こちらが親鸞聖人影像。西本願寺(龍谷山本願寺)のサイトより。
――浄土真宗の開祖である親鸞。その思想は戦前、超国家主義者の論拠となった一方で、社会主義者も参照した。要するに、右派からも左派からも“利用”されたということだが、解釈の振れ幅がこれほど大きいのはなぜなのだろうか? 近代における親鸞受容を振り返りながら、今改めて稀代の仏僧の正体に迫りたい。
鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞。「悪人正機(あくにんしょうき)」「絶対他力(ぜったいたりき)」の考えで知られ、数多いる仏僧の中でも特に日本人に愛され、論じられてきた。
ただ不思議なことに、例えば禅について僧侶や仏教研究者以外が自己流の解釈を語っても説得力を持たない一方、親鸞に関しては浄土真宗の門信徒以外が自己流の読み方を示し、やはり真宗の門信徒ではない読者に支持されることもある。この状況は、いかにして生まれたのか?
また、日本近代において、大正期に被差別部落解放のために立ち上がった初期水平運動の担い手からも、昭和初期に滝川事件や天皇機関説事件など数々の言論弾圧を引き起こした超国家主義団体「原理日本」の中核メンバーからも参照されたのが親鸞だった。左派の社会主義者からも極右からも信奉されるとは、一体どういうことなのか?
近世までの親鸞受容は、おおよそ真宗の影響の範囲内に収まっていた。江戸時代には親鸞を題材とした浄瑠璃が演じられ、平仮名で書かれた絵入りの親鸞伝が刊行されたが、権威を守ろうとする本山の本願寺などからの圧力で多様な解釈は抑制されていた。だが、明治以降は教団外での語り、教団外への影響力の拡散が抑えられなくなる。武蔵野大学文学部の碧海寿広准教授は著書『入門 近代仏教思想』(ちくま新書)で、近代以降の仏教の広がりを「『宗教』であるのみならず、時に『哲学』となり、時に個人の内的な『体験』となった。さらには、『教養』の一部となり、その果てに、『伝統』から遠く離れて、『私』だけのものになった」とまとめているが、親鸞受容もこうした道をたどった。
「中世以来、民衆にとっては死後の問題が重要で、念仏を唱えれば阿弥陀如来の他力により死んだ後に極楽浄土へ行って救われるという親鸞の考えは魅力的でした。蓮如などの活躍によって、浄土宗よりも身近な印象を与えるものとして真宗は仏教界で最大勢力を誇るようになり、親鸞聖人は偉人として崇敬の対象となってきた。しかし近代に入ると、そうした観点とは異なる親鸞像や思想が都市のインテリ層を中心に広がっていきます」(碧海氏)
明治期、真宗寺院に生まれながらも西洋哲学を摂取した井上円了(えんりょう)や清沢満之(まんし)は「哲学」として仏教を、親鸞を語った。また、清沢の弟子・暁烏敏(あけがらすはや)は1903(明治36)年、個人的な体験に引き寄せて「歎異鈔(たんにしょう)を読む」を雑誌「精神界」で連載、著書『歎異鈔講話』としてまとめた。このテキストは、親鸞と弟子との対話を記した『歎異抄』[左のコラム参照]が近代日本で突出した人気を誇る仏教書となることに寄与し、その「自分に引きつけた読み方」自体が無数のフォロワーを生んだ。そして大正期、教団外の作家による倉田百三(ももぞう)『出家とその弟子』や石丸梧平(ごへい)『人間親鸞』が人間くさく悩む親鸞、真宗の「伝統」から離れた「私」なりの親鸞像を提示してベストセラーに。22(大正11)年には次々に親鸞絡みの出版物が真宗とは関係ないところでも刊行される「親鸞ブーム」が発生し、親鸞は「教養」として、ある種のポップアイコンとして、人々の関心の対象となっていく。
2021.08.20
https://www.premiumcyzo.com/modules/member/2021/08/post_10287/ 昨日のスレで「迷惑はお互い様」に目の色変えてたやつらは悪人正機説なんか知ったら発狂するだろ
この言葉たちは法然さんから教えを受ける際にも、この言葉たちが書かれている本を決して他人に見せないように壁の中に埋めとけといわれていたほど。
悪用するやつがでてくると法然さんは危惧していた。
まさにそのとおりになっちゃったわけだが
>>5
ちょ中世の悪と現代の悪はちょっと違うからねえ ゲシュタポ善人より悪人のほうがいろいろ考えてるところはあるだろう
>>6
関東では日蓮宗や時宗だけど?
浄土真宗なんて見たことないわ 人間として親鸞聖人は魅力的だと思うよ。だから愛された。
>>7
そもそも仏教の教義なんて世間の道徳とは違う、見方によっては危険なものばかりなんだが
まあ、仏教というか宗教全般がそうだけど 他力本願を成就させる為には己の普段の努力が不可欠
本質を読み解きなさい
祈るだけでなんて字面で通用するのは大昔のチョンマゲ野郎と同じレベルだ
>>20
お前が無知なだけだよw
調べたら普通にわかること 浄土真宗のワイ
浄土真宗は坊さんも一人でいいし葬式代も安くて助かる
>>23
当時も危険人物とされて流罪とかになってるがな。 今日死刑判決を受けた暴力団組長「悪人こそ救われるべき」
>>25
それ言ったらなんでもそうだな
だから結局宗教なんてないんじゃね?になっちまう この時代ならキリスト教を知っていたのじゃないか
信者の多いキリスト教のように信者獲得のために
世俗的になった
キリスト教が祈りなさいなら
浄土真宗は南無阿弥陀仏を唱えなさい
他力本願など隣人を愛しなさいのように
>>33
俺はそう思ってるよ
宗教は言葉も字もわからないヤツだらけの大昔に人をまとめる為の発明品だと思ってる >>27
生れが禅宗の檀家だったもんだから髪伸ばしてる坊さん見た時は違和感あったわ >>37
己の普段の努力が不可欠ならそれは他力じゃなくて自力だな。 >>35
無知がなんか言ってるよw
関東では日蓮宗や時宗がほとんどなのに 部落民の9割が浄土真宗の門徒と言ったが
浄土真宗の門徒の9割が部落民と言ったわけじゃないんだけどな
なに発狂してんだか
センダラが何たらでついこの間も揉めてたろ。
その辺も日蓮にあてこすられてたが。
>>36
親鸞って鎌倉時代で日本にはキリスト教は伝来してないけどな
阿弥陀経がインドで成立した時に一神教の影響受けたとかならともかく 親鸞は善行や修業はやってもやらなくてもイイ派だったような。
>>43
地域性を理解せずにそういうこと言うから無知なんだよ >>37
浅い見方だな
仏教の唯識論の抽象度は君の思い及ぶところではない 愚民にとっては、なんでも新しい物ほどいいと思ってる法則があるからなw
これは思想と科学技術をごっちゃにするから起こる事w
なんでも新しいものが優れてると思うな
親鸞だの日蓮だの、本当に優れてたら
仏教名乗らない。
仏ブランド利用してるだけのゴキブリ野郎
>>51
だからお前はもう少し勉強しろって
馬鹿なんだから >>49
明治以降の話なんじゃね?
清沢満之とか暁烏あたりの事言ってるのでは 宗教家にとって辛いのは 自分の話を誰も聞いてくれないこと
普通に喋ると誰も聞いてくれないから 善人じゃなくて悪人のほうが 極楽に行けるっていう風に言った方が、 聞いてるほうが「何をこの野郎っ」て食いついてくる
聞いてくれさえすれば何とでも言いくるめられるから 単なるキャッチコピーだと思ってる
往生即成仏って生きている間に勝ち目のない人間には最期の救いだもんな
>>55
西日本の事例を全体に当てはめようとするお前が馬鹿なんだろ >>5
悪人の方が「自分は悪事をはたらいている」って自覚してるからマシだって 仏様の前では部落も非部落も一切の衆生なんやからええやん
>>27
確かに他の宗派に比べたら安いけど
それ以前にもう寺に金払うのがアホらしくなった >>5
それに気が狂ってる時点でそもそも悪人正機説を理解してないだけのような ほぼ阿弥陀仏の48願が全てだけど、釈尊は阿弥陀仏とか言ってないよね、多分。
>>46
浄土真宗の他力本願は自力を否定しているからね。自力を
引き出すために他力本願が必要とは絶対言わないと思うよ。 >>60
部落民の9割が浄土真宗なら残りの1割は違うわけ
お前算数さえ出来ないんだから、、頭わるw 性欲に負けて、坊主でありながら交尾をしたくて教義をデッチ上げたんだよね〜
宗教なんざ時代と共に捻じ曲げられるからな、開祖の教えだけ学んどきゃいい
馬鹿が勘違いして狂信者になるから無意味な争いが起きる
どんだけ薄っぺらい人生送ってんだよって停滞して腐臭を放ってるドブ川だな。
>>62
無理です
部落は、心が醜いから動物を痛めつける
仏教は心を分析したり評価する思想だから
部落は認めない >>59
たとえ天下人だとしても死ぬのは怖いもんだ。 >>70
関東の部落は日蓮宗や時宗って話してんのにお前は何を言ってんの? >>71
日本に釈迦の教義を守ってる仏教など無いわ 親鸞聖人について学んでない奴らが適当なこと言うものじゃないよ自分は真宗大谷派の学校で学んだから知ってるけど親鸞聖人は生臭糞坊主だよ
政治的にはむしろ日蓮宗だろ
創価もこの系統
浄土真宗は統計上の信者は多くても政治的な力はない
>>75
現世の勝者は死ぬのが怖い
現世の敗者は死が最期の救い
面白いのか悲しいのか >>53
浅くも無いだろw
実際アホがまとまったし、今もまとまってるだろw偉大な発明だよ
信じ込みのめり込む人、それを利用してきた人。全て含んでの宗教の歴史だろ
教えを否定してる訳じゃない
オレは宗教大好きだからな 釈迦の教義や戒律って普通の人間じゃムリだもんな。植物人間とかじゃないと。
でも念仏オンリーは弱く感じる。
江戸時代の人は死んでも極楽浄土に行けるってことで朗らかだったらしいな
まぁその応用で戦死しても靖国神社に行くとかになったのかもしれないが
東条英機も最後は浄土真宗になって極楽浄土に行くって安らかに絞首刑になったようだし
>>84
選挙こそ他力の最たるものでは
有権者に当選させてもらうんやで >>86
いや正解だよ
鳥取ループの部落探訪でも証明してる >>6
日本で1番ポピュラーな南無阿弥陀仏を唱えると部落認定なのかw
じゃあ日本人の殆どは部落民なんじゃねえの >>89
笹川良一が「お前は天皇を守るために裁かれて死ぬんだ」とか言って聞かせたからだろ>東条英機 坊主の話聞いてりゃなんでもかんでも阿弥陀様がどうのって阿弥陀真理教かよと
>>90
金かからない事が大事だから
そこは重要じゃないわ >>25
全くその通りだよ
上座部仏教もおさめられない連中に大乗など語らせるな 悪人正機なんてのは、現代で言うところの
リベラル思想とほぼ同じ事なので
まさに偽善的な腐った思想そのものだからな
だけど、悪人を寛大に許すなんて器がでかすぎるぜ!!と愚民が錯覚するのかもなw
愚民だますのにはちょうどいいな
>>49
最澄や空海が中国へ行った時から
知っていた痕跡
書物くらい持って帰った >>94
合祀したんは誰の意向じゃろ
それが無ければねじれは起きなかったんじゃ >>73
人間を痛めつける悪人でも救うのが宗教
動物も人間も命に違いは無い >>71
性欲に負けてない宗教があるなら教えてほしいw
それどうやって子孫に教えを広めるのwww 大学の食堂で
歎異抄勧めてるカルト集団は
危ない連中
念仏そのものが未来に向かって生存しようとしてるとしたら
念仏を唱える人間が増えた方が好都合だ
>>103
自分は善人だと思い込んでる凡人が救い難かったりするんじゃね
ホームレスは目ざわりだと思ってるくせにDaigoは叩くとかいう奴ら 右も左も根本的には一緒だからだろ。
貧しくなれば神にすがる思いで右傾化するし
豊かな社会でも怠惰なら分不相応に権利を主張する。
キリスト教も勉強したという説がある
悪人正機は告解(赦しの秘蹟)と見ると分かりやすい
昔の人に対して、それより後世の概念を当てはめるのは違和感あるわ
>>106
お前は旭川の教頭と一緒w
被害者と加害者がいて
加害者を救う思想があったら
被害者を痛めつけてるだけ
被害者を救うのが宗教
犯罪者は断罪するのが正しい思想 なんでもいいけど、香典返しっていう
クソ習慣を法律で禁止してくれんか
葬儀屋に香典6割持ってかれたわ
意味分からん
>>114
鎌倉時代に聖書読めるとか超インテリじゃんw キリスト教は悔い改めれば助かるかもしれないけど
最後に審判があってやっぱり悪人までは救わない感じになってるのかなw
まぁあんまり最後の審判はとりあげない感じだけどね
>>119
平安時代にはキリスト教伝来してた説はある 加害者も、被害者も
等しく救う思想ってものが存在するなら
実質、被害者は救われてないだろw
知恵遅れ親鸞は単なる詐欺師であり
親鸞の思想を体現した人物が
旭川の教頭くんなのである
どう見たってそう
親鸞は邪教
>>120
救わないね
救いたいものだけを神は救う
善人でも悪人でも
殺したいやつは善人だろうが殺す 阿弥陀とかいう行者がたぶん人類で初めてくらいに無限の観念に気づいて、これはすごい、
人々に正しく伝えなければと思ったのが、今日の我々にとっては何かの縁なので、
まあそれをたたえてるんだよ。
「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず。」日月神示
現代の池田や麻原みたいなもんだな
戦国時代は反乱起こしまくって完全にテロリズムじゃん
>>50
善行はやるほうがいいけど、極楽往生の足しになると思ってやるのは
違うというスタンスだったと思う。 >>124
釈迦が煩悩を消せたとでも?
煩悩に振る舞わされなかっただけだよ
>>129
意味がわかるか?
罪というのは神がさせてるのもある
神が許さないのは許さないと言ってる人間の傲慢さだよ
同じ境遇にあったら同じことをするのに恵まれてる善人面してる糞どもを神は嫌ってる >>134
阿弥陀仏の慈悲の大きさに比べたらやってもやらなくても小さなもので、やりたかったらやればいい。
歎異抄だとわざわざ悪いことをしなくていいって感じか。 出家でない在家ができる仏教としては一つの完成型だと思うね
縁起説や無我説は庶民には不可解過ぎて無理だ
とすればせめてブッダに習い善男善女で心穏やかに生涯を終えたい
そういうカジュアルな需要を読んだ親鸞は大人物ですよ
妙に世直しや出世の使命に燃える法華経教団とはえらい違いだな
>>134
善行が行う余裕がないほど恵まれない困っている人間にこそ阿弥陀の救済が必要なんだから真っ先に救われるに決まっているというスタンスじゃなかったっけ? >>131
金掛かるどっかの宗教よりコスパも良いし良心的だなwww 訳知り顔の糞馬鹿どもが善人面しやがって死んで後悔しろ
糞馬鹿どもが
>>138
そうだな。「善行はやるほうが良い」というのは俺の間違いだわ。 確かに民衆寄りの様でいて言ってることがよくわからん浄土真宗
>>137
そもそも現代日本で出家しちゃったら上九一色村行きなんだから在家仏教とか滅茶苦茶まともな思想で理に適ってるとしか言えないw
金払ったり出家しちゃうやつのほうが絶対ヤバいwww 坊主の髪型自由らしいけど、さすがにビジュアル系とかホスト風のは見たことないな。
南無阿弥陀仏を唱えた時に他力を感じるのは難しいな。
>>114
勉強するのは良い事だけど
取捨選択できないやつってのは知能が低い >>142
されんよ
気づいたら葬儀屋に6割没収されてたけど >>146
ツーブロックとかおるよな
真宗で剃ってる坊さんだと
「お、ガチなやつキタで!」ってちょっとビビる >>2
迎合はしてないんじゃないか?
悪人も往生できるなんて、大多数を占める小市民にしたら納得しがたいものだろう >>147
日蓮の南無妙法蓮華経を唱えて己の仏性を呼び覚ませみたいな自力本願のほうが自己決定の余地のある人間には自然。
阿弥陀様にすがって南無阿弥陀仏は為す術なく疲れた人間が求める救済。
江戸時代以前の日蓮宗は都市部の豪商武士階級の宗教だったのもそのせい。 浄土真宗では女人往生というのも広まった理由なんじゃね?
>>147
称えたくなったこと自体に何らかの他力を感じてるかもよ。 親鸞の一番ダメなところって
仏教じゃなくて、オリジナル思想をぶち込んでいるのに
仏教面してるところなんだよな。
これって、エヴァンゲリオンが仏教であるなら
エヴァンゲリオンの同人誌書いてるのが親鸞って事じゃん。
勝手にいろいろ気持ちよく改変してるだけの
違法改造マンでしかない。
>>148
取捨選択して選別して選民しちゃう人たちのほうが歴史的にもヤバい事やってるしヤバい人たちばかりだよねw
そういう知能が高いヒトって悪人だと思いますよ笑 >>151
親鸞の言ってる悪人って言うのは>>138が書いてるけど善行ができないような人間(凡夫)って意味だよ
悪行を行う事が素晴らしいと言ってるわけではない
ほとんどの小市民は善行を知らぬまま凡夫で終わるから救われるべき悪人なの >>156
なるほどなるほど
一理あるようでいて一理ないな。
選別は悪だと思ってるんだ僕 >>152
念仏で往生が嘘だった時に全部吹っ飛ぶのが引っかかるw。 >>1
親鸞上人は難解。法然上人をあれだけ信じて
いながら、結局、法然上人の教えとは異なる
絶対他力という思想に行きついてしまった。
しかし、亡くなるまで一途に法然上人を信じ
ていらっしゃった。訳がわからない。
浄土真宗は難解。親鸞上人の絶対他力の立場
でありながら、信者獲得に最も熱心な宗派。
特に浄土真宗系の新興宗教は信者獲得のために
勉強会のようなものをやたらと行い、
隙をみては信者を増やそうとする。
そもそも自分から動いて誰かを救おうとしたら、
絶対他力の立場から逸脱するだろうに。
絶対他力でありながら、信仰を説得することに
違和感を感じていないのだ。あり得ない。
親鸞上人は、現代の浄土真宗やその系列の
新興宗教のあり方を嘆いておられると思う。
今の信者達は、死んだ後で
親鸞上人に会えることはないと思う。 >>24
主君の家康相手に一向一揆起こした三河侍か?
