「万国の懸け橋」を自任し、東アジアの大交易時代に輝かしい足跡を記した琉球王国を新視点で見直す「海の帝国琉球―八重山・宮古・奄美からみた中世―」展が、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開かれている。海洋国家の爽快なイメージからは意外な「侵略性」「帝国性」にスポットが当てられ、新しい歴史像として刺激的だ。
沖縄本島を中心に、北は奄美から南は八重山・宮古までを版図とした琉球王国。第二尚氏王朝の尚真王(在位1477〜1526年)時代が最盛期といわれる。本土では室町幕府が弱体化し、応仁の乱から戦国時代へと中世も終わりにさしかかった時期に当たる。
治世50年に及び、繁栄のシンボルとして語られる尚真王。しかし、それは王国内中央の勝ち組の描いた歴史像であり、版図に組み込まれていった周辺の島々からは全く別の姿が見える――これが本展のスタンスだ。
展示チーム代表、村木二郎・同博物館准教授(中世考古学)によれば、八重山や宮古に関する当時の文献資料はなく、後年、第二尚氏が編さんした史書に基づく歴史像が流布することになった。ところが、それらの史書は「『野蛮な連中のところに俺たちが文明をもたらしてやった』というトーン」。そこで本展ではまず、文献を離れて考古学の成果に着目する。
■八重山、宮古に大量の中国陶器
展示会場で目立つのは陶磁器だ。13〜15世紀、八重山(石垣島、波照間島、与那国島など)、宮古島の集落遺跡からは、中国製の青磁や白磁の破片が大量に出てくる。数万点に及ぶ遺跡もある。しかも、沖縄本島では出土しないタイプが見られ、中国と直接交易していたことがわかる。
加えて、それらの集落はサンゴの石を積み上げた石垣で区画された独特な形態で、これも沖縄本島とは異なる。
こうして本島とは別の流通圏・文化圏の中で栄えていた各集落だったが、15世紀をもって突如廃絶し、廃虚と化してしまう。多くの島々で同様の事件が起きた。
その15、16世紀のまさに境目、尚真王治下の1500年に起きたのが「オヤケアカハチの乱」だ。王国側史書によると、八重山の「酋長(しゅうちょう)」アカハチは年貢の滞納をとがめられ、大軍を送られて滅ぼされたという。
この記述は発掘が示す集落の断絶ぶりと見事に合致し、八重山社会に大変動が起きたのは間違いない。だが、それを「王国内の一酋長が反抗したため征伐した」と信用してよいものかどうか。
…続きはソースで(会員記事)。
https://mainichi.jp/articles/20210427/k00/00m/040/251000c
2021年4月28日 9時00分 赤八親分!てぇへんだ!
支那の後援を受けた琉球のやつらが!
なにぃ!なんくるないさー!
がってんでぇ!
>>2 そういう批判は、国立歴史民俗博物館に行ってこいな。 琉球人は平和を愛する優しい民族では無かったということ?
もう韓国本土が色々とごねられない様な外堀が埋められてきたもんで
沖縄とかアイヌ系の話を掻き回す事に最近は熱心ですねw
ふざけんなよ
ばか
在日なりすまし沖縄タイムす
韓国人雇うなよ
>>5
宮古や八重山の人々にとっては、琉球王朝こそ圧政の象徴。 そりゃまあそうだろ
ネイティブアメリカンやインディオもアフリカ人達も白人来る前は部族同士で争っていた訳だし
ニューギニアの部族もちゃんと殺し合いをしてる
琉球が奄美を侵略して喜界島までを攻めた話をしないとな
この程度の記事が理解できず
意味不明な書き込みをする人がいて
嘆かわしい
そらそうだ滅ぼされたからといって正義ではない
単に弱くて負けただけ
よく、日本人だ!中国人だ!
言う人いるけどw
琉球人は琉球人だろ…
琉球=沖縄本島は宮古・八重山を侵略し人頭税などの重税を課し過酷な支配をした
その謝罪と賠償に沖縄本島は知らん顔している
新聞でも沖縄本島が左翼・親中であり宮古八重山が保守・反沖縄であるのもそこにルーツがある;
要約すると沖縄は我々は日本に侵略された被害者ニダ!と言いながら
八重山を侵略してたってこと。
>>1
遺伝子的には沖縄人は本土日本人より中国人とは程遠いけど、まるで中国圏みたいな言い方だよな、反日新聞は >>16
成務天皇期
はじめて行政区画作られた時に宮城県まではいってますが。
何か? >>16
蝦夷を倒して国土広げていったのが初期日本の歴史だし 今は日本国籍なんですけど?琉球人って何です?沖縄諸島のすべての人々は日本人です
一括りにしないでくれない?宮古も石垣もそれぞれに部落があります
それを少数民族と呼んでも構いませんよ。でもいまは日本国籍
こんな下らない分断記事などはいくら報道の自由が保障されていても国家内乱罪ものだと思いますが?
高麗の軍隊「三別抄」が琉球王国の建国に貢献か
https://s.wowkorea.jp/news/read/29490/
高麗王朝の軍隊「三別抄」が琉球王国建国に貢献したとの主張が出された。
国立済州博物館が沖縄県の那覇市歴史博物館から琉球王国の遺物240点余りを借り受け、来月26日まで開催する
特別展「耽羅と琉球王国」を準備する中でこうした可能性が見つかったと、同博物館のミン・ビョンチャン学芸研究室長が
18日に明らかにした。 >新しい歴史像
ってなんだ?
はるか昔の封印された大河で軍隊も持たない平和な琉球と連呼するジュリーにお前ら侵略者だろwww
とあからさまな突っ込みしてたのに
琉球王朝って実際は圧政や失政やりまくって現地の人から無茶苦茶嫌われてて
首里城の最初の再建の時に大反対されてるレベルだったけど
今さら侵略がどうとか言い出してるの?
>>25
役人全員逃げてたんだよなwwwww国民盾にして
だから60万人も高麗国民拉致された。 >>28
🌾お米作りたいなら素直に言えばいいのにね
モンゴル帝国は。
何故拉致する? 琉球王国は左翼側が言うような夢の国ではないどころか、
武士の階級が売買されていて、本土より武士の割合が圧倒的に多かったため、
農民に掛かる負担がとんでもなかった
「琉球王国は非武装の貿易国家だった」なんて左翼が作った大嘘です
実際は石垣島や奄美大島など離島を侵略しまくって
沖縄本島にはない税(人頭税)をかけて苦しめていた
本島が離島を支配してた王国だからね
よく琉球独立!とかいってる人もいるけど仮にそうなっても離島はついてこないよ
琉球王朝の末期、薩摩が沖縄に来て、琉球王朝を倒し薩摩藩の一部となり、沖縄県となった。
それは基本事実ではあるが、それだけ聞けば、民間人も含め抑圧的に沖縄を占領したように思うが、琉球王朝末期の頃は、
琉球王国自体がボロボロになっていて、清国の力が弱り貿易での収益も少なく、民間人への納税で民間人は疲弊。
一般庶民は琉球王朝への不満がたまりに溜まっていたので、薩摩が琉球王朝を倒したことに民間人は大喜びしていたのだ。
実際に、抑圧されていた宮古島や八重山と本島の一部は、江戸幕府に日本に編入して欲しいと陳情していたくらいだ。
琉球王国時代が平和でみんな仲良く暮らしていたという虚構が琉球独立派の共通認識のようですが大嘘。
一部の特権階級が農民を搾取する超階級社会でした。首里城の豪華さは農民の貧困の裏返しであった。
琉球王国は軍隊を持たずに平和な王国を数百年続けた。
ウソです。「しよりおやいくさ(首里親軍)」というものがあり、おもろさうしに戦争を歌った歌もあります。
実際は石垣島や奄美大島など離島を侵略しまくって、沖縄本島にはない税(人頭税)をかけて苦しめていた。
沖縄学の父、伊波普猷(いは・ふゆう=1876〜1947)は、「琉球処分」を近代日本への編入であって侵略行為ではないとしている。
文化的親和性、一体性を持つ本土と沖縄の「統一」、あるいは「合一」として起こったもので、沖縄県体制は植民地ではなく、「日本の一員としての沖縄」が出現したことを意味すると見た。
また、琉球王を頂点とする支配を維持するために、琉球人民はいかに重い負担にあえいでいたか、悲惨な状態から解放し、新しい地平に立たせたのが琉球処分だったと述べている(「琉球処分は一種の奴隷解放也」)。
琉球処分について沖縄学の父、伊波普猷(1876〜1947)は、「三百年間奴隷制度に馴致されていた沖縄人」(『沖縄歴史物語』)という表現を用いている。
琉球処分によって上流の支配階級は多くの特権を奪われたが、彼らに搾取されていた非支配階級、つまり圧倒的多数の庶民が近代国家の国民としての権利を享受できるようになったからであろう。
上流階級が望んだのは、清国と同じ朱子学を根本道徳とした身分制秩序に支えられた国家であった。士農工商が基本でありその身分を壁を乗り越えることは難しかった。
彼らにしてみれば元足軽の伊藤博文が内務卿ひいては総理大臣になれる国家など野蛮人の巣窟に過ぎず絶対に認めることはできない。
四民平等や男女を問わず国民すべてが学校に行けること、それゆえ農民や商人の出身でも政治家になったり高級軍人になれるような「野蛮な体制」は阻止しなければいけない。
琉球処分から二十二年後に勃発した日清戦争で日本が勝利すると、旧支配階級もそれを認めざるを得ず、児童の就学歩合は著しく増加した。
この構図は今でも残ってて、沖縄の人間は島の人間を露骨に差別するよな
宮古島、石垣島、八重山地方は独立国だった(琉球王国の侵略に抵抗したオヤケアカハチは石垣島の英雄)
離島は琉球王国が武力併合して沖縄本島にはない人頭税をかけて植民地支配をした
琉球王国が宮古・八重山地方の島民を異民族として見ていたことの証拠
石垣島出身の具志堅用高も沖縄本島で差別されてきてその怒りをボクシングにぶつけたと語ってる
薩摩に侵略されたって言うけども
八重山に侵略してたんだよな
琉球王国
言っちゃいけないことみたいだけども
村十分があった
裁判と処刑まで村の権利
明治にそれやって日本政府は直接統治を実質諦めた
>>5
ヤイマはヤイマであってウチナーではないからな 有気音/無気音で単語を区別する言語グループ
と
有声音/無声音で単語を区別する言語グループ
では、何言ってるのか?
