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【古代】弥生時代稲作は不耕起? 復元農具使い実証 通説覆る可能性も 山形大などの研究グループ [ごまカンパチ★]YouTube動画>1本 ->画像>4枚
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https://www.agrinews.co.jp/p52379.html 弥生時代の木製農具は水田を耕すことができたのか──。
山形大などの研究グループが、弥生時代と古墳時代の復元農具を用いた実証実験を始めた。
それぞれの時代で異なる木刃と鉄刃の農具を用いて耕作し、生産性などを比較する。
稲作が伝来した当初から耕起が行われていたとする通説が覆る可能性もあり、注目が集まっている。
実証実験は山形大の他、東京都立大、静岡大、岡山理科大など各地の教育機関などが協力する全国規模の研究の一環。
山形大の白石哲也准教授(考古学)によると、一般的には稲作文化は弥生時代(紀元前8〜3世紀ごろ)に中国・朝鮮半島から伝来し、
耕起などを含む完成された形でかんがい農法が導入されたと考えられてきた。
しかし近年の研究によると、その後の古墳時代(3〜7世紀ごろ)と比べ弥生時代は農具を使用した跡が不明瞭な場合が多く、
不耕起栽培で稲作をしていた可能性があるという。
そこで、弥生時代に使われていたとされる木刃の農具と、古墳時代のものを復元した鉄刃の農具を比較。
それぞれを用いて実際に耕作することで使用方法を明らかにし、掘削跡や作業性などを比較する。
白石准教授は「社会や国家の成立にもつながっていく、稲作技術の形成過程を明らかにしていきたい」と話す。
山形県天童市で行われた実験では、復元した弥生時代の木製農具と、刃先を鉄製にした古墳時代の農具を使い、
学生ら約10人が使い比べながら収穫後の水田で手作業の耕起を体験した。
押し込むと自重で深く土中に入る鉄刃に比べ、木刃は体重をかけても深く掘れない。
学生らは稲株を掘り起こすのにも苦労していた。
実験に参加した人文社会学部の下山田衣里さん(21)は「鉄の農具は深く掘れたが、木製の農具は難しかった」と感想を話す。
来春から複数年をかけて水稲栽培を繰り返すことで、地層にできるそれぞれの農具の使用跡を比較していく。
>その後の古墳時代(3〜7世紀ごろ)
この頃は本当よくわからんね(´・ω・`)
戦争ばっかりしていたんじゃないかって考察する人もいるけど、そうだったら
もうちょっと伝承が残っていそう。 戦いは生死かけるから歴史が必然的に生まれるものだし
渡来の弥生人も、ろくに働かず女衒みたいな仕事をしてたのではないか?
ガキの頃からこんな木で土掘れる訳ねぇだろって思ってた
まさかガチだったのか
半島バカチョンと在日バカチョンは、縄文人コンプ丸出しwwwwwwwwwwwwww
.
日本の縄文式土器は世界最古で、
世 界 4 大 文 明 よ か 遥 か 太 古 か ら 文 明 が 存 在 し て た 、
歴 然 た る 物 証
だからなーw
.
だから特亜三国はもちろん、日狂組も縄文時代を目の敵にしてて、
教科書指導要領からはずしたんだよなーw
.
.
さらに言えば!
.
島根や鹿児島の縄文遺跡からイネ特有のプラントオパールが次々に見つかり、
日本では6千年も前からコメが生産されていたことが確実となった!
.
福岡市の板付遺跡からは、縄文期の土器だけが出土する地層から、
一区画が400メートルもある水田の跡が発見された。
.
佐賀県唐津市の菜畑遺跡からも、縄文期の水田跡と、数々の農機具が発見された。
.
放射性炭素年代測定によると、菜畑の水田は 「 遅くても 」 紀元前930年頃のもの。
.
つまり、日本で
水 田 方 式 の 稲 作 が 始 ま っ た の は 、 今 か ら 3千 年 前 !
しかも、その後も日本各地で見つかった水田跡地からは、
縄文文化の土偶、石棒などは見つかるものの、大陸の渡来人系の道具は全く発見されてない!
.
縄文時代は 「 狩猟時代 」 で、 農耕は弥生時代からという説や、
水田稲作は 「 渡来人が伝えた 」 という説は、
何ら根拠がない妄想であり、
科学的にも完全に否定された 「 嘘 」 なんだぜーw
.
.
にも関わらず、水田方式の稲作は、紀元前300年ぐらいに、
大陸や朝鮮半島からやってきた渡来人によりもたらされたといった荒唐無稽な説が信じられたまま。
.
何しろ、バカサヨチョンな歴史学者が訂正しようとしないからだ!! ( 怒 )
.
.
悔しい脳バカサヨチョンWWWWW
.
日本の古代文明、縄文時代が羨ましい脳WWWWW 恨めしい脳WWWWW
11
川の氾濫のあとに種を撒いていただけだったりしてね。
木製のヘラみたいなでかいのがでてたよね?
現在の学生とは筋力が違うでしょ
アスリートに依頼しないとダメ
それ以前に異常気象で不作だったのだろう
■新羅本記
173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193年:倭人が飢饉。避難民が新羅へ押し寄せる。
■当時の気候
「3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。」
「名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。」
韓国の百済が倭に稲作を伝えるまで、倭人はドングリを拾って食べていた
そこへ韓半島由来の渡来人が現れ、列島に技術を伝えていった
しかし倭人はいまだ文字文化が出来ていなかったので、技術を後世に伝える術を持たなかった
奈良百済が倭の覇権を握っている間は平和な世が保たれたが、
韓半島側の事情により奈良百済が倭を立ち去ると、たちまち世は乱れ記憶とともに技術は失われた
これが古墳時代の倭に一切記録が残されていない理由だ
>>4 猫を一般人が買うようになったのは江戸時代だよ
>>5 なんだよ日本書紀乞食はまったくの偽物と言い切るわけ?
今の若者の3倍は筋肉あったんやで
スマホゲームに夢中で重いもの持ったこともない学生とは筋力差がありすぎるから実証の意味がほとんどない
そもそも刃物が無いのにどうやって木製の道具を作ったかだ
手で木を倒し、叩き割って、石や歯でガリガリとだぞ
多分素手でもモグラ並みに土掘れるで
>>16 頑なに批判したって、そりゃ中華文明に近いところのが発展してたわな
朝鮮半島由来のものはたくさんあって不思議じゃない
メソポタミアは紀元前7000年に灌漑してたんだからなぁ。
>>16 その時代にエベンキ族は存在しないんですよ。
北方の竪穴住居に住んでたんですw
耕さないでどうやったんだろ
川の近くの柔らかそうなところの草をむしって畦っつーか土手で囲んで水引いてバラバラ〜っと?
>>21 近いから発展してたとは限らない
発展するには人口とそれを支える食料生産が必要
暖かい九州のほうがどんどん国力が大きくなるから、一度も朝鮮半島のほうが
優勢だった歴史はなさそうだが
アイヌの人が一切稲作ってないってのが
稲作は大陸から伝わって来たって証拠でしょ
アイヌや熊襲って服の模様とか見ると元々同じ人でしょ
彼らが古くからの日本人なんだよ
ここを認めたがらない人多いよね
>>27 木のヘラで畦だけ作ったのかな?
そもそも初期は陸稲だったかもよ。
>>30 アイヌより先にオホーツク人とか擦文人とかが住んでたよ
アイヌは侵略者
>>24 エヴェンキ族は韓国より日本に近い北方民族な
お前が半島人なのがわかる
>>32 擦文人とオホーツク人の混血がアイヌなんですが
>>32 アイヌがいつから北海道にいるかって
文献とかにないから不明なんだよね
だから縄文時代の大昔からいるかもしれないし
坂上田村麻呂に追われて北海道に逃げたくらいの
最近に移住したのかもしれない
>>17 猫がらみの怪談って多いけど、全部江戸時代のものだったんだ
>>33 DNAが全く違うでしょ
嘘書くあなたが半島人
>>8 一応神代文字があるけど、今の文明に繋がってない以上、何の意味も無いわな
>>36 日本人が猫を怪談とかにしたがるのって
なんでかなって思ってる人多そうだけど
むかしの人には黒い猫は不気味に映ったらしい
だから猫がってよりも黒猫が悪く思われてた
>>38 北方民族を低く見る発想なんて中国と韓国にしかない
東洋では貴族階級はほとんど北方民族だからな
そう感じないお前が日本人のDNAを持ってない
>>30 ちゃうな
日本は多民族国家な訳よ
東北と九州じゃなまりや方言わかんねえだろ?
なのでこの島国日本で日本のために礎になる覚悟があるなら日本人
言っとくがアイヌは近親婚で女はドチビでどんぐり眼で髭が生えてる(遺伝子欠損)、男はバカボンみたいな感じ、デカイのはありゃロシアの混血なんだそうな
それも敗戦後満州引揚げのどさくさ紛れにやって来た外国人に放火レイプ背乗りでアイヌはもういない、自称アイヌだけや
沖縄も敗戦後、次は焦土になるからと若い者は本土に入植しとる、今おるのは相当なアホか背乗りだけやろ、彼らも目はぱっちりどんぐり眼の縮れ毛
今のは誰やゆーかんじやな、正直
まぁ大阪人とか京都人とか郷土程度をちがうと認識して声を大きくして叫ぶのは、ま、外国人だけやな(笑)
チョン半島からは伝わっていません
江南→日本→半島
>>42 だから多民族国家なのに
中国朝鮮の血は絶対入ってないってみんな言ってるわけでしょ
それで比率で言えばオリジナル日本人より
大陸人の血の方が濃いから大陸人と顔の見分けつかないんでしょ
卑弥呼も別府温泉の岩盤温泉花魁だろ?
この時代に国が作られたのなら、そのシステムや経験を生かして他の国が出来たはず!
