国内では駿河湾でしか水揚げされていない静岡県の名物「駿河湾産サクラエビ」が、2018年春、かつてない不漁に陥った。平均取引価格はそれまでの倍に跳ね上がり、地元の加工業や食堂は存続の危機に直面した。湾に流れ出る川の「濁り」や「獲りすぎ」が原因と指摘されているが、はっきりとした原因はいまだ分かっていない。問題が深刻化してから2年、「駿河湾の宝」は今どうなっているのか。地元は、不漁と海外産の台頭に加え、新型コロナウイルスによる需要減という「三重苦」に悩まされている。
■「一口で終わっちゃう」「今月はお金が…」購入ためらう静岡県民
今春、天候不順で9日遅れで始まったサクラエビ漁。水揚げされたばかりの生サクラエビを楽しめる特別な季節を迎えたが、時期を同じくして新型コロナウイルスの感染が拡大。政府が緊急事態宣言の対象を全国に拡大するなど大きな動きがあった。サクラエビの都内の消費はコロナショックが直撃する外食産業が主軸を担ってきた。今季は特にお膝元である静岡県内での消費が頼みの綱ともいえるが、食べ慣れてきた県民でさえ、コロナ関連で家計の支出が増え、価格の高まりにためらいを隠さない。
従来なら、季節限定の「ソウルフード」の出現を楽しみにしている人も多い初売りの日。静岡市清水区のスーパーは、目利きの地元の主婦の目を引くような上質なサクラエビを仕入れ、パックに詰めて開店を待った。応援価格で無理をして利幅を薄くしているが、仕入れ値が高いため、40グラム入りのパックが400円、90グラムで800円ほどだ。開店早々、すぐ買い物かごに入れる客もいたが、パックを見つめたまま考え込む人の姿も。家族の朝食に出したり、夕食に夫の酒のつまみにしたりと扱い慣れてきた中高年層の女性たちだ。「高くなっちゃったね」「うちの息子だったら一口で終わっちゃう」とため息を付いた。70代女性は「今月は特にお金がない」と話す。予想外の物品が急になくなる不安から、夫の当面の介護用品を買いそろえたためだ。「マスク不足でなぜトイレットペーパーが不足するか分からず、翻弄された。先行き不安もあるからぜいたくできないね」と言い、立ち去った。
■客に振る舞うものではなかったサクラエビ
サクラエビ漁は明治時代、アジ漁に出た漁師の手違いでサクラエビが大量に取れたことから始まった。「夜、ある程度の深さに群れを作る(その後の研究で、サクラエビは日中深海に生息し夜になると浮上、朝再び潜っていくことが判明した)」という習性が分かったことで漁が本格化。静岡の魚の一大消費地だった山梨県で価値を見いだされ、小さなエビは甲府市で「さくらえび」と特別な名を授かった。チルド配送が実現した1980年代までは富士山を背景に天日干しされた素干しが主力。由比蒲原地区の家庭では塩ゆでした釜揚げを良く食べたが、地元では飽きられていた。古老たちは「子どもの頃、山積みされた丼が毎食卓上に置かれた。それを見て『ああ、またか』と思った」と異口同音に思い出を語る。サクラエビ料理と言えば、の定番であるかきあげさえ「わくわくしなかった」と振り返る高齢者もいて、ごちそうではなかったよう。
食材として脚光が当たったのは80年代以降。全国放送の昼のテレビ番組や漫画で取り上げられ、県外から客が絶えず訪れるように。客に振る舞うものではなかったサクラエビの料理が各食堂でメニュー化され、一斉に売り出された。東京の市場でも居酒屋など外食産業や観光産業が需要を引っ張ってきた。
例年、春漁の序盤は天候不順に悩まされる。コロナショックに覆われた今季も漁に出た回数はまだ限られる上、一夜あたりの水揚げもわずかだ。
4/29(水) 16:03 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-00010000-at_s-l22
■「一口で終わっちゃう」「今月はお金が…」購入ためらう静岡県民
今春、天候不順で9日遅れで始まったサクラエビ漁。水揚げされたばかりの生サクラエビを楽しめる特別な季節を迎えたが、時期を同じくして新型コロナウイルスの感染が拡大。政府が緊急事態宣言の対象を全国に拡大するなど大きな動きがあった。サクラエビの都内の消費はコロナショックが直撃する外食産業が主軸を担ってきた。今季は特にお膝元である静岡県内での消費が頼みの綱ともいえるが、食べ慣れてきた県民でさえ、コロナ関連で家計の支出が増え、価格の高まりにためらいを隠さない。
従来なら、季節限定の「ソウルフード」の出現を楽しみにしている人も多い初売りの日。静岡市清水区のスーパーは、目利きの地元の主婦の目を引くような上質なサクラエビを仕入れ、パックに詰めて開店を待った。応援価格で無理をして利幅を薄くしているが、仕入れ値が高いため、40グラム入りのパックが400円、90グラムで800円ほどだ。開店早々、すぐ買い物かごに入れる客もいたが、パックを見つめたまま考え込む人の姿も。家族の朝食に出したり、夕食に夫の酒のつまみにしたりと扱い慣れてきた中高年層の女性たちだ。「高くなっちゃったね」「うちの息子だったら一口で終わっちゃう」とため息を付いた。70代女性は「今月は特にお金がない」と話す。予想外の物品が急になくなる不安から、夫の当面の介護用品を買いそろえたためだ。「マスク不足でなぜトイレットペーパーが不足するか分からず、翻弄された。先行き不安もあるからぜいたくできないね」と言い、立ち去った。
■客に振る舞うものではなかったサクラエビ
サクラエビ漁は明治時代、アジ漁に出た漁師の手違いでサクラエビが大量に取れたことから始まった。「夜、ある程度の深さに群れを作る(その後の研究で、サクラエビは日中深海に生息し夜になると浮上、朝再び潜っていくことが判明した)」という習性が分かったことで漁が本格化。静岡の魚の一大消費地だった山梨県で価値を見いだされ、小さなエビは甲府市で「さくらえび」と特別な名を授かった。チルド配送が実現した1980年代までは富士山を背景に天日干しされた素干しが主力。由比蒲原地区の家庭では塩ゆでした釜揚げを良く食べたが、地元では飽きられていた。古老たちは「子どもの頃、山積みされた丼が毎食卓上に置かれた。それを見て『ああ、またか』と思った」と異口同音に思い出を語る。サクラエビ料理と言えば、の定番であるかきあげさえ「わくわくしなかった」と振り返る高齢者もいて、ごちそうではなかったよう。
食材として脚光が当たったのは80年代以降。全国放送の昼のテレビ番組や漫画で取り上げられ、県外から客が絶えず訪れるように。客に振る舞うものではなかったサクラエビの料理が各食堂でメニュー化され、一斉に売り出された。東京の市場でも居酒屋など外食産業や観光産業が需要を引っ張ってきた。
例年、春漁の序盤は天候不順に悩まされる。コロナショックに覆われた今季も漁に出た回数はまだ限られる上、一夜あたりの水揚げもわずかだ。
4/29(水) 16:03 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-00010000-at_s-l22