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東京国立博物館(上野)で開催中の特別展「三国志」(新華社/アフロ)
2〜3世紀、中国大陸で漢帝国の滅亡後に魏・呉・蜀が並び立った「三国時代」。その時代を描いた『三国志』といえば、日本でも小説や漫画、ゲームの題材として人気を博している。現在、東京・上野の国立博物館では、曹操の墓からの出土品など近年になって新たに発見された三国時代の考古史料を集めた特別展が開催中だ。歴史作家の島崎晋氏が、「三国志」と日本の深いつながりを解説する。
* * *
今年は日中文化交流協定締結から40周年ということで様々な記念行事が予定されているが、そのなかでも最も力の入れられているイベントのひとつが、上野にある東京国立博物館の平成館で開催中の特別展「三国志」である。
実は三国志には4世紀初頭に陳寿という人によって著わされた歴史書の『三国志』と、14世紀後半に羅貫中によって著わされた小説の『三国志演義』の二つがある。特に後者はおそらく日本で最も多くの読者を獲得している海外文学の一つであろう。
江戸時代末期には葛飾北斎の門下生・葛飾戴斗が作画を担当した『絵本通俗三國志』が大人気を博し、昭和には吉川英治や柴田錬三郎、陳舜臣といった日本を代表する有名作家がそれぞれ三国志を題材にした長編を著わしている。平成以降はゲームや漫画から三国志にのめり込む人も増え、およそ10年周期で大きなブームが繰り返されるようになった。
三国志の魅力は、個性豊かな登場人物がそれぞれの理想や目的のために知恵と力の限りを尽くして繰り広げる人間模様にある。単なる群雄割拠でも二雄対決でもなく、群雄割拠が三大勢力にまで淘汰され、一強対二弱で均衡を保つ微妙な関係が他の動乱期と一線を画し、興趣を増す要素となっている。
日本史との関係でいえば、歴史書の『三国志』は日本について言及した最古の文献史料でもある。『三国志』は「魏書」「呉署」「蜀書」の三部からなるが、その「魏書」の中の「東夷伝」の中に倭国、すなわち日本について触れた部分があるのだ。俗に「魏志倭人伝」と呼ばれ、日本の歴史書には登場しない邪馬台国と卑弥呼の名が初めて登場するのもその部分である。
卑弥呼が魏の都に最初の使節を送り出したのは238年のことで、魏からも答礼の使節が倭国を訪れていることから、「魏志倭人伝」の記述はその使節の報告書をもとに記されたと考えてよい。
だが、そこに問題がないわけではない。双方の言語を操る通訳がいたとは思えず、日本側がいまだ無文字社会であれば筆談もできない。いったいどうやって意思の疎通や細かなやりとり、情報の収集が行なわれたのかが謎のままなのである。
一つ考えられるのは中国語と朝鮮語の両方を操れる者、および朝鮮語と日本語の両方を操れる者が同行。二重通訳によりコミュニケーションが図られた可能性である。これであれば倭国に関して詳しく記されているのも納得がいく。
今回の三国志展では卑弥呼と同時代の文物が数多く展示されるので、『三国志演義』のストーリーやひいきの登場人物に熱を上げるもよし、三国志の動乱に遠く日本も関わっていたことに思いを馳せるのもまた一興であろう。
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。
7/13(土) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190713-00000003-pseven-life >いったいどうやって意思の疎通や細かなやりとり、情報の収集が行なわれたのかが謎のまま
倭人伝に「伊都国には中国人が住んでる」と書いてる
吉川英治 小説
↓
横山光輝 漫画
↓
コーエー ゲーム
そんなもん倭人をひとり中国に居住させて言語を習得させればいいだろ
>>1 Three Kingdomsは旨いおっさん俳優ばっかでおすすめ
川本喜八郎の人形展が最高に良かった。
30年前だけど。
>“卑弥呼”との関係は?
俺の知ってる三国志だと卑弥呼はふんどし姿のオカマのおっさん
>>7 吉川のせいで
日本の三國志受容は
演義以上に儒教道徳の価値観のバイアスに毒されてしまった
>>1 シナの「歴史捏造や歪曲」って、三国志にもあるのでは?
