資料を広げて「筑紫平野連合説」を説明する片岡さん
今なお所在地を巡り、近畿説や九州説などで論争が続く「邪馬台国」について、小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(64)が唱える「筑紫平野連合説」が注目されている。邪馬台国を含むクニの連合が福岡、佐賀両県に広がる筑紫平野にあったと見る説で、講演依頼が増えたり、全国放送のテレビ特集で取り上げられたりしている。
片岡さんは北九州市戸畑区出身で、早大で考古学を専攻。小郡市に入庁後も邪馬台国を長年研究。発掘実績などを基に、北は筑紫野市、南は大牟田市、東はうきは市、西は佐賀県武雄市まで広がる筑紫平野で確認された数十か所の環濠集落がネットワークを形成し、邪馬台国連合をつくっていたとする説を約10年前から唱えている。2011年と19年には関連本を出版した。
同連合説は、3世紀頃の日本を書いた中国の歴史書「魏志倭人伝」に、「倭には三十国あり、そうした国々が共同で擁立(共立)したのが、邪馬台国の女王卑弥呼」と表現している点に着目した考えだ。
筑紫平野の集落遺跡では、鉄や青銅器などを1か所で製造せず、分担してそれぞれのクニで製造し互いに供給していたとみられることが、「一つのクニの連合だった証しになる」という。
ただ、卑弥呼の墓とも言われる「箸墓(はしはか)古墳」(全長約280メートル)のある纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)などを根拠にした近畿説の研究者からは、筑紫平野には3世紀頃の大規模古墳がないことから、「筑紫平野に限ると、邪馬台国のスケールが小さ過ぎる」との批判もある。
これに対し、片岡さんは「『共立』とは同規模の多くの国が共に立てたことを意味する。大きな古墳を造れる強国が一つあれば、『共立』は使わない」と主張する。
「邪馬台国は強国」とのイメージを覆す片岡さんの説は、1月に放映されたNHKのBS番組で紹介。オンラインで東京のカルチャーセンターの講師を依頼されるなど反響を呼んでいる。
片岡さんによると、邪馬台国論争では、近畿説が優勢だったが、最近、関西でも九州説を支持する研究者が出てくるなど盛り返してきたように感じるという。
片岡さんは「強い国がリーダーというのは現代的な考え方。古代には同規模のクニがたくさんあり、話し合いで女王が選ばれた。今の日本人にも、社会のあり方を考えるいい機会になると思う」と話し、今後も新著で自説を紹介する考えだ。
読売新聞 2021/05/26 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20210525-OYTNT50072/ フジテレビつけたらゴジラ吹き替え映画でやってるのはいいんだが
草刈正雄の末弟みてえな人の声が高1ぐらいのジャニーズみたいな
少年声でなんかすげえ変だ
決定的な証拠がないのだから、いろんな説が出し放題。
中国にしかない卑弥呼の記述に
観光地誘致や天皇の威光を借りるために妄想炸裂
ヤマトだろ?
元は九州にあって東征した
ちゃんと古事記だか日本書紀だかに書いてあるだろ?
非人さんは天皇陵(古墳)の側に暮して護ってきた人もいるからな
非人さんのDNAを開示すればハプロの移動はわかるはずだろ
祇園山古墳が卑弥呼の墓
もしくは宇佐神宮が卑弥呼の墓
畿内説はファンタジーです
九州の人が九州説唱えたり近畿の人が唱えたりするのは信用できん
どっちも結論ありきで都合のいいように解釈するからな
日本は聖徳太子から始まった。
その前はファンタジー
水城や防塁が必要だったとか昔は朝鮮民族が攻めて来てたんだよな
朝鮮民族は戦争責任を取って日本人に謝るべき
こんなの言い合ってどうなるのかね。どうせ正解なんか出ないw
どうでもいい
どうせ観光乞食どもが「決着ついたら儲かるかも知れないけど負けたらなんにも無くなる。だからこのままでいい」ってやっているだけだろ
どれだけの学術的証左とか意味をなさない乞食どもの戯言
日本の天皇制は、天武天皇から始まった。
権力を後継者だった甥の大友皇子から奪い、初めて「天皇」を自称した。
そして、一人の大臣も置かない専制政治を行った。
邪馬台国=九州
これは明治以前は定説であり九州の民衆は先祖代々から脈々と語り継がれてきた事実である、確かにそれを裏付ける古文書も存在した
しかし大日本帝国のとある役人X氏がこの証拠を全て破却してしまった
じゃあいつものやつを
日本史板での結論
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
縄文時代はみんなが平等でうんぬんとか
左巻きは願望丸出しでテキトーなこと言い過ぎる
移動にも時間かかって伝達手段も限られてるっていうのに
何のメリットがあんのw🔥そのやり方w
佐賀・筑後平野を観たらこの地域にどデカい国が無かったら可笑しいと思う筈。
其れ位どデカい肥沃な平地で水にも恵まれてるから人が集まらない訳が無い。
AV女優の卑弥呼は、卑弥呼名義になる前
トレイシー沙貴の頃の作品「蛭子さんがみてる」内の
蛭子さんとのインタビューで、中間市出身だと答えてたな。
これって何が答えなんかよくわかんねえわ
古田武彦の九州王朝説とかみると九州説っぽいし箸墓古墳が見つかったときは大和説とかいってたし
いつまでこの論争やってんだってのもあるけど、ぶっちゃけどういう物が出れば双方納得するん?
>>34
きのこたけのこの如く…
親魏倭王の金印がどっかの古墳から出てくれば流石に一段落付くんだろうけど(´・ω・`) >>31
それ言うと「当時は筑紫平野の大半は海の底だったのだーっ」て言い出すキチガイが湧くぞ
実際には後世の干拓地を除けばそう大差なかったわけだが
47 :名無しさん@1周年 :2020/03/11(水) 23:41:23.04 ID:5zQbFqEe0
>>46
いや、筑後側の比較的海岸に近い場所にも弥生遺跡があるからそんなに海は入り込んでないよ
この図で一番海よりの扇ノ内遺跡も弥生時代
柳川市公式ウェブサイト / 柳川の遺跡
https://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kyoiku/rekishibunka/rekishi/iseki.html
>海岸線の後退により次第に陸地化が進んだ有明海沿岸部のうち、特に柳川市周辺地域では、近年の発掘調査により
>弥生時代中期前半以降の遺跡が確認されています。
>徳益八枝遺跡(柳川市大和町徳益)は、弥生時代前期から中期初頭(約2,200年前)の集落です。
>調査では柱が軟弱な地盤に沈み込まないように工夫された掘立柱建物や井戸が検出されました。
>また、磯鳥フケ遺跡(柳川市三橋町磯鳥)では弥生時代中期後半(約2,000年前)に比較的短期間に営まれた集落が調査されました。
>約3,500m2の広範囲にわたり掘立柱建物群や井戸等が検出されていますが、集落は更に広範囲に広がっているようです。
>蒲船津江頭遺跡(柳川市三橋町蒲船津)では、弥生時代後期(約1,800年前)の集落が調査されました。
>先の二つの遺跡と同じく多くの掘立柱建物が見つかっています。
>これらの遺跡以外にも、弥生時代の貝塚として三島神社貝塚(柳川市西蒲池)や島貝塚(柳川市大和町鷹ノ尾)が知られるほか、
>扇ノ内遺跡(柳川市西蒲池)では石田と呼ばれる田圃に残る大型の石の地下から甕棺が出土しており、支石墓の可能性があります。 まぁ当然だけど、近畿出身の学者は近畿説を推して
九州出身の学者は九州説を推すんだな
>>33
魏志倭人伝には倭国の様子が結構細かく書かれているけど、鉄鏃や絹などそこに書かれているもののいくつかは
当時の畿内ではほとんど出土しない
畿内説はネタだと思っていてOK 筑前筑後
肥前肥後
豊前豊後
備前備中備後
上総下総
上野下野
この辺りは明らかに大和王権に強制的に分割されてるよな。
>>1
> 片岡さんは「強い国がリーダーというのは現代的な考え方。古代には同規模のクニがたくさんあり、話し合いで女王が選ばれた。今の日本人にも、社会のあり方を考えるいい機会になると思う」と話し、今後も新著で自説を紹介する考えだ。
自然災害が多い日本ならあり得るんだよな
思想的にも戦って力で抑えるのは後世になってからだし
だいたいドングリや貝を拾って食べてた頃に大規模な戦争なんて起こらないだろうし >>27
逆だぞ
戦前は畿内説が定説だったが、戦後に天皇中心史観を否定したい東大の左翼学者たちが九州説を唱えて広めた そりゃまあ、その昔、たくさんの「クニ」があったのだろう。
それほどまでに、不思議なことはないよ。
>>1
> 小郡市埋蔵文化財調査センターの
邪馬台国が町おこしの手段化しとる >>43
そういう石器時代ユートピア論は洋の東西を問わず人気があるけど、実際はけっこう怪しい
現代の狩猟採集民にも一定の割合で殺人事件が起こっていることが分かっている >>39
いや学者さんの中では九州説はほぼ消えてる
九州説はアマチュアで人気 邪馬台国って結局、ある程度の地域を治める国なのか
集落国家なのか、それすらわかってないんだよな。
俺も自分の説あるで
遷都説、元は九州にあったけど大和に遷都した説やで
>>1
片岡氏の説の大きな欠点は、畿内勢力が魏志倭人伝に登場しないこと
片岡氏は考古学者だから、3世紀中頃にはとっくに西日本に広域連合が出来上がってることを知ってるはず
その広域連合の中心は纒向にあり、北部九州の中でとくに博多湾沿岸地域は広域連合に参加してることも知ってるはず
奴国が従属してる勢力は、筑紫平野の国々ではなく、纒向であることも知ってるはず
考古学者が考古学的事実を意図的に無視して、こういうおかしな説を唱える本当の目的は、地元びいきや町おこしのため >>52
倭国大乱中の片割れの国の都だよ
大乱前の都でもある 邪馬台国サミット2021
[BSプレミアム] 2021年05月30日 午後0:00〜午後2:00 (120分)
>>1 の片岡先生も↑の番組に出演
みんなで見ましょう 邪馬台国民は入れ墨してた鯨面文化だったから南洋からのルーツの民族だろうな
全身入れ墨というのは水難で死んでドザエモンになっても死体が誰か判別するためでもあるからな
>>50
一定の殺人事件が起こっても社会は変わってねえだろ
そもそも権力が集中してないし
日本が変わったのは大陸と朝鮮半島との交易で鉄器と作物栽培の先端技術が入ってきてから
特に交易は利害関係や貧富の差も生み出し権力も強化して争いのもとになった まあ片岡さんは高島さんの後釜ポジションを狙ってるんだろうな
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる
日本史板での結論
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう >>56に付け加えとくと大乱後の都は奈良
巻向が誓約によって新たに作られた新興都市だってこととも辻褄が合う 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
狗奴国との国境は菊池川だろう
鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの
免田式土器だけじゃなく、海人の宝である貝輪や弥生時代の鉄工房の分布とも一致する
考古学的に見ても文献的に見ても海人族の最大勢力・安曇が伊都王家なのは明白
伊都の安曇族を味方につけて海運を掌握したからこそ邪馬台国は強大になれたし
後に東征することも可能になった
特に鉄原料が国産化されておらず弁韓からの輸入に頼っていた時代には、海運を制するものが圧倒的優位であった 地理的には九州連合国だろうな
奈良には奈良で別のクニがあったと見てる
それが後のヤマト王権
>>64
金印貰ったら属国になるってことだから、そんなもん受取拒否したか返しに行く途中で捨てちゃったのかも 邪馬台国と大和王朝を無理矢理一緒にしようとするから畿内説には無理がある
別物なのよ
だから、北九州の遺跡は1世紀2世紀で邪馬台国より100年早いでしょ。無理スンナ
>>71
何故奈良に新王朝が誕生したの?
三つの勢力が協力して奈良に新王朝を作ったんだよね? >>最近、関西でも九州説を支持する研究者が出てくるなど盛り返してきたように感じるという
歴史は盛り返す盛り返さないという物ではなく、きちんと証拠がないと事実は確定しません。
証拠がないのに九州説を唱えても個人の妄想にすぎません。
1世紀 奴国王が後漢より金印を授かる(福岡志賀島)
2世紀 倭国王師升が後漢に朝貢、倭国大乱
3世紀 倭国王卑弥呼が魏より金印を授かる、邪馬台国と狗奴国(免田式土器?)が対立
3〜5世紀 奈良の纏向遺跡(前方後円墳発祥?) おそらく奈良を中心とした出雲・北陸・東海・吉備等の連合政権、北九州との交流は非常に乏しい
5世紀 奈良の大和王権が北九州〜南東北を平定
4〜8世紀 熊本の球磨川流域と宮崎の一ツ瀬川流域以南に独自の古墳文化(熊襲)
6世紀 継体天皇即位、大伴氏が半島にあった領土を割譲、筑紫磐井が大和王権に反乱
7世紀 聖徳太子が軍隊を半島に派遣、乙巳の変、歴史書を新たに編纂
8世紀 隼人の乱、藤原広嗣が大和朝廷に反乱
🇷🇴創価学会では、いまだに「中国は父の国、韓国は兄の国」と称しているのですか?🙏
つーか魏志倭人伝を普通に読めば本来ここまで混乱しなくてもよかったわけ
まず女王が住む北の国々は「鳥栖」、「佐賀」、「糸島」、「松浦」
そして女王が住む南の国々は「菊池」、「阿蘇」
その間のズバリ旧山門群
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高いが、
水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめようぜ >>68
何言ってんの
巨大な中国へ朝貢して他の勢力を出し抜く交易をするのが当時の実力者
今の自民みたいなもんだ 魏志倭人伝には冬でも半袖で生野菜食ってたって書いてあるそうだから
意表を突いて沖縄あたりって事は無いの?
それとも当時は日本列島もそんな暖かかったの?
>>71
その通りだろうね
鉄製のモノや物資や技術、文物の輸入がひと段落した時点で九州の勢力は当然弱まる
邪馬台国衰退後は人口が多く生産もできる近畿が力を持ったのは容易に想像できる >>1
未だにやってんのかよ
世界はエジプトのピラミッドとかいろいろ分かってるのに
エジプトよりはるかに最近の邪馬台国がどこにあるか知らないとか
恥を知れよw >>82
邪馬台国が北部九州にあったとすると、傘下にあった30のクニは一つ一つがせいぜい中核の大きな環濠集落に若干の小集落が付属したものぐらいになる。
一方で邪馬台国が畿内にあり、北部九州から瀬戸内海を経て畿内にいたる一円の地域だったとすると、
傘下にあったクニは一つ一つが律令制下の国レベルの規模になる。
後者のような西暦200年代の大規模な遺構がワンサと見つかったという話は未だかつてないから、畿内説は無理があるのでは? 邪馬台国は畿内にあってこそのロマンであって
九州じゃ誰も興味無くすんだよな
>>71
古事記と日本書記には神話の時代から統一民族云々と書いてあり嘘がバレるからw
中国正史に倭国と日本国は別種なりと書いてあるのにね >>84
542 日本@名無史さん sage 2021/05/26(水) 12:50:34.71
隋書より
>古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里在會稽之東與儋耳相近
儋耳相近
やっぱり、日本列島は縦長と言う認識
もしくは、台湾やフィリピンと混同されたようだね
東の海の向こうに
倭人が住まう山島が「いくつも」あると これは以前俺もにちゃんで唱えた説だ
魏志倭人伝に記載の日数が合わないのは当時の敵対国を避けて有明海の方面から上陸したためにおかしくなった
王朝交代時に毎回歴史書改竄されたら、食い違うに決まってるw
「ぼくのかんがえたさいきょうのやまたいこく」にはもう飽き飽きだわ
>>71
>>87
これは半分邪推になると断っておくけど、邪馬台国と大和王権の連続性を主張したい学者ってのは
「天皇家は2600年前とは言わないが少なくとも中国の歴史書に載る時代には(ある程度)大きな力を持っていた。
卑弥呼は神宮皇后か天照大伸のモチーフであり、天皇家の直接の祖先に違いない!」
(訳:邪馬台国が実際に存在した時代、天皇家のご先祖様が邪馬台国の傘下だったり、中国に相手にされないような小規模勢力だったとは認められない)
という保守的思想がバックボーンにあるんじゃないかと思う >>78
・倭国大乱前の倭国の都は濃尾平野。墓制は方形周溝墓
・都へ舶来品を運ぶためのストローだった九州、というか出雲がそれを横領して反乱→倭国大乱へ
・平原はその反乱軍に鏡を叩き割って抵抗したけど滅ぼされた
・反乱軍は九州北部を支配し舶来品を独り占めして青谷上寺地を打ち破って都へ攻め込もうとする
・ここまでの日本の貿易相手国は呉
・正当王朝(邪馬台国)は帯方郡を魏(呉の敵)が支配したという情報を得て、敵方が支配してる九州の地を獣道を通り寒村の漁港から船を出して密使を送り魏と繋ぎをつけることに成功した
・魏としても敵(呉)の味方(反乱軍)の敵(邪馬台国)と協力出来れば大歓迎、同盟が成立した
魏の協力を得た邪馬台国は盛り返し、魏も後に対して優位をwin−wiになったのでありましたとさ ロマンの九州説と予算取りしやすい畿内説の戦いが始まりました!
>>51
学者は畿内説に立たないと予算が付かないって聞いた 別にどうでもよくね?
邪馬台国がどこにあったかで何か変わるの?
そんなことよか他のことに頭使えばいいのに
九州にあった王朝のある人物が東遷して奈良で国をつくったのが大和朝廷考えられんか?
🐼自慢してるけど
古代大陸で活躍した人達って
日本逃げてきてるんだよなw
>>105
朝鮮半島から騎馬民族っぽいのがやってきてそこにいられなくなったとか 九州から近畿にかけての連合国家=ヤマタイ
出雲グループ=ヤマタ
近畿グループが主流派争いに勝って=ヤマト
>>97
倭国大乱で思い出したけど
近畿説最大の根拠が纒向遺跡にある
その纒向遺跡周辺に発掘調査進み武器が全く出なかったとの事
あれだけ大騒動あったのに武器発掘されなかったは近畿説は一瞬で消えたと意味w >>100
そりゃあ学者には捨てられて物好きな素人しか残ってない九州説なんかで
金を引き出そうと思っても無理だろうね >>88
ピラミッドが何なのかよくわかってないとか >>109
倭国大乱が終わって関係国が誓約して新首都を作った訳で、闘いの時代は終わってたからな 九州もしくは朝鮮半島南部ににあったのが倭で奈良にあったのが日本ではないかと
>「倭には三十国あり、そうした国々が共同で擁立したのが女王・卑弥呼」
いまだにこんな馬鹿な事言ってるのかよw
古代以外をやってる先生が正月の番組で、古代やってる連中に唖然としてたw
ハッキリ言って馬鹿にしてたwww
>>111
当時のエジプトは森林地帯だったわけで、狼煙台だった可能性も微レ存 魏志倭人伝すらまともに読めない愚かしさw
倭国大乱を30ヶ国の乱だと勘違い。あ痛たたたたwww
邪馬台国は山門八女で決定した。
卑弥呼は倭姫命で、丹波氏の姫で、
丹波氏は高良山周辺を支配する豪族だった。
長官の伊支馬は生目=垂仁天皇であり、
宮崎日向の豪族である。
副長官の彌馬升が御間城の崇神天皇であり、
コレが奈良の纒向政権の長であって、
コレが四道将軍の史実を裏付ける様に、
纒向の外来土器の出土状況と一致し、
関東から中国地方まで支配していたが、
倭国内での地位は副長官で、
日向の豪族に劣っていた事が分かる。
>>117
元は100国あったのが倭国大乱で分裂してその内の一つの勢力が30国を支配しててその長が卑弥呼だったわけだからな >>114
魏志倭人伝そのものを否定するなら、邪馬台国探しなんて意味無いじゃん 卑弥呼は日、火、太陽に関する人物
畿内説は、まるっきり逆説
695 日本@名無史さん sage 2021/05/27(木) 18:04:10.77
卑弥呼は天照大御神
卑弥呼の死は日食を暗示
臺與=たいよう(卑弥呼の次の太陽)
すべて、辻褄が合う
畿内説は
卑弥呼=百襲姫=大物主を神降ろし=大物主を祀ることで治め
かつ天照大御神を外へ出すと言う論外ぶり
いかに畿内説が逆説であるか
おわかり頂けただろう
クルクル パーの語源ってなんなんだろう?
モンゴル語のクル(虫)かな?
中国が倭国を大きな国に見せようとしただけ
属国は大きいほうが威光になるわけだから
フン族ってドイツ人への差別用語だから
あんまり、調べるな
みたいな?
> 近畿説が優勢だったが、最近、関西でも九州説を支持する研究者が出てくるなど盛り返してきたように感じる
要するに普通の学者は畿内説で九州説は一部ってことだよね
アマチュアは九州説を好む人も多いらしいけど
お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる
投馬国は妻国であり、宮崎の妻、都間である。
長官副長官は彌彌、彌彌那利で美々津、耳川の豪族である事がわかる。
不弥国=宇美から水行20日が美々津で、
その半分の水行10日が大分、宇佐であり、
陸行1ヶ月は隋書や唐書の記述に基づいて
約150キロ前後になるので、
大分、宇佐から150キロ行って、
山門八女になる。
だから何度も言ってるだろ。
倭国大乱で荒れた九州を調停したのが
当時、倭国で一番の勢力を誇り
トップが女性で、かつ地域外の畿内にある邪馬台国で
九州北部の邪馬台国とされる遺跡はその駐屯基地だったんだって。
そら基地なんだから九州の遺跡から武器とか多く出るの当然じゃねえか
でも本部は畿内にあったんだよ。
>>128
>>1の人って早稲田出て地元の地方公務員?
