畿内説 九州説 どちらの顔も立てる
日本人の知恵や
>寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長
畿内説論者の中でもほぼ中心人物だよねこの人
そんな人が九州にすり寄らなきゃいけないなんて、やっぱり九州だったんじゃないの
畿内だよ。
だいたい当時の軍事国家が、
中国にまともな経路教えるか。
今みたいな平和ボケじゃない。
卑弥呼は呪い師の婆さんだから定住しないで村々を回って病人を治癒したり豊作を占ったり雨乞いをしてたのでは?
それで圧倒的に支持されていた
そこに住んでたかはともかくとして辺鄙な大和の山の中に宗教施設を作ってそこに籠もることがあっても不思議はない
邪馬台国は首都や本拠地も特になく西日本全体に広がる卑弥呼信者のコミュニティ、現在の感覚で言うと国というより創価学会のようなものだったんじゃね?
卑弥呼と三国志が同じ時代という現実。文明格差が1000年ぐらいありそうだ
日本らしい八方よしの折衷案
もう山大国論争の答えはこれでいいだろ
やっぱりワシが前から提唱していた支店本店論がかなり信ぴょう性があったってことか
論争してた奴ら停戦協定のきっかけができて良かったな
邪馬台国てあらためてよく見てみると「ジャマ」で「よこしまな馬」て書いてある。いまさら気づいたけど
>>11 三国志にも張角いるやん
あれの日本版が卑弥呼だろ
>>11 当時は大陸に近い九州のほうが発展するのは致し方ないな
イデオロギーだけで畿内を主張しても見苦しいだけ
まぁ、邪馬台国は九州だろうが畿内のヤマト朝廷に敗れ去り呑み込まれたってのが正解だろう。
>>17 オウムのサティアンとか天理教の天理市とか宗教団体は狙って辺鄙なところに本拠地を作ったりするからなんとも言えない
卑弥呼は世俗の女王というよりどちらかというと後の神道のベースとなった卑弥呼教の教祖と考えるとどこに本拠地があったかは分からないし神託に従って転々としていたかもしれない
文字も伝令の仕組みも整ってねーのにそんな広範囲に統治出来る訳ねーだろ
>>21 できるよ
どうせそんなにミクロに統治するような事案なんかないだろ
卑弥呼の神託を村々に神官が伝えに行けばいいだけ
一年もかければ西日本全体くらいなら伝わる
マクモニーグルが邪馬台国を遠隔透視した結論と一緒じゃんw
>>22 田植えの時期を問い合わせたら回答返ってくる頃には刈り入れが始まってるようじゃ無理だお
邪馬台国は連合王国なんだからそう言う事もありそうだが
阿波、讃岐、吉備、ヤマト、北部九州の共立によって、
新造の纏向に初期大和政権誕生とか、寺沢さんの昔からの説じゃないの。
まあ、どこが主導したのかという論点はあるけど。
まっとうに国としての統治機構が整ってなくてもとにかく統治範囲がやたら広くて外から見ると強大な大帝国に見えたから魏も懐柔しておかないとまずいと思って使者を寄越したり金印を与えたりしたんだろ
>>8 この人も内心は九州だと思いながらも今更引っ込みがつかないんだろうな
名前忘れたけど、いつもの「古代歴史作家」の人かと思ったわw
魏志倭人伝に書かれてることなんて
使者が吹いたデマがかなり含まれてるんだろうし
それを基にした文献調査に意味があるのかどうか
もう畿内説は学問の体をなしてないもんな
掘れば逆の証拠が出てくる文献の内容は中国人にさえ九州だろって指摘される
何を持ってしてこれを学問というのか…
そもそも卑弥呼の時代の遺跡から出てくる出土品は九州の方が先進的だしな
例えば畿内の遺跡からは木製の農具しか出てこないけど九州の農具には鉄製の刃が付いてる
>>33 そんなこと言い出したら邪馬台国自体がその文献にしか資料のない国じゃねえか
なんか違うから全部なかったハイ終わり終わりじゃねえんだよ
>>35 神託を受けて卑弥呼が自ら未開の地に布教に赴いたのかもしれない
そうやってできたのが日本
イスラムにおけるモハメッドみたいなもの
>>37 卑弥呼が日本を作った
卑弥呼は大陸由来だが、縄文人の大陸進出(鬼界カルデラ疎開組)の子孫、里帰り組
得意技は神懸りで能力をスパークさせた状態での超弩級の戦略立案意思決定能力
いき を変換したら「壹岐」が出た!
邪馬壹国 と同じ字ね
対馬壱岐 で確定したわ
対馬壱岐は元寇とかで何回も荒らされてるからどうりで遺跡なんも出ないわけだわ
卑弥呼は神道の教祖、日本の建国者にして天照大神のモデル
大国主命の御神体とされる三輪山の山麓は、関係者以外立ち入り禁止の聖域だぞ
纏向遺跡はその三輪山に正対する神殿
箸墓古墳は大国主命の奥さんの墓
卑弥呼が入り込む隙間なんてありません
てか吉備からの侵入はあったと思う
古墳が吉備様式であることから想像できるんだけど
九州は関係あんのか?
>>20 伊勢神宮は現在の場所に決まるまで、ムチャクチャ転々としていたな、たしか。
そういや畿内にもしょぼい二見ヶ浦あるよな
あれもオリジナルは福岡の二見ヶ浦なんかな
やまたいこく から大国を想像して大間違いしてんだよな
倭国の中のひとつの集落に過ぎない(ただし地理的には要所)
「統治は纒向、擁立は九州・吉備中心」寝言は寝て言え、起きて言えば
キチガイ扱いされるぞ
そもそもが魏志倭人伝の東夷伝とかいうの、話を盛りすぎ芸人でね?
聞きかじりの伝聞で、卑弥呼いてぶぁなって、がぁ〜なってみてえな?
ギシギシあんあん伝状態で、ヲタクの記述者が盛りまくってかなり上司に
怒られてカットされたなれの果てじゃね??
せいぜいが、少集落でウエーイしてたヤカラどものダンシングクイーンがさ?
200人ぐらいを集めてバーベキューしながら夜中に高床式倉庫の前で
踊り狂ってたんだぜ?それに尾ひれがついてさ?
まだ卑弥呼は纏向にいたとか言い張ってんのか
もういい加減諦めろよ
>>15 古代中国は周辺国を蛮族扱いし、例えば吐蕃、鮮卑とかの当て字を使う習慣があるだけだよ
卑弥呼の陰毛とかが見つかって、
そのために日本の考古学会が大騒ぎする絵が見たいわ。
>「親魏倭王」の称号と金印が授けられた。248年ごろに亡くなり
しかし日本ってレベルが低かったのに驚くね
せめて紀元前ならまだしも紀元後のこともわかってないなんて
248年といえあローマ帝国も滅びようとしてる頃
ホメロスもシーザーもとっくの昔の話の時代
それなのにその時代の国のこともわかってないなんて
文字を持たないって悲しいなあ
なんでそんなに邪馬台国にこだわるんだろう
奈良が日本という国の興りである、というだけでも十分価値あると思うんだけどな
>>59 それがはっきりしないから
宮崎かもしれないし
>>57 半島のおまエラの国なんてずっと後まで文字の記録なんて残ってないぞ
最も古い三国史記や三国遺事が12世紀、13世紀
言葉が難しくてわからない天皇が九州で誕生して
天皇が移住して首都を奈良県にしたで合ってるかな
金
🇫🇮:Kulta
🇪🇪:Kuld
🇱🇻:Zelts
🇬🇧:Gold
🇳🇴:Gull
🇩🇪:Gold
🇸🇪:Guld
🇯🇵:ゴールド
🇰🇷🇰🇵:금(geum)
🇨🇳🇹🇼🇭🇰:金子(Jīnzi)
🇭🇺:Arany
🇹🇷:Altın
🇷🇴:Aur
🇷🇺:Золото(Zoloto)
🇫🇷:Or
🇪🇸:Oro
தங்கம்(Taṅkam)
>>64 時代的に卑弥呼は黄巾党の残党だった可能性さえあるね
>>65 俺もそう思う
それどころか関東の一部や半島南部まで広がってたかもしれない
大体が、ほんのちょい前の近代のことさえも話盛りすぎのやつが脚色
しまくって、面白おかしくし過ぎなンだわ?
俺の想像では、魏志倭人伝の編集部では、「やっぱ半グレ系の成り上がりっすね?」
「基本、そうだな。。」「女王なんて‥(うっ‥ハアハア)い、いいっすよねえ?」
「まあ。。わかるが。。盛りすぎンなよな?あ゛?」「(うっ‥うう‥ハアハア‥)当然っす!」
みてえな会話があってさあ???
で、当時は稲作もきっちり根付いて地味でコツコツやってたのがあちこちに分権で
それなりのチカラ持ってたが、キャラじゃねえ!却下!で、どっかから聞きつけてきた
全身タトゥーの鯨身のヤカラのカリスマ女の出番なのさ
日本書紀巻第廿二
豐御食炊屋姬天皇 推古天皇
九年春二月、皇太子初興宮室于斑鳩。三月甲申朔戊子、遣大伴連囓于高麗、遺坂本臣糠手于百濟、以詔之曰、急救任那。夏五月、天皇居于耳梨行宮。是時大雨、河水漂蕩、滿于宮庭。秋九月辛巳朔戊子、新羅之間諜者迦摩多到對馬、則捕以貢之、流上野。冬十一月庚辰朔甲申、議攻新羅。
迦摩多?カマタ?クルタ?!
やっぱり金って意味?!
ウラル祖語で。
ジャップ(天皇)は、本質的に 「寄生虫」。 だからキモい。
アメリカから見捨てられたら、
こんどは中国とくっつけばいい、
そうすりゃ覇権が取れるとか、虫のいいソロバンを弾いてる。
自分は一切リスクを追わないで
血の流れる仕事は中国とかアメリカに押し付けて、
その旨味だけ自分でたんまり吸おうとたくらんでる。
だからアメリカには捨てられまた「攻撃」された。
中国に擦り寄ろうとした所で、
ジャップは中国の「民族浄化」をたくらんで知らん顔してる国。
ジャップは中華民族永遠のカタキ。
中国から「民族浄化」されてお終い。
そういや311は民族浄化だな。
遺伝子レベルからジャップを破壊してる。
日本の歴史なんて嘘だらけだと思ってたのに
南海トラフと政変がほぼ一致してるから信憑性高いんだよ
最近も大日本帝国末期の1942年頃に南海トラフきて国名が日本になったから
前から言ってるが、九州の土着酋長が勝手に大和の名前使って外交してたんでは?
自分たちの箔付けのためにな
>>67 奈良の都ができるまで(その平城京も途中で放棄されたりしたのを抜きにしても長岡京に遷都するまで70年くらいしか首都として使われてない)°とにかく都というのは転々とするのが当たり前だったようだし、卑弥呼も数年に一回くらい神託を受けて移動してたかもしれない
ジャップの支配層はいまだに日帝主義者だから、
「ジャップは最初から天皇に統一的に支配されていた」
という妄想を維持したい。
しかし『魏史』倭人伝の邪馬台国の記述は、
明らかにそれに都合が悪い。
どうみても九州のほうにいたと思われる
卑弥呼が「倭女王」だとはっきり書かれてる。
そこで、ジャップの支配層は「邪馬台国は近畿にあった」
という無理な主張をして、自分たちの妄想を守ろうと悪あがきをする。
「とっくの昔から近畿説が学会の総意」というような嘘を書き連ねる。
邪馬台国ネタは、
ジャップの支配層、天皇を頂点とする上流国民が、
いかに幼稚で愚かか、ということを暴露してくれる話題。
だからネットでもどこでも 繰り返し蒸し返される。
ネトウヨは性懲りもなくバカをさらしに集まってくる。
「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読むヤツはいろいろと馬鹿。
まず原資料の表記は、邪馬「台」国じゃなくて 邪馬「壹」国。「一」の難しい漢字。
で、これは中国の史書に出てきた用語。当時の中国語で読むのが当然。
だから例の国の名前が「ヤマタイコク」である可能性はほぼゼロ。ゼロ。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
「ヤマタイコク」(笑)よりまともな推測音はこんなかんじ。
邪
・z-a, ia, ua (1) ザ、ズィア、ズア のどれか
・j-a, ia, ua (1) ジャ、ジア、ジュア のどれか
馬
・m-a, ia, ua (2) マ、ミア、ムア のどれか
壹
・?-in, it(4)イン、イト のどれか
いっとくが j-a, ia, ua は、ヤ、イア、ユア とは読めないからな。
>>75 そうだよな中国はヤマトなんて認めてないからな
漢の奴隷国という認識だったし
>>45 元伊勢と呼ばれる場所は畿内周辺に何ヵ所もあるな
永遠に馬鹿なジャップは例によって、
「卑弥呼」を勝手に「ひみこ」と読んで知らん顔。
しかし言うまでもなく「卑弥呼」は中国の史書に出てきた単語。
当然当時の中国語を基準とした読み方をすべき。
幾つかの可能性があるんだが、その中の一つは、
「ぴみは」 ないし 「ぴみか」
になる。
いずれにせよ「ひみこ」なんて読み方はありえない。
勝手に「ひみこ」を正当な読み方みたいにしてんじゃねーぞ、糞ジャップ
邪馬台国論争
近畿説を暴力的に擁護する
マヌケな天皇の犬どもの発狂を鑑賞する娯楽
こんなとこだなw
ジャップの支配層の幼稚さ、愚かさ、暴力性が
はっきりと表に出てくるからな
>>82 昔の日本人の発音がわかってよかったよありがとう
1 卑弥呼の墓は奴婢100人とともに殉葬
こんな墓は日本列島には一基たりともない
2 邪馬台国では鉄器使用(製鉄技術もあった)
砂鉄を用いたたたら製鉄ができるのは6世紀以降
3 撰者陳寿は洛陽以北へは一歩出てない(伝聞)
呉を牽制するための作り話がほとんど
いい加減にしろ池沼ども
刷り込みって凄いな
未だに邪馬壹國が日本列島にあったと信じ込んでる馬鹿ばっかりだから
3世紀の鉄器を収めてなおかつ殉葬してる墓なんて日本列島にないぞ
最初に船を降りた地点がどこなのか?
松浦にすると方角に問題が出てきて、つじつま合わせに必死になる。
宗像にすれば、あとの進路は簡単。
そして宗像の場合、邪馬台国は四国になる。
国宝建造物数
近畿圏 160棟
首都圏 4棟 ← 鎌倉時代の国宝一つもナシw
日本人が馬をはじめて知ったのは400年頃の倭・高句麗戦争だぞ?
卑弥呼の時代から150年後だ
それから馬を輸入して飼いならすのに10年かかったとすると160年だ
今から160年前は江戸時代だぞ?
纏向遺跡が邪馬台国といってるのは東京都庁が幕末に建てられたといってるようなもんだ
纏向から馬具が出土した時点で畿内説の連中は本来議論に参加することもできないはずなんだが
>>51 この時代って
弥生時代から古墳時代に向かう転換期で
鉄器が急速に普及した時代
鉄器の本当の威力ってさ
武器でも農具でもない、製材にあるんだよ
石器で森から丸太を切り出してくり舟作るのに半年がかり
これとは比べ物にならんペースで森を切り開いて農地化し、丸太を建材に利用できるようになった時代
小集落のマンパワーで高床式倉庫を建てられる生産力って、すげぇ話なんだぞ
なんでこんなところでチョンが火病を起こしてるんだ?w
おまえらの先祖はそのころシベリアでウンコを主食にして尿で顔を洗ってたんだから関係ないだろw
纏向が3世紀中頃に日本列島最大の都市だったことは考古学的に明らかだしな
纏向に卑弥呼がいたのは確実だろう
魏志倭人伝より
倭国
卑弥呼が鬼道を使い統治する
魏志韓伝より
馬韓
卑弥国があり、鬼神を祭っている
はははジャップw
卑弥国:三国志魏志で朝鮮西南部馬韓にある小国
邪馬国:三国志魏志で朝鮮南部弁辰にある小国
連合合同の祭祀場が置かれてたとして、それが九州とは考えづらいような
九州なら宗像くらいか?候補は
邪馬台国→倭国は白村江663年まで。
663年から7世紀末まで
倭国と日の本並立の混乱期。
8世紀700年代からは日の本。
>>1 纒向に朝鮮式の土器や九州の土器がほとんど見つかってない
つまり纒向は邪馬台国とはほぼほぼ関係もない
なんでまつろこくつまり唐津だと書いてあるのに宗像にしちゃうの
その脳がわかんないよ
>>89 そこは大和じゃないから
アメリカ大陸みたいなもの
>>12 九州や関東に、3世紀前半に作られた前方後円墳がある。
前方後円墳はヤマト勢力の証。
大昔の婆さんがどこに住んでたかなんかどうでもいいことだろ
それがわかったところで今に何の影響もない
この無駄なエネルギーをもっと建設的なことに使えないのか
>>27 日本は交通の便が悪くて各地で勝手に暮らしてたみたいだね。
ところが飢饉が何かで立ち行かなくなったので連合王国作ろうとしてた様子。
機内は宗教的中心地、九州は大陸との貿易の中心地。
どっちが併合したというものでは無さそうに見える。
>>100 九州に3世紀前半の前方後円墳なんてないけど?嘘をつくなボケ
仮に邪馬台国が朝鮮半島にあったとしても、当時の日本が朝鮮半島まで統治してたってなるだけだよ
前方後円墳の前例から学べよ
しかし邪馬台国の風呂敷広げて来たなw
畿内も九州もごちゃまぜにするつもりか?
新羅王族金氏の匈奴渡来説
1954年に山西省で見つかった大唐故金氏夫人墓銘(朝鮮語: 대당고김씨부인묘명)や新羅文武王陵碑や新羅の各種金石文などでは、新羅王族金氏が匈奴から渡来してきたと記録されている。また、韓国の研究者の中には、積石木槨墳の副葬品と匈奴系の類似を指摘する意見がある。
したがって韓国には、新羅王族金氏の匈奴渡来説を主張している人物がいる。これについて、韓国の公共放送局KBSがドキュメンタリーを報道したこともある。
残念ながら纒向からは九州や朝鮮半島との交流の痕跡がほとんど見つかってないんだよな
「統治は纒向」→( ゚Д゚)ハァ?
スクラムを組んで玉を足元で転がしながらゴールラインまで押し込んで行く
畿内説は全部コレ
チンクに擦り寄るようなチョンの末裔は九州に決まっとる
犯人はチョン
邪馬台国の詳しい説明はユーチューブでトンカラリンさんがしてる
下記で検索するといい
邪馬台国のゆっくり解説 1九州説VS畿内説
邪馬台国のゆっくり解説 2 邪馬台国編
邪馬台国のゆっくり解説 3 伊都国編
邪馬台国のゆっくり解説 4 行程編
邪馬台国のゆっくり解説 5 その他傍国編
とても興味深い考察です
たぶん 派遣社員だったんだよ ヒミコは
たまに巡礼や見廻り統治で西側へ出かけたの
忙しかったんだよ
俺の前世の記憶では近畿や九州、いやその当時それなりの集落には太陽からの神託を受ける巫女がいたわ。
結構若いうちに人柱になってたみたいよ。
>>30 むっちゃ利害絡んでるもんな
特に機内は
今更間違いないでしたとか、口が裂けても言えない
>>78 ヤマ「イチ」国とはまた懐かしい物を持ち出してきたなw
古田武彦氏だっけ。歴史研究の同人誌の原稿を元にしているらしく
本職の歴史学者からは無視されているらしいけど。
いまだに古田氏の「○○は無かった」シリーズの信奉者っているんだな。
>>97 www
そう。毎日 忙しかったんだよヒミコは
巫女もしなきゃならないし 統治もしなきゃならないし
>>90 何を言いたいのかわからない。
おまいの中では、馬が何を意味するの?
>>85 1はハニワかもしれん。
2は大陸から伝わった製鉄技術じゃないの?材料も輸入で。
3は全部伝聞。日本なんてようわからんとこの情報を人員派遣して調べる価値はない。アフリカの聞いたこともない国を地球の歩き方みたいな、伝聞の寄せ集めだから間違いが多々混じってる。
>>8 >>30 そんな感じ
突っ張ってた纒向の人間が突然軟化した
もう纒向説は終わりっぽい
>>1 何でこれだけ問題なって解決できないかわかる?
北部九州と畿内にヤマトが二つあったからだ
馬鹿だなぁ、教授辞めちゃえよ
三角縁神獣鏡が中国でついに発見と一部が騒いでたが立ち消えたままだな
あれどうなったの?
だいたい女王国の東側は海でむかいにも倭人の国がいっぱいありますよと書いてあるんだから場所は決まってるのに何やってるのかわけわかりませんね
>>97 朝鮮式だと邪馬台国なの?
そうなら、何を根拠に、そう言ってるの?
