壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門と共に、幼くして入水した安徳天皇をしのぶ先帝祭が、山口県下関市阿弥陀寺町の赤間神宮で3日、開催された。新型コロナウイルス感染防止のため、本殿祭と太夫らが豪華な衣装姿で本殿に拝する「上臈(じょうろう)参拝」のみが非公開であった。
先帝祭は約30万〜40万人が集まる恒例行事。中でも、太夫が八の字を描く独特な足さばき「外八文字」を披露しながら市内を練り歩く「上臈道中」が人気だ。しかし今年は、新型コロナの影響で中止となり、参拝のみとなった。
午前11時に上臈参拝が始まると、拝殿内は笛や笙(しょう)の雅楽が響き、厳かな雰囲気に包まれた。最初に振袖(ふりそで)太夫、続いて傘留(かさどめ)太夫が、警固、禿(かむろ)と共に拝礼した。
…続きはソースで(動画あり)。
https://mainichi.jp/articles/20210503/k00/00m/040/091000c
2021年5月3日 16時10分 >>1 雅楽が響く中で、舞台に向かって太夫が歩いていく姿を、動画で見ることをお勧めします。 【古典怪談→コピペ改変(安徳天皇も小泉八雲も脱糞の完全逝っちまってるバージョン】
ベルリンの教会にホーイッヒー(ホゥイッヒとも発音される)という盲目のネオナチの
スキンヘッドのラッパーが雑用係として住んでいた。ナチス第三帝国物語の弾き語りが得意で、
特にベルリン陥落の段は「サタンや古代バビロニアの魔神パズスも涙を流す」
と言われるほどの名手であった。
ある夜、神父の留守の時に、突然どこからともなく国防軍将校と名乗る一人の男が現われ彼に
請われ「高貴なお方」の屋敷に弾き語りに行く。そこにはワグナーの神々の黄昏が荘厳に響き、
多くの貴人たちが集っている様子。そして彼はベルリン陥落の戦いのくだりを、と所望される。
「♪ソ連のYO!戦車がYO!殺到YO!意気揚々!敵機らYOYO!地面に転がる無数のチェキラッチョウの
敵薬莢!YOYO白くなりゆくやまぎわ!いとおかしくもなんもねえ!国防軍は一生一緒に
いてくれや?!わるそなトモダチ・ムッソリーニ!俺のマブダチ生涯の友!最高の先輩!
だけどとっくに宙吊り死体!愛人と一緒に宙吊り死体さバビロン!
さらにくらうは猛砲撃・炎上燃え尽きわが闘争!千年王国もうバビロン!
ごめんねフリードリッヒ大王許せよYO!だけどYO!信じてついてきてくれた親衛隊に感謝!
ヒトラー・ユーゲントの青少年に感謝!育ててくれた陸軍に感謝!空軍に感謝!弱かったけど
一応海軍にも感謝!」
皆熱心に聴き入り声を上げてすすり泣き、「イタリアが勝手なギリシャ侵攻で足さえ
ひっぱらねば」「スターリングラードよりもモスクワを攻めていれば」などの声が。
連れてきた将校の声もかすかに聞こえてくる。「いかがですか宣伝相殿!」「うむ!想像以上!
圧巻ではないか!見よ!あの総統閣下の感涙を!!」「おお!!!」そして彼は七日七晩の
弾き語りを頼まれ、夜ごと出かけるが、将校にこのことは誰にも言うなと固く口止めされた。
気づいた神父が信者たちに後をつけさせると、深夜の大雨の中、ホーイッヒーは一人、無人の
荒れ果てた墓地で、恐ろしいほど無数の鬼火に囲まれてシャウトしまくってYOYOしていた。
驚愕した信者たちは強引にホーイッヒーを連れ帰る。そこは残党によってナチスの最高幹部達が
密かに葬られたと、そういう噂のつきまとう今は荒れ果てた墓地であった。
神父は、このままでは彼が怨霊に殺されてしまう、あいにく今夜はリボ払い…いや悪魔祓いで
そばについていてやることが出来ない、彼をその席に連れていけば、怨霊をさらに倍!倍率ドン!
倍返しだ!でフレディVSジェイソン的なカオス展開になりかねないと懸念した。
そこで神父は魔除けの聖書の言葉をホーイッヒーの全身に聖水で書き写した。そして絶対に音を
立てず動かないよう堅く言い含め。しかし…このとき耳に写し忘れたことに気が付かなかった。
その夜、いつものように将校が迎えに来た。しかし聖書の書かれた体は、怨霊である将校には
見えない。呼ばれても返事をしないでいると怨霊は当惑し、「返事がない。ただのしかばねの
よう…おまいう!てか俺言う!?怨霊がしかばねってあーた!まあそれはいいとして…楽器が
あるが、ホーイッヒーはおらん。葉月ルーペでも見えなぁい!上に座っても…キャッ!…」
というさむい独り言が。独言でドイツ言語であるのは言うまでもない。
だが、写し忘れた耳のみが暗闇の中で見え、「なるほど。返事をする口がないのだ。両耳の他、
体は何も残っておらん。ならば、出来る限り総統閣下の仰せられた通りにした証として、
この耳を持ち帰る他あるまい。」と言い、ホーイッヒーの頭から耳だけをもぎ取った。それでも
ホーイッヒーは身動き一つせず、声を出さない。我慢汁いや耳からの激しい流血にも我慢しつつ。
明け方になり帰って来た神父は、血だらけで意識のないホーイッヒーの様子に驚き、初めて、
耳だけの書き漏らしに気付き、自らの非を詫びた。その後、ナチスの怨霊は二度と現れず、
耳の傷も無事に癒え、この不思議な出来事が世間に広まり、彼は「耳なしホゥイッヒ」と呼ばれる
ようになった。やがてラップの腕前もさらに評判になり、その後は何不自由なく暮らしたYO!
だけど聖書の言葉は包皮にも書き忘れていたが包茎のままで、皮なし包皮ーになれなかったYO
死罪になった天皇はいるでしょうか? いるなら誰ですか?
暗殺された天皇はいるでしょうか? いるなら誰ですか?
歴代天皇で最長寿は誰で、死んだのは何歳でしょう?
在日朝鮮寄生蛆虫だらけ
毎日
おまえらに関係ねえだろ
暗殺された天皇は崇峻のみとなってるが
飛鳥平安時代のいろんな天皇のきな臭い死に方見てると、そんなわけないと言える
耳なし芳一の舞台の寺な
(明治に神社に変更させられた)
>>12
>暗殺された天皇は崇峻のみとなってるが
いや、安康天皇も暗殺されたと明記されている。 三種の神器ってこの時沈んだって説もあるけど、今あるのはなんなんだろうな
見た人はいないらしいけど
>>21
今あるのがレプリカか、
平家が持ってたのがレプリカだったかのいずれか 戦犯の愚王ナ★ヒトも入水するとかヤスクニの鳥居でセルフ縛り首すればいいのに。
韓国に誠意を表せないこのジャップという戦犯国が心から恥ずかしい。
>>6
全く面白くないYO
自分のオリジナルを考えろw 当時の政治情勢がよくわからんのだが、
安徳天皇が死なないといけなかった理由って
何なの?戦に負けてもさすがに帝の命まで
取る可能性はなかったってことはないの?
仲哀天皇も暗殺されたんじゃない?
