47都道府県と中国・北京の漢民族を対象とした「クラスター分析」
今日の日本人は、1万年以上前から日本にいた「縄文人」と、3〜7世紀に移住してきた「渡来人」との混血した子孫と言われています。
これまでに、日本を7地域に分けて遺伝的な違いと調べた研究がありますが、中国・四国地方は含まれておらず、日本人の正確な遺伝的構造が分かっていませんでした。
そこで東京大学大学院 理学系研究科は、日本人の遺伝的構造を47都道府県レベルで分析し、その詳細を初めて明らかにしました。
10月14日付けで『Journal of Human Genetics』に掲載された報告では、朝鮮半島に地理的に近い九州北部より、四国・近畿地方に渡来人の遺伝子が強く見られたと述べられています。
■関東と中部地方は遺伝的に近縁ではない?
研究チームは、ゲノム解析サービス・HealthData Labから約1万1000名のSNP遺伝子型データを用いて、日本人の遺伝的集団構造を調べました。
SNP遺伝子とは、ヒトDNAの塩基配列(A/T/G/C)に0.1%ほどの違いがある中で、1つの塩基の違いによるもの(一塩基多型、SNP)のことを指します。
その中でまず、日本人の遺伝子は、「琉球人(沖縄県)」と「本土人(他の46都道府県)」にはっきりと分かれることが確認されました。
遺伝子クラスターは大きく3つに分けられる
次に、47都道府県から50名ずつランダムに選んでSNP遺伝子を調べ、そこに「中国・北京の漢民族」も含めたクラスター分析を行っています。
その結果、日本人のクラスターは、「沖縄地方」「東北・北海道地方」「近畿・四国地方」「九州・中国地方」の4つに大別されました。また、関東と中部の各県については1つのクラスターに収まらなかったようです。
これは、関東と中部地方が遺伝的に近縁ではなく、2つをまとめた遺伝子集団の研究は適切でないことを意味します。
■九州北部より「四国・近畿」の方が”渡来人”に近いことが判明
さらに、47都道府県を対象に主成分分析を行いました。
主成分分析とは、データの指標(次元)が多すぎる場合に、わかりやすく全体を1〜3次元にまとめるデータ解析法のひとつです(詳しくはこちらから)。
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その結果、第1主成分は、沖縄県と46都道府県との遺伝的距離を反映していました。
図を見ると、沖縄県と遺伝的な最も近いのは鹿児島県で、次いで九州と東北も近く、最も遠いのは四国と近畿でした。また、四国・近畿地方は、地理的に近い九州北部よりも、中国・北京の漢民族と遺伝的に近縁であることが判明しています。
それから、第2主成分は、各都道府県の緯度・経度と強く関係していました。
主成分分析の結果
この結果は、「縄文人と渡来人の混血の程度」と「地理的位置関係」が、本土人の遺伝的な地域差を形づくっている原因であることを示します。
従来は、本土人のDNAの8割は渡来人由来とされていますが、四国・近畿地方では、もっと多くの渡来人が流入していたのかもしれません。
このデータを応用すれば、日本列島における縄文人と渡来人の混血の歴史がより詳しく理解できると期待されています。(大石航樹)
2020/10/16(金)
https://nazology.net/archives/71445
★1:2020/10/20(火) 22:45:15.60
http://2chb.net/r/newsplus/1603368852/ >>1
https://www.nature.com/articles/s10038-020-00847-0
PCAプロットは、近畿および四国地域の都道府県が他の地域よりも遺伝的にCHBに近いことを示唆しています。
更にf2統計を比較すると、近畿地方と四国地方の都道府県は、他のほとんどの都道府県よりもCHBにかなり近いことがわかりました。
東北と九州の個体は縄文人に遺伝的に近いようです。一方、近畿と四国の個体は、東アジア大陸からの移民に遺伝的に近いようです。
日本の47都道府県のうち、奈良は遺伝的にCHBに最も近いことがわかりました。
私たちの知る限り、本研究は、四国地域の人々が漢民族に遺伝的に近いことを示した最初の研究です。
四国の人々のゲノムに関する研究は、東アジア大陸からの移民の遺伝的背景を解明するかもしれません。