おれの予想では関東勢力が畿内とつながった理由は東京湾から海岸沿いに半島まで行こうとすると
大阪湾に出るので、自然と交流がはじまって畿内の街並みに感激したからだと思う
ふだんは奈良にいる卑弥呼が即位式のときだけ九州まで出向いた
これでどうかな?
みたいなノリ
つーかこの当時は文字とか持って無かったのかな
いつ頃から文字使うようになったんだろう
冊封や朝貢の歴史を事実としてちゃんと教えないと
それこそ東アジアの秩序というものを理解できないまま
近代史とかも理解できなくなる遠因だと思う
>>1 北部九州にあったのが邪馬台(ヤマト)
吉備含めた本州が擁立してたのが畿内ヤマト
渡来中心の邪馬台が大陸との繋がりを利用して正当性を主張してヤマトを名乗って戦乱になったんだよ
中国から当時最先端の品や文化が入ってくるんだから、貿易港として九州の街に権力があつまるのは当たり前でしょうね。
当時山陽や山陰なんて山野で道すらないし山賊だらけ、瀬戸内海の海路も海賊だらけ
そんなリスク犯してワザワザ大阪まで高価な品が運び込めるわけないわ。
朝鮮から攻められる可能性があれば奥まった大阪がいいんでしょうけど、当時そんな危機感ねーし
>>1 なー、何でヤマトを統一する必要が出てきたか考えろよ
ヤマトを名乗る渡来国家が出てきたからに決まってんだろ
>>122 倭人の国には馬が存在しないと書いてある
>>131 漢委奴国王の意味は理解してたと思いますよ
>>1 頭カチカチの漬物石が馬鹿か
北部九州と畿内にヤマトが二つあったからだろ
北部九州が稲作で力をつけてヤマトを名乗り出して
畿内ヤマトが日本を統一する必要が出てきた
これ以外ありえない
箸墓なんかの前方後円墳には、吉備の墳墓祭祀の特徴である特殊器台がフィーチャーされいるから、
吉備が中心的な役割を果たしたことは間違いないだろうけど。
神武東征伝説でもしばらく神武の一行は吉備に滞在しているし。
まあ素人でもわかる範囲はこんな感じで、これ以上、さらに研究を進めるのは厳しい気もするなあ。
女王国の主体は東海吉備山陰だよ
奈良も九州北部も征伐され女王国の支配下
奈良は卑弥呼率いる軍の対狗奴国前線基地で、九州北部は吉備を主体とした一大卒の管轄下だね
>>104 福岡県博多の那珂八幡古墳
3世紀前半ではなく、3世紀の中ごろだった
当時の倭人の国はいまの市町村くらいの大きさしかない
それを束ねて北部九州を支配できた邪馬台国は超大国
日本列島半分なんて到底無理
歴史解明の足を引っ張る宮内庁が悪い
日本を馬鹿にするために命名した、
邪とか卑とかの当て字をいつまで使ってる気だよ
纏向つくって奈良を「国の最中」に定めて、
さて名目上のトップ(神輿)をどうしようかな?
で、九州にちょうどいい貴種がいる、という感じで共立した王が…ってストーリーかな?
日本の考古学は纒向(まきむく)遺跡が邪馬台国だという定説を唱える奴らが東大や京大などを牛耳っていて一切反論を許されないから
こういう苦しい説がどんどん出てくる
>>1 神武東征は邪馬台国の残党を滅ぼしてからの話
畿内からの行きは吉備含めて連立勢力圏だから戦いはないからな
畿内までの帰りは反対勢力との交戦しながら戻る話、これが神武東征
つまり、邪馬台国を滅ぼしたものが畿内ヤマトの王となる約束だ
これが国譲り
畿内入りした神武天皇からヤマト王権が始まる
>>153 は?お前も勝手にヤマトを使ったと書いてるだろ
天皇とか外来語だろ皇帝とか日本には存在しない言葉なんだから
頭悪い奴ほど畿内説に固執するが、文献と全く関連性無い話ばっかりでうんざりする
当時の福岡からは楽浪郡の土器に加えて、大量の吉備の土器と尾張の土器が見つかっている
畿内の土器はないんだよね
当時の纏向遺跡からは東海吉備山陰の土器が多数見つかっている
奈良は元々銅鐸と勾玉、方形周溝墓の地域だったが、アイデンティティの最たるものである墓制は前方後円墳に変わり、勾玉と銅鐸は姿を消し鏡に替わったんだよね
考古学的には、ヤマト王権の歴史と、邪馬台国の歴史を直結させたりはしてこなかったからね。
纏向邪馬台国
本家邪馬台国
神聖邪馬台国
元祖邪馬台国
日本中にあってもいいじゃん
そもそも邪馬台国が固有名詞である必要ない
倭人の大きい組織を邪馬台、と呼んでたりして
>>154 統一する理由が渡来ヤマトが出来たからとかがあほか
尼崎事件の美代子被告とか
やばい女はだいたい尼崎なんだから
卑弥呼も近畿人でしょ
監禁、リンチしまくって統治しまくってった
まあ、北九州もキチガイリンチ事件あるから
なんとも言えないけど
天皇となのったのはずいぶんあとで、
スメラミコトとか、降って大王(オオキミ)って呼ばれてたんでしょ。
東海吉備山陰の土器で溢れていた纏向遺跡から、卑弥呼亡き後の時代に突然吉備の土器が消える
卑弥呼亡き後の男王の時代の内乱で、東海山陰勢と吉備勢は仲違いしたのかもしれないね
>>160 え?勝手に名乗って大陸からお墨付き貰って日本を代表し出したら潰すしかないだろ?
馬鹿なのか?
卑弥呼は九州出身で奈良で国を治めた、か
九州派と近畿派の両方に配慮した新しい説だな
松田聖子みたいなものだな
>>155 邪馬台国の支配層は姫氏を自称していたらしいよ。
見に来た人も入れ墨や漁の仕方をみて納得していたし。
だから中国は日本のことを東海姫氏国と呼んでいた。
日本神話でも船にのって稲穂をもってやってきたとあるし、
日本の水稲のDNA調べると中国江南地区産とわかる。
ここは姫氏である泰伯の子孫の地盤。
やべー女達が朝鮮半島から九州入り
原住民を監禁リンチしながら勢力拡大
そのまま尼崎経由で近畿でも監禁リンチで勢力拡大
九州のころがヤマタイで
近畿入りしてヤマト
何故、ヤマトとヤマタイで分けているのか
昔から疑問だった
邪馬臺はヤマトでいいんじゃないのか?
弥生期の畿内に前方後円墳につながる文化がない
前方後円墳には筑紫吉備出雲の特徴がある
これで畿内の勢力が独自に糾合して一大勢力になり大和王権となったという多くの畿内説論者の妄想は完全に否定されたわけだ
じゃあ寺沢の言うとおり筑紫吉備出雲勢力による維新政府のようなものが大和にできたのか
これはこれで荒唐無稽に思えるけどな
筑紫勢力の手先として中国地方の勢力が畿内統治と東進のための基地を作っただけだと思う
ヤマトという響きにナショナリズムをくすぐられるのか知らんがいい加減大和に夢見るのはやめよう
大和は王権の通り道に過ぎない
記紀がマジならヤマトタケルが1世紀の人物で当時の国の中心は奈良
卑弥呼も当然そこってことにはなるんだが…
>>137 魏志倭人伝は3世紀の邪馬台国について語り
馬がいないという説明があるのは承知しているが、
邪馬台国が近畿説、九州説のどちらであっても
不整合はない。
現代に例えると、日本共産党が九州北部で勝手に日本を名乗って
中国共産党からお墨付きを貰ったら、絶対に潰すわな
これと同じ
最初は力がない小勢力を連合政権の名目上のトップにまつりあげていたんだろう。
日本の権力っていうのは不思議な感じで、中心が空洞になっているところがある。
>>164 もともと九州勢力は畿内に緩く服属していたから自分たちよりつよい日本全体の代表としてヤマトと名乗っていた
別にそれを理由に滅ぼした訳ではないわ
言うこと聞かなくなったから潰しただけ
やまとって漢字だと倭→大倭→大和って変遷してるからね
纏向はオールジャパンだから、奈良のローカル政権ではないよ。
卑弥呼の古墳も九州にあるわけだし
自称研究家の畿内説とかバカすぎ
マニアの方が100万倍詳しいわ
バカのせいで卑弥呼の古墳ひどいことになってる
バカサヨ研究者バチがあたって苦しんで死ねば良いのに
>>2 安重根烈士かよw
日本人なら維新志士だろw
>>140 とは言えまともに文献残っていないからなあ
>>177 「いとうさん」だって「伊藤」やら「伊東」やらあるんだし、漢字の違いなんかたいして意味はなくて
「ヤマタイ」と「ヤマト」がサウンドがほぼ同じって事が重要でしょうね。
朝見していた女王国と大和王朝は別物だ
と言いたいための言い訳だったら
考古学なんて無くなればいい
>>175 確かに畿内勢力は人口が日本最大だったが
中華に近い筑紫や出雲の方が強いだろw
九州北部を実質抑えていたのは吉備などの瀬戸内海勢力だよ
奈良を実質抑えていたのは東海山陰勢
九州北部と畿内の在地の人たちが手を組んだのが神功皇后応神の時代だろう
神功皇后が九州北部の住吉さんをお供にして畿内に向かう逸話が瀬戸内海各地に残っている
博多の住吉さんは難波津の守り神として大切に祀られているよね
惜しいけど違う。
各地域に豪族がいて貿易など繋がりがあった
異常気象による食料不足が起き倭国大乱がはじまる
日本は暫く内戦状態になり一番激しかったのが九州
調停する役目に選ばれたのが畿内の邪馬台国であり
EUのような関係で豪族は手打ちとするも
現代のように話し合いで片がつく時代ではないので
目付として九州北部に邪馬台国が軍を駐屯させた
アフガニスタンにおけるアメリカ軍のような役割
九州北部の遺跡も邪馬台国で間違いではないが
本家は畿内に存在して、邪馬台国は畿内説が正しい。
決定的証拠があればすっきりするのに
日本が文字の無い未開国でさえなければ
>>181 ギシアン魏志倭人伝て
曹丕の時代じゃねーの?
>>175 だから、そういう理由も俺のには含まれてる
>>176 朝鮮半島からの勢力なら言語的繋がりが大陸系統とあるはずだろ
ヤマト言葉は孤立した言語
そもそも北九州〜近畿なんか一晩で移動できるし。
手下「卑弥呼さま、今日は近畿で監禁リンチです」
卑弥呼「あいよ」
手下「卑弥呼さま、明日は北九州で監禁リンチです」
卑弥呼「あいよ」
古墳が監禁リンチ施設だって事も知らない、バカな学者達。
>>189 は?
朝鮮語と日本語は同じ語族だよ。
北九州〜近畿が朝鮮人が起源なのは明白。
ついに足して2で割ってきたか
どちら側も、誰一人納得しねぇよそんなもん
レムリア人達がいたムー大陸が沈んで
泳いでたどり着いたのがアトランティス大陸や今の日本の土地やその他の陸地の場所で、
日本に来たレムリア人は沖縄や九州の辺りにいたんじゃないかと思う
そのレムリア人の遺伝子を特に強く持ち続けている人種が縄文人とユダヤ人
>>175 あと確実に稲作で九州勢力の方が力をつけていたのは確実
大陸からの稲作で勢力つけた
大和の墓制である前方後円墳が北九州の三種の神器と吉備の古墳が融合されたものだから、
北九州の影響があるのは否定できない。
女王が取り纏めた小国の連合でしょ
首都機能移転なら、北部九州→吉備→近畿
に移すのは道理
だから、どの説も間違っていないんじゃないのか?
南海トラフをきっかけにして倭国大乱が起きたことはスルーしてるからな
卑弥呼というのは一般名
ウナ姫 という孝元天皇の兄の嫁
ワニ家の当主の嫁
いい加減無駄な議論はやめてください
ワニ家の墓からは卑弥呼がもらった剣が出ている
>>192 は?じゃねーよ
朝鮮語が日本語に近いって話な
それは日本が支配してたから
琉球語とアイヌ語がヤマト言葉と近い理由でもある
纏向でほぼ決着付いてるから九州派はなんとかねじ込もうと必死だな
ヤマト王権のことは否定しないけど
群雄割拠の時代に畿内から瀬戸内北九州を通って大陸勢力とアクセスなんてできねーだろうし邪馬台国は普通に九州だろう
因みに前方後円墳がある都道府県は下記の通り
奈良県
大阪府
京都府
滋賀県
埼玉県
意外にもたった5府県しか無いのである
朝鮮が起源主張してるものって日本統治時代に日本から持ち込まれたものばかりだよね w
>>192 あと半島の高句麗語と今の朝鮮語は違うからな
>>203 邪馬台国で統一されたからアクセスはできるよね。敵はいないわけだから。
>>181 その称号が欲しくて使者を出してるんだから理解できてないわけがない
そもそも金印が出土してるし
意味もわからず使ってるわけがない
>>182 魏志倭人伝には倭人=やまとびとと漢字が出てるのに邪馬台国は倭ではなく邪馬台国と漢字で書いてるんですよね
倭人の国のひとつであることは認識されてるでしょうけど大倭とはやはり別なのではないでしょうか?
>>201 は???
言語学すらやったことないの?
大学いってないの?
ウラル=アルタイ語族だから
起源はユーラシアの北の方で
そこから朝鮮人になって、
やべー朝鮮人が北九州〜近畿に汚鮮だよ。
金属の武器を使って
「古墳で監禁リンチで統治」なんて
やべー朝鮮のやつらしかやらないよ。
イラン人とかじゃないの?ダルビッシュも信長って読めんことない
古代朝鮮語なんか混じってんだよな?どうも
>>204 何言ってんだコイツ
>>204 前方後円墳なら朝鮮半島にもあるくらい日本中にありますよ
北九州は後漢時代から中国へ使節を送って鏡をもらい、それを古墳に埋蔵していた。
つまり、中国文化の影響にあった。
そして、大和の前方後円墳はその文化を受け継いだ。
ということは、北九州勢が3世紀に畿内へ何らかの影響を与えたとしか考えられない。
>>208 じゃあ文字はあったけど文献に記す知恵はまだなかったのかな
>>216 卑弥呼たちなんて、尼崎の美代子被告みたいな犯罪集団なんだし、いちいち文字で残したりするわけねーじゃん
>>212 朝鮮半島には神武東征で枝分かれしたお兄さんが統治したからな
稲飯命な
>>166 もしかしたら 稲だけじゃなかったのかも…
他の植物の種とか 苗もかも…
人体文土器とか見ると縄文中期には何らかの記号文字がありそうなんだけどね
これが弥生になるとシンプルな中に記号一つとかになるからこの辺りで漢字もしくはその原型が来てそうなんだよね
木簡竹簡だから残らないだけで
縄文人の遺伝子が強い人の特徴は前にNHKの教育番組でもやってたよ
知ってる人なら知っている
分かりやすいのは沖縄の人
韓国人とは明らかに違う
>>216 奈良時代辺りまで木簡使ってますから、よほど保存状態が良くないと出土は難しいでしょうね
ただ古墳時代のら古墳の墓室から出てくる剣とかに文字が刻まれていたりしますし
魏から送られた鏡に年号が刻まれていてそれを複製したりしてますから
文献がないから理解できないはずという認識は間違いだと思いますよ
文献以外にこうやって文字が刻まれた出土品はありますからね
マキムクって卑弥呼の時代とされる年代とは違う時代のやつなんじゃないの?
「卑弥呼が!マンセー!」とか
「ヤマト朝廷かっこいい!」とか
「武士の台頭わくわくする!」とか
ロマンを感じるのは自由だけど
暴力団の抗争だという視点が欠けてるわ。
>>1 >「文献では、江戸時代以来300年にわたって研究されても結論は出ていない。
出てるよ
オレが出しただろ
御井だよ猿ども
>>223 メラニン色素が強いので日焼けしてもすぐに赤くならない…とか、
日焼けするとシミになりやすい…とか、
耳垢が欧米人みたいに柔らかい
毛深い
二重
とか…
>>219 倭人伝でいうとこの狗邪韓国でしたっけ?
後の任那だとおもいますけど
>>225 いや、理解出来ないはずなんて一度も書いたつもりはないんだがw
常識で考えたら九州
でも、ネットじゃネトウヨが幅を利かせて畿内w
>>231 縄文人の遺骨の復元から明らかなように、
縄文人は大久保佳代子みたいなのっぺり顔だよ
ネットでも九州だと思いますよ
頭おかしい朝鮮脳が畿内って言ってるような感じです
>>234 じゃ言い方を変えましょうか
文献となると木簡なんで一番古いのは奈良時代のものになりますけど
文字自体なら剣や鏡に刻まれているのがあるので時代がもっと遡りますよ
>>232 勢いよく当時は新羅の北部まで到達してんだろうね
落ち着いたのが新羅南部から任那かな
ちなみに一番古い出土品が金印の漢委奴国王印で作ったのが後漢でも使用したのは倭人ですね
日本で出土してむすし
しかし紀元後240年の時代のことがこんなに分からないなんて
日本人って猿じゃないのw
なんか大笑いしたくなる
石器時代じゃないんだから
>>128 は?邪馬台国は頻繁に楽浪郡帯方郡と交流してたわけだが?
邪馬台国の基本を知らないやつは邪馬台国を語るな
纒向は朝鮮どころか九州の土器すらほとんど見つかってない
>>1 両主張の妥協の産物でしかないような新説だね
倭人ってのはひがしの野蛮人って意味で
日本人っていう意味じゃない
倭は列島にいた人たちへの蔑称だろ。
東夷一般を倭と読んだわけではないよ。
どうみても日本じゃないよ
稲作やってた日本人が裸足のはずがない
>>242 そこまではどうでしょうか?
ただ魏志倭人伝だと倭国の領域は明らかに海を渡る前から倭国なんで半島に勢力範囲があったことは確実ですね
>>254 あれは仮授されたものだから返却してる
日本には無い
近畿説の方角間違えたって理屈は意味不明だった
太陽昇る方向は分かるだろ
全身入れ墨で朱塗りの日本人なんて
居るわけないだろ。ジャワ人だよ、ジャワ人
>>247 お隣さんみたいに古朝鮮とか知ったかぶりファンタジーで妄言吐かないだけ正直ってことです
>>252 古代において日ノ本は今の青森県南部地方ね
いわゆるえみしの国
古事記とか日本書紀とか書く暇あったんならちゃんとこの辺の話も書いといてよ当時はたった数百年前のことなんだし
邪馬台国と大和朝廷の前身は全く別なモノだが、同時代に存在しただけ。
>>261 近畿では鉄が溶けやすいんですとかね
学会で言うんだぜこれwww
>>223 先に日本にいる縄文人を朝鮮半島からの渡来人が北と南に追いやって、
今の日本の中心でいる日本人というのは、
もうほとんどが渡来人の遺伝子が強い日本人
文献以外の出土
もし 剣だと 銘が刻まれてるからだね
製作年紀が入っていたり
もしくは作者銘か 所持銘
ナカゴの どこかには刻まれてあったりするわけだわ
>>57 文字を持っていたのに後継者が絶滅したり塗り替えられた民族が
五万といる中では立派なほうだろ。
宗像氏ってあるだろ、あれは胸形で、身体に刺青いれてた海人なんだね。
安曇氏もそう。祖先が顔(目)に刺青を入れてたんだよ。
倭人の鯨面・文身ってやつさ。
ハニワなんかにも刺青が再現されている。
>>268 はー呆れるばかりだな
青銅器さえなかったのか
紀元後に
>>266 ぎしわじんでんしか資料が無いんだから
書きようがないよ。日本に住んでたわけじゃないし
それから見たら今の日本人の発展はすごいな
本来ならアマゾンの裸族と変わらないはずなのに
なんで日本人はこんなに急激に発展したんだ
当時の中国の地理観では日本れ列島は九州から真南に伸びていることになってたわけ。
それで南行、とか修正を入れないと南太平洋に突き抜けてしまうわけだよw
宗像は胸形とかで良いのかも知れないが
安曇が分からない
アズウミかな
日本列島は 石器と青銅器と鉄器が同時に使われていた不思議な歴史を持つんだよ。
銅鐸のころはすでに鉄器が普及してた時代だし。武器型青銅器のころも鉄剣はちゃんと存在していたし。
魏志倭人伝(3世紀)には、
九州邪馬台と、奈良の大倭(4世紀以降に大和と改字)の
双方がちゃんと登場してるんだがw
九州説の学者も、畿内説の学者も、都合が悪いから
この大倭を無視してるけどw
ローマがコロッセオとか水道橋を作ってる時に日本は竪穴式住居
同じ人間なのか
安曇は坍宇美(あずうみ)じゃ無いかと思ってるんだがね
志賀島は崖が多いから宇美国の崖の多いところ=志賀島
って意味じゃ無いかと思うんだがどうよ
>>131 記録として残ってるのは記紀が最古かな?