「新羅は金銀と宝に満ちた国である。(ほんとかね。)」と言う神のお告げを信じなかった
ために神罰を受けて死んだとされてる。
天皇の死後、神功皇后が新羅遠征を進めた。すごい女性だったんだね。
安徳天皇は幼帝なのに、なんで花魁みたいな人が供養するんだろう。
???:草gの剛がマッパで壇ノ浦に扇を頭に括り付けてにゅうすいしたら草薙の剣は返したあげる
>>27
平家が追い詰められて安徳帝もろとも入水した
源氏としては、安徳帝まで殺すつもりはなかった >>27
入水したのではなく母親がさせたんですよね したのとさせたのではだいぶ意味が異なってくると思いますが
>>27
平氏の息のかかった天皇を生かしてはおけないって理由じゃない?
平氏も源氏も元をたどれば天皇の子孫なんだけどな >>27
むしろ源氏側の戦争目的は天皇と神器の奪還
戦闘でその目標達成を阻止できなくなったら、奪取される前に始末するしかねぇだろ >>23
先の大戦で敗戦色が濃くなった時期に
軍部が熱田神宮に草薙の剣を出せと詰め寄り
宮司が絶対に常人が見てはならんと断ったが
それでも脅して出させたら、青白い光を放って出して来た神社職員と
軍部の人間が骨まで溶けたって話がある
言っとくが帝都物語じゃないぞ >>31-32
そうそう。なんで自ら(というか周囲が)入水を選択したのか
よくわからんのよ。源氏が天皇という存在に手をかけるリスクを
負う可能性があったのかなと思って。 >>36
> むしろ源氏側の戦争目的は天皇と神器の奪還
なるほどなるほど。 >>28
仲哀天皇のモデルは崇峻天皇であり、
神功皇后のモデルは推古天皇だと思う。
だから、暗殺されてるとみなしてよい。(´・ω・`) >>28
>なんで花魁みたいな人が供養するんだろう。
それ、私も思った
供養祭りが代々続くうちに、遊郭の花魁が祭りに参加するようになったのか
それとも、もともと花魁より古くからある身なりで、その姿を花魁が真似たのか >>37
それほどの霊威があるなら熱田神宮のが神代より伝わる本物で、
平家が持ち出したのがレプリカだったんだろな >>38 二位尼に武士的感覚が強すぎた。(´・ω・`) 思わず調べた岡田奈々の映画は稲穂祭だったか
赤間神宮
裏手にある平知盛たちの七盛塚と、耳なし芳一
>>27
平家の血を引いていたから、生きていてもどうなっただろうね 上臈とかって、ぶっちゃけ売春婦だよね
なんか恥ずかしくないのかな
>>41
江戸時代の芸能プロダクションのトップスターやからちゃうん? >>37
チェレンコフ光を発するとか草薙の剣やべえな >>32
祖母である二位の尼(平時子)か按察使局が抱いて入水ということになってて母親ではないでしょう。
どちらであるかは平家物語を取るか吾妻鏡を取るかで異なるが、多くの場合は「海の底のも都はございます」と言って二位の尼が幼帝を抱いて海に飛び込んだという平家物語の描写が採用される。
母である徳子(建礼門院)は安徳帝のあとに飛び込んだが救出された、あるいはあえて生き残った。 >>38
歌か何か詠んでいませんでしたか
理由にも触れていたはず
結局島流しなどのひどい扱いを受けるのは決まっていたからとかprideの問題でしょうか >>41
お付きの人たちが、花魁に変装して逃げたから >>55
やっぱり、ユダヤと古代神道は繋がりあるのかな >>54
どちらにしても本人が入水を選んだ訳でも入水した訳でもないですよね 天皇という最高位の身分だから死刑にはできない。
降伏すれば出家するだけで許されたんだが。
昨今、長い間日本民族で己の中では単なる祭りでしかなかったものが
突然、奇祭に見え始めただろ?
それはあたかも、なんじゃあこりゃあ!という。
これこそがキリスト教精神入りの繊維で織られた日本国憲法という名の
法被(はっぴ)から発散される遠赤効果で、田吾作脳が年々ほぐされてきてる
証左なのであり。どうですか?ねえ。
>>59
八咫の鏡の裏にはヘブライ語が書いてあるらしいね 源氏さげキャンペーンの一環
びわ法師工作員が全国に広めて人気落ちた源氏は三代で滅んだ
>>62
島流しは辛いでしょう
そして死刑はなくても暗殺はあります >>55
レイダースの時代は、まだ第二次大戦が起こってないけどな。 平家ガニって食えるんだろうか
他県じゃ売ってるの見たことないが地元じゃ流通してるのかな
京では後白河院の院宣によって三種の神器なしに弟(後鳥羽帝)が即位しており、改元まで行われている。
仮に安徳帝が生き残ったとしても退位扱いは当然であったし、残党による擁立を恐れて幽閉されるくらいはまあ。
平家というか少なくとも二位の尼としては、そのような不憫な状況に幼帝を戻すよりはいっそのこと…という心境であったろう。
もちろん現代の価値観からすると小さな子にそんなことを、とは思うけど。
>>43
なるほど。確かにそういう要因もあるんだろうな。 >>65
安芸太郎と次郎は可哀想ですよね
教経の死出の伴をさせる為に出てくるという >>65
それに何故そんなものを抱えて海に飛び込んだんでしょうね
まあどちらにしてもきちんと平家の方にも配慮した作りにはなっています >>7
死罪 いないと思う
暗殺 崇峻帝 噂も含めると孝明帝と仲哀帝
長寿 崇神帝か景行帝 >>41
>供養祭りが代々続くうちに、遊郭の花魁が祭りに参加するようになったのか
>それとも、もともと花魁より古くからある身なりで、その姿を花魁が真似たのか
前者だと言われている。
下関は遊郭が栄えた街だけど、先帝祭で箔付けしたかったんやろね。 >>73
いくつかスペアがあったんじゃなかったけか >>76
草なぎさんが剣を持ったらそれが該当するしょうね
名前的にはですけど
それで草刈りをしたら本物と言っても良いでしょう >>59
壇ノ浦にはアークも沈んでるらしい
うちの爺ちゃんが言ってた しかし、平宗盛はとんでもない逆賊だな
自分たちの一族の血をひくとはいえ、
天皇を拉致し
三種の神器も持ち去って
そのうちの剣を紛失させるなんて、
大逆にも程があるだろ!
平家に同情する 人達はその辺りをどう考えているのだろう?
>>73
スサノヲがヤマタノオロチの尻尾から見つけて、
後にヤマトタケルが賊征伐に使った由緒ある代物 その物自体がシルクロード経由で日本に入って来たと考えれば
無理にユダヤ12支族に結びつけなくても
八咫の鏡の裏にヘブライ語が書いてあるのがおかしくはないんだよな
お前ら、自覚なく己の中に世界に時代に通用する
キリスト教精神のモノサシを構築させられていってるわけよ。
それが多様性という名がつけられ受け入れろだの、なんとかハラもよくないだの
学歴や金で自惚れるな思い上がるな、とか。昭和から糺されてきた
ことがキリスト様の教えにかなう方向性じゃん。
戦前の日本民族の人間そのもの、文化伝統、哀しいことに砂の上の楼閣
だったのだよ。砂の上だった。だから、戦後、伝統文化はそのままだけど、
それを観る人間の心は大人に変えさせられるわけだ。尻出しふんどし男衆の心に
一抹の恥ずかしみが芽生えたのも、ヒトから人間の方向への成長だったし。
>>27
高田崇文の小説に面白い説が書いたあったね >>85
そうですね
そもそも全員Africaからstartというなら何をか言わんやです >>41
壇ノ浦の生き残りの女性が下関の遊女になったという伝説があるからな >>86
学説レベルでもあるのかな?
