https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11151100/?all=1
初詣などで神社に参拝するときは、「二礼二拍手一礼」が一般的な作法として知られる。
この作法をイラスト入りで紹介している神社も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏によれば、
これは伝統的な作法ではないというのだ。
神社巡りといえば、高齢者の老後の楽しみと言われものだが、最近は、30〜40代の女性の参拝者が目立つようになった。
神主から朱印と墨書をいただく、いわゆる「御朱印ガール」と呼ばれている人たちだ。彼女たちは、参拝する際は
「二礼二拍手一礼」を頑なに守っているが、
「彼女たちより年輩の人たちから見れば、この作法に違和感を覚える人もいるはずです」
と語るのは、先日、『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)を出版した島田氏である。
同書では、神社の参拝作法や除夜の鐘、初詣など、日本人のしきたりについて解説している。
「昭和の時代は、二礼二拍手一礼はそれほど広まってはいませんでした。以前の参拝作法は、基本的には、
両掌を顔や胸の前で合わせて拝む合掌でした。今でも、合掌して参拝する人もいます。
二礼二拍手一礼だと、形式だけで終わってしまう。心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。
だから、物足らないと思っている人は多いのではないでしょうか」
島田氏は、最も美しい形の参拝として、黒澤明の映画『姿三四郎』(1943年)のワンシーンをあげる。
「三四郎は、村井半助という他の流派の年配の柔道家と対戦しますが、試合前に近くの神社を通りかかったとき、
半助の娘が、神社の拝殿の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃します。娘は着物姿で、下駄を履き、からだをその上に沈め、
目をつぶりながら手を合わせ、懸命に祈っていました。映画の舞台は明治時代ですが、当時、神社に参拝するときは
合掌したことがうかがえます。映画を見ればわかりますが、この祈りの姿は美しいですね」
合掌が伝統的な作法
「元々神道には、開祖も教祖もいません。教えを記した教典もありません。ですから参拝の作法もありません。
そのため明治以前は、神道と仏教が密接な関係を結びます。仏教には教えの体系があるので、仏教の理論を応用し、
融合したのが神仏習合です。明治維新になるまで、神仏習合は千年間続きます。仏閣での参拝には、拍手がありません。
基本的に合掌となります。それが神社に受け継がれてきたわけですね。実際、江戸時代の1763年に、芙蓉山人(ふようさんじん)
という人物が出した、伊勢詣のガイドブックのような書物『伊勢参宮細見大全』では、参拝者の様子が描かれています。
参拝者は座り込み、合掌して拝んでいます。頭を垂れて、一心に拝んでいる人もいます。拍手を打っているような人間は一人もいません」
昔の人たちは神に祈る場合、座り込むか、それに近い形をとっていたわけだ。
「現在の二礼二拍手一礼は、立って行います。果たして神に祈るとき、立って礼拝するというのは正しいのだろうか。疑問に思いますね」
奈良時代から始まった神仏習合、当初は仏教が主で、神道は従だった。
「神仏習合の理論の代表的なものが、“本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)”です。日本の神々は、仏がその姿を仮に現わしたという考え方で、
仏が本地(本来の境地)で、神が垂迹(仏の化身)です。仏を神の上に位置づけたわけです」
ところが、江戸時代になると、神道の優位を説く思想が起こり、明治時代になると、神道を国家の基本に据えようする国学者や神道家が現れる。
「これで、神仏分離となり、神社の境内にあった寺院は破壊されます。いわゆる廃仏毀釈です。千年も一緒だった神道と仏教が
バラバラになってしまったわけですが、これが問題だったと思います」
神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられたのは、明治時代だという。
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1573958309/
1が建った時刻:2019/11/16(土) 17:05:41.97 「仏教と離れた神道は、神社の格を上げるために、国家が直接祭祀を司るようになります。そして、神社祭式(明治40年)によって
祭祀のあり方が規定されるのです。神社祭式の中で、拝礼の仕方として、再拝、拍手が記されています。再拝というのは、
二度続けて深くお辞儀することです。現在の二礼二拍手一礼という作法の元になったと言われているのが、伊藤博文が推奨したという
“一揖(ゆう)再拝二拍手一揖”。伊藤氏がこれを正式な作法とすると発言したと伝えられていますが、確認はされていません。
“揖”とは上体をやや前に傾けて行う礼で、頭を深く下げて行う“拝”のほうがより丁寧な礼になります。ただし、この神社祭式で定められた作法は、
神職が祭事に臨むときに行われるもので、一般の人に対して勧められたものではありません」
ではなぜ、現在の神社は、一般の参拝者に対して二礼二拍手一礼を勧めるのか。
「日本は高度成長期の頃から、盛んに初詣をするようになりました。有名な神社では何時間も並ぶわけですが、
できるだけ早く参拝を終わらせるために、祈る間がない、二礼二拍手一礼を取り入れたのかもしれません。伝統的な作法ではないのに、
いつの間にかしきたりになってしまった典型的な例と言えますね」
二礼二拍手一礼は、あくまで高度成長期の頃から広まったにすぎない。合掌だけでも何の問題もないそうだ。
正しい鳥居のくぐり方。
帽子を脱ぐ。
↓
コート等脱ぐ。
↓
鳥居の左側に立つ。
↓
頭を下げ一礼。
↓
左足から踏み出して鳥居をくぐる。
宇宙ができてから数千億年後かそれ以上経ってからできた儀礼。守らなくてよし
でも、神社で二礼二拍手一礼をしろって札が神社側から出てるけどなあ
出雲大社も、公式の参拝方法で4拍手をしなさいって札が有った気がするが?
二拍の後にそのまま合掌するけど、なんか問題が?
二礼二拍一礼だから簡単に参拝が済むってことは断じてない。
>>1
しきたりなんて糞くらえと大部分の日本人は思っているだろうが、
もうじき日本に核爆弾が落ちるのは、かの有名なノストラダムスによって予言されている。
その大きな星は七日間燃える
巨大な黒雲が二つの太陽を現す
マスタンが夜通し吠え続ける
偉大なる法王が居場所を変えるとき
(「百詩篇」第2巻41番より)
※大きな星=北朝鮮の国旗
ニつの太陽=日本と韓国の国旗
マスタン(mastin/獰猛な巨犬)=金正恩
偉大なる法王=ローマ法王
この詩を要約すると、
1行目は北朝鮮が7日間に渡って空爆されると読める。
2行目は日本と韓国に核爆弾が落ちると読める。
3行目は金正恩が怒り狂うと読める。
そして4行目こそが、今月のローマ法王訪日を指すのであろう。
38年ぶりに日本を訪れるローマ法王。(11月23〜26日)
トランプ大統領がこれを戦略的に利用する可能性はゼロではない。
つまりこの時期に北を攻撃すれば、北が反撃しようとしても
ローマ法王滞在時にミサイルを撃ったら世界中を敵に回すことになる。
だから北は反撃できまいというのが日米の読みだ。
トランプは再選が危うい状況だし、何かが起きる可能性は十分にある。 >>8
いつからこのような所作になったのですか
と聞いてやれよ、どんな反応が返ってくるか楽しみ >>14
マジレスしよう。
昭和23年に神社祭式行事作法が改訂された時から始まった。 >>1
拍手はいけない
寧ろ暴力的
神仏に暴力威嚇恫喝するのと同じ
訪れたことなど教えなくても呼ばなくても揺り起こさなくても察している
暴走族 爆音改造トラック バイククズの屑DQN地域の承認要求か
コンサート 講演会 選挙演説支援者サクラ
わざと目立つように耳元で パンッ パンッ
前の人や子供への耳への傷害となるほどで無礼にもほどがある
欧米クズのスタンドオーベィションの目立ちたがりアピールクズか
日本のわびサビには合わない
拍手バカはぶち殺せ!! マナー講習とかと同じにおいがするな
適当にマナーをでっちあげて
こんなマナー知らなかったでしょ恥かきますよみたいな
これからはお賽銭もキャッシュレス時代
神様はお金なんかお受け取りにならない
心が伝われば腰箕で火の着いた松明振り回しても良いのよ?
他の宗教は教祖や神父の趣味で全裸で祈るとかあるし、結構適当よ?
鎌倉時代にやってる記録が残ってる
このオウム賛美の人はデマ
初詣や祭の混んでるときに二礼二拍手一礼はするな。
八坂神社なんて鈴を鳴らさないないように上にたくしあげるぞ。
>>14
座って礼して柏手打ってから深く土下座
魏志倭人伝にもある
旅人や初見の人物にもやってた 正しい方法あんまり守ってないけど神仏に怒られたことは一度もない
>>19
そうでないと「誰か」が困るんだろうw
なかなか良いところを突くね。 神様に対する心の有り様が重要であって作法どうこう言うのは無粋
「雰囲気を味わってるだけだろ」でいいじゃないか
まともに考えたらこうなる
礼儀とかにうるさい存在に、お願いしてるんだってことw
そんなもの糞の役にもたたないだろ
>>14
因みに
神饌祝詞や御神酒祝詞(奉納したとき)
は、8回手 礼儀作法なんかどうでもいいという団塊ジジイの多いスレだというのはよくわかった
一般的じゃねえだろ
殆ど誰もやってねえよ
引きこもりかよ
そんあものを気にする存在を神だとかいうあたら滑稽である
まあ、はっきりいうてもいい神社にいるのは狐(稲荷)である
元人間だから、礼儀にうるさいw
神様はそんなこと気にしないんじゃね?たまにお参りするときは住所と名前言わないといけないとかいうヤツいるけど神様馬鹿にしてんのかと思う
俺もこれは一時期から急に言われだして変なのと思ってたわ
ていうか、二礼二拍手一礼の作法(?)は上岡龍太郎(あの上岡龍太郎)がパペポで言ってるのを聞いたのが初めてなんだが
その時「お賽銭はどのタイミングで投げるの?」って思った
>>35
おまい、詳しいなあ。
正解だよな。
多くの神社=磐座=湧水があった。
いまも〈祓え川〉は津々浦々にある
そこでみず浴びしてた
伊勢はまだ残ってる >>36
宗像大社の沖津宮も、マッパで海水禊ぎだよね。 そやけど、略式で手水になったやろ。それはええことやん。手間かからへんしや。
靖國神社も2ー2ー1でヨロシコ、という立て札があるね
「しきたりの嘘」て自身の胡散臭ささを棚に上げて何言ってるの?