単語の違いが理解できないけど…
明永楽帝五年(1407年)中国最初の官製外国語学校――「四夷館」が設立された。
設立する目的即ちその役割は外国使節が持ってきた国書の翻訳および翻訳官 の養成で、教師の多くは周辺諸国からの使節や随行員を雇われた。
「四夷館」に日本語教育があったかどうかは資料不足のため確定できないが、 少し時代が下って、同じ明代に設立した「会同館」に中国最初の日本語教育が、
尚真王は琉球王国が最大版図になった功労者であり、沖縄史に輝く「大英雄」です。
彼がしたことは、「非武装中立宣言」どころか、真逆の沖縄の武力統一でした。
時は1500年代初頭、本島を征服した尚は、次の版図拡大を八重山と久米島におきます。
八重山への征伐軍の規模は、3000余とされていますから、当時の渡海能力からすれば最大限のものでした。
ちなみに1世紀後の、薩摩軍の琉球侵攻時の総勢は3000人、80余艘を使用していますから、ほぼ同じ規模です。
「武器を持たない国」どころか、当時の中華帝国を別にして、東アジア随一の軍事大国だったと言ってよいでしょう。
迎え撃ったのは、石垣島の大浜生まれの遠弥計赤蜂(おおやけ・あかはち)でした。
アカハチこそが、まさに英雄と呼ぶにふさわしい人物でした。
彼は王府の過酷な課税要求に対して島民をまとめ上げて、レジスタンスの戦いを繰り広げます。
結局、刀折れ矢尽きて戦死しますが、今に至るも八重山に深く残る「沖縄」への怒りをまさに体現した男でした。
この時期の琉球王府軍は、種子島に鉄砲が伝来する以前に、既に中国から輸入した火矢(ヒャー)という中国式小銃を装備していた資料があります。
琉球王国は、尚徳王(在位1461年〜 1469年)時代に奄美の軍事支配も完了しており、後々まで残る王府による苛烈な収奪政策を残していきます。
尚徳王が喜界島侵攻時に動員した兵力は、約2千と言われています。
彼は奄美大島諸島の奄美大島、徳之島、永良部島、与論島などを支配しました。
八重山、奄美の軍事侵攻において、一回につき平均2千から3千人の兵力の海を渡った戦力投射能力が可能な琉球王朝のどこが「平和国家」なのでしょうか。
八重山、奄美への侵攻は別に秘史でもなんでもなく、通史にしばしば登場するのですから、どうしてそれだけの巨大な軍隊を動かす国家が、「武器なき国家」だと思えるのか、逆に不思議なほどです。
これが15世紀末から16世紀前半に至る、尚真王統治の「琉球王国黄金期」だったのです。
ハイハイ
変態人殺し少女売春脱税パンツ泥棒珍聞はご立派ご立派
>>41
多民族国家になると方言として残るだろ
モンゴルとか。 >>1
先島諸島は琉球王国なんぞ良いように思ってないぞ
厳しい人頭税なんかで搾取されまったからな
琉球王国がどうのこうのは沖縄本島の一部の末裔な
先島諸島出身者からしたら琉球王国とか知らん
クソ喰らえだよ アイヌも冬になると凍った海渡ってシベリアあたりを略奪して回ってたらしいしな。
アイヌに略奪された部族がモンゴルに泣きついてモンゴルがアイヌを討伐した記録が残ってる。
先島諸島で育つと琉球王国なんぞ恩恵すら全くない
沖縄本島と一括りにするな
親中派のクソども!
>>1
先島諸島に琉球王国ゆかりのもなんて無い
あるのは人頭税に関するもの
沖縄本島は文化的にそこまで密接では関係ない
密接だとしたら税による搾取な! ということでパヨクの巣窟沖縄本島と先島諸島は全く関係ないからな
利権親中派は切腹しろ
>>25
沖縄周辺に韓国語訛りがあれば
正しい、が。 ソース シナ系ヘンタイによる相手国に対する政治工作報道
>>5
離島はすごく搾取されてて色んなひどい話が伝わってる >>16
毛の国の話なら平和的に連合を組んだ感じらしいけど >>55
自称海洋大国の韓国に海洋交易の概念がないからそれは無理 >>59
20世紀後半に、沖縄県浦添市浦添ようどれで高麗瓦が発掘された。この瓦の文様は、三別抄が珍島に造営した龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似している。浦添ようどれの瓦には「癸酉年高麗瓦匠造」という刻印があるが、癸酉年は1153年、1273年、1333年、1393年などが該当する。
国士舘大学教授の戸田有二は、これが1273年だとすれば、三別抄が済州島で滅ぼされた年と同一であるため、三別抄の生き残りの人々が沖縄に逃避してきたのではと推測している[5]。なおその時代、徳之島には既に高麗陶工が入りカムィ焼の生産に従事していた事が確実視されている[6]。 つか、本国で60万人も拉致されてるんだけど…
沖縄で遊んでる場合では
>>35
先島で沖縄そばのお店聞いたら
沖縄(本島)に行けばと言われたことが >>59
韓国は交易はしてなかったけど中国沿岸で海賊やってたからあながち間違いとも言えない 琉球王朝は中国型王朝だから基本庶民には厳しい
徴税でしか王朝と庶民の接点がなかった
>>21
沖縄人が中国人や東南アジア系と遺伝子が離れていていても本土日本人に近い血統は
半島ー北東アジア北中国ー中国他−台湾ーーー沖縄、沖縄で観光客見ればわかる
沖縄先着民は南方系で各地から本土古代人と違う人骨が多く発掘されてる後年に大陸や
東南アジア系が混じったのが沖縄人 陶宗儀が克全から教わった日本語の語彙10個を「いろは」四十七文字 で次のように記されている。「假如曰天則云そら、曰地則云ち、曰山則云やま、 曰水則云みつ、曰日則云ひ、曰月則云つき、曰筆則云ふて、曰墨則云すみ、曰紙 則云かみ、曰硯則云すずり」。
ただし、撥音の「ん」と清濁の区別が未だなかった。
そりゃアイヌだって奴隷制あったし一夫多妻制だったし現代の価値からみてそんな褒められる社会じゃない
>>44
もののけ姫に出てきた石火矢だな。琉球でも使ってた火器兵器 >>10
南北戦争で奴隷解放宣言したアメリカ様が核兵器で世界を黙らせるまでは
古代ローマから第二次世界大戦まで、
それがあたりまえの生存競争だっただけの話だからな
今の常識で過去の常識を叩くのがおかしいし
どっちかというとポリコレ含めて今の常識が
自然の原理から外れた異常な行動ってだけだ
まぁ、そろそろ人類が衰退してデザインヒューマンやAI生命に移行していくってことだろうけど >>59
沖縄本島じゃなくて小島に逃げた可能性が全く無いとは限らないよ?