そもそも三国志自体が「捏造」の可能性あるのかな?
なんでいきなり朝鮮出てきた?
史書にそう乗ってるの?
>日本側がいまだ無文字社会であれば筆談もできない
無文字社会ではなかっただけだろう。
物を指差して発音したり身体言語で意外と通じるもんだよ
特に男と女はセクロスすれば一発
>>19 そこで飄々と出てきたのが蒼天航路だよな
蒼天航路は正に傑作だった
卑弥呼の1回目の朝貢のタイミングが絶妙だったよな
皇帝曹叡が死んで曹芳が跡を継ぐことが決まってて
後見人も曹爽、司馬懿に決まって翌月or翌々月即位という段階で
卑弥呼の使者難升米、牛利が洛陽にきた
次期皇帝や後見人に箔をつけた難升米が
大いに歓迎されたと思われるのが魏志倭人伝の記述にある
>今、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、?絳五十匹、
>紺青五十匹を以って、汝の献ずる所の貢の直に答う。
>又、特に汝に紺地句文錦三匹、白絹五十匹、金八兩、
>五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を賜い、
>皆、装封して難升米、牛利に付す。
読んだとおりだが
通常の朝貢の返礼品にくわえて特別に鏡や絹をもらってる
これらを倭国に持ち帰ったことで卑弥呼は更なる権威を得て
大和政権の基盤が出来たと考えてるんだけど説明は長いから省略
吉川は面白さ最優先で考証無視だから注意せんといかん
宮本武蔵なんか特にひどく当時渡しの川に橋があったり完成していない天守閣が出てきたり
さいきん硯らしき遺物も出土したんだよな。
海上交易は船も数カ月のあいだ停泊するし、買付けと販売に駐在員を置くもので
必然的に2言語話者が生まれる。船便を伝って意外な遠方の者もやってくる。
そうとうな数の漢人がいて先進性を肌に感じてないと、わざわざ遣使や借威という発想にならんだろ。
卑弥呼が魏の都に最初の使節を送り出したのは238年
朝鮮半島はどんな感じだったの
3世紀の話で、無造作に「朝鮮語」「中国語」としていいのか。誤解の種になりそう。
蜀、魏、呉もいまの括りでは中国だが、当時は筆談ならともかく相互に自由な会話が
成り立ったはずはないが。
倭と魏の間も多重通訳ぐらいにしておいた方がいいだろう。必要があれば厭わないと
思うが。
なんで三国志関連の本が多いのかと思ったらそういうことか
親魏倭王とか言っている時に呉が日本に対して何をしていたか知らないで卑弥呼を語る奴がいて驚く
それ以前に現存写本の魏志倭人伝がいつ記されたのか知らない奴がいて驚く
>>18 あったよ。
とにかく、孔明、曹操、関羽、劉備はオーラさえ、漂っていた。
纏向遺跡で土器とか出土が多くもっとも盛んだったと思われる時期が
1回目の魏への朝貢の直後から卑弥呼が死んだと思われる
240〜250年あたり 大成功だったと思うよ
>>38 だなwスマソw
まあそれはともかく蒼天航路は
>>19の言ってる儒教のイメージを一変させた良い作品だよ
元伊勢って奈良征伐の兵站の跡では?
岐阜愛知→三重→滋賀→奈良
丹後半島→奈良
岡山→和歌山→奈良
>>26 魏は蜀より公孫氏を滅ぼす方を優先してたんだろう。それは倭を呉に取られないため。
公孫氏がいる間は魏に行けず、滅んですぐに来た、というところから何らかの諜報機関を倭は持っていた。既に力ある国だった、という気がする
>>37 ウホ、あったのか〜 裏山!