神も仏もいない世の中で
作法がどうとか 安倍晋三に聞いて来いよ
型とか形式とか面倒だと思うかも知れませんが、
神様が心が広いとは限りません。
願い事は礼儀正しく差し出しなさい。
というのは漫画の「ちはやふる」で顧問の女先生の言葉。
願い事をする是非とかいろいろ突っ込みどころはあるけど、
庶民の一般的な感覚としてはこれに尽きると思う。
>>17
> 拍手はいけない
> 寧ろ暴力的
> 神仏に暴力威嚇恫喝するのと同じ
>
> 拍手バカはぶち殺せ!!
暴力威嚇恫喝してて吹いた 昔みたいに、ヤマドリや雉や野鯉や猪の死体を供物として捧げたら
警察呼ばれるんだろうなあ
ペコリ GOOD
パン MISS…
パン MISS…
ペコリ GREAT!!
ここ前、長野県の穂高神社に行ったら正当な参拝の仕方としてアニメ絵で説明されてたが
ニ礼二拍手の後に1,2分祈ってから一礼してるけどなあ・・・
初詣とか座り込まれたら時間かかってしょうがないだろ。
>>42
今は、祟り災害、因果応報ブーメラン
左翼の怪我病の時期だな 二礼二拍手一礼は、明治時代に決められた神道の礼拝の標準形。
そういうことしているひとは昔から見たことがない
うるさいこといわれるくらいならいかない
>>41
この馬鹿教授は、イニシエーション=霊的念仏行程が大好きだからな。
神道=儀式
儀式はアッサリ完結させるモノ
という概念が嫌いでネチネチビチョビチョ憑けるのが大好き
ただの変態ヱロ >>51
いくら神様でも、参拝社全員に1分とか2分のモノローグを語られたら、
たぶん記憶容量が溢れると思う。 これとか神社本庁は国家神道の残りかすやな
八百万の神に対する祈りが全部同じわけがない
全体主義の残骸
そういえば違和感あった
ヘッドバンギングみたいだと
>>46
雉とか鳥は今も普通にある
諏訪大社の御頭祭で捧げる鹿の生首は今では剥製だが こいつだっけ、庶民の墓は明治になってとか大嘘を広めてるのは
>>63
魚は扱い低いよな。
相撲の優勝祝賀会の場面でも必ず出てくる。 形式整えるためにセリフまで用意したんだな
今後は合掌で行くわ
>>62
そうなんだけど
この指摘は見直しのいい機会になった
うっかりしてるうちに2礼2拍手1礼がスタンダードになっちゃうところだった
あんなコメツキバッタみたいにペコペコ
神様こっち向けパンパンという不遜不敬な仕草が
になったら取り返しつかんとこだった >>1
そりゃ昔は神仏習合、作法みんな仏教的だったからな どうせ殆どの参拝客は後付け御利益設定狙いなんだから作法なんて何でも良いのでは
>>14
心配しなくても、参拝者への対応は慣れてるから
「さあ、知りません」
と答えるだろうねw >>64
マジで、???
で、そんな場所がなんで教授やってんの?日本オカシイ
タモリ番組に出る素人歴史家が最高な存在になったもんな。
家の本家は江戸初期1640年建立
そのまた本家は戦後期の墓がある。。
この教授は日本人??? いや二拍手の後にそのまま合掌してお祈りするよ
お祈りが終わったら一礼するやり方で何の問題もなくないか
まず神様にお願い事をすること自体が間違っている
神様には、感謝だけ伝えれば良いんだよ
願い事なんつーのは自らの努力で成し遂げるもんなんだよ
>>26
つまり二礼二拍手一礼じゃなくてもいいんですね! >>73
それは内宮への作法として言われてるだけで
普通に願い事もいいんだよ こぶしを上げる人々と 手を合わす人々が
言い争いを続ける間に
ほらごらんなさい 野良犬の母さんが
可愛い仔犬を産みました
>>72
「二拍手の後にそのまま合掌して」の部分が気になる。
パンパン→合掌じゃなくて、二回目に手を打った状態から手を離さず、
そのまま合掌状態に遷移するってことか? >>73
あっちは神様だがこっちはお客様だからな
まあ対等の立場になる なんだかわざと嘘を書いて
混乱させようとしてる人がいるね
>>71
> >>64
> マジで、???
>
> で、そんな場所がなんで教授やってんの?日本オカシイ
> タモリ番組に出る素人歴史家が最高な存在になったもんな。
まずお前の日本語が怪しいんだけど 伊勢神宮を江戸時代に描いた絵だと、五体投地している参詣者がいたな
日本の伝統って、明治以後に出来たものが多いからややこしい
>>75
「参拝」にしても「参詣にしても、敬意を表して拝む行為で
もともとの意味は祈願とは違う気がする。
「伊勢神宮は皇室が国家安寧を祈る場所」というのも同様で、
「願う」わけではないんだよね。神に願うのではなく、神の前で祈る行為。 庶民の学習能力文化レベルだって雲泥のちがいだし
時代によって変わっても不思議はないな
昔からあったけどうるさく言われ出したのは極々最近だよね
>>79
それな。
新規マンションや市営住宅のやつらは毎年お布施しとらんからな。
初詣もまずは産土神社。転居したら転居したむねを報告し、新しい土地の神社にも挨拶が必要でっせ。 >>75
多くの神社の、末社として、小さな祠で眼病とか願掛け系がある。
そういうのは、そっちでろうが。
基本的に、コトワリの儀式の場=神社本殿 そういや子供の頃は2拍手だけだったし
神社が指定してるなら合わせようかと最近は2礼2拍手1礼やってたが
そんなこと言ってもお座敷犬とお参りしたい日本人も増えたし
お参り中住所名前唄わせるのも
個人情報をさらけ出すことへの心理的抵抗を無くす役割がある
要は為政者側の都合だけで動いてんのよ
>>1
>この作法をイラスト入りで紹介している神社も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏によれば、
この島田ってオウム推奨してた奴じゃないか? 勝手にマイルールつくるやつの思い込みの頑固さは異常
ウソも何も、別に古来からのしきたりだとか誰も言ってないし……。
そもそも
自分は礼してないし。
あとグルメ番組でフォークの裏側でカッコつけて食うやつwwwww勝手にマイルール作るなwww
俺はこれからも二拍手(祈り)一礼で行く
最初の二礼は流れ的に美しくない
てか、神社がイラスト入りで説明してるのに、オウム御用達の宗教学者?が何言ってるの?
>>79
なんでもありくらい懐が広い神々ではないの?
あったかいんだから!で喧伝してるのに、突然、器がちっせー神様になるのが
神道のおかしなところなんだよな。神風だとか神国だとかね。
キリスト教はシナ人や半島者をも愛しなさいという方向性があるよ?
神道にはあるの?ないの? 時短だからって言うけど2拍手の後両手をそろえて普通に祈るだろ
四拍手のところもけっこうあるよね
自分は「祓いたまえ清めたまえ神ながら守りたまい幸いたまえ」をどのタイミングで言うのかよくわからない
>>105
常識の範囲内で好きなように食えばいいと思うが、何を文句つけてるんだ? 神社と寺では振舞い方変わるの?
靖国神社と増上寺に毎年お参りしてるけど変えた方がいいのかね?
神社と寺って何が違うんだ?
>>89
>>90
最近でるエセ伝統記事は「江戸の庶民」事な。
江戸時代90%が農民であって、農民は今以上に神社儀式と密接だった。
注連縄作り
どんとやき(注連縄神棚焼き兼ねた田の野焼き)
収穫祭
酒造儀式
彼岸儀式
それに所謂、祭りの準備、、
まだまだ色んな儀式あり 神様が時代により、習合されたように参拝も変わっていいのでわ?
島田氏のが間違ってるとは思わないの?
by 天津神&国津神
明治政府の決めた方法
なだけで、伝統でも何でも無いし
ごちゃごちゃうるせーなどの宗教だって神様云々だけじゃなく生活の知恵絡めて今に至ってるんだら自分が信じるように相手を敬う気持ちを込めてやれば問題ねーだろ
いちいち形式にこだわって肝心の部分抜けてたら意味ねーだろ
拝みはするけどお金入れたことはないなぁご利益受けなくても幸せに生きれますようにと願ってるからね
>>122
戦後の敗戦で神道は一度ぶっ壊れてるからいろいろ難しい なぜかわざわざ遠くの有名な神社に足を運ぶ人が多くてなかなか参拝に時間がかかるから
「手合わせるだけでいいっすよ!」というのを広めようとしてるのかな
どうせなら近所や生まれたところの神社に行くのを勧めた方が良いのでは
今は参道の真ん中は神様が通るから端を歩かないといけないらしいぞw
神道に全国的な作法なんかなかった
より広範囲に統一性を持ってた仏教諸派に乗っかってっただけ
チャリーン、という音が神に伝わって救われる
と、言ったのはヨハン・テッツェルだっけ?
>>101
おまえ、被害妄想ヒステリック左翼だろ?
住所名前唱えのハシリは、ワールドメイト??のエセ教祖だ。 正直神様に対して小銭で拝むのは失礼だよ今時コンビニの東南アジア人でも時給900円だよ
おまえら神様なめてんの?
