>>1
なぜなら、邪馬台(やまと)国が九州にあったからだよ! BC770年 春秋戦国時代
│
BC221年 秦(キングダム)
│
BC206年 漢(項羽と劉邦)
│
184年 三国時代(三国志)
│ ←────────────卑弥呼
265年 晋
│
439年 南北朝(蘭陵王)
│
589年 隋
│
618年 唐
ちなみに明日まで東京国立博物館で曹操の墓の出土品や同時代の遺物を展示してるから見たい奴は見に行け
海部氏だって後漢の鏡祀ってるし珍しくもないんでないのかい?
鏡なんて当時の流行り品だろうし
>研究者らは首をかしげる
とぼけんな
北部九州説を潔く認めなさい
梅原末治先生が古美術商に騙されただけなんじゃないか
皇帝の所有する高級品…なのが間違いなのかもな
市販の上等品程度とか
先カンブリア時代のことならともかく
わずか1800年近く前のこの島の状態がなんで正確に分からないの?
私たちはその当時のひとたちの子孫でしょ?
日田で見つかったというのは、言い伝えにすぎない
実際工事で出た鏡は行方不明になった
この鏡は奈良の古物商から買ったもの
確かかもしれない事実はこれだけ
もっともコレもどうだか
九州の地名が近畿の地名になっててさらに関東の地名になってんだよ。
侵略した側が元住んでたとこの地名つけるんだからそういうこと。
魏志倭人伝の魏の曹操かあ
こりゃ関連考えない訳にはいかんわな
>>17
日田での出土を誰も確認してないし古物商がそう言ってるだけで、
実際に古墳から出土したもので判断すると、状況証拠は真っ黒だからだよ
土人!!
東アジア離島列島では、考古学が科学でない!!
「また、今度は九州の通称ゴッドハンド」
「自分で精巧に作って、埋めて、発掘する人」
「土人に刑事罰が必要!!」
大陸で盗掘され日本に流れてきた可能性だって否めない
と思う
なにしろ古物商
>>20
たかだか三韓時代の言語も碌に分からない国が日本の隣にあるそうだよ(笑)
ちなみにその時代の現在は砂漠になってるシルクロードの要衝
敦煌の言語は現在解明されてるww
土人!!!!
東アジア離島列島の日本では、考古学が科学でない!!!!
「また、今度は九州の通称ゴッドハンド」
「自分で精巧に作って、埋めて、発掘する人」
「土人に、刑事罰が必要!!」
九州は国宝ばかり出土してる
畿内は桃の種とかしかない
これで畿内が邪馬台国とか学者はバカなの?
お金貰って畿内説唱えてるんだよね
畿内説唱える学者は皆 どこかからお金もらって嘘の説を唱える山師じゃあないのかな
学者ってラノベ作家より空想論者なんだろうね
>>19
曹操自身が薄葬令出してるくらいだから、本気で大したもの埋葬してないのかもね
後漢末の陵墓が荒らされまくってるのを見てるのもあるでしょうし
あと一応曹操は皇帝じゃない
土人!!!!
東アジア離島列島の日本では、考古学が科学でない!!!!
「また、九州の通称ゴッドハンド」
「自分で精巧に作って、埋めて、発掘する人」
「土人に、刑事罰が必要!!」
>>20
解らないのではなく解らない振りをしてるだけ。
どうしても邪馬台国を近畿に置きたい勢力がいる。
他にも皇室を家宅捜査すれば不明な歴史の過半は明らかになる。もちろん墳墓も調査しなきゃならん。 >>14
志賀島のも不明といえば不明
おまいらの好きな日本の古典の写本だって、来歴が不明なものばかり
漢籍もそう
宋版の三国志が怪しいとか言ってる奴が元版の隋書を根拠にしてるのとか草 大体、ちがうというのにチャウというのが馬韓か辰韓だよ。
>>27
難升米か張政が持ち込んだ可能性は極めて大とは思うけど
そのまま邪馬台国に残ったとは限らないような
倭国内での外交に使われた可能性もあるような >>1 >>2
パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がわきまくってるしな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら凶悪レイプ性犯罪を繰り返し
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
チョンポップの人気偽装を繰り返してるのもこいつら在日朝鮮人・帰化人。
在日朝鮮人は、スパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員 をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. >>37
曹操は皇帝ではないが、九錫を下賜されてるので皇帝と同格 畿内論者がいちゃもんつけてるけど、
公式に渡辺音吉が日田市で発見したものと認定されてるからみんな騙されちゃダメだよ
>金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は、1933年に大分県日田市日高町で、
崩れた5世紀のダンワラ古墳の石棺から発見された直径21.1cm、厚さ2.5mmの鍛造の鉄鏡。
発見者の渡辺音吉は、錆を防ぐために石灰を詰めた石炭箱に入れて三芳小学校に寄贈した。
ところが1940年代、戦中から戦後すぐの段階で盗難に遭った。
1960年になって奈良の古美術商から「伝・日田出土鉄塊」として梅原末治京都大学教授によって再発見、
購入されることになった。
石灰粉も認められ、盗難品であると同定され、1964年に国の重要文化財として認定、
国立博物館に収蔵された。
前スレでは畿内説の人はこれに手も足も出ず逃げ惑うだけだったけど、今回もそうなるんだろうなw
> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.90 ID:953HWZUu0
> >>1
> 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな
>
> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に考えた結果こうなった
>
> >>51の続き
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
>
>
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ >>51,53の続き
> 308 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 07:29:57.35 ID:nfEZxMc70
> 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
> 海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
>
>
> また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
>
>
> 有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
> 製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
> 狗奴国との国境は菊池川だろう
>
> 鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの >>54関連
https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html
免田式土器の分布イメージ図。作成した松田度氏は、邪馬台国と抗争した狗奴国の勢力を反映していると推察する(松田氏提供)
畿内説が優勢とされる邪馬台国の所在地論争で、九州説の立場を取る大和(奈良県)ゆかりの考古学者ら3人が8月、
謎の王国「狗奴国(くなこく)」の実態に迫る学会発表を行った。
魏志倭人伝によると、狗奴国は女王・卑弥呼が君臨した国々の南に位置し、卑弥呼とは抗争状態にあったとされる。
考古学者らはその勢力圏の中心が熊本県内にあったとし、狗奴国の位置から卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している。 >>51関連
重要と思われるポイント
> 806 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:37:57.84 ID:PRbsOSjX0
> >>793
> >畿内説ってのは中国語読めない人たちが漢文を曲解してるだけのつまらないお話
> それな
> 畿内のアホどもが散々縋りついていた水行十日、陸行一月の記述も暴かれちゃったしw
> もう畿内説は詰んでる
>
> > 73 :日本@名無史さん :2019/08/22(木) 23:45:04.55
> > 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
> > 水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
> > これを押さえておかないと正解には辿り着かない
> >
> > 【用例】
> > 通鑑釋文辯誤卷六
> > https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
> > >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
> > 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
> > 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
> >
> > 【嘉興府志】
> > https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
> > >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
> > 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
> > やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
> > また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし ヒミコさんが貰った金印だって、返してるんじゃないかな・・
その後に色々争いがあったらしい・・・からね・・。
曹操の家柄から言えば、
この鏡、日本で見つかった鏡、金印は
前漢、もしくは後漢で作られた可能性は高い
一枚は、皇帝の有能な官吏の家に
もう一枚は、日本へ
とすれば、重要物
日本では、
本来古墳や宮殿跡でまとまって見つからないとおかしい
バラバラで、しかも鏡は下級の者の墓からとか
どう考えてもおかしい
ぬすまれた?のか
九大頑張れよ。お膝元だろ。畿内派に対抗して新たに九大邪馬台国九州説を打ち立てろ
中国なら歴史ミステリーだがあの国だったら
「盗まれた物ニダ!」
になるんだよなwww
>>51関連
重要と思われるポイント
> 469 :名無しさん@1周年 :2019/09/14(土) 00:23:39.30 ID:kua17zdE0
> >>424
> まず最初に、工程を記述したのは帯方郡から倭に行った人間であって陳寿じゃないことに気付こうな
> しかも、記述者は放射読みにする箇所はちゃんと他とは書き方を変えている
> お前が気付かなかっただけだ
> わざわざ記述法を書き分けてあるということはそこは他とは違う読み方をしなければならないということだ
>
> 連続読みの行程部分は全て動詞が至や到よりも前に書かれているが、
> 放射読みの箇所は動詞が至より後ろにあるか動詞そのものが無い
>
> ・從郡至倭 循海岸水【行】 歴韓国 乍南乍東 七千餘里┃到 其北岸 狗邪韓國 ・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
> ・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
> ・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・・【★動詞は後ろ】
>
> 動詞が後ろまたは無い三箇所は距離と方位の起点が前段から移動しない
> つまり並列の箇条書き文章であり、地図上では前段から放射読みとなる
> 上の行程文に照らすと放射読みの起点は全て伊都国である
> まとめると
>
> 帯方郡 → 狗邪韓國 → 對海國 → 一大國 → 末盧國 → 伊都國
> . . . . . . . . . . . . . . . . . . ┃
> ルート分岐@ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 奴國 → 不彌國
> ルート分岐A ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 投馬國
> ルート分岐B ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┗→ 邪馬壹國
>
> という構造 >>9
当時の中国里は1里400メートル
九州の南方1600kmは台湾よりさらに南
魏志倭人伝の記述なんて全くあてにならない
なんせ書いた本人は日本に来てないんだからな 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に
簡単やんw邪馬台国は九州にあったんだろ
そして中国や朝鮮半島までも支配していたんだろう
卑弥呼がアジアの女帝だったってだけ
歴史なんて全部正確に記録が残ってるわけじゃないしな
>>50
捏造乙
発見時に出土したものがこの鉄鏡であるとわかってたいうソースはない もう九州王朝の存在をわかってるくせになぜすっとぼけるんだ
さて、これだけの材料が揃ってしまえばもう九州説は揺るぎないと思われるが
はたして畿内説に逆転の目はあるのか?
無いだろうなぁ
やっぱり邪馬台国は九州なんだよ
それを関西人がどうしても大和と結びつけようとするから
いつまでたっても埒があかない
ソースが有料なんで途中までしか読めないけど
出所は怪しいけど当時作られた本物ってのは確定してるの?
>>63
頭を使おう。邪馬台国はフィリピンにあったんだよ
黥面文身ってのはいかにもありそうじゃないか
倭国と日本国は別。中国の書物にもそう書いてある >>70
ヤマトなんてのは九州でも関西でもなく日本全体を指す言葉 歴史学会でトンデモ説呼ばわりされていた
石板鏡を発明した黄帝の第四妃であった
姆母(ぼぼ)が倭人だったと言われる伝説が
本当のことだっただけのこと
いつの時代も鏡は真実を映す道具。
その鏡に映し出された不都合な真実こそ
中国王朝黄帝の正統直系の血統とその皇位継承の証と
なった神鏡の石板鏡
そして姆母(ぼぼ)を讃えるためと自身が
黄帝の子孫である証のための複製された神鏡。
>>71
ソースの続きを新聞で読んだ人によると、出土したとされる場所を調査したところ出土品が鉄鏡と全くそぐわないので関係者はここではないだろうという結論だそうだ もっとも簡単な説明は
使者が大分で死亡
事情を知らない村人たちが埋葬
金印も同時に運んでだとすると
福岡あたりで、失くすか、盗まれる
ルートは、福岡→大分の陸路となる
どこに向かってたのだろうか?
という仮説も立てれるんだけど
金印と鏡を結びつけるモノかろ欲しいな
九州だったら、熊襲は九州なのかね・・・・
高千穂は九州だし日向も九州・・・。
いまだに何処が始めの所なのか、神話でもよく判らないな・・・。
>>73
日本全体を指す言葉はヤマトではなく大八洲(島)だ 普通に九州のほうが中国に近いし発展していたのは間違いないだろ
>>65
奥山さん見苦しいです
石灰粉も認められ、盗難品であると同定され、1964年に国の重要文化財として認定、
国立博物館に収蔵された。 これは楊貴妃が日本に逃げて来た時に
唐から土産に持ってきたんだよ
曹操の同類鏡が九州にって
本来全て日本製だから九州で出土するわけで
皇帝のエンペラー自体日本の天皇家のスメトラノミコトの直系のみの一子相伝の三種の神器とか
中国でのエンペラーはヘブライ人が秦を建国した始皇帝のみ
その他は紛い物
メソポタミアのシュメール人達ヘブライ人のスメラ族のスメトラノミコトの天皇家のみがこの地球上のエンペラー
ヘブライ人達の神道の文化がある日本だからこそ
中国から朝鮮半島経由で渡来したメソポタミアのシュメール人達ヘブライ人達が弥生人達だからこそ
中国の曹操の同類鏡があるわけだから
邪馬台国はヘブライ人達でもイスラエルから沖縄へ渡来したユダ族の物部氏達が邪馬台国の民
イスラエルのユダ族の邪馬台国とメソポタミアのシュメール人達ヘブライ人達の大和王権は全く違う
邪馬台国は四国剣山にあったわけで九州ではない
>>56
免田式土器は九州北部から奄美沖縄まであるのかすごいな。
侏儒国は女王国から四千余里。また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとある。
南方と交易してた免田式土器の持ち主達が邪馬台国じゃん。 >>60
自分でやれ
>>65
ないことを証明してから言え
これは悪魔の証明ではない >>51
なるほど、たしかに>>57や>>62の情報を踏まえるとそれで全部無理なく説明できるな
他の考古学情報とも合致してるみたいだし、色々考える人がいるもんだ 曹操を勝手にイメージすると、
”使える”モノを好みそう”使える”モノは大量に作らせて普及させそう
で、装飾が大量生産品では無いのだろうけど、
最高級?
曹操なのか,曹丕なのかハッキリしろや(´・ω・`)
難升米は内宿禰。武内宿禰の弟。タリシヒコ系王は神功と武内宿禰により滅んだ。神武東征はそれ以前ひょっとすると神武と開化は同一。紀元前660はウエツフミには神武は70代以上だからこの伝説を記紀は借用したのかもしれない。
そもそも記紀に刺青の記述が一切無い
古墳時代にも飛鳥時代にもない
倭国は日本人ではないフィリピンの人達の事だろう
金印って、まだ紙が発明されてない時代に出来てたのか?w
これは240年に梯雋から倭女王卑弥呼に献上された鏡ですねありがとうございました。
倭人はヘブライ人
倭はヘブライ語でヘブライ人達のこと
在日が誤魔化してるが
フィリピン人ではない
普通に考えて同格の国だったってこと
朝鮮は発狂するだろうけどねw
韓国の南東部の端に、邪馬台国の出先機関があって連絡係が常駐してたと
魏誌倭人伝に書かれてた
>>76
そもそも、日田はここから九州のあちこちに行ける中心点みたいなところなんだよ
それだけに軍事的には要衝で江戸時代も幕府直轄領だった
そこまで考えると日田に邪馬台国があるというのはそんなに不思議ではない >>63
きてるよ
対馬壱岐の様子とか見ないとかけないから
卑弥呼にも会ってるし まあ多分間違いですわ・・・・。
それが本当なら今頃日本は中国だろうから・・・・(´・ω・`)
>>90
記紀神話では九州倭国の事が無かった事にされてるよな
前漢や魏との交易にも一切触れていない 司馬懿に滅ぼされた公孫淵の子供が難升米が密かに邪馬台国に連れてこられて日田に隠棲した。
それでそのまま日田に公孫家の秘宝が、、、(嘘です
日本書紀にも任那日本府があったと言うから、魏の時代にはもう倭人がいた
中華が広過ぎて他国に目を向けられなかったのが残念過ぎる
でも各々が頑張って土地を守った事は評価するわ
>>80
はい、ウソ
日田からの盗難なんかまったく証明されてない
出土場所がはっきりしないものが重要文化財になっただけだ >>63
随書に朝鮮半島から九州まで三千里と記されていてそれを四千里にあてはめると種子島!
