https://www.nara-np.co.jp/news/20200424090514.html
弥生時代中期中ごろから古墳時代中期までの石製品を調べた結果、硯(すずり)の可能性があるものが全国で150例以上あることが分かったと、
柳田康雄国学院大学客員教授(考古学)が発表した。
確認事例は西日本各地に分布し、多くが地域の拠点集落で出土していることから、「当時、交易にも文字文化が浸透していたことが推測できる」としている。
纒向学研究センター(桜井市)の紀要で研究成果を報告した。
柳田客員教授は、扁平(へんぺい)な板状石材で製作された「方形板石硯」と呼ばれる石製品の確認調査を実施。
中国・前漢中期から出現したもので、日本では島根県や福岡県で発見されるなど確認事例が増えている。
これまで砥石(といし)と考えられてきた石製品も、摩滅による窪みの形状や墨とみられる黒色、赤色の付着物から硯と判断。
福岡県を中心に北部九州から近畿・北陸までで150例以上あることを確認した。
県内では、纒向遺跡(桜井市)で平成26年に出土した石製品(縦約11センチ、幅約7センチ、厚さ約1センチ)をはじめ、唐古・鍵遺跡(田原本町)や
布留三島遺跡(天理市)、新堂遺跡(橿原市)出土の計10例を挙げている。
大半は拠点集落とみられる遺跡から見つかっており、柳田客員教授は「一定の集落内にも識字階級が存在することを示唆している」と指摘。
「国内では弥生時代から、外交文書だけでなく貿易交流にも文字が使われていたことが考えられる」と話している。
おっ、記者名がスレタイに自動的に入るようになったんだな
覗き動画から卒業して今こそ
硯動画ですんずりするだはぁ
いぐべ
3000〜2000年前頃の長江流域からの移民が文字と共に日本に来てただろな
さいきん急に正直になりはじめたが何なんだ?
畿内派の重鎮が死んだとか?
次は九州の考古学者らがサボりまくってるC14年代測定だなあ
硯使うなら墨
墨ってあの形であの時代からあったの?
中国その他から文化はどんどん渡来するけど日本に文字はありませんでしたっていう不思議な結論に
学者さんがどうやって折り合いつけてたのか
>>12
折り合いをつけるために今まで硯の存在を隠していたわけだ
これに限らず偽書記紀との折り合いをつけるための隠蔽がはなはだしい
九州の学者研究者たちに極力C14年代測定を行わないように指導するとか
イヤイヤ測定したとしても記紀に沿うデータ解釈をするとか
いまの歴史学、考古学は完全に壊滅しているが
こういう発表を見ていると復興を夢見る研究者も多少はいるのだろう そういや九州国立博物館のみなさん
太宰府から出土した木簡の「削りカス」
ちゃんと保存してるよねw
まさか完全に破棄したりしてないよね?
そのうち硯みたいにきっちり公開してくれるよねw
>>11
そういや墨が全然付いてないように見えるのだが
ただの擦り石ではなくてかこれ 無能ジャップには文字の発明なんてウルトラCは不可能だからな
九州から大量出土したのは韓半島が伝えてやったよい証拠
そういや宮内庁もいろいろ隠蔽しているんではないのか?
そろそろ白状したらどうだ?
我々は旧記を保存しています
なので長田大塚古墳の被葬者を知っています
だから道路公団に圧力かけて山田SAの位置をずらさせました
ってねw
墨を擦るには硬い物質がいいなら
現代の科学力なら硯は石ではなく
チタンで代用できないの?
そのうち、ある日とつぜん法隆寺移築説が定説となったりするのだろう
現時点ではほぼ全ての学者研究者が首の骨も折れんばかりにそっぽ向いてるがw
Wikiもこっそり編集されるのかねえw
恥も外聞も節操も捨てなければやってられんな
いまだに偽書記紀に逆らえない学者研究者たちに心底同情する
>>10
炭素年代測定ってそこまでの分解能ないんだがw
そんなだから「これだから文系は」とかって煽られるんのよ(´・ω・`) >>21
なにをくやしがっているのか知らないが
そろそろ年貢の納めどきではないかね? 鏡とかに書かれてる文字とか見るに、大陸からの直輸入だとしても聖徳太子の時代から文字が発生だと諸々無理っぽかったんだよね
大陸の王朝に貢物して、その返礼で鏡もらったとしても、貢物とする為に富がなくてはいけなくて
その富は測量とか収穫量の計算とか交易での損益が出せないと出てこないからね
つべこべ言わずに赤村の古墳地形も調査したら良い
石室の有無なんかレーダー探査でわかるだろ
偽書記紀信奉者らが考古学界を牛耳っている限り死んでもやらないだろうが
しかしそのわりに正確な歴史が記録されるのは聖徳太子以降なんだよな。
継体天皇の在位年数は正確にはわからないし、没年も複数あって定めがたい。
継体天皇が大和に入るのにかかった年数も7年とも20年ともいわれる。
5世紀初めでこの程度の史実しか伝えられないのだから、それ以前については物語のようなもの。
同時代の朝鮮のほうがまだ正確な史実がわかる。
日本で初めて文字に記録した歴史が書かれるのは聖徳太子のころ。
よってその頃生きた人の証言が得られる6世紀半ばまでは、うすぼんやりとした歴史が伝わるが、
それ以前は物語であって、まともな歴史が伝わっているようには見えない。
倭の五王の遣使もつたわらない。広開土王碑に書かれた高句麗との戦いなどこれっぽちも伝わらない。
神功皇后の参観征伐は、斉明天皇のイメージで作られた架空の物語にちかい。
そりゃ福岡は大陸の各国の使者が常駐していたからね
2の累乗の重さの分銅のセットも紀元前の大阪で見つかっているし
弥生時代にはかなりの文明が流入していたはず
>>32
それで?