実際には実在したと言われている10代以降の天皇(大王)の時代までの300年間は何もない。
日本の弥生時代は、かなりお粗末なものだったと思ってるよ。
>>21 朝鮮半島と中国の間には強力な北方民族が行く手を阻んでいてそう簡単に陸路では行き来出来なかった
チンギスハーンのことをどう思うか
日本人・・・偉大、最強
中国人・・・野蛮、蛮族
モンゴル人やツングース人を野蛮人とみるのが典型的な中韓人
エヴェンキ人が誰の先祖かは知らないが
エヴェンキ人そのものを差別するのが中国系ということだけははっきりしてる
だからエヴェンキ連呼してるネトウヨは
ネトウヨの中でも五毛ネトウヨなわけ
>>47 日本に攻めてきて返り討ちにあったモンゴルを偉大、最強なんて誰も思わないよ
>>47 それは日本人は知らんくせに勝手な名前のイメージで思ってるだけだよ
チンギスハンの伝記の漫画読んだりしたら平気で身内殺したりする野蛮人だよ
>>40 昔から猫には霊感があるって言われてて、
猫をそばにおいておくと人間の霊感まで冴える
だから、霊能者や占い師は猫飼ってる人が多い
少なくとも人間よりも霊感が発達しているって指摘は多いが
オカルト情報では猫は時空を超えるとか言われてる
だがこれは人間には確かめようがない
>>44 日本人は今の中国人・朝鮮人よりも、
もう少し北方系の血が多いらしい
だから色が白い
そもそも当時の百済や高句麗、それ以前に半島にいた民族と今のチョンの間には歴史的連続性がない
高句麗語など史書に残ってる地名から復元された基礎語彙(ひとつ、ふたつなどの固有語の数詞など)は朝鮮語より日本語に似ていたのではないかという説まで出てくる始末
>>34 > 擦文人とオホーツク人の混血がアイヌなんですが
それは違うだろうね
アイヌは別民族だが、アイヌが蝦夷で武力でのし上がってから
他の民族まで◎◎系アイヌと言われるようになった模様だし
一部の民族は完全に蝦夷から駆逐された
アイヌが武力でのしあがってくる時期と、日本において義経残党や
欧州藤原氏残党が北方へと逃げた時期がほぼ一致しているのは興味深い
>>16 そもそも当時は九州北部と半島南部は一体だろ
そこで縄文人と大陸人が混血した
今の朝鮮人が偉そうに語る要素は皆無
>>54 の続き
つまり、義経や奥州藤原氏が鎌倉幕府に追われて北方へと逃げた際に、
現地民を束ねて軍事訓練。蝦夷地へと進出し、最終的には樺太経由で
大陸へと渡って、何らかの形でチンギスハンの勢力と合流したのではないか?
と推測できる
そして蝦夷地は義経残党によって軍事訓練されたアイヌが支配
こう考えると、辻褄があう
弥生と何の関係もないが
>>55 混血した混血したといわれることが多いが、実際には
支配階級と被支配階級はあまり混血しないよ
支配階級は血を守るからね。支配階級同士の混血はあるが
>>5 中央アジアの騎馬民族はもっと激しく戦争してたけど何も残って無いぞw
>>48 それはお前がチョンだから
義経チンギス伝説なんか見下してたら出てこない
>>55 当時の半島にいたのは倭人と漢四郡の漢人
チョンの先祖の北方の野蛮人がどんどん流入してきて窃盗・レイープなどが頻繁して治安が悪化したので倭人は徐々に引き上げ漢人のは商売上のお得意様だった日本を頼って亡命してきた
そして半島からは永遠に文明が失われた
でも日本人って韓国人から稲作や仏教を教えて貰わなかったら土人のままだったわけじゃん?
http://2chb.net/r/ogame/1604273033/ >>54 アイヌは日本で言う縄文人とオホーツク人との混血
オホーツク人は北海道よりも北に住んでるからアイヌは鎌倉時代に北から南下してきたと言われてる
>>49 それはお前が中華思想だから
三国志とか好きなネトウヨは多いからな
ネトウヨがなぜ嫌われるかというと全く日本的じゃないからだ
ラサールがチンギスを野蛮の代表のように言ってたろう
あれは中華左翼の発想
共産主義時代は当のモンゴルでも語るのを許されなかった
>>57 アホか
そんなんはすぐ滅びるわ
近親婚はアホしか産まれん
大概間引くんやけどな、現代はなかなか出来ない
まぁ本物かわからんけどな(笑)
あんなのは飾りですな、だいたい階級に弱いのは、革命して自分が偉くなりたい土貧民のアカだけ
海洋民族でもないのに手漕ぎ船で潮に乗るってのと同じ匂いがする
>>64 当時は朝鮮人なんて存在しない
朝鮮人はもっと後の時代に満蒙と混血しないと登場しない
>>57 アメリカ白人が黒人奴隷女性を孕ませたのは?
江戸幕府も世継ぎは正室よりも側室が産んだ子が多かったり
出入りの八百屋の娘に手を出したりしてるからその説は間違っているのでは?
共産革命が倒した中近世の王朝ってほとんどが北方民族系王朝なんだよ
そういう因果関係
自分が中韓主義に入り込んでしまった者はわからない
右派の中でもここは決定的に違う
>>1では弥生時代は木製農具が標準みたいに書かれているけどそれは後進地域だった畿内限定の話な
先進地域だった九州では弥生時代には既に鉄の刃を着けた農具が普及している
大陸と交流のあった邪馬台国が鉄を手に入れられなかったわけがないので邪馬台国が九州にあったことは言うまでもない
農業生産を画期的に高めた鉄製農具
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/occupation03.html > 弥生時代の農業生産を画期的に高めたのは、鉄製農具の普及です。
> 鋤や鍬に鉄が使われるようになったことにより、土を耕すことが容易になり(ある研究成果では木製農具に比べ作業効率が約4倍に伸びたと算定しています)、
> 新しい土地を田や畑として切り開く開墾も盛んになったと考えられます。
> 鉄製農具が普及するようになった中期後半以降の集落の急激な増加がそれを裏付けていると言えるでしょう。
> 鉄製農具は農業の生産性を左右する重要なものでしたが、鉄素材は朝鮮半島から得なければならず非常に貴重なものでした。
> 吉野ヶ里遺跡は全国の弥生時代遺跡のなかでも鉄製品が多く出土し、鋤・鍬の鉄製刃先や鉄鎌など鉄製農具も豊富であったことがわかっています。
> このような「鉄」の豊かさは弥生時代の吉野ヶ里が大きな力を持つ集落であったことを示していると考えられます。
>>63 そしてここで言う倭人とは江南人だろう
つまりいわゆる渡来人が半島から来たといってもその中身のほとんどは元々日本から開拓民として進出していた倭人の帰国組と少数の漢四郡の漢人で今のチョンとは何の関係ない話
>>61 義経がチンギスハンになったかどうかはわからんが、義経残党が大陸へと逃れた可能性は高い
義経や奥州藤原が鎌倉幕府と対立して追われた際に、逃げる方向は北しかない
実際、鎌倉幕府は何度も追討軍を送ってきているようなので、
東北、北海道、樺太経由で大陸へと逃れたほうが安泰
東北や北海道には義経伝説や義経神社が残っていて、アイヌは義経を神(カムイ)と祭っている
(ハンガンカムイ)し、現地の女性と恋に落ちて子供をもうけたとの説もある(チャレンカ姫、シララ姫)
卑弥呼の時代の日本人は河内王朝が作るタタール鉄器を見て彼らを宇宙人だと思っただろうな
>>1 >>
>山形大の白石哲也准教授(考古学)によると、一般的には稲作文化は弥生時代(紀元前8〜3世紀ごろ)に中国・朝鮮半島から伝来し、
50の俺はそう習ったけど、むしろ最近じゃ縄文後期から稲作がはじまってたってたのが通説じゃなかったっけ?
>>72 やっぱり卑弥呼の頃の畿内は遅れた田舎村だったんだな
>>74 もちろんあれは単なる伝説で事実ではないがな
大陸に渡った伝説のある義経をさらに伝説を増やしてチンギスにしたもの
北海道の蝦夷の中では義経が大陸に渡ったことが伝えられてるな
平泉で死なずに生きてたら渡っていたかもな
当時は十三湊などいろいろ交流あったから
>>76 最近は縄文鉄が発見されてるから
それでクリア出来るのかも
>>64 逆だよ
半島はもとは日本からきたやつが治めてた
白頭山の火山灰でエベンキはやって来るし中国大陸から放逐された犯罪者もやって来るしで
ここはすむとこじゃねーって帰ったり、親戚がSOS出して戻ったりとか、そのうち断交した訳な
だから今の半島の人達とはあんまり関わりない、君らはまごうことなく中国大陸から追い出された人たちが祖先だよ
まぁもう断交するし
韓国は地上から消えて朝鮮に戻ると思うしどうでもいい
君は日本人に帰属するか、韓国に自分を捧げるために帰国するか選ぶべきだ
日本にいたら危なくなると思うよ…
この国は戦後なんかない、ずっと戦時中なんだよ、まぁ脱出なら今がチャンスだと思うけどな
しかしインクで追跡とか、アメリカ、マジギレだなぁ、エラは何でバイデンが司法取引して中国を売ってテレビで演じてないなんて思うんかわからんけどな
>>5 古墳自体が権力の象徴だから
戦争があったことには間違いない
不耕起の焼畑をやってた人間達が初期の水田稲作の実行者だったんだろ。
北九州の水田遺跡も足跡が残る程度の低い含水率だったとされてる。
つまり、北九州の水田遺跡は性質的にかなり畑に近かった。
木製の鍬は除草具だと思ってた
そうじゃないと考えてる人がいまだに多いのか
文字がない文明が発達するわけがないんだよね
継承ができないんだから
>>82 当時は明らかに
大陸のほうが技術も兵器も進化していたのだから、
大陸・朝鮮半島で敗北したグループが次々と日本へと逃げて土着した
と考えるほうが理にかなうわけだが
>>87 日本に文字は当然あったが、ない事にされているだけ
アイヌと蝦夷は違うでしょ
蝦夷は蕨手刀とか鉄器文化を持っていた
>>82 エヴェンキ人は朝鮮半島なんかにいない
旧満州のフルンボイルという所にいた
戦前は避暑地で有名だった
それを嫌なことのように言うお前がチョンかチャイナなのは確定なんだよ
古墳もメイジセイフが作った嘘だろwww
本当だとしたら、逆に、奈良時代・平安時代がしょぼすぎるだろwww
>>5 この時代に日本は異民族に制服されたって説があんのよ
司馬遼太郎も尊敬してた東大の学者の説が
>>72 やはり邪馬台国は九州だったか!