>>105
米飯をナイフでフォークの裏に載せて戴く
日本では時代遅れとされるが西欧にあるマナーだし、カトラリー持ち換えずに済んで美しく合理的でもある 長年2拍手したまま合掌して祈ってた
弓道部の神棚に祈る時二礼二拍手一礼だった
最近は当の神社にその作法が書いてあるから従ってる
頑なにというより、そうしなんしてあるから
>>58
聞いてないなら賽銭返してもらわんとなあ・・・ >>106
もし、あんたが天皇への謁見が叶って
宮中に呼ばれ、謁見の間に通されたら、まずどうする?
海外要人でさえ部屋へ通される度に礼をしてる 出雲大社や伊勢神宮は神社なんだよな
どうも寺との区別がついてない
泉岳寺も毎年お参りしてるけど
三三七拍子を叩いて日野皓正がピラミッドを演奏しはじめた
本来、柏手なんか何回打っても良かったんだよ。
あれは、平たく言えば神様の気を引くための合図だから。
神様、俺はここにいるよ。こっち向いて〜。程度の。
だけど、江戸後期、お伊勢参りが大流行した頃、
みんながパンパンパンパン手を打って喧しかったから、
柏手は2回まで! と決められた。
そして、神社の大元たる伊勢神宮がそうなんだから、それが正式なんだろう?
ということで広まった風習。
柏手なんか好きなだけ打って、好きなように拝め。
作法の形式の、神はその程度のことは気になさらん。
神社によって正式なんは違うで終わりなのに何でこんなに伸びてるの
>>138
神社:神道(日本のアニミズム的宗教)
寺:外国の宗教 >>105
スプーンだよな
出来れば先われスプーン >>126
神様は上から降りてくると思うな
なんだよ 鳥居くぐって参道歩くって意味不明 >>144
増上寺や泉岳寺は外国の宗教?
ふーんそういう区分けで見てなかったわ
明治神宮や靖国神社よりずっと古いのにな >>138
神社→神道
寺→仏教
でそもそも宗教自体が違います
寺と教会ぐらい違うのよ 昭和、平成、令和と3時代にわたって続けられてきた作法なんだから
もう伝統といってもいいんじゃね?
>>148
因みに他の宗教には教義があるが神道には無い。 >>132
ああいうの、参拝方法の例として神社庁が出してるんじゃない?
庁なんて言ってるけど、行政機関でも何でもない、いち法人に過ぎないけどね 日本に古来からある信仰心は
万物に神々が宿り
森羅万象を敬い感謝するもの
優しく寄り添う思いやりの心
神道でさえ
日本古来のものではない。
>>147
基本通いっす。
夕方以降神社に入るなって言われてるだろ?
あれは神さんがいない間な魔物がすくうからだ。 >>149
徳川は浄土真宗だっけ?曹洞宗かな?
寺も作ったけど神社もいっぱい作ったよね >>135
今上夫妻と数年前すれ違ったけど礼もなんもしなかったな
すれ違っただけだから >>149
仏教こそが日本の宗教な
神道はそれにくっついて生き延びただけ 昔いたとこじゃ
鈴ガラガラガラン
パンパン
手合わせて祈る
これだけだったな
聖徳太子以降、仏教が日本の国教だから神道はオマケみたいなもんだな
>>148
仏教伝来は歴史に残ってる
神道は不明(南方系,北方系、要素は色々) 木や山が御神体とかもあるしな
おい、起きろ
鈴ガランガランガラン!
目を覚ませ
パンパン!パンパン!
よく聞け、願いを言うぞ
こんな感じかな
>>157
家康は自分を神社に祀らせたしな
仏教僧に 外来といったって1300年か1400年の歴史を経てるのに外来云々言われてもな
ヨーロッパは中東由来のキリスト教を信仰してる(キリッとかいうのか
>>153
本当の八百万の神の世界観は出雲に置いてきてしまったんだろうな >>4
迷いを生じさせお参りに水をさしたいんだよ。 ゴミ本の宣伝? 宗教学者なら神社本庁に行って論破ぐらいしてこいよ。
>>148
明治神宮の祭神の明治天皇や靖国の祭神の英霊は新参の神様というだけで
宗教としては神道の方が仏教より古いだろ。
そもそもブッダの始めた原始仏教には何とか菩薩とか何とか如来とか偶像は存在していないし。
ああいうのは仏教が伝来するうちに付け加わった「不純物」だわな。
神道は日本民族の土着宗教で仏教は外国の宗教で間違いない。 >>152
まあそうなんだろうけど
賽銭箱の傍とかに「参拝の作法」とか書いてそ置いてあったら
一応従うよね >>164
鈴のガランガランはドアベルの比喩で良いと思うが、
拍手は「私は怪しい者ではありませんよ(清明な心の持ち主ですよ)」
という自己認証だと思う。 >>157 浄土宗
で、家康は東照神君ってんで神様かと思ったら、実は薬師如来の再来ってんで、もーわけわからんw
ま、何でもいいのよ。どーせわかんねーし。但し、現在神社参拝で二礼二拍手一礼が浸透してんだったら、それはそれで問題ないよね。それとは違う、例えば出雲大社は4拍手だって話だし、修験道とか入って来ると祝詞奏上できんとNGって神社もあるらしいし。
教義も秘蹟も関係ないのが良いとこなんだよ。 過程の考察としては面白いけど
今あるものが道理ってことでいいとは思う
>>130
1円玉は軽すぎて飛距離が足らず賽銭箱に届かず、力士の塩撒きみたいになった。
反省… 以前、細木数子がこれ言ってて神社に否定されてなかったっけ?
歴史無くても神社がこうやってね、って言えばそれにしたがうよ
ニ礼二拍手なんてしたこともねーよ。くだらねー。
本来、日本は神仏混淆で呑気だったのに、
明治以後、神道が優遇されてこの通り。
日本史辞典でしべてみりゃ分かるが、
仏教用語は非常に多いが、
神道用語なんて殆どない。
神道なんてそんなもん。
まあ、原始宗教だから、そもそも経典云々なものですらないけどな。
>>166
まあキリスト教も布教先の土着宗教と習合をしているのだけどな。
外来宗教でもあり土着宗教の要素もある。神仏習合と同じだわな。 ここで御祈祷して頂く時は祝詞一緒に唱えるんです。
ご覧あれ。
俺の知る中では一番どうでもいい記事だな。
良く盛り上がれるとおマイラには感心している
出川の充電旅も、出発地点や終着地点が神社ばっかだな。
神道推奨の番組か?
ま、寺(仏教)にはいろいろ宗派があって、ややこしいけどなw
>>185
コンスも似非マナーな
あれはコンスでもなんでもない >>168
出雲こそ縄文人文化の国だからね
戦うことを好まずに、山陰地方に国譲りして退いてしまったけどそれが縄文人らしいから
戦いが得意な勢力に多くの地域は占領されてしまった このスレ見てて初めの2礼やめる決意ついた。前からしっくり来なかったんだよ
逆に去り際の1礼はあっさりし過ぎに感じることもあったから、気持ちが昂ぶった時には去り際に2礼するようにしよう
割と時間が掛かるからな。短気な昔の人がこんなまだろっこしい事していたわけがない。
>>194
山陰地方とすると規模がでかいので
雲伯地方だな >>187
文化人類学的には、基盤宗教と普遍宗教みたいな分別をしてるな。
要は信者の数だけの区別なんだが、普遍宗教である仏教やキリスト教、
イスラム教なんかはたしかに普遍になるだけの洗練がある気がする。 >>190
寺ででもやるらしいよ。
まあ、宮参りした産土神は一生を守護してくれるけど。 >>132
柏手合掌は江戸時代からずっとやってきたんやで。 まあ拍手も別になくてもいいけどな
好きにやればいい
>>194
その割には現代人の縄文DNAの残り方は半端なく多いんだよな
出雲のその説が非常に疑わしい >>130
そうなんだよ
神様は乞食じゃない
賽銭を投げ入れるなんて冒涜だ
神様にはただ、静かに祈ればいいだけ 二礼二拍手一礼
これほんとクソ
名刺の出し方や面接時の椅子の座り方みたいな、気持ち悪い儀式感がある
>>1
>二礼二拍手一礼だと、形式だけで終わってしまう。心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。
二拍手の後に心の中で祈る間を作ればよくね?
てか皆そうしてるもんだと思ってたけど >>194
しかも出雲の神の大国主命は参拝者が祭殿の横側を拝むことになる変な形で祀られてて
生け贄みたいにも見えるわ >>185
わかる
たまにスーパーのレジの人にやられるけど、こんなのいちいちいらないよ これだけ色んな意見が出て纏まらないってことは皆よくわかってないんだろうなw
もともとは神社ごとに違ってたから神主の所作として統一されただけだよ
だから一般人は好きにしてもいいんだよ
>>187
神仏は一緒やしな
大阪のたいていの家庭の台所には
三宝さんという台所専用の神棚がある
三宝荒神という仏教の神さん
火とかまどの神
仏壇じゃなくて神棚w
誰も神仏を分けてへん
パンパンパンって3回柏手をうつ
仏・法・僧らしい
まぁ、明治以降やりすぎた
あんなのは我々の宗教やないな スーパのレジの人がスーパーサイヤ人に空目した..死ぬんかな俺
オウム朝原を絶賛してたキチガイ?
まだ生きてたのかよ
>>206
基本、神社は天子南面を向くといって南か東に向いてるが
出雲は神座が西だっけ?大國魂は北だったかな?
出雲は注連縄の向きも逆だっけ? というか宗教学者の意見より神社の説明書きを信じるけど
>>194 へ?