今の漢字と違っていたら、文字がなかったことになるのか?
意味不明なレスしてんじゃねえよバーカw 硯の隠蔽が解けたか
朝倉とか今治とか開聞とか徹底的に発掘してみたらどうだ
偽書記紀が吹っ飛ぶような遺構が続出するだろう
日本国の安寧を願い偽書日本書紀を編纂したであろう不比等の死から1300年
まさか彼も1000年以上経ってなお我が国の学者研究者どもが無知蒙昧のままとは想像もつかなかったろう
彼の呪縛を吹き飛ばすことが何よりの供養になる
>>39
考古学者「当時、交易にも文字文化が浸透していたことが推測できる」
アホ 「入れ墨用だろうな(怒)」
(´・ω・`) >>28
あなた歴史は無知ですよね
古事記は宮廷の女官の読書用ですけど日本紀の方は各氏の記録を総合的に皇室に対しての有利不利関係無しに詳細に記述されていますね
読んだことないです?
編纂に20年以上丁寧に時間をかけているのです
だから一級資料として海外の文献史学で使用されるのですよ
どうしてそんな出鱈目を流しているのです? 大阪歴博が「記紀に沿った解釈をするという傾向から脱却すべき」と言い
偽書記紀信奉の牙城たる纒向学研究センターが硯の隠蔽を解いた
ようやく偽書記紀信奉が崩壊しつつある
なぜ関東の部落に白山神社が鎮座するのか?
なぜ笏は飛騨の位山の木からつくるのか?
なぜ明治政府は全国各地の寺社で徹底的に焚書しまくったのか?
このへんも徐々に解明されることになるかな
そこまでいけば不比等もようやく成仏できるだろう
摺石じゃねえの?
墨も見つかってないし、同時期の文字物証もないだろ
>>43
考古学者「一定の集落内にも識字階級が存在することを示唆している」
アホ 「お雇い中国人が使ってたんだろ(怒)」
(´・ω・`) >>28
全部燃やしたからな
国記、大王記はともになぜか蘇我氏の邸宅にあったらしいぞ 銅鏡や鉄剣に刻まれた文字までは消すことができなかったんだよ
ワカタケル鉄剣は確実に倭製、倭人の文
5世紀には文字文化がちゃんとあったわけだ
大陸と外交してた国が文字使わないってことは無い訳で。
当時でも、既に何千年もの文字使用の歴史が有ったんだから。
あれ? 福岡中心に出土??
邪馬台畿内説の人、息してるぅ?w
弥生時代に文字があったかといえば、そりゃ普通に考えればあったよね。
だって弥生時代とは何かといえば親韓左派の両班のウリが言うとる通り、
偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人(ネトウヨの先祖)が
日本列島先住民族たる縄文人を駆逐した時代なわけでね。
弥生時代の開始や終局については諸説あるが、
紀元前500年ごろには釈迦牟尼も孔子も孫子もいて
それぞれ膨大なテキストがあるわけでねw そりゃあるでしょ、文字。
え? 釈迦牟尼は弥生時代にインドネパールにいたかもしらんが
仏典はまだ漢訳もされてないだろって?
