上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。
だが秀吉の死後は家康の術中にまんまとはまり、上杉家の存続こそ許されたものの、所領は30万石へと大幅に減封されてしまった。
東京大学史学編纂所の本郷和人教授は「失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと」と説明する――。
■会津120万石という大領地を与えられた理由
上杉景勝は関ヶ原のときに、二重の失敗をしでかしています。失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと。
関ヶ原の時点で、彼の領地は会津でした。会津は東北の要の地であり、ここを持つ大名が東北のチャンピオン。
その地を伊達政宗が取った。しかし豊臣秀吉に「もう戦争の時代は終わった。俺の家来になれ。挨拶に来い」と言われ、
いろいろと渋りましたが、結局、家来になる。会津は取り上げられて、「おまえなら任せられる」ということで蒲生氏郷に与えられます。
そこから氏郷は見事に秀吉の期待に応え、怪しい動きを見せる伊達政宗の活動を封じる。
それで92万石まで領地が増やされるも、40歳で亡くなってしまいます。
しかし後継ぎがまだ幼なかったために秀吉は会津を蒲生から取り上げ、その会津にあらためて置かれたのが上杉景勝でした。
上杉は越後から国替えされるのですが、そのかわり、120万石という大きな領地を与えられた。
その配置には「東北地方の抑え」という意図と、恐らく「徳川の背後を牽制する」という意味合いがあったと思います。
ところが国替えののち、すぐに秀吉は亡くなってしまう。それで徳川家康の活動が活発になっていく。
■「大きな戦争」を狙っていた徳川家康
当時の家康がなにを狙っていたかというと「大きな戦争」です。戦争を起こして、どさくさまぎれに豊臣の政権を奪取したい。
これは秀吉が、織田の政権を奪取するときに行った方法と同じです。
明智光秀を始めとして柴田勝家らと、戦争に次ぐ戦争をやる。そのうち、いつの間にか織田家の政権は秀吉のものになっていた。
だから家康も、列島規模で大きな戦いを起こしたかった。それに勝つことで豊臣政権を否定し、徳川政権を作ろうとしたのです。
(中略)
■前田家の次に家康の標的になった上杉家
三成を離脱させたあとの徳川家康はやりたい放題。戦争のためには相手が必要だということで、最初に目をつけたのが前田家でした。
利家の息子、利長の代になっていた前田家に「謀反の動きあり」と難癖をつけたのですが、前田はすぐさま謝ってきた。
自分の母親、もう高齢になっていたお松さんですが、お松さんを人質として江戸に送りますと、文字通り土下座外交を展開しました。
よくよく考えてみれば、それはおかしい。当時はまだ豊臣政権下ですから、本来家康と利長は同僚です。
同僚のところになぜ人質を出すのでしょうか。しかし利長は家康の意図をきちんと理解し、徳川に優る力が自分たちにないと理解していたからこそ、謝った。
そこまでされれば家康も「謀反はなかった」と疑う姿勢を解き、お松さんは江戸に送られます。
では次に誰を狙うか。「大きな戦争」を起こすには、相手も大きくなければなりません。三成のような小物ではダメ。そこで狙われたのが上杉景勝でした。
今度は彼に謀反の疑いがかけられます。もちろん濡れ衣でしょう。
しかしこの流れは前田と同様で、もう誰もが家康が理不尽なことを言っているのはわかっている。
家康も、自分が無茶苦茶なことを言っているとわかっています。わかっていても、狡猾こうかつな家康はそんな自分に誰がついてくるか、こないのかを見定めていたのです。
(以下略、全文はソースにて)
https://president.jp/articles/-/45133?page=1
★1が立った時間:2021/04/29(木) 12:16:14.52
※前スレ
http://2chb.net/r/newsplus/1619783512/ ところが大局を読んだ秀忠が上田城にかまける振りして
アンブッシュしてたから追撃しても撃破されましたとさw
いつまでやんだよ。因みに秀吉は男色を嫌悪してたな。庶民の感覚だ。
なんでこのスレこんなに伸びてるんだ
上杉景勝ってそんなに人気がある武将だったのか
景勝と直江が有能なら日本の歴史が変わっていたな。
まあ、今の日本がどうなっていたかはわからん。
つか読んだとして、
南進するの??