日本はノータッチだし。島流しとかで使う場所だから。 琉球統一王朝発祥の浦添城近くで多くの高麗人やその子孫が長い年月高麗瓦を造り続けた
浦添城や初期の首里城の瓦は高麗瓦を使用してた。高麗から朝鮮王朝に代わった時代
首里城外苑の龍潭池の中島弁財天には朝鮮王から送られた経典が収められて中島に架かる
石橋は朝鮮石工が作ったもの
琉球王朝が実は侵略者だったというのは、言わない約束だったはず
完全な善良や正義なんてないんだよ。人間なんだから。
>>75
それが存在するそこを目指すってのが左翼だからなあ… <<高麗王朝の軍隊「三別抄
モンゴルが攻め込んでくると
王朝は済州島に逃げ込み
モンゴルは国中を荒らしまくったので
盗賊団が横行した それが三別抄 愛国者でも何でもない
結局済州島に攻め込まれて 敗北した
日本は武士が健闘して撃退したのを ねたんで
NHKその時歴史が動いたで 元撃退にケチをつけた
>>59
琉球人は中世に朝鮮船籍の遭難救助は度々で保護後半島に送り届けてる、帰るのを嫌がり
ステイした人もいたらしい、東シナ海は昔から航海の要所で第二元寇の多くの兵たちも
琉球に逃げ込んだ彼らは福州人。明国は元の第二皇子を捕らえ多くの従者とともに琉球に
島流し、大陸の動乱時代で琉球周辺や東シナ海が騒がしくなり遭難船が増えていった。 >>5
三山時代に、「おまえらいい加減にせーよ」と中国から叱られるぐらい戦乱だった 正直、琉球王朝の先代は中国の支配層の一部で、そいつらが支配域を拡大するために派遣されて、中国の手を借りつつ沖縄本島の先住民を押しのけ王朝を築き上げたんじゃないかと疑っている
で、しまいには石垣島と宮古島を人頭税で苦しめた
先島諸島に琉球王国としての文化なんて根付いてないからね。
勘違いしゃだめよ
琉球王国やら琉球王朝とか誇らしげに言ってるのは沖縄本島だけ
先島諸島は関係ないから
つまりはパヨクたちが言う「沖縄は虐げられた歴史」ってのは歴史の中の一部
沖縄本島の周辺地域を力で征服した事実もあった訳
侵略だったんだろうけどネトウヨは何を喜んでるるんだ?
薩摩が人頭税の一部として八重山宮古本島の琉球絣を江戸で薩摩絣と称して売り飛ばし
大儲け、なお人頭税は明治以降は日本政府に引き継がれた
まあ今現在も我々日本国民は政府に人頭税支払ってるんですけどね
住民税という名前で
>>87
「旧慣温存」でな
その後、直訴で消えた>人頭税 本島の人より間違いなく本土人の方が嫌われているぞ
移住者のわがままで横柄な態度に辟易していたわ
最近では関西系の半グレ問題もニュースになっていたしな
八重山日報
https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/9878
宮古島出身の歌手、うえち雄大さんが25日、石垣市を訪れ、各中学校に著書「宮古人頭税物語第2弾 夢の扉」を贈呈した。
人頭税は琉球王国が宮古、八重山から取り立てた過酷な税制で、納税の能力にかかわらず、住民に頭割りで課されたとされる。琉球王国滅亡後も存続し、1903年(明治36年)に至って廃止されるまで、260年、先島住民を苦しめ続けた。
うえちさんは歌や著書を通じ、人頭税に苦しめられた祖先たちの歴史と、人頭税廃止に尽力した中村十作らの功績を語り継ぐことをライフワークにしている。琉球王国の象徴でもある首里城が炎上した今、改めて人頭税の歴史に目を向けてほしいと訴える。
21世紀の今、人頭税の歴史を振り返ることには二つの意味がある。一つは、悪税に呻吟(しんぎん)した祖先たちの苦闘の上に、現在の豊かな生活がある事実を再認識すべきこと。
もう一つは、先島地方にのみ課された人頭税は、いわゆる「離島差別」「離島軽視」のルーツと言うことができ、すぐれて現代的な問題であること。
人権、自由、平等が当たり前のように叫ばれる現在、沖縄本島と離島の関係で、この価値観はどこまで具現化されているのか、問い直す契機でもある。
この問題意識という点では、宮古島は八重山より徹底しているかも知れない。宮古島には人頭税石(賦測り石)と呼ばれる高さ143センチの石があり、15歳以上で背丈がこの石の高さに達すると、強制的に納税義務が課されたと伝承されている。
本土と沖縄の関係で語られる差別が、本島と離島の間でも、同じような構図で厳然として存在する。しかも皮肉なことに、近年の基地問題を契機にして、本島が本土に対し「沖縄差別」を訴えれば訴えるほど、本島の「離島差別」もまた浮き彫りになる。
沖縄本島の人と話すと「この時代にまだ『離島差別』などと言っているのか」と呆れた口調で反論されることもある。差別の存在すら意識されない現状に、この問題の根深さ、深刻さを痛感させられる。 八重山諸島は独立しつた風に言ってるヤツおるが流刑地だったが正解だな
>>89
旧慣温存で薩摩の甘い汁〔人頭税〕を日本人が受け継いだ、ソテツ地獄という飢餓で
約7万人が県外に出た、日本政府は琉球人の自尊心を貶めるために首里城全域を破壊して
沖縄神社建設。日本人学者と政治家墓荒し文化財破壊掠奪とやり放題
首里城の大龍柱は首から下切断して正殿前においてその前に和風灯篭賽銭箱まで用意
琉球建国の神として源氏為朝が祭られた 奄美はもともと日本の領土で鎌倉時代には地頭が置かれてた。
その後琉球に侵略された歴史をもっと広めるべき。
琉球王国は侵略国家
奄美出身者の差別はひどかったと聞いた
流刑地だったから
首里城は沖縄本島、とくに現在の那覇市周辺の人々にとっては精神的支柱として特別な存在であるといわれていますが、宮古・八重山の多くの人々にとっては、それとは違う負の象徴の意味があるといいます。本島(首里王府)と宮古・八重山には歴史的に支配・被支配の関係があったからです。
「沖縄と宮古・八重山は物理的距離(那覇―宮古間は約300`東京・名古屋間の直線距離に相当、那覇―石垣島は約400`東京・大阪間に相当)だけでなく、心の距離もある。
琉球王府軍は、兵3000余人で八重山を襲い、石垣島に上陸。宮古・八重山に人頭税という差別的な制度をかぶせた。
こうした支配・被支配の歴史的関係による「心の距離」ははたして過去のことでしょうか。
今回の「首里城炎上」後、琉球新報、沖縄タイムスは多くの識者の論考を掲載しましたが、私が読んだ20人の論考や両紙の社説はほとんどが日本との関係で論じられており、首里王府と宮古・八重山の関係について触れていたのは、比嘉康春氏(県立芸大学長)くらいでした。
比嘉氏は、「宮古や八重山にとっては非常な過酷な歴史が首里城との関係であったと思う」(11月14日付琉球新報)と述べています。
仲村清司氏は、「ウチナーンチュとは元来、沖縄本島の人たちのことを指す。宮古には『ナークンチュ(宮古島の人)』、八重山には『エーマンチュ(八重山の人)』という伝統的な表現法がある」「僕は沖縄本島以外の人には『ウチナーンチュ』という呼び方はしないようにしている」と述べています。
琉球王国が沖縄本島にはない人頭税を、宮古・八重山地方の島民に課したのは異民族として見ていたことの証拠である
石垣島出身の具志堅用高も沖縄本島で差別されてきてその怒りをボクシングにぶつけたと語ってる
>>20
その通りよ
左翼の倭人は沖縄に侵略して!と怒る人にこの話すると話そらすけどね >>86
マスコミの存在を非常に気にするネトウヨは、
左派系の沖縄タイムスや琉球新報を擁する沖縄本島は嫌われ、
右派系の八重山日報を擁する先島諸島の味方をしようとする。 離島なんて沖縄本島の比じゃないくらい反戦思想凄いのに右派だと思ってるのか
そもそも「先住民」ポジションは平和主義で犠牲者
っ概念は何なの?
アイヌも普通にアイヌ同士で争ってたし
単に文明レベル低いから人口や土地の集約進んでなくて
争う機会が相対的に少なかっただけで
争うくらいなら死ぬとかでもないし
より強い勢力に治めてもらうまでは弱肉強食だろ
具志堅用高が本島で差別されたとか聞いたことはい本土でかなりひどい差別を受けたと
テレビで言ってたが、ビギンも昔本土で差別されてた事を語ってた、昔の沖縄人が
経験したこと。沖縄本島は奄美先島離島の血筋や台湾人フィリピン人朝鮮人血筋が
過半数以上を占めてる。夏川りみ、ガクト、新垣結、金城武、安室、黒木メイサ
石田ユリ、伊良部、仲田浩司など多くが海外にもルーツを持ってる
「グスク時代」の特徴に対する反論
来間泰男は、沖縄の多くの歴史学者が「グスク時代」の「按司」は、日本の「武士」を思い描きながら論じている事に疑問を呈している[91]。
琉球内部で抗争が起こるほどの対立が発生したとは考えにくく、また日本や中国との対外貿易を維持するには、争いの無い友好関係を築くほうが望ましかったと述べている[92]。
そして来間は、この自説を踏まえ、「グスク」は軍事的な施設ではなく、按司や住民にとって象徴的な建造物であろうと述べている[93]
沖縄の新聞社は犯罪が発生した際にはその犯人が奄美大島生まれの場合は食い逃げであってもここぞとばかりに書き立てたという
なに新聞?
