沖縄で米兵が起こした性犯罪・性暴力の被害実態をまとめた冊子がある。25年前、1人の少女が米兵3人に暴行を受けた事件を機に、沖縄の女性たちが立ち上がり作成した。「実態を明らかにしたい」との思いを込めた冊子は、なくならない被害を前に今も改訂作業が続く。発行する市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表、高里鈴代さん(80)は「25年を経ても冊子作りが終わらない現実を、政府や米軍はどう見るのか」と訴える。
米兵による少女暴行事件は本土復帰後、最大規模の抗議大会につながった。1995年10月、沖縄県宜野湾市の公園に8万人を超える県民らが集まり、米軍や日本政府に怒りの声を上げた。大会から2週間後、当時那覇市議だった高里さんらは会を立ち上げた。
国内だけでなく、海外メディアも注目した事件。高里さんは「米兵による性暴力被害はたくさん起きている」と訴え続けた。ただ、取材に訪れた記者からは決まって「沖縄県警の統計では年間3〜5件。多いと訴える根拠を示してほしい」と求められたという。
婦人相談員を長年務めた経験から「公になっていない性暴力事件が無数にある」。その確信を裏付けるには「データがなければ説得力がないと痛感した」。新聞記事や米兵による犯罪をまとめた資料を読み込み、75年前の沖縄戦当時から95年までの性暴力事件をピックアップした。
96年、冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」の初版が完成した。被害実態をありのままに伝えようと年表形式を採用。英訳し、基地被害を訴えるために渡った米国でも活用した。反響は大きかった。
「記録に残してほしい」。被害を打ち明ける人が現れた。聞き取り活動と並行し、市町村史や米公文書、米軍統治下の琉球政府の資料などをかき集めた。被害の可能性がある記述を見つけては年表に加え、出典を明記する。新たな事件が発生すれば裁判を傍聴した。
初版に掲載したのは65件。2016年の最新第12版では350件を超えた。「掘り起こしは今も終わっていないし、被害者の意向で掲載していない事件もたくさんある」。年表を見つめる目に、怒りがこもる。
「米兵の犯罪率は県民よりも低い。米兵の事件のみ強調するのはおかしい」と、活動を批判する声も耳に入る。こうした声に「米兵と一般人を比べるのは前提が違う」と声を強める。
少女暴行事件を受け、日米両政府は「好意的配慮」により、起訴前に身柄引き渡しに応じる日米地位協定の運用改善に合意したが、対象は殺人と強姦(ごうかん)事件に限られる。米軍普天間飛行場(宜野湾市)を含む県内11施設、5千ヘクタールの返還合意もしたがほとんどは県内移設が条件。全てが実現しても全国の米軍専用施設の69・7%は沖縄に残る。
「米軍基地問題は女性の人権問題でもある」。高里さんは問う。「日本も米国も人権を尊重する国ならば、沖縄に米軍を押し付けることはできないはずだ」
(那覇駐在・高田佳典)
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【ワードBOX】沖縄少女暴行事件
1995年9月4日夜、米兵3人が沖縄本島北部の住宅街で、通り掛かった女子小学生をレンタカーで連れ去り暴行した。沖縄県警は3人の逮捕状を取り米軍に身柄引き渡しを求めたが、米側は日米地位協定を理由に拒否。3人の身柄は起訴後に日本側へ移り、懲役6年6月〜7年の実刑判決が確定した。