井沢基彦の本なら読んだけど >>83
むしろ、天皇の外戚である平家を追い詰めた源氏が朝敵にされるはずだけど、
この当時は儒教が普及してなくてそうはならなかった 平家というか宗盛の失敗は後白河院を延暦寺に脱出させてしまったことだな。
安徳帝と国母の建礼門院、神器だけではダメだった。
まさか神器なしで新たな天子を即位させるとは、というところでもあるんだが。
>>95
勾玉は箱に入ってたから浮いて来たという伝承だよね 壇ノ浦って海中深く沈んだイメージだが
水深はたかだか5mくらい
>>94
暗殺くらいされると思いますよ
それに少し前までは今と違って子供のうちからすぐ死んでいましたみたいですし何もおかしくないでしょう
ましてや親兄弟にとって見たらただの人間ですから >>100
勾玉って後から神器に加えられた外れ者だっけ >>92
璽の入った箱は浮いてきた
鏡もみつかった
剣だけが海士に捜させても見つからなかった かわぐちかいじのJIPANG読んだばかりだから泣ける
だから、お前ら今後、見えなかった目はますます見えるようになるのだよ。
母子が同じ汚部屋を見て、子供には部屋が汚いと見えなかったのに
母親には汚いと見えた。子供にはきれい汚い測るモノサシが心になかったから
部屋がちらかってるとは見えなかったわけだ。
この部屋を日本民族の心だと考えてごらんよ。
この哀しみの国では己のことをいい人と思い上がってる人が多いけれども・・。
八百万の愚の妄想の神々(実は悪霊)に憑かれて田吾作脳といわれる
愚昧でスジ張った考えしかできない人間、時代時代でキチガイ
と言ってもいいような人間となってしまうわけだ。
この祭りでも変な歩き方をして練り歩くのだろ?
真顔で何の疑問もなくソレをやってたのだよ。
>>101
八咫の鏡は義経の命を受けた地元の漁師が後日に魚網で回収したとあるから
当時の漁師でも何とかなるレベルの水深だったんだろう >>101
入水自殺は普通そのくらいあれば十分ですよね
ただこの場合は自殺ではなく他殺であり心中ですよね
>>107
この話も可哀想ですが旭川のいじめの方が遥かにひどい話ですからそちらを悲しむ方が理に適っています 檀ノ浦の合戦は建礼門院が兄上は甘いって後ろから宗盛を討ったところがハイライトだよね
>>98
平家が都落ちした直後に後鳥羽天皇が即位しているので、
朝敵にはならないよ。三種の神器はないけど。(´・ω・`) 義経はKYだから壇ノ浦の戦いで天皇殺しちゃったかもしれないな…。
自殺してくれたから天皇殺しの汚名だけは免れた。
>>108
また関係者ですか
さっさと経緯を説明した方が身の為ですよ 朝廷が剣を失ったんで、以後武家に政権取られた、て話も作られた
>>105
そうだね
自分的には勾玉が陰か陽かどっちかわからんけど
何故に太極図の片側だけなのがどうにも解せない 安徳天皇は壇ノ浦を生き延び、三種の神器を集めながら鎌倉に単独潜入し、頼朝を討ち果たしたというのが史実。
>>113
他殺ですよね
この部分は隠されていないのだから無理心中で良いはず
自殺なら何とも思わないですがそうではないのが悲しいです
しかも子供ですからね
でも誇りがそれを許さなかったというのもあるのでしょうね
もしくはそういう事にして普通に生きていたか 普通は源氏方に安徳帝をおしつけるよな
殺せるわけもなく時限爆弾で鎌倉幕府を
揺るがすことになるのに
俺なら絶対生きて源氏方に渡す
>>115
だろうね
あのダイヤモンドプリンセスも通ってるから
水深5mだと座礁するわ
ちゃんとした人の言う事
信じるんだぞw >>37
話が大げさになってる
灰になったのは禰宜だけ >>37
そんな危険な代物、どうやって神社に持ってきたんだよw
って、突っ込まれなかったのか? >>84
ああ沈んだのは形代か
形代ならいくらでも作れるね。よかった >>28
武内宿禰と間違いなくデキてただろうしなー >>121
つまりそれを避ける為にも確実に冷遇はされるという事でしょう
生涯島流しくらいは当たり前のはず >>119 二体に分裂して、曾我兄弟になられたか。(´・ω・`) 平家の女官たちが源氏の荒えびすの慰み者になった、ってあれな。
>>21 確かに。源義経は幼い頃は源氏よりも平家一門の方が付き合いが多いくらいで、父違いの妹もいた。
だから戦いに勝っても皆殺しにするのは忍びなく、平氏の血を引く安徳天皇も殺さないことにした。
そこで伝説のとおり安徳天皇は南の島に逃がし(その島に三種の神器もあった!)、源頼朝には
「安徳天皇は、海に飛び込んで死にました。だから首も三種の神器もありません」
と報告した。しかし、真相を知った源頼朝は激怒・・
だから平氏追悼の最大の貢献者にも関わらず、義経追討の命を出した。
その後、源義経は奥州藤原氏にかくまわれた。そこでも藤原泰衡は同じ手を使った。源頼朝には
「源義経は、弁慶と共に死にました。首は、弓矢がたくさん当たってぐちゃぐちゃになりましたが」
と報告した。しかし、真相を知った源頼朝は激怒・・
だから「義経を殺せば、奥州藤原氏は残す」という約束をしたにも関わらず、奥州征伐した。
その後、義経はジンギスカン(成吉思汗=なすよしもがな)となった。 >>125
戦後まことしやかに大げさに伝わったのかな
>>126
自分はむしろ、そのあとどうやって再び安置したのか気になった >>37
幕末か明治の初めに熱田神宮の神官数人が剣をコッソリ見た後、
熱病で全員死んだと言う話もある >>1
安倍晋三がしゃしゃりでて、うるさかったから中止に? 崇徳院も四国で暗殺されたとの噂があるね
大変にお気の毒である
お前らの田吾作脳を更にほぐそうか?いや、いい。まあ、そういうな。
あのさ、源氏だの平家だのいうけど、なんとお前らのほうがその何人よりも
人間的には少なくともモラルは上なんじゃないの?ねえ。
あんまりウットリとなり過ぎないように。そりゃあご先祖様が人間の屑であれ
肉体的に生きてたから俺たち私たちという人間が製造されたことには
感謝しないといけないだろうが。奉り過ぎるのもよくない。
ちょうどいいくらいにというか、より正しい方向の評価に落とさないと
いけないわけだ。信長もお前ら以下の人間の屑だし。初めて聞くし考えさせられる
田吾作脳としては、ほえっ?だろうけど?