母音体系
琉球語(琉球方言)の基本的な短母音は、/a/・/i/・/i/・/u/の4つまたは/a/・/i/・/u/の3つである。一方、多くの地域では、これら3〜4母音以外にも多くの長母音を持つ。各地の母音体系(長母音含む)は次のようになる[7]。
奄美大島・徳之島・喜界島北部 -- i、i、u、e、e、o、aの7母音またはこのうちeを欠いた6母音。
喜界島南部・沖永良部島・与論島・沖縄諸島 -- i、u、e、o、aの5母音。
宮古列島・八重山列島の大部分 -- i、i、u、e、o、aの6母音。iは[s]または[z]に近い摩擦音を伴う。
波照間島 -- i、i、u、e、e、o、aの7母音。
鳩間島・黒島・西表島租納など -- i、u、e、o、aの5母音。
与那国島 -- i、u、aの3母音。
子音体系
北琉球方言の大部分では、母音・半母音の直前で声門破裂音ʔの有無が弁別される。例えば、ʔami(雨)、ʔwaː(豚)などがある。
北琉球方言には、p、t、k、ʧの有気音と無気喉頭化音の区別のある地域がある。区別には濃淡の差があり、奄美大島や沖縄本島北部などでははっきりした音韻的対立がある。与那国方言にも、出自を異にする無気喉頭化音がある。また、宮古方言・八重山方言ではfuni(舟)とpuni(骨)のように、無声唇歯摩擦音のfが他の子音と区別される。
宮古方言や奄美大島南部には、閉音節があり、子音のみで拍を成すことができる。
沖縄には、北山・中山・南山の3つに分かれた
三国時代があった。
中山の武寧王は、暴虐非道な君主で、豪族の巴志がそれに反乱を起こし倒した。
中山を掌握した巴志は、北山に侵攻。
北山の将軍・本部平原を裏切らせて、北山も占領した。
さらに南山も滅ぼして、三山を統一した。(1429年)
統一された琉球は、まわりの島々の支配に乗り出す。
(沖縄ではこれを侵略ではなく平定と呼んでいる)。
琉球への朝貢を拒否した石垣島に対して、征伐軍を送り、
石垣島の王オヤケアカバチを捕らえて反逆者として斬首した。
今でもアカバチは石垣島では英雄で、地元小学校で劇をやったりしてる。
石垣島が片付くと、次に狙われたのは与那国島。
ここはサンアイイソバという女王の国だった。
女王は話し合いをしようとしたが、琉球は軍を出して占領した。
奄美群島へも、何度も戦争を仕掛けて、ついに征服している。
沖永良部島は服従を要求されて、島之主一族が自害。
琉球の支配となった。
喜界島は、1450年から1462年までほぼ毎年攻撃を受け、
1466年尚徳王に兵3000で占領された。
1447年尚思達王に服従されられた奄美大島は、その後も反乱を起こし、
そのたびに鎮圧されている。
あるじゃんw
三別抄かどうかは知らないけど。
中国系か、韓国系の移民が多かったのでは?
高句麗が古代日本人支配していたとかは無いだろう
たしかオヤケアカハチは朝鮮人説もあったな
なお具志堅用高の一族は沖縄本島本部半島からの移民でカツオ船の親方として有名
適当なウソついても
日本語圏は発音わかるから
一発でバレるぞw
なになに?中共の指示で沖縄独立の機運高めようと必死になってるのかな?
>>105
それはサヨクメディアが都合の良いところしか切り取ってないから
県民栄誉賞も長い間与えず、差別じゃないかと言われ最近になってやっと授与
具志堅用高の名言 ナンバー別冊『拳の記憶』
「『ヤエヤマバジル』って、八重山諸島から来た人間を悪くいう表現があった。でも、じっと怒りを腹の底にためて我慢したね。
(中略)ボクシングを始めてからはそのエネルギーを拳にぶつけたから、2年でインターハイ準優勝、3年のときに優勝できたんだ」
「うれしかったのは、石垣島の市民栄誉賞をもらったとき。あれはうれしかったな。うん、一番うれしかった」 沖縄が封印したい不都合な真実【〜奄美大島出身者への差別について〜】
徹底的に差別された「奄美人」
奄美大島出身者に対する差別に関しては近年、作家の佐野眞一氏によって書かれた『沖縄・だれにも書かれたくなかった戦後史』において、触れられています。
佐野氏は、2007年に沖縄の奄美大島出身者で結成された団体「沖縄奄美連合会」の会員であった恵忠久氏にインタビューをしています。そのインタビューにおいて恵氏は、アメリカ占領下における沖縄人から受けた差別について詳しく語っています。
「奄美人は沖縄に土地を買えませんでした。まともな職にも就けなかったから安定した生活をするのは無理でした。銀行も金を貸してくれません。そうなると裸一貫のニコヨン(注:日雇い労働者のことを指す)くらいにしかなれません。ええ、その日暮らしの日雇い人夫です。」
出典:佐野眞一『沖縄・だれにも書かれたくなかった戦後史<上>』298ページ
さらに佐野氏のインタビューに応じた恵氏は、当時の沖縄の行政や財界の重役になっていた奄美大島出身者が、USCARの命令によって一斉にクビになったことに触れて、こう断言しています。
佐野氏『全員免職!免職の大義名分は何だったんですか?』
恵氏『USCARの布告、布告です。でも、それを出させたのは沖縄人の陳情です』
佐野氏『沖縄人の陳情!』
恵氏『僕はUSCARと親しかった人から直接聞きましたので、間違いありません。USCARの命令といったら、もう終わりです。泣く子も黙る』
出典:佐野眞一『沖縄・だれにも書かれたくなかった戦後史<上>』299ページ
アメリカ占領下の沖縄本島は、沖縄県民による琉球政府の上にアメリカ軍管轄のUSCARが置かれました。USCARの命令は琉球政府も背けません。そんなUSCARが前述したW奄美差別政策Wを打ち出したのですが、その背景には沖縄県民による陳情があったと言われているのです。奄美出身者を差別するように促したのは、沖縄県民だったのです。
さらにインタビューは続きます。
恵氏『僕も奄美出身ということがすぐわかる恵という苗字で、随分いじめられました。僕は不動産関係の仕事をやっていたから分かりますが、復帰前も復帰後もW奄美と宮古(宮古島のこと)はお断りWと言われて、奄美出身者はアパートにも入れなかったのです。』
出典:佐野眞一『沖縄・だれにも書かれたくなかった戦後史<上>』
差別を煽ったW沖縄2大新聞社W
沖縄には2大新聞社があります。沖縄タイムスと琉球新報(当時は、うるま新報と言った)です。沖縄タイムスは、1953年の奄美大島日本復帰直後に当時の琉球銀行総裁(池畑氏、奄美大島の出身)が解任されたことについて、以下のように社説を載せています。
「琉銀創立以来6か年も勤めた総裁が出張先でクビになるなど、ちょっと人情味のない扱い方であるように思われるが、しかし日本復帰と共に外国人となる奄美大島人は1日たりとも、琉球政府や中央銀行の重要公務に携わらせるわけにはいかない、
といういかにも割り切ったやり方は、我々にはすぐには真似ることは出来ないにしても、公私をみじんも混交しない態度はある程度学んでよいのではないかと思う」
出典:沖縄タイムス(1953年12月30日号社説)
特にスキャンダルを起こしたわけでもない(ただ奄美大島出身者という理由だけで)銀行総裁の解任について、沖縄タイムスはおおむね賛成しているのです。出身地による差別を肯定していると言っても過言ではありません。
>>114
琉球人から奴隷扱いされてたんじゃ….w 琉球ほか出自を誇るアイヌやイスラエル…無から産まれてくるはずなく緩やかに混交、殺して奪った歴史でも有る。文献や記録に残さない。声高盛大に現在の立場をいう。やましい欲事を隠す、マウント覇権したいのだろうな。
>>112
オヤケアカハチの朝鮮人説は昔からある、八重山は古くから琉球の外様役人や政治犯が
多く流された島で文化も本島の地方に負けないくらい琉球文化が濃ゆい。立派な絣織や
ミンサーや宮古上布の美しさに薩摩が目をつけて収奪。サトウキビやサツマイモは琉球
人の飢え飢餓対策として琉球役人が中国から持ち帰ったが後サトウキビが奄美の地獄を
招いてしまった >>36
そうそう。日本天皇はアメリカに恭順したんだよね。 >>104
それそのまんま米軍基地がーやらヤマトぅがーとかいってる沖縄本島のパヨクにいおうぜ >>120
甘蔗は食料にはならんでしょ
だから琉球国時代は甘蔗の作付制限してた
制限が廃止されて砂糖生産にまい進したのは明治20年代以降とかでは
逆に奄美は薩摩藩の政策で甘蔗栽培が盛んだったのかな >>119
本土も沖縄も無から発祥することはないそのとうりだと思う」本土は半島や他のアジア
由来で混合、沖縄は南方系先着民に大陸や東南アジア系が混合で本土とは渡来ルートや
源流が全く違う。本土人沖縄移住は大昔から全くなかったが近年僅かな腰掛移住者が
いるが3年以内に8割が本土リターンで残りも沖縄の子孫を残す人はほとんどいない 英語みたいな有気音なら聴き取れるだろうけど、
to(トッゥー)みたいな奴
有声音無声音で単語区別されると
絶対聞き取れないよ。日本人
>>123
琉球国のさとうきびやサツマイモ生産は国家計画、土地の個人所有禁止や交易は役人の
仕事、狭い小島で飢え飢餓を防ぐには最も有効だった。薩摩の砂糖生産は奄美人の食料
生産を激しく制限して甘藷栽培に特化した、奄美の人々は色んな物を食して生き延びた
砂糖をなめて腕を指を切断されたり砂糖にかかわり多くの奄美人が殺害された オヤケアカハチの朝鮮人説は
韓国人が勝手に言ってるだけで「義経=ジンギス・カン説」と同じレベルですが
>>127
知ってる人がいた。韓国人研究者がのめり込んで絵本も出しちゃったんだっけ?