ワイは魏延の人形が一番好きやったなあ
漢委奴国王の委奴はイトつまり伊都国なんだよ
今の糸島なんだよ
ちなみに邪馬台国も本居宣長のアホが台と書き換えただけで
実際は邪馬壹国で「やまいちこく」と読む
後世の人間の勝手な解釈で余計こんがらがる
人が少なくなる9月頃行くつもり
ただ前期と後期で展示物も変わりそうだよなぁ
余り遅いと先に九州へ運ばれちゃいそう
ただのイベント宣伝スレやん
5chって金もらってこういう宣伝スレ立てるようになったん
>>39 魏=北条
呉=武田
蜀=上杉
コイツらが埼玉周辺で殴り合っている
>>46 倭は列島じゃなくて半島にあったんだろ
卑弥呼も五王も
吉川英治三国志が考証無視ってのは、まあちょっと考えりゃ分かるっしょ
張コウ三回死ぬしw
それで作品の価値が減ずる事はないんだけどさ
>>31 人形劇三国志乙。
後にシンシンは沖縄に移住した。
倭国へも侵攻可能にしたら面白い。南蛮ぐらいには強いと思うよ。
朝鮮半島は公孫瓚だっけ?
三国志の魅力は
ハチャメチャに捏造されてねじ曲げられた演義が全てだから(笑)
中国人ですら史実よりも演義だし
三国志人気って日本だけだろ
レッドクリフトとかあれアメリカ人に受けたの
中国人にはどうなの
>>29 中国人の衛満が朝鮮半島で衛氏朝鮮を建国してた
歴史書なんて、その時の権力者の都合のいいように書かれるもの
古事記しかり、日本書紀も
隣の国なんて、現代になっても未だに歴史を捏造しまくってるからなw
横山光輝三国志で張飛ファンになり
吉川英治三国志で関羽ファンになり
柴田錬三郎三国志で孔明ファンになり
陳舜臣三国志で曹操ファンになり
光栄三国志で趙雲ファンになる
...アレ違ったかな
>>61 人気は高いよ
関羽は有名な寺とかに仏像あるし
まぁ近代化と共に貴重な遺物を壊してるのはお国柄だけどw
三国志ネタと邪馬台国ネタでごちゃ混ぜになって訳わからんスレになりそう
董さんって女の留学生と筆談した時に董卓って書いたら微妙な顔された
正史では黄忠>>>趙雲な事にびっくりするわ
阿斗を救っちゃったから評価低いのかw
高句麗の王険城
ワイ族
衛氏朝鮮
倭国
三韓
といろんな民族が混在してたのが当時の朝鮮半島
『三国志』は、180年頃 - 280年頃のお話
卑弥呼は170年 - 248年
年表
170年 卑弥呼が産まれた。
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火の影響によって『三国志』と『倭国大乱』がスタート
181年 崇神5年、疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く
181〜184年 倭国大乱
183年 モモソ姫の助言で大田田根子に大物主神を祀らせたら五穀豊穣となり疾病が治まった。
184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。
238年 中国が乱世のため途切れていた外交再開。難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
248年 『三国志』によると女王・卑弥呼がついに亡くなった。
266年 台与が晋に朝貢した。
中国で一番人気の中国史上の武将 孫武(孫子)
昔の調査なんで今は違うかもしらんが、妥当な気はする
>>71 そこは神の如し智謀と呼ばれている郭嘉じゃね?
>>17 シンシンの影響で封印作品になってしまったので自粛しました
三国志の魅力と言えばどう考えても孔明だと思うんだが
中国の三国志トランプだとダイヤの7だって
>>74 長坂の戦いで、趙雲が阿斗背負って一騎駆けしてる時に、戦い挑んで名刀青紅の剣で斬られた人
同じ名前(たぶん同一人物)なのに
・袁紹との戦いの時に劉備軍に屠られる
・長坂の戦いで趙雲に斬られる
・祁山の戦いで孔明の火計で焼死
...と三回も死んでいる
東博に行ってきたけど撮影自由ってのがいかんわ
珍しい試みだがカシャッ!カシャッ!ってうるさいのが気になって集中できない
>>22 魏志倭人伝の報告者は帯方郡(今のソウル)から出発して邪馬台国までの旅の行程を記述してるから。
>>81 現代のネット時代でさえ、アルカイダのビン・ラディンやISISのアル・バグダーディーは何度も死亡確認報道が出ただろ。
戦乱時代に情報が混乱するのは防ぎようがない。
wikiで張コウって書いてあるから、てっきり表示されないのかと思ったら、フツーに表示されるのね、張郃
>>53の張コウは張郃に訂正
>>61 成都に立派な三国志の博物館あるくらい人気あるよ
>>1 南北朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれているからな。
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート、
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンストを被ったような朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は、
朝鮮人がいつもやっている汚い手口だからな。
韓流アピールしている人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレているから。
だいぶ以前から在日企業や 在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやっている。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
https://s.webry.info/sp/14819219.at.webry.info/201201/article_8.html .