日本人のレスが少なすぎて笑えるね・・・(´・ω・`)
九州の唐津というところにたどりついてから船で海岸沿いを移動して
そのあとどこかにやまいち国があったと書かれてた
>>109
盗まれた本人=渡辺音吉が認めてるんだぞ しかしなぜ日田に??
謎は深まるばかり。
あの筑紫君が何かしら知ってるんじゃね?
津は大切な場所という意味もあったから
唐津とか邪馬台国の頃も大切な場所だったんだろうな
天然の港があったとかなにかあったんだろ
倭人伝は最後どこかと争って男性の王が誕生するところで終わっていて
そこも邪馬台国だと書かれてた
>>118
末盧国だから相当重要だね。
梯雋や張政も通った国だ 日本の歴史から考えると、吉野ヶ里に邪馬台国の王が暮らしていた時期がある
金印が田んぼからでるぐらいの土地だから
ざっくざっくやでー
日田の近くだと、平塚添川遺跡があるな(まあちょいと離れてはいるけど)
何か関連はあるんだろか
>>110
九州までじゃなく「倭国まで」じゃね?
>倭國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。
>魏時驛通中國三十餘國。 >>116
大友氏とか有力な大名いたからどこぞから戦利品としてせしめた可能性はある >>120
男王が立ったが争いで千人以上が死に、台与が立ってやっと収まったってまでを記載してるのが魏志倭人伝
南北朝時代の梁書だと、その台与の後に男王が立った事になってる 倭人伝はまず中国の海岸を北に行くと半島の付け根に狗邪韓国があると書かれてる
狗邪韓国の北に帯方郡、今の沿海集サハリンなど豊かな地域だったらしい
狗邪韓国からは南北に川を渡って東南に進む
魏の人が、百済や新羅の人に聞いた韓国の東南に住む倭人についての記述がある
>>127
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 の蕨手紋が筑後川や熊本北部の装飾古墳に影響を与えたと見た!
それぐらいすごい鏡だね 大和大国→邪馬台国(邪魔大国)
日巫女→卑弥呼
竜宮→琉球(ながれだま)
魏志倭人伝は大陸の書物です蔑視のいいかえで漢字を日本は当てられた
那覇、与那国など那の国は大和の支配地域
今は沖の縄張りで沖縄
支那は那の国の支配地域で那覇が覇権をもってて竜宮城があります
てきとー
>>114
またまたウソ
九州説はウソのオンパレード 金印は漢奴隷国という意味のハンコだからおもしろくなかったんだろ
日本は共産党以前の中国は、尊敬しているんだけどもなぁ・・・?
いや、当時の子孫達が今もいる訳で、場所がわからないわけがない。
隠したいからウヤムヤにしているだけだと思いますよ。
徳島も遺跡天国だし、卑弥呼時代に遡る古い家柄も多くあるでしょ。
話題変わるけど、例えば分かりやすい江戸初期、徳川家康影武者説とか埋蔵金の真実を宗家、分家等が分からないわけないじゃん。
メイジ政府が盗んできて埋めたんだろwww
ジャップがまた捏造したんだろwww
>>109
奥山さんにはもう強弁するしか残されていないのか・・・
石灰粉も認められ、盗難品であると同定され、1964年に国の重要文化財として認定、
国立博物館に収蔵された。
盗難品であると同定され
盗難品であると同定され
盗難品であると同定され 九州で決まりだな
他は町おこししたいからって見苦しいよ
そもそもそんな物見つかってないって話しだしね・・・・
どうすればいいの・・・?
なんで近畿説が有力なんだろう
近畿にあったのなら金印が福岡から発見されたのも不思議
>>142
単なる学者の縄張り意識
九州に決まってるんだよ
とりわけ古田説 日田らへんに邪馬台国系統の国があってそこから瀬戸内海ルートで西征していったんか
>>142
掘りたい遺跡が近畿にいっぱいあって予算が欲しいからだろ。
学問的には「文字の書かれた遺物でも出てこない限り永久に分からない」が正解。 >>142
なんで九州なんだろ?中国との窓口ではあっただろうけど >>142
纒向遺跡の存在がデカいんじゃね
当時奈良周辺に大きな国があったのは間違いないが
個人的に、それが魏志倭人伝の邪馬台国ってのは、ちょっと無理があると思う 福岡の漢委奴国王の金印は後漢の頭で、邪馬台国から100年以上昔だしな
当時福岡にあった国への贈り物
これが親魏倭王の金印だったらまた違っただろうけど
ダンワラ古墳があったはずの法恩寺山古墳群は筑後川流域の装飾古墳文化圏だったな。
磐井の勢力圏かな?
>>1
光栄の三国志で曹操軍に攻められて、
総大将が曹操だったときの絶望感ったらない。 九州で見つかった金印は
偽者だと思うけれども・・・(´・ω・`)
>>138
誰が日田からの盗難品だと同定したんですかねw
何の証拠もない作文をいくら書いても、日田からの盗難品だと同定されることはない
出所不明のものでしかない 遺跡だと、奴国があったと思われる福岡市は、邪馬台国の時代、畿内とかなり密接だった
ただ、これが伊都国があったとされる糸島になると、畿内の影響はがくっと落ちて、ほぼ無くなる
久留米やら朝倉、日田辺りはまだ九州独自っぽい
ただ、久留米の南、熊本の山鹿あたりになると、畿内系のかなりな影響が見られる
さてどういう事か、、、
>>155
普通は、政権が変わった後には貰った印鑑は返していたらしいからね・・(´・ω・`) >>156
収蔵した国立博物館の同定チームだと思う >>156
江戸時代に漢の印綬のサイズが分かって無かったり
紐を通すところ(鋳)の意匠が蛇だが、江戸時代に蛇の鋳は知られてなかった
(亀とか駱駝とかのみ)偽物をつくるなら、そちらに合わせたはず
中国から出た印綬が大体似たような感じ
だから偽物の可能性はかなり低いと思われる >>157
とても興味深い。
しかし、山鹿と大和王権の関係と影響がイマイチわからない >>154-155
金印自体は間違いなく本物。ただ出土の経緯は怪しい。神社から盗まれたものかも知れない。 >>163
山鹿にいた邪馬台国の人が畿内に東遷したんだよ >>163
近畿の勢力が全国に広まりつつある時代にそれに抵抗した地域があったんだろう >>163
仮にだけど、邪馬台国の南にあったとされる狗奴国が山鹿(具体的な遺跡名だと方保田東原遺跡。ここは畿内の庄内式が多数出る)
だとして、邪馬台国を挟み撃ちにするために、畿内が狗奴国を取り込んだのかも >>164
糸島の細石神社にあったのかな?
邪馬台国伊都説では卑弥呼の墓と目される平原遺跡のすぐ近くにある、、? >>145
予算は邪馬台国とは関係なくつければいい >>156
まず持ち主の東京国立博物館が日田で出土したものと言っている。
文科省もそれを認めたから重要文化財にしたのだろう。
奥山さん普段は中国の骨董市でたたき売りされていた三角縁神獣鏡を
中国出土品だと言い張るのに・・・
人が変わったみたいで怖いです・・・ >>7
文系の学者は科学的な根拠より「偉い先生の意見」が勝つからあてにならん
古事記見ても権力の中枢が九州から近畿に移動した可能性は高いので
邪馬台国が九州にあったとしても何の不思議もない >>167
なるほど面白いな
それなら卑弥呼が帯方郡に助けを求めるのもわかる。
もしそうならば邪馬台国は滅んだって事だよね? まぁ卑弥呼っていうのは女性がつく地位の呼称だったそうだし、卑弥呼がそこらじゅうにいてもおかしくはない
>>7
>大多数の考古学者は
意味不明
多数決で事実が決まるのか? 鏡は真実を映す道具
そして古代エジプトでは太陽光を反射させる
ギミックもあった。
真実が嫌いで太陽光の放射線が大嫌いな
民族がいるだろう?
そう。彼らは少なくとも黄帝の石板鏡(皇位継承権)に
なにかしらのやましさをかかえているのだ
福岡で出た金印は、嘘だと思うんだけれどもなぁ・・・
色々不思議な事が多いし・・・・。
卑弥呼とは、「姫巫(ヒメミコ)」の音当てに過ぎない
>>157
畿内の影響とやらが土器の拡散のことを
言ってるなら、九州で流行った土器は畿内じゃなくて播磨製だよ。 >>168
志賀海神社かもしれない
伊都国に住んでいた安曇族が祖神を祀る場所
名前の通り志賀島にある みんな三国志が好きそうなスレですね・・・・。
三国志より、源平合戦が好きなのだけれども・・・
よく知らないけど、
倭(九州)と日本(本州の西側と四国)が同時期に存在して、後に両者が合併した。
合併後の名前は日本だけど、神話なんかでやけに九州を優遇してるから、ほぼ対等合併。
って話は間違ってる?
>>180
豊玉姫、玉依姫の父親とされる安曇磯良を祀る神社か。
オラ わくわくしてきたぞ! 九州説を公式に認めるとどうなるか?
記紀にある天皇の起源や権威にケチが付くと思ってる勢力がいるんだよ
じゃあ日田が邪馬台国ってことか
日田天領水は超おいしいよね
近畿説はいい加減諦めろ。
鉄製の製品が出土してから唱えろ。
そろそろヒミコとヤマタイって読みませんか・・・?(´・ω・`)
人は記憶型と思考型に大別できる
『晋書』 武帝紀 289年
東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻
これは卑弥呼を盟主とする倭人連合が崩壊したことを意味するのか?
模造なまくら〜三角縁神獣鏡が畿内派にジャストフイット
渡来九州人の開拓地として新しく近畿として成り上がった土地だもんガチ
>>185
皇国史観にとっては九州説の方が冊封と皇室の関係が切れるぶん都合がいいし、
九州説は南方的な習俗を強調するからそっちの方への膨張主義とも結び付きやすい。 >>192 の続き
略すとこんな感じか・・・
東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻
東夷の絶縁してた30余国と西南の20余国がやって来た >>192
張華が幽州都督になったおかげで20数ヶ国から朝貢の使者が到来するってあるな。
倭国もその中に入れられてるな >>195
いや、皇室史観的には天皇家の国より古い王国が中国と交易して日本の正式な王に認定されるほど栄えてたなんて許されないだろ? 日田は中山道・甲州街道の分岐点みたいなポイントで
川を挟んで右岸は杷木・朝倉・甘木・筑紫野・大宰府→博多ラーメンコース
左岸は浮羽・田主丸・→久留米ラーメン→佐賀→長崎に抜けるコース
車で日田まで60分の住人にとっては大分県というより筑紫平野の終着点で
福岡県って感覚やね
各地に卑弥呼(女王国限定)がいて、魏志倭人伝の卑弥呼はそのうちの一人と解釈して全く矛盾がない
>>196
なるほどそういう事か、共立は終わり、邪馬台国は幻になった。 >>198
天皇家より古い王国がメソポタミアにあったって何の問題もないし
それは「日本」の王国でもない 色々、馬鹿野朗で済んでますね・・・。
加油〜ヽ( ・∀・)ノ
>>184
一般的には豊玉姫や玉依姫の父は大綿津見神とされ、磯良は民間伝承では豊玉姫の子で神武天皇の父ウガヤフキアエズと同一視されているらしい
もっともこの辺混乱があるのか磯良を志賀海大明神としている説もある
それより古代史的に問題なのは鹿島大明神ことタケミカヅチや春日大明神ことアメノコヤネも磯良と同神らしいということ
尾張氏や倭氏が安曇氏と同族なのは過去スレで見たけど、アメノコヤネが磯良となるとそれを祖神とする中臣氏も安曇系ということになる
無論中臣氏は鎌足以降は藤原氏なわけで、古代日本は安曇系に牛耳られていたことになってしまう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある
>鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。
>また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より) >>202
うん、東夷30余国では数が多過ぎるからね
半島と九州の諸国が盟主を失いぞろぞろやって来た >>203
天皇家の先祖が九州出身だから、
ヤマトより格上の王国が九州に存在すると都合が悪い 天照大神=卑弥呼説を推すね
神話上の人物が他国の文献で存在が裏付けされてるってロマンじゃん
>>171
年代が合わない
日本書紀の神武東征の大阪湾の地形の記述は
大阪平野形成を科学的に分析した結果
2000〜3000年前の地形であることが証明されたからね >>198
いやどうやら畿内説の人の書き込みを読んだら、
冊封を受けていた事実は都合よく消してるんだよね。
やっぱり畿内派の根底には皇国史観があると思う。 日本書紀によると2000〜3000年前に神武東征が行われて
その際に刺青を入れる海人集団も一緒に畿内入りしてる
神武が畿内で結婚した嫁は、刺青集団を初めて見たと書いてある
>>207
古代は海の民 安曇族が天皇家に付いたのが大きいよな。
それはそうと乙姫は豊玉姫でいいの? >>212
いや、2000〜3000年ってふり幅が1000年もあるなら、その±300年とかも
普通に考えられるでしょ >>208
おまえ天才かよ、、
何度も晋書読んだのに全然きずかなかったし
おやすみ〜 >>203
皇国史観って万世一系の天皇家がずっと日本列島を支配してきたって
いう話だよ >>207
阿曇族やべえええ
日本の影の支配者じゃねえか >>1
なかなか活況に入ってきましたが、日田で発見されたモノがどうも中国で購入されたモノだとすればえらいこってすな
しかし
曹操の子孫が日本に帰化してるのは本当で、高向玄理もその一人だとまでわかってるだけに
X線の結果が楽しみですね 「こんにちわ!やまたいへようこそ!わたしはひみよ」
「さっき馬がうんこして邪魔だったから邪馬台国アルネ、アンタ卑しい格好してるから卑弥と呼ぶアル」
こんな感じだろう
>>221
北海道や東北北部は明らかに違うから
そんな皇国史観の方がおかしいので
新しい時代の皇国史観はブラッシュアップしなければいけない >>221
だよな
古代の日本列島に天皇家と全く繋がりのない、しかも中国から認められる先進的な国があったなんて、皇国史観的には絶対に認められない >>222
志賀島には高天原という地名があって、
志賀海神社では祭事の際に君が代そっくりな
詩が謳われる。 文字が無かった時代だから、邪馬台国、卑弥呼と名付けたのは中国人である。
邪悪の邪、馬鹿の馬、みすぼらしい意味の卑という漢字を現地の発音にあてたのは日本人を土人とみなしてたからである
>>146
魏との交流は楽浪郡経由だろうから、九州の方が地の利があるんじゃね?
