習志野市では初めて出土した縄文人の全身骨格で、推定40歳程度の「A人骨」(習志野市教委提供)
一緒に見つかった「B人骨」(上)と、A人骨の下顎部分(習志野市教委提供)
習志野市教育委員会は、同市内では初となる縄文人の全身骨格が出土し、国立科学博物館にも鑑定を依頼した結果、40歳程度と15歳前後の男性2人の骨とみられると発表した。10月25日〜11月24日に市役所1階で、写真パネルによる解説展示を行う予定。
市教委によると、2体が見つかったのは縄文時代などの遺跡「屋敷貝塚」がある同市屋敷5丁目の民有地。個人宅の建築に伴って市教委が行った埋蔵文化財調査で2019年2月に一部が出土し、発掘した。昨年5月から同博物館に復元と鑑定を依頼していた。
2体のうち、40歳程度の「A人骨」は全身分がそろい、推定身長155・5センチ。15歳前後の「B人骨」は同154センチで、体の左側と右脚部が残っていた。2体とも寝かせて埋葬されたような形跡があるという。
貝殻や動物の骨に覆われていたほか、身に着けていた物か埋葬品とみられる翡翠(ひすい)石のような物も一緒に見つかっており、調査を進める方針。周囲で出土した土器の型式などから、縄文時代後期(今から約4千年前)頃の縄文人とみられる。親子かどうかなどはまだ分からない。
市教委は「当時の独特の儀礼に基づいたとみられる埋葬文化がうかがえるのでは」としている。骨格の実物はもろいため、当面、同博物館の茨城県つくば市内の施設で保管される。
千葉日報 9/24(金) 19:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210924-00010007-chibatopi-l12 骨だけかよ
トーロンマンみたいなのじゃないとつまんねーな
当時は40歳くらいで人生終わっていたんだな。
老人医療・介護も何もない、良い時代だったんだろうか?
403$415歳を一者に寝かすとかロリコンすぎ裏山さん
こういう原人の復元で皮の腰巻してるけど何が元なんだ?発掘で出てこないでしょ
千葉は縄文の遺跡多いからな
殺人事件に時効はないので、殺人が疑われる場合は、ちゃんと捜査するよーに
ハラルさんが言ってた通りだ😅
左の額に傷があるwww
15パーセントは同族に殺されてたらしいからな🥺
野蛮人共め😡
>>19
何それ多すぎ🤪
千葉のハマグリは当時から人気だったんか🤮 >>18
細かい繊維や骨製縫い針は見つかっているし、土偶は素っ裸じゃない
縄文時代後期は布の服着てたと推察されている 縄文時代に暮らすなら千葉ほど恵まれたとこねーもんな
千葉が多いのは発掘に積極的とか湿地が多かったから保存状態がいいって理由なんじゃないかな
何故かスレ民が困惑している変なスレwww
へえ、習志野で全身骨格ですか。
>>19 くんが指摘しているように千葉県は、
干拓とかが進んだ今はあんまりそういわれないけど
原始古代は水の都だったんでねえ。
とくに縄文時代は縄文海進とかいって地形が違うから
水は豊富で、世界五大文明(エジプト・メソポ・インダス・コーガ・ダイカン)が
いずれも大河流域であったように、原始時代は豊富な水の存在こそが
繁栄のバロメーターだったわけだ。飲水はおろか漁労採集移動交易に事欠かない。
水があれば植物もグングン育つのだからねえ。
そして豊富な水についてはこれには往時の千葉は一長がある。
当然遺跡の数に象徴されるように人や集落もあったでせうね。
そういえば習志野に接する千葉市には加曾利貝塚なんて史跡があるやうに。
カソリーヌは評価するwww 弥生人に殺されたんだろ
野蛮なイメージは縄文人を殺戮した弥生人の方が強いは変わらない
絵文字の使い方、憎悪の擦り付けの特徴から>>28はかわる★と見た >>30
縄文時代は草創期から人間はもう着衣してたよ こんなまるっと残っててほんとにそんな大昔のものなの?
縄文時代にはもう太平洋側まで来てたのか
なら前方後円墳あっても不思議じゃないわな
あとは興味深いカキコにレスレス
>>18 くんのカキコだけど縄文人はそもそも原人じゃあないが。
別に野人じゃないんで毛皮に覆われてたわけじゃないんでw
そもそも服がないと生きられないですw 厚着もできないだろうけどねw
他に靴はないけど、毛皮かなんかでで足は覆ってたと言われるね。歩けないから。
髪はなかなか切れないんで縛っていたとは思うんだけどうっとおしかったろうな。
縄文人には漠然としたハゲ志願とかあったかもねwww
話を戻すと現代人はあまり意識しないが服の機能の大きな一つに
保護機能ってあるんだよねw 「ぬののふく」でも防御力は大いにあるんだ!
そしてティンコやマムコに怪我をすると痛いし予後も悪そうだからね。
そこは早期にプロテクトするんじゃないかなw
まあツンパの発明は人類文明が始まっても遅かったからねえ。
本邦では巷説だとなんと昭和年間の白木屋火事いらいっていうでしょ?
そういうわけで原始人の下腹部防護は上衣か下履きと一体にせよ。 こんなものが発掘されたせいで自宅の建築の工期が延ばされるんだろ?
ワレらが自然とともに1万年以上も平和に暮らしていたこの列島に、ある日、朝鮮半島から一重まぶたでのっぺり顔の弥生人がやってきました。
「縄文人のみなさん、どうかお願いします。朝鮮半島が戦乱なので逃げてきました。しばらくここにいさせてください」
快く迎え入れ、飢えているのを見かねて魚や獣を差し入れてやったこともあります。
ところが、朝鮮半島より列島の方が稲作というものに適していることが分かると、やつらは恩を忘れワレらに向かって、
「邪魔だから田に近づかないでくれ」などと言うようになり、遂には、「この土地は昔から俺たちのものだ」と言い出しました。
それからというもの、やつらは「福は内」と言って朝鮮半島から仲間を呼び寄せ、「鬼は外」と言ってワレらに石を投げつけました。
特にひどくなったのは、飾り付けられた馬に乗った人たちが来てからです。
ワレらを追い払おうとし、抵抗する仲間を殺しました。
本土で生き残った者は、前方後円墳造りを強いられ、耕作に適さない湿地や山地に追いやられました。
そして、やつらはハクソンコウの戦とやらで故郷を完全に失うと「今日からこの列島を日本ということにした」と言い、攻撃は東北や南九州にまで及びました。
東北では、ワレらの英雄がやつらに一泡吹かせましたが、騙されて京都に連れていかれ殺されました。
ワレらの楽園は蝦夷地と琉球だけになってしまったのです。
それからしばらく、蝦夷地と琉球だけは平和でした。
ところが、千年ほど経つと、やつらは蝦夷地や琉球にまでやってきました。
蝦夷地の仲間はだまし討ちにあい、土人と呼ばれ、男は強制労働、女は慰安婦にされました。
琉球は王朝を築いて発展していましたが、これも征服されました。
その後、奥二重まぶたで出っ歯の弥生人は、世界に向けてワレらにしたのと同じようなことをしましたが、罰が当たって戦争に負けました。
その時、琉球のワレらの仲間は、「同じ日本人だから」というやつらの言葉を信じて協力しましたが、敵の弾除けにされたくさん死にましました。
スパイの濡れ衣で殺された仲間もいますし、泣き声で敵に見つかると言われ殺された赤子もいます。
挙句、やつらは、琉球を戦争した相手の統治下に差し出しました。
今は日本に復帰したことになっていますが、基地はそのままです。
蝦夷地では、ワレらの仲間を土人と呼ぶのをやめよう、先住民族と認めようということになりました。
ところが、鮭を獲ることさえ妨害するのです。
最近は、アイヌはいない、アイヌは成りすましなどと言い、琉球のワレらの仲間も土人と呼んで侮辱しました。
蒙古襞があってのっぺり顔の朝鮮半島からやってきたやつらは、ワレらとは違う人種です。
ワレらには、本土日本人と韓国人は同じに見えるし、遺伝子的にも同じだそうです。
本土日本人は、先住民のワレらと同じ人種だと嘘をつく一方でワレらを土人と呼ぶのです。
韓国人と同じ人種の本土人は、「同じ日本人」と「土人」を都合よく使い分けるのです。
これが、日本列島全体の先住民であるワレらから見た日本の歴史です。
縄文時代って何千年も続いたんだよな。
現代文明が数百年で完成したことを考えると、
何千年も文明が発達しないって、何やってたんだよ、、って印象だな。
>>12
縄文人の平均寿命は15歳
らしい
まあ平均値を取ったら15になるってことで >>35 くんのカキコだけど湿気と遺物の保存ね
これはおそらく逆でね、湿地でジメジメしていると
寧ろ保存についてはイクナイと一般には言われますね。
エジプトとかね、いろいろ数千年前のそれが残ってたりしますが
これは、温度は高くても乾燥しているからですね。
乾物じゃないが干物はね、長持ちするんですよ。魚も果物も人も。
湿気るとダメなんだね。海苔もミイラもwww
ついでに>>20 くんへの需要のないマジレスすると
殺人事件の公訴時効は撤廃されたが、うろ覚えだけどw
撤廃前に満了した時効は殺人罪でさえも復活はしないと思ったよ。
これは刑事訴訟上のテクニカルな問題だからそうでない場合
行旅死亡人がらみの場合は、百年以上前の遺骨でも見つかれば
官報かなんかで公告されて、まれにネットの話題になってるよね。 >>18
ダニの分化時期で着衣のタイミングはだいたい分かっている
人間に寄生するアタマジラミってのがいる
人が身につける服にだけ寄生するコロモジラミってのもいる
遺伝的にコロモジラミはアタマジラミから分化したことが分かっていて変異の確率から分化した時期も約10万年前と算出できている
つまり人は10万年前には着衣を開始していたことが分かる
17万年前とか7万年前とするする計算もあるけど15000年前と言われる縄文時代の始まりには間違いなく着衣していた 亡くなった人の遺体を公衆の面前に晒すというのは如何なものかと思いますけどね、、、
>>54
猿がヒトになって大量に毛が抜けた。水辺ができて魚介類を捕食するようになったからだが。
その時の原人の失望に比べれば、ハゲなど大したことはない。むしろ正常進化だと言えよう。 「縄文時代」だけで1万年以上の長さだよな
それだけの長期間、ヒトは何の進化もしなかったんだろうか
>>62
そんなコトはない。今の進化が速すぎるだけ >>30,59
ふとした疑問でも書いてみるもんだね
勉強になりました 縄文人(アイヌ、琉球も含む)は古いタイプのモンゴロイドで、日本列島に
最初に住み着いて増えた。その当時から大陸からの移動は継続しており、
混血はすこしずつ進んでいた。弥生人という新たな集団が縄文人と置き換わったわけではない。
現代の日本人でも、数割の遺伝子は縄文人由来で単一集団としては最も多く
日本人のベースになっている。
大陸の漢人や朝鮮人は縄文人よりも新しく増えた集団で、大陸では古いタイプの
集団を周辺に追いやった。
古いタイプのアジア人が多数残ったのは日本列島とチベットだけ。
後は中国の周辺部の少数民族として複数集団が古いタイプの生き残りだ。
言葉の語順、宗教シンボルとしての鳥居が日本と共通しており
風貌も似ている。
イ族やハニ族。
遺伝子の混合が縄文人やチベット人よりも進んでいるが、顔を見ると
日本人が親近感を感じるから、ネットでググってみろ
朝鮮人やモンゴル人とはかなり違う
🇰🇷문자(munja)
手紙→கடிதம்(Kaṭitam)語る??