人形劇の奴も展示されてたけど俺が想像したよりはるかにデカかった
>>76 臥薪嘗胆の伍子胥とか
縦連合の楽毅とかだと思った
>>86 張郃って横山三国志では死ななくてしかも強い将軍じゃなかったっけ?
過酷な三国志の時代を最後まで生き抜いた竜々の最後は十三で風俗の客引きやってて野垂れ死に
人生どこでどうなるかわからんもんだな
>>62 時代が全然違う。
衛満は卑弥呼より400年以上も昔の人物。
卑弥呼の呪術は漢末期の太平道の流れをくむものかもしれない
中国って出ましたよね
何か忘れましたけど、たしか卑弥呼さん、何をしてましたか?みたいな占いで
たまたまかもしれませんけど
占い
Q卑弥呼さん、日本の年号は令和になりました
「長期にわたる」「伝統」「古い時代から」
>>36 そういう奴が現存後漢書や現存隋書のテキストを知らない
>>65 神戸に華僑が建立した関帝廟があって関羽を祀ってる
>>92 嫌い
>>94 去城十五里,水即郃水也。——《水経注》
【唐韻】侯閤切 カフ≒kap
【唐韻】という書物は魏略のように散逸したが
930年代の平安時代に源順(みなもとのしたごう)が書いた倭名類聚抄(和名抄は通称)に引用されてる。
源順が生きた時代の日本語にhという子音は無くてカ行音で代用した。
閩語でhap 24 江戸時代の日本語でハフ
>>85 毛沢東(マオツォトン)主席も香港その他西側メディア、マスコミに数回殺されてる。
>>36 現存写本の魏志倭人伝て何処かに画像upされてるのか
>>97 信じちゃうと悪いからネタばらしすると、半分嘘で半分本当
紳々竜々は黄巾の乱から蜀滅亡までほとんどの合戦に参加しながら生き延びて張飛の墓守して物語は終わり
竜介はコンビ別れの後パッとせず芸能界から落ちぶれて大阪は十三の風俗の客引きで食いつないでいるうちに死亡というリアル
>>92 場所による
信長に滅ぼされた斎藤氏の岐阜なんか信長大好きで駅前に金ぴか信長像おいてるし、滋賀も天主の上の方だけ復元安土城とか飾ったりで好きだろう
逆に越前の方なんかは地元出身者から攻められたから嫌いとか聞いたことあるし、根に持ってるっぽい
>中国語と朝鮮語の両方を操れる者、および朝鮮語と日本語の両方を操れる者が同行
これは在日チョンの希望的観測
当時は朝鮮エベンキなんて居なかった。
奈良時代になると遣新羅使が派遣されて新羅語と日本語の通訳が居たかもしれない。
>>13 近畿パーって精神障害者だからね。
近畿パーが全部悪い。
九州説明は単に正論を言っているだけ。
劉備や関羽、張飛と呼びつつ諸葛亮だけは何故か孔明と呼ぶニワカが多すぎてびっくりだわ
漫画の影響から普通入るからだろ、作者陳寿は、蜀漢に使えた官史、蜀が滅ぶ姿をよく知ってる人で、魏志倭人伝を書いた人。CSでやってた三國志は面白かった。
>>101
>最近は阿波説がクソ
最近は阿波説が最強! ってことを言ってるんだな。 ワハハハハは @阿波 >>117 まあ涙拭いてうんこ食べろよ泡パーwwww
で、こういう三國の争いや呉と越の争いやらの中で、越から東シナを渡り九州に逃げて来た人達が国を作り、それが邪馬台国だというのと、元々天から降ってきた人達が奈良にいてそれが邪馬台国だと罵りあうのが論争とされてる。
ただこれはこれで実に深い話なので興味ある人は、色々調べて考えてみるといいよ、なんせお金を使わなくなる。
>>119 こらこらまず糞を食え近畿パーw
畿内説は否定証明完了済み
糞食い近畿パーは何引き分けみたいにしようとしてんのこのカスwwwww
だってそうは言っても近畿パーってカタワのカス野郎なんだもん。
え?何も言ってなかった?