家康が出てくると「殿が来たぞ、逃げろー」とかやってたww >>5
まあキリスト教でいうところの「懺悔」の本意と似てるな。
まず、全ての人間が内包する悪というか原罪について、自覚的であれという。
自覚しないことには始まらんという感じか。
すると、どんな悪人であってもいいのか、全て懺悔すれば赦されるのか、という
見慣れた解釈が出てくるのだが、究極的にはいいということになる。
本当に己の悪を自覚し、救済されたいと願うならば、
それは必然的に、本質的に悪をなさない存在となりたいと願うことと等しい。
つまり、自覚的な悪を再び為すであろう状態は、本当の意味での自覚ではなく、
本当の意味の懺悔は行えていない。
逆に、どのような悪人であっても、本当の意味での自覚、懺悔をした瞬間に、
救いの入り口に立つことができる。 >>155
まあユダヤ教からイスラム教レベルに
改変してる感じはなくも無いけど、
それが悪いて訳でも無いだろう >>155
お前人気マンガがアニメ化されるとあのシーンが違うこれが違うと難癖付けてファンに嫌われる原作原理主義者なんだろな
アニメ業界で1番嫌われる類の人種
そして庵野秀明はうつ病になったw 他力=Let it be
本願=Imagine
日本人のイマジン好きはこれ。
>>24
武家のmajorityは禅宗
上級は臨済宗、中位以下や地方の武家は曹洞宗が多い
武家だからといって必ずしも禅宗に固執する訳ではなく、徳川家康は浄土宗に帰依するだけでなく、臨済宗の崇伝を重用し、天海に天台宗の寛永寺を建立させている
真宗は元々構を通じ庶民に拡がり土豪や国人層の一部を巻き込んで一揆を形成し、戦国期には時の権力者である守護大名、戦国大名と対立するに至る
真宗を信仰する武家もいたであろうが、決して多数派ではないし、武家だから真宗という構図は成立しない >>159
嘘でも本当でもどうにもならない人間にこそ救済が必要ってのが浄土真宗。
引っかかるというか他の手はないのか?っていう自己選択の余地がある人間にはそういう救済はあまり必要とされないし、本人もさして求めないだろっていうのが
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」っていう言葉の本意らしい。 >>34
藩主クラスなら臨済宗が多いけど下級武士クラスは真宗多いよ
吉田松陰とか福澤諭吉とか真宗だったと思うけど 真宗はお手軽感出してる割には他所よりよっぽど決まり事多くてめんどくせえんだよな
坊主も気難しいのばっかだし
>>165
原作より満足度の高い出来になってたら
誰も文句言わない
そもそも仏典があるんだから、仏典を素直に紹介すればいいじゃん
なんで、俺理論がゴリ押ししてるんだろうって
じゃあ親鸞教って言えばいいじゃん
仏教ブランドを姑息に利用しすぎなんだよw 戦中の一億火の玉心理は一向一揆の心理と非常に似ている。
「僕のやっている静坐を世間では禅に類するようにいうが、実際は親鸞聖人の思想に近い。
親鸞は真に偉大な宗教家である。法然は実に立派な門下生ができた。」
「何といっても、日本の宗教家中、最も傑出したのは親鸞聖人である。
元来真の宗教は戒律的、禁欲的のものではない。釈迦は三千年前に苦行の無意義なことを覚っておる。
その後仏教が生気を失うと同時に戒律的になった。
ここへ行くと、自ら妻帯を実行した親鸞聖人を偉いといわなければならぬ。
キリスト教の如きも、その始めは楽天的芸術的宗教であったが、
パウロに至って早くも道徳的、禁欲的のものとなってしまった。
是を昔に回し、キリスト新精神に復活したのは、ルーテルである。
寡婦の尼さんを妻にするなんて、さすがにルーテルは徹底している。
ドイツの文化はルーテル以後輩出した文学者や大哲学者によって指導せられたのである。」
岡田虎二郎
>>158
理想を言えばみんな笑って一緒に幸せに生きられる世界がベストだよね
エヴァンゲリオンのラストじゃないけど
でも現実世界は厳しいので、綾波レイか惣流アスカラングレー、渚カヲルのどれかを選ばないといけないし
そもそも選ぶ権利やチャンスも無く全てを失うかもしれない
カルネアデスの板が正義だと思う人は頭がおかしい人だと思いますがねw >>82
敗者なので安楽死キボンヌ。゚(゚´ω`゚)゚。 >>170
法事の後の食事で「うちの息子はでかい寺の住職の婿養子になったらそれだけでオレより階級が高くなりやがった。…嬉しい!」って言ってたな 改変したというかむしろブッダの思想に近いと思うんだね
もともとブッダは苦行仲間に乞われて教団を作り出家してでも道を極めたい人向けの修行団体
しかし衆生の苦しみ(貧困層から王族まで)には教え諭して少しでも苦しみ減るように配慮された
これが出家と在家の謂れである
そうだとすれば悟りの深淵は知らなくてもブッダにすがり苦しみを減らすことはできると言えよう
積極的に布教と救済を目指す普通の大乗とはニュアンスが大きく違うが、ブッダの真意から外れては居ないですね
>>174
そんな世界無いよ
この世界は闘争に満ちているんだよ。
みんな笑ってなどというのは
極悪人サイドの甘えでしかない
極悪人サイドは
そんな理想論を垂れ流しながら、足元では
誰かを踏んずけてるもの 浄土真宗とキリスト教は似ているところが確かにある。
しかし決定的な違いは血をワインに肉をパンにといった民族主義的な契りの儀式が存在しないこと。
浄土真宗は親鸞が教団経営に興味がなかったから。
あくまでも親鸞同好会っていう理解が正しい。
俺は無宗教っていう人は確実に親鸞の思想の影響下にある。
>>24
真宗の信徒は自称士族、だいたい足軽とか奴の類
武家は臨済宗か曹洞宗 岡潔読んでると道元がよく出てくるが、何がいいんかね? 岡自体は神道信者らしいが。
>>181
諦めたらそこで試合終了だよ
で、あなたは被害妄想と誇大妄想で絶望して最後にアスカの首締めて「気持ち悪い」って言われて終わるんだよ
周回遅れもいいところだなワンコくん 最近のtwitterとか自己責任否定論なんかが宗教理論っぽくなってるよな。
過激に政府上級攻撃している派と優しいケア求める派に大きく分かれている辺りとか。
>>185
そもそもとして浄土宗が武家の作ったルールは必ずしも正しくない。彼らはルール破りは地獄に落ちると吹聴すっるがそれは彼らの都合。よってそれに従ったからといって極楽浄土にいけないってところから始まっている。 偽善に満ちたリベラル思想を見ればわかるだろ?
リベラル原理主義が
ダイゴのような思想になるわけで。
この世界から差別を消す事はできない。
だから、何を差別するのが正しいのか
正解の差別対象を見つける責任があるんだよ。
それをしないから
ダイゴや植松が生まれる。
>>185
尾張藩家老を勤めた三河渡辺氏の菩提寺が真宗 >>73
なんとまあ嫌らしい言い草
八雲の「常識」を読むがいいわ >>180
死んだらすぐ浄土行きで霊魂とかなんぞなくて盆もなけりゃ位牌も意味がなくて用意するべきじゃないからな
こだわりの強いオタクみたいな感じのルールが多い たまには線香立ててみたい
たまには般若心経読んでみたい
>>196
お遍路さんいけばいいじゃん
コロナが明けたら たしかに線香寝かして手向けるね
立てて手向けたら灰に文字が浮び上がる線香をもらって立てたら呆れられたw
大前提として、『差別感情』というのは
人類が進化の過程で、必要だから獲得した感情であって
目や耳や鼻と同じように
物凄いクオリティで形成されてるわけで
愚民的な感情論で、差別感情を去勢するのはおかしな話。
>>1
仏教を作ったのはブッタなのに
本尊は自分だとほざざいてるのが親鸞でしょ? >>184
宗教ってやり始めると大抵の場合、権威とか地位とか地位の継承とか経営とか支配とか搾取って方向にたいていの宗教が向かうと思うんだけど
教団の経営に興味がないって時点で滅茶苦茶良い人に見えるw
少なくとも某真理教や某学会みたいな批判はまったく当たらないな 人は全て地獄に落ちます。だから ひと時=100年ほどの安らぎを求めてこの世に生まれてきます。
しかし安らげるのはごく一部の魂で宝くじで1000万円当てるくらいの確率以下ですが。
個人主義にもつうじる射程をもっていたから、近代になってからも思想として熱い視線を
あびたんじゃないの。「信じる」とは何なのかを、親鸞なんかはしつこく考えたように
見えるけども、それってそれぞれの人の本当の心に関わることで、集落のしきたりや社会
習慣ではないからね。
そもそも低知能親鸞って
浄土の意味を理解してたんだろうか?
浄土の逆は穢土だからな
穢土って言うのは、情け容赦ない戦乱や、動物を殺すのが当たり前だと思ってる
野蛮人が多い状態
それがわかれば
自ずと、浄土の意味がわかると思うけどw
今でいう戦争のない、ヴィーガン思想のような状態こそ浄土そのものなんだよな。
愚民たちは知ってるのかい
>>199
うん、でも差別とかイジメって間違ってるよね
このファクトだけで十分だと思うんだな(´・ω・`)
欧米のリベラルがどうだとか関係ないんだよね
差別を肯定しながら差別を否定するって意味分からんよ 「厭離穢土欣求浄土」
後に江戸に行かされるとは知る由もない若き日の家康であった
?
禅宗の一休さんだってコーMANの素晴らしさを官能小説張りに讃えているだろ
仏教のお葬式って面倒だわ
死んだから大事ではあるけど、2日かけてあの世に行く準備とかなんとか、お経上げる度に何回も焼香したり
実際死後の世界なんてあるかよw
六角堂で籠っていたら
淫乱ですね
なんでもアミタユースに帰依しますだけで極楽浄土わるくても下品下正なんて
真面目にしてる奴等みたらとろいやつっておもうんやろうね
釈迦か説いた仏教ではないことはたしか
>>215
一般人がみんなと同じ宗教なのは冠婚葬祭が同じでないと苦労するからだよな 浄土ってのは、アケメネス朝ペルシャのペルセポリスにあった庭園のことでしょ。
余計なことを勝手に想像しないほうがいいよ。
俺も自分の宗教を起こしたい
ネタはあるし伝えたい真理や人生論がある
>>1
鎌倉仏教のほとんどがユダヤキリスト教の日本工作目的で立ち上げた新興宗教。 >>179
雑念煩悩のオブジェクトをこれでもかと収集し、後生大事にしすぎてゴミ屋敷に安堵する。穢れ過ぎて処方のしようがない。ゴミ屋敷と化した煩悩の穢れを捨てて過去を軽くし未来に移動し易く身軽になるべき。それが出来ぬならゴミ屋敷煩悩と共に焼かれるか、水に流されるか、地に埋められる。他の煩悩に食われるか引き裂かれるだろう。 >>2
ほんと、そうだよな。
大乗仏教は人間を堕落する宗教だと思う。 難行、苦行を重ねて悟りを開くというが
それこそ、己が極楽往生を遂げたいという煩悩の虜ではないのか?
50年の修行の果てに、蚊に刺されて思わずこれを叩きおとす殺生をして
人間の力で往生できるなどとは思い上がりも甚だしい
衆上は凡夫
仏の力で悪人すら救えないなどあるものか
だから一日も早く、弥陀の尊号を唱え念仏門に入りなさい
と書いてあったと思う
自分が堕落していない、と断ずるのもまた自覚しない悪かもね
善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや、悪人正機!
ただ念仏のみ、念仏為本!肉食!妻帯!
いずれも破天荒の所業と思われるが、実はネタ本が有ったとしたら?
〇悪人正機:マタイによる福音書9-12
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
9-13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
〇末法の世には称名念仏しか救われる道は無い;使徒の働き2-20
主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。21しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。
(旧約聖書ヨエル書2-31.32の引用)
〇肉食:ローマ人への手紙14-3
肉を食べてもよいと思っている人は、食べない人を見下してはいけません。
また、食べない人も食べる人を非難してはいけません。神はそのどちらをも受け入れて、ご自分の子どもとしてくださったからです。
〇妻帯:コリントの信徒への手紙一7-9
しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。
〇御臨末の御書(遺言)一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり
マタイによる福音書28-20
見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである
偶然か?真宗の根幹がここまで一致する物なのか?
やはり何らかの影響が有ったとしか思えない。
親鸞とは僧侶でありながら女性とセックスをしたいばかりに破戒行為を行ったため仏教の教義上仏教徒である資格を喪ったにもかかわらず自らのインチキ教説ことそが真の仏教だと説いた詐欺師であり、この詐欺に騙された愚民どもは千年近く親鸞の子孫と浄土真宗の自称僧侶どもにたかられ続けているのである。このインチキ仏教の発明者である親鸞とやらは師匠の法然に千人殺せと命じられたら自分はどんなことをしてでも千人殺すとテロリスト宣言をしたことでも有名である。この点で浄土真宗とオウム真理教は瓜二つである。オウム真理教は地下鉄サリン事件で十数人を殺害したにすぎないが、テロリスト親鸞を開祖とする浄土真宗は戦国時代信者を自らの勢力争いに動員して数十万人を実質的に殺害しているのである。ちなみに、仏教では僧侶がセックスすることも人殺しをすることも厳禁である。
とにかく話がうまくてとしくってボケるまでほぼ負け知らずに近かったからね
自称有能自分は頭がいいって思ってるのにはほんと嫌われてたけどね
この人の悪口いってるやつって あ コイツダメだわっての一時期判定基準にできたくらい
ダライ・ラマから カルト仏教 と言われたらしいな。
俺も自分の宗教を起こしたい
ネタはあるし伝えたい真理や人生論がある
>>226
子供いないけど子供がいたら教えるよ
俺が到達した人生の極意は誰にも披露していない 釈迦だけ見ときゃよくね
釈迦の教えとは?
キリストの教えとは?
信者獲得の為になりふり構わずって姿勢だから受け入れられ易いんじゃないの
浄土真宗系カルトとか真言宗系カルトとかあるけど
あんな日本仏教のカルトでも朝鮮人が始めているのが多いところが凄い
キリスト教と同じでなくなったあとに弟子が好き勝手したのが原因な気もするが
さすがに波阿弥陀と唱えてりゃ極楽浄土に行けますよってのはねーわ
日本の仏教て馬鹿にされるけど大体浄土のせい
宗教とはなんだ?
科学の発達していなかった時代の世界の考察
神がどうのとか
人生論や生き方だったら宗教じゃなくてもいい気がするが
宗教化、団体化したのよね。その団体化が独特の
宗教臭を帯びるのであろう
仏教は釈迦だから神がどうのとかとは全然違う
日本の仏教て馬鹿にさせるけど
禅宗(曹洞宗、臨済宗)や密教(天台宗、真言宗)は真面目にやってるからな
浄土の奴はキリスト教に改宗すれば良いのに
まあ日本仏教の思想の中では、親鸞と道元の思想が、それぞれ最も(当時の)近代西洋哲学と宗教に近かったから
文明開花の明治以降のインテリに受けたといえる。
>>243
それもあるし、釈迦自体は
ざいめい中に別に教団化しようとは思ってなかったらしいが
悟ってからすぐにそれなりの規模になったらしいが 悲惨な現世しか待ってない下層民からすれば、夢を見れるのは来世だけ。
日々暮らすのに精一杯だった農民が飛びついたのは当然です。
すべて簡単です。
>>247
妻帯しといて真面目にやってるも糞もないわ >>240
有名な宗教家も哲学者も釈迦だけとかキリストだけなんて一人もいないでしょ
直接のお師匠さんがいるでしょ 釈迦は哲学者だったのに、後世に勝手に神格化されて信仰対象にされてしまった。
釈迦以外の仏や菩薩は人間が創造したにすぎない。
浄土経にみられる極楽浄土の描写も現代人には魅力的な場所には感じられないと思うね。
退屈そうで、男しかいない場所。
法然を語らずに親鸞からいきなり語っても意味わからんだろ
浄土宗は歴史社会背景を知らないと単に仏教からかけ離れた奇形としか思われないので誤解を招きやすい
だが歴史的背景を知ればどうして旧来の仏教よりも浄土系が浸透したか納得できる
旧式の仏教観では中世の庶民を救うことができなかった
キリスト教もイスラム教も
広く大衆に受け入れてもらうために
「祈れば全て解決」的な世俗化するわけで
親鸞が特別なこと言ったりやったりしてるわけじゃない。
実はキリスト教の信者なんだよ
だから浄土真宗とキリスト教は似てる
>>234
カン違いしてるけど
全ての宗教は100%例外なく詐欺なのだが?
この世に存在しない神仏や天国地獄や奇跡を
デッチあげてるわけで。 親鸞は浄土真宗の開祖て言われてるけど
本人はあの世でビックリしてるのでは?
本人的には死ぬまで法然上人の弟子だろ
チベット仏教の高僧だったのに、浄土真宗に回収して、カトマンズ本願寺の住職やってるチベット系インド人の坊さんがいるんだけど
その人の経歴が「今親鸞」な感じですごく興味深い。
タリキスタン
でも懐疑主義者は信じる能力がないからスクワレン
全ての宗教がインチキであることを見抜き
比叡山焼き討ちと石山本願寺陥落をやった
信長は、ガリレオと並ぶ偉人や。
>>259
浄土宗でも、マイナーな方の宗派、浄土宗西山派(メジャーな方は鎮西派)は、教義はそんなに浄土真宗と変わらん。
実際の信仰形態を、親鸞がよりラディカルにやっただけで。 >>259
それ言うなら
釈迦「阿弥陀如来とか南無妙法蓮華経って何?」って
感じだから。 >>240
釈迦「家族と仕事すててホームレスになろう。」
キリスト「うちのママはビッチで僕は
浮気の子だから世のビッチに石なげないで!」 >>266
それ言い出したら、大乗仏教すべてがそうなるからなあ。 >>237
一番カルト度の高い
仏教の流派はチベット仏教という
哀しい現実。 >>269
・個人崇拝の度合い
・呪術信仰の強さ
・国家権力への志向
から言えば、チベット仏教はたしかに最もカルト仏教ではあるな。 仏教自体がイエス=キリスト様の十二使徒の一人(アンデレだったかな)が
インドに行って宣教して影響与えてたらしいね
お前ら(孫悟空)が、遠く遠くに逃げたつもりになって柱に立ちションしたら
その柱はイエス=キリスト様の大きな指の一本っていうのかな
やはり日本の仏教が一番発展して庶民にまで信仰が進んだのが鎌倉仏教の時代かな。
法然親鸞栄西道元日蓮、みなこの時代の人であったねw
>>24
もちろん、大名とか旗本にも真宗門徒がいたわけだが、
どちらかというと、武士でも下級に多いわけだな。
やっぱり、実際に戦で人殺しという悪行をするのは下級武士だから、
そんな悪人でも救われたいってのがあったのかもな。 一つだけ言えるのは教義は本質についての個人的解釈で蛇足だということ
捉え方はいく通りもあるがそれはあくまでも辿り着くまでの蜘蛛の糸に過ぎぬと
最大派閥の浄土真宗を味方につけておきたいだろうからな
>>265
壮年期の法然上人の教えを受け継いだのが鎮西派
晩年期の法然上人の教えを受け継いだのが西山派
法然上人の最期を看取ったのが西山派の開祖・証空上人
その証空上人の孫弟子に当たるのが時宗の開祖・一遍上人 >>247 禅宗も密教も破戒坊主ばっかりですけど。
道元や空海が生きてれば全員破門に決まってるし。 >>259
イエス・キリストも堕落したユダヤ教の改革運動やっただけなのに、
キリスト教の教祖にされてるし >>283
この辺高校で日本史やってたらやる範囲だろ なんか最近、禅のほうも浄土系も、鎌倉仏教が微妙にフィーチャーされてるのはなんで?
なんかキリのいい年数経ってたりするの?
Q悪人でも悟りを開くことができますか?
A出来ます。お釈迦様の弟子には殺人鬼がいます。その殺人鬼でも悟りを開くことができました。
今では南無阿弥陀と唱えなくても生まれながらにして阿弥陀様に救われることが決定していることになっているからな。
この辺が人権思想と相性が良いんだろうな。
哲学的なアプローチだと自分達の賢しらな考えで救われたいから南無阿弥陀仏と唱えるんじゃない、阿弥陀様の深遠なる力で南無阿弥陀仏と唱えさせられている。
という教義がかなり尖っているな。我思う故に我ありの先を行っている。鎌倉時代に。
我が思っていると考えていることもひょっとしたら超越者の力かもしれないってことだから。
あとは阿弥陀様を信じる心「信念」。
親鸞坊主の信念も盗賊の信念も同じもので、阿弥陀様は全ての人に同じ信念を与えているって発想もスゴイな。ユングの集合無意識に通じるものがあるな。
>>1
教えとしてはクソだけど当たってはいるんじゃない? >>257
昔、どこかの教会に遊びに行った時に、『罪深き者は幸いなり。天国は汝のもの』って
書いたポスターが貼ってあった。これ、完全に浄土真宗の悪人正機と同じ考えだよね。 >>247
オレの家は浄土真宗だけど、改宗しなくてもハロウィンやクリスマスを好きにやってる。
月に1度、お経を上げに来てくれてる坊さんも、ハロウィンやクリスマスをやってるみたい。 仏教用語わかる人に説明すると悪人=凡夫だからな。
浄土真宗は一見穏やかなイメージがあるけど、仏教の中では最も原理主義に近い立場を取る。
>>246
神という概念は人間の脳が自然を認知する過程において必要であった
それは今も同じ
馬鹿の小賢しい処世訓と宗教を一緒くたにしてはいけない
おまえは馬鹿だから、そういう区別がわからないようだ >>290
罪深き者=原罪を知り、教えを守ろうとする信徒
ってことな
まあ、悪人正機の悪人と一緒なのは確かだが >>247
曹洞宗が真面目にやってるわけないだろ?w 南無阿弥陀仏と言っとけば極楽浄土へ行けるというお手軽さがウケたんだろ
>>289
ほう?
おまえはなぜ、この教えがクソだと思ったのかな? >>294
諸派色々あるけど京都駅からも近い東と西の本願寺が一番大きい >>273
親鸞のせいで高僧が生まれなくなったとも言われている >>299
横からだけど
仏教の基本は自助努力で因果は眩ますことができない
悪行と善行のバランスによって天国地獄が決まるのだから
唱えただけで天国に行けるわけがない >>304
うん
ある宗教では
法然トマス
親鸞パウロ
蓮如アンデレ
唯円マタイ
仏教の中にキリスト教を持ち込むためと言われている
ちなみに上の方は宗派を飛び越えて生まれ変わり
下の方は特定の宗派を信じている
キリスト教も仏教も上位概念が降りてきて別れただけ >>302
自助努力で因果は眩ますことができないのなら、
ラプラスの悪魔によって天国や地獄の人口は累乗に増減して、
今頃はどっちかが消滅してるはず >>288
どんな宗派だってお布施を強要はしていないので、
金なんか、かからない ブッダ
→メナンドロス1世(ミリンダ王)が仏教入信
→仏教がエッセネ派に影響
→エッセネ派からキリスト教誕生
→キリスト教ネストリウス派が隋唐に伝来
→聖徳太子がネストリウス派を学ぶ
→奈良仏教→比叡山→親鸞
浄土真宗は日本を良くしてないからね。
これは日蓮の言うとおりだよ。浄土真宗なんて
信じてるやつは地獄行きだと思う。
日蓮は国のあり方を説いた、「立正安国論(国宝)」があるからね。
>>309
日蓮宗なんか、『オレの宗派はスゴい』ってのが高じて、他の宗派に喧嘩を売りに行ってるだけの
クソ宗派じゃん。 >>307
ただ、お布施を要求する坊主がいるし、宗派によっては小道具が沢山要ったりする。
浄土真宗は小道具もほとんど要らない。 みんなタイヘンですね。本当は極楽は無いし地獄もないのにね。
>>313
死んだら土に還るだけ
生き物は皆おなじ >>257
日本でキリスト教がなかなか流行らない定着しないのは
似たような教えの「浄土真宗」があるから
今さら「ことさら修行とか努力しなくてもキリストを神だと信じるだけで救われる」と言われても
「はいはいその手の宗教は日本ではもう間に合ってます」というんで流行らない
という説を聞いたことがある 南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいんから
誰でも簡単にやれる
日本人向けだな
「悪人」を他人事と思ってる奴は、親鸞の素晴らしさはわからん。
自分が悪人だったとわかってからがスタート。
たしか浄土真宗は氏んだ人が旅に出るので盆には帰ってこないんだっけ?勘違いしてる人が多いけど。
お経は旅の応援歌だったな?