>>29
当時、千葉はほとんど「島」だったしな
>>19
なんだ、日本の中心は最初から関東だったんじゃないか 下顎に咬み痕があるってことは野生動物に襲われたか人肉食
貝殻と翡翠添えて埋葬すれば、、、
おっと誰か来たようだ
>>56
近代までの子供は7歳以下で死ぬ事が多かったしな 遺伝子全体で縄文系の割合を調べるのは、データの曖昧さが大きいので要注意
男性のみに伝わるY染色体の結果は明確で、それで言うと縄文系が数割
縄文系の男性が大陸系の女性を好んだという可能性はあるが、、、
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
http://www.afpbb.com/articles/-/2798334?cx_amp=all&act=all
体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。
数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。
すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。 琉球人の由来は、南九州の住人が農耕文化とともに移動した可能性も高い
アイヌは本州の縄文系と別れた時代が古いが大陸系との混血が少ないので、
本州よりも琉球に近い、という結果になっただけだろう
いずれにしても、アイヌと本州の縄文系は兄弟関係のようなもの
チベット人は縄文系と同時代にユーラシアに住み着いたが、縄文系と別れた時代が古いので
遺伝的には違いが拡大している。まあ、いとこのような関係だ。
鳥取の弥生人はデータが少なすぎて弥生系の由来をいうのは無理
弥生時代にはすでに縄文人と大陸から渡ってきた集団との混血が進んでおり
それが現代の日本人の遺伝子構成となった。
朝鮮人もモンゴル人も、日本に流入して混血しているが
日本人のベースとなった縄文系とはまったく別の民族集団だ
歴史学者には、データを無視して日本人の祖先が朝鮮人、みたいなストーリーをかたる
インチキ学者が多いので要注意
願望もなにもない
科学者だよ
朝鮮系と縄文系が全く違う民族であることは明白な事実。
朝鮮系の遺伝子が流入しているが、だから起源が朝鮮系だ、にはならない
ダイナミックな民族の興亡、移動を時間軸でイメージできなきゃだめよ
ユーラシアに最初に住み着いた人間集団のひとつが縄文人とチベット人
大陸ではのちの勃興した中国人に圧迫されて、中心部では絶滅し
周辺部の山岳地帯と、日本列島で生き残ったんだよ
あとは雲南の少数民族として残存。
中国人(種類が多い)あとから勃興した民族
チベット系や縄文系に近い民族はすべて中国人に滅ぼされたと考えられる
チベット人も日本人もワシントン条約で保護する価値のある、古い民族なんだよ
>>51
縄文人は日本の歴史区分がおかしくて猿人みたいにいわれるが
でも習志野のは4000年前って夏(中国)の時代
アッシリア・アッカドでは青銅器・かんがい・牧畜
縄文人と一絡げに呼んでいるのは結局大型獣のいない島々を
移動しながら生活する海の民だから
土器は土を選ばず薪も少なくて済むあの様式だし
金属器はとくに必要ないし モンゴルみたいなもの 日本列島では最初に住み着いた縄文系もあとから(すこしずつ)流入した大陸系
もいずれも滅びることなく混血している。民族の交代は一度も起きていない。
日本人は、人類学的にはすべての関係遺伝子が残存している人類博物館的特徴がある
気候が温暖で食料が多く、それが温和な民族性となったんだろう
古墳時代以前にコメの生産が多くなり、それが朝鮮半島との大きな差を生んだ
朝鮮半島で強い国家ができなかったのは、食料。
韓国・朝鮮人はすぐに日本人に嫉妬して敵意を持つが、稲作に適さなかった風土だから
強大な国ができず、中国と日本の両方に圧迫され続けてきた、ということ
今では韓国は経済も発展し先進国だ。日本に対する嫉妬や劣等意識など捨てろ
縄文時代の関東はこんなんだからな。
>>59
俺も縄文人は着衣してたと思うけど
その根拠がシラミって、弱くね?
現代でも裸族は存在するし、儀礼時以外は腰ミノ程度の文化なら、もっと多く存在する
未開民族どころかエジプト文明の壁画だって、労働者階級は腰巻きだけの半裸なんだし >>51
縄文文化が継承された期間を広くまとめて縄文時代と呼んでるだけで
土器や土偶の変遷だけみても、かなり変化してるぞ
後期には北海道から朝鮮沖縄台湾にまで至る交易ネットワークまで構築して、もほや文明といえるところまで発展している 俺んちの近くに加曽利貝塚ってのがあるけど、まあただの縄文時代のゴミ捨て場だよな
>>113
習志野市は縄文海進してないんだな
何千年もずっと海沿いの居住地のままか
掘ったら他にも色々出るのかも、面白そうだ 縄文時代は実質的に1万年以上に渡る時代区分なので、文化的変動も大きい
しかし、文字を作るレベル、つまり文明には至らなかった
古墳時代には国家としての力が強大になったが、文字がなく文献を残せなかった
豊葦原瑞穂の国と自認するように、水稲栽培の生産が大きくなり、それが強大な
国家の創出につながり、漢字を流用して日本語の表記も始まった
>>114
なんとなくだけど縄があるなら生皮の服くらいはあるような気がする >>1
屋敷貝塚ってめっちゃ千葉市じゃないの??どう見ても習志野じゃない。
それとも別に屋敷貝塚ってあるのか?
>>67
なんという部族名だったか忘れたが
チベットからインドまでの行程の途中に
まったく日本人そっくりな民族がいるって、川口慧海の「チベット旅行記」に記載されてたわ
そのあたりの地域から日本列島まで、本来は同族だったのが
中国韓国の部分が北方民族に蹂躙されたんだろな >>121
照葉樹林文化圏でしょ。
日本〜台湾〜雲南〜チベットにまたがる照葉樹林帯と一致し、
照葉樹林の下で生活した民族 >>122
おお、なんてこった。
よく見て無かったわ。 ハプロタイプが気になるな
DなのかC1a1なのかNなのかO1aなのか
>>123
それは間違いだ。
最古のアジア人がユーラシアのあちこちに住み始め、日本列島もその一つ
後から現れた中国系が強大となり、大陸の中心部を占めるようになり
それまでユーラシアに散在していた古いアジア人は、周辺部、山岳部
そして日本列島だけに生き残った、と考えるのが合理的だろう
大きな集団として残ったのは日本列島とチベット
古風な民族は温和で戦争には弱かったのだ >>118
文字は、開発してなかったというより
別の手段を用いてたから必要とされなかったのではないかな
沖縄に縄を使った伝達手段が残ってるから
たぶん縄文人も縄の結び目で交信したり伝承を残してたんだと思う
この人かな? >>36
今後、温暖化が進むと海面上昇するから
縄文海進してたところはまた水没するかもって話があるね オレ子孫なんだけど、オレの先祖を勝手に公開されたから人権侵害で訴えていいか?
