刀剣「村正」特別公開へ 「正重」も 三重・春日神社
第二次世界大戦中に漆が塗布され、太刀の全容が分からなかった桑名宗社(春日神社)=三重県桑名市本町=の神宝「村正」(県有形文化財)が漆を剥いだ刀本来の姿によみがえり、20日から3日間、特別公開される。
不破義人宮司によると、戦時中に神職だった祖父の故義幹さんが戦災から神宝を守るため、刀にサビ止め用の漆を塗って、当時の宮司宅に疎開させた。神社は焼けたが、刀は難を逃れ、漆が塗られた状態のまま、今日まで保存されてきた。
刀は桑名の刀工、村正が室町時代の天文12(1543)年に制作。2口あり、共に工芸技術や文化史の面から価値が高いとして2016年に県有形文化財に指定された。
桑名市博物館で開催された刀剣の展示会で神宝を見た人から、「今は平和な時代。本来の刀の姿に戻してはどうか」と提案され、令和の節目となる「即位礼正殿の儀」に合わせ、漆を剥いで公開することにした。
研師(とぎし)の手でよみがえった村正は、派手な刃紋が浮かび上がり、市博物館の杉本竜館長は「村正の特徴がよく出ている。最上の出来ではないか」と評価する。不破宮司は「特別公開で桑名の刀匠、村正を広く発信するとともに今後も神宝を大切に守っていきたい」と話す。
公開場所は春日神社会館で午前9時から午後4時まで。入館無料。他にいずれも神宝の漆塗りの「村正」、村正の後継者「正重」の刀剣2口を展示する。【松本宣良】
特別公開される桑名宗社の神宝「村正」=2019年10月16日午前10時28分、松本宣良撮影
https://mainichi.jp/articles/20191017/k00/00m/040/114000c
毎日新聞2019年10月17日 12時11分
サムライメックやりたくなってきた。 妖刀村正は過大評価されすぎ、師匠の技を盗もうとして腕切り落とされたり結構なクズだろ。
柳生但馬守宗矩が家綱の側室・お玉を斬るために作らせた
>>5
ネタなのかも知れんが登録して許可降りてるだろ? CR竹内力ではMURAMASAがキーウェポンだったな
徳川家の当主を狙う刺客の手には必ず握られてた業物が村正
とか聞いたけどホンマかいな?w
>>18
その未使用で錆びついた肥後守、さっさとしまえよ 戦後アメリカで錆びついた日本刀が捨てられうず高く山のように積まれてる写真見た
戦利品にたくさん持ち出された刀が価値の分からない外国人によってたいした手入れもされず…
残ってるものは大事に扱って欲しいよ
正宗は俺も持ってるけど切れ味鋭いし研げば切れ味がすぐ戻る
実際は正宗より村正のほうが真作が多い。
正宗は本阿弥家が幕府の要請で褒美用の折り紙増産した
モンだからおかしな品が多い。
MURASAMA BLADEって言っても分かるやつ少ないだろうな
>>33
正宗とか村正とか、
職人集団じゃないの?
正宗工房とか村正工房とか ファミコン版Wizardry アホほどやったなあ
20×20の自作マップ作りながら
めっちゃたのしかった
>>22
西郷隆盛の佩刀(はいとう)は村正。
これは記録に残っているから間違い無い。
事実として明治新政府軍の武将は村正が多い。 >>39
村正は職人集団の可能性があるが、正宗は個人ということになっている。
正宗は技量が非常に高く、他人が容易にマネのできるものではない。
関の兼元などは、一般的には職人集団と考えられている。 こいつを入手して、1Fのスライムみたいなのを一撃で倒してスゲェと思った30年前
net h@ckなら、
The tsurugi of MURAMASA
昔通ってた空手道場の先生のニックネームもムラマサだったような気がするw
実戦じゃ役に立ちそうもないな
甲冑着こんだ数人と戦ったら、すぐ刃こぼれしてゴミにしかならんだろ
>>53
刀って一人で打てるもんなの?