ただ現時点で最も古いと思われる文字が熊本で見つかってる
>>145 那珂八幡古墳が3世紀中頃とする根拠は?
現状最古とされる前方後円墳である箸墓古墳が4世紀に入ってからのものやろ
>>263 >全身入れ墨で朱塗りの日本人なんて
>居るわけないだろ。
いるよ。
山口組とか、工藤会とか。
全身入れ墨で、全身朱塗り
米はほとんどできず、足は裸足
家に屋根はなく、山がちの島である
布を縫うことはできず、穴を開けて被っている
これ、ほんとに日本か?
>>286 古いもんも捨てずに残す国民性だからなー
おそらく島国というのがポイントなんだろうけど
安曇は
坍宇美(あずうみ)じゃ無いかと思ってるんだがね
志賀島は崖が多いから宇美国の崖の多いところ=志賀島
って意味じゃ無いかと思うんだがどうよ
天つ罪、国つ罪のヒドさは異常
天つ罪は卑怯きわまりないし、スサノオなんて神殿に糞してるからな
山がちな島には、見えないよ
どうみても
鳥瞰で見られる時代じゃ無いんだよ
じゃあ、これはどこだよ?ジャワ島だろ
>>266 卑弥呼とかなんて、
今で言う北九州拉致監禁の暴力団とか
工藤会の反社とか
近畿の山口組とか
淡路島の美代子被告たちとか
そういうのなんだから、文字で記録するわけない。
>>131 仏教伝来の頃からじゃね
538年とか
日本ってめっちゃ遅れてるよね
何が伝統文化のある古い国だよ
大嘘つきやん
米がほとんどと取れず、というのは海人の漁労民について書いたものだろ。
農民は別にいたんだよ。
>>1 ほら言ったじゃん
邪馬台国=纏向=奈良(ヤマト)
邪馬台国の読み方は「ヤマタイ国」ではなく「ヤマト国」
邪馬台国九州説の馬鹿は息してる?
>>288 同時存在ですのかw
あ!また漢字改変してる!
どうゆう馬鹿にしながらの統治法なんだよ それw
>>288 逆なんだよなあ
倭人でんにあわせたんよ
>>269 >邪馬台国と大和朝廷の前身は全く別なモノだが、同時代に存在しただけ。
「山口組と5代目山口組は全く別なモノだが、同時代に存在しただけ。」
みたいな話でしかない。
外から見たら同じ組織だわ。
木簡が奈良時代からいくつも出てくるようになるのはそれ以前は木簡もなかったような文明レベルだったんだろうな
中国の正史じゃない民間伝承だと徐福一行が日本人になったとあるから
それなら紀元前には文字をもってただろうなとも思う
支那でも中原以外ではみんな無文字社会だよ。
日本だけが無文字で遅れてたわけじゃない。
>>305 それだと簡単でわかりやすいね
邪馬台国、邪馬台国、邪馬台国、・・・大和國
どうじゃー
宇美国は旧糟屋郡のこと
宇美の中で崖が多いって志賀島だけだろ
だから坍宇美(あずうみ)って志賀島のことだよ
これを一族の名前にしたわけだな
安曇の本拠地が志賀島北部の勝馬だから
>>312 ギリシャじゃ紀元前800年とかにホメロスが戯曲を書いてたというのに
縄文人はテレパシーを使っていたし、
UFOと交信したりしていた
空には当たり前の様にUFOが飛んでいた
レムリア人は6次元の生き物だった
それがある事故で3次元へと移行してしまった
ストーンサークルは縄文人がUFOに乗るときに引き上げてもらう停留所の様なもの
>>55 今、宇佐の風土記の丘で赤塚古墳と三角縁神獣鏡の特別展をやってる
一応九州最古の前方後円墳なんだが
陰が薄いんだわココ
応神天皇は九州邪馬台国から畿内入りしたよ。
九州にはまだ邪馬台国があり、二度目の東遷をしたんだ。
このとき、半島から大挙して倭軍が引き揚げ、新羅伽羅からも配下が退散した。
その勢いを駆って畿内に攻め上る。騎馬民族王朝説は応神天皇のこと。河内王朝が出来たが、畿内にも邪馬台国はあったから、二度目だし、反乱軍鎮圧なんだな。
継体王朝が三度目で、完全に九州邪馬台国は畿内に吸収された。九州だけに。
>>271 縄文人は大久保佳代子みたいなブスばっか。
縄文人の男ものっぺり顔のブサメンだったから。
渡来人が韓国アイドルみたいに入ってきて
一気にブームになったんだよ。
なんだよ その改字編式統治法は〜ww
変わったことしてたんだなぁ
当時も
>>131 漢の発音が謎だよね?
日本に声調伝わってないって事は
大陸と国交しようって国が、九州だけの狭い国なわけないだろ。
>>285 宗像=おそらく旧名ミナカタ(港の傍らの意)
=交易港博多港の旧支配者(=海幸彦)
ミナカタから、邪馬台(やまと(日田〜筑紫)=山幸彦)が
港の支配権・地域覇権を奪う政治プロセスが海幸彦山幸彦の
神話に記録されている。
その一部は、天照とスサノヲの誓約として神話に再掲される。
天照がスサノヲの剣を噛み砕き、その口から宗像三女神が産まれる。
ミナカタは、港の支配権・地域覇権を邪馬台に明け渡し、
剣を持たず祈るだけの女王(女神)の国になったわけだ。
ミナカタが宗像になった瞬間である。
>>9 あの時代の日本を占領する価値なんて無い。
王宮ですら掘っ立て小屋の文明レベルの国なんだし。
辺境に住んでる土人くらいの印象しかない。
>>320 ブームになってるか?
売上上位となるとちょよんぴるとかけいうんすくあたりまで遡る気がするけど
九州に3世紀の大規模遺跡はないからね。
4世紀になっても北部九州にはあまり古墳がない。
神産みで
ワタツミ三神と住吉三神が交互に生まれて
それからアマテラス(御井の邪馬台国)、ツクヨミ(奴国)、スサノオ(出雲)が生まれるだろ
ワタツミ三神=安曇=不弥国(宇美国)な
では、皆さんに質問です
住吉三神とは何でしょう?
↓
饒速日命
神武天皇(実際には台与)
神功皇后(実際には応神天皇)
継体天皇
この4回にわたり、東遷が繰り返されたんだな。
神功皇后は台与がモデルの架空キャラ。
神武天皇も架空キャラ。
4回かけなきゃ九州邪馬台国は畿内に完全に移転できなかった。
まだ謎解きやってたのかw
上村海賊とかは関係ないの?
四国に色々あるよね
あとは、淡路島とかも
>>140 これ、モンゴル帝国が日本で奴隷捕まえようとしてたんじゃないの?
他にも沢山モンゴル帝国の落とし物あるでしょ?
あそこ。
>>320 沖縄県民見たら平たい顔族の弥生系より遥かにイケメンだと思うけど
俳優女優やアイドルも一重は少ない
>>327 それ迷信。
過去レス全部読まないバカなの?
縄文遺骨から復元で大久保佳代子だよ。
そんな基本事項も知らねーのもバカ。
縄文人の祖先と思われるブリヤート人も
けっこうイケてない方のアジア人だし。
中華、朝鮮から渡来してきて
その中でもイケメン、イケ女がちやほやされて広まっただけ。
一部は卑弥呼、尼崎事件の美代子被告みたいに
監禁リンチで統治したがるやつがいた、ってこと。
縄文人が彫りが深くてのっぺり顔のチョン系が半島経由で渡ってきたのが正しい。
>>1 なんでも朝鮮半島起源思想の影響が強い九州人が喜ぶだろうな
広域間での大規模先頭の痕跡は弥生時代にはないんだよなあ。
だから共立とか、そういう話になってくるw
有料記事で読めないんだけど、九州から擁立されたという根拠は何?
>>335 沖縄県なんか中国人とかインドネシアのハイブリッドだよ
フィリピンとかも入ってる
ヤマトは山の麓という意味で日本中結構どこにでもあるという話があるね。
九州に稲作が伝えられてから、
僅か50年後に東北で稲作が行われていたんだよ。
これは日本列島に広くコミュニティが形成されていたのではなかろうか。
北九州中心説だとこうも早い伝搬は難しいでしょ?
つまり邪馬台国を畿内とし、九州を狗奴国とするのを推すよ
いけね、神武天皇も神功皇后も台与を下敷きとした架空キャラと正確に書くべきだったわ。
結局は
東遷を繰り返し記述しているのが日本書紀ということで、斉明天皇や中大兄皇子なんかにもダブっている。
壬申の乱こそが畿内に真の統一政権誕生させたんだね。
「縄文人はのっぺり顔」は言いすぎたかな。
「縄文人は鼻筋の通ってない、ただの汚いブス」ってこと。
今現代だって、中国人、朝鮮人は鼻筋が通ってるのがデフォだけど、日本人は鼻筋が通ってない人がデフォだから。
そもそも卑弥呼って
実在した可能性って何%くらいなの?
卑弥呼はいたことは間違いない。
じゃないと歴史はなりたたないw
邪馬台国て、たまたま魏と交流があってさも日本の大国のようにフカシただけの単なる九州の一勢力だったんだろ
>>347 日本列島に広くコミュニティが形成されていたのなら
50年もあれば余裕で九州から東北に伝わるんじゃね
>>351 魏志倭人伝が完全な創作だとすれば0%だけど、
そうでないとすればいたんだろ。
農工具まで落として行ったんでしょw
モンゴル軍
占領して奴隷地区作る予定だったとか?
韓国に整形手術を教えたのは高須院長らしいから鼻筋が通った朝鮮人の起源は日本だろw
>>306 倭というのは、漢人から与えられたアイデンティティー。
その倭(日本語話者地域)を統一したから大倭(=グレート倭)
時代は下って、4世紀頭に華北が崩壊=朝貢秩序が崩壊。
これで東アジア各地は、実力がものをいう時代に。この間に
用済みの邪馬台は滅ぼされ、大倭が倭の実権を名実ともに握るが、
国内政治的に歴史的権威やまと(邪馬台)の名を継ぐしかなく、
大倭と書いて「やまと」と読ませた。
半島にも進出、半島南部を従えた。
5世紀に入り高句麗にボロ負けして、大陸の南朝に朝貢するまで
100年以上大陸のことは無視。
そうこうするうちに自身も付け、漢人から与えられたアイデンティティ
から自分たちで作った表記上のアイデンティティ「大和」に切り替えた。
大和と書いて「やまと」と読ませる。
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=mn&tl=ja&text=%D0%90%D0%BC%D0%B0%D0%B0%20%D1%82%D0%B0%D1%82%20%D1%85%D0%B0%D0%BB%D0%B7%D0%B0%D0%BD!&op=translate
✨👨🦲✨😓😰😥🇲🇳🐴
「Амаа тат халзан(黙れハゲ!)」
💢💢😡👦👧👱♂🇯🇵🔥🏠🔥🔥
>>336 2015年に国立科学博物館で開催された縄文vs弥生展のポスター
大久保佳代子なのは弥生人でした。
卑弥呼(現代の尼崎事件の美代子被告みたいなBBA)
がやったこと
・監禁リンチで支配
・入れ墨で山口組ヤクザみたいなオサレ
・細木数子みたいに「あんた死ぬわよ!言うこときけ!」と言い、言うこと聞かないと手下に殺させる
・若い女を売春婦として(中華マンとかに)売りさばいた
・男を奴隷として(中華とかに)売りさばいた
もう普通に反社組織なだけです。
今でも九州の南端なんかに行けば彫りが深くて眉毛が濃いアイヌっぽい人残ってるね。
アイヌもそうだけど、縄文人の末裔だろうな。
>>360 「縄文人 復元」でぐぐれ。
バカなの?
邪馬台国
奈良県
地理
周囲の山
外敵防御
国交中継地
福岡県(志賀島)
地理
海に隣接
大陸との交易
金印は交易の通行手形
後の朱印
と推測したが如何に
金印は統治権の象徴でしょ。
ベトナムとかコリアでは銀印しかもらっていないから、
金印がある倭の国際的な地位はすごいわけ。
だからさ
神武神話が古事記に乗ってる時点で九州の大型勢力が天皇の家系に大きな影響を及ぼしたのは事実なんだよ
卑弥呼当時でも九州北部が外交の中心地であり奈良がそこを抑えてたのかそれとも九州北部が奈良を運営していたのかもわからない
寺沢氏は岡山出身だから、
纏向は崇神朝の王都だと分かっている。
後は老害が死に絶えるのを待つだけ。
>>360 骨格から復元される顔って、
西洋人であっても二重にされてないんだよね
みんな一重にしてある
>>351 卑弥呼がそんな偉い人物なら後世に正式な名前でどこかに
祀られてるはず (×××媛=卑弥呼とわかる形で)
だがそんな痕跡はどこにも無いのがな
「卑弥呼」は日本側の文書にすらも出てこない
外国の文献に僅かにしか記述のない人間なんてほぼ妄想で決めつける以外ないよね
>>371 古事記の創作年数は後だか神話は天皇の系譜でしょ
何故、九州〜天皇家の初代神話が始まるのか
古事記が偽書でない限り、それを許す天皇家の歴史があったんじゃね?
>>362 それはインドとか中東の海賊の血が混じってるだけ。
宮崎とかそういう家あるよ。辿れる。
もうぱっと見は体型も含めてトルコ人。
一時期付き合ってて、いろいろ教えてもらった。
家は文化遺産にしたいとか言われるレベル。
>>374 天照大御神だよ、ひみこみこみこひみこみこは
古事記より何世紀も前の話だから文書に残ってないのはしょうがない。
阿多隼人とかが皇祖とたいへん親密な関係にあるから、
北部九州が異質で、それとは別の勢力として纏向とか球磨とか隼人があったんではないかな。
>>131 漢字を発明したのは漢民族では無い
もともと中華大陸は雑多な民が交雑する中原
言葉が違う民同士が絵を元にコミュケーションしたのが漢字の起源
そして、その当時、中原で交易民族として活躍していたのな東夷族、縄文人の大陸進出組
>>364 ぐぐったけど、たった1例のおばちゃんの復元像しか出てこないんだけどwww
お前の根拠はたった1例か?チョンの女はみんな朴クネみたいな不細工とか
言われてもokということなのか?
移民受け入れて渡来率が高い関西に比べて
九州は渡来人が国家を作ってんだろうな
これが邪馬台国、明らかに墳丘墓の埋蔵品が近畿と違う
三種の神器を埋めてるわけだ
九州渡来人国家邪馬台国が大陸からお墨付きを貰ってヤマトを名乗ればどうなるか
単純な話
>>374 そもそも卑弥呼が女だったかどうかも不明だからな。
マツコみたいな厚かましい女装ガマだったんだろ。
実は。
>>1 これって新説なの?大昔から同じような主張してる人が、日本中に山ほど居たが?
山口県選出の安倍や、広島県選出の岸田が、東京で政治を執っている現代日本と、邪馬台国とは大差ないって話だわな
>>381 ローマ字だって元はフェニキア文字だもんね
フェニキア商人が編み出した
商売で使うから誰にでもわかりやすくて
間違えにくい文字
>>369 なるほどね
ただし、大陸からの脅威に晒されていた当時代
真っ先に到達し得る九州北部に国の長を鎮座はさせない
建築技術も未発達なため自然造形物と物理的距離の確保が自然な理論
何も難しくはない
>>374 天武天皇が卑弥呼を徹底的に歴史から隠したらしい
なぜかというと卑弥呼の家こそが日本の國體だったので、万が一、白村江でちょづいた唐に日本が攻め落とされても、卑弥呼の家をこっそり守るためだったらしい
卑弥呼は夫を持たずとか書いているから女だったんだろ
安曇族ってのはメチャクチャ古い一族なわけよ
海部とか居るだろ?
あの古いので有名な一族な
海部も恐らくは安曇族の分派なんだよ
そのくらい安曇族ってのは圧倒的に古い
不弥国王のことだけどね
だから奴国王も近畿日本もその圧倒的な古さに敬意を表して重用した
しかし、一族が余りにも古過ぎて血族として制度疲労を起こして、結局大した人物が出てこなくなって
自壊して歴史の表舞台からは消えて行った
こう言うことな
邪馬台国の卑弥呼は倭姫命(ヤマトノヒメミコ)としてハッキリ明記されている。
>>289 任意の時空に情報を伝達できるとして、邪馬台国から大航海時代、産業革命まで何年でいけるだろう、って妄想するの大好き
あるいは、地政学的に欧州に先んじるのは無理なのだろうか
>>386 フェニキア人のYハプロはEらしいけど、これは、Dから派生したもの
もしかすると、縄文人の大陸進出組が地中海まで辿り着いて遺伝子が変化したのがフェニキア人だったのかもしれない
>>392 なのにわざわざ神話にしたわけだ
神武天皇以前は全て神話に統一
>>392 >邪馬台国の卑弥呼は倭姫命(ヤマトノヒメミコ)としてハッキリ明記されている。
「マツコデラックス」としてはっきり明記されてる。
すげー未来の人、マツコとこと女だと思いこむよ。
漢字発明したのは殷王朝
邪馬台国より1000年もむかし
>>391 日本語でアは最初の音だから、安曇は、ア住みで、日本列島に最初に住んでいた一族なのかも
いまでも多くは3代以上前のことはわからないように
当時はわかんないでしょ。
わかんないくらいの昔の先祖は神様として祀るだろうし、伝承とかその程度しか残っているわけない。
「マツコデラックス」
「ぴーこ」
「ひみこ」
「氷川きよこ」
まぎれるわ〜
>>374 アマテラスじゃないのか。
てか卑弥呼というのは日巫女という役職名だと思うぞ。
太陽神を祀り神がかって神託を述べる巫女さん。複数いたが魏志倭人伝の頃に
物凄く有能な卑弥呼がいて神話化されたんじゃないかな。
その神話化された名前が天照大神。
🇯🇵日本語とか🇹🇷トルコ語とか
正確な発音がわかるから
化石みたいに証拠が残ってて面白い🤣
>>1 つか、何でこうも邪馬台国と大和王権の連続性を維持しようとするのかね
明らかに繋がらない
つまり別物だ
前者は後者に滅ぼされた
神武が九州から東征して畿内を征服したのが
紀元前100年から50年頃
それが大和王朝になるんだが邪馬台国は
2世紀から3世紀の話だから大和王朝そのもの
であり卑弥呼は大王に使える日の巫女
なんの不思議も無い
>>400 全然違う
元々は海の中道の根元当たりに住んでた一族
その時は名前は宇美だった
その後志賀島へ本拠地を移して「アズウミ」と改名した
それが鈍って安曇になった
多分こう言うこと
>>400 あいうえお の並びの五十音順ができたのは室町時代
>>404 沖縄とか南九州とか四国の九州側は
たしかにトルコ人みたいなの多いね
それを「縄文人ニダ〜!イケメン!」とかほざかれがちだけど、宮崎の「うちの先祖、海賊だったぽい」という証言や証拠で、
沖縄〜九州の顔のはっきりしてるのは中東由来なのがほぼ確定。
>>405 むしろ繋がらないとする方が無理がありすぎる
日本列島に中国の大国とやり取り出来る国なんて
大和王朝ぐらい大きく無いと無理
>>407 占いに使った甲骨文字が初出であり、そこから派生していることが明確であることから
>>408 なるほど
だから、安曇連が斎く神は、底筒男命、中筒男命、上筒男命、つまりオリオン座?
オリオン座は航海の時に重要だよね?
航海していたとすると大陸との交易をしていた東夷族?
邪馬台国は「朱の王国」だった! しか目に入ってこなかったわ…
朱を輸出していた地域、鳥居や朱印を発掘生産していた地域が邪馬台国なんじゃないのかな
どこから発展したのかは知らんけど
いつも思うけどこの手のスレに必ず現れるマニア達はもしかして識者なの?
邪馬台国は「朱の王国」だった! しか目に入ってこなかったわ…
朱を輸出していた地域、鳥居や朱印を発掘生産していた地域が邪馬台国なんじゃないのかな
どこから発展したのかは知らんけど
>>395 亀の甲羅を焼いて占いしてたのが感じの元なのか
>>405 >前者は後者に滅ぼされた
それのが自然な感じだね
神武は大陸南部辺りに住んでた部族が大陸の
争いや秦からの迫害を逃れる為に九州辺りに
渡来してきた子孫
>>406 天皇なんてファンタジーだからwww
神武天皇なんて存在しませんよ
卑弥呼は魔術使いの占い師
しかし、日本は昔から“王国”なんて呼ばれる国なんてないよね?