>>185
デタラメを書くな
臨済宗はVIP相手の禅宗やろ
曹洞宗は広く土民向け 浄土真宗って本願寺だっけ?
ってことは開祖って、「俺は俺が救われてーから南無阿弥陀仏って唱えてるんだよ、おめーらも勝手にそうしろよバカジャネーノ!?」って人か
>>320
だから迎え火もしないし、精霊馬や精霊棚も作らない。
楽で良いよ。
他宗の葬式に出て「精進落としがご用意して有ります」とか言われると違和感を覚える。
真宗だと「御斎おとき」要は故人を偲ぶ食事会。
この間叔父さんの三回忌に出たら木曽路が会場だった。
スゲー!しゃぶしゃぶで法事?さすが肉食OKだけある、と思ったら普通の食事。
単に木曽路で法要プランと言うのをやっていてそれを選んだだけだった >>272
インドに布教に行ったのは12使徒の聖トマスと聖バルトロマイと伝わる
特に聖トマスはインドに墓が現存している 親鸞の教えは非常に高度だから、ほとんどの人が分かってないな
理解できない
親鸞の教えは仏教の最高レベルの教えなんだよ
分からんだろうな・・・
>>325
親鸞が聞いたら呆れるよ
親鸞は自分すら救えない人
過去にあまりにストイックな生き方を他人に強要したから
親鸞として生まれ、煩悩に苦しみながら生きた
聖人にもカルマはあるのです マタイ福音書とかその中の山上の垂訓の仏典化されたものが日本にも伝わっているそう
するとキリスト教も仏教の一部と言えるのかも知れない
実は聖徳太子も超自然的に日本に現れたキリストのようにも見えるし
自分が悪人だと自覚しているからこそ念仏を唱えて善に向かって精進する
盗賊「金を盗んでも人を殺しても念仏を唱えれば帳消しになるからチョロいぜ」
輪廻の根源は「迷妄」にある。
迷妄というのは惰性で現状維持に留まる思考停滞の事。
自力は自分で考え倒すことで思考停滞から抜け出す。
他力と言うのは逆に「考えない」ことで思考停滞から抜け出す。
自力は意識の力を使い、他力は無意識の恒常性に依って思考停滞から抜け出す。
この辺の選択は個人の向き不向きだから自力が優れて他力が劣っている
と言うことではないとオモ。
>>151
そもそも平安時代までは
仏教は一般庶民向けのものではなかったから
そこは大した問題ではない。
むしろ一般庶民でも信じて大丈夫
ぐらいのニュアンス。
個人的には真宗は今でも新興宗教と思ってる。
仏教と呼んでいいものかどうか。 >>292 仏教原理主義が僧侶の妻帯飲酒を許す訳がない。嘘いうな!! >>34
浄土宗でお寺とは25代以上の付き合いしてるけど? >>327
>親鸞は自分すら救えない人
これは面白い
この言い方はまさに、親鸞の教えの本質なんだよ
一生懸命、努力して善人になった人が救われるのか、
それとも、悪人としての自分に抵抗を止めた人が救われるのか。
そういうテーマなんだよ
これは仏教の奥義だから、分かる人はほとんどいない。 まー、しかしこのスレは浄土真宗の布教使とか坊主とか門徒とかが嘘っぱちつきまっくてんなぁ。
浄土真宗がキリスト教に似てるように見えるのは、明治以降浄土真宗が教義の解釈をキリスト教よりにもっていったからや。
また浄土真宗は仏教原理主義では断じてない。
ただのインチキ仏教!!
大事なことなのでもう一度言っとくね。
浄土真宗は僧侶の妻帯飲酒を奨励するただのインチキ仏教!!
>>338
妻帯飲酒を奨励するとインチキ仏教なの? >>6
> 部落民の9割が真宗門徒
と書いてるのであって
門徒の9割が〜 じゃない。
そもそも宗派など地域性や歴史的な布教状況によって事情は異なるのであって、
今で言うスーパーやコンビニの分布の様なものでしかない。 歎異抄はいつか読んでみようかな。東洋思想として親鸞、道元辺りは興味がある
浄土宗の武家だけど禅宗とかのがかっこよく感じるわ
浄土真宗はダサいイメージ
禅宗は自力だから、他力本願の浄土系より武家と相性がいいんだよね
信長、信玄、謙信、政宗、師匠は全部禅宗坊主w
ブッダの教えとはかけ離れているところが大変良い。
原理主義に陥らないところ
キリスト教でも一般信徒はキリスト様は救世主だ、信じれば天国に行ける
ぐらいしか理解してないはずだし、それで良い
親鸞の思想と良く似てると思うわ
一言で言うと信徒を増やすためにポピュリズムをうまく使ったってこと
>>346
キリスト教はキリストに罪をおっ被せ
浄土真宗は親鸞に罪をおっ被せた
似てるんだよな 日本の江戸幕府事実上の初代大老本多正信
イギリスの清教徒の護国卿クロムウェル
フランスの童貞ロベスピエール
素朴超平等主義の系譜では三河一向一揆の系統が永続的な統治機構や恒久平和にもっとも近い実績がある。
>>328
西本願寺に所蔵されているという世尊布施論。
この場合の世尊は釈迦ではなくてキリストの事。
>>290
罪深き者は幸いなり。天国は汝のもの
というのは山上の垂訓
マタイによる福音書5-3
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
の事だと思う。
ただし、ルカによる福音書6-20だと
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
と単に貧しい人たちとなっていて心の貧しい人なのか貧しい人なのかどっちやねんと思うが、 >>346
一般信徒の縛りはゆ〜るゆる
坊さんも肉くって妻帯
私は好きですw >>341
いきなり原著よりは五木寛之のエッセイあたりから入るととっつきやすいですよ
彼の私解釈板歎異抄は平易でわかりやすい、原著とはずれてるかもしれんが自分も原文読むだけの余力あないわ 現実は共産党の下部組織みたいなもんだよ今は。
創価といつも戦ってるし。
考えてみたら妻帯程度で悟れないやつは凡人
肉を食べたら悟れないなら人間やめた方がいい
釈迦は極端なんだよ
>>356
創価 日蓮正宗 顕正会の三つ巴ドロドロ >>355
もともと苦行仲間に乞われて講義したのが教団の発足理由で
真剣に悟りを究める人向けの戒律なのですわ
ブッダの教えに共感するフォロワーには在家という立場で入信で良い
とブッダもされてますね >>329
善人は正義マン
帳消しになるからチョロいぜ=正義、と思った時点でその盗賊は善人なんで
救済の対象からは外れて自力で修行しなきゃ救われなくなってそう
多分あいつって迷いのない子は救ってくれないもんw 2ちゃん張り付いてる人達が親鸞を理解出来るとは到底思えないw
>>361
人の数だけ親鸞上人の解釈があるのですよ >>319
キリスト教も似たようなことを言うんだよ
自分の罪深さを自覚してからが信仰のスタート >>363
成仏できる感がハンパないね
本当は龍樹の空論で非常に難解なのだが般若心経になるとなんだか理解できそうに見えてくる >>362
少なくとも悪人正機は
善人はほっといても悟れる
悪人こそ阿弥陀如来はほっとけないのだ悪人は救われる
という逆説なだけで
善人の方が良いに決まってる
法然親鸞蓮如ともにこれは誤解されるからと封印した教え 虫一匹殺したり肉を食べても悪人
絶対の正義の基準で照らし合わせればおよそ罪のない人間は居ないという事になる
その罪障で人間は生きる間苦しいことばかりとなる
仏教もキリスト教も悪の元となる欲を捨て生き方を清めるよう推奨されてる
そして罪を許して貰うよう願いながら南無阿弥陀仏を十回唱える称名念仏や
般若心経や阿弥陀経などのお経
キリスト教ではロザリオの祈りを行うのが勧められている
>>368
無間地獄行きの条件に念仏はない筈だけど >>23
つまり工藤会も浄土真宗と変わらんって事だな 六角堂でお籠りしていたら村村きて
観世音菩薩像をダッチワイフにしたのは
淫乱上人だね
われわれの世界はカルマで、一分一厘違わず、決まってる
今の姿は自分でやってるように見えて、実はカルマの波が現れてるだけ。
今ここでこうやってレスしてるのも、自分でやってるように見えて、
実はカルマの波によって出て来てる
このカルマの波を相手にしたってダメ
ところが、「善人」というのは、カルマの波の中で、一生懸命努力して、
善人になろうとしてる人がいる。
想いというのはカルマの主たるところだから、その想いに捉われてるうちは、
解脱できない
善人になろうとする人は、想いによってこの世界をどうこうしようとしてるので、
いつまで経っても解脱できない
泥で泥を洗うがごとし
泥が泥のままで一切手を付けない・・・ 想いでどうこうしない・・・
つまり、ありのまま。
川に落ち葉が流れて、一切自分の力が働かない状態
つまり、他力なんだよ
他力=無我
ここから先は、聴こうとしない縁のない人に言ってもムダ
豚に真珠を投げつければ、その豚は噛みついてくる
だから難しい
>>116
キリストの神父は性犯罪被害者の男の子達を助けなかったけどね >>372
アホらしい
釈迦は自らの意思と努力で悟った
八聖道もやろうと思うからやれる
めちゃくちゃな解釈すんなよ
野狐禅じゃないか
泥が泥のままって、反省で泥を取り除くのが仏教の基本中の基本
なに酔いしれてんだか >>368
親鸞は念仏を唱えることで地獄に落ちても構わないと言い
その時点で極楽、地獄、救われる、救われないの二元対立を超えた別の次元に居る。
確か原始経典に釈迦にある弟子が
「芸事に秀でるとそういう人達が集まる〇〇天に生まれ変われると聞きました」
という質問をした時に「それは〇〇天という地獄である」と答えていたと思うが
他の教えだと地獄に落ちる、とか、自分たちの教えだけが救われる
というのは同じ迷妄に囚われているとしか思えない。 >>374
釈迦と釈迦死後の仏教はかなり違うけどね >>375
そりゃあ親鸞にだってよくわからないから
念仏絶対主義にしただけだよ
親鸞は悟れなかったし釈迦のようにあの世を垣間見れたわけではない
大衆が親鸞を支持したのは安易だからだよ >>374
八正道というのは多くの人が修行の方法のように勘違いしている
八正道というのは悟った人が歩む道なんだよ
この通り歩みなさい・・・ ってことなんだけど
それが誤解を与えた
中道というのは二元相対の世界を越えた道・・・ ということで、
つまりは、想いの世界を越えた道ってこと
仏教は無我を目指すが、無我とは、想いを越える・・・ 二元相対の価値判断を越えるってこと
病気でも健康でもどちらでもいいですよ、
たとえば、ガンになりました・・ 事故で酷い障碍者になりました・・・
こういう時に、想いの世界にいる人は、とっても不幸になるわけ
なぜなら、価値判断のカルマの世界に生きてるから。
中道に至った人は、ガンでも健康でも全く同じ
身体障碍者でも健常者でも全く同じ
捉われないで、ニコニコしていられる。
泥は泥のままでいいてのは、価値判断の世界に一切ノータッチにするってこと。
悪い自分に浸かってるってことは、本当の意味でノータッチにはならない
ノータッチの真の意味は、悪いものが出ようが、良いものが出ようが、
お任せすべき場所があるってこと。
それがノータッチってこと。 >>341
「そのうち」と言う人がやる割合は1割くらいじゃないかねえ 八正道の正は人によって違う、中道から派生した主観的中庸性の事。
自分の中の観念的対立を少なくして、四禅定という瞑想で意識の深い所に沈潜して
観念的対立を完全に超える、主観的中庸性だから誰でもそれなりに実践できる。
そりゃ流罪になったり妻帯したりしてんだから悪人正機じゃなきゃ困るだろ
知り合いの話だと浄土真宗は『金』色への執着が低いそうな。
まぁ、その付き合いのあるお寺さんにもよるのかも知れないが。
・お墓作りを強要されないー合葬墓がデフォルト、お墓が欲しければどうぞ的
・盆彼岸にたかられないー取りあえず若干のお金を『線香代』として自主納付
>>382
親鸞本人は地獄行きだと観念してたそうだよ
自分は救えないけど仏は救ってくれる
仏の慈悲におすがれなされって教義でしょ >>384
自分は救えないけど仏は救えるって、よくわからんな >>386
なんでだよ
阿弥陀如来にすがって助けてもらうんだよ
南無阿弥陀は阿弥陀如来におすがりしますって言葉だから
親鸞は自分も川で溺れながら、溺れてる他の人に、必ず助けが来ますって勇気づけてたの >>388
だから阿弥陀さんは何で親鸞は見捨てちゃうんだよ 誰にでも愛されたというか
要するにユルユルで誰でも自分に都合よく利用できたという事だろう
>>390
それおかしいじゃん
阿弥陀さんの尺度にそれがあるってさ
そんなら他の衆生も何か理由で救われないだろ >>391
それプラス金かからんから貧乏人や一般人に多いんだろ。
見栄を張りたい連中は他を選ぶだろうし。 >>392
親鸞は他人に優しく自分に厳しかっただけ
実際には地獄には行ってないはず
親鸞は凡人と同じく煩悩に苦悩することで人々を救うという修行で生まれてきた
これが他の聖人みたいだったら大衆は救いの道が閉ざされちゃうだろ >>394
ただのエエカッコしいじゃんかよ
それが子孫に祟ってこの宗派はエエカッコしい合戦になってんじゃないの? >>372
人間の行いの善や悪などはすべて因縁によって決まっており、変えられないのだから、
あれこれ頑張ってみても無意味だと説いた者は
黒鉄縄??刀解受苦処(こくてつじょうびょうとうかいじゅくしょ)という地獄で
鉄の綱で縛られて足から頭にかけて刀で細かく裂かれるとあるよ >>395
お前はイエスキリストがええかっこしいで死んだと思ってんの?
根本的に人として間違ってるよ
こんなところに書き込む以前だよ >>397
イエスは別人だろ?
親鸞はエエカッコしいじゃん >>400
絡んできたのテメーだろ
黙らせマウントが目的なら、それこそ掲示板に書き込まないで
信者達にやってりゃいいじゃん
オンラインサロンとかさ 浄土真宗は修行を否定してるのは
親鸞が比叡山で思い切り修行しても煩悩がきえなかったから、人間は煩悩あるのが当たり前と悟ったんだよな
右翼にも左翼にも嫌われる池田先生こそ本物の宗教者といえよう
君たちどこで仏教を習ったの
人生自体に神は宿っているか
人生の不幸は今なおなくならない
宇宙はまだわからず宇宙は神の領域だ
宗教とは人生論か?
「悪いキで拝めば何んな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。
悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、
悪神引込んで、それぞれの善き神 現はれるのぢゃ。この道理よく心得よ」
「神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ。
まだ迷うてゐるが、それでは仕組成就せんぞ。褌しめて一本道の真心結構。
金がよければ金拝め。人がよければ人拝めよ。神がよければ神拝め。」
日月神示
>>157
なるほど〜
じゃあ、地獄行きは覚悟の上よ!
ってなやつは対象外なのね 善人な人ほど知らず知らずのうちに生きるためにしてきた自らの些細な罪に後悔し自らを悪人だと思ってあきらめてしまいがち
そういう人たちに救いを与えるためのものじゃないの?
宗教でいう罪というのは単に書いてあるだけの存在ではなくて
どうやら意識を持っているらしい
悪霊や悪魔とも呼ばれるものだろうな
それを寄せ付けないための方法が生き方の清めや祈り念仏なんだろう
知らないでいると悪霊にいいようにされて
地獄に引っ張られていくという事かも知れない
日本の仏教を葬式用にまで貶めた張本人
地獄で責め苦に合っていることだろう
>>396
それは結論が違ってる
「どうにもならないから、好きにやればいいじゃないか」
とか、
「どうにもならないから、ポジティブに生きるのあきらめよう」
とか、
刹那主義みたいな、人生を諦めたり、投げ出したりすることを
言っているんだよ。
そういうものたちは地獄に堕ちると。
悪人の状態に浸っているか、
悪人の状態にノータッチでいるか、ってのは、
まったく違う なんか開き直ってる感じなんだよな
まあ葬式仏教にあれこれ言ってもしゃーないみたいな
葬式仏教も華美でなく庶民が安心できるものなら
悪いとも言えないと思う
>>1
親鸞を右翼左翼と絡めて話を捏造してる段階で、
この元記事はクソ >>415
右翼はともかくサヨクについては実際、本願寺はサヨクの坊主に乗っ取られてるから。
唯物論者の職業聖職者にとっては親鸞思想は馴染みやすいんだろうね。
宗教活動とは無関係に平和運動や反日活動ばっかりやってるから。 >>411
「某親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」
葬式その物を否定したのが親鸞。 念仏唱えてりゃ幸せ〜みたいな
気分良く好きな歌うたってるのと大差ないという
この考え方が社会に与えた影響は
功罪どちらもあるんだろうけど、
知り合いの浄土真宗の坊さんやその家族をみてると
罪の方が大きく思えてしまう‥。
やはり本人が開宗しなかったのには
意味があるんだろうな。
親鸞の言ったことが分かった人を妙好人とか呼んでるんだよな
これから頂く縁を全て仏縁として頂くよ
吐く息吸う息食べるもの飲むものも、会う人遭う人全て仏様のご縁だよ
が親鸞的な念仏かなぁ
何しろ念仏してるのが阿弥陀の如来の方なんで、それに頷いたら妙好人みたいな人になっちまうんだ
まあ阿弥陀と如来の関係が分からないとすんごいわかりにくい教えではある
極楽ってのは仏になるための修行をする道場だからな。
問題児が来たら阿弥陀さんもいっちょ気合い入れたろかってなるだろ
六角堂で観世音菩薩像をダッチワイフにして目覚めた淫乱上人なら知ってるけど
>>84
選挙は他力本願そのもの、他力本願の具現化じゃないか。 この世には意志持つ目には見えない悪霊と呼ばれる悪意が存在してて
一般人もそうだけど特に聖職にある人を憎んで攻撃してくるらしい
しかし左右に振り切れた連中に好かれるてのもどうなんだろ
悪人正機とは悪人こそが救われるべきという考え方
↓
自業自得。悪人は痛い目にあうべき
絶対他力とは阿弥陀仏の本願(阿弥陀仏の慈悲の力)にたよること
↓
自分で考え、周りの人たちに相談した方がいい
漫画でAMD48って阿弥陀様をアイドルにした話しがあって面白かったな
釈迦を連想させる仏教じゃなくてカンダタ教とかにすれば解り易いのに
そりゃあ親鸞は誰からも歓迎されるだろ?
大変な修行もいらん。
好きなもの食っていい。
女と遊んでいい。
それで極楽浄土なんだからなw
ぶっちゃけ親鸞教だよな
でも親鸞の名前じゃ信者増えないから仏陀の看板を悪用したっていう
>>416
歴史を勉強しろ。
それは長年の浄土真宗のうちの今の話で、
戦時中はずっと戦争協力をしてた。
その責任をGHQから逃れるために戦争責任を受け入れたという
経緯をしらないとそういうトンチンカンが認識になる。
学術会議と同じでいずれ変わってくるだろ。 そら衆生の全てが悟りを目指すわけじゃなし
息子を亡くして悲しみに暮れるお母さんに
「人間はいつか死ぬのです、執着を捨てなさい」
と言うよりは
「大丈夫です、息子さんは極楽浄土に行かれましたよ」
と言った方が良いという場合もあるだろうし
浄土真宗が悪いとは言わないよ?
でも仏教とは違うよね?
>>417
開祖の思想から180度離れた今の浄土真宗が日本の仏教を貶めた張本人と言いたいわけか
いつの頃からか知らんが少なくとも今の坊主とそこに金を払う信者は地獄に落ちるんだろう >>432
提婆達多こそが救われる、みんな提婆達多を目指せなんて言われて納得する奴なんかいない 本願寺=大谷家 門主が世襲なのは北朝鮮みたいだな。
>>178
西本願寺=真宗本願寺派
東本願寺=真宗大谷派
間違ってないか? 京都の人が大谷さんとかお東さん、おひがっさんと呼んでるのは東本願寺(京都駅のすぐ前の大きなお寺)。左翼系庶民系と思われている。
西本願寺は本願寺さんとかお西さん、おにっさんと呼ぶ西の方角にある(駅からは遠い)堀川通りにあるこれも大きなお寺。保守系、天皇家に近い大谷家の世襲。京都には皇族系の格式の高い真宗佛光寺派というのもある。 >>440
北陸だと親鸞よりも蓮如の個人崇拝がすげえぞ
真宗門徒なのに親鸞知らなかったりするレベル 仏教用語でいう「悪人」だからな
提婆達多が法に目覚め今までの行いを悔いたとしたら、そりゃその悔いる心やら法を求める菩提心は大きいものにはなるんだろうさ
本人じゃなきゃ分からんけどさ
回心慚愧できるのは悪行を為した自覚のある者だけやねんな
良識派
忍性 北条重時
キチガイ
親鸞 平頼綱
日蓮
極楽浄土ってのは、通常の天国とちがうぞ。
思考の良し悪しで味わう世界じゃない
二元性を越えた世界
思考の良し悪しで味わう世界ってのは、なにもこの世だけじゃなくて、
あの世もそうなんだよ
あの世の天国と地獄ってのは、思考の良し悪しによって味わう世界。
それを越えるってことはどういうことかというと、あの世とこの世の
輪廻の束縛から脱するってこと。
そこが真の極楽浄土なわけ。
わかるかな〜
わからないだろうな・・・
まあ親鸞は法然上人に騙されて地獄に堕ちても構わないとか言っちゃう人だから
少しあやうい
親鸞は災害に見舞われたある村を通りかかった時、浄土三部経か何かのお経を、
何千回かわからんけど、読もうと願を立てたわけ。
村の人たちが救われますように、って気持ちだよね
ところが、唱え始めてしばらくして、親鸞はお経を読むのをやめ、
その村を立ち去った・・・
なぜか・・?
