東日本大震災 津波で不明の恵比寿像 引き上げへ 宮城 気仙沼
東日本大震災の発生からまもなく9年です。被災地の宮城県気仙沼市では漁の安全を見守ってきた「恵比寿像」の行方が震災で分からなくなっていましたが、近くの海中で見つかり、14日、引き上げられます。
宮城県気仙沼市では2011年3月の東日本大震災で大きな被害が出て、気仙沼湾をのぞむ市内の魚町の岬の先端にあった「恵比寿像」も行方が分からなくなっていました。
赤銅でできた「恵比寿像」は、高さが1メートル50センチほどで、釣りざおとたいを持ち、カツオ漁が盛んな地元では漁業関係者などから親しまれてきました。
地元の関係者が行方を探しましたが見つからず、新たな恵比寿像をつくることになり、この春にお披露目する予定でした。しかし去年11月、設置場所から西に25メートルほど離れた海中で行方が分からなくなっていた像が見つかりました。
このため地元では新たに作った像を予定通り設置するとともに、見つかった「恵比寿像」については14日、海から引き上げ地元の神社に奉納し、見学できるようにすることにしています。NHKでは引き上げを前に、13日、市や海上保安庁の許可を受けて海に入りました。
「恵比寿像」は水深5メートルほどのところにあり表面は海藻などがあまり付着しておらず右手に持ったさおが折れ曲がっていましたが左手には大きなたいをぶら下げ、頭から足までそのままの形を残していました。
漁業者に親しまれてきた「恵比寿像」
震災後、行方が分からなくなっていた「恵比寿像」は宮城県気仙沼市魚町の岬の先端に気仙沼湾を見渡すように設置されていました。
カツオ漁が盛んな気仙沼市の地元では「おえびすさん」と呼ばれ、漁の安全と大漁を願う漁師が出港前に手を合わせたり、子どもの健やかな成長を願って祈るなど、親しまれてきました。
地元のシンボルとなってきた「恵比寿像」ですが、その理由には戦争の苦い経験もありました。実は、この「恵比寿像」は2代目で、初代の像は1932年に設置されましたが、軍に回収されました。地元では弾丸に使用するためだったといわれています。
戦後、地元の漁業者らの支援で1988年に念願だった2代目の像ができたのです。
しかし、2011年の東日本大震災の発生で、津波により流され、行方が分からなくなりました。その後も地元の漁業関係者やダイバーなどが捜索しましたが、見つけることが出来ず、行方が分からなくなっていました。このため地元では3年前(2017年)、地元の神社や漁業関係者らが新たな3代目の恵比寿像をつくろうと動きだし、この春に、お披露目する予定でした。
そして設置されていた周辺を整備する工事をしていた去年11月、岸にいた工事関係者がもともと設置されていた場所から西に25メートルほど離れた水深5メートルほどの海中で2代目の像を見つけました。
2代目の像を見つけた工事関係者の男性は、岸から海を見ていて、見つけたということで、「工事の途中で海を見ていたら、なにかあるなと思って、潜水士に確認してもらったところ、恵比寿像だった。現場としては非常にうれしく感じています」と話していました。
海中の恵比寿像は…
NHKの潜水取材班が海に入ると、海の中は濁っていて3メートル先までがみえる程度でしたが、海に入ってからおよそ3分後、水深5メートルほどのところで「恵比寿像」を見つけました。
「恵比寿像」は表面は海藻などはあまり付着しておらず右手に持ったさおが折れ曲がっていましたが、左手には大きなたいをぶら下げ、頭から足までそのままの形を残していました。顔もあまり汚れておらず、朗らかな表情に見えました。
市から依頼を受けた業者が海中の恵比寿像にワイヤーを結び、14日、クレーンで引き上げるということです。
海中の映像を見た恵比寿像を所管する五十鈴神社の神山正志宮司は「あんなにきれいな形で、立派な形で見つかってありがとうございます。またお宮に飾って、皆さんに見ていただきたい」と話していました。
地元では喜びの声が…
震災後、行方が分からなくなっていた「恵比寿像」が見つかり、地元の漁業者からは喜びの声が相次いでいます。
※以下省略 全文とその他画像はソースからご覧ください
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200114/k10012244491000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001
2020年1月14日 11時46分 NHK