https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200111-00000023-mai-soci
戦後75年を迎える。人々の戦争の記憶が薄れる中、新たに記録によって肉親の死の様子を確認する人もいる。
東京都板橋区成増の小野ミチ子さん(81)は、旧ソ連のシベリアに抑留されたおじの死を記録したソ連の文書を
厚生労働省を通じて手に入れた。亡くなった事情を初めて知り「歴史を伝えることができる」と話している
佐賀県北有明村(現白石町)出身で、母の弟にあたる山口一義さん(1921年生まれ)は干拓地で農業をしていた。
近くに住んでいた小野さんは、ヤギを飼っていたことなどを覚えている。戦時中に出征したまま帰ってこなかった。
消息は分からなかった。
小野さんは2016年、新聞記事を見てシベリア抑留経験者の絵画展に出かけた。会場にあった研究者が作った死亡者名簿を見ると、
一義さんの名があった。民間団体の「シベリア抑留者支援・記録センター」代表世話人の有光健さんの助言で、
一義さんとのつながりを証明する戸籍などの書類を佐賀県から取り寄せ、18年に厚労省に記録を請求した。
数カ月後、ソ連当局が捕虜管理のために作り、厚労省に提供した一義さんの個人登録簿や入院した病院の記録、
死亡証書、埋葬証書の写しが届いた。1946年2月にロシア中南部・アルタイ地方のルプツォフスクで栄養失調のために死亡し、
現地に埋葬されていた。24歳だった。旧満州(現中国東北部)で終戦を迎えた後、ソ連の捕虜とされて収容所に送られ、
寒さと飢えから倒れ、最初の冬を越せなかったようだ。
断片的な情報だったが、小野さんは初めて知ることばかり。「病院で闘病していたのですね。消息が分かって心がほっとしました」と振り返る。
父の弟、又四郎さん(25年生まれ)も戦争で満州に行ったまま帰らなかったが、又四郎さんの記録は見つからなかった。
小野さんは昨年8月に千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれたシベリア抑留の死者を追悼する集いに出席。
遺族を代表してあいさつし、こう話した。「『赤紙』一枚で人の命を取り扱った(国の)責任は大きい。多くの人が命を奪われ、
涙を流した事実は決しておとぎ話や昔話にしてはならない」
小野ミチ子さんが入手したソ連当局作成の山口一義さんの「抑留者登録カード」の写し。
「46年2月18日、栄養失調のため死亡」と黒インクで書かれている
ソ連なんかにすがって敗戦を先延ばしにした日本の戦争指導者はあまりにも愚か
日本政府がもういらないからって
ソ連にあげたんでしょ
厚生労働省の資料だとおれの大叔父と抑留地と死亡日が同じ日の人たちがたくさんいる
おれは大叔父たちは処刑されたのだと疑う
まあ封印されタブーとされてるのは戦勝国側の戦争犯罪だよな
戦後何年もの間100万人以上抑留されてた。
露助を許しては駄目だ。記憶に残すべし。合掌。
祖父が3年抑留されてたけど
生前に聞いた話では比較的自由な環境だったから副業やって稼いだ金で
食料を買って体力を維持して助かったと言ってた
配給食だけで過ごすと痩せてしまって風邪程度で死ぬんだそうな
当然死体はしばらく凍ったまま山積み
うちの爺ちゃんはインパール作戦に行かされて、1枚の死亡通知になって戻ってきたわ
熱帯で餓死と、シベリアで凍死。それほど差が無いはずだが、シベリア組のほうが微妙に報道量が多くて同情的な気がする
ロシアが物証を残してることが大きいんだろう。インパールの惨状は全部隠蔽されただろうからな
孫の俺も餓死で続きそうだ
爺ちゃんの死んだ年齢を越えられないかもしれん。ごめんな
へー
でもどうせジャップなんだし韓国で略奪やレ☆プしていた戦犯なんでしょ?自業自得、オウンゴールじゃないな?
>>13
あなたは長生きしすぎたなぜギネスブックに申請されてないんだ >>8
私の大叔父は幸いにも生きて帰って来たが
ロシア人の事は死ぬまで嫌っていた 負けた戦争の事をいつまでもグチグチ言ってるから日本は衰退するんだよ
>>8
ロスケの責任者、管理者がラーゲリを訪れた日では?