最初からそうなんじゃないかと思っていたぜ
>>88 大陸の方が進化しているといっても朝鮮半島やその周囲ではないけどな
お前はアイヌは擦文人を殺して入った別民族だと言ったり
日本とかけ離れた発想してるな
大陸人同士が右左に分かれて出来レースするのはやめろ
豊芦原瑞穂の国なんだから湿地だらけで農具要らなかったのと違う?
初期の稲は陸稲なんか?
>>93 異民族説はないよ
遺伝子や言語関係にそんなのはないから
>>92 お前荒らしながら少しだけ鋭いな
もちろん古墳の存在は江戸時代から一般に知られていて超有名だったが
あんなにきれいに整備されたのは明治以降だ
内部に住んだり普通の土地に使われてしまったのがほとんどだった
あんな航空写真でしかみれない巨大なものが江戸時代に完全整備されていたわけではなかった
全貌も飛行機飛ぶまではわかってなかっただろう
だからその辺に謎がある可能性はある
>>92 方向性が違うから
奈良平安てのは建物だし
>>72 九州の先進性に比べて奈良はショボいね
鉄器も無いくせに邪馬台国とか夢見てんなって感じ
>>96 あったかもしれん
調査自体が認められてないからわからない
何か知ってる者はいたのかも
>>93 江上波夫の事?
学界で定説にはなってなくない?
批判されてばっかり
>>87 口伝、口承で伝えてる文化はいくらでもない?
稲作は江南から来たわけで
九州の方が朝鮮より近い
ま、九州と朝鮮(南部)にはほぼ同時に入ったんだろうけど
あと、一般的に弥生時代は金属の使用が開始された時期だし
木製農具を弥生時代に当てはめるのはどうかと思う
弥生時代には鉄器(日本での製鉄は疑問(可能性はあるけど)だけど、輸入品を使っていた)を利用していただろうってのが
常識なんじゃないんかな
>>106 弥生時代の畿内の遺跡からは木製の農具ばっかり出るんよ
>>72のとおり九州だと鉄製もあるけど
江上はさすがにトンデモ説だ
司馬が支持していたとしたら騎馬民族の文化が日本に来たというところまでだろう
朝鮮半島経由説は終戦後は誰も反対出来ない認めざるを得ない説だっただけだから
反対するとGHQに罰せらる
司馬はモンゴル学の研究者だからな
元々は世界史の人間
晩年の最後の最後の方の作品で中共批判を明かした
イネのDNA解析で稲作は日本から朝鮮半島への流れは決定してなかった?
半島の方が寒冷地だから日本で品種改良した稲が半島へ渡っていったんだろ?
>>107 畿内の人間は根性あったんじゃね
素手で土掘ってたとか
>>1 朝鮮とか寒い地域から入ってくるわけないし。
>>107 畿内は弥生時代だとど田舎だし
弥生時代の標準にするのはどうかと思う
畿内が文化の中心になるのは古墳時代以降だろう
>>109 ぶっちゃけそれが自然だよね
だが半島経由論者はなかなか難しい
だから同着くらいで手を打ってる
>>110 鉄は重いし、調達が困難。
地消地産の木材になる。鉄釘を使わない
木組工法になる。
>>109 見つかってる品種も日本の方が多かったはず。
朝鮮→日本だと、気候的にも品種的にも不自然。
倭人は長江流域から日本や朝鮮南部に移住したとされており、
そのときに持ってきたと考える方が自然。
>>8 つ平仮名
漢字に平仮名を組み合わせる事により世界でも屈指の優れた言語を生み出した事を忘れてはならない
>>77 www
まあ、歴史も文化もない民族は、
こうして自分を慰めるしかないんだろうな。
稲作伝来のころの長江はオーストロアジアだからな
矛盾はない
でも直接伝来説はいろいろ妨害が多いから
なかなか認められないかも
面白い研究だね
でもじゃあ木製農具の使い道は何?
って話にならんの?
水稲稲作には二種類あって最初の方式は江南地方→山東半島→朝鮮半島
→九州北部の順番で始まったが、改良した方式の水稲稲作は江南地方から
船を使って直接北部九州に伝わったと思われる
>>87 中国で甲骨文が使われだしたのは紀元前1300年頃と割と新しいがその頃には広域の王国や初歩的な治水など文明としてはかなり複雑化していた
インカは巨大都市を作り広大な帝国を経営するほどの高度な文明を持ちながら文字はもっていなかった
口承で意外と何とかなるもんなのだろう
>>96 古墳時代は普通に漢字が使われていたはず
専門の書記くらいしか読み書きできなかっただろうがな
古墳に埋まってる王や実力者が自分で読み書きできたわけじゃないから文書とか一緒に埋葬してもしょうがない
卑弥呼や倭の五王は中国王朝に朝貢したりしていたが当然それは国書のやり取りを伴う
稲作=鉄器が必須みたいなのがおかしい
稲作は江南起源(青銅器も、銅鐸やら銅矛やら銅剣やら)、鉄器は朝鮮起源(朝鮮で発明されたわけじゃなく、いろいろあって朝鮮に逃げてきた産鉄民がいた)
それは間違いないと思う
稲作と青銅器文化は同時に入っただろうし(弥生時代)
鉄器文化はそれに遅れて入ったと思う(古墳時代)
>>123 Wikipediaより
2002年に農学者の佐藤洋一郎が著書「稲の日本史」で、中国・朝鮮・日本の水稲(温帯ジャポニカ)のSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域を用いた分析調査でSSR領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a〜hの8種類があり、RM1-bが多く、RM1-aがそれに続くこと。朝鮮半島はRM1-bを除いた7種類が存在し、RM1-aがもっとも多いこと。日本にはRM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類が存在し、RM1-bが最も多いことを確認。RM1-aは東北も含めた全域で、RM1-bは西日本が中心であることから、日本の水稲は朝鮮半島を経由せずに中国から直接に伝播したRM1-bが主品種であり、江南ルートがあることを報告し、日本育種学会の追試で再現が確認された。
古代文明で文字はあんまり問題にされてないよね
文字はあっても文献を遺す文化がなかった突厥碑文のようなものもあるし
文字が大きく影響を持ち始めたのは聖典宗教の伝播から
>>1 実験考古学か
日本では遅れている分野だから精々頑張ってね
>>127 銅の農具ってこと?
大陸では石器・青銅器・鉄器の時代区分は鉄板のような気がするけど
(-_-;)y-~
知恵の無い研究やな。
岩場のくぼみでも、枯葉を積み上げて行って土にして栽培できるんやで。
農地を掘るって発想から離れないと、縄文時代を生きれんわな。
稲作は黒潮に乗って南から来たんでしょ。
ちなみに縄文人もね。
>>127 青銅は、原材料の銅・亜鉛・スズの採取地が少なく、採取量も少ない貴重な金属。
だから現在ですら、硬貨(日本の硬貨は一円玉以外すべて青銅類)に使われてるぐらい。
だから武器や祭事品にしか使われなかった。
鉄は世界中どこでも砂鉄という形で採取できるからな。
まあ大和人が縄文人であると証明されたんでこれはこれでいいこと
東が嫌いだ西が嫌いだとあれこれ嫌がっていたら
矛盾だらけで自滅するのがお約束
ここは畿内人が黙って東から来たことを認めればいいこと
>>131 日本ではその区分は当てはまらないみたい
青銅器と鉄器はほぼ同時に入ったことになっていて
区分は微妙な感じ
少なくとも、大量生産できるようになった「たたら製鉄」時代(古墳時代以降)と
それ以前(朝鮮半島から輸入していた)はかなり曖昧(考古学的な遺物にしか頼れないけど、酸性土壌のせいか、あんまり無い)
野だたらとか褐鉄鉱を使った製鉄とか文献には残ってない方法での製鉄の伝承とかもあるし
そもそも、江南では稲作文化と青銅器文化が発展してたわけで
稲作=鉄器が必須、とは考えられないよね
>>16 そういう妄想を否定する記事内容だけど、わかんない?
あの鍬は畔の土盛りと浅い除草の為に使ってたないゃああの頃は米作り大変だったわ日照りに獣害とか全滅も良くあったよ今は楽で良いのぅ
>>16 貝塚も知らんのか
貝塚からは色んな植物はもちろん、魚介類も獣も発見されていて
縄文時代の食生活の豊かさと多様さはとっくにわかってる
>>116 漢字がなかったら平仮名は生まれれてないぞ
漢字のおかげ
稲の栽培法に疑義が生じたわけだな。
モミを直接まく(=直播)と苗代を作ってそこで苗を育て田へ手植えする田植えの2種類が
考えられるが、不耕起なら前者しかない。これは面白いことになりそうだ。
>>142 寒冷化、乾燥化するまで直播してたのでは?
東南アジアはいまだにそうしてる地域あるよね
畑は耕さないと連作障害が出やすいけど
水田は耕さないで表面だけこちょこちょやって植えても大丈夫
水のせいで連作障害はおきない。
前作の根が空けた通路に沿って新しい根が地中深く入り込む
古代人は耕すなんてして無いと思うな
そこら中が湿地で気でも楽々じゃなかったんじゃない 人間も沈み込むような
北斗の拳で「それじゃ種モミ実らないよ」と言われた
ケンシロウのあれは正しかったのか
>>146 水に浮く種籾によって稲が広範囲に伝播したんだから
雨降ったら種籾は流されるだろうな
高台にある爺さんの死体の養分は雑草の肥料にしかならなそう
>>127 越人名乗ってる倭人がわざわざ他から製鉄技術学ばんのではない?