〜の国、帝国くらいしか使わないでしょ
>>414 だから、安曇連が斎く神は、ワタツミ三神だよ
底筒男命、中筒男命、上筒男命は住吉三神
そして、当然これは底つ津の男、中つ津の男、上つ津の男の間違いな
さて、良い子の皆さんに質問です
1、なぜ記紀はこんなしょーもないミスをしたのでしょう
2、住吉三神とは何?
卑弥呼は魔術使いの占い師
しかし、日本は昔から“王国”なんて呼ばれる国なんてないよね?
〜の国、帝国くらいしか使わないでしょ
>>413 あれは占いではなく、生態調査らしい
亀や鹿や牛の骨を焼く事でその土地の豊穣さを調査するというね
そこに書かれた文字は、その情報だったのではないか
殷を起こしたのは東夷族だから、縄文人の末裔
熊襲に対峙した男王は大若子命は確実で、
夷狄の征伐で活躍して旗を授けられて、
大幡主命と改名した伝承が、
張政が黄幢を授けて激を飛ばした魏志倭人伝の記述と一致する。
また弟が倭姫命の世話をした伝承が残っており、
これも年の離れた弟が卑弥呼の世話をしていた
と言う魏志倭人伝の記述と一致する。
ここまで一致していて、
邪馬台国の卑弥呼が
倭姫命(ヤマトノヒメミコ)じゃないと言うのは、
合理性に欠けると言わざるを得ない。
ワタツミ三神=不弥国
住吉三神=?←これ
アマテラス=御井の邪馬台国
ツクヨミ=奴国
スサノオ=出雲
>>427 甲骨文字は結構解読がなされてるわけだが…
生態調査な訳がないだろ
すぐに分かる嘘をつくのは本当に愚かだぞ
>>412 そうか?
渡来人なら大陸のお墨付きの重要性があるわな
>>1 ほらおかしくなってきた
纏向に生活痕がなくて、
北九州と吉備方が3世紀の文物が盛んなら、
纏向は朝廷でもなんでもないんだって。
大人しくヤマト王権と邪馬台国別って切り分けろ
ワタツミ三神=安曇族=不弥国(宇美国)=旧糟屋郡
で間違いない
じゃあ、ワタツミ三神と絡まりながら現れる住吉三神は
一体何者???
どぞ
↓
>>432 > その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。
このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされる。
という、水の神様
卑弥呼なんて、橋下徹みたいな反社部落チョンのペテン師とかだろ
橋下徹だって東京と大阪とあちこち移動して活動してる
卑弥呼も反社ペテン師なんだから移動してて当たり前
広東省の地元住民によると、元軍との最後の戦いの前に祥興帝は長州の寺院に仮御所を置き、そこにいた修行僧たちは、葉野菜、キノコ、野菜スープで作られた即席の汁物を提供した。皇帝はその汁物を大変気に入り、それを「護国菜」と名付けた。その後、護国菜の準備は祥興帝を称える暗示となった。
>>412 しかも、その後の日本は大陸にお墨付きを貰うような行為に出ない
逆に白村江で戦うわけだ
明らかに外交の決定的な違い
>>381 全然違うね
漢民族が使ってるのが「漢」字だよ
>>440 お前NGな
猿は書き込み禁止w
ワタツミ三神=安曇族=不弥国(宇美国)=旧糟屋郡
で間違いない
じゃあ、ワタツミ三神と絡まりながら現れる住吉三神は
一体何者???
どぞ
↓
邪馬台国と大和王権の外交の違いは明白だろ
明らかに違う集合体だ
おかしいな そうなると九州か吉備の有力者が近畿に移ったんかな
>>446 >3A派と2Fの外交の違いは明白だろ
>明らかに違う集合体だ
みたいな。
どっちも自民党です。
>80
何ヶ所って言うと一桁みたいな感じするけど、数十の単位だしね。
>>424 住吉三神と綿津見三神はどう違うんだろう?
神はそのもので命は具体化したものだっけ?
>>78 ジャマイト国ならヤマト国と結局発音が訛っただけで似てるやんw
伊支馬長官は生目の垂仁であり、
彌馬升副長官は御馬城崇神に比定出来る事からも、
邪馬台国の卑弥呼が倭の姫命である事は明白であり、
否定する事が難しいレベル。
古事記日本書紀書いた時代に、魏志とかいうのに卑弥呼が書かれてますという情報って
伝わってなかったんだろうな。伝わっていたら、整合性取るために
何らかの人物が該当者にされてたんだろうけど。
まあ何はともあれ少なくとも
>>1の説をもって卑弥呼が奈良にいた、というのは無理がある
これ唱えた奴は「〜より先は女王の権威が及ばぬ処」の一節を失念しとるやろ
倭国大乱は狭穂彦王の乱として
記紀に明記されており、
男沙穂塚女沙穂塚として西都原古墳群に
墓が存在する事から、
九州日向の戦いであったことは明白である。
安曇族の三神は志賀島にちゃんと残ってるわけな
志賀海神社の沖津宮、中津宮、表津宮としてね
(表津宮は遷座したけど)
なぜ、住吉三神は残って無いのでしょう?
>>451 それオレが聞いてるんじゃん
>>429 遺伝子的にはハンガリーとウイグルや柔然は関係あるみたいだよ?
>>456 未開の地の人間は人や自然現象への神格化というのは
すごいからね。卑弥呼だって偉大なる天照大神に
なったし。
春秋戦国時代の難民が瀬戸内海沿岸に植民してその連邦がヤマトです
レバノンのフェニキア人が西地中海に虫食いのように植民したようなモン
>>460 チョンコにそんなこと言っても理解できる知能がない
それこそ古代の地名などを現代韓国語でこじつけるくらいだから
邪馬台国は倭であり、
彦坐王が高良山から宇佐まで
領土を拡大した地域である。
この跡継ぎ、狭穂彦王が
日向に進出して生目と争ったのが
倭国大乱なのである。
ホテル邪馬台国
行ってみたい(外側からみたことはある
>>446 >>高市早苗と売国パヨク小石河の外交の違いは明白だろ
>>明らかに違う集合体だ
みたいな。
どっちも自民党です。
>>466 神武は大和政権がでっち上げた架空の人物やろ
綿津見=海神は、最初の海人族で、漁労を生業としてたんだろうね。
で、同じ海人族でも、新興の住吉神などを奉斎する人々は、漁労より航海術、水運を担った。
とか言ってみるw
アケメネス朝ペルシア帝国首都で例えるなら
バビロンが福岡
スサが岡山
ペルセポリスが奈良
>>430 生態調査じゃない根拠は?
骨を焼いて占うなんていうオカルトを当時の王家が真面目にやっていたと?
>>466 神武は倭国大乱の時代に卑弥呼(天照大神)の血筋の者を名乗って正統性を得ようとしたんじゃね
>>42 大和国の最初の王である大物主(事代主?ニギハヤヒ?)は三河県豊橋市出身の可能性が高い
三河県豊橋市の石巻山は三輪山の奥の院であり三輪山は石巻山(神山(ミワヤマ))から名付けられたと大神神社の社伝に書いてある
大神神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋市の石巻山(神山(ミワヤマ))に向いているわけだな
>>466 神話にする必要性が感じられないね
滅ぼした側が、国の連続性のために歴史ではなく神話で滅ぼした側を遺したんだよ
結局、狭穂彦王が生目入彦との戦いに敗れてしまい、
生目と彦坐王の娘のヒバズメの姫を婚姻させ、
その娘の倭姫命を彦坐王の跡継ぎの女王にしたのが、
物語の顛末になる。
拠点を構えなかった説のほうがしっくりくる
ぶっちゃけベンチャーの営業なんて外廻りで忙しくて
会社にいる時間なんかないだろ
ヤマトの磐余の地で即位した人物はいたはず、とは言われているだろ。
>>480 雄略天皇が裸で土下座した一言主神とは誰のこと?
邪馬台国なんて誤魔化しているが実際はヤマト国だもの
単に西日本一帯の事だよね
神武(のモデルになった大王)は日向国の王から弥生人連合の大王にまで実力でのし上がったんだろう
>>486 卑弥呼もどう考えても日の御子だし
まあそうやろ
一言主神は葛城の神でしょ。
大王家の嫁はかならず葛城氏から出た、といわれるくらい重要。
そういうのと関係してるんじゃないかな。
安曇連が斎く神は、ワタツミ三神
底筒男命、中筒男命、上筒男命は住吉三神
そして、当然これは底つ津の男、中つ津の男、上つ津の男の間違い
さて、良い子の皆さんに質問です
1、なぜ記紀はこんなしょーもないミスをしたのでしょう?
2、住吉三神とは何?津の男とは何?
>>470 いいや邪馬台国=ほぼ初期の大和朝廷の版図くらいはあったんじゃね
別に征服も支配もしてなかったけどどこに行っても卑弥呼教徒が多くて卑弥呼の神託を神の言葉として皆忠実に従ったから実質的には国のような形になっていた
例えるなら創価学会員が今の十倍くらいいるような状況
久留米市の大善寺に生目と言う地名が残っており、
ここが生目長官が駐在した拠点で間違いないだろう。
協調性の高い日本人(呉越難民)なら早い段階から広域で纏まっただろう
瀬戸内海もあるし
当時は重母音でヤマトはヤマタイに発音が近かったんだろう
>>489 大王も頭が上がらない天皇よりも上の立場の隠れた家が存在していたということ?
漢文そのまま漢音発音で、
聴き間違いとか起きないのかな?
安曇連が斎く神は、ワタツミ三神
底筒男命、中筒男命、上筒男命は住吉三神
そして、当然これは底つ津の男、中つ津の男、上つ津の男の間違い
さて、良い子の皆さんに質問です
1、なぜ記紀はこんなしょーもないミスをしたのでしょう?
2、住吉三神とは何?津の男とは何?
言い換えると、ワタツミ三神はちゃんと残っててしっかりしたものなのに、
住吉三神がこんなにいい加減なのは一体なぜか?ってこと
邪馬台国の範囲は、
南は狗奴国(熊襲)と接し、
西は久留米大善寺生目、
東は豊の国、宇佐を含み、
北は九州の暴れ川筑後川で区切られた範囲である。
>>494 DQN発音でヤマトェ〜!みたいなのだよ。
じぶん、何々だと思っててェ〜みたいな。
質問 ここの国名は?
答え ヤマ たい(九州弁)
元の国名は『やま』
>>503 日本語には八つの間がある
八真人
天円地方の方は頂点と辺の八つで表される
八というのがこの世の真理
そういう哲学があったのではないか
>>478 卑弥呼の後継名乗ってないのよ
もともと当時の天皇から遡って作ったのが神武なんで、
ワカタケル、雄略天皇より前は実在の証拠がなくて
墓もない
伝説としてここが墓ってだけだし
卑弥呼の後継を名乗ったのは遣唐使、
旧唐書から
アメリカ合衆国の独立13州が大和・筑紫・吉備・出雲・讃岐・越の連合みたいなもん
>>505 神武天皇は九州から近畿へ婿入りした分家だったのでは?
単に婿入りのための普通の旅の話が盛りに盛られて神話になったという
津の男の津とは当然冷泉津のこと
福岡の住吉神社の位置を考えたらそれ以外ある訳が無い
では、何で記紀は底つ冷泉津の男、中つ、、、を
底筒男などとしょーもない間違いをしてるのでしょうか?
ってこと
南は狗奴国(熊襲)と接すると明記されている。
北は奴国から直接南下出来ない事で、
暴れ川の筑後川が北の境界である事は必然であり、
投馬国の間に豊の国があるにも関わらず、
記紀に国として記載されていない事、
そして卑弥呼の次の女王が豊の
姫である事からも、
邪馬台国が豊の国を含む事は明白であり、
また魏志倭人伝の記述にも、
東の海を渡って1000里に倭種の国があると明記されている事から、
東に海と接する範囲である事が明白である。
邪馬台国に謎は無い。
2018年だかに福岡県の赤村という所で前方後円墳地形が
発見されて卑弥呼の墓か?と話題になったんだけ
ど、興味があって検索してたら2004年あたりの
研究者のサイトが引っ掛かってそこには
自分で魏志倭人伝の邪馬台国の位置を計算したら
邪馬台国は福岡県の赤村にあると記述していた。
2004年のサイトは「ダイヤルアップの時代?」
と思わんばかりの古い感じだった。
狭穂彦王の乱でも明らかな様に、
彦坐王の時代に、邪馬台国が
日向まで進出していた事は明らかであり、
日向での勢力拡大に失敗して、
豊の国に領土が戻ったのが卑弥呼の時代である。
>>507 婿入りとは考えにくい
なぜなら兄弟で出かけてるから
> 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、
日向の高千穂で、葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。
彼らは、日向を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着く。
宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作って彼らに食事を差し上げた。
彼らはそこから移動して、筑紫国の岡田宮で1年過ごし、さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした。
速吸門で亀に乗った国つ神に会い、水先案内として槁根津日子という名を与えた。
ただ、天変地異か何かで逃げてきた可能性はある
そして吉備国を倒せる力もなかった
>>510 ここじゃね?
>『日本書紀』に記された神功皇后が山門県で土蜘蛛田油津媛を討ったとされる山門県に比定される[1]。
また「ヤマト」という音の類似から邪馬台国の所在に関する論争において、山門郡を邪馬台国の所在地とする異説がある。
ただし音韻学的には「邪馬台」は「ト」(乙類)に対して、「山門」は「ト」(甲類)であるため、専ら否定されている。
>>503 当時の日本に接続詞や終助詞なんてもんあったかね
単語で話してそうなイメージ
自分で歴史を書かなかった
どこにあるかも、あったかすら分からない国なんてどうでもいいだろ
なんでそんなものに夢中になれるんだ?
ちなみに、古代の水行30日は、
記紀の東征の記述に基づき、
日向生目から岡田宮までの行程であり、
その2/3の美々津が投馬国の都であるので、
不彌国から投馬国まで水行20日は、
岡田宮から美々津までの行程に一致する。
邪馬台国に謎は無い。
>>508 天皇が天皇になるための教えを受け継いだ白川伯王家に、筒之男の伝という教えが伝わっているが、何か関連ある?
底つワタツミ、中つワタツミ、表つワタツミは志賀島北部の勝馬にちゃんと残ってる
底つ冷泉津の男、中つ冷泉津の男、表つ冷泉津の男が残ってないのはなぜでしょう?
また、筒男なんてしょーも無い間違いをしてるのは何ででしょう?
はい
↓
>>485 葛城円か、その孫の清寧天皇だろう
円を殺してしまったが、その孫を自分の後の天皇にさせた一連の流れを神話にした
神話にするのは滅ぼした相手だと俺は推定している
天照大御神は卑弥呼
葛城氏は年代が下るほど扱いが落ちて地方に流浪するしね
高句麗の北に住んでいたのが穢族
穢族の北に住んでいたのがアイヌ人
陸行1ヶ月は唐書や隋書に、
倭国は東西5月行、南北3月行と明記されており、
古代の1ヶ月行が百数十キロである事も分かる。
日本の国益としては特亜との関わりはできるだけ薄いもしくはないほうがいいので邪馬台国は大和にあったことにしないとまずい
一方で九州は邪馬台国があった地というアイデンティティがなくなるとトンコツラーメンしか残らないので必死に抵抗してる
神話になってるのは敗れた側なのはどの年代も共通してるかな
>>261 移動日数は国土を広大に思わせるため
戸数は勢力を誇張するために偽れるけど
方角だけはばればれだからね
>>521 ただの作り話しだろね
津の男と同じ
これも作り話し
狗奴国の長官は狗古智卑狗(菊池彦)であり、
菊池の豪族であり、
狗奴国は熊襲である事が分かり、
熊襲に南で接する地域は山門八女しかあり得ず、
水行10日と陸行1ヶ月を当てはめると、
不彌国から宇佐大分まで水行10日で行って、
そこから陸行で九州を横断して高良山に到着と言うことになる。
葛城王朝があった、とかいう説もある。
円が雄略に殺されるときに、吉備から大船団が葛城円を救いにヤマトに向かった、
とかいう話もあったような。うろ覚えだが。
>>367 358が間違えてるのは元々1字で倭=やまとと読んでたんだけど
1文字国名を2文字にするって詔で大倭と綴るようになった
だから大倭の大に偉大とかの意味はないからね
同じように和泉国や紀伊国も和や伊を増やしたわけだけど読みは同じいずみにきのくにだから
答えを言うと
ワタツミ三神は一応安曇族というちゃんとした実態があるが
住吉三神は宮崎の阿波岐原の住吉と、福岡の冷泉津の男の習合であり、元々作り話しで実態が無いから
だから記紀も扱いがいい加減なんだよ
では、更に質問です
なぜこんな奇妙な習合をやったのでしょうか?
そもそもなんで神産みが宮崎の阿波岐原なわけ??
日本古代史の最重要事件でしょ三貴子の出現なんて
なんであんな辺鄙なところなわけ??
だから魏志倭人伝にも書いてあったじゃん
諸国の王が共立した女王だって(´・ω・`)
基本的に、張政は19年もの間、
倭国で過ごしており、
邪馬台国に行かなかった説は考えられない。
距離方角共に正確に記述したモノと考えられる。
(不彌国から)南に水行10日、(西に)陸行1ヶ月の()内が抜けていると考える事が出来る。
つまり、住吉三神はワタツミ三神と違って
まるで作り話しのなんちゃって三神なんだよ
だから、由来がいい加減で、底つ津の男が底筒男とかに化けるわけな
実態が無いからなんだよ
では、一体、なぜ宮崎の阿波岐原の住吉と、福岡の冷泉津の男との習合なんてややこしいことやったんでしょうか?
何の目的か?
共立というのは、あくまでも生目氏と丹波氏との間に出来た娘の共立である。
倭国大乱による2氏の争いの結果である。
>>444 漢字ってのは秦の始皇帝が整理したりしてるから漢が興る前からあるけど漢人ってアイデンティティは漢帝国以後じゃないとない概念だと思いますよ
魏志倭人伝と記紀から、
当時の勢力図を表すと、
北部九州を支配する丹波氏が居て、
日向を生目氏が支配し、
熊襲には熊襲建が居て、
出雲には出雲建が居て、
吉備から関東まで御馬城が居たという事になる。
はいみんな考えて考えて
なんで三貴子の出現なんて日本神話上の最重要事件が
宮崎の阿波岐原なわけ??
なんで宮崎の阿波木原の住吉と福岡の冷泉津の男の習合なんて糞面倒臭い作り話しやってるわけ???
なぜ?
はい
↓
女王共立とは、狭穂彦王の乱で
丹波氏は生目氏に敗れたものの、
生目氏に屈服する事は無く、
丹波氏の娘でもあり、
生目氏の娘でもあるという倭姫命を女王にしたという、
妥協案の女王だったのである。
>>544 古事記は日本語の哲学を語る書。
阿波岐原は地名ではなく、アからワに分岐した日本語50音のこと。
三神は精神の三原理のことを指す。
過去、現在、未来。始まり、途中、終わり。
三の原理。底から始まり、長いを経由して、上に玉積み発言して過去となり、未来の礎となる。
>>537 魏の官僚というより元々倭で商売してた商人かなんかだったんだろうな
里帰りしてくるついでに魏との国交を斡旋して使者も買ってでてまた倭で暮らして次に里帰りした時についでに朝廷に報告に上がったとかでは?
下手したら同じ奴が行きは倭の国使で帰りは魏の国使とかやっててもおかしくないw
>>1 >統治は纒向、擁立は九州・吉備中心
日本史を通してありがちな二重統治システムがすでに出現していたと?
ミカドは京都、ショーグンは鎌倉、クビライ・カンはどちらに手紙を出していいか迷ったという。
ヒミコは纏向、魏に使者を出したクニは北九州、みたいな話か。
この後、丹波氏は日本武命を養子に貰い受け、
吉備と結んで外戚として力を発揮し、
出雲を制圧して、丹後から畿内東海へ進出して行った。
コレが日本武命の東征である。
結局、生目直系が途絶えて、
丹波氏の養子の日本武命の系列が
天皇家となり、丹波氏が外戚として力を発揮した。
>>549 日本に氏の概念が発生するのは継体のころだよ。
3世紀に家とか養子とか外戚とかないから。
>>550 古事記はそういう書物だよ。
須佐男がなぜ100番目に成りませた神なのか分かる?
俺がもう100回くらい
近畿新興勢力と九州伝統勢力は別モノつってるのに
ホント文系学会って無能の集まりだよな
最新ので、昨年8月にでた現代ジャーナルだかの記事で
邪馬台国は別府温泉説は?
昔に大火山噴火で灰に埋もれた卑弥呼王宮説のやつw
伊勢遺跡の時点で大体30カ国の豪族が集まってたとか推測されてるんだからその流れじゃないのかね
もうさ、卑弥呼を天照大神の神話にしちゃってるんだから訳分からなくなるよね?
神話や天照大神なんて神は皆宇宙人なんだからw
あちこち早速に移動できて足跡残すのは可能だよね!で〆ようよ、めんとくせーw
もうさ、卑弥呼を天照大神の神話にしちゃってるんだから訳分からなくなるよね?