あのさ、縄文集落の出土なんか見るとね。縄文人の人口密集地って長野山梨関東内陸とかその辺だっていうぜ。
また、出雲は国譲りとかの話で神道と繋がり安いんだけど、諏訪大社に行くと大国主命系は張り出しで祀られてて、諏訪の主祭神じゃないの知ってる?
縄文の祭祀宗教的な遺構って共同墳墓とか、あと、今の諏訪御柱祭りに見られるような柱立て風習なんだわ。
出雲と縄文がどう繋がるかって知識ないんで教えてほしい。
個人的には、縄文由来の祭祀は諏訪御柱みたいなのだと思ってるんで。 片腕の人はおまいりできないのか、差別だって叫ぶ人が出て来るまでが今の日本
>>1
氏神八幡宮の宮司の家系から言わせてもらうと、
「うん、そうだね。でも二礼二拍一拝でいいよ」
だね
伊勢神宮宮司みたいに四方拝しなくてもいいし、
例大祭みたいに二礼八拍一拝しなくていいし、
出雲みたいに二礼四拍一拝でなくていいし、
二礼二拍一拝でなくても構わない。
正解がないから。
あたかも正解があるかのごとく書いてるほうが間違いで、
神道には「礼法」や「作法」というのは宮司や神主にしか求められてないものだから。
なので口伝で伝えるものなので、それ以外は氏子でも知らなくていいもの。
なので勝手に好きなように「神様に敬意を表せばいい」わけ
イスラム式に地面にキスしてもいいし、キリスト式に従事切ってもいいくらい
こいつのまずいのは、絵巻物をもって、」
「これが正解だから二礼二拍一拝しないのが『普通』としてる点。
正解なんてない 神棚と同じだからな
粗末には扱わないけどバカ丁寧にもしない
>>17
神道だって、いつもパンパンじゃないよ
忌みごとでは、手を真ん中で合わせるけど音は出さない >>215
諏訪はミシャグジ様だからね
そこに別の柱を置いてるだけなので、大国主命なんかは後付け。 >>220
商人だと二回拍手で一拝でいいしな、神棚。
閉店時に三三七拍子でも、三本でも一本でも好きにしやがれって感じ >>213
普通の神社とは客神の祀り方が逆だから
締め方も逆とかなんだったとかだったと思う >>187
オミオツケって言葉知らない?
御御御付けと書く >>218
人に迷惑かけたり特別に不快な感じを与えない限り、つまらんことに目くじらを立てることじゃないよな >>215
青銅器から鉄器の移り変わりでなんかありそうだな。
出雲で青銅器がまとめて一ヶ所に捨てられたように出土してるし。 僕たちは神様にお参りしているのであって、
神社関係者にお参りしているのではない
僕と神様の間に割って入り、きしょい儀式を強制するな、タコ
アホくさ
参拝の仕方がからない人のために作った作法なのに
伝統じゃないとか老害ハンパねーな
>>215
諏訪の人間なんか2000年前よりずっと古いからなw
キリスト教の西暦史観に影響され過ぎ >>202
父系が縄文、母系が渡来系でアイデンティティーは母系って人らが勢力を広げたのかもしれない
大和朝廷の初めの頃は母系の一族が目立ってるしな
出雲じゃないけど島根の遺跡の発掘調査ではY染色体が縄文系でミトコンドリアは渡来系だったというのが判明してる >>228 ありがとう
そのあたりをキーワードにして出雲のことも勉強してみる。
アーリア人 とか出てきたりして。 長々拝むなって書いてる神社があって、どんだけトラブルあったのか分かるわ
>>229
その気持ちはわかる。
まさにキリスト教における福音派(エヴァンゲリオン)やね。 政府の出先機関の神社本庁が勝手にあれこれでっち上げてんやろ
あいつらほんまええ加減にせえよ
>>236
観光で来て写真撮ろうと思ったらそいつが長々と拝んでるとめっちゃ邪魔w >>228 青銅器から鉄器に移り変わったわけじゃないよ
鉄器は武器と、木工具としての優位性は早くに認識されたけど、保存性の悪さは最初からわかってる。
銅合金の用途は今も広い。
青銅の最大の利点は、「つぶしが利く」につきるんじゃないかな 神社のビジュアルって中国のお寺そっくりだよな
日本のお寺のビジュアルはどっから来たんだろう
>>242
青銅の武器VS鉄の武器での戦いで青銅の武器を使った出雲が負けたんじゃないかな? 作法ばっかりで心がない
その作法もダサい
廃れるだろう
神社は穢れを払いに行くとこだから願い事なんかするな健康に過ごせたお礼を言いに行け
参拝客が増えるほど穢れが満ちるからお参りはなるべく日が出て早い時間にいけ
お参りの時はガラガラ、ペコペコ、パンパン、拝む、ペコリ
これがじっちゃから言われたからうちのルール
最初の二礼ってのがなんか気持ち悪い作法なんだよな
ぺこぺこしてさ。
鈴を鳴らして、賽銭入れて、パンパンって拍手して
あとは合掌のままお祈りして、最後に礼するだけでいいじゃん。
拍手で邪気を払うんじゃなかったの?
霊能者なんかもそんなこと言ってたような
誰だ言ってたか忘れたけど手をたたくってのは、おい来てやったぞと偉そうにしてるにすぎないって言ってたな
>>247
うちの神社はお願い事をしてもちゃんと聞いてくれてだいぶ助けてもらっとるわw >>238
エヴァンゲリオンって福音派って意味だったのか
なんか納得いったわ、あのアニメが 二礼とか
二拍とか
最初に言い出したのは誰なのかしら?
>>253
エヴァンゲリオン=福音=good news=ゴスペル >>253
福音派はエヴァンジェリカルなので
厳密には福音自体を表す はい神様に拍手!
これで気を良くした神様はなんでも叶えてくれるはず
こういうのも男系男子は必ずしも伝統ではないという論理なんだよ
>>253, >>256, >>257
あ、すまん。今ググったら福音派は「エヴァンジェリカル(Evangelical)」じゃった。
福音が「エヴァンゲリオン」ね。 そういや初詣に夜中に行くってのもおかしいよな
しかも新暦
お前ら詳しいなw
そういえば、トランプも福音派じゃなかったか
脱線するけど
>>252
どうしてもお願い事をする時は必ずお礼参りしろとも言われたよ
昔就職で苦労した時に氏神様ではない別な仕事の神様とこでお願いしたら途端に就職決まって仕事忙しくて
お礼参りをしないまま3年程過ごしたら偉い目にあった
ちゃんとお礼参りしとるかい? >>262
ガキの頃は堂々と夜遊び出来るから喜んでたけど
今は誘われても行きたくないな なんの神さんかによって違うな
大阪はこんなんやしw >>260
うん
ギリシアの原語だとそうなる
ちなみにプロテスタントを俗語交えずに
学術的というか真面目に論説する時とかにも
エヴァンゲリオンってのを用いたりする
ヒスチャンとかを字幕で見てるとちょくちょくでてくる ウチの氏神様のトコの宮司さんは、
作法云々考える前に、神様への挨拶と敬う気持ちさえ忘れなければ、大抵ノーカン
つってたw
逆に作法ばっか気にして、ドヤって他者に押し付けてる奴が気に食わないともw
>>264
俺はお礼参りもしてるよ。
お願いするとき千円お礼参り千円。
天神さんには不義理してるのでいつか行かないといけないけど。 >>256 使徒言行録 の中身でおkだよな。
イエスさんの曾孫弟子だかが弟子の話をまとめた。って話。
それ考えると
使徒襲来ってのが
ゾンビみたいなもんなんだろな。 >>258
「はいど〜も〜!まあそんなこんなでボクなんかもいっつもね、『頑張って行かないかんなあ』て言うてるんですけども」 今年の初詣は今までありがとうございましただけ
お願いはしなかった
今まで遠方の神社に初詣に行っていたが
今度は違う神社に行こうと思っているから
お願いしたらお礼参りしなければならないし…
いや合掌はするだろ
二礼して二拍手したらそのまま手を合わせ祈る
そして祈り終わったら一礼で終わる
祈らず二礼二拍手一礼で済ませてもいいが普通は祈る
島田裕巳ともあろうものがなんか変な難癖を付けてるな
宗教学者の島田裕巳氏について(Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%B7%B3
『週刊朝日』1991年10月11日号に「平成の『宗論』を読む」を寄稿[8]。「オウム真理教は仏典の研究や修行に打ち込み、
仏教の伝統を正しく受け継いでいる真摯な教団である。オウムは必ず、仏典に立ち返って、自分たちの教えを説いている。
オウムは最初はヨーガから始まったが、その後は、仏教の本来のスタイルに近づいている。日本の仏教は世俗化している
ためにオウムが特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる。パーリ語の仏典を訳したりして、勉
強している点も、それを裏づけている」とオウム真理教を評価した。 >>252
お願いが叶ったって実感があるのが羨ましいなあ
今まで願いが叶ったって実感ないわ
まあだから来年から違う所に初詣行こうと思っている >>278
産まれた場所と住んでる場所がいっしょなら宮参りした産土神社に行く。
転居して違うところに住んでるなら住んでる所の地区の神社に行きなさい。 >>277
日本の宗教界があまりにも糞すぎるから相対的にオウムがまともだったのはある >>267 なんだかよくわからんがアラム語らしき礼拝聴いててもエヴァンゲリオン、らしき言葉は出てくる。語源はアラム語かもね。
キリスト教みたいな教義教典持ってりゃ伝播に伴っていろんなものが言葉伝わってくけど、日本の神様その辺無頓着だからさ、時代とともにどんどん変わったんだろな。
おそらく古代は神と交信できるシャーマンとかが秘術を継承してたんだろがね。 >>259
アマテラスの頃から、日本は女神信仰だよ
ナウシカや初音ミクはその流れ
老害カルトが日本の伝統文化を穢すな 作法は別にしてもやはり拍手は打った方がいいな
右手が陽で左手が陰
陰と陽を激しく衝突させることでエネルギーが生じる
簡単なお払いであり魂振りとなるのが拍手の効用
>>269
それで食ってる人間は言い辛いだろうよ。
上から目線に取られるし。
神道の基礎=儀式=畏み畏みー祓い給え清め給え
畏み畏みが、厳格な作法。
極端には天皇の祭祀儀式は重大な労働力が要るが、
心中がどうあるのかなどは天皇の勝手であり
これは、個々の個人にも言える。
参拝という儀式を清く行う事が重要で、心中は人それぞれ 奈良時代以前は
神をその身に宿らせ神の意思を感じる「神降ろし」こそが人と神を繋ぐ場であった
神の息は 我が息なり
我が息は 神が息なり
国家神道が民の支配という野心のためにその真のしきたりを歪めてしまった
天武天皇こと大海皇子が犯人
神社に二礼二拍手一礼って書いてある所あるよ 出雲は四拍手かな
一応現代の作法として守ってる人に違和感とか頭でっかちなだけ
御朱印ガールズとやらが守ってなかったらそれはそれで無知とか叩くんでしょ
>>1はアマチュアのおっさん。神社はプロ。どっちの言うことが正しいかだなw >>286
山に女を連れてったら神様が嫉妬するんだぞ >>284
ギリシャ語からアラム語に入った外来語だろ。
いかにもギリシャ語っぽいし現代アラム語はキリスト教徒しか使ってないもん。 島田は宗教学者じゃなくて宗教系三百代言だろう
自身の知に振り回された愚か者
>神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられたのは、明治時代だという。
明治以降という事は今まで随分長く続いている伝統ではないのか。日本人の生活に完全に
根付いているものには明治以降に始まったものが多いと思うが?