管理のずさんな収容所の死亡率は高い。そしてそういう場所では死亡日がそろう。
厄介な収容所は「暁に祈る」事件みたいな当局スパイの発生した場所など。
うちの伯父は態度が曖昧でロスケに請求が出来ず、ハバロフスク近郊という環境のマシな場所にありながら
3割死なせてしまった。戦後戦友会には出席しなかったが、最期だからとその一度だけ出席して歓迎されたという。
何のことはない、平均一割死亡というのは嘘っぱちで、どこの収容所も3割死なせていたのであった。
60万曳いて6万死亡では無く、90万しょっ引いて30万死なせているのが真相。 日本人はガタガタ言い過ぎ
ドイツなんか日本以上にシベリア抑留されたのに全然文句言わねーもん
やっぱり、日本と朝鮮はそっくりだわ
こういう話で最後おかしいのはソ連が国際法を無視して捕虜を不当に連れ去り強制労働させ死なせたのに
日本政府が赤紙1枚で国民を死にいたらしめたと締めくくってるとこだな
ポツダム宣言も国際法も無視した野蛮なロシア
ロシアは非文明国だよ
なぜ昔話にしちゃ駄目なのか?
ちゃんと説明しろよ、昔話で良いじゃねーか。
人文系って昔話の教訓を全然理解できない屑だから、
昔話にするなとか言ってると思うと人文系を駆除するべき。
シベリア抑留は戦後の日本人が共産主義に傾くのを阻止した役割は有った
アメリカとは雲泥の差
友達の爺さんがシベリア出兵したんだけど
小便をすると出た先のほうから凍り始めたって
>>13
ビルマ方面軍は文書が全部ラングーン陥落時に失われたから。
司令官は愛人と自分の家具を飛行機に乗せて真っ先に飛んで逃げた。
地上を逃げた邦人や大東亜省関係者下っ端はシッタン川を渡れずに全滅した。
主計の幹部は隠匿資材や武器兵器をそのまま無駄にした。隷下の部隊長はその武器が有れば
マンダレーでもペグーでも負けなかったと涙した。兵站供給が吝嗇と隠匿で負けたのだ。
文句はアウンサンに言うのが良い。 >>33
シベリア出兵って第一次大戦だけど一体何歳なの?
第一次大戦から100年経ってるんだけど
シベリア抑留は、停戦後に不当のやり方なのが問題で
我が国の怒りを買っています゜゜゜゜゜−y(^。^)。o0○プハー
−−
『酷寒シベリヤ抑留記』(光人社NF文庫/竹田元陸軍二等兵)
■満州の関東軍にいたがソ連と停戦後抑留。なので戦争捕虜ではない。
■食料は黒パン1日350g。大体一斤。約50万人が拘束され1割が死亡。
■ソ連兵は略奪が習い。時計とかなんでも取られる。
満州鉄道やら資産はなんでも取られモスクワに送られる。
■1-2年位経つと労働力から洗脳目的に変わる。「民主委員会」と
いうのができて、アメリカや旧日本軍を非難する。非難しない
奴はつるし上げる。演劇なども洗脳目的で行う。
※パン350g→約1000kcal。労働者必要量1日3000kcalの1/3
※この作者自身ソ連に洗脳されている様子。作り話多い。要注意。
>>27
何かを理解しようという態度では無いね。最低のクズやん >>13
そら戦争中の戦死と戦後の過労死じゃ意味合い違うし
シベリア抑留は国際法違反 >>38
ソ連が一方的に満州に侵攻してきたんだけど >>13
ゴメンなwうちは世田谷でせっせと紙作らされてたわ 父の父は抑留名簿に名前があるらしいけど
自分が生まれるずっと前の話だからさっぱりわからん
佐賀みたいな暖かいところ出身だとロシアの地は寒かろう
きっとソ連風邪で死んだんだろう
ここで不思議なのは
何故、条約違反の不意打ちから、国際法に悖る不法抑留、捕虜虐待と外道のフルコースを行ったソビエト連邦よりさきに、当時の日本指導部や皇室を叩こうとする奴が大量発生する事だな
>>47
小野ミチ子さん(81)からして
まあ、金呉れる目当てが日本国しかないからなあ
サンフランシスコ講和条約をロシアに類推適応するとして もうソ連はない
オレたちはどこかのアジアの某国と違って謝罪も賠償請求もしない
これからは日露友好でいいじゃん
そんな訳でロシアの若い美女と民間での日露友好を深めたいですよ
(´・ω・`)
俺のじいさまもシベリア抑留経験して運良く生き残って帰ってきたけど
こういう人の軍歴っていうのかな?
どこの部隊に配属されてどこの戦地に行って、ってのはどこかで調べられるもの?