優秀な人とはとても思えないなw クニと言うのは狗奴国のこと。それを真似して周りの集落がクニと名乗り出した。それが30のクニ。その中の邪馬壹クニが邪馬台国になり大和国になった。もうすぐその証拠が出る。
未来から来たものより。
中国大陸にまでその名がとどろく大和朝廷の権威を
九州の熊襲が勝手に騙っただけです
大和朝廷の開祖が「統一王朝ですらない魏」に朝貢したなどとは不敬千万
辮髪って200年代からあったみたいだね。
ちょんまげはいつからだろ?
倭国大乱は狭穂彦の乱であり、
西都原古墳の男狭穂塚、女狭穂塚が、
後の子孫たちが作った墓である。
倭国投馬国の西都原周辺の豪族の内乱を征した
生目の豪族が、倭国の長官として
のし上がっていった事が分かる。
>>122
日輪信仰って朝鮮半島で生まれたって聞いたことがある
結局はクマ信仰に敗れたんだけどね >>127
ドイツ人ってフランク、ザクセン、シュヴァーベン(アレマンネン、スエビ)、バイエルンといったゲルマン諸族の末裔だからモンゴル系ともトルコ系と呼ばれるフン族とは関係ない >>132
あほw
漢の権威を背景に列島覇権国だった九州邪馬台が倭国大乱
(=列島の大乱)で負け、男王禁止=覇権放棄 を条件に
和議が成り、それで即位したのが女王卑弥呼だ。
魏への朝貢に際し、大陸向けには邪馬台が列島盟主ということに
してあるので、*倭国(=列島)が* 女王を「共立」したとした。
卑弥呼の死後、男王が立つ(覇権復興を目指す)もまた負け、
女王に戻した、とある。この記述からも 男王禁止=覇権放棄
が科されたのは揺るがない事実だとわかる。 狗奴国は隈の国、熊襲であり、
副長官の狗古智卑狗は久々知=菊池の豪族である。
熊襲との戦いは生目、日本武尊、仲哀天皇=奴佳鞮が担当したが、
仲哀天皇の時代に敗れてしまった様だ。
邪馬台国が本国と構成国(金印の奴国もその1つ)からなる連合国なんて常識と思っていたのだが。
地元筋の奴が地元がそうだ!と言い張ってるから信憑性が無い
たまには近畿の奴が「九州だ!」
九州の奴が「近畿だ!」って主張は無いものかねぇ〜w
三国志の倭人の章は妙に話が長くて詳細すぎる
しかも亜熱帯気候であるかのような記述があったりで文字通りには信用できん
そんなに紙面を割くほど影響力のあるでかい国が当時あったってか? それはないだろ
だからどっかで別のとこの話を混ぜて水増しされてる説が濃厚
筑紫だと近すぎるんじゃね
かなり時間かけてるから山越えはしてるだろ
>>128
まぁ普通に読むと魏志倭人伝は北部九州なんよな
今九州に残る地名が国として記載されいて
女王が都を置いた邪馬台国は北部九州にあった国の連合体女王国の一つと考えるのが合理的 どれだけ研究がすすんでも近畿と九州にそれぞれ大きな勢力があった以上のことはわからなさそう
また九州説のバカが当時の日本を矮小化していやがるのか。
邪馬台国は、末盧国=松浦、伊都国=糸島・怡土、
奴国=那珂川・那の津、不弥国=宇美、投馬国=妻・都間、
狗奴国=隈の国でない北部九州の範囲であり、
山門八女から大分・宇佐の範囲であることは明白である。
弥生後期に大分宇佐は他の北部九州の地域と同じ様に
発展していたにもかかわらず、
魏志倭人伝に記述がなく、投馬国の記述に飛んでいるので、
宇美から投馬国の範囲の大分宇佐が、
邪馬台国であった事が分かる。
そして、卑弥呼の次の女王は、
豊の姫だった事がソレを裏付ける。
どっちが卑弥呼でもいいけど
もう一つの同格の勢力者は名前すら出なくて可哀相
>>140つづき
漢の時代、倭国から誰が朝貢したか? 博多の奴国だ。
だが、魏の時代になって、魏志倭人伝でバレたのは、
その奴国が邪馬台の配下の国に過ぎなかった事だw
つまりは、奴国が漢に朝貢した時、裏に邪馬台が居て
邪馬台は自分は漢の臣下には成らずに、奴国を使って
朝貢の宝物と漢の権威だけ頂いて列島に君臨した訳だ。
では、魏の時代、大乱に負けた邪馬台に代わり列島の
覇権を誰が握ったか? 実は、魏志倭人伝に書いてあるw
博多の港を押さえている謎の存在「大倭」だわ。
港の横の伊都国に一官吏「大率」を置いて、監視・監督。
3世紀に「大倭」... これ、4世紀以降「大和」と改字する
奈良の事だわな。そう。邪馬台の裏に新覇権国・奈良が居た。
4世紀、華北が完全崩壊して朝貢秩序が消失した際、
奈良は、九州邪馬台(発音≒やまと)を滅ぼしその名を頂き、
自らを、大和と書いて「やまと」と名乗る。 みんな古代国家を事大化しすぎなんだよなw
今でいうヤンキー同士の抗争みたいなもんだぞ?ww
研究が進んだ結果として、
マキムク政権は、四道将軍を裏付ける、
崇神天皇=御間城の国であったことが分かる。
この中国地方から関東までの支配者が、
倭国の邪馬台国での副長官であり、
日向生目の豪族より地位が低かった事が、
当時の九州vs本州の力関係を物語っている。
>>143
俺は九州の人間だけど邪馬台国が九州だろうが近畿だろうがどっちでもいい
ただ今のところ魏志倭人伝の記述や出土品などの状況を顧みるに九州優位だとは思う
後世の記述とは言え「邪馬台国は阿蘇山のあるところ」なんて記録もある
この状況で邪馬台国は近畿と主張するのであれば何かそれなりの根拠を示して欲しい >>78
客観的にみたら邪馬台国は北九州。
纏向遺跡はどうみても大和朝廷の遺跡。
だけど初代天皇が南九州出身になってるのはなぜ? 九州説・・・北部九州のローカルな女酋長
畿内説・・・朝鮮南部から北部九州−畿内周辺までの広域国家連合
あとは近年発掘された物証から推測してどうぞ
あのさ。
日本神話でちゃんと天照大御神が描かれているじゃん。
邪馬台国=大和国だし。
どうしてわざわざ日本を矮小化するために九州説を唱えるかな?
意味が分からない。
現代でも九州は毎年大災害に見舞われてんだぜ?
安定した大勢力が誕生するわけねえだろ。
バカか。
>>159
九州から下ってきた封建領主が現地民を手懐けて独立したからじゃね >>161
文字もなかった時代のことを数百年後に書いた記録なんて信用できるわけないだろ 魏志には「其餘旁國遠絶 不可得詳」とある。
北部九州では、成り立たない。
まして大陸側の使者。
丹山あり、橘等とあるから広範囲であろう
共立された王であるから、支配ではない。
邪馬台国スレは毎回盛り上がるな
いつも同じ人達が書き込んでるのかも知れないけどw
>>159
何も矛盾などないよ。
南北朝時代でも後醍醐天皇の皇子が九州で勢力を維持した例がある。
捲土重来の為に九州で力を蓄えるというのは天皇家に伝わる一つの戦略なんだろう。
だからこそ神武帝は河内で大敗北を喫しながらも迂回して熊野から奈良盆地へ侵攻できたんだよ。
元々味方についてくれるような縁のある勢力が大和に存在したってことだよ。
これは大和との血縁がなけりゃ考えられないことだよ。 九州と畿内 同じ地名 同じ名前の山や住吉神社など神社も。支那も皇帝が遷都すると 新旧同じ地名や山の名前になる。『古事記』の東夷伝の記述があり九州から畿内へ遷都はありえる。
>>163
たった400年程度の過去なんて口伝で十分。
それに、別々の人物が作成した古事記と日本書紀の内容がほぼ一致しているという事は、大筋では間違いでない証拠。 >>161
魏志倭人伝を普通に読めばいいわけ
女王が住む北の国々や南の国々、そして女王が住む周辺を現在の地図を見て辿ると見事に北部九州の案内図のように一致する
ただ「不弥国から20日間の航海で、投馬国・但馬に到着、投馬国から10日間の航海で邪馬台国に到着」
ここだけがぶっ飛んで全く違う事が書いてあり不思議なんよな 邪馬台国は丹波氏が支配していた国であり、
高良山周辺の山門八女を都として、
大分宇佐に本州との接点を持つ国である。
卑弥呼と豊も丹波氏の姫である事から、
共立ではない事が分かる。
>>82
不弥→投馬→邪馬台国なのか?
不弥→投馬
不弥→邪馬台国なのか?
不弥→投馬は海路しか記されていないので関門海峡越えて山口県へ。そこから海陸両方でいける岡山が邪馬台国だったりしてね。となると狗奴国は南の香川県で戦争は瀬戸内海で海戦だ。 >>159
日向神話の神が海の向こうからやってくる海幸山幸は赤道付近のニューギニア辺りの神話に近い
西都原遺跡からは太平洋の島々の貝や建築様式の出土物がある
一方で天孫降臨の山岳神話は北東アジアの神話に近い
西都原は大和と隼人が交わる交易拠点だったのではないか なんで邪馬台国だけ、「やまたいこく」なんだ。普通に「やまと」でいいのに。
そもそも、九州の地名と人名しかコンセンサスえられてないのにさぁ
どうしたいわけ?
この現況でこの先どうにかなると本気で思ってる?
とっくに近畿とかナンセンスすぎるのにいまさら旗おろせない
研究者は仕方ないとして、洗脳とけない馬鹿ども見てられないんですけど
>>27
「確かにそれを裏付ける古文書も存在した」
何気にすごいこと言ってない?なんて文書? なんでうちでもあるくらいのそんなヤメ子の闇は、まあ歴史的に見るとその続きでしかないのかもしれないが
邪馬台国ソ連委員長時代ももう終わりだろ
チクシ筑紫土筆はもう契約満期で引っ越しだ極北に近いけど
>>173
九州説の学者が「やまと」とは読ませないんだろうな。
きっと。 >>91
倭国と日本国は別物、それって壬申の乱に勝った天武天皇が日本国と天皇を名乗り始めたことを中国側が王朝の交代と誤認したからでは? >>168
日本の起こりからして国産みとかいうファンタジーで構成されてる書物の何を信用しろと >>169
人々が裸足で生活しており冬でも野菜が食えるとか亜熱帯気候みたいなことが書いてあるからな
これは南方のはずだと思って編者が調整したんだろう
じゃあその南方みたいな記述がどこから来たかというとなんか別のところと混じってる >>154
アホ。戦国時代よりすごい抗争だよ。
邪馬台は、かつて半島南部の倭人と貿易を独占し(特に鉄)、
加えて漢への朝貢を握り、これで列島の覇権を握った。
この過程は、海幸彦(=宗像)・山幸彦(=やまたい)神話
にある。半島で政治工作し、鉄と朝貢を握り、港の支配権を
宗像から奪う様子が描かれる。これで列島に君臨することに。
一方、出雲は九州邪馬台から見て出雲の裏手である因幡に新羅人
=シッラ人(しら兎)を囲い、邪馬台=倭人=ワニン(わに)が
仕切る九州・壱岐・対馬・狗邪(kuja)韓国(=巨済koje島)の
わにん交易ルート上で密貿易して力を付け台頭。
時々バレて、新羅人(しら兎)が邪馬台=倭人(わに)から
身包み剥がされて因幡に逃げ帰った。
「因幡の白兎」の神話は、この出雲隆盛の秘密を今に伝えるもの。
片や、奈良は、ルートは知らぬが、後に百濟となる地域と繋がりを
持って台頭したのは、後の大和朝廷と百済国の関係から自明だわな。
この三者が三つ巴の戦いをしたのが、倭国大乱。
恐らく、この大乱で出雲が滅ぼされ、邪馬台は万事休すだ。
もう奈良の軍門に下る(男王禁止=女王卑弥呼即位)しかなかった。 東遷はあり得なくはないけど、地名まで移さないでしょ。
日本の歴史で首都が移動したことは何度もあるけど、地名まで一緒に移ったことは一度もない。
魏志倭人伝に出てくる邪馬臺は奈良のヤマト以外には考えにくい
>>180
民族史が神話というか言い伝えから始まるのは普通 中国の学者は殆どが九州説らしいね。一つの根拠として牛馬のいない当時の日本に、倭人伝に記述のある諸国から離れた位置に邪馬台国がある可能性はないということらしい。
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は根拠にならないよ。
邪馬台国は魏が公孫氏の遼東を滅ぼすまでは、公孫氏と交流していたんだよ。
邪馬台国は九州説のバカどもが主張するような未開の村国家ではない。
もっと国際感覚を持った国家だったんだよ。
そんな国家が強大な魏国の死者に首都の位置を正確に教えると思うか?
お花畑の自民党じゃあるまいし、国防の事を考えれば嘘を教えるに決まってるだろ。
だから、九州あたりの地名は正確なんだけど距離が離れていくにつれてメチャクチャな地名と方向と距離になっちまうんだよ。
そりゃ嘘を教えたんだからそうなるわな。
それに支那人からすりゃ蛮族の首都の位置なんてどうでも良い話だから、記述も適当になるだろうよ。
そんな魏志倭人伝の中の邪馬台国の位置を金科玉条のごとく根拠にしている九州説はバカ丸出しwww
植物のつくしが成長して変化してスギナになってたのが昔の常識だったのに
今のつくしはスギナに変化できないのか!!
一般の昔から生きてる日本列島の日本人にとっては土筆が変化してスギナになるのが当たり前だったから
変化できないスギナがあるというのがびっくりだ
>>178
江戸時代にすでに九州やまと山門郡でてますけど
そんな基本的なことも知らずになにがやりたいの? >>180
たった400年しか経っていないからこそ、神格化や擬人化が必要だったんだよ。
直系子孫がまだまだ朝廷内にわんさかいたわけだからな。
マジで事実を書いたらヤバい部分を神にしたり動物にしたりと苦労して書いたんだよ。
それくらい空気読めよ。 >>185
人類舐めんな。何万年も前にアフリカから世界中に海も山も超えて拡散してるんだぞ 丹波氏と言えば、丹後丹波出自の氏族と考えられがちだが、
実際には高良山周辺を支配する氏族だったのである。
丹後の天橋立には天女伝説があり、
8人の天女が丹後に絹織物と日本酒の製法を伝えたという。
8人の天女=八女である。
絹織物は弥生後期に北部九州が先進地であり、
ソレが丹後丹波へと伝わったと考えられ、
丹波氏が山門八女から丹後丹波へと移住していった事が分かる。
また、日本酒も丹波の杜氏と呼ばれる技術集団があり、
丹波氏が八女から丹後丹波に日本酒の製法を伝えた事が分かる。
朝鮮半島や中国との関係考えると九州ぽいよね
古事記に出てくる淡路島から始まって後の平城京になったぽい政権は邪馬台国とは別系統だろう
>>171
太平洋ルート。開拓地ではないか?
投馬国は四国、邪馬台国は近畿。
戸数から見るとそうなる。邪馬台国は祭祀中心国家、その後古墳が巨大化する。そこから卑弥呼が共立され北部九州に移動、生涯を終える。 >>188
そんなにそっちが凄い国だったら後の時代にも国名になってるだろ。
奈良のヤマトなんて国名にもなったあげく、大倭なんて当て字を許されてるぐらいだぞ。
本当に九州にヤマトがあるなら、小倭ぐらいの地名にはなってるはず。 >>186
あちゃーw
あんた魏志倭人伝を全然読めてないw
倭国大乱で邪馬台が負けたのを理解してないw
奈良に負けたんだよ奈良にw
それすらも読めてないwww 何故に複数の国が連合したんだ?
卑弥呼を擁立したのは何故??
納得イカンなぁ〜
>>192
名前がコピーされる事はあっても、カットアンドペーストされることはない。 >>198
地域勢力が連合して大きくなるのは世界中どこでも同じ。
社会の発展過程。 >>193
機内と山陽、四国、九州とが交易してたら最も富むのは淡路島だと思う >>190
大量の武器・銅鏡なんぞを人が担いで交易するとは思えん。牛馬が5世紀以降に伝来してから大量の輸送が可能になったんじゃないの?おれは食い物以外の重いものは持ちたくない。 邪馬台国は丹波氏が支配していた山門八女から大分宇佐の範囲であり、
卑弥呼は丹波市出自の姫、倭姫命である。
丹波氏は絹織物と日本酒によって倭国を支配していた集団であり、
熊襲征伐に向かった卑弥呼の弟の日本尊命も、
絹織物と日本酒を用いて、
熊襲に宴会を仕掛けて、
熊襲健を謀殺したこともソレを裏付けている。
三十余国の邪馬台国連合国家は筑紫平野部だけじゃ無い壱岐や対馬、唐津や北九州
佐賀、島原、宇佐、中津、田川、筑後平野にあった国も含んでいたはず。 邪馬台国は越前説があるね
継体天皇やヤマタノオロチと関係があるらしい
>>186
魏が公孫氏政権を討伐した際にその公文書を押収したことにより邪馬台国を含む倭国のことも知っていたってことかな? 数年前に邪馬台国論争番組を見た時は
「学会はほぼ畿内説で決着している。九州説は学者の5%ぐらい。
民間の議論の盛り上がりのために
あえて変わり者の学者が九州説に付いた」って聞いたし、
参加していた複数の九州説学者も否定してなかった
その学者たちは「邪馬台国は九州」っていう結論ありきで証拠を探し続けた
強弁していたら結構事実って歪められていくんだねえ・・・
>>172
都城市歴史シンポジウム「古墳をつくった人々〜墓制から文化の多様性を探る〜」
令和2年3月
【竹中正巳】
骨の研究や最近ではDNAの研究で、縄文人の遺伝的な要素、DNAを色濃く残しているのが北海道のアイヌの人々だということがわかっております。
アイヌの人々の軟組織を見れば、眉が濃かったり、髭が多かったり、そして目は二重であったり。そして耳垢が湿っていたりという特徴があります。縄文時代の人たちもそういう顔つきや体つきをしていた。
縄文人は基本的に日本列島全域でほぼ一緒の特徴を持っていたと言われております。近年では、DNAの研究で東日本と西日本の縄文人の中には、DNAのタイプとしてちょっと違うものがあるという面白い研究等もあります。
私はDNAの専門家ではありませんので、またの機会に譲るといたしまして。縄文時代の終わりから弥生時代にかけて大陸から、朝鮮半島や今の中国の地域から人がやってきます。
そのような人たちは顔が長くて、面長で平べったい顔で、毛は薄い。そして目は一重ということになります。縄文人とは違っていますね。
こういう人たちがやってきて、生活も弥生時代になると、金属の道具とか水稲耕作とか、色んな形で生活も変わってまいります。もう日本列島の人々にとっては大革命です。こういうことをもたらした人たちが、地元の縄文的な人たちと混血をしていくことになります。
そしてどんどん広がって、この人たちの特徴がどんどん後の日本列島の色んな所に広がっていくというのが、現代日本人の成り立ちの大まかなストーリーであると、大方の研究者が認めております。
それでは最後になりますが、南九州の古墳時代人は、ということになります。第1図を見ると古墳時代、地下式横穴墓が分布しています。宮崎平野と内陸の方です。
この都城盆地からえびのにかけての地域というのは、本土の縄文人みたいな感じ、上部中央の写真は菓子野小学校の近くから出てきた人骨です。
上部右側は宮崎の平野部の国富町から出てきた人骨ですが、これは渡来系の弥生人に似ています。
現在の宮崎県域の方は本土縄文人と渡来系弥生人の特徴を持った地域とに分けられます。最後になりますけれど、都城盆地の古墳時代の人々、多様な古墳がいっぱいありますけれど、
今わかっているところでは地下式横穴墓と箱式石棺墓から出てきている人骨から言うと、本土の縄文人に近い顔つき、体つきの人たちがこの都城盆地の古墳時代の主な住民だと思います。
地下式横穴墓(隼人)・横穴墓(大和)
隼人の故地にあたる南九州地方(宮崎県南部・熊本県南部〜鹿児島県)における古墳時代の墓制 には、南九州にだけ認められる地下式横穴墓、地下式板石積石室墓、土坑墓・立石土坑墓があります。
地下式横穴墓は、竪穴を垂直に掘り込んだ後、横方向に水平に掘り広げて、墓室を造ったものです。
最も古いもので4世紀末頃の土器を出土するものがあり、5〜6世紀に築造 の最盛期があり、7〜8世紀頃まで存続して造られています。 ああマシン英雄伝ワタルをコンパスにしたらわかる節もどうだろう
近畿説なら大和政権に繋がる勢力
九州説なら王を名乗った地方勢力
ってだけの話でどちらでもいい
いつもバトってるけど地域おこし的なのでもあるの?
魏志倭人伝の作者がインタビューした倭人が九州出身だったんだろ。
地元の周りの地名は詳しいけど、他は出雲とか大和みたいな有名なところしか知らん。
現代でもよくあることじゃないか。
>>202
当時の帆船技術でそんな瀬戸内の海を頻繁に航海できたとは思えんけどなあ >>197
俺は別に倭国大乱を否定していないぞ?