そもそも関西だと地政学的に魏にメリットがないし 卑弥呼の意味=(こんなんでも女王らしいが)どこからどうみてもみすぼらしいといえる
>>231
卑はともかく、
中国には琅邪郡(諸葛亮の本籍)という地名が有るから、「邪」にやましい意味は無いと思うが >>234
今の日本みたいな言葉狩りなんて昔はなかったから地名にやましい意味の漢字がつかわれるのは別に普通だよ >>231
浅学の人だな
邪馬台国時代の中国は世界文化の中央地だと自認していて
中華思想が根就き漢民族中華中国の四方に居住している
異民族は全て蛮族が居住する方位地だとして
漢民族が文化の劣った四方八方の人種を教化するものだとして
漢民族中国以外の民族は全て蔑称で蔑んだ漢字で記録されてたんだよ >>236
俺でも知ってることをひけらかしてマウントとりたいだけなのかw >>236
高句麗 辰韓 弁韓 馬韓
この辺も蔑称なのかい? >>238
頭大丈夫?
中国中華民族が古代から飼い犬として見なしていた朝鮮民族を持ち上げるとでも思ってたの?
北朝鮮高句麗の古名は句驪
最古の漢書地理誌に 朝鮮・濊貊・句驪これみな蛮夷の地 として記録されてるんだよ >>147
纏向を邪馬台国認定するマスコミうざいよ。
九州で邪馬台国が栄えてた時代に奈良に纏向が栄えてたでオーケーなのにな。
それ以前の弥生時代には大阪の曽根池上遺跡とか奈良の唐古・鍵遺跡など有力な都市遺跡るのにね。 >>192
トヨが266年に朝貢してから倭の五王まで日本のことが中国文献にないと聞くが、
えっ?3世紀末に邪馬台国連合が崩壊したと思われる記述があるの? >>239
それは違う
下らない
上方からの物流についてだと思う 全て蔑称で蔑んだ
高句麗「せやろか」
一大国「さあ」
伊都国「なわけ」
好古都国「ないだろ」
>>229
だから記紀では倭の五王に関して使者をやり取りしたとは書いても
こちらが中国に頭を下げた事実を意図的に書いてない。
大和朝廷が中国と対等な関係で、頭を下げたなんてあってはならない感覚はそれ以降なので。
日中の記録が一致しないことを理由に倭の五王は大和朝廷の天皇じゃなく
九州政権の王だなんてトンデモいう奴がいるから困る。 どつちかから送りあったんだろ
なんだこの糞記事
ばかなの?
>>244
もう一度これを読め
↓
北朝鮮高句麗の古名は句驪
最古の漢書地理誌に 朝鮮・濊貊・句驪これみな蛮夷の地 として記録されてるんだよ
邪馬台国の民族に当てた倭という当て字は古代中国の知者によって
素直な民族という思惟が隠される 何故じゃないだろ
そういう事だよ
奈良県民は全員土下座な
>>240
「驪」の意味 毛並みの立派な黒馬
全然蔑称じゃねえなw 畿内説にしろ、九州から東遷したにしろ、邪馬台国が大和朝廷に直接的に発展した関係だったら
いくら中国に頭を下げるなんて許せん立場をとる大和朝廷としても
朝貢のことを史書に書かないだけでよく、国の存在そのものを消す必要はないと思うがどうだろ?
つまりのところ大和朝廷にとって邪馬台国は縁が無い。
まあ歴史のある大国を自負する大和朝廷にとって3世紀の倭国女王の存在は気にくわないから
神功皇后をそれと思わせてそうじゃないように細工しているけどさ。
>>249
都合よく解釈しすぎだよ
古代中国人はそのプライドの自負心から捻ったレトリックを使用するのが常
漢書地理誌に 朝鮮・濊貊・句驪これみな蛮夷の地 と
朝鮮半島の中でも最下位に句驪を持って来てるのを見ると
かなり文化の劣った所だったのが想像に出来る
ちなみに邪馬台国や倭人関連には蛮という文字は一切使われてない所からもわかろう
倭というのはチビという意味
それだけで蔑称だよ
つか邪馬台国のスレでも韓国の話したくて溜まらない人って
本当、1年中頭の中が半島のことでいっぱいなんだろうな・・
別に奈良の人達だって自分とこが邪馬台国と関係あるなんて
思ってないだろ、大和朝廷があったのは事実なんだから
邪馬台国なんざ有ろうと無かろうとどうでもいいってスタンスじゃね?
梁書に倭連合の邪馬台国(八女)、文身国(出雲)、大漢国(奈良)と見ている。大漢国は魏王血筋で、邪馬台国で保護、その後奈良へ移住して大漢国を開拓。その後倭国統一し、大漢国から倭国を統一意味で
大倭国とこれが大和になった。
戦後は情報封鎖されてるから謎に感じるだけで
戦前の知識人だったら当たり前って顔するよw
日本皇室は最長にして最後の漢民族系皇室だし
昔の日本人はそう信じてたから日清、日露、日中、おまけの太平洋戦争を開戦したんだ
日米戦って本来はメインじゃなくサブだったんだよ
>>1
魏の王族クラスしかもってない鏡が日本から出る。
親魏倭王の卑弥呼に贈られたものとするのが自然だよね。
日田市で発掘とみられるが状況証拠的におかしくない。
そこの古墳は現存しないが5-6世紀のもので他の埋蔵物はごく一般的なものだったと伝わる。
卑弥呼が貰ってその後地元豪族が保管してたで矛盾しないよね。 >>256
以下妄想。
邪馬台国崩壊後のどさくさに紛れてある男によって鏡が盗まれた。
追っ手に追われた彼は日田の豪族に保護され、お礼に鏡を譲った。
その後、山道を越えて高千穂までたどり着いた。男の名はニニギという。
つまり卑弥呼はアマテラス、邪馬台国は高天原、南九州への逃避行は天孫降臨。 魏志倭人伝に女王がいた都は東側が海と書いてあるから宇佐
日田から山国川を耶馬渓を通って河口に出ると宇佐
今でも山国という地名で呼ばれている地域
山と国
ヤマトコク=邪馬台国
神武東征では日向から最初に宇佐に向かっている
そこで宇佐の邪馬台国を乗っ取りヤマトコクの看板を使って瀬戸内海を制圧していった
>>253
皇国史観に毒された連中が、耶馬台国が奈良にないと困ると言ってる >>241
マスコミも皇国史観側だからな、体制派だから 係倭記録魏しか無いの ・殷・・秦・漢〜文書出て来る可能性無いの?
邪馬台国を筑紫平野、狗奴国を熊本平野以南と仮定した場合、
魏志倭人伝に出てきそうな邪馬台国の要塞は久留米市以南の平野部にありそうな気がするので、
この辺の工事担当したことある人片っ端から遺跡らしきもの見たことないか事情聴取してくれんかな。
>>243
例えば江戸時代に上方から運んできたお酒を「下り酒」と呼んで高級品と
していたらしい。同じように上方から江戸に送られたものを「下りもの」と
いって尊重していたので、逆に「つまらないもの」を「下らないもの」という
ようになったという。 <鉄刀・鉄剣・鉄矛>(弥生)
九州 199(内福岡102=1位)
近畿 69(内奈良1=28位)
<鉄鏃>(弥生)
福岡 398(1位)
熊本 339
大分 241
・・・
奈良 4(27位)
<刀子>(小刀)
福岡 210(1位)
奈良 0(33位=最下位)
<魏晋鏡>
福岡 37(1位)
奈良 2(15位)
<絹の出土例>(弥生〜古墳前期)
福岡 15
島根 4
京都 3
奈良 2
富山 1
石川 1
そもそも卑弥呼って日本人なの?
曹操が日本統治の為に送り込んだ大陸の人っていう風には考えられない?
こういう出どころの怪しいものは信用できない
太平洋戦争中の中国侵略の盗掘で中国から持ってきた可能性が高いと思う
>>272
邪馬台国は台湾かフィリピンの辺りに存在したのであろう
風俗がそこら辺だしね 57年の漢倭奴国のころは恐らく姫彦制ではないだろ、神武までは筑紫で神武は巫女の話では動いてない。東征でたたら姫を貰い美味し(鉄で稼いだ半島スポンサー)と出会ってから半島に狙われ初め、崇神は巫女を遠ざけ、仲哀は巫女の話を聞かなくなり、大物主(物部)が滅ぼした
<このスレのここまでの書き込み>
(立場が明確なレスのみ 九州説は、台湾、フィリピン、四国は除くw)
九州説 116
畿内説 10
文句やいちゃもんで畿内説っぽいレスは結構あるが、それだけでは
立場が分からないのでカウントできない。
まあ、畿内説らしいね、そういうとこも。
「学会には九州説などいない(キリッ)」
>>196
絶遠の絶って絶大とか絶妙とか感じの副詞じゃね? >>272
いるじゃない、のちに熊襲と言われた人々が。
卑弥呼は九州の女酋長だろう >>185
島原の乱とかあったし、外国勢力につけ込まれて独立運動とかと結びつくのを警戒してんじゃね? 司馬炎が西晋を建国して初代皇帝になった翌年の266年に
倭国が朝貢した記録があるけどそれまで張政帰ってなくて
18〜19年間くらい倭国に滞在してた可能性があるのか
>>222
あれやろ。
12人で囲まれた円卓会議みたいなんあって、
そのうちの一人がその代表やったんちゃうか? >>279
壹與ならば30歳か
前年の265年に魏から晋に禅譲されるから266年の倭の朝貢は出来過ぎのような気がする 倭
名義抄の和訓
ヤマト・イタム・オモネル・ヘツラフ・オコツル・カタム・ユヅル・タム・エラブ
>>245
でも、天皇が使いを送ってたのは呉と唐だから。
唐が中国王朝になるまでは、地方行政区の長官とかと連絡取り合ってただけだろう。 >>57
神武記はそんな遷都などと全く書いてない。
むしろ流浪のルンペン軍団があちこちで数ヶ月から数年わらじを脱いで、
結局20年近くかかっている。(当時の平均寿命から考えれば長すぎる。
兵士や兄弟が死んでしまうので、これも二倍年歴か)
神武記事体は結構リアルで、1〜3世紀頃しかない南方、竹の渕に隠れた辺りも
陸地化は1〜3世紀、日下も盾津も現地地名として残っているなど、また記事が
特筆して長いことから、長きにわたる口伝(文献化もあったかもしれないが)
にしては正確。
そして、肝心の内容はと言うと、500人を超えない、200人程度の軍団が、最後に
たどり着いた希望の地を目前にして大敗し兄2人(3人)死んで末っ子だけが残され
たという、あんまり栄光の初代じゃ無い話w
初代という所が最も重要なんでしょうね。例えば、隣国や熊曽、半島としょっちゅ
う戦争してた筑紫や豊なら、生産力的には千のオーダーで動員できたはずだからね。
やはり植民のための移住で、久米の子達は戦争経験があったのか、鉄器も持ってい
たので戦闘経験も積んでいき、最後にはだまし討ちながら奈良盆地の最奥部に侵入
し、入れ墨かざして鯨の歌を歌って入植に成功する。これも久米が海人族の証左。
だから、その後八代は記述も乏しく、もしかするとニギハヤヒとか長脛彦の方が
地域の王としてその降嫁を受けていたのかも知れない。(一書に曰く、磯城の御
子から続けて嫁を貰っている。磯城=志紀で、いずれも大和川の平野出口の要衝)
天孫としてここに来たことが大事だったのです。
畿内説って、この例でも、何も言えないんですよね。「神武記など捏造」「欠史
八代は捏造」w
ズブズブの皇国史観のくせに、こういうときだけそういうことを言う。
神武記だけこれだけ長くてリアルな理由が無いじゃ無いですか。
だから、いちゃもんと「学会わー」ばかり。暗いし、悲しいですねw 邪馬台国のあった所は筑後地方で中心地は旧山門郡(現在のみやま市)なんだが
邪馬台国と熊本県にあった狗奴国が戦争状態にあったから日田盆地は軍事上非常に
重要な位置にある。日田から山道を通れば狗奴国の中心地山鹿市、鹿本町に行ける
邪馬台国と狗奴国が正面衝突している間隙を衝いて横から攻めた訳だ。これで
狗奴国は総崩れと成り邪馬台国の勝利が決まった事になる。狗奴国との戦いに勝利した
邪馬台国は邪馬台国連合国家の有志を募り東征に乗り出す事となる。
東征は北部九州のごく一部勢力だけで行った。
神武東征は宇佐津彦を書きたかったために作られたように思う。
記紀に大きく関わった藤原不比等の意向で。
神武東征で神武天皇が兵を整えたのは吉備
神武東征という軍事行動があったとしたら吉備からだろ
>>285
そんな単純では無い。
そして、畿内説は結果的には万世一系の皇国史観の復活に
大きく手を貸そうとしている。
まあ、藤村のような詐欺師を放置した無能学会だからしょう
がないのだろうが、「だろう」「らしい」の積み上げで「す
わ邪馬台国か!」とマスコミに思わせぶりな事を言って予算
獲得の理由にするなど言語道断。
そんなことを続けていたら、本当に「皇国史観」意外は口を
つぐんだ戦前に逆戻りだろうね。まあ戦前でも邪馬台国は
九州とか九州にも王家があったとか言ったっていいんだが。
未だに「学会ガー」と圧かけて物を言わせないクズ集団。
外国の特に欧米の学会がどれだけトンデモ説でも認められ
てるのと大違い。それはとても大切なことだから、あえて
そういうのも擁護される。
体質は変わらないんだね。大学順位も論文発表ももはや
先進国じゃ無いもんね。 なぜ九州にじゃないんだよ
畿内にないということはってことなんだよ
狗奴国が攻めてくるので
卑弥呼の占い(決断)で魏に援軍を頼むことが決まる
↓
247年 帯方郡に使者を送り援軍を求める
↓
帯方郡は援軍は送らないが張政を倭国に派遣して戦い方を指導する
↓
援軍を断られたのを理由に卑弥呼死亡
↓
台与
こういう説をみた
卑弥呼にだけ鏡を贈ったのか、当時の贈り物のスタンダードなものなのかはわからないのかなあ。
今、来日した外国の元首や首相には日本画とか贈るのがスタンダードだけど、昔も同じような感じて普通に在庫品を贈っていただけかも。
>>275
5ちゃんねるには偏った人たちばっかりが集まってるのを示してるな
ここは特殊な世界だ
他の分野でも、物事を真っ直ぐ見ようとせず、斜めから見てるんだろう >>297
それは板による。
古代史学会という特殊な世界では畿内説といういろいろ非合理な
ものを信奉されてると言うだけ。
九州説言ってる人達はふつーの人達。 中国との往来が定説より多かったってだけの話でしょ
中には中国の皇帝の身内も混ざって
九州で豪族あたりと政略結婚してたんだろ
>>292
帯方郡に援軍を求める
↓
張政 倭国にくるも卑弥呼死んでた
卑弥呼は狗奴国に殺されてたにしか見えない 邪馬台国は皇室とは関係ないだろうで近畿でも九州でもどっちでもいい
北部九州勢力の大多数は東征には参加しなかった、参加して関西に行けば中国、朝鮮との
交易に時間がかかりすぎるから行っても何のメリットも無い。近畿に行ったのは日本を
征服したい征服して自分の思うとおりの国にしたいと考えた権力欲、支配欲の強い人物だけと言う事だ
>>289
>畿内説は結果的には万世一系の皇国史観の復活に大きく手を貸そうとしている。
「結果的には」ときたら「手を貸している」って表現にしないと変。
ともあれ、九州説者もは九州説者で多くは皇国史観を基盤にしてる気がするが。 >>298
どういう基準でふつーなのか不明
古代史学会を誹謗中傷することさえも、ふつーと考えてる人間だということは分かる 金印は成分を分析したら中国の金印と同じだったのにそれすら偽造と決めつける畿内派
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
福岡市の吉武高木遺跡って
最古の王墓かも知れないっつって
最古の三種の神器が一箇所から出土した超ド級の遺跡なのに
それ全部認めた上で、掘り返して埋めて、
真上にただの糞みたいにどーでもいいド田舎の農道通してんだぜ?