まあでも発想が面白いよね 「サツマガー」で話をすり替える卑怯者がいるが
薩摩がどうあれ琉球王国の侵略性と帝国性が否定されるものではない
沖縄本島にはない人頭税を離島に課したのは薩摩ではなく琉球王国そのものだから
おや、大手媒体はこの辺スルーし続けてきたのにどういう風の吹き回しだ
琉球国太鼓のエイサー曲勇者オヤケアカハチの歌は三線と現代楽器を使った壮大で美しい
曲でyoutubeにアップされてる、作者は八重山の人で名曲ミルクムナリ他多数制作してる
奄美の島民は琉球に虐殺されて全滅寸前だったんだよな
鹿児島には島津に保護された島民がそのまま住み付いて
今でも大島紬の仕事をしているよ
>>92
平仮名なのに、何が書いてあるのかさっぱり分からんww >>126
馬鹿だな
江戸時代薩摩本土の人口が1.4倍、琉球王国ので1.2倍になる同じ時期に
奄美の人口は2倍になっているんだよ
数字は嘘をつかない
これは黒糖を島外に売ることで島外から食糧を購入できたからだ
砂糖を口にすることを厳しく制限したのは島の親方たち
砂糖は子供のおやつではなく命の綱だからな >>124
あんた昔からあらゆる沖縄スレにその主張(「本土人沖縄移住は大昔から全くなかった」)を貼り回ってるけどさ、
じゃあなんで北海道のアイヌや日本本土人にしかないY染色体D1a2保有者が沖縄に55.6%もいるんだよ?
「日本政府が沖縄支配のために遺伝子データを改ざんしている」みたいな電波抜きで、合理的に説明してくれよ。 >>127 義経の話と同じように、楽しんで聞いてればいいんじゃね。(´・ω・`) ベトナムや朝鮮が周囲に小中華としてふるまったのと同じだな
https://churashima.net/shima/yonaguni/j_yonaguni/02/k02.html
クブラ割り
久部良から左に入るとクブラ割りがあった年に一度,村々の妊婦を集め,
ここを飛び越えさせ人口調整を図ったそうだ。失敗した妊婦は崖下に。
成功しても流産の危機。幅約3m深さ約7mの細長い断層。
人頭税廃止で村人が埋土したが陥没し今は割れ目が剥き出しに。淵に立つと足がすくんだ。
トゥング田
島の人頭税の負担を軽くするために,不具疾病者を間引くため,年に一度,男子を非常召集し,遅れて田に入れなかった者を惨殺したという。
鐘が鳴ると,島中の男たちは(納税義務のある15-50才)島の中央にある田を目指し命がけで走ったそうだ。
地図をひろげるとトゥング田はほぼ島の中央。行ってみたら,
今はサトウキビ畑なって跡形もなかった。 鶴林玉露
淳祐戊申(1248年)から淳祐壬子(1252年)にかけて編纂
い以(又近移)◇◇◇◇ち啼(又近低)◇◇◇◇
ろ羅◇◇◇◇◇◇◇◇◇り梨◇◇◇◇◇◇◇◇◇
は法(平声又近排)◇◇ぬ奴◇◇◇◇◇◇◇◇◇
に宜◇◇◇◇◇◇◇◇◇る盧◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ほ波(又近婆)◇◇◇◇を窩◇◇◇◇◇◇◇◇◇
へ別(平声又近奚近靴)わ懐◇◇◇◇◇◇◇◇◇
と多(又近駄)◇◇◇◇か楷(作喉音呼)◇◇◇
鶴林玉露
淳祐戊申(1248年)から淳祐壬子(1252年)にかけて編纂
よ籰(平声)◇◇◇◇◇ら阿頼(頼作平声弾舌)
た大(平声)◇◇◇◇◇む謨◇◇◇◇◇◇◇◇◇
れ倈◇◇◇◇◇◇◇◇う烏◇◇◇◇◇◇◇◇
そ座(平声又近莎)◇◇ゐ伊◇◇◇◇◇◇◇◇◇
つ土(平声又近屠)◇◇の那◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ね尼(縮舌呼)◇◇◇◇お和(又近窩)◇◇◇◇
な乃(平声)◇◇◇◇◇く枯◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鶴林玉露
淳祐戊申(1248年)から淳祐壬子(1252年)にかけて編纂
や爺(作喉音呼)◇◇◇あ挨(作喉音呼)◇◇◇
ま埋◇◇◇◇◇◇◇◇◇さ篩(又近柴)◇◇◇◇
け茄◇◇◇◇◇◇◇◇◇き欺(又近其)◇◇◇◇
ふ蒲(又近夫)◇◇◇◇ゆ由◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こ軻◇◇◇◇◇◇◇◇◇め乜◇◇◇◇◇◇◇◇
え奚◇◇◇◇◇◇◇◇◇み皮(又近眉)◇◇◇◇
て悌(平声縮舌呼)◇◇し尸(又近時)◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゑ繄(平声)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ひ非◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
も摩◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
せ蛇(又近奢)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
す疏(又近徂)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
沖縄はいつも被害者で可哀想な人達では無かったということか
中国語の読み方を調べるのに中国語がいるって
どういうw
そろそろ「歴史的に琉球王国は中国の属国アルヨ。だから、今の沖縄諸島は中国のものアルヨ。」とか言ってきそうw
大琉球と小琉球の関係は?
みたいな。
台湾と沖縄がごっちゃになってたりする。
文献で。
>>152
朝鮮とベトナムをとりもろしてから来いやw アクセス制限?
つまんねーな!
ι˝ゃ੭৴ડેং挑発しろや
>>125
間違えてるぞ
有気音無気音で単語区別されると
な? 議論する場だからいいんだよ!
終に、電気代払えなくなったのか?(ゲラゲラ🤣
弱小国だからって優しいわけではないからね
侵略戦争のひとつも出来ないような国が
昔の戦争ばっかしてた時代に生き残れるわけがない
人類史上、他国他民族を侵略行為したことないのが韓国と沖縄だよ。啓蒙セミナーで講師の人が言ってた
>>160
犬も小型犬が凶暴だったりするし、人間もチビとかハゲとか劣等感ある人は内心が歪んでることがある
弱者=真善美でないのは朝鮮人を見ればよく分かるw 奄美が沖縄より先に単独で本土復帰を請願してたとかも実はこういう歴史的な経緯もあるんだろうな。
民族的には沖縄本島と奄美群島は近いけど政治的に一つの存在だった時期は150年程度しかないくらいだし。
>>135
琉球の人頭税が厳しかったとは言うけど
問題の根っこは狭い島で農業生産力がないからだもんな
商品作物を作って外から米を持ってくればその方が豊かになるわな
たまに不作になるとどうしようもなくなってソテツ地獄になっちゃうけど 新撰姓氏録815年
是出於新良國。即為國主。稻飯命出於新羅國王者祖合
シッロじゃなくてシッラ
なのか?
新羅語の物が全く出ないってどういう事?
日本の文献が改竄された?
でも、朝鮮側の記録も倭国の人だろ?