アイヌの人々は北海道に住んでいますが、北海道の住民のほとんどは明治時代以降に日本本土からやってきた移民の子孫です。
したがって、アイヌは琉球人と遺伝的に類似しているが、北海道の現代人は琉球人と遺伝的に類似していないことに注意する必要があります。
九州の都道府県の中で、鹿児島県は沖縄県に最も近い。しかし、九州北部の都道府県(福岡県、佐賀県、長崎県)も沖縄県に遺伝的に近いのは驚きでした。
前述のように、北部九州の人々は、漢民族に遺伝的に近かったわけではありません。今回の結果は、九州北部に住んでいた縄文人と移民があまり混ざっていなかったことを示唆します。 11,069人のゲノムSNP遺伝子型に基づく漢民族と比較したクラスター分析とは別の、
ADMIXTURE混合分析の結果(個人の縄文成分の割合)。
47都道府県のランダムにサンプリングされた50人のもの 50×47=2350人
東北と九州は近畿と四国の2倍。
沖縄は更にその3倍。
個人差大きめ。 50人ずつとはサンプル数が少なすぎるし、
「両親とも、3代以上にわたってその地に住んでいる人」などの条件をつけなければ、
都市部ほど、よそから引っ越して来た人の可能性が高いと思うが
その辺どうなるんだろう?
例えば東京都のサンプルなんて、仕事や進学でよその地から引っ越して来た人ばかりなんでは?
>>1
半島の願望を科学でデッチアゲますたの巻
にんにん >>2
ちょっと前に見たネットニュースだと、
愛知とか岐阜とかの東海とか中部までが東日本グループだった気がする
古代は東日本に縄文人とか多かったらしいから、西は愛知ぐらいまで
分布してたということかな こういうのはそもそも研究するベースとなる事実がおかしいから
意味があるとは思わない。
>>2
違う人種だぞ、ノーベル賞が取れるか取れないの違いがハッキリ 朝鮮人の棲み家ってことか
道理で荒っぽい人間が多いと思ってた
北海道と東北クラスターと書いてるから
北海道の先住民と東北民は同じアイヌ系統なんだろ
ゲノム分析で何年前に分化したかかなり正確に解るはず
神武東征は朝鮮から渡ってきた侵略者が原住民を滅ぼした戦いなのだろう
大和人は漢族と半島人のハイブリッドです
ふつーに考えてわかるだろ?
>>1
(1)記紀を編纂し、国記・天皇記を焚書した渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった ( )
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった 万葉仮名のもとになったのが吏読(漢字による朝鮮語の表記方法、三国時代に始まった)。
万葉仮名は呉音で読みを当てる。
呉音は「対馬音(つしまごえ)」とも言われるように、朝鮮半島経由で入ってきた、>>19 関西は古代中国の歴史と文化を受け継いだけど
関東は朝鮮系の遺伝子を受け継いでいました
群馬県の由来(朝鮮が由来の説)
chimei-allguide.com/10/000.html
神奈川の由来(朝鮮が由来の説)
chimei-allguide.com/14/000.html
高麗郡 - Wikipedia
高麗郡(こまぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった群。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E9%83%A1
高麗山 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%B1%B1
>高麗山(こまやま)は神奈川県の平塚市と大磯町に跨る山。
>名称は高句麗(中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域)からの渡来人に由来するといわれる。
大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは唐と新羅が権勢を揮い、663年には
百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗も668年に同様に
滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした
大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として