現代人の白骨化死体…ホラー、恐怖
縄文人の骨…歴史ロマン、文化財
現代人差別笑えないw
文明を生み出すような発展は、地球上でも限られており、特別な場所だけだ
東アジアでは古代中国だけ
日本列島は弥生時代の水稲栽培がたぶん日本人的な技術革新によって発展し
コメの生産高が飛躍的に増えたと考えている
豊葦原瑞穂の国、という日本人の自己認識はそこから来ており
文明化が遅かったにも関わらず、食料生産が多く、強大な古代国家が生まれた
朝鮮半島の気候は水稲栽培に適さず食料生産が弱かった
古代に強い国家が生まれなかったのはそれが原因だろう
>>87
九州の稲作は朝鮮半島より早い
稲作が始まると人口が急速に増える
九州から本州、朝鮮半島南部へと
人と稲作が広まった ハンガリー人に近いアイヌ人
蝦夷地にいたんじゃないの?
日本ニモラリルレロハ急声ノ時成二ツノ音ニ一。サリシヲサツシトイヒ、トリサカヲトツサ カト イヒ、ハリテヲ ハツテト イヒ、キリテヲ キツテト イヒ、カリシヲ カツシト イヒ、アリ シヲアツシトイフ等也。或同舌内故ンノ音ト成ルアリ。タリナムヲタンナムトイヒ、アリ
ナムヲアンナムトイヒ、シリナムヲシンナムトイヒ、サルノトキヲサンノトキトイヒ、ト リノ トキヲ トンノ トキト イヒ、トリノ ウミヲ トンノ ウミト イヒ、ヒダリヲヒダンノ ト イフ
『悉曇要決』(1101 年頃)
>>131
行旅死亡人の記載に時々大昔の骨が混じることがあるな 朝鮮半島で稲作が始まってから約200年後に九州に入ってきた。
九州の方が温暖で稲作に適していることが分かると、朝鮮半島の倭人が大挙して次々と九州や本州に押し寄せ、縄文人は追いやられてしまった。
百済と言うか、鎌倉時代なんだよね。
促音増えるの。
唐の亡命者?蝦夷?何だろw
現代日本語促音だらけだからなw
日本人の中核になった人達だろうね。
>>19
関西は弥生以降に縄文遺跡が壊されたってことなのかね? 面白いスレの展開を示しているのでレスレス
>>111 くんのカキコだけど
ピーナッツが往時の日本にあったかはわからないが
古代エジプトにはあったというよね。
そもそもあのかたい殻がなんであるんかといえば
あの落花生の実は地下にあるわけだけど、
洪水で草ごと流れて、ドンブラコドンブラコと
流された果てで結実するようにって船だからね。
タネがそのまま流されたのでは早々に腐敗するわけさ。
うまくしたもんだよね。…って上記はうろ覚えだけどさwww
次に>>131 くんのカキコだと昔なんかさ、今は知らんけど
考古系の博物館なんかいくと頭蓋骨があったりしてサ
どうせ学校の人骨模型みたいな複製品だろと思ってよく見ると
意外に出土現品だったりするんだよねwww
いやあ、古代人とはいえ、生首? と思ったりしてね。
ガチの晒し首じゃないんだからさw
ああ、彼(or彼女)も昔は生きてましたか、って無常感はあるよね。
それが何の因果か千載ののちに掘り出されて公衆の観覧に供されて
って思うと、ついつい自分の顎のあたりの骨をなでたりしてね。マンダム(違 藤尾氏の説では、稲作から何から朝鮮から伝わったというストーリーなんだが
科学的根拠は皆無だ
弥生時代には登呂遺跡のような大規模な水稲栽培が日本列島の広い範囲で行われており
稲の品種はジャポニカ米
朝鮮半島では気候が適さず大規模な水稲栽培が広がることはなかった。
古代朝鮮のコメはインディカ米
朝鮮に独特な感情を持つ歴史学者が多く、徹底して科学的データを無視する
異様としか思えない
>>101
弥生時代には未だ縄文人と大陸から渡ってきた集団との混血が進んでおらず
大陸から渡ってきた集団と混血が進んでいたのは北部九州地域くらいだが
北部九州地域の人でも現代日本人よりも縄文人に近かった
現代の日本人が形成されたのは古墳時代になってから
古墳時代に大規模な民族の移動が西から東へ日本列島で起きていた。 水稲の起源は長江流域で、日本では紀元前10世紀頃には水稲栽培がなされていたらしい
歴史学者の一部は、水稲が朝鮮半島から伝来した、という表現に固執するので
科学者は面倒なので議論を避ける。由来が中国南部なのは確実だから。
このような「朝鮮」への固執は漢字の伝来にも言える。
文字を持たない古代日本に漢字を伝えたのは、百済から来た王仁とされているが
漢字の起源が中国であるのは言うまでもない
王仁は百済に住んでいた漢人。
>>148
出土品から紀元前には日本でも文字の使用は始まってるよね。
北部九州地域や山陰で硯とか文房具が多数出土している。 朝鮮半島は文化習俗やDAN解析で判明しています
朝鮮半島の民族は日本列島の弥生人とほとんど関係がありません
朝鮮半島から穢族半島人が大量にやって来たのは古墳時代に入ってからです
集団で漂着した逃亡の朝鮮半島の難民はたくさん漂着ましたが日本の在地豪族の
朝鮮半島での戦利品として半島民や様々な文物が日本に持ち帰られました
大和朝廷管理の難民キャンプ部落で編戸制の下で隔離生活していたので
日本人とは交雑する関係もなく、 朝鮮半島諸蕃の蛮族として蔑まれ
それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありませんでした
習俗や文化が正反対なのです
朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです
弥生人(パッチリ一重か奥二重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人 糸目一重)
弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心
🌟新羅本紀🌟
弥生後期〜古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死まで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。
琉球や華南や台湾や東南アジアで普通にある弥生文化的水田利用
この種類の弥生的水田農耕の痕跡が全くない朝鮮半島
日本ではどこでも見られる日本の原風景の棚田
華南や 台湾や東南アジアで 普通の水田利用
対馬暖流の恩恵を受ける倭人が入植していた南海島を除き
こういう水田が全くなくこの種類の農耕の痕跡がない朝鮮半島
信州の棚田
三重県紀和 大山千枚田の美しい ドローン撮 棚田 千葉県
日本の美景 四国の棚田
棚田の分布状況
県 名 面積(ha)
茨 城 256
栃 木 408
群 馬 68
山 梨 136
長 野 5,921
静 岡 219
納豆、餅、棚田という日本の原型ベルト地帯に日本列島がすっぽり覆われてるんだよな
なにせ日本は棚田地域振興法のある国だからすごい
日本の成り立ちが現代の法律にまで反映されてるとかね
天孫降臨の最初の場面の記紀での描かれ方には
弥生時代の日本が見事に描き込まれているのだが
それは、最初期の水田が山際で棚田ぽいということだ
ニニギが降臨したときに持ってきた稲穂
それを撒いたのも狭田に長田
つまりは棚田の狭く長細さだがその後は水田の主力は沖積平野下流域
いわゆる豊葦原に移っていく
葦原中津国の美称である「秋津洲」
秋津であるトンボの飛ぶ交わる島
桜ヶ丘銅鐸に描かれる線刻画
その日本の弥生文化世界そのままということで
捻りもない明快な歴史記録を日本人の祖先の水田農耕の縄文弥生人は
残してくれている
またそれは朝鮮半島や朝鮮半島人や百済や扶余族の蒙満系の文化には全く無い世界
◆近年の学術研究結果のまとめ
@日本ヤマト最初の国家官製規格の前方後円墳ができたときの纒向では朝鮮半島の遺物がほとんど出ない
Aその時代から同一モデルを含め複数と考えられる半島王子と名乗る者が「聖人君子が日本におられると聞きまして参上いたしました」と
訪日するが、どれもよそ者でかろうじて任那からきたソナカシチは纏向染めの絹を土産に持って帰らせてもらっている
B倭王・武の雄略天皇は、 宋から半島の軍事顧問を任されている
C古墳全時代を通して朝鮮半島の使者で都まであがって天皇と会えた人間はほとんどいない
ほとんど全てが北九州で追い返しか、大阪湾の内湾南の難波館止まり
D厳格な都の中での肉食禁止令を徹底
E八乙女にしても八十島まつりにしろ、 国家祭祀の中心から外縁までの全てが
海洋性神話にもとづく内容
F伊勢内宮のアマテラス大神の御神体の八咫鏡がおさめられてる箱も御船代
G大嘗祭で建てられる高床式の屋代家屋の屋根が温帯〜南洋の葉の束 (一昨の秋は秋篠宮様実費削減提言に沿って板葺き)
H古墳時代の天皇や大王級の御遺体を古墳に運ぶための葬送儀礼用の舟形木製箱
※ 朝鮮半島の文化要素がほぼゼロ
>>157
>「われわれは海戦に不慣れでございます」w
何だよこれw
古代から韓国海軍は日本海軍と真逆で最弱かよw
海に弱くて泳げない海軍て果てしない大草原不可避ww
海峡40キロ越えただけの隣国だよな
なのに日本人と正反対の海に弱い非海洋民族で異民族エベンキ文化の朝鮮民族 2017/1/24 23:22
縄文時代晩期
【 三千〜二千数百年前 】
の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる
土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある
平安山原B遺跡で出土したと24日、
同町教育委員会が明らかにした。沖縄での発見は
初めてで、西日本でも出土は限られている。
製作地や沖縄に運ばれた
背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。
北谷町では、縄文時代にアクセサリーとして重宝された、新潟県の糸魚川産の縄文時代晩期の
翡翠も別の遺跡から出土。町教委は「当時の広域交流がうかがえる重要な発見」としている。
亀ケ岡式土器は、沖縄から約2千キロ離れた亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)で
出土したことに由来し、工芸品のような精緻な模様や作りが特徴。同じ頃の東北では精巧な
漆器や遮光器土偶なども作られ、「亀ケ岡文化」として各地に影響を及ぼした。
※ポイント
・伊豆諸島神津島の黒曜石が「海上輸送により」日本各地(相模、伊豆、遠州、能登)
の古い遺跡にもたらされてることから、2万7千年前にはすでに神津島と本州との間
(最短でも往路150程度・・・ギネス級)を船で行き来してた。
・木製なので腐食しやすく残りにくいが、それでも
7千5百年前の外航用の丸木舟が
千葉県市川市雷下遺跡から出土している。
千葉県からはこのような丸木舟が150隻出土。
・琵琶湖でも数隻出土。
.