そもそも朝鮮の製鉄技術って直接製鉄法なの?
弥生人の役を女子学生にやらせたら、歴史の再現はできないな
体力のある男が木製農具で耕したかもしれないし
そう言えば昔、田植えをしないでじかに撒く
実撒きが流行った事があったな
あまり収穫量が良くなかったんだろうか
その後すぐ、田植え機が普及したけど
直播き栽培で、去年の株から生えてもいいや、って思えば耕起しなくてもいいのかな?
もともと湿地だった所を区切って水田として利用したなら、田起こしという概念がなかったかも
韓国がもっと早く日本に文字を伝えてくれていれば、5世紀以前についての記録も残っただろうに...
韓国に謝罪と賠償を請求しよう!
>>93 司馬遼太郎に東大とか
このじてんでアウチ
>>140 誰がそんなこと言ったの?
まさかお前?
朝鮮半島で農業が出来る土地とか今でも全羅道の南の平野部しかない
日本が支配してたと言われる地域で歴史ある被差別地方
>>41 >>38は違うと書いてるだけじゃん
何でいきなり下とか出てくるんだ?
お前がおかしいだろ
アイヌは交易で鉄器を持っていて鉄器を持たない北海道先住民を駆逐した
ちょうど古墳時代ごろ
先進の鉄器を持ってる東北以北を軍事力に劣る大和朝廷は征服できなかった
それがあの訳のわからない奥州藤原氏に治めさせる歴史になってる
正直朝鮮半島の考古学はKpopのようつべ再生回数と同じで見栄はりのデタラメ
おとぎ話の世界
>>5 紀元前から製鉄技術があったから
稲以外を農地で栽培していた
稲は、天孫族が持ち込んだ作物
合流は、西暦元年ころ
場所は、ウガヤフキアエズ王朝
たたら製鉄は優れてないんだよね
ちゃんと鋼(炭素鋼)になって強度や靭性がでてから初めて使い物になった
>1 一般的には稲作文化は弥生時代(紀元前8〜3世紀ごろ)に中国・朝鮮半島から伝来し、
耕起などを含む完成された形でかんがい農法が導入されたと考えられてきた。
なんや 前提からして間違ってるやないか
縄文時代から大規模に稲作してたのわかってんのに
テレビで未開の裸族とかを見るたびに
半島から稲作が伝わらなかったらと考えてゾッとするわ
>>165 半島に稲作が無いのにナニ言ってるの?
雑穀しか無いから年貢取れないんで女を差し出してたのが
朝鮮だよ?
>>128 その佐藤洋一郎の『米の日本史』には、もう少し分かりやすい話が載ってる。
稲は晩稲から早稲に突然変異しても、早稲から晩稲に突然変異する事はほぼ皆無な事を挙げて、地続きに高緯度帯を迂回してきたとしたら、日本に伝わるのは早稲だけになるはずだが実際にはそうではない、と書いてる。
不耕起栽培で陸稲を育ててたんじゃないの?
平地や傾斜地の林を燃やして除草とかしなくても良い灰混じりの土に陸稲の籾を撒いて土をかけて覆うぐらいで1年目、
縄文中期にはオオムギが導入されてたみたいだから冬作にオオムギ、
その次の年は小豆でも植えて地力を回復させて、秋が来る前に蕎麦を撒くとか、
さらに引き継ぎ痩せた土地でも早めに収穫できるヒエやらアワ、キビを撒いて
あとは放置して10〜20年で林が育って知力の回復まで待つ
こんなサイクルかいな?
>>125 卑弥呼の時代日本に文字はなかろ
もし邪馬台国と魏が文書でやり取りしてたならなんらかの記録が残るはず
>>163 >ちゃんと鋼(炭素鋼)になって強度や靭性がでてから初めて使い物に
逆、鉄を熱して炭素を奪うことで粘性が生じて丈夫になった
そのために高温で熱して炭素と酸素を二酸化炭素に結びつけていた
>>140 漢字があったから平仮名は生まれた
別にそのことは否定せんよ
ただだからなんだ、って話でもあるが
>>140 まぁ音に漢字を合わせてたのが漢字を書くのが面倒になって
簡略化したのが平仮名だからな
音に合えば何でもよかったというか
もちろんその文字を持ってなかったのもあるけど
パソコンも学校で教育するならかな入力にすべきなんだよな
ローマ字打ち2文字をかな入力なら1回で入力できるんだから
速度が2倍になって日本の速度も2倍になるよ
その辺がデジタル庁も分かってないんだよな
>>166 純鉄の法が作るの困難
不純物によって摩滅したり熱処理ができたりできなかったりの差異はかなり初期から認識されていたが、秘伝のレベル。
>>128 稲は南方の植物だからな
中国は北方は小麦が主だし
日本から朝鮮に稲も伝わったんじゃないの?
>>83 邪馬台国は戦争あったそうだが
その時期に武器防具は進化してない
>>16 縄文人集落に栗の木が集中的に植わってたそうだが
すでに農耕が始まってたろ
貝塚の規模も生活排出越えていて
海産物加工して交易してたとされているし
半島の渡来人が稲作や文明をもたらしたって習わなかった?
不登校ひきこもりの妄想はいい加減にしろ
>>174 民間仏教伝来も台湾からの島伝い交易ルートからだしな
>>105 口電では文化の継承がうまくいかないんだよ
特に統治するには文字がないとうまくいかない
伝言ゲームでは意味合いが変わってくるからね
鉄器なんて使われだしたのはいわゆる奈良時代からだぞ 上級のとこだけ
しかも数が少なすぎて初期は祭器扱い
一般は平安時代になってだいぶたってからようやくっていうか
銅器の存在感っていうか石器もやらんの
平安時代源氏物語の頃までは石器が主流だったんだけどな
武家が出てきた頃になって鉄は家伝扱いでなんとか数がそろってきたという感じ
いきなり鎌倉時代までは時代がさすがに飛びすぎだろ
石斧で地道にやらんのか
>>182 まぁ古事記とかは昔のことをよく覚えてる人を頼りに作ったからな
神話レベルだろうけど
地域差や個人差もあるからねー
いずれにせよ土を起こした方が根深で豊作になるんだから
耕起という技術伝搬は時間の問題だった
推測に推測を重ねたものにさらに推測を重ねるから史学考古学嫌い
>>115 いや、イネの多様性は朝鮮の方がはるかに大きい
なぜかRM1-bだけが朝鮮で見つからばい
>>181 耳糞がドライなら、お前のご先祖も半島からだよ
>>175 田起こしも出来ないのに、どうやって水を引くための用水路を造るんだ
鉄器の前にまああれ幾度も変なことに使うな禁令でたし
再現するのもうさすがに一から作らないとダメなんだけど
銭鋤ってのやったんかな
あれ昭和になってもまだあちこちでみたんだけどな
>>194 土地、気候、品種次第
タイベトナムとか今でもそんな感じだったり
>>111 これ。
いい加減、朝鮮ageは諦めたらいいのにね。
>>169 魏に書簡送ってるのだが、文字がないのにどうやって?
だから、
弥生時代なんてのは無いんだよ。
左巻きが捏造した時代だ。
>>188 詳しく
稲作には不向きな土地だと思うけど、なんでそんなに多様な種が出てくるんだ?
まぁ弥生時代は木と石の時代だからな
まともな農耕用の鉄器なんて存在しないからそういう風に考えるのが自然だよな
俺もこの実験は評価したい
鉄器の事実を無視したイメージだけが先行してるからな
>>194 ネトウヨが悔しくて捏造してるけど
そもそもで稲はススキの亜種で寒いとか水がなきゃとか関係ない
>>203 ちょっと待て!
ススキは葉身の維管束に明瞭なクランツ構造があって
C4光合成植物だから
C3光合成のイネとは全然違うぞーw
>>194 タイ、ベトナム、マレーシアの山間部は焼畑で陸稲を植えてる
>>204 それはさすがに食えんと思うがススキから品種改良を重ねた
陸稲が伝播と考えたら普通に半島経由で説明がつく
日本から半島に稲作が伝わった?あまりにバカすぎて恥ずかしい
ちゃんとした教育を受け直して来いと言いたい
米を水につけて火であぶって食べた人がいたもんだ
それを毎年作っていくとか
おかげで食事がうまい
>>207 遣唐使でも遣隋使でも東シナ海を通って日本と中原の間で交渉していた
朝鮮半島はロクな街道もなくわざわざ水稲栽培技術が半島を南下する理由なんか無い
水稲の起源はOryza rupifogonで東南アジア起源だ
アホいうな
イネの伝来は、南方ルートで琉球経由じゃなかったっけ?
沖縄の伊佐前原遺跡、上原濡原遺跡から2500年前頃の水田跡、炭化した籾が発見されてる。
琉球諸島では縄文晩期に稲作が始まった証拠。
稲や稲作は複数のルートからやって来て、適したものが残ったんだと思う
>>1 朝鮮半島伝来説は矛盾があるとかで否定されてるんじゃなかったっけ、一部のパヨ系学者を除き
その当時朝鮮半島は水稲じゃなく陸稲だったし
朝鮮半島で水耕がはじまるのって中世以降じゃなかったか
そもそも水平に田んぼ作るのも難しいんだから陸稲じゃないのこの時代
>>1 この実験、ツッコミどころも結構ある気がするけどな。
昭和中期の農村でも、みんな胴長短足体型、米俵かついで一人前の体力民族
一日10km程度歩くのが普通の日常に暮らしてた人間の作業に、昨今の女子大生投入ではそりゃ無理な結果がでるだろうよ。
>>212 美味しいほうが残った。
というかタイ米みたいなパラパラしたのは日本人の好みに合わなかった。
なんかモチモチしたほうが好きだったんだよ。
距離的に遠い近いにかかわらず、海流に逆らわずにやって来れる国から伝来した説
>>218 柳田の海上の道だな、八重山諸島から茨城沖までの黒潮ルート
古代では、常陸国鹿島神宮がこの世界の端だと信仰されていたんだっけ
個人的な見解で、水稲の灌漑ができるような古墳時代の溜池を周囲にたたえる古墳のような用水施設を建設できる大和政権が誕生するまでは
ある程度、粗放的な陸稲、麦類、雑穀、豆類、芋を組み合わせた焼畑によるサイクルで農業生産してたんじゃないの?