うるせーよ、仏教の法(ダルマ)は
どこにでも遍在しているんだよwww
>>50
卑弥呼と魏も文書でやり取りしてるからな
当たり前だよな >>48
日本の巨石にも刻まれている
日本は世界最古の文明があったと言うこともわかってきてるしな >>49
そういや稲荷山古墳の主要部ってまだ発掘されてないよね
メインの石室が別にあるのはわかっているのに
さっさと発掘して「シキの宮」も確定させれば良い
偽書記紀の呪縛はもう気にしなくてよいのだから思い切りやったらいいのにね 弥生時代から漢字が使われていたとなると既に大きな政権があったことになるな
>>53
ないない
銅鐸に文字入ってないだろ
弥生土器にも縄文土器にも、古墳の石室内の壁画などにも文字は入ってない 金印を貰った時点で文字があったはずだろ
読み書き出来ない土人に文明の利器たる金印を渡さないよ
読み書きだけでなく 文化的な振る舞いが出来無いと一人前に付き合って貰えないし
>>59
外人が変な漢字のタトゥー入れてたりするだろ >>40
その可能性も否定できないんだよ
入れ墨や化粧や染料に使う顔料、棺に塗る朱、炭で漆を研いだ(こすった)可能性もある(なお、吉野ヶ里遺跡ではベンガラを用い筆で書いたような模様の土器が出土している)
なにせ、この柳田さんという元県職員一人だけが「墨用の砥石だ」と主張していて、他の考古学学者は概ね懐疑的だからね
重要なことに、この時代までの中国の硯は、陶硯(陶器製の硯)が主で、後の時代に石製に変わっていく
書と漢字が弥生時代の早い段階で中国から伝わったのであれば、陶器かその破片で出土する可能性のほうが高いわけだ(漢字と書が広まった可能性の高い飛鳥時代には陶硯が出土し始める)
そもそも同時代の文字資料がまったく出土してないことから、ローカルな仮説の域を出ていない >>58
高い硯は石だけど 我々の使う安いのは瓦だよ
妹に「段を取ったら硯を買ってやる」と言ったら、、、数千円したonz、、石製なのは小さくても高いんやで 中国人漢字使ってるんだからそりゃ弥生人も九州の人は使ってたさ
大和が遅れてたから日本史の教科書に嘘を書くはめになったわけで
>>61
守旧派の牙城たる纒向学研究センターが紀要に掲載したというだけで画期的
君も早いうちに転向したほうが良いと思うよ
遅れれば遅れるほど恥を晒し出世にも影響する やはり邪馬台国は九州だな
それが東征したか、機内勢力に滅ぼされたか
>>59
金印などの冊封された際に与えられる印は紙や木(竹)簡に押すものではなく、
文書や荷物を縛った縄の上に貼った粘土に押して、封印として使うものなんだよ
これを封泥と呼ぶわけだ
もしこれが破られたり、壊れたら、その国からの正式な書や荷物として認められなかった場合もあったわけだ
あと、当時は言葉さえ通じればよく、とくに書のやりとりは必要なかったわけだ
中国から見れば、夷人など攻撃してこずに毎年朝貢さえしてくればそれでよいだけの存在なわけだから >>64
実はお前のほうが共産主義的
そのへんに気づけないうちは偽書記紀信奉から抜けられんだろうな しかし弥生時代の木簡が出土しないのはなぜだ
本当に焚書があったのかな
偽書記紀〜って奴はIDコロコロして恥ずかしい奴だな
立場を偽って発言する左翼の特徴をしっかり備えてる
>>71
実はここに投稿しているのはほんの数人、多くて10人くらい
そいつらがそろいもそろってIDコロコロしている
そのひとりがお前
ウヨサヨ関係ない、そんなもんだ 3世紀まで「中国王朝との交流用のみに、渡来人の力を借りて文書作成」
4世紀「中国王朝との交流なし」
5世紀「倭の五王の朝鮮半島支配、中国王朝との交流再開、国内でのエリート層同士のやり取りに文字を使用」
6〜7世紀「仏教伝来とともにさらに文字が普及」
8世紀「正史編纂のため過去の文字記録を消去」
>>73
記紀編纂にともない紙、木に記された文字は完全に消されたわけだけど
一部、鉄剣に記された文字とか、仏像の内部の隠し文字などが消されずに残ったわけだ
法隆寺仏像の文字とか興味深いぞ どういう歴史的な経緯かは分からないけれど、日本語は古来から中国語の
表現を流用した中国語ピジンとして形成されている。
例えば、「う(浮)く」という動詞を見ると、「○く」は、○に何が
用いられるかにかかわらず、一般に自動詞として使われるわけだけど、
この場合、「う」は、中国語で皮膚(表面)を表す「肤 ピンインfū」
の流用。したがって、「う(浮)く」は、「表面化する(to surface)」
を意味する。「つ(着/付)く」の「つ」に対応する中国語の表現が
何であれ、「つ」が、"attach/touch"を表しているのは明らかで、
すると、「うつむ(俯)く」は、「う(表面/地表)つ(着)向く」を
表していることになる。「〜つつ」は継続的に「着いている」こと
を表すので、「うつつ(現)」は、「『う(表面/地表)』に継続的に
着いている」という意味で「現世」を表すことになり、「地について
いる」ことで「天(あま)」と対比される。
とても面白いのが「う(兎)」の一言で表現されもした「う・さぎ」だ。
実は、「う(兎)」は、水鳥の「う(鵜)」と共通で「う(浮)くもの」を
表している。「う(鵜)」が水中から浮かび上がってくるのに対して、
「う(兎)」は、叢/草群(くさむら)から浮かび上がる。「う・さぎ」
の「さぎ」は、「さ(裂/割)く」と共通で「合間を割く」様態を
表し、ぴょんぴょん「ちょっとした合間」に跳ねる様態に対応する。
>>76
こういう説はたいていトンデモ
の締め切りに追われた二流作家の思いつき 「うす(薄)」は、「薄っぺらい」という表現からもすぐに感じられるとおり、
「表面的/皮相的」であることだ。
>>72
まーた左翼の特徴発見
自分が日常的にズルやってるから他人もズルやってると思い込むんだよな
IDコロコロしてバレてないと思ってた?