九州の王朝と、近畿の王朝と
まるで無関係なの行動でまるっきりゲロってるだろが。
隠してるつもりか?
ただなんでもトボけてりゃいいってか?
猿だろw
ここまでのまとめ
1. 畿内説はただのネタ。それは九州倭国じゃ無くて、近畿日本w
2. ほかのパーはめんどくさいから省略。
3. 邪馬台国は移動しているが、卑弥呼の時代は筑紫平野の軍事的要衝である御井。
なぜなら卑弥呼の墓が御井の祇園山古墳だから。
4. 邪馬台国論争は九州御井説が最終的勝利を収めつつある。
ただし、御井周辺にあるはずの卑弥呼の時代の邪馬台国はまだ見つかっていない。これが唯一の深刻な欠点。
他の問題はほぼ全部解決済み。少なくとも深刻な矛盾点は全く何も無い。
こんな感じ。
>>302
邪馬台国は巻向で皇室と直接ないし間接的に関係あるだろ。
ヤマト政権と全く無関係ってことはないと思われ。 近畿パーは最近はもうただトボけるか、ただウソを言うか、
もうどっちかしか手が無くなってるw
将棋で詰んでも「詰みだと認めなきゃ詰んでない」レベル。
あと神武は東征したのでは無く近畿日本に雇われて頭に据えて貰った雇われ店長。
邪馬台国九州御井説+神武雇われ店長説、
これが日本の正しい古代史。
>>315
神武と卑弥呼は多分血縁関係がある。
御井の邪馬台国は政略結婚で投馬国(妻国)と同盟関係を持ったはずだから。 >>314
雇われでも結局東征説じゃん。
神武天皇はいつ畿内に東遷したんだよ具体的に 邪馬台国は卑弥呼の時代は九州だろうし(その後、東遷した)、筑西平野だとは思うな
邪馬台国は暖かい海に近い場所で近畿の山の中ではないし、難波とも思えない
>>321
東征も東遷も無い。考古学的に否定済み。 邪馬台とヤマト王権は繋がりがないとは思えないし朝廷自身そう思ってた
但し、東遷のいきさつはよーわからん
>>269
またこのインチキデータ貼ってるのかよ
昨日と同じやつだろ 近畿パーは最近はもうただトボけるか、ただウソを言うか、
もうどっちかしか手が無くなってるw
将棋で詰んでも「詰みだと認めなきゃ詰んでない」とか言ってるレベル。
魏志倭人伝の邪馬台国は九州の海に近いところとしか思えないし、邪馬台とヤマトは同じ言葉だよ
どこかで、東遷があった
記紀自体が東遷説を描いている
近畿説は見苦しい
そもそも、日本書紀とかが書かれたのって700年頃なわけで、
500年近く前のことなんて本当に分かっていた上で書いてるのかね。
>>333
記紀は、神武東征を捏造するために書かれたもの。 記紀の東遷説や倭人伝の九州的描写無視して何でいつまでも近畿説なんて唱えてられるんだ?
まーた九州説が見苦しく暴れてるスレかw
みじめだのうw
記紀は神武東征を捏造するために書かれた。
神武は東征したのでは無く、近畿日本に招かれて頭に据えて貰った雇われ店長。
九州から畿内への単なる旅行譚を征服劇にでっち上げるために記紀は書かれた。
だから編纂前に焚書が行われている。
あらためて注目すると日田はインデアン好みの交通の便の良い
地形的に絶好の要塞集落で不足は干物以外の海産物やな
>>334
何で東遷してないなら捏造する必要があるんだ?
征服する為にも九州から来たことにした?
繋がりのある両者が争って正統性得るために起源を求めたんなら東遷説と何が違うんだ? 九州説って「九州」という超絶広い範囲のどこかに邪馬台国があったはず、という願望でしかなくて
じゃあ、どこにあったのかと聞くとみんな違う答えを主張するという、超絶アホ説だからな
>>339
この鏡は卑弥呼の鏡である可能性がかなりあるが
単に戦乱を避けて疎開させていただけだろう。
この鏡はワザワザ疎開させるだけの価値のあるもの。 >>340
神武だけの一人東遷=神武雇われ店長説
同じですね。 >>341
それな
古代朝鮮人が大和に作ったのが邪馬台国
倭猿を駆逐しつつ日本を統一していった事は明白な史実 時代ズレてることについては、誰も言及しないのな
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は漢の王族が所持していた、と言われているけど
後漢が滅びたのは220年
卑弥呼が朝貢したのは238年(239年?)
もう近畿パー何言ってるか分かん無いだろ?
多分自分でも分からずに言ってるぞw
九州説を信じたいのは無知蒙昧なネトウヨだけ
学会では50年前に笑いものになってる珍説w
神話と結び付けてはいけないのルールで誰も言わないが、結構な人が思ってること、
「神武東征は張政使節の政治的影響が変化して伝わった」
>>312 軍事的に統括する必要なく畿内を治めてたら?
共立の現場が畿内で平和的におさめていて
畿内では軍事をもちいる必要が無かった可能性はあるよね
九州と違って平和だから遷都した可能性 古代の日本は、部族が割拠してたんで、別に不思議でもねーだろ。
何でそれをヒミコと結び付けるんだ?
>>338
その招いた側はどうなったの?
招いたという歴史を残せなかったんなら、結局滅んだ、つまり征服されたってことじゃないの? >>30
これだろうな
苦し紛れにゴッドハンドを繰り返してしまう劣等ネトウヨ
自ら歴史捏造を認めてしまったかw >>351
イミフだから言わないだけ。
はい、論破w >>356
それはあなたの妄想ですよね?
なにか証拠があるんですか? 邪馬台国の卑弥呼は九州だろ
別の国家があるって旧唐書にあるってわかってんだからそっちが畿内の国
>>341
九州説にも色々あって、それぞれ具体的な地域を指してるわけだが
もう近畿パー何言ってるか分かん無いだろ?
多分自分でも分からずに言ってるぞw
>>360
反論できないようだなw
はい、韓国の勝ち まあこのレベルですわ。
毎度毎度。
なんで近畿パーがダメか良く分かるだろ?
ww
>>370 聞いてないな ちゃんと反論しろって
畿内派が九州を勉強してないというのは妄想だぞ
議論できるぞ >>371
ウソつき野郎は糞食って死ねばいいだけ。
九州は倭猿土人が最後に族滅された地域w
悔しいから邪馬台国にしたいのは分かるが歴史の真実を直視しろよ
九州説はネトウヨが信じてる珍説
>>372 その言葉は負けを認めたやつがつかうやつだぞ >>355
ゴッドハンドは珍しいケースだからあれだけ話題になったのであって
支那朝鮮みたいな歴史を嘘で固めて平然としてる文化は日本には無いから ここまでのまとめ
1. 畿内説はただのネタ。それは九州倭国じゃ無くて、近畿日本w
畿内説は>>312>>313こんなもので反論不能に落ち入って崩壊するレベルのもの。
まるでただのネタ。
2. ほかのパーはめんどくさいから省略。
3. 邪馬台国は移動しているが、卑弥呼の時代は筑紫平野の軍事的要衝である御井。
なぜなら卑弥呼の墓が御井の祇園山古墳だから。
4. 邪馬台国論争は九州御井説が最終的勝利を収めつつある。
ただし、御井周辺にあるはずの卑弥呼の時代の邪馬台国はまだ見つかっていない。これが唯一の深刻な欠点。
他の問題はほぼ全部解決済み。少なくとも深刻な矛盾点は全く何も無い。
こんな感じ。 >>376
実際にゴッドハンドやったのは倭猿ですよね?
はい、韓国の勝ちw >>378
韓国とかいう国って現代史を現在進行形で捏造してるあの国ですよね >>356
根拠があるなら出してみ?
出せないなら、「九州説の主張者はアホ」ってことが、また一つ立証されるだけだ >>363
そこなんだよな
結局「九州説」ってまるで一つの説であるかのようになってるけど
実際には畿内説のように一つの大きい柱があるわけじゃなく
あっちだ、こっちだ、と説が山ほどあって、全然一枚岩じゃない
九州説という大きい枠のなかで、全員が畿内説と「同じように」敵なのに
何故か、畿内説を叩くという部分でだけ一致してる 人の形成分布図があったけど、
九州だけがchinaでほかはkoriaだった。
九州は中国からの流入で畿内は朝鮮からの流入だろう。
その証拠に畿内は蛙を食ってたり、現に朝鮮系の物証のスレもたってる。
>>384
九州説って有名な奴だけでも4つあるんやで?
細かいもの入れると、10超える 史実を知りたいタイプにとっては
千日手が動いた感でもエエわと思っとる
古代の話してんのに現代の国境持ってくるなんて頭沸いてんのか?おおん!?!?
>>377
お前、頭から生えたちん毛がちんこの毛と繋がった後に、
最近ついに尻毛ともコラボし始めたらしいな
ちん毛頭は色々大変だな >>377 祇園山古墳のなにが違うか書いていくよ
・主墓が盗掘されて誰の墓かまったくの不明
・3つの甕棺の年代測定を作為的に3世紀半ばに合わした疑惑
・当初主墓と3つの甕棺のみ周りの62個の墓は後世に作られた可能性
・久留米市の最盛期が3世紀半ばではない
・方墳である
・近くの神社に三角縁神獣鏡と変型方格規矩鏡があるが時代が合わない
・前線基地になる場所に女王が住むか?
な?勉強してるだろ >>336>>345
九州説さん、成りすましバレバレですよ
>まーた
こう書いてるから邪馬台国スレには常連
>古代朝鮮人が大和に作ったのが邪馬台国
しかし、こんな主張をしてる人はいなかった >>382
畿内説の大きな柱って、倭人伝の記述と全く合致しない纒向遺跡のことですか?
それは大きな柱なのではなくて他に何もないからですよ 遺伝子的に近畿の方が朝鮮血統の遺伝子が強いのは証明済みだもんな
綺羅星のような数多の王の頂点に倭王
がいるという日本古代史観からすると
候補をたくさん挙げれる北部九州だよなあ
倭国の範囲には、朝鮮半島南部が含まれるのだから
半島撤退した倭人達は、そりゃ安全な近畿目指すだろ
>>276
絶つ
「絶」自体に切り離す意味があるようだよ 安国寺妥棺墓群(紀元前1世紀頃〜1世紀頃)
まだ一部しか掘ってないが111基の甕棺墓
さらにたくさんの甕棺が見つかる可能性あり
久留米の最盛期は1世紀
畿内説は否定証明完了済み
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳
この二つは動かない
邪馬台国畿内説は否定証明完了済み
九州倭国と近畿日本は関係の無い別王朝
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳
この三つは動かない
>>57
これこそ畿内説を肯定する材料やん
水行10日‥‥時速10キロの船で1日8時間航行すれば1日80キロ進むから10日で800キロ。
陸行1カ月‥‥時速3キロで1日8時間歩けば、1日24キロ進むから1カ月で720キロ。
福岡から奈良まで700キロぐらいだろ
九州説だと、鹿児島を突き抜けるやん >>386
九州説もせめて九州北部説と九州南部説に分けといた方がええやろな。 ウソつき野郎がどのくらい筋金入りのウソつきか
それ一つ分かっただけでもちゃんと意味があるだろ?
邪馬台国問題は、キッチリとたった今の生活に関係してるんだよ。
>>398
池上曽根遺跡も唐子鍵も吉野ケ里も飛び抜けて大きな遺跡じゃないよ
福岡の比恵那珂〜須玖岡本は他を圧倒する遺跡 不弥国までは放射説でも連続説でも大差ない
問題は投馬国・邪馬台国がどこを起点としてるかだ
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国
├──────────投馬国
└──────────邪馬台国
曹操の鏡で、日田に昔から伝わる卑弥呼の伝承が本当だったと証明されたな
兎に角、邪馬台国は九州にあったのは確定だ。
邪馬台国自体、クニ=村なのか、祭祀などの施設だけがある特殊な
エリアなのかもわからんもんな。
なのに、
「巻向という大きな集落跡が出た」
畿内馬鹿「それだ!」
「お祭りした後がないけど」
畿内馬鹿「いや絶対ある!きっとある!100年でも発掘を続けよう」
桜井市「あのー、いい加減結果だして欲しいんだけど」
畿内馬鹿「じゃあこれを」→発泡スチロールの柱
アホ過ぎ
>>399
それは知ってるが、用法によって意味が異なるでしょ。 >>405
アホかw
まるでわかってないな。現代みたいに道の整備はされておらん。
畿内派って今と昔の区別がついていないwww >>417
街道整備されてない道での一か月かもしれない。>>405で一日八時間と想定してるが、
これって近代人の労働時間の発想だよね。活動時間全て移動につぎ込むと考えるべき
かもしれない。 九州御井だとして、吉野ヶ里との関係は如何に
そこも含めて邪馬台国のうちか
吉野ヶ里は3世紀後半に衰退・離散しているわけだが
それが邪馬台国滅亡時期となるのか
>>419
吉野ヶ里なんてたんなる大きい集落でしかないぞ >>421
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある
九州以外は不可能なのでお引き取りください これで、やっと、大団円か
明治以来、延々と 長かったけど、まあ大長編の喜劇映画だったよなw
京大の奴らも大変な業を背負ったもんだw
明治の頃の先輩が畿内説をとなえばかりに
以降、九州説を裏付ける考古学的証拠が次々と発掘され、それに圧倒され意気消沈
ただ、後には引けない 三角縁神獣鏡の発掘で大喜びして大反撃
ただ、その後、三角縁神獣鏡は国内で続々と発掘w
成分分析の結果も国内の製造と判明
加えて、吉野ケ里の発掘
再び、意気消沈 ただ、後には引けない
纏向発掘と年代測定を100年早める詭法で再び大反撃 を開始
かたわら、京大が押さえているている考古学担当記者をつかって国民の大洗脳作戦
「卑弥呼の墓発見!邪馬台国論争ついに決着!」とか「桃の実が発見!!w 邪馬台国論争ついに決着!」とかw
ただ、纏向は掘れば掘るほど邪馬台国とは別の姿
そして、ついに5世紀の馬具wが発見
そして今回、正真正銘の曹操の鏡が九州で発見
それも、筑後平野からトヨの国大分に抜ける途中の日田で
まさしく、東遷説どおり
ただ、これまでの経緯を見てると京大の奴らは、今更引けない
まず、「畿内に運ぶ途中、日田で落としたと考察される」とくるだろうw
九州の発掘物を夜間に纏向の埋めることすらやりかねない
>>419
吉野ヶ里は邪馬台国じゃないよ。
邪馬台国は移動してるんだから。 >>422
いろいろ説あるだろ
真実は考古学からしか判断できないからその記述はあくまで参考なんだよ >>405
時速10kmで進めるように8時間毎日漕ぐわけですか。
漕ぎ手を1日に何回か交換したりしながら旅するんでしょうか?