隋とか漢の歴史書だと邪馬台国ー古墳時代は朝鮮半島の南部は倭の一部か、倭に朝貢したり王子を人質に出すような関係
それ以前は朝鮮半島はただの未開地
当然、海の道から水稲が渡った
>>221 稲作以前に、東南アジア式の芋を栽培し主食とする文化があったという説、水田はその転用
9月のお月見の団子は、本来、芋を供えるものだったらしく、その名残であるらしい。
>>128 お前は水稲稲作には二種類の栽培法があるのを知らんようだな
>>223 里芋、ハス田、マコモ筍、菱の実は
古代から食べていただろうね
2000年前のハスの種が発芽して栽培されてるし
国立歴史民俗博物館のHPより引用
大坪里遺跡(朝鮮半島南部)我が国で最初に水稲稲作を始めた唐津市の菜畑遺跡よりも
約200年早く稲作開始
松菊里遺跡(朝鮮半島中西部)菜畑遺跡とほぼ同時期に稲作開始
※唐津市の菜畑遺跡よりも朝鮮半島の方が二百年も早いと書いているぞ
木製のやつをずーっと使っててごらん。
何か効率の良いことを思いつくから。
一回や二回の実証とか無意味。
>>17 野良猫だらけだったの?
海外からきたの?
>>207 朝鮮半島は華北
気候的に麦文化になるのが普通なのだが
朝鮮半島にはどういう経路で伝わって来たんだ?
陸伝いじゃ無理だと思うぞ?
>>227 朝鮮半島における無文土器時代(B.C.1500-300年頃)を調べてみた
wiki なので信憑性はそれほどだが、おおまかにね
無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。
このことから、朝鮮に長江文明由来の水稲作をもたらした人々が、無文土器文化の担い手であった可能性が考えられる。
崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、
O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている 。
このことから、朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。
O1b2系統は現在の朝鮮民族に20〜40%ほど観察されている
陸路経由じゃなくて、長江流域ー山東半島ー朝鮮半島のルートかな
ただ、朝鮮半島経由で日本にもたらされたとは書かれていない。
鉄がないと木製の農具も作れないよね。木が伐れないし削れない。
>>172 んでアルファベット打つときにやたら遅くなるんだろ?
26文字の配列覚えれば全部事足りるのにわざわざ覚える事増やしてどうすんだよ
>>1 人力で造るのはメチャクチャ大変だからという事で、
オーパーツとされていた球体の石が、
普通にメチャクチャ大変な苦労をして造ったものだったそうな。
「メチャクチャ大変な事はやらないだろう」
というアホな先入観で物事を決めつけるべきではない。
>>237 当時の権力者にとって人はタダみたいなもんだからな
縄文時代には既に太い木を切ってるわけで
道具くらいあったろ
>>207 日本と中国にはあり、朝鮮半島にはない種類の米がある
サクナ姫スレになってるかと思ったら全然そんなことはなかった
>>233 縄文ー弥生時代は石包丁で穂だけ刈り取って収穫したんじゃなかったっけ
今の日本人と縄文人同じに見ちゃダメでしょ
道具に関しても考察が浅いような気が
水稲稲作栽培には二種類あるのも知らんような知恵遅れが偉そうに稲作の事を
書き込むな
>>233 この「鉄器」の理解が曖昧なのがこういう話を理解しずらくしてるんだろう
弥生時代の鉄器というのは以下の物
・ヤリガンナ(木を削り板を作るなどの加工ができる)
・手斧
・細い鉄棒(主に細工に使う)
・鎌(これも後期後半にようやく登場)
見てわかる通り石器で代用できる程度の道具しかない
「鉄器によって農具性能が飛躍的に向上して開墾が進んだ結果、富が生まれ王権ができた」とか言うのは完全に事実誤認
鉄器の実態が分からない時代に中東の歴史をそのまま当てはめた思い込みに過ぎない
弥生時代はそういう風になってないのだからイメージの放棄と、実態の検証が必要になる
だからこの記事の実験のように「弥生時代の農業」を実際に試してみるというのは有意義な話だと思う
朝鮮半島の水稲は半島南部にあった日本人国家任那に持ち込んで栽培をはじめたのが最初、でそれが同盟国百済に広がり、次第に半島全土に広まった
よく教科書とかに「鉄器」だとか「鉄製農具」だとか「製鉄」とか説明なしでてくるからおかしくなる
鉄器=上記の石器と同レベルの稚拙な道具
鉄製農具=鎌の事。これも弥生時代の終わりにようやく出てくる
製鉄=既存の鉄器の簡単な再加工。研ぐ、熱して叩く程度
弥生の鉄器というのはこういう物
鉄器による社会の変化という状況に該当するのは古墳時代から
だから弥生と古墳時代の農業の実態を探るのは大きな意味がある
アメリカやイタリアでも水稲稲作をしているが 日本と同じ方式かどこが違うか考えてみたらわかるだろう
>>249 道具でなく武器としてはどうか?
矢じりとか?
>>251 現実から目をそらす韓国のネトウヨ=パヨチン
>>251 左寄りの学者連中は頑なに朝鮮半島からの伝来説をとってるようだけど、矛盾だらけで現在では否定されて少数派になってるよw
>>107 木製農具の「柄ぶり」が祭礼儀式に使われる例はあるだろ。
柄ぶりの祭りは東北地方にある。
木製農具は打撃には向かないが、モノを搔き集めたりする
には使えるだろ。
海洋の漂流物を集めるのに使われた例もある。
神社の伝承に記録されてる例もある。
稲の種の漂流とその漂着にも関係してる。
プラントオパールの出土記録から
日本の水道栽培開始は紀元前4000年
朝鮮半島では紀元前2000年を遡らない
明白だな
はいはい鉄器文明ね
・富の原遺跡/長崎県大村市
(弥生中期初頭〜後期前半)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1 特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、
錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を
削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は
0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている。
すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる
「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された
唐津の菜畑遺跡は日本最古の水田遺跡とされてるが、
朝鮮語でnonbatは一般的な農地の意味である。
まさに菜畑の文字通りの意味になる。
菜畑が水田だった時期の前は焼畑で陸稲が作られており、
陸稲を作ってた者達が水田農耕を始めた証拠ではないか?
体力のない今時の学生を使ったのでは逆に誤った結果が出てしまうのでは?
縄文土器
弥生土器
どっちが好き?
どっちも土器♪
>>262 いわゆる木の先に鉄刃をつけた農具の最古のものとされる物は原の辻、カラカミ遺跡で見つかったものとして指標になっている
そしてその出土時期は原の辻上層式という土器をもって年代が判断される
この土器の編年は弥生時代後期後葉で殆ど古墳時代を目前とした時代(高倉)
当然、吉野ヶ里の鉄刃農具もこれに遅れる弥生時代後期後半以降のものとなる
出土例も全国で20例程度で、実際の使用に堪えない構造、さらには生産するだけの鍛冶遺跡がとても少なくどう見積もっても社会を変えるような数はない
なので弥生時代の鉄器が農業生産を飛躍的に増やしたために王権ができたと言う説はすでに否定されている
「弥生時代の鉄器」
という言葉はその内容を正確に理解する必要がある
弥生時代の鉄器はとても稚拙で、生産能力も鍛冶能力も原始的な物でとても社会を変えるほどの影響力はない
よく言われる鉄器による変化という話は鉄器の実態が不明瞭だった時代の中東を参考にした想定に過ぎないことに注意が必要
そういうイメージは古墳時代になってからと言っていい
この山形大学のニュースは興味深いけど、弥生時代の
木製農具の復元は何を元にしたのかね?
女子学生四人の作業の写真が出てるが、見るからに華奢
な造りで頑丈さも重量も不十分過ぎる農具で実用性があ
るとは思えない。
ちょっと力の強い男が力を込めて扱えば、鋤や鍬が壊れ
てしまうだろう。
>>254 稲作が江南から伝播したなんて言ってる学者は皆無だよw
半島経由で確定してるから
>>268 そういうウソはとっくに
>>263で暴かれてるんだよマヌケの畿内厨さんw
>>5 縄文時代は平和だったんだよな
大陸の渡来人が大量流入してきた弥生時代から
各地で争いや殺戮が起こり、奴隷も始まったからな
渡来人のせいで日本の平和が脅かされただけでなく荒廃していった
今のように苗を植えるようになったのっていつ頃からなんだろ?
荒地で生えまくる葦もまこももイネ科だぜ
其れに陸稲もある
ドングリ・クリ(ブナ科)は採取の取れ高を一定にする為に
住居地の周りに植林もしてた
これらのブナ科は建材に使われ
枝は石斧の柄に出来る位の耐久性もあり
刃先方向をを回転軸に石斧の取り付けを90度曲げると
鍬もどきになる
てか
縄文時代の竪穴式住居はある程度地面を掘る家だから
石斧の鍬もどきは早々にあった筈だぞ
屋根と壁代わりに
大量の稲藁が必要だろ
そもそも
一定以上の稲が毎年定量取れないと
縄文時代はないから
>>272 渡来人のせいではなく、水稲栽培の流行で土地を守る必要が出てきたのと、
米という食糧の蓄積を巡っての集団間の対立が原因
文明が高度に発達した場所ではどこでも戦争が起きているし、縄文時代以前が平和だったなんて想像でしかない
本能的な個人間の対立はあっただろうからな
大体は田を耕すのは男の仕事のはずで、女子学生を実験に使うのには
無理があるような。
>>221 畔のある水田跡がたくさん見つかってるから水田は
弥生前期には登場してるな。
奈良県秋津中西遺跡なんかは巨大だ。
>>1 そのころ山形で稲作してたの?
どうせやるなら、その辺あわせよ?