他にも従軍した親戚いるから一度調べときたいのだけど
>>53
軍人恩給貰ってる方なら当たり前だけど軍歴を元に恩給が支給されるから厚生労働省に問い合わせれば軍歴が出てくるはずだけど 露助によるシベリア抑留になんも文句を言わないのは
日本人として本当におかしいと思う
朝鮮なら国家総動員で大騒ぎしている
>>55
そうでもない
韓国も北朝鮮や中国には何も言わない
日本とかアメリカとか言いやすい相手に言うだけ >>55
誠にもって残念ながら細川時代にエリツィンの謝罪とお手紙をもってシベリア抑留問題は全て解決済みとなり申した >>1
なぜ最後に赤紙の話になるんだ
毎日新聞さん? 忘れちゃいけないと言いたいのはわかるけど、これが現代とか未来の話になっても困るだろう。
よく考えたらシベリアって冬は白鳥すら北海道に避難しに来るほど寒いんだよな
>>54
早死してもう居ないのよね
銀杯はもらったけど >>9
これも掘り返すべきじゃないのw
パヨチンはだんまりだけどw >>64
三親等内の親族なら照会すれば調べてくれるぞ。
陸軍なら本籍地都道府県、海軍なら厚生労働省だ。 山田関東軍司令官とか秦参謀長なんか10年以上抑留されてるんだよな
関東軍は民間人捨てて逃げたとか言われてるけど、幹部連中は軒並み捕まってる
>>66
ありがとう
そうなのか、じゃあ問い合わせてみるか
どっちも陸軍だけど、住んでたのは千葉県だから千葉県庁に聞くことになるな
でも一人はばあさまの兄弟だから3親等超えるのでだめか >多くの人が命を奪われ、涙を流した事実は決しておとぎ話や昔話にしてはならない
今でも、やれと?
24歳とかせつないな…
そしてこういう若者がいっぱいいたんだよな
>>1
「凍りの掌」を読めば、シベリアで最初の服を越すなんて無理ゲーだと分る
まだ戦線に送られずに体力の残っていたもの、もともと頑健でかつ手先が器用な人間は何とかなった模様だけど
疲弊していた人間には無理
だって行かされた凍土の荒野でまず「家づくり」と「ウンコの穴」掘りをさせられるんだぜ?
吹雪くんのに、家がなくて、屋根のない囲いだけって、ユダヤ収容より酷いじゃねーかと・・・
で、年々抑留者の「共産党」教育が進むと待遇が良くなっていったので、
本当に最初の年が一番ダメだったんだよ・・・ >>11
贈られた先のシベリアの露助も死ぬほど貧乏な農奴あがりばっかなので
手先が器用で、ちょっとした贈り物するとすごく喜ばれたらしい
なので大工とか職人だったとかっていう人が家のことを特別に手伝ってあげたり細工をプレゼントすると
すごく待遇が良くなったそうな >>71
24だと戦争も末期で学生免除が外れてしまって送られた奴だろうな・・・最後の方は医学生と病人しか免除がなかったから ロシアへの恨みは忘れるな
シベリア大虐殺の復讐は必ず
<<日本人はガタガタ言い過ぎ
<<ドイツなんか日本以上にシベリア抑留されたのに全然文句言わねーもん
ドイツ軍捕虜もスターリングラードの降参で大量に生じたが
帰国できたのは1割らしい 7割帰国できた日本人はラッキーだった
>>11
わたしのおじいちゃんは、食べ物はほとんどなくロシア軍人が捨てたリンゴの食いカスを食べたりして生還した。もっともっと色んなことはしたけど。
それができなかった人は死んでいったと話してたよ。 ちな、占守島で最後の最後まで戦ったとも言っていた。
指揮官がソ連に兵隊を売り飛ばしたもんな。
自己の安全と引き換えに。
ホント美しい国だわ。
うちの祖父の弟も佐賀から出兵してシベリア送りになったが無事帰国した
大変ながらも生来の人に慕われる性格でロシア人とも関係がよくて
なんとかなったらしい
という話を本人が亡くなってから親戚に聞かされたんだよな
本人から色々実際のところを聞きたかった
肺がん末期で入院していた患者さん
「自分は生き延びて思い残すこともないが、死を間近にして抑留時の死んだ仲間の事ばかり考えてしまう」
と言っていた
北海道新聞社の記者が取材に来て『一九四五 占守島の真実: 少年戦車兵が見た最後の戦場』に実名で載ってる。
ロシア軍は戦争終了後、武装解除後の翌日早朝に攻めて来て、おじいちゃんはそれを砲撃にて対抗したと言っていた。