良し悪しの想いを働かせたからだよね。
想いのカルマの世界を掴んじゃった。
すべての想いを放すところに、解脱がある。
想いの世界でどうこうしたって、それは泥で泥を洗うこと。
仏教は悟りを蓮の花にたとえてきた。
ハスの花は泥に関係なく、綺麗な花を咲かせている
仏性の世界とカルマの世界を、完全に切り離さないとダメ
カルマの世界でやったことは、仏性の世界になんら影響を与えない
夢の中でやったことが、起床の世界に影響を与えるか・・・?
与えないだろ。
夢の世界でああだこうだともがいてもしょうがない。
そういう世界を放って、ただ仏性の世界を掴んだとき、
その仏性の世界が自分を通して、この世界に現れるんだよ
折に触れては南無阿弥陀仏を10回唱える称名念仏や般若心経
またはお宮参りや神社参拝などをやってみると
心の澱みが晴れてすっきりする作用が働くかも知れませんよ
イスラム教 スンニ派最強www
>>455
そうですね、付け加えると
小さな滝行(水行)が可能なお寺を探して
南無阿弥陀仏を唱えながら滝に打たれるのも一考 >>441
戦争だのGHQだのとたかが数年間かそこらの、過ぎ去ってみれば、それがどうしたという話だ。親鸞の頃から現在まで9百年、かれこれやがて千年にもなる長い間に、元寇もあったし戦国乱世もあったし、いろいろあって現在がある。親鸞の教えはずっと生き続け受け継がれている。世界中に門徒衆は増えているし、これから千年2千年と先は長い。つまらんことにとらわれずにお念仏を唱えても唱えなくてもいいが阿弥陀さんが見守ってくださっているから安心して、世のため人のため家族のため国のために一所懸命に働いて生きていればよろしかろ。生まれながらに往生しているのだから。これがお釈迦様の本願でもある。 >>178
東本願寺(真宗大谷派)
西本願寺(真宗本願寺派) 中国へ勉強しに行って原書を途中で断念したので
帰国して自己流の解釈にしたんだろ。
あとで空海に教えてもらえなかったし。
ようするに仏教じゃなくお手軽な親鸞教にしたわけだ。そういうビジネスの才覚はある
宗教も楽で都合がいい設定ほど受けるよな
なろうみたいな
教祖は緩い感じなのに、戦国で暴れた本願寺はここなんだなw
>>185
親鸞の母親は源義朝の娘らしいから、源頼朝の甥にあたる
つまり、源氏と縁が深い
吉見氏
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する >>448
蓮如上人御影道中(れんにょしょうにんごえいどうちゅう)、昔NHKの番組で見た覚えが有る。
概ねこんな感じの内容だったと思われる。
スケジュールの例
4/17京都・東本願寺→4/23福井県あわら市・吉崎東別院(御下向ごげこう)→5/2まで10日間蓮如上人御忌
→5/9東本願寺帰還(御上洛)行きと帰りでは経路が違うが帰路は約280qだそうだ。
物凄い熱量を感じる。
それも無理からぬ事で有り、蓮如上人無くば真宗の興隆は無かっただろう。
No Rennyo,No Shinshu.
V字回復とか生易しい物で無く垂直上昇。
一代で教勢をガチで最低でも1億倍に拡大した宗教モンスター。 ?
だ 08/26 3:59
ま化
ブルス
ンラク
>>13
頭が悪すぎて築地本願寺も知らないのですか? 仏教なんつーても日本じゃ葬儀屋みたいなもんだしな
面倒な教義とか要らんのだろ
「悪人(信仰のない人間)こそ神に救われるべき人間」
キリスト教徒とイスラム教徒はこの親鸞の教えを
百回唱えろ
お前ら愚民が、いくらグダグダ言っても
センスないんだからすべて無意味だよw
仏教は、あらゆる意味でヴィーガンに負けた。
ヴィーガンこそ現代における最強の思想。
頭の良い人は
仏教ではなくヴィーガンになる。
執着を捨てられない人こそ浄土真宗の救いが必要ってことだろうから、政治とか現世に執着してる人は阿弥陀様が必要ってことなんだろうな
政治は現世の真相でしかないからな あとモンスターペアレンツみたいなひともそう
子供への異常なこだわりは捨てられないだろうな だから我が家は何宗みたいないい加減さが必要とされてるのだと思う
少し頭が良ければ自分で悩み、自分で悩んだ道程の先にあるであろう答えに導かれたいと思うもの。
基本的にお経は虚言と同じ
まずその国の言葉で教えを広めるという事を拒否
で、間違った訳を自分でこしらえて自分の権力に利用する訳です
では、もうちょっと奥深いところを教えてやろう
出血大サービスだ
念仏というのはサティと同じだからな
また、念仏が座禅と同じだと言ったら、驚くだろ
話を理解するために、まず座禅の話から入ろう
座禅は、「ただ在る」 という型を作ってるわけ
何があってもその型に戻って来る・・・
何があっても「ただ在る」しかない・・・
足がイタイなぁ〜と思っても、雑念が湧いても、また、雑念が無くならないな〜とイラついても、
あらゆる想いが湧いても、「ただ在る」に戻るしかない・・・
どうあがいても、「座」という型に戻って来る
二元相対を主である想いが、二元相対をいくら働かせても、「ただ在る」に戻って来る
「ただ在る」ってのは、=ありのまま ってことだよね
ようは、お任せ ってこと
全てを完全にお任せして、投げ渡してる
念仏も同じ。
何があっても、行住坐臥念仏を唱えてる
どうあがいても、念仏に戻って来る
そうすると、念仏に統一して、二元相対の想いが止むんだよ
これが本当の無我なわけ
これが普通の人にはわからない
いくら説明しても
多少の経験が無かったり、悟りの手法に対しての知識が欠如してるからだ
だから豚に真珠という
一応、最後にここに書き残しておこう
>>469
悪人でも心の底から南無阿弥陀を唱えないと救われない
キリスト教と変わらないよ
むしろ救われないのに救われるかの様な錯覚を与える親鸞の方が害悪かもな
地獄に行くならはっきりと教えた方が善行 >>473
君は悟ってないのね
悟りはそんな雰囲気じゃないよ
だから釈迦は言葉として表せた >>475
こういうことはムダだけど、
では、君のいう「悟りの雰囲気」とは、どんなもの?
説明できるかい?
試しにいくらでも言ってみるといい
いくらでも論破できるよ
なぜなら、本質を押さえてるからだ
言葉のみの解釈は、その本質がわかっていないから、
その言葉の範囲でのみしか説明できない
しかし、本質がわかっていれば、手を変え、品を変え、
いくらでも説明できる
しかし、いくら言ってもムダだ。
なぜなら、悟りの領域に首を突っ込んで来るものは、オカルティックな思考か、
学問的思考か、庶民の浅はかな思考かの、どれかだからだ。
本質的洞察ができるものはほとんど少ない。 乱暴な話だけど仏教は「欲張りすぎると不幸になるんだよ」だけわかっていればいいと思うんだ。
人は生まれながらに悪人であり、高額な寄付金(御布施)を持って善人とならないと極楽浄土へ行けない
ってのを否定したのが浄土真宗だと思ってた
御布施とかしなくても南無阿弥陀仏唱えてればOK
悪人のまま(御布施出来ないまま)でも信仰心があれば神様が助けてくれるよってな感じ
親鸞が生まれた寺の直ぐ側に今暮らしている
京都でも外れのこんな場所に生まれたのだなあと不思議だ
>>479
「お布施できない」のが悪人なんじゃない
「無意識に誰かを傷付け、命を奪わないと生きていけない」のが悪人で
そのことが「頭ではわかっても変えることができない」のが悪人
つまり、「私」は「悪人」 退けば天国、進めば地獄
念仏となえてゆるしてもらおっと
親鸞の教えは意識の歪みをメタ認知して無意識の自律性に委ねる方法。
だから自分の意識の相対性を如何に認知するかがポイントになる。
善の自覚より悪の自覚がある人間の方が救われるというのはそのため。
現代は意識レベルの多様性が飽和状態で価値観の相対的乖離が大きくなっている。
この相対的乖離に無関心で放置することの問題に気づくのが「悪の自覚」
オリンピックのお題目にもなっていた「多様性と調和」に対して親鸞は
意識レベルの相対的乖離に気づいて無意識レベルの自律性を共有するという
1つの方法を示している。
心理的に普遍的な方法論なので上手く現代に合わせて行けば活用性がある。
ただいくら無我や無意識を目指そうとも現世利益が過ぎる者に付ける薬などないってことね
ブッダの在家への教えは「欲を少なく他人や弱い人にいつも優しく」
これに尽きると思うんですね
この逆の生き方は迷妄に強く囚われてるということです
仏教をカジュアルの大衆向けにした親鸞の功績は大きいよ
一方鎌倉仏教には折伏や三乗一乗や三世の因果を前面に出した法華経一派もいる
こっちは立身出世志向が非常に強く日本人には合わないものがあるね
>>461
都合が良いから受けるってのはそこに真実はないってのと同義
今は葬式仏教ってよりも元からファンタジーが過ぎた、真面目にやればやるほど嘘だよなあこれって思いが強くなる
じゃなきゃ坊主も畏れ多くて金儲けになんか走れない
金儲けのために信者を騙し続ける真宗の坊主と家の宗教だからとなんとなく続ける信者の構図
洗脳詐欺のパイオニア
なんとなく続けているのに擁護しなきゃいけない気がするのは洗脳故か ちなみに龍樹や唯識派からすれば輪廻はあるにせよそれに囚われて生き方を左右されることも迷妄であると言えるはずで
三世因果も単なる教説の階梯つまり方便であるはずで
法華経も輪廻転生や三世因果を説きつつ一切空という結論の筈だが
何故か日本の法華経一派は来世の出世のために今生ももっと出世しとけみたいな妙な生き方になっちゃった
この日本の珍しい法華経現象は考えてみる社会的価値はある
>>489
そんな簡単な教えの訳ないだろw
色即是空、全ての本質は空であるという考え方だ
欲を少なくどころか自分の物などというものは一切ないのだから執着などは全て捨てよ
というのはまさに仏陀の教えの1つ
老子の我が言は甚だ行い難しに通じるところがあるなとは個人的に思う >>237
オウムに協力してたダライラマ、お前が言うな 仏教は、肥大化しすぎて
長ったらしくて
何が本質において大事かっていう要点が見えない
冗長な思想になってしまった。
日本人のダメなところが全部出てる
これだけは守ってほしい10項目くらいにまとめろってw
十戒なんてその点で、てっとり早くていい。
仏教はだるすぎる
>>493
仏教は人それぞれの境涯にあった認識があるからな
入口としては十分だと思うしそれを実践しているなら仏教徒と言える
問題はそれ以上先に進んでいったときに頭でっかちになり仏教徒の初心を忘れて私の方が詳しいから私の方が偉い、だから私を敬えみたいになった人 陰陽思想なんてロゴマークだけで
その思想の体系がわかるようにデザインされてるw
仏教は、冗長であり
本質がわけわからなくなってる。
説明下手すぎる
大阪城一向宗は8代目蓮如なんで親鸞唯一主義ではないですよ
>>497
目の見えない人に花畑の美しさを説明するのと同じ 自我の観測者視点で考えると観測者Xを阿弥陀にしたのはグッドアイデアだと思うな
三位一体とかわかりにくいし
ただイスラムみたいに自爆テロを誘発したのは失敗だな
イスラムもアラーがわかりやすいから自爆テロまで行くんだな
蓮如はすでに懸念はしてたね
>>489
ブッダの教えを簡単にまとめた物としては
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)が有る。
釈迦以前に六人の仏が居て、更に釈迦自身も含めた七人の教えは皆同じで
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫(な)く
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
釈迦以前に六人の仏が居て、更に釈迦自身も含めた七人の教えは皆同じで
悪い事はせず良い事をして心を浄く、まるで幼稚園の標語のようだ。
これが出来れば苦労は無いし、そもそも善とは何か悪とは何かという根本問題に突き当たる。
仏ならぬ今生の人間はどうしようもない。
お助けを。
と、そこに浄土から差し込む一筋の光。
千年暗室一灯即明
千年暗闇に沈んだ部屋が明るくなるのに千年かかるか?
否、光が灯りさえすれば一瞬で明るくなる。
それこそが阿弥陀の本願力。
南無不可思議光。私は(阿弥陀如来の放つ)不思議な光に帰依します。
=南無阿弥陀仏 >>497
昔の人は上はやたら教養があったし下は何も知らないけど素直で純粋だったから余計なこと考えずに仏教を受け入れていただけ。
今の時代の無駄な知識だらけで小賢しく屁理屈こねくりまわしているだけのお前らの尺度じゃ理解できないだろうな。 >421
「まあ阿弥陀と如来の関係が分からないとすんごいわかりにくい教えではある」
どう分かりにくいのかが分かりにくいw
阿弥陀(名前) 如来(仏陀に付ける尊称、敬称)
釈迦如来
(シャーキャ族の王子ゴータマが悟りをひらいて仏陀になったので釈迦如来と呼ぶ、日本語ではお釈迦様と言う。)
阿弥陀如来
大日如来
宝生如来
などは億土(宇宙)におられる想像上の仏陀である。
大乗仏教というのはこれら宇宙の全ての仏陀の宗教(いわば宇宙仏教)である。日本の仏教は全て大乗仏教。チベットも大乗仏教。
浄土宗、浄土真宗の「浄土」は観念的な宇宙のことで、「穢土」観念的な地球、地上、俗世と対比している。日本語では「あの世」「この世」などと言う。
小乗仏教はゴータマ・ブッダ(釈迦如来)だけの宗教(いわば地球仏教)である。スリランカやタイ、カンボジア、ビルマ(ミャンマー)は小乗仏教。
仏教と云う袈裟を着ながら肉食飲酒妻帯まで受容するのだから、そりゃ日本人にウケる罠w
ブッダも俗人のときは妃がいたし肉食もしてたはずで
在家仏教なら許されるんじゃないのかな
出家と違い在家は、この俗世で稼ぐ苦海に居りますので、そこは認めてほしい
>>32
竹中平蔵「せやな」
飯塚幸三「せやせや」 厄除けに密教、心に禅、先祖崇拝と死ぬ間際に念仏
後は般若心経でも暗記暗唱して法華経でも読んでりゃいい
>念仏を唱えれば阿弥陀如来の他力により死んだ後に極楽浄土へ行って救われる
念仏だけ唱えてろは浄土宗で、念仏すら不要が浄土真宗じゃなかったっけ?
浄土真宗は日々なんもせんでいいけど、仏壇だけは金ぴかの大きいの買うときや、だろ。
快楽や物欲、名声、名誉に執着するなといって
信徒に指導する運営側が一番それらに執着してる矛盾
宗教にすがる信者は肉屋を支持する豚のはしりみたいなもんだ
>>1
浄土系が右翼左翼共に利用しやすい。利用しようとするのは
・信者を統率しやすい他宗派、他宗教を認めない一神教スタイルである事
・修行が不要なため勉強とお金さえあれば重要なポストに上ることができる
やっぱ修行不要(ン百万のお金と研修1週間で僧籍が取れる)なのが大きいね
政治関係者が信者を利用しようと入り込む、因みに今浄土系は共産党の力が強い 他宗派、密教系、禅宗系とかは僧籍取るには最短で1年、大寺院の跡取りなら
3〜4年は修行させられるからな
政治的に利用する為に組織に潜り込もうと考えている連中からは敬遠されるな
宗教にすがる信者は肉屋(共産党)を支持する豚(労働者、農民)みたいなものか。
>>470
ヴィーガンはカラダに悪いw
考え方自体は良いと思うが >>514
法然も親鸞も比叡山の天台宗(天台密教)の僧で、ものすごい修行を経験している。比叡山を出てから自分で宗派を立ち上げた人。大会社のエリート社員だった人が独立して起業したようなもの。親鸞は確か皇族の血を引いてる人だったと思う。 > どう分かりにくいのかが分かりにくいw
> 阿弥陀如来
> 大日如来
> 宝生如来
> などは億土(宇宙)におられる想像上の仏陀である。
その想像ってのが既にもう五蘊、肉体の中で行われるものですよね
如来、タターガタは人間の認識以前の本来の相を指す言葉で、阿弥陀や大日の名はその現れ方を形容したものに過ぎないってのは方便法身と法性法身という形で大乗ではずっと説明されてきたでしょ
「しかれば、もしは行、もしは信、一事として(阿弥陀)如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし」
あなたに行われている現在の働き、かけられている願いは全て如来の回向ですよ、と親鸞は言ってて、その働きが阿弥陀(無量寿)であることが分かったから阿弥陀如来、無量寿如来と呼ぶのだと善導っていう昔の坊さんの言葉を引用して解説している
仏陀が八正道などで説いたのは、世間の物差しである善悪とは別の
主観的中庸性、現代でいえばメタ認知のようなもの。
そこからさらに四禅定などの瞑想で無意識の領域に降りていく
そのための意識的自我の整理のようなもの。
そして大事なのはその延長線上に「神通力」が獲得できると明記されていること。
つまり仏陀の教えはたんなる哲学でも心の安寧でもなく
意識の探求を通じた生理的進化の一端であった可能性がある。
それから小乗、大乗の違いは、仏陀生存時は仏陀は輪廻から抜け出した存在
世界の特異点であった、だからそれに続く方法論が展開された。
仏陀が亡くなって以降は、仏陀の説いた理を世界の中心に置いて世界観が展開された。
で、どのように変化するのかと言うとありがちだが広く浅く万人向けになる。
仏陀の説いた次の進化に至る精神科学の五神通獲得の部分はいつの間にか否定
或いは比喩的なモノとして葬り去られた。
大乗仏教が発展させたのは意識の整理の部分。
原始仏教にはその先の人類の進化を促すための精神科学的側面があった。
まぁ、仏教だけでなく量子力学などのその他の科学、色々俯瞰できる現代人には
なんか諸々発展させる責任があるんじゃないかな。
いくら力説しても日本人の大半は宗教にそんな面倒くさい事を求めてねーつうのな
人にとって、裁きびとは2種類
(1) 自分の良心、信仰、神=心のサイド
(2) 世間、権力者、オヤブン=体のサイド
宗教は(1)>(2)
唯物論者は(2)>(1)なんやとおもう
いまの世の中ってどこぞの大オヤブンが死にかけてんやないの?