邪馬台国の位置を言ってるだけだ。
倭国大乱の結果、九州の勢力が大和で卑弥呼を擁立し連合国家を樹立したかも知れん。
そこは否定しないぞ。
ただ、邪馬台国ってわざわざ魏志倭人伝にまで書かれているのになぜ大和国を否定できるのか九州説のバカさかげんに呆れているだけだ。 弥生の人々は丹波氏の作る絹織物と日本酒を求めた。
丹波氏の絹織物は丹後ちりめんとして継承されており、
丹波氏の日本酒は丹波の杜氏として継承されているのである。
>>213
うん、まあ俺もそんなに思い入れはないけど日本のルーツは気になるよね
その点シュメール説とかの方が好きかな >>193
魏志倭人伝の記述では、明らかに海を渡った先、つまり
本州の記述があって、「そこも皆倭種」とだけ書いてある。
本州の状況をぼやかして、倭国大乱の勝者で列島の新覇権国
である「大倭」(←博多港を抑えている謎の存在)の所在地
を隠している。
上に書いたが、邪馬台はこの大乱で負け覇権放棄(男王禁止)。
権力無き権威と成った。
ここまで、ぜーんぶ魏志倭人伝に書いてあるのに、
今の学者先生たちときたらwww >>213
神武天皇は九州から近畿に移ったことになってるから
どちらも大和朝廷に繋がる可能性はあるよ。
あと考古学って大半がどうでもいい話だから。
倭人伝には卑弥呼の墓は棺有り槨なしと記載がある、棺は棺桶のことで
槨は石室の事なので前方後円墳の箸墓古墳は石室があるから卑弥呼の墓では
無い、棺に直接土を被せて造った簡素な墓が卑弥呼の墓である
径百五十歩と書いているのは墓域の事で墓そのものの大きさでは無い >>215
九州説のバカどもの弱点はそこよ。
高句麗が勝利の記念に石碑まで建立するほど当時の倭国は大勢力を朝鮮半島に送り込む海運力を持っていたわけだ。
その海運力が瀬戸内海を往復していたわけだから、畿内も九州も同じ勢力圏内だったと容易に想像できるはず。
そこを理解していないのが九州説のバカどもだよ。 >>215
道路なんてないから手漕ぎボートで海沿いを海路移動するのが早く多くの荷物を運べる。 >>196
なってるだろ、とかなってるはずとか
そんな作文は日記帳でも書いてろよ
こういう間抜けは学問に必要無し! 近畿説は京大の考古学の権威による結論ありきの「そうだったらいいな」ファンタジー
いい加減呪縛から開放されろよ
まだ馬がないから近畿へは行けない→んなアホな
重い荷物は運べない→とっくに巨大な古墳作ってた
当時の技術では瀬戸内海は渡れない→朝鮮にまで大軍を繰り出していた
九州説はこの程度の人が唱えているw
>>213
その考え、どっちも間違い。
魏志倭人伝ちゃんと読めば、そして後漢書も参考すれば、
漢の時代の列島覇権国が邪馬台(九州)だったとすぐわかる。
魏志倭人伝に出てくるのは、漢混乱期の倭国大乱で大倭に負け
覇権放棄(男王禁止=女王卑弥呼即位)させられた邪馬台だ。
大倭とは、後に大和と改字する奈良の事だわな。 因幡の白兎の神話もあれは伯耆国の宇佐氏と朝鮮半島の和邇氏の戦争を人外にして描いたものだからな。
当時の極東アジアの海運力は想像以上のものだったんだよ。
>>223
あれ4世紀末から400年ぐらいだよな。
今のソウル近くまで倭国軍が侵攻してきたとある。
海路を朝鮮半島を西回りしたのは容易に想像つく。 丹波氏の山門八女は仲哀天皇=奴佳鞮の時代に熊襲との戦いに敗れた。
その関係で丹後へと移住していったものと考えられる。
また、生目氏は瀬戸内海を通じて大和へと進出していた。
近畿説の学者の信心深いのには頭が下がります。でもちがうんだよなぁ。
>>208
翡翠、鉄でありうる。或いは連合国家の一つ。
ずらずら、国名が出てくるのは山陰から北陸に
ある国々。水行の2か国(投馬国、邪馬台国)は
太平洋ルート。阿波、宇陀〜三重あたりに丹山あり。 いまだに魏志倭人伝の解釈だけで解決すると思ってる馬鹿の多いこと
学者がそれこそ百年近く議論しても解決しなかったというのに
弥生後期に絹織物、日本酒、鉄、そして大陸との交易を示す数々の銅製品等。
これらの品々が、北部九州を倭国の中心地にする要因になった。
大和マキムク自体は、中国〜関東までを支配していたにもかかわらず、
倭国では中心ではなく、副長官の地位だったのである。
>>217
王卑弥呼の宗女にして、卑弥呼の跡を13歳で継いだとされる女性
台与(トヨ)と読むなら
邪馬台国は
やまとこく だよね >>217
なんで基礎知識もないくせにべらべら中身のないこと
長々かきこできるの? >>98
それ、2004年にホリエモンが受賞した賞w >>12
邪馬台って、昔の中国の発音だとヤマトだよね。
卑弥呼の後継者は台与トヨって読ますのに、なんでヤマタイって読ますのか不思議。 >>235
魏志倭人伝も記紀も正確に記しているとは思えない。後は、出土品。 >>183
地名も東遷してるよ
九州と奈良は同じ地名が方角も同じで複数ある
安本美典の本で詳しく書いてる 卑弥呼は朝鮮人
縄文土人を率いた
そこまでは確定してる
邪馬台は半島南部の倭人を支配下に入れてて、交易を独占し、
加えて漢への朝貢を確保してこれで列島に君臨した。
だが、奈良が百済と通じて鉄を入手して力を付け、
また倭国の経済圏が関東以北まで広がり、経済圏の地理的中心
として奈良が発展してきたのも大きい(関東にも鉄を流してる)。
そして、漢末の混乱を利用して、実力で列島の覇権を邪馬台から
奪い取った。
絹織物、日本酒、鉄、そして大陸との交易を行っていた、
高良山周辺を支配していた丹波氏が、
熊襲との戦いに敗れて、
丹後から畿内へと進出していった。
コレが古墳時代に畿内へと、
倭国の中心地が移動していった所以である。
>>241
皇国史観で
大和が中国に朝貢してたなんて認めたくないから
ヤマタイと無理やり読むようになって大和とは別の国だとするようになった 新羅系の出雲朝鮮王朝が中国地方から奈良を支配していた
九州から渡来した朝鮮人卑弥呼が九州を支配していた
>>244
ちゃうよ。
弥生人(半島の日本語話者)だよ。
だが、卑弥呼は邪馬台末期の人。
しっかり縄文人と混血してたであろう。 耶馬台国がヤマトと名前被りしてるから変な先入観があるんだよな
ツクシコクにヒミコありなら九州の女王で話が済むのに
>>235
それしかないんだからしかたなかろ
記紀は神話レベルの話だしな >>251
つまり朝鮮人をとっ捕まえてガス室ぶち込んでええんやな? タイムマシンか何か無いと断定なんて出来ない。歴史は浪漫。
>>255
ちがう
君の出身が東北や沖縄でなければ君も朝鮮人 >>251
当時、朝鮮人は半島南部に居ないのw
半島南部に居たのは、弥生人=日本語話者だよ。 >>222
倭人伝に引用された元資料は誰が書いたんだろうね。
王の御陵の構造について邪馬台国の官人から聞いたとかそんな感じなのかも。 >>235
だって、学者は魏志倭人伝の肝心の所を
敢えて屁理屈付けて無視するからwww
学者全員がだ! >>197
ヤマト(邪馬台)が勝ったんだよ
その後の統一国のヤマトが、負けた国の名を名乗るわけないじゃん 邪馬台国は大和朝廷では丹波氏の系統として残っている。
倭姫命、神功皇后等である。
投馬国生目が天皇家の男系の本流であり、
吉備の御間城が物部氏の娘と婚姻したのが、
マキムク政権で、コレに婚姻関係を通じて、
入れ替わっていったのが生目の豪族である。
ヤマトは物部氏の系統の言葉でしょ
近畿と九州の両方に居たっぽいから、近畿と九州の両方にヤマトっぽい国名の国があってもおかしくない
>>258
だな。元々半島全域に倭人、大陸・北方民族の
進出で南下だろう。弥生人は、混血種。 大和という文字は歴史の教科書から消えたで
中国が日本を侮辱する言葉が由来だからなんだと
>>257
知らんがな
チョンコというのは、第一に国籍の概念だろ
血筋も重視するけど、せいぜい日韓併合以降以来の血筋でな
つまりだ。在日が帰化しても朝鮮人であることに変わりはない >>266
それは倭っていう小さい人を意味する漢字な
ヤマトは多分物部氏系の神聖な言葉 朝鮮系出雲王朝と邪馬台国は大和で戦うことになるが、お互い朝鮮系の証である天羽々矢を持っていたことで同じ朝鮮人仲良くしようということになった
>>1
あの時代に話し合いですクニができるわけないだろ 邪馬台はヤマト
卑弥呼はピミヲ
ピミヲのヲはスサノヲのヲと同じで王(ワウ)
邪馬台国と大和朝廷は別の国だよね。音が似ているのと神武東征があるせいで関与が疑われるわけで。
>>269
いた
大和には出雲王朝が君臨していた
新羅系朝鮮王朝 俺は昔は近畿説を信じてたけど、今は九州説が濃厚だと思ってる
卑弥呼=天照大神
神武東征=九州から近畿に勢力拡大
邪馬台国(やまたいこく)→大和政権(やまとせいけん)
その他にも日本書紀や古事記の登場人物や物語は合致する点がいくつかあるよ
>>269
太陽信仰の三輪氏の系統と物部氏、和邇氏が融合した勢力が継体天皇の時に天下取ったんだと思うわ >>276
近畿なんてあるわけない
出雲王朝がいたのに 大和中心で考えると、
先ずナガスネヒコの先住の土豪が居た。
そこに奴国の海人族の一派、
物部氏が進出して勢力を張った。
そこに吉備から御間城が入っていって、
物部氏と姻戚関係となり、
マキムク政権を誕生させ、
四道将軍を派遣し、
中国地方から関東まで支配した。
そこに投馬国の生目氏が姻戚関係を通じて入れ替わり、
最後に倭の姫巫女の養子になっていた日本尊命の系統が、
天皇の系統として残った。
>>227
バカか。
卑弥呼の時代に、古墳などない。
時代が300年も違う。
君はまず、中学の日本史から、
人生をやり直しなさい。
そうすればネトウヨ病も治るかもしれんから。 日本書紀に書かれた神功皇后のこの記述が
卑弥呼の100年後の邪馬台国の最期だろうな
(仲哀天皇即位9年3月)17日に皇后は熊鷲(クマワシ)を撃とうと思い、橿日宮(カシヒノミヤ)から松峽宮(マツオノミヤ=現在の福岡県朝倉軍三輪町粟田)に移りました。
(中略)
25日移動して山門県(ヤマトノアガタ=筑後国山門郡=現在の福岡県山門郡)へと到着しました。そこで土蜘蛛の田油津媛(タブラツヒメ)を誅殺しました。そのときに田油津媛(タブラツヒメ)の兄の夏羽(ナツハ)が軍を起こして迎えに来ました。しかし、妹が誅殺されたことを聞き、逃げました。
https://nihonsinwa.com/page/1184.html >>279
魏志には、筑紫も出雲、豊国の記がない。
卑弥呼、壹与の後にできた国。 >>247
関係あるんだわ。非常に。
分り易く言うと、豊臣家と徳川家の関係みたいなものたが、
これとは大きな違いがある。
九州邪馬台は、漢の時代に歴史的権威として確立しており、
その権威を4世紀に奈良が継いだという点だ。
そしてこの邪馬台の権威が今日にも繋がっているということ。
女王卑弥呼は、2C末の倭国大乱に負けた邪馬台の、権力放棄の
象徴として即位したが、しかし、権力無き権威となることで、
その権威は、世俗の権威から汚れ無き権威・不可侵の権威となった。
4世紀、朝貢秩序消失の折、奈良が邪馬台を滅ぼしその権威を奪う。
が、結局は、卑彌呼(&臺與)を天照大神に昇華し、奈良の権威の
祖先神として祭り上げるしか選択肢はなかったのである。
かくして、漢の時代に確立した邪馬台の権威が今日まで続いている。 >>257
本土で最も縄文人に近いのが鹿児島(枕崎)なんだが >>284
奈良にも権力無き権威になった三輪氏の系統が居るからな
天皇家は本当はそっちの系統だけど、中国からの属国のお墨付き貰ってたの邪馬台国の系統ってことにしといた方が
属国時代は都合が良かったからそう見せかけてたんだろう 俺みたいな素人は東遷説に合理的で魅力感じるけど
何か考古学的裏付けが全然取れないらしいね、あれ
>>276
神武東遷は、九州から近畿に勢力拡大ではない。逆w
漢の権威に依るところが大きかったのが九州邪馬台(やまと)
の列島覇権。だが漢の衰退期に倭国大乱が起き、奈良に敗れた。
魏志倭人伝では、大倭なる謎の勢力(=奈良)が博多の港を支配
している。魏には、あたかも邪馬台の配下の勢力か何かの様な
説明をしているが、所在地も記載のない謎の勢力であるw
そもそも倭国代表という名目で朝貢した邪馬台、その配下が
邪馬台を差し置いて大倭を名乗る筈もなく、新覇権国・大倭の
正体を隠す偽装だとわかるわなw
4世紀の朝貢秩序消失の折に奈良が邪馬台(やまと)を滅ぼし
その権威を継ぐわけだが、それに際して、その権威簒奪を正統な
ものとする為に作った架空の神話、それが神武東遷。
なので、東遷神話の中身には大陸のパロディーとか結構ある。
三本足の烏とかw 卑弥呼の弟は垂仁天皇の子供のヤマトタケルが、
丹波氏の倭姫命の養子として入ってきた事を意味する。
コレが天皇家として残っていくので、
邪馬台国は大和として変化して残っていくのである。
三種の神器出土地
年代順 遺跡名 所在
1. 吉武高木 福岡市西区
2. 三雲南小路 福岡県糸島市
3. 井原 福岡県糸島市
4. 須玖岡本 福岡県春日市
5. 平原 福岡県糸島市
弥生時代の三種の神器の出土地は
総て福岡市近郊であり、奈良は勿論
佐賀の吉野ヶ里や朝倉市の平塚川添遺跡
からも出土していない
要するに天皇家は福岡市西区が発祥地と言う事だ 出雲系は正当な日本国の統治者である証である十種神宝を所持していた
裏切りによって日向系に大和を乗っ取られてしまったが、十種神宝は裏切りの朝鮮土俗日向族には渡らなかった
したがって日向系は永遠に正当な日本の統治者とはいえなくなった
ゆえにん天皇も出雲の地を踏むことはかなわない
>「筑紫平野に限ると、邪馬台国のスケールが小さ過ぎる」との批判もある。
小さかったんだろ
連合国の中に阿蘇の蘇の字が入っている国が多いし
それでも狗奴国に苦戦しているし
魏に援軍を求めても金印で魏の権威付けに使われただけで
結局あしらわれているし
周囲が300~500kmの島にあったという記述から四国説もあり
>>287
いや、属国じゃないんだよ。
あれと同じ。徳川や薩摩が、琉球を清に朝貢させたのと。
漢の時代、奴国が朝貢してる。だが魏志倭人伝でバレるのが
奴国は倭国盟主でも何でもなくて、邪馬台支配下のクニだった事w
邪馬台は自ら朝貢せず、つまり、自分は漢の臣下には成らずに、
配下の奴国を朝貢させ、それで朝貢の利を得て列島に君臨した。
漢末、倭国大乱で大倭(奈良)が列島覇権を握ったが、
同じく偽装し、漢の時代の旧覇権国で大倭(奈良)の軍門に
下った邪馬台を倭国代表の名目で魏に朝貢に出した。
巧妙なやり方で、倭国は、大陸の属国じゃなかったんだよwww 日向の豪族が大和に東征したことは間違いない。
なぜなら、宇佐の山手に、神武が東征の際に逗留した地が、
妻垣として残っているからだ。
妻という、日向より古い宮崎の呼び名で、
記紀に残っていない地名で、
妻の豪族が宇佐に垣を作って逗留した地として、
伝承として残っているので、
記紀から後付で作った地名ではない事が分かり、
すなわち、実際に、妻の豪族が
宇佐に垣を作って逗留して、
大和に進出していった事が間違いない事になる。
>>161
神話では天皇は九州出身で東征して奈良に移ったと日本の正史に記述されてる訳だが。
日本の正史で九州からの東遷と言っている以上、昔の首都が給料にあっても何もおかしくはない。
ヤマトと呼ぶ地名
上山門、下山門・・・・福岡市西区
佐賀市大和町(吉野ヶ里の隣町)
福岡県みやま市山門町(旧山門郡)
柳川市大和町
熊本県上益城郡山都町
飛鳥と呼ぶ地名
福岡県小郡市井上字飛嶋(旧飛鳥)
奈良と呼ぶ地名
福岡県田川市奈良(後藤寺駅の裏側)
福岡県朝倉郡筑前町奈良 >>293
地政学を考えると、邪馬台起こりの地は日田盆地しかない。
そこから筑紫平野を支配し、最後大宰府を越えて港を支配下に収めるのは、
半島での政治工作が必要だった。
この政治工作のプロセスは、海幸彦・山幸彦の神話に描かれている。
神話の中で出て来る釣針=鉄輸入利権、玉=朝貢する権利の隠語で、
この二つを握って、港の旧支配者から港と地域覇権を奪ったことが分かる。
この一部は、天照とスサノヲの誓約に再掲される。スサノヲの剣を天照が
噛砕き宗像三女神が生じることから、港の旧支配者で邪馬台の軍門に下った
のが宗像だと分かる。
あと、邪馬台は二世紀末の倭国大乱で大倭(奈良)に大乱で敗れ、
新覇権国・大倭(大倭)から朝貢に行かされている。
邪馬台が魏に援軍を求めにいった訳では無い。間違えなや。 古代日本を調べるのも中国の歴史書頼み
未開国の悲しさだな
>>300
焚書文化のせいだと思う
古事記なんて最古のものが1392年の写本だぞ
オリジナルを大事にしてたら原本の方も残すよな? 素直に読めば九州以外は無いよ。
なんでいきなり畿内に飛ぶんだよ?
筑紫平野か熊本平野かどっちかだ。
記紀が編纂された時代のヤマトの北限が宮城県大崎市、南限が宮崎県西都市と思われる
記紀に邪馬台国の時代の出来事が記録されているし、
各地の伝承も弥生時代のものが残されているのが、
日本の歴史の奥深さを物語っている。
邪馬台国がどこにあったかは重要だが、決定的に重要とまでは思えない。
邪馬台国でも領土は拡大や縮小していただろう。
やはり決定的に重要なのはヤマト王朝との関わり。
卑弥呼が日の巫女の連想から天皇の先祖である天照大神とされている説のように全く無関係とは思いにくい。
せめて全国にある天皇陵の考古学調査を大々的にやってもらいたいものだ。
宮内庁が不敬だと発掘調査を禁止しているらしいが建前だと思う。真の理由は何んなのか気になる。
吉野ケ里のすぐ南から貝塚が出たから
当時 筑紫平野は海だったんじゃない
例えば天橋立の天女伝説等は、
ボーッとして聞くといつの時代のことか、
考えもしないが、
この天才の私が聞くと、
ああコレは弥生時代後期から古墳時代にかけて、
絹織物の製法が、北部九州から丹後の地に伝わった事なのだなと分かる。
チンクが俺たちのもんや〜言うて主張すんのは精々九州までだろうからな
今でいうとこの尖閣諸島
奈良まで自国だ抜かしたらぶっ殺されとる
例えば正月明けに鏡開き、鏡割りという行事がある。
なぜこの丸い餅を割るのを鏡割りというのか、
ボーッとしている人間にはサッパリ意味不明だが、
天才の私にかかれば、コレが弥生時代〜古墳時代にかけての、
破鏡が元になっている事が分かるのである。
うわ、弥生発祥の文化が、こんな所に、
ハッキリと残っているのだなと、
驚かずには居られないのが、
日本の歴史の奥深い所なのである。
大和の三輪氏と関連性が強い住吉って言葉とか宗像三女神は九州ルーツっぽいし
大和と九州の巫女輩出氏族は両方同じ系統だろう。物部も近畿と北九州の両方に居たようだし
邪馬台国が奈良でも北九州でも正直大差ない
>>28
最後の「陸行一月」はどうなった?
その地図で最後の地上数キロを、一月かけて歩く訳? 日本の文系学部は妄想を言ったもの勝ちになってるな。
丹波の杜氏も邪馬台国が起源、
丹後ちりめんも邪馬台国が起源なのである。
えええと、ここにも弥生が受け継がれているのかと。
見る人が見れば、弥生が現代に残っている凄さに驚かずには居られない。
中臣鎌足、藤原不比等と百済に異常に肩入れした天智天皇が胡散臭いんだよな
この辺の出自を誤魔化す為に焚書しまくったんだろうし、今でも発掘調査がまともに出来ないのはそこだろう
>>28
コレは邪馬台国の範囲は、
東西は大和八女から大分宇佐で、
北限は筑後川、南限は隈の国、
水行10日は宇美から宇佐大分で、
陸行1ヶ月は宇佐大分から約150キロ、
日田を経由して山門八女に変更してくれ。 >>316
はるか前縄文の話だろ。
弥生は縄文から下がって今より低い。 吉備の御間城がマキムクに入って中国地方から関東まで制していたが、
倭国の地位自体は副長官で、日向宮崎の生目の方が、
倭国での地位は高かった。
そういう時代だったのだよ。
>>28
投馬国が邪馬台国より南にある時点でもうあれ
遠絶余傍の国々がどこか知らんが邪馬台国にも奴国にも近そうだし 遺跡は、マキムクの外来土器が、
御間城の四道将軍で制した範囲と一致する事で、
記紀の確からしさを証明していると言える。
>>22
やっている人達にとっては、言い争うのが楽しいのです。
世間には他人を貶し、罵り合うのがいちばん楽しいという人も大勢いるのです。
現にこの掲示板にも大勢いるではありませんか。 この歴史隠蔽国家で邪馬台国論争だけやたら盛んなのは、そこは掘り下げられても支配層には痛くも痒くもないからだと思うわ
筑後川に橋がかかったのは現代の話であり、
近代までは渡河出来ない難所であった。
奴国から直接南下する事は出来ず、
宇美、宇佐、日田経由で山門八女に行くことになる。
その経路はまさしく、宇美から水行10日、
宇佐から陸行1ヶ月であり、
魏志倭人伝の経路が宇美からの経路であることが分かるのである。
陸行1ヶ月は、唐書に倭国は東西5ヶ月、南北3ヶ月と、
ハッキリ明記されているので、
古代の陸行1ヶ月は150キロ程度の距離と分かっている事である。
ココに議論の余地はない。
>>1
いや呪術的な意味での強さてな概念が支配的だっただけじゃね?