時速3キロで歩くわけですか。
整地された平野のみ歩いて行くつもりなんでしょうが、
そのルートを地図上にぜひ描いていただきたい。 >>405
船でそんなに速く進めるわけねーだろ
土佐物語読め >>425
畿内派がキチガイなだけで帯方郡から一万二千里に他説はない 邪馬台国は元々は山門だ。
そこが発祥の地。
御井に卑弥呼の墓があるのは、まさか墓だけあそこに作ったわけでは無いだろ。
邪馬台国自体が、移動したと考えるのが当然だろう。
そして移動した理由は南の狗奴国(球磨国)の圧迫に対応したのと、
御井が筑紫平野の軍事的要衝だからだ。
邪馬台国は祇園山古墳の近くにあるはず。
とりあえず目下で一番怪しいのは、あの無駄に広い筑後国府跡。
あの下に何かあるはず。
東海道で一日平均35kmくらい歩いたから
吉野ヶ里は3日な
海は千里単位になってる
よって海千里が1日
0日 帯方郡(平壌の南)
7日 狗邪韓国(海 7千里)
1日 対馬国 (海 千里)
1日 一大国 (海 千里)
1日 末廬国 (海 千里)
末廬国まで10日間掛かる
伊都国から南へ水行十日陸行一日。
御井でピッタリ。
>>410
複合って言っても、
300haの広大な範囲に環濠無しに都市遺跡が連続して存在している。
その中に全国の青銅器鋳型の6割が見つかった工房とか、
幅20mの運河とか幅6mの貫通道路やらが見つかってる。
庶民の住居跡から銅鏡が見つかったりする。 >>422
帯方郡から一万二千里だと、赤道付近まで行く
畿内説を否定したくてそんな記述を持ち出したが、九州説を自ら否定したようなもの >>429
素人が我田引水的にそう思い込んでるだけのことで、学会ではそんな説は一切認められてないからなw>帯方郡から云々
認められているというのならその論文名を出してみればよい
素人がいくらこうだと説いても所詮マスターベーションと何ら変わるところはない
悔しかったら、論文を書いて認められることだな
まあ、無理だろうけどw >>429
だからその距離をどうやって測ったんだ
グーグルマップがあったのか?
その距離が正しかったってするには裏付けとなる証拠が必要だがほかの記述でも現代の距離とは違うものが多いんだから参考程度にすべきなんだよ 陸は百里単位になってる
よって百里が1日
0日 末廬国 (九州北部の沿岸)
5日 伊都国 (東南 五百里)
1日 奴国 (東南 百里)
1日 不弥国(東 百里)
末廬国から不弥国まで7日
旧帝で考古学を
しかも日本専攻のおれが考えても結論は1つ!
「邪馬台国は大分県日田市にあった」
ウソつき野郎がどのくらい筋金入りのウソつきか
それ一つ分かっただけでもちゃんと意味があるだろ?
邪馬台国問題は、キッチリとたった今の生活に関係してるんだよ。
>>419
戦略的な意味がなくなっただけだけじゃないかな。 里で表したものも所詮は人間が歩いた間隔から弾き出されたものに過ぎない
1日掛かったのなら海は千里、陸は百里
九州南部に邪馬台国が位置していたとしたら、
「邪馬台国」は日本史においてモブキャラレベルの存在だったということになる。
あの佐原真は死んでるのか
残念 生き恥をさらしたやりかった
生前、畿内に鉄の出土がない理由として「畿内の土は鉄を溶かしやすいから・・・」とまでぬかしておったそうだな
大昔、同志社の森との対談
森の実直な表情と対照的に金縁眼鏡の奥のニヒルというか、人間として大事な物を捨て去ったような表情が思い出される
>>443
何言ってんだ?
俺は纒向が現時点では最有力だと思うが九州でも不思議ではないと思ってるぞ
なんでお前は特に勉強もしてないのにそんなに九州に執着するんだ? 帯方郡─末廬国までで1万里が消費されてる
よって末廬国から2千里の処に邪馬台国がある
体制が継続していた畿内において鉄資源は再利用され消滅したが、政権が断絶
した九州では放置され遺物となった。
>>452
じゃあどうして4世紀以降の畿内の遺構からは鉄が見つかるん?
どっかで政権が途絶えたの? しかしまあ、「邪馬台国ネタ」って、なんでこんなに盛り上がるんだろう?
>>452
きましたw きましたw
じゃあ、絹は? なぜ、九州に多く、畿内で少ないんだ
「絹は古着として再利用」w はだめだぞ 3世紀頃の中国では主要な銅鉱山は南部にあって、
銅が不足したから鉄鏡が流行ったらしいな
つまり後漢というより三国時代の魏の鏡である
可能性が高いな
>>458
3世紀頃の中国では主要な銅鉱山は南部にあって、
魏では銅が不足したから鉄鏡が流行ったらしいな >>1
なんですぐ卑弥呼が出てくるんだよ
ったく邪馬台国バカはw
魏志倭人伝文字通り読んだら海中になるからって、一里がたった70メートルだとかアホなことばっかぬかしてる疑似科学に国がカネなんて出すなよ
九州説も畿内説も単なる町おこしレベル >>425
その考古学の唯一絶対神聖特権化が日本の人文科学、とりわけ考古学を腐らせた >>456
馬鹿同士で町おこし合戦するのが好きなんだろw 九州説の長所は記述通りなら九州に当たること
欠点は伊都国と奴国は2世紀には急速に力を失っていったこと、三世紀中ごろに強力な力をもったクニとみられる遺跡がないこと
畿内説の長所は倭人伝の示す時期に纒向のような居住のためでない巨大な遺跡があること、威信財も多く出土していたり土器も各地のものが集まっていること、吉備系から発展した前方後円墳が作られていること、邪馬臺がヤマトと読みうること
欠点は記述では南に向かったって書いていあるのに東にあること、距離が合わないことなんかだな
>>460
一里がたった70メートルだとかアホなこと言ってるのは九州説だけ
ただのエンタメと学問を一緒にしないで 伊都国から数日で歩いていけるところに邪馬台国はないよ
かなり遠くて危険だから使者は滞在したんだろ
>>461
そういう意味で言ってんじゃねーよw
日本では先史時代の事象について出土したものからしか過去は判断できないっていうごく当たり前のことを言ってるんだよ
魏志倭人伝の放射性炭素年代測定でもできるんなら話は別だがなw >>434
それはおかしいな。邪馬台国から4000里はなれた裸国、黒歯国は水行で一年かかると書いてる。
4000÷365なら倭人伝では1日でおよそ11里、進むことになってるのだろう。 >>423
素人の俺からすると
考古学者ってほんとに土器だのを地中に埋めて自作自演してきた過去があるから
基本信じてないわ
お前らはまず世間からの信頼を取り戻すことに注力したほうがいいよ >>468
土器を埋めた捏造ってのは聞いたことないな
石器だろ? なお1日あたり11里進むのなら水行20日+水行10日+陸行ひと月の60日で、660里進んだ所に邪馬台国があることになる。
これが帯方郡からおおよそ12000里の距離に合致するのは、もはや偶然ではあるまい。
>>456
スレタイに邪馬台国が入ると伸びが違うw 倭人伝に書かれてる邪馬台国がどこ?って話で、大きいとか小さいとか関係ないんだよ。
結論から言うといくら想像と願望をめぐらして近畿か九州かあるいは四国かなんて言ってても永遠にそれで決まることはない
絶対にここっていうのは「親魏倭王」の印が「埋蔵された状態で」発見された都市の遺跡が発見されなければ確定は無い
>>463
まあ、これが普通の人間なんだろうなw
もろもろのことに惑わされて、本筋を見抜くことができない
モザイクであらわされた文字を至近で見て、「ああでもないこうでもない」と文字を読み取れないというか
だから、簡単に騙される
たとえば、>「倭人伝の示す時期に纒向のような居住のためでない巨大な遺跡があること」
お前は、ある時期から、なぜか急に年代を100年早めるようになったことを知ってるのか
他にも「記述では南に向かったって書いていあるのに東にあること」
お前は、これが致命であることに気が付かなのかw
現代人以上に太陽中心で生きていた古代人にとっては「方向」が最関心事なことを想像できないのか >>474
俺は九州説に肩入れも畿内説に肩入れもしてないんだが >>463
>九州説の長所は記述通りなら九州に当たること
えっ?
魏志倭人伝の倭人の風習が、伊都国だとかなり近いってだけではないの?
持衰の記述とかがいい例だけど、伊都国なら合うだろう
でも伊都国は邪馬台国ではない
倭人の風習の記述は倭国のどこかというだけで、邪馬台国の風習ではないはず
魏志倭人伝で邪馬台国について書かれた部分には、九州だと不一致だらけになるんだよ
7万戸もありえない、伊都国や奴国を含む30国連合もありえない、
1000人の侍女が仕える宮殿もありえない、径百余歩の墓もありえない
しかも、伊都国や奴国を除いて、魏との交流痕跡もない
出土が怪しい日田の鉄鏡を魏との交流とみなすのはさすがに無理 本場中国の学者は皆「古代史書の里程は誇張または観念的数値でアテにならない」て言ってんのに
畿内説でも九州説でもいいが「一万二千里は短里で測量した」はさすがに引っ込めた方がいいと思う
中国の史書に百済は遼西にあったと書いてあるんだから、百済も帯方郡も日本の学校で教えてる位置がそもそも違う
だから邪馬台国は魏志倭人伝のままならソウル付近
その辺は当時倭人がいた。
チンカスネトウヨが喜びそうだが、倭人てのは
別に日本人じゃないからなw
倭イコール日本とかシンプルな馬鹿は一体いつ頃から湧いたのかね?
桃の種とカエルのミイラの出土は信用が出きる。間違いなく邪馬台国。。。。
アホやw
>>479
別に畿内説を支持しなくてもいいけど
「九州説の長所は記述通りなら九州に当たること」は大間違い
正しくは、「九州説は魏志倭人伝に不一致だらけ」 >>473
こういうやつが一番性質(たち)が悪いよな
本筋を見抜き見極める力がないもんだから、「真実は永久にわからない」と斜に構えて自分の自尊心を維持する
こいつの言い分なら、すべての科学が成立しない >>1
邪馬台国との位置関係
【もっと北】 朝鮮半島 (狗邪韓国)
【北】 九州北部 (対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)
【女王国】 邪馬台国
【南】 狗奴国 >>482
じゃあお前が本筋見抜いてシュリーマンみたいに遺跡を掘り出してくれw
学問的態度ってのは信仰心とは違うと俺は思ってるがな
分からないことについては沈黙するのが学問だろ? >>1
漢の倭の名の国王かあ
金印は結構もめたんだよなあ
贋作か否かで。 >>382
そういや、神武天皇が即位した橿原宮はもう見つかってんの?
纏向ばかり掘ってないで、橿原宮の年代確定するか、
まだ見つけてないんやったら。ちゃんと見つけてよ。 >>463
畿内説では伊都国奴国は無かったことになるんかな 畿内は大和王権だろう。大和王権として観光地に力を入れたらいい。なんで邪馬台国じゃないとダメなん?w
頭が宮崎文夫なのかな?w
>>467
確かに裸国、黒歯国はすげーーー遠い。1年だもんな
これを同じような尺度でみるか、まったく違う尺度でみるかだ >>487
橿原遺跡はあって、柏ノ木の群生があった、つまり橿原だったことがわかってる >>465
君が邪馬台国の長なら、7万戸を養える大穀倉地帯はとっくに海外の海賊に荒らされ、
大和が日本列島を代表する政権になるのが何世紀か早まってたろうな。 >>463
>欠点は伊都国と奴国は2世紀には急速に力を失っていったこと、
>三世紀中ごろに強力な力をもったクニとみられる遺跡がないこと
中立言ってるけど奥山さんぽい書き込みだな
4世紀になって全国に仿製鏡が分配されるけど、
先駆けて仿製鏡が副葬されている平原3世紀に中頃から後半の遺跡だろ。
奴国は早良平野の国だろけど、博多近辺は全然衰退してない。
むしろ興隆期 >>492
纏向より先にそっちの年代確定してくれ。 >>488
伊都国、奴国は2世紀には威信財の埋蔵も少なくなっていて急速に力を失っていたことが分かる
それも「倭国乱ダル」を表しているか原因でありその両国が邪馬臺国建設に力を使えたはずはない
というのも畿内説の主張 文章メチャクチャや
>>463
>欠点は伊都国と奴国は2世紀には急速に力を失っていったこと、
>三世紀中ごろに強力な力をもったクニとみられる遺跡がないこと
中立言ってるけど奥山さんぽい書き込みだな
4世紀になって全国に仿製鏡が分配されるけど、
先駆けて仿製鏡が副葬されている平原は3世紀中頃から後半の遺跡だろ。
奴国は早良平野の国だろけど、博多近辺は全然衰退してない。
むしろ興隆期 >>474
古代中国人は日数も数えられなかったが、方向は正しく把握してたって言い分に何か根拠あるの? >>490
日本では先史だろ
そういう言葉づらだけで常識に挑戦するようなことはやめとけ >>481
別に畿内説でもいいけど、倭人伝の事引き合いに出して何かを言うのは
やめてくれ。
阿蘇山とか、入れ墨とか、植生とか、「筑紫城」とか、太宰府使とか、
いにしえの伊都国とか、東の島の附庸する倭種とか、別種とか、まだ
まだあるが、これのどこが不一致が多いんだよ。
なら畿内説の一致はほとんどないじゃないか。
そもそもが畿内説が里程とか方角にこだわるわけは何だよ。出てくる
モノしか信じないんじゃ無いのか。
こうやって、一点突破でネガティブ批判、それが畿内説のやり方。詐欺。
恥ずかしいし、卑怯。
だから森浩一さんのように、口をつぐんで邪馬台国のことは言わずにひた
すら業績を上げていった、行かざるを得なかったんだよ。森さんは、前方
後円墳が、またそれがでかいから権力中心とも言ってない。
普通考えれば大陸や半島に近い方がと思う。それはいいとしても、弥生王
墓の豪華さや、鉄器が家庭レベルで出てくることなどはどう考えているの
か。鉄が無いのに膨大な鉄器王国に勝てるのか、ならそれはどういうプロ
セスで、どんな方法で勝利できたのか。
もし巻向が邪馬台国だとしたら、立証すべきハードルはもの凄く高い。
まあ馬鹿だからわかんないんだよね、考古学会って。流石はゴッドハンド
生んだ人達だわw 古矢 聡(ふるやさとし)
いじめ加担者・淫行 前科アリ・英語 中学教師
神奈川県 横須賀市 不入斗(イリヤマズ )中学校へ 逃げた
私達 社員全員で、全国に 送信し続けています
>>499
伊都国奴国は衰退している、おそらく漢の衰退と期をいつにしてるのではと言われてる
?製鏡についての平原がとかちょっと分からないんだが、鏡について言えば例の三角縁神獣鏡が大量に各地から発見されてること、それなのに中国から発見されてないことは畿内説の長所であり短所だな >>467
4千里がどこまでの距離か常識的に判断した方がいいんじゃね? これは曹操が九州生まれの九州人だったという事に他ならない
若い頃によーしおれも大陸に渡ってデカイことやったるぜ!!
