各国の代表や国内の代表を招き、国内外に新天皇誕生を披露する「即位の礼」が10月22日に挙行される。祝賀パレードは台風19号の被害を考慮し11月10日に延期されたが、祝宴である「饗宴の儀」は31日まで計4回、催される予定だ。歴史作家の島崎晋氏が、一連の儀式でもっとも重要な「即位礼正殿の儀」に用いられる「三種の神器」の歴史について解説する。
* * *
来たる10月22〜31日にかけて新天皇の「即位の礼」が行なわれる。一番重要なのは初日の昼過ぎに実施される「即位礼正殿の儀」で、総理官邸ホームページ掲載の「即位礼正殿の儀の次第概要」には、「天皇陛下が正殿松の間にお出まし」になるのに続き「侍従がそれぞれ剣、璽(じ)、国璽及び御璽を捧持」し、「天皇陛下が高御座(たかみくら)にお昇り」になるのに続いて「侍従が剣、璽、国璽及び御璽を高御座の案上に奉安」すると手順が記されている。
ここにある「剣、璽」はいわゆる「三種の神器」のなかの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を指している。「三種」と言いながら二つしかないのは、残る八咫鏡(やたのかがみ)が宮中の賢所(かしこどころ)に安置され、移動が禁じられているからだ。賢所での儀礼は即位当日の5月1日、すでに行なわれている。
改めて、三種の神器について説明しよう。『日本書紀』には、八坂瓊曲玉と八咫鏡は「天石窟(あまのいわや)に籠もった天照大神を誘い出すために使用された神器」で、草薙剣は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、その尾の中から得た剣」と記されている。一方、『古事記』には、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上へ降臨させる際に、これらを授けたと記されている。
その後、八坂瓊曲玉だけは天皇の側にあったが、八咫鏡は伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の、草薙剣は熱田神宮の御神体とされ、それぞれの形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカ(複製)が宮中に献上されたという。
記録に残る限り、即位礼に草薙剣と八咫鏡が用いられた最初の例は持統天皇が即位した690年になるが、実際はそれより前に遡るかもしれない。時期が特定できないにしても、これに八坂瓊曲玉を加えた三種の神器がそれほど重要なものであれば、形代と呼ぶのには違和感が残る。むしろ、皇位継承儀式のためにつくられたオリジナルと認識すべきであろう。
それだけに、1183年7月の平家一門の都落ちに際し、安徳天皇が連れ去られただけでなく、三種の神器まで持ち去られたことがわかると、比叡山に逃れて同行を免れた後白河法皇を始め、公卿たちもみな頭を抱え込んだ。新たな天皇を立てようにも、皇位継承の儀式である践祚(せんそ)の式を行なうには三種の神器のどれ一つとして欠けてはならなかったからだ。それが一つどころか三つとも持ち去られてしまったため、法皇は平家追討より三種の神器の確保を優先させようとしたほどだった。
けれども、天皇不在の状態を長期化させるのはさすがにまずい。誰を擁立するかは占いによって決められたが、問題は“三種の神器なしの践祚”をいかに正当化させるかである。
議論の末に出された結論は、「三種の神器は神そのものでもあるから、然るべき主のもとに必ず帰ってくる。ゆえに現物がなくても践祚は成立する」という論理だった。
かくして後鳥羽天皇が即位したわけだが、1185年3月の壇ノ浦の戦いにおいて平家が滅亡した際、大問題が生じた。八坂瓊曲玉と八咫鏡は無事回収されたが、安徳天皇ばかりか草薙剣までもが海の藻屑と消えてしまったのである。朝廷では鎌倉の源頼朝を通じて源範頼と義経に壇ノ浦での捜索を継続させるかたわら、全国の主だった寺社に加持祈祷を要請するなど、藁にも縋る思いでいた。
草薙剣の抜けた穴を何で埋めるか。とりあえず宮中の清涼殿に安置されていた「昼御座(ひのおまし)の剣」を代用としたが、1210年に後鳥羽が先に伊勢神宮から献上された新たな宝剣を採用する案を思いつくと、朝廷ではそれを草薙剣の後継と認める案が満場一致で可決された。その後、三種の神器は南北朝時代の一時期を除いて、宮中に留め置かれた。
1443年には南朝の残党に与する一団が内裏を襲い、八坂瓊曲玉を盗んで吉野へ持ち去る事件(禁闕の変=きんけつのへん)が起きるが、入念な作戦計画と交渉が功を奏して、1458年には無事内裏へと戻された。
戦国時代以降、三種の神器に関する記録はめっきりと減るが、今回の即位礼にも登場することからわかるように、宮中では時代を超えて受け継がれている。
https://www.news-postseven.com/archives/20191019_1470964.html 壇ノ浦の戦いで刀が海に沈んだのは知ってる
その後どうしたのかは知らない
前回はテロを避けてヘリコプターだった高御座輸送中のバートルを行きも帰りも家から見たな、横浜市北部
草薙の剣
金星を滅ぼしたと言われるキングギドラの腹から出てきた剣か・・
くさなぎのけん ってドラクエにも登場したな
そんな強力な武器じゃなかったけど
よきこときく の 語呂合わせで
斧
琴
菊
だよね
勾玉・・・エネルギー弾、星をも破壊できると言われるエネルギー炉
鏡・・・・・盾、核攻撃にも耐えられるシールド効果を持つ
剣・・・・・絶対防御を貫く最強の剣。魔王でさえ一撃で葬ることが可能
>>22
吉岡平の小説「ユミナ戦記」で
鏡は戦闘ロボットの起動ディスクだったって設定が面白かった 日本の皇室は英国より遥かに歴史があるからな
ほんの数百年の欧州王室とか聞くと笑ってしまうは
草薙剣 剣の力が落ちない 石を切っても落ちなくなる
勾玉 毒を浄化する。毒キノコを取ってもダメージを受けない
ヤタノカガミ 雷を受けてもダメージを受けない
>>1
>入念な作戦計画と交渉が功を奏して、1458年には無事内裏へと戻された
これって何をしたのか? >>2
空母加賀見つけたみたいに探索しないんだろうか ウェーハッハッハッハwwwホコラシーニダwwジャップジャップwwドウタコワイカ?www
>>1
八尺瓊勾玉が盗まれた事は書くけど、草薙剣が新羅僧に盗み出された事は書かない。 即位の日一日中土砂降りかぁ
って思ってたのにめっちゃ晴れた
しゅごい
壇ノ浦で神器が見つかったからって、そこが都だった証拠にはならない
卑弥呼の金印が見つかろうと、そこが邪馬台国の証拠にはならない
実際の儀式で使われるのはレプリカだ、って聞いたけどどうなんだろ?