・現時点で朝鮮半島からは丸木舟がまったく出土しない。
習志野市は遺跡けっこうあるのに、郷土資料館や博物館の類がないんだよな
ちゃんと埋め戻しといてやれよ
墓荒らしなんて馬鹿チョンがやることだぞ
船橋の小学生の頃、穴掘って遊んでたら、土器がゴロゴロ出てきてビビった記憶
貝塚中に埋葬されると
アルカリ性土壌で人骨も
よく保存されるんだよね
まさか何前年も後になって人前に晒されるとは思わんかったろうな。しかも骨だけの全裸でw
>>177
いるとすれば部落民だな。弥生人が増えて、縄文人は人種差別の対象だったからね。 >>155
昔は畑からいろんなものが出てきたよ。
ネットで調べても全然出てこない、コインのようなおはじきの様な土器がいっぱい出た。 >>69 だから熊、狼、群馬が生息してなかった 安全地帯だったんだろうな >>19
千葉県は縄文時代の首都ですな〜〜
邪馬台国より価値ありそう >>19
これ見ると弥生人は縄文人が住んで無い所に移民しているね >>19
貝塚1個を遺跡1つと数えるとそうなるだろうな
九州が弥生時代に入ってから1000年後もまだ縄文生活してるわけだからな
とうほぐは明治時代まで縄文生活だったと言われてる 核ゲノム解析・PCAまとめ
縄文早期 佐賀・東名 Higashimyo 縄文100%
縄文早期 愛媛・上黒岩岩陰 縄文100%
縄文前期 富山・小竹貝塚 縄文100%
縄文前期 岡山・船倉貝塚 縄文100%
縄文後期 千葉・古作貝塚 縄文100%
縄文後期 愛媛・平城貝塚 縄文100%
縄文後期 北海道・船泊 F5, F23 縄文100%
縄文後期 福島・三貫地 SanganjiB 縄文100%
縄文後期 愛知・伊川津 IK002 縄文100%
弥生早期 佐賀・大友 縄文100% (続・縄文人)
弥生中期 長崎・下本山 縄文60% (Y-DNA: O) ※肥前国土蜘蛛の人骨の可能性あり
弥生中期 福岡・安徳台 ANT 縄文10% (現代日本人の範疇)
弥生後期 鳥取・青谷上寺地 縄文10% (現代日本人の範疇) ※倭国大乱期の人骨の可能性あり
古墳時代 東京・羽根沢台 縄文10% (現代日本人の範疇)
古墳時代 島根・猪目 縄文10% (現代日本人の範疇)
古墳時代 和歌山・磯間岩陰 縄文60% (Y-DNA: O1b2) ※沿岸部漁労系
i.imgur.com/4NuXbeb.jpg
古墳末期 石川・岩出横穴墓 現代日本人に接近
i.imgur.com/DHlWvP2.png
韓国・新石器時代 釜山・加徳島・獐項 Janghang 現代日本人に接近
i.imgur.com/XBNoaQz.png だいぶ前から考古学的に弥生文化は「朝鮮無文土器文化」の亜種だということが判明している
日本最古の弥生遺跡である板付遺跡の発掘調査から
支配階級は松菊里型住居(半島起源)に住んでいて、被支配階級が縄文型住居に住んでいたのが判っている
弥生人は縄文人を征服しながら九州から関西に広がっていき、一時停滞したあと一気に東北まで拡大する
ネトウヨは縄文文明などとあほヌカすが、ジャップは縄文人をジェノサイドした側だ
言語学的にも古日本語が半島に存在していたことが確実視されていて、Peninsular Japonicで記事が作られている
日本語版もあるから読んでみろ
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Peninsular_Japonic
考古学的にも言語学的にもジャップの起源は朝鮮半島なんだよ
縄文人は「プレアイヌ」というべき人たちでジャップは縄文人をジェノサイドした側だからネトウヨのいう縄文文明とかお笑いよな
ジャップ神話は扶余系(百済)神話で縄文文化の要素はゼロ。記紀に原住民の土蜘蛛を悉く殺したと誇らしげに書いてあるぞ
土蜘蛛は狩猟採集民で言葉が通じないと書いてある
天ころが葛で作った罠に原住民を嵌めて焼き殺したとか、それで「葛城」という地名になったとかジェノサイドの自白がてんこ盛りだ
この国の教科書では日本民族は太古の昔から列島に住んでいてとか大嘘書いてるからな。歴史を歪曲してるのはジャップの方だ
縄文人が弥生人になりクニが統一されて天ころが生まれて日本国になるなどというお伽話が普通に教科書になっている
そんな訳ねーだろ。ジャップは弥生人が縄文人を悉く殺戮や奴隷化した末に若干の混血で産まれた民族
九州から南に行ったのが琉球人になる
蝦夷は本州アイヌに違いなく、その存在は倭人によるジェノサイドが弥生時代から平安時代まで続いたことを意味している
今の東北人は征服された蝦夷の末裔などではなく後から入植した倭人の侵略者の末裔
本州アイヌの民族浄化が終わった頃から倭人は北海道アイヌの民族浄化に入りその完了形が日帝の北海道内地化だ
ジャップそのものが半島起源なんだがネトウヨの寝言が糞笑える >>14
子供時代を生き残るのが少なかっただけで大人になれば60くらいまでは生きれたんじゃないか ヤマトタケルの東征(=渡来人の関東侵略)ルートを
横穴墓の分布と比較すると…
■ 第8図 景行天皇の九州行幸 第9図 ヤマトタケルの東征
九州は横穴墓が広範囲に分布していますが、景行天皇の九州行幸ルートとほぼ合致します。
景行天皇12年に熊襲が朝貢しないため、景行天皇は西征に発っています。
経由地を記すと、夷守を経て襲国の熊襲梟帥を討ち、大和に還っています。
太平洋側の横穴墓の分布は、日本武尊の東征ルートと合致しています。
陸奥国の竹水門で蝦夷の賊首、嶋津神・國津神等を制圧・虜とし、日高見国で転じて常陸に戻っています。
日本武尊は「蝦夷の凶しき首、 咸く其の辜に伏いぬ。唯信濃国、越国のみ、頗る未だ化に従わず」と述べています。
東国が平定されても、信濃国と越国は大和王朝には従っていないことがわかります。
このように、征討軍のルート上に横穴墓が分布し、その結果、新たな階層が生み出されたと考えられるのです。
そして縄文時代の東日本交易路網と比較すると…
↑つまり、ヤマトタケルとかいう朝鮮人は、縄文人の居住地をそのまま侵略していった 縄文時代の千葉は住みやすかったというけど、真水はどこの川から汲んでたんだろう?
ゴッドハンドのこともあるから日本の考古学もたいそう胡散臭いけどな
>>1
>身に着けていた物か埋葬品とみられる翡翠(ひすい)石
千葉ではヒスイは産出しません、ヒスイが産出するのは新潟県だけです!
常識的に考えて縄文時代に千葉と新潟を行き来するのは不可能です!
はい論破♪ 日本の考古学者は特殊なイデオロギーに基づく結論を先に決めてから理屈付けする奴ばかりだから信用できない
>>157
倭人は朝鮮半島南部地域にも住んでいたんだ
>>197
×↑つまり、ヤマトタケルとかいう朝鮮人は、縄文人の居住地をそのまま侵略していった
〇↑つまり、ヤマトタケルとかいう倭人は、縄文人の居住地をそのまま侵略していった
古墳時代に大量の移民があり現在の日本人が完成したみたいだ
ヤマトタケルも古墳時代の話かな。 >>14
虫歯にならなかったらね。
江戸時代ですら、虫歯は死因の上位ですし。 >>207
虫歯って怖いんだな。
昔の人ってやっぱり歯磨きは十分にできてなかったのか。
たしか江戸時代には歯ブラシと歯磨き粉(ハマグリに塩を
詰めて焼いたもの)があった気がしたけど。 元祖ゴッドハンドの大山先生は若い頃このあたりで修行されていたんだな
>>35
北欧かイギリスあたりの泥炭湿地からは保存状態のいいミイラがでてくるね 江戸時代の農民の戸籍ですら80歳90歳はざらだから縄文時代はもっと長寿だったのだろう
>>190
ハプログループNは?
唐の王族ハプログループNなんだよな >>146
差別とは言わんが、流石に視野が狭すぎw フェアじゃ無いんで韓国語の話
対応していた朝鮮語
驚いたのは、岩波文庫の訳注に朝鮮語の事が書いてあった事です。
この保食神の神話が朝鮮語で読み解かれるというのです。
頭(mara) と馬(mar)
顱(cha)と粟(cho)
眼(nun)と稗(nui白米に混じった稗類)
腹(pai古形はpari)と稲(pyo)
女陰(poti)と小豆(pat)
🔥🗻💀👑🔥 😭😭ウラムー!キライ!