複数人がハンマーで叩いてるイメージなんだけど? 現在の刺客は百均の名刀❔これで刺したりまして切ったりは手練れでも( ^ω^)・・・っても弘法は刀を選ばずというが
筆だったっけ 力を切っ先に集中して曲がらなければヒャッきんでも コロセル フフフのフ
>>64
祖父の清康が暗殺された時の刀でもある
ちなみに腹心の本多平八郎忠勝の蜻蛉斬も村正作 これが桑名宗社の村正
桑名宗社の村正
桑名宗社の村正
>>66
大石代悟
往年の
後ろ廻し蹴りの達人
の道場やな おお、画像みてるだけでゾクっとした
本物はもっと凄まじいんだろうな
村正の刃紋は「のたれ」と言って、海の波のようなものが多い。
この「のたれ」という刃紋は、正宗が有名。
ゆるやかに波打つ、雄大な海の波のような文様は、余裕を感じさせる。
↓村正の「のたれ」
>>60
鎌倉も関や長船にならぶ刀の生産地だったから刀職人はいる (´・ω・`)
>>22
こういう話好きだけど実際には桑名のおかかえだからな
当時の桑名がどの勢力圏に属してたか考えればんなわけねえなとはなる 石田三成が所持していた石田正宗(いしだまさむね)
重要文化財
「のたれ」という刃紋で、寄せては返す海の波のような刃紋。
気品と余裕、刀でありながら、おおらかな刃紋。
こちらが「のたれ」の本家で、村正はこれに習ったものが多い。
村正で画像検索するとキモいアニメキャラが出てくるのやめろ
>>2
アップルU版は
MARASAMA BLADE! だっけ 刀の話になると話が長くなっちゃうから、もう行くね。ばいばい
家に伝わる村正は明治になるまでは秘宝として長男以外には存在を教えてなかった
持ってるだけでも駄目だったみたい
>>113
真田幸村の村正について語らずにいくとはなにごとか >>67
と思うじゃん?
一般的な村正のイメージ
妖刀村正 怪しいほどの切れ味と美しさ
現実の村正
丈夫で無骨な刀で三河の超脳筋おじさんが実戦に使いたくて欲しがった
元々の評価は美術品としてではないな >>108
俗に言う「野垂れ死に」とは、この刀で斬られて死ぬものを指すことは言うまでもない 村正は正宗と比べられる様な刀じゃないよ
正宗と比べれば多少腕の良い地方鍛治に過ぎない
村正に国宝や重要文化財も無かったはず
バカな!封印を解いてしまったのか・・・ガクガク
坂本龍馬の刀は陸奥守吉行とか近藤勇は虎徹とか覚えてるのに
数学の公式は中1レベルのものから全部忘れた
>119
インダストリアルに優れていたという点ではねの春物ではなかったのだろうが、後世に価値が出るという点では究極の用の美の刀と言えるのかもしれない。
Mura Masa という若き天才ミュージシャンが英国にいるがやはりこの刀の影響力はすごいね
>>123
徳川家康の爺さんと親父は村正で切られて死に、家康は自分が取り扱いミスで指を怪我したので村正シリーズが嫌い
で、徳川に祟る刀として異名を取っただけではあるw >>131
山の名前、川の名前、歴史上の人物
みんなあっちの世界にいってしまった… こういう公開イベント、刀剣女子たちが今はすごい来るよね
こないだ石切さんお参りに行ったら、やけにオタっぽい女の子のグループ多いなーと思ったら刀剣公開やってたわ
軍刀は、プレス加工の量産品キチンとしたカタナではない。今なら1本2〜3万の安物
刀に拘る将校のみ、お家の家宝を軍刀として登録して使用した。
無名の刀鍛冶が打った作品でも1本10万円以上するだろうな。
>>9
村正はたくさんあるなぜなら村正さんの作った刀だから
徳川家の当主を三代続けて、そして家康の息子の命を奪った時に使われたから村正作の刀は妖刀と呼ばれ、徳川家と対立する勢力がこぞって買い求めたから有名になった 人が斬れなければ意味がない
この刀はただの美術品だろ
>>121
小池一夫なんだ字が違うが
宍戸錠もでてるじゃん >>1
写真は刃文が深いから正重だな。
村正は刃文が浅くのたれが大きい。 >>142
今でこそ美術的に評価されてるけど村正は実用刀だな >>113
いやいや、あんたのお話最高でしたよ
有意義でしたわー ありがとうね 村正って偽物も多かったんだろ?