日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、
関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡・新羅郡→新座郡)。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9
武蔵・相模の地は、高麗・高句麗・百済・新羅など朝鮮半鳥系の帰化人によって開拓され、
武蔵の区域は二 分裂し、互に本系を表示する「宗国」「主国」の意を古朝鮮語の訓で称え
「ムネサシ」と云い、 一は「胸刺」の字をあて、一は「ネ」が略された「牟邪志」の字を
あてて表わしたもので、 これに対して相模の地域の方は、本系を表わすのに「真」を
用いて「真城(マネサシ)」(真倉)といい、 これが後に相模の枕言葉になったものである。
www5.tok2.com/home2/okunouso/0111.htm
666年 百済人2000人を東国に移す。
684年 百済人23人を武蔵に移す
687年 高句麗人56人を常陸に移す
687年 新羅人を下野・武蔵に数十人の単位で随時移す
716年 甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野など7国の高麗人1799人を武蔵国に移し高麗郡を置
<続日本紀より>
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9B%BD
iwami.ota.work/history/tokyo-kudara.html
日高市では、「高麗(こま)」という地名や、「高麗神社」や「高麗川」などの名称を目にします。
これは、古代朝鮮半島「高句麗(こうくり)」と深い関わりがあったことを表しています。
716年(霊亀2年)に、「高麗郡」が置かれ、高麗人たちが移住しました
www.city.hidaka.lg.jp/tourism_environment/4/9/6734.html
>>17
大和民族はもともと
南方からの民族だぞ
コメの伝来から見ても解るだろう なんで今の自称漢民族と比較しているのかが
意味不明な研究だな。
漢民族って固定できないだろ、移動や虐殺繰り返しだから。
つい最近も民族浄化してるし。
日本人の方がおおまかに固まってから
長い時間安定してるんじゃね?
>>1
>>19
◆レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
◆梅原猛(愛知県出身。初代国際日本文化研究センター所長)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言う。』
◆池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
◆岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
○埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている。帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
○欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』 わが国では祖宗以来代々の天皇が甲冑を見に帯びて、親しく山川を跋扈せられ、寧んじ処るにいとまあらず、東の方では毛人五十五国を征し、西の方では六十六国を服し、 さらに海を渡って海北九十五国を平らげたとあります。
ここに毛人とは毛の多い人で、すなわち蝦夷であります。衆夷とは熊襲、隼人など、この系統の夷族が九州地方に多くの国をなしておったのを申し、海北とは申すまでもなく朝鮮であります。
こういうこよであって、つまり五十五カ国と六十六カ国と、九十五カ国と、この多くの国を代々の天皇の御陵威によって征服して、大日本帝国は発展したとあるのであります。
この蝦夷の国五十五とは、いったい何をいったのであったか分かりませぬが、渡って海北九十五国を平らげたと申すことは、これは事実であります。
やはりシナの書物でありますが、シナの三国の時、魏の歴史に、朝鮮の南部、すなわち日本に属しておった山韓地方の国名がことごとく見えております。
