2020年2月5日、所属している旅行会社の担当者から電話があった。「3月6〜7日、7〜8日に予定されている長野発・伊勢神宮行きの1泊2日ツアー、2件ともキャンセルでお願いします」と伝えられた。
筆者の新刊『派遣添乗員ヘトヘト日記』
その担当者によると、参加予定者のキャンセルが相次ぎ、ツアー自体が成り立たなくなったという。その後、同社はゴールデンウイークまでのツアーの募集をすべて停止した。
「一般的に感染症による人的被害の予想は自然災害を上回り、戦争に次ぐとの見方がある」(読売新聞、2020年3月14日朝刊)という記事を目にした。
まさに新型コロナウイルスの感染症が引き起こした異変は、15年超にわたるわが派遣添乗員人生において、これまでに経験したことのない、ケタ違いの脅威となりつつある。
私はおもに旅行会社が主催するツアーの添乗員として、生計を立てている。私が添乗するのは、旅行会社が新聞広告やインターネットで参加者を募る、パッケージツアーと呼ばれる商品である。
こうしたツアーに同行する添乗員のほとんどが派遣会社に所属する契約社員、もっとはっきり言ってしまえば、日雇い労働者なのである。
例年だと、桜の開花時期となる3月上旬から下旬にかけては、この種の日帰りツアーの書き入れ時となり、ツアーは連日盛況となる。そうなると当然、派遣添乗員の出番も増える。
ちなみに昨年のこの時期(3月)、私は、泊まり、日帰り合わせて計15日分の添乗勤務があった。
日帰りツアー添乗の場合、日当1万円程度が報酬となり、旅行会社によってまちまちではあるが、ここに「前泊手当」「後泊手当」「車内販売手当て」などの各種業務給が加算される。
春と秋の繁忙期に対して、真夏や真冬は閑散期となり、添乗業務の数もぐっと減る。仕事ごとの契約になるため、仕事があれば給料が入るが、当たり前のことながら、仕事がなくなれば収入も途絶えてしまう。
年間を通すと、私の添乗員としての稼ぎは月平均で10万円程度であろう。だから、本当なら、この桜の時期の書き入れ時、派遣添乗員たちは稼げるだけ稼いでおきたいわけだ。
仕事は全滅、家でゴロゴロ
ところが、私は3月になってから、いまだ添乗員としての仕事をしていない。仕方ないこととはいえ、自然とタメ息が出る。それでもなんとか生活できているのは、今年67歳になる私の銀行口座に、月10万円弱の年金が振り込まれているからだ。
しかし、添乗業務だけで生活している人はそうはいかない。彼・彼女らは少なくともゴールデンウィークまでのあいだ、収入が完全に途絶える。その後の見通しも、現時点ではまったく立たない。
知り合いの添乗員は「この先どうなるかまったく分からない。とりあえず家でゴロゴロしているしかない」と嘆いていた。また別の同業者は「仕事は全滅。もしかしたら職替えしなくちゃいけないかも」とこぼしていた。
9年前に起きた東日本大震災のときにも、添乗員の仕事はパッタリ途絶えてしまった。旅行業は、平和産業である。平穏な世の中であってこそ、人々は旅に出ようという気になるのだ。
大震災のときにはしばらくの間、日本国中に自粛ムードが漂った。そのために人々は旅行に出かけるという気分にはとうていなれず、ツアー添乗の仕事もまったくのゼロになった。
そして、多くの添乗員たちの生活が破綻し、仕事に見切りをつけて、業界から去っていってしまった。特に転職がしやすい若い人ほどそうであった。
近頃は聞かなくなったが、私の若い頃は「土方(どかた)殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」という言葉があった。添乗員とてこれと同じだ。「添乗員殺すにゃ刃物はいらぬ。コロナ3カ月続けばよい」で、万事休すなのである。
人生の添乗員
コロナウイルスの災禍は、ほぼ全世界に広がっていて、終息のめども立たない。見えない敵はどこに潜んでいるのか分からない。旅をすることは危険がいっぱいな行為である。
自宅にじっとしていることが何よりの防衛策になるとすれば、旅行業界にとっては本当に根深い災厄である。
東日本大震災後、完全に途絶えた添乗の仕事がようやく入ったのが1カ月後だった。そこからツアー参加者も催行ツアー数もポツリポツリと増えだし、秋には例年とほとんど変わらない状態にまで回復した。
その回復力は驚異的だった。あるツアー参加者が「ふつうに旅行ができる喜びを噛(か)みしめたい」と話してくれた。
“人生の添乗員”に、どこか連れていってもらいたいものである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000012-zdn_mkt-bus_all&p=2
