平成7年のオウム真理教による「地下鉄サリン事件」。3月20日の事件発生から3日後、滋賀県で1人の信者が逮捕された。現在は東海地方で暮らすその男性の車からは光ディスクやサリンプラントの設計図が見つかり、その後の捜査に大きく役立ったという。事件から25年。山梨県の旧上九一色(かみくいしき)村(現富士河口湖町、甲府市)にあった教団施設「サティアン」から遠く離れた地方で起きていた事件を、関係者の証言でたどる。
2時間カーチェイス
7年3月23日朝、滋賀県安土町(現・近江八幡市)のレストランで機動捜査隊員がオウム真理教の車を発見した。車内には薬品名が書かれた箱などがあり、隊員は「サリンかもしれない」と恐怖にかられた。そして、運転席をのぞき込んだ隊員はさらに驚愕(きょうがく)する。「眉が太い顔つき。似ている」。運転席で仮眠している男性は指名手配されていた信者にそっくりだった。
声をかけると、男性は助手席の方を向いたまま顔を上げない。「こいつ、逃げよる」。そう感じた直後、いきなり車が発進した。
数十台の捜査車両とヘリで約2時間にわたって追跡。車が縁石に乗り上げたところで男性を取り押さえたが、手配犯ではない信者だった。
「解析班」を特設
滋賀県警は男性を道交法違反容疑で逮捕。車にはサリンこそ積んでいなかったものの、当時は珍しかった光ディスクが数枚と50枚あまりのフロッピーディスク、幹部のノートパソコンが見つかった。
まだパソコンが一般的でなかった時代。県警はパソコンを趣味にしている警察官らを、所属や階級をまたいで10人ほど集め、「解析班」を立ち上げた。メンバーには鑑識課員のほか、交通部門の警察官もいた。元捜査幹部は「(危険なので)外部の技術者に従事してもらうことはできなかった」と打ち明ける。
光ディスクは大容量用の5インチのもので、当初県警には読み取るための機材もなかった。高度な暗号やパスワードなど、堅いセキュリティーも解析班を阻んだ。
だが、機材を取り寄せたほか、別の事件で押収したフロッピーディスクから暗号を解く“鍵”が見つかる幸運もあり、「4年はかかる」と言われた解析を4カ月ほどで終えた。
教団武装化裏付け
資料は印刷すると200万ページを超えた。大量の資料を確実に警察庁に運ぶため、捜査員は連日、資料を手に新幹線で東京に向かった。
資料には全ての信者を網羅した名簿や、銃器の設計図、化学薬品の文献などが含まれ、サリンプラントの設計図もあり、武装化を突き進めていた教団の実態を裏付けた。
元捜査幹部は「これらがなければ立件できなかった事件も多いはずだ」とする一方、25年を経過した今も、オウム真理教とその事件について「まだまだ明らかになっていない部分がある」と感じているという。
2020.3.21 17:51
https://www.sankei.com/west/news/200321/wst2003210007-n1.html