「新型コロナによる経営破綻は全国初」――。2月下旬、こんな内容の見出しと共に、愛知県蒲郡市のある無名の温泉旅館が破産申請したことがニュースになった。新型コロナウイルスの感染拡大による経済への影響は拡大する一方で、「明日は我が身」と案ずる経営者も少なくないのではないか。
温泉旅館はなぜ、破産申請に至ったのか。現地を訪ねて、温泉街を襲った「コロナショック」の真相を探ってみると、今の日本が抱える課題が少しだけ見えてきた。
彼は「人生をあきらめてはいない」と語っていた
愛知県の南東部。三河湾に小さく突き出した半島の先端部に、大小十数の旅館やホテルがひしめく「西浦温泉」がある。海が一望できる景観と新鮮な魚介類が売りの県内有数の温泉街だ。
最寄りの名鉄蒲郡線の西浦駅から温泉街道を南下すると、温泉街の入り口近く、やや急峻な坂の途中に、経営破綻した旅館「冨士見荘」がたたずむ姿が見えた。創業は西浦温泉の開湯とほぼ変わらない1956年。コンクリートで造られた5階建ての建物は、一見して傷みが激しい。外壁の「FUJIMISO」という文字看板は「F」「J」「M」を残してはがれ落ちていた。
屋内に人影はない。玄関には「債権者・関係者の皆様へ」と書かれた破産手続きの開始予定を知らせた張り紙がある。よく見ると、建物や敷地内に無許可で「絶対に立ち入らないで」と付記されていた。
連絡先として記されていた名古屋市内の弁護士事務所に電話し、「旅館を経営していた伊藤剛社長に取材できないか」と聞いてみたが、「個人情報は出せない」と断られてしまった。
取引があったと思われる地元の金融機関にも問い合わせてみたが、連絡先を教えてもらえるわけもなく、直接の取材は難しそうだ。それでも、心当たりにかたっぱしから連絡を取ってみると、伊藤社長の「古くからの知人」だという男性にたどり着くことができた。
「幼い頃から彼の姿をずっと見てきた。少年野球でバッティングやピッチングを、よく指導したもんだ。破綻が表面化した直後、彼と直接に会ったよ。『申し訳ない』と謝罪があった」
男性は冨士見荘から印刷物を受注・納品しており、未回収の売掛金があったため、今回の経営破綻によって債権者の立場になっていた。ただ、伊藤社長は30代前半。債権のことについては触れないことにした。
「今回の件では多くの方々に迷惑をかけたが、まだやり直せる年齢。人生をあきらめてはいない」
男性によると、伊藤社長はそう語っていたという。
存続の危機を救ったインバウンド
実は、以前から地元では、冨士見荘の経営状態は危ぶまれていた。そして、孤立気味でもあった。その理由の一つに、先代の経営者の時から、西浦温泉にある旅館で構成する「西浦温泉旅館協同組合」に加わっていなかった点がある。
協同組合は、組合費でマイクロバスを共有。駅から温泉街まで客を運んだり、各旅館から出るごみを共同で処理したりすることで、サービス強化やコスト削減に協力して取り組んできた。しかし、当然のことながら組合に加入していなければ、こうしたメリットは享受できない。
民間信用調査会社によれば、冨士見荘は愛知万博が開かれた2005年、年間売上が6億円に迫る勢いを見せていた。しかし、その後のリーマン・ショックの影響から立ち直ることができず、業績不振が続いた。そして2013年8月、経営難が初めて表面化。その直後、先代から伊藤社長が経営を引き継いだが、「しばらくはまったくうまくいっていなかった」と地元の旅館関係者は振り返る。
こうした中、伊藤社長が再建のための起爆剤としたのが、インバウンド。中でも団体ツアーでまとまった売上が見込める中国人観光客の存在だった。2月26日付の毎日新聞朝刊によると、冨士見荘は客室40室の大部分を常に中国人観光客のために確保しておく契約を旅行業者と結び、毎月40〜50団体を受け入れていたという。このため、宿泊客の9割以上は中国人観光客だったとされる。
3/8(日) 11:28 Yahoo!ニュース 209