w
倭が文字を使えなかったなんてことは無い
当時の硯が発掘されている
三国志では、蜀・劉備が主人公、魏・曹操が仇役、呉・孫権が脇役の扱いで、
劉備は「仁義の人」、曹操は冷酷非情な奸雄として描かれているが、
この扱いには違和感がある。
三国志に描かれていることだけを見ても、劉備は自分を保護してくれた
恩人から国を奪うことを繰り返して蜀を建国するし、諸葛亮以下の
優秀な部下を持ちながら、それを生かせず国を衰退させる。
それに比べ、曹操は公言したことは実行し、はるかに言行一致の人だ。
>>80 民族の思考の違いだろうけど
日本人は蜀に魅力が行きがちだけど
中国だと曹操と蜀に真っ二つに別れる、だから曹操の人気も高い
アメリカも曹操の人気が高い傾向にある
たぶん、統治能力、人材運営がほかより素晴らしいからだと思う
>>69 実際黄忠のが働いてる
趙雲の後世評価は子孫やらの贔屓目が大きい
長坂で阿斗を救ってはいるけど単騎駆けはしてないし
でも趙子龍と言う名前といい、控え目で出しゃばらず忠義に篤い設定といい、人気出ない筈がないチートキャラ設定
>>126 三国志は初期はみんなほぼ蜀にいく
ちょっと知り出すと劉備に嫌気がさして曹操格好よくね?天才じゃね?になって
もうちょっと調べるとやっぱり劉備もすごいよねに落ち着く
>>126 >統治能力、人材運営がほかより素晴らしいからだと思う
https://ja.wiktionary.org/wiki/ 說曹操曹操就到
說曹操曹操就到シュオ ツァオツァオ、ツァオツァオ チウタオ
は
>曹操のことを話すと、曹操がやってくる。噂をすれば影がさす。
>由来
>曹操は、後漢の武将・政治家で三国時代魏の事実上の建国者。
>三国志演義に代表される三国志伝承において、冷酷な悪役として認識される。
>情報収集力に優れていたため悪口など言えば、すぐに曹操が現れて殺されると恐れたことから。
つまり特高警察のようなスパイ組織を駆使して言論を弾圧してたのだ。
中国や東南アジアの華人・華僑の間で今でもよく使われてることわざだ。
で、史書、漢書など、中国古代史を読みつくし、日本書紀、古事記、風土記を読み漁った人達が、陳寿の書いた邪馬台国の方角が東か南で争っているんですよ。珍種もいるんですよ、そのうち出てきます。徳島だそうです。
>>80 キングの3人はあの人たちだろうけど、残りの一人が気になる
袁紹が本命そうだけど、袁術・劉表・劉焉・馬騰・張魯だと肩を並べるにはやや力不足に感じる
まさかの董卓?
いっそ南蛮王孟獲ってのもありかな
>>132 董卓はありじゃね?
しかし一応献帝っていっとく
>>131
今や、徳島が大本命だそうですよ。 @阿波 >>132 三国志トランプと言ってもめっちゃバージョンや種類があるんだよw
1番の使われてるキャラは
趙雲
2番手が関羽、張飛、周瑜、呂布
これがほぼトップ5に入る
種類によってはKは3君主に諸葛亮ってパターンもある
バージョンによって全然ちがうよ
邪馬台国は魏に朝貢したが、そのあとは一貫して晋とその後継の南朝に朝貢してるんだよな
北朝と交易した痕跡はあまりない不思議
伸竜の部分は
ダウンタウンにでも人形作り替えて
撮影し合成で地上波行けるかな。
川本喜八郎の弟子筋に頼んで。
半島南部も倭国だった時代だ。
中国語も朝鮮語も達者だったんだろうよ。
>>137 夷狄の王朝に朝貢して臣下の礼は取りたくなかったんじゃないの
横山光輝三国志で一コマで終わる官渡の戦いのせいでイマイチな袁ちゃん
>>126 単にその時流行ってる小説や漫画の違いだろ
中国の場合は、それに加えてその時の国策な
ちなみに演義じゃない国史のほうでは孔明さんとかどんな活躍してはるん?