>>135
現代的な解釈では青白い光で骨まで溶けたり灰になったりはともかく
ブラジルのゴイアニア被曝事故みたいな感じだったのかも
あれは青く光るコバルトの放射性物質だったけど
それに類するもっと強烈な放射性物質で作られた剣とか 平家物語の本当の主人公は建礼門院徳子
ラストの情景を思い浮かべると涙さえ浮かぶ
草薙の剣を見ると嫁にFANZAの購入履歴がバレて目が光る
>>129
島流しぐらい後醍醐帝もうけてるし
生きていればいくら冷遇されても
仇はとれるのにね
さすがに幼帝を殺すまではできないだろうし >>148
島流しと一口で言ってもかなり過酷だと思います
もちろん付き人も屋敷も与えられて配給もあるでしょうけど周りの環境が良くないですから
それにprideが高い個体なら都で何を言われているか考えたら悔しくて眠れないでしょう >>148
それを考えたら潔く死んで名を残す方を選ぶというのは分かります
都で陰口も叩かれないでしょうし叩かれても死んでいるから悔しい思いもせずに済みます >>137 朝鮮史で喩えるなら、むしろ百済の落花岩だろ。(´・ω・`) まだ戦場に女子供が居て殲滅殺戮戦が行われないのん気な時代だよね
>>156
まだ戦いの醍醐味が理解されていなかったんだな。 義経が生き残った建礼門院徳子をヤっちゃったってのは史実的にマジなの?
>>157
自分が討ち取って殺した相手の供養のために戦後は仏門に入るとかの時代だしね >>37
社ごと富岳に吊るしてワシントンに特攻だな >>160
弘文、淳仁、仲恭ともに死罪ではないだろ。
弘文は首をつったという話で、仲恭は普通に死んだ。あえて言うならば淳仁は淡路で殺された可能性があるが、これも死罪ではない。 >>165
しかし英雄色を好むともいうし
平時忠の娘も娶ったとも聞くし >>166 淳仁天皇は、配流先から逃亡しようとしたことが、殺された理由よな。 安倍の選挙区の全員も壇ノ浦に沈められるのがお似合いだよね〜
>>167
清盛が常盤御前を妾にしたことの意趣返しで、
義経が建礼門院を・・・みたいな話はあったりするな。 >>170
とりあえず常磐っていろいろ凄いよね
さすが都第一の美女
源氏、平氏、藤原氏の子供を産んだんだろ? 京都祇園祭をはじめどこの伝統ある祭りも残念ながら今年も神事のみをやる形になるのかな
やはり何百年も続いてる神事はなかなか辞めるわけにはいかないだろうしね 山鉾巡行や祇園山笠自体は神事というわけではないし
俺も壇ノ浦で戦ったけど、源氏は強かったな
九州まで何とか落ち延びたけど
しばらくしてモンゴル人は攻めてくるわ、
ミカドは内ゲバ始めて九州も巻き込まれるわで大変だったわ
これは悲しい出来事だったな
水の底に都を見たのだろうか
>>180
滋賀から岐阜に抜ける時、関ヶ原の道路標識見た時は興奮した ニワカ外戚じゃそう上手くいかんわな
平氏が藤原氏を模倣したが、その600年前から積み上げて来たのとニワカ外戚じゃ雲泥の差があったから
たかが数十年で平氏は瓦解したんだよ
>>184
この話題でそんなこと言ってるのお前だけだが
どんな電波を受信してるの? 振袖太夫(一番太夫)
二番太夫
三番太夫
四番太夫
傘留太夫(五番太夫)
中学生のとき日本舞踊を習っている女子から、
選考過程の裏舞台をいろいろ聞かされたわ。
今、ググって見たら、太夫役になると、
周辺の大学のホームページで
大学の顔として紹介されるぐらいの地位なんだな。
壇ノ浦も関が原もそうだけど実戦は半日程度なんだよね。その短い間に国の行方が決まるのかぁ、ロマンあるな。
なんで花魁が安徳天皇に挨拶に行ってんの?
意味分かんない。
>>188
ルーズベルト呪殺は天台宗か真言宗か忘れたが
密教呪術による大元帥明王修法が効いたと聞いた >>190
壇ノ浦の平家女子の生き残りが遊女となり、下関遊郭の始まりだから
ホンマ諸行無常や 平家物語はマンガで読んだけど
こんな行事が有るなんて知らなかった
コロナ禍じゃない平時なら見学に出来るの?
観てみたいな
>>189
局地戦は大概短いが、源平合戦は数年がかりの戦 麻原彰晃を偲ぶ会を八代市はやってるか?
日本人の悪業を独りで背負って処刑された現代のキリストだろ、おそらく
>>181
彦根インター越えると出てくるね
左 福井 敦賀 右 関ヶ原 名古屋
中国道では
門司小倉の標識が見えると興奮MAX 天皇はともかく
上皇や親王ですら人臣が手にかけたり死に追い込むようなことをしたら
とんでもない、まつろわぬ神化するから古来からやんごとなき人たちなんだよ
>>189
関が原は天下分け目の戦いだけど、壇ノ浦の合戦はほとんど掃討戦。
屋島がギリギリの防衛ライン、ア・バオア・クーだった >>21
南北朝時代に沈んだ剣がどこぞの浜にうち上げられたことになってる 天皇外戚や貴族は藤原で武門は源平が一番この国が安定するスタイルなんだろう
>>191
ロシア正教の司祭もすごいぞ。
お祈りしたら10年後、東京を壊滅させる地震を起こしたんだぞ。 元々、天皇が持ってる草薙の剣はレプリカで本体は熱田神社にあるんだけどね
>>204
関東大震災て、日露戦争の呪詛だったのか >>192
そういや風俗で働く女って、親の借金返すためとか学費払うためみたいな理由らしいな
親が平家でとか言われたら、おじさんたちも同情するしかないってもんだ >>204
真言密教も4年後にシベリアにメテオストライクを命中させた >>205
新羅人が盗もうとしたんだよなw
変わらん奴ら >>182
藤原氏が外戚になったのって藤原不比等が始めだと思うんだけど、
その息子の四兄弟の頃からすでに権力を持ってた気もしないでもないが。 三種の神器も、神の依代だから、神が降りないと神器にならない
レプリカでも令和の即位〜の儀の時は
雨の叢雲レベルで雨降って虹が出て桜が咲いて
富士山に初冠雪だけに降りたでしょ
>>27
結局のところ現代でも起こりうる無理心中と一緒だろ
追い詰められて死ぬときに自分が大切に思う親族も一緒に殺す 日本では、天皇家の祟は凄いからな
日本の上級国民はみんな恐れている
>>12
応仁の乱の頃の天皇は激昂した住民に殴り殺されたとかいろいろ悲惨 >>41
壇之浦の生き残りの女性たち
上臈→女郎になった
花を売って生活費を稼いでいたがやがて身体を売った
だから花魁を買うとき花代って言うだろ >>52
ウランやプルトニウムなどの危険な金属を神聖視してまつったとしても不思議ではないな >>218 桓武天皇の子孫にして、安徳天皇の外戚なんだが… >>64
秩父宮が見たらしい
確かにヘブライ語のような神代文字のような文字が書かれてたとか >>222 また、ヘンな話が出てきたぞ…(;´・ω・) ここらあたりの話とか知らぬまま朽ちていくんだなぁ我は
>>37
そんなスーパー兵器あるなら、それを使って勝て! 皮肉で言っているのか?