また『新撰姓氏録』に見えるように、稲飯命には新羅王の祖であるとされる。
これに関連する朝鮮側の記述として、12世紀の『三国史記』「新羅本紀」において、脱解尼師今(第4代新羅王;昔氏王統の初代)の出自について倭国東北千里の「多婆那国」とする記事があり、これを丹波国と関連づける説がある。
ただし高麗時代に一然が書いた歴史書『三国遺事』では、その出身地は「龍城国」であるとする。
鈴木真年著作の『朝鮮歴代系図』には新羅王家の朴氏が飯氷命(ママ)を遠祖とする系図を挙げ、赫居世居西干に仕えた倭人重臣の瓠公と同一人物であるとされている。
一方で同系図には飯氷命の10世孫に赫居世を挙げ、『三国史記』の記事と矛盾が生じている。
干←はハーンだろ?汗
モンゴルに合わせたんじゃ。
新羅・高句麗・百済の三国すべてを「我ら」と記録
>>171
高句麗、百済ならともかく朝鮮語の直接的なルーツってことになってる新羅語がなんでこんなによく分かってないんだろう。
日本なら同時期の平安時代の文章なんて今でも学校で教えてるくらいなのに。 >>172
日本書紀にちょっと出てくるでしょ。 >>165
食料不足飢餓飢えの原因の一つは有力者権力者の欲が原因。琉球は痩せた小島だが土地の
国有化で貧しくても絶望的戦乱や飢餓が何百年もなかった、権力者であっても食べるだけ
しか必要なかったし食料を国外交易に使わなかった。ソテツ地獄という飢餓は日本統治下
沖縄県になってからの出来事そのため約7万人が沖縄県外に脱出した ひらがな書いてるって事は
知識無いと書けないだろ。
中国人、17世紀初頭にひらがな書けたのか?
>>172
平安時代の文献は、今も大量に残ってるよね。
更に、奈良時代の文献でさえ、いくつも残ってるよね。
漢文ではなくて、古事記や万葉集のような、仮名で書かれた文献もね。
ところが、新羅時代に書かれた文献って、
漢文ですら一つも残ってないんだよ…
そんな状況で、新羅語がまともにわかるわけないよね。 >>177
濃音が当時からあったかどうか
わかってないんだよね。
やっぱり、三別抄あたりまでには
契丹系女真系に入れ替わってるんでしょ。
吾妻鑑に女真文字使ってた証拠残ってるしw >>178 吾妻鏡の女真文字は、文字通り女真人の話だろ。 16世紀中国から大和に帰る途中琉球人に遭難救助された坊さんが琉球役人にカナ文字
を教えたり当時の日本語や物語を教えた、紅型染物に桜梅や藤他の大和風物も描かれて
るが見たことがないので桜や梅が赤だったり青だったりとかなり奔放。漢字は中国交易に
絶対必要で統一王朝だけでなく15世紀以前各地豪族も漢字を使用してた
琉球人との会話は大和語英語中国語全て通訳が必要だった
>>180
つうか、おもろさうしがひらがなだぞw
日本人でも、農民は文字書けないからな?
室町時代から、琉球人がひらがなを流暢に書けたのは
間違いないが。 >>179
元寇の前な?
持ち物の中に女真文字使ったものがあった。 脊髄反射してる人いるけど、
ポイントは有気音/無気音で単語を区別する言語か?
有声音/無声音で単語を区別する言語か?
だろうけど。(訛り誤訳の原因になる。)
北東北とか九州沖縄分布の縄文人も微妙だからな。
コイツラにジャップランドの支配権握られても困惑だったろうなぁ
沖縄人って日本人っていう考えじゃなくて沖縄人っていう考え
313 :ななしのいるせいかつ:2011/10/06(木) 09:25:04.04
沖縄が台湾、香港のように自立性が無いのも
このご都合主義だな。
>>181
中世琉球庶民の殆どが文字を使えなかった、本土からのひらがなや日本語や物語文化
は一部役人が教養興味でたしなんでたが後に日本人や薩摩相手に公式に使うようになっ
たが中国交易には中国語を使用し漢字を使用してた。沖縄の歴史書やおもろそうし全て
数百年後に後書き再編したもので日本権力の圧力で歴史はフィクションフュージョン
に動いた。沖縄県になり日本語教育強化で日本語影響の新言語沖縄方言ができたが
本土人には難解で琉球語中国語単語がまだかなり残ってる >>186
琉球統一王朝は各地を侵略したともいえる現在世界遺産の中城城と勝連城も攻め落とし
体制を安定させた、戦いは頭が逃げるか死亡で終わり、人口小国琉球は無駄に死者は
増やせない。首里城周辺には過って敵だった地方豪族を住まわせて雇用した
そして刀狩と武器携帯禁止で数百年の安定に向かった、 実際沖縄の名字ランキングを見ると
ランキング上位に沖縄独自の名字しかなく
本土からヤマトンチュが「植民」した事は皆無だから
民族浄化って何の話だ?となってる
パさん達も早々と北海道のアイヌ推しにシフトチェンジしてるし
>>182 女真人の国である金国の通行証だべ。(´・ω・`) 沖縄人嫌い。ヤマトンチュ?本土人バカにしてるだろ
テレビでもガク〇筆頭にVIP扱い
>>192
逆にアイヌは部族闘争はあっても統一した政権はなかったから琉球に比べてそのものの一体感って元々ないよね。 >>146
もしかして昔の中国人の耳には、日本語のオ段が濁音ぽいア段に聞こえてたのか?
・日本人「お・こ・そ・と・の・ほ・も・よ・ろ・を」
・中国人「ゥア・カ・ザ・タ(ダ)・ナ・ハ(バ)・マ・ユッ?・ラ・ワ」
もしそうなら、日本のヤマトが中国文献でヤマタイ/ヤマダイと表記されてたのも頷ける。 >>198
日本人の逆パターンだよね
越えられない壁があるw
子供のうちに学ばないと。 🇨🇳冷泉(レイゼン)→🇯🇵レイゼイ
🇰🇷🇰🇵灌奴(クァンノ)→🇯🇵カンノ
>>197
アイヌは統一以前に大和に侵攻され多くの日本人が移住しまくってアイヌ人口が衰退
沖縄は大昔から中国や東南アジア系の友好的移住はあったが本土からの移住者は全く
なかった、本土から遠く離れ黒潮が隔てたことが沖縄人消滅を防いだ アカハチ、サイカイイソバ 琉球とは違う命名だよな
宮古はともかく、前史時代の八重山は琉球より
オーストロネシア系台湾先住民との文化的類似性が認められる
先史時代の八重山は、日本人・琉球人とは別の人種・民族、
おそらく台湾と同系統の民族が住んでたんだろう
【琉球王国の歴史】
・北山・中山・南山の三王朝鼎立
・統一して琉球王朝
・第一尚氏、一代で乗っ取られ第二尚氏が王位につく
・16世紀前半、奄美と八重山を侵略(以後、奄美・八重山は八公二民の重税に苦しむ)
・16世紀後半、秀吉の朝鮮征伐に協力するよう要請されたが兵糧割当の半分のみ供出、あとは拒絶
(俺らは大明帝国の一の子分、秀吉など木っ端と見下し傲慢な態度で臨んだ)
・17世紀前半、幕府からの朱印状なし貿易取り締まりの依頼をはねつけ怒りを買う
・幕府の許可を得た薩摩軍3000をなめてかかり琉球軍4000で粉砕する予定だったがボロ負け
・以後、薩摩の属国兼幕府の属国となる
・薩摩へ上納する金品をまかなうため八重山にさらなる重税を課す(九公一民)
・八重山住民の衣服着用を禁止、搾り取れるだけとことん搾り取ったため宮古・石垣・与那国の人口激減
・明治維新を好機とみて独立を図るがあっさり挫折、尚王は東京送りとなる
・琉球藩を経て沖縄県となり、米軍の占領統治後本土復帰、現在に至る
琉球の奄美差別なんて有名だろ。関西のやくざには奄美出身者が多い
小野薬品工業のCM
韃靼?