日本軍は武装解除後に攻めてくる可能性も予測していたみたいだけど。
>>11
うちのじいさんは近くに市場があったから
掃除とかしてあげて腐った野菜やゴミを貰ってきてみんなで分けて食べた言うてたな
ロシア人は超凶暴だったと
トラウマか夜驚症で夜中によく叫んでた >>4
シベリア抑留についてはエリツィンがテレビ放送で頭を下げて公式に謝罪している。 抑留された人はまだ良かった
ソ連に連れて行かれる前に稚内沖で撃沈され海に沈んでいった人たちが相当数いたと言っていた
オーストラリア軍はボルネオで投降した日本兵捕虜を、輸送機から投下しながら帰国した。
本当に苛酷な状況で何年もご苦労された方もおられるし、
最初の冬を越せなかった方も
相当数いらっしゃるのだろうなぁ。
これはロシアを責めるべきだろ
うちも伯父が抑留で亡くなってる
零下40度以下では作業は中止と言う規則があった。
で、その時は小屋の中で待機かと思うと、外で並ばされて待機だそうだ。
日本兵を痛めつけるだけの規則だった。
>>73
収容は目的でなく「黄色人種」をどうやって痛めつけるか、なぶり殺すかが目的
その点は露も米も似たようなもの >>87
共産国の記録ほどアテにならないものはないわな
なにしろ式典の写真からも戸籍上も「消された」人物が山ほど >>77
ドイツとは戦争していたけど、日本に対しては一方的に攻めこんできたのに… >>101
ソ連は民族差別は薄かった
ロシア人はモンゴル帝国に支配されてたんで、
アジア人に畏敬の念すらあったかも
そこが欧米人とロシア人の違い ロシアだけは絶対に信用してはならないし
日本固有の領土の千島樺太奪還を考えてないといかん
ロシアはこれから国力が絶対に衰えるからな
外道卑怯者がやったことは絶対に忘れるな
>>99
横からだがちゃんと歴史勉強しろ無知馬鹿が 永遠に謝罪と賠償か?
歴史を残すのはいいが許すことも考えろ
でないとお前も同じ穴の狢
>>79
リンゴのカスを捨てるとは贅沢なロシア人もいたんだな
じいさんが配置されたとこはけっこう裕福だったんじゃないか? >>101
おまえちゃんと地理や歴史をまじめにやりなおした方がいいぞ・・・モンゴロイドがどこまで分布してたかぐらい知っとけ >>110
そうかもしれんな
だが周りの仲間が栄養失調で死んでいくんだから、いずれにしても限界状態だったんじゃないかね
ロシア人はリンゴの芯まで食うのか知らなかった ロスケって5ちゃん語かと思ってたら
当時から言ってたんだな
>>73
教育じゃなくて当時の食糧事情だわな
穀倉地帯全滅だし
ソ連軍人は食えたが抑留者は食えないし
それ以上にシベリアの一般人が大飢饉で
村落ごと消滅とか当たり前の状態だった ノルマこなさないとメシよこさない。
ノルマこなしても、もう食う力も残っていない。
パンを持ったまま死んでしまう兵隊もいた。
>>99
当時の日本政府はソ連に講和の調停役になってもらおうと画策してたのだよ
参戦協議済みになってたソ連にね シベリア抑留中に現地の女性と仲良くなって抑留中に死亡した事にして
帰国しなかった人が結構多いと聞いたけどね。
ソ連自体の当時は男手不足が酷くて作業場での戦争未亡人と日本兵って
組み合わせは珍しくなかったみたいだし。
ソヴィエト抑留兵の体験記は何冊もあるようだが、待遇、強制労働の内容を客観的に描いたものでは「黒パン俘虜記」、抑留兵の内面を描いたものでは「望郷と海」がある
さすがに「夜と霧」に描かれたナチス・ドイツの残虐さとは比較にならないものの、日本兵が犬のように平気で殺されていったのを知ると、ロシア人はクズだと思わされる
しかし、収容所内の日本人も平気で他の日本人を殺したこと、さらに帰国を果たした後は日本人からアカと差別されたのを知ると複雑な気持ちになる
ソヴィエト抑留兵の悲惨な体験記を読んだ後、ロシア人は日本人やドイツ人などを酷い目に遭わせた連中だと怒っていたら、その後にソルジェニーツィンが出てきた
彼の「イワン・デニーソヴィチの一日」「収容所群島」によって、ロシア人は誰よりロシア人に酷いことをしていたことを知る
つまり、英仏人から軽蔑されたロシアの後進性、人権意識の無さ、さらには民族性の表れということだ