より古いやり方の方が正しいなんてあまりに乱暴な論理だろう。
>>284
アラムはイエスの言葉として有名なので
そういう意味では原語かもわからんが
それは言葉の源流って意味とはまた別の話だな >>281
弥生時代から存在し
今の形態は天武天皇の頃から >>293
でもね神社本庁傘下の神社は本庁からの通達出すしかないだろ。 >>288
新潮は韓国叩きしてパヨクに攻撃されたばかりだろ なんか「二礼二拍手一礼を一気にやってて祈る時間がない!」みたいな書きぶりだけど、多くの人は「二礼二拍手"合掌"一礼」だと思うけどな
>>298
それこそ、
エスカレーターは右側で、とか左側で、とか
ご飯は左、汁物は右、とか
ご飯を食べる前にいただきますと言いましょう、とか
お正月には年賀状を送りましょう
を守らない奴に文句つけてるようなもんだからね
逆にそれを言われて「そんなの最近の伝統だからやんなくていいんだぜ!」とかアウトロー気取ってるようなもんだしな キリスト教だってルターの宗教改革で随分色々と形が変わっただろう。仏教も神道も
時代によって形を変えてくるのは別におかしくない。
>>306
神式としては合掌しなくてもいいんだけどね
それ、仏教の作法だし。
もちろんやっても構わないよ
拍手打った後、自然にそうなるから >>275
俺もそうだな。
父母が亡くなって実家を売ることにしたので、11月の頭に氏神様の所に行って
「これからは帰省じゃなくて旅行者として来ます」と報告した。
俺はちょっとウルっとしたけど、境内を吹く風が暖かくて心地よかったので
うまく別れの挨拶ができた。神様ありがとね。 >>303
基本バラバラ
二拍一礼とかは
戦争時に始まったんじゃねーの
明治天皇〜神道〜昭和の流れ
清荒神清澄寺
大阪人の大半は、年末年始ここにくる
神仏習合がまだ色濃く残るなここ >>1
親がそうかがっかいだが
そういえば仏壇に手を合わせるときに手を打つなって言われたなー
で、お賽銭は禁止、なるべく鳥居もくぐるなって言われたっけなー
そっち系のしきたりだろ >>308
ご飯左って左大臣のように、日本はずっと左を重視してきた
米も日本人にとって特別なもの
最近になって、仕切り屋がしゃしゃり出てきて勝手にルール化したものじゃない 初詣くらいでしか神社に来ない人は二拍してそのまま合掌って人がほとんどで宮司がイライラするって言ってた
都合のいい所だけ取り出して「昔の方が伝統的な作法で美しかった」とか。
そんなら戦前のように父親がクソ威張って奥さんも子供も付き従う「作法」もありなのか。
参拝の作法がどうのこうのと言っても、所詮知ったかぶりに過ぎないだろこれ。
宇佐神宮の地元民だが
一応、看板には二礼四拍手一礼とは書いてあるが
実際、観光客以外の人は時間をかけた一礼のみのことが少なくない。
3つ並んでるので3回やるうえに、上宮と下宮があるので少なくとも
6回になるということもあるが。
>>320
気持ちよく感傷に浸ってるんだから、いいじゃんかw >>309 ルター派って、伝統的キリスト教諸派からは
原理主義者
って呼ばれてんだぜ。
反カトリック利権に載っただけだし。聖書訳もどっかすっ飛ばしたって 古来は「三礼三拍手一礼」だったという説があります。
これは、造化三神とされる
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、
神皇産霊尊(かんみむすびのみこと)
の三柱の神を拝むからという説があります。
いずれにしても大切なのは敬意、敬う心なので、それだけは、忘れてはいけません
>>316
ちげーよ
> ご飯の配膳において、関東と関西で異なっているのは、汁物の位置だ。
関東は先述した基本の配膳位置であることが多いのだが、関西では汁物がご飯茶碗の奥、副菜の位置にくることが多いと言われている。
配膳の位置に関するあるアンケートによると、とくに大阪・京都・兵庫の3府県では、汁物を左奥に置くという人が7割以上にもなったようだ。
その場合、右手前には主菜を置くことが多い。 神社には正式参拝と言って拝殿で玉串をあげる作法があり、その場合は必ず二礼二拍手一礼だ。
しかし賽銭箱の前で祈るのは合掌でもいいと思う。正式ではないけど。
>>322
宇佐は古社だからそうだね
別にどうやろうが構わないんだよ
式をきちんとやるのは神主でいいんだから >>327
初詣とかで一つの神社に複数参拝する対象があると
自分は何を願うのかと内省する機会にもなる オウム真理教を擁護したことを自己総括もしてない人の言うことだから他意があるんだろうね。
作法というのは慣習だから時代によって違うのは当たり前。
神無月には出雲大社に八百万の神が集まって会議するってのは出雲大社が勝手に言ってるだけらしいな
それがこれだけ広まって定着したことには意味がありそうだが
>>329
こういう風に「そういうことが多い」レベルの話を、作法だからみんな守れみたいに言い出すからおかしなことになるんだよな >>1
>宗教学者の島田裕巳氏
オウムを肯定的に紹介して、その拡大に多大な貢献をしたネオアカの旗手じゃねえか。
学者もどきのペテン師とバレて東大が採用拒否したのも当然だ。 >>319
別にそれでもかまわんだろ
つーかドラマとかアニメだとたいていそうじゃね? 二礼二拍手して拝んでから最後一礼してんだけどそれじゃダメなのか?
ちなみに神社本庁のページですらこう
気になるならこのページの動画の真似してたらよろしい
鈴は鳴らせなくても構わないから、
その場合は二拝二拍一拝でも、
二礼二拍一拝でも構わんしな
祈るときに合掌もなくてもいい
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/sanpai
> 神社に参拝する場合、どうしても形にとらわれてしまい、終始形式的になりがちです。
参拝作法は、永い間の変遷を経て現在、「二拝二拍手一拝」の作法がその基本形となっています。
そこに、どう心を込めるか、また込めたほうがよいのかは、参拝される皆さんの心の持ち様ではないでしょうか。
それがためには、具体的な形におけるそれぞれの作法の意味をわかって戴くことが重要です。
もちろん、祈りの心は個々に違っていて当然ですが、参拝とそれにかかわる作法について、
その「形」の前提にある「心」をわかって戴ければ幸いです。 >>338
神様の前なんだから礼から入らんと失礼だろ >>325 口寄せだと
〜みればおそれんざんのじかくだいしさまのちかくによびよせられて〜
ってうたうし、
呼ばれてんのは死んだ人だし
イタコと神降ろしは似てるけど違うんでね
イタコに阿弥陀様呼んでくれったら来るのかな >>341
神様って意外と狭量なんだな
そんなの好きにしてくれよ!ガハハハハ!
