東京五輪の聖火リレーが25日、始まった。初日のコースは、東日本大震災と原発事故で被災した福島県沿岸部。復興が遅れ、まだ誰も住めない地域がある。「復興五輪」の理念に複雑な思いを抱く被災者がいる中、ランナーは未来への願いを込めてトーチをつないだ。一方で、新型コロナウイルス禍での開催を不安視する声も根強い。(小川慎一、片山夏子)
「テレビで見ていたがれきもなくなっていた。何もない所もあったけど、福島が復興しているって伝えたかった」。富岡町の第1走者、中学1年の嶋田晃幸さん(12)は、走り終えて笑顔だった。
東京電力福島第一原発がある大熊町で生まれ育ったが、家族で宮城県に避難して10年になる。「トーチはずっしりしていた。日本の1億人の聖火をつなぐ1人になれたことで、より重く感じた」
大熊町のリレーのコースは、避難指示が解除された西部の大川原地区。沿道では約300人が聖火を見守っていた。武内一司さん(67)もその1人。来月完成する近くの商業施設で、喫茶店を10年ぶりに再開する。
町で1人で暮らし、家族は南相馬市にいる。「前の東京五輪の時はテレビで聖火見て興奮したけど、今回は実感わかねえ。若い人はいねえし、元の町には戻らねえ。復興、簡単じゃねえよな」
同じく原発立地地の双葉町は、今も居住者がゼロのままだ。周辺で建物の解体が進むJR双葉駅前に、避難先から住民ら約500人が集まっていた。太鼓グループの演奏を機に第1走者が走りだすと、「がんばれー」と声援が飛んだ。
自宅が原発から5キロの中里真江さん(69)は、夫といわき市に住む。家は放射線量が高く、避難解除のめどはたたない。
「孫娘が第1走者で、コロナ禍で走っていいのか悩んでいた。家は床が沈んで、イノシシが入りめちゃくちゃ。復興は考えられない。複雑ですね」。孫娘の走る姿を見ると、「うれしい。涙ぽろぽろです」と目を潤ませた。
帰還困難区域が残る浪江町では、町職員渡辺聖子さん(45)が走った。10年前、津波で多くの友人や知人を失った。自宅は流されたが、両親は何とか助かった。
「帰りたくても町に帰れない状況を、世界に知ってもらう良い機会。避難先から来てくれた懐かしい顔が、沿道にたくさんあった」。にこやかな渡辺さんが続けた言葉には、力がこもっていた。
「人もいない状態で何が復興だと思うけど、小さな光を見つけていきたい」
東京新聞 2021年3月25日 22時23分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/93796