古来からの剣はずっと熱田神宮に仕舞ってあるんじゃね?
たしか内裏に置いてたらいろいろ不幸があって、熱田に戻したって記録があったはず。
それ以来持ち出された記録はなかったと思う。壇ノ浦に沈んだのは依り代でしょ。
これらが韓半島から「天孫降臨」した韓国系渡来人によるものだということに、歴史のロマンを感じるね。
韓国、カムサハムニダ。
>>9
ブルーチーズ
サラミ
レーズンバター
あたりだな。 アマプラあたりで草薙の剣捜索プロジェクトとかやってほしい
3〜5世紀の間に発展した原始道教(鬼道)からの影響だろ。剣と鏡は術師に必須。
草薙の剣 信濃で三首龍を倒すと手に入る。
八咫鏡 越前にある。
八尺瓊勾玉 摂津にある。
>>16
FC版3では賢者に装備してそのままラストてケースが多い。 >>18
確か枯れ草だろうが薙ぎ払つて火を着け敵を討ったとか
剣は何でもよいその知恵の象徴なのだから イスラエルは確信してるやろ
三種の神器があるから
日本から神が始まってることを
>>51
記事にもあるが本物の剣と鏡は伊勢と熱田にある やっぱり円環の理の魔法少女のソウルジェムだったwww
気象操作wwww
虹まで掛かってるぞ東京wwww
安徳天皇のときに所在を争ってた田舎侍たちも実はレプリカだって知らなかったんちゃうか
鏡は、神様が己の中にいるという意味のものだから表に出しても問題ないのに、もったいない。
皇族だけには生まれたくないな。
面倒くせえし、昼寝もできねえし、AVなんかも見れんだろ(隠れて見てるかもしれないが
風俗なんて行けないしなぁ。
それとも超VIP用の極秘コールガール組織でもあるのか?ってAVの見過ぎか(笑
>>20
平氏がもっと潔かったなら平家落ち人伝説各地にあるような追討なかったかもね
バイクツーリングでかなりの僻地を訪れるがこんな所で人が生活出来るのかという所もある
今でこそ道路があるが昔はどれほど不便であったことか まあ皇室に産まれるのも何かの運命なんだろうね
大体パヨクなんて平等じゃないとか言うけどさ、庶民の方が良いに決まってるんだわ
あれらは権力欲の塊だからね
次の天皇は秋篠宮飛び越してガキを今の天皇の養子にすれば即位に金がかからず済む。
秋篠宮天皇になれば在位数年だろ。
うちの母ちゃんが拾ってたわ
南瓜が軽く切れると喜んでたので黙ってたゴメン
朝鮮の3種の神器って何だろ
誰か知らんか?
韓国時代よくドラマ見るが出てこないような気がする
チュモンでは弓だったかな?
>>75
昔の皇族は良かったかもね
現代ではだれもなりたくないだろうね
立ちションベンもできんね >>73
魔法少女のアーティファクトは相応しい所有者の元に召喚される。
今日のようにな。 >>30
よく読め
古来のものは伊勢神宮にある
沈んだのは形代 >>7
京都南IC近くで、何かを運ぶ陸自のチヌークを見た覚えがある。 こんなわけのわからん儀式や骨董品を有難がるからオカルト商法もなくならんのだ
日本人は馬鹿ばかりだわ
>>90
出来るとは思うよ
新しい器を作って原典の神器から神聖性をコピーして新しい器に貼り付けだからね
ただし天皇家ですら見ることが叶わないからおいそれとは出来ないだろうね >>8
からすみ、このわた、うに、
世界三大珍味、
トリフ、フォアグラ、キャビア、 >>89
でも、誰も見たことが無いって言っているよ。 出雲のヤマタノオロチを退治した時に尻尾から見つかったって事は治水工事した時に下流で集めた砂鉄で打った刀という事?
百済、任那、新羅それぞれを情緒するのが三種の神器だろう。
ご存知の通り、百済は鉄、鉄剣の国、新羅は勾玉の国、領土を失い早くから日本列島に新天地を求めた任那は鏡を重じていたのだろう。
それら三国が半島を追われた結果として日本(元来は朝鮮半島南部、なかんずく任那の地域の呼称)を国号とする列島支配が確立された。
>>2
ミョルニールみたいに主の手に飛んでくればいいのにな >>92
誰も見ることができないなら、もう錆びたり割れたりしてんじゃねーの? やわらぎ
あけぼの鮭フレーク
辛そうで辛くないラー油
>>100
その可能性も有るけどが保存状態が良ければ銅剣や銅鏡は形を保ってるかもよ
銅鏡なんかは壊れずに残ってるものも結構あるしね 草薙の剣
別名つよぽんの剣でしょ
裸になることで最大の威力を発揮する剣
草薙剣は九州にちょうだいよ
クサレ愛知なんぞにもったいないだろ
九州は皇族のルーツだし
どっかの神社で大事にするからさ
源平討魔伝の必須アイテムだっけ
3種の神器揃えて頼朝?倒す謎設定だったな
>>97
出雲の反大和勢力を討伐したときの捕虜を、
大陸や半島の勢力に生口として売り払った
おりに、物々交換で得た銅剣じゃないか。 >>1
1443年には南朝の残党に与する一団が内裏を襲い、八坂瓊曲玉を盗んで吉野へ持ち去る事件(禁闕の変=きんけつのへん)が起きるが、入念な作戦計画と交渉が功を奏して、1458年には無事内裏へと戻された。
朝鮮早く滅びろや >>107
それは草なぎの剣(草なぎの「なぎ」は弓へんに剪) >>111
数百年海中では腐食で粉々なんじゃない? 一つない事で日本人は幼くして亡くなられた平家の天皇を思い出し
戦争の愚かさ、弱者への憐みを持つ国民になっていった気がする
却って三つそろっていたら弱肉強食思考で日本という国は滅んでいたかもね
>>形代と呼ぶのには違和感が残る。むしろ、皇位継承儀式のためにつくられたオリジナルと認識すべきであろう。
……いうべきであろうも何も、形代がそもそも魂分けした二個目の本物なんだから認識するもしないもないだろう
>>97
オロチは刀鍛冶のこと
単にそこの製鉄民族を征服して鉄を取り上げたというお話 壇ノ浦の戦いで沈んで1つ回収できてないのあったから少なくとも3つのうち1つはレプリカ
農協のクサカリの鎌はよく切れる!ちゃんと鋼!入ってるから研ぐと輝くしよく切れるよー!