自信ないなら黙っとけばいいのに 大多数のクソ真面目で守旧的な歴史学、考古学関係者らに申し上げたい
一部の関係者はすでに脳内転向を完了し偽書記紀脱却に成功している
これからはこれら一部のめざとい関係者と、今後入ってくる若手らが
偽書記紀脱却の流れを作っていく
これまでの守旧的な考えから逃れられないクソ真面目な大多数の関係者らは
この流れからも出世からも取り残されていく
あなたがたも早く転向したほうがよい
何より思い切って自分の研究や教育を行える大きなチャンスではないか
「うつ(映/写/遷/移)す」は、「う(表面)」に「つ(着)く」ように「する」
ことを表現している。
コロナをきっかけに全てが変わるよ
御用学者やってても金貰えるわけないからね
真の歴史を解き明かす時が来た
>「うつつ(現)」は、「『う(表面/地表)』に継続的に着いている」
>という意味で「現世」を表すことになり、「地について
>いる」ことで「天(あま)」と対比される。
中国語を流用した日本語のこのような表現の仕方は、日本語に
拘らずに外国語を参照するとすぐに分かる。例えば、英語で
"down-to-earth"と言えば、「現実的である」ことを意味する。
これは表現として、「う(地表)つつ(継続的についている)」に
ほとんどそのまま対応している。
>>71
最近は日本人がオモテナシや生温かい視線で見守るのをやめて瞬殺しだしたので
なんとか継体帝か田布施の与太話で駄々をこねたい在日韓国人ってだけ
こういう半島病>>83は治らない
その妄想話があまりにもホルホル自己満で過去の在日シロート本からの断片つなぎだから
レベルが低すぎで常に瞬殺状態 高句麗、百済、新羅→中国神話の子孫。中国の一部。
日本→皇祖天照大神の子孫。独立国。
日本土人を中国人が、漢字文化で教化
神武天皇が土器や石器でウホウホしてた頃、中国では金属使って農業したり
文字発明して歴史書書いたり、遠くにいる人と文通までしいた
日本土人は、中国人から文字教えてもらったり
金属の製法、農業の仕方を手とり足取り教えてもらって、文明人に進化できた
日本人の恩人は文明を授けてくれた中国人
日本人は、天皇の一族からはなにひとつ文明は学んでいない
やっぱニカワで固めた墨を使わないと木簡の文字が消えるから太古から使われてたのかな
>>88
古代から縄文や弥生の列島の民が海を越えて中国人との交易活動の中で大陸からの情報を取捨選択し
陸続きでもないのに弥生終期には呉にも魏にも丁重に扱われ銀印出ない金印を届けられ
韓伝よりも長く詳しい記述で記されるという朝鮮半島とは古代から別格の扱いだったということ >>88
よかったじやないか在日韓国人
確かにコリアの由来名の高麗は
モンゴル王朝だったな
高麗国は征服されたがモンゴルから八思巴文字や
その後の騎馬文化を与えてもらえたのだからな
その騎馬文化そのものも朝鮮半島が発祥のような顔をしてるが
今すぐやめな
お前らは何もないのにモンゴル蒙満族から与えてもらった側だ
何時の時代も盗人民賊で呆れる
騎馬文化と八思巴文字は朝鮮民族の2種の神器だからな
朝鮮民族は朝青龍関や白鳳関を家で祀って未来永劫たたえろよ >>81
>>88
倭国の交渉相手は当時の朝鮮半島の中で唯一そこだけ文明化していた中国の出先の飛び地の楽浪や帯方や熊津などの出張領域だけだから
それ以外の地域は半島の韓土人の荒廃の地でしたね >>42
>>54
無恥無知クラスターチョンマイブームの最新捏造語 ・・・・・ 偽書記紀wwwww 中国 日本人は黄色人種の世界的地位を向上させた
http://news.searchina.net/id/1620062?page=1
もし19世紀に日本が台頭しなかったら、アジアは第二のアフリカになっていた。
清王朝がアヘン戦争とアロー戦争で英国に敗れ、一部を植民地とされるなど、
西洋列強がアジアに迫る流れのなかで、日本が台頭しなかったらアジア全体が
アフリカのように西洋の植民地になっていた。
古代文明の成果を代表するのは中華民族だが、「近現代文明を切り開いたのは大和民族であり、
日本人である。さらに日本人は事実上、間違いなく黄色人種の世界的地位を向上させ、
アジア独特の発展の道を創造したと絶賛した。 中国メディア もし日本がいなかったらアジアは
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20191007001/
日本はこれまで3回にわたって欧米に自らを認めさせてきた
19世紀〜20世紀初頭にかけては欧州こそが世界の中心だった。
唯一の例外がアジアに存在した日本であった。明治維新を成功させると国力を急激に高めた。
2回目は第2次世界大戦だ。日本は最終的に敗戦したものの、東南アジアを植民地化していた
欧州の国々を東南アジアから追い出した。これが欧州に日本を認めさせることになった。
3回目は、戦後の復興と高度経済成長だ。日本は敗戦からわずか23年で英国やフランスなどの経済を
一気に追い抜いて世界第2位の経済大国になった。一時は米国の国内総生産の71%の水準にまで迫った。
米国の経済規模にここまで迫ったのは日本だけだ。現在の中国もここまで迫ることはできていない。
もし、日本が存在しなかったらアジアは干からびた魚のように、発展から取り残された地域であり続けただろう。 韓国人と違って日本人には自然に彫り深のDNAが入ってるから
西域ペルシア方面はけっこう入ってる感じがする
西日本は大体そういう流れなんじゃない?