後ろに伊達最上いるんだけど?
合わせて100万石の大勢力、
伊達最上への守り残して、
南進しても
宇都宮城すら突破できんでしょ?
むしろ毛利や島津が働いてない中互角に戦ってた西軍は凄い。
>>14
歴史のIF好きが多いだけだろ。
景勝が好きか否かは関係ない。 上杉の領地は石高だけの糞領地
海がほとんどなく経済は死んでる上に領地の繋がりが悪い
転封されたばかり
上杉討伐で徳川が来る前に
伊達に白石城を攻め取られている
上杉が南進すれば、最上は簡単に酒田を切り取り
伊達はガラ空きになった会津を攻め落とすだろう
何せ、伊達は会津の旧領主
白石が簡単に落とされたところをみても、
上杉領内の事を熟知している
東西決戦が1日で決着がつくとは誰も考えてなかっただろ
実際、関ヶ原以外の日本中のあちこちで篭城戦やら遭遇戦が起きていたし、
こういう状況なら戦いは長引くと判断するし、事実上戦国時代が再現しつつあった
景勝が判断ミスなら九州で暴れまくった黒官だって何やってんだと言うことになる
結果だけ見て都合の良い解釈をする本郷は三流の小説家以下
まだ続いてんのかー。
関ヶ原の敗戦が現在まで影響してるから、関西人が恨んでんの?
御館様がこの記事をご覧になられたらなんと申されよう
豊臣の天下が続いてても暗黒歴史だったんじゃないの?
なんぼなんでも、三成が半日で負けるとか想定できんわな。
>かつてあの織田信長でさえ、背後を突かれることがわかるや、すべてを放り出して逃げました。
それ、「金ヶ崎の退き口」の事を言っとるんだと思うけど、その話は相当に脚色が入っとると思われますな。
実際には、秀吉を城代として金ヶ崎城の守りに付かせ、信長は悠々と帰ったと思われますな。
秀吉が金ヶ崎城にいれば、そこを抜かないかぎり、朝倉は信長のあとを追えませんからな。
>>25
だな。
真田は秀忠の軍を引き付けてたし。
三成がもちっと互角に戦えてれば、上杉も動きようはあったんだけど。 人は記憶型と思考型に大別できる
100万石以上でみるとこんな感じだ
豊臣秀頼 VS 徳川家康
毛利輝元
前田利長
上杉景勝
前田が屈した段階でほぼ決まり
関ヶ原まで家康は豊臣政権下の争いとしてたから実質はこうなる
毛利輝元 VS 徳川家康
上杉景勝 . . . . 前田利長
>>25
本郷は話にならん
1日で終わるなんて家康でさえ現場に行くまでは考えてねーよ
自分だって秀吉と散々陣地戦やってんだから
そうなるとあの時の上杉の置かれた情勢見たら最上攻めしかねーだろ
関東には留守部隊といえども徳川軍がいる
こっちは佐竹に任しとけばとりあえず安全
越後は一揆で混乱しているからこちらも安全
浜通りは佐竹の組下だから安全
伊達とやり合うのはまだ早いし伊達も交渉申し入れて来てるからとりあえず時間稼げる
となると飛び地になってる庄内つなくために最上ぶっ潰しとくかとなるわ、論理的に
景勝の行動は極めて論理的だよ そんなこと言ったら家康も毛利と島津を徹底的に
滅ぼしといたら子孫が苦労しなくてすんだのに
>>25
正直言って上杉景勝と直江兼続の判断ミスは否定出来ないんだよ
味方が仙北の小野寺義道だけという状況で最上領に軍を動かしちゃったんだから
しかも越後から移転する際に直江が年貢から何から何まで根こそぎ持っていったせいで
苦境に陥った新領主の堀氏に「おのれ直江!この恨みいつか絶対晴らしてやる!」と憎まれてしまい
直江を憎みきっている堀氏に背後を脅かされるという致命的なミスをやらかしちゃってるんだから >>22
さすがに「経済は死んでる」は今の会津,米沢の人に失礼だと思いますが、他はよく研究されておりますな。
背後に伊達,最上がいる以上、徳川のあとは追えんでしょうな。 そろそろ、上杉はどうやったら最上を攻略出来たかを考えようぜ
毛利がクソで決着がついてるぞ!