三種の神器の中でも一番重要で神秘なのが伊勢神宮の八咫鏡だ
天照大御神が私の分身と思えと言ったこの鏡を見た者はいない 天皇さえ見れない
つまり剣は永遠に失って、バッタモンを二代目に据えたということか
なんか天皇家を象徴するレガリアになっちゃってるけど、
元は北部九州の豪族たちのフォーマルアイテムだよね。
有名どころでは、筑前国風土記逸文に出てくる、
伊都県主の五十迹手さん(アメノヒボコの子孫)。
>>97
違うな
ヤマタノオロチは北陸地方の神話、出雲は無関係
風土記にもヤマタノオロチは出てこない
出雲は畿内ヤマト朝廷が作った偽の神話だよ
草薙剣は畑の雑草を払う鎌だし、八咫鏡は嫁入り道具の化粧鏡
唯一八坂の勾玉だけが天皇の正当性をしめす神器
材質が特殊なもので代々受け継がれてきた天皇の先祖をしめすもの おろちが実在したのが疑わしいし
そうなると、全部創作な気がする
中世に全部作ったんだろな、それまでの歴史も全部
だから今科学調査させないし、やれば
みんな別人だろう、しかしY遺伝子は継続してるとか言うから
全部ウソになる
箱の中身が空っぽだったら三島由紀夫っぽくて面白いな
>>128
ちなみに、出雲から少し離れた岡山県内に
スサノオが剣を洗ったとされる「血洗いの滝」というのが存在する。
豆知識ね。 >>126
バッタモンじゃなくて二代目の本物
鏡も確か焼失して今は二代目になってる >>124
明治天皇が実は見たそうじゃん
二度と見てはならないと言ったそうだが、興味が湧くね
そこにはとんでもないものがー、ってか 草薙の剣って銅鉾みたいな形らしい
しかも日本刀のような美しさはないそうだ
熱田神宮に行ってみたが結構ショボかった
明治神宮の方が立派
岩戸隠れとヤマタノオロチにならったフィクションなんだから、いつの時代のものでも構わん
>>128
勾玉の材質って何だろう?
翡翠や瑪瑙や水晶などが多いみたいだね
それ以上の硬度の物は加工が難しかったのかもね
石の成分調べたら産地とかも分かりそうだな 天照大神とか聞くと「ささみさん@頑張らない」をまた観たくなってきた。
俺がアニオタなだけか(´・ω・`)
>>136
熱田神宮のは厚みのある銅剣だという噂だね >>34
将軍を殺してお取り潰しになった赤松の牢人が、お家復興を約束されて、
勾玉を南朝の残党から取り戻した。その時、別に南朝の皇統を絶やす必要はなかったのだが、
なぜか南朝の皇子二人を殺している。 >>20
山口県にとっては大事な観光資源なので感謝しかない >>97
そいや中世神話に、安徳帝はヤマタノオロチの生まれ変わりだった
という話があるな。スサノヲに奪われた草薙剣を奪い返して竜宮に持ち去るの。 令和の由来
■■令和(『万葉集』巻5)
梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、
促膝飛觴、忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
■原文 梅の花の歌32首、並びに、序
天平2年1月13日、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月、気淑く風和(な)ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。
加以(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)は嶺に雲を移し、松は羅(うすぎぬ)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、夕岫(せきしゅう)に霧を結び、鳥はうすものに封(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
是に天を盖にし地を坐(しきい)にして、膝を促して觴(さかづき)を飛ばし、言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。
若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以てか情(こころ)をのベむ。
請ひて落梅の篇を紀(しる)さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊(いささ)か短詠(みじかうた)を成(よ)むベし。
■梅の花の歌32首 序文 現代語訳
天平2年1月13日、帥老(そちろう。大伴旅人のこと)の邸宅に集まって、宴会を開いた。
時は、初春のよき月夜(十三夜)で、空気は澄んで風は穏やかで、梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けたように花開き、梅の香りは、通り過ぎた女性の匂い袋の残り香のように漂っている。
それだけではなく、曙(朝日)が昇って朝焼けに染まる嶺に雲がかかり、山の松は薄絹に覆われて笠のように傾き、山の窪みには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林中を彷徨う。庭には今年の蝶が舞い、空には去年の雁が北に帰る。
ここに、天を蓋、大地を座として、お互いの膝を近づけて酒を酌み交わし、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大きく広げ、淡々と心の趣くままに振る舞って、おのおのが心地よく満ち足りている。
これを和歌に詠むことなくして、何によってこの思いを述べようか。
『詩経』に落梅の詩篇があるが、この思いを表すのに、昔の漢詩と今の和歌と何が違うだろう(何も違わない)。さぁ、庭の梅の風景を、今の思いを、いささか和歌に詠もうじゃないか。
令和の由来2
◆◆梅の歴史◆◆
飛鳥時代に、中国から日本に持ち込まれました。
中国では、寒い季節に凛と花を咲かせる姿から、気高さを象徴する植物として、古来から重んじられてきました。
◆◆日本人と梅◆◆
歌に詠まれている梅の原産は中国で、遣唐使が日本に伝えたとされています。
また、その姿や香りのよさから、古来より日本人に愛されてきた花である梅。万葉集や古今和歌集などの歌集に多くの歌が詠まれていることからも、古来より人々に親しまれていたことが分かります。
はかなさの代名詞となっている桜の花に比べて、梅の花の花期は長いのも特徴。
もうひとつ、梅の特徴といえば、その香り。桜にもほのかな香りはありますが、梅ほど強く訴えかけてはきません。澄み切った冬の空気の中に、馥郁とした甘く清々しい香りが漂ってくると、思わずハッとします。
日本の気候風土に合った梅は、代表的な庭木の一つ。非常に寿命が長く、年月をかけて樹形を自分好みに整えていくことができるため、庭植えや鉢植えのほか、盆栽としても楽しまれています。
■大伴旅人の序文では、梅と蘭(フジバカマ)とともに、鏡前と珮後が対句となっています。
珮(はい)とは、玉(めのうや水晶などの鉱物)や金属で作られた飾りですが、香草の香りをつけたものは香珮と呼ばれます。衣類につけた場合には佩と書きます。
佩蘭と呼ばれるフジバカマは代表的な香草であり、乾かすと桜餅の葉のような香りがします。若葉自体には香はありませんが、乾かしたフジバカマの芳香を念頭に置いて、「珮後の香を薫す」と描写しています。
珮を作るときには、さまざま彫刻が施され、香りつきの玉の彫刻を腰に下げるのはとても風流な習慣でした。
過去スレより
天叢雲剣の本物は熱田神宮、八咫の鏡は伊勢内宮に
安置。
皇居にあるのは分霊した形代。だから壇ノ浦に
沈んだのも形代。勾玉は皇室のみ。回収もできてる。
神道では形代にも神気が宿るとされる。
承継の儀では鏡は形代であってもでかいし
神威が強すぎて動かせないとされ、
同時刻に賢所で内侍が承継の儀式を行う。
ちなみに八咫の鏡は一枚では無いので
剣と勾玉がレプリカと入れ替わってたとしても本物とされている
伊勢神宮のと、皇居のとどちらが本物かと言えば
どちらも本物。
蘭はイチイ、アララギのことやね
中部地方以北の寒い地域に多い植物
珮は殷、周の時代に流行った飾りやね
勾玉、剣、鏡
三大勢力が持ちより
3つ備え連合国の首長の証しになったんだろうな
>>137
国家神道という軍国主義インチキ神道が作った明治神宮だから見栄だけ凄いよね。
明治以降に作った神社は胡散臭いのばっか。 べつに忌部氏に言えばなんぼでも新しいの作ってくれるんじゃない?