その数、馬韓に五十四国。辰韓に十二国、弁韓に十二国、合せて七十八国の名称が明かに出ております。これらがことごとく日本に属してしまった。
そのほかにもまだいくらも国の名が伝わっておりまして、わが「日本紀」ぬ見えておって、右七十八国に漏れたのもいくらもありますから、右の国書にいわゆる九十五カ国は決して掛値のない数であります。
この渡って海北平らぐること九十五カ国という数に掛値がないとすれば、したがって他の数も信じてよかろうと思われます。
商売人でも掛値をしない性質のものは、いつも掛値をしない、その言うところは信ぜられるのであるが、一つ掛値をすると、ほかの正札も怪しいと言って警戒をしなければならぬ。
しかるにこの「宋書」にあるわが国書の記事は、朝鮮のことが正直に記されているので、他の東の方の毛人、西の方の衆夷の記事も信用すべきものであろうと思われるのです。
ことにこの九州の衆夷六十六国は事実でありましょう。
福岡県とか佐賀県とか友達が結構いるんだが全然朝鮮人ぽくないもんななぜなんだろう 大阪の友人はみんなあっちの方の顔してるでも性格いいから全然気にしない
>>1
現代日本人は、現代韓国人と縄文人の間に位置する
江戸文化とされてた文化も実は関西や西日本の文化だった
(江戸時代に江戸が西日本の文化を吸収しただけ)
寿司(江戸前寿司)→なれ鮨や押し寿司、箱型寿司が原型。
落語→ おもしろみのある話の源流は『竹取物語』、
または『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に収められた説話にまでさかのぼる。
(ウィキペディア より)
大相撲(相撲)→奈良で神事として行われてたのが始まり。
歌舞伎→ 出雲の阿国が、京都の四条河原周辺で興行した踊りがその起源とされる。
浮世絵→ 「大和絵」が原型
東京そば→ 蕎麦は西日本発祥
では、本当の東京発祥の文化とは。
ロリコン文化
萌えアニメ文化
萌え漫画文化
萌えゲーム
HENTAI文化
アイドル文化
アダルトビデオ産業
女体盛り
痴漢
渋谷ハロウィン
韓流文化 (K-pop、韓国グルメ、等)
チーズホットク
チーズタッカルビ
偏向報道
反日報道
ノーパンしゃぶしゃぶ
プチエンジェル
(奇抜系、奇妙系、変人系、異質系、キワモノ系の近代文化は大体、東京発祥です
>>26
北京周辺の漢民族だろ
支配者層は変わっても北京の民衆まではそんなに変わらん >>37
というより、半島の人間が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。
その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が白村江の戦いで
朝鮮半島から、追い出され勢力を弱めると、近畿倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。 まだまだ日本には隠された秘密がある
敗戦国でありながら、存命を許された理由
島国でありながら、未だに米国や中国に飲まれていない理由
朝鮮人が自国民より優先される理由
>>27
だからハイブリッド
なんで日本人にO2b率が高いのかて話 47都道府県レベルで解析と言いながら
四国でくくるとは
つまり九州は奴隷で近畿の渡来人が作ったのが大和朝廷か
O2bが多いのは稲作民の背の低い下戸の江南人が来ているからかな。
>>41
>>44
朝鮮半島の無文土器=弥生式土器の元となった。このとき百済語(日本語)も日本列島に入ってきた。
江戸時代の末頃には、日高市・飯能市・鶴ヶ島市の全域と、狭山市・川越市・入間市・毛呂山町の一部を含んだ範囲を「高麗郡」と呼んでいました。
関西顔は芸人とか見ても独特だわな
関東来ると、西日本に比べて鼻が長く高い人が多いと感じる。
埼玉に朝鮮系が多いのは、関東の朝鮮人が埼玉に集められたから
埼玉はコリアンタウンだった
三種の神器の一つにもなっている勾玉は縄文時代以来の日本特有の文化で、
弥生時代古墳時代奈良時代と受け継がれている文化。
極めて重要な精神的な文化が継続して受け継がれている。
渡来人が優勢な民族として縄文人を滅ぼしたのなら勾玉は受け継がれなかっただろうし、
勾玉に変わる精神的な文化の象徴があってよいはず。
稲作文化の関係で渡来人=中国南部からの移民のイメージだけど
実際は中国北部から沢山来たって事なんか?
比較対象を北京だけじゃなくもっと中国の広範囲でやりゃ良いのに
>>50
また関東人の醜いナルシズムかな?