神話や天照大神なんて神は皆宇宙人なんだからw
あちこち早速に移動できて足跡残すのは可能だよね!で〆ようよ、めんとくせーw
>>117 大宝律令より後ってことかよw
じゃあそれまでの政治はどこでやってたんだw
聖徳太子とか天智天皇とか
もういい加減ヤマト国と読ませろよ
日巫女が統一したヤマトは
国譲りによって神武の軍門に下りましたでOK
神武は中国にハッタリをかます都合があったせいで
出生年がデタラメだから、イコール崇神でOK
>>299 博多の港入ったらもう山見えてるのは山がちだろ
日本にしか居ないとわかんないだろうけど
マジモンの平野って山見えないんだぜ
>>544 イザナミが黄泉の国から帰り、禊をしたときに三貴神(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)が誕生した。
禊の場所は、
『日本書紀』では、
「故、欲濯除其穢惡、乃往見粟門及速吸名門、然此二門、潮既太急」
粟門(アワト)すなわち速吸名門(ハヤスイノド?)
『古事記』では、
「故、吾者為御身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而、禊祓也」
筑紫日向の橘小門の阿波岐原(アワキハラ)
どちらも宮崎だとは思えない。
ヒントな
1、魏志倭人伝の女王の領域の果てるところにある国は奴国で、福岡の奴国と同名
2、Wikipedia宮崎郡にあるこの図
11番が那珂村、14番が住吉村、15番が檍村(檍は阿波岐原と同じ)
3、西都原の妻が投馬国(tuma国)で、神武の故郷
4、天孫降臨は、雇われ店長である神武の血を飾るための創作神話
(神武はバカだから神武自身ではなく周辺に居た誰かの創作)
>>1 面白い説だなーと思ったが
もし卑弥呼が機内を治めてたら倭人伝に描かれてるだろうし
纏向遺跡からは刀剣がでていない
文献って魏志倭人伝くらいしかないのかな
まぁ古事記とか日本書紀にも特に卑弥呼みたいなのはない感じだしな
畿内説=大多数の考古学者が支持する学説
九州説=ド素人だけが信じてる俗説
大和大乱は黄巾の乱の一部
成功して鬼道(太平清領書)で統一に
お祭り→祀り→政 の基礎
>>569 つけ加えると歴代天皇が歌に読んでる事物に、奈良の天香久山があるが
神武天皇は日向から大分経由で東征し
奈良の天香久山で水銀(丹)鉱脈を見つけて
奈良を平定したと日本書紀に書いてある
纏向遺跡の人々はどうなったか知らないが
奈良の丹生川上神社に、その話が伝わっているらしいよ
つまり、住吉三神や阿波岐原での神産みとは奴国の権威を借りて作った創作で
妻国の権威づけのために行われたってこと
妻国的には奴国は由緒ある大国で、権威づけになると思ったわけね
ただし近畿日本にとっては何のこっちゃで
津の男が筒の男に化けたりするわけだけどね
ワタツミ三神=不弥国
住吉三神=もう一つの奴国(女王の領域の一国でありかつ妻国の庇護下にある由緒ある国)
アマテラス=御井の邪馬台国
ツクヨミ=奴国
スサノオ=出雲
こう言うことね
どうでもいいが九州説を取るやつは日本国舐めすぎ
奴国からの政権が九州にとどまっていたとすれば無能過ぎて未開人でしかない
中国に使いを必要性を感じない
魏と通行してるのだから漢字は使われてただろう
どっかから邪馬台国の位置を比定できる文字書かれた考古資料でも出ない限り結論出ない
つまり、天孫降臨の作り話しと同じで
妻国を権威づけし、神武の血を飾る為の創作
ただし、近畿日本にとっては何のこっちゃで
お、おう状態
こう言うこと
住吉三神がまるでイミフなのはこれが原因
創作した方は力のこもった力説だったんだけど
聞かされるほうはイミフだったw
>>577 九州説を取るやつは論理性がないということで理解した
いろいろヒント隠れてる
祟神天皇「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」
という事は3世紀以前はバラバラ?
平和に暮らしてた?
マルクスだなw
じゃ、倭国ってどこ?
>>580 それは国譲りがあってはつくにしらすすめらみことではないかと思う
大国主の治める国はあったに違いない
>>574 卑弥呼は天照というのは納得できるよね
魏志倭人伝も邪馬台国には丹があると書いてるが
天照はスサノオなど部下?に全国で水銀探しをさせ
スサノオは、出雲で朱砂(スサ)鉱脈を見つけたんだろう
出雲にも丹生神社がある
邪馬台国滅亡に関与したかもしれない後の政権は
邪馬台国と繋がらない天照という名前で卑弥呼やスサノオのことを書いたんだろう
そうすると奈良より出雲のほうが古いことになるけど
>>582 そりゃ出雲のが古いだろうね
古事記を見りゃ前半はずーっと出雲のターン
大陸の越から海流に乗ってきた集団でもいたんじゃないかな
考古学的事実関係から、3世紀前半に纏向周辺で古代国家誕生の動きがあったと言える。
『三国志』の記述に、238年に帯方郡を通じて邪馬台国の卑弥呼が使者を送ってきたとあり、
帯方郡の役人の報告なる倭国の地理史が書かれているが、伊都国まではたどれるのにその先が茫漠としている。
はっきりわかるのは、邪馬台国は伊都国に一大卒を置き、また帯方郡の役人が常駐すること。
博多湾の伊都国が大陸との交流の玄関口だったのだろうと推測できるが、そこまでだ。
考古学的事実関係と文献(三国志)を結びつけるのは、非常に難しい。
3世紀前半の日本列島最大勢力が纏向周辺だから、邪馬台国は畿内か、そう簡単には結論できないだろう。
では、司馬氏の燕追討の報に接し、機敏に帯方郡に使者を出せるのは、大陸との交流の玄関口たる伊都国の周辺だろうから、邪馬台国は北九州か、これも簡単には結論できない。
>>347 そういえば稲作の不向きな熊襲の地にはヤマト王権の支配が及びにくかったから
稲作と支配は大きな関係があるとおもう
新羅だと年代が合わないっしょ
越なら楚に攻められたあたりで海に出てれば時期的にちょうどいい
錫とかの原産地でもあるしね
いつも思うんだけど
縄文時代後期から平安時代まで存在した吉野ヶ里遺跡の独立っぷりがすごい
邪馬台国と無関係ないのがすごい
3世紀前半の日本列島にすでに王権が存在したかどうかがカギとなる。
強力な王権が存在するなら、大陸交流の玄関口たる伊都国は支配下に置こうとするだろうし、一貫した外交方針もあろう。
そして、伊都国に一大卒を置いた王権の本拠地はどこか、という話になる。
畿内の可能性が高い。
王権と呼べるものがまだなかったら?
後漢書に描かれるような100のクニが離合集散する状態ならば、公孫滅亡とほぼ同時に使者を出す必要に迫られるクニ(あるいはクニの連合体)はどこかという話になる。
北九州の可能性が高い。
>>591 古墳時代に一度消えてるけどね
干拓が出来るようになって集落が低地に移動してる
卑弥呼は個人名ではなく役職名だったから各地に卑弥呼が居ただけなんだろ
なんとか48みたいなアイドルと同じようなもの
>>9 通商の元締めが交易相手に正確な経路を教えなくてどうすんだよw
>>579 隋書倭国伝には倭国には阿蘇があるって明記されてんじゃん。
巻向には阿蘇は無いぞ。九州にあった邪馬台国を宗主とする倭国は
畿内にあった新興勢力の日本(大和王権)に吸収合併されたんだろ。
そういう事は東夷の武士に負けた京の朝廷みたいに日本の歴史では
繰り返された事。
邪馬台国が九州か畿内にあったかなんて、東京が現在の首都だから
邪馬台国も東京だみたいな暴論に似ている。天皇=畿内に固執しすぎ。
遷都してんだよ遷都。
「魏志倭人伝」より、王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國。及郡使倭國、皆臨津捜露、
傳送文書、賜遣之物詣女王、不得差錯。
帯方郡の(魏や晋の)使者は、女王国には行ってないのな。
津までは行くが、そこから女王国に向けて手紙や物を伝送するだけ。
奈良には卑弥呼の時代のクスノキが1本も残って無いから邪馬台国では無いよ
志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において
諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる[2]。
1948年11月、シベリアより復員[1]。
1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。
1953年11月、外務省アジア局調査員となる[1] が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去した[1]。
親族:
甥 志位和夫(現日本共産党中央委員会幹部会委員長)
畿内説で本当にいいのか?
大和と邪馬台国が連続性のある国家だとすると中国の属国だった時期が発生するけど
冊封体制の庇護下でありかつ金印を与えられてるのだから属国もしくは従属していたという関係は否定できんだろう
本当にいいのか愛国者達よ
起こりは九州だけど・・・勢力範囲を拡げて近畿地方まで到達した。
墓は箸墓古墳で良いの?
>>600 14世紀の足利義満も「日本国王源道義」として日本の王に冊封されているし、いまさらどうでもいい。
古事記
『伊邪那岐命は黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊を行った。衣を脱ぐと十二神が生まれた。
「上流は流れが速い。下流は流れが弱い」といって、最初に中流に潜って身を清めたとき、二神が生まれた。
この二神は黄泉の穢れから生まれた神である。
次に、その禍を直そうとすると三神が生まれた。』
宮崎の大淀川の河口を小戸(おど)と言うらしい。
実際、小戸之橋(おどのはし)と言う橋が河口付近にかかっている。
また宮崎の言い伝えで大淀川の上流を上の瀬、曲がるところ当たりを中の瀬、下流を下の瀬と言ったらしい。
古事記
『この後、水の底で身を清めると二神が生まれた。
底つワタツミ、底つ津の男
水の中程で身を清めると二神が生まれた。
中つワタツミ、中つ津の男
水の表面で身を清めると二神が生まれた。
上つワタツミ、上つ津の男』
津の男は博多の冷泉津を守った人々が神格化したものだろう。
福岡の奴国の冷泉津を守った男神が、奴国繋がりで宮崎の住吉の男神として習合したのが住吉三神の津の男になる。
つまり、住吉三神は二つの奴国から作った創作神
そして、特に宮崎の奴国は近畿日本にとっては知らんがなの存在
住吉三神がワケワカメなのはこの二つのことが原因
多分、九州倭国の人間にとっては宮崎の奴国は知る人ぞ知るの
由緒ある国だったのだろう
だから力を込めてドヤ顔で創作したんだけど
近畿日本はお、おうだったと
こういうこと
エジプトでは、ヘブライ語で「ヤ・マトウ」って云うんだって
卑弥呼は人間じゃないから鬼道魔術師で何者から銅鏡の世界地図を受け渡されていた、とある
民には殆ど姿を見せたことがない洞窟への引きこもり?みたいな存在
菅さん、こないだ伊勢神宮へ参拝にいったよね
あそこも靖国並みに重要な神社なんだろな
青森にもなんかあるよねw
実際イザナギが禊ぎをやったのは
当然博多の冷泉津ね
だから神産みで津の男が出て来るのは当然なわけ
>>596 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
何で揺らぐんだろうwwwww🤔
今思うと、卑弥呼は裏方だったはずだからそれに弟が支えていたという表現も裏方な存在?
卑弥呼が亡くなってから、すぐに男性が即位したがまとまらず
卑弥呼の親戚の台与という女性になり邪馬台国が安定したとか…女王の復活
この「邪馬台国」を大和をなぜ邪馬とかくのか分からないけど、台は後の台与女王になって大和台国→邪馬台国ともじった?
それとも邪馬は卑弥呼かな?
この2人の女王二台で邪馬台国は消えたのでしょ?
違うか…
その時代、馬がいたんだよね
外国人でさえ馬に乗っていたとあるから
馬が死ぬと朱で塗り埋葬していた時代
人間の遺体にも朱水銀を塗り、ミイラ化に埋葬していたのもエジプトとそっくりなんだよね
イザナギは本当に禊ぎをやったわけな
ただし博多の冷泉津であって、宮崎の大淀川ではない
警固屋に居た冷泉津を守る男たちに付き添われて
恐らくは長浜か洲崎(今の須崎)のあたりで禊ぎをやった
宮崎なんかわざわざ行くわけがない
それは創作
しかし、禊ぎは本当にやった
それはイザナミとの離婚もあるだろうが、実際は邪馬台国と奴国の騒乱である倭国大乱を収める為の手打ちの禊ぎだったはず
終戦の手打ち式を三貴子誕生の神話にしたわけね
それを宮崎の神武が近畿日本に呼ばれて行く際に誰か周辺に居た物知り人間が
「宮崎の大淀川にこんな神話ありまっせ」と元々あった別の人間/神の三瀬の神話と習合させて
記紀にある神産みの神話になったわけな
でだ
本論は実はこれじゃ無い
イザナギの墓の比定に成功した
イザナギは実在の人物で、倭国大乱の終戦の立役者
さて、どこでしょう?
これがオレが言ってる「日本史を書き換える世紀の大発見」のこと
>>534 358だが、間違えてないよ。
魏志倭人伝(と後漢書)を慎重に読めば、漢の時代の倭で
覇権(あくまで覇権。統一じゃない。)を握ってたのが邪馬台
だと分かる。この時代が、倭=やまと(邪馬台)の時代だわ。
だが、漢末混乱期に起きた倭国大乱で全てが変わる。
ちゃんと魏志を読み解けば、この大乱、教科書にあるような
邪馬台内30数ヶ国の内乱ではなく、列島の大乱だと分かる。
で、勝者「大倭」が邪馬台の博多港を押さえ、全て監理してる。
で、軍門に下した旧覇権国邪馬台を倭国代表の体で魏に朝貢させた。
(かつて漢の時代、邪馬台が配下の奴国を倭国代表の体で漢に朝貢
させたのと同じだ。)これが3世紀の姿だ。
大倭は、倭の地域(の殆ど)を手中に収めたから大倭と名乗った様だ。
大倭とは、奈良のことでほぼほぼ間違いないだろう。
大乱で邪馬台は大陸向けの倭国盟主、権力無き権威に落ちたわけだが、
それでも列島内では漢の時代に確立された歴史的権威だわ。
そして、
>>358に書いた通り4世紀に大倭が邪馬台(やまと)を滅ぼし
大倭=やまと(←奈良が邪馬台の権威を簒奪)の時代になる。
後漢書辰韓傳
有似秦語故或名之為秦韓。(秦語に似ている故に、これを秦韓とも呼んでいる。)
ローマじゃないの?秦って
>>605 住吉三神は同じ海族の津守氏が摂津の住吉を守るために祀った三神で、元は綿津見三神と同じ海の守り神、象徴はオリオン座。
海族は航海に役立つオリオン座を神として祀った。
その海族は元は揚子江付近で船で生活していた海洋民族。呉の国の民でもあり、日本に来て奴国を建国した。
北部九州や吉備(岡山)を中心とした勢力によって擁立されたのが
何で奈良に首都を設けたのかそこんとこの説明がない
よってこの説は却下する
邪馬台国が広域国家のほうが
辻褄があうからな
都と国を分けて書かれてるし
>>609 九州の山門郡かも知れないじゃん。
音だけで邪馬台国は大和にあった!とか脊髄反射はどうかな。
>>615 馬いないの?どうやって大陸移動したり戦したの?
古代エジプトにも馬馬車あったよね?
あと、日本へ温泉研究にきたローマ人いたんじゃないの?
なんだっけ、阿部さん主演の風呂映画のストーリーからw
マルコポーロは邪馬台国には触れてないしな…
邪馬台国が地理的にどこにあったかなんてどうでもいい話。
当時の日本列島がもう古墳時代だったのかまだ弥生時代だったのかが本当の問題。
辰韓耆老自言 秦之亡人避苦役役適韓国 馬韓割東界地與之 其名國為邦 弓為弧 賊為寇 行酒為行觴 相呼為徒 有似秦語 故或名之為秦韓
秦語は別言語って書いてある然りげ無くw
無論、イザナギの手打ちの禊ぎには不弥国王の安曇氏も居たはず
それがワタツミ三神として神話に出てるわけね
神倭伊波礼毘古命、神武天皇の名前にヤマトが入ってるのは九州からの東遷を意味しているのだろう
前方後方墳がある都道府県は下記の通り
奈良県
大阪府
京都府
兵庫県
埼玉県
意外にもたった5府県しか無いのである
東京女子医科大学皮膚科、株式会社エムティーアイ、株式会社スタージェンは、ビッグデータ解析技術※1を用い、
約1万人のゲノムと特徴のデータを解析した結果、皮膚科に関する7つの特徴
(「シミのできやすさ」「ソバカスのできやすさ」「まぶたの一重二重」「眉毛の濃さ」「髪質」「毛深さ」「汗のかきやすさ」)と関連の強い遺伝子領域をそれぞれ発見しました。
ゲノムと特徴のデータは、株式会社エムティーアイの子会社である株式会社エバージーンの遺伝子解析サービスのプラットフォームを利用し、
エムティーアイが運営する『ルナルナ』ユーザーの協力者約2万人を対象に、自宅で採取した唾液より抽出したDNAから約60万SNP※2の遺伝子情報を読み取り、
その中から精度の高い検体およびSNPのみを抽出して得た11,311人、約54万SNPの遺伝子情報と体質に関するWEBアンケートの結果から得られたものです。
1.シミ・ソバカスのできやすさ
アンケートにて「シミができやすい」「ソバカスができやすい」と回答した人において、5番染色体および10番染色体に特徴的な遺伝型の組み合わせが存在することが明らかになり、
それぞれPPARGC1B、RAB11FIP2と呼ばれる遺伝子領域でした。また、「ソバカスができやすい」と回答した人にのみ、9番染色体のBNC2、10番染色体のHSPA12A、
また、17番染色体のAKAP1およびMSI2と呼ばれる遺伝子領域において、特徴的な遺伝型の組み合わせがあることも判明しました。これらの遺伝子は、メラニンの形成や蓄積などに何らかの関与をしている可能性が推測されます。
2.まぶたの一重二重
アンケートにて自分に当てはまる身体的特徴として「二重まぶた」を選択した人に、10番染色体のEMX2と呼ばれる遺伝子領域に特徴的な遺伝型の組み合わせが存在することが明らかになりました。
EMX2は骨や神経の発達に重要な遺伝子であることが知られており、頭蓋骨顔面の形成に関わっていることも報告されていることから、二重まぶたの形成に何らかの影響を及ぼしている可能性が推測されます。
3.髪質・眉毛の濃さ・毛深さ
自分の髪質の特徴に関するアンケート項目にて「ストレート」を選んだ人と「くせ毛」を選んだ人の間で異なる遺伝型の組み合わせが、
2番染色体のEDARという遺伝子領域に存在することが明らかになりました。
また、身体的特徴として「眉毛が濃い」を選んだ人と、「体毛が毛深い」を選んだ人には同じ領域に特徴的な遺伝型の組み合わせが存在することがわかり、
この遺伝子は、毛髪の太さに関連する遺伝子として既に報告されています。
さらに、「体毛が毛深い」を選んだ人にのみ特徴的な遺伝型の組み合わせが、1番染色体のTBX15、2番染色体のGCC2およびLIMS1、
18番染色体のBCL2と呼ばれる遺伝子領域にあることがわかりました。BCL2は毛包(毛根周辺の細胞)の細胞死と成長のサイクルに関わる遺伝子であることが知られており、
他の遺伝子も毛包の成長や毛の伸長などに何らかの関与をしている可能性が推測されます。
※1ビッグデータ解析技術:膨大なデータをコンピュータとアルゴリズムを用いて解析する技術。
ゲノム解析では様々な方法が用いられますが、今回は GWAS(ゲノムワイド関連解析)の技術を用いました。
これは、全ゲノム上の遺伝子マーカー(SNPなど)を網羅的に調べ、表現型(疾患や体質などの特徴)との関連の強さを解析する統計的手法です。
※2 SNP : 単塩基多型。約30億のヒトゲノム配列の中の、個人ごとに異なる1箇所。
日本人における鼻の高さ(鼻根部の高さ)
鼻根とは、両目の間の位置する鼻の付け根の部分のことを言います。鼻根の高さが高いと鼻筋が通って見え、顔が整った印象を与えます。そのため、整形手術の1つとして、鼻根を高くするものもあるようです。
PAX3遺伝子はPAXファミリーに属する転写因子の一種であり、胎児期の発生において重要な役割を果たす転写因子である。この遺伝子がAG型GG型の場合、鼻根の高さが高い傾向にあると報告されています。
頭蓋骨の鼻根部(鼻骨)の3次元的な高低を決定する原因遺伝子として、PAX遺伝子群のPAX3が報告されている。
ある遺伝子検査キット会社の調査によると、鼻根部を高くするPAX3バリアント出現頻度が、現代日本人では50%近くに登っており、近現代以降の日本人の顔面立体化現象との関与が想定される。
日本最古の住民、縄文人はいわゆる古モンゴロイドであり、彫りは深く鼻根部は高く隆起していた。
続く弥生時代、北東アジアから新モンゴロイドが水稲稲作を伴って大陸から日本列島に流入し、日本人(弥生時代人)もその遺伝的影響を受けている。
歴史上縄文人の鼻が最も高く、現代日本人は高い人と低い人がほぼ半々となっている。
現代日本人の鼻根が高くなっていく現象は、AA型AG型よりGG型の方が生存戦略的に子孫を残しやすい淘汰圧が現在進行形で働いている影響と思われる。
もう素敵!素敵!メーサイ岡崎さんは素敵!素敵!