日本語そっくりだったなw
なんで遠く離れた🇭🇺ハンガリーと🇯🇵日本語似てるんだろw
謎過ぎ 🇰🇷韓国人が、🇬🇧英語を流暢に話せて、
🇯🇵日本人は、ダッさい訛りになるのは
そういう事w
越えられない壁
具志堅用高が八重山の人は沖縄で差別されてるて言うてたな
>>11
その琉球も隋の時代に中国の配下で収められてたんだからな 琉球王国においては薩摩侵攻後に人頭税が導入され琉球全域に過酷な税負担が課されたが
さらに先島島民を苦しめたのは地元の士族役人たちの中間搾取が原因というのが真実
1879年の琉球処分(明治12年)による王国滅亡後に「旧慣温存政策」をとったのは明治政府の方針で
旧琉球士族層が人頭税の存続を求めたことはない。
人頭税というものは結局のところ、欧米諸国でもアメリカ、カナダでも採用された歴史があり
イギリスは1990年にもサッチャー政権が人頭税を導入し
税制的には消費税も現代の人頭税に当たるといわれる。
日本本土では、重税に追い詰められた平民農民たちは武装し命賭けで圧政に抵抗するしかなかった
室町時代から武家支配圧力に対抗する「国一揆」や農民の政治的要求による「土一揆」が発生し
戦国時代になると僧侶たちと一般信徒たちが武装し「一向一揆」として織田信長など戦国大名と激烈な闘争を繰り返すほどだった。
江戸時代には、
「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり(神尾春央)」
「郷村の百姓共は死なぬ様に、生きぬ様に(徳川家康)」と言われたほどで
領民への過酷な年貢負担とキリシタン弾圧により、日本史上最大規模の一揆となった「島原の乱(1637年)」も発生し
幕末、明治初期に至るまで圧政による農民一揆や打ちこわしが各地で頻繁に発生した。
琉球王国の長い歴史の中では暴力的な農民一揆や打ちこわしが発生してない。
実際には王国時代の宮古島では毛遊びの「クイチャー」が継承され酒宴の席では「オトーリ」の風習が残るほど農民に余裕があった。
逆に明治12年の琉球処分(1879年3月)と沖縄県政発足への反乱として発生したのが宮古島の「サンシー事件(1879年7月)」である
>>210
小野妹子の発言が気になる
鹿児島と琉球の間に独自言語の国家があった? 歴史的に絶頂期ってのはどれも誤魔化してそういわないと記録残さないといけないくらい
内政がボロボロのことが多いからね
琉球は特に権臣達が好き勝手やって王権っての弱かったし
インドヨーロッパ語族みたいに
研究が進むと
仮アルタイ語族系も、人の流れ判明するかもね。
これはタイムリーな話題
先週、オヤケアカハチを成敗した人の御嶽も見たし、オヤケアカハチの像も見た。
サラッと見てきた限りではここでも弱いものがさらに弱いものを叩いているんだよね。
どこの世界も同じ
ふーくちゅぶーりー ねーじょー
ふーくちゅ ぶって せーふんだー
にんにん〜🥷
>>1
今の常識で語られてもな。
15〜16世紀なんて自国の勢力圏や自国より弱小の国には何やっても良かった時代だろ
(あんま好き勝手やってると国力落ちた時に背かれるのも早いが)。 (藤原)ブッディバーラさんは
どこからやってきたんだろう?
>>204
戦後は奄美もアメリカ統治琉球政府施政下で多くが沖縄にやってきた。奄美の一足先
本土復帰で沖縄人になるか鹿児島県民になるか選択、復帰後も鹿児島県民奄美人が沖縄に
大量に密航、密貿易密航で違法合法経済活動は米兵八重山宮古フィリピン人を巻き込んで
沖縄戦後復興や極端な男不足の中人口増殖に貢献した、差別とかいうより互いに生き抜く
時代で本島の外から来た人のほうがモチベーションが高く裏の世界や表の世界で多くが
成功した >>215
琉球は王権が弱いというより小国故側近達が中国人以外の海外人に王を合わせなかった
ペリーでさえ王と接見することはなく通訳と臨時役職で対応した、王は最高権力だが
実務や外交は専門家の仕事、そうやって15世紀から琉球処分まで続いた、クーデター
や内紛もあり正殿の炎上もあった。沖縄県になって首里城は更に日本政府によって
全域破壊されてあばら家の沖縄神社に作り替えられた まあ沖縄人ってほとんどシナ人だし、日本よりシナ人に対して
親しみを持っているからね
>>225
明治政府はあちこちの藩主の居城にも同じ扱いをしたからね。 >>225
日本人にとって異民族支配したらそこの文化も歴史も日本発祥が当然かもしれない
他所から持ってきて日本発祥異文化支配で日本発祥を誇る、誇りある民族や国家はそん
なことしません、イギリスがインド支配したがインド文化をイギリス発祥と言いません
中国は朝鮮族や少数民族文化をリスペクトシテ中国発祥と言いません トランシルヴァニア→高山
日本→高山
チベット→高山
モンゴル→高山
なんか関係あるのか?
一度、世界が🌊大洪水になった歴史あるんじゃないの?
行ってきた。特設展は巡回コースの一番最後だった
午後からだと最後時間切れになりそう
沖縄が日本軍とか言うけど、
自分たちは奄美諸島や八重山諸島に侵略したって言うwww
>>1
何でこんな分断煽るような記事をって思ったら毎日か
さすが中国の手先だな
ウイグルやチベットや香港や天安門で行われた虐殺を記事にしろよ >>232
毎日新聞に文句言う前に、>>8や>>19その他に反論しろよ。
お前にその能力がないから、マスゴミガー言うしかないんだろ? >>235
台湾は清の時代やろ
台湾は小琉球だろ
大琉球ら沖縄 史書に陏の煬帝が流求に出兵したとあるだけで、
それを裏付ける考古学的遺物が沖縄にも台湾にも残ってないから、何とも言えない
古代しか誇れるもの無いんだから
高句麗が統治してた事にしてあげれば?
つうかさ、
モンゴル系ならあり得るかも知れないけど
有気音/無気音の言語グループが占領した形跡無いぞ?
筆記で奴隷になれ!米作れ!
やっていたのか?w
百済の難民受け入れた時期に
日本語大変化してるだろ?
必ず証拠残るぞ?
百済語と日本語は別言語だろう。 >>236
台湾が沖縄に帰還併合して琉球国として国連加盟でいいよw >>241
シナ地域の帝国が両者をまとめて呼称してただけで日本統治時代含めて台湾と沖縄が実際に一括りで統治されてた時代なんてないぞ。 >>242
まあまあw
台湾は国際法上無主の地だから台湾人がそのように決定すればおkということでさw >>234
まさかも何も現在沖縄人の99,9%は琉球人を先祖に持ってる、民族浄化されてない。
台湾フィリピン他の海外にもルーツを持つのも多い、もともと大陸や東南アジアミックス
が沖縄人、時代のながれで日本編入で日本国民になったが血の繋がらなし親戚みたいな
関係 >>8
首里城の赤は民衆の血の色だって言ってたもんな >>201
琉球大学の遺伝子学の教員が沖縄人の大半は薩摩からの移住者であるとの研究成果を発表
していることもしらんのかよ
アミ族
ツォウ族
サオ族
タイアル族 あ、そうそう。
強さの象徴で嘘つくらしいね。
「ウソだってわかるでしょ?強がっていってるんだよ?」
ってノリw
琉球王国の侵略性と帝国性・・・
琉球王国こそ大日本帝国の原型だったのかw
日本学者は昔から沖縄各地で文化財破壊掠奪を政治家と一緒にやり放題、琉球人人骨
約百体墓荒し盗掘で日琉同祖を捏造する、薩摩からの沖縄移住は全くなかった。
現代科学では鹿児島人に近いのは半島。本土人鹿児島人に近いDNAはー半島ー北中国−
台湾−沖縄
おまいらまずこの博物館見に行ってから語れよ
遺跡から推定してるだけだからなこの展示
都内の西の端から車で一時間半で行けた
沖縄「奄美侵略してごめんね」
日本「沖縄侵略してごめんね」
これで解決!