🇯🇵👱?怨むかー
北陸のほうから来た男「てめえらウチのヒスイを盗んだだろう?」
習志の野人「ウチの子供たちはそんなことしない。」
野人の子「そうだよおじさんの勘違いだよ。」
北陸のほうから来た男「うるせえ、ぶっ頃す。」
こうですか?
副葬品に木のこん棒があるはず。
>>212
Y-DNAによるクラスタリングは無意味
Y-DNA論者はD系・O系などといえば日本人を系統別に分類できると思っているようだが
現代日本人のゲノムは、北九州・土井ヶ浜弥生人(=ムムン・コリアン)が大規模集落をなした時点で完成し
実質的に彼らが日本列島を制圧し、日本全国で彼らの子孫が繁栄したため
日本人のフェノタイプはこれら半島南部からの渡来集団の形質でかなり均一的に特徴づけられている
土着勢力が粘り強く抵抗した北東北・南九州に僅かばかしの縄文人寄りの残滓があり
百済人などが大量に住み着いた畿内・奈良が平均よりさらに渡来人寄りとなっているが
それらの差もけっきょく微差にとどまるため、目に見えて有意差があるわけではない
日本の遺伝子プールにファウンダーエフェクトを与えたのは北九州・土井ヶ浜弥生人
なので日本人のゲノムがそこから変化することは永久にない
日本人はこの2000年間ずっと北九州・土井ヶ浜弥生人であったし、これからもずーっと北九州・土井ヶ浜弥生人です
>核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどは土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。
PCA 都道府県クラスター別
日本列島は日本アルプスを境に東・西日本に分かれ、大昔、その東側にいた者達は「毛人」と呼ばれていた
>倭の五王の1人とされる「武」が中国南朝の宋に出した上表文には「東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す」と記され
>また『旧唐書』日本伝によれば、「日本の東界・北界には大山横切りその外側に毛人が住む」とある。
>この大山こそが現在の日本アルプスでその外側の毛人(即ち毛野国の領域)が住む地を日本でいう東国であると考えられる。
■ 日本列島マップ画像
佐伯さえきって呼ばれてたんだよな
(わけわからない事言う人)
古老が言うには、昔、国巣(クズ)、土地の言葉では、都知久母(ツチクモ)または夜都賀波岐(ヤツカハギ)というが、その国巣である、山の佐伯・野の佐伯がいた。至る所に穴倉を掘って、常に穴倉に住み、人が来ると穴倉に入って隠れ、人が去ると、また野原に出て遊んだ。
狼のような狂暴な性質、フクロウのような不気味な心情で、ネズミのようにこそこそと窺い、犬のように素早く盗む。招き寄せなだめてくれる人もおらず、ますます土地の風習から遠ざかっていった。この時、大(オホ)の臣(オミ)の同族・黒坂命(クロサカノミコト)が、佐伯達の出て遊ぶときを狙って、
茨蕀(うばら、いばらのこと)穴倉の中に敷いて、すぐに騎馬兵によって突然追い迫らせた。佐伯達はいつものように穴倉に走り帰り、皆イバラに引っ掛かって、突かれ傷つき病気になり、死んだり散って行ったりした。だから、茨蕀を取り上げて、県(あがた)の名に付けた、という郡名由来。
さらに、別伝が続く。 山の佐伯、野の佐伯が自ら賊の長となり、手下を率いて、国の中を勝手気ままに移動し、略奪や殺人を大変に重ねた。その時、黒坂命が、この賊を計略で滅ぼそうとし、茨(うばら、いばらのこと)で城(き、柵で囲った砦のこと)を造った。だから、土地の名を茨城という、というもの。
>>149
探したけど見つからなかった。最初から縄文時代の遺跡として発掘進めているからかな? 土人の何が悪いの?
朝鮮半島は文化の通り道であったかもしれないけど、仏教はインド、稲作はアジア東南部の発祥で、朝鮮半島で生まれたわけじゃない。
>>7
むしろ先祖の弥生人が侵略した先に住んでた先住民
ネアンデルタール人とかインディアンみたいなもんだろ、縄文人は >>214
その倭国は今の日本列島。
「小さな日本が大きな倭国を併合した」だよ。 つまり、5000年前の長江文明が夏王朝・殷王朝の時代で
ジャポニカ米の稲作をしていて
箕子朝鮮が馬韓になって、そこに秦の難民が来たので辰韓を作らせて
後の新羅になったけども
新羅王の地位は、馬韓人=殷王朝の出自なわけで
朝鮮文明=長江文明ということで日本は侵略されたのですよね!
>>233
侵略されたのは日本じゃなくて列島。
侵略したのは朝鮮半島南部の日本。 縄文人って絶対日本列島ができた当時、富士などの噴火を見て「あそこに大きく、誰もいない新島がある」と考えて富士の狼煙目指して渡ってきた海洋民族だと思うわ
>>236
違うと思うね。
北朝鮮の漁船が動力失うと能登半島から北に流れ着くだろ。
韓国からだと能登半島より南に流れ着く(韓国のゴミが九州から能登半島に流れ着いて迷惑なのは知ってるよね)。 いまの東京湾奥から鹿島灘にかけての陸地は低湿地だったんだ
へー。
小高い房総は縄文時代から人がいたのか。
大森貝塚とかの時代かね
ルーツの話は、気になる人おおいのか?
こういうルーツだと主張する対象が、自分なのか、自分の地域の人か、日本人かはしらないけど、心安らかにいられないのか?
研究が進めば自ずとわかるのでは?
科学的手法も進んでるだろうし、証拠無く主張しても意味がない。
まあ、考古学も論争が絶えないから、諸説乱立するだけかもしれないけど。
日本神話でも天皇家は外来になってるのに、古来から日本人も天皇家もこの列島にいた縄文人の子孫と考えたい人がいるってこと。
インドでもアーリア人が先住民のトラヴィタ人を征服してトラヴィタ人がカースト外(日本で言えばエタ)にされてるが、アーリア人は自分達は先住民だと嘘をつく。
世界的に、「先にいた方が偉い」みたいな観念があるんだろう。
源義家のY染色体は、ハプログループD1a2a1b2a1aで縄文系
源義家の先祖を遡れば継体天皇に行き着き、継体天皇が地方豪族の縄文人だったことがわかる
源義家は源頼朝や足利尊氏の子孫
つまり古墳時代以降においては、日本を支配してきたのは縄文系であり、弥生系というのは間違い
>>241
源義家の染色体がわかってるように書いてる時点で嘘松 >>240
アメリカほどじゃないけど、どうせみんな移民みたいなもんでしょ。
多少ルートがいろいろあって、寄り道したところで一旦定着したりした
そのままの人もいれば、ちょっと遠回りした人もいる
その程度
どうせみんなアフリカ出身 (-_-;)y-~
うわぁ・・・Aさん、眉間を破壊されて殺されてのか?
新羅、其の先祖は元の辰韓の種。辰韓は亦た秦韓と曰う、相去ること萬里。傳えて言うに、秦の世、役を避け亡がれる人馬韓に來適す。馬韓亦た其東界を割き之を居す。秦人を以って故に之を秦韓と曰う。
そのまんまじゃん?w
秦=ローマだろ?🇨🇳中国じゃなくて。
コンスタンチヌスの🇭🇺ハンガリー語だっけ?シラギ
(-_-;)y-~
Aさんの顔面破壊されすぎやん…
貝塚の上に家を建てるとか千葉土人屑すぎだろ
史跡の重要性を千葉土人は理解してない
>>232
梁書まともじゃない?
扶桑国も出てくるし。これが日本だろ 習志野だから殺人死体遺棄事件だろ
千葉県警なにやってんの
顔面グチャグチャになってるじゃん
このガキと喧嘩して負けたのかw
>>235
そうそう、うっかりそれを失念してました
任那日本府が倭国連合を侵略支配して日本国となった
しかし本拠地は新羅に滅ぼされてしまったのですよね! 千葉市の加曽利貝塚もいっぱい出てたな
むかしは海だったから
徳川家康のY染色体はD2a1b
このY染色体を受け継いだ徳川家茂のミトコンドリアはm7a
父系母系いずれも縄文系ながら、外貌に縄文系の面影はほとんどない(鼻くらいか)
しかし性格や才能には縄文系らしさが現れている
おそらく遺伝子は外見よりも強く性格に現れると見られる
ベッキーもミトコンドリアは弥生系の日本人だが見た目はまんま白人
其の俗、城を呼びて健牟羅と曰う、其の邑(村)城内に在るを啄評と曰い、城外を邑勒と曰う。中國の言うところの郡県なり。國には六啄評、五十二邑勒有り。
評?