特に、両川がクソすぎて。
あと立花宗茂らが大津から転戦して来るのを待てなかった三成も悪い。
大坂で西軍の残党を集めて徹底抗戦すればまだ少しは可能性があった。
>>39
あれは家康が西軍の戦力が集中する前に決着つけようと勝負したからな
秀忠待たないで
あの場に家康以上の能力ある指揮官がいないとダメ
西軍にそんなやついないじゃん
輝元ボンクラなんだからw
せめて隆景が生きてたら違ってたのになw >>9
輝元自体が敵対するきないって家康に手紙送ってるし
毛利家でやりたがってたのに安国寺だけ 景勝なんてひたすら転げ落ちただけだし、なんで直江兼続が有能扱いなのかわからんわ
>>33
浅井は撤退こそしちゃったものの信長を攻める気はなかったと思われますな。
なんせ信長軍は幕臣光秀も参陣している官軍ですからな。 元就は輝元には非常に厳しい祖父だったようだが危惧してだんだろうな
そして危惧は当たってしまった
>>44
毛利家は天下狙うなっていう元就の遺言の影響もあるかと >>41
あの元就の孫がどうしてここまで間抜けなんだろうw 前スレのまとめ
・「西軍が豊臣の忠臣の集まり説」は間違い
→秀吉は毛利を信用してない
・「家康が天正大地震で助かった説」は間違い
→秀吉は島津と家康との二正面作戦を避けた
・「秀吉の天下統一終盤は楽勝だった説」は間近い
→九州攻め・小田原攻め共に兵糧切れ寸前だった
>>40
いやー、あの関ヶ原の布陣は完全に西軍の勝ちだぜ?
あの布陣を三成が考えたとすると、なかなかの軍師だぜ?
小早川の裏切りさえなければの話だけど。 >>48
兵站きちんと整備するなんて20世紀にようやくできるようになったことだからね
戦国時代の大軍の動員は常に飢えと一体 >>41
それはおかしいやろ
だったらなぜ関ケ原に出兵したり、
大坂城を占拠したりしたのか?
輝元はどっちに転んでも良いように
西軍には「東軍と通じてたのは部下が勝手にやったこと!」
東軍には「西軍と戦ったのは部下が勝手にやったこと!」
という風にしてたのだ
当時だと戦闘・和平を並行してやるのは、ごく普通のこと >>49
前日が雨で山の上の軍は自由に動けないから平地に多かった東軍の方が有利だったって話も 結果論でそのように指摘するのはいかがなものか
関ヶ原で毛利勢が確と戦えば小早川の寝返りもなく
西軍が圧勝した可能性もあったのではなかろうか
石田三成に人望があればそもそも争いなんておきなかった。
>>46
父親が早死するってけっこう大変だからな
両川といってもそれぞれに国持ちだし、元就だって孫に厳しく教育することはできなかったんだろう >>49
1番強い立花と秀包が居ないんだから失敗だよ
戦いは戦力の集中が1番大事
家康はあえて自分の兵力の集中を犠牲にして西軍の主力が決戦に参加しないように兵動かして決戦した
大津の軍を合流させないように戦った時点で家康の勝ち
布陣じゃないのよ勝敗は >>50
何いってるの?
