https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190907-00010000-fnnprimev-int
「和食」が世界的に人気だ。2013年にはユネスコの無形世界文化遺産に登録され、世界中でブームとなっている。
筆者は今春、イスタンブールに赴任した。トルコは親日のイメージも強いことから、当然日本食レストランで溢れているのだろうと思いきや、
実際そうではなかった。美味しい日本食レストランは存在するものの、ほかの新興国や近隣国と比べその数は極めて少ない。
■出遅れる日本食の輸出
JETRO=日本貿易振興機構(以下、ジェトロ)の調べによると、人口約9000万人、在留邦人約1万7000人の新興国ベトナムには、
日本食レストランが約900店もある。日本食の輸出先順位も世界で6位だ。
トルコと同じ中東のUAE=アラブ首長国連邦(人口約940万人、在留邦人約4000人)にも、200店近くあるという。
一方、トルコ(人口約8000万人、在留邦人約1700人)には、わずか20店しかない。
日本から輸出される農林水産物・食品の総額は約2億円だが、そのほとんどはメントールや配合飼料で、「食品」はほとんど含まれない。
日本食の輸出先順位としても、世界71位と大きく出遅れているのだ。
■日トルコ間の貿易上のトラブルが要因
なぜか? ジェトロによると、トルコ政府の条件を満たす書類(食品の安全性を示すもの)を公式に作成する機関が日本側に存在しなかったことが
主な要因だという。これ以外にも、トルコ側の遺伝子組み換え食品をめぐる厳しい輸入規制の問題や、署名にサインを用いるか、印鑑を用いるかといった
両国の慣習を含め、貿易上のトラブルが多発した。
そのため、両国政府は協議の結果、2014年1月、日本の厚生労働省が「自由販売証明書」を発行、トルコ政府がこれを認めた。
トラブルはいったん解決したかに見えたが、トルコの企業はこの証明書の有効性を信じなかった。日本の企業は、証明書の存在自体さえ知らなかったという。
それまでの度重なるトラブルのせいで、それぞれの企業の熱意が冷めきっていたのだろうか? ジェトロの中村誠氏は、こう振り返る。
ジェトロ 中村氏
「自由販売証明書によってスムーズに貿易ができるようになった事実を、これまで何度もトルコ企業に説明してきた。
でも、皆さん話半分でしか聞いてくれなかった。理屈上は可能でも、トルコ企業は日本からの輸入はできないと思い込んでいたようだ」
■老舗の挑戦
トルコではその後テロが頻発したこともあり、こうした輸出入関連の手続きはしばらく冷え込んでいたが、「日本におけるトルコ文化年」でもある今年、
ようやく動きが出てきた。トルコ最大手のアジア料理レストランSushiCo(スシコ)が、日本産食材の取り扱いを開始したのだ。
その食材とは日本食文化の代名詞ともいえる調味料、「醤油」。
これまでトルコでは基本的に香港産の醤油が主流で、日本産はほとんど流通していなかった。
ここに目をつけたのが、茨城県土浦市にある醤油醸造の老舗、柴沼醤油醸造だ。
社員60人ほどの中小企業ではあるが、元禄元年(1688年)創業の300年以上の歴史を持ち、今も変わらず杉の「木桶」を使った伝統的な製法を守っている。
桶に棲み着いた天然の酵母菌や乳酸菌が作用し、醤油に独特の風味を生み出すという。
日本国内で醤油の需要が減る中、柴沼醤油は海外にも目を向け、これまで50カ国以上に進出してきた。
今回、人口8000万人の中東地域の大国、トルコに乗り込んだ理由を、柴沼社長に聞いた。
柴沼社長
Qなぜトルコか?
「人口8000万人の大国にも関わらず、トルコへの輸出をトライする日本企業はほとんど無いと聞いていた。
ただ、トルコはアジアとヨーロッパの食文化が融合する国。“Sushi”をとても身近に感じていることもあり、諦めたくはなかった。
醤油の輸出が実現するのに4年もかかり、挫折しそうなこともあったが、日トルコ政府をはじめ、SushiCoやジェトロと協力のうえ、熱い思いを持って頑張ってきた」
醤油のサンプルを抱え、海外で開かれる数々の展示会に自ら乗り込み続ける柴沼社長。
1年の半分は海外出張のため、家族には頭が上がらないというが、トルコをどうしても諦めることはできなかったのは、そんな情熱からだった。
■トルコ側の反応も上々
一方、“受け入れ側”の熱意も欠かせない。今回、香港産から日本産への醤油に切り替えることを決断したトルコ最大手アジア料理レストラン、
SushiCoのGM、オズカン・ケスキン氏が重視したのは「品質」だ。“高くても良いもの”にこだわったという。
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