って中国に渡ったんだよ
皇帝の墓から発見された≠最高級
鉄製=安い材料
鏡の高級品は金銅製、いわゆる銅を素材にして金をアマルガムメッキしたものだが、
ではなぜ安い素材を副葬品に使ったのか?だが、
これはもともと鏡として使う目的ではないものだった。
いわゆる「明器」として副葬品の目的だけに製造されたもの、
いわばレプリカ。
本物のお金の代わりに紙銭を供えるようなもので、
死んだ人間に高価な本物は必要ないという理由。
曹操は、合理主義者だったから貴重な資源が死蔵されることは許さなかった。
それをもらったことが喜べることなのか?
本物はもらえなかったけど、レプリカをもらえました、つまりはこういうこと。
>>496
わからない
畿内説では、邪馬台国自体無かった説になるわけか?
それとも糸島非伊都国説の話? >>463
>威信財も多く出土していたり土器も各地のものが集まっていること、
>吉備系から発展した前方後円墳が作られていること、邪馬臺がヤマトと読みうること
平原遺跡が3世紀中頃とすると九州でも威信財は多く出土してるし
前方後円墳の副葬品文化は九州由来だから、吉備九州連合の入植地とも
考えられる >>509
九州で威信財が多く出てたのはそれより前なんだと
もちろんよく知られてるように銅戈、銅矛なんかで畿内の銅鐸文化とは違う
それと前方後円墳は九州に現れるのは畿内で王権が確立したと思われる4世紀以降 国が滅ぶとこういう財宝は商人や別の支配者を転々とするから発見場所とは無関係な気もする
>>502
そもそも、魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝ではない
倭人一般のことを邪馬台国の記述と曲解してるのが九州説だ
しかも、おまえが挙げた例もトンチンカンすぎる
・阿蘇山は、魏志倭人伝に出てこないし、隋書の時期にはヤマト王権の版図になっている
・入れ墨は、弥生末期の九州では確認できず、本州の風習だ
・植生が何を指してるか不明
・「筑紫城」とか、太宰府使とか、いにしえの伊都国とか魏志倭人伝にはない
・東の島の附庸する倭種を魏との交流痕跡のある本州とみなすのは明らかな誤り
・別種が旧唐書のことを指すなら、チェリーピッキングというインチキ
しかも成立年代が300年も早い隋書を無視
曲解とチェリーピッキングで屁理屈をこねても無駄
「九州説は魏志倭人伝に不一致だらけ」という事実は変えられない
ウソつき野郎がどのくらい筋金入りのウソつきか
それ一つ分かっただけでもちゃんと意味があるだろ?
邪馬台国問題は、キッチリとたった今の生活に関係してるんだよ。
>>495
縄文時代から古墳時代の、長期に渡る遺跡 >>508
畿内説は否定証明完了済み。
>>313
そんな学説はこの世に存在しないの。
畿内パーに質問したら、新たな捏造を求められていると受け取るぞ。
近畿パーに良く考えて工夫して質問したら、ふっと我に返って正気になると思ったら大間違いだぞ。
>>504
全国に仿製鏡(国産鏡)が分配され始めるのが4世紀頃。
須玖岡本遺跡ではその制作に用いられたと思われる鋳型も見つかっている。
平原は全国に先駆けて仿製鏡を副葬したのだろうが、
自然に考えると3世紀中頃から後半の話だろう。
伊都国の衰退の根拠が威信財の消失ならば間違いだろう。 >>513
↑
このウソつきぶり見ろよ。
これが近畿パーだ。
もう人間辞めてる。 邪馬台国畿内説は否定証明完了済み
九州倭国と近畿日本は関係の無い別王朝
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳
この三つは動かない
>>518
ごめんそこまで詳しくない
その仿製鏡は日光鏡のこと?
どこで作られたって推定されてるの? >>502
ついでに言っておくが、弥生末期の九州には、大した数の鉄はなかった
鉄貧乏だった畿内勢力に北部九州は飲み込まれてしまった歴史が証明している
しかも、邪馬台国が魏と外交をやってた3世紀中頃からは、鉄も畿内優勢
ホケノ山古墳(3世紀中頃)
素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄鏃 約60本、鉄製農工具
黒塚古墳(3世紀後半)
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札600点、U字形鉄製品
椿井大塚山古墳(3世紀後半)
武器:鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、鉄製甲冑1領、
工具農具:鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上
漁具:鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本 >>507
金なんて日本じゃありふれた金属やと思うけどな。
鉄とか役に立つ金属探してたらついでに見つかるけど
大して役に立たんから綺麗やでとか言いながら中国に売りつけてただけちゃうん?
鏡が例え鍛造やったとしても、まず鉄塊を作ること自体がハードやったと思うで。 >>482 分からないことについては沈黙するのが学問だろ?
へーwww 一丁前にどこかで聞きかじったことをww
現在わかっていないいないことについて、
現在わかっていることをもとに、いろいろ「想像をめぐらし」仮説をたて、世に問うていくのが学問だろ
(ただ、仮説の後には検証が欠かせないが)
「沈黙」wなどとんでもないw Q:大和をなんでヤマトと呼ぶの?
A:邪馬台国があったからだ
Q2:じゃあなんで邪馬台国はヤマタイ国というの?
A2:大和にあるからだ
循環論法
奈良から出土していたら「なぜ近畿に?」じゃなくて「邪馬台国近畿説に有力な手がかり!」なんてタイトルになっていただろう
>>524
はい内行花文鏡です。
鏡の鋳型も須玖岡本遺跡で見つかってます。 纒向遺跡が、纒向宮跡ではなく邪馬台国と言われること自体、戦後の歴史学が健全でない証拠
>>530
そういうのも頭を悩ませるとこなんでしょうね
以前思ったのは三角縁神獣鏡が中国から見つからないのは完全に日本オリジナルゆえでそれは中国の王朝と親密な九州勢に対抗する意図があったのではとか。そうすると魏の使節はまだ勢力のあった九州に派遣されたのか…とか
まあ専門家が聞いたら一笑に付されるんだろうけどw >>516
ある時期をもって神武東征を連想させるように文化が変わった年代はなかったんかいな。
水田稲作が始まったとか、稲の種類が変わったとか、九州系の金属器が出るようになったとか… >>532
言ってることが分からんが、三角縁神獣鏡は日本製だよな? >>532
個人で色々想像するのが楽しいんでしょうね >>534
分からない
質のいいものと悪いものがある
悪いのは日本製とされるがいいのはどっちか分からない 日本のオリジナルであのデザインは無理でしょ
神獣鏡からの延長線上にあるけど、方格規矩鳥文鏡の要素もあったりする
国産の可能性もあるが、魏との交流なしでは製作は不可能だよ
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流していたが、
纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、纒向遺跡ではまったく出土していないことから、
魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されておらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
>>538
技術自体は弥生時代後期にはもう十分あったはずやと思うけどな。
あとは芸術感覚の問題だけやと思うけど。 >>540 の訂正
あっ、鉄鏡の方の話かな?
そうなら、ひとまず撤回しとく。 >>535
少なくとも、畿内で無いことはとっくの昔に確定済み。 箸墓にしろ纏向は4世紀から5世紀が正しい
宇佐には日本最初期の前方後円墳もある
日田や宇佐を含めた豊前と豊後地方が邪馬台国
>>533
ただ、銅鐸の破棄があるな。
あれは神武を受け入れるために近畿日本側がいっせのせで自分たちの文化である銅鐸を破棄した。
一種の廃仏毀釈みたいな運動。 卑弥呼が死んで争乱になった時に天孫族?の渡来系神武が新しいヤマトを作るって出ていって
ちゃっかり奈良の豪族から権力奪ったんじゃないの?
九州はその頃トヨが制定したけど有力者出ていって国力がごっそり落ちたとか
全部妄想だけど
銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために
破壊した。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
神武東征は東征といいながら、あちこちをウロチョロしてて意味不明だよな
行き場を失ったただの難民なんじゃねえの
銅鐸は、雇われ店長である神武を受け入れるための儀式のようなもの。
招きに応じてくれた返礼の儀みたいな感じのもの。
銅鐸破棄は、雇われ店長である神武を受け入れるための儀式のようなもの。
招きに応じてくれた神武への返礼の儀みたいな感じのもの。
>>463
息を吐くように嘘をつく邪馬壹バカ
記述通りで百済の位置が教科書の通りなら海中w
中国の史書と通り百済が遼西ならソウルあたりたりだよ 日本は中国の冊封体制下にあるという紛いなき証拠だな
九州邪馬壹バカは、史書読んでない読めないだけ
機内邪馬壹基地外は、記述もクソもない
単なる妄想、ムー史観
バカ同士でも質が異なるw
隋書は隋が滅んだあとの
唐の時代に書かれ
倭国は遂絶と書かれている。
しかし唐代に日本の使者は何度も行っている。
倭国と日本国を同じと認められない理由があった。
おそらくは金印などがあって
それがあれば倭国の正式な使者であり
なければ日本国として別に認識されていたのだろう。
そして倭国の正式な印を持つ国書が
なかったことから、倭国は遂絶と判断された。
>>538
世が世なら
日本スゲー!
レベル高え!
の根拠にされてそう >>522
国が滅ぶとこういう財宝は商人や別の支配者を転々とするから発見場所とは無関係な気もする
だそうだ
もっとも「財宝」というより「文化財」「遺産」くらいか >>546
そうでない可能背の方が高いと思ってるけど。 >>502
その人魏志に限ってないんじゃないの?
他の倭人伝知らないのかな
やっぱアホっぽいw 畿内に邪馬台国があったなら、九州には邪馬台国以上に栄え、中国と交易し、
新羅や百済を従えた日本王朝があったことになる。
そっちはそっちで謎の巨大王朝でロマンがある。
>>549
僕は銅鐸文化圏の稲より神武が持ち込んだ大和の稲の方が
栽培に適してたからなんじゃないかと考えてるけどな。
要するに農耕技術が金属器技術に勝利した証なんじゃないかと思ってる。 >>550
筑紫に寄ったのは出雲と交渉してもらうため、
安芸、吉備では九州の稲の栽培をしてったんじゃないかなと思ってるけどな。 神話も九州系は中国渡来系で、出雲系は朝鮮渡来系じゃない。
どっちも渡来には変わりないから。
>>567
銅鐸を用いた集団祭祀から、
鏡を用いた首長祭祀へと社会構造が変化したからだと言われている。
それまで畿内が身分制度が未発達な後進地域だった根拠とされる。 >>562
バカのお前がどう思うかは事実とは関係ない。
東征も東遷も考古学的に否定済み。 >>572
神武を迎え入れるための儀式みたいなもの。 >>573
否定はされてない。
肯定するにも証拠不足。
保留状態が正しい。 >>575
6〜7世紀に併合されたんじゃないかと思ってる。 銅鐸は神武を迎え入れるために近畿日本側が自ら破棄した。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
●なぜ短い時間に一斉に破棄されたのか?
●なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
●なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
●銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
またこれ以外に上記の疑問に答えるのは不可能。
>>576
バカのお前がどう思うかは事実とは関係ない。
東征も東遷も考古学的に否定済み。 >>566
そうだよ。倭国大乱後の日本は前古墳時代にはいる。邪馬台国は大和政権前身だ。
それまで帥升からの80年は九州に倭国があったわけだから、
そちらを調べた方が有意義。 纒向には西日本全域から土器が集まっているが
九州のものは僅かしか無い。
征服者としての九州勢の面影は全く見ることが出来ない。
東征も東遷も無い。
纒向遺跡が考古学的に否定した。
福岡市の吉武高木遺跡って
最古の王墓かも知れないっつって
最古の三種の神器が一箇所から出土した超ド級の遺跡なのに
それ全部認めた上で、掘り返して埋めて、
真上にただの糞みたいにどーでもいいド田舎の農道通してんだぜ?
九州の王朝と、近畿の王朝と
まるで無関係なの行動でまるっきりゲロってるだろが。
隠してるつもりか?
ただなんでもトボけてりゃいいってか?
猿だろw
九州倭国と近畿日本は無関係な別の王朝。
当然東征も東遷も無い。
ただの作り話し。
記紀は神武東征を捏造するために書かれた。
だから編纂前に焚書が行われている。
>>573
僕の知る限りじゃ、弥生後期の奈良県銅鐸出土数が激減してたり、
畿内と日向の交易の跡が弥生後期後半に確認されてたり、
大阪が記紀の神武東征に矛盾がない地形だったり、
考古学的に事実の可能性を示すものがあるように思うけど、
何をもって考古学的に否定されたことになってんの? >>582
蛙喰族が九州を支配下においてなかっただけじゃない? >>588
バカのお前がどう思うかは事実とは関係ない。
東征も東遷も考古学的に否定済み。 東征東遷じゃなくて
九州の主流派から追い出された勢力が
順次離れて移住しただけだろう。
当然先住者もいるので、神武天皇のように
戦いになることもある。
>>581
???
邪馬台国というのは、大和国をの支那側の単なる当て字だからな!
言っとくけど。
つまり、邪馬台国=大和国 なんだが。
ウソつき野郎がどのくらい筋金入りのウソつきか
それ一つ分かっただけでもちゃんと意味があるだろ?