逆だよ、飢えがあるから大軍の動員が難しく、専業の兵でもないから春秋は戦えない。
それを打破したのは信長であり秀吉。 >>57
打破してないよ
信長も秀吉も大軍の飢えに苦しんだ記録たくさん残ってるよ 家康は5大老を一人ずつ消していった。上杉が土下座しても
いずれ消される。
当時は西高東低と言うが、東西の兵が直接対決すれば
東の兵が強いことは源平時代からの合戦を見れば明らか。
目の前の前田を消した後は、東の難敵上杉をつぶしにかかる。
その後は強大な東国兵を組織した家康に、西国軍閥は恐れ
をなして屈服せざるを得なくなる
>>53
だから、最近、TVでやった「歴史探偵」によると、玉城に秀頼を迎える予定だったようで、
秀頼さえ参陣していれば、毛利,吉川,小早川も家康と戦ったと思われますな。
秀頼がいなかったので、「俺らは石田ごときの命には従わねぇ」って感じで動かなかったと思われますな。
あ、小早川は裏切りね。 景勝がかりに家康の首狙って出陣してても結城抜けないんじゃね?
その間に政宗あたりに領土取られてそう
大津城主の京極高次は存命中から「女房の力で出世したヘタレ」と評判が低かったが実はすごかったりする
立花宗茂や毛利秀包といった西軍の精鋭を釘付けにして関ヶ原に参戦出来ないようにしたんだから
もっと評価されていい気がする
まぐれで勝った関ヶ原だから、さぞや鎧も軽かったろうな
黒田官兵衛は苦笑いだったに違いない
関ヶ原の開戦直前には西軍多数絶対有利が事実だったんだから伊達も最上も様子見体制
だから江戸は上杉の派遣軍だけで落せた
江戸占領の実績後は関東一円と伊達最上にも与力を要請できた
直江兼続はそう主張したが景勝は様子見を選んだ
しかし上杉が江戸の幕藩体制を築けたかは疑わしい
なぜかというと所謂幕閣が貧困だからだ
>>60
そのテレビ番組に限らず、根本的に認識が逆なんだよね
石田が勝手に始めた戦いに秀頼が参陣することなどない
石田の勝手な戦に秀頼が駆り出されるなら石田が秀頼よりも偉いことになってしまう
もしも秀頼が参陣する可能性があるとするなら石田が秀頼抜きで圧倒的勝利を収めて
豊臣家が西軍の力にひれ伏さざるを得なくなった場合だけだ
関ヶ原に秀頼が参陣すればとか言っている時点で順序を間違えているんだよ >>60
そこは異論のない所
秀頼が出馬すれば毛利勢もさることながら
福島をはじめ豊臣恩顧の武将達は矛先を変えるか傍観するしかなかった筈 >>60
その番組で豊臣家が石田一方につくことはありえなかったとも言ってなかったか >>65
まともな事を言って歴史のロマンを削ぐのは良くないよ
正論を滔々と述べ立てて嫌われる鼻つまみ者だろおまえ >>61
福島城は撃退してるからそう簡単には取られんだろ
上杉と結城がやりあってる隙に佐竹が江戸進撃ならワンチャンあったかもしれん 浅井は信長を裏切るときに、なぜ人質も同然の信長の妹とその子を皆殺しにしなかった
のだろうか?
