トルコというのは古代の文明があったんだな。
イングランドのセントジョージもトルコ人という指摘もあるし。
確かに古そうだが
ゲーム脳的にはしょぼい初期装備だわ
新石器時代?
刀剣がもうあったの?
人殺ししてたの?
五千年前というと、青銅器時代か
キリスト教誕生より遥か以前だ
保存状態もよいから、土の中にあったのではなく
人から人に渡って保存されていたのだろうな
アカガネの剣か
この時代にはクロガネの剣が魔法の剣扱いになる
しかし何でこんな青銅製の剣がベネチアで見つかったんだ?
またやばそうなもんをほじくりかえしてからに
これそんな上品なもんじゃないよ
青銅ってやっぱりどうしても弱いので
決め手にかけるから毒属性を持たせ
ちょっとの傷でも殺せたり行動不能にできたので忌みきらわれたやつ
CNNの元の記事読んできたら
between the end of the 4th and beginning of the 3rd millennium BCと書いてあるな
なんでこれを紀元前4世紀から3世紀なんて訳したんだよw
5000年前にこんな形の整った剣がつくれたのか
またよく残ってたな
おまいら動くな
動けば王蟲の皮より削り出したこの剣が
セラミック装甲をも貫くぞ
オスマントルコ帝国の土木技師が剣を手に入れてメキタリストというベネディクト会系の組織の幹部だった友人の神父に渡したんだと
そして神父の死後ベネチアにあったメキタリストの施設にずっと保管されてた
トルコの技師がどこから手に入れたのかは不明だが彼はトルコのトラブゾン地方で公共工事の監督官を務めていたのでそのいずれかで発掘されたんじゃないかと研究者は推測してる
ちょっとデザインが新しすぎるな
せいぜい1000年ぐらい前だろ
_,-=vィ彡ミミミヽ,
ミミ彡=ミミミミミミミ,,
ミ彡 ミミミミミミミミ
彡! __ ミミミミミミ
ミ! \_ _/~ ミミミ彡
ミ!| `-=・=‐∧'-=・=‐'川ミ
"!| _ !| _ !!ミ
ゞ| ヽ、 ‥ `) ノゞ
ヽ| 、 , ! ,ィ iミ
ヽ ` ヽ二ノ ソ彡 エクスカリー見つけられちゃった?qqq
ヽ `ー'´ |ゞ.
ト-_ _ _ ノ
/ ヽ
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5千年前ってどれくらいだ?
ギルガメッシュとかその辺り?
そんだけ古いと何か宿ってそうだな
しかも安置場所が修道院だったんだろ?
すでに宝具か概念武装に昇華してんじゃね?
メソポタミア文明が勃興した頃かな
同じ頃エッツタール渓谷でエッツィが死んでるくらいかな
伝世品ではなくて発掘品、つか、盗掘品を贈り物として貰ったんだろうな
紀元前1500年ごろに栄えたヒッタイタ文明が、世界最古の製鉄技術をもった民族だ
中国で鉄器が出現したのは紀元前1000年ほど前
オリエントから技術が渡って来たのだろう
戦国時代初期まで鋳鉄法による鉄器が広がっており
この時代の鉄器は鋳鉄法で作られたことから不純物が多く、青銅器よりも脆かった
鍛鉄法が考案され、鉄器の技術が飛躍的に高まったのは戦国時代後期になってからだ
世界で初めて溶融銑鉄法が開発されたのは後漢時代の中国でのこと
この時代に敵の大量生産が可能になり、飛躍的に鉄器が普及した
戦国から江戸時代の大名はこぞって名刀を求めた
日本刀、事に鎌倉時代から室町時代にかけて作られた古刀は
権威と富の象徴でもあり、同時に重要な役割があったからだ
功績のある家臣に下賜したり、他の大名への贈り物にしたりする役割がな
修道院の剣も、似たようなものだったのかも知れない
トラブゾンの修道院からヴェネツィアの修道院に寄進されたのが
1886年はオスマン帝国の末期だな
トラブゾンは1204年から1461年までトレビゾンド帝国(トレビゾンドはトラブゾンの
中世ギリシャ語名)の首都だった
トレビゾンド帝国はヴェネツィア共和国が主導した第4次十字軍で1204年に
一時的に滅んだ東ローマ帝国の皇族コムネノス家が建てた亡命政権のひとつで、
軍事力は振るわなかったが、黒海の良港という地理的特性を生かし、
周辺諸国と婚姻政策を通じて通好し、交易国家として繁栄した
1453年に滅んだ東ローマ帝国本体よりも、わずかに長く存続したが、
けっきょく1461年にオスマン帝国によってトレビゾンド帝国は滅ぼされた
コムネノス家の皇帝一家は処刑されたもののトレビゾンドの遺民であるギリシャ系住民は
ギリシャ正教の信仰と中世ギリシャ文化を受け継ぐギリシャ系民族「ポントス人」として
20世紀までオスマン帝国内の少数民族として生き延びた
第一次世界大戦中にはトルコ領内ではギリシャ人を含めたキリスト教徒への迫害が
ひどくなったことで、ギリシャ人は大勢トルコから逃れることになった
ポントス人たちはなんとか踏みとどまっていたが、
第一次世界大戦後の1923年にギリシャとトルコの間で結ばれた住民交換協定で
トルコ共和国領内のギリシャ正教徒はギリシャに、
ギリシャ王国領内のイスラム教徒はトルコに強制的に追放されることになった
このため寄進したトラブゾンの修道院はおそらくもう存在しないので、
どういう由来で所蔵していたか記録が残っていない可能性が高い
だが中世のものという伝承から、おそらくアナトリア半島最後のキリスト教国家であった
トレビゾンド帝国の遺物であるという触れ込みであったのではないかと想像する