オオクニヌシ(大国主命)が、因幡で、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を倒したときに、腹から出てきたのが、草薙の剣 叔父さん?スサノオ(建速須佐之男命)の剣?
兄貴共から、邪険にされ、何度も、殺されかけてたオオクニヌシ。 原っぱで火を放たれて、もうだめカ!というときに、ネズミが現れ、「外はブスブス、中はホラホラ」と言ったので、洞穴がある!と 洞穴に逃げ込み 生き残る。
その時、草をなぎ払うのに使ったのが、草薙の剣
因幡じゃなくて、出雲に入ってからだったかも知れない。
因幡の白兎 と言うけど、 本当は 素兎(シロウトのシロにうさぎ)。
隠岐から、本土に行きたいうさぎが、ワニ(鰐じゃなくて鮫)を騙して取引して、ワニの仲間ともども、隠岐から本土まで橋のようにしてうさぎを渡らせた。
本土に渡った所で、嘘だよ〜〜w とうさぎがワニに言ったら、怒ったワニ(鮫)にかじられ、毛を剥がされ、ピンクうさぎになっちゃった!!
先を歩いてきた、兄貴共に、騙され、海水で洗うと良いww と言われ、更に痛いお目にあってるところ、遅れた大国主がきて、 真水で洗って、葦の葉を敷いてゴロゴロすれば直る と言って、キレイに毛が生えた!!その真水の湧き水が神社になっているはずだ
毛を引っ剥がされて、ピンク色になっちゃた!から 素兎(しろうさぎ)
そういう、ファンタジーとしか思えない古事記だけど、紛れもなく 天皇陛下のご先祖様たちの話だからな!
>>46
継体から続いてるだけですごいから
それ以前はいいんじゃね? >>92
自分のものなのに天皇も見られないのか
メンテナンスとかどうするんだろう >>78
さすがに今上陛下が80過ぎれば辞退するだろ >>111
何本か落ちてたとこで実験やったけど二年半くらいおいとくと錆びて流れてきれいに無くなるよ 昭和になったときもやってたの?
平成の時の映像はあるけど、昭和はないの?
>>144
まさにそれ
今の子達は何になるんだろうな >>124
弥生時代の北部九州の墳墓からは鏡・剣・玉が多数出土し、しかもこの三点がセットになっている場合も多い。これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。これに対して弥生時代の畿内の銅鐸文化は、次の古墳文化にまったく接続していない。
もし邪馬台国が弥生時代に、畿内で、自然発生的に、樹立され、これが大和朝廷の中にその痕跡すら無いのであろうか。大和朝廷の歴史書である記紀の神話には、鏡の事は何回も出てくるが、銅鐸については何も語るところがないがない。
奈良朝以降、天皇家は1100年間も近くの伊勢神宮に参拝すらしていないのである。これに対して、国家の大事や天皇の即位時には、宇佐神宮へ勅使が必ず使わされた。
分かりやすく言うと畿内人と中部地方の先住民は弥生時代に九州人に滅ぼされた! 三種の神器がなくたって天皇陛下はとんでもないパワーで守られているに違いない
中国人が書いた倭人伝の邪馬台国論争で邪馬台国は九州にあったのか・それとも畿内にあったのか・でこだわってるのは弥生時代に九州人の天皇家に滅ぼされた関西人の方だろう(笑)
銅鐸文化は2〜3世紀の弥生時代後期に近畿・中部地方でもっとも盛大となり、しかも突然消滅する。銅鐸は、祭器といわれているが、これが突然消滅した理由は外部勢力による征服と考えられ、この外部勢力とは、神武東征に象徴される九州勢力であろう。
また銅鐸が宗教的祭祀に使用されたと考えられるのに、記紀などの大和朝廷側の古伝承には、その痕跡をまったくとどめていない。
713年、大和の長岡野で銅鐸が発見されたが、860年三代実録にもまた銅鐸が出土したが、インドの阿育王の塔鐸だと言って、昔の大事な祭器であることが忘れられていた。
この事は銅鐸をもつ大和の先住民が九州からきた天皇家とその一党達によって滅ぼされた事を雄弁に物語っている。奈良朝以降、天皇家は1100年間も近くの伊勢神宮に参拝すらしていないのである。
これに対して、国家の大事や天皇の即位時には、宇佐神宮へ勅使が必ず使わされた。分かりやすく言うと、畿内人と中部地方の先住民は弥生時代に九州人に滅ぼされた。
・食器洗い乾燥機
・洗濯乾燥機
・スチームオーブンレンジ
>>137
熱田神宮は昔の尾張造の方がよかったね。 熱田神宮の偉いさんが、大東亜戦争の末期に、松代大本営に劔を移そうとしてたと言ってたから、古来のものは熱田にあるよ
>>82
数年後に韓国四種の神器ってのが出来てると思うわ
1万年くらいの歴史ある品っていう触れ込みでw
三種だと日本に負けるので四種か五種でw >>181
ところで、「宇佐神宮」ってどこにあるの? >>1
>草薙剣までもが海の藻屑と消えてしまった
ポールアレンの財団に探して貰えばいいのに。壇ノ浦なら5分で見つけるだろ >>191
自己レス。
「滑って転んで」で有名な大分県にあるみたい。 >>75 ほとんどすべての自由を奪われてしまうのは辛いよね ( ; ; ) >>181
敗者は子孫を残せません。
現在を生きる人は皆、過去の勝者の子孫です。
未来を生きる人は皆、現在の勝者の子孫です。 >>197
奴隷制度とかでさ、人手目的で無理矢理性交させて出産とかはなかったのかな?もしそういうのがあったらそれも勝ち組?