今、日本はコロナによって追い詰められている。
仏陀が説いたのはただの精神論ではなく、人間の進化を促すための精神生理学。
あのシンプルな方法論で五神通を獲得できる、それが原始仏教の本質。
もしワクチンも非ワクチン追い詰められて先の見えない状況で
たとえばマインドフル〇スのような簡単な方法で心理的効用だけでなく
コロナを克服する生理的進化を引き出す仕組みが出てきたら。
皆、飛びつくだろうね、五神通の筆頭には漏尽通があってこれは悟性のこと。
そうなれば、日本は一気にレベルアップする。
なんてファンタジーはどう、宗教に光明を見出したいならここまで行こう。
内面を觀照すれば宇宙が見えるのかもね。昔の人はそうして宇宙を知悉していた。現在はロケットを使って実際に宇宙に出ていく。
なんか勘違いしてる人が多いみたいだが
仏陀の教えと伝えられているものと後世に成立した仏教とははっきり言って別物と言っていい
なぜなら仏教の体系や仏教の世界を作ったのは仏陀ではない、という事だからだ
>>503の言う通り、選ばれし者しか極楽浄土に行くことは叶わないからこそ仏教体系というものができた。
法然、親鸞が革新的だったのは、僧になって修行しなければ救われないのか?という事から始まっている。 仏教については、宗派とかのくだらない僻目を取っ払えば事実やら現実を認識し向き合うための方法論だと思うよ
>>528
利他行は中観派の開祖龍樹の時代には出来上がってた概念だぞ
法然さんも親鸞さんもそこまで新しい考えだったわけじゃない 悪人正機だって悪人は無知ゆえに悪行を行うのであって、欲が無い分普通のよりも悟りに近いってだけ
悪人だから解脱できるなんてもんじゃない
欲まみれの悪人は当然そういったものとは遠い存在
>>528
そもそも極楽浄土なんてものも阿弥陀如来なんてものもないからな いやいや、宗教こそ逃げ隠れできない現実に向き合う知恵であり、唯物論は現実逃避のエセ科学だ。
禅宗も悪くないけどしきたりや結構決まり事が多いんだよね
衆生にとって大事なのは方便
聖人とやらは権力闘争に夢中
>>527
浅いなあ
死んでも逃げられないんだから逃避でもなんでもない
むしろ逆だよ >>1
日本人が中国に行き修行をつみ帰ってきて浄土真宗をひろめたようですが
法力を使用したり中国人の修行僧がいるのは中国内陸部の砂漠地帯であったり
山岳地帯です つまり日本にいる修行僧は中国の修行僧にくらべ
劣化してるのです 悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修繕も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる
ありのまま、生まれたままでよいという
神道ぽいところが受けたんだろうな
日本人は生命を産み出すこの宇宙を母親のようにとらえ
母親が私を裏切るはずがないという宗教観をベースに持ってるように思う
>>531
歎異抄でそれは間違った解釈だと指摘されてるやろ 天子天台
公家真言
公方浄土
武士禅
乞食日蓮
門徒それ以外
まあ要するに
いくら綺麗事をほざいてもココロここに在らず
て、こっちゃよ
>>530
当時、日本からインドに行った僧がいないのだから法然、親鸞の教えがすでに日本でも出来上がっていた概念とは思えないな
日本でそういう考えが広まっていないからこその歎異抄が書かれた理由の1つでもあると思う
否定ばかりしてないで、君自身の考えはどうなのか >当時、日本からインドに行った僧がいないのだから法然、親鸞の教えがすでに日本でも出来上がっていた概念とは思えないな
善導の言ってることをわりとそのまんま訳してる感じでもあるぞ
法性法身と方便法身をイデアとアイドルの関係以上に厳密に区分した世親や曇鸞、真如法性への礼拝やら讃嘆やらの五念門を一つにまとめたのが念仏だっていう世親に善導、インド中国の念仏の理論をそのまま引用していて、特別なことは何もない
>>361
親鸞のこととか考えても
ほとんど何の役にも立たんから 仏教は哲学領域で語られがちだけど
実は普通に超自然の領域に言及している
その部分は意外とキリスト教と共通している点が多く見られるよ
インドグリーク朝の最大領土はアフガニスタン超えてイランの深くまで来てる
キリスト誕生前にエルサレムの瞑想教団にブッディズムが流れ込んだ可能性は十分にあると思うんですね
キリスト教と絶対的に違うのは
一神教の神は神を信じ敬うもののみ救うということ
出来の悪い子をわが子とは認めない父親と子供の関係だ
悪人正機とは相いれない
>>554
キリスト教が愛の宗教とかいうのだろうが
一神教世界の父親の存在感の大きさは
文化的に今も変わらない
男女平等の倫理が広がった今でもね 悪人てのはありていに言えば仏知、悟りがあるとして、
それに向き合わない人、ということになるんかな
四転倒っていうでしょ
諸行無常なのに常なるものがあると思い、一切皆苦なのに我執のうちに楽なるものがあると思い込み、
諸法無我なのに我があると勘違いし、穢土を作っておりながらそこを浄いと思いなすっていう
自分の脳内の思い込みや勘違い、我執の世界を前提にして生きてるのが悪人
それを自覚する機会か真如法性と向き合う一番いい機会ですよ、ってのが悪人正機説
ていうかみんな壷へはだいたい書き捨てに来てるだけなので、人の書き込みなんて読まないよね
>>556
最後の審判という有名な絵があるのに
キリスト教はそういう宗教ではない
あなたは勉強不足だってマウントとってもしょうがないでしょ
人気取りのために現代に世俗化した一部教派の教えであり
キリスト教を全体を代表する教えでもないだろう >>558
そんな話じゃない
本当面倒くさい
なんなんだろこの探究心の欠片もない感じ
別に論争なんかするつもりなんかない
学んでから語れと言ってるだけだ >>559
アンタが勉強不足なだけでしょ
本当にめんどくさい😩 >>1
浄土真宗が広まった!みたいにしてるけど、
門徒としては増えてないよ
だっていわゆる一向宗のことだもの
そのときが最盛期
あと本願寺が西と東に分裂して、
西本願寺だけが明治以降に浄土真宗と名乗ってるので、
東本願寺始めとしてまともなお寺は真宗〇〇派と名乗ってる
わかりやすい、つうより徹底的に簡素化しすぎてるから、
他の宗派からすると初心者向けって感じ
そもそも世襲の寺ってなんだと思う? >>554
学んだ上で
>>553はあってる
てか、ユダヤ教がユダヤ民族だけ救うとしてるのを
どの民族でもキリスト教徒なら救うとしただけ。
だからバチカンラテン帝国はイスラムに侵攻して、
人間まで焼いて食ってたわけ。
ボウガンは使用禁止。ただし異教徒は人ではないからOK
むしろキリスト教で同信徒以外を愛せよ、なんてのは後年の話で、
いまだに長老派とカルバン派とピューリタンで対立してるから、アメリカ。 親鸞の言う悪人ってのは「俺って悪いやつだよなぁ。こんな俺って生きてていいのかな。」というところの悪人。
それに比べて善人は「俺は正しい。俺は善である。」と言ってる人。
人間みんな愚童凡夫なところがあるのに、善人は、己のそれに気づいておらず、悪人は気付いているから、救われる、ということ。
>>566
人妻を襲って「やっちまったぁ、俺ってダメなやつだなぁ」と反省している人は救われる。
「人妻最高!問題なーし!」と開き直ってる人は救われない。
自己正当化=無明、盲 というような莞爾? >>567
それじゃソクラテスの無知の知の話と変わらんだろ
親鸞の言ったことはそんな意味ちゃうでで本に
そうじゃないって書いてあったはずやろ 考えてみるとその通り。
罪悪感の強い、自責タイプの人間は、一般的に良い人。
しかし、そんな良い人は厚かましくモラルの薄い人間に押しのけられて、競争社会では負ける。
しかし、そういう良い人こそが救われるんですよ、と説けば、開き直って現世利益だけを追う輩も改心の道を歩み始め社会が明るくなろうぞ、という親鸞ロジックかもしらん。
>>568
それでは、どういう意味なのか、詳細に教えてくれたまへ 浄土新種は、教祖とかけ離れたものになってるから
今更どうのこうのは、本人も迷惑だろ。
どんなに出来の悪い息子でも
どんなに取り返しのつかない過ちを犯したとしても
世間がどれだけ悪く言ってもワシだけはお前を愛し続けたるでって
田舎のおっかぁみたいな存在が親鸞の言う仏やろ
そういう母親を前にしては回心しないものも少ない・・・はず
でも現実にはそんな母親すら鬱陶しいと感じるサイコパスは存在するから
そういう外道は地獄行きって断言してるキリスト教のパッパのほうが道徳的やな
阿弥陀仏の慈悲と神の愛は同じもの
キリスト教の影響が濃いと想わざるを得ない
ちなみにキリスト教でも神の恩寵は人間には測り知れないとされ、
恩寵の奇跡を人間側が予想することは全くできない
罪の赦しは赦しの秘蹟(つまり人間を超えた神の奇跡)と理解されている
>>573
キリスト教の秘蹟は
許されたり許されなかったり(と人間が勝手に解釈する)する
偶然性に支配された現実を解釈するための方便だし 〜いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。〜
どんな修行や善行をしても仏になり救われるなどという事に及び至ることはあり得なかった。
煩悩と欲望の渦巻いている己の地獄のような精神世界以外には行く場所が無かった。
阿弥陀仏はそのような煩悩と欲望から人を救わんという大きな願いを打ちたてられた。
その願いに応えることのできる者は己の煩悩と欲望を良く知っている者である。
己の自覚している己の煩悩と欲望が阿弥陀仏により照らされ滅した時に成仏が達成される。
己の煩悩や欲望に無自覚な善人と呼ばれる人が救われるという一般認識に対して阿弥陀仏と感応している悪人がどうして救われないことがあろうか。
>>575
いつまでもそんなくだらん観念にとらわれて立ち止まっていたって何にも始まらない
難しいことは考えずに菩薩行をしろ
歩みを止めるな プラトンの洞窟の比喩を理解する事が
悟りなんだけど。
無能ジャパン仏教は、ぜんぜん違う方向に行ってしまったよね。
センスない人は思索する意味が無いんだなって。
ちなみに洞窟の比喩では
中心は太陽だけど
キリスト教の神の愛も、それで説明がつくw
神の愛=太陽イデア=悟り
すごく簡単なんだけど
俺って異端なんかな
我が何か修行をして善を行なって報われて救われるのではない
我が阿弥陀仏により救われた結果が善行となる他ないのだ
それは我による行為ではなく阿弥陀仏による行為なのだ
つまり自分の力ではなく阿弥陀仏の力であり他力である
阿弥陀仏の本願が我に鏡の如く映った状態は他力本願だ
阿弥陀仏により救われた我には一切の迷いが無い
我の全てが阿弥陀仏の本願すなわち他力本願であるのだ
そこに我はいない
ゾロアスター教においては光と闇
陰陽道でも 陰と陽
プラトンでは太陽イデア
どこの宗教も結論は同じw
光と闇
これが、わからないで屁理屈こねくりまわしてる日本仏教の
精神性の低さには呆れるばかり。
ぶっちゃけ、劇的にレベル低いぞ
>>580
与える事と、奪うことの比喩に決まってるじゃないですかw
何をいまさら 宗教 思想 イデオロギー
その辺については
俺っち大得意だし専門だから
なんでも聞いてくれていいけどなw
>>581
精神と物質という話もありますよ
イデアとロゴスにもなりますよね
例えばこうやって言葉を扱いますが言葉は実在ですか?光ですか?闇ですか?というような >>577
その思考自体は異端じゃないがそれはこの世の在り方を説明したに過ぎなく悟りではない
日本の仏教は確かにズレてるが経典の解釈を間違えてきただけで経典に書かれている事の意味は仏教として正しい
>>579についても同様
認識は正しいが悟りとしてはほど遠い >>584
グノーシスは良い線行ってたんだけど
途中で変な方に行ったと思う。
精神と物質で分けてくのはちょっとずれてる。
物質全否定は違う >>582
人生を掛けて今から死ぬまでやれ
そうすれば分かるだろ
本気で仏教をするつもりなら観念なんか捨てろ 悟りって大げさに言ってるけど
ただの、『わかる』でしかないからなw
わかってる人と わかってない人w
それだけの違いを大げさに言うと
悟りになるw
>>588
それがおまえの限界よ
でもそれを繰り返して人は成長する
おまえもいつか気付くよ
まだ入口にも立っていないって 寺の子2人知ってるがどっちも普通にワガママお坊ちゃんだったな
裏返せば世間知らずと言うか庶民の心を知ってるようで知らずと言うか
『悟り』ってワードにあまりにも振り回されまくって
本末転倒してるのが日本仏教なんだよw
結果的に悟ればいいんだよ
悟るために頑張りまくるってのは本末転倒w
かなりバカっぽい
>>586
陰陽の考え方では隠を否定していないのでは?
言葉は光でしょうか?闇でしょうか?どちらでもありませんか?
文字はどうですか?言葉になる前の段階はどうですか?
精神と物質、西洋定義で例えるならイデアとロゴスがメビウスの輪のように循環しているという思想が陰陽思想ではありませんか?
さらに、こういった定義はすべて言葉により成り立っていますが、言葉とは何でしょうか? 悟るために、いろいろ頑張りまくるって異常な事だけどな
なんか色々やってて
気が付いたら悟ってたというのが正しい
日本仏教はダサすぎる
悟ったとされるのはゴータマさんただ一人であり
その境地を知る者は現世に存在しませんので
○○は悟りからほど遠いという言い草はとてもおかしい
知ったか乙であります
>>587
仏教をする、仏教をしない、という括りに拘ることは菩薩行なのですか? >>596
そういった考えが非常にダサイw
悟り=わかる事なので
誰でもチャンスはあるし
仏陀は特別ではないよ。
なんなら現代人なんて科学知識があるんだから
ある意味で仏陀より悟ってしまってるw
仏陀は地球が丸いと知らなかったよな
仏陀は特別じゃない
ただの人間 >>593
イデアとロゴスは循環するような関係ではない
ロゴスはロゴスでイデアはイデア
言葉は言葉で文字は文字
>>597
いやそれは菩薩行じゃない ただの人間である仏陀が、こつこつと積み重ねて
いろいろ、『わかった』だけの話なんだよな
神格化する意味はないよ
思索を楽しめばいいだけの話
それが思想に対する正しい遊び方なんだけど
日本仏教はセンスないからこれがわからない
悪い「他人」というのを想定していたらすごく想像しにくいんでないかなと思う
諸々の仏縁に対して、どれだけ無自覚鈍感であったか、というのが悪人の自覚ってことだからね
五逆、謗法の者を悪人と呼んだわけで、つまり如来や如実、事実に対する帰依の無い者が悪人
龍樹の言う慚愧の念、前非を悔いる心は悪人の自覚が無い者には起こせないもんじゃんね、って親鸞は明快に言ってる
>>586
言葉は洞窟の奥にうつった影でしょ
映像や写真もそんな感じ。
影です
本体は別にあります >>599
そこが西洋思想の限界だったんだと思ったりしますね
宇宙や森羅万象は循環の中にあるので純然たる実在のイデアがどこかにあるとアイデアは短略的に思えますがそれが真理でないかどうか誰にも分かりません
仏教思想的には宇宙の真理は分からないが自己が感得できる真理は分かるというところでしょうか
小乗仏教により真理を感得できますがチベット社会は極楽浄土になったのでしょうか
大乗仏教は個人の悟りを超えて社会発展を制限しない形の社会の道徳化を方便を用いて目指したとすると日本仏教が残した日本人の精神としてそれは実現している訳です
それでは1番これぞという菩薩行を教えて頂けませんでしょうか イデア論は、一般で理解されてるより
実はめちゃくちゃ身近な理論に思えてきたけどな
あれってマスゴミの事だろw
テレビを信じてる人=洞窟で縛られてる人
完全に一致すると思うけどな
プラトンが言いたかったのはこっちだよ
>>603
簡単な話です
マスゴミ視聴者=大乗仏教
ネットの真実=上座部仏教
誰にでもわかるお話です >>600
日本仏教はこっちにレスする話ですね
悟りは宗教的なドグマというか概念としての偶像崇拝にされている感もあります
悟ったという定義が曖昧でありますが楽しみとしての悟りであるならば定義などは不要かもしれません
日本仏教は悟りを目指している訳ではなくいわば人類救済を目指していた訳だとおもいます
悟りたい人がどう悟るか極めて悟って良しとするのではなく遍く生きる人を救う方策を考えると言う
これは仏教を超えた本来的に日本に根付く日本精神とも言えるのかもしれません
太陽の国である日本では皆に日が当たるようにという菊の紋章にも象徴される天照の精神があります
それゆえ大日如来と日本の繋がりが深いと言う話に繋がるのかと >>603
これぞという菩薩行
はっきり言っておく。わたしの兄弟(姉妹)であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。 >>606
日本仏教はダサダサなので
悟り=権威であり
権威をゲットしたいので悟りたい
権力者になりたいから悟りたい
とかいう最低最悪の不純な動機丸出しのゴミになってしまったんですね
シンプルに勉強おもしろーいという感情から乖離したゴミです
これが日本仏教の本質 >>607
ありがとうございます
小さいものという概念自体を作らないという天照大御神の精神もあります 自分はめちゃくちゃ辛口批評ですけど
本質だけは外さない自信がありますw
だって、実際そうなんだもんw
腐ってやがる
>>608
末法の世ですからね
ミロク(567)によるマイトレーヤの降臨も近いかもしれませんね
暗喩ですので悪しからず >>603
大乗仏教と日本社会の考察は面白いけどそれも結果論でしかないな
日本は徳川幕府から戦後の日本政府まで大乗仏教の理想なんか一度も目指してなんかいないからね
せいぜい最近になって一宗教団体の政党がその思想を政治に組み込んだ程度のこと >>611
神なんて居ませんよ。
悪魔と聖人がいるだけです。
だから聖書でも
悪魔と対峙するのは神ではなく人だったでしょ。
神は居ないのです
人間が頑張るしかないのですよ。 神は、居ないけど
悪魔はいるから
世界は、悲惨なんですよw
これが真理です
>>612
仏教が伝来していなければどんな日本社会や日本人になったのか思考実験するのも良いのかもしれません
徳川幕府の立役者の南光坊天海は天台宗の僧侶ですよ
大乗仏教の理想は阿弥陀仏の本願であり社会の安定化でもあります
つまり修羅相剋の大陸的騎馬民族的な価値観では無かったことは確かでしょう? 剛力招来! 超力招来!
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼうだい)
>>613
古神道によると神は人であり悪魔も人、獣も人、神も人ですね
あなたは父と母のミックスであり全ての人は父と母のミックスであり延々と遡ると神に行き着く道を全ての人が歩んでいる
それが神道です >>614
一度本気で自然を観察するといい
全ての生物、植物動物一つ一つの生涯について
深い思慮があれば神の存在に気付けるだろう 全ての人は父と母のミックスですね
それは生命誕生まで遡ります
さらに地球誕生、宇宙誕生まで遡れます
全ての物質と精神と生命が一つの道を歩んで今に至っている
その道は神の道、つまり神道であり、その意味で全てを内在する今この時のことを、神道では中今と呼びます
>>617
日本の古い神だと、ヤマタノオロチがいるけど
神道の神ってのは、
あれだと自分は思ってますけど
ヤマタノオロチは悪魔って言った方が正解だと思う
つまり神道ってのは悪魔教なんですね
ガッカリする必要はない
旧約聖書の神も悪魔みたいなもんだからw
人類は古代において悪魔を崇拝していた
これが、考古学的には正しいわけでw >>615
家康が何故日光で大権現になったのかの歴史を学ぶとそこに大乗の思想なんかないと分かるよ 何言ってるのかわからないwww
資本主義だろ。金だけだよ。金がなくなればおしまい。
こんなの儲けるための商品だろう
信じることが馬鹿すぎる。
どうでもいい
人類は古代において悪魔を崇拝していた
↓
これじゃダメだという事で、
理性によって 善神を生み出した
つまりね、神ってのは人間が人工的に作り出した概念なんですよ。
元々、人類は悪魔を崇拝していた
悪魔崇拝が人間の本能
これが現実です
信長あたりから散々手を焼かされた仏教一味の封じ込めに成功したのが家康だしな
>>621
日本は神仏習合の国ですからね
大乗仏教原理主義という訳でもないので神道系の加持はあった訳だと思いますが、詳しくは分かりません
どういう理由で大権現になったのですか? 資本主義だろ。金だけだよ。金がなくなればおしまい。
神も仏も悪魔も儲けるための商品だろう
腐しって結構罪深いと思うけど
相変わらずやってるの居るな
>>624
信長が殺されたのは高野山に手を出したからと言われますね
高野山は朝廷筋の僧侶が多かったので朝廷筋の光秀に天誅されたという
家康は朝廷筋とうまくやったというか朝廷筋の代理であった可能性もありますね 人間のナチュラルな本能は
悪魔を崇拝したくてたまらない
それじゃヤバイということで、代わりにクリーンな神が生み出された
そっちを崇拝してもらってお茶を濁している
これが現実です
>>6
部落民というより似非同和地域
そもそも部落など存在が曖昧でマルクス主義者が水平社を創ったと言われている
昔の部落など単なる貧困地域ややならず者の集落をマルクス主義者が差別だと捏造
そもそも基本的に似非同和は創価が圧倒的に多い 俺はアロマロカリス教だけど、今では信者も随分と減ったよ。
世界でも10人いるかどうか、、、。
かつては人間もどきではネアンデルタール人が熱心に信仰してたんだよな。
>>546
阿弥陀様を拝むにあたって後ろ盾になったのが十住毘婆沙論だよ
否定したいんじゃなくてじゃなくてそういうもんだとしか
大体日本では八宗の祖と呼ばれてるのが龍樹だし、利他行はもとから一般的な概念な >>631
面倒くさいな
仏教伝来以来神道の融合はあれども神仏習合と言う表現は明治以降のそれのこと以外にはない
認識の問題だな
元々仏教側は神道との融合なんてのは望んじゃいないわけだから日本は平安時代から神仏習合の国なんてのは神道側の論理でしかない >>603
チベット密教は大乗仏教の代表の一つ。日本仏教はもう一つの大乗仏教国の代表。助け合って大乗仏教を守らないといけない。真言、天台の二つの密教はチベットと交流があるが、近況はどうなってるのだろう。 阿弥陀仏の本願を純粋に解釈したら行きつく先は悪人正機説に行きつくよな
阿弥陀仏信仰はキリスト教と似ているとか、
阿弥陀仏信仰にキリスト教の影響を指摘する論もあるけど、
ここがキリスト教と阿弥陀仏信仰の決定的違い
>>635
そもそも一般人にはあまり区別が無かったんだよ
お寺の横に神社があったりするのはその名残な >>623
日本の古層の神は出雲の幸ノ神って夫婦神や
諏訪の御柱みたいな男根信仰やで
それは悪魔ではない
出産という天然自然のメカニズムへの畏れや
理性によって善神というが要するに
コンピューター的な人間の脳の神経が生み出す秩序のことだな
善とは
対立軸としては自然と人工物 大乗文学の本にナンマイダブツで救われるって書いてあるって主張するのは
余りにも根拠無さすぎ
>>603
科学が西洋で生まれて森羅万象を解き明かす最も有力なものだという現実を考えたら
西洋思想こそそれまでの東洋思想などの限界を打ち破っているとしか思えない 念仏唱えなくても何万人殺した歴史的大悪党でも
隅々までお救い下さるんやろ阿弥陀仏はよ
>>572
>どんなに出来の悪い息子でも
どんなに取り返しのつかない過ちを犯したとしても
世間がどれだけ悪く言ってもワシだけはお前を愛し続けたるでって
放蕩息子のたとえ話(放蕩息子の帰還)ルカによる福音書11-32が丸っきりその話だが。
大富豪に二人の息子が居て莫大の財産を渡した。
一人は家に留まり父の傍らで遊びもせず堅実に働いた孝行息子。
一人は家を飛び出し遊び捲った放蕩息子。
放蕩息子は当然すっからかんに成って明日の暮らしにも困るようになる。
ああ、どの面下げて家に帰れるものか。
しかし、背に腹は代えられない。
「私は罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」
そう頼もうと覚悟を決め恥を忍んで家に帰った。
案に相違して父は「お前が帰って来るのを待っていた」と歓待した。
当然、孝行息子は怒る、私が友達を招いても子山羊一匹くれないあなたが何故あんな奴に
肥えた子牛を屠ってもてなすのか。父は答えた。
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。
祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」 >>637
信じる物は救われるってのと何が違うんだよ?
