米紙「ニューヨーク・タイムズ」のモスクワ特派員が、ロシア製ワクチン「スプートニクV」に疑念を抱きながらも接種に踏み切った。
欧米の専門家から不信の目で見られるワクチンを、なぜ信用するに至ったのか?
注射器を手にした看護師が、準備はいいかと無愛想に尋ねた。「はい」と私は答える。
一瞬で注射が終わると、アナフィラキシーショックが起きる可能性があるため病院の廊下で30分待つように指示された。
ありがたいことに、その症状は起きなかった。
1月4日、私は不安を脇に置き、新型コロナウイルスのロシア国産ワクチン「スプートニクV」の1度目の接種を受けた。
スプートニクVはモスクワ郊外の工場で、風邪のウイルスをベースに遺伝子組み換え技術で作られたものだ。
ロシアでは大抵のものがそうだが、スプートニクVの開発は政治とプロパガンダにまみれていた。
ウラジーミル・プーチン大統領は後期臨床試験が始まる前に承認を発表したほどだ。
欧米の科学者からは槍玉に挙げられた。多くのロシア国民は様子を見てから接種したいと、
この新しいワクチンに不信感を抱き、私も同じように疑念を抱いていた。
スプートニクVの接種開始までの道のりを振り返ろう。2020年8月に承認されると、
何十年も前に世界初の人工衛星「スプートニク1号」で宇宙開発競争に勝利したように、
ロシアの保健当局はワクチン開発競争に勝利したとすぐさま主張した。
実際には当時、他の複数のワクチンが臨床試験で先行していた。
その後、誤解を招く発表が相次いだ。ワクチン開発の支援者らは全国的な接種キャンペーンが
9月と11月に実施されると主張。だが実際に接種が始まったのは12月で、イギリスやアメリカに遅れをとった。
ロシア政府は、反体制派への毒物使用や五輪選手のドーピング告発をめぐって以前から厳しい目で見られており、
国外メディアは国家の威信のためにワクチンの臨床試験の結果をごまかしているのではないかとの疑惑を報じた。
アメリカのファイザーとドイツのビオンテックが、共同開発中のワクチンの臨床試験で91%以上の有効性が示されたと発表。
すると、スプートニクVを支援するロシア政府系の金融ファンドは、競争相手を凌いだと言わんばかりに、臨床試験で同ワクチンの有効性が92%に達したと発表した。
そして、アメリカのモデルナが94.1%の有効性を報告すると、同ファンドは95%を達成したとして再び優位性を主張した。
当局はのちに、後期臨床試験が終了した段階で、スプートニクVの有効性は91.4%だったと明らかにしている。
しかし、接種を受ける立場からすれば、その僅差はそんなに重要なことだろうか?
最終的な結果でも、スプートニクVの有効性は90%以上。つまり、9割の確率で感染を回避できる。
欧米の専門家らが懐疑的なのは、主に承認の早さについてであり、ワクチンの構造についてではない。
スプートニクVの構造は、イギリスのオックスフォード大学とアストラゼネカが共同開発したワクチンと類似しているのだから。
たしかにロシア国民の不安は完全には収まっておらず、開発者はいまだ臨床試験中に観察された有害事象の詳細データを公表していない。
それでも、スプートニクVの接種を受けた国民はすでに100万人以上。ベラルーシやアルゼンチンなどにも輸出されており、
臨床試験中に見落とされた有害な副反応があれば現在までに明らかになっているだろう。
結局、ワクチン開発が政治化されたことで、本質的に良好だった臨床試験の結果に影を落としてしまったのだ。
そして、今回のスプートニクVの成功は、ワクチン開発において歴史に名高いロシア人科学者たちの功績と言えるだろう。
ソ連時代、感染症抑制は国内の公衆衛生政策の優先事項であり、途上国へのワクチン輸出は冷戦時代の外交手段だった。
ソ連とアメリカはワクチンによる天然痘の撲滅で協力したが、ソ連にとってウイルス学は生物兵器計画の要で、
1975年に生物兵器禁止条約が発効した後も計画は密かに続けられていた。
1959年にはソ連の科学者夫妻が、自らの子供たちを被験者にしてポリオの生ワクチンの臨床試験に初めて成功した。
ロシアの医学研究者らは伝統的に、有害な可能性のある製品は最初に自らが実験台となっており、それを踏襲したやり方だった。
スプートニクVの開発責任者であるアレクサンドル・L・ギンツブルグは昨春、動物実験の終了発表前に自らにワクチンを打っている。
https://courrier.jp/news/archives/230739/