奴隷を扱う側がわざわざ奴隷に種付けとかさ、いくら性欲強くても相手を選びそうなもんだけど 私のご先祖さまがユダヤ人を助けたときにあるものをもらいました
それはある場所に大切に隠してあります
それが日本に隠された伝説のアークなのです
アマテラスが精霊ルビスで
ゾーマを倒して人の世を平和にしたロトの子孫が王族になって
ロトの剣と紋章をずっと受け継いでるみたいなもんか。
ほんもんは吉野の山奥の真の天皇家の子孫が持ったはるねんで。
>>204
だから天皇はいつも吉野に逃げ込むのか? 草薙剣はレプリカだし
伊勢神宮や出雲大社や熱田神宮は天皇家よりも古いからね
>>200
その不適切はどういう意味で使ってますか?
「倫理的に」それとも「質問が的外れ」? >>205
初代天皇の天武が壬申の乱で大友皇子を倒すにあたって決起した場所だからね
それ以来歴代天皇にとって特別な場所になったのさ 一説によると、草薙剣盗難事件後に神剣を新たに七本作らせたそうですが、
それらは形代に数えないのでしょうか。
八咫鏡の神徳は正直
草薙剣の神徳は知恵
八尺瓊勾玉の神徳は慈悲
正直、知恵、慈悲が日本の皇室の徳だと言う
暴力的な要素ではなく剣ですら知恵と言うのは徳治を持って臨む日本の資質を示していて納得できるな
草薙剣は確かに敵を討つのに使われてない護身の剣だと思うと納得
源氏嫡流は源頼朝か?
源氏嫡流は源頼政やろ?
源頼政の子頼兼、頼兼の子頼茂、頼茂の子頼氏
源頼氏は遠江守となって浜名氏を称した
遠江浜名氏が源氏嫡流やろ
ワイは清和天皇と桓武天皇と藤原鎌足から何世の子孫なのか分かる
物部氏は十種の神宝をもっていた
物部氏が本物の天皇家
>>217
熱田神宮は天皇家よりも古いから頼朝には日本の真の統治者になる正当性があったということだな >>218
10種ということはそうすると物部氏は北イスラエルの10支族だな 日本最高の神宝の徳が「正直」と言うのは大変すばらしい
神の前でさえも何ら恥じることなく公明正大であることが人間の美徳
薄汚い嘘や奸智などを良しとしないのが日本の精神
日本がどんな宝を継承しているのかと言う事をこの御代替わりの機会に思い返してみたいものだな
つか敗戦直後にアメリカが仁徳天皇陵の中のイスラエル関連の装飾品やイ三種の神器はアメリカに摂取or中身開封されてるはずだけど
知らないのは国民だけw
三種の神器の継承は宝が大切というよりも「何を自分達が受け継いでいるのか」を再確認する作業
正直
知恵
慈悲
という日本人の土台となる要素を忘れてはならないと言う機会
単なる継承のための道具ではないのが三種の神器の特徴だな
だからこそその継承に意味がある
ヤマトタケル(日本武尊)が蝦夷平定、妻・宮簀媛の実家(熱田区)に戻り、
ハラの宮(蓬莱の宮) を移して一緒に住みたいと希望したのが始まりだな
やがてヤマトタケルが亡くなると宮簀媛が三種の神器・草薙剣をご神体として祀った
景行天皇43年に熱田神宮が創建、いまから約1900年前のことだ
古墳時代の熱田周辺は年魚市潟(愛智潟)
北縁には熱田社と断夫山古墳(尾張氏中心勢力で熱田神宮近くにある全長160mの前方後円墳)
東縁には知我麻社(現在の星宮社の位置)、南縁には氷上姉子社(ひかみあねごじんじゃ)
継体大王と尾張の目子媛(めのこひめ)の新王朝を支えた濃尾の豪族たちだな
この遺跡が目子媛街道と断夫山古墳
断夫山の名前は日本武尊の死後宮簣媛が再婚しなかったことから付けられた
熱田の古名は「蓬莱(ほうらい)」徐福伝説って熱田なんだよ
熱田神宮の古名は「蓬莱の宮」熱田神宮の中には楊貴妃の墓(五輪塔)
名古屋の古名は「蓬左(ほうさ)」名古屋城の別名は「蓬左城(ほうさじょう)」
それで蓬左文庫、あつた蓬莱軒というわけ
熱田神宮の6万坪の境内は古来「蓬莱島(ほうらいじま)」と呼ばれてきた
九州から奈良(高尾張)に移った古代豪族が尾張氏の先祖だ
美濃王朝や飛騨王朝を作り、乎止与命の代に尾張の地(熱田区蓬莱)に移って尾張氏を名乗った
尾張(おわり)の由来は「ヤマト王権の東の終わり(終端→おわり→尾張)」
古墳時代の尾張(狗奴)は商業・焼き物・製鉄の中心地で倭に匹敵する大国だった
古代の天皇皇后を多数輩出した尾張一族の出身者:
孝昭天皇、孝安天皇、崇神天皇、継体天皇の正妃、宮簀媛命(日本武尊妃)、尾張目子媛
安閑天皇、宣化天皇、敏達天皇、推古天皇、聖徳太子、由良御前、源頼朝など
尾張氏の分家の津守氏(大阪の住吉大社)、海部氏(京都の籠神社)、掃部氏、伊福部氏も現代まで続く
摂津国の古名は「津国(つのくに)」で津守氏からだ
<三種の神器>
八咫鏡…伊勢神宮(三重県伊勢市)
草薙剣…熱田神宮(愛知県名古屋市) ※伊勢神宮に次ぐ格式
八尺瓊勾玉…吹上御所の剣璽ノ間(東京都千代田区)
三種の神器が東海地方に揃ってる
古代から東海地方は宗教的首都だった…斎宮も伊勢だしな
皇族の皆様が名古屋や伊勢に来ることが多いのもこれ
名古屋市って江戸時代までは海の底だったんだよ
ごらんの通り熱田神宮から西は江戸時代までは海だ
東海道最大の宿場町・宮宿(熱田区白鳥)から桑名宿(三重県桑名市)まで船で渡ってた
これが名高い「七里の渡し」
都を作るような場所や広大な濃尾平野はなかったんだわ。。大垣まで海だもん 草薙剣って、皇居に保管されているとか、熱田神宮にあるとか言われてるけど、
古事記に登場するのはヤマタノヲロチ退治と、ニニギ降臨と、