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010001-wordleaf-soci
温泉旅館はなぜ、破産申請に至ったのか。現地を訪ねて、温泉街を襲った「コロナショック」の真相を探ってみると、今の日本が抱える課題が少しだけ見えてきた。
彼は「人生をあきらめてはいない」と語っていた
愛知県の南東部。三河湾に小さく突き出した半島の先端部に、大小十数の旅館やホテルがひしめく「西浦温泉」がある。海が一望できる景観と新鮮な魚介類が売りの県内有数の温泉街だ。
最寄りの名鉄蒲郡線の西浦駅から温泉街道を南下すると、温泉街の入り口近く、やや急峻な坂の途中に、経営破綻した旅館「冨士見荘」がたたずむ姿が見えた。創業は西浦温泉の開湯とほぼ変わらない1956年。コンクリートで造られた5階建ての建物は、一見して傷みが激しい。外壁の「FUJIMISO」という文字看板は「F」「J」「M」を残してはがれ落ちていた。
屋内に人影はない。玄関には「債権者・関係者の皆様へ」と書かれた破産手続きの開始予定を知らせた張り紙がある。よく見ると、建物や敷地内に無許可で「絶対に立ち入らないで」と付記されていた。
連絡先として記されていた名古屋市内の弁護士事務所に電話し、「旅館を経営していた伊藤剛社長に取材できないか」と聞いてみたが、「個人情報は出せない」と断られてしまった。
取引があったと思われる地元の金融機関にも問い合わせてみたが、連絡先を教えてもらえるわけもなく、直接の取材は難しそうだ。それでも、心当たりにかたっぱしから連絡を取ってみると、伊藤社長の「古くからの知人」だという男性にたどり着くことができた。
「幼い頃から彼の姿をずっと見てきた。少年野球でバッティングやピッチングを、よく指導したもんだ。破綻が表面化した直後、彼と直接に会ったよ。『申し訳ない』と謝罪があった」
男性は冨士見荘から印刷物を受注・納品しており、未回収の売掛金があったため、今回の経営破綻によって債権者の立場になっていた。ただ、伊藤社長は30代前半。債権のことについては触れないことにした。
「今回の件では多くの方々に迷惑をかけたが、まだやり直せる年齢。人生をあきらめてはいない」
男性によると、伊藤社長はそう語っていたという。
存続の危機を救ったインバウンド
実は、以前から地元では、冨士見荘の経営状態は危ぶまれていた。そして、孤立気味でもあった。その理由の一つに、先代の経営者の時から、西浦温泉にある旅館で構成する「西浦温泉旅館協同組合」に加わっていなかった点がある。
協同組合は、組合費でマイクロバスを共有。駅から温泉街まで客を運んだり、各旅館から出るごみを共同で処理したりすることで、サービス強化やコスト削減に協力して取り組んできた。しかし、当然のことながら組合に加入していなければ、こうしたメリットは享受できない。
民間信用調査会社によれば、冨士見荘は愛知万博が開かれた2005年、年間売上が6億円に迫る勢いを見せていた。しかし、その後のリーマン・ショックの影響から立ち直ることができず、業績不振が続いた。そして2013年8月、経営難が初めて表面化。その直後、先代から伊藤社長が経営を引き継いだが、「しばらくはまったくうまくいっていなかった」と地元の旅館関係者は振り返る。
こうした中、伊藤社長が再建のための起爆剤としたのが、インバウンド。中でも団体ツアーでまとまった売上が見込める中国人観光客の存在だった。2月26日付の毎日新聞朝刊によると、冨士見荘は客室40室の大部分を常に中国人観光客のために確保しておく契約を旅行業者と結び、毎月40〜50団体を受け入れていたという。このため、宿泊客の9割以上は中国人観光客だったとされる。
3/8(日) 11:28 Yahoo!ニュース 209
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010001-wordleaf-soci