かれの端正なマスクに高給ブランドのサングラス
ワイルドなお髭
もうたまらないわ!
抱いてほしい!
抱かれたい!
細マッチョでもあるのよ 彼はね
九州男児で素敵
小倉生まれで限界育ち口も荒いが気も荒い
私が抱きしめてあげたわいわ
かれが乗っていたという黒い三菱GTOも見事に似合っているわ
彼の部屋でその写真を見たわ!とっても素敵だった!
それだけで逝っちゃったのよ私
彼のワイルドなGTOに乗り込んで振り舞わされたい
生と死の輪舞曲を踊るのよ!
2人だけのパラダイス
マルホランドっドライブ
かれはLA育ちなのよ
かれとLAを旅するの
かれが見せるのはディープなLAばかり デンジャラスゾーッン
でもね
私はディズニーランドやグリフィスパークでゆっくり彼と楽しみたいのよ
彼の母校UCLAで思い出話も聞きたいわ
そのとき軽く抱き寄せてキスして欲しいわ
そしてダウンタウンの高級ホテルのスイートルームでシャンパンに酔うのよ
かれは最高のドンペリニヨンを用意するけどわたしは安いシャンパンでもいいの
彼と居ると味なんてわからない
だって私達天国にいるんだもの
>>612 普通に西区に小戸って地名があるよ
そこの伊邪那岐を祀った神社には禊の場所はここやでって書いてあったけど嘘なん?
で、
恐らく
>>603の前半部が宮崎の奴国の神話
だから「誰だよそれ」みたいな神がわんさか出て来る
後半の部分が博多の冷泉津でのイザナギの本当の禊ぎ
実際、二つの禊ぎがニコイチになってるでしょ
>>569 刀剣は回収して荒神谷遺跡へ埋めた。平和な世になるように封印し出雲大社を建てた。
良く見てみんな
>>603は二つの禊ぎがニコイチになってるでしょ?
卑弥呼には、千人もの侍女が御世話したり仕えてたとかで、まるで大奥だよねぃ
三重県の諸島あたりも転々としたかな?
あと、邪馬台国には大量の真珠の存在が書紀に書かれていたとある
良く見てみんな
>>603は
二つの禊ぎが
ニコイチに
なっおっと誰か来たようだ
>>8 どうやら九州説の勝ちだな
畿内のかたお疲れさまでした
このスレ一度でも開いたら、また宿題出来たかのように気になって眠れなくなるw
考古学者らは特にそうなんだろな
>>8 勝ち目が無くなったので必死にお零れを探してる。
>>596 すげーな九州説って
遣隋使を送った倭国は九州だと思ってるってことだ
九州説は義務教育レベルの知識もない
>>642 卑弥呼の末裔は世界のどこかで世界を支えながら暮らしているらしい
>>4 遠隔透視だかのマクモニーグルが前から言ってるぞ
これ新説なん?
なんかかなり前にも聞いた記憶あるんやが・・・
>>1 纒向はもう終わってるから
産経は馬鹿過ぎる
>>651 前にBSプレミアムでやってた邪馬台国論争で言ってたな。
>>150 反論したら教授にしてもらえないからな(笑)
連合して共立したから前方後円墳が増えたとか昔聞いたな
>>645 一回目の遣隋使を送ったのは九州倭国だよ
だから記紀に載ってないんだよ
>開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使を王宮に詣でさせる。
一回目の600年の遣隋使(記紀に載っていないやつ)
は九州倭国の奴国王が近畿日本とも通じている小野妹子を引き連れて送ったもの。
天垂らし彦:
天は筑紫平野の邪馬台国、垂らすは天から支配者として指名され統治者として地上へ降ろされたの意味。
彦は王。奴国王のこと。
つまり邪馬台国王=大統領、奴国王=具体的な実務の全権を握る宰相。
>上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
>使者が言うには、「倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、
>天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねる」という。
日は近畿日本のこと。これは事実上すでに奴国王が実権を近畿日本へ禅譲している事を表している。
(また結跏趺坐していることから九州倭国への仏教の浸透が分かる。)
>高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。
これがあの有名な小野妹子が紛失したことにした訓令書。
「そんな二重国家、三重国家の奇妙な統治方法があるかアホ。近畿日本は認めんぞ」と書いてあった。
近畿日本はこれを受け入れることが出来ず、推古天皇の承諾の下、紛失して無かったことにした。
推古天皇「そうでしたっけ?ふふふふふ」
>大業三年(607年)、その王の多利思比孤が遣使を以て朝貢。
二回目の遣隋使で、九州倭国の同意の下、近畿日本が九州倭国を騙って送ったもの。
>使者が曰く「海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞き、故に遣わして朝拝させ、
>兼ねて沙門数十人を仏法の修学に来させた」。
>その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。
>帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。
煬帝は近畿日本からの使者であることを見抜き
「お前ら近畿日本は認めんと言っただろが!」
と言って激怒した。
(従来色んな説が語られて来たが全部間違い。これが真相。)
>翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。
これで近畿日本と倭国が別の国であることが分かる。
「二度と取り次ぐな」と言って翌年その国へ自分から使者を送るわけがない。
良く、辺境の国である日本が中華思想の中国の天子と自分とを対等にしようとしたから煬帝が激怒したとか
もっともらしい説明がなされるが
全くのデタラメ
例えば突厥の王とかも似たような表現の国書を隋に送っているが別に怒ってなど居ない
そんなことで「二度と取り継ぐな」などと怒ったら政治なんか出来ない
煬帝は二度と取り継ぐなと激怒したあと直ぐ裴世清に倭国へ行けと命じている
つまり、煬帝へ国書を送った国と倭国とは当然別の国
邪馬台国で一緒に戦った光の戦士団のみなさん今世での再会を目指して文通しましょう
>百済を渡り、竹島に行き着き、南に耽羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
>また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
秦王国が近畿日本のこと。九州倭国側からの呼び名で秦王とは秦河勝のこと。近畿日本の天皇は秦氏のことを親しみを込めて秦王と呼んでいた。
九州倭国は近畿の天皇を認めていなかったから、
「あれは秦王の財力で作った秦王国だ」と言った。
>そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
>また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
ところが裴世清が行って見ると中国の大都市のような壮麗な大都市がある。九州倭国はそれでも田舎者の国だと言う。
意味が分からない。
こう言うこと。
もはやこの時点で落ちぶれ貴族となっていた九州倭国の
発展する近畿日本に対するアンビバレントな感情があり、
裴世清も混乱している。
>倭王は小徳の阿輩臺を遣わし、従者数百人、儀仗を設け、鼓角を鳴らして来迎した。
>十日後にまた、大禮の哥多毗を遣わし、二百余騎を従えて郊外で慰労した。
>既に彼の都に至り、その王、裴世清と相見え、大いに悦び、曰く
>「我、海西に大隋、礼儀の国ありと聞く故に遣わして朝貢した。
>我は夷人にして、海隅の辺境では礼儀を聞くことがない。
>これを以て境内に留まり、すぐに相見えなかった。
>今、ことさらに道を清め、館を飾り、以て大使を待ち、願わくは大国惟新の化を聞かせて欲しい」。
ここ。
実に九州倭国王が「自分は田舎者で礼儀知らずなので居留守を使った」と言っている。
裴世清は当然まず九州倭国を訪れたのだが、九州倭国王は居留守を使って先に秦王国(近畿日本)へ行かせた。
そして帰って来た所を出迎えて「居留守を使って正直すまんかった。中国の意向を聞かせて欲しい。」
と言っている。
>裴世清が答えて曰く「皇帝の徳は併せて二儀、恩恵は四海に流れ、
>王を慕うを以て化し、故に使者を来たらしめ、ここに諭を宣す」。
皇帝の徳とはもちろん支配のこと。
皇帝の支配のしかたは二種類ある。
一つは全世界の直接の支配。もう一つは倭国王への倭人の忠誠を利用した間接支配。
>既に裴世清は引き上げて館に就く。その後、裴世清が人を遣わして、
>その王に曰く「朝命は既に伝達したので、すぐに道を戒めることを請う」。
近畿日本に禅譲するなどと言うすっとぼけたことを抜かすのはやめて、
倭人の代表のお前(九州倭国王)がしっかりしないと
皇帝の倭人への支配が上手く行かなくなるだろアホ
こう言う意味。
>ここ於いて宴を設け、裴世清を遣わして享受させ、再び使者を裴世清に随伴させて方物を貢献させに来た。
>この後、遂に途絶えた。
ところが、裴世清が帰国してその報告を聞くと煬帝が心変わりして近畿日本に鞍替えしたから「(九州倭国とは)遂に絶える」。
こういうこと。
隋書はとにかく物凄く面白い。
当時の東アジアのスーパーパワーである中国から見て
倭人の代表が九州倭国から近畿日本へと変わる、
この歴史的瞬間が書いてあるから。
数ある倭人条のうち一番面白いのは魏志倭人伝ではなく
この隋書の倭人条。
近畿日本へは父親の文帝が国書をワザワザ送ってるわけな
小野妹子を仲介して
ただ無くしたことにしちゃってたわけだけどねw
そして、知らん顔して、しかも九州倭国を騙って「お元気ですか?ワン・ツー・スリー」とか調子こいて国書を送って来たわけね
激怒して当たり前でしょw
すまん
国書じゃ無くて訓令書だった
「お前らは認めんぞ」って書いてあった訓令書ね
いやあ、おもしれーなあ 卑弥呼論争w
まあ歴史書だけでなくあらゆる学問での検証もやってもらいたいね。
地学とか農学とか。
>>661 > なお、煬帝が立腹したのは、天子は中華思想では1人で、
それなのに辺境の地の首長が「天子」を名乗ったことに対してであり、「日出處」「日沒處」との記述に対してではない。
「日出處」「日沒處」は『摩訶般若波羅蜜多経』の注釈書『大智度論』に「日出処是東方 日没処是西方」とあるなど、単に東西の方角を表す仏教用語である[7][8]。
冒頭に、「海の西の菩薩天子が仏教を興隆させているので学ばせてほしい」と国書を提出していて、
仏教を崇拝し菩薩戒を受けた文帝への仏教重視での対等の扱いを目指した表現で、譲位された煬帝相手のものではなかった[9]。
↓
『日本書紀』によるこれに対する返書の書き出しは
「東の天皇が敬(つつし)みて西の皇帝に白す」(「東天皇敬白西皇帝」『日本書紀』)とあり、
前回とは違う身分が上の貴人に差し出すへりくだった形式となっていて外交姿勢を改めたことになる[12]。
文帝が秦王国(近畿日本)に送った訓令書ってのは
「あんたらそもそも邪馬台国が大統領で奴国が実権を持つ宰相って時点で二重国家やん。
それで実はそれもなんちゃってで、実際の権力は近畿日本にあるってわけ?
何それ三重国家ってこと?
あんたらどないやねんそれ
もホンマによゆわんわ」
って書いてあったわけな
>>670 真実は面白いんだよ
あんたたち騙されてんのよ
邪馬台国の官
「伊支馬」→「活目入彦」11代垂仁
「弥馬升」→「御間城入彦」10代崇神
「弥馬獲支」→「御間城姫」皇后
難升米→長髄彦
卑弥弓呼→火(の)三毛彦(記紀神武)・三毛野命(神武本名)
真実は生き生きとしてて面白いでしょ?
もういい加減気付きましょうやバカじゃあるまいし
おそらく小さな国だったのだろう
それでも女帝ということなら小さな国であってもおのずと知名度は上がる
決定的なのは中国皇帝が女帝に対して並々ならぬ感情を抱いてしまったということだろう
憧れを抱いたとしても無理はない
鄙守≒守護職が奴国にまでおかれてるのが面白い
中央から派遣されていたのか、それとも地元豪族に官職が贈られただけなのか
ところが父親の文帝が送った訓令書をまるで「そうでしたっけ?ふふふふふ」で
「お元気ですか?ワン・ツー・スリー」ってまた国書送って来るわけでしょ?
激怒して当たり前やん
ガンジーでも女装して嬲るレベルっしょそれ
なんでイラちの煬帝が怒らないと思っちゃえるわけ?
んで、煬帝は激怒した後九州倭国の様子が心配になって裴世清を直ぐ遣わしたと
こういうわけね
日本書紀編纂の際に有力豪族の記録を抹殺してる。
物部氏や三輪氏の歴史の中に卑弥呼は登場してたんじゃね?
三輪山山頂に祀られた日向御子が怪しいし
あんたら自分が死んでるのと同じなの分かった?
もういい加減にしといたほうがいいよ
バカなの?
>>1 出雲人の説明が付かないですね^^
ニダー理論はもういいよ<`〜´>
まだやってんの?
イナカモンはほんとどーしょもないなw
文字の無い方が文字のある方を遠隔操作か
随分と思いきったな
>>594 魏志倭人伝の記述を読む限りその理屈は当てはまらない
>>688 オレが今書いてるの読めな
これ以上面白いこと書いてある本は無いよ
ウソばっかなんだから
大体5ちゃんなんてオレが書き込みするから質を保ててるんだよ
ID:Y8vIWbLn0はオレな
こんな書き込み出来る人間がこの国にオレ以外居ると思う?
日本という名称はいつくらいから使われてますか?任那日本府ってありましたけど。
んでね
注意して欲しいのは
オレが凄いんじゃないんだよ
あんたらがすっとぼけた猿なだけなの どいつもこいつも
それに気づけつってるわけな
自分フツーなつもりで居るだろ?
大きな間違いなそれは
あのね
例の発見についても(まだ言って無いけど)
何でオレが発見するわけ?
あんたら揃いも揃って今まで何やってたの?マジで
いい加減ブツよあんたら
何どこまでもどこまでも際限なくすっとぼけてんのお前らは
>>621 合わないよ
いくつかの国の名前が挙げられてその先は女王の管理の及ばぬ処と書いてある
書いてある国の数では畿内まで辿り着かない
なぜ九州説って言うんだ?
福岡説だろっていつも思う
畿内説とかどう考えても根拠ないわな、文献的にもどっからでた説なの?
巻向は卑弥呼の年代とそぐわないことに
矛盾が出てるのですムリクリ合わせたな
曹丕の時代の卑弥呼の行方が分からないのに
2000年前の天皇の男系血統はわかってる不思議
刺青入れた邪馬台国なんて ヤマトから見たら土蜘蛛のたぐいだろ
人類史から見るとつい最近の2−3世紀のことすら未だに決着がつかないのは
ジャップランドが遅れていて文字すら残ってないから
邪馬台国も卑弥呼も縁起悪そうな漢字だけど、当時は違ったのかな
>>697 面白いのでもっと書いてください。
日本史スレにも書いてください。
>>707 半島の最古の書籍って日本の室町時代くらいのものだっけ?
中国の影響受けた漢文だともっと古いものがあるかもしれないけど、
ハングルが国民に広く普及したのは日本政府からの教育のおかげでしょ?
結局、記紀に邪馬台国とか卑弥呼が書かれてない以上、大和朝廷は無関係てことだよ。
わざと書かなかったなんてこじつけでしかない。
>>708 当時日本には文字がなかったろうからな
対馬ら辺では中国語使ってたかもしれないが
邪馬台国とかは漢帝国が音から付けた名前
卑弥呼の王国を「ヤマタイ」と呼んでたのかは不明
「卑弥呼」自体が中国人の記述だし、日本書紀や古事記では全く別の表記になるだろう
新井白石は畿内説だったが後に九州説に転向
なんで江戸時代の国学者が九州推しになったのかというと
卑弥呼が魏に朝貢してたって書かれてたから
畿内説だと天朝様が魏の家来だったと言うことになりかねないから
九州の「地方政権」説となった
>>699 熊本大分佐賀もありだと思ってる
吉野が里が邪馬台国ではないとする決定的な根拠もない
>>716 実際に今でも畿内説の連中って体制批判が前提の左曲がりだからな
とりあえず大前提として九州内に収まる程度の国を羅列してそこから先は女王の支配が及ばぬと書いてある以上
魏志倭人伝が書かれた当時、九州の勢力と畿内の勢力が同一であることはあり得ない
江戸時代の国学者が大陸に朝貢してたってのを嫌うのかと言えば
日本国王って名称を忌み嫌ってたから
これは戦国時代に細川と大内が勝手に日本国王を名乗り
明と勘合符貿易をしていたが、大内の貿易艦隊と細川の貿易艦隊が
バッタリ、寧波で出会うことに
明の役人から、「どっちが本物の日本国王の使者何?」って問いただしたら
双方、寧波で大海戦始めて、大内側、細川側の寧波の商人襲って
街に上陸して大暴れ
日本国王って呼び名自体が日本の恥、不名誉な名称って事で
卑弥呼が日本国王なら、細川とか大内みたいなもんだろって事になった
>>717 伝承のようなものが八女〜久留米〜瀬高のあたりに多いんだよ
卑弥呼〜台与〜磐井と繋がってれば当然の理屈
200〜300年時代がズレれば繁栄地域も変わるのは当たり前か
俺は、パプアニューギニアが邪馬台国だと思う
魏の言う倭人って、東アジアの海洋民族の総称じゃないかと
>>715 別の表記になっても、魏に使者を送ったていうのは別の表記にできない。
送っている以上送ったて書くしかないし、
書いてないてことは送ってないてことになる。
奈良が「大倭」と名乗れたのは事実であり、この事実は非常に重要
「大倭」は魏志倭人伝で登場する邪馬台国の支配者層の「大倭」に由来するとしか考えられない
魏志倭人伝は中国の正史の一部であり、偶然の一致はありえない
日本国王は結局、大倭寇の親玉が勝手に名乗ってる名称なんで
天皇の系譜に繋げるのは不味いって話
でもイギリス女王って海賊の親玉だよね
>>715 神功皇后紀には魏志倭人伝が引用されており
「日本書紀」の作者は、邪馬台国は奈良だと当たり前のように思っていたことが分かる
いいからさっさと箸墓古墳を調べ尽くせ
全ての答えが出るから
>>724 それ7世紀あたりでやっとの話だし、3〜4世紀あたりに銅鐸文明がすっぱり消えたことからも政治体制や支配者の大きな入れ替わりがあったのは間違いない
>>727 どういう意味で?
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではあり得ないからそういう意味での答えはもう出てると思うが
中国が、日の巫女を卑しい巫女に書き換えた創作を喜ぶアホの日本人
奈良が大倭を名乗ったのは中国との交易を続けるためにかつて中国と交易してた
邪馬台国の名をなんらかの形で受け継いだとする説が一番しっくりくる
>>674 難升米は、崇神天皇の皇女の渟名城入姫命だと思うよ
難升米(なしめ)
渟名姫(ぬなひめ)
>>729 銅鐸文明がすっぱり消えたのは卑弥呼の影響かと
>>734 銅鐸は周王朝の遺跡からよく似てるのが出てきてるからな
少し前近畿説で決まりみたいな記事見たけど
また九州説なの?
>>736 「決まり」って記事は見た記憶ないな
学者が「やっぱり纏向遺跡は邪馬台国なんだろうな」という感想を述べた記事なら記憶にあるけど
古事記の天皇死亡年は正確というのが定説である
崇神天皇は庚寅に死亡
崇神天皇が卑弥呼と同時代の人とすると
崇神天皇が死亡したのは198年(庚寅)
>>737 すまん言い方がわるかった
近畿説で「5chの人がきまりw」って言ってた記事をみたw
俺は邪馬台国の知識はないんだ・・
>>75 勝手にヤマトを名乗ったんじゃ無くて、もともとヤマトは九州の山門なんだよ
人がいなかった大和がヤマトをパクった
>>736 >>1にもある通り、そういう主張してるのが
>寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長
継続的に「畿内説支持」して研究予算とらなきゃクビになっちゃうじゃん
町おこしエネルギーが「畿内説」にすべて消費されてる結果がこれ
ニュージーランドのタウポ火山の破局噴火が181年で
世界的な大飢饉が起きたのは確実
184年には中国で黄巾の乱が起きている
卑弥呼の登場もタウポ火山の破局噴火と考えられる
古事記の神武の東遷だって
中国関西の勢力が強力でなだめすかしつつ
あの手この手で攻略してくで
鎧袖一触で有無をいわせず従わせたじゃあないもんな
文献にある九州勢力の東への進出と
考古学的な遺物はまあ整合性とれてるよね
卑弥呼の登場は181年のタウポ火山の破局噴火の影響
漢が実質的に権力を失ったのが184年の黄巾の乱なので
金印「漢委奴国王」の威光が失われたのもこの頃であり
新政権の卑弥呼女王の即位も184年頃だろう
神武の東征て紀元前の話だろ?