ヤマトタケルによる東国征伐だよな。
平家物語にも太平記にも登場するが、まあ、どこにあるのか、
本物かどうか、すべては謎に包まれてる感じだわな。
真清田神社(尾張国一宮…それで一宮市)はもっと古い
神武天皇33年(紀元前628年)創建…今年で2648年
尾張氏祖神の天火明命を祀る
天火明命はニニギの兄
ニニギ(邇邇芸命)ーホオリ(火遠理命)ーウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)ー神武天皇ね
大海人皇子(天武天皇)の乳母が尾張郡海部郷出身で大海氏首長の娘
これが天武天皇の名前の由来ね
愛知の地名は、万葉集巻三の高市黒人の歌
「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」
に詠まれてる年魚市潟(あゆちがた)に由来する
あゆち→あいち…に転じた。愛智(郡)の郡名もここから生まれた
廃藩置県後に県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用された
名古屋の地名は、平安時代末期の荘園名「那古野荘」で見えるものが最も古い
名護屋、浪越、名越、などとも表記されてる
江戸時代には名古屋と名護屋が併用され、時代とともに名古屋の使用例が増え、
1869年(明治2年)に尾張藩が名古屋藩に改称したことで表記が統一された
歴史的には愛知の方が古いんだけど名古屋の方が知名度が高いわけ
南区の笠寺公園(見晴台遺跡)…2万年以上前の旧石器時代の石器が数多く出土してる
縄文時代の土器も大量に出現し、弥生時代の魚形土器も出土した
弥生時代の集落も発見され、南北200m×東西120mで200軒以上の竪穴式住居郡
発掘品の一部は名古屋市見晴台考古資料館などで公開されてる
先日、岐阜県富加町でも3世紀の前方後円墳・夕田茶臼山古墳が発見された
熱田神宮のすぐ北西は断夫山古墳(全長160mの前方後円墳)
南は東海道五十三次最大の宿場町「宮宿」
西は源頼朝の生誕地だな(熱田区白鳥生まれ)
母の由良御前の実家は熱田神宮大宮司(父藤原季範)
熱田神宮の西に屋敷があった(現在の誓願寺)…いまも産湯の井戸が残されてる 熱田神宮には秘密の場所がある
blog-imgs-60. fc2.com/h/o/p/hopichan/PIC_0390.jpg
こころの小径といって昔は入れなかった こころの小径をさらに奥に進むと、天照大神の荒魂を祀る一之御前神社がある
伊勢神宮(内宮)に匹敵する日本最強のパワースポット 熱田神宮には恐ろしい場所があってちょうど神宮の真北のところ
実はここに超古代の古墳がある「熱田神宮の地下神殿」
完全非公開、天皇陛下でももちろん入れない
周囲はおびただしい数の監視カメラ、高い壁、バリケードが設置 >>27
ブルマー、レオタード、バレエシューズだろ 草薙剣はヒイイロカネでできていて熱田神宮にあるよ。
八咫鏡は伊勢神宮の地下深く宙に浮いている。
地球上の物質で加工精錬されていない。
勾玉は宇宙の光生命体を凝縮した代物。
JKのセーラー服、JCのスクール水着、JSのブルマー
陛下の世代で三種の神器といえば、ベーターカプセル、ウルトラアイ、
変身ベルトだね
>>233
蘇我氏を尾張氏の一族と考えてるのか?
なぜに? >>233
物部氏を尾張氏と同族扱いするのは面倒くさいから止めよう。 三種の神器なんて本物は残ったないだろ
本当にあったのかもわかんないし
草薙剣なんてヤマタノオロチやヤマトタケルが実在してるのが分かってるんだから
偽物
>>181
銅鐸を作ってたのって弥生人じゃないの? いつまで古い装備?
そのままだと雑魚だと笑われるからガチャぶん回して装備整えた方がいい
上位互換の銀河の剣とかに買い換えないとラスボス倒すのに手こずるぞ
>>236
名古屋市は海の底ってのは少しちがくね?
東半分が台地及び山だったんだし。
それを言ったら東京は大半が沼地だし。 >>253
どちらも饒速日の子孫だから普通にそうだろ >>263
公式には、尾張氏は天火明命の子孫で天孫、物部氏は饒速日命の子孫で天神、だよ。 テロ無く終了して、本当に良かった。
警察も、やっと一安心だろ。
>>266
敏達天皇、推古天皇、聖徳太子
これ蘇我氏の子孫か蘇我氏が擁立した天皇だけど >>272
233は「尾張一族の出身者」の話をしているんだよ。
誤りがあるなら、蘇我氏の話をするより、誤りを指摘した方がいい。 >>273
だから何をもって推古天皇や聖徳太子を尾張一族だと言ってるのかを聞いてんだよ。 剣は壇ノ浦に沈んだ。源義経が死に追いやられたのは、剣を取り戻さなかったのが
その要因。平氏を滅ぼすより剣を取り戻すのが重要な任務だった。現在の海底探査技術
を駆使すればゲットできるかも。ですが現在のレプリカとのバランスが難しくなるか
ら宮内庁から「探索するな」って圧力がかかるかも
>>254
鏡については、伊勢神宮にあるにはあるが、
過去何度か火災で類焼して今は燃えカス同然の状態らしい >>271
腐れマラ父と淫売母から生まれたクソチョン天コロマンセー豚がてめぇだよ屑w クソチョン天コロをマンセーする屑もろ共天カス一族死ね
チョンの穢れた血が流れているチョン天コロ一族はチョン顔そのもの
三種の神器ってなくしたってすぐレプリカ作って代わりにするだけじゃん?