>>32
ちょっと例えが違うけど、ヒトラー以外割と日独伊ソで英国解体を他の首脳陣がイメージしてたけどソ連攻撃でみんなびっくり詰ゲーみたいな >>70
戦国時代に実家と敵対したからと嫁子供殺した武将なんて思いつかんよ
似た事例で家康が築山殿と信康殺してるけどあれはどうやら家康VS信康の親子の争いのようでそれなら戦国時代に掃いて捨てるほどある事例になる 毛利一族がやる気ないんだからどうしょもないw 元就も草葉の陰で泣いてたろうな
やらんなら総大将受けるなよ。毛利の両川もいねえからどうしょもなかったのか
>>74
いやほんと
家康に保険かけるくらいなら最初から西軍の大将になんかなるなよとw
輝元って性格が卑しい逸話が沢山残ってるからな
基本カスでクズなんだよ >>1
>当時の家康がなにを狙っていたかというと「大きな戦争」です。戦争を起こして、どさくさまぎれに豊臣の政権を奪取したい。
家康も光成の挙兵とそれにあんなに多くの大名が呼応するとは思ってなかっただろ
光成挙兵で真っ先に反転西上しようとしたのは諸将で家康は慎重に江戸を動かず各地の武将に書状を送って味方を増やす工作に没頭した
伊達最上ら東北の大名の意向を確認したうえでようやく家康も西に動く
それも先ず秀忠に徳川主力を率いて先発させ、自分は最後にと言う用心深さ
その秀忠は関ケ原に間に合わなかったわけで家康も誤算だっただろ >>4
石田派の大名の方が割とまともな人が揃っている
現実には石田派が動員できた兵力が少なすぎた
西軍は大軍だけど、ほとんどが様子見だった そもそも上杉征伐は事前に家康と計画された三成おびき寄せの工作だからね
>>76
そう
確かに家康は大きな戦い望んでたけどそれは自分が一方的に有利な展開前提だから
関ヶ原みたいな大事になること予想してたならその後の家康の行動は説明つかないわな >>65
石田三成は絶望的に人望ではなく
淀殿に嫌われていたことが全ての敗因です それにしても2ちゃん→5ちゃんは、今や完全に、行くところのない団塊ジジィの日向ぼっこ談笑スレ 別名・養老院w
>>60
玉城を主城にして、菩提山城、松尾山城の支城と連携して東軍を包囲殲滅する計画だったってやつか
なんでとっくに家康方に鞍替えしてる竹中重門の菩提山城がちゃっかり西軍の勘定の内に入ってるのか意味不明だった 大坂の陣で、毛利が部下を豊臣方に送ったとか
戦後に豊臣の武将を伊達が受け入れたとか
伊達と毛利は、大坂の陣でもまだ諦めていない感じ
>>78
大軍になるほど金や食料の消耗が加速度的に大きくなるからね
西軍は朝鮮で消耗した西国大名の割合が東軍よりも大きいことに加えて
豊臣家から軍資金と兵糧を貰えていないので自分で自分を維持できる状態ではなかった
むしろ西軍は大軍だからこそ、ほとんどが様子見にならざるをえなかった
逆に東軍は朝鮮での疲弊を免れた東国大名が西軍よりも比較的多かったことに加えて
豊臣家から事前に軍資金と兵糧を貰っていたことで
行こうと思えば一気呵成に突っ走れる有利な状況だった 戦国時代の一番面白かった時期の話を雑談できて知らなかったことや違った目線の意見も聞けてこのスレは良スレだね
上杉なんて大して結果に影響はない
秀頼を出馬させなかった毛利輝元と淀の大局観のなさが原因
和平と戦闘を並行するのはともかく
どちらも部下のせいにして逃げられるように手を打つ
毛利は当時的にも信用が低いのではないだろうか?
だから秀吉や家康は信用しなかったんだろうな
4スレ目?
ノビテールな
ソース元が長そうでよめない
>>48
>九州攻め・小田原攻め共に兵糧切れ寸前だった
そうなの?
小田原なんて城を取り囲んだ秀吉軍がやる事なくて暇でしょうがないから毎晩宴会開いてたとか言う話だがw >>79
家康は、小規模な三成の蜂起くらいは予測してたようだが、
蓋を開けたら、毛利、宇喜多が筆頭で名を連ねたので
あわ喰ったようだ さっさと上洛して敵意のないことを明らかにしていたら家康も上杉を打つ大義名分などえられなかったからな
むしろ直江は家康のスパイだった思えるくらい家康にとって好都合な行動をとっている
歴史ってのはな
大体想像と妄想の産物なんだよ
書物だって創作の可能性あんだから
>>92
当時だと10歳前半に初陣させるのが普通で
まだ数え8歳の秀頼が出陣しないのは当然では?
しかし20代になった大坂の陣ですら
出陣していないから無理だろうな
秀頼しかいない豊臣家に
秀頼に死なれたら断絶してしまう >>41
毛利家では安国寺だけが事の重大さを分かっていたんだよな
豊臣政権で毛利小早川は散々優遇されていたんだから、
家康の天下取りを全力で止めて、自ら秀頼を擁しつつ天下取りに向かうしかなかった
家康を潰さなければ、家康に潰される!