小倉南区の郊外、隠蓑(かくれみの)という集落に安徳天皇陵がある。
近くの横代にある被差別部落には、能登守教経の老党家人らが隠れすんだと言う伝説がある。
>>7
死罪になった天皇・・・強いて挙げるなら藤原仲麻呂のお気に入りだった淳仁天皇(淡路廃帝)かな
乱後淡路に流罪になるも逃亡を企てて逮捕され、翌日死亡
公式見解では病死だが、実際は拘束前後にボコられ、その傷がもとで亡くなったらしい
事実上の処刑といえるだろう >>166
弘文は追手に抵抗して斬殺されたという説もある 安徳が生存していたとしたら徳子の生存は自然に説明できる。
各地に生存説があるけど、都落ちした平家軍は女子供を含む集団だから
無名の幼児が数十人も含まれていたら、その一人として安徳が落ち延びることは可能。
義経が女子供まで皆殺しにするような輩だったら部下がついていけない。
落ち延びてしまったら帝であったことを証明することも不可能になるけど
敗軍の母としてはどんな形であれ生存を信じることができればいいわけだから。
んーを、使うな!使うな!
道徳承天訓 塩梅寄真宰 羞無監撫術 安能臨四海
(懐風藻751年)
余撰此文意者、為将不忘先哲遺風、故以懐風名之云爾
>>7
死罪 いない
暗殺 噂レベルならいるが、歴史的にはっきりしない
最長寿 記紀の神話の世界ならともかく、
裏付けが取れる範囲では明仁上皇(88歳、天皇としては86歳で引退)・昭和天皇(87歳在任中に死去)、 >>228 まぁ、かわいらしい。
下関のゆるキャラにすればいいのに。
天皇のゆるキャラ化は、やはりアウトなんだろうか? 大昔からある
国衙の仕組みは豊臣秀吉までは健在だからな?
平家の頭領がブロードソード振り回して暴れ回る行事だね
>>238
正史に書かれてるから、暗殺確定事案だね >>21
・後醍醐天皇が北陸に派遣した皇子に持たせた三種の神器
・足利尊氏に降伏のあかしとして差し出した(偽物の)三種の神器
・後醍醐天皇が吉野に逃げ出したあとにオレが持っているのが本物だよと言った三種の神器
つまり、南北朝時代には、三種の神器が3セットあった瞬間があったそうな
で、どれが偽物ともいえないからみんな本物という解釈をする・・・らしい >>240
そんな事無いぞ?太閤検地までは残ってる。
元寇のあとにできた鎮西探題とかも残ってる。
>>161
頼朝が売春婦の元締めみたいに? >>194
下関のこの時期の祭の中ではかなり人気のある行事で見物人も多いよ。
高下駄を履いて、それをこねくり回しながらゆっくり歩く。
10代後半くらいの子が1人選ばれるようになっていて、
演劇とか日舞とかに関心がある学生にとっては、選ばれることが結構なステータス。 >>244 当時の合戦は、半分スポーツみたいなもんだったわけで。 剣探しってもう誰もやってないの?
今なら高度な科学の力で見つからない?
「あんとくさんか?」と聞いてください
そしたら「違います」と答えますので
>>247
潮流が凄くて河みたいなところ
すぐに流されちゃったと思う 琵琶の音色はとても厳かだけど、
一歩ずれるとバンジョーになってしまうんだな。
遊女みたいな格好やつが何で幼い天皇の霊を慰めてるのか意味不明
>>252
今でも水先案内人が必要な海峡だしね。定期的に外国船が事故ってる。
埋め立てで、昔よりも1ノット潮流の速さが上がったし。
>>252
ちょっと調べれば分かることをわざわざ調べようという気になれない程度の関心の低さなのに
文句だけは書き残していく思考回路意味不明。 >>253
ちょっと調べればというか、
このスレを全部読めばわかるよね。
まぁ、イヤミで言ってるということなんかもしれんが。>>252 二位の尼「水の底には、それはそれは美しい極楽浄土があるのですよ」
安徳帝「うん、それじゃ一緒にいこうね」
元々 浦の事を古来から壇ノ浦と称するらしくて上記の2つ以外にもあるみたいね
天 ク ズ 一 家 全 員 死 ね
天 ク ズ 一 家 全 員 死
ね 天 ク ズ 一 家 全
員 死 ね 天 ク ズ
一 家 全 員 死
ね 天 ク ズ
一 家 全
員 死
ね
天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天
クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天ク
ズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ
一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一
家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家
全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全
員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員
死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死
ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね天クズ一家全員死ね
興味深いスレだが>>234 くんのカキコが大人気だが、
まあ崇峻天皇が暗殺されたのはまあ間違いないだろうね。
ついでに古事記の記述が鉄板なら安康天皇は目弱王に弑逆されているし
仲哀天皇は熊襲と戦って戦死しているような気がするw 気がするってなんだw
あとはまあスレに出ている弘文帝や淡路廃帝なぞ
非業の死をとげた帝もあらあね。
それいえば承久始末における後鳥羽帝(余談だが安徳帝の弟な)とか
土御門帝、順徳帝なんてパージされた先での憤死なわけで
無期禁錮の果ての死と思えば、また年齢を考えるとアレじゃないかなあ。
とくに順徳帝なんてその最期はどうです。
さらには順徳帝の次代の3月持たずに即位後崩御となった九条廃帝は。
まったく北一輝の喝破した名言ではないが日本史ってやつは本当に
「乱臣賊子の歴史」だよなあ。ひでえもんだ。 それにしても安徳帝の崩御は幼帝ではあるし
手にかけた(?)のが女御であるのと
例の平家物語の感動的なセリフがあるので
なんか滅びの美学の悲劇のいい話みたいに受容されているが
これはやっぱり弑逆だよなあ。いや本当に。
三種の神器すら海に沈めたのと同様に破れかぶれのヴァンダリズム、みたいな。
一族郎党ホロンびるにしてもその前に攻め手に伝来の宝物を引き渡した
明智左馬介秀満を見習えと言いたいね。
さもなくば、どんな宝より尊い妻、お市を引き渡した浅井長政のように。
それにしても「見るべきものは見つ」と喝破して
大鎧を二領きて入水した平知盛公は平家物語のハイライトだよな。
(or錨を体に巻き付けての壮絶な死とも伝えられる)
それに比べて当主の宗盛たるや()
>>242
探題ってのは国衙(=朝廷の役職、○○守)と違って
あくまで幕府の職掌じゃないかぞなもし。
まあ国衙がいつまであったのかについては
詳しくないが武家官位とかの名目でよろしければ
これは江戸の幕末まではあったけどね。 ところでさあ、スレの最初の方を見ると
平徳子、建礼門院の逸話が出ているけど
あの、作者未詳の琵琶物語、平家物語ね。
あれが本当にすげえなと思うのは