それが近現代でいうところの国力とは別次元の基準であるだけで
お話し合いで女王が選出されたとかおめでたい話じゃないと思うが。 >>318
大きく分けてふた通りの説がありますな。
一つは畿内から邪馬台国とは別個の新勢力が勃興して九州も制圧したとする説。
もう一つは九州の邪馬台国が大和まで移動して大和王朝ができたという説。 仲哀天皇=奴佳鞮が熊襲に敗れた事で、
丹波氏出自の高良山周辺が熊襲に占領されてしまった。
このとき、丹波氏は文字通り、丹波に移住していったのである。
そして仲哀天皇は元々生目氏の子孫だったので、
畿内に進出して、生目氏の王朝を継承した。
コレが弥生の日本の歴史だろう。
伊都国人のブラフだよ。
オレのバックには大国があるんだわ。
のちの修羅の国のチンピラである
(´・ω・`)
雲梯(うなて)と呼ぶ地名
福岡県朝倉郡筑前町雲梯(旧夜須郡雲梯郷)
奈良県橿原市雲梯
※雲梯と呼ぶ地名は全国で二箇所しかない >>305
魏志倭人伝と後漢書から、漢に朝貢した奴国の裏に邪馬台(やまと)
が居て、これが列島の真の覇権国だったことが窺える。
2世紀末の倭国大乱で、この歴史的権威・邪馬台を下し権力を奪った
のが大倭(=これ奈良でしょ!?)だと読める。(魏志倭人伝)
だが、邪馬台(=卑弥呼)が権力無き権威に落ちたことで、却って、
世俗から離れ、汚れ無き権威・不可侵の権威となったと思われ。
4世紀、大和朝廷成立。邪馬台(やまと)を滅ぼしその権威を継いだ
訳だが、その際、邪馬台(やまと)の汚れ無き権威の象徴・卑弥呼を
天照にまで昇華させ、大和朝廷の権威の根源に据える以外に選択肢は
無かったということだわ。
これこそが、今の天皇につながる、我が国の歴史的権威の源泉だわ。
漢の時代に確立した邪馬台(やまと)の権威が、形を変え今に伝わる。 生目氏は日向投馬国の西都原の狭穂彦の乱を制し、
宇佐に垣を作って陣を構えて邪馬台国の長官に収まった。
そして吉備の豪族と婚姻関係を結んで、
マキムク政権の御間城とつながり、
大和へと進出していった。
で、御間城との子の一人を丹波氏の養子にした。
それが卑弥呼の弟、倭姫命の甥のヤマトタケルである。
で、生目氏の直系が断絶した際に、
ヤマトタケルの丹波氏の系統が、
天皇に収まったのである。
南、邪馬台国に至る。水行10日、陸行1ヶ月
これは、まとめとして本国からの総距離を記したんだよ。
>>305 (337補足)
あと、卑弥呼の名前の意味だが、
周辺国王の名や邪馬台内の国の長官の名の多くが、
◯◯ひこ=太陽の息子
なので、これとの対比で考えると
卑彌呼=ひめこ(今の音に変換)=太陽の娘
と考えるべきかな。 卑弥呼は神からの言葉を預り伝える預言者だったんだろな。
それはやがて大和朝廷に引き継がれ二上山、伊勢神宮などの歴史を生む。
>>289
その考え方だと、現代人の都道府県別のミトコンドリアDNAの研究結果と符合しない。
宮崎から大分、そして和歌山や三重から奈良に入ったと考えた方が、
現代人の都道府県別のDNAの縁戚関係を考えると、矛盾がない。 >>1
三十国じゃなくて、
三十邑ね?
つまり村の数が30
ということは、同じ一族が30ってことなので、
30家族程度ということになる
まあだいたい村100人という今の基準でも3000人程度 まあ日本で初めてどんぐり食から米食に変わったのが福岡だからな
神武→日の御子(みこ) 太陽神の御子
卑弥呼→日の御子 ひ・みこ
>>342
中国人が汚い字を当てたから違うんじゃね。
卑弥呼=ひみこは日本読み。
卑弥呼を中国人は何と読むんだろ? >>342
巫女は当て字で、元の意味は御子。
敬称の接頭辞・御(み)が名前の中に入ることは無い。
固有名の後に位を示す語を付加する場合に
◯◯の皇子(みこ=御子)の様になるが、
一般名詞の日(ひ)の後に御(み)が入ることは無い。
もし名前の中に御(み)が入るとしたら、周辺国の男王たちの名が、
◯◯ひこ(日子)じゃなくて、◯◯ひみこ(日御子)でないとおかしい。 >>350
当時の音は、ピミク に近い。
ちなみに、日本語にヒの音が現れるのは江戸時代w >>352
卑字で馬鹿にされてるのに気が付かないジャップ こんなのどう考えたって九州のどこかに決まってるのに
近畿説の学者もバカじゃないんだから
近畿説なんて無理筋で九州だって内心分かってるくせに
金のために糞みたいな妄想こねくり回して
近畿説でっち上げ続ける学者人生で終わっていくなんて虚しくないのかね?
ほんとバカ
まあなにしろ九州以外は無い。ありえない。すっ飛びすぎる。
>>356
馬鹿を通り越して”犯罪"だと思う。
”研究費詐欺”だよ。
法的な話じゃなく、あくまで俺の中の基準での話だが。 >>355
昔から知ってるよ。
倭や邪馬台国も汚い字が当てられている。
中華思想で朝献国に汚い字を当ててきたんだから仕方ないだろ。
文献にはそれしか遺ってないんだから。
中国国内、朝鮮半島にもそんな地は腐るほどあるがな。 伊勢神宮で祭っていたのは韓神
韓神を祭れるのは本来出雲系だけだ
神宮の起源は新羅の王ヒョッコセの廟である
>>356
>近畿説の学者もバカじゃないんだから
・・・
>ほんとバカ
どっちやねんw >>28
不弥国と侏儒国が違うね
不弥国は旧糟屋郡+能古島(淤能碁呂島)
不弥国は宇美国で宇美は海の語源で、元々は博多湾のこと
海の中道は宇美の中道
侏儒国は高知西部の幡多のこと
ワダツミとは幡多つ宇美
邪馬台国の卑弥呼はヤマトのヒメミコと読み、
=倭姫命の事である。
熊襲との戦いで弟を派遣した姫は倭姫命しかいない。
>>751
つまり女性としての固有名詞ではなく
日女子で、女性の御子ってだけの意味?
中国などでもほとんど女性名残さないから
そうなのかも、と思ったが。 今くらいボヤけてるほうが浪漫があってよいね。知れば知ったで、面白く感じなくなるかもしれない。人類は未だ黎明期。
水行10日、陸行1月
まとめとして本国から距離を記した。どう?
>>355
日本人は「ありのままの歴史」を大事にするからな
チャンコロやチョンのように自分らにとって都合がいいように「あるべき歴史」に歪曲しない
日本人は思想にチャンコロやチョンのように「こうであってほしい」という願望いれないから
誠実な日本人だけ基本やファクトを冷徹に突き詰めるからノーベル賞が取れるんだよ
お前らバカチョンみたいに面子ばっか気にしてるからノーベル賞はおろか
いつまでたっても統一できないんだよwww >>367
不可
陸行一月は陸行一日の単なる後世の写本の時の写し間違い 太陽信仰は基本的に新羅のものだ
出雲から近畿まで明らかに新羅文化圏にあった
そこに土人文化しかもたない勢力がやってきたことは明らか
バカチョンはワイ(サンズイに歳)族と呼ばれてたなwww
乳掘り出し小便洗顔民族には勝てませんわwww
>>364
それぞれ全部で固有名詞だよ。
○○ひこ(日子)=○○ + 太陽の息子
ひめこ(日女子)=太陽の娘 >>365
御井だよ
山門が発祥の地
邪馬台国とはヤマト国で山門国のこと
卑弥呼のとき筑紫平野の軍事的要衝である御井に移動した
その後甘木・朝倉に移動した(安本美典の言う邪馬台国)
最後は奴国と融合して太宰府に京を置き(倭京)そこで滅んだ
>>372
弥生人(半島中南部)の文化が太陽信仰。
新羅は北から弥生人を吸収した国。
新羅の言葉は語彙的に日本語の影響が一番強い言葉
と推測されてる様だ。 >>375
ありがとう。
この場合は卑弥呼の事として考えた。 >>372
エジプトもマヤも太陽信仰だった
別に特別でもない
陸行一月は陸行一日の写し間違いな
陸行一月はもういい加減言うのを止めろ
間違いなんだから
駢儷文で十日だの二十日だの言っておいて三十日だけ一月と書くなんて100%無い
必ず陸行三十日と書いたはず
陸行一月は間違い
それに、ろくに橋のかかってない三世紀に
陸行一月する場所がそもそも日本には存在しない
ひみこは女御子(ひめみこ)で祭祀女王のことをそう呼んでたんだと思うわ
日子って名前は無数にあるけど日女子なんて名前は全然残ってないしな
太陽と重ねて崇拝させてたのはたぶん男王の方
>>381
はい、そうです。
卑弥呼=ひめこ(今の音に変換した場合)=日女子=太陽の娘
と考えないと、他の王の名との論理的不整合が生じるわけです。
陸行一月は陸行一日の写し間違いな
陸行一月はもういい加減言うのを止めろ
間違いなんだから
魏志倭人伝は駢儷文だ
駢儷文で十日だの二十日だの言っておいて三十日だけ一月と書くなんて100%無い 考えられない
必ず陸行三十日と書いたはず
陸行一月は間違い
それに、ろくに橋のかかってない三世紀に
陸行一月する場所がそもそも日本には存在しない
荷物も多かったろうし有明海から入るルートもありかな。
あるいは場所を正確に教えないためか?
>>388
KKは米国で奨学金を不正搾取した疑いで逮捕されてるとか
あと不正入学とかも取りざたされてる
確かにKKだけ卒業式に出てない 新羅というか朝鮮半島は祖霊崇拝とか自然崇拝なんじゃないかね。
檀君神話に見られるような熊をトーテムにしたような
痕跡が見られるし。将軍標などの文化も残ってる。
>>388
それでいいと思うけどな
日本の歴史は多分天皇家どうこうよりずっと奥が深い
あと、魏志倭人伝は伊都国基点の放射読みな
邪馬台国は伊都国から水行十日、陸行一日で伊都国の南
御井以外考えられない
邪馬台国は御井だ
卑弥呼つまり天照大神の親に当たるイザナギとイザナミは淡路島なんですがw
淡路島から九州は結構ありますなwww
>>379
youtubeの邪馬台国系の動画見ても、学者が畿内説有利ということに対して
「学者は利権があって〜〜素人のほうが正しい意見が言えるから俺の感覚があっている」
ってコメントであふれかえってて笑うわ
学問全否定、ポルポトかよw >>343
いい加減ミトコンドリアDNAとかで調べるのやめてほしい
そんなの日本だけ
世界はY染色体で調べてるから むしろ何で苦しい解釈をしてまで畿内じゃなきゃいけないのか?
筑紫平野説だと投馬国の扱いに困るんだよな
博多湾岸
↓南
投馬国
↓南
邪馬台国
この基本形を満たし、かつ文化的経済的に一つの政治的まとまりとみなし得る場所の南限は熊本中部までかなと思う
熊本平野を邪馬台国とすれば、地理条件は他のどの場所より整合的になる
>>386
当時の日本には文字がなかった。
中国人が一方的に呼び名から当て字したんだろ。
日巫女と卑弥呼の発音が一緒だったなら、その説を信じたい。 >>28
都というより司令部じゃね、筑後山門
ヤマト軍が司令部置いたから地名が山門になったとか >>401
筑紫平野説だと、戸数はどう解釈するんだろうか 連合国のトップとして野心のない女を象徴として祭り上げたのは理にかなってる。
魏からの使いは二度と来ている
一度目は倭国大乱が終わったばかりで物騒だから伊都国に止まって、近くの奴国と不弥国は分遣隊を出し
それ以外は倭人からの伝聞で記事を書いた
二度目は邪馬台国まで来ている
距離が一万二千余里と二種類あるのはそのせい
帯方郡から伊都国まで一万と五百里と±α
伊都国から太宰府通って御井まで千里くらい
ピッタリな
邪馬台国は御井だ
一ミリも疑いはない
「童貞のくせにバカにしやがってよぉぉぉ!!
何がクニだよ クンニしろオラァァァ」
>>165
あーでもねーこーでもねーとくだらねー雑学ひけらかす文系バカの妄想ですよw
何年も何年も同じことのループでまるで生産性なし
そんだけ九州と近畿が疑わしいなら
実際にショベルカーでガガガとほりまくればいいのに
絶対にやらない
いつまでもどっちでショーってプロレスやってるだけw
魏からの使いは二度来ている
一度目は倭国大乱が終わったばかりで物騒だから伊都国に留まって、近くの奴国と不弥国へは分遣隊を出して距離を測らせた
それ以外の距離や方向は倭人からの伝聞で記事を書いた
二度目は邪馬台国まで来ている
距離が一万二千余里と二種類あるのはそのせい
帯方郡から伊都国まで一万と五百里と±α
伊都国から太宰府通って御井まで千里くらい
ピッタリな
邪馬台国は御井だ
一ミリも疑いはない
>>182
すげー
これまで自分が支持していた説が
まとまってる+大陸の絡め方ですっきりした。ありがとう >>396
それただの間違いな
大体イザナギだろアホが >>300
いや、竹内文書や日月神示とか神武天皇以前のことを記した書物があるんだが
日教組に支配された今の歴史学会は本気で調べようとしない
前提から間違ってるんだよ この説を詳しく紹介した番組をBSで
見たが学会でも有力説だって言ってたぞ
>>384
ひめ は ひめこ の省略形です。
め(女)を めこ(娘)の意で使うのは、
むすこ = 産まれた児(こ児=男児が基本)
むすめ = むすめこ = 産まれた女児
をとこ = 若い児 (こ児=男児が基本)
をとめ = をとめこ = 若い女児
でも見られる用法です。
男王で「卑彌弓呼」の名があります。
今の音にすると、おそらく「ひめㇰこ」
平安風に書けば、ひめつこ
今風に書けば ひめっこw
ひめ=ひめこ=太陽の娘(女王を暗示する名)
ㇰ(=つ・っ)は、詰まる音。助詞の「の」に相当。
つまり、
ひめㇰこ = ひめ(≒女王)+ っ(=の)+ こ(=息子)
「女王から位を継いだその息子である王」と誰もが分る名
イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
国産み神話には狗邪韓国がないw
>>414
ソースないのに勝手に「間違いな」で
捨て台詞がアホとかwww >>410
天皇家が無くなれば発掘調査やりたい放題かもな
アマテラス(一部の脳内では=卑弥呼)なんていう蜃気楼みたいな掴みどころの無い存在が日本の最高神てことになってる状態が不毛過ぎるんだよ >>419
イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
国産み神話には狗邪韓国がないw
これ邪馬台国論争っていうより邪馬台国商法だよね
どんだけくだらなくともこれなら一定数本が売れるってネタ
>>412
ちなみに、卑弥呼は韓国からの渡来人であるということも分かっている
参考にするといい 天照大神は伊弉諾尊の子神
伊弉諾尊は妻の伊弉冉尊とともに別世界の巨大神たちの命令をうけて日本列島を構成する島々を生んだ
昔、「ブッシュマン」という映画があり、主役のニカウさんが来日した時の通訳が4人いたw
日本語→ 南アフリカ語→スワヒリ語→ブッシュマン語とリレーで訳さないと意思疏通かできないから。
道案内は邪馬台国の人間がいたんだろな。半島の人間もいたかも。魏の国の役人は旅の疲れで記録もアバウトになったろうし、通訳のリレーで間違いもかなりあり迷ったかも。邪馬台国の人間もそれほど旅慣れしてなかったらルートを間違えることもあっただろな。
しかも、魏志倭人伝はリアルタイムじゃなく西晋の時代に過去の文献を漁り書かれたから間違いもあるだろな。
>>421
淡路島には伊弉諾神宮ありますがwww
宮司に喧嘩売って来いよwwwwwwwwwwwwww >>44
27が出鱈目で畿内説が定説だったのは合ってるがそれ以外のウヨサヨが逆や
昭和天皇の教育係等を勤めたりしてた学習院ー東京帝大の白鳥庫吉を始めとする東京帝大文献派が(要は明治政府の御用達学者が)九州説を広めたんだよ
そして京都帝大で畿内説を唱えてた実証学派の内藤コナンら(政府から嫌われてた)との論争が始まったってわけ
ここ最近の5ちゃんで全く逆の事を言う変な人達が後をたたないのは何なんだよ… 悪いが筑紫平野は国境線
中九州との38度線だったんだよ
国なんか存在しないしできない
>>1
もともと日本人は韓国人の子孫
渡来したときの経路を考えれば、畿内説は当然のように否定される
日本の国のルーツは韓国によって北九州地方にもたらされた
それが今の最有力説となっている <はじめに>
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46
大給松平家菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
>>431
根性なしwwwww
どーせ何も言えないくせにwwwww
ここで論破論破とマウント取るだけが生きがいのしょーもないん文系バカwwww
くだらねー妄想をエンドレスに垂れ流すしかできない文系バカwwwwwwwwwww >>44
ウヨサヨ全く関係ない
畿内説は考古学的にも文献的にも否定済みなだけ
可能性が無い 完全にゼロ
間違いだから間違ってると言ってるだけ
ジャップが文字すら使えずに卑弥呼サマーと言って占いで国家運営をしたり炭酸飲んで山手線ゲームをしている時代に
中国人は投石機を使った戦争をしてたんだよね
>>433
妄想エンドレスに垂れ流すなキチガイ
はい、論破w >イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
>国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
>国産み神話には狗邪韓国がないw
これで論破とかw
証拠ウスーwww
ホラビビってないで
伊弉諾神宮の宮司に喧嘩売って論破論破行って来いよ
根性なしwww
九州説有利と習った世代です
いつのまにか学会が畿内一色になっててビックリした
その姿を映したのだろうか 銅鏡よ
たった二千字の文字が伝える卑弥呼の伝説
ひと齧りの甘さが古代へいざなう 我が心の 卑弥呼の詩
>>435
縄文時代や神代文字がありますが
縄文土器は世界最古です
チョンには無理だろうなw >>438
邪馬台国畿内説は纒向学と名前を変えて
邪馬台国論争からは遁走、敗走
>>430
なら日本人は今も昔も朝鮮語を話してる
それはありえない
むしろ日韓併合の影響で韓国の方が日本語に真似ている >>1
どうもこの古代史研究全般的傾向については
文献からロジックをくみ上げる場合は北九州説が支持されるととらえる説が多く
発掘された現物をもとにロジックを組み上げる場合は畿内説が支持されるととらえる説が多い
という特徴があるような気がする >>412
神話ってすごいだろ?
政治の機微に触れるので口にするは憚られる史実が、
ちょっと頓智で変換して、見事に描かれてる。
上で書き忘れたけど、海幸彦・山幸彦の神話では、
兄・海幸彦(港の旧支配者・宗像)から借りた釣針(鉄)を
山幸彦(やまと:邪馬台)が無くして、海神の宮に渡って
そこで貰った(半島で政治工作して得た)釣針(鉄輸入利権)
と玉(朝貢の許し!)で兄・海幸彦を懲らしめた
(港の支配権・地域覇権を奪った)という話。
この神話、エグ過ぎるわw >>435
古ければ良いってもんじゃない。
中国と韓国の40年前を考えてみろw >>420
もう飽きがきてんだよ
ここで論破論破でテメーで勝手にジャッジして
マウント取るのが生きがいの文系バカどもの妄想聞くのなんかよ
口ばっかで行動力ねーしいっこも進展しねーし
外人なら合理的にショベルカー持ってきてガガガと掘り起こして一発なんだわ
もう日本人のあーでもねーこーでもねー妄想合戦にはこりごり 仮に魏志が指す邪馬台国が大和だとしても
卑弥呼(アマテラス)が住んでいたの日向の国。
大和朝廷の正史(古事記、日本書紀)ではそう
なっている。
>>437
イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
国産み神話には狗邪韓国がないw
はい、論破w
>>451
涙拭いて糞食ってろよただのバカw
はい、論破w >>449
別に古ければ良いなんて話はしていない
韓国の話もしていない、40年前の話もしていない
1700年くらい前は技術も文明水準も大幅に遅れていたという事を言っている >>5
DHCの
吉
田
どうせならこっちの方を攻めろよ >>453
もう壊れたラジオはいいから
早く伊弉諾神宮の宮司に喧嘩売ってこいよ
論破論破とマウント取って来いよwww
根性なしwwww
俺はもう飽きがきてんだよ
お前みたいなしょうもない話を金科玉条のように
あげつらってテメーの都合のいい方向にミスリードする文系バカによw
早く行ってこい根性なしw >>452
間違い
そんなことどこにも書いてない
邪馬台国は御井 >>454
論破論破とか
テメーでジャッジして
アホか
御井郡からは吉野ヶ里級の環濠集落は出土していないにも
関わらず卑弥呼の宮殿があったと書いているのは
妄想以外に他ならない、妄想御井邪馬台国説だな 妄想好きのトンデモたちよ。 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」でとっくに決定済み だと何度言えばw @阿波
九州を平定して治めてるのが邪馬台国だっただけなのでは?