ちなみに徳川家茂の血液型はB型
日本で血液型占いが流行るのも、弥生系と縄文系で明確に性格が異なることから来てると思われる
おそらく、性格から考えて信長や秀吉は弥生系
日本で縄文系の家康みたいな人物を嫌う人が多いのは弥生系が多数派を占めているからであろう
官名に子賁旱支(かんき=官僚)、斉旱支、謁旱支、壹告支、奇貝旱支有り。其の冠遺子禮と曰い、襦尉解と曰い、袴柯半曰い、靴洗と曰う。其拜及び行高驪(麗)と相類す。文字無く、木を刻み信と為す。語言、百済を待ち、而る後に通ず。
>>253
江戸時代の大名家は代を経るごとに貴族形質化が進んだから家茂の母M7aを入れたくらいだと影響少ないだろうな 狩猟やめてドングリ食べてたのが縄文人
その子孫が家康
性格受け継いでる
大陸から侵略して来たのが弥生人
その子孫が信長や秀吉
やっぱり性格受け継いでる
そう考えると今の天皇は性格的に縄文系だよ
継体天皇以前はわからないが、以降は縄文系
>>264
性格とか、お前の主観の話なんて誰も聞いてねえんだよ >>264
天皇家こそ侵略者だぞ。日本書紀でも高天原から送り込まれた侵略者になってるのに無視かよ。 >>267
だから継体天皇以降って言ってんだろ
継体天皇が実力で天皇になったんだよ
つまり入れ替わってる >>266
お前に信長や秀吉や天皇の性格の何がわかるねん 侵略者に反抗したのが縄文系の継体天皇
侵略とは違う
>>223
江戸時代も明治もそう変わらない155〜157pくらいよ
小学校の時、社会科見学で行った上野の博物館で身長のボード見たから確かよ >>271
お前、信長や秀吉に会ったことあんの?w
天皇の行動って役人が決めたシナリオを演じてるだけだけど、一度でも直で会話でもしたの?
単純にお前はノイローゼだろ チビが淘汰されただけだろうな
昔から背の高い人はいたし
結局今の平均身長がいちばん子孫残せた人々ってだけ
明治維新も太平洋戦争もみんな弥生系の政治家がやっただけ
天皇が指示したことは一度もない
ドングリ食べてた縄文人と同じ
最高権力者のくせに何もしてない
>>272
こう言う感じのようね
<日本人の平均身長の推移>
>>268
>継体天皇が実力で天皇になったんだよ
>つまり入れ替わってる
その実力って何?
侵略者を更に侵略したラスボスってことか? >>14
少なくとも何事にも迷いなく全力で当らずにはいられなかったろう >>279
倭の五王時代を超える朝鮮半島由来の何らかの技術 >>247 くんのカキコを見て思ったが
貝塚ってのはそれ単独であるわけではもちろんなくてw
縄文なり弥生なり古代人の集落に付随してあるものだから
古代に人が住んでいたであろう遺跡は貝塚相当地はあるでしょ。
残ってるかどうかはともかくwww
で、これ要するに現代の文化財保護法的にいうならば
「周知の埋蔵文化財包蔵地」とでもいうんですかね?
あの、不動産業とか建設業(土木or建築業)やってる人士は有名ですが
これねえ、結構あるんですよ、全国各地に指定されている遺跡は山ほど。
で、そういう指定されている地で工事をやる前には
ゼニを地主が出して発掘しなきゃならんのですわねえ。全国どこでも。
本件個別の事情は記事以上のことは勿論知らないけど
>個人宅の建築に伴って市教委が行った埋蔵文化財調査
ってあるから、文化財保護法に基づく発掘の末に出て来たんじゃないかと
なんかそんな感じもするけどね、委細はわからんけど。
と、いうわけで既に開発されつくした地とか言うならともかく
試掘も発掘もなくいきなり開発工事っていうのは現代ではないでしょ?
もし発掘その他が住んでも古代遺跡の上に住むのは
まかりならぬという御意見ならそれはきついなあ。
縄文時代って1万年だからねw そこら中に人、住んでるんだよw
昔の人も今の人も好む土地ってそうそう変わらないからねえ。
(だから現代市街地と遺跡包蔵地がしばしばバッティングするのは偶然じゃないw) 死者の冒涜やん
この縄文人も晒し者になってさぞ無念だろう
>>282
当時の平均寿命は短いけど
60〜70まで生きた爺さんもいたはず >>1
うわっ、前頭部から顔面にかけて殴り潰されてる、縄文人って野蛮だったんだ >>198
これが最新のゲノム解析
東京近辺で千葉だけ青いのも正確 >>204
>常識的に考えて縄文時代に千葉と新潟を行き来するのは不可能です!
そんな事はありません
ヒスイはきれいだし欲しがるでしょう
頭部の前面が砕けてて、左ひざと右腕が欠損
熊にでも襲われて亡くなったのかな
>推定身長155・5センチ。
日本で最古の身体検査記録の、明治20年の
東京歩兵第一連隊の徴兵検査時の記録では、
平均身長が156センチだったらしいから、
日本人は縄文人から幕末明治くらいまで身長
がほとんど伸びてないんだよね。
>>155
恐らく太古の人々は太陽が昇ってくる東を目指していたような気がする
「あの異様にデカくて明るい光は何なんだ?あの光が出てくる場所を目指して行ってみよう」と思う人たちが千葉に辿り着いてそれより東に行けないからそこに定住したと >>35
空気に触れないことが肝要なんだよな。
水が満ちたり弾いたりするのが一番良くないが、
ずっと水の中なら劣化しない。 九州から瀬戸内海通って太平洋側を千葉まで渡ってきたんだろ
陸地を渡るより船に乗った方が楽だし安全だからな
瀬戸内海とか縄文時代の関東地方みたいに陸地に海が囲まれてる場所の方が安全に魚取れるしな
そこらへんに人が集まりやすいんだろ
いずれにしても太平洋を渡って行き着いた先が千葉〜関東なんだろう
>>292
侵略者である皇軍の仕業かな?
四国や九州の女王の古墳を発掘すると、頭に傷があることが少なくない。それも死なないように絶妙なやり方で、数年苦しんで死んでいるだろうという。
これが皇軍のやり方。卑弥呼のような呪術的な主張は、こうやって苦しめることで民衆も皇軍に恐れをなしたのだろう。 縄文人って今の日本人と骨の形とか太さとかいろいろ違うんだよな
>>292
長年の土の圧力で脆い部分から砕けたりする
特に頭蓋骨は砕けやすくて粉々になってることもよくある 明治期までは天皇=朝鮮系だと誰もが知っていたし、だからこそ併合の際に日鮮同祖論も難なく受け入れられた。
教育の場では、偉大な天孫民族が、土着の蝦夷・隼人・土蜘蛛どもを征服して王朝を建てたと教えていた。
しかし戦後になり考古学や遺伝学が発展し、列島に先住していたのは弥生人ではなく縄文人だということになると
日本の右翼は、「万世一系」の皇族神話が崩れるのを恐れ、「天皇はD系縄文王ニダ!」と声高に主張するようになった。
さらに日本人は「単一民族」だという神話を守るために、「アイヌは樺太から侵入した外来種ニダ!」ということにした。
習志野市怪しいよな
こないだも流星の隕石見つかったとか
騒いでなかった?
>>311
ビジウヨ業界は縄文人に執心してるから
「つーか縄文人てアイヌじゃん」てツッコミを何よりも恐れてる
だからありとあらゆる屁理屈こねてアイヌ民族の存在そのものを潰しにかかる >>311
アイヌは民族名だからね。人種的には縄文人と同じだけど。 アイヌは北方でしょ。
言葉が全然違うし、部族ごとにも言葉が違う。
ゴールデンカムイの偽アイヌ編を出して
「これこそがアイヌが偽ものと言うソースなんだぞ!」
「北海道には倭人祖先系縄文人が先住してたんだぞ!」
「アイヌはオホーツク北方民族エヴェンキの侵略者なんだぞ!」
とか電波ほざいてて
知恵遅れネトウヨオタが見てる世界ってすげーんだなって思いましたね
そもそも縄文人研究は戦後からと言っていいくらい新しいからね。
行動成長期の開発で掘り起こされて知られるようになった。
>>316
『アイヌ語方言辞典』を眺めれば、
小林よしのりが広めた「アイヌは部族ごとに別言語を話すバラバラの民族」だ
なんていう説がトンチンカンのデタラメだということがわかるぞ
アイヌ語については古くから調査され、明治には金田一京介が沙流・樺太方言を研究し
戦後には服部四郎が道内各地・樺太・千島列島の方言を網羅し
『アイヌ語方言辞典』が出版され、一つの言語であることは証明されている
基礎語彙がほぼ共通で、文法構造が同じ
アイヌ語方言辞典
https://ja.wikipedia.org/?curid=196492 アイヌがミトコンドリアで縄文系ってはっきりしてるのに否定するバカなんなの?