秋葉原とか行ったら糸目豚鼻の平たい顔ばっかりじゃん
バラエティ番組の街頭インタビューに出てる東京人を見ても
目が細くて出っ歯の奴やエラ張ってる江戸っ子都民ばっかり >>55
稲作の伝来が、必ずしも人を伴ったものとは限らない。
稲作の伝来は、中国から、刈り取った稲穂とともに遭難して流れ着いた可能性はある。
中国人が何人か生きていたとしても、それは、文化や言語、人種に影響を与える、渡来人とは言えないレベルの人数だった。 高知県民のアイドル坂本龍馬って、写真から判断するとチョソ顔だよな。
脱藩犯罪者で、コロコロとスタンスを変える、英国の手先としての売国奴としか思えない。
だろうな
関西人ってあっちっぽい思考回路の人多いもん
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人全体の平均からは外れている』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が近畿地方に根を下ろしたといってよい』
▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼熊谷公男(東北学院大学教授・日本古代史)
『河内国(大阪府)が列島随一の渡来人(朝鮮半島)の集住地域であったことはよく知られている』
▼仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授・前近代日朝関係史)
『大阪、兵庫、京都の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める』
▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』
▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼清河八郎(出羽庄内の尊王攘夷派志士・19世紀)
『関東は剛強な気質で心正しく、人を憐れむ。上方は柔弱で事に堪えず、人を欺く』
▼向江さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼坂本さん(自動車第34連隊)
『うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね』
▼田辺聖子(大阪府出身・作家)
『浪速の男どもはみな争いごと好まず、膂力(腕力)にも乏しい』
▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
▼ウィリス(幕末の英国人医師)
『大坂は世界で一番面白くない都市』
▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』
▼高権三(韓国済州島出身・歴史学者)
『大阪の浪波子には朝鮮の人の血を受けていないものは、殆どない』
▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』
近畿人は美的センスが幼稚なので(物の考え方が現実的)こういう作品は生み出せない
阪神タイガースの歌
六甲おろし☆
作曲 古関裕而 福島県出身(東北人)
作詞 佐藤惣之助 神奈川県川崎市出身
全国高校野球甲子園大会 大会歌
栄冠は君に輝く☆
作曲 古関裕而 福島県出身
古関裕而はNHK朝の連続ドラマ「エール」の主人公のモデル
作曲数は数千にのぼる
日本の新しい文化を作った東日本の人達
弥生式土器のころの言葉は縄文語だよ。3~5世紀ごろまでかな朝鮮半島は
>>60
つまりお前みたいに妄想でヘイト撒き散らしたり関西叩きコピペ保存して大喜びで貼ってるようなのが日本人らしい発想だってこと? >>59
写真二つあんだよ
じゃあユダヤ士族
相手を敬い立てるなんてことチョンにはできないだろ 半島の日本語は欧米人が研究している。気長に待つべきでは、急ぐ必要もないし
縄文系が多い沖縄や東日本人ってK-POPや韓流に夢中になってたりするよな
新大久保も大人気だし
自分の顔が濃いから薄い顔に惹かれるのかもなぁ
東海、近畿、山陽
近畿を中心に、西は山陽、東は東海道が頭の形でも顔の釣り合いでもだいたい共通の特色を示すことは前にもいった。近畿は、奈良、大阪、滋賀、京都など長く日本の中心であったところを含んでいる。
それだけに、そこに住む人々は、いわば現代日本人の中心的な、あるいは代表的な人たちと見てよいかもしれない。つまり、その人たちの特質は平均値的な日本人の特質を示すということがいえるだろう。
この代表的な近畿人は、頭は丸く、短頭で、顔は面長、アゴはそう張らず、目は一重瞼、鼻筋はまっすぐに通っているが、時にはワシ鼻みたいに中高なのもある。
ヒゲは少ない。耳タブは丸いのが少なく、流れ型がそれだけ多くなる。だが、歌麿描くところの浮世絵のように目がキリリとつり上がったのはそう多くはない。
こういう一般的な型が東海から関東に、そして西は山陽のほうにゆくとしだいに少なくなってくる。