俺の小学校のころとは通説はだいぶ変わってるんだよなそもそも古墳時代とかなかった気がする
>>277 神武東征は、実際には開拓と見ている。
纏向遺跡2〜3世紀は、開墾の後ばかりだ。
朝鮮では陸稲だろうな。
降水量の関係上
朝鮮半島南部なら水田稲作可能かも?
>>272 愛知は比較的平和だな墓も同じ場所に両系統残ってたりと
古代のモノ造り中心地域だからなのかもしれんが
>>227 大坪里は陸稲だね。
朝鮮半島にはその時代の「水田跡」はいまだに出ていない。
だから「水稲稲作」が朝鮮半島から伝わったというのは事実として確認できない。
まあ、大坪里があるのは伽耶の地域だけどね。
>>248 残念。
百済も任那もない時代なんだよw
>>16 「倭」に水稲稲作を教えてやったはずなのに、どこからも証拠が出てこない。
水田の遺跡はいまだに発見されていない。
陸稲の文化と水耕栽培の文化が別々に伝わってきて、日本で合体、ガラパゴス化した、ってことなんだろうか?
よくわからん
数年がかりの検証かあ
フィールドワークってレベルじゃないな
不耕起水稲と陸稲だったらどっちが収穫量が多いのかな。
普通に考えれば不耕起水稲だけど。
寒冷地で稲作ができなかった半島から稲作が伝来するのか?
>>254 いや、半島経由で全く問題ないよ。
半島の南部、稲作の遺跡(水田は出ない)があるところは任那の地域だし。
縄文時代から半島南部は縄文文化圏というか、九州北部と同じだったわけだし。
そこに菜畑より早い時期の広大な水田と技術があったことが実証されれば
全く問題ない。
北から順番に下がって来る遺跡があるなら問題ない。
だけど、そういう遺跡は全くないんだよなあ。
水稲稲作の始まりが「農耕」のはじまりと言われていたのは昔のこと。
縄文人はいろんな植物を栽培していた。
大豆と小豆は縄文人が栽培化したのでは言われるようになってる。
証拠が出にくいからわからんが、「イモ」里芋のことね、も作っていただろう。
東南アジアの農耕民はタロイモを携えて海を渡った。
台湾の先住民も作ってる。
原種がどこにあったのか不明だが。
だから、「水稲稲作を文明人の渡来人がある日突然やってきた」というのはあり得ない。
その「文明人の故郷」はどこにも見つからない。
>>269 復元元がどこかは知らんけど、唐子鍵遺跡には
似たようなのが出てるな。
木材って意外と強いんだよ。
栗や欅なんか丈夫だし。
よく見かける杉板や南洋材をイメージしてるのかも知れんが
木材にはいろいろあるよ。
>>269 ああごめん。木の農具の素材は樫木が多いと出てるな。
鉄道の枕木に出来るような硬い木のことだ。
>>293 半島の南端だけは照葉樹林帯だから、そこだけは作れるんじゃないかない。
北からぐるっと回って来るのは無理だね。
>>287 じゃ小麦かな
でも
野生種だったとしてもイネ科だぜ
さて
稲藁でないと
断言出来る程の物証があるのかな
鉄の農具を使った漢代では一応火耕水耨と言う古い農法が江南に有ったとされる。
冬枯れの低地で焼畑の要領で焼き払い、籾を直播して水を入れる。先に伸びた雑草は刈って水を増やすと稲が生き残ると解釈される。
漢になって鉄の棃を使い初めて休耕田も利用出来るようになった。浮稲と休耕地の組み合わせとも言われいるが良くわかっていない。
>>294 弥生人は殷王朝の人々だよ
殷が滅んで箕子朝鮮が朝鮮半島で建国した
殷は日本に暦と甲骨文字と青銅器と鉄器の製造を伝えた
で当時の殷には弥生人の祖先と縄文人も住んでいた
>>1 バカだろコイツらw
古代人が現代と同じ田起こしなんてできるわけがないww
しかも木製でw
俺が想像するに古代人が木製農具を使ってたのは湿地
しかも年中ズブズブの場所
農具は雑草をドロの表面から剥離させたり
ドロを寄せたりする程度の代物
「土を耕す」って使い方はしていない
籾は直まき
要はドロを均すための道具よ
>>302 ついでに殷の時代にはハプログループNとOとのグループとCとDのグループなどがいた
基本的に弥生人Oと縄文人Dは仲が良かった
それで殷が亡びると弥生人が建国した箕子朝鮮を通じて弥生人は縄文人と共に日本に帰化した
>>297 より寒冷な山東半島で、同時期に稲作してたんですが?www
>>72 やっぱり邪馬台国のころは九州のほうが圧倒的に進んでたんだな
そりゃ邪馬台国は九州にあったと言われるわけだよ
>>16 違うぞ
まずは殷が崩壊して殷人が箕子朝鮮を建国する
この殷人が今で言う弥生人で親日家
数多くの殷人が日本に流れた
箕子朝鮮は亡びるが最後の王が馬韓をつくる
その馬韓が秦からの避難民を受け入れて領土を与えて
秦韓ができる
初めは馬韓の支配下にあったのが秦韓
やがて馬韓は百済になり辰韓は新羅になる
百済は弥生人の子孫なので日本には好意的だった
半島は河北と同じで寒いよりも水がない方がでかそうなんだが
試行錯誤しながら、乾燥に強い陸稲は半島へ
水稲は、高温多湿な日本へ。
分岐したのだろう?
>>179 > 半島の渡来人が稲作や文明をもたらしたって習わなかった?
> 不登校ひきこもりの妄想はいい加減にしろ
あんたアホか
研究がどんどん進んで過去の歴史はどんどん覆っている
>>179 みたいな何も新しい研究勉強してないアホが偉そうに語るとは笑わせてくれるわ
朝鮮半島は一切経由していない稲の品種が日本に伝わっているなんて
とっくに判明しているのに
最初に入って来た稲作である陸稲が半島経由で
揚子江流域辺りからの水稲はかなり後の時代だろうね
>>311 半島経由じゃない伝播もあったかもね、ってごく一部の農学者が言ってるだけで、
歴者学者や考古学者は100%半島伝播支持だよ、例外なし
>>312 朝鮮半島で栽培不可能な品種の稲が半島経由で伝わってくるとか理屈がそもそも破綻しているもんね
どうしても朝鮮半島経由にしたいヘンな勢力が学会に圧力かけてるみたいだけどね
日本で古墳の調査がまともに行われないのと一緒
>>314 はい、息を吐くように嘘を吐くネトウヨさん
もしくはそんなネトウヨを騙してDVDを販売している余命紛いの業者さん
いつものやつですよ
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kenkyu/hokoku09_2014_4.pdf 半島の青銅器時代の水田跡(p372)
変な勢力が学会に圧力をかけていると言うのなら、
そのソースを出してくださいね
そして半島で水田稲作が不可能だったと言うソースも出してくださいね
>>315 アホか オレが主張しているのは品種の話だ
江南経由の北部九州って
イネの遺伝子で決着ついたやん
>>316 あらそうですかあ?
佐藤洋一郎がみつけた半島を経由しない可能性がある品種はたった一つ
その佐藤自身もその品種以外は半島から来たって考えてますよお?
>>314 RM1はイネのDNAのSSRマーカー部にあるってだけで、RM1-bのイネが朝鮮半島で栽培不可ってことじゃないよwww
長江流域と畿内からしか出土していない石包丁のタイプがあるみたいやね
長江流域から直接渡来した集団がいたとしか考えられない
稲作は様々な時代に様々なルートで渡来したんだろうけど
イネとコメ 同じ対象に2系統の単語
稲作民も大きく分けて2系統いたのかも
>>321 だからソース出しなさいって、ネトウヨさん
あるいはDVD業者さん
国立歴史民俗博物館のHPより引用
水田稲作は、北部九州で紀元前10世紀後半に始まり、紀元前9世紀末に高知県へ、
紀元前7世紀初〜中には大分県や愛媛県など瀬戸内海西部でも始まりました。
紀元前7世紀末〜紀元前6世紀初に神戸に、紀元前6世紀に大阪で始まりました。
奈良盆地には、紀元前5世紀に到達しました、
約400年かかって西日本全体に広がりました。
※奈良で始まるのに四百年もの時間がかかったのは北部九州に来た江南人は非常に
少数だったから江南人と縄文人の混血して出来た倭人が東方へ稲作を伝えたからだ
江南人は福岡県の筑豊地方までしか住み着いた形跡が無い
>>1 >朝鮮半島から伝来し
さりげなくウソを言わないでほしい……
覆ったの知らないわけじゃないだろこの人
>>276 >大体は田を耕すのは男の仕事のはず
それもどうかなあ……
人口少ないから男女差がつけられるほど余裕ないと思うよ
>>326 二つの説あげているよ。
>>中国・朝鮮半島から伝来し
水稲と陸稲の経路。しかし航海術て案外進んでいた?それとも間に島々が点在?
>>32 渡島(北海道)の蝦夷が日本に救援求めてたろ
>>326 特に日本の文系アカデミーに多いけど縄文時代の遺跡や土器から年代を科学的に測リ約3万前から高度の文明あったと判明したのに固定観念強すぎてまだ朝鮮半島から文化伝来と説いてるのよなw
>>326 覆ってないよw
江南から伝播したなんて言ってる歴史学者、考古学者は皆無
>>332 考古学的には半島経由で確定してて、異論は全く出てない
>>333 え?古代の朝鮮半島に水耕稲作の形跡が全然無いのに?