とか鷹揚にしててほしいものだよ かたちだけ二礼二拍手一礼なんてやって神に心から祈っていない、心が向き合っていない
慇懃無礼を連想し大変に不愉快極まりない
日本の神が見ても同じ意見だろうよ
みんな拝みたいだけやねんしに二拝も二拍手も正味いらんもんやねん。
>>1のふざけた主張がオウム心理教支持者の発言って理解するとなるほどって感じだなw
やっぱそっち系の主張だわなw
手を打つなは創価だしなw >>341
神様は気にしてないから
というか多すぎていちいち相手にしてない >>339
それであってる
拝と礼の違いは気にしなくていいよ
拝のほうが深いお辞儀の最敬礼なだけで。 >>319
イライラはいかんな
それだと心が穢れてることになってしまう
禊せんと >>343
社長の『今日は無礼講』で調子に乗っちゃう痛い奴か 二礼二拍手一礼が広く知られている訳だしさ、他の礼儀作法実践したら、真実知らない神の使いとかにあらぬ神罰受けないか心配
とりあえず廃れるまでは221を実践するよ。
俺の神様は作法気にするような狭量な器じゃないから気にしない
日本人はお茶を飲んだり格闘技をする時も形の美しさに拘ってそれを「道」にまで
昇華してきたわけで、神社への参拝に作法があるのは寧ろ極めて日本人的と言える。
たしか裸で、狛犬からさい銭箱まで100回走り回るんだったな
その神社で異なるんだから、宮司に確認すればいいだけの話だろう。
出雲の国では、二礼四拍手一礼だし。
40前半だけど2礼2拍1礼は、わりと最近広まってきたイメージ。昔は自由だったよ
>>1
魏志倭人伝でも倭人は貴人の前に出ると拍手で敬意を示すとあるが キチガイ底辺包装機械製造業の工員が神棚で参って大興奮
>>351
逆じゃない
『神さまの前』
『社長の前』
どちらもこっちの問題 近所の小さな社に毎日参拝に来る年寄り連中は割とみんなフリースタイルだけどな
江戸しぐさは馬鹿にするくせに
ほんの数十年前に決まったどうでもいい拝礼方法は守る
これこそ霊感商法なのにみんなアホやの
&t=210s
↑寺と神社を完全に混同してる低学歴馬鹿女 (3分30秒から)
京都出身祇園で寺社関係者相手にホステスやってたのに理解できてない >>357
ほんとこれ。2000年頃から今で言うネトウヨ層から広まってきた作法ってイメージ
当時、おれはしいて言えば1礼2拍手1礼かなあ…神社で拍手はしないなあパンパンじゃホトケさんだよwって言ったら、
礼儀知らずだと詰問されて、憮然としながらいやお前らこそ何だよって言ったら、しまいにゃ非日本人とまで罵られたよ。
マジで何だこいつら、どこから・いつから湧いた? そんなことより、もう少し賽銭はずんでくれんかのうw
>>366
神社なんて行ったことないくせに何を言ってんだパヨク >>369
あの絵の付いたプラカードが原因だわな。 >>206
大国主封印説は戦後に広まった根拠不明の陰謀論だからあんまりドヤ顔で話さないほうがいいぞ
天神さん
道真公に挨拶に行くのに、そんな大袈裟な作法がいるのか?w
東は、国家神道で天皇天皇言うてバカになってるw 丸谷才一のエッセイに○○さんは神社の息子で柏手打つのがうまいみたいなんて内容あったけど
>>333
習慣で言うなら、無宗教になるぞ
今の時代、神を信じていない人の方が多いからな
だったら、お前もそれに従えや それ言い出したらそもそも宗教の習わし全てがどうやったってどーでもいいものになるじゃんアホくさ
要するに、日本会議の老害が子どもたちに
「甘やかして育てるとニッポンが滅ぶぅぅぅ!
給食時間を短くして早食いせよ!」
と喚いているのと同じ
給食を早食いして日本が強くなるかよw
それと同じなんだよ
強制しようとしているのも似たような連中
二礼二拍手一礼、そんなのあったの?知らんけど
お参りの内容にもよるんじゃない?
八百万の神っていうのか?その土地の神様に普段からのお礼を祈るなら軽い会釈とか、
開祖が即身仏になったとかの神社に都合の良い頼み事をするなら、
パンパン!と景気のいいデカイ音を出してでも「神さん頼みます」ってお祈りするんじゃないの?
「神社で拍手を打つな!」と宣言しちゃうのも、また同様に形式に囚われてる証拠だと思うけどな
インターネットが発達し情報伝達の手段や機会が増えたのはいいが
主に反日シナチョンどもが「これが絶対なんだ!」などと嘯いたり、
(小)中華思想による序列をデッチ上げ性質の違うものを比較し優劣を固定しようとする
誰誰に有利だからこういう事にしておこう、歴史をコリエイトが口伝で広まる
>>366で書かれてる通り「ネトウヨ()がやりそうなイメージw」などと逆恨みを始める
暴れ放題暴れる乗っ取りミンジョクが拒絶されると
「文化の多様化ガー!グローバルガー!」なんて被害者ぶる癖に
多角的に物事を捉えない一辺倒な屁理屈を他人に強要する
非常に面倒臭い むしろ若い人が神社に聞くんじゃないかなあ
どう参拝すればいいですかって
それであの神社の掲示ができた
敗戦子供世代〜団塊って日本の伝統を忌避軽視してきたから
あまり親しんでない人も多くて
その子供世代が伝統的なきちんした参拝作法を習いたいと思うのでは
>>1
二拍手と一礼の間に祈る時間があると思うけど >>364
祇園か
京都で祇園というと、八坂神社のこと
もとは、「祇園社」という神社
だから祇園祭は八坂神社のお祭りやな
祇園というと
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありやな
天竺にある5つの精舎のひとつが祇園精舎
祇園社つまり八坂神社に祀られているのは牛頭天王
牛頭天王は、祇園精舎を守る守護神
まぁ、そもそも神仏は分けられてないのが正しい
明治政府が無理矢理に分けただけ >島田裕巳
オウム真理教は正しい言いっぱのクズの人やん
>>378
なんでいきなり喧嘩腰?
おまけに慣習と習慣の区別がつかないとか・・・ 宗教で食うと堕落するだけ
神社本庁とか見てみ
主教団体は免税の代わりに慈善活動を義務付けるべき
>>386
でも律令では神祇官は寺と別に定めてあったんでないかい 炎上商法/炎上マーケティング、情報テロにっても過言ではない騒動の数々
変な釣りで他人に合わせてもらおうとする詭弁、やめろよ
ウザい
>>357
ワイの地方ではどの神社でも4拍のひとが多かったよ
年寄はいまでも4拍する人多いね >>393
一礼して頭の中で願うことを念じる→そのあとにやりたければ二礼と拍手と一礼をすればいいと思う。 >>391
意味不明な誤字修正
炎上商法/炎上マーケティング、情報テロと言っても過言ではない騒動の数々
変な釣りで他人に合わせてもらおうとする詭弁、やめろよ
ウザい
「今度こういう本出します。
こういう事を調べてまとめたので興味のある方は見てください。
よろしくお願いします。」
これでいいじゃねーか?なんで自分から頭を下げられない?
何で他人の落ち度に便乗し(無いなら捏造してでも)他人を貶め、
「自分の方が格上(笑)なんだ!聞け」ホルホル系の自演をする?
島田裕巳、オウム真理教を持ち上げてた奴らしいな
禄なもんじゃない >>389
ゴミ拾いという行為を通じて己の心も清くする宗教とかどうだろう
おつとめは週一回いずれかの分別にしたがってゴミ袋一袋分拾うだけ >>395
そやな、やっぱし皆お祈りお願いしたいわけやからに。 150年とか続いてるならそれが伝統で良いよ
だいたい大元のオリジナル通りやらなきゃならないなら、祭りや儀式全般がもっと血生臭くなるだろ
>>312
良いお別れが出来たのは良かったね…
何だかしんみりしちゃうなあ >>74
神主「どんな形でも問題ありませんが、賽銭無しはダメです」 >>394
出雲大社かな
もしくは大分県宇佐、新潟県弥彦 大きいお宮は前の参拝者の通り。氏神は自然にその時の気分で笑
俺自身が、反宗教だからなんだけど
今時、宗教なんかに入れ込むやつの頭ってどうなのよ?
自分以外の誰かに導いてもらわないと、知識や良心も持てないんですか?と言いたいw
この儀礼って覚えたてのころは意気揚々とやるけど
何度もやるとだんだん馬鹿馬鹿しくなってくるんだよな
正式な拝礼は賽銭入れるとこでやるもんじゃねーしって
思うと滑稽に思えてくる
>>278
祝詞に
「風がふく」とある。
風が吹けば聞いてくれたという事。
=叶ったという事
=祓い清めがあったという事
で、祓い清めは個人にとって苦であったり健康であったり様々 >>407
正式参拝のことを玉串奉納というだろ
榊を供える作法 坊主が大嘗祭に嫉妬してんのか?
国宗は神道と誰もが気付いたもんなぁ
>>406
で?
導きなど誰も期待してないでしょう
多くの日本人は
日本の文化と国と家系家庭の為に神道儀式と先祖供養をしてる。
あまえの人生が浅はかなだけ 出雲大社は221ではない
これマメな
宇佐神宮も同じ
八坂神社のホームページを見ると
祭神は素戔嗚になってる
「斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。」
いやいやいやw
祇園精舎の牛頭天王だからw
相当苦しいこじつけやな
廃仏毀釈の恐ろしさよ
こうして全国各地の祭神が、明治政府によってでっち上げられた
>>414
そもそも神道に伊勢系と出雲系があるからな
明治期の神道行政みてればわかる。 オウム擁護者が何を言っても耳を傾ける奴は朝日くらいだわw
>>415
牛頭天王が何かがよくわからんし
もともとは仏教とは関係ないもの >>409
教えてくれてありがとうございます!