邪馬台国とは全く関係ないのに話に絡めてくるのはなんなん
少なくとも奈良は黥面文化もない漢文化の強い3世紀からの新興都市なんだから邪馬台国ではないのは明らか
卑弥呼は184〜248年の64年間も女王だったので中国が長寿だと驚いたのもわかる
10代で女王になったとすると80歳くらいまで生きた卑弥呼
>>747 奈良に支配されていた九州には黥面文化があったので邪馬台国は奈良で問題がない
>>749 3世紀の奈良では絹が出土したことさえないじゃん
邪馬台国は朝貢で絹を届けてるので、その時期の畿内に出土例が無ければ不自然
年表
181年 タウポの破局噴火
182〜184年 タウポの破局噴火の影響で世界的な大飢饉の発生
184年頃 大飢饉の影響でみんなが神頼みになり、巫女の卑弥呼が女王に即位
198年 卑弥呼を補佐していた崇神天皇が死亡
248年 卑弥呼死亡
>>749 畿内が九州を支配するのは早くとも4世紀以降なのが事実
>>751 纒向遺跡から桃色の繊維と桃の種が出土してる
卑弥呼は、床に桃を敷き詰め、桃色の衣をまとい、顔に朱を塗り赤くしていたと考えられる
まさに太陽のコスプレをしていたことになる
>>753 九州の遺跡は発掘調査されてるんだから諦めろ
北部九州の全盛期は漢の時代で
邪馬台国の頃にはすでに北部九州は衰退している
平原遺跡など北部九州の遺跡の発掘調査の結果なので間違いない
>>754 それじゃ3世紀の奈良に突如邪馬台国が出現して、生産した絹布は奈良には一切れも残さずすべて魏や晋に朝貢したわけね
>>291 那珂八幡古墳も箸墓古墳も3世紀
埋葬品や地層から考えられる定説
>>1 なにをいまさら
九州の王族が作った都市だから親戚に決まってるだろ
無関係と決め付けてた輩のほうが頭おかしい
>>753 福岡県博多の那珂八幡古墳は
3世紀中ごろの前方後円墳。
前方後円墳はヤマトの形式。
九州説は無理があるからこれで我慢しろってことだろ
この後で学者が一斉に肯定してゴール
>>756 >3世紀の奈良に突如邪馬台国が出現
181年のタウポの破局噴火の影響だからその通り
実際に
・3世紀の奈良に日本最古の神社が誕生(現在でも天皇陛下が参拝する)
・3世紀以降の奈良に日本の大王の古墳が大量に出現(九州には存在せず)
全国にある古墳を炭素法などで調べればいいんだけど。なぜか科学的にやらないし、遺跡
を放置しているところもある。大仙古墳も小出しにするし。みえみえだろ。皇紀2600
年なんてもう無理しなくていいよ。
>>750 日本と書いてヤマトと読んでた
坂上田村麻呂の時代には、すでに日本の国号を
ヤマトは使っている
卑弥呼を補佐していた崇神天皇(本名・ミマキ、御マキ)が住んでいたのが奈良の纏向遺跡(マキムク、マキ向く)
卑弥呼は奈良の大神神社で毎日祈祷
箸墓が卑弥呼の墓
>>762 炭素法で調べてるよ
その結果、箸墓は卑弥呼の死亡じきと一致するという結果だった
>>755 九州と畿内の力関係の変化をもって3世紀に畿内が九州を支配下とは言えない
>>759 北九州は畿内の影響力が強くなっていたのはあるだろうな
それをもって支配とは言えない
>>759 那珂八幡古墳=帆立貝形古墳≠前方後円墳
3世紀には、畿内の影響力はまだ九州では強くない
つまり、2世紀の倭国大乱が西日本一帯の戦乱で、西日本の諸国が共立して卑弥呼を纏向に立てたという説はかなり無理がある
倭国大乱は九州の戦乱で、3世紀、奈良への渡来系大量流入で急激に力をつけた畿内ヤマト王権が九州邪馬台国を滅ぼしたというのが事実だろう
畿内説派が纏向の立派さをアピールしても単に邪馬台国以上の勢力が存在したという証明に過ぎない
>>766 奈良は九州の代々の王がいた伊都国に駐留軍・一大率を置いてたから
奈良が北部九州を支配してたよ
>>765 古墳の中に落ちてた小枝の鑑定結果が一番古く見積もって3世紀中葉だったんだっけ?
なぜか他の出土品の炭素鑑定結果はガン無視
中にある一番新しいものが古墳築造時期だろうにという小学生でもわかりそうな矛盾した年代特定方法
>>770 日本書紀によると、崇神天皇が各地に四道将軍を派遣したのが3〜4世紀だが
九州に派遣してないのはまだ力が及んでなかったという事だろ
3世紀に突如として今までの倭の文化とは異なる漢文化の強い大都市が誕生するのは畿内説も九州説も認めるところだろうが、西日本諸国が連合して纏向に都市を作ったというより、空白地の奈良に渡来系が大量流入して先端都市を建設、吉備や濃尾と連合してヤマト王権の土台を作ったというのが妥当な推論だろう
当然、邪馬台国とは全く別の国
吉備は古代社会の新参者で、せいぜい西暦300年以降
それ以前にヤマトを支えていたのは忌部
>>774 九州には四道将軍を派遣してないじゃん
奈良は北部九州を完全に支配してたから
中国で出土しない三角縁神獣鏡は論外として、漢鏡7期で畿内から多く出土するのは、呉鏡である画文帯神獣鏡
つまり3世紀畿内は魏ではなく呉と交流があったのだ
このことからもヤマト王権は邪馬台国は全く別の国であることが判断できる
>>775 渡来人説はいい加減やめれ
朝鮮が勢力強かったことは一度もないぞ
どうやって日本を侵略するんだ
>>778 完全に支配していたというのに景行仲哀神功と何度も熊襲征伐し、挙句の果てに磐井の乱まで起こされてしまうという
渡来人って半島じゃなく大陸系だって分かってない人多いよな
>>779 中国でも倭人は呉の王の子孫って信じられてたようだから
魏から呉風の鏡が送られても不思議ではないと思うわ
3世紀、奈良で急激に渡来系の影響力が強くなるのは考古学的事実なのだからここは認めるべきだろう
その後、ヤマト王権を渡来系が主導したのか吉備濃尾が中心となったのかは知らんが、記紀を読めば渡来系が主導していたとも見える
>>784 妄想ばかりだな。
であれば魏の領域から画文帯神獣鏡が大量出土してもおかしくないが、出てくるのは華南ばかり
>>786 倭のためにしか呉風の鏡を作ってないんだからでてくるわけないじゃん
バカか〜?アホか〜?は要らないよな!
何を潰したいんだ?
>>788 だからそれが妄想という
妄想を主張するならそれなりの根拠を述べないと話にならない
>>785 渡来系だけど縄文人の末裔、東夷族
鬼界カルデラの噴火で大陸に移住した縄文人の末裔と大陸系のミックスが渡来系なので里帰り
>>778 奈良が九州まで力が及んでいたなら中間の山陽道が高地性集落だらけなのは不自然
>>780 秦氏とか勢力強いんじゃなくて半島で迫害されて近畿に逃げのびてきた連中だろ
今でいえば不正蓄財して外国に逃亡したカルロスゴーンとか前アフガン大統領のアシュラフ・ガニーのような感じ
>>787 熊襲征伐で神功皇后が田油津媛をどこで殺したのかも知らんのか
そこにいたるまでの過程も知らんとは話にならんな
>>790 いや、お前の畿内は魏ではなく呉と交流があった説が珍説で妄想だからw
>>794 神功皇后はさすがに神話だよ
史実ではない
三角縁神獣鏡以外中国で出土しない鏡は存在しないのにも関わらず、三角縁神獣鏡だけは特注品だったなどと曲解する畿内説
まあ可能性としてあることは認めるが、妥当な推論とはとても言えないだろう
>>797 しまいにゃ出所不明の中国のフリーマーケットで三角縁神獣鏡見つけたとか言ってる畿内説学者w
そもそも卑しいなんて字をわざわざ付ける陰湿な中国人による卑弥呼なんて書くのをやめればいい
纏向遺跡は卑弥呼の年代よりも新しい、って答えが出てる。
近畿説が不利になったので妥協策を打ってきたのか?
そうであれば学者の看板下ろしてね。
>>796 記紀をもとにしないなら熊襲が熊本であるという判断は何を根拠にしているのか述べよ
>>795 畿内から漢鏡7期の呉鏡が大量出土するという事実からの推論だが
お前の根拠なしの妄想とは全く意味が違う
また、記紀で中国のことは「呉」と呼称している。このこともヤマト王権が呉領域の国家と交流が多かったと推論する根拠となる
>>797 中国の「全唐文」に
「昔、魏は倭国にはなむけに、銅鏡の鉗文を止め」と書いてある
魏は倭国向けに倭国好みの鏡を作ったとはっきり書いてある
『考古学者は邪馬台国に足を突っ込むな。あれは文献の世界だ』
寺澤なんとかさん、足を突っ込まないようがよかったね。
妄想、イメージでしかない。
「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも、九州勢力の関与を指摘。
自分達の足下の調査エリアである纏向遺跡を何が何でも邪馬台国にしたいという
妄想。
>>803 だよね。邪馬台国の都の場所は考古学的には証明できない。卑弥呼で熱くなっている考古学者はいない。
もちろん文献的にもできないが。
>>802 唐時代の日本古代の記述にどれだけの信憑性があるというのか
だったら日本と倭国も完全なる別種という解釈で良いな
倭国は九州邪馬台国、日本はヤマト王権
>>801 昭和の時代まで熊襲差別というものがあり
歴史的にずっと熊襲とは熊本あたりを指す言葉だったから
>>802 というかそもそもその文で歴史上唯一の特注品だと解釈するのは超訳すぎるわな
話にならない
>>808 全く話にならないな
「歴史的」というのは記紀などの伝承を含んでいるだろう
神話を否定しつつ歴史的にどうだったかということを根拠とするのはあたおかすぎる
本拠はそのあたりとしても、強大な勢力がそこに限定されていると解釈するほうが無理筋
考古学的には、3世紀前半には巻向に強力な勢力が誕生しており、九州の勢力は全盛期を過ぎていたことを証明できる。
しかし、そのことは卑弥呼の証明にはならない。
衰えつつある九州が使者を送らないとは言えない。
巻向に支配されたとも言えない。
>>757 箸墓古墳が3世紀だから那珂八幡古墳も3世紀、って考え?
なら箸墓古墳が4世紀に作られたものだから八幡古墳も同じくらいだな
古墳初期の畿内の副葬品に絹が出ないので、近畿が邪馬台国ではないのは間違いない
>>788 めちゃくちゃなこと言い出したな
魏が取るに足らない小国の為にわざわざ別地方の鏡を専用に作って渡してたと?
なんの根拠もなしに?
何が出土すれば卑弥呼の決定打と言えるのか。
糸島に、一大率跡がでて、かつ巻向との強い関連を示す何かが出たとき。
>>817 魏志倭人伝の行程からは九州の範囲を出ず尚且つ隋書に「倭国には阿蘇山があり」と書かれてる以上
よっぽどのもんが出なきゃ畿内説を決定的なものとすることは難しいわな
「普通に考えたら邪馬台国は九州のどこか」なんだから
>>815 蘇我馬子と厩戸皇子の編纂。
日本書紀より具体的ではっきりした伝承集だったかもな。
九州説
大和朝廷を認めたくない
サヨク、朝鮮人の陰謀
日共吉永小百合が映画つくった
>>818 俺も九州だと思う。
でも、三国志は九州の範囲を出ないのではなく、糸島から先の記述が曖昧で邪馬台国の都がどこなのかわからない。
さらに、隋書は博多湾に上陸後、瀬戸内海を航海して、難波から大和入りする行程がくっきり分かるが、大和の都が阿蘇のそばとは書いてない。
と言うか、古代の人も邪馬台国は近畿と言ってるんだよね。
口伝で残ってたんだろうな。
九州なんて言いだしたのは割と最近。
江戸時代になって政治的な話で出てきた。
3世紀に最大の勢力だった!
と言うために年代を繰り上げてるように見えるんだが
九州説の人でも信じてる人がいるんだね
>>690 魏志倭人伝が間違ってる可能性を考慮すべきだと思う
ぶっちゃけ政治の中心と産業の中心って分かれてる所のほうが多いし、畿内説九州説っていうのがおかしいとは思ってた
そもそも九州に大和の地名が無いのがね
和=倭だしヤマタイコク=ヤマトだ
奈良県民が躍起になって九州説や他の説を否定しようとするのは
貧しくろくな産業がない県に観光の目玉を新しく作りたいからなのだと大阪人が言っていた
そう考えると気の毒ではあるな
九州説なんぞは日本の歴史の中でごく最近出てきた説であることを理解しよう。
https://www.town.kamijima.lg.jp/ 犯罪に向きあい懲戒処分を下さなければならないのは
朝鮮上島町
0897 77 2500
0897 75 2500
日本人殺人活動、日本人拉致をする為に
警察官になった伯方警察ソーーカ殺人鬼アキヤマたちと共謀し、
(実際に現行犯逮捕しなければならない中国人トウ英財を取り押さえたこちら側に見張れとやらかし不作為殺人未遂をやらかした。失敗)
朝鮮イワキテック役員が詐欺未遂したのを言っていたのを聞きつけ、
犯罪隠蔽の為に拉致をしにきて失敗したことを
隠蔽している上島町の犯罪工作員
↓↓↓↓↓
田中耕造
0897 75 3217
狂った精神異常者であり、
告発義務を果たしていない
↑↑↑↑↑
公務員の告発義務
公務員の方であればご存じのことと思いますが、公務員は、
その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければなりません(刑事訴訟法239条2項)。
公務員が告発を行うべきか否かは、
@犯罪の重大性
A犯罪があると思料することの相当性
B今後の行政運営に与える影響
等の諸点を総合的かつ慎重に検討して判断するものとされています。
愛媛県警は、
まず朝鮮犯罪集団ソーーカか、または親が朝鮮かとか、
朝鮮民団がいないかどうかを調査すべきだろ
朝鮮工作員
黒飛良彦
など朝鮮工作員も確認されている
愛媛県警に黒瀬重信という
警察官がいて、
朝鮮工作員
黒飛良彦の同級生であり
ライングループに入っている
ゆえに警察は黒瀬に
協力させて朝鮮工作員をなんとかしたほうがいい
朝鮮イワキテックが犯罪をやり、(二項詐欺、指値契約など)
また役員が詐欺未遂をやり、
↓
朝鮮上島町が、
朝鮮が犯罪をすることは是
日本人が被害を言うのは非
https://www.town.kamijima.lg.jp/site/gikai/list44.html とする狂った精神異常者の
朝鮮民団議員がたくさんいて、
朝鮮民団工作員
金本浩道などが
精神保健福祉法を憲法に違反し職権濫用し裁量権逸脱濫用し悪用し拉致し共同正犯の被害者拉致を精神保健介入にすり変え騙す犯罪手口を確認済
>>825 纏向は、唐子鍵も含めると3世紀の最大最先端地域でいいと思う。
しかし半島の帯方郡に使者を送ったのが最大勢力とは限らない。
6世紀になって北九州が畿内の支配下に入ったのが明らかな時代ですら、磐井が独自の使者を半島に送れるくらいだし。
>>830 畿内説なんぞは現代の考古学での発掘調査や年代測定で次々矛盾点が指摘されていることを理解しよう。
年代を前倒しすれば大和が最大勢力になると思ってやってみたら、それでも鉄器は出ない、大陸半島のものも出てこない
大和が栄えたのはもっともっと後だった可能性すら出てきたわけだ
>>832 つい最近の幕末でさえ、薩摩藩が密貿易したりパリ万博に琉球国産品として薩摩切子を出品したりできたんだが
>>833 どんな矛盾かね?
嘘を書くのは止めよう。
そもそも、邪馬台国らしき遺跡すら出てこない九州説には存在する価値もない事を理解しよう。
畿内勢力が魏に冊封してほしかった理由もわからん。銅鏡は自作できるし、王も勝手に名乗れたろう。
卑弥呼ってか壱与をヒロインにした雷火って漫画面白かったな
>>834 集落の規模が吉野ヶ里の10分の1の面積しかない箸墓集落()が畿内の最大勢力だというのが笑うところ
新井白石の適当な話に踊らされているのが九州説。
証拠はいっさいない。
何かの精神障害の一種ではないだろうか。
せめて、邪馬台国ではないかという遺跡ぐらいは見つけて欲しいものだ。
九州から近畿に遷都した説はもう何十年も前から言われてること
地名とその地形が似てるとかで
昔、それを題材にしたマンガも読んだことがある
>>837 九州説ならそのあたりの矛盾点は出ないもんな
ほんの数百年前の本能寺の変の真相すらわからんのに邪馬台国の事なんかわかるわけない
巻向遺跡は、万葉集にも出てくる古代の人にとって重要な遺跡。
九州説には巻向遺跡に匹敵する遺跡は一切存在しない。
事実から目を背け、ありもしない妄説を垂れ流す九州説を精神障害の一種と呼んで差し支えないだろう。
>>843 古代から畿内って言ってたんだって。
江戸時代から九州説が出てきた。
日本書紀7−8世紀頃には、誰も畿内で疑っていない。
九州説がいつから出てきたのかわかっているのか、九州説に憑依された諸君。
面積比較
奈良盆地 300平方キロ
筑紫平野 1200平方キロ
江戸時代まで卑弥呼は神功皇后と思われていたがそれも踏襲すべきなのかね?w
九州説を唱えるものは、いつから九州説が出てきたのか考えて書き込むように。
1000年たってから、後付けで言いだした説だって理解しろよ。
飛鳥時代や奈良時代から、江戸時代初期までは九州説のかけらもないからな。畿内で一致してたんだよ。
>>845 それは渡来人政権による遣隋使の時代に「邪馬台国=大和朝廷」という外交上の情報操作が行われたからだろ
1000年間誰も疑わずに、信じられていた事実
1000年後に、証拠0で突然言い出された妄説
これぐらいの差があることは理解して、九州説を唱えるように。
>>849 ほーう。
情報操作が行われた証拠でもあるのかね?
九州説に必要なのは、ありもしない証拠のねつ造よりも、精神科医による適切なカウンセリングだろうな。
まるで九州説にに憑依されているかのようだ。
まともな学者で九州説が支持されていない現実を受け入れよう。
「奴国」でも「倭国」でもない畿内が遣隋使送って「倭国の皆様ようこそ!」と言われて
背乗りして「大倭国」を名乗ったら中国側も「邪馬台国=大和朝廷」だと誤解するわな
九州説は、畿内説を否定するしか能がない。
まるで建設的ではない。
どこにあったのか場所を特定するように。
巻向遺跡が邪馬台国の首都だよ。
否定できるかね?
>>806 文献的には伊都国に卑弥呼は居たと結論が出ているよ
ユーチューブのトンカラリンさんのゆっくり動画
【ゆっくり解説】邪馬台国その1
【ゆっくり解説】邪馬台国その2
【ゆっくり解説】邪馬台国その3
【ゆっくり解説】邪馬台国その4
【ゆっくり解説】邪馬台国その5
で詳しく説明されてる。
>>849 701年に大和朝廷が成立したと考えられているね
それ以前は九州の倭国だね
寺沢や柳田って言わば卑弥呼前東遷説だよね
従来の畿内説とは180度違うが畿内説どうしで激しい論争をしてるのをほとんど見ない
それは九州説どうしがお互い違うと思ってもあまりやりあわないのと同じだと思うw
景初2年の公孫滅亡と帯方郡の復活を知って、同じ年に半島に使者を出さねばならない勢力は誰か。
半島の政治力に依存して生きる小さな勢力だよ。
畿内は焦る必要がない。
九州説はすでに、精神障害の一種でしかない。
九州説に憑依された人は速やかに、精神科にかかるように。・
3世紀の畿内には、自ら魏の配下に組み込まれに行く理由がない。
>>859 邪馬台国が九州まで支配していて畿内にあったとしたら、蝦夷を討つために半島や中国に支援を求めるのがおかしな話だわな
>>10 卑弥呼は太陽教だからな
いまの伊勢みたいに九州から見て
東のところに神社を作ったのだろう
ID:crq6fPug0が精神病なのは間違いないな
邪馬台国関連のスレっていつも患者さんが多いスレになるんだよなw
近畿説で落ち着いたから、邪馬台国学者の商売が上がったりになったんだろ
で、九州説にテコ入れして、論争復活を目論んでる感じ?