最後がさ、大原行幸なんだよねえ。
史実では源平合戦のトリックスターだった後白河法皇が
かつて「平家にあらずんば人にあらず」といわれたベルエポックを生きた
平清盛の子女にして高倉天皇の中宮となっていながら
その後の平家の没落と滅亡を目にし、今は偶然命助かり落飾し
一族の菩提を弔う建礼門院の庵に来るって話ね。
そこで建礼門院がライフヒストリー、それはとりもなおさず
平家物語のおさらいになるんだけど、それを総集編的に語り、
後白河院がこれを生きながらに六道を経めぐったと総括して終わる。
そしてね、それがまさにイントロの「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」ってブリッジする。これはアツいよね。
つまり「六道」ってことばがそうなんだけど、
物語そのものが輪廻しているわけで、これはすごいよね。
最初から最後まで地上の歴史を語っているようで仏教ベースなんだから
まあこういうの語るのはさ、琵琶"法師"じゃなきゃダメだろうし、
耳なし芳一じゃないけど、平家の亡霊も聞きにくるよなあ、これは。
「あ、俺が出てきたw 出て来たよお」みたいにさwww
漢文なのに読めないのかよwwwww
それ、漢文じゃないだろ
入水したなら助けてやれよ‥。
源氏はカナヅチしかおらんのか。
だから野蛮人なんだよ。
源平合戦は源氏、平氏、源義仲の三つ巴になるのが面白い
奥州藤原氏入れると四つ巴、後白河天皇を別勢力と考えると五つ巴
神器はここで失われたんだっけか
刀なら元々影打ちは残してそうだけど
他は…鏡もスペアありそうだけど
>>266
一緒に入水した母親とかは引き上げて助けてる
天皇も一緒にいると思ったんだろうけどね 壇ノ浦の戦いで最大の犠牲が安徳天皇の崩御
たった7歳で犠牲は流石に可哀想
>>266 くんのいう壇ノ浦での源氏方の敵方救助の話だが
>>269 くんがいっているように平家の皆さんは壇ノ浦で入水するわけだけど、
源氏方も掃討戦ばっかりやってるんじゃなくて
乱取りってか生け捕りとかもしているんだよね。
それに義経方はインペラトールの頼朝公から神器の回収と
おそらくは玉、安徳帝の確保を命じられているわけでね。
たぶん優先順位は神器が上だろうなあ。
驚くべきことに源平合戦の末期は天皇が二人いたわけでw
神器があればいくらでも天皇は作れるってノリだったんだろうね。
まあその帰結は皆さん知っての通りで、安徳帝と草薙剣は沈み
その代わり平家総大将、平宗盛がとっつかまったわけだが。
あの宗盛公のビヘイビアも勝者から伝えられた歴史にしても
その記述の通りなら日本史では珍しいアレな敗将だといえるだろうなあ。
同じ生きて取っ捕まった平家の将でも源氏方からすら称賛された
平重衡の器量を見習えというのだね。 >>244
この時代は、手柄は個人に与えられる。
南北朝騒乱からは、軍団の代表(殿様)に手柄が与えられるようになって、個人戦重視から、集団戦重視に移行してる。 天皇陛下を殺した板東兵の所業は、ソビエト赤軍を彷彿(ほうふつ)させる
こんな大昔に逃げる平氏がどこにいるのかを源氏はどうやって知ったのだろうか
>>275
スパイがいろんなところにいた
怖いのは人間
味方のフリして… >>244
しっかり名乗らないと、後で手柄を第三者に証言してもらえない >>258
でも関門海峡の壇ノ浦はまさに檀という感じですよね
あれはああいう工事を行なったからですか >>262
無理心中は酷いと思いましたがしかし子供のその後の扱いを考えると心中の方が幸せだと考えたのでしょうね
気持ちは理解出来ます >>263
盛者必衰は避けて通れない道ですから当然とも言えます
無限に生きる存在はいないですから
そしてimpermanenceは世の常です >>270
そんな事はないと思いますが可哀想ではありますよね 「浪の下にも都の候ぞ」のところは、創作かもしれんけどグッとくる場面だよなぁ…
>>27
安徳天皇を救えなかった事が義経の罪状の一つに数えられてる >>73
本物はウラニウム合金で出来てるから暗闇で青く光る
間近で見た者、素手で触れた者を焼き殺す 数えでは8歳だけど満年齢は6歳4ヶ月
今ならちょうど小学校に入学したばかりの歳
>>275
義経は情報収集には神経使ってそうだ。そうじゃないとあんな華々しい戦果は偉られない 現在の皇統は亜流分家
南北朝時代にさらなる亜流分家へと劣化
一緒に入水したようなのに、なんで草薙の剣は見つかったの?(´・ω・`)
>>286
象徴とする物 形代という言葉がある様に、日本は形の無い精神性を人がする事により目に見える形としている。というのが前提だと思います。一例としては
勾玉 慈悲や心をくみとり信念を携える魂
鏡 前に立つものをそのままの姿 事実を映し出す
刀 玉に備える信念に沿わないそぐわない 斬れてしまう
その力の象徴としての神器だと私は捉えています。
日本て素敵ですね。 >>289
自分も昔から、もし三種の神器の本物を目にしたら、レイダース/失われたアークのラストシーンみたいなことが
起こるのではないかと思っている。 >>293
剣は沈んだまま見つからなかった
それが本物なのかレプリカなのか、というのが論点
突き詰めるとどっちでもいいやという考え方も有り >>275
関門海峡の要衝、彦島にいたのは隠れていたわけでなく、
再興のための兵站を整えていたんだろう。
だから、居場所を隠す気はなかった。
本当に隠れる気があれぱ、
四国の山奥に平家の落ち武者集落は多数ある。 >>111
それを屋島で実行してれば歴史が変わっていたかも >>297
依代だから、神が宿ってないのはただの剣なんじゃない?
儀式して神をおろせばそれが草薙剣 どうすりゃ義経は生き残れたかってIFも考えるとけっこう面白いんだよね。
海千山千の後白河に取り込まれないようにするのってけっこうキツイよなw
平家を滅ぼさずに頼朝と三つ巴になりゃ良かったのかな。東北藤原氏と鎌倉を挟めるしw
>>298
決戦までは別に逃げ隠れする気はないな
九州には範頼の軍がいたから敗戦後はもはや逃れる場所はなかったけど >>297
南北朝の時にも「奴らに渡したのは偽物なのだ!」とか言い出して
グダグダになってるからセーフ >>302
関東勢力からすれば、お飾りの頼朝含め源氏の血筋は根絶やしにするつもりだったから、何をやっても詰んでる >>300
>>304
最後の文がそれに近い意味だけど、朝廷も頼朝もそこまで割り切ってない
長年、大切に祀ってきた剣を求めるのが人情では >>275
壇之浦での平氏の戦力は百艘だからかなりの人数
天皇や女御たちもいるから目立ちまくりかと >>306
やっぱり天然痘じゃないの
天皇の巨下である岩倉具視や武士に天皇の暗殺ができるとは思えないし >>286
ちうごくみたいなことすんなや!
本物探せよ!
ㄘょƕさんꕤ オハヨウʕ'-ωก̀ʔウトウト
ミナサン オハヨウ🇯🇵 >>313
本物は熱田神宮にあるだろ。
当時平氏が持ち出したのは形代。
なお、形代というのは偽物という意味ではない。 平景清がぷれいやなる者共の御布施を受けて甦り、
三種の神器を集めつつ鎌倉に侵入し頼朝を討ち果たしたといふ史実が
なぜ教科書に載らないのか。
このときの剣がオリジナルなのか形代なのか不明ってことだけど引き上げに失敗したってことは今も沈んでるってこと?
朽ち果ててる?
