その大物≠ヘ雪の昼、ひょいと一人でわが産経新聞モスクワ支局に現れた。思わぬ来訪者に驚く私に、ぐるりと室内を見回すや、「日本の新聞社にしては質素でよろしい」。私の机上に鎮座していた独裁者スターリンの胸像には、「オーッ」と感嘆の声を上げた。だが、支局の熟年運転手殿はお冠(かんむり)で、「このごりごりの共産主義者どもがわが国民を苦しめてきたんだ」とそっぽを向いたままだった。
ソ連最後の共産党書記長だったゴルバチョフ氏に次ぐ「ナンバー2」で「保守派の総帥」といわれたエゴール・リガチョフ氏。ソ連崩壊から10年たった2001年2月末のこと。私が2度目のモスクワ勤務になったのを聞きつけ、事前連絡もなしに訪ねて来てくれたのだ。
ソ連崩壊直後の1992年2月から本紙が始めた、丸2ページを潰して世界の著名人に話をきく『地球インタビュー』欄の先頭打者として登場願った。「ソ連崩壊前後から疎遠で一度も行き来していない」というゴルバチョフ一家が階上に住む高級マンションなどで3時間も話を聞いた。後日、掲載紙を届けると相好を崩して喜んでくれた。
そんな縁があっての再会だった。当時すでに80歳だったが、故郷のシベリア・トムスク州で「スキーをして帰ったばかり」という顔は雪焼けし、かつてエリツィン初代ロシア大統領に「ボリス、あんた(の政策)は間違っている」と公開の場で?(か)みついた舌鋒(ぜっぽう)は不変だった。
…続きはソースで。
https://www.sankei.com/article/20210627-ADGOK4T7L5O6RNA43RRIKCI3RU/
2021年6月27日 15時00分