編集委員 高井宏章
ウォーレン・バフェット氏が率いるバークシャー・ハザウェイの動向が注目を集めている。新型コロナウイルスの経済的打撃が広がるなか、航空や金融など米大手企業の株式を次々に売却。巨額のキャッシュを積み上げたまま静観するバフェット氏の姿の向こうには、世界経済の「日本化」の影がちらつく。
1〜3月に米ゴールドマン・サックスの保有株8割など大手金融株を売り、4月にはデルタ航空の売却に着手。5月に入ると、大手地銀のUSバンコープ株を一部売却し、定時株主総会では大手航空株をすべて手放したと公表――。
最近明らかになったバークシャーの動きは「米国の成長に逆らうな」というバフェット氏自身の言葉と矛盾するかのようにみえる。
新型コロナを巡っては誤算もあった。2月にはバフェット氏は「10年、20年と米企業のビジネスに影響を与える問題ではない」「投資判断には影響しない」などと語っていた。現実には米国は世界最多の感染者を出すパンデミックに見舞われ、大量失業の危機にある。
本来、危機の時こそバーゲンハンティングに動くのがバフェット氏の真骨頂だ。2008年の金融危機のさなかには、当時の「株主への手紙」に記した「悲観は友、陶酔は敵」という言葉通り、ゴールドマンなどへの投資に動き、それは見事に報われた。足元の金融株売りは前回の危機とは対照的な動きだ。
何がバフェット氏にブレーキをかけているのか。ひとつは危機の性質の違いだろう。
08年の危機は、実体経済にも余波は及んだものの、金融の心臓部が急停止した真性の信用危機だった。疑心暗鬼が渦巻くなか、「バークシャーが出資した」という事実自体が信用補完につながるほどの神通力を持つバフェット氏は、銀行株への投資で自己実現的に危機封じの果実を得られた。
現状はといえば、銀行の資本は厚く、中央銀行は大量の資金供給で信用不安の芽を徹底して潰している。一方で実体経済の傷は深く、超低金利も含め、銀行経営には逆風が続く。
金融・財政の両面で各国当局が政策を総動員し、株価の底割れが回避されたことも、バフェット氏の出番を遠ざけている。バーゲン価格の出物が見当たらないのだ。
米運用大手のTロウ・プライスのグローバル・マルチ・アセット部門の分析によると、19年末の時点で先進国の株式や債券は投資指標から見て過去15年平均を大きく上回る「割高ゾーン」に軒並み入っていた。コロナショックによる株価急落でこの「総割高」状態はやや和らいだものの、20年4月末時点で米国株はすでに割高ゾーンに逆戻りしている。
特に復調が著しいのが成長株(グロース)で、昨年末並み、つまり「コロナ前」まで戻している。昨年末時点で1280億ドル(約14兆円)もの手元資金を抱えながら「我々の求める要件を満たす買収機会はめったにない」と漏らしていたバフェット氏のお眼鏡にかなう案件は、グロース株のなかには見つかりそうにない。
急落した割安株(バリュー)は指標面ではお買い得感が出ているが、こちらは経済の長期低迷という逆風を想定すると、手を出しにくい。Tロウの瀧川一ポートフォリオ・マネジャーは「バリュー株は全般に利益見通しが脆弱な企業が多い。インフレ局面に戻ってくればバリューにもチャンスがあるが、経済の『日本化』が懸念される中では復活シナリオは描きにくい」と話す。
バフェット氏は長年、総悲観の中で逆張りに動ける決断力と判断力を武器に高い勝率とリターンを得てきた。投げ売りされるグロース株をバリュー株のようなバーゲン価格で買い、いずれ経済が正常化するまで耐えれば、果実が得られる。
この定石が今回も通用するのか、不透明感は強い。コロナの影響が長引けば、総需要と物価の低迷が定着し、景気低迷で銀行は不良債権を抱え、国債発行の累増で財政と中銀のバランスシートに負担が積み上がるのは避けられない。デフレ・ディスインフレが居座る日本人にはおなじみの風景の中では、株価上昇は企業の成長より金融緩和頼みに傾きやすい。これはバフェット氏の好むところではないだろう。
どこかでバフェット氏が動くとしたら、2通りのシナリオが考えられる。
まず米国を含む世界経済の「日本化」懸念の後退、つまりコロナ・ショックからの完全復調が見えたとき。もうひとつは、たとえ「日本化」した世界でも割安だと確信できるほど米国株が下落したとき――市場でささやかれる「二番底」が現実になったときではないだろうか。
守りを固めるバフェット氏の姿からは、最悪期を脱したかに見える世界のマーケットが、なおコロナ・ショックの不透明な霧の中にいるという大局観が浮かんでくる。
日本経済新聞 2020/5/22 2:00
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59355060Q0A520C2I00000/