殺るか殺られるか!
これが分かっていたのは家康と安国寺だけ!
結局毛利や吉川はアマチャンなんだよw
どうして家康が自分等の重役ポジションそのままにしてくれると思えるんだよw
毛利潰さなければ与える恩賞ないからなw >>101訂正
大坂の陣の段階だと秀頼の子供がいるんだった
しかし幼い子供を残して死んだら大変だろうし
やはり出陣は無理だろうな 前スレでも関ヶ原の時の黒田如水の話が出てたが、関ヶ原の時第三勢力となってあわよくば天下をって言う俗説は
慶長5年10月4日付吉川広家宛黒田如水書状の中の
「上方で美濃口においての合戦が今月まで続いていれば、中国地方まで進軍して華々しく一戦することが出来たのに、内府が早く戦いを終えてしまい残念だ」
ってのが俗説の根拠になってると思うけど、そもそも中国地方は毛利の領土だし
それを堂々と毛利方の吉川広家に話すのもおかしな話で、やはり如水は関ヶ原の直前直後の一次史料からも分かる通り終始一貫して家康方で、
あくまで家康の味方として中国地方まで進軍して、西軍の連中が仮に中国地方にまで勢力を伸ばしていれば
私も一合戦できたのにという解釈が妥当だと思う
更にこの書状の続きでは
「西軍に属した島津義弘や立花宗茂は九州へ逃げ下ったそうなので
内府様の意向に従い、その仰せ次第では二人を討ち果たすために出陣する」
と言ってるし自ら進んで家康に敵対しようなんて気はなかったと見るべきだな
しかししつけーな
こうすれば西軍が勝った云々
無意味なんだよ
>>104
毛利や上杉は信長に滅ぼされる寸前だったのを本能寺という神風で助かったどころか
大老まで出世できてしまったので
のらりくらりやっていれば神風が吹いて助かるという神風思想が染みついてしまったからね
だから家康と敵対しても先頭に立って家康と戦うことをしないのは当然
そうやって自分たちのために神風を起こすのはあくまで別人のすることだから >>102
別に軍が孤立しているわけではないので
兵糧が「不足」し始めてもなかなか切れないもんなんだよ >>104
動かなかったのに大減封だもんなぁ。
上杉よりも毛利の方が大局を見誤ってるよな。 >>104
小早川系は理解してた
だから秀包や秀元は積極的に動いてるだろ
残念ながら親玉の隆景が死んだから家中の影響力が下がってたんだよ
秀包や秀元は有能だけどまだ若造
安国寺は所詮坊主
吉川は無能なお坊ちゃんで毛利本家直属家臣にもろくなの居ないから
何より当主の輝元がボンクラの極みだから無理だわなw >>104
毛利が最初から臣従しても江戸時代初期の改易祭で
やられたかもしれないが…
少なくとも家を守るだけのつもりなら従属で大丈夫だろ
関ケ原以前に従属したのに
改易された加藤や福島も家は存続している 大局が読めなかったのは別に関ヶ原の戦いだけではないだろ
謙信死んだ後から大局は読めてなかったし
本能寺の変がなければ滅ぼされていたし
>>14
部下に、傾奇者でパチンコキャラで人気になった前田慶次がいるからじゃね。 >>112
甘いな
大勢力なんていつ難癖つけられて潰されるかわかったもんじゃないだろ
ましてや毛利なんて美味しいとこ押さえてんだからそのままにしてもらえるなんて甘過ぎる願望だよ
元就が当主なら絶対そんな甘い期待しないぞ >>65
>石田が秀頼よりも偉いことになってしまう
そうはならんだろ
まあ三成が主導権を握る形になることで相対的に豊臣の権威が下がると言うファクターはあり得るけれども、
このケースでは秀頼が幼少と言う時点ですでにその分は織り込み済みとも言えるので、