この歴史があるから沖縄本島と先島諸島は仲が悪いんだよな
クソ沖縄タイムスとクソ琉球新報はこれに絶対触れないけど
与那国までは毛が生えて与那国から肉眼で見える台湾は原住民もお肌ツルツルなんだよな
縄文人は台湾まで行かなかったのか
どうやってひらがな習ったんだろう? >>1
これまた驚き、堂々と中国共産党のへの援護射撃始めやがった 沖縄戦で焼けるまで琉球にあった大寺院群のほとんどが、日本人僧侶の開山
>>257
薩摩が沖縄支配して琉球王を拉致しても薩摩と琉球人の遺伝子が入れ替わったり
融合することはない、十数人の薩摩侍が滞在したが一般薩摩のが移住はなかった
ペリーや欧米人が武力で琉球王に接見を望めば高級役人たちと王も従うしかないが
そういう展開にならなかった。究極の選択を迫られるまで王は前に出ない
薩摩が一般住民を殺し始めた時、尚寧王は首里城の観会門を開けて降伏し拉致されたが
住民の犠牲者は数人ほどで済んだこういう王の勇断で琉球人が現在まで生き延びてきた
東南アジアでの多くの日本人奴隷の惨めで酷い境遇に薩摩が関与してるのも知ってた >>262
沖縄の寺は信者はいないが王家の行事式典に使われたり中国の冊封団が立ち寄り王家
の安泰を願う式典も行われた。琉球の国家宗教は古代からの神で各地城に必ず祭られてる
首里城内にも多くの拝所があるが、沖縄県になり首里城は日本政府によって拝所もろとも
全域破壊され後に源氏為朝が神として祭られ継ぎ接ぎの沖縄神社になった 島津にっきを没収されて、
仕方なく平和の国とかほざき出したんだよな。
>>94
蘇鉄はブラタモリでも薩摩支配の象徴として
扱っていたな、NHKの仕込みだろうが
バランス感覚のあるタモリが
微妙な反応だった。 >>263
薩摩の琉球在番役人が国王と親交を持ってたという例を持ち出してみたんだけどさ 嘘を作る大学教授と新聞社
歴史創作で加害者意識を捏造して、反省する同調圧力を作り出す
その卑劣なやり方は社会主義が善意の人間性を粉々に打ち砕いた証拠
沖縄はたぴ重なる侵略や戦争で歴史的な資料や文献も少ないだろうなあ
世界大戦でもアメリカとの地上戦で焼け野原になり、首里城の火災で歴史的価値のあるものまで焼けたと聞いている
>>1
石垣島の英雄アカハチ
アカハチは実は朝鮮のホンギルドンと同一人物である、など諸説ありますが、私はある本の説に興味があります。
それは、アカハチは琉球王の皇子であったと。
父はクーデターで王の座を追われ、アカハチも八重山まで逃げ延び奮起を考えていた。
(すごく簡単な説明ですが)
現王はその事実をを知り、だからこそ、王府から離れた八重山の一農民の征伐に大量の兵を送った、と。 沖縄のご先祖の湊川人は東南アジアから流れ着いた人々だった
>>272
その末裔、そうヤイマでおなじみの具志堅用高です 幻の左右かしらんが
久米島のチンペーも具志堅之一撃喰らったらしいな
琉球側のケダシロケダスクの一族もその威力を見て震えが止まらんかったらしい
>実際は石垣島や奄美大島など離島を侵略しまくって
>沖縄本島にはない税(人頭税)をかけて苦しめていた
薩摩島津が琉球に集っていたから薩摩島津に文句言えよw
>>268
親交って何?
薩摩島津は琉球に集って私腹を肥やしていたでしょw 薩摩は銃を持って琉球に上陸したからな
薩摩が上陸したとき、言葉が通ぜぬ住民は逃げ惑ったと記録されている。
>>261
中国だっていっぱい渡ってるけどwwwww 八重山にとって薩摩藩や明治日本は琉球の圧政から解放してくれた救世主であった。
今の(偏った)価値観で歴史を批判するのって馬鹿を宣伝してるよね
>>283
奄美も琉球王朝の過酷な支配から逃れることができたので薩摩編入を喜んだ
薩摩もそこそこ重税を課したが、琉球のような人頭税+税率8割のような地獄ではなかった
敗戦後米国の統治下でも鹿児島県の一部として本土復帰運動が盛んに行われる一方
沖縄との連携は全くしていない >>243
グァム島なんかもアメリカが占領したけど、何処の州にも付属してないからな >>258
日本人のルーツを探る研究で台湾-与那国島間を古代の航海技術で渡る実験をしているけど、今のところ無理ゲー
船小さい目標小さい黒潮ヤバいとかで >>287
黒潮は台湾と与那国島の間を通り、沖縄や奄美の北側を九州南部沖に向かっており、
この流れは過去10万年以上変わっていない。研究チームが2016年から昨年まで行った航海実験では、草を束ねた舟や竹のいかだは遅く、
黒潮を越えるのは困難だが、速い丸木舟なら越えることができた。
台湾の高い山からは与那国島が見える。海部教授は「男女10人以上の集団が複数の舟で航海したのではないか」と話している。 >>283
おまえは琉球弧について1から勉強し直せ!
論じるのはそれからだ。 オヤケアカハチの乱を調べたら琉球王国による原住民の強制徴用して村から隔離とかやってて
沖縄が日本政府を批判できる立場ではなかった
良い記事じゃん
アイヌもそうだが自分自身の武力行使について
黙り過ぎなんだよ
>>283
明治政府は救世主になったが、薩摩藩は更に年貢重くしただけ
そもそも、薩摩藩自体が八公二民の日本有数の重税地帯 薩摩の農民や下級武士の生活なんて奄美と大して変わらんレベルだったから薩摩藩的には別に侵略した奄美だからひどい扱いにしてたって認識はなかったんだろうな。
ただ住民の姓を変えさせて貿易のための偽装とかやってるけど。
日本人って閉鎖的なんだね
王「日本にはどんな動物がおるのじゃ?」
坊主「ロバが走り回ってます!」
>>293
薩摩や九州の若い農民約二十万人が南蛮船に乗せられて海外旅行に行った
九州大名や島津は領民に優しかった 若い九州人たちは南蛮船に乗せられ欧州や東南アジアで頑張ったが二度と日本に戻れな
かった、その東南アジアの九州人達を頻繁にみるようになった琉球人たちは直接琉球に
戻らず琉球館がある福州に戻りそれから那覇に帰港した、後年南蛮由来の武器強化の
島津が琉球に侵攻した。琉球末期にはアメリカの奴隷船バウンティン号から300人の
中国人苦力が石垣島に逃げ込んで米英軍が上陸し100人以上殺害したが琉球王府が
清国に働きかけて米英清琉の四者会談後残り200人を琉球王府が福州に送り届けた
アメリカ西海岸はアフリカからは遠いからアジア人に目を付けたアメリカ
>>295
二度と日本に帰って来れない、重労働付き海外旅行? >>298
女性は女性にしかできない仕事を男性は現地の建設に貢献で男女とも可能な限り生涯
頑張り続けた。遣欧少年使節団も現地の多くの日本人を見てショックを受けたと記録し >>289 もうその言葉遣いだけで、悪い教育受けたオキナワンてまるばれだよ 特徴ありすぎるんだよ >>278
薩摩から課せられた上納金を先島の民にだけ重税を課して払った時点で、琉球王朝も同罪。
言い訳は許さない。 >>285
琉球もダメだが、薩摩の統治も大概だ。そもそも、薩摩藩といえば八公二民という
庶民に過酷な重税を課した支配者だ。しかも奄美では、農民にはサトウキビしか
生産を許さず、かつサトウキビを安く買い叩いて食料を高く売りつけるというアコギな
政策をとったんじゃなかったか。 >>303 自家用の芋作ったら首刎ねられたとか思ってる?
サトウキビみたいな換金性のある作物の栽培を強く勧めることが、離島統治としてそんなに悪いことか? >>279
琉球在番役、薩摩の琉球館付は物流なり金流なりの流れを直に携わる立場にあったんだろうな
その役にあって私服肥やしたやつを上げれるかと言われれば、俺は知らんからお前が上げてみろ >>302
先島の民衆から取り立ててたやつらも同罪かな? 手を切ったり手首を切断して脅したりが頻繁だった薩摩の奄美支配処刑も当たり前。
テレビで元大学教授の話では薩摩侍に先祖6人家族殺害されたが一人だけ逃げることが
できたその子孫だそうだ
悪名高い人頭税(日本に編入されたあとの明治半ばまで続いた)では、1771年八重山地震(明和の大津波)で約10000人が死亡、窮状を訴えた現地の人を処罰して、より苛烈な取り立てをしたという逸話もあるからな
薩摩や大陸(明や清)>>>>>>琉球(沖縄本島)>>>>>>>>>>>>先島つうヒエラルキーが
>>309
っていうことにしたがるが、薩摩に影響受ける前から先島は沖縄に人頭税掛けられてるから 薩摩は17世紀初頭琉球侵攻で琉球に人頭税をかし奄美諸島を直轄地にして砂糖栽培に
特化で飢え飢餓を招き、家探し身体検査などで砂糖隠匿を疑われると過酷な処罰が待って
た、琉球の罪は戦争経験がなく弱体化した武装だったこと、戦国を生き抜き奴隷貿易で
軍事大国薩摩の敵ではなかった
砂糖舐めたと手首切断隠匿で皆殺し薩摩の奄美統治は数百年続いた
明治政府も沖縄領有の際に宮古八重山を清の領土とする事を提案していた
>>311
250年前の石垣島大津波大災害さえも沖縄たたきに使う腐れナイチャー >>314
沖縄の分割譲渡は国会で満場一致で決められて後は清国のサイン待ち、それを知った
福州の琉球役人たちが天津の李鴻章や北京の清国役人に琉球分割に同意しないように
頼んだが李鴻章は土下座で立ち上がらず号泣してる若い琉球役人が哀れだが清国外交の
為と拒否したがそれを知った北京の琉球役人李功成の命を捨てての嘆願書が皇帝の
心を動かして分割は中止、現在の沖縄があるのは清国皇帝と琉球役人の尊い命のおかげ
福州の琉球人墓地は遠く林功成は北京郊外に弔われてる