神社にお参りする際には色々気をつけてみるわ >>415
牛頭は八坂氏の子孫が後から祭ったもんやで。 いやいやいやw
今でも、八坂神社は人々に祇園さんと呼ばれてる
仏教八大聖地を名に冠して、仏教と関係ないとは
んなわけあるかいw
八坂神社って名前に変えさせたのも明治政府の出先の神社本庁やし
アホかw
>>288
新潮はネトウヨどころかインターネット普及以前の昔から反韓右翼で一貫してるよ 正しい参拝のしかた
鳥居の前で一礼
本殿の前で自分のお尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき、階段を昇降しながら大声で 「びっくりするほどユートピア!」 と
唱えると気分が晴れやかに
どうせ、明治政府、逆らったら取り壊しやとかなんとか言って
日本中の神社を改竄したんやろな
古来からの八百万の神とはかけ離れとるし
きしょいわ
>>424
多くの牛頭の像を作っちゃってたから
偶像崇拝になっちゃう
廃物では、難しいところだったろうよ 二礼二拍手一礼はもう体が覚えちゃってるからな。
車の運転と一緒。
ネコ鈴ガラガラするの楽しいよね ( ・▽・)っlっ ))
気持ちがあればしきたりでうるさく言われるような事はないがな
お参りもせず写真とってるようなが駄目だわ
名前祇園でも平安時代の疫病鎮めとか怨霊鎮めとかが元になってるんでないかい
>>416
国民が、今で云うイスラム圏の、派閥戦争の様相を表し始めて、政府が慌てたらしいよ
「俺は八幡講だ」「いや伊勢だ」と
内戦突入の兆し >>426
神仏習合教も仏教と神道からかけ離れてる。
本来を考えたら本地垂迹説になるのか意味不明。 伝統的じゃない→そうだったのか
マナー厨が教える→従う必要は無い(どちらの意味でも好きにしたら良い)
当神社でのお参りの仕方はこれです→取りあえず従えよ(小さな神社で掲示して無いなら御自由に)
神前結婚式あれ西洋のパクリだってよ
神社なんてそんなもん
>>422
お名前番組見ただけのニワカ知識でドヤできて羨ましい >>1
これすっげーわかるわw
お願いする時間がないww >>435
指輪の交換するしなw
古式ゆかしい神前式とか本気で言ってるバカって多いよね 神社はな
コメで納税してた頃の徴税マシンの一部
かつては行政機関の役割を持ってたってこと
コメを取り立てることに神が権威付けしてたんだな
だからどこの誰だか唄わせるのが正義とされてる
願いを聞くという体で愚民どもから搾り取るのさ
>>439
今のヤクザの継承式
ああいう感じで家の座敷床の間を祭壇にしてたんだよ。
今でも皇室もそうよ。
勧請するにヤッパリ神社には準備段階では行く。
あそこまで祭壇に出来ない場合
多くは人前結婚式だった。 他所の神社にお参りするのは止めた方がいいと思う。(´・ω・`)
明治政府の作った国家神道だけはクソ
どうせな、神社にいくと、やれ厄年だの九曜星だの
家を建てるときはやれ鬼門だの
そもそも初詣が、方違えや節分違え由来
陰陽道なのか道教なのかインドの占星術なのか
なにやらわからん
仏教もそうだが、色んなものが混ざり合ってきたのが
日本の八百万
国家神道は口を開けば天皇天皇
うぜえw
古式ゆかしいつーか古いのは地鎮祭とか棟上げ式じゃね
結婚前段階の縁結びは神頼みしてるが
>>443
まあ神社目線なら参拝客多いに越したことはないからそうとも言い切れんだろう好きにさせりゃいいんじゃね
だが参拝側なら地元神社を一番大切にするのは当然だとは思うね
地元神社の主祭神すら知らず利己的な願い事だけじゃ御利益薄れるだろうし他所の神社でも同様じゃ尚更だ 主祭神とか由緒はもうまともに見れないわ
明治以降に書き足したり改竄した部分は全部赤字にしてくれw
ほとんど真っ赤になるんちゃうかw
出雲大社に行ってあそこだけ独自のやり方があると知って
この手の作法は全部後付けで作られたものなんだって知った
>>449
仏教=キリスト教
なの解ってる?
妻帯禁止、賛美歌がないと駄目、御経が無いと駄目、
そういうのに洗脳されてんのよ。
祈ったり願ったりの行為をしないと理解してくれない霊って無能なんじゃ?
神霊は万能と思ってるんでしょ?
矛盾してるだろ。 そういえば神道ってこの板でよく目にするあれと同じだよね
土人教
それぞれの神社は由来も神も違う
木であったり山であったり人であったり
参拝の方法も同じであることがおかしい
神社本庁は滅びろ
宗教学者の割に
随分と狭い目でしか世の中見てないのね
日本文化をゴチャゴチャとややこしい事を言って無茶苦茶にしたいという
在日チョンコの戯言やろコレ
>>153
そんな綺麗ごとな日本人現実にはあまりいないよ?
外人のが優しかったりするし
日本人アゲー(=自分アゲ)キモイ 出雲大社に参拝したとき張り紙にここでは二礼四拍手一礼が正しいやり方と書いてあった
映画ってwwwwwwwwwww
しかもその後に続くのが、思うとかwwwwwww感想か希望かよwwwwww
糞すぎないソースwwwwwww
>>449
後付けなら礼の度に短い唱えごとを頭の片隅で唱えてる
いわゆる“はらたまきよたま”の類ね
いくつかあるけど時間調整も可能だしある意味それで充分 明治元年の「神仏分離令」によって日本という国がまるごと壊されたのは事実だろ
それ以降は国がカルト教団化して敗戦まで行った
日本がおかしくなった分水嶺は日露戦争じゃなく明治元年だよ
神仏混淆、神仏習合こそが本来の日本の姿
明治の廃仏毀釈では100万点の文化財が失われたと言われてんだぜ?
あり得ないことが起こってしまった
日本の歴史上最悪の出来事と言っていいと思う
>>447
ご利益なんて本当にあると思ってんの?神がいると?
どうでもいいわ。好きにさせろや 神代文字の「カタカムナ」による
縄文時代の「あわのうた」
言霊や
>二礼二拍手一礼だと、形式だけで終わってしまう。心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。
これは本当にそう思う。神様にお願いする暇が全然ない。
元々、家建てて、餌おいておいて神様いらっしゃいってやって呼んでるんだから、
神さまというのは、狸かいのししみたいな存在だろ。バードウオッチングの愛好家が
森の木に鳥小屋くくり付けてるのと基本同じだわな。昔の人は、狸やいのししは
神様の使いって考えてたのかもしれないな。
>>470
根本的に無知なやつって自分の珍説作り出したがるよな まだやってんのか
靖国や明治維新や神社本庁に難癖つけてるのは、全部共産党員
保守ぶってるけど、全部なりすましだよ
廃仏毀釈は江戸末期の僧侶が既得権益振りかざして堕落してたので、庶民から見放されてたから
>>471
私の珍説にリアクション有難う。だが、やってることを冷静になって考えてみれば、
あながち間違ってないと思う。元々は神様の使いとしての、狸や狐を呼ぶために
住みかとなる社を建て、餌を置いておいたんだろう。 ガチな話をすると、魏志倭人伝には
「倭人は貴人に対して跪いて拝礼する代わりに立って手を打つ(柏手)」という記述があり、
古代日本では神でも人でも貴い者の前での作法として柏手を打つという風習があった。
それが時が経つにつれて神だけに行うようになった。
二礼二拍手一礼なんて作法は後世に整えられたものだろうが、柏手は日本古来からあるもの。
>>8
出雲大社は大和以前の国王家なんで蘇らない様に「死」を意味する四拍手だと聞いてる。お前はもう死んでいるてな >>477
そうやねん。もっと言うたらな、古代朝鮮のほうの習慣やったらしいで。 学者の戯言など広告代理店のねつ造で軽く吹き飛ぶ
ここはそういう土人国家だよ
>宗教学者の島田裕巳
やっぱり、オウム真理教の宣伝マンか!
オウム真理教が落ちぶれて仕事に炙れて、もう話題作りに必死。
>>1
根拠なしでただのマイルールじゃねぇかよw
時間の無駄だった >>439
昔は人前結婚式だったからな。
自分の家(嫁とり婿取りする側の)で、親族等の前で三々九度して宴会。 二礼二拍手一礼って急にメディアで拡がったイメージ
ひいばあちゃんもじいちゃんもばあちゃんもそんなことしてなかったぞ
八百万の神様に対して作法が一つなんてのが無茶な話
作法も八百万あるだろう
国家神道は政府の国民制御の道具として作為的に改変されたもの
まともな信仰心があれば真っ先に否定されなけりゃならんだろ
今上陛下には一人の親王もいない
何故なんだ?子孫繁栄をもたらさないのか?
>>493
祭祀王としての立場だから、国と国民の繁栄を祈るのであって
自身の繁栄を祈るわけではない
ローマ教皇だっておなじだろ >>469
二拍手の二回目に手を合わせたまま
お祈りしてるけど
その後の最後に一礼
心の中でよろしくお願いしますと唱えながら >>495
ローマ教皇は代々世襲制じゃないよね?
天皇家に親王が生まれなかったら絶えてしまうし
そうなれば祭祀できなくなるよね? >>498
今はそれは出来ないよね
>>499
もう今後側室も無理だろうね
まあ今後は悠仁親王殿下に期待するわ 皇室が男系でいいって言ってんだからほっといてやれよ
途絶えたらそれでいいじゃないか?皇室の人がそれでいいのなら
途絶えたくなきゃ自分らで男ができるまでsexやりまくるよ子供じゃないんだから
>>502
もう臣籍降下した人達だから
もう皇室とは関係ない 根本的に宗教というのは手順や形式が大事なんであって時間をかけて確立した形を重んずるもの
本来は〜云々を言い出したら宗教なんぞ人が作り出した嘘っぱちだから必要ないという結論になってしまう
>>500
悠仁君が婚外子を何人作っても、俺は支持するわwww >>505
大学卒業と同時にでも良いから
25歳までに御成婚して欲しいわ >>508
水鉢で手を洗った後、柄杓の水を口を付けてゴックンだよ >>508
みんなで使うものだから、きれいにしとこうというのが目的だから そもそも、現代人が考えるよーな「祈り」は、神道にあったのか?