>>334 全くないわけじゃない、たしかに水田跡は不明確だけど農具が弥生遺跡の出土品と酷似
朝鮮半島ではかなり早い段階で畑作が行われている
しかし水田に関してはそれに相当遅れる形になっている
というか「水田」遺構に関してはまともに出てこない
炭化米を証拠としてるが、水田の痕跡の無さから陸稲として作られたのが殆どだろう
あとの時代の水田も畑の付属物として作られる程度の物で、李朝に至るまでそういう方式を取ってる
朝鮮半島の気候によって水田よりも畑作が優越していた事による事情だろう
日本では縄文時代に畑作がなく(諸説あるが)水田の段階でいきなり耕作が始まる形
なので畑作がかなり早かった朝鮮半島の状況を考えると伝来に齟齬がある
半島からの耕作の伝来であるならば、、畑作が先行してもっと早く来てもおかしくないがそうなってない
そう考えると日本にも半島にも無かった水田が同時期に一度に持ち込まれた状況が浮かび上がる
経路が半島を通ったとしても、その伝播の主体は畑作を行っていた半島の人間ではなく外部から水田を持ち込んだ人々であろう
大陸との交流は縄文時代から行われている事から半島で行われていた技術が順に伝播すると言う話であれば畑作が先行してきてるのが道理だろう
ところが日本では縄文時代の終わりに半島でも痕跡がない水田が突然始まる形になっている
この事から日本と半島の両方にほとんど同時に水田を伝えた存在がいたと想定できる事になる
前1000-800年頃というと周の成立と春秋戦国時代の幕開けの頃となる
混乱による玉突き現象的な形での難民の移動が水田技術の伝播の背景にあるのではないかと言う想像も出来る
周時代の渡来人も多く、混血し日本人に繋がる。
魏志倭人伝の距離測定は周出身?
陳寿は移したのみ。
日本の水田の開始は縄文時代晩期から始まったと言うのが現在の有力な説になっている
年代的にはだいたい前800年前後になるだろう
そうなるとこの段階でも水田跡がまともに出てこない半島の状況を鑑みるに、従来のように「技術が先行していた半島から稲作が来た」と言う想定が成り立たない
なので実際は「日本と半島に同時に水田が外から伝わった」
と言う方が自然だろう
そう考えると水田の伝播の背景には今までの想定のような単純な伝言ゲームではなく、
中国からの東アジア全体への一斉の技術の移動と言う状況が想定できることになる
また日本への稲作の伝来については
×「渡来人が直接来て伝えた」
〇「従来の住民が技術を輸入して使用し始めた」
という形になっている
この事からこれまでの説のような単純な渡来人による主導や、半島からの伝言ゲームという状況になっていないのが明らかになっている
それまで日本人が半島の畑作に全く興味を持たなかった事から、半島の人間ではなく水田稲作の技術を持つ人間との直接的な交渉が行われた背景が想定される
★ 瞬殺される在日韓国人のホルホル思いつきの病的捏造w
21ニューノーマルの名無しさん2020/11/14(土) 03:09:22.12ID:BGrFjiaU0
>>55 >>1 最も分かりやすい図
O1b2(L682) 朝鮮人固有の遺伝子
★ 在日韓国人
>>21の無茶苦茶な呆れる捏造を瞬殺する日本人の解説
189ニューノーマルの名無しさん2020/11/14(土) 09:30:56.36ID:Cdo44DOF0
>>356 福岡で出土する弥生土器が朝鮮半島南端部で出土することは
すでに20年ほど前から話題となり、日本の弥生人が朝鮮半島に
一時的に入植したり往来していたと考えられています。
朝鮮半島では縄文や弥生土器は出ますが弥生遺跡も縄文遺跡もありません。
但し弥生人の遺伝子といわれるO1b2についても日本と韓国では大きな違いが
あります。
そのうちのL682 (旧 XO-47z)を朝鮮人固有の遺伝子などというデタラメを
こういうスレッドで主張している人がいますがそれはウソです。
韓国では日本とは違うO1b2のタイプの L682 (旧 XO-47z)の種類は35%もありますが
これは韓国発祥ではなく、水稲文化の担い手ともあまり関係がないと言われています
つまり、韓国には本格的な水稲耕作をする弥生文化の担い手は殆どいなかったと
考えられます
そしてそ水稲文化にあまり関係ないとみられる韓国に多いO1b2 L682 (旧XO-47z)
は日本人では僅かに8%しか見つかりません
ですので日本と韓国ではO1b2が共通だというのもウソなのです。
日本人に多いO系のタイプは稲作弥生系O1b2は韓国や朝鮮半島全体
で少ないO1b2a1a〘CTS713 旧47z (O-47z)〙で、これが日本では30%
近くもいます。
日本人(大和民族、琉球民族)で高頻度に見られ、タイ人やインドネシア人など
でもみられる稲作倭人遺伝子ともいわれています。
つまりこの事実が物語っているように日本人は稲作弥生人なのです。
縄文人に関しても(日本人のベースと学術的に確定している縄文人)は
世界指折りの海人族で日本近海は隈なく活動圏としていました。
ですから朝鮮半島の南端部にも縄文人は入植していて、釜山・加徳島の獐項遺跡の
人骨(6,300年前:BC4,300年)が縄文と弥生人を混血させた現代日本人のようなものと判明し、
日本から現代日本人とほぼ同じ人間が島嶼部の地域に入植していたことも分かりました。
韓国人の共通ハプロと大まかに言われるO1b2(オーストロアジア語族)とO2(ハプロシナチベット)
ですが、縄文D1bが韓国人に見つからないだけではなく、D1bとともに日本人の根底の祖型である
O1b2に関しても共通性は少なく、日本独自ハプロタイプで70%以上を占めています。
ですから韓国人との共通性は30%ほどしかありません。
>>342 30%もあるのか?
江南との共通点は?
>>343 >30%もあるのか?
100%が国内の30%の地域に集中しているという意味
O1b2(L682) 朝鮮人固有の遺伝子
近畿あたりが最も朝鮮人に近い
地政学的に半島から稲作伝播が正しい
むしろトンデモを言ってるのは日本の学者
>>321 石包丁って原種にちかい深水たいぷの栽培じゃないのかなあ
>>344 在日が多いからね。
江南人と比較が欲しいところだな。
>>345 気候、風土、雨量も地政学だから、
水稲は日本、陸稲は半島では?
@半島でこの当時の水田跡が見つからず先行して定着していたと言う様子が見えない
A炭化米を根拠としても伝播のタイミングが日本とほぼ同時期
B畑作が先行しているのに日本では水田が受容されるまで交流があるにも関わらず全く受け入れられなかった
C半島は李朝時代まで基本的は畑作が基本
↓
×「半島に元々あった水田稲作の技術が伝播した」
〇「日本と半島はほとんど同時期に別な地域から稲作が伝播した」
と言う形になる
半島を経由してると言う形にしても伝播の流れはいままでの想定と全く違う形になると思われる
歴史的経緯を見ると春秋戦国時代の乱世の始まりで出現した難民などがその伝播の担い手になっていたのではないだろうか
>>349 息を吐くように嘘を吐くネトウヨ
ほれ、いつものやつですよ、ネトウヨ、
もしくはそのネトウヨを騙してDVDを販売してる業者さん
余命と同じ商法ですよねえ
青銅器時代の半島の水田跡
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kenkyu/hokoku09_2014_4.pdf (p372)
>>350 その資料はむしろよく読むべきだろう
列記されてる水田跡とされるものは青銅器時代前期末から後期に入っての物
早い段階に登場する稲は土地の調査から水田ではなく陸稲の可能性が高いとされてる
これは年代観としては前800年以降
しかも実際の水田としてハッキリした物が出てくるのは前400年くらいの後期
更に言うならこれも指摘した通り、水田の規模が小さく水稲が食糧生産の主体になってないとこれも書いてある
繰り返し書いたように
「畑作が先行してるが水稲稲作は日本に先行してる様子がない」
という点を書いている資料
>>350 確定要素も、伝播の立証もないよ。
(p371)推測のみだよ。
>>351 >>352 で、またその主張のソースはなしと
木製農具では開墾もままならないのが現実
昔の山城や大和地域は中央は池や沼が多数ある低湿地で
とても住めたり田畑できるようじゃなかった
この地域が干拓され始めたのはヤマト王権が成立したあとから
鉄材の生産が国産化された以降です
>>5 古墳って開墾した時の残土の山って説がある。
>>357 最初から墓目的で作られている
弥生時代後期後半頃の吉備や播磨の円形基調墳丘墓とその祭祀文化が奈良中央部に導入されて、発達し、
定形化した古墳、定形化した古墳祭祀となったもの
発掘調査成果や陵墓の整備調査などでもきちんと系譜は辿れて、証拠も多くあるので、多目的とか残土の山
などというアホな仮説は残念ながら考古学という学術の世界においては入り込む隙間もない
>>312 陸稲は6000年前の縄文時代には伝来している
3000年前(紀元前10世紀頃)に伝来したのは水稲方法で
長江流域から直接渡来してる
朝鮮半島での水稲栽培は遅い
鉄器は紀元前5世紀頃に北部九州地域に伝来したが
5世紀頃までは北部九州地域や山陰くらいまでしか普及していない
鉄器が日本列島全体に普及するのは鉄の国産化が進んだ5世紀以後だな。
>>354 3世紀に鉄器が普及していたのは北部九州や山陰で奈良県等からは鉄器は出土しない
当時の奈良地方では木製農具で開墾もままならなかった
魏志倭人伝によると北部九州の国々は戸数が多くこの時期に既に開発が進んでいたことが分かる。
>>357 最初はそうかもしれません。
考古学者・松本豊胤は「ため池造成や水田経営を積極的に進めた豪族たちが、自らが開発した地域を見渡せる場所に古墳を造営していった」と説明している。
>>353 ソースも何も君が持ってきたその資料に書いてあるよ
だからよく読むようにと言ってる
弥生時代の鉄器は
>>247に書いてあるように大変稚拙な物しかない
鍬や鍬のような開墾道具は弥生時代の後期後半後葉のほとんど弥生時代の終わりにようやく表れる
しかも実用に耐えない物で、鍛冶遺跡のレベルから量産も不可能で実際に数も20例程度しかない