>>322
ネトウヨがいつもホルホルしてる「日本固有のなんたら遺伝子」ってアイヌなどの先住縄文人の話なんだよな
本土ジャップのゲノムはむしろ朝鮮人に近いという
ネトウヨは朝鮮人の末裔だろうな 何語?これw🤔
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼五可新何本」
「莫囂圓隣之大相土見乍湯氣」=ゆふづきのやまみつつゆけ=夕月の山見つつ行け(豊田・新釈)
「莫器圓隣之大相土見乍湯氣」=みもろのやまみつつゆけ=みもろの山見つつ行け(茂吉・古義)
「莫囂圓隣之大相土旡靄氣」=かぐやまのくにみさやけみ=香具山の国見さやけみ(金子・評釈)
「莫囂圓隣之大相土見爪爪湯氣」=みよしののやまみつつゆけ=み吉野の山見つつ行け(尾山・国語と国文学)
「草囂圓隣之大相七兄爪湯氣」=さかとりのおほふなあさゆき=坂鳥の掩ふな朝雪(粂川・国語国文の研究)
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣=ふけひのうらにしつめにたつ=深日の浦西詰に立つ(宮嶋・雑記)
「莫囂圓隣之大相七里爪靄氣」=しづまりしかみななりそね=静まりし雷な鳴りそね(塩谷・万葉露のしづ枝)
「莫囂圓隣之大相士見乍湯氣」=まがりのたぶしみつつゆけ=まがりの田蘆見つつ行け(土屋・私注)
「莫囂図隣之大相士旡爪湯氣」=ゆふとりしはふりしづむる=木綿取りし祝鎮むる(谷馨・額田王)
「莫囂圓隣之大相七兄川湯氣」=まがたまのよそひななせのかはにゆららに=勾環の装ひ七瀬の川にゆららに(阪口・万葉林散策)
つうか、新羅は人名が矛盾しまくりだよ
誰かが嘘ついてるw
医学もない時代、虫歯や歯槽膿漏でも致命的、盲腸では確実に死ぬだろうに40歳は長生きだな。
>>35
貝塚があると人骨も残りやすい 日本の土壌はほとんどが酸性で骨を溶かしてしまうが貝に含まれる炭酸カルシウムが中和してくれると骨が保存されやすい 大昔から結構な技術持ってたんだろうな
大災害で壊滅のたびにやり直してるだけで
今の人類だって壊滅したらうさぎ狩りからやり直しだ
ほぼすべての日本人は縄文系を含む複数の血統の混血なわけで
さらに言えば日本という国の基礎を作ったのも上記の人々で
交わるのを嫌って敵対し追いやられた連中の末裔を名乗ってる連中がなぜか大きい顔してるのは意味不明
黒潮の流れで南九州に漂着したムー大陸の子孫のムー民。
これがいわゆる熊襲・隼人族である。
(※台湾に漂着した民族は高砂族である。)
南九州の場合、鬼界カルデラ、姶良カルデラ、阿蘇カルデラの相次ぐ破局噴火により、ムー民のオーパーツ的な高度文明は厚い火山灰層の下に埋まった。
南九州のシラス台地の数百m下。
しかし今はシラス台地の上に都市が作られてるから、掘り起こされることもなく永遠に眠ったままだろう。
>>332
混血でも2000年経てば、大陸と海で隔てられた島国で「和」の精神で団結した独立した一民族、大和民族。
世界ではエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明、日本文明の5つ。
そもそも純粋な人類なんてアフリカにしかいないだろ。
アフリカから人類が旅出てすぐ、欧州ではネアンデルタール人と交尾して混血した。 よくよく思えば数万年後とか現代人が発掘される事はないんだな、火葬なんだし
>>194
全然違う。それはもっとだいぶ後
15歳以上生きた場合の平均でも31歳ぐらい
乳幼児とか全部入れたら16歳ぐらいが平均寿命
人口維持もギリギリだった 4000年前ならシュメール人の集団が日本列島に辿り着いた頃かな
シュメール人の遺跡と人骨が見つかれば縄文人と一致しそうなのにな
>>335
その大和民族と交わり共に歩むことを拒否して衰退していった連中がなんででかい顔してんのって話 >>340
7000年前に鬼界カルデラの噴火があって縄文人たちは新たに住む場所を求めていた
その後どこから来たのか未だに不明のシュメール人が突如歴史上に現れた 遺跡で人骨が出たら一応、警察に通報しないといけないらしいな。。
>>15
鹿島神宮とか最古の神社のひとつだし、昔から人の営みが有ったのは確かやろうね >>14
今よりいい時代だろう。
当時はジミンもなかったからな。 >>121
中国の神話、三皇五帝辺りの話にそれらしき題材が有るね
黄帝が神農を降した辺りとか >>223
食糧事情が悪くなると、小型化して省エネ体質になる遺伝子が組み込まれてるのだろうね
YAP遺伝子とかいうのか >>264
織田家って古い神官の家系だよ
尾張勢力といえば纏向政権の最大勢力
無茶苦茶古くから居た土着の家系 >>311
アイヌ語って関東辺りまで残ってるらしいから、確実に縄文文化の担い手のひとつでしょ >>350
弥生人がそもそも2000年以上前から来てるんだけど >>351
アイヌは縄文由来の北海道原住民と、オホーツク海沿岸の北方系民族の混血とされている。
アイヌも、本州日本人もどちらも純粋な縄文人では無い。 >>353
縄文人がなんで単一民族だとおもうんだよ
現代日本人だって単一民族じゃないだろ >>351
関東どころじゃない。九州沖縄にまでだよ。 日本全国にアイヌ語(縄文語の方言)で説明できる地名がある。
川とか湿地に関するものが多いようだ(解明されているだけ?)。
例えばベツ=川に冷たいというヤがついたヤベツあるいはヤビツという地名が至る所にある。
たいてい、冷たい沢があるところだ。
他に、トウマ(タイマ)、ヤチなどのアイヌ語で湿地を表す言葉も全国にある。大阪のヤスナカは行ったことはないがヤチ(低湿地。たいてい坂の下)なのではないかな?
>>126
それなら、海面がものすごい上昇したって
考えた方が。 >>354
和人を民族として1単位とみなす前提だからね。
前提を崩す話をしたいなら新尺度を示してね。 >>343 くんのカキコミが興味深いが
これは全国津々浦々、どこの地でも工事現場は勿論、
遺跡発掘の場だって作業員はもちろん監督だって
たまさか出てきたその出土人骨がいつのものかなんてわからないし
ついでにいえば人間かどうかも鑑定できないからね。
それは当然、異常なブツがでれば通報するでしょ。
時効だなんだは刑訴法上の問題に過ぎないし、ね。
で、それを聞いてなんとなく思い出したんだけど
もちろん自分ではエンカウントしたことはない聞いた話なんだけど
今は地上では荒れ地に見えるし、何の事前情報もないけど
前近代、それこそ江戸時代でもさ、実は現代では忘れ去られた
墓地だった、みたいなところを掘り当てると、すごいってねw
ほら、前近代はさ、戦前とか意想外にそうなんだけど
墓石が立たない墓地ってあるし、卒塔婆とか木板は消滅しちゃうからねwww
(ところで余談なんだけどいわゆる田舎の廃寺みたいな茫々たるところにいくと
江戸期の年号が記された墓石みたいなのが無造作にほおってあることがあるけど
別に区画もなにもないけど当該地の地下にはお眠りになってるのかしら?
当時なら土葬がデフォだけど墓石が立つ経済レベルなら火葬かな? ちょっとわからん) >>359
いや、新尺度もクソも遺伝子解析で判明してるんだけど >>338
20まで生きてたら80ぐらいまで生きたという試算があるよ
若年層の死亡率が高かった時代だし平均値はあまり意味がない >>356
いわゆるアイヌ地名はアイヌが作ったと確認できる証拠がない
一部活動家はこの地名が東北にもあることでアイヌの南限を下げる主張をしててトートロジーに陥ってる >>366
今が異常に長寿なんよ?
人間50年
昭和くらいまでは60くらいでもうヨボヨボ
そのくらいで死ぬのは普通の世の中だった いわゆるアイヌ語地名は縄文人のいた全国にくまなくないとおかしい。
>>368
昔は子沢山の家庭が多く尚且つ乳幼児の死亡率が高かったから今より相対的に数字が押し下げられているだけで60でヨボヨボなのではない >>363
人種ならどっちもモンゴロイドだろ
バカかお前 それにしてもまあよく残ってたもんだよ。
信じられない。
>>338
そんなに短命だったその民族は生き延びられないよw
人口が増えないとしても、最低三人の子を産む必要がある。
いや4人かな。
産んだ子供が一人前になるまでは生き延びなければいけない。
アフリカの伝統的なくらしをしてる民族だって、60歳70歳は普通にいるぞ。 >>372
その大まかな人種を遺伝子的に細分したのが民族
といったバカげた主張なの? >>376
日本に最初に来た集団
後から来た集団
これらはミトコンドリアではっきり分かれる
この集団がどっちも同じ民族と呼ぶのか?
バカだろお前 倭人なんて概念自体がずっとあとに作られただけ
異なる集団が混合していった過程を無視して単一民族とか言ってるやつがバカなんだよ
>>18
白人が出会ったアフリカの民族の中にそういうのがいたんじゃないのか。
アフリカもアメリカのアマゾンも知らんけど。
飾りの腰巻きは多くは植物性だな。
裸でいる地域で皮なんて暑くてやらんだろう。
皮を身に纏っているのは寒冷な地域。
エスキモーやサーミとか。
ゲルマンは寒冷な土地から来てるから植物で体を覆うという発想がなかったんじゃ。
「体を覆うのは皮以外にはない」という思い込み。
綿も取れない麻も出来ない、すすきのような草しか生えない不毛の土地。 たとえば在日のは朝鮮民族だからその子孫は1000年後も日本人じゃないのか?
違うだろ
>>360
墓石って一部の人しかないからな。
近年に「〇〇家の墓」ってやつを建てるようになったけどそんなのごく最近だな。
江戸時代は墓石があいのが圧倒的。明治に夫婦墓。
あと土葬だよ。小作も庄屋もみんな土葬。
火葬ってのはどこでやってたんだろうな。金持ちしかできんだろ。
大阪の梅田の再開発で出てきたのは江戸末期から明治、までの土葬の墓。 >>377
それらの子孫が和人(現代日本人)という民族の1カテゴリだろ。
>>354は現代日本人と言っているのに異人種時代まで遡ってどうすんの? ルーシーとか言い出すの?
