明治維新後も富豪として存在感を示した紀州徳川家。頼貞は幼少時から西洋音楽に魅了され、「音楽の殿様」と呼ばれるほど造詣(ぞうけい)が深かった。21歳で英ケンブリッジ大に留学。帰国後の大正7年には、日本初の音楽専用ホールを建設した。
その後も海外を飛び回り、フランスの作曲家サン・サーンスら名だたる音楽家と交流。貴重な楽譜や音楽書などの収集にも私費を惜しみなく投じた。
南葵音楽文庫は9年、父・頼倫(よりみち)の私設図書館「南葵文庫」の音楽部門として閲覧が開始され、その後も名を変えながら音楽関連の研究や出版など西洋音楽の普及に一役買った。
「南葵音楽文庫」の所蔵品。貴重な楽譜や書籍が並ぶ=和歌山市の和歌山県立図書館
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