邪馬台国問題は、キッチリとたった今の生活に関係してるんだよ。
>>589
考古学的に証明できてないだけで
否定はされてないでしょ
悪魔の証明 邪馬台国の頃の天皇である孝霊天皇、孝元天皇は明らかに後漢の最期の皇帝、霊帝と献帝から来てる。
仮にも天皇の送り仮名にこのような失礼な名前を付けるはずがない。
崇神天皇のときに何らかの簒奪があったと思う。
ちなみにモモソ姫は孝霊天皇の娘で、なぜか崇神の補佐役のように書かれているが。
つまり孝霊天皇の行跡を辿れば邪馬台国は見えてくると思うよ。
古地名としてのヤマトを暗示させる地名が
畿内にはない。
藤原京も平城京もこじつけられるような
ヤマト音の地名が見当たらない。
ヤマト音自体が、他所からの言葉だとわかる。
>>582
まさかとは思うが、纒向と神武東征をごっちゃにしてないよな? 空白の150年がなんでわからんのや・・・
どうなっとるんや?
そもそも記録が残せるほどの文明では
なかったってことなんか・・・?
近畿パーってのは、将棋やってて詰んだら「詰んだの認めて無いから詰んで無い」とか言ってるバカのこと。
>>604
四世紀は九州倭国から近畿日本へ実権が移る時代だから中国側も混乱してたんだろうな。 >>608
そのころには倭国と日本国の併記がみられる。 >>604
硯があったのだから当時はあったのだろう 邪馬台国近畿説は利権化している。なぜならウソだからだ。
倭国大乱に近畿は這入っていない。お似合いは「黒歯国」だ。
お歯黒は埴輪までお歯黒だ。中央貴族はみんなお歯黒だった。
あの道長も清盛もお歯黒だった。
古墳時代まで遡れるならば、もっと遡れる。
よって邪馬台国近畿説はない。
邪馬台国は北九州に決まっている。敵対国は出雲勢力だ。
魏志倭人伝の方角はほとんどの場合いい加減だ。
であるが、「黒歯国」の記述は見逃せないと思う。
>>582
チン毛頭も土器馬鹿だったのかよw
いや馬鹿なのは知ってたけど、
お前の言い分なら九州も庄内式土器の分布の中心の播磨地方
に征服されたことになるぞw 福岡でもイト、シマ、シメ、ウミ、ヤスなど二文字地名が多い。
九州全体に多い。それは古代読みの系統と思う。
>>545
ざっくり弥生と古墳の間くらい
>>549
迎え入れたのはニギハヤヒで、天孫族の同族
在地豪族のナガスネヒコを籠絡して、娘と政略結婚していた
つまりニギハヤヒと神武天皇の連係プレー
>>582
纒向は橿原建都の数代後
>>590
その中で神武天皇が最終的に天下を取った 2世紀後半の坪井・大福遺跡の説明をするときがきた
橿原市坪井と桜井市大福にまたがる大規模古墳だよ
最古の木製仮面が出土 奈良・大福遺跡
https://www.sankei.com/west/news/130531/wst1305310081-n1.html
奈良県桜井市の大福(だいふく)遺跡で、
弥生時代末期−古墳時代初め(2世紀後半ごろ)とみられる
木製仮面の一部が出土し、市教委が30日、発表した。
市内の纒向(まきむく)遺跡では平成19年、
3世紀前半の木製仮面がほぼ完全な形で出土しているが、
これよりも今回の仮面は古く、国内最古の木製仮面という。
大福遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期にかけての大規模集落跡で、
初期ヤマト政権の中心部ともされる纒向遺跡の南約3キロに位置する。
それぞれの場所で似たような形の木製の仮面がでたのね
2世紀後半 桜井市大福
↓
3世紀前半 桜井市纏向
最初の都は橿原市かもしれん 九州は今も昔もゴミくずのチョンだらけ
日本人が生活する場所じゃない
親玉チョンの糞球団応援してるキチガイチョンの集まり
>>615
それは、神武東征を連想させる変化が他の近畿地域と同様に
橿原遺跡でざっくり弥生と古墳の間くらいに起こってるってこといいんだよね。
それが説明されてる資料とか報告書とかネット上で閲覧可能な物ってある? 国内最古の木製仮面? - 2世紀後半、纏向出現前/桜井・大福遺跡
https://www.nara-np.co.jp/news/20130531091741.html
市教委は「両遺跡から共通して木製仮面が出たことは、
時代の転換を考える手がかりになる」と話す。
木製仮面は農耕儀礼で使われたとされており、
纏向学研究センター所長は「纏向を中枢とするヤマト王権が、
これまで地域ごとで行っていた農耕儀礼を
一本化していったのだろう」とみる。
ちっちゃい画像しかない
左が2世紀後半桜井市大福からでた仮面
右が3世紀前半3キロ離れた桜井市纏向ででた仮面 >>619
それjojo二部までの世界観だろ。
スレチじゃない? 記紀で初代、3代、4代、8代が橿原市に住む
その後10代崇神天皇が三輪山のふもとに住んで
11代垂仁天皇、12代景行天皇が纏向に住む
橿原のあたりに1〜9代のモデルになった
人物や場所があったんじゃないか
>>620
DNA的には圧倒的に関西のほうがあちらに近いんだけどな
九州は昔からあちらの国を意識してたからか逆に混じらなかった >>621
ごめん橿原遺跡じゃなくてもっと広範囲の、列島全体の青銅器の分布と推移の話 >>630
もし銅鐸の話をしてるんなら、神武東征と関係が深くなるのは
畿内全体ではなく奈良県(可能ならば橿原周辺)だと思うけどな。 そういや九州で銅鐸が無くなるのいつ頃なんだろ?
その時が出雲の国譲りと関係してる可能性が高いと思うのだが。
神武のモデルになった人とその息子たちは本当にいて
神武の死後誰が継ぐかfr兄弟が争って第三皇子が勝つ
以降の3代〜9代は揉め事もなくあっさりと息子が継ぐ
ここは適当に天皇作っただろと誰が見ても思うとこ
2世紀後半の橿原市に神武のモデルになった人がいて
この一族は2世紀末からの纏向の開発に
参加したんじゃないかと考えてる 近いし
>>558
半島での戦争じゃないの?
新羅・唐連合対百済・倭連合。 >>7
本気で畿内説を信じてる学者は1人もいないだろ。
政治的なスタンスだよ。
プライドを捨てた学者の憐れさがw 当時の高級工業製品だろ?
ロールスロイスは一台だけじゃねーんだわ。
2代、5代、6代は奈良県御所市 橿原市の神武天皇稜の南西4キロくらい
7代は奈良県磯城郡 唐古鍵遺跡があるとこ
9代は奈良市本子守町 平城京と奈良公園の間あたり
適当なところもあるけど
当てはめる場所を考えて作った感じもあるよね記紀
邪馬台国関連で記紀が役に立たないとは思ってないのよ
>>631
銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸の話だけど、分布の推移は県毎に出てるね >>641
それはネット上のどこかで閲覧可能なの?
それぞれどう違って、どういう風に神武東征と関連しそうなの? 橿原市耳成山で打製石器の材料になるサヌカイトがでる
唐古鍵の石器も耳成山産だと確認されてる
初期の奈良盆地は耳成山から離れてないところが発展していったんじゃないか
>>643
一応筑後に祇園山古墳っていう殉葬者付きの古墳があってだな… 邪馬臺国九州説の人達は、基本的に、
今の検定済教科書は間違いだから書き直すべきという意見でいいのかな
いや別に教科書が無謬とか思わないけど、九州説の人のスタンスとしてどうかなと
>>642
銅鐸→銅鏡の変化と
それまで王墓の無かった畿内に急に
巨大王墓が作られるようになる。
3〜4世紀がポイントかなあ >>640
唐古鍵遺跡で銅鐸が無くなる年代が
ひょっとすると7代の御代と関わり合いがあるかもしれんな。 そもそも倭人伝の記述じゃ近畿にたどり着けないよね
つまり伊都国から現地人が案内したとしても、そんな遠くない所なんだよ
>>647
でもそれらって、どっちかって言うと出雲との深い関りができたと推測される崇神との関連をまず連想してしまうけどな。
神武の時代、出雲は出雲から原則出られへんはずやったからな。 >>645
久留米大学近く高速の真横だな
盗掘されまくりだろうが
もう一度大々的に発掘調査して
論争を終結させるべき 「其俗国大人皆四五婦 下戸或二三婦」「以婢千人自侍」
男の2倍を軽く超える女多すぎ邪馬台国
1.倭国大乱で男激減した
生産力に直結する男激減は国力激減を意味する
対する狗奴国は位置的に大乱での損害を押さえられる
後ろ盾を失ったと同時に攻撃されたら即滅亡の可能性
2.周囲から娘を差し出させるシステムがあった
鉄の武器、酒好き赤い顔料で娘を連れ去る集団、もしや「鬼」
民衆にとって鬼退治した者は英雄、それが何者であれ
3.半数の男が、簡単には戻れない遠征へ出た
これが「神武東征」として伝わったとすれば、
女王国以外に、近畿に男王国邪馬台国が成立した可能性
どちらが正当な邪馬台国か異論はあっても、結局は武力
4.嘘・大げさ
わざわざ記録として残す理由が不明
>>646
九州説は素朴
畿内説は妄想
どっちも間違ってるが、畿内説は基地外すぎる
文献無視して三流ストーリー作ってるんだから
問題外 >>650
畿内社会に何らかの大きな変化があったのは
間違いないだろうね。
その起因を特定するには記録が無さすぎる。 >>653
どっちも間違ってるとか間違ってるのはお前だバーカ >>646
>>312>>313
こんなもん一つ反論出来ないで崩壊するものがまともな学説なわけが無いだろ。
いい加減分かれよキチガイ。
邪馬台国畿内説は否定証明完了済み
九州倭国と近畿日本は関係の無い別王朝
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳
この三つは動かない
>>573
考古学的に否定って、具体的にどうやって否定したの? >>654
第三者である大陸が、政権長く続かないからね。埋もれたもんを見つけるしかない。
ウソつき野郎がどのくらい筋金入りのウソつきか
それ一つ分かっただけでもちゃんと意味があるだろ?
邪馬台国問題は、キッチリとたった今の生活に関係してるんだよ。
邪馬台国は大陸の権威を必要とする敵対勢力がある小さな勢力
邪馬台国の卑弥呼(巫女)は魏からハンコもらった。
魏は三国時代で 自らの勢力をでかく見せたいという国としての意思がある。
日本のことを倭とよび、その女王を認めるという大陸外に及ぶ強大な権威をもってると示すことを 金のハンコたった一個でそれができる
邪馬台国が中央政権である根拠も意味もない。
後、如何に徹底的に話しを誤魔化すか。
ここらへんな。
「この話しは永遠に決着付かないね」
とかな。
そんな言い分聞いてたら、九州御井説も神武雇われ店長説も無かったわけな。
ちゃんと日常生活に応用出来るんだよ。
お前がウソつきでなければね。
これを国政のレベルで日本人はやるわけな。
なぜ日本がどん詰まりになってるか
理由が分かったろ?
>>594
倭(ヤマト)→大倭(ヤマト)→大和(ヤマト)→日本(ヤマト) な。
>>312>>313
こんなもの一つにも答えられ無いんだぜ近畿パーは。
それを公定の見解にしないと
国が成り立たないと言うなら
もしそれが本当なら
それは国家として、民族として失敗していると言うこと。
>>661
大和の青銅祭器が、銅鐸から銅剣等に変わってるんだけど >>549
鬼畜米英がギブミ―チョコレートに変わったのにそっくり
ま、長い物には巻かれろ。寄らば大樹の陰の精神は変わらずですか >>670
それは否定になってないでしょ。
銅鐸が消えずに銅剣が発見されてない方が否定になってると思うけど。 >>549, >>671
先祖代々の祭祀を「自ら」捨てるということは、
相当な動機(メリット)があったと思うけど、それは何なんじゃろ? >>60
九州大学は、成り立ちが京大の分校みたいな経緯をたどってるからな。 畿内説の大和と邪馬台国の現在の読み方がヤマまで合ってるから同じとか小学生レベルでしかない
そんなの日本中どこでもあるだろうと思う
ちなみに出土品では圧倒的に九州のほうが国宝も多い
そういや、神武陵は江戸時代に修復したようなこと書かれてるので
年代確定しても無駄なんかもしれんけど、
綏靖陵が元のままなら、築年代とかわからんのかな?
まずは綏靖陵であることの確定が先なんかもしれんけど。
>>677
万葉仮名の甲乙で言えば、筑後の山門の「門」が甲類に対し、
奈良の「山跡」「夜麻登」「夜麻苔」などのトは乙類だったりする。
それをどう解釈すべきなのかは判らんけども。 志賀島で金印が発見されたようにその時代の
中心は九州だった。
それがある時期から近畿に移る。
だからこの鏡も古い時代に(九州の国に代表権を認めていた)
その時代の王が九州の国の使節にくれたんだろう。
しかし畿内説も纒向がハズレたらいっかんのおわりでしょ。他に候補あるの?
南を東ととるから、狗奴国も東海周辺に置かざるをえないけど、弥生末期の遺跡で纒向に匹敵するものあるわけ?
しょぼい東海が、対決に際して魏に介入を要請せざるを得なかったような大国とは思えない。
纏向は100年200年の誤差が普通に出るC14法で、邪馬台国の時代とか言ってるからな
>>682
廃仏毀釈を実行したのは、仏教に敵対する勢力なんだけど 九州の弥生時代の遺跡の中で3世紀末ごろに消滅した形跡がたくさん残っている
そして、今でも奈良と九州に方角と地名が合致する地域がある。
そして記紀にある神武天皇の東夷伝説。
魏志倭人伝の年代ははっきりしており、九州地方の遺跡の痕跡と多くが合致することから
九州にあった邪馬台国が、3世紀後半ごろ何らかの理由で、奈良での大和朝廷建国に駆り出されたとみられる。
その偉大な功績として纏向遺跡等が構築されたんだと思う。
これが、九州の勢力によってもたされたのか、それとも奴隷として駆り出されたのか?