吉本芸人のてつじさんとか小出さんなんかはそうだと思う
奈良の長谷寺の千仏多宝仏塔銅板のペルシア風様式などは有名で
長谷寺は波斯寺とも言われるくらい
日本の正史の記述では波斯人といってペルシア人が出てきて扱いは朝鮮半島族よりも上なんですよね
半島は中国の飛び地先進都市以外は文化もないから日本人は文明人にとっては朝鮮半島は
ほとんど素通りルートか寄港地だったね
>>91
聖徳太子は厩戸皇子
馬小屋で生まれたという意味だ
馬は高句麗から入ってきたもの
聖徳太子がどこの人かわかるだろう 偽書記紀というさえない造語に反応してくれる者がいて良かった
それが反省の第一歩だ
その歩を素直にすすめて偽書記紀の呪縛から解ければ未来は明るい
1000年以上も経過するのに未だに偽書記紀の呪縛から逃れられんとか
不比等の望むところではなかろう
>>68
朝貢を通した国際秩序の中で他国より有利な位置を得ようと、
当然、文字を使おうとする。 先週のクラスターチョン71、83、98
天皇家は朝鮮由来なのは常識だろw
天皇本人も言ってただろ
宮内庁はその事実がバレルのが怖いので、天皇陵の詳細な学術調査をさせないでいるw
★ここまでのまとめ
日本人の大半の祖先は、エベンキ集団の
朝鮮人または韓国人とほとんど関係なく、
韓国人に無い縄文D系遺伝子のおかげで
海を挟んで隣国の距離にありながら犯罪率
をはじめ基本的な国民性や性格が全然違う
事が科学の力でDNAレベルで立証され
つつある。
縄文人の南方ルートも解明されつつあり、奇し
くも稲作弥生人の本拠である中国南部の江南
地方と縄文人の故地が重なる様相を見せ始め
ている。
最先端の西域文明が集積する大陸の隋や唐
からの高度な文化が日本に流入する際、韓国
はその文物の経過地点であった。
その後に海路がより重要視されるようになり朝鮮
半島との関係は百済や新羅からくる援助要請や
人質としての王子受入れ以外は、想像以上に希
薄であった。
半島渡来人の大半は中国の掌の上で転がされる
朝鮮半島内の同族殺し合い
中国の圧政や中国東北部から侵略する満蒙族
から逃れ来た古墳時代中葉以降のボート難民であった。
在日韓国人は何も知らなくて故郷の朝鮮半島の
歴史も文化も知らないのに妄想を書き殴るだけ
である。
朝鮮半島からきたのが
のっぺり顔、一重まぶたの渡来系弥生人
小さくても政治組織ができれば最低記録は取る必要がある
逆に言えば記録も取れない文化度では国を作るのは無理
1万5000年続いた縄文をぶっ壊したのが
のっぺり顔、一重まぶたの渡来系弥生人
大和民族の先祖
渡来系弥生人はいまコロナウイルスを世界中にまき散らしている
中国人みたいなもんだな
得意のバイキン攻撃で縄文人を絶滅に追いやったのが
のっぺり顔、一重まぶたの渡来系弥生人 大和民族の先祖
>>97
違うよ
当時はすでに西域からの貴人がたくさん来ていた
その中には景教徒もいて救世主のような日本の貴人をそう呼んで肉づけた
高句麗とか微塵も関係ない ◆最新の先端科学の検証結果
DNA的にも文化風習的にも、朝鮮半島人は縄文人はもちろん
朝鮮人は弥生人ともほとんど何も関係がありません
寒冷な半島は稲作には不適で日本の水田耕作のパターンと違う農耕です
古墳時代に集団で日本周辺に漂着した逃亡半島難民はたくさんきたけど
難民キャンプ集落で隔離生活していたので日本人とは交雑する関係もなく
それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありません
朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです
弥生人(パッチリ一重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人)
弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心
古墳期以降の半島渡来難民(糸目一重の線目) = 朝鮮民族(肉食こうりゃん畑作人) ≠ 弥生人(水稲文化倭人)
というDNA調査結果
偽書記紀の呪縛から解かれると半島マンセーになるんじゃないかと
勘違いしている者がいるようだが逆だぞ
たとえば偽書記紀信奉者どもが唾棄している飛騨の口碑によれば今の皇族は日本由来で
半島というか新羅の勢力は皇族の大敵あつかいとなっている
そして古事記は新羅の影響下で改竄されまくった偽書という解釈であり
こんなものを後生大事にしている偽書記紀信奉者どもこそ反日ということになる
別に飛騨の口碑を信じろと言うわけではないが、偽書記紀信奉を止めれば
あらたな視点を自由に持てるということであり、それがいずれは主流になるということだ
守旧派の牙城だったはずの纒向学研究センターが大量の硯の存在を示す論文を紀要に載せた
ということはその流れの第一歩であり、この流れに乗れないものは出世も昇進もできなく
なっていくということだ
凹凸はっきり欧米人も気づく
同じ一重瞼でも
日本人と在日韓国朝鮮人>>51、72 、83、97、98、106、107は大違い
切り傷一重瞼の在日韓国朝鮮人たちID:BMbc0Ypk0の親戚の満蒙扶余系女子に囲まれる縄文弥生系自然ミックスの日本平均女子の皆藤愛子