>>319
海にあろうと陸にあろうとボロボロになっていると思いますけど >>317 毎日新聞は、TBSの株式をとっくに売却済み。 >>306
最近孝明天皇は天然痘による病死だ
という医師の見解が出てたな
九穴からご脱血
なんていかにも毒殺っぽい容態だけど
そういうことらしい >>322
それ定説だと思うが。問題は
「天然痘の仕組みを知っている奴が暗殺の為に感染させたかどうか。」 >>313
本物は熱田にあるよ。
鏡も形代だ。本体は伊勢にある。 安徳天皇
貴方の末裔がとんでもない男に貢いています。なんとかして下さい。
>>327
安徳天皇は子どもなんだから、末裔はいないだろ。仮に生き残っていたとしても現在の皇室とは関係ない。
安徳天皇の弟に後鳥羽天皇と後高倉院がいるが、後高倉院の子孫は今の皇室につながる。 >>275
軍団として万を超える侍がまとまっていたんだから隠しようもないだろ。
それに壇ノ浦の敗北までは平家は自分たちが官軍だから負けるわけはない、京に攻め上って御所を奪還すると思ってたはずで逃げ回っている意識はないだろ。 >>293
昔から草薙の剣は熱田に、鏡は伊勢にある。
今も、皇居にあるのは形代だよ。
形代が沈んだので、別のを形代にしたんだよ。
形代(かたしろ)というのは偽物という意味じゃなくて、
まあ、神社の分祀みたいな。 >>328
安徳天皇の末裔を自称していた人はいる。
鹿児島の、いわゆる長浜天皇。 按察使局が幼帝を抱いて入水したのが真実かもしれないな。
>>335
さあ。
その言葉に特にこだわりはないのでなんとも言えない。 >>336
この記事だと子供が自ら入水したとしか読めないので >>337
私には別にそんな風に取れないですが、あなたがそう思うならそうなんでしょうね。
私はその表現に全くこだわってないのでどうでもいいです。 >>328
何か勘違いしてた。
後高倉院の子孫は後堀河天皇、その子の四条天皇までで、その次は後嵯峨天皇だから後鳥羽天皇系列であった。 そういえば後醍醐の末裔も今の皇室には繋がってないのだよな
>>1
まさに日本国の慣例行事を粛々としたんですね、良い事です
ウイルスにお気を付けて >>342 自殺を切腹という文化に昇華した日本の歴史に無知なネトウヨか。 >>330
草薙は新羅の僧侶が熱田神宮から盗み出して
難波湊から逃亡しようとしたら
落雷にあって草薙を放り出したんで
その地を放出と呼ぶようになったんだっけ
回収された草薙は一旦宮中に保管されたけど宮中で不審死が相次いだんで
熱田神宮に戻され、以来門外不出
戻ってきたのを祝うオホホ祭が5月に行われてるんだが
今年やったのかな >>345
そんな文化はない方が良いですけど
信孝が怒って内臓を投げつけたのも分かります
悲劇平家物語の山場ですなぁ゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
−−−−−−−
【現代語訳】
「さあ極楽浄土へお連れしましょう。」と涙ながらに言うと、
山鳩色の服に分けた髪をなびかせ涙をこぼし、小さな手を合わせて東に伏し拝み
伊勢大神宮にお祈りし、その後西に向かって念仏を唱えた。
そして二位尼は抱きしめると「波の下にも都はございます。」と慰め、海の底へ沈まれた。
【原文】
極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせ候ふぞ `
と泣く泣く掻き口説き申されければ山鳩色の御衣に鬢結はせ給ひて御涙に溺れ
小さう美しき御手を合はせてまづ東に向かはせ給ひて伊勢大神宮に御暇申させ給ひ
その後西に向かはせ給ひて御念仏ありしかば二位殿やがて抱き参らせて
`波の底にも都の候ふぞ `と慰め参らせて千尋の底にぞ沈み給ふ
日本古典文学摘集 平家物語 巻第十一
一〇(一六九)先帝身投
https://www.koten.net/heike/gen/169/ >>201
退くサイド3もアクシズもないア・バオア・クー
これじゃミネバ様も落ち延びれない >>192
な、わけないんだよね。
有名女子大生が多数在席!と一緒で。 >>343
>>345
ネトウヨ学説を書いたまでです。
「自殺は迷惑をかけるから韓国人!」
ネトウヨによれば、ハラキリの狂気こそ韓流だそうで 最初は妥当な選択だったとしても時代が下るにつれて拡大解釈されてしまったり暴走してしまうというのは往々にしてあるのでしょうね
>>352
自殺は迷惑でしょうか
他殺の方が迷惑だと思いますが >>352 ところで、韓国に自殺を美化する文化はあるんかな?
百済が滅亡する際の女官の投身自殺が、
後世に美化されたことくらいの例ならオレも知ってるが、
逆に言うとそれくらいしか知らんな。(´・ω・`) >>50
安徳
「尼ごぜ、これから何処へ?」
時子
「波の下にも都はありまする」 >>353
自殺は迷惑です
中央線がしょっちゅう止まるし、遺族にトラウマが残ります
真相が闇の中に隠され、悪徳政治家が生き残ってしまいます >>353
鉄道自殺は大迷惑だよ
ずっとダイヤが停止するのだから >>358
おまえの根性がクソチョンそのものだよ
なあクソチョン? >>355
あるのじゃね?
姜尚●に言わせたら「深く考えるから自殺する。倭は深く考えないから、韓国と違って自殺が少ない」 >>358
天皇スレにいちいちクソチョンとか書き込む、
お前も汚らわしい存在なんだけどな。
あと、陛下という言葉は存命中の(元々は在位中の)天皇にしか使わない敬称だから、
ネトウヨ界隈でヘンな敬称を覚えてくるなよ。 >>355
日本でも自殺そのものを美化しているわけではない
おまえは馬鹿だから、そこを勘違いしているようだ 「徳」が付く天皇はたいがい怨霊だって聞いたけど、本当?
>>366
多くの日本人が自殺を美化してきた過去を、
自殺嫌いな君が否認したいだけではないのかな? 定義山に行って連理の欅にお参りして来ましたよ
三角油揚げ、美味しいね
>>369
武士道に自殺という概念は無い
「葉隠」でも読みたまえ
「菊と刀」で言及されているものも、自殺とは微妙に違う
自殺は日本であっても美化されてはいない >>372
じゃあ仁徳天皇は例外なんだろうか
謚じゃないけど聖徳太子も「徳」が入っているな >>373
聖徳太子については、怨霊説はある。
自身は生涯をまっとうしたが、息子たちが殺されてるからな。
仁徳天皇も、四代孫で王統が絶えたというこじつけはできるな。 >>373
もともとは普通によい意味
途中から、不幸な帝を慰めるために付けるようになった、という説
ただし、不幸ではあるが怨霊扱いされたのは一部
懿徳帝はおそらく架空
称徳帝はべつに不幸ではないと思う >>28
なんだかね
傘留太夫って地元の名妓だったのかな >>21
そもそも、本物なんか、ないのよ。
刀は実は時々無くしている。
焼失とか。
その都度、朝廷の宝物殿の中から、
まぁこれでいいか、ってのをえらんで
今日からこれが神器剣ね、とやっている。
なぜなら本物は熱田にあって、朝廷のは形代依代だから。
刀の形してればなんでもいいの。
玉も鏡も同様。
現物三種を引き継いでいるのではなく、
三種を引き継いでいるという行為、伝説、歴史に価値があるんだよ。 >>378
失意はしたと思うけど、鎮魂するほどのものか?