卑弥呼が神格化されすぎてるだけな気がする
>>461
邪馬台国は御井でよい
根拠がないのはお前w
はい、論破w >>464
壊れたラジオ
根性なし
早く行ってこい
論破はテメー自身が言うもんじゃない
第三者を入れて客観的に判断するもんだ
文系バカは分からんかwww 奈良の大和朝廷は
後漢の時代ごろからシナと漢字の文書で交流してて
その使いが日本に疫病を持ち込んだのと
漢が日本に朝貢を求めて来たので
帝が癇に朝貢すると国家としての格が下がるので
神様を御所と分離して神様を祀る斎王を設けて
もう一つの権力として二重外交でシナとの外交にあたったのでしょう。
その流れで魏の国とも同じような外交を続けてたのだと思います。
他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波
>>465
あの時代に九州平定なんてファンタジーだろう 自分の出身地に邪馬台国を誘致したい衝動は
何処から来るのか?
>>407
会稽の東となっている。
会稽と同距離としたんだろうね。 鎌倉や札幌みたいにその時代に人工的に作られた町=クニとすればやっぱり近畿だよね
>>6 >>17
九州王朝説の古田派の幹部はほとんど近畿出身だな
古田自身は福島出身 差別用語で嘘ばっかり書いてる中国の歴史書を信用すんなよ
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州・畿内に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 @阿波
>>469
お前のはゴミ情報だから
信じちゃだめだよなw
はい、論破w 畿内説で確定なんだから九州派はいい加減悪あがきはやめろよ
>よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。
よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域は、当時の鉄器王国「阿波」からの被鉄器供給地域であったと見なせます。 @阿波
>>472
近畿に誘致したがる京都大学に聞いてみろよ
「予算の関係で仕方なく学問放棄してます」って白状するから >>469
なら邪馬台国が存在していた事も否定することになるな >もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
重量厚型の畿内第V様式弥生土器に、西日本各地に及ぶ文化的斉一性など認められない。
もとより「東阿波型土器」様式圏の文化的斉一性は、交流圏の中心が「阿波」に存在したことを示す。 @阿波
そういや、邪馬台国スレでは「論破ああああ」って連呼するおっさんをいつも見かける^^;
単純に、大陸に近い九州説が有力と思うな。
理由は、隋書流求国伝の流求がどう考えても沖縄じゃなくて台湾のことだから。
隋書流求国伝には、流求の人は人を食べるとか(台湾の先住民は人を食べる)、連れてきたマレー人と会話させたら少しだけ話が通じたとあり、
マレーシアはオーストロネシア語族で台湾の先住民もオーストロネシア語族だから、流求国は明らかに台湾のこと。
隋代ですら沖縄に到達することはできなかったのだから、後漢時代にわざわざ近畿から魏まで行くかなー、いやそもそも行けるのかなーと思う
あと、後漢書東夷伝に「弁辰は辰韓の南に在り、また十二国を有し、その南はまた倭と接する。」とあり、単純に距離の問題で、九州説が圧倒的に有力だと思う。
ちなみに論破連呼のオッサンが論破されてることも多いけどな^^;
邪馬台国は所詮は地方の小国連合、
中央である畿内の大和王朝のような古墳を作るような文化が無かっただけでしょう
ところで虚妄の畿内派に聞きたいのだけど
前期難波宮のあたりから京としか言いようのない大規模条坊跡が出土しているのには
やっぱり虚妄の畿内派お得意のあーあーきこえなーいするってことでおk?www
>>480
九州説で確定なんだから畿内派はいい加減悪あがきはやめろよ
はい、論破w >>469
朝鮮人にとって魏志倭人伝が都合の悪い理由
【邪馬台国の場所】倭人伝に見る 朝鮮半島。弥生時代の朝鮮半島南部は、倭国の植民地でした。魏志倭人伝から読み解く当時の任那(狗邪韓国)。弁辰、弁韓、馬韓。
;list=WL&index=90 日本人って何事もディティールにこだわりすぎて
本質が見えてないよな
少しマジレスしてやるが、魏志倭人伝を何年も何人もの専門家が研究して
それでも邪馬台国は分からない(実際分かってるけど何かの都合で隠してる可能性もあるが)
こうなると違うアプローチで考えるのがセオリーなんだよ
日本人は思考が硬直化してしまって魏志倭人伝ありきになってるのが混乱の元なんだよ
>>481
>九州から関西にかけて全部が邪馬台国
ある意味合ってる。2世紀後半の倭国大乱以降は段々そうなってくるね
卑弥呼の時代のすぐあとに始まる古墳時代(西暦250頃〜)の
早い時期に畿内と同じ前方後円墳が九州にも現れるもんで。 >>489
>単純に、大陸に近い九州説が有力と思うな。
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州・畿内に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 と何度言えばw @阿波 邪馬台国、卑弥呼が先行しすぎて華やかなイメージになってることが
おかしな話になってる気がする
>>496
だからテメーでジャッジするなって
論破ってのは当事者が言うもんじゃない
第三者によって「AはBに論破されたね」と使うんもんだ文系バカ >>476
古田で九州でない事がわかる。
放射読みとか、陸路加えたり。 魏志倭人伝は草書体で書かれてるんじゃなかったっけ?
もういい加減につまらない議論やめなさい。
神武東征の時奴国に寄っているだろう大倭に向かうがその時は連携しようと約束している
仲間なんだよ。邪馬台国は大和であり、孝安天皇の義理の姉卑弥呼やその宗女トヨをいただいた時期があった。
その同盟国が北九州にあったんだよ。中国の使者が来た時我々は大和国の同盟国であり、卑弥呼をいただいている
と言ったんだよ。
つまりスペインについた訪問者に我々はEU連合であり、ベルギーのブリュッセルEU本部に
政治の中心があると言ったようなもんだ。
ちなみにトヨは開化天皇の奥様。神武天皇の子供は北九州に来てその一族が国を治めているよ。
>>491
>中央である畿内の大和王朝のような古墳を作るような文化が無かっただけでしょう
畿内の古墳を造ったのは、「忌部一族(阿波勢力)」。 とっくに確定ずみ だと何度言えばw @阿波 邪馬台国にこだわらず九州勢力とか機内勢力って見ればいいだけの話
邪馬台国にこだわるからアホを呼び寄せてこじれる
つまり、邪馬台国畿内説が、完全に破綻してしまったのだね。
>>313
水行したら陸行は必要無いんだよ
2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
3 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:29.01
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる >>499
弟としか会えない幽閉状態なことには何故か目をつぶってお花畑イメージになってるよな >>498
辰砂の鉱山なんて九州北部にも構造線沿いに複数ある
阿波はオオケツヒメとかお稲荷様との関係を調べてみろよ
何でもかんでも邪馬台国ではなくて地元に根差した視点が重要 >>490
誰の影響か知らんが論破論破と勝手にテメーがジャッジして喚くキッズ増えたな
誰の影響なん? >>472
自治体としては町興しになるし、研究者としては予算を取りやすい。
まあ、それで住民が潤ったり研究が捗ったりするなら良いじゃないか。 >>489
弥生時代末期、初期ヤマト王権は伊都国(現在の福岡県糸島市)に一大卒っていう
外交のため(+九州平定のため)の機関をおくからね
そこは元はヤマトとは別の女王国だったと魏志には書いてあるけどな
2世紀後半に平定されてからは恭順したとみられる 確かに3世紀の福岡佐賀ついでに熊本北部に多くの集落はあった
それらを国とするかは疑問が残る
集落に代表のような権力者はいただろうが立派な墓を残すには
ヤマト国の許可が必要だったと思われる
>>500
テメーでジャッジすんなよカス
はい、また論破w >>515
は?俺は一度も論破とか言ってーわド阿呆
論破は第三者が使うものだ
低学歴の文系バカ >>505
そういうこと
大和政権成立以前には複数の勢力があった
九州北部、河内、関東、東北その他
関東とか稲荷山古墳の中心をさっさと発掘しろよって話だな
鉄剣出土の石棺のさらに下に別の石棺が埋まってるのはわかっているのだから
「関東王朝」を実証する遺物が出てきてもおかしくない 浙江省から日本に来るときに九州をスルーして畿内に行くだろうか(反語
>>511
バカのお前は近畿パーの影響?
はい、また論破w >>503
卑弥呼が死んで男王がたつも不服で争いが起こるから支配関係はない。 >>492
>前期難波宮のあたりから京としか言いようのない大規模条坊跡が出土しているのには
それは、奈良時代の後期難波宮(大阪市)だ。
倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。 @阿波 >>511
論破連呼のオッサン(九州論者)は邪馬台国スレに出てくることでしられる
ちなみに全然論破できてないのが特徴w なんで九州説が登場するかてのは
邪馬台国と今の皇族のつながりを否定したい左右の人が必死なわけなんだろ?
朝鮮系の人は朝鮮半島の南を支配してた倭国が今の日本じゃなく、
当時九州と朝鮮とにあった別の国にしたい
右側で九州説の人は魏に天皇が朝貢してたと言うのを否定したくて別の国と言う説を作って来たわけで
伊勢の斎王が天皇が朝貢したんじゃなく伊勢の巫女が朝貢してたんだからいいだろうに?
>>520
お前相当病んでんな
論破論破とか病気か
論破は第三者が使うもんでテメーが言うもんじゃない
よほど現実が惨めだからここでしょうもないやり方でマウント取るしかねーんだろーな
惨めな奴w >>412
出雲について少々:
上で書いた通り、因幡の白兎では、九州邪馬台〜半島南部の
倭人(旧音:ワニン)が一列に並んだワニとして描かれるが、
(確かに、博多・壱岐・対馬・巨済島、一列に並んでるわw)
肝心なのは、倭人を出雲とは別のアイデンティティで描く点。
倭人とは、半島から渡って来た弥生人が、漢人からそう呼ばれ
ているのを鼻に掛けたアイデンティティーな訳だが、
出雲にはそのアイデンティティが無かったということ。
最近の研究で、出雲の支配層は縄文系の血が濃かった?という話
もあるようで、このアイデンティティの分離とも合致する。
また最近、因幡で集団虐殺跡が発見されDNAで渡来系とされたが、
これは、倭国大乱?の最初に奈良が因幡を急襲し、当地の新羅人達
を皆殺しにし、出雲経済・軍事を支える新羅人交易ネットワークを
破壊したものと仮定すると、なかなかいい具合に嵌る。
勿論、さらなる研究が必要ではあるが。 >>497
>卑弥呼の時代のすぐあとに始まる古墳時代(西暦250頃〜)の
>早い時期に畿内と同じ前方後円墳が九州にも現れるもんで。
それは、「忌部一族(阿波勢力)」が全国に進出していった証拠。 @阿波 >>516
イミフだよ猿w
はい、また論破w
>>517
今と海岸線違うの分かってないだろお前w
>>523
涙拭けよ近畿パー
はい、一行で論破w
>>525
お前病んでて惨めだよな
はい、また論破w >>511
ちなみに論破連呼のオッサンのパワーワードが「畿内パー」^^;
「考古学の成果は畿内論者の陰謀だから信じるな」が信条らしいw 仮説
日本の実権は帝にある王政だったが
帝(天皇陛下)は謁見を出来ない状態にあった。
病気だったか高齢だったか
外人嫌いだったか帝のお顔を外国へ教えたくなかったか…
とにかく、帝との謁見は認められなかった。
そのため、代理として妃殿下と謁見させた。
この妃殿下が、卑弥呼さまである。
使いの者は倭の王さまと謁見できなかったと
本国へ報告したくなかった。出世のためにも倭の王との会見の事実が必要だった。
そこで、卑弥呼 妃殿下を「倭の女王」だと虚偽の報告をした。
>>523
文系の論壇も落ちたな
こりゃチョンなみに面子バカばっかになって
邪馬台国なんて見つけるのもまた時間かかりそうだな 情報の質だけでなく、量も見ればわかるが
魏志倭人伝は当時の日本の百科事典たりえない
それしか情報らしきものが無いからとそれに頼みすぎなんだよ
魏志倭人伝は一回捨てて出土品だけを見るべし
>>6
国立歴史博物館が畿内説推しだからなー
政府が畿内説推しでは、
非政府系しか九州説を推す人がいない 大陸との外交の窓口が九州の邪馬台国だったってだけなのではないだろうか
福岡なんてらショボい遺跡ばっかじゃん
どこに文明の痕跡があるんだよ
>>522
大阪市の前期難波宮遺跡から5世紀前後の条坊跡や大規模倉庫跡がすでに出土している
遺跡の一部はNHK大阪の敷地に食い込んでいるが同局職員もダンマリ
もう大阪歴博の研究者たちは河内王朝という用語すら使い始めている 共立は畿内と東海によるものだよ
銅鐸出土場所からの1世紀初めの予想勢力図
右赤の近畿勢力と左青の東海勢力
飾り耳が特徴の近畿式銅鐸と
はみ出す太い横線が特徴の三遠式銅鐸の
両方の特徴を併せ持った滋賀県大岩山遺跡の銅鐸135cm
これが共立のあとと考えられる
近くに農地などが無いが円形に建物が配置された
2世紀末の宗教都市伊勢遺跡がある
ただすぐに銅鐸は使わなくなって銅鏡が使われるようになり
奈良の纏向に前方後円墳が現れ始める 2000年近く前はまだ平野の沖積が進んでいなくて
今と平野とは違っている
その中で筑紫平野は北九州最大の平野であり
大陸との交易拠点に近く
もっとも発展していた可能性のある地域
邪馬台国があるなら筑紫平野か太宰府あたりが妥当
>>505
>邪馬台国にこだわらず九州勢力とか機内勢力って見ればいいだけの話
九州勢力も畿内勢力も、「忌部一族(阿波勢力)」の進出って見ればいいだけの話。 @阿波 >>526
お前人の心が分かってないよな
はい、論破w
>>534
お前はチョン並みにバカだよな
御井だよ
はい、また論破w >>538
九州北部には三種の神器が出土し国指定の史跡になっている弥生前期中期の遺跡が3つある
畿内はどうだろうかwww >>530
まんま自己紹介でワロタw
文系バカは分からんわな
ハナから話かみ合ってねーし
歴史の前に言葉の使い方をまず学べや文系なら
論破の語法からなw >>532
まぁ魏の役人も現在の福岡周辺はブラブラできたのかなぁ^^;
流石に畿内まで来たかは謎だけど(畿内までの行程は嘘を教えた可能性も有る) >>507
>つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 @阿波 >>543
オウム返し
壊れたラジオ
病院行け
医者に論破病を治してもらえwww 邪馬台国なんて大国でも華やかな国でもなかったってことだ
>>510
>辰砂の鉱山なんて九州北部にも構造線沿いに複数ある
それがどうした? 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」で確定ずみ。 @阿波 >>537
後世ではそうだな
九州倭国は事実上近畿日本の出先機関みたいな感じまで落ちぶれたね
後世ではね
>>545
お前噛み合ってないバカだよな
はい、論破w >>524
今の皇族は文武以降だよ
もうあきらめろ
偽書記紀原理主義の限界だ >>544
いやそもそも古墳がどれもショボすぎるんだよなぁ・・・
一大卒(のちに内陸側に移動して大宰府になった)以外、割と酷い扱いだからな^^; 邪馬台国の3世紀頃の奈良盆地はまだ湖だ。
近畿説の有識者は、脳内邪馬台国の夢を見続けているw
どのようにして、邪馬台国畿内説は、完全に破綻してしまったのだろうか。
どうでもいいが卑弥呼が未開人に陵辱される抜ける薄い本とかない?
同じ時代に邪馬台国を超える国が畿内なり他の日本にあったかもしれないけど
それは邪馬台国の場所がどこであるかには関係ないって事で
>>552
病人とはかみ合わんわな
これを論破って言うのか
低学歴の文系バカ的にはw >>555
ちなみに当時の筑紫平野は水面下なんだけどw >>549
涙拭いて糞食ってろバカチョン
はい、また論破w
>>559
涙拭けよ本当に噛み合わない病人
はい、また論破w ここだけの話だが、うちの母ちゃんは邪馬台国の卑弥呼だって父ちゃんから聞いた
規模にもよるけど
それなりの人口を支えるには食料生産ができる平地が必要
当時の乏しい農業生産力と輸送力では食料の輸送はかなり難しい
可能性という点では大きな平野はそれだけで可能性が高い
普通に考えてより大陸に近い九州にある国が魏に使者を送って
関係を持とうとすることは自然なことだと思うんだが
細かいことは抜きにして少なくとも北部九州は間違いないよ
>>562
早く医者に論破病を治してもらってこい低学歴の文系バカ >>554
古墳のデカさで邪馬台国を論じたいなら西都原や河内が有力候補になるわけだが 魏志倭人伝
計其道里 當在會稽東治之東
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。
参問倭地 絶在海中洲?之上
或絶或連 周旋可五千餘里
>倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
倭地を考えてみると、遠く離れた海中の島々の上にあり、
離れたり連なったり、巡り巡って五千余里ほどである。
そもそも3世紀の中国は日本列島を正しく認識していないし
邪馬台国は沖縄台湾にあると思ってた
九州北部から近畿地方までの一体が邪馬台国を盟主とする国家連合(九州北部、出雲、吉備、大和)
九州には大陸に近いから支社として一大率が置かれてたけど本部は近畿にあった
敵対していた南部というのは九州中南部の熊襲勢力
この構図は考古学的にも確立されていて九州説は説得力がなくなっている
>>513
なぜ内陸の伊都国(直方辺り)に一大率が置かれたのか、理由を教えて進ぜよう。
大陸からの「行き」と「帰り」のルートは異なる。
伊都国(直方)は、大陸との往路と復路の分岐点に位置する。
だから、大陸からの「行き」と「帰り」の両方を監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率(筑紫忌部)が置かれた。
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、「出入国管理局」。
その伊都国は千戸程度だから、「感田上原遺跡」や「感田野添西遺跡」「平原池の上遺跡」だろう。 @阿波 >>554
九州はそもそも巨大古墳を作るのが良いことという発想自体が無かっただけ
あの絢爛豪華な副葬品の出る平原遺跡だって腰ほどの高さの盛り土に過ぎない
そんなものは根拠にならんよ
涙拭けよ近畿パーww >>560
箸墓は古墳時代最初期の大型古墳だよ
九州は大型古墳がスッゲーすくない。東国より貧相な小型古墳が多いね
たぶんヤマト王権からは冷遇されたんじゃね?(かつて大規模内戦で戦った連中だから) >>514
>確かに3世紀の福岡佐賀ついでに熊本北部に多くの集落はあった
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 と何度言えばw @阿波 鉄器の生産のあるヤマト王権と鉄器の生産の無い邪馬台国では条件が違いすぎる
大規模な土地改良には鉄の刃のついた農具は不可欠
邪馬台国時代では池沼だらけの奈良盆地は人口は支えられない
>>548
いいえ、女王国の一部。
邪馬壹国も一部。国による支配関係でない
共立された女王によるコンセンサス。 >>571
呼び名に意味あるんか?