そこらの二流刀匠が
勝手に村正と名づけて作った刀を
素人が本物と信じ込んで
何代も家宝扱いにしてたりw
なんでも鑑定団って番組を見ると
江戸の昔から、
いかにパクリが多かったか
よく分かるわw
もちろん、本物もあるんだけど
そんな簡単に手に入らないよなww
地元民だけど漆塗りの実物を見たことがあり、漆塗りも趣があってよかった
漆を剥いだ状態の刀を見れるのも嬉しい
天叢雲剣
名刀正宗
妖刀村正
備前長船
日本人なら、これくらいを知っていればおk?
>>93
どこまで網羅しとんねんアマプラwwwwwwww 桑名宗社の村正
あのさ、これ銘文だけ読んでおこう。
刀の銘文を知らない人でも、ゆっくり読めば、この銘文は読めるから。
興味のある人は読んでみて下さい。
そんじゃね、ばいばい。
勢州 桑名郡 益田庄 藤原朝臣 村正 作
せいしゅう、くわなぐん、ますだのしょう、ふじわらのあそん、むらまさ さく
>「今は平和な時代。
安倍政権以前なら異論ないがw
博物館とか行くと平安時代の刀がピカピカのまま残ってるからビックリする
FF12で村正使ったけどエクスカリバーの方が良かった
漆を除去して本来の姿にする意義もわかるけど漆状態も趣があっただけに惜しい
>>169
家康が村正禁止命令だしたから数多く折られて溶かされた 当時の徳川軍
おぉこの刀は肉厚丈夫で刃こぼれしないしええな。切れ味より実戦で使えそうじゃ!
現在の刀剣オタ
恐ろしい切れ味の妖刀で徳川が忌み嫌った。美しい名刀
こんなん笑うわ
( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、我が剣に斬れぬもの無し
| ω |
し ⌒J
ちょっと見たいけど三重は遠いなあ
伊勢温泉浸かりがてら行くかなーうーん
>>69
弟子がデカいハンマーで相槌を打つよ
折り返し鍛錬の段階では弟子の力仕事
もちろん折り返す回数の見極めは刀匠が指示 シャープの薄型ノート思い出した。あの頃はまだ国内メーカーも頑張ってた。
村正って有名だけど、コスパの高いとこが作った量産品って感じだろ
妖刀の話も単純に数が多かったから、結果的に事件に用いられたものが村正だったということだろうし
刀としてそこまで貴重なものではないと思う
画像の宮司…帰って来い!
ちょっと魅了されてる顔やがなw
>>38
お前、ここの平均年齢知ってて言ってるの? >>18
馬鹿なこと言ってないで早くミシン針片付けて >>102
すげえ。この刃紋初めて見たけど美しすぎる >>1
何というか、昔の知恵でここまで綺麗に保存出来るもんなんだなぁ、と感心。
無論だが、その状態の物を復元&研ぎ澄ます事が出来る研ぎ師の技術にも二度感心。 漆を塗るのと蝋で固めるのと、どっちが保存性が良いんだろか
村正はマジで良く切れて有名だったので値段も高く
東海地方のトップブランドだった
松平家で村正が事件に多く係わったのは、それだけ村正の所有者が多かったから
ここで出て来る正重に注意
楠木正成の言わば本流で正成-正勝-正顕-正重と続く
正勝が応永の乱で堺城に籠るが、攻め手である北畠氏の呼びかけに応じて落城の混乱に脱出
関氏の一族、鹿伏兎氏の配下に置かれ、下ノ沢城(亀山市関町大字加太字金場)に落ち着いた
これ以降の楠木氏を伊勢楠木氏と呼ぶ
歴史書には書かれていないが、楠木氏が拠点を得た事で、多くの縁者が集まって来たと思われ?