三成の挙兵に乗ったところでほとんど権威にマイナスはない 前田、上杉と次々にいちゃもん吹っ掛けて潰しに掛かってるんだから
次はもしかしたら自分の番かと危機感を持つはずなのに輝元は静観してるんだもの
敵意を持ってるかもしれない徳川を引きずり下ろす好機なのにみすみす逃すなんてマヌケとしか言いようがないわな
>>111
吉川は無能というか恵瓊が大嫌いで
アンチ恵瓊として頑張り過ぎた >>117
元就なら家康とニコニコ交渉はするだろうが絶対信用なんてしない。
そしてどこかに仕掛け入れて家康を潰しにかかるよ
間違いない
そうやって生き延びてきた男だから 光成じゃどのみち無理ゲー
根回し力調略力が家康と桁が違う
どうにか戦えたのは秀吉の力の残り火のお陰だし
結局、大谷吉継が三成に指摘していたように、西軍勝利を信じてついた将はいなかったってことでしょうね
だから上杉も博打よりも自国勢力圏の防衛を優先した。
増田や長束のような三成の決起の中心にいた人物も、敗戦後の保身のために家康に動静を伝えていたというしな
>>120
毛利では家康に勝つのは無理だよ。
兵力が違い過ぎる。 >>111
むしろ秀包や秀元の方が若造だから理解していなかった
過去30年間の歴史を見れば明白だろう
信長・秀吉の天下取りを認めない、俺が合戦で止めてやると勇んだ奴は大勢いたが
上手くいかずに多くが悲惨な最期を遂げる羽目になった
こういう天下取りの流れができたら諦めて抵抗しないのが最善の選択肢だと吉川たちは理解できていた
それでも秀包や秀元は若造だから仕方がない
真田・島津・立花みたいに中央の歴史を知らない田舎大名も仕方がない
輝元はいい年こいて中央の歴史も知っているのに浅井長政ごっこ・柴田勝家ごっこを始めてしまうのだから質が悪い
むしろ吉川たちはよくやった方だろう >>123
元就が陶と戦った頃と比較したら十分戦える勢力差だよ 石田三成も秀吉のイエスマンじゃなくて、悪いことはちゃんと諫めてたらここまで嫌われなかっただろう
毛利輝元みたいなポンコツを大将にしてる時点で負け確定。関ケ原でいい勝負しても負けたと思う
歴史は噓をつかない
>>126
当時の大名や各地方の国人は荒々しい武闘派の連中が多かったから
中央のもやしはクッソ嫌われてたと思うぞ
逆に秀忠とかは現在では無能扱いだけど身体は戦傷だらけだったらしいから
当時はそんなに評判悪くなかったんじゃないか 前田利長・・・ヘタレすぎ
毛利輝元・・・無能すぎ
石田三成・・・嫌われすぎ
せっかく毛利は割拠主義の家風だったのに、何で一番になろうと思ったんだよw
輝元はアホや。家康に譲って中国でそこそこ領土もらった方がいいだろうに
前田利長と福島正則と加藤清正が
西軍に付いたら勝てたかな?
>>133
そんな戦力バランスになるんじゃ家康は事を起こさないだろ >>134
家康は豊臣方の大名1人1人を徳川の
味方に付けて
西軍を弱体化させてから
戦争しかけてるよね
前田利長と福島正則と加藤清正と
黒田長政が西軍に付いてた
勝てたかな? >>132
あほじゃないだろう
関ヶ原の戦いの後
毛利が存続したから
260年後リベンジで徳川を倒して
輝元のやり方は間違ってなかったんじゃねえの?
あれ以上暴れてたら
領土と財産と命全部取られてたでしょ
前田利長と島津のやり方も間違ってなかった >>134
前田利長と福島正則と加藤清正と
黒田長政の父親みたいな存在の
前田利家が死んでから
家康はクーデター起こしてるよね 島津はうまくやったよなあ
まあ家康としても辺境の九州を譜代や直轄にするメリットがなかった
というのもありそうだが
>>138
島津も毛利も利長も采配はokだったじゃねえの?