同じだろ浄土真宗もキリスト教も >>1
>念仏を唱えれば阿弥陀如来の他力により死んだ後に極楽浄土へ行って救われる
死後のための念仏なんかより 現世を極楽浄土にしてくれる 違法にお高いお薬の方が 流行りそう
お酒は 違法にお高いお薬の 代用品 一般ピープルが悟りを得ようとしても無駄だ
超人しか悟りは得られない
ならば一般ピープルは悟った超人、阿弥陀如来の本願にすがろうではないか
阿弥陀様は誰でも西方極楽浄土に連れてってくれるでな
一休と蓮如の会話では商売道具だと意識は当時からしてたのは驚きだよな
これが笑えなくなるのは種子島から銃が渡って来て火縄銃と硝石利権で
南蛮キリシタンと同じ死の商人になったことだな
阿弥陀さんは信長の味方してたと思うよ
>>648
>一般ピープルが悟りを得ようとしても無駄だ
超人しか悟りは得られない
ならば一般ピープルは悟った超人、阿弥陀如来の本願にすがろうではないか
それが人間の弱さだね
人間の弱さを克服しなさいというのが仏陀の教えだと思うんだけど >>644
父親の全財産の相続権は依然として孝行息子にあること
放蕩息子は回心によってのみ、キリスト教の場合は再誕か
とにかく神への信仰を取り戻したがゆえに救済を得ている
と言う部分に言及しておこう 日本最強の和尚さんは≪日蓮≫でしょ
その支援宗教団体で成り立っているのが
自民.公明連立政権な訳
親鸞思想も好みだが、自己都合で甘く政治に向いてない
日蓮が日本のムハンマドになれなかった理由は
仏教が殺生を禁じる教えで天皇と武士を倒せなかったからかな
日蓮→神風特攻
親鸞→女といちゃついて余生を暮らす
>>652
空海じゃねぇ。入城して如来になってる。
日蓮大聖人は大菩薩。 元寇って言う大災難が日本襲って来た時が日蓮の時代
南無南無。
>>656
親鸞の妻・恵信尼と同郷の者としてはそういう言われ方は余り面白くは無い。
http://eshin.org/manabu/eshin/
ゑしんの里記念館
親鸞の妻・恵信尼(えしんに)の墓が見付かった場所。
昔は小さい掘立小屋一つが有ってがらんとした部屋に「 響流十方」こうるじっぽう
の扁額が一つ飾って有るだけだったのが立派になったもんだ。
作っているのは上越市の隣妙高市だが、純米大吟醸無濾過生原酒直汲 あらばしり 越淡麗 「恵心」という地酒も有って旨いよ。 >>652
藤川和尚で良いよ
いつまで空海だ道元だ言ってるんだか
アップデートして行かないと仏教は無くなってしまうよ >>657
空海も好きだが、「私は空海の生まれ変わりなのだ!」と、どっかのエル・カンターレ教祖が喚き散らし、無言でぶん殴りたくなりました >>661
池田大作が千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃修学した寺)を訪れた際、
そこに生える樹齢250年の千年杉に向かい、木肌を撫でながら、
「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟(つぶや)いてみせた >>663
池田○作さん酒呑んだくれて酔っていたのでしょ
そんなヤツ、たまにおる >>661
空海はロマンがあるよな。
無名の青年期の謎の空白時代とか。唐に留学したとき当時の名門寺の高僧たちを差し置いて無名の空海が「あなたは一体何なんだ!?」と驚愕されたくらい天才。
四国の山奥で一人で修行してただけなのに中国語もペラペラ。日本の歴史上で最もあたまの良い人だろう。立花隆が言ってた >>656
親鸞のが人間味があるわな。親近感がわく 阿弥陀如来といえば家内安全、無病息災、延命長寿の御利益があると聞く
まあとりあえず南無阿弥陀仏〜
>>567
5ちゃんで愚痴り続けてる氷河期屑人間は一生救われなくて泣いた >>665
そうですね、当時、空海は日本最高の
インテリジェンスの持ち主でした
でも、空海は中国大陸文明の自堕落っぷりに嫌気差したのでないでしょうか >>666
そこいらのオッチャンならそれでいいんだが、
仏教指導者としてどうなのって話だからな。
まあ、日蓮みたいな人は、仏教指導者としても暑苦しいって感じではあるが。 >>629
高野山に手を出したのはいかんね
長島皆殺しと比叡山焼き討ちはGJだが
顕如の首を獲れなかったのは惜しいね >>571
教祖から現代に至るまで生臭なエセ宗教だろ 自力とか他力と言っても自力は自力で自分の中の神様の力を使ってんだし、他力は他力で外側の神仏を対象にしては居るけど、苦境に耐えたりして生きて行くと、知らず知らずの内に自然と自分の中の神様が発動させてるみたいな印象。
いちいち自力と言わないだけで大きな他力の中に自力の神様が包まれてるみたいな。
間違ってますか?
仏教ってなんだかわからないんだよな
別の神様とか日本の考え方とかごっちゃになって
葬式で拝んでくれればいいみたいな感じ
浄土真宗のどっかの宗派は世襲の門主をいただいて
皇室ごっこしながら日本死ねしてる団体だっけ
>>677
本来生きてる人間の為の教えなんだけどなぁ
時間と地域をまたぐ伝言ゲームを繰り返す内に葬送祭祀に成っちゃったね >阿弥陀仏の本願を純粋に解釈したら行きつく先は悪人正機説に行きつくよな
親鸞が涅槃経を引用してるとこってかなりあんよね
草木国土悉皆成仏、一切衆生悉有仏性
一切の生きる物には仏智を喜び仏願に随順する心、つまり仏性を持っている、というのが大乗思想の基本
ではその仏性を喜ばず仏願に背き続ける者に救いはあるのか、ってのが大乗成立と同時に五逆、謗法、一闡提としてずっとテーマになってきた
五蘊、肉体から離れることを目的としない在家の仏教として真如法性を礼拝しようとするのならば、五逆謗法、悪人として慚愧する形以外ほぼ考えられないんじゃないの?
ってことだよね
仏教は遣唐使が中国に学び日本に伝来した中国の文化です
中国は一般人でさえ法力を使える人もいて
中国の一部の中国人少数民族を侮辱してた日本は
法力でやり返されるのは必須です
ヒンドゥー教は、仏教も内包したバラモン教の事であり、
チベット仏教はラマ教とも呼ばれ、仏教と言いながらヒンズー教だ
釈迦仏教ではない
だからこそチベット仏教には魔力がある
これに比べて、原始仏教は輪廻転生できず、死ねば焼かれて灰になって終わり
釈迦以外は仏陀になれず阿羅漢止まり
肉を食べるな、性行為もするな
神秘体験禁止
マントラや占いも禁止
釈迦には魅力が無いのだ(´・ω・`)
>>635
神仏習合は奈良時代からあるよ
宇佐八幡宮の八幡神が剃髪して出家をしたと言い伝えられていて
なので八幡神は八幡大菩薩という名称もある
御出家山という山にはその時に剃った髪や剃髪に使った用具が
石に変じて残っているとも伝わる >>643
けど五逆の罪を犯した場合は救われないとある
なので悪い事はしないのが吉 >>647
現世利益を説くのは仏教的ではないね
この世は穢土とも呼ばれ本質的に穢れと苦しみに満ちたものとされる
なのでこの世に執着せずに永遠にあるあの世の生の方を大切に思って
そして南無阿弥陀仏を始めとした念仏を多く唱えて生き方を清めれば清めるほど
あの世ではよい生が得られるという教え
キリスト教でも同じような事が伝えられてる >>654
若い頃とくに中高生くらいなら誰でもそうよ
けど年取るにつれて自分ができる事など何もない事をだんだん理解するようになってくる 浄土真宗は、派閥?によって難業、苦行が残っているけどね。
庶民には広める為に、念仏だけでOKにしてくれたんだろ
日本の右派左派は共産主義思想に染まってる。
勿論それを誤魔化す為に愛国保守を偽装してるわけだが。
>>693
戦後生まれにはわからない
教員はそまりやすいだろう >>645
信じなくても念仏すれば浄土に連れて行ってくれる >>688
あの世ではなく、穢土は輪廻をする六道のうちの人間道(娑婆)の
ことで、輪廻からの解脱をした結果、たどり着いた場所が浄土なわけ。 日蓮はネトウヨだし
空海は理趣経を中国からもたらしたペテン師のサタニストだし
法然はポピュリズムの商売人
親鸞は偽善者のリベラルクソ野郎だよ。
こんな俗物たちが、リスペクトされてる日本仏教には何の魅力もないと言える。
思想性は皆無
ジタバタしないで墓を潰してスポーツジムに貸したりスーパーにしたり
管財会社になって税金払え
>>1
親の『縁』で真宗を知ったのだけど、
どうしても『親鸞聖人』を崇めるお経(ではなく、賛歌か)が馴染めない
仏教のほんの初心者だが、『基』は佛陀であるのであれば、
全く馴染めない
教えがどう、佛陀=仏教と一致するのか分らない
だから未だ法名も申し込めない
・・・困った・・・・・・ カルト破戒坊主の始祖が親鸞
日本仏教史上で最悪の糞坊主
日蓮よりも悪質
>>688
その考え方が、そもそもの間違いなんだよな
>穢土とも呼ばれ本質的に穢れと苦しみに満ちたもの
なのはなぜかと言うと
戦乱があるから、戦乱ってのは弱肉強食の事
弱肉強食をやめた世界が浄土なんだよ。
日本仏教の誤りは全部そこにある。
あの世=浄土という思想こそ害悪の中心。
ヴィーガン思想こそ浄土思想を体現したものなのだよ
それが劇的に徳の低い日本仏教はわかってない >>701
分からん奴らは余計に阿弥陀が助けないとって思うのが他力本願だから大丈夫だ
あれだこれだと小賢しいのは専門家に任せとけってのが親鸞の姿勢 >>690
庶民に広める為に手数料を無料にしてたPayPayみたいなもんか
広まったら回収に動くから、こちらも改宗が必要だ 1000年後は、麻原も、親鸞日蓮と並んで聖人かもね。
>>702
創価学会を誕生させた日蓮以上の糞坊主はいない >>704
ははは
ありがとう(笑)
どうしても小賢しく「分りたい」、とか思っちまう性分なんで
>>676
>苦境に耐えたりして生きて行くと、知らず知らずの内に自然と自分の中の神様が発動させてるみたいな印象。
全然違う
それは『他力』じゃない >>649
一休と蓮如のアレな噺は好きやわ。
ウチも浄土宗やから十念こそするけど、真宗の御詠歌は独特なノリやね。 文学作品を釈迦の経典と信じ混んで
あーだコーダ言えるのかわからん
例えていえば 桃太郎に鬼ヶ島があったから鬼ヶ島は存在する
竜宮城はあるって信じる
そんなもんかね
まあ仏教って名乗るのも問題
本願寺には渡廊下で繋がった二つの大きなお堂がある
北側のやや小さいものは阿弥陀堂といい
本尊である阿弥陀如来の木像と親鸞の師匠である法然の影像が安置されている
境内中央にある最大のお堂は御影堂といい宗祖親鸞の木像と歴代宗主の影像が安置されている
(歴代宗主は世襲で親鸞も妻子持ち)
(宗主である大谷家は明治維新後華族に列せられ伯爵家となる)
こうした建物や像の配置からもわかる様に真宗は仏教をベースとした日本独自の親鸞個人崇拝教団といえるかもしれない
>>714
親鸞聖人を介して阿弥陀様に繋がる、その道を示して下さったから
親鸞聖人を崇めながらその先に在る阿弥陀様を崇め奉る、の様に思う
凡夫の自力では到底、「其処」に到達不可能、と捉えるのが
真宗の(庶民への)教えの様に考えるならば、
先ず、親鸞聖人、なのかな
いずれにせよ、仏教原理主義では無いのは確かか? これほど物分かりの悪い人たちがいるんだね
もう時間がないというのに。
われわれはもうすぐ意識の統合の時代を迎える
それに合わない人は、もうこの宇宙で輪廻転生を繰り返すことはできない。
宇宙の大転換期を迎えてる
これが、世界の各宗教が古来からいっていた、審判のときだよ
世界中の心ある人たちが昔から覚醒を目指してきたが、
それは今日この時代のためなんだよ
意識をシフトさせる・・・
これが分からない人は、永遠に滅びる
われわれは間もなく、縁起の世界に統合される
個々が分離している世界は、まもなく崩壊を始める
>>688
念仏こそ至上至高究極の現世利益
現世利益和讃によれば
〇南無阿弥陀仏をとなうれば/この世の利益きわもなし/流転輪回のつみきえて/定業中夭のぞこりぬ<
〇南無阿弥陀仏をとなうれば/梵王帝釈帰敬す/諸天善神ことごとく/よるひるつねにまもるなり
〇南無阿弥陀仏をとなうれば/四天大王もろともに/よるひるつねにまもりつつ/よろずの悪鬼をちかづけず
云々とある。
細かい教理はともかく究極のアファーメーション(肯定的宣言)として念仏を唱えるのも悪くは無い。
勝手に唱える分にはお布施も要らん。
元手は只だw >>702
歴史的経緯はそうかもしれないけど
近代において日蓮系がやった事はまさに外道の所業だろ
今そんな事をやれば警察が即座に連れていくからやらないだろうけど
つい30年前までは、人を大多数で監禁して脅迫して入信させる、
他宗派の寺に勝手に押し掛けてケンカを売る
余りの酷さに各宗派で「日蓮系対策マニュアル」が作られたくらいだからな
ネットで検索すれば詳細が公開されて閲覧できるぞ
情報化社会を舐めない方が良いよ、現代文明が崩壊しない限り未来永劫残るから >>717
それは童話おとぎ話作者がいるんだよ
そんなん真に受けて
危険だよ 続きが読めんから議論のしようがない
親鸞聖人を題材にした文楽があるとは知らなかった
ぜひ観てみたい
日本仏教は仏教を超越している
仏教を取り入れて進化した日本思想である
>>722
目に見えない霊の作用はあるというのが昔から言われてる
なのでこうした方がいいと霊界から教えてもらって
日本式の仏教になっていったという事はあるかも知れない
キリスト教にも信仰深ければ聖霊が導いてくれるという同じ思想がある >>689
年喰ったが今でも好みじゃないよ
「他力本願」って言うフレーズが無責任に感じるんだ >>718
恫喝して入信の強要だけど、布教の自由、信教の自由名目に
やりたい放題やれたんだよな。マルチ商法や霊感商法もようやく
規制されつつあるが。 >>661
大川隆法はそんなこと言ってないだろ
空海はその後心理学者のユングとして生まれたとは言っているが 日本の左翼は偽物
彼らは中国や北朝鮮の人権問題を批判しないから
>>699
「日蓮はネトウヨ」と言うか、愛國の
極右和尚さんでしたかね
でもしかし、日本を襲った大災難
≪元寇≫に立ち向かうは親鸞みたいな眠たい念仏講釈ではモンゴル.朝鮮クソ野郎らに殺られてましたでしょ。 >>726
大川隆法先生は四国徳島のおっさんでしょ
徳島にはあんなアホオヤジが多いんだ
大川隆法先生の「今、私に日蓮が舞い降りました!」には大爆笑しました >>566
ソクラテスと無知の知みたいなもので
自分は天国と思ってる人は天国に行けなくて
自分は地獄と自覚してる人は意外と天国に行ける >>724
他力というのは文字通りの他人の力じゃなくて
超自然的な救いの力のことを言ってる
この世は虫一匹殺しただけでも罪の判定になるから
それが積もり積もれば罪障によって人生に色々と不具合が生じて
最悪の場合死後は地獄
それを力ある阿弥陀如来尊にお願いして罪を払ってもらうというのが
南無阿弥陀仏の称名念仏を唱える事によって得られる他力 >>729
ソクラテス、恵果和尚、エマーソン
プラトン、臨済、ヘーゲル
アリストテレス、無門、西田幾多郎
西洋哲学、仏教、現代思想と転生して西洋と東洋の融合を試みた
大川隆法の言ってることは宗教の閉塞感を突破できる要素はあったんだけどな
日蓮はミカエルの霊からさらにエリヤ、日蓮と別れ
ミカエルはキリスト教改革としてルターとして生まれ
同じ時代に日蓮は仏教改革を試みた
日蓮は生きていた時に他宗批判をし過ぎたためにあの世に帰って反省をした
日蓮が今生きていたらいまある日蓮宗批判をやるだろう
大川隆法の主張は正しいと思うよ
今の日蓮宗こそ日蓮が批判していた宗教だからな >>731
人間は生き物を食べないと死んでしまう
ならそんな構造に作った神こそが罪人ですよ
生長の家の谷口雅春はその疑問を克服した
そんなことで悩んでもしょうがないでしょ そもそも人間ごときが考える善悪が
仏のそれと同じはずがないんだから、
あれこれ議論するのやめて南無阿弥陀だけ唱えとけ
ってことなんちゃう?
>>495
教義を突き詰めると念仏を唱えるだけでよいという極めてシンプルな一点に行き着くぞ >>734
会員ジジババしかいないって言ってたな
創価と一緒や >>734
息子はドラ息子だったからな
学生時代からポルシェだろ
生まれた時から荘子の生まれ変わり扱いされたらボンクラになるわな >>738
でも覚醒しないよりはマシじゃね?
ドラ息子にしたのはそれこそ親父の業じゃん >>733
いわゆるキリスト教でいうところの神は絶対の正義だから
それについて人間がどうこう言っても始まらないのさ
信号が赤の時に横断歩道を渡れないのはおかしいと言うようなもの
>>735
善悪の判断は仏教では五戒や八戒
モーゼの十戒などに示されてる >>731
親切丁寧返答ありがとです
「他力本願」
でもなんか早朝ラジオ、宗教の時間に聴いて二日酔いの自分を反省しつつ、心洗われたいですね よーわからんが
他力本願なら別にキリスト教でもいいと思うが
救ってくれるのが阿弥陀さんじゃなきゃイヤなのか?
>>741
いえ他力本願は法然聖人親鸞聖人に
御仏との超自然的な会合があって人々に伝えられたものと云われてます
寺社仏閣巡りや南無阿弥陀仏や般若心経は心を洗うとも伝わります
実はお経は20分くらいやれば二日酔いにも効くとも言われますね >>70 残りの1割というか、それらの宗派でない人は
菩提寺の○○寺や墓石の差別戒名をロンダリングしてキリスト教だよ
真宗の童話率よりキリスト教の元童話率の方が高いかもしれん 修行して自分の力で悟りを開いて仏になろうというの自力だとすれば
他力というのは自分ではとても悟りを開けない衆生の民が
阿弥陀仏の願いの力で極楽浄土に連れて行ってもらおうという考え方
本願というのは阿弥陀仏の仏になったら必ず人を救いますという願いの事だという
>>709
和讃の事かな。
仏の教えを五七五七七の和歌の形にして節を付けた物が御詠歌、
五七調または七五調の形で節を付けた物が和讃。
広義の御詠歌には和讃も含まれるから御詠歌と言ってもあながち間違いではない。
しかし、真宗では御詠歌と言う言葉は使わないから御詠歌と言われてもピンと来ないのが現実。
門徒物知らずという言葉が有る。
施餓鬼、迎え火、精霊馬、精霊棚、卒塔婆、木魚、位牌(微妙なところだが)などは行わず使わずだし、
御詠歌/和讃、精進落とし/御斎(おとき)などのように似たような物でも呼び方が違ったりする。
他宗の人間には馴染みの事柄でも真宗門徒にしてみれば本人は勿論先祖代々三百年は
あずかり知らぬ事だったりする。
弥陀成仏のこのかたは/今に十劫をへたまえり/法身の光輪きわもなく/世の盲冥を照らすなり
こういった<御詠歌>の部分は普通なのだが、
前後の南無阿弥陀仏が素直にナムアミダブツと読むのではなく
ナア〜ムゥアミダァンブゥ〜ナ↗ア〜ムゥア↗ミダァンブゥ〜ナ〜↗
と妙にタメの入った節回しで唱える。
聞きなれない人間にはここがお笑いポイントかもしれない。 >>743
そうですか、私の南無南無♪♪は邪神でしたの?
許せません!
私は日蓮大聖人を尊敬してます!。 >教義を突き詰めると念仏を唱えるだけでよいという極めてシンプルな一点に行き着くぞ
それはどっちかつうと浄土宗系なような
蓮如とかは念仏の相、構造的なものを心得ればそれでよいってスタンスだよ
口にただ称えたらば大丈夫と思ってるのはおほきなる誤り也、と、何度も何度も言ってる
でもれかなぁ?
あらゆる宗派に関係なく日本文明を司る根本は≪神道≫でしょ
外国人にもこれ一発で説明が尽きる。
>>1
実にジャップらしいですよね
戒律を守るのは嫌
自助努力も嫌
何もしたく無いけど救われたい
畜性のジャップにはこれくらいしかないんですよね >>6
部落っちゅーか日本で一番多いって聞いたけど
母数が大きいからだろ > よーわからんが
>
> 他力本願なら別にキリスト教でもいいと思うが
> 救ってくれるのが阿弥陀さんじゃなきゃイヤなのか?