しかし下ノ沢は山峡の集落で多くの人を養えない
そして金場と言う地名がある様に、昔から金属加工の歴史があった
そこで正重は桑名の村正に弟子入りをして刀鍛冶の修行をして金場に鍛冶集団が出来た様?
刀も作ったが一族維持には効果的な大量消費、大量生産の鏃製造で知られた
武士としての楠木氏は力を付けていくが、小牧長久手の戦いの前哨戦である伊勢亀山の峰城で織田信雄側で蜂起し敗北
敗走して籠った美濃加賀野井城の落城で楠木氏の本流は途絶
鍛冶の流としては正重の名はその後も続き、
村正が妖刀として退けられる様になると
村正の本家が正重の名で銘を切る様になった
村正を握ると人を斬りたくなるという。
呪われた妖刀。
みだりにこうやって世に出すものではない。
神社の拝殿奥深くに眠らせておいた方がよい。
>>22
徳川家(というか松平家)と桑名は近いからな
村正ファンがたくさんいたんだよ
だから家康の祖父や父が暗殺された時や、家康の息子が介錯された時の刀が村正だったという伝説 正真正銘の村正 画像だけでも公開といかないか
現代工に真似られ偽物が出回るのも困るけど
>>67
それは正宗の評価だな
正宗は刃文が大きく派手で見映えがよい
しかし刃文というのは弱い部分であり、小さくて細かい方が耐久性があり実用的 春日大社(奈良)がなんで三重だよって思ったら、三重にある春日神社なのね
>>22
物流が今みたいに発達していない頃
三河のすぐそばの伊勢で村正が入手出来たので皆がこぞって購入
徳川で刃傷沙汰が起きれば村正が使用される確率が圧倒的に高くなる 漆とか無駄に高い代用品だよねww
昔第一次世界大戦のころのドイツの銃剣を買ったらグリスの中にシーチキン見たいに漬けてあった
ほんと基礎工業力とかは悲惨だったと思う
>>123
正宗の評価は粟田口派や来派より低いだろ >>149
薩長が欲しがったので幕末に村正の偽物が流行した 村正で画像検索したのに俺に謝れ
最近は固有名詞の検索結果が知らないアニメ絵になるケース多すぎ
>>221
本多家が勧請したみたいだな
春日神社のすぐ近くに本多忠勝の銅像がある >>200
刀(ムラマサ)を抜いたのは一度だけだ。
しかし刀を研くことを怠ったことは一度もない。 髪の毛一本が風圧で切れるといえば
理解出る。画像から職人の生命を感じる。
村正持たせた侍よりバタフライナイフを持たせたビショップの方が強い
村正が攻撃一回あたり40ダメ位に対してバタフライナイフは250位
眠らせた敵に10回ヒットで5000ダメとか出た気がする
>>231
何故川に落ちたお手前の立派な
脇差が浮いているのかなw。
悪かったな。俺のはどうせ○○だよ。 刀は戦闘用の武器じゃない。実際に合戦の
主要武器は槍です。
本日の爺ネタコレクション
18 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/10/19(土) 08:34:21.87 ID:yauz87Ck0
俺の村正はまるで新品のように輝いてるぜ
28 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2019/10/19(土) 08:37:17.86 ID:05PbSp/H0
俺の股間の村正は鞘がキツくて抜けない
42 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2019/10/19(土) 08:42:07.82 ID:AEG+Vwsr0
おれの名刀でヒーヒー言わされたいおんなこいや
71 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/10/19(土) 08:55:02.66 ID:Xx/H7eO40
ワイの股間の銘刀も見てくれよ
178 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/10/19(土) 10:01:45.63 ID:UK9UPXnK0
( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、我が剣に斬れぬもの無し
| ω |
し ⌒J
200 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/10/19(土) 10:30:51.99 ID:LLiu9jmw0
俺の股間の村正は大事に備えまだ皮をかぶらせてある
240 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/10/19(土) 11:30:17.49 ID:cBHu5g8n0
