京都新聞 9/16(木) 10:31
太平洋戦争中に製造され、旧日本陸軍に配備された「軍馬防毒衣」の一部が、京都府京丹後市網野町の市立郷土資料館に保管されていることが今夏、分かった。化学兵器による攻撃を想定し、軍馬の全身を覆うゴム製の衣の頭部とみられる。軍事史の専門家は「これまで見た軍馬防毒衣の中で最高にコンディションが良い。非常に希少」としている。
軍馬防毒衣の頭部は、カーキ色のゴム製(厚さ約1ミリ)で、長さ約1・3メートル、最大幅約1・5メートル。両眼の位置にベッコウ色のプラスチック製ゴーグル(直径約15センチ)が二つある。頭から首を覆う形で、固定用ベルトが付いており、鼻部分には防毒マスクを取り付けたとみられる穴が開いている。表面には、「乗馬防毒覆 前」「昭和拾八」の印字があり、1943(昭和18)年の製造とみられる。
同資料館によると、地元住民から2012年7月に寄贈されたが、一度も公開展示されたことはなく、入手の経緯も不明という。軍事史学会(東京都)の会員で、旧日本軍の軍装に詳しい「全日本軍装研究会」の辻田文雄代表(74)=岐阜市=によると、軍馬防毒衣は、頭部と背部(胴体部)、脚半(脚部)、口の上部と鼻を覆うマスクから成る。毒ガスや細菌から馬体を守るために製造され、旧陸軍の各連隊で前線の指揮官が乗る軍馬用として一定数、配備されたという。
辻田さんは「昭和18年は、日本軍の敗色が出てきた時期。化学兵器による攻撃を受ける可能性や化学戦に挑む必要性を意識して、貴重なゴムを使って作ったのではないか」としている。実際の戦闘で使用された記録はなく、偵察や伝令に使う軍馬の防毒効果を訓練で試した可能性があるという。
終戦後は、つぶして防水カバンなどに用いられたケースが多く、完全な形で保管されている軍馬防毒衣は少ない。残っていてもゴムが劣化、硬化したものが大半という。辻田さんは「希少価値が高い戦争史料。大切に保存することが望まれる」と話している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df24f6161f70e3b9d1f3e594fffd8b3968e27cb2
軍馬防毒衣の両眼の部分は、プラスチック製ゴーグルを取り付けてある(京丹後市網野町・市立郷土資料館)
太平洋戦争中に製造され、旧日本陸軍に配備された「軍馬防毒衣」の一部が、京都府京丹後市網野町の市立郷土資料館に保管されていることが今夏、分かった。化学兵器による攻撃を想定し、軍馬の全身を覆うゴム製の衣の頭部とみられる。軍事史の専門家は「これまで見た軍馬防毒衣の中で最高にコンディションが良い。非常に希少」としている。
軍馬防毒衣の頭部は、カーキ色のゴム製(厚さ約1ミリ)で、長さ約1・3メートル、最大幅約1・5メートル。両眼の位置にベッコウ色のプラスチック製ゴーグル(直径約15センチ)が二つある。頭から首を覆う形で、固定用ベルトが付いており、鼻部分には防毒マスクを取り付けたとみられる穴が開いている。表面には、「乗馬防毒覆 前」「昭和拾八」の印字があり、1943(昭和18)年の製造とみられる。
同資料館によると、地元住民から2012年7月に寄贈されたが、一度も公開展示されたことはなく、入手の経緯も不明という。軍事史学会(東京都)の会員で、旧日本軍の軍装に詳しい「全日本軍装研究会」の辻田文雄代表(74)=岐阜市=によると、軍馬防毒衣は、頭部と背部(胴体部)、脚半(脚部)、口の上部と鼻を覆うマスクから成る。毒ガスや細菌から馬体を守るために製造され、旧陸軍の各連隊で前線の指揮官が乗る軍馬用として一定数、配備されたという。
辻田さんは「昭和18年は、日本軍の敗色が出てきた時期。化学兵器による攻撃を受ける可能性や化学戦に挑む必要性を意識して、貴重なゴムを使って作ったのではないか」としている。実際の戦闘で使用された記録はなく、偵察や伝令に使う軍馬の防毒効果を訓練で試した可能性があるという。
終戦後は、つぶして防水カバンなどに用いられたケースが多く、完全な形で保管されている軍馬防毒衣は少ない。残っていてもゴムが劣化、硬化したものが大半という。辻田さんは「希少価値が高い戦争史料。大切に保存することが望まれる」と話している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df24f6161f70e3b9d1f3e594fffd8b3968e27cb2
軍馬防毒衣の両眼の部分は、プラスチック製ゴーグルを取り付けてある(京丹後市網野町・市立郷土資料館)