当時は文字がないんだから単なる符丁だろ。 でっかい古墳があったところが邪馬台国とか頭おかしいんじゃないか
古墳のでかさ関係ないだろう
古墳のでかさ関係ないだろう
>>573
いちおう畿内式の大型前方後円墳は幾つかあるぞ
築造時はヤマトに許可を取ってたと言われてるから明らかに冷遇されてるかと >>563
そうだな
確かにここだけの話しにしといたほうがいいなそれww >>570
「本部は近畿」が考古学的にどう確立しているのw >>579
字には意味はないが音に意味がある
ヒミコ当時はピメコとか言ってたはず
アイヌのピリカメノコを彷彿させる音だな >>518
>大和政権成立以前には複数の勢力があった
その「複数の勢力」とは、全国に進出していった「忌部一族(阿波勢力)」のことである。 @阿波 邪馬台国畿内説を宣伝してきた、朝鮮民族の無職の奥山氏が、完全に論破されているな。
でかい墓を作ってた=邪馬台国じゃねえだろうしな
生活様式や当時の価値観に大きく左右されると思うし
邪馬台国の存亡について、大陸になんかの記述なり証拠が大量に残っててもよさそうだが、それもない
もともとなかったんじゃないかと、当時の創作のファンタジーかもね
>>579
呼び方なんて当時先進国だった中国が見下してつけたものであって発音は関係ないんじゃないか
小馬鹿にして卑しいとかつけたんじゃないか
倭人伝の倭人だってあんまよくないあれらしいぞ >>580
デカさとその数な。
そりゃ築造するのはめっちゃ大変だよ。当時としては大規模な土木工事
そういえば畿内には古墳時代の水路跡とか残ってるけどねw
日本中から人を集めたんでしょう > ただ、卑弥呼の墓とも言われる「箸墓(はしはか)古墳」(全長約280メートル)のある纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)などを根拠にした近畿説の研究者からは、筑紫平野には3世紀頃の大規模古墳がないことから、「筑紫平野に限ると、邪馬台国のスケールが小さ過ぎる」との批判もある。
毎度思うが、なんで畿内説の人は
「大きな古墳が畿内にあるから邪馬台国は畿内にある」と
考えるのか分からん
邪馬台国の東の渡海先にも倭人の国があることは
倭人伝にも書かれてるし、
それが邪馬台国より小さい国だったなんて書いてないから
邪馬台国より大国だった可能性もあるだろ
>>1
魏志倭人伝の放射読み説って、
単に「位置」を教えただけだと思うんだよね。
「ハワイは東に飛行機で7時間、バリは南に飛行機で7時間の所です」
みたいな説明を聞いて、
「バリは、まず東に7時間行ってハワイに着き、
そこから更に南に7時間行った所にあるんだな」
と勘違いするようなもの。
最初から放射的に説明したというわけではなく、
別個の説明を一緒のものだと勘違いして記述した結果、
放射的に読んだら正確な情報になるってだけの話。 >>521
>卑弥呼が死んで男王がたつも
その男王とは、弟の「須佐之男命」である。 @阿波 >>425
長い間滞在してたとおもう
魏志の内容は短期間で知れる情報量じゃない
相当入念に聞き取ってる
これ近畿パーが嫌がってるからドンドン貼るねw
イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
国産み神話には狗邪韓国がないw
>>587
もちろん畿内と同じ形式の古墳は九州にも作られるようになるよ
ヤマト王権から冷遇されてただけで・・・ >>576
奈良、滋賀、三重、大阪までが
邪馬壹国の範囲。琵琶湖の遺跡群、唐古・鍵遺跡。 確かに九州では鉄の炉が点在してるんだけど
奴国の炉跡以外はたいした規模ではないし
そもそも出てくる九州で出てくる鉄の9割以上は矢じりとか小さいもの
奴国は国と呼ぶのに問題ないし実際魏志倭人伝で国となってるが
それ以外の炉があるところは燃料となる木が多い山だよね
>>561
後背地の広さが全然違うよ、
盆地と平野じゃさw >>589
だからでかい古墳をいっぱい作った所が邪馬台国ってのが間違いだと言っているんだよ
なんでそんな当然の事すら理解できないんだよ
邪馬台国を超える国力の国が近畿にあったと仮定しよう
魏の使者が着た場所じゃなければ邪馬台国じゃないんだよ >>51
近畿の派閥が強いだけだろ
しがらみのないアマチュアが自然に考えたら九州になる
既に日本とは違って測量技術がしっかりしていたのに
無理矢理な読みかたをする必要はないわな >>534
>邪馬台国なんて見つけるのもまた時間かかりそうだな
「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 でとっくに決着済みだよ。 わははははは @阿波 >>596
ここで壊れたラジオのように喚いてないで伊弉諾神宮の宮司に言って来いよ根性なし 台与 臺興 トヨ
邪馬台国 邪馬臺國
卑弥呼の後釜の台与はトヨと読むんだから
邪馬台国もタイじゃなくトと読んでヤマト国でええやん
どっちも同じ漢字なんだし
ずっと畿内だと思ってただったけどYouTubeで色々と勉強して九州説で間違いないという結論に達したわ
今まで九州説を熱く語っていた人すいませんでした
あなたが正しい
>>576
>邪馬台国時代では池沼だらけの奈良盆地は人口は支えられない
だよな。そんな土地が近畿から九州に及ぶ一大国家の中心都市になる訳がない
物部氏や蘇我氏が干拓作業を進めていったからあんな巨大平野ができたんだよ
水を抜いた後の農地に適さない土壌をあちこちに積み上げることで巨大古墳ができていった >>594
それはおもしろい
ヒミコ=姫巫女=姫氏の巫女
姫氏といえば太伯がつくった呉の国姓
「倭の人々は自らを太伯の後裔とする」と記した古代中国の歴史書もあるしな >>604
これ近畿パーが嫌がってるからドンドン貼るねw
イザナギの墓=淡路島は後世の捏造
国産み神話は欽明以降の捏造記事だから
国産み神話には狗邪韓国がないw
>>602
まぁ九州論者って考古学をガン無視してるからね^^; >>535
>魏志倭人伝は一回捨てて出土品だけを見るべし
出土品だろうが伝承だろうが、
稲作でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
※何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 >>584
音に意味があるのはわかる。
文字に意味はない。 四国は九州並みにありえないけどね^^;
古墳が(略)
>>610
九州でも鏡や銅鐸が大量に出ているじゃん 邪馬台→大和みたいに文字で当てはめてる研究者が多いが
倭国の前の韓伝の地名を韓国のものと照らし合わせると地名と呼び名が符合してこない
対海国→海の向こうの国
など名前は全部フィーリングで付けたと見るべき
>>524
いろいろ政治的思惑のある人もいるようだな。
(特に半島系の人、そして畿内説の人w)
だが、魏志倭人伝をよく読めば:
@ 漢の時代に朝貢した奴国の裏になんと邪馬台が居た。
ということは、漢の時代は邪馬台が列島覇権国であろうこと。
A 倭国大乱で邪馬台が負け覇権放棄(男王禁止)を科されている。
ということは、魏に朝貢した邪馬台の裏に新たな覇権国が居る
であろうこと。
B 大倭という謎の勢力が邪馬台の博多港を押さえていて、
これが正体を隠した新覇権国であろうこと。
これら全部読み取れる。
その後のタイムスパンを考えると、大倭とは、奈良だな。
いま、九州説を唱えている学者達は、これら全てを見えなかった
ことにしていて、全くちんぷんかんぷんな議論してるわw
ましてや、畿内説は論外ということも分かる。俺の倫理基準だけで
評価すれば、ありゃぁ "研究費詐欺" だねw >>603
もうチョンの白頭山みたいに事実を捻じ曲げて日本民族発祥を富士山にしてしまえよw >>537
その通り。 王都「阿波」からの出先にすぎない。 @阿波 >>599
近畿で3世紀以前の製鉄炉ってどれほど出土しているのw >>609
完全に壊れたラジオだな
そんなうっすい「証拠」ひっさげて伊弉諾神宮の宮司に喧嘩売れるのか見てみたいわw >>590
相当な人数とそれを支える基盤が必要。
鉄も出土するから、弥生時代の鉄がないのでなく
再利用して古墳に埋葬している。 >>539
>大阪市の前期難波宮遺跡
それは、奈良時代の後期難波宮(大阪市)だ。 と何度言えばw @阿波 >A 倭国大乱で邪馬台が負け覇権放棄(男王禁止)を科されている。
普通に読めば、倭国大乱で邪馬台国が勝って、北部九州〜(瀬戸内海沿岸)〜畿内まで
平定したんだけどな
>>616
畿内説はもはや宗教に過ぎない
もうあきらめろ
それより法円坂遺跡とかから河内王朝を実証してみろよ
大阪城のあのエリアには元々何があったんだ? 台湾から与那国まで丸木舟で横断するってあったけど
あれは石斧で4万3000回打って木を倒した
交代で打ち続けるとして20時間あれば石斧で倒せると思われる
九州の鉄はあまり使われた形跡が無いんだよね
刃こぼれとか傷とか遺体の骨に刺さったままとかはあまりなく墓からでる
貴重なものとして所有することに意味があったんじゃないかな
神武の東征は九州説の有力な資料だろ。
古事記や日本書紀の神武の東征の出発点は日向の国(宮崎県)で、
日本の創世神話は宮崎県の高千穂や椎葉の神楽に残ってる。
テキストや芸能など表象の面では九州に、物的証拠で近畿に邪馬台
国があったと思わせるw
記紀の成立した時期からして、白村江の戦いで大敗北を喫した痛手
を癒すためと、ナショナリズムを盛り立てるために、邪馬台国・九
州起源説が生れたのかも。
大敗北の痛手は九州地方の豪族に大きかったのではないか?
それもあって、「九州こそ我々の故郷なのだ」という記紀のストー
リーが生れたのかも。
>>594
姫(ヒメ)は、ヒメコ(卑弥呼)の省略形※。
ヒメコ=太陽の娘
※以下と同様、め(女)で めこ(娘)を代用。
をとこ
をとめ(←をとめこ)
むすこ
むすめ(←むすめこ) >>623
違うよ
大阪市の前期難波宮の遺跡から
5世紀前後の巨大倉庫跡とか出土している と何度言えばw
マスコミがほとんど報じないから知らないのも無理ないが既に国の史跡に指定されている
まずは現実を見よう >>614
多くは弥生時代後半までじゃね?
倭国大乱以後は邪馬台国に平定されたのか九州北部は急速に力をなくしてしまう >>610
お前ら考古学ガン無視だよな近畿パー
はい、また論破w 天皇一族が歴史改変して重要文化財を隠蔽しまくるからこんな嘘の歴史だらけになる。
ちゃんと全部の古墳を調査すれば歴史の穴は埋まる。
宮崎県は大和朝廷と対立していた地域だからそこから神武が出てくるのは矛盾してる
>>633
マンションやら商業施設の下に答えが眠ってる 最初に近畿か九州と立ち位置を決めて結論ありきで
都合のいい方向に話を引っ張っていくのやめろよ幼稚な
もっとニュートラルに考えてファクトに向き合え
学問にナショナリズムを持ち込むのはチョンやチャンコロと同じじゃねーか
事実を直視する誇りを持てよ
古墳しか残ってるものがないから古墳が全てみたいになって
古墳時代なんて拡大解釈が行われるまでになってる
あんなの単なる墓で大したもんじゃないのに
>>634
でも面白いことに宮崎って弥生時代後半まで力のあった九州北部より
巨大古墳が多いんだよなぁw
畿内勢力とどう繋がってたのかは興味深いなw >>564
>それなりの人口を支えるには食料生産ができる平地が必要
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い九州や畿内に、「可耕地」などあっても無用の長物! わははははは @阿波 >>624
IQテストだけは受けるなよ。
ショックで立ち直れなくなるだろうからw たかだか1800年前なのに全く分からんてなんでなんだろうな
100歳の人間18人分の時間経過なのに
>>633
廃仏毀釈なる言葉があるが
あれは明治政府が主導した焚書だからなあ
寺だけでなく神社も徹底的に書類を回収されたり焼かれたりした
そのうえで記紀原理主義を布教した
つまり本来歴史学考古学は記紀を否定するところから始めるべき
この基礎基本をわきまえない自称学者どもが畿内説を声高に主張する >>637
巨大古墳っていうのはそりゃもう大規模な土木工事だからね
権力がないとあんなモノつくれないから >>566
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 @阿波 >>643
それってむしろ畿内説否定だよね
ごくろうさんw >>408
ほんと伝説のセリフだよなあ
当時はこれで盛り上がったわ 巻向ってあの辺一体が古墳+遺跡だらけなんだよな
九州論者にとってはあんなのが福岡から出てくれば良いんだろうけどねw
鉄が多いから九州はすごいというのは考え直した方がいいと思う
実際9割以上は矢じりや小型ナイフで小さい
確かに九州から出た鉄は数は多いが内容はしょぼい
>>637
いや古墳の大きさは天皇の権力の大きさを示すものだったと思う
それだけの人員を戦争にも動員できる証拠にもなるわけだし
時代によって古墳の意味合いも変わったと思うが
基本的に権力の大きさをライバルに見せつけるのはあったと思う
大仙古墳見ればそれが分かる >>648 東遷説の補強だろ 少なくとも否定ではない
どう否定になってるか説明してみ >>646
まだいたのか
早く伊弉諾神宮に行って来いよ
その前に論破病を治しに病院かw >>417
卑彌弓呼は単に卑彌呼とごた混ぜになって書き間違えただと思う
卑弓彌呼ヒコミコの間違いでしょたぶん
その姫っ子は苦し過ぎる いくつかの部族が集まった会議で長に選ばれたんだから、ハーンみたいなものだろう。
カザフスタンではよくある話。
みんな落ち着け
邪馬台国とヤマト王権では年代差がかなりある一緒にしてはいけない
ヤマト王権の成立もはっきりしていない
不明な部分は不明として扱って憶測で埋めないことが大事
>>638
邪馬台が半島南部と連なる倭人交易ルートを抑える中、
出雲は当ルート上で密貿易し台頭(上記、因幡の白兎神話)。
だが、奈良がどのルートで百済と通じたかが不明。
邪馬台とは別ルートで交易した可能性、それを考えると、
高千穂ら九州東部の勢力と協力関係にあったのではと。
確証は持てないが論理的な帰結として。
九州を東からぐるっと回って、天草・長崎・五島列島・
耽羅(たんら=当時は倭人の地・今の済州島)経由で百済と
行き来したのではなかろうかと。 >>655
うむ
彦も日と子を足したものらしいし
卑弥呼も日と巫女あるいは御子を足したものかもしれない 日曜で学者研究者どもが家にいるせいか盛り上がっているなw
きみたちのような自称学者研究者の偽書記紀原理主義どもが虚妄に満ちた畿内説を流布したおかげで
日本の弥生〜古墳時代の歴史学考古学は壊滅状態だ
すでに宣教師と化してしまった自称学者研究者どもよ
少しは反省したらどうかね?
>>657 東遷説でやりたいようにやらせてもらうぞ
水路とか運河とかの際で土砂が崩れるのを防ぐため
板で補強していて形状も共通してる
伊都国
纏向
>>1
戦国時代の九州から、平和な奈良に移動したんだよ
卑弥呼から神武天皇の時代に >>441
面影ひとり抱きしめて、心に残る優雅なお菓子
博多の女 >>645
水害、治水対策もあるだろう。
公共工事。宗教地としてもある。
宇陀、三重あたりに丹山。 >>634
都城の熊襲踊り、日南の隼人弥五郎伝承があるな 伊都国平原遺跡では40枚の銅鏡がでた
これを畿内にも広めたと思われる
その際伊勢遺跡から纏向遺跡に移った理由は
伊都国でやっていたことを畿内で再現するため
伊都国平原遺跡の東側のやまなみ
纏向遺跡からみる東側のやまなみ
>>659
記紀から算出すると西暦100年ごろじゃねーかと言われているが
その頃は畿内勢力より伊都国の方が力が強かっただろうしな・・・
やはり2世紀後半の倭国大乱で邪馬台国に権力が移譲されたというのは合ってるんじゃね? >>613
古墳? もちろん「阿波」が古墳の発祥地だ。 @阿波 >>655
名前の構造を無視した議論。それじゃ何の意味にもならない。
何も苦しく無いわなw
古典ぐらい読めよ。 >>659
落日の畿内説にしがみつく連中の動機が
邪馬台国とヤマト王権のつながりを追求することだからなあ
こんなのがいまだに定説扱いされてるなんて世も末だ
不比等もむしろ悲しんでいるのではないかな
1300年も経っているのに、いろいろ手がかりを残したのに、
自分の後継者たる学者研究者たちがいまだに記紀を愚直に信奉し続けているなんて >>1
>>北は筑紫野市、南は大牟田市、東はうきは市、西は佐賀県武雄市まで広がる筑紫平野で確認された数十か所の環濠集落がネットワークを形成し、邪馬台国連合をつくっていたとする説
ヤマタイコク・・・ヤマトに対抗する国(後ろ盾:魏)
ヤマト・・・南九州・吉備・出雲・大和の連合国(古事記:天孫降臨〜歴代天皇) >>625
後漢書、魏志倭人伝、宋書、隋書、など中国正史に倭国伝と単独で書いてあり旧唐書になると倭国伝と日本伝とようやく日本国が登場する
新唐書、宋史は単独で日本伝になり倭国は消えた
そうなると旧唐書の時代は倭国は失くなってた意味で調べれば空白の何世紀とかも簡単に解けてアカデミーは答え出るの嫌がるのよな >>664
神武天皇アマテラスの孫の孫
神武天皇は日向高千穂で生まれた
日本の始まりを「天孫降臨」に求めアマテラスがニニギを地上に遣わせ統治を命じた
アマテラスは天孫降臨に際しニニギに「三種の神器」のひとつ「八咫鏡」を「自分の代わりに宮中に祀るように」と告げている
瓊瓊杵尊が天照大神から形見として八咫鏡を授かった
瓊瓊杵尊は天照大神の孫 >>645
近畿日本な
邪馬台国ではない別の国だよ近畿パーwww 邪馬台国を過大評価し過ぎるんだよ
単なる日本の玄関口にあったために最初に紹介されただけだな
大陸に一番近いだけの単なる小国家連合
畿内とは別の勢力だと思うね
>>650
おまえ
九州がいろんな古墳だらけってしらんようだね >>630
>5世紀前後の巨大倉庫跡とか出土している
5世紀前後は、古墳時代真っ只中で、単なる墓場にすぎん。 巨大倉庫跡などある訳なかろうがよ。 わははははは @阿波 >>672
そうだね、金印のころ西暦57年前後はまだ伊都国+奴国(現在の糸島市+博多)が国内最大勢力だったのは合ってるだろう
問題はその後彼らを圧倒するような勢力(邪馬台国)が九州のドコにできたのかってことな。
博多って古代から現代まで小国、あるいは都市が栄えるには最高の場所なんだろ? 事実上、卑弥呼一代限りの体制
卑弥呼をまつりあげることで成立し、死後はうまく機能しなくなった
整理すると
イザナギとイザナミの子供がアマテラス、スサノオ、ツクヨミ
アマテラスの孫がニニギ
ニニギの孫が神武
>>629
日子の名前を持つ皇族は多いのに日の巫女系の名前を持つ皇族が全然居ないのは気になるけどな
コノハナサクヤヒメとかサホヒメとかみたいに火の巫女のイメージの女性皇族は多いから
太陽の娘じゃなくて火の娘の意味だと思う。卑弥呼はアマテラスの原型っていうイメージから決め打ちし過ぎなんじゃね 魏志倭人伝て
三国志の外伝の付録
魏の曹操の息子の孫の時代に書かれた
どうだ まいったか?
集金ペ
(>>687の続き)
まぁつまりは伊都国+奴国を超えるような勢力は九州には存在しなかったってことだわな^^; >>671
とうの昔に邪馬台(やまと)を滅ぼし、その権威を継いだから。
そしで、邪馬台の権威を、その晩期の女王・卑弥呼をモチーフに
天照に昇華させて天皇家の祖先神として神話に組み入れた。
そしてその権威ある神の子孫が東遷して来たという設定にした。
権威の継承(というか簒奪)の正統化処理済みの話だからw >>688
でも一族の壹与で治る。武力ではないだろう。 九州には女酋長が多かったようだしな
畿内だとしたら神功皇后かな
邪馬台国はもういいわ
おれの興味はいつなぜ北部九州人が畿内に東遷したのか
結局これにつきる
結局こいつらも適当なデタラメ言ってるだけで
実際、邪馬台国なんてものが存在したのかどうかすら疑わしい
学者なんてそんなもん
メッキはとっくに剥がれてる
>>674
大倭が奈良ってのは確定なん?
奈良は九州や中国地方に比べて僻地すぎない?
当時の感覚で支那と遠いし。 当時の中華では「太陽」は「太陽」と読み書いていた
臺與は、台を与えると書くが
陳寿は卑弥呼(臺)の後継者(として与える)でありつつ
卑弥呼同様に太陽に関する人物と春秋の筆法で記した
ヤマ + イツ(一、斎、伊都)国 卑弥呼の国
ヤマ + タイ(大)国 大国主の国
ヤマ + アト(跡)国 神武天皇が畿内に東遷して作った国
神武天皇は、広島で最初に国を旗揚げ建国のあと
吉備国のチカラを借りて
大国主のヤマタイ国を吸収し、畿内へ進出
そのあとに、卑弥呼のヤマイツ国を継承して作った国がヤマアト国
通称ヤマト王権
>>637
>あんなの単なる墓で大したもんじゃないのに
その通り! 「忌部一族(阿波勢力)」のお墓にすぎない。 @阿波 安倍晋三の先祖は曹操も越えなかった白狼山の北から来た
ただし江戸時代後期
>>688
そうね
九州倭国は卑弥呼の死後急速に衰退する
巫女制度の弊害な
政治的に不安定過ぎる
だから近畿日本では巫女制度を取り入れながらも
巫女に権力が集まらないように天皇制を作ったわけな
巫女制度は独裁制と共和制のいいとこ取りをした制度で
それなりの合理性はあった
だからこそ卑弥呼は時代を画する巨大帝国を作り上げられたわけだから
その代わり、巫女制度は政治的に余りに不安定だった
巫女の力量に依存し過ぎる >>694
○○姫(ひめ)だよ。幾らでも出て来るだろ。
日の巫女じゃなくて、日の娘(ひめこ)な。その省略形だ。 >>536
そりゃ万世一系を守る立場だと畿内説になるのは分かる
それが今は「歴史」的に正しいんだろう
考古学的には九州だが 九州論者のダメなところは邪馬台国=九州の栄誉を求めるあまり
ヤマト王権以前に国内で最高の権力を有していた伊都国を軽んじちゃうところだわな
今でもけっこう扱いはショボイ・・・
>>643
>奴国で使われていたのと同型
どのみち、「忌部一族(阿波勢力)」の痕跡だ。 @阿波 東遷説への疑問は、なんで分家や王権の移動にこだわるんだろうってこと
派遣された部隊の指揮官による反乱的な勝手な畿内王権の樹立、という可能性もあると思うのだが
宮内庁は古墳調査させろよ
いったい何が出てくるんだよ
何を隠したいんだよ
>>645
>権力がないとあんなモノつくれないから
その通り! 「忌部一族(阿波勢力)」以外には絶対出来ない事業。 @阿波 >>650
>巻向ってあの辺一体が古墳+遺跡だらけなんだよな
調査範囲が広いだけの、くそ遺跡だな。 わははははは @阿波 >>717
そんなの簡単だよw
大和政権と全く関係ない人物の古墳
そうなると神話の時代から脈々と続く天皇の根幹崩れる >>720
とりあえず御井の高良山の神籠石遺跡は邪馬台国で間違いないね
>>651
>確かに九州から出た鉄は数は多いが内容はしょぼい
その通り! 碌な鍛冶炉遺構のない九州は、鍛冶王国倭国(阿波)からの鉄器被供給地域である。 @阿波 時代は違うが近畿と九州はその後も争いがあった
寧波の乱という舞台は中国だったw
細川の堺商人と大内の博多商人の戦いだった
いつの時代も近畿と九州は争ってるねw
まさか当時も「邪馬台国はうちだー」なんて言ってないだろーけど
いかにも現代的価値観の説だな
食い詰めた人間の妄想によく有る論建てだ
>>96
それは日本書紀を作った時点で意識してると思う
神功皇后あたりでそれとなく邪馬台国と卑弥呼に触れてるからね
当然魏志倭人伝よりも日本書紀の方が何百年も後だから知ってて当然だし >>688
ああ、違うっての。
邪馬台が列島の大乱に敗れ、男王禁止=覇権放棄と引き換えに
存続が許され、その証として即位した女王が卑弥呼だよ。
港は新覇権国の大倭(←奈良でしょ?)に押さえられてる。
ひょっとしたら、卑彌呼が籠ってるはずの部屋の中には、
誰も居なかったかも知れないw
少なくとも女王を立てたことにしないと皆殺しにされるのでね。
実際に卑弥呼が死んだのか、あるいは空部屋の架空の女王を
取り次いでいた事実上の男王が、時期を見て、邪馬台の覇権復興
を掛けて兵を挙げるも、鎮圧されて殺され、再度覇権放棄の女王
(壹與or臺與)が即位した。
もう二度と邪馬台の覇権は戻らなかったんだわ。
そういう話。 少なくとも古代において大和、出雲、飛騨、日向、筑紫には巨大な文化圏があったのは事実だ
卑弥呼→姫
邪馬臺→やまと(筑後山門)→東遷→大和
耳納山地→東遷→美濃山地
日田→東遷→飛騨
その他地名そっくりってなに説?