★過去の研究〜近年の学術研究結果のまとめ★
@日本ヤマト最初の国家官製規格の前方後円墳ができたときの纒向では朝鮮半島の遺物がほとんど出ない
Aその時代から同一モデルを含め複数と考えられる半島王子と名乗る者が「聖人君子が日本におられると聞きまして参上いたしました」と
訪日するが、どれもよそ者でかろうじて任那からきたソナカシチは纏向染めの絹を土産に持って帰らせてもらっている
B倭王・武の雄略天皇は、 宋から半島の軍事顧問を任されている
C古墳全時代を通して朝鮮半島の使者で都まであがって天皇と会えた人間はほとんどいない
ほとんど全てが北九州で追い返しか、大阪湾の内湾南の難波館止まり
D厳格な都の中での肉食禁止令を徹底
E八乙女にしても八十島まつりにしろ、国家祭祀の中心から外縁までの全てが
海洋性神話にもとづく内容
F伊勢内宮のアマテラス大神の御神体の八咫鏡がおさめられてる箱も御船代
G大嘗祭で建てられる高床式の屋代家屋の屋根が温帯〜南洋の葉の束 (昨秋は秋篠宮様実費削減提言に沿って板葺き)
H古墳時代の天皇や大王級の御遺体を古墳に運ぶための葬送儀礼用の舟形木製箱
※ 朝鮮半島の文化要素がほぼ皆無ゼロ
🌟新羅本紀🌟
弥生後期 〜 古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、 韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」 脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、 不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。
在日隣国人には気の毒なんだよね
Y染色体D系という染色体グループは
アイヌや沖縄を中心とした日本人に顕著で
他にチベットは日本にしか頻出しない事が
科学的にここ10年で明らかになっている
特に現代の朝鮮半島人は数万年前に日本人とはDNA的に隔絶
在日隣国人は『反日種族主義』で断定されているように嘘吐きというだけじゃなくて
本当に無知が過ぎる
当時の日本の法律では朝鮮半島からの渡来は朝鮮蕃族扱い
つまり隣『国』扱いではない
しかも大半が大陸勢力に蹂躙される中での逃亡難民
済州島4.3事件や朝鮮戦争時など昔から歴史は繰り返す
日本にとっては古代から現在まで迷ずっと迷惑な半島難民
普通の反日だけにととまらずアイヌや沖縄の分断活動までやって
異常すぎる
反日三昧でアイヌや沖縄蔑視で本土人遺伝子にも基底から違うのにすり寄り
もう気持ち悪いからやめてくれないかな
>>112
木簡や竹簡を削る削刀や文字を書くのに使った机も硯と同時に出土してるからな。 日本人は古代からずっと海軍の強い海洋民族
朝鮮半島人が日本に来たとな?
来る来ないの前に海がダメ
航海技術うんぬんの前に泳げない
縄文人や弥生倭人に丸木舟や船を操舵してもらわないと
対馬海峡一つ渡れない古代からずっと非海洋民族
『韓国海軍に所属する軍人の約2万6000人が
このほど、水泳テストを行ったところ、63.5 %が
「まったく泳げない」もしくは「5分しか泳げない」
ということが分かった。4日、環球時報が伝えた。』
>>99
弥生時代にそんな国際競争意識が生じえたのかはかなりの疑問だが、いずれにしても、
漢字であると確実に判断できる国産資料は古墳時代中後期になるまでは一切出てこないので、
有利な地位を得ようとしたという根拠もないわけだ >>108
三韓のうち騎馬民族文化なのは高句麗だけ
聖徳太子の側近は蘇我氏と秦氏
蘇我氏の男系祖先に蘇我高麗がいる [ アリランという荒唐無稽な小説 ]
「反日種族主義」では韓国にはアリランという歴史小説があると紹介しています。 この歴史小説は350万部も売れたそうです。韓国で一番売れた小説。
この小説内で日本は韓国人に対して残虐非道なことをしたとして紹介されています。すなわち日本は韓国から『全てを奪った』とされているのです。
植民地時代に非力な韓国人に対して日本人がひどいことをしたという内容(『大量虐殺』など)。
それが韓国人に信じられ涙を誘い、多くの人が感動して読むようになった。
ただし証拠や裏付けはなく嘘の内容。 本来ならば小説の世界で終わる話ですが現実には多くの韓国人がその内容に共感し日本を憎んでいるということです。
最近でも韓国では歴史映画が多くありますがその中には根拠の無い内容や憶測、そして嘘も含まれています。そうやって嘘の歴史を国民に植え付けています。感情が豊かな韓国人は事実よりもそういった感動的な情報に流されるので簡単に騙される。
韓国の教科書はファンタジーとも言われ嘘が多いとされていますが、 それ以外にも小説や映画などに嘘が描かれそれが韓国国民に信じられ反日になっているという状況があります。
時の権力者が支持を集めるために映画などで国民の感情をゆさぶる手法を取っているようです。
朝鮮半島の歴史の大半が被侵略と被征服なので韓国人は征服や皆殺しという概念を使うのが好きなのです。
[ 嘘をつく国民 ]
・2014年だけで偽証罪で起訴されたのが1400人。
・日本の172倍、 人口で考えると430倍。
・詐欺総額は4兆5000億ウォン(4000億円規模)と推測されアメリカの100倍と報じる新聞も。