唐の善導って坊主の解釈をそのまま親鸞は引用して提示してる
如来の縁に救われたが、それが無量の繋がり、無量寿の如来とわかったから無量寿、阿弥陀と呼んだ、という順番
阿弥陀は仏縁が無限の繋がり、無限の命を持ってるよって意味の言葉であって、擬人化して捉えるのは間違ってる
>>751
なんかお前、ソレ朝鮮人でしょ
「何もしなくていい、誰かが助けてくれるイヒヒ🤪😁日本かも?」
どっか逝けよ、お前ら >>751
釈迦が説いた一番重要なことは「自分は相対的な存在であり絶対的には存在しない」ということ。
我は存在しないので、我による努力というものもまた偽である。
善行をする我と悪行をする他に分けて価値判断するということこそ衆生のはかりごとの延長に過ぎない。 我が戒律を守るのでは無い。
阿弥陀仏が我に戒律を守らせるのである。
よく見れば 仏が我を 拝むなり
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
>>758
一遍上人の句は悟りの境地やが
それやったら「我」にまだ囚われとるな >>564
洗礼うけとるしな
バカには難しかったようです
NG >>746
御詠歌言うたら
西国三十三所巡りの観音菩薩信仰の和歌やろ
関西は宗派関係なく御詠歌あげる
西国三十三所観音菩薩信仰は平安時代の花山上皇の時代からやから
鎌倉仏教成立以前の歴史がある >>752
貴人も賤人も拝めば救われる、門徒になれるって説いたものだから、
氏神神社もなければ菩提寺も持たないような部落含む無為無冠、
つまり庶民の宗教ではあった
だから一向一揆はどこでも厄介で、とくに加賀国一揆は成功して加賀一国が本願寺に献上してたほど
当時の中心は石山本願寺なので、
部落地域と言えば間違いではないが。
江戸より前の時期に部落を持ち出すと、
めちゃくちゃ不便
近畿には惣村が多数あるが、あれが部落だからな >>749
「一代聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」
時宗の開祖・一遍の言葉。
一遍は西山浄土宗を学んだという。
何度かこのスレにも出て来るが、西山浄土宗は今の浄土宗のメインストリーム鎮西派と
違う面が有り、寧ろ真宗に近いんではないか?
西山浄土宗・真宗・時宗は何らかの繋がりが有るのかもしれない。 >>760
我を持ち 我を忘れて 我が去る
仏が我を ほっとけなかりき >一遍上人の句は悟りの境地やが
それやったら「我」にまだ囚われとるな
在家仏教では我が身、我が一生を頂くことに意味があるんでそれでいいんだよ
>>764
おめこ大好きエロ破戒僧親鸞の子孫の悪知恵の天才、蓮如が一遍上人の時宗、一向上人の一向宗教団を乗っ取って、浄土真宗教団をでっち上げたから 他力本願って自力と違って、結果から(仏?たか悟り?)から見て、凡夫を引っ張ってってくれると言うか引き上げて貰うようなやり方なんでしょ?でも自力も他力本願も結果にたどり着いたら同じだもんね
>>768
一遍上人
自力他力は初門のことなり
自力だ他力だと言ってるのはまだ素人 日本思想ってのは、仏教?神?だからなんなんや?暮らしが良くなるんか?
の答えとして、悟りなさい、人生は苦、神へ帰れ、などと偶像ドグマ化せずに、社会に寄り添う形で神仏談義を落とし込んでいった思想
その帰着は、地球人同士みんな仲良くしましょう、というお花畑と揶揄される和の思想にも繋がる
ゴータマ元王子様は家出したのち自分ちだったお城というか国が滅ぶのを見ていたはずなのだが
その辺について二言三言あっても良さそうなもん
>>769
分かってるよ。頭での想像だけでだけどw
とりあえずの段階での話しwそこからまだ先は当然あるんだろうけど、自分には語る資格はないw >>771
一切皆苦 全てはままならない
諸行無常 全てはうつろう
諸法無我 我、我が物と思うものは全て幻 なんとなく
こういう時代の
人間臭い悪人って根っこの部分に慈悲があるから
救う対象にあるけど
現代の悪人と違うだろう
負け犬は処分しても構わないという
優性思想の輩とか悪人の権化じゃないかー
>>761
回心・再誕・信仰によって救われる
良い子だけが我が子
つまり聖と邪を分割する父性原理が一神教にはある
仏陀が起こした初期仏教も衆生は輪廻から脱することは出来ず
出家者が法を収めたときにのみ救済があるとする
いわばエリート主義
親鸞の悪人正機は法を収めぬ悪人を、キリスト教に言い換えれば異教徒や無神論者すら
包摂するという母性的な発想で
狩猟採集民的母系社会が土台となった日本的アイディア
父性が前面に出てくるキリスト教と似てなどいない
そして土着的母系社会というのは天然自然と寄り添って生きる集団で
のみうまく機能するもの 無分別智の効能 鎌倉時代ならいざ知らず
コンクリートの都市ではうまく機能しないだろう
コンクリートの都市とは便利と不便を分けて
悪を絶つ父権的、一神教的、デジタル的世界なのだから
馬鹿には難しいかな😩 > ゴータマ元王子様は家出したのち自分ちだったお城というか国が滅ぶのを見ていたはずなのだが
> その辺について二言三言あっても良さそうなもん
二度は軍勢の前に立って止めたそうだよ
三度目はスルーした
これが仏の顔も三度、のはじまりと言われている
やや逸れてしまうが、キリスト教ベースの欧米諸国が築いた世界が、人種差別的な植民地覇権主義
対して仏教ベースの日本は国連に人種差別徹底条約を提案するも欧米諸国の反対により却下
大東亜世界は炎に包まれ、戦犯として裁かれた東條英機は刑務所で親鸞の教えを学んでこころ安らかくなり、弥陀仏の穏やかに死刑を受け入れた
浄土教の究極形態は一遍上人
乳もまんこも丸出し尼さんダンサーズを率い、念仏ダンスステージの熱狂に日本全国を巻き込み
自力他力の違も乗り越え
我と他人
仏と我
生と死
この世と浄土の境界もなくなり
全て南無阿弥陀仏の名号に帰結し
お釈迦さまの本来の教えに戻った
日本史上最大のスーパースター一遍上人
鎌倉時代の日本人の1/5が一遍上人に帰依した
アツい念仏ダンスシーンこそ浄土教の最終形態
自他の区別なく、善悪の区別なく、上下の区別も無い
世界と自分が一体化する危ない薬キマっちゃった状態🤤
ダルマさんは手足腐るまで薬やってただけの人🤣
>>773
うーむ...
まだまだそこまで突き放す事は無理だな実際 >>785
ネトウヨってのは
野良犬が吠えまくる恐慌状態と同じ
分別のない生物的反応だからな
分別が必要な現代日本に無分別のなかから
価値や知恵を見つける日本仏教は有効ではない おめこ大好きエロ破戒僧親鸞は比叡山で修行してたがおめこがしたくてしたくてたまらない
ある晩、観音菩薩とおめこする淫夢を見て
「阿弥陀如来はわしのためだけにおるんや!!」
というサイコパスの境地に到達
以後、80歳を過ぎるまで寺に籠もっておめこ三昧
多くの子を残す
この親鸞の子孫から悪知恵の天才蓮如が現れ、一遍上人の時宗や一向上人の一向宗教団を乗っ取り、大教団をでっち上げ、織田信長と日本史上最悪の宗教戦争を引き起こし人々を塗炭の苦しみに追い落としたのはご存知のとおり
佛教大学・大正大学→浄土宗
大正大学・西山短期大学→西山浄土宗・時宗
龍谷大学・武蔵野大学→浄土真宗本願寺派
東洋大学・大谷大学→真宗大谷派(東洋大学は現在離脱)
東海中学高校・芝中学高校・淑徳与野中学高校・淑徳巣鴨中学高校・淑徳中学高校・東海学園高校・東山中学高校・上宮中学高校・鎮西高校→浄土宗
西山高校・藤嶺藤沢中学高校・鵠沼高校・藤沢翔陵高校・光明相模原高校→西山浄土宗・時宗
龍谷大学平安中学高校・京都女子中学高校・武蔵野中学高校・その他龍谷系高校→浄土真宗本願寺派
大谷中学高校・京都光華女子中学高校・その他大谷系高校→真宗大谷派
こうやって宗派覚えていった
信長の逸話にヘンテコな術を使い庶民を誑かす奴を懲らしめる話がありますな
当時は皆迷信深いし法力がどうたらとか言われると大名クラスですら従うしか無かったようでやりたい放題だったんだとか
「他力本願」と言う言葉がなんか韓国人みたいで堪らなく嫌
>>794
不勉強ではない
とにかく「他力本願」と概念が日本文明に相入れないと思う訳です 西方浄土だっけか
そこに阿弥陀如来が居るという
なんか西遊記みたいよね
死後に極楽浄土に転生できるのは阿弥陀如来を信奉する念仏系だけか
天台系や密教は阿弥陀如来いるから大丈夫かな
他の仏教徒はどこに
弥勒上生経も似たかんじか
まあアレは下生になると56億7000万年待てやとかいう何の救いもないハナシになるのがエグイけど
>>797
中国から見てインドは西に在るから玄奘三蔵は西天取経の旅に出た。
坊さんだった大叔父(祖母の弟)は三蔵が運んだ経典は七駄片馬(しちだかたうま/へんば)だと言っていた。
昔は馬の背中に荷物を振り分けて一駄としてそれが七頭、八頭目の馬は荷が片方だけ、
都合八万四千の法門とも言う。
西方に浄土が有るのは灼熱のインドでは日の没する西にこそ安らぎの里が有るからだとも、
そもそも灼熱の大地なら光を尊ぶ発想は生まれないのではないか、西方由来ゾロアスターか何かの
の影響のもとに阿弥陀思想が出来たのではないかとも言われる。 >>796
本当に不勉強な上に無知の知すら持ち合わせていないのね >>796
あらゆる階層の誰もを包摂する親鸞の発想は
母系社会を下敷きにした北東アジアでも
日本でのみ見られる特徴
山も海も獣も人も同一レベルで扱うシャーマニズムとか神道の発想
一神教に征服された経済合理主義の国際社会には
馴染まない価値観であるのは事実
他力本願が日本文明に相入れないのではなく
一神教合理主義に日本文明が馴染めていないのだ 絶対他力って、無我と同じことだからな。
ああしよう、こうしよう、という我が、
一切ないってこと。
完全なお任せ状態。
川に揺れながら流れる葉っぱのように。
無我になるってことは、宇宙と分け隔てなくなるということ。
つまり、宇宙と一体になる
そうすると、なんでも自然にかなうようになってくる。
こういうこと言っても、分からないやつばっかりだからな・・・
というのも、もう判別は出来てるんだよ
毒麦と良い麦の。
さあ、もうそろそろ刈り取りだ。
覚悟はよいか。
臨済宗・蘭渓道隆
首相 北条時頼・時政
真言律宗・忍性 →日蓮ぶっころ
外相兼副首相 北条重時・長時・業時
浄土真宗・性信
官房長官 平頼綱 →日蓮ぶっころ
長官秘書 飯沼助宗
日蓮宗・日蓮 →道隆・忍性ぶっころ
首相事務所スタッフ 本間・南部・南条・石川
大臣秘書 四条頼基
案外、幕府内で殺し合いにならないんだなと
>不勉強ではない
>とにかく「他力本願」と概念が日本文明に相入れないと思う訳です
語感が嫌、っていうのは分かるよ
曇鸞っていう中国の坊さんだな、我執で作る脳内世界以外の事実の世界を他力の世界と呼んだ
>>806
どうですかね?
平常時は親鸞の教えが民衆は甘く心地よく感じましょうよ
だがしかし、国難時は日蓮の豪腕さ、
リーダーシップが必要と考えまするね
さて今、自民.公明連立政権に絶対必要なのは良い意味で独裁政権だ
「失敗したらわしら腹を切る」の覚悟です
それで日本国民は納得しますでしょ。 >>806
母型社会とシャーマニズムは世界的に見られるから日本が特殊だと言えない
宗教の信を持ち出す必要がないし経済を例にするのもお門違い 日蓮系って扇動家ばっかじゃんかよ
日蓮も扇動家だったしさ
危機の時に一番邪魔な奴だよ
>810
親鸞が自分は藤原家日野氏出身であるとかの出自を書き残したりしなかったから
日野氏側も法然と一緒に配流された親鸞の名前をわざわざ記録しなかったんでないの
単に最大宗派だから左右ともに取り入っただけやろ
こもったような日本語の発声はお経からきてそうだけど
真宗のお盆は楽、
迎え火送り火、茄子と胡瓜の飾り、ご先祖様の
お膳、全部いらない。
東西本願寺は、拝観料いらない。
御朱印やお札もない。お金かからない。
>>810
実在が証明されたのは大正10年(1921)ジャスト100年前。
親鸞の妻・恵信尼の書状が西本願寺で発見され、その内容が今に伝わる聖人の記録と一致したから。
それまでは親鸞架空論、非実在論が取りざたされていた。 >>817
関西のうちの近所はお盆は宗派関係なく西国三十三所の御詠歌あげる
浄土真宗のB地区と創価だけやらない >>796
このクソ忙しい社会こそ他力本願がウケると思うがね >>813
別にミャオ族でも古代テン王国(滅んだ)でも
ミクロネシアの島でもアマゾンのヤノマミ族でもいいけど
母系社会って基本的にどれも発展してないでしょ
あるがままを良しとする あるもので足らせる思想だからね
日本列島は大陸と半分接続して進歩主義をちょいちょい吸収して発展したけど
ベースの母系社会を根底からひっくり返す改革は起こらなかった
過去3000年稲作、仏教、官僚制度と男性的な進歩主義が何度輸入されてもね
鎌倉の武家社会は男性的だったし、禅宗も上座部仏教的要素を含んではいたが
日本の庶民の無意識はどこまでも母系社会ベース
あと一神教の善悪を分割する原理は経済合理主義と絶対に不可分だから
苦労しない方が善で苦労が悪、おなか一杯食べられる方が善で飢餓が悪
ムキムキマッチョマンが善で虚弱が悪 なのだからね
満腹と飢餓のどちらが良いとは言えない
飢餓の状態にあっても飢餓の中にある幸せを見つけようとか
欲を捨てれば飢餓も克服できるとか言う仏教は
一神教の経済合理主義に蹴散らされる 農本主義とか日蓮宗あたりも
ちゃんと教育しとけばいいのに
>>810
日本書紀の実在が確認できたのも、広開土王碑見つけてからだよ
それまでは物語扱いだった >>701
ご自分の考えはともかく、生前の親御さんとしては、
当然、浄土真宗の方式で葬儀して、法名もらうつもりだったろうから、
そのようにしてあげたらいいんじゃないの? >>871
んー、一神教はオヤブンがいて俺がいるヤクザ的
禅宗は「主人公」(禅語)=天上天下唯我独尊とか、みんなが主でええんやで
密教はみんなが大日如来の細胞みたいなイメージ
まあ勝てんわな、だいたい戦いたくない
西洋側がヤクザはいややおもてくれたらええんやけど で、大魔神の宗派は何ですの?
何時も民衆に味方になって怒るのたが、
親鸞派ですか
日蓮は日本最強の愛国和尚さん
親鸞はホリエモンみたいな感じですかね
世界的大ヒットゲーム≪ゴースト.オブ.
ツシマ(元寇)≫は日蓮の時代ね
親鸞があのモンゴル大帝國とクソ朝鮮聯合軍を毛散らかしたとは思えんね
日蓮をパージした北条が冷静だったんじゃないの
まずは扇動家のパージなんだな
>>1
今の浄土真宗は親鸞の教えをまったく守ってないな 母系母系と言われると他によからぬ意図があるのではないかとつい思ってしまうが。他力本願はキリスト教の聖母マリア信仰に似ている面もあるが、マリアに抱かれるイエスのように絶対安心感のことをいってるのだよ。阿弥陀様の慈愛は絶対のものということ。
>>837
カトリックが人気を得るために徐々にマリア伝説を
後付けしていった歴史はあるが
プロテスタントはそれら人気取りを拒否し
原理主義的なプロテスタントを信じた
イギリス・ドイツ・アメリカという現代でも
強大な国家集団の下敷きになっている
カトリックが人気のスペインフランスイタリア南米はゆるい
ママが強い国 例えが低レベルたけど、例えば人喰いの野生の虎に囲まれた中で座禅を組む自力と、他力本願に任せ切り虎に囲まれても信じきり動じない行をするのとでは、結局は同じ事ですよね。
>>821
近代資本主義の成立にはキリスト教特にプロテステントが関わっているというのは良く言われる事である。
では、非キリスト教圏でも一近代化を成し遂げた日本でそのプロテスタントに相当する
思想的原動力は何で有ったか?
真宗もその原動力の一つであった。
日本三大商人、近江商人・大坂商人・伊勢商人のうち近江商人と大坂商人は真宗門徒が多かった。
真宗と言えばどうしても農民の宗派というイメージが強く、それは間違いでは無いが
同時に商人の宗派でもあった。
近江商人の建てた会社は後に成長して世界的企業に成った物が多い。
代表的なのは伊藤忠と丸紅であるが、これらの巨大企業(売上高:伊藤忠10兆丸紅6兆)も
元と言えば近江商人伊藤忠兵衛を祖とする。
西本願寺門徒の忠兵衛は真宗の信仰篤く「商売は菩薩行、売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
を旨として遂には大成した。
更には石山本願寺の故地・大阪にも多く移り住み大坂商人もまた真宗門徒が多かった。
例えば、時代は下るが究極の大阪商人松下幸之助の法名は光雲院釋眞幸。
大坂商人は御堂さんの鐘の音が鳴るところに店を構えることが目標であり誇りだった。
このように日本経済の屋台骨を支えたのは真宗である。 >>840
1.敗戦体験により傑出した人材が誕生
2.戦後の東西冷戦構造下でのアメリカのえこひいき
3.年功序列の共同体経営がマッチした時代
という条件下でのみ成立した一時的な経済的繁栄でしょう
敗戦は1回きりの日本人に降りかかった出来事で現代人は体験できない
冷戦は終わり年功序列も現代にはマッチしない
そういうわけで日本経済は下火です
これは日本人から浄土真宗の信心が失われたのではなく
そもそもそんな力は備わっていないと考えた方が良いでしょう
プロテスタントを信仰することが経済を強くしたというより
マリア(女)ごときを聖人化するようなカトリックはけしからんという
男集団がピューリタン革命を起こした そんな集団だからこそ経済が強いのでしょう
もちろん教義から民族へのフィードバックがゼロとは思わないけど
民族が教義を作ると考えた方が自然 土地や風土に合わない教えは人気が無く根付かない 親鸞は当時の人たちに全く知られてなくて自身も謙遜しまくたから歴史から忘れ去られてたかもしれなかった人物だろ?
