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![【ウイグル】すべては1本の電話から始まった… 新疆「再教育キャンプ」を生き延びた女性の告白 「お前の娘はテロリストだ」 [どこさ★]->画像>4枚](https://courrier.jp/media/2021/05/13003626/210512-uighur-xinjiang-re-education-camp-1.jpg)
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![【ウイグル】すべては1本の電話から始まった… 新疆「再教育キャンプ」を生き延びた女性の告白 「お前の娘はテロリストだ」 [どこさ★]->画像>4枚](https://courrier.jp/media/2021/05/12234730/GettyImages-1228072737-1250x834.jpg)
ギュルバハル・ハイティワジは10年間のフランスでの亡命生活の後、書類へサインするため一時的に戻った中国で拘束された。それから2年間、ウイグル人の彼女を待っていたのは「再教育」という名の拷問と洗脳だった。
■カラマイからの電話
2016年11月19日 パリ──その男は電話で、石油会社の経理部の社員だと名乗った。声に聞き覚えはない。電話をかけてきた意図がまったくわからなかった。彼は2006年、私が新疆ウイグル自治区を出てフランスに渡ったとき、当時の勤務先だったカラマイ市の石油会社で無給休暇をとっていたことに触れた。通話は雑音まじりでよく聞こえない。彼は言った。「早期退職に関する書類にサインが必要です。カラマイに戻って来てください」
「それなら、委任状を作ります。カラマイには事務手続きを代わりにしてくれている友人がいますので」。私はそう答えた。「いったいなぜたった数枚の書類のために戻る必要があるのでしょうか? わざわざ移動して。それに、なんでいま?」
男は質問に答えなかった。彼はただ、委任状で事足りるか確認し、2日後に改めて電話するとだけ告げて電話を切った。
私たち家族は2006年からフランスに住んでいる。2人の娘は父親同様、難民認定を受けた。夫のケリムは亡命の申請をしながら決断を下した。フランスのパスポートを得るということは、中国の国籍を失うことを意味する。
私にはそれができなかった。
(略)
男は2日後、再び電話をかけてきた。「委任状ではだめです。やはりカラマイに来てもらう必要があります」。私は同意した。ただ書類のために行くだけだ。
「わかりました。できるだけ早く伺います」とだけ答えた。
(略)
■「お前の娘はテロリストだ」
(略)
2016年11月30日 カラマイ市──中国に着いて数日後のその日の朝、私は早期退職に関する書類にサインするため、石油会社に来ていた。
(略)
すると、警官が一枚の写真を突きつけてきた。血の気が引いた。何千回と見てきた顔がそこにある。ふっくらしたほっぺた、すっと伸びた鼻……私の娘、ギュルマルだ。
彼女はパリのトロカデロ広場で、私がプレゼントした黒いコートに身を包み、東トルキスタンの小さな旗を手に持って微笑んでいる。ウイグル人にとって、この旗は独立運動を象徴する。そのため、中国政府は使用を禁止しているものだ。その写真は、新疆でのウイグル人抑圧を批判する、フランス在住のウイグル人団体が組織したデモで撮られたものだった。
政治色の有無にかかわらず、フランスでのこうした集まりは記念日やお祭りと同じように、ウイグル人の再会の機会だ。新疆での弾圧を訴えるため参加することもできるが、ギュルマルのようにただ友達に会うため、亡命者コミュニティーの結束のために参加することもある。
当時、夫のケリムはよく参加していたが、娘たちは2〜3回参加しただけだった。私は一度も行ったことがなかった。新疆を離れてから、私はますます政治への興味がなくなっていた。
突然、警官は机をドンと叩く。
「彼女を知っているだろ」
「はい。私の娘です」
「お前の娘はテロリストだ」
「いいえ。なぜ彼女がこのデモにいるのかわかりません」
私は何度も繰り返す。「わかりません。そこで彼女が何をしていたか知りませんが、何も悪いことはしていないと誓って言えます! 私の娘はテロリストではありません! 私の夫もです!」
会話の続きは覚えていない。どのぐらい続いたのかもわからない。会話の最後に苛立って「そうですか。終わりですか。もう行っていいですか?」と言ったことは覚えている。すると、警官の一人はこう答えた。
「ギュルバハル・ハイティワジ、終わりではない。始まったばかりだ」 (続く)