関東では、神奈川、千葉くらいまではまだ面長の顔もかなりあるが、北になると丸顔に席をゆずり、山陽道も広島県あたりでは面長はかなり少なくなってくる。
>>62
近畿人は物の考え方が現実的なので
センスがあまりよろしくない。
こういう人が出にくい
円谷英二 福島県須賀川市出身
「ゴジラ」「ウルトラマンシリーズ」で知られる世界的な特撮監督
日本の新しい文化を作った東日本の人達 >>56
いや、関東人じゃない西の者だから感じるのよ。
西は中国人に近いんだよな。 関東
その昔、東夷の地といわれた坂東、関東の地は日本の歴史の初めの頃はまだ完全に日本ではなかった。京あたりの人々とは文化段階の相違のほかに容貌の相違もあった。
男はヒゲ面が多かったが、勇猛だったので頼もしがられた。が、女はどうにも美人というわけにはいかない。これが、「東女に京男」のことばが生まれなかった理由であろう。
しかし、勝鹿の間間の手古奈は心やさしい美人であったと京まで名がひびいたくらいだから、美人がいなかったわけでもないが、それは多分、丸ポチャのピリカメノコだったのだろう。
関東北部から福島、磐城にかけては丸顔が多く、面長は少ない。鼻筋がスーッと通っているのも少ないし、小鼻があぐらをかいているのが割りと多い。
健康そうだが、昔の美人コンクールでは入選圏どころか出場資格すら与えられなかっただろう。その反面、耳タブはスーッと流れた流線型がかなり見られ、唇も厚く、
情熱的なものがちょいちょい見られる。目も、美人画のように少しつり上がったのがかなり出てくる。
石川啄木、宮沢賢治、斎藤茂吉、詩人や歌人は東北に多い。遺伝子が関係しているような気がする。
>>47
下戸遺伝子は寒冷地適応の一つ。寒冷地で誕生したもので、江南で誕生したものではない。
寒冷地適応した人が同心円状に広がって、あとはそこの環境によって生き残ったり死んだりした。
したがって、下戸遺伝子が共通するからと言って、両地域で人の交流があったことを意味しない。
37ニューノーマルの名無しさん2020/10/15(木) 19:54:54.05ID:q6W7Mr1s0
アイヌが、エミシなどの縄文人直系の末裔ではないというのは明らか
北海道のアイヌは、北海道の先住民(縄文人)とは別の
北方から南下してきた「オホーツク人」
オホーツク人の中に、縄文系の中には無い
アイヌが持つ遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され
「アイヌ」と「オホーツク人」との“遺伝的共通性”も判明している
HLA IおよびHLA II遺伝子、ならびにHLA-A、-B、
および-DRB1遺伝子頻度の遺伝分析では、アイヌをアメリカ大陸の先住民族
特にトリンギット島などの太平洋岸北西部沿岸の住民に関連性が高い
アイヌといくつかのネイティブアメリカングループの主な祖先は
シベリア南部の旧石器時代のグループに遡ることができると示唆されている
北海道大学の増田准教授らは『オホーツク人』のなかに
「縄文系には無いが、アイヌにはある遺伝子」のタイプを確認した
北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の子孫ではないことが
明らかになった」と、分析結果を評価する
asahi.com/culture/news_culture/TKY200902040080.html (「朝日新聞」リンク切れ)
https://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/ce5b14119ea056cc0903be78e906bdfc
近代に至るアイヌは北方渡来のオホーツク人(アイヌ)が進出してきて
その後、先住民である北海道の和人(擦文)と“交雑”したもので
北海道の近代アイヌが、縄文人直系の末裔
(縄文→続縄文→擦文)ではないというのは明らか
オホーツクより北海道に南下してきた好戦的な民族が
縄文時代から北海道にいた人々を征服したが
このアイヌらは女性と子どもは殺さず
女性たちに自分たちの子供を産ませた結果
北海道アイヌに縄文人のDNAが混入された
>>60
東京テレビ局のあっちぽい思考
「チーズタッカルビが日本で流行ってます!」
「チーズホットクが日本で流行ってます!」
「韓国の男性アイドルがとてもイケメンで日本で大人気です!」
「韓国の女性アイドルがとても可愛くて日本で大人気です!」
「韓国の政治でこういう動きがありました!」
「韓国でこういう事件がありました!」
「日本は過去に韓国にひどいことをした!悪!謝れ!賠償!」
「韓国は日本との縁が深い国です♪ 友好的になりましょう!」
東京人「うぉおおお、タッカルビタッカルビ!」
普通の日本人、西日本人「・・・うわぁ・・・」 だいたい縄文成分て何なん
遺伝子の塩基配列なんて崩れていて原型なんかないだろうに
よく信じられるよな
Bの奇習 おっといよめじょ 旅娘輪姦 おじろく・おばさ
朝鮮にも同じのあるからな
これでB起源が明らかになった