>>97
挑んで敗れ去っていった過去のドラゴンスレイヤー達の柄物の中から
昔つくって盗まれたのを回収 >>251
当時の三種の神器はテレビ、冷蔵庫、電気洗濯機だよ >>276
そもそもクーデターを起こした源氏に正義なんて無かったんだよな >>218
数あわせで適当につくって古くなって二十年に一回くらいで新品っていうか
代替わりの度に新しく作り直してたあれか 壺は出来がよくて長持ちするのに
古いのは新しいのができて代替わりが済むとみなこわされるんでもったいなかった
当代一の技術を結集するので仕組みとしては悪くなかったけど
手間暇ものがかかりすぎて財政圧迫してた 結局三種の神器がなくても何とかなったんだから
女系天皇になっても問題ない
>>295
それはこれが頼朝公七歳のみぎりのしゃれこうべでございます
でだいたいの話はつながって筋が通るよ チョンが他人を貶すときの悪口ですらチョンなんだなw
チョンってどれだけイメージ悪いんだよ
唯物史観のパヨクがワアワア言うてますがこの際モノではなくガイネンが重要だと言っとく
てかそもそもパヨクが口出しする資格は
無い
8つマタのオロチたがら
八股のオロチ ヤマタのオロチ ヤマタノオロチで
頭が9コと 尻尾が1本の大蛇なんだよ
本物もクソもw
天コロは穢れたクソチョンの血が流れるクソチョン顔のクソチョン朝鮮人
>>20
平家が悪いんじゃない
わざわざ軍事クーデターを起こした源氏が悪いんだよ フランス王の即位のときは指輪(l'anneau)と王笏(le sceptre)と正義の手(la main de justice)
を聖職者から受け取るので、先祖代々の宝であることにそんなに意味はないかもしれんね。
>>30
平家のせいにするな
源氏が要らんクーデターを起こしたからや 2000年の歴史とか言われても令和天皇なんてただのチビのジジイだからなあ
>>316
やたのかがみ
@YouTube
;list=PL-5P4BWa31KyM4Vkqb1eWOHbys7Ri0DO4&index=5&t=0s >>286
そういえば、尾張コピペの人がレスしているの見たことないな。
じゃあ、俺が代わりに答えるよ。
たぶん、尾張皇子の事を言いたいんだと思う。
尾張皇子は敏達天皇と推古天皇の子で聖徳太子の妃の父だから。
尾張氏と尾張皇子に何の関係があるか知らないけど。 >>318
そりゃ皇子は養育にだされた豪族の地名が名前になるだけの話だよ。
たしかに同族に養育にだされる可能性は高いと言えるかもしれんがそれだけで証拠とはいえない。 >>321
古代は豪族ならみんな〜皇子がついたんだと思うけどね
同族じゃなくていろんな豪族の集合体が大和朝廷だよ 草薙京 八神庵 ←カッコイイ
神楽ちづる ←なんやねんこの肩パットネーチャン ダッサ
>>326
君が代変えてほしいね
済美の校歌みたいに明るくてみんなが元気になれる歌を国歌にしてほしい >>321
まあ、尾張皇子を尾張氏が養育した事をもって「尾張一族の出身者」扱いするなら、
天武天皇も「尾張一族の出身者」扱いしないと変だわな。 尾張の人は本物の草薙剣は熱田神宮にあるって言うけど、
天皇に祟ったとか言われる時点でもう神器じゃないわな。
>>333
祟られたっていうのが天武天皇
天智天皇の弟であったことが怪しいとか
皇位簒奪とかいろいろネタのある天皇なんで
立派に神器としての役目を果たしたとも言えるんではないかと >>335
天武から続く今の天皇家
神器に祟られた点からしても正当性がない証拠なんだよね
乙巳の変からのクーデターで皇位簒奪したんだから ヤマタノオロチは何度も倒されたのかもな
最後は壬申の乱か
にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも
>>336
え?
天武の直系は孝謙(称徳)天皇で断絶してるし
光仁から天智の子孫に戻ってるんで
現在の皇室は天武系じゃないよ 草薙剣の真の継承者である源頼朝が日本の統治者になったのは正当性があったというわけだね
>>338
天智と天武には連続性があるから
乙巳の変でこの一派が政権を掌握してなければ壬申の乱もない
秀吉と家康の関係だよ だからと言って今の天皇家を天武系とは言えないんだが
天武から称徳天皇までは
天皇家のあだ花的な感じだな
クーデターで皇位簒奪した流れで皇位についた天武は草薙剣に祟られた
草薙剣の継承者の頼朝がクーデター王朝を終わらせ日本の統治者になった
歴史の皮肉だね
勾玉と剣はともかく、鏡ってどうなんだ?原始人が鏡で太陽の光を反射させるのを
見て驚いて神が宿ってるって思ったんだろ。もうはっきり迷信ってわかってるものを
神器ってするのは何だか違う気がする
>>341
天武系ではないけど天武がいなかったら続いてないからね 大和民族の中で僅かな比率の百済人に国を乗っ取られた大和民族に捧げる!
80才になるお婆さんが自らの命も顧みず日本の本当の真実を本にして出版した。
山本文子著 山本奈実編 『大日本帝国復活―百済人の野望』ホームページを持っているので本名とタイトルをググれば見れますよ!世界先進国は2倍〜3倍の経済成長しているのにデフレ20年間で日本国だけ貧困国になっている原因を認識しなくてはならない。
本当の日本人はいつまでも怖がって我が国の真実から目を背けてはいけない最終段階に来ている!
少しでも心に響いた日本人の方がいらしたら拡散してくれれば幸いです。
http://bunei999.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-4b09.html
fgh18 天武いなかったら大友が即位してそのまま天智系で行っただろう
大友じゃなくても天智には複数の皇子がいたし
無理ありすぎ
>>13
三種全て揃えないとラスボスの頼朝を倒せないんだよな >>343
神器は天皇の持つ権力の象徴
勾玉は政治
鏡は祭祀
剣が軍事
今でもいろいろな神社のご神体は鏡が使われてる 刺身の三種盛り合わせといえば、マグロ・サーモン・イカかな?
「記紀をよく読みこんでる」と言われた源氏物語を読めば密接な関係のなかで
皇位の血統が変わってることがよくわかる
源氏物語とは記紀を平安時代的にわかりやすくしたものなんだよ
昭和天皇も平成天皇も草なぎの剣を使用なさった形跡がない
今上陛下がどうあそばすかという
>>347
大友じゃ政権もたなかったってことだよ
秀頼みたいなもんだよ
まったく違う一派が皇位についていただろうね どうせ全部レプリカだろ
日本人の伝統はスクラップ&ビルドだからな
伊勢神宮なんて20年に1度建て替えでだしな
>>357
軍艦三種は
ツナマヨ イクラ とびっこ 新羅の坊さんが草薙の剣を盗んだが
天罰を恐れて放り出したのが大阪の
後に放出(ハナテン)と言われてる
天皇陛下、万歳って言ってるあいだは、この国は進化しない。
東南アジアに追いつかれて、中国に抜かれて、この国はいずれ、
無くなる
>>359
阿遅速雄神社だね。
大阪にも八剣大神を祀る神社があるんだね。 キリスト教のロンギヌスの槍、聖骸布、聖杯みたいなもんだな
ちなみにロンギヌスの槍は当時のローマ軍の標準装備品だからおなじものが何万本とある
生まれ育った国が嫌なら出て行くのが心の健康のために良いよ
自分の人生を大事にしてください
くさなぎのけん→ドラクエ3
あめのむらくも→FF3
気多大社の謂れは興味深い。
孝元天皇の時代、オオナムチが【化鳥、大蛇】を退治して海路が開けたとある
また気多大菩薩は、孝元天皇の時代、従者を引き連れて渡来した異国の王子とある
2回目のヤマタノオロチ退治かもな
興味深いのは8代天皇の時代にオオナムチがいたこと
オオナムチが異国、新羅?の王子と手を組んでオロチを退治したこと
将を射んと欲すれば虎児を得る
@YouTube
;list=PLnbOo-Y-IAsY6N-hVxwoyuxIToxfRNr0P&index=56
穴が有ったら入りたい
@YouTube
>>170
乙巳の変からだと思う
それ以前は別の豪族の歴史のつなぎあわせ >>371
貴様らが出ていけクソチョン天コロマンセー基地外カルトめ >>75
秋篠宮なんかセックスしまくりやったやん
眞子内親王もやりまくりやろ 本物は天武天皇が戻してから
熱田に有るからな。
熱田から持ち出した話を知らん。
壇之浦でなくしたのは形代だろ。
その後は形代の代わりを探してるだけだろ。
鏡も本物は伊勢神宮だし。
もし、壇之浦で失くしていても剣と同じように騒ぎになってるだろ。必死で探すだろうし。
大来皇女なんかたまたおおくという地名のところで産まれただけでその名前になるんだよ
つまりほとんど名前はそんなものであって
まあ確かに皇后が親元で産む場合もあるとは思うけど
ほとんどたまたまだよ。
>>333
天皇に祟ったらだめならアマテラス自体が皇祖神としてどうなのか?