おまえらの股間の幼刀村正はちっちゃすぎるな
>>244
乱戦ではその槍がまったく使い物にならなくて両軍が刀で戦ってますけど
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。 >>244
「てつほう並玉薬被成御用意、可被食越候、鑓ハ一切不用立候、
何としても鉄砲被仰付肝要ニ候」
推定文禄二年 九月廿九日付島津義弘書簡
朝鮮出兵ではその「主要武器」が一本も送ってこなくていいもの扱いになってます
一方で刀は鉄砲との組み合わせで敵軍が足を翼のようにして逃げるほどの威力を発揮
ルイス・フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。 >>237
妖刀村正伝説自体はただの創作物で真偽は定かではないぞ。
家康自体が村正使ってたし、徳川美術館にも村正は所蔵されてる。 靖国神社にあるムラマサは、凄い感じがするけどな。
人斬ってるから、刃こぼれしてて不気味すぎる。
村正って桑名の刀工だから近かった織田や徳川が多く所持していただけで
名刀っていうほどでもないって話だったけど……
まあ>>1にも「名刀」とはどこにも書いてないか。
ちなみに備前長船博物館は小さいけど刀が一杯見れていいぞ。もう30年も
行ってないけど。 伊勢湾を挟んで三河や尾張に沢山出荷されるくらいに、斬れ味に定評があって値段も手頃だったんだろうね。
今も桑名市内に村正の後裔がやってる鍛冶屋さんあるけど、地元では良く切れる包丁だと評判は良いらしい。
小川に村正と正宗を立ててみると
かたや葉が吸い寄せられるように近づいては切られ
かたや葉を避けるように見えたという
>>244
信長の勝因は足軽への長槍の導入だったと言われているしな
当時の刀はサイドアームの位置付けだったらしい
日本刀で人が一番殺されたのは幕末とも言われているし 明日は名古屋まつりで名古屋城とか無料解放してるから桑名なら近鉄で20だし色々廻るのちょうどいいかもね
まあ実戦上最高クラスってことなんだよね。
どーせならかっこいい方がいいってことで、
むしろ兵器の工芸品というか。零戦みたいな。
だから、太刀は作ってないし
刀とか爬虫類欲しがるのは若干の金持ち以外、殆どはクズや刺青入れてる団体ばっかw
合戦なんて刀で斬り合うとか無理だから
刀を金属バットみたいに振り回して殴りあったのが実際のイクサ
>>256
正宗←敵を寄せ付けないのが製作コンセプト
村正←敵を倒すのが製作コンセプト いざと成ったら玉を出せ!
力が溢れる不思議な玉を♪
>>233
刀剣ブーム終了したと書いてる人いるけど、元に戻るかな?
刀とか歴史上の人物検索したらアニメ出てくるのもうやだ(´・ω・) >>178
そんな粗末なモノ見せたらおなごがキレるでのう・・・ >>258
三間の長槍なんてものは信玄が出した軍役状にも出てくるけど
あれは信長のパクリだったんですか? >>1
これは豪快で力強い
画像で見ても迫力が伝わってくる >>247
朝鮮人が弱いのは当然だからあまり参考にはならないな >>246
日本で槍が使われ出したのは南北朝の争いから
騎馬突撃に対して長い槍の尻を地面に挿して、斜めに構えて槍衾を作って対応した
明軍に組織的な騎馬突撃は無かったので槍はそれ程は要らなかった
槍や長刀などはリーチの差で優位を得る為に使う武器だが
明や朝鮮の刀は日本刀より短く、刀だけでリーチの差があったので槍を必要としなかった面もある >>279
日本で初めて槍が使われたのは箱根の戦いだな
道端の狭い箱根峠を護る足利軍に対して柄の長い槍を構えた菊池軍が攻撃を加えて打ち破った >>264
家を建てるなら掛け軸や花を生けたいし、なんなら刀も飾りたいしついでに爬虫類や猛禽類飼いたいけど刺青は入れたいと思わんなー >>283
箱根竹ノ下の合戦で菊池の軍は負けているから
筑後川の合戦だと言う説の方が強い 戦場において槍は刺すというより叩くという方法が有利だったらしい
信長以降は火縄銃の一斉射撃、それで敵陣営を崩してから
足軽の長槍隊を突き出しながら突撃させるのが定番
入り乱れた乱戦でようやく刀を使うレベルになる
騎馬は銃や弓矢で真っ先に撃たれるので基本前には出ない
武田騎馬隊がそれで滅んだからな
>>287
槍の集団戦だから、槍を水平に構えて突いたら、
敵を刺しても隣の奴がそれを引っ張って手を離さないと相手の陣に引き込まれる
だから掴まれない様に上下に振って叩き合いになる
昔の新左翼が竹竿でやり合った内ゲバも集団で叩き合いをしていた
十字槍も相手が掴むと手が切れるからだと思う? 男ムラマサは漆を剥がされて恥ずかしいのれ〜す!