>>864 狂人には正常な人が狂人に見えるんです
>九州説はすでに、精神障害の一種でしかない。
狂人の戯言ですね。
>>866 >>856の動画を見ると誰でも九州説で納得するよる
>>869 もうちょっとちゃんと日本語覚えてから日本に来なよ
>>868 何年か前、中沢新一が確定的事実として扱ってて驚いた
決着してたんだと初めて知ったw
>>612 >それを宮崎の神武が近畿日本に呼ばれて
間違いはこまめに修正
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
>>871 日本で年輪年代法が確立した約20年前に、決着した
>>862 そうね。邪馬台国が畿内から九州まで支配した王朝なら、倭人伝に報告された9万戸程度の小さな人口であるはずがないし、帯方郡の支配下には入らない。むしろ、公孫滅亡の混乱をチャンスとみて、半島に出兵し、南部の鉱山を狙ったろう。4世紀にやったように。
>>870 最後に誤って「る」が付いてたな
>>856の動画を見ると誰でも九州説で納得するよ
人が進化して、高天原と通信出来るようになったら聞いてみればいい
>>874 日本の戸数としては少な過ぎるよな
朝鮮半島南部だけで15万戸なんだから
西日本だけで30万戸はないとな
大和朝廷はいつから刺青をしなくなったんだい
卑弥呼の邪馬台国はしてたんだろ?
>>3 考古学的に無理があるのは九州
畿内からは卑弥呼の時代に魏と交流していた考古物も出てるし
>>1 文献には、弥生時代に直接交流があったのは九州(魏志)で、
その後畿内とも直接交流ができた(隋書)が、
九州のとは別の国だ(旧唐書)と書いてある。
考古学と何の矛盾も無く、邪馬台国は九州にあり、
その後、中国での日本の認識が畿内に移った事がわかる。
>>872 半島との太いパイプを持つ宇佐神宮は大和政権成立後も在奈良の政権が手出しできない強大な権力を持っていた
それで半島からの難民も受け入れつつ大和政権が進出できなかった関東以北に進出した
それで関東に未だ地名の名残が残っている
上宇佐(かみうさ)→上総(かずさ)
下宇佐(しもうさ)→下総(しもうさ)
宇佐上(うさかみ)→相模(さがみ)
宇佐下(うさしも)→武蔵(むさし)
> 「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも
なんでそうとしか考えられないのか?
畿内説ってほとんど
「畿内に大きな古墳があるから倭人伝に書かれるはず」
「銅鏡が畿内にたくさんあるから卑弥呼が貰った銅鏡に
違いない」以外、ほぼ根拠ないのだろ?
しかし「大きい古墳があるからといって
倭人伝に書かれるとは限らない」
「銅鏡はほぼ日本製造で中国製造はほとんどない」と
どちらもかなり怪しい根拠だ
九州からは沢山出土している弥生時代の道鏡だが、奈良からはほとんど出土していない。これをしても邪馬台国が奈良では無いことがわかる
>>877 そう。同じ魏志に記録された馬韓より人口が小さいのがまずおかしい。
>>883 Q、なんでそうとしか考えられないのか?
A、彼は精神病か知的障碍者なので…
>>879 出土品で比べたら魏志倭人伝に記述のある絹や曹操の墓から出土したものと同じ型の鏡が見つかってる九州の方に部があると思うけど?
>>883 纏向遺跡は大きい遺跡だから邪馬台国に違いない、なんて話を聞いた時は「学者って馬鹿なんだな」って思ったよ
景初三年と魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡の出土で
畿内は魏と交流のあった邪馬台国と何十年も前に決着はついている
景初三年は239年で卑弥呼が魏に使いを送った年という事が
中国の各史書に書かれている
>>887 魏志倭人伝には卑弥呼が貰ったのは銅鏡とある
曹操の鏡とされてるのは鉄鏡
畿内からは三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡など
魏の鏡がたくさん見つかっている
そうとしか考えられない人はどちらの説でも患者さんだからw
>>891 それは言えるw
立場上言わねばならない人か、学者の態度がない人
>>891 学者はほぼ全て畿内説
九州説の学者は絶滅状態
論文は全て邪馬台国は畿内にあった事が前提で書かれてる
そもそも、そんなに大国じゃなかったと思います。
多国あるうちの一つの国でしょう。
>>890 三角縁神獣鏡は中国で出土しない国産
画文帯神獣鏡は華南で出土する呉鏡
畿内から魏鏡は出土してない
>>889 景初3年は一ヶ月もなかった。明帝が亡くなったから。
魏志は邪馬台国の使者を景初2年としている。
3年としているのは粱書と日本書紀。
魏志倭人伝では九州は邪馬台国に向かう途中で通り過ぎてるし
魏と交流のあった考古学的な証拠は畿内から見つかる
九州説は成立する余地がないね
>>897 景初三年はまるまる1年存在するよ
当時の中国には皇帝が死んでも1年は同じ年号を使い続ける習慣があった
>>890 三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡ともに九州でも見つかってるからそれは畿内のアドバンテージにならないね
三角縁神獣鏡は中国で出土していない、骨董市に売られていたのを除いて
>>901 出たw
出土じゃないどこの馬の骨が持ち込んだかわからない骨董品をもとに「中国で見つかってる」とする畿内説wwww
いくらなんでもないわ
正直に言って、洛陽で見つかってるから国産じゃないなどと主張する人間は議論するに値しない
>>905 畿内の方がはるかに多いね
そして年号の入った記年鏡は畿内でしか見つからない
>>900 通り過ぎた説は方角がおかしいじゃん。
魏志倭人伝の記述の旅程日数を重視すれば畿内説
方角を重視すれば九州説になるから、そこは解釈の違いだけで
永遠の平行線。どっちが正しいとかない。
>>907 洛陽の帯方郡に相当する所でも見つかってるよ
三角縁神獣鏡は古代の魏と倭に相当する地域で見つかる鏡
これは魏から倭に下賜された鏡である事を示している
>>909 魏志倭人伝には邪馬台国の位置は会稽東冶の東
つまり沖縄とか台湾と書いている
考古学的証拠は畿内から見つかるから
文献でも考古学でも九州ではないね
>>910 三角縁神獣鏡は中国で出土してないという事実の点で議論の一致を見ないなら話するに値しないので終了で
せめて現在判明している事実をもとに話をしてもらいたいものだ
そりゃもはや畿内説は話になりませんよ
三角縁神獣鏡は中国で出土してないという事実ですら無視するんだから
話し合えるわけがない
>>906 帯方郡に相当する地域でも見つかっているし
洛陽の三角縁神獣鏡は畑で出土したものが骨董市で売られていたもの
一度九州に降り立ったのはほぼ確実で「海を渡るとそこもまた倭国」との記述がある以上
邪馬台国への行程が九州を出ることはあり得んやろ
そして上にも書いたけど九州内に収まる程度の国を羅列して
そこから先は女王の支配の及ばぬ処との記述があるので畿内説はまずあり得ない
文献でやると限界なのは間違いないだろうな
このスレ見ててもほぼ無意味なレスバトルを論争だと思ってるのが何人もおるしな
三角縁神獣鏡が洛陽で見つかってほしいと思ってる人達が日本にいるということは中国贋作業界じゃ結構有名なのかもねw
観測気球として一枚出してみたら意外と日本人は慎重だった
だから以降全然出てこない
>>883 九州説も3世紀に畿内に強大な勢力が誕生したというのは異論ないからな
まじで畿内説は頭悪すぎる
>>913 三角縁神獣鏡は中国では洛陽と帯方郡に相当する地域で出土しているよ
九州説は情報が古いんじゃないかな
>>915 明帝の都に帯方郡に相当する場所があるというのがわからない。
卑弥呼は朝鮮人ニダ!!
邪馬台国はウリナラに近い九州にあったに決まっているニダ!!
>>915 前も言ったけどその帯方郡で出土したという「三角縁神獣」のソースを教えて
前に聞いた時は何回聞いても答えてくれなかったけど
◯◯鏡も三角縁神獣鏡の一種だよというのはなしで
卑弥呼の時代に強大な勢力が畿内に存在した→邪馬台国は畿内に違いない!
畿内中心に三角縁神獣鏡が大量に出てくる→卑弥呼の鏡に違いない!
アホも休み休み言えと
>>883 銅鏡だって、移動の時に持っていったって何で考えられないんだ
畿内説は引っ越しの時荷物全部埋めてから行くのか
>>3 考古学的に死んだのは九州だよ。
九州説はもともと畿内から九州まで広範囲を治める勢力が無く、
邪馬台国が九州を中心と小国だから成り立った説。
研究が進んで卑弥呼の時代、すでに近畿地方に東北から九州まで、
幅広い貿易・流通が確認された大都市が発見された。
まだ九州説を唱えているのは九州出身の田舎学者だけだ。
>>918 そもそも卑弥呼の鏡にしては多すぎるし、国内で複製してるにしても、国内で同様のものが作れるわけだから、国産とするほうが妥当な解釈だわな
それを畿内説は曲解して無理やり卑弥呼がもらった鏡にしようとするから知的障害者にしかみえない畿内説派があらわれる
ついでに卑弥呼の時代、
すでに古墳は作られ、その作り方は近畿から地方の豪族の墓に繋がっている。
最新技術が近畿から流通していたのに、
中国と繋がりがあった邪馬台国が九州にあるとかアホの極みである。
>>928 日本最古とされる箸墓古墳が4世紀のものだから3世紀中頃である邪馬台国の話とは関係ないね
邪馬台国九州説を未だに唱えているのは、
九州出身の田舎学者だけで、
遺跡や文化財の出土量や年代からも近畿に邪馬台国があったのは、
今や考古学界で主流だよ。
大昔に決着がついたから俺の結論を動かすなという考古学者(いないが)の話しは聞くに値しない。
>>928 逆逆
渡来人が畿内に流入して漢文化が色濃くなっていた畿内が邪馬台国であるはずがないんだよ
倭人は黥面文身の異文化人なんだからな
考古学でわかることと、わからないことを区別しない考古学者なんて存在しないだろう。
だいたい卑弥呼の時代に東北から九州まで、
広範囲の特徴持つ土器やらが発見された大都市が近畿に存在したのに、未だに九州説にこだわってるのは、
邪馬台国で金稼ぎたい九州の商売考古学者しかいねーんだよ。
>>934 当時の航海術で九州を支配下に置いてないで、
大陸と交流できるとおもってるのかよ。
つまり畿内は卑弥呼や邪馬台国の時代に、
すでに九州を支配下に置いてないと、
君の説は間違いとなるwww
九州説というのは、学者たちが仮想敵をつくらないと面白くないからといって、
仲間の中から「お前九州側な」と指名して、擬似論争で遊んでたのが起源w
その九州説役やってた人が、いま吉野ヶ里の権威になっているw
>>938 3周遅れくらいの話だな
とりあえずこのスレ読んだらお前はすべて論破される内容
>>936これでFA
それと年代測定で古墳の年代が若くなったので議論の余地がなくなった
奈良には卑弥呼をイメージすることが出来る祭神が無いよね
コピペ
邪馬台国の真実
魏の使者「卑弥呼さんはどこにいますか?」
伊都国人「八女たい!」
魏の使者「ああ、ヤマタイっと」
魏の使者「船で行くとどのくらいかかりますか?」
伊都国人「遠かばい!」
魏の使者「はいはい、10日 っと」
魏の使者「歩いて行ったらどのくらいですか?」
伊都国人「遠か!遠か!えらい遠かとばい!」
魏の使者「10日、10日、そして10日ですか、、、1ヶ月・・・っと」
× 支配する
○ 諸国が話し合って女王を担いだ
中央集権国家なんてもっと後の話だぞ
記紀には卑弥呼について何も記載されてないのが不思議だよな
やはり九州辺りの地方豪族の王だったのか
>>282 4世紀には遠征軍を日本海超えて朝鮮に派遣して三韓下して
7世紀には数万軍隊編成して唐とドンパチやってんだから
兵站、航海技術鑑みても大国だったろうよ
アダムと〜 イヴが〜
🍎 を食べてから〜 ふにふにフニフニ
後(跡)を絶たない〜♪
コンピューターに守らたー
バビルの塔〜に 住んでいる
超能力少年 バビル2世〜♪
アダムと〜 イヴが〜
🍎 を食べてから〜 ふにふにフニフニ
後(跡)を絶たない〜♪
コンピューターに守らたー
バビルの塔〜に 住んでいる
超能力少年 バビル2世〜♪
>>656 それ挙げてる人の中には二回目も違うって言ってる人いたな
二回とも大和朝廷じゃないとか
>>947 2chとかyoutubeでは何故か九州説支持が多い
理由は大体「近畿説は研究費が〜」という話に落ち着く
学者よりも詳しい研究者がここには集っているんだろう
宇佐の八幡神は、半島系の辛島氏と、ヤマトの大神氏の両系によって形成されたものだよ。
中国の方が記録しておいてくれたおかげで卑弥呼の存在もわかったわけで
逆に言えば自国の歴史さえ中国頼りなんだよなぁ
歴史だけじゃなく文化にしても中国様の恩恵は計り知れないね
ネトウヨもそう思うだろ?
>>947 北部九州地域全体が邪馬台国で決着したみたいだな
卑弥呼は伊都国に居たんだ。
邪馬壹國 女王之所都
邪馬壹国は女王の都(す)べる所
つまりは、邪馬壹国は女王の治めている所
北部九州地域全体が邪馬台国だったんだ
「都する所」とか誤訳したのだれだよ!
「都」は動詞だから「みやこ」じゃなくて「すべる」じゃないか
何でこんな稚拙な間違いしたんだよ。
北部九州の古墳は後漢時代。前方後円墳からは魏の鏡が出てきて、明確に魏以降の時代とわかる。
つまり、後漢時代は北九州で魏の時代は首都は奈良に移っていた。
卑弥呼政権はそれまでの男王政権が内乱で瓦解した後の縄文回帰政権
鬼道採り容れたり刺青させた奴婢を使役したり呪術性が高い風習が見て取れる
卑弥呼がヤマト以外の出身である可能性は十分考えられる
空白の4世紀だっけ、そこでかなりいろいろ大きく変わったんだろうな。戦国時代もだいたい1世紀だけどその時代生きてる人も入れ替わるし100年間って長いよ。
「此女王境界所盡」これの「女王」は「女王之所都」を省略して「女王」と書いてたんだ
だから、この「女王」は邪馬壹国のことなんだ
「去女王四千餘里」の「女王」も同じく邪馬壹国のことなんだ
「女王国」は伊都国、奴国、不弥国のことで「女王」とは意味が違うんだ
>>955 日本語ペラペラの中国人で歴史研究してる人知ってるから一度聞いてみようかな
>>961 ユーチューブのトンカラリンさんのゆっくり動画
【ゆっくり解説】邪馬台国その1〜5が秀逸
ようは大宰府の原型みたいなことやろ
軍事拠点でもある
後漢が滅びたのは220年。魏ができたのは220年。
つまり、220年及び200年前後に奈良へ首都が移った。
後漢220年以前は北九州の国が中国へ使節を送っていた。
つまり、巻向は王朝の時代が変わるパラダイムにあったわけで、
ここが、畿内説、九州説が群雄割拠する所以。
前方後円墳からは明確に魏の文字が刻まれた銅鏡か出土するので魏の影響下にあることがわかる。
寺沢が醸し出す畿内vs九州のアウフヘーベン感は寺沢がマルキストだからかなと思う
東夷伝の魏志倭人伝は三国志を編纂した陳寿が蜀出身で故国のことを書かせてもらうかわりに、司馬懿や司馬家の功績を強調するため邪馬台国が大きな国のように盛って書いてあるっていう説がある。
>>964 北部九州地域全体が邪馬台国だった説だから当然九州派
地政学的に見たら九州だと思うなあ。近畿の学者はこっちだと主張するけど近畿から九州までそんな広範囲を収めてないと思う。戦国時代でもその範囲を統治するって終盤だし。
だいたい魏志倭人伝に出てくる倭人って海洋系の民なんだよね。奈良の内陸部の話ではないような。
石碑と三國史記と思いっきり矛盾してるんだろw
どちらも朝鮮半島の資料なのに
喙=梁?
>>969 18世紀前の地政学の権威の方ですか?
当時の地理もちゃんとは分かってないのに詳しいんですか?
>>970 入植しただけだろ
安曇ですら長野にあるわけだが・・
かゝる僅かな史
料からではあるが、新羅王が金姓を名乘るやうに
なったのは眞興王からであると推定することが出
來る。然しながら現存の金石文や日本書紀に散見
する新羅人名を調査するに、王以外のもの卽ち王
族をはじめ一般臣下のものが姓氏を有するやうに
なったのは大體統一以後であるらしい。
まだこんな下らん論争してたのか
距離から考えるとフィリピンかインドネシアだろ
日本なんてそのころは原始人しか住んでおらず
文明と呼べるものはなかったというのが定説だ
>>969 時代が新しければ大きく統治してるというのはただの思い込み。
平安時代は朝廷は権威だけで全国を治めていた。
しかし、平家などがそこにつけ込み、軍隊で権威を圧倒すればいいんじゃね?となり
武士が力を持つようになった。
でも変だよね
この時代ってもう天皇がいたんじゃなかったのか?
>>124 やっと終わるよね
今まで閉鎖的社会で権威だけで保ってた畿内説
インターネットの時代いろんな情報が
誰でもアクセスできるようになり
嘘がバレる
>>967 史記を編纂するのは次の王朝だからあまり関係ないよ
むしろ魏の都合で最初から倭国をでかく扱ってた面がある
鮮卑や匈奴にこんな大きな国がうちに朝貢してるんだよってアピールしたんだな
>>975 最後は全行程の総距離を言ってるだけ
そんなことも気づかずに真に受けると
そうなる
>>951,954
ネットじゃネット民人口の多そうな近畿の方が有利な気もするけど
そうでもないんだな
>>981 九州説の方がロマンがある、近畿説は候補地が奈良盆地、纏向付近に集約されて、それ以外の推測が排除されるが、
九州説は、いろんな町が候補地になる。
記紀の編纂者達も魏志倭人伝読んで戸惑ったのだろうか?
卑弥呼?そんな伝承ないんだけどみたいな
寺沢薫さんは畿内説を唱える学者の中でも大物だと思うけど結局は「デカい遺跡がある畿内が邪馬台国だろう」以上の事は言ってないな
纒向遺跡の遺物は中国との関係を伺わせるようなものが余りにも少ないという考古学者側からの意見もあるし
纒向遺跡を邪馬台国だとする意見には不満が残る
邪馬台国時代の後に来た古墳人には前の王様とかどうでもいいからね
>>983 まあ卑弥呼の時代から統一的な王朝が続いていたという話に無理があるという事以外の何物でもないわな
王朝、王、都、領土、統治、外交、ここらへんの概念は国家の誕生とともに現れるもの。
魏志を書いたのは国家が誕生して久しい地域の人々で、彼らの枠組みで倭国を記述する。
我々もこれら概念を当てはめて推察する。
でも、3世紀の日本列島はどうだったのか。
国家はまだなかったかもしれない。
邪馬台国という王朝が領土を統治し、国境を定め、都を築き、伊都國に外交拠点を置き、一貫した外交政策のもとに使者を送ったと考えるのは早計。
遺跡以外でアプローチするなら
魏へ持って行った大量の淡水真珠ってどこから出したんだろうなって要素もあるな
少なくとも女王国にそうした産地があったことになる
現代の産地である霞ケ浦とかはこの時点で女王国の外だろうから琵琶湖かね?
巻向遺跡からは鉄器が出ていない。それをつかって造成したであろう周りの古墳は4世紀に造られた。卑弥呼の時代とは約100年ズレている。
記紀で卑弥呼を天照大神として封じ込めたのでは無いだろうか
>>1 九州から畿内に移ったと考えるのが普通だろ、ぎしわじんに出で来る卑弥呼がいたのは九州だろ。
今の人も100年前なんてほとんど知らないのに当時100年も前の資料なんて残ってなかっただろう。かろうじて伝承ぐらいだからほぼ創作になる。
奈良に強大な力を維持するだけの広大な農地が在るかって事。
九州には広大で肥沃な大地である筑紫平野も熊本平野もある。
日本有数の漁場である有明海も玄界灘もある。
3世紀に朝貢し魏に記録された集団の長の名を、日本で8世紀に編纂されたテキストの中から探すのも無理があると思う。
>>982 3世紀だと水田稲作が早く始まった九州の方が関西よりも人口が多かったからな
北部九州地域全体が邪馬台国とすると7万戸の邪馬台国も楽に入るな。
巻向遺跡はヤマト王権発祥の地であったとは思うが、卑弥呼がいた頃の邪馬台国であったかどうかはかなり疑問が残る
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