日本は母性社会の西日本と父性社会の東日本でできている。
門徒の国大阪を見ていると社会の雰囲気が母性的だなと思う。遠藤周作の「沈黙」のラストは親鸞の他力本願の宗教世界の中にキリスト教徒が吸い込まれていく瞬間が見事に描かれているとおもった。
鈴木大拙が浄土真宗と禅宗が共存してて入門としてわかりやすいかな
日蓮は、ただのネトウヨw
これだけ一個抑えると
日本仏教、一個理解した気になれて楽しい
ネトウヨでも、後世教科書載るくらいリスペクトされるんやで
>>842
日本の近代化の原動力の一つに真宗が有る、と言う話に戦後の高度成長の話を絡めるのは
幾ら何でも時代がズレ過ぎてやしないかというのが感想。
蓮如上人は門徒に夥しい手紙を書いたがそれらは今日にも御文(おふみ)/御文章(ごぶんしょう)として残っている。
ちなみに御文はお東(大谷派)御文章はお西(本願寺派)の言い方。
その中に一帖目第三通、猟(りょう)すなどり章と言う物が有る。
>ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬる我等ごときのいたづらものを、
たすけんと誓いまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、
弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず弥陀如来の御たすけにあづかるものなり。
漁師がああ殺生は罪深いことだと猟を止めたらどうなるか。
本人はもちろん家族も路頭に迷う。
善行の果てが一家離散と言う悪行だ。
どうしようもない事は有る。
だが、大丈夫だ。阿弥陀様が助けてくれる。一生懸命に働くが良い。
蓮如上人御一代記聞書に
一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。
一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。
本当の繁昌は客が集まりブイブイ言わせる事では無い。
一人でもお客様の信頼を勝ち得る事こそ真の繁昌である。
正に商売の極意。
これが客が全然来ない店の親爺が俺の店は分かる人だけが来てくれれば結構と
負け惜しみ言ったなら単にイタイ親爺だ。
しかし、倒産寸前の弱小店を一代で立て直し売り上げ数兆円の大企業にした男が言っただけに説得力が有る。
どんな職業でも一生懸命働け、阿弥陀さんが見ていてくれる。
御文/御文章の中に既に商道が潜んでいる。 >>826
古事記や先代旧事本紀など
日本書紀以外の史書もそれぞれ内容はだいたい一致してる >>843
弟子もほとんどいないし謙虚以前に破壊僧で自己否定していた
孔子も生きていた時は大したことなかったし
老子あたりは自分の考えを残す気もなかった
親鸞はなんちゃって宗教だからなあ
神仏は人を救う存在ではなく
結果として救われたり救われなかったりだから 老子は実在の人じゃない。
【老子の話】五井先生
>>850
浄土真宗が今のようになったのは、すぐ上にもいるけど蓮如のせいだからな 私を救って下さい、と乞い願うより、
誰かを救わんと発することで、大日如来の慈悲と一つになれる
これすなわち即身成仏であります
この身が即時に仏と成ると、衆生救済の利他行に励まざるを得ません
>>850
全くと言っても一人も居ない訳ではない。
関東二十四輩といって関東下向の際に二十四人の有力が弟子が居た事が知られている。
歎異抄に曰く「親鸞は弟子一人も持たずに候」とあり恰も親鸞に全く弟子が居なかったの如く
思う向きも有るがそうではない。
そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、 弟子にても候わめ、
ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏 申し候人を、「わが弟子」と申すこと、極めたる荒涼のことなり。
専務が「私には部下が一人もいません」と言ったら驚くだろう。
だが、いやいや皆私の働きで部下になったのではなく全て社長のお力の賜物、私の部下でなくて社長の部下ですと続けたら、
ああ、そう言う事かと納得する。
要はそう言う事だ。
実際にはそれなりの数の弟子は居た。
とは言え八世蓮如が現れるまで真宗の教勢が貧弱だったことも事実ではある。 >>855
親鸞と道元はよく似てるんだよな。
・本人の頃は流行らず、後に流行らせた中興の祖が実質的な教祖。
・本人は新しい宗派を起こした自覚はなく、自分の教説を「真の仏道」と言っていた。
・「救われるために」ではなく「すでに救われてる」を主張した。
・自省的、哲学的、呪術に否定的で、現代インテリに人気がある。
・本人の教説はかなり哲学的で理屈っぽく、むしろアカデミックで庶民的ではないのに、教団は後に最も世俗化・大衆化して庶民層に広まった。 >>855
あ、肝心なことを書くの忘れてた。
・親鸞も道元も弟子をいわゆる弟子と思ってはおらず、「同信仰の後輩」と考えていた。 >>838
聖母マリアはファティマやラサレットや秋田で出現した例があるよ 阿弥陀さんに比べたらお釈迦様は
パッとしないんだね
仏国土ないし
可笑しい話だよな
仏教じゃあ無いだろう
>>859
死後に仏国土という無明の闇を彷徨う時点で自我に因われてて悟ってない証拠やんけ
お釈迦さまの仏道の基本
一切皆苦 全てはままならない
諸行無常 全てはうつろう
諸法無我 我、我が物と思うものは全て幻
からやり直すべきやね >>856
鎌倉時代から室町時代に庶民に念仏を爆発的に広めた主体は一遍上人の時宗
救済宗教の究極形態
一遍上人が日本に念仏を広めてた教団を
蓮如が乗っ取っただけやん 大乗文学 勝手気ままに書いた文章を
あーだ コーダ言ってもな
其より 六角堂でお籠り中 観世音菩薩像に欲情してダッチワイフしてしまった
淫乱上人って誰か知ってる?
有名な話何だがね
>>859
大乗って単なる文学って事をいってるんだよ
文章なら なんでもかけるからな
金ぴかなあばろきてぃしゃべらや
歩くと大地震がおこるまはースターまぷらぷたーがいると思うか?
お釈迦様は乞食坊主だったんだよ
乞食坊主が本当の仏教のお坊さんだよ 本当の仏教という言い方はおかしい。お釈迦様の教えだけが仏教ではない。仏陀信仰全体が仏教だから、仏陀について書かれた全ての経典で仏教世界はできているという認識が必要。大乗仏教の各宗派は根本経典を決めてそれを根拠として自分たちの教団をつくっている。
仏教世界なんかどうでもいい、ゴータマ・ブッダの教えだけを心の糧としたい、というのであれば、中村元さんの訳書があるスッタニパータ(「ブッダのことば」岩波文庫)がある。これを熟読すべし。
日蓮って鎌倉時代の人で鎌倉で、この世の終わりが来るぞ、とか
そんなことを言ってたんだよね。それで鎌倉から追放じゃなかったっけ
それにしては教義なんてあんのここ?てくらい緩々じゃね?
>>864
それ
お釈迦さまのキャラを借りたラノベ同人誌愛好会やん 仏教は人のナリ見て諭す方便てモノがあるからの
本来ならそっちが主役なんだろ
最初に仏陀が法を説いた時、仏陀は特別な存在、いわば特異点だった。
だからその特異点に到達するための方法論が展開された。
仏陀が亡くなってからは仏陀の説いた原理を中心に世界観が展開されたそれが大乗。
どちらの仏関係の教えだよね、むしろ教えとしては後者の方が面白い と
考えるのは別に止めないが、大きな違いが一つあって、それは仏陀が説いたのは
人間が「仏」という進化した別種の生命体になる方法論であったということ。
これは原始経典の方法論である七科三十七菩提分法の中に五神通という
現代で言う超能力が明記されているのがその証。
この辺を比喩や装飾として片付ける向きもあるが、それが当たり前の大乗経典は
別にして、実直にしかも実践法を表記してある原始経典の記述は
そのまま受け取るべき。
つまり仏陀の説いたのはあのシンプルな自己認知のやり方で
生理的なポテンシャルを引き出し人間を「仏」という種に進化させる方法論
であった可能性がある。
これは後の大乗では誰も成し遂げていないことで、密教に似た思想があるが
大乗の世界観をベースにしているため原始仏教ほどシンプルではない。
原始仏教はたんなる教えでなく、生理的に仏に進化した人の方法論の開示
である可能性がある、もしかしたら本物の超心理学かも知れない。
目に見えない霊の作用というのはあるもの
数多くの経典は勝手に思いついたものではなくて
全部霊界からのお釈迦様の霊の導きを受けて書かれたもの
と考える事ができるのかも知れない
>>871
一切皆苦
諸行無常
諸法無我
全否定から始まるボクが考えた最強の仏教 女人往生だかのシンポ見て笑った記憶がある
ま、大変だよな自分が万人に受け入れらてられて当然とか思い込むと
霊の作用を信じるなら
経典は新しいものほど最新の教え
という事になるのかもね
仏とかいう得体の知れないモノに成りたいのか
それともええカッコしいしたいのか
まあ説明するまでもなく答は出てるよな
>>856
親鸞と蓮如の関係はイエスとパウロの関係にも似ている。
親鸞=24人の弟子イエス、イエス=12人の弟子、いずれも極身内の小さな集まりを作ったのに過ぎないが
蓮如とパウロは巨大教団の礎を作り上げた。
また、この二人は教理を完成させ、当時の最新メディアである手紙を駆使してそれを世に広めた。
キリスト教と言いつつ実際は多分にパウロ教であり、真宗もまた親鸞教であると共に多分に蓮如教である。
そして、この二人は共に教祖没後の弟子であり、生前の師に会う事は当然無かったが、
奇跡に間に合わなかったという奇跡がその後の歴史を変えた。
>>859
一応、釈迦にも無勝荘厳国という仏国土が有ることになっているが、その正体は不明。
誰か知っている人は居るか?
また、法華経の説かれた場所・霊鷲山がそのまま浄土と成ると言う霊山浄土(りょうぜんじょうど)
という考えも有る。
ちなみに現実の霊鷲山にも行って見たがそれ程大きな山では無くて日本の山で近いのは
草津白根山、霊鷲山の頂上から見る光景は鬼押出し(おにおしだし)に似ている。
阿弥陀如来の前身は修行者・法蔵比丘、そしてその前身は?
国王だったが国を捨て王位を捨て沙門(修行者)となった。
時有國王。聞佛說法心懷ス豫尋發無上正真道意。棄國捐王行作沙門。號曰法藏。
(大無量寿経)
はて、どこかで聞いたような?
ざっくり言ってしまえば、釈迦=法蔵=阿弥陀、つまり極楽浄土=釈迦の浄土。
これでOK?
蓮如:巨大教団を作り上げる/パウロ:世界最大の教団の基盤を作る >>865
面白いじゃん
人気教祖は古今東西、煽り屋だ
私ガキの頃、日蓮の南無南無神風で大モンゴル帝國とクソ朝鮮野郎聯合軍の襲来を撃破したと教えられたぞ
なんか絵本には日蓮に後光が差していた 神道では別に肉食は構わないみたいで
ただし血が穢れとかいうルールがありまして
そこに外来種の仏教なるモノが入り込み屠殺人て言うんすかね
あの辺が差別対象になってしまったんだとか
日蓮さんも漁師のセガレすからオレは穢多の子なんて吹いて回ってた模様っスよ
高貴な者が当たり前のように高僧になる時代から庶民派の僧侶が出てくる転換期みたいなもんすかね
仏さんだってご利益の種類は千差万別
ま、イワシのアタマてトコロでしょうな
そう言った意味で「今、私に空海が降臨してますエル・カンターレ!」おじさんも結構ファンなんだけどね
>>1
愛国心のある日本人だったら外国の宗教は排除するよ
仏教徒は日本から出ていけ 文明開化一等国の大正時代あたりにイスラム教が日本上陸したなんてハナシもありますし
資本主義は勿論のことデモクラシー思想や社会主義共産主義思想といったあらゆる外来思想が雪崩込んでくる
そうなるとやはり昔は良かったてな保守的感覚になるんでしょう
右翼も馬鹿左翼もね
はぁ? 仏教を語るカルト教祖でしょう
セックス教団を作った元祖麻原彰晃でしょう。
因みに智辯學園って真宗系な
ちょっと偉そうに勝ち過ぎかな?
親鸞的に謙虚さが足りない
だから日本人は江戸時代みたいなかんじで仏教と付き合っているというわけ
>>883
お前アホでしょ
大魔人に踏んづけられて100年寝とけ で
仏教では僧侶の事を莫迦という
まあバカじゃねーとやってられんて事なのかね
日本文明の根本は≪神道≫
これで外国人にもわりと簡単に説明がつくよ
仏教も悪くないが、宗派がバラバラ
神道はええよな
お囃子に乗って神輿担いでガキどもに飴菓子食わせてヤンヤヤンヤ
しみったれ仏教に勝ち目ないわ
日本仏教はとにかく暗い
これでは現世利益もらへったくれも有ったもんではないだろ
とはいえ国家依存症の基地外アカになられても困るけど
そんな救いの無いクソッタレな世界にポツネンと居るお地蔵さん
アヤツは聞くところによるとクシティガルバとかいう大した奴らしい
オイラのマブダチだ
トイレ掃除のおばちゃんが神に成れる國それが日本の神道
おかげで日本のトイレは世界一清潔で
美しい
ありがとう、トイレ掃除のおばちゃん
貴女こそゴッドロード、ミリオンゴッドです。
だいたい宗教の派閥縛り喰らうと碌な事にならんからなぁ
やはり当事者ウチの爺様は偉かった
大したもんやで
流石はオイラの爺ちゃんや
誰が悪人やねんな
ハナから善人には加えてもらえんのだよ
お前らみたいのが居るからな
で?
親鸞とやらは善人だったのか
て、ハナシな
どうやってコレを良いハナシにしてんだ?
>>899
地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし―歎異抄第二章
この辺の展開は500年のちのパスカルがパンセで展開した論理と似ている
神が居ると信じて死んだ結果→神は居なかった→損得±0
神が居た→天国行き→利益+∞
神が居ないと信じて死んだ場合→神は居た→地獄行き→損ー∞
神が居なかった→損得±0
トータルで見れば神を信じる方が得。 >>891
古代から目立つ奴が好きで祭り上げるパリピの国なのに
白人コンプレックスの内弁慶なのが不思議というか
ずーっと子供部屋の中、井の中の蛙って自覚はあるんだろうな あれかな、他力本願だとMMTに繋がりそうだから
何かそれは許さないってのが居るんだな
>>865
日蓮宗は「妙法蓮華経」原理主義みたいな宗派で、日蓮を信仰するわけではない。信仰の対象はあくまで妙法蓮華経そのものであって、如来信仰の他宗派は邪教であるとする日蓮の強烈な主張がベースになっている。団扇太鼓を叩いて「南無妙法蓮華経」(妙法蓮華経に帰依します)と唱え続けるのはそういうことである。妙法蓮華経は資本論のようなものでドグマチックな論理で世の中を説明しているので公明党(創価学会)と日本共産党に近似性が見られるのはそういう所以のものかと思う。 >>902
♪苦しくったって〜悲しくったって〜コートの中では平気なの
ボールがうなると〜胸がはずむわ
レシーブ、トス、スパイク ワンツー ワンツー アタック
「だけどアミダが出ちゃう 女の子だもん」
「金の光は阿弥陀ほど」ということわざが有る。
かねの光はあみだほど、と読む。
金の光は阿弥陀ほど何だと言うと金の光は阿弥陀ほど光る、輝くという事だ。
阿弥陀如来は光の仏で、元より阿弥陀の由来の一つはAmitabha(計り知れない光、無限の光、無量光)で
もう一つはAmitayus(量りしれない生命、永遠の命、無量寿)
その光は十二の徳目を以て称えられる。
無量光、無辺光、無礙光、無対光、燄王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光
量(はかり)しれ無い光、辺(きわ)の無い光、礙(さわり)無い光、炎の王者の光、
清らかな光、喜びの光、智慧の光、絶える事無い光、想像も出来ない光、言葉で表せない光、太陽や月を超えた光
その究極の光とカネの光は同じだと言うのだから大した物だ。
現金ですかー!
お金が有れば何でも出来る。と猪木も言っている。 >>904
この昭和40年代感
ジジイ必死過ぎるやろ >>904
金銭やこの世のものに執着するのはよしなさいと教えにはある >>907
それは正しいが、その奥に、もっと深い意味があることを
ほとんどの人が知らない >>907
解釈には幅があって揉めるところなんだが…
カンタンに言うと
「極楽浄土に生きたい!と思っているならば、積極的に悪事をしないはずだし、悪事をしてしまったなら、強い後悔の念が出るはず。
それが全くない、てことは極楽浄土に行きたい!と思ってないわけだから、阿弥陀様も極楽浄土に連れて行かない」
つまり親鸞が言う「悪人」は、最適でも「自分がやってる・やってしまった悪に罪の意識を持ってる、後悔してる」人間を想定してる。 死んだら驚いた!
極楽浄土だと思っていたら無間地獄だった
って事にならんように
何せ教祖様は色魔だから 観世音菩薩像で
性処理
そんなに悪い事をしても罪のがれたいのか
そんなん地獄行きだろ
地獄で修行しろや!
仏像は君らにとってはダッチワイフだろ
よくそんなん信用するな
イスラム国かよ!
レベルはその程度ですが
日本の浄土宗は親鸞の前の法然が開祖だよ
中国にもあった
葬式仏教が日本人に馴染んだから浄土真宗は最大流派になった。
なんで浄土宗より浄土真宗のほうが流行ったの?
顔つきからして法然のほうが温厚そうでとっつきやすそうだけど
>>915
葬式でお経読経する?
かんむりょうじゅきょう読めとはいわんが物説阿弥陀経位は 岩波にあるよ
お経聴いたことないんだけど 本当 ナンマイダで極楽浄土に行ける発想
イスラム過激派だわ
>>918
経典にそう書いてるんだから仕方ないだろ
否定するならこっちの経典にはこう書いてあると例を上げるべき >>921
アホ そんなん偽書だよ
誰かが勝手に釈迦がいったってかいてんの
上座部の経典よんでから大乗よんでみろや ようわかるから >>918 面接で「〜のコネです」、「東大出です」の呪文で、就職と永遠の出世が約束された時代もあったし、いまだにそれが通じる世界もあるから >>925
浄土宗では法然聖人の夢に善導大師
また親鸞聖人の夢に聖徳太子が現れて南無阿弥陀仏の称名念仏にお墨付きを与えたと伝わる
称名念仏を信じないなら阿弥陀如来はもちろん法然親鸞聖人
また善導大師や聖徳太子までをも信じないという事になるがどうか カルヴァンの予定説のような冷酷さがないのがいいんだよな
究極の宗教だと思う
>>903
前の戦争の原因となった八紘一宇ってそいつらの影響だからな
何か神道が悪のように言われているが >>2
世俗の受けを狙って信者獲得
って現代の〇価? >>933
日本人の霊性の問題なので神道でも日蓮でも同じこと
日本人受けする発想として神道がはじまり
大乗も日本人受けするように解釈されただけのこと ただ単に庶民の無知に付け込んで騙しただけ
高度情報化社会の現代じゃ宗派を問わずカルト教義を掲げる組織は消えてなくなるよ
日蓮を信仰する最大の団体である創価学会ですら信者の減少に歯止めがかからないからな
どんな宗教もカルト化しやすい
部分をもっているが
日本では真宗、法華宗、神道が
カルトに利用されてしまった
浸透しやすさとカルト化は紙一重
すぐにアッラーアクバルみたいになってしまう
>>936
けど信じないならそれこそお釈迦様から聖徳太子
歴代の上人を全部信じないという事になるけれど 信仰=一切の異議申し立ては致しません
思考の放棄なのか
揺らがぬ価値基準の獲得なのか
凡夫は思考放棄しがちなので宗教には障りがあると
現代社会から排除されてきたのではなかろうか
あるいはバチカンが現代倫理とすり合わせるたび信仰が薄れたり
現代倫理と反発して摩擦が生まれたりする原因にもなっている
>>939
信仰てのはそんなもんさ
何せ目に見えないものだからな
けど目に見えないものもこの宇宙に存在している事は
科学などでも示されている >>917
今まで出た葬式だと浄土三部経のうち仏説阿弥陀経、もちろん正信偈(これは絶対)、白骨の御文(御文章)
和讃など普通にやっていた。
真宗宗歌や恩徳讃を歌う事も有る。
他の土地はどうかしらないが、家の地元だと法事の時は無量寿経のうち四十八願(設我得仏せつがとくぶ云々て奴)を
音木(拍子木)を鳴らしながら導師が唱え、その間に盆に載せた香炉を参列者の間で手渡して
焼香する。この時に盆に「お明かし料」と称して百円玉を載せる。
お明かしとは灯明=蝋燭の事で昔は蠟燭代としてお金を載せていた風習が残った物と思われる。
まあ賽銭だし、普通に賽銭用意した?とか法事に行く時に家族から確認されたりもする。 >>915
葬式仏教を生み出したのは曹洞宗
曹洞宗の開祖道元は釈迦直伝の教えを唱え
修証一如
修行してる姿が悟りそのもの、生活全てが修行と山に籠もって修行三昧
当時はカルト扱い、厳し過ぎて誰もついて来られず衰亡を極めてたのを
第4代瑩山紹瑾が在家の信者が死んだ時に修行途中の僧侶が死んだ格式で弔うパフォーマンスを儒教、道教、密教の儀礼を取り入れ売り出した
これが土民にウケにウケ、曹洞宗は全国1万寺を超える大教団に成り上がる
このおいしいシノギに他宗も我も我もと参入し、日本仏教はことごとく葬式仏教に成り果てましたとさ ほなら 夕日をみて瞑想するやり方書いてあるやろ
それしてる
>>865
実際に国家神道で仏教ないがしろにしたら原爆落ちて日本滅んだじゃん やっぱり葬式の主役は白骨の章
15世紀に作られた文章が五百年後の21世紀の人間の心にも食い込む。
今まで何百万何千万の人が聞いた事だろうか。 >>948
どっちにも偉い要素が一つもないと言えば良かったのか >>948
法然の大ファンの親鸞にすれば「よく言ってくれた有難う!」と感謝しきりだろう。
歎異抄にも
〇親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、 よき人(=法然)の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり
〇たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候。
〇弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。 仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。 法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかる べからず候か。
真宗では親鸞に到るまでに仏教を伝えた七高僧を重んずる。
阿弥陀如来→釈迦→1龍樹(印)→2天親(印)→3曇鸞(中)→4道綽(中)→5善導(中)
→6源信(日)→7源空(日)=法然→親鸞 日蓮宗だとスレが糖質に占拠されるけど
浄土真宗はスレが機能してて面白いな
>>932
教義そのものはそうだが、実際の真宗のあり方は冷酷ではないか?
進めば極楽、退かば地獄。 >>933
八紘一宇は我が国のよって立つ永遠不滅の国家原理だからな、戦争の原因になったとは言いがかりも甚だしい。日蓮宗とは全く関係ない。
前の戦争は開戦、終戦の詔書にあるごとく正義は我にありだが結果的にはポツダム宣言受託による終戦となった。p
しかし、今日的に見た場合大陸半島との悪縁が切れたことは僥倖だったし、戦争目的もほぼ達成した。悲願成就とも言える。満州は惜しまれるが、いつの日か復活すると見ている。
石原莞爾ら軍人が日蓮宗の信者だったことは知られているが共産主義同様に知性派軍人を惹きつける要素はあるようだ。今でも両方とも東大生に信者が多い。
仏教は布教用のお経と学僧の学ぶ経典はレベルが違う。経典は素読で理解できると非常に面白いものだ。 ガリ勉なおもて往生を遂ぐ、いわんやニート、引き籠もりをや、ニート正機
浄土真宗を作ったのは親鸞が死んでから弟子たちが勝手に作った
>>955
東大行くよりは、三流大学行く方が極楽かもしれん。 日蓮宗徒は基本煽り体質だからな
石原完爾にしても世界最終戦争とか言い出してるし
アジテーターがどさくさで火事場泥棒する方式だから
案の定、石原の後の連中も同じこと始めるし
日蓮の後も宗徒同士でアジ合戦で分派かが止まらない
普通の爺さんだよ
実はそうじゃないと教義が成り立たない
偉いよね