・人が人を信用しない社会で訴訟が入り乱れ民事訴訟の件数は世界最高クラス
[嘘を付く政治、社会]
・政治が嘘付きの模範となっている。
・嘘で選挙情勢などが変わることも。
[嘘つきの学問]
・政治が嘘を利用するようになったのは学問に一番の責任がある。
・大学が嘘の製造工場である。 韓国の歴史学は嘘を列挙すればきりがない。
・韓国人一般の通念である日本軍が慰安婦を引っ張っていったなどは真っ赤な嘘。
・それらしき学術で歴史学の嘘が固められている。
・朝鮮王国を日本に売り渡し滅ぼしたのは高宗であるが開明君主として崇められている。
[嘘の裁判]
・嘘の文化が裁判にまで 蔓延している。
・嘘の学問が嘘の歴史を作りその歴史教育を信じた人が裁判官になっている
・嘘の裁判結果が出るのも当然と言える。
・日本の朝鮮支配が非合法とする前提自体が間違っているので裁判結果もでたらめになる
・真実かどうか分からないことを調査もせずに 結論付けている。
< 反日種族主義 >
価格: 1760円
発売:2019年11月14日
ジャンル:ノンフィクション
販売元:文藝春秋
著者:李 栄薫(イ・ヨンフン)
「反日種族主義」はソウル大学経済学名誉教授である李 栄薫(イ・ヨンフン)氏らが書いた著書です。
韓国では珍しく「慰安婦は性奴隷ではなかった」「労働者の強制連行はなかった」とする日本寄り主張の内容の書籍となっていますが、本質はそこではなく韓国社会にはびこる嘘を問題視する書籍と言えます。
韓国では特に日本関連になると、感情が優先され嘘が多い。そのため、日本関連の考察に対する嘘を
引き合いに出して韓国社会の問題点を指摘しているということです。
すなわち著者は特に親日ということでもありません。 ただただ韓国にはびこる嘘を憂い、韓国の未来を
真剣に考えているということです。
>>123
日本書紀だけか記紀の両方だったか
あめ牛(黄牛)の話が載ってたよ
朝鮮ではそうとう古代から一般人が道端で
牛を捌いて食べてたようだから日本とは
まったく違う文化圏、民族だった 349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85 ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ
389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね
408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
444名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:30.02ID:0S+UDbW40
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する 邪馬台国は九州で間違いない
近畿圏の大和政権とは別
当時の日本は比較的温暖な九州の方が食料も文化も発展し易いと見るのが正しい
中国大陸とも近いし
卑弥呼は九州のどこかの国の長
近畿圏の大和とは別
この客員教授とやらは、親が有名な国学者で、七光で学者になったとかじゃねぇだろうな
>>133
小学生が「首相なんかたいしたことはないわ。俺でもできる」と言ってるのと同じくらい
恥ずかしい発言であることに気づけるのはいつの日のことだろうな
まあ、学力の低い子は好き嫌いだけで思考停止して、実体や現実を見ようとしなくなるからな
>>135
根拠のない陰謀論も思考停止の一種だな
硯らしいものは出るのに文字資料や、記録する資料(木簡、竹簡、墨書土器など)が破片すらまったく出ないというのはありえんよ
そもそも中国にあったような木簡、竹簡(細い板を糸でつないで紙のように文書として使えるようにしたもの)が弥生時代〜古墳時代の
日本列島にあったという証拠すらまったくないのに、文書を持たない権力者が何のために焚書したのかw
これが飛鳥時代になって国の形が定まって官僚制度が出来て、必要に応じて漢字が一般化して、地方でも書物が作成されるように
なった時代なら、そういう焚書もありえるかもしれんが >>137
木とか竹は土のphの具合によっちゃ溶けたり腐ったりしてしまうからなぁ…
中南米文明の考古学がこの辺の原因で色々難航してる >>133
何十年も捏造を誰も見抜けなかった藤村新一大先生の偉業ですね。 >>137
硯らしいものは出るのに文字資料や、記録する資料(木簡、竹簡、墨書土器など)が破片すらまったく出ないのはヤマト王権の成立時に大規模な焚書が行われた為だな
続日本記に記述がある
708(和銅元年)「山沢に亡命して禁書を挾蔵し,百日まで首せずんば,罪に復すること初の如くす」
記紀の編纂にあたってヤマト王権の正当を脅かし邪魔になるそれまでの資料を全て燃やしたんだな。 なんの文字かを書いてないな
漢字とはいわないんだな
全く出ないのはそもそも文字を持たなかったからだな
焚書ごときで全部無くなるなんて無い
文字を使える人がまだ少なかった頃の記録だからそもそも僅かしかなかったんだ
焚書されたら何も残らないな。
>>50