家康と本気で戦ってたら
負けた後すべて失ってたよ
ああいう采配したから幕末でリベンジできた >>136
別に明治維新は毛利のリベンジじゃないでしょ
長州倒幕派な桂あたりは毛利家背負って動いてたわけじゃないし 1日で終わるとは思わんなわな
まあ、大軍同士の睨み合い
最低でも3ヶ月はかかると考えるのが普通では
小牧・長久手の戦いが約9か月
秀頼を担げんかった時点で西軍に勝ち目はなかったよ
秀頼に手出しさせなかった家康の戦略的勝利
たった1日で7万〜10万の大軍が壊滅って
ちょっと想像できないでしょ
ミサイルのある時代じゃなくて
槍が主力の時代で
>>136
輝元は恵瓊に乗せられたアホだよ。めっちゃ小さくなったとはいえ領土を維持できたbのは
すべて吉川のおかげだからw 輝元は何もしてないよ そもそも秀次粛清で終わっていたんだよ、豊臣家は。
秀次付きの殺された子飼い大名だけで数十万石。
連座処分逃れた与力、親秀次大名も皆家康の取りなしで処分逃れたもんだから、そりゃ皆家康につくわ。
>>145
輝元が大博打しなかったから
幕末まで毛利家は存続できたんだよ
石山銀山は取られたけど
元就は輝元の事へたれって評価してたけどな >>150
大坂城に入った時点で大博打してるし、そして負けてるしw
吉川に尻ぬぐいしてもらっただけでしょ。 >>142
輝元じゃなくて元就だったら騙してでも秀頼を連れ出してそう
しかし、秀頼は最後まで情けなかったな
大阪の陣でも一度も戦場に出ず
土蔵で死亡って
太閤の子なら一度でも千成瓢箪と共に登場しろよって >>151
あほ 輝元が大阪城から
出て関ケ原に行って
負けてたら
大変なことになったぞ >>151
大博打してないわ
秀頼担いで
大阪城から出て
関ケ原で大負けしたら
もう滅亡してただろうに
ちゃんとリスクヘッジしてるわ >>152
無理やろ実戦経験皆無だし
恐らく現代のボンボンと精神力も肉体力もほぼ変わらんぞ >>155
別に現代のボンボンだって旗印に担ぎ出されるくらいのことはできる 秀頼が博打打たんからその後の家康に豊臣がなぶり殺しされることになったんだな
マザコンだからしゃあないけど
>>155
だから、形の上では家康も三成も秀頼の家臣。
つまり、家康vs.三成なら、家臣同士の闘いにすぎず、諸将はどっちに付こうが勝手。
しかし、秀頼が西軍に付けば家康は賊軍になる訳で、
毛利,島津なども戦っただろうし、小早川の裏切りもなかっただろうし、逆に福島の寝返りまで期待できたと言う話。 秀吉は堀秀政と蒲生氏郷の急死で仕方なく消去法で上杉景勝を会津に持って来たからな。
秀吉の天下取りを支えた織田配下の堀と蒲生、秀長が亡くなった時点で終わった。
例え秀次の切腹が無くても秀次では家康に対抗出来ない。
軍事面で家康に対抗出来たのは堀秀政と蒲生氏郷。内政で支えた秀長。
>>157
てか関ケ原のときには淀君はじめ大坂城の首脳部は家康を討てじゃないだろ
むしろ光成の挙兵と毛利の大坂城進駐を迷惑に思ってる
西軍×東軍を臣下の争いに思ってるわけで
秀頼出馬は無いわ >>159
いや秀次がしっかりと権威を継承していたら家康では対抗できないよ
イーブンな立場じゃないんだから >>161
秀次が継承したのは秀吉存命下でのお飾り権威であって、中身のある支配ではない。関白在任時に何をしたか見れば自明 >>159
秀次が正当後継者で、2代目として官位も貰った場合、
豊臣恩顧大名がどうするかだよなあ。
あと、最上とかも豊臣派でいるだろうし。 >>161
秀次失脚の騒動も輝元が噛んでる説があるんだよな
秀次から借りた金をチャラにしようと輝元が連判状を大袈裟に差し出したのが事の始まりって話