4/4(土) 9:10配信
筆者の新刊『派遣添乗員ヘトヘト日記』
その担当者によると、参加予定者のキャンセルが相次ぎ、ツアー自体が成り立たなくなったという。その後、同社はゴールデンウイークまでのツアーの募集をすべて停止した。
「一般的に感染症による人的被害の予想は自然災害を上回り、戦争に次ぐとの見方がある」(読売新聞、2020年3月14日朝刊)という記事を目にした。
まさに新型コロナウイルスの感染症が引き起こした異変は、15年超にわたるわが派遣添乗員人生において、これまでに経験したことのない、ケタ違いの脅威となりつつある。
私はおもに旅行会社が主催するツアーの添乗員として、生計を立てている。私が添乗するのは、旅行会社が新聞広告やインターネットで参加者を募る、パッケージツアーと呼ばれる商品である。
こうしたツアーに同行する添乗員のほとんどが派遣会社に所属する契約社員、もっとはっきり言ってしまえば、日雇い労働者なのである。
例年だと、桜の開花時期となる3月上旬から下旬にかけては、この種の日帰りツアーの書き入れ時となり、ツアーは連日盛況となる。そうなると当然、派遣添乗員の出番も増える。
ちなみに昨年のこの時期(3月)、私は、泊まり、日帰り合わせて計15日分の添乗勤務があった。
日帰りツアー添乗の場合、日当1万円程度が報酬となり、旅行会社によってまちまちではあるが、ここに「前泊手当」「後泊手当」「車内販売手当て」などの各種業務給が加算される。
春と秋の繁忙期に対して、真夏や真冬は閑散期となり、添乗業務の数もぐっと減る。仕事ごとの契約になるため、仕事があれば給料が入るが、当たり前のことながら、仕事がなくなれば収入も途絶えてしまう。
年間を通すと、私の添乗員としての稼ぎは月平均で10万円程度であろう。だから、本当なら、この桜の時期の書き入れ時、派遣添乗員たちは稼げるだけ稼いでおきたいわけだ。
仕事は全滅、家でゴロゴロ
ところが、私は3月になってから、いまだ添乗員としての仕事をしていない。仕方ないこととはいえ、自然とタメ息が出る。それでもなんとか生活できているのは、今年67歳になる私の銀行口座に、月10万円弱の年金が振り込まれているからだ。
しかし、添乗業務だけで生活している人はそうはいかない。彼・彼女らは少なくともゴールデンウィークまでのあいだ、収入が完全に途絶える。その後の見通しも、現時点ではまったく立たない。
知り合いの添乗員は「この先どうなるかまったく分からない。とりあえず家でゴロゴロしているしかない」と嘆いていた。また別の同業者は「仕事は全滅。もしかしたら職替えしなくちゃいけないかも」とこぼしていた。
9年前に起きた東日本大震災のときにも、添乗員の仕事はパッタリ途絶えてしまった。旅行業は、平和産業である。平穏な世の中であってこそ、人々は旅に出ようという気になるのだ。
大震災のときにはしばらくの間、日本国中に自粛ムードが漂った。そのために人々は旅行に出かけるという気分にはとうていなれず、ツアー添乗の仕事もまったくのゼロになった。
そして、多くの添乗員たちの生活が破綻し、仕事に見切りをつけて、業界から去っていってしまった。特に転職がしやすい若い人ほどそうであった。
近頃は聞かなくなったが、私の若い頃は「土方(どかた)殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」という言葉があった。添乗員とてこれと同じだ。「添乗員殺すにゃ刃物はいらぬ。コロナ3カ月続けばよい」で、万事休すなのである。
人生の添乗員
コロナウイルスの災禍は、ほぼ全世界に広がっていて、終息のめども立たない。見えない敵はどこに潜んでいるのか分からない。旅をすることは危険がいっぱいな行為である。
自宅にじっとしていることが何よりの防衛策になるとすれば、旅行業界にとっては本当に根深い災厄である。
東日本大震災後、完全に途絶えた添乗の仕事がようやく入ったのが1カ月後だった。そこからツアー参加者も催行ツアー数もポツリポツリと増えだし、秋には例年とほとんど変わらない状態にまで回復した。
その回復力は驚異的だった。あるツアー参加者が「ふつうに旅行ができる喜びを噛(か)みしめたい」と話してくれた。
“人生の添乗員”に、どこか連れていってもらいたいものである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000012-zdn_mkt-bus_all&p=2
4/4(土) 9:10配信