な〜んちゃって
って、電脳なをさンでやらないかね。
見てみたいけど、キモオタ女が押しかけてまともに見学もできんのだろ
80才になるお婆さんが自らの命も顧みず日本の本当の真実を本にして出版した。
山本文子著 山本奈実編 『大日本帝国復活―百済人の野望』ホームページを持っているので本名とタイトルをググれば見れますよ!
本当の日本人は我が国の真実から目を背けてはいけない最終段階です!
少しでも心に響いた日本人の方がいらしたら拡散してくれれば幸いです。
rt93
>>301
別の刀だけど復元プロジェクトで目標額を5時間で達成しちゃってるし、金が動くのは良いことだ FC版とGB版のWizやりてえなあ。
権利関係がどうとかでバーチャルコンソールとかにも入らないんだよな。
>>279
いや刀剣が短かろうが明にも朝鮮にも槍や長柄武器があるんですけど…
もっとも明の武術家が槍でも毎回日本刀術に負けてしまうと書いているくらいだけど
程宗猷 「単刀法選」
日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう。 >>40
ああ俺も
アスキーのデータバックアップも買った覚えがある。
初代FFもあの時代輝いていたよ。 >>279
>明軍に組織的な騎馬突撃は無かったので槍はそれ程は要らなかった
とんでもない大嘘を言ってはいけない
明軍には遼東鉄騎というエリート騎兵軍がいてそれが日本側と戦ってる
倭式長刀(日本刀)にズタズタに切り裂かれる結果になってしまったけどね
柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
ID:yrI/nIVm0の薀蓄話は当時の人間が書いた史料の内容にも反しているし
話半分に聞くべき内容だね >>317
盗むんじゃなくて宝箱からドロップ。
ちょっとやりこんだら何本も出るからそんなにレアって程でもない。 >>1
足利尊氏が所持しているアレか
装備する前に倒さないと、
こっちが首を刎ねられる確率大 焼き物なんかでも同じで集落で作ったものが〜銘になる
>>136
プレス品でも結構切れて良いよ、若干短いけどな。 >>148
研ぎ次第、近く寄って見れば本来の刃文が見える。 シャープのMURAMASAというモバイルノート持ってましたけど
>>283
箱根は勝ち、足柄が負けたので箱根の軍勢は撤退しなければならなくなった 村正は初代が作った無銘が最上というか神の領域
二代目以降は人間レベル
懐かしいな
昔グレーターデーモン毎日のように狩ってたわ
刀ってどれが強いのよ(材質とか形とか的に)
使う人によるのかな、長身とか怪力とか
>1 の画像はすごく厚みがあるように見える。
日本刀ってもっと薄くて細いものだと思ってた。
こんな鋼を携えて最前線に討って出るって、武士は肝が据わってたんだな。
ヌンチャカ
メジャー大名
チャンプ侍
ウィズから溢れ出るニンジャスレイヤー臭
レベル1のサムライですら、ポイズンジャイアント真っ二つに出来るのはステキ
>>340
戦場で実用するために作られた刀は重ねが厚い物が多い
同田貫とかね >>266
介者剣法ってのがあって
鎧の隙間や足など甲冑具足の無いところを狙うんだよ。 >>340
一番あついところで大体1センチ弱ある。 GBCのwiz#1、中古で買って約6年。
村正は現在78本。