九州北部は卑弥呼率いる女王国ではないよ
いわば女王国の一大卒支配下の属国
伊都国には別の王がいるしね
奈良が女王国の都、邪馬台国だが奈良も東海山陰吉備勢に征伐され支配下に置かれたんだよ
>>39
九州説は東京帝国の威厳づけのためにトンキン人がやってる
トンキン大学とかが >>676 桃の種は畿内説の否定材料にはならないぞ 確定でもないが
>>690 そのソースを提示しないと
さっきから違うと言っているだけじゃん 薩長奴婢によるクーデターの正当化もあって
必死に九州説を流布してるが
佐賀県なんてただの朝鮮族
最強の軍隊である一大卒が居る時点で邪馬台国のエリアだと思うがね
伊都国エリアの福岡糸島の平原遺跡から出土した大型の内行花文八葉鏡は八咫の鏡では無いかと言われている
伊勢神宮の八咫の鏡が公開されれば、瓜二つかもだぜ
国防上の観点から九州北部で還してるし
九州北部から先の行程や国々も意図的に
不実を伝えてあるから
邪馬壹国論争なぞ無意味なのよ
当時の倭人の稚拙なインテリジェンスに現代日本人がはめられてるわけ
唐書によると倭国から近畿と九州から使者がきて
我こそは倭を支配してる国の使者であると言って
相手を偽者呼ばわりしてたとか
近畿や九州おそらくは東海にも同等の国家が存在してたと思われる
女王の都までは帯方郡から一万二千里
伊都国まで一万五百里
残り千五百里だから邪馬台国は福岡南部から熊本北部あたりだよ
>>722
奴国は、漢の時代に邪馬台の命で朝貢に行ってたが、
倭国大乱で邪馬台が破れ、その港を新覇権国・大倭が
仕切っていたのが魏志倭人伝にある邪馬台の姿だわ。
そこでは、奴国は、港の管理から外され、さらに
辺境の国に置かれるお目付け役の副官・ヒナモリまで
置かれて、中央にありながら、変強国と同じ監視対象の
要注意国扱いにされてる。
漢に朝貢していたころと、権力構造が大きく変わった
ことが、この奴国の扱いからもハッキリわかる。 >>740
町おこしの次に、研究費詐欺も追加してw >>678
平安仮名以前の当て字は適当だから
邪馬台国と書いてヤマト国と呼ぶのだろうと思うよ。
「台」の部分をはタイ」ではなく「ト」で呼ぶのですよ。
平安時代の平安仮名定着後から日本の当時かつて奈良時代に
都だった地域を大和、ヤマト国として定着させて
現在に至るだけで当時の漢字の事情は現代とは違うのです。
そして卑弥呼=日の巫女で太陽信仰のシャーマンでしょうね。 それから「邪馬壹」という字を
「ヤマト」というバイアスを取り払い
素直に素直に読めば
第一候補は
「ヤ・バ・イー」「ジャ・バ・イー」なんだよな
朝鮮族の薩長奴婢がいかに海人族の天皇に敵意を持っていたかの良い証拠
大海人皇子の時代から朝鮮族との争いはあったようだが
それを天皇をすり替えて明治クーデターを起こした薩長奴婢
>>711
太陽の息子の支配形態だった国は世界中に山ほどあるけど太陽の娘なんて聞いたこと無いからな
字面からもう違和感あるんだわ >>660
>邪馬台が半島南部と連なる倭人交易ルートを抑える中、
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
ただ全部山の上
あれに隣接した平地にも邪馬台国の遺構が必ずあるはず
邪馬台国の贋物度合い順w
1.妄想邪馬台国阿波説
2.妄想邪馬台国御井説
3.妄想邪馬台国宇佐説
4.妄想邪馬台国畿内説
要するに1が最も信用出来ない説と言う事 当時の奈良からは東海山陰吉備の土器が多数出土している
また当時の福岡の遺跡からは楽浪郡など朝鮮半島の土器以外に吉備や東海の土器が多数出土している。不思議なことに畿内の土器は出土していないんだよな
九州北部も奈良も東海吉備勢の支配下にあったということ
3世紀後半、卑弥呼が亡くなった後、奈良からは吉備の土器が突然消える
卑弥呼亡き後男王の時代の内乱で吉備と東海は仲違いしたんだろう
>>731
福岡市東区の志賀島のあずみ族(海人族)は超強力で、日本各地にあずみ族を送り出した
有名なのは、安曇野、渥美半島
みんなあずみ族ゆかりの土地
日本にある「あずみ」や「しか」の地名はあずみ族所縁の地だよ >>665
唐津に来ています。何日も浸っていたい、そんな気がしています。
中でもお気に入りは、宮田の松露饅頭。
かわいいんですよ♪ 東遷 ではな継承 な
北部九州にあった国名を、再利用した
465 ニューノーマルの名無しさん sage 2021/05/01(土) 17:28:28.97 ID:CPW5Drep0
アフー知恵ぬくろに、こんな質問があった
>昔の中国の国名
>
>何故、同じ名前が何度も出てくるのでしょう?
>例えば、魏なら、春秋戦国時代、三国時代、南北時代など
そう「邪馬台国 継承説」とはこういうことである
古代中国の真似をして、国名を再利用した
イワレヒコは天照大御神の子孫
決まりだな
俺が提唱する「邪馬台国 継承説」しか勝たんw
纒向で決着ついたかと思ってたけど九州説なかなかしぶといな
先ごろ世界遺産登録された堺の仁徳天皇陵なんかも、当時は海岸線にあって
海外から来た人が、ヤマト政権すげえなー力持ってんなーと思わせるために作られたんだってね
>>139
現代の差別用語でフン野郎!
ってのがある この話になるとお前ら集まって来るよな
嬉々として語る割に記紀は使われないと
>>734
イミフだアホ
纒向には西日本全域から土器が集まっているが
九州のものは僅かしか無い
近畿の征服者としての九州勢の面影は全く見ることが出来ない
東征も東遷も無い
纒向遺跡が考古学的に否定した
>>700
魏志倭人伝は新羅建国前の話だから
新羅征伐した神功皇后は卑弥呼ではない。 >>702
>おれの興味はいつなぜ北部九州人が畿内に東遷したのか
それも諦めろ! とっくに「阿波」で決定済みなんだから。 わははははは @阿波 >>743
井沢先生の説は正解かかなり史実に近いところだと思うね。
シャーマン呪術信仰の日の巫女=卑弥呼を
科学の発展していない当時の祟り信仰の世界において
神話に取り込むという人間の心理は政治の統治において
非常に合理的な発想だよ。 >>743
アホw 天照が卑弥呼じゃない。
天照は、大和が継いだ邪馬台(やまと)の権威の象徴。
邪馬台(やまと)とヤマトは家系的に連続性は無いが、
権威を正統に受け継いだとするために作った架空の存在。
そして邪馬台の神で天皇家の祖先神と言う設定にした。
ただ、それを作るに当り、当時はまだ皆が記憶していた
昔の邪馬台の女王卑弥呼をモチーフに使ったという事。 >>760
俺は高天原という宇宙船から天孫降臨で降りてきたと信じたいw
ユダヤも聖書見てると宇宙人っぽいし
実際いろんな神話見てると明らかに宇宙人の介入ありそうだもんw 卑弥呼は日、火、太陽に関する人物
畿内説は、まるっきり逆説
695 日本@名無史さん sage 2021/05/27(木) 18:04:10.77
卑弥呼は天照大御神
卑弥呼の死は日食を暗示
臺與=たいよう(卑弥呼の次の太陽)
当時の中華では「太陽」は「太陽」と読み書いていた
臺與は、台を与えると書くが
陳寿は卑弥呼(臺)の後継者(として与える)でありつつ
卑弥呼同様に太陽に関する人物と春秋の筆法で記した
すべて、辻褄が合う
畿内説は
卑弥呼=百襲姫=大物主を神降ろし=大物主を祀ることで治め
かつ天照大御神を外へ出すと言う論外ぶり
いかに畿内説が逆説であるか
おわかり頂けただろう
>>445
日本人をレイプで生ませた子どもだから 朝鮮人が寄生している方 >>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
>>767
ではネトウヨ竹田のY染色体を調べて白黒つけよう。 九州説は学者に捨てられてるから、九州説信者は安本とか古田に頼らざるを得ない
その結果、ますますトンデモのオンパレードになるわけだ
祝詞の日向は
伊都国から奴国への今の日向峠あたりとも言われている。
記紀はいわば倭国大乱の罪の告白書みたいなもので、その裏というか反対が今に繋がる正史
天智天皇はヤマタノオロチの系譜やろしな
イザナミ、黄泉の道敷大神の権威が今に繋がる
明治天皇が詠まれた歌
人もわれも 道を守りてかはらずば この敷島の国はうごかじ
葦原のみづほの國の萬代もみだれぬ道は神ぞひらきし
>>773
時は三国時代。
一説によれば、魏が呉への脅しも兼ねて、
倭国はさらに南まで島があることにしたかった
らしい。 >>732
>奈良が女王国の都、邪馬台国だが
いくら妄想を唱えても無駄! @阿波 魏志倭人伝を信じるなら、倭人は呉の末裔という記録も信じねばならん。
>>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
中国の中原の君主制だけが当時の政治システムではなく、柔然のような蛮族では部族長の合議体で
可汗を選んでいたという国家観の多様性と、シャーマンがすごい力をもっていると信じられていた
ということが、現代の日本人には理解できないだけだろう。
畿内では三角縁神獣鏡が多く見つかるよ
中国でも同じものが出てる
三角縁神獣鏡には魏の年号が入ってるものもあって
それがよく見つかる畿内が魏と朝貢関係にあった邪馬台国と結論が出てる
それこそ何十年も前から歴史学者はみんな畿内説を支持
なぜ魏志倭人伝だけ「一大国」なのか
他は壱岐、一支なのに
一
大
国
↓
天
国
天氏の国=天照大御神の支配地域
これが陳寿の筆法である
>>739
>近畿や九州おそらくは東海にも同等の国家が存在してたと思われる
その通り! 「忌部一族(阿波勢力)」の進出地だ。 @阿波 >>760
海人族だが高野新笠のせいで百済遺伝子が入り
平安京に遷都され朝鮮人部落西宮芦屋須磨が形成され
百済人の在原業平行平がそこで遊びほうける 卑弥呼=天照はまあ自然に考えたらそうだわな
日本人みんなが知ってるスーパーアイドルがそんな何人もいたとは思えないから
武士がみんな、俺は源氏の末裔だぞー、言うてたのと同じ
地名の響きが似てるとかで物を語るなよ
「やまと」という地名があったとして、それがいつからやまとと呼ばれてるのかを
調べないとなんの意味も無いんだぞ
記紀や魏志倭人伝を鵜呑みにするのもおかしい、聖典じゃないんだから
間違ってるのは当たり前
唯一正しいというか、確実に信頼できるのは発掘された土器や遺跡だけだろ
弟にのみ謁見を許して、群衆の前には姿を現さなかったため、謎だらけであります
>>750
聞いたこと無いって、現に今聞いてるだろアホが。 >>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
魏志倭人伝の邪馬台国とは畿内にあった大和国のこと
卑弥呼の時代の頃に魏と交流していた証拠が見つかっている
>>755
>要するに1が最も信用出来ない説と言う事
怖いのか? わははははは @阿波 >>773
女王国より北に一大率(伊都国)を置き、だからそうなる 九州は山に巨石文明みたいなのが結構残ってるよね
ただ山だと人口的に厳しい
どう考えたってたくさんの人が住むにはだだっぴろい平野がいる
平安時代の平安仮名文法やひらがなの開発定着以前の
当て字の漢字表記名は呼び方は発音表記もマチマチでバラバラなのですよ。
ですから表記された漢字から表音で推測し人物像まで推察して行かないと
いけない難しい作業が付きまとうのです。
>>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
>>792
東海地方が紀州伊勢同様に海人族の地域だったのは
黒潮の流れから間違いないが西側の遠州三河あたりで
その向こうに駿府という薩長奴婢トンキンに帰属しようとするアホ地域があるために話がおかしくなってる >>808
会話表音の意思疎通は出来ていたけど
文字文法の確立までは出来ていないのが現実なのです。
当て字の表音で書面を利用していたのが現実ですね。 >>741 都ではない 女王国だ
>自郡至女王國 萬二千餘里
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國
次有奴國 此女王境界所盡
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里
原文はこうなっており狗奴国の説明を省いた場合こうなる
次有奴國 此女王境界所盡 自郡至女王國 萬二千餘里
自女王國以北 とあわせて文章としてみると
帯方郡から1万2千里で女王国の境界で端にある奴国は
一番北にある2万余戸がある国ということになる
>残り千五百里
原文の「余」ってのがはっきりしなくて
どの程度までプラスされるのかわからないが
ちょうど千五百里足りないという主張には無理がある
帯方郡から七千余里で狗邪韓国
狗邪韓国から千余里で対海国
対海国から千余里で一大国
一大国から千余里で末盧国
末盧国から五百里で伊都国
伊都国から百里で奴国
七千余里 ←
千余里 ←
千余里 ←
千余里 ←
五百里
百里 九州は墳墓がたくさんあるからね
日本の中心であったことは明白
その後、東へ展開していったのだろうけど
>>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
まだ諦めないのか?大陸では国乱れ太平道教が黄巾の乱を起し張魯五斗米道が巫女を取り込み漢中に一国を築く、鬼道と否定され民間では禁止されるが曹操はそれを配下とする。陳寿は倭卑弥呼は鬼道の使い手、卑弥呼とは220年父の死を契機に二十歳で弟と列島に現れ五斗米道を布教し邪馬台国を纏めあげた張魯の美人な娘 、卑弥呼は剣と鏡と桃、桃がないとダメなの
>>765 だから違うというのは無理がある
吉備辺りが中継していたのかもしれない
直接行くには遠いからな
>近畿の征服者としての九州勢の面影は全く見ることが出来ない
これは簡単に否定できるこぴぺがある
福岡市が行った那珂遺跡群34次調査説明会の画像
紙に書いてる内容 読めないところは□
那珂八幡古墳後円部
南側周溝下層出土土器
(那珂遺跡群34次調査)
□弥生時代終末期〜古墳時代初頭の
□□□(「西新町式□□」、「庄内式」□
□「□□式」□□□□□□
西新町式T(編年240〜260年)と
庄内式TB(編年210〜250年)と
不明だがもうひとつ何かの土器が出たんだろう
その結果調査した専門家たちは那珂八幡古墳が作られたのは
弥生時代終末期〜古墳時代初頭 と判断した
つまり卑弥呼〜台与あたりの時代に福岡市に
86mと小さいが前方後円墳が作られた伊都国〜奴国周辺は
畿内のヤマトの支配下にあったと考えるのが自然
福岡・那珂八幡古墳
全長86メートル 前方後円墳、北部九州最初のモデル
https://mainichi.jp/articles/20190303/ddp/014/040/012000c
九州では最古の前方後円墳とも言われる那珂八幡古墳(福岡市博多区、
古墳時代初頭・3世紀中ごろ)で、
福岡市の発掘調査により前方部の端が確認され、全長86メートルと判明した。
同古墳の後円部・前方部の比率と同じ前方後円墳が北部九州に複数あることから、
同古墳を基本にした可能性があるという。
前方後円墳の普及の過程を知る上で貴重な成果となりそうだ。 >>788
高良山は気になるよな。
皇祖神のタカギムスビにのっとられたという神話も意味深。 >>779
君の言う「学者」って偽書記紀信奉の宗教者のことだよね
学問からはもっとも遠いところにいる人々の群れ 九州説って学者に捨てられてるんだな
まあ遺跡という考古学的に新しい発見がなかなか出ないから、そりゃ論文も書けないもんな
今更、魏志倭人伝の解釈がーでもないんだろうし
>>807
ヒルメ(昼女、アマテラス)の前にヒルコ(昼子)が流されたという神話もなんか符号しそうなんだよな。 アマテラスは山海径に出てくる太陽の女神義和だな
>>814
南至邪馬壹國女王之所都水行十日、陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戸
女王の都でもいいんだよ
ちょうどじゃなくて辺りって書いたんだが? 宇佐神宮とか太宰府とか平原遺跡とか福岡県みやこ郡とかが怪しいとも聞いたが
九州説は一つに絞ってほしいw
>>814
文字文法が完全に確立化しておらず
数的な距離も正確でないこの時代における
書面の表記は参考記録であり
額面上の数字表記をマルっと信用するような思考は
考古学や歴史学には向いていないと思う。
トンチキレベルにない整合性に近い推察能力を持った思考が無いと
ダメだと思うね。 >>189
だからそういう意図的な歴史の改竄を初手から行ってる書物の何を信用しろと言うのよ 魏志倭人伝はあくまで中国寄りの解釈でかいたものだろ
日本がいまだ未熟な小国だという印象操作の可能性がある
俺は近畿説に一票かな
なぜかという卑弥呼の時代は天皇の即位でいうと景行天皇〜
仁徳天皇時代だろその時は完全に大和盆地に朝廷があったと
考えた方が自然だろ
欠史八代は日本の黒歴史だったんじゃないかな
まだまだ内乱が多く女性が統治してたのもあり
歴史を隠ぺい、誤魔化しのために設定したのだろう
ヤマトタケルの時代の熊襲戦勝から、そのままそこに大きな拠点を築いたのが
九州説に関係してくるのかなと
>>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
ついに確定したか。 近畿説 m9(^Д^)プギャーw
とにかく邪馬台国のことを語るのに記紀の話を混ぜんな
神話とか混ぜると話がややこしくなる
>>825
今の自称学者どもは九州説どころか学問そのものを捨てている
万世一系説の維持のためなら何でもやる宗教者 光栄は畿内説を支持して、卑弥呼を大阪弁にしてたぞ
敵将、いてこましたった!
>>826
NHKだろ
中国朝鮮に都合のいい方向にしか話さないよ ごめん間違えたね
やりなおし
>近畿の征服者としての九州勢の面影は全く見ることが出来ない
>>669みてね
伊都国も纏向も
日の出が山のどこから上がるかで暦を支配していたと思われる
あと畿内で突然の銅鐸の廃止と銅鏡の登場 >>818
九州の一豪族に過ぎんやつらが
日本支配してマースってフカシこきやがったからこんな事になってるんだろ 記紀の布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話がある
神産巣日の新しい宮を焼き滅ぼすのが倭国大乱の目的だろう
神産巣日の新しい宮は何処にあったのか?狗奴国の中かな
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します
>>766
いや、日本書紀に注で書いてあるんだけどな。
難升米も出てくる。
日本書紀が適当に書いてるって事だろうけど >>842
魏氏倭人伝に邪馬台国が日本を支配しているなんて記述あった? 出雲説とか吉備説とか越前説とかはどうなん?
完全否定?