統治、内政、戦争の計画、準備といった後方支援、各種アイテムの開発に秀でている
孟獲を屈服させてる実績もある
今回の三国志展示会で邪馬台国・卑弥呼ネタなんて方格規矩鏡のところであっさりと触れたくらいだよね。
>>3 原文でも「中国人」って文字列で書かれてるのか?
倭国乱は、倭国(阿波)国内での争乱。
中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、弱小の卑弥呼時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 トンデモ説は、あまりにも兵站を無視しすぎ。 @阿波
銅鐸の文様、製作方法などから分割消滅集約される様子
こんな感じで畿内、東海の銅鐸は2つに集約される
集約された銅鐸形式から考えられる1世紀初めの予想勢力図
右赤の近畿勢力 左青の東海勢力
卑弥呼が魏の前に公孫子に朝貢していた可能性もあり。
耳飾が特徴の近畿式銅鐸と
はみ出る横線が特徴の三遠式銅鐸
その両方の特徴を併せ持ったのが
滋賀県大岩山遺跡の全長135cm銅鐸
まんなかのでかいやつ
近畿と東海の2国が争ってからの銅鐸の合体は
魏志倭人伝に書かれる倭国乱れるからの共立と一致する
>>151 頭悪すぎ。「中華」以外に朝貢する意味はないだろ。
公孫氏は独立政権ではあるが「中華」ではないから朝貢するわけない
三国志時代の中国人が南と東の区別も付かなかったとするのが邪馬台国畿内説。
曹操の子の曹丕が初代魏皇帝、でその子の2代目曹叡から卑弥呼は親魏倭王を。貰っています。何処に住んで居たんでしょうか?魏志倭人伝の伊都国という国から水行20日で投馬国、そこから水行10日、陸行1ヶ月。これが罵り合いの中心なんですよ。興味ある人は参加ください。
>>145 それとは別に、鏡から見た三国と日本という展示コーナーがあったな
公孫氏の一部は日本まで逃げてきたらしく、神社も残ってるな
常世岐姫神社というのがそれ
トーハクでやってるのか
いいなあ、夏休みに行こうかな
>>155 九州説だと帯方郡から水行20日で投馬国、そこから水行10日、陸行1日で邪馬台国の都の女王国。
方角に関しては意図的に変えたんだろうな
呉の北 → 魏
呉の西 → クシャーナ朝(魏の同盟国)
呉の東 → 倭国(魏の同盟国)
方角を1ヶ所変えると魏の連合国で呉を取り囲む形になる
>>155
>魏志倭人伝の伊都国という国から水行20日で投馬国
なんで、ウソを平気をつくの?
「不弥国から水行20日で投馬国」 @阿波 魏志倭人伝では、南に狗奴国、東に国名不明地
後漢書范曄「一緒にしちゃえ」
>>159 そういう中国の学者は採用しない説を主張しても意味ないんだけどね
99%の学者は畿内説で、九州説はトンデモ系しかいないからそれで通るのかもしれないが
>>163
倭国乱は、倭国(阿波)国内での争乱。
中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、弱小の卑弥呼時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 トンデモ説は、あまりにも兵站を無視しすぎ。 @阿波 究極の放射説では、帯方郡の東南陸行500里に伊都国
確かなこと
@近畿ヤマト政権は 魏志邪馬台国を 自国とは無関係とみていた
A近畿ヤマトは 自国が 九州出身と思っていた
B近畿ヤマトは 唐人に 自国のもとは 漢のイト国だと言っている
Cイト国は 北九州にあって 魏志邪馬台国連合の構成国だったが
日向に移ったころ 独立したのだろう
邪馬台国卑弥呼に従っていたころを 高天原時代と呼んだのかも
>>165 そもそも大軍を率いて戦ったってどこに書いてあるの?
戦乱はあったが大軍で戦ったという記録はないな
>>168
>そもそも大軍を率いて戦ったってどこに書いてあるの?