地名として残されたことを考えると、前者の可能性のほうが高そうだが。
>>681
僕の推測は邪馬台国が魏に使い送ってたりしてたんは開化か崇神の御代やけどな。
万に一つの可能性でも欲しいなら纏向より春日率川宮とか磯城瑞籬宮とかを掘った方がええように思うけどな。 >>652
それは古代日本が南方的な母系制だったからではないだろうか。
成人女性一人で一戸となる。
そう考えるれば邪馬台国7万戸も割と行けそうな気がする。
倭は女が多かったのは確かみたいだけれど >>677
だよなー。
九州説への批判は激烈かつ陰湿なのにね。
自分の足下は何も無いのに。
声が大きければ勝つと思ってるんだよ。
実際学会で勝ってしまってるからね。
本件に限らず、京都ってそういうとこがある。
学問でも、日本画の世界なんかは完全にそれ。
どの筋かによって全部が決まってしまう。
考えてみれば、京都なんだよ。おじゃるの末裔の町。
天智のだまし討ち、不比等の捏造、四兄弟の所業など、藤原の一族の
陰湿、後白河や後鳥羽や後醍醐の傲慢と無能、近くは信長殺し、江戸
時代は最後の金儲けで間違った暦にしがみつき敗北w 等々。
日本の政治は空虚な権威と一貫した民衆への抑圧で塗りつぶされてい
る。信長も秀吉も家康も、そのような壁を越えられなかった。政治的
敵対者を潰しておいて「祀る」、それが日本政治の唯一の形である。
京大派が薄汚いのは、そう考えると当然ってことだわ。文系って責任
ないから、特に古代研究にはそう言う体質が残ってしまったんだろう。
あと畿内説は記紀との整合的でない。
ヤマト側に卑弥呼や台与に当たるような人物の記憶がまったくないことが決定的。
外交使節を送り込み、詔書や金印紫綬の名宛人も卑弥呼なのに、卑弥呼は世俗権力の王ではなく斎王だと強弁したり、都合が悪いから公式記録から抹消されたとか、根拠薄弱な妄想を重ねて誤魔化さざるを得ないのが痛いところ。
>>312>>313
こんなもんに答えられ無いんだぜ近畿パーは
ボケた老人のようにただすっとボケるだけだ
これを永遠にただすっとボケ続けなければ国がもたないと言うなら
それは日本と言う国が国家として民族として失敗していると言うことだ。
畿内説は本能寺の変の黒幕は秀吉だって言うくらい荒唐無稽
>>684
狗奴国との戦、その後、僕が推測する大和ー出雲連合の介入で、
近畿同様大きな変革の時期には突入したやろうな、たぶん。 >>622
梁書の大漢国と思う。これが大和になる。倭、文身国、大漢国、1里を60mとると倭国が九州、文身が出雲、大漢国が奈良、伊勢に近い。扶桑国が東北・北海道に何か大きな集団があったと見ている。
距離を長めに取ると既にアメリカ大陸発見されいるになる。 >>675
寺沢さんは王権が誕生したと解釈してるね
銅鐸は村の共有財産で、鏡は個人の所有物で権力者の証
ただし、奈良盆地で見つかってる王の墓と想定できるのは、2世紀後半の円形周溝墓が最古
鏡は1世紀後半からあるようだから100年ほどのズレが残るのだけど
あと、岸本さんみたいに、畿内一帯でバラバラだった土器型式が大和の土器型式に
統一化された1世紀には、王権が生まれてたと解釈する研究者もいるけど 歴代天皇の陵墓より巨大な箸墓古墳
昼は人が作り夜は神が作った
これが天皇でも無いイチ巫女的女性の墓として伝承されている
築造は3世紀中葉から後半
興味深いね
箸墓古墳を掘ればいいのに
>>654
記紀の神話は日向三代を除けばほとんど出雲から畿内だよな。
大和王権の故地は九州とは思えない >>35
畿内の大きな古墳は宮内庁が管理してる。管理されていない黒塚古墳などから三角縁神獣鏡が33面も出てきた >>695
弟は桃太郎のモデルとなった吉備津彦。モモソ姫自身も桃の名前がつく。 倭人が皆入れ墨をしてたってのは気になる。
列島で入れ墨してたといえばまず思い浮かべるのはアイヌ人。
そして全体的には入れ墨は罪人、ヤクザというアウトローがするいかがわしいものと日本ではなってる。
やっぱ邪馬台国と現代日本には断層があると思う。
>>696
畿内の神話とは例えば?
そもそも天孫降臨から神武東征までの日向三代を除くとか、恣意的にも程があるだろ
>>695
箸墓は卑弥呼の墓より遥かに巨大
>>697
大和朝廷の中心だから当然 >>688
仮に欠史八代やってんなら、自分の天皇の記録も残せんとこには無理やろと思うし、
仮に崇神の御代としても、1代前まで天皇の記録も残せんかったとこにはハードル高過ぎやろとも思うしな。 邪馬台国が九州だったとしても大陸から渡ってきた文明優位(つまり軍事的にも優位)の部族に
滅ぼされたか吸収されたんだと思う。それがさらに東進して最終的に近畿に都を築き、
この東進が記紀の神武東征として投影されたってところじゃね。これが一番納得いく。
畿内説にしとかなきゃ皇室の根幹が揺らぐだろ 学者もサラリーマンと同じ
>>703
でも皇国史観の元になってる記紀の神武東征によれば皇室の元は九州だ。
邪馬台国を九州としても別に都合が悪いわけではない。 >>695
駐大和出雲大使(僕の推測では大物主)の墓やったりしてね。 >>690
秀吉説はそこまで酷くは無い。
動機は十分、大返しも急には無理、光秀も準備が甘すぎる、特に
摂津方面の裏切りが多すぎ&痛すぎ、政権確立後も公家勢力へ非
常に甘い、等々。
>>691
出雲にはそこまでの力は無い。まして畿内は距離人数技術鉄器
全部無理。 そういえば天孫降臨って九州じゃなかったか?
九州でいいんじゃないの邪馬台国
一大文明を築いていたムー大陸が沈んで、生き残りが沖縄九州にたどり着いて日本の祖先になったって聞いたけど。
>>702
当時の倭人と呼ばれた人種は大国にとって、危険な海を航行し貿易しうるものたちという認識。
半島や大陸で覇権争いしていた武力には到底かなわないが、大陸内での激しい争いゆえ、彼らには海を渡ってまで争う余力はまだなかった。
当時倭人は、九州のみならず、半島南部側にも貿易要員として大勢が住んでいたと考えられる。
それが、3世紀後半ともなると、勢力争いの構図が激変し、半島撤退も余儀なくされたんではないかと思う。
大和朝廷の建国は、そうした背景から、組織防衛の構築のための第一歩となったんじゃないだろうか? >>700
スサノオから大国主、大物主あたりは出雲から瀬戸内、畿内のお話。
その流れから天孫降臨で高千穂はちょっとおかしい >>707
本能寺云々は例に挙げただけでスレチだからここで議論する気はないけど
梅林寺文書とか本能寺前後の秀吉やその周辺の一次史料読んでみたら分かるけど秀吉が黒幕はありえないよ >>696
長髄彦との戦でいっぱい死んだからニニギより先代の伝承が残らんかったんかもしれんな。
僕もひい爺さんが初代らしいけど、その出自とかほとんど知らんしな。
天照大神とかそれ以前は九州併合したときにパクって、パクリ元の文献を燃やしたんかもしれんし。 >>708
天孫降臨は日向、たぶん宮崎県
宮崎県は狗奴国かもしくは一部の九州説では投馬国だから邪馬臺国とは関係無いと思う >>711
いや、大陸から列島に進攻したんではなく、大陸で敗れた部族が列島に逃げ込んだ
という可能性もある。実際百済人なんかそうしてるからね。
海を渡るという点ではむしろ倭がわざわざ海を渡って百済を助けに行ったのがちと不思議。
これについては百済、倭は同じ言葉をしゃべっていた同民族説が一部でささやかれている。 天照大神は中国神話の義和が原型だと思う。
天孫降臨から日向三代神武東征は記紀編纂の時に付け加えたのかも
>>712
おかしくない
出雲にアメノホヒ、大和にニギハヤヒ、高千穂にニニギが派遣されて、ニニギの一族の伝承が伝わってるだけの話 >>717
スレチだけど今話題の「天気の子」って天照大神がモチーフだと監督は
言ってほしいんじゃないかと思うときがあるw 九州だろ?
そんなもん盗んできたにきまってるだろうがよ
>>716
玄界灘の制海権は倭人にあった。
朝鮮半島南部は倭人が多かったんだろうね
壱岐国を通らないと日本には来れないしな >>716
どの時代のこと言ってんの?
3世紀後半当時は百済はなくて馬韓という国なんだけど。 >>707
崇神の御代には朝鮮との交流がある。
おそらく大和領が半島にできて、鉄が畿内に流れ出したんだろうと思う。
九州北岸は通過点なのでもはや影響を受けずにはいられない。
九州北部にある前方後円墳も、おそらく大和ー出雲連合の人間が事業委託を受けたんだろうし。 >>718
ニギハヤヒは物部だったかな?
藤原氏に滅ばされた蘇我氏がいないってのが面白いな >>7
畿内には邪馬台国と別の国があっただけだろ。 >>721
まあ、白村江の戦いで敗れた百済・倭が列島に逃げこみ、唐帝国を中心とした
大陸国から防衛するため日本という唐を真似た中央政権の国を作ったのは確かだと思われる。 >>91
紙が発明される前は、重要な文書は絹布に書いていた。
これを帛書という。 >>728
いちおう記紀では天国らしいけど、もし大陸から渡ってきた民族が日本を作ったのなら
実は大陸の原住地がそれの暗喩であるとも考えられる。
一度ネットで見たその線の説では、天(あめ)というのはアムール地方を指しているのだと
いうのを読んだことがあるw 蛙の骨、桃の種、木製の鞘
これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)
悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ! (`・ω・´)
>>727
それはずいぶん後の話だよ。
大和朝廷建国によって組織防衛を構築したのちに、半島南部の資源を守るため、任那を正式な領地とし(4世紀ごろ?)
大陸との交流を再開するために、半島の北上ルートを(のちの百済)とも交流を深めるが
百済の防衛のために、倭国領地を献上し共同で戦うことになったんだろ。 >>733
ここらへん幕末と似てる気がする。
欧米の侵略に対抗するため、欧米のやり方真似て国を強くし中央政権に固めてって。 >>735
なるほど、よくわからんけど民族性ってあるのかもしれんね。
地政学的なところも大きいのかも。 >>702
ド素人の教科書レベル理解では、
定型化された前方後円墳は奈良を発祥とし、それが各地の首領に受け入れられ、すなわち共通祭祀を元に倭国全土に緩やかな連合体制が出来た
これが3世紀後半以降のこと
九州の勢力がわざわざ奈良に移動し都を置いたとは習わない
それはさておき、九州邪馬臺国を滅ぼした文明が東征し近畿に都を置いたのはいつ頃なんですかね?
紀元前600年ですか? >>1
>曹操の墓
曹操の遺骨は発見されたのかな?
前歯がどうなっているのか興味があるのだが。 曹操は魏王であって皇帝ではない上に薄葬。
それなりのものであろうが、身分に合わせたものにしていたと思うぞ。
曹操の遺骨と思われるものは、棺から引っ張り出されて
鈍器のようなものでボコボコに砕かれて前室に転がってたそうだ
そもそも邪馬台国は当時のシナ役人がカラ出張ごまかすためにでっち上げた架空の国よw
ほぼ、同時期に
中米では、邪馬の反対でマヤ文明が始まるこれも文身文化。
>>724
その藤原氏、つまり中臣氏もないけどね
蘇我氏の始祖は、孝元天皇のひ孫の武内宿禰で、なにげに皇別なんだよな >>695
倭迹迹日百襲姫命には夫がいたんだぜ
だから夫がいなかった卑弥呼とは別人
しかも卑弥呼の墓には本物の人間が殉葬された
箸墓古墳からは人間の代わりに埴輪が出土しているからもっと後の時代の人物 >>745
殉教者も発見されていない。
規模が大き過ぎで古いものから新しいものもある。収集地? >>744
藤原氏はよくわからないよな。
武内宿禰は実在したのかどうか >>7
近畿圏の学者が多いからだろ
九州の方が整合性が高い >>741
へー。犬に食わせなかったところを見ると、すでに骨になってた頃にやられたってことかな? >>747
藤原氏、つまり中臣氏の始祖は、天孫降臨の五部神のアメノコヤネ
更に続紀には、天之御中主神の末裔とも書かれている >>745
埴輪といっても円筒型のものな
埴輪という用語から一般にイメージされるような人物を模した埴輪ではない >>751
『続日本紀』の光仁天皇のところだな
神功皇后の御世に、百済に使いして、 彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。ともあるけどね。
本当は秦氏かも 藤原氏は秦氏の出身で隋書にある秦王国(宇佐)出身ではないのかな?
それで宇佐八幡信託事件で宇佐八幡が藤原側についた理由が解ける
神武天皇が宇佐に寄った理由も
日本書紀にしたってほんとは「日本紀」だったのを無理やり
天武王権歴史書→天智王権歴史書に変更したものだからな
その時々の権力者によって天皇の系図さえ書き換えられている
事実日本紀には系図が一巻あったのに日本書紀ではその系図が
無いことになってる
問題は畿内が九州を掌握したのがいつかだ
つまり日本国が倭国を併合したときだね
下手をすると白村江の後ってことも有り得る
>>705
神武東征の千年後に九州に邪馬台国があったら都合が悪いだろ。 >>755
藤原の初代が中臣鎌足だってことははっきりしてるし、中臣氏は崇仏論争で蘇我氏と争ってる、
つまり隋書に書かれた時代以前から中臣連として朝廷に仕えてるよ 物部側についていたのか。
時系列ではありえなくはないと思っていたけど思い過ごしだったかな
国譲りする前の近畿日本の長は大国主で、大国主は襲名される名前で
出雲だけとは限らない。てのはどう
日田は周囲を山に囲まれていて要害の地ではあるんだよね
>>703
ちょっと前の別のスレでは、東大の九州説が皇国史観だから京大はその批判で畿内説を推した
なんて書かれてたぞw 畿内も九州も決着付けない方が研究費が出て学者が飯食えるんだよ
占い
Q卑弥呼さま、皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡がなぜ九州に?
「パックツアーからもどった人々」
九州説にしちゃうと、日本書紀に書かれてる
神話などのつじつま合わないから畿内説に
してるの?倭国と日本は別の国って書かれ
てるんだから、元々列島内の違う勢力だった
でいいんじゃないか。隋書で倭国には阿蘇の
火山があるって出てくるから九州だと思うわ。もし畿内なら都からそんな遠い山のことわざ
わざ特記しない。
>>757
そうなんでは
白村江が記紀にはあまり詳しくないんだよね
外形だけで
あれは大和朝廷ではないな >>769
というか九州説だとなも問題がないんだが
近畿説がおかしい 占い
Q卑弥呼さまは鏡で自分の姿を初めて見たときどう思いましたか?
「眼鏡越しに、自分の生徒をじっと見る教授」「偏見を超えて、人を素直に見る」
>>769
遣隋使も聖徳太子も九州の話だと思ってんの? >>312
九州説の自分のが言うのもあれだけど、
九州の王が列島を代表する王として畿内で共立されたなら、
九州以外の地域と連合を形成し、かつ九州には直轄地として強い支配権を持つことができ、
この矛盾は論理的には解消できる
だから後の大和政権はやや似通った物語を作ったのかもね
さらには神功皇后と伊都国は親戚のように描いたり、山門郡で田油津姫(たぶらかす=衆を惑わす姫)を誅殺してなにかを示唆したり、色々手が込んでるわな
記紀の構成を考えた人は畿内説より頭がいいw 住吉族も宗像族も同じ安曇族だし磐井の乱で宗像族が大和朝廷側についた時点で九州は掌握されてた気がする
>>774
随書では、倭国と日本で別れている。
聖徳太子や遣隋使は、日本だな。 隋書倭国伝の記述は、過去資料をソース
にしてる部分が多い。過去の史書の情報を
引用してるとしたら、ちょうど邪馬台国時代にも当てはまってるのではないか。その空白の時期に、列島内で大きな勢力変化があって、ヤマト政権が畿内を中心に中央政権を樹立、列島を掌握して日本になった。