>>513
伝統のないしきたりって単なるルールじゃね? >>513
江戸しぐさみたいな嘘っぱちだと腹立つけどな
あれを江戸しぐさと言い張らずに
こんなのもあると言っとけばあれほど嫌われなかったと思う >>489
それやねん。
先代もその先代もしよらんかったことがなぜか今でてきて「これが正しいです」いうんのどこに道理あんねんと。
へてはその正しいいう作法が今のひとらに「めっちゃおかしい」思われてんねやったらそら通用はせんやろ。 各神社に伝わる礼拝の作法は尊重すべき。標準化はダメ。神社本庁は解体すべき。
>>489
それは嘘。明治時代からは、標準的な礼拝の形式としてあったはず。 神社本庁いうんは「庁」いうてよるけど行政でも指定でもなんでもない、いっかいの宗教法人団体やねんで。
一歩まちごうたら新興カルトのレベルやねん。さかい、あほくさいしに神社本庁お断りのお宮さんもようけ在る。
伏見稲荷なんかはそれやな。
昔から二礼二拍手は、体が拒絶して違和感があったわ
まず賽銭を投げ入れて、手を静かに合わせてゆっくり顔の前まで持ってくる、そのまま目を瞑って拝む、最後に礼をして逃げるように帰る。
というのが一番しっくりくる。
>>527
そうやってコソコソお参りしてても、神様は気付いてくれないんじゃね?
柏手でこちらの存在に気付いてもらおうというのが本来の考え方じゃないか? ひとらがようない思とんねやったらそら失敗作やろ。
見てたかてアホくさ言うてんねしな。したいやったらやっててもええけど?
>>527
そうかそうか
とは違うんだよな?www 誰かが決めてそれが常識になる
よくあることだ
それに違和感があると言った時点で自分が社会の変化に適合できていないことを証明することになる
昔からよう見るんは柏手から合掌いうやつな、あれが一番素直やろな。
古いしきたりほど偉い正しいってんならバンバン生け贄で人が死ぬけどな
こういう学者が中東に産まれるとイスラム過激派みたいになるんだろうな
まあ一番大事なのは心の中の信仰じゃないかな
外面ばっかりつくろっても仕方ない
出雲系は二拝四柏手一拝推奨の神社もあるしなあ、と思って色々検索したら
今の参拝の形式になった経緯とか結構詳しくでてるとこあったわ
https://imgur.com/QUnmUNV
https://imgur.com/UUuj0z5
まあ時代時代で変わってきたのは事実ではあるけど、参拝に行った神社が
今推奨してる作法で祈っておけばそれでいいじゃんとしか
にしても、
>「魏志倭人伝」の中には、「大人の敬するところをみると、ただ手を打って跪拝
>(ひざまずき配する)のかわりにする」と記されている箇所が有り
って、柏手自体の歴史はかなり古いんだな >>1
オウムを擁護してた島田氏か・・・
まともに読む気が失せた >>508
アレも、古来は1週間だの1ヶ月だの肉食を断って全身を清めた上で無いと神域に入ってはならない、という決まりを緩和したものらしいので ま、こんなもの全く普及してない
受け入れられてない
神社に行けば一目瞭然
とうとう神道がサンドバックに吊されるようになったか。
思えば神棚がある土建屋とか中小企業?金儲け一辺倒の胡散臭さがあるだろ。
ヤクザの事務所にもありそうだ。
>>546
大企業勤務だけど事務所に神棚あるし工場建てるときも地鎮祭を毎回やるぞ 大きな神社ならたいがい作法書いてあるからそれに従えばいい
ニ礼二拍手一礼でも別に悪いわけじゃないだろ
まあオウム真理教を絶賛してた奴が、何の意図有ってか今さら神社にケチつけてんだから、まだコイツのバックには何か変なのが居ると思ってた方が良いよ
>>550
だよね。顔がきもいし、女のようにナヨナヨしてる。キモ過ぎ
オウム完全擁護して、反省の弁がなかっただろ。 >>549
まあ明治以降の物は胡散臭いという括りならそうかもしれん >>15
よく宗教学者を今でも名乗れるなと思うわな 何回礼しても拍手してもいいけど
続けて二礼は余程じっくりやらないとペコペコと間抜けな感じになるから
勘弁してほしいかなとはちょっと思ってる
明治以降に造られたモンなんだろうなってそりゃバカでも想像できますわ
っていうかお前ら神様とか信じてるの?
サンタクロース信じてるのと同じようなもんだろw
礼法、とかどうでもいいんだよ。
こいつはどうせ神には愛されない存在。
神はそんな小さいことに拘るような存在じゃない。
拘るとしたら、低級霊の類。
どっかの誰かがテキトーに決めた作法なんて従う必要ないし、どうでもいい
>>557
人に対する作法と区別する為と何かで見た
まあ神社毎で解釈違うと思う
出雲は4回らしいし >>1
地下鉄サリン後もオウムを擁護してたんだって? >>556
初詣以外、誰も詣でてない時点でお察し。神社は外国人観光客ばかり >>558
ところが元々低級霊だの悪霊だのが祀ってある時もあるので面白い 家の神棚にはパンパンするけど神社ではやらない
パンパンと辺りに音を響かす雰囲気じゃない気がしてね
それよりも デパートや会社受付でする コンスをどうにかしろ
気持ち悪いわ 嘘マナー教えている輩
出雲は4回伊勢は8回
平安の頃には八拍を繰り返すようなものまである
庶民にまで広まってなかったというのはそうかもしれないが
昔はシンプルだったなんてのは嘘
むしろ各地バラバラでややこしいから
とりあえずまとめたのが
二礼二拍手一礼なんだろ
>>566
諏訪なんかもそんな感じがした
元々違う宗教を神道の型に収めたのだろうなと思う 昨日の日本人のアイデンティティのスレの続きが欲しい
>>556
信じているよ。いわゆる「子供の頃にしか見えないもの」なのかも知れないが。
神も仏もいるものかと荒んだ心根の奴には神も幸運も訪れないだろうね。
サンタクロースは両親だが、信じなければプレゼントはくれないよ。
まあ、君はそのままでいてくれ。
>>562
誰も詣でないは言い過ぎだな。案外に小さな神社は身近にあるし散歩がてら訪れて手を合わせる人って多いぞ。
受験、出産、七五三と何につけても願掛けは寺より神社だしな。 神社がここは神様をこうやてって祀ってるから
この神社にくるなら参拝者はここのやりかたに従ってくださいってことでしょ
神様が云々じゃなくて神社の人を含めて祈る(願う)側の話じゃないかな
神社をまとめてる所(寺でいうなら総本山?)がそうしようというなら
他の神社もそれに従うだろうし
作法も前よりこうしたらいいとか昔はいいけど今はあまりよくないとか
作法も時代によって変わっていくものってことではないか
近所にある神社の神主は「畏敬の念さえあれば作法とか賽銭なんて関係ない」って言ってますけど。
>>572
でも畏敬の念がある人は作法を守ってるよな >>573
くだらない作法を守っても地獄逝きだろう 方違え
陰陽道の説により平安時代以降行われた風習
目的となる場所が禁忌の方角に相当する場合にその方角を避け、一度別の方角に出向いてから目的地の方向へ移動すること
当日に天一神、太白、大将軍、金神、王相の5つの方位神がどの方角にいるかによって決まる
↓
節分違え
毎回出かけるたびに方違えは面倒だ
季節の節目にやろう
↓
節分の恵方詣り
庶民にも広まって、その年の歳徳神のいる恵方にある神社や寺にお参り
↓
正月の恵方詣り
旧暦では、節分は大晦日だった
それを正月にやるようになった
↓
初詣
毎年恵方が変わると、鉄道会社や神社が儲からない
恵方じゃなくてもいいと宣伝した
初詣は陰陽道やな
今の神社は天皇教
初詣は神社に行かんでいいんちゃうw
>>573
いや作法とか賽銭は後付けだから。決め付け縛り付けの無いのが神道 厳格な作法や儀式ってのは宗教的には大事だったりするけども
信仰によって威を増す神にとって、厳格過ぎて人が寄り付かないのも神社的には問題なのだなぁ
なのでその時代に合わせてお手軽に参拝できる方へ修正し続けて今に至るわけで
御朱印も本来は寺で納経して貰う物らしいしな、今は神社行って賽銭で買えるけど
そう言っても大体の神社ではそうなってるじゃん
まあ神様に敬意を払い日頃のお礼を申し上げる気持ちがあれば多少間違えても許してくださるのでは?
>>583
そう
そういう意味合いで「作法は関係ない」というのは正しい >>583
自分も基本的にその考えだけども、神社側が提示した簡略化・統一化された手続きにすらケチ付ける連中には間違いなく敬意は無いよね 天満宮
全国に1万以上ある
菅原道真公を祀っている
菅原道真とはそんなにすごいのか!
日本の神は、祟る
祟りじゃぁ〜!
それはそれは恐ろしいもの
菅原道真公の祟りを恐れ、1万以上の天満宮が!
多少間違えてもいい?
愚か者が!
これ書いてるやつ、バリバリあっちの人間じゃん
オウムの件で赦されたわけじゃないのによくのこのこ出てこれるな
アメリカのキリスト教の説法はミュージカルあり光と音のファンタジーあり神父は吠える叫ぶと聞くが
北海道の方の葬式でも坊さんが踊ったりするんでしょ
新しい形式の作法でも全く問題ないんだが
土地には古来からの神がいる
恐ろしいものだ
鎮守というものがある
聞いたことがあると思う
地主神の祟りを恐れ、そこにより強力な神を守り神として祀ることを鎮守という
家や建物を建てるとき、必ず地鎮祭をする
今でもほとんどやる
鎮守の神に貢ぎ物を捧げ
地主神の祟りから守ってもらうのだ
神とは、基本的に恐ろしいもの
一つの文化だからな
地域で差異があるのも当然
それが絶えたようなタイミングで
「そんなの全部ウソだったんですよ
根本はもっとシンプルなんです気持ちさえあればいいんです」
とかいうやつに限って
超常現象とかにコロッとやられちゃうんだ