俺の所蔵する文献によると村正は褐色肌の銀髪エルフだったりクモ型の聖衣だっりするんだが
>>22
村正は流通してた数が多かったから「徳川を狙う奴はみんな村正を持ってた」って状態になったと言われてる
今で言えば「人を轢いたジジイがプリウスに乗ってた」「煽り運転するDQNは大体ヴェルファイアに乗ってる」みたいなもんや >>301
腐女子はどんどんカネ出すけど、男オタは
タダで取ろうとするからな >>150
行田の鉄剣は皇室所蔵より昔の物だぜ
大和よりも出雲が先に製鉄をやってて、追い立てられて武蔵に来たわけでさ
京の貴族や公家様は刀を振るう趣味はないじゃん >>160
何振りも見てるけど、何というか圧のようなモノがすごい刀ってあるんだよなぁ
怖さ半分、魅了半分だったり
もう人斬りはできねぇよザマーw、とでも吐き捨てないとその場を離れられないようなのも >>192
間違いなく魅入られちゃってるか、見惚れちゃってるよなw
だれか斬って捨てたい人が思い浮かんだのか… >>343
実戦用ってことは、人を斬った刀なのかこれ? 村正は当時、価格も安くて普及していたらしいから人を斬っていてもおかしくない
>>14
刀剣の所有は許可すらいらん、届け出ればいい
美術品としての刀剣は教育委員会の管轄で警察の管轄ではない >>359
村正は良く切れると有名であり
当時としても高かった!
自分の命を懸ける道具だから、無理しても良い物を買う
尾張や三河に良い刀鍛冶が居なかったので
三河武士はこぞって桑名の村正を購入したらしい
昔の物流は水運が中心であり、伊勢湾沿岸は交流が盛ん
家康の父、松平広忠は幼少の頃、今の鈴鹿市神戸の寺に一時避難をしていたし
服部半蔵は伊賀で、井伊家の家老になった木俣氏も伊勢神戸から松平家へ >>316
明軍のそれを組織的騎馬突撃とは云わないw
組織的騎馬突撃は鉄砲や弓の斉射で相手の前線を混乱させ
重装甲の騎兵が短槍や湾刀で集団突撃をする戦術
これを防ぐ為に織田軍だと6mの槍で密集隊形を作り
斜めに地面に刺して相手の突撃を迎えた
槍を振り回すのではなく、相手が突撃して来るのを待ち、馬のどこかに刺さると
馬が棒立ちになって騎者が振り落とされる
騎馬対徒歩の戦いで徒歩兵は騎乗戦闘員を狙うのではなく、馬の脚を切るなど、馬を狙うのが基本
明軍騎兵は短刀なので刀で馬の脚を払うだけで済んだから長槍はそれ程必要としなかった
明軍が長柄の武器できたらこちらも槍を使えばよいだけ
と言うより、日本軍の武器は鉄砲が中心だから、槍兵の集団突撃なんて出来ないw
明軍が日本刀に苦労したのは確かだが、日本軍の鉄砲に圧倒されたと自覚しており
その後明軍は鉄砲の装備に力を入れている
しかし李自成による反乱で滅びてしまい
その混乱に乗じた女真(満州族)に支配されて清国が出来た >>22
単に出回っていた数が多かっただけというオチ
現代で言えば祖父がトヨタ車とぶつかった
父がトヨタ車に轢かれた
息子もトヨタ車で事故った
その事実だけでトヨタは妖車メーカーだとイチャモン付けるようなもの バカ野郎、伊達に妖刀と言われていたけじゃねえんだぞ。
こりゃ何か大きな事件が起こるな。
>>349
妖刀村正ってプリウスミサイルと同じノリなのか
幻想が崩れるなw そら戦国の時分から腕一本で駆け上がった野良の刀匠だからな初代村正は
桑名のお抱えになる前からあの地の庶民に根付いてたし