仲哀なんか死んでるし どれがレガリアで、どれがレプリカなんだ?
皇居にあるのはレプリカ?
Q)草薙の剣って本物なの?
A)本物は、寿永4年3月24日(1185年4月25日)、壇ノ浦の合戦で安徳天皇と
一緒に海底に沈んでしまいました。
まあ別のものでも既に800年経ってるので十分尊いものです。
−−−−−−−
【原文】
極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせ候ふぞ `
と泣く泣く掻き口説き申されければ山鳩色の御衣に鬢結はせ給ひて御涙に溺れ
小さう美しき御手を合はせてまづ東に向かはせ給ひて伊勢大神宮に御暇申させ給ひ
その後西に向かはせ給ひて御念仏ありしかば二位殿やがて抱き参らせて
`波の底にも都の候ふぞ `と慰め参らせて千尋の底にぞ沈み給ふ
【現代語訳】
「さあ極楽浄土へお連れしましょう。」と涙ながらに言うと、
山鳩色の服に分けた髪をなびかせ涙をこぼし、小さな手を合わせて東に伏し拝み
伊勢大神宮にお祈りし、その後西に向かって念仏を唱えた。
そして二位尼は抱きしめると「波の下にも都はございます。」と慰め、海の底へ沈まれた。
日本古典文学摘集 平家物語 巻第十一
一〇(一六九)先帝身投
https://www.koten.net/heike/gen/169/
Q)そもそも天皇3種の神器の1つ「草薙の剣」って何?
A)古事記(712年)の記述によると以下のようなものです
−−−−−−−
そこで酒槽毎にそれぞれ首を乘り入れて酒を飮みました。そうして醉つぱらつて
とどまり臥して寝てしまいました。そこでスサノヲの命がお佩きになつていた
長い剣を拔いてその大蛇をお斬り散らしになつたので、肥の河が血になつて流れました。
その大蛇の中の尾をお割きになる時に剣の刃がすこし欠けました。
これは怪しいとお思いになつて剣の先で割いて御覧になりましたら、
鋭い大刀がありました。この大刀をお取りになつて不思議のものだとお思いになつて
天照らす大神に献上なさいました。これが草薙の剣でございます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51732_44768.html
「古事記」現代語訳 武田祐吉訳 飛鳥時代はたぶん東海の豪族が力もってたんだと思うよ
普通天皇になるのは高貴な家柄の皇后の息子なんだが、舒明天皇は伊勢の豪族、大友皇子は伊賀の豪族のうぬめだから。
こんな地方の豪族の娘がなるということはその地方の豪族が力もってて、皇子が東海の豪族に養育にだされたりすることが多かったんだと思うよ。
天皇家は女性しか伊勢に入れなかったんだよ。
ヤマトタケルも大津皇子もその禁をやぶって殺されている。
天皇家は東海色をなんとかはぶこうとして努力した感じはある。
だから富士山もぜったい記紀に出さないようにしてると思う。
結局剣の本物は壇ノ浦に沈んだままなんだね
これ見つかったらすごいだろうなあ
東海地方ははっきりいってむちゃくちゃ神仙思想にかぶれてて、蓬莱だとか天白だとか神獣鏡だとか
だからそんな中国の思想にかぶれててはいかん永遠の命などないんだという事で排除してったんじゃないかと思う。
だから飛鳥、奈良時代はむちゃくちゃ中国かぶれの時代で、そのご平安時代になって天智系になってから日本風になった。
竹取物語なんかむちゃくちゃ壬申の乱の豪族を批判してて神仙思想も批判してる
>>351
光源氏は桐壺帝の第2皇子なんだから男系男子、万世一系は守られてる >>44 そのシラギ僧を国外追放、死刑でなく、
朝廷に重用されたのはもっと書かない。 サカキの翁或いはサルキの翁が光り輝く竹の中から見つけたかぐや姫
なんか和泉で見つかった光り輝く鹿の娘、光明皇后のエピソードに似ている
『熱田宮朱鳥官符』には草薙剣がしばらく新羅国にあったと書かれているけど、本当なんだろうか?
>>405
斎王の事だと思うけどね
だれとも結婚を許されず、成長するといつきの宮(斎宮)に行く。
斎宮の別名は竹の都だよ 今Wikiの竹取物語を見たらさぬきの翁になっていたな
去年見た時はサルキの翁だったんだけど
些細なことに拘って何らかの意図を持って他説に書き換えた人がいるみたいやね
>>361
天皇は、日本民族の統合の象徴であって、天皇が存続することは日本人の未来の繁栄と同義だぞ
経済の衰退は、行政と立法の内閣各大臣と国会議員と選挙のせいだろ >>381
そう考えると天皇の正統性とは制御されたものだったのかな
出身が三つからの統合という意味かと考えてたが
実際に神器を所持していないのは、天皇ですら独裁暴走は出来なかったと
どこか一つでも反対すれば反故にされ、一つでも正当と認めらられれば
次期天皇候補として承認された
天皇も最高権力者ではなかったのではないか 大八段一書三
そこで素戔嗚尊は蛇【韓】鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。
その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。
故に尾を裂きて看るとそこにはにひとふりの剣があった。
名を草薙剣と言う。
この剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在ったもので、今は尾張國に在る。
その素戔嗚尊が八岐大蛇を断ちし剣は、今に吉備(きび)の神部(かむべ)が許に在る。
出雲の簸(ひ)の川上の山、これなり、とある。
丹後半島、丹波、丹庭の歴史は興味深い
紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、【朝鮮半島に類似した墓】、【朝鮮半島製と思われる鉄刀】が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
気多大社の謂れにある化け鳥のオロチ、八衢のオロチ、風の神
壇ノ浦に水没した三種の神器
一説にはもう一つあって、四種の神器説
四つ目は、朝鮮支配正統の証
桓武天皇は、日本、朝鮮の統一王朝説
平家はこれを携えて朝鮮亡命のネタにしようとしたとかなんとか
韓国が聞いたら発狂するな
>>303
剣無くして電磁スピアになってたやんか。