やはり人種と民族の区別のつかないバカ人種だったんだね。 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号
畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、 東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、 東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、 東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に 一致することは興味深い(以上、75頁)
(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調 査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。 頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅 は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、 一般集団との間に明らかな差異が認められる。
(中略)
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ ているものと思われる。
(大阪大学医学部教授)
戦後でも畿内人(部落民を除く)は朝鮮形質が濃厚で他地域とは人種が違う。
>>383
在日は1000年後も朝鮮民族かって聞いてんだよ
日本人だろ?
つまり歴史上様々な民族が融合してできたのが日本人
そもそも1000年以上前に新羅とかから朝鮮民族来てるしな
今は立派な日本人 >>385
その言い方はおかしいだろ。
アイヌは縄文人の末裔だけど。 うちらの先祖やな
何代前やろ
オレにもこいつの血が流れてるはず
嵐とかSMAPとほぼ同じ身長だったと思うと想像しやすい
>>369
>>370
地名って結構残ってるわけだが、瑞祥の漢字を当てよという命で変わったのもある。
あと、仏教関連の名前にするとか。
意味がわからないようなのは「小字」に残ってるのが多い。
はっきり言って、弥生以前でも西と東は結構違うと思うわ。
西は残り具合が悪いように思えるが、堆積で消えてしまった土地が多いのかも。
降水量は今でも大きな違いがあるからな。
西の水田跡は大抵が土中深くからしか見つからない。
関東のような台地もあんまりない。
大きな遺跡は、鳥浜や東名遺跡や吉湖貝塚や水辺で埋もれたやつ。
弥生遺跡でも秋津中西遺跡や青谷上寺地遺跡や
愛知遺跡や朝日遺跡やら・・
まあ、縄文人が一枚岩というのも思い込みだろうな。
13000年も経てば言葉も変わる。
イギリス人がインド人の言葉を理解出来るわけじゃないし。
イギリスはケルトの言葉も残っているがそれだって別れてから5000年とか
言われてるからな。 >>356
西日本の多くは、谷タニ、原ハラとかだいたい共通してるように思えるな。
ただし、一文字の地名と二文字の地名が混在しているような印象を受ける。
「津(ツ)」「戸(ト)」「州(ス)」
津(ツ)は日本全国にあるんだよな。
海辺だけじゃなくて川の流域にも。
「手(テ)」とか「目(メ)」とかの身体語や、
根(ネ)」「芽(メ)」「葉(ハ)」
「火(ヒ、フォ)」「屋(ヤ)」
数詞の「ひふみwとか >>371
君がものを知らんだけ
年配の人に聞いてみるといい
今の60と昔の60は全然違う >>386
> 在日は1000年後も朝鮮民族かって聞いてんだよ
> 日本人だろ?
それでいいじゃん。論点は何だったの。 個人の敷地だけど、
調査してる間は自腹で他所に住まないといけないんだぜ?
普通の建て替えなら半年ちょっとで終わるのに、一年くらいに伸ばされる
やってられんよ
>>121
今でも動画を見れはわかる
チベットやブータンあたり、日本人そっくりで笑うよ >>362
あのー、「民族」って、別に遺伝子で区切られた集団じゃないんですけど?
文化的宗教的に区切られた、黄色っぽかったり白かったりが混じった民族が世界中にいるんですが? >>343
ここは貝塚だから、もともと建設工事をする際に届出が必要な場所なんだと思うよ >>338
「平均」を「みんながそう」と同一視してしまう人は、統計を語らない方がいい
乳幼児死亡率が高く、子供のときもバンバン死んで、数割しか大人になれないけど、長生きできる個体は昔でも50年とか生きれた
特に支配者層は
病気や怪我をしなければ、あとは栄養さえあれば昔でも長生きできた >>387
そうなの?
縄文人とは別に大陸から来たと聞いたけど >>155
色んな理由が考えられる
・縄文時代は、千葉県あたりが食料が豊富で、平坦で猛獣もいなくて住みやすかった 要は魚介類の取れる見通しのいい海岸沿い
・その後の寒冷化により海岸線が後退しそのときの遺跡が土砂に埋まり、比較的浅いところに埋まって保存された
埋まらない遺跡は風化してしまった
・さらに現代になって、宅地化が急速に進んで遺跡調査がたくさんされるようになった 地方だと宅地開発もまばらだから、そもそも件数が少ない 何ヘクタールも大規模に山林や畑を開発すれば、必ずといっていいほど遺跡は出てくるんだな >>401
擦文文化(北海道西部〜東北)とオホーツク文化(北海道東部〜千島樺太大陸の一部)が融合したのがアイヌ人と言われてる
大陸の一部を拡大解釈した連中がデマを流してるだけ >>403
つまり、遺伝的には縄文人と一緒だけど、生活様式などの文化は特異で別物だった、ってことか
というより、縄文時代なんてアイヌだけでなく、地域ごとに文化も言語も別々やったんやろうなあと
アイヌだけ近代まで同化しなかったから特別視されたと >>404
遺伝的には旧モンゴロイドと新モンゴロイドの違いだろ
韓国やらモンゴルやらの一重、目が細い、耳垢が乾いている、面長ってのが新モンゴロイド
一方、二重、目がぱっちり、耳垢が湿ってるのが旧モンゴロイド
この二つの違いはイヌで言えば、
ヨークシャーテリアと柴犬みたいなもんで、
交配可能だが全然違う
おまえの言ってるレベルの話は、
アイヌと縄文人の違いを「すべてイヌ」と言ってるようなもん >>405
アイヌも縄文人も古モンゴロイドですよ? >>404
なんで生活様式などの文化は特異で別物だったとか極端な解釈すんだよンなこと一言も言ってないだろ
どっから特異って言葉導き出した? >>406
古モンゴロイドの縄文人90%に新モンゴロイド10%がアイヌ人だな >>10
縄文人はかなりの高身長だった。
低くなったのは弥生時代以降。 >>407
ならなんで「アイヌ」として区別できるんだ?
遺伝的にも一緒、文化的にも一緒なら、区別のしようがない >>412
日本列島に縄文人が現れたころ、朝鮮半島に韓国はまだ成立していませんよ。
もちろん日本もまだ成立していませんが。 >>419
北海道の縄文人と北方民族の混血が進んだのは比較的最近で、日本の歴史では平安時代ごろ。 >>240
トラヴィタ人ドラヴィダ語族ってインド南部に多いんですね
関係ないけど、新型コロナの感染拡大終息もインド北部と南部とで違ってたのも
地理的な違いだけでなく、インドの中でも白肌になるほど
黒肌連中を見下すみたいな見えない分断や、文化、価値観の違い等も
関係してんのかなとふと思った >>424
インドは見える分断だろ。
階層によって肌の色も違う。 >>376
>その大まかな人種を遺伝子的に細分したのが民族
まずは辞書くらい引け。
グーグル先生に聞いてもいいぞ?
お前が持っている板きれは、ゲームをやるためだけのものか?
>>383
>人種と民族の区別のつかないバカ
お前がな。 >>419
アイヌは縄文人とは違う。
東シベリア系の人種&民族というのが現在での定説。 >>406
そう書いてあるが。
バカなの?
その中でもドラグーンと北方系では別れた時期が違う >>386
帰化しないなら在日朝鮮人のまんま
日本人は秋夕に餅はくわんし、
旧正月に一族であつまらん
日本人が集まるのは旧正月
まだあるぞ
柊の葉をかざり、鰯の頭を置くとか、
北西方向に餅そなえるとか、柏手うつとか
一番大きいのは日本人には氏と姓と本貫と氏神神社がある
これはチョンにはない >>291
翡翠じゃないけど、この前、NHKのブラタモリで
透明のヤジリが出ててたけど、
ガラスが普通にある今でもびっくりしちゃったから
当時もほんと価値があったしょうね このスレでは前にカキコしたので興味深いカキコにレス
>>410
神武天皇は神の子なわけだけど、この方、末っ子でねw
兄は戦死したり入水したり若いころによくわからない死に方しているんだよね。
それでもやはり神の子なのかねえ。古事記なぞを読んでいると神の子孫の割には
「う〜〜む」といいたくなる顛末が多いなあ。
まあ上巻の神々の行いからして、なかなかなところはあるんだが。
>>438
谷津バラ園は評価するwww
ついでにどさくさにまぎれて谷津干潟も評価するwww >>439
お前は相変わらず「チミ」とか「くん」とか「評価する」とか上から目線で偉そうに書いてんのな。
そんなだからお前は実社会で役立たずのゴミクズだって逆にバレるわけよ。
あの異常なカタカナ語の量もそうだけどな。
最近5ch始めた初心者と違ってお前の場合、
非常に恥ずかしい事に「ガイシュツ」とか「ふいんき」とか今更どうでもいい書き方で古参を演出しているわけだからさ。
その知識のある奴がそういう言葉を使うって事は「上から目線でマウント取りたい」って主張していると同義なんだよw
言われた相手が許せばいいってもんじゃねえぞ、人格の歪んだアスペルガー爺さん。 >>429
縄文人をハプログループD1a2aと定義するなら
D1a2aを80%以上の割合で持つアイヌは縄文系と言える。
さらに細かい事を言うなら、アイヌの女系の血統を示すミトコンドリアDNAから見ると、縄文人というよりは明らかに環オホーツク海種族の遺伝子を強く引いている。
ニブフなど樺太系ばかりではなく、カムチャッカ系の遺伝子も交えている。
つまりアイヌ人は男系が縄文人で女系がオホーツク人のハイブリッドということになる。
つまり、オホーツク人社会に縄文人が侵入して女を娶ってできた人種だということになる。