北部九州を中心とした当時の墳墓からは、いわゆる三種の神器と言われる剣・鏡・玉がセットで多く出土しており、それを継承する形で、近畿地方では、銅鐸文化が滅んだ後古墳時代が始まっています。
そして現在の皇室も三種の神器を引き継いでるわけです。この事は、自然に考えれば、300年迄九州勢力の一部が東征して、銅鐸文化を滅ぼし、古墳時代を始めたと考えられ、私もそうに違いないと思います。いやそうとしか考えられないのです。
古事記や日本書紀に記されている神武天皇の東征は、この時の事がモデルになったのでしょう。 北九州は縄文海人や弥生海人が多国語ペラペラで大陸では文字で簡易契約やってたんじゃね
>>144
刻まれてるのはハングルに決まってるだろ 奴国?(委奴国?)の使者が漢の国に朝貢したのが西暦57年だからその時に
奴国の使者は漢の首都洛陽で多くの漢字を目にしているはず、洛陽に行く前に
楽浪郡にあった漢の役所にも行っているからその時にはすでに漢字を目にしている
はずだから北部九州で漢字が使われ出したのは非常に早い時期と言う事になる
北部九州で漢字が使われ出した時,奈良はまだ文盲ばかりだったw
華南地方の文字文化地域から渡来したんだから、文字を使えて当たり前だ
半島から来たと主張している朝鮮猿と一緒にするなよ
殷の鬼道の影響も受けてるから占いの結果を書き残さない理由も無い
商人(殷人)が商人である理由も文字だろうな
と、尊大に構えていたら、文身の染料を擂り潰す皿だったりしてな
その場合は一気に土人国まで格下げだな
むしろ入れ墨が文字だった可能性がある
字が書かれた物があまり残ってない理由の1つだ
邪馬台国と狗奴国が戦争して邪馬台国が不利な戦況になった時に魏国から檄文が
卑弥呼に送られているから、卑弥呼は当然漢字が読めたと言う事になる。
弥生時代の北部九州は思った以上に文明が開けていたと言う事だ。
大陸が三国時代やってる時に日本列島でも群雄割拠の戦国時代やってるから
各地の勢力も強かったんだろう
魏がわざわざおもてなしする程度には重要な勢力が多かった
民俗学者の柳田圀男と考古学者の柳田康雄は親子関係は全く無い、
柳田康雄は福岡県出身だが柳田圀男は福岡県で暮らした事は無い
遺跡の名称は旧磯城郡纒向村の地名に由来し
これは垂仁天皇の「纒向珠城宮」から名付けられたものだそうだ
遺跡は三世紀ごろのものと考えられ
周囲には三世紀ごろの最大の墳墓・箸墓古墳など
邪馬台国の女王卑弥呼の墓ともいわれている
三世紀ごろには、本州にあった銅鐸は突然に消え
代わって九州の神器であった銅剣が祭られるようになっている
神武天皇の東征あるいは崇神天皇の四道将軍の派遣にあたるような
九州の勢力が本州に広がる。何らかの政変があったのだろうな
>>163
魏は使者を日本に送り
倭国の状況を調べさせ
邪馬台国が倭国の覇者と言えるだけの位置づけであることも確認している
狗奴国はおそらく当時、畿内に対抗した有力な国だろう
三世紀ごろには、崇神天皇や垂仁天皇の御代だろう
この時代には当時、日本を二分したと思われる戦乱の記録がある
崇仁天皇の時代に武埴安彦の乱
垂仁天皇の時代には沙穂彦王の乱だ
狗奴国とはこれらの国の事を言うのかもしれない 天孫降臨の伝承には、まず出雲での国譲りの伝承がある
そして出雲では、それまでの銅剣のトータルを凌ぐ、大量の銅剣が発見され
出雲の地に巨大な王権が存在した事が確実と考えられている
つまるところ、国譲りで出雲の神が神武の王権を認めさせる必要があった
その何らかの事があったって事だろう
私は事によったら。畿内は出雲の支配下にあった事を、これらの事例が証明しているように思わる
畿内が支配者だった出雲に反旗を翻し、王権を取った
そうした歴史的な事実を正当化するために、出雲の神を畿内の王権を認める
それが必要だったので、国譲りの神話を作ったのだろうとな
天孫の伝承に関しては、沖縄に独自の天孫伝承が残され
物部氏の書いたとされる『先代旧事本紀』にも天孫の記録があるからな
もともと各地の豪族はそれぞれ独自の天孫の伝承が残され
畿内に屈服した時、天孫がいくつもあったら甚だマズイので大王にその伝承の放棄が迫られ
各地の豪族は大王の分家という事にして、天孫の地位を守る事にしたのだろう
出雲には大国主を天孫とする神話がもともと存在し
畿内も一時はそれを認めていた。
そうした歴史が記紀編纂の時代には知識階級にはよく知られており
隠しようが無かったから、国譲りの神話で畿内の王権の正当性を明かにする必要があったのだ
そんで話を硯や文字に戻すが
何故、何百年も前の事であったろうことが、記紀編纂の六世紀にはよく知られていたか
弥生時代にすでに歴史書のような記録があったと考えれば説明がつくってわけだ
失われてしまったが出雲王権の歴史書がかつては存在したのだろう
>>156
漢字の読めない奴に「漢委奴國王」印をやっても仕方ないからな。 >>168
この人も九州から東征して畿内の銅鐸文化は滅ぼされたと思ってるはずだよ?九州からの平和てきな移転であって欲しいと思ってるだけだと思う >>168
もし邪馬政権が九州からの平和的な移転だとしたら九州の伝統文化三種の神器だけじゃなくで関西の伝統文化の銅鐸文化も入って4種の神器になってたはず!なぜそれをやらなかったと言うのは九州のご先祖様が関西は九州人が侵略したんだよって子孫に対してのメッセージだと思う