弥生時代は石と木の時代で農耕を1000年続けている
鉄器による時代の変革などは起こってない
この時代の鉄器は石器の代替程度の物
鉄器による変化と言うのはイメージは鉄の出土が少なかった古い時代のイメージ
そういう動きは古墳時代になってから
実際に弥生時代開始が紀元前1000から前700年ごろにまで遡った現在において、
弥生の農耕に鉄などそもそも存在しえないのが明らかになってる
弥生時代は石と木によってはじまり、石と木で終わった時代
鉄器は補助的な石器の代替品としての意味しかない
弥生の鉄器は過大評価され過ぎていたと言えるだろう
弥生の鉄器の多くは鋳鉄。木製農具を作る道具だったと考えらそれ自身を農具とした訳じゃ無い。ノミの刃先とかそんな感じ。
後稲作は山東半島から対岸の朝鮮半島に渡り南下したと考えられいる。古代に稲作と外洋船を同時に持った文化が考えるにくいし、山東半島や朝鮮半島西部から古い稲作遺跡が出土する。
>>350 今と変わらんでしょ
日本から種籾と栽培法を盗んで栽培
そうしていつもの起源主張
大昔から何も変わってないのね
>>364 紀元前500年くらいから北部九州では農具に鉄器が取り付けられて農業生産性が飛躍的に上がったと考えられている
鋤先、鍬先、鎌の鉄器が多数出土している。
不耕起ってあんまり使われない言葉だね
直播とは違うのか
>>368 言葉の意味だけで言えば
不耕起ってのは、文字どおり農地を耕さないで栽培すること
直播は、育苗しないで農地に直接植える(あるいは播く)こと
例えば、
耕さなくても、苗代などで育てた苗を農地に植えて栽培すれば直播ではない
種を直接農地に植えても、農地を耕していれば不耕起ではない
>>367 それは出土状況からあり得ないことがすでに分かってる
上で書いたように鋤や鍬のような開墾道具は登場が弥生時代の終わりも終わりの段階
出てくるものも実用できないもので使用した痕跡もない
量産は不可能で実際に数も少ない
「鉄器による飛躍的な耕地の拡大」は事実誤認
弥生の鉄器は石器の代用品レベルの稚拙な道具でしかない
そもそも鉄器は中国ですらまともな使用が始まるのは春秋戦国の時代
紀元前600年頃
弥生の鉄を農業に結び付けると日本が鉄器で中国を先行してしまう事になる
日本の鍛冶遺跡の発掘状況や稚拙な技術からそんなことはあり得るわけがない
日本でまともな製鉄がはじまるのは古墳時代の5世紀末くらいから
ちょうど巨大古墳が作られる時代
仁徳天皇の開墾の話などが出てくる時期でもありこのころにようやく「鉄器を使った耕地の拡大」という姿が現れたというのが妥当
弥生時代の鉄器は明らかな過大評価
つまり
@弥生時代は鉄器がない段階で始まり
A鉄器がないまま数百年を経過し、鉄器があろうがなかろうが関係なく全国に水田が作られ
B鉄器が開墾農具として全く意味をなさない稚拙な段階のまま古墳時代になった
というのが現実の弥生時代
弥生時代の農業というのは木と石で行われていたということが分かる
本当に鉄器が農具として活躍するのは古墳時代の4世紀から5世紀になってから
なので
>>1のような弥生時代と古墳時代の農業の差を検証するという実験が意味を成す事になる
>>372 鉄器の浸透具合を見ると九州〜山陰、北陸に集中してる
内陸までの鉄器文化の伝搬速度は驚くほど遅かった時代だとよくわかる
そもそも耕起がされてきたという通説には根拠があるの?
>>373 弥生時代に人口の多かった地域は九州〜山陰、北陸ってことだな
他の地域が追い付いて来るのは5世紀以後。
>>44 大陸人というあいまいな言い方はミスリード
日本人は混血種ではあるが
『韓国人』と日本人は血の混じりは多くない
韓国人こそ封鎖的な社会で長年交配を繰り返してきたため
極端な糸目や高く隆起した頬骨等の特徴を色濃く保持した、ある意味『純血種』だ
>>1 中国朝鮮からというが、ウソだな
今の華南地方から伝わったんだなあ
1万年前、東シナ海は浅瀬の湿地だったからね
>>370 板付遺跡では水田への給排水を調整するための水路や堰は弥生時代早期の水田から備わっており、前期にはさらに大規模な灌漑施設をもつ水田となります。
水田の基本的な構造は古墳時代以降にも継承されるものであり、弥生時代のはじまりから、優れた水田稲作システムを大陸から受容していたと考えられます。
弥生時代早期から灌漑設備が整備されてた、灌漑設備の整備の土木作業には鉄器が使われていた。
>>378 繰り返し書いてるように弥生時代の鉄器は稚拙な道具しか存在しない
そして技術水準からまともな鉄器など作れなかったことが明らかになっている
なので「まだ見ぬ鉄器」などという想定も成り立たない
そして一口に「鉄器」と雑にまとめているのが、よくわかってない人を混乱させている要因だろう
これも上でで書いたように弥生の鉄器は主に以下の物
・ヤリガンナ(木を削り板を作るなどの加工ができる)
・手斧
・細い鉄棒(主に細工に使う)
・鎌(これも後期後半にようやく登場)
水路に使う板の加工にヤリガンナを用いて削っている事をさして「鉄器使用」と呼ぶことが多い
これも別に鉄器でなくても出来る
なので別に鋤や鍬のような開墾用具があったというわけではない
弥生時代の農耕は石と木による物で鉄器は農業に関してはあってもなくても大した意味のない程度の役割しかない
水稲稲作栽培には二種類あるのを理解していないアホ共のくだらん書き込みが
多すぎる これが理解出来ればもやもやは一気に解決するのだが
お前らの知能程度では無理だろう
>>362 ほう、それは何ページに書いてあるんですかねえ?
灌漑なんかせんでも湿地に直接植えてたんやろ
熊本の菊池川上流にはデカい湖があったけど
それが弥生時代になるといい具合に湿地になり
米の一大産地になったからな、古代九州人口No1が熊本なのも
納得やな
>>371 鉄の農具が巨大古墳を作る作業を後押ししたということか
稲作なんて耕地造りに始まって苗から脱穀、保存までまとまった知識が必要なんだから
遠方より伝わったと言うより製造技術を持った民が移住してきたと考えるほうが合理的でないの
>>381 まず時代区分を確認してもらいたい
青銅器時代とは前1500-前400年くらいをさしている
さらにその詳細な区分として前期、後期としてるわけだが(392)、最古の水田とされる遺構は前期後半の前800年ごろとしている(368)
提示された表にしても列記されているものは前期末から後期の物ばかりでやはり前800から前400年に収まる
そして水稲が面積の大きさや稲や立地の分析から補助的な物、もしくは陸稲であくまでも畑作が主体であったと論じている(368-371)
表中に一つある前期前半の最古とされる密陽琴河里遺跡の水田跡も(371)ここだけ突出して先進的な水田を擁している姿と、
後の時代の土器の供出、これに先行する前身的な水田がないなどその時代設定を危ぶむ意見が提示されている
またこの記事中ではあくまでも前期後半に前身的な水田が表れ、そのあとにこの進歩した形の水田が出たという説が提示されている
なので表の前期前半という記事はただの想定に過ぎない(368)
つまり朝鮮半島の前800年を遡るような水田は発見されてないという事になる
これらを総合して考えると指摘した通り以下のようになる
@朝鮮半島は畑作が主体で水稲は前800年ごろに前段階を踏まずに出現している
A日本は畑作を受容せず水稲の段階で突如として朝鮮半島と殆ど同時期に水稲を行いだすなど単純な伝言ゲームの体をなしてない
B朝鮮半島の水田はあくまでも補助的な物で先進的な水田の出現も前600年ごろになるので特別な先進性があるわけでもない
となる
この資料はそういう事が書かれている
養蚕が半島より速いんだから水田も江南からの方が先なんじゃね?
>>385 だーかーら
水田稲作は日本より半島の方が遅いってどーこーに書いてるんですかあ?
DVD販売業者さん
>>385 妄想ネトウヨさんなのかな?
俺が出したソースには全くないことを
書けば、みんなが信じると思ってるのかな?
それとも強引に適当に書き込めばNETOUYAが
新たに金をつぎ込んでくれると思ってるDVD業者さんかな?
>>387 どこにもそんなことは一言も書いてないが
水稲稲作は半島にも日本にも前800年頃という殆ど同時期に表れていると言ってる
資料だけではなくレスもちゃんと読むべきだろう
>>383 この時期の大王権力の飛躍的な拡大はそういう技術革新と定着が背景にあるのではないかと想定される
まだこの段階だと砂鉄によるタタラ製鉄は成立してない
なので鉄資源は朝鮮半島に求められることになる
神功皇后以降の大王がみな朝鮮半島の権益獲得に動いていた背景には鉄資源の確保があった可能性もあるだろう
事実、タタラ製鉄が始まる頃になると日本は半島進出への興味を失う形になる
タタラ製鉄が発展した背景にはそういう事情があったのかもしれない
>>389 ほとんどトランプ
日本から半島へ稲作が伝わったという自説を
もはや主張することもできないし、小手先でどうにかしようと
色々破綻しても、「していない!」と主張するだけ
NETOUYO,NETOUYO,NETOUYO!
4 MORE YEARS 4 MORE YEARS 4 MORE YEARS
トランプと重なって聞こえるDVD販売業者さん
現代人の感覚で物事を考えても答え出んやろ、稲作なんて毎年当たり外れのある博打やし、そんなもんに労力かけるわけないわ、簡単な造営湿地に籾巻いて放置とか、半島から使い捨て奴隷連れてきて灌漑やらせて野良仕事全般やらせるとか、そんなもんだろ。
日本最古の菜畑遺跡の水田は水路や堰を用いた水の導入、上で指摘のあった板で作った畔があるなど水田としての本格的な様式を備えている
年代の判定は慎重に行うべきだろうが、少なくとも前800年前後には日本でしっかりとした水田が作られているとわかってる
なので鉄器など無くても水田耕作は十分に可能であると日本、半島ともに示していることが分かる
弥生時代の農耕は石と木で始まり、石と木で最後まで続いた時代だといえるだろう
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