あのね、中国山東あたりは住民半分がコーカソイド系なの朝鮮半島の真向かいなの。
発掘した骨から遺伝子調査でもう確定してんの
この話題はとりあえず東大も京大も感情的になるの止めた方がいいぞ
この論争だけが群を抜いて異常
>>846
ウチの属国として金印やるわって話ちゃうんか? 漢400年が終わり三国魏の時代の中国においても
内陸部の蛮族地域では甲骨文字レベルかそれ以下の書面レベルと
識字率の世界であったのが現実なのです。
その時代における書面は日本にとって表音伝達でしか機能していない
文字なので数的記録として信用するのは間違いなのですよ。
>>830
高良を中心に考えると、宇佐は山を挟んだ瀬戸内海側の要衝となる。 >>842
ふかし、っつーか日本の土地がどこからどこまでなんて当時は知りようがなかったから
「自分らの知ってる範囲」では自分らが最大勢力だったんだろ >>851
ちなみに朝鮮には金印は見つかってない銀印まで
つまり中国は日本を格上と見てた証拠 >>849
日琉語族は山東省からきたって聞いた事あるな。
古代の斉に白人がいたって事? >>831 原文の「余」を軽視する九州の方がおかしいと思うけどね
魏志倭人伝原文だよ
七千余里 ←
千余里 ←
千余里 ←
千余里 ←
五百里
百里
「余」と書かれていることを無視して考える方が
魏志倭人伝を軽視してるんじゃないか >>18
厩戸皇子はいたけど聖徳太子はいなかったんですよ
まだ日本ははじまっていなかったのかw >>851
邪馬台国が日本を支配しているという記述が
魏志倭人伝にあるのですか無いのですか 九州一円でまとまってたとしたら そこから本州一帯は何してたんだよ
九州だよ。
「倭国大乱」で鉄製の武器が使われるようになったが、その武器が
熊本~大分でたくさん見つかっている。
他には無い。
>>855
漢委奴国王印
卑弥呼
格上の国に奴だの卑しいなんて字付けるわけ無いわ >>856
諦めてもいいけど邪馬台国は畿内とする根拠は示して欲しいな >>831 そもそも邪馬台国は女王30国の一番南の方にある
女王国からみて北にある国々の名前 奴国は一番北と読める
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國
次有奴國 此女王境界所盡
計其道里 當在會稽東治之東
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。 現代でも尖閣の歴史についてあーでもないこーでもない
と係争中なのだから、中国(魏)の言い分をそのまま鵜呑みにすることはないわ
倭人伝は参考程度で、日本にある物証(記録やもの、時系列)で
謎を解決すべきだろ
歴史の必然性理解空いてないお花畑理論
左巻きマスゴミや女にウケそうなつまらん説
>>862
中国とか関係なく暮らしてただけだろ
ただ当時中国と接点を持てるのが九州勢だけだった、ってだけ 傍国は女王国の境界の外にあり境界を為す国だね
傍とはそういう意味
>>865
いや中国の脅威になりそうな匈奴とかにも金印送ってるよ
匈奴って卑しい字だろ
基本中国は脅威な国を蔑む感じで名前を付ける
それはある意味ライバル視してたからこそともいえる >>844
つか、半分中国人が日本書紀書いてるのに
邪馬台国が大陸と関係しているのなら
書くだろw >>869
日本には「当時」の記録がないので
まだ日本には文字がなかった頃の話だからね
日本には邪馬台国当時の「事実」を記した書はない 地形的に見ても畿内だよなあと思う
当時の大阪湾の海岸線はもっと内陸にあったから、
堺の仁徳天皇陵が海岸線にあり、山脈の切れてるところが古代から続く街道になってる 今Wikipediaで再度勉強し直してきたけど、どう考えても九州説が強いな。
俺はてっきり魏に行ったのは一回だけかと思っていたが、魏側の張政という人も邪馬台国に来てるし、壹与の使者も晋に行ってるから、複数回往来があったということが分かった。
わざわざ、クソ遠い畿内と中国を往来する意味が分からない。
あと、中国って、琉球のことをずっと沖縄のことだと勘違いして、元史にも琉球に遠征軍を送ったが成果は上がらなかったとあるが、沖縄側には元軍が攻めてきた資料は存在しないから元代までずっと台湾を琉球だと勘違いしていた。
やっと、台湾と沖縄が別の島だと気づいたのは明代に入ってからで、「今までの琉球の記述と違うやん。日本語の方言喋ってるやん」となって気づいた。
上記の理由で、後漢時代にわざわざクソ遠い畿内と中国を往来したとは思えない。
本当のこと知りたいだけなのに。
ま、日本は余裕あるからかも知れないけど。
絶対民族入れ替わってないから。
邪馬台国も卑弥呼も完全に中国(魏)による当て字だろ
そこに惑わされすぎなのではと俺は思うぞ
大和朝廷の前身かまたは拠点の一部だったんだろう
>>874
漢の高祖劉邦は、匈奴の冒頓単于に捕まったからな >>866
九州はまずは場所特定しろと
九州内で内輪もめになって足並み揃わなくなるけどな >>876
他に判断材料はないものか
今の中国人の民度を見ても分かるように
当時の中国人が忠実に書いてるとは絶対に思えない
もう魏志倭人伝を金科玉条のように扱って考えるのやめてほしい
別の手法を考えよう >>1
住んでいる地域は畿内でも九州でもないから
どっちにも思い入れはないのだけれど
九州説のほうが説得力があるんだよな
たぶん、畿内に住んでいない人は、九州説のほうが正しいだろうなと持っている人は多いよな アホか
畿内説で決まりだよ
証拠や事実なんて関係ない
俺達より頭いい学閥が決めたんだから畿内が常識
テオフィラクトの記録に「アヴァール民族中に住む Hermichion の王の Askel なる者が、563年に東ローマに使者をよこした」とあるが、この「Hermichion」を、真正アヴァール(柔然)が虫に関する蠕蠕と呼ばれたように、ペルシア人が偽アヴァールを Kerm(虫)の名で呼んだものであるとした。
発掘が進んで考古学が発達した結果
畿内に有利な証拠ばかり見つかって九州説は終息した
魏志倭人伝の都合のいい部分を取り上げても意味は無いよ
邪馬台国が南の方の島国にあるという前提で書かれてる
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は間違ってるってことがわかるだけ
計其道里 當在會稽東治之東
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。
所有無與?耳朱崖同
>有無する所は?耳、朱崖と同じ。
持っている物、いない物は?耳、朱崖(海南島)と同じである。
倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣
>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。
>夏后少康の子は会稽に封ぜられ、
>断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
>今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、
>文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
>後、稍(しだい)に以って飾と為る。
夏后(王朝)の少康(五代目の王)の子は、会稽に領地を与えられると、
髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。
今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、
入れ墨はまた(少康の子と同様に)大魚や水鳥を追い払うためであった
後にはしだいに飾りとなった。
参問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連 周旋可五千餘里
>倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
倭地を考えてみると、遠く離れた海中の島々の上にあり、
離れたり連なったり、巡り巡って五千余里ほどである。
>>875
薩弘恪や続守言たちは当然知ってただろうね 答え言ってるよ、すでに
出雲国が「東北の方向」だってw
つまり「九州から見て、東北の方向」w
記紀との整合性も合ってるw
卑弥呼は鬼道を使っていた
鬼は死者を表し、鬼は東北・鬼門の方角
つまり、その方角に根の国がある
九州から見て東北にあるのは出雲=根の国だ
魂の「云」→雲の「云」
そして、根 = 木+艮(うしとらの方角)
艮は、山にかたどり、静止の徳を表す八卦の一つ
邪馬台国の邪馬(やま)or邪(シャン)は「山」で間違いない
ちなみに、この頃はまだ「オニ」と言わない
鬼の類いを「モノ」と呼んだ、いわゆる「もののけ」
オオモノヌシのモノ
霊力のある人名には根子が付く
神武天皇の三韓征伐は好太王碑で391年頃って確定してるからね
原本の全く残ってない記紀とは資料価値のレベルが全く違う
>>865
どこにでもつけるよ。
そもそも自国以外は蛮族とするのが中華思想
自国の文化伝統を否定して中国を尊ぶのが朝鮮独特の小中華思想 邪馬台国の時代の纏向は、
外来土器の出土状況から、
中国地方〜関東まで支配する、
大きな国だった事が分かる。
コレが記紀で言う、崇神天皇の、
四道将軍の派遣による支配と一致し、
崇神天皇=御間城=彌馬升であり、
邪馬台国の副長官で会った事が分かり、
邪馬台国の中では、投馬国〜宇佐まで
支配していた生目の方が、
地位が高かった事が分かる。
どちらであっても誰も傷つかない論争 結論の出ない歴史の謎
ステイホームにはもってこいの いい趣味だな 本当に感心する
おれが今住んでる土の下が邪馬台国、と結論出ても驚かないかも
一応、金印がないかは探すけど 国に持っていかれるんだろうな
>>881
寿命が30歳ぐらいだった時代に130歳まで生きた奴の話なんか無視していいやろ
記紀を根拠とするならまず記紀が歴史書として信用に値するかどうかを証明しないと 宗教的支配者、カトリックなりイスラムみたいなもんだな
>>881
大和朝廷を正当化する書物だから
大和朝廷にとって邪馬台国はアンタッチャブルなのだよ
神話としてシレッと匂わす感じで書いてる程度だし
それに日本書紀の作者の天武天皇がそもそも胡散臭い >>884
それだけいろいろ遺跡やら遺物やら出土しまくって多士済々ってことだよ
悲哀の虚妄畿内説からみればうらやましい事態 神武天皇を3世紀から4世紀とすれば、九州から畿内に移るのは記紀神話通りとなるよな。纏向はニギハヤヒ(物部氏)の王朝だろ。
>>899
考古学的に証明されてることは沢山あるよ
そもそも日本書紀や古事記より魏志倭人伝を信用する根拠はなんなん? >>878
畿内から帯方郡までは九州北部の2倍近くあるからね。
畿内が邪馬台国なら持衰とかめっちゃ大変 >>877
無理でありえませんね。
海洋の船が出てくるなら地政学的にまず吉備国が先にあらゆる海外交易
の品や情報文化を得ることになるのでもっと吉備国に
卑弥呼関連の品や伝播継承の関連が出てきますよ。 >>878
海の文化圏っつって古代は我々が思ってる以上に海上交通でつながってるよね
というか九州まで来れるなら畿内なんて一駅先ぐらいの感覚やろ
玄界灘と比べたら瀬戸内海なんて楽勝の内海
玄関の門から家まで庭の敷石レベル
三種の神器出土地
年代順 遺跡名 所在
1. 吉武高木 福岡市西区
2. 三雲南小路 福岡県糸島市
3. 井原 福岡県糸島市
4. 須玖岡本 福岡県春日市
5. 平原 福岡県糸島市
弥生時代の三種の神器の出土地は
総て福岡市近郊であり、奈良は勿論
佐賀の吉野ヶ里や朝倉市の平塚川添遺跡
からも出土していない
要するに天皇家は福岡市西区が発祥地と言う事だ。 後漢書東夷伝
「倭の奴国が朝貢してきた。倭国の極南界にある。金印を与えた」
魏志倭人伝
「女王国より北は分かるが、その先は分からない
女王の先に奴国がある。女王国の境界の尽きる所である」
どちらが先かは分からんが
言ってることは同じだと思う
後漢書の奴国が北九州にあることは金印が北九州から
出てきたらしいから、確かなんだろうが
「北九州が倭国の南端」が後漢時代の中国の認識らしい
三国志時代も同様の認識だったから女王国の南端に
奴国があると考えたんだろう
もしも後漢書の奴国=三国志の奴国だというなら
相変わらず北九州のことしか言ってないことになる
記紀は、吉備出身の御間城氏の物語と、
日向出身の生目氏の物語と、
高良山周辺の丹波氏の物語を、
1つの氏族の物語の様にまとめてあるので、
3倍ぐらいの時間的ボリュームがある。
>>902
天武系は早々に滅んでるから今残ってる文献は天智系に都合がいい内容だよ 神武東征とかないからな
奈良の遺跡から分かることは、卑弥呼を担いだ東海勢の西征、山陰勢の南征、吉備の東征
倭の王は他にいてゴミクズシナ猿の
対応をしたのがヒミコ
中国人のプライドを傷付けちやったから
ヒミコを王扱いにしたw
魏の使者が伊都国(福岡県糸島市)で邪馬台国と連絡をとりあってたんだろ?
そうすると九州説も捨てがたいんだよね
考古学的に有力な証拠などで
学説的には邪馬台国は畿内で何十年も前に結論が出てる
九州説はどうやら日本の歴史を憎む不可解な団体が関与してるらしい
>>905
倭人伝は当時文字があった時代のことを
後世の人が編纂した歴史書だろ
でも日本書紀や古事記って文字がなかった時代のことを
語り伝えから後世にまとめた歴史書だろ
大昔からの聞き伝えの神話をまとめた日本の歴史書よりも
もともと文字として残っていた書物をまとめた魏志倭人伝のほうが信頼できるだろ? >>877
仁徳天皇陵超えて湾岸の方に行くと下りの道になってて海抜低いな
堺市の堺区や西区って全部埋立地なんか? >>905
両方編纂された二次史料だけど、魏書は3世紀末の成立、古事記は8世紀とかなり遅れるし、編纂者の利害関係で操作された可能性が高い。 >>925
ミズハノメを祭ってる神社がいくらでもあるでしょ
辰砂の原石をご神体にしているところすらある >>911
金印の漢委奴国王は奴国でなく委奴国(いとこく)つまり伊都国と見た方がいいと思う >>720
御井の高良山の神籠石遺跡はかなり大規模なもので
かつ九州各地にある神籠石遺跡のセンター的位置のもの
あそこは筑紫平野の軍事的要衝になる
あれが邪馬台国だと考えてまず間違いない
>>918
いいことだわ
日本の古代史の本質は邪馬台国がどうこう以外のとこにあるっぽい?っていうムードが広がってきたか この野郎っ! ジーグブリーカー!! くぅぅっ……死ねぇっ!!
九州説の爺の集まり行けば判るが、只のマウント取り合いバカしかいないからなw
>>919
狗奴国との戦いを帯方郡に報告してたぐらいだからね。
帯方郡と邪馬台国と狗奴国の位置関係を考えると北部九州だろうね >>908
吉備国ではたくさん人が住めん
人口=国力だから、生駒金剛の山地を自然の城壁として
その奥の稲作に適した広い平地に大きな国ができた
古墳がたくさんあるのは、それだけ動員できる人口が多かった、その人達を養える豊かさがあったっていう単純な話
大きなビルが多い東京よりも岡山の方が大都市なんて言うやつはいないだろ >>922
たぶんこいつの正体日本の歴史を憎む九州説ネット工作員 >>932
偽書だけど、まずは読まんと話にならんわな
「正式な」記録がこれしかないのだから仕方がない 魏の影響はあったの?
もしあったなら、九州だけ?近畿や他の地域にもあったの?
九州説はいくら日本の歴史が嫌いだからって神社に放火とかするなよ?
考古学的に見て、纏向は、
崇神天皇の四道将軍の派遣した範囲を
治めていた国である事は間違いない。
コレが御間城であり、邪馬台国の副長官で、
邪馬台国の長官が、投馬国〜宇佐まで支配していた
生目であるのだから、
纏向政権そのものは、
邪馬台国の中では地位が低かったと言う事になる。
>>936
涙拭けよマウント取り合いしてるただのバカw >>931
そうだね、畿内の邪馬台国が出張して足場にしたんだよw >>939
たぶんこいつの正体日本の歴史を憎む畿内説ネット工作員
つまり近畿パー >>942
魏で作られた銅鏡が畿内からはたくさん見つる
卑弥呼がいた時代の魏の年号が入ったものも見つかってる 畿内説はいくら日本の歴史が嫌いだからって神社に放火とかするなよ?
三島由紀夫みたいにホモセックスして切腹とかだけにしとけな
畿内派は纏向遺跡、三角縁神獣鏡を根拠としてきたけどそれが根拠にならないことが示されちゃったからな
(否定する材料にもならないが)
ほんでそれ以降邪馬台国は畿内とすることを示すようなものってなんかあった?
>>926
身の丈十二尺(魏の尺で288cm)で、体が鱗で覆われている。
穀物の類は一切食べず、生きた獣や蛇を食べる。
油を藤の蔓に染み込ませて鎧状に編んで乾かした鎧を着ているため刀や矢は通用せず、川などでは浮いて移動する。 >>948
ほう。
魏の影響がその当時のいろいろな地域に及んでいたかは気になる 銅鐸は近畿
銅矛は九州
銅剣は瀬戸内海
と学んだんだがw
>>942
畿内で沢山の神獣鏡がある以上は影響は畿内までだよ。 ここの書き込み見て、九州説は反日とか書いてあるから、畿内説ってイデオロギーなんだな。
それ初めて知ったわ。
日本書紀や古事記は嘘で魏志倭人伝の邪馬台国が本当なんだ
なんて歴史観は完全におかしいやろ
こういうスレが立ったよ
ってしばらく2週間くらいしたら、NHKで特集番組をやってることが
よくある
PRで先行して擦り込みさせて、みんなが番組をつい見てしまう
邪馬台国の番組は本日正午よりBSブレミアムで放送(お楽しみに)
>>947
九州説はこうやって都合悪くなるとオウム返しをしてくるからね
説じゃなくて畿内説に対する単なる嫌がらせをしてるだけの証拠 >>943
そういや明治政府って神社の記録を徹底的に焼き払って記紀を原典にしてしまったんだよなあ
その焼け跡で快哉を叫んでいるのが今の自称学者研究者ども
学問から最も遠いところで虚妄の畿内説を叫んで何がうれしいのだろう >>948
魏で作られた銅鏡って何のこと?
三角縁神獣鏡以降なんか見つかったん? >>952
卑弥呼の時代のころは畿内で一番よく見つかってる >>905
古事記は神話で魏志倭人伝は史書。
古事記が正しいのもあるし魏志倭人伝を全て否定出来るものでもない。
神話研究者的には神話と歴史とを混同してはいけないと言ってるよ。
>>932
読んでる。 >>959
涙拭けよ都合が悪くなった近畿パーwww >>950
鬼道使いに必要な神獣鏡を国産出来るんだからそれだけで十分に証拠になるだろw >>955
邪馬台国や魏のことをまったくしらないが、
もし魏の影響が地域限定的ならば、なぜなのか気になる >>948
でも魏ではない年号の入った銅鏡が発掘されたことから
日本で偽造されたものと判定されているんでしょ? >>956
そういうこと
畿内説というのは邪馬台国から現皇室までつながっていてほしいという宗教のたぐい
もはや学問ではない >>962
糞食って死ねば治るよwww
それかホモセックスして切腹とかwww >>956
イデオロギーってより畿内説否定されると
おまんまの食い上げになる人がいるからね
お金よお金
研究費、助成金 >>961
画文帯神獣鏡や方格規区神獣鏡などが畿内で出てる
景初3年や青龍5年など240年くらいの魏の年号が入ってる
240年ころは卑弥呼のいた時代 どこでもいいけど
当時の日本のいくつかの地域に、あったんじゃね?
1つだけじゃなく
根本的に魏では銅が出土しなかったので、
100枚を大きく上回る三角縁神獣鏡が、
魏鏡であった可能性は無い。
>>905
良くも悪くも万世一系天皇家だからな
天皇家にとって都合の悪い歴史は全部抹殺されてるから >>975
それが「魏で作られた物」って証明されたん?
年号はぶっちゃけ意味ないよ >>968
いやいやちょっとまて
神武は実在なのはまず間違いない
男系でないだけで現皇室とアメノミナカヌシは本当に血は繋がってるよまず間違いなく >>967
存在する年号が入った者も見つかってるので
畿内は魏と交流していた証拠 畿内説の主張は証拠云々より、畿内でないと精神的に受け入れないニダ!と言ってる奴等に似ている。
>>853
高良大社の真東にある日田市が気になる。
西側に海が開けていて、山(戸)を越えた先の盆地という所が
奈良と似ている。
そうして日田市から東側の海に突き出した半島の付け根に
宇佐神宮があり、奈良の場合は伊勢神宮がある。 >>974
鉄器のない畿内に魏志倭人伝はナイナイ。
九州王が亡くなった時墓所として選んだのが畿内だな。
お供物は桃の種。 >>980
三角縁神獣鏡の科学分析で
使われている銅は魏の鏡と同じものである事がわかった >>938
数は関係ありませんよ。
集落地域のある場所と停泊港である津の中継地とあること事が重要で
集落人口規模はあまり関係ないのですよ。
地域の有力者が存在すればよいのです。
そこに伝播継承される話や書物が最大の決め手になると思いますよ。
中継地吉備国に中国と畿内を結ぶ伝播伝承の話がほぼ一切ないという事が
問題なのです。
吉備国は伝承はとにかく奈良平安以降からのモノばかりで
卑弥呼関連の古代がありません。 とにかく日本書紀と古事記をまず読んでから語ろうや
前提が無茶苦茶だと話が噛み合わない
万世一系は血族って意味で考えれば良いだけ
正しいよ
大体がアマテラスは女だろが
万世一系は男系では明らかにない
>>968
万世一系ってそれが日本人の国民性なんじゃね?と思う
邪馬台国から政権変わったときも、じゃあ卑弥呼の権威を利用しようと天照にしたし、
武士が台頭してきたときも、政権は取って変わらず、天皇に征夷大将軍にしてもらったし、
明治維新でも、太平洋戦争負けたときも、とりあえず天皇は残そうぜ、になった
ここまで来るともう日本人の民族性だわ
中国との一番の違いはそこ 天皇家の祖先は宇宙から飛来してきた異星人地球人類を創造した後世に作られた偽書原本東京大空襲で焼失写本しかない
富山の皇祖皇太神宮が茨城に再興され管長職の竹内家が代々受け継がれてきたもの
天神、上古(かみふる)、不合(ふきあえず)、神倭(かんやまと)宇宙の創世記から神武天皇までの歴史を記した
日本の天皇系が宇宙船にのってやってきた異星人
とにかく鏡に関しては曹操の墓から見つかった物と同型の鏡が見つかってる九州の方が有利だわ
>>992
九州王朝説の古田派の幹部はほとんど関西だなw >>990
邪馬台国はあくまで魏志倭人伝にかかれているので
記紀は関係ない……とか言ってみる。 mmp
lud20230103233322ca
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