もっと不幸な帝は他にもいそうだけど >>378
皇位簒奪の疑いがあるのに
処罰が軽くて謎 >>378
称徳は生前に贈られた名前。大炊王(淳仁)に譲位したときに称徳を含む号が作られた。
道鏡など関係ない。なぜならその後に病気になったあとで看病したのが道鏡なのだから。 >>210
4兄弟は天然痘で全滅したぞ。
その後しばらくぱっとしなくて、
仲麻呂が復興させて、でも追討されてまた低迷。
良継と百川あたりが頑張って盛り返して、
本気で安定し始めたのが良房から。
そう簡単でもない。 >>309
一族郎党併せて2000名足らずか…
戦闘員はどれだけいたのか
もはや完全に勝敗は決している
落ち武者狩りといい、この時代は降伏も許されない感じなんかねえ >>27
子孫を残されると困るから、坊主にして、一生軟禁状態ですんだとは思うね。 >>382
最初から怨霊を鎮める目的で、徳の字を含む諡号が贈られたとは、
オレは思ってないよ。
ただ、この話は>>368から始まったわけだが、
必ずしも徳を含んだ諡号が怨霊を鎮める目的で贈られたと言っていたわけではなく、
結果として怨霊化しているかどうかという話だったわけで… 日本の皇室は基本的に穏健だよな
だいたい畳の上で崩御か上皇で寿命を全うしてる
東ローマ帝国とか半分以上が暗殺、不審死、戦死、刑死、簒奪
ロクな死に方しかしてない
>>368
崇徳が最強か
不幸な死に方をして祟りをなした天皇は徳の高い諡で鎮魂するといえばまあ分かり易い
聖徳太子は不気味やね
徳に加えて聖、てんこ盛りの聖人エピソード
にもかかわらず存在自体が抹消されてるフシもある
どれだけの祟りをなしたらこうなるんだ・・・ 形代としての刀が消えたのは壇ノ浦だけでは?
新羅人による盗難、禁闕の変で失われたときには取り返されている。少なくともそういうことになっている。
剣の形代は「壇ノ浦で失われたもの」「後白河院が『こいつにしとくか』と後鳥羽帝の神剣として選定したもの」「その後伊勢神宮から順徳帝に送られたもの」の三種ではなかろうか。
形代の鏡は焼失しているが、そのまま作り直されず今にいたるはず。
>>377
本当の御神体は刀の形をしてないのかもしれんね
天皇に預ける時に形代として剣に姿を変えて収められた説
そもそも三種の神器は天皇の持ち物でないことは強調しておきたい >>373
懿徳 仁徳 孝徳 称徳 崇徳 安徳
6人中1人しか怨霊いない >>388
孝謙・称徳天皇が怨霊とされたという事実なんてないので、結果として怨霊化、なんてしてないが。 安徳、顕徳(後鳥羽)、順徳は怨霊になることを恐れられたという事実があるはず。
後醍醐帝には元徳を贈っとけという話はあったらしいな。
>>392
三種の神器を継承する、という行事。
が、代々継承されている、
このことが、王権の継承として大事なだけで、
現物なんか問題じゃない、なくてもいいのよ。
紙に「剣」「玉」「鏡」って書いて渡してもいい。
ハードウェアじゃなく、ソフトウェアが大事。
概念な、バーチャルな存在なのよ。
ちなみに藤氏長者も、秤とか代々受け渡すものがあった。 安徳を中心にして祟りそうな天皇が集まっている。
崇徳・大叔父(祖父後白河の異母兄)
後鳥羽・異母弟
順徳・甥(後鳥羽の息子)
後鳥羽、順徳の霊験あらたかなのかしらんけど、承久の乱の後に仲恭天皇が廃されて、後鳥羽の同母兄が後高倉院として治天となった上で、その子が後堀河として即位したが早死にし、その子の四条も早死に。(よく、馬鹿な死に方をした天皇として名が出る。)
結局皇統は後鳥羽の子である土御門の子である後嵯峨に引き継がれることに。
実際の怨霊の力云々というか、当時はそのように捉えられて、それを封じるべく対処していたという話は面白い。
実際のところ、形代たる神器はそれはそれで非常に重要視されている。
なくなったから、ふーんオケオケ、新しいのを形代にしようぜ、みたいなものではない。
実際に、この安徳天皇とともに沈んだ剣を巡って大騒動になったし、後鳥羽は自分の正当性に悩んだであろう。
さらにその後、後醍醐が北朝方に引き渡した神器が本物か偽物かでも論争があり南北朝合一まで決着せず。
さらにその後も禁闕の変で奪われた神器を取り戻すことで、赤松氏は再興した。
結局、神器はそれが引き継がれてきたという物語が大事なのだが、その物語では神器というモノも非常に大事にされている。たとえそのモノが箱のみで空っぽであったとしても簡単に取り替えがきくものではない。
>>366
特攻とかも美化してるじゃん。
壇ノ浦で三種の神器も沈んだはずなんだけど、扱い的にどうなってるんだろ。 >>398
作ったから、草薙の剣が熱田神宮にあるんだろ? 126代も天皇がおられて暗殺もしくは暗殺が疑われる例が2〜3人とか
マジで少ない
まあ皇子あたりだと古代にはバサバサと戦死や刑死、暗殺がなくもないけど
中世より後だと大塔宮とかもう1人、後醍醐の皇子が戦死したくらいで
あとはだいたい臣籍降下か古刹の僧トップ
失脚してもアタマを剃るとか遠島までだし
後村上天皇が北朝の天皇、上皇、皇太子を拉致して
連れ帰って吉野宮で一緒に住むとか
ホンワカしてないか?
>>401
形代を作ったのはもちろん事実だろうが、そんな当たり前の否定もしていないことを言われてもなんとも言いようがない。 >>397
崇徳天皇と後白河天皇は 鳥羽天皇と中宮・藤原璋子(待賢門院)の
間に生まれた同母兄弟だろ。
母の待賢門院が亡くなった後 二人は同じ御所に住んでいる。 >>404
お。
高校時代の記憶だから勘違いしてたかな。
ありがとう。近衛天皇が別なんだっけ? >>405
崇徳天皇は 白河法皇と待賢門院が密通して生まれた子で
鳥羽天皇は崇徳天皇を「叔父子」と呼んで忌み嫌っていたという
逸話がある。 >>405
崇徳帝の出生(実父)が怪しい
という話では 崇徳天皇の父の話はよく出るが、ちょっと嘘くさい感じもある。
ただし、嘘かどうかと関係なく、鳥羽院がどのようにとらえたかという話はありそうだ。
>>119
平景清と名を改めて鎌倉を目指す旅に出るストーリーか 今調べると、待賢門院の子が崇徳、後白河で、美福門院の子が近衛、八条院か。
なかなか難しいな。自分は完全に忘却していた。
絶対にこのあたりの関係性は書物で読んだことがあるはずなんだが。
怨霊化しそうな歴代のミカド
崇峻
淳仁
崇徳
安徳
後鳥羽(顕徳)
順徳
後醍醐
>>368
今上天皇
「俺なんか生まれた時から徳ついてるやん」 >>411
非業の死を遂げた天皇には怨念防止に崇の字がつくからな
早良親王は崇道天皇号が送られているしな >>414
崇神
崇光
そういう適当な話はやめましょう 崇光院は確か遺詔でその名を自ら選んでいたはずなので、怨霊封じにつけたわけではない。
確か、崇光院の孫(後花園の父)は後崇光院の院号だったような?
ただ、自分は突然吉野に連れ去られた挙げ句に皇統は弟の系統に奪われたまま死んだから、少しくらいは恨んでいたのかもしれぬ。
>>389
それは平安時代以降の実権を失った後の話なのでは
>>390
他の地域にも聖徳太子のような人物はいるみたいですね
複数の個体の特徴を一体にまとめたというのが定説のようですが
例えばScandinaviaのRagnarrなども似たような感じとか >>396
そうなんですか
>>402
天皇になってしまえば安全なのでは
そこまでが危険という事なんでしょう