どこにも書いていないよ。 それなのに、西日本一帯での倭国大乱を想定してるでしょ? トンデモ説は。 わははははは @阿波 >>167 『神功皇后紀』に『魏志倭人伝』が引用されているので
近畿ヤマト政権が邪馬台国は奈良だと認識していたのは明らかだよ。
『日本書紀』は神功皇后に卑弥呼と台与を一致させにいってる。
『日本書紀』によると
170年 神功皇后が産まれた
200年 神功皇后が即位
238年 神功皇后が朝貢 (卑弥呼が朝貢した年と一致)
269年 神功皇后が死亡
卑弥呼が女王になったのは184年頃と考えられているので
卑弥呼が産まれたのは170年頃(神功皇后が産まれた年)と推測できる。
※台与は13歳で女王になった。卑弥呼もそれくらいの年齢で女王になったと考えられる。
常世氏(赤染氏)は公孫淵を祀ってるが、この手の亡命漢人が半島南部経由で倭国まで逃げてきた時代でもある
ちなみに常世の本拠地は河内の方のようで
>>169 そりゃそうでしょ
大軍を率いなくても西日本一帯での倭国大乱は起こるからね
飢饉などがきっかけだと大軍はでないで全国的な乱は起きるよ
倭国大乱の痕跡は中国地方から東へと徐々に遷移する高地性集落かな
海の民だった北部九州が亡命漢人を受け入れ、それが東へと流れていった可能性もある
播磨風土記の天日槍は瀬戸内海ルートで姫路あたりに上陸しようとしてるな
>>172
>大軍を率いなくても西日本一帯での倭国大乱は起こるからね
中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、弱小の卑弥呼時代に 「小軍」 を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 トンデモ説は、あまりにも兵站を無視しすぎ。 ワハハハハは @阿波 戦国の七雄の時代でもそれなりの記録があるのに日本は本当に駄目だよな
魏や東晋の時代ですら自地域のまともな記録がなく、邪馬台国の場所も不明
完全に年代が合ってるから倭国大乱の原因はタウポ大噴火で間違いないだろう。
181年 タウポ大噴火
181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。
184年 黄巾の乱
181~184年頃 『梁書』によると「霊帝光和年中(178年 - 184年)」に倭国大乱が起きた。
184年頃 『三国志』によると卑弥呼が女王になった。
黄巾の乱のスローガン「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」は
空が噴煙に覆われて、空が黄色くなったことをあらわしている。
『三国志』のスタートも180年頃なので
三国志、倭国大乱、黄巾の乱、すべてタウポ大噴火がきっかけで起きたと考えられる
>>175 時期も意味も不明な記紀が正史だなんて恥ずかしいよなw
>>153 公孫に会いに行ったら既に滅ぼされてたから魏に行ったんだろ
ルートからして
魏に朝貢して王としての承認をもらおうとするくらいなんだから、そのバックには当時の漢文化に通じる一族がいたんだろう
武内宿禰とか言われた亡命漢人の一派は記紀よりもっと前の時代から大きな勢力になっていたのかもしれない
邪馬台国は今と同じで延々と魏に干渉しまくって
他所の国に戦争を撒き散らしていた・・・!!
>>175 魏志倭人伝に書かれてることは
日本に文字なし
ただ木を切り紐を結ぶだけ
だからなw
マジで文明レベルから全然違うんだろ
そこから文字が普及するまでに400年かかってるし
>>181
>マジで文明レベルから全然違うんだろ
そんな時代に、中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、弱小の卑弥呼時代に 「小軍」 を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。
トンデモ説は、あまりにも兵站を無視しすぎ。 ワハハハハは @阿波 >>167 @日本書紀では、卑弥呼を神功皇后とみなす記載がある
A紀元前660年に日向から移ってきたと書かれており、3世紀にはとっくに政権ができている
Bもっと成立年代が近い隋書には、魏志の邪馬台国は飛鳥時代の大和と同じと書かれている
C物証に矛盾した作り話にすぎない
>>14 あれ関羽の人形が祟るから公開しなくなったな
>>183
@日本書紀では、卑弥呼を神功皇后とみなす記載がある
解説:本当はよく知らないけど魏志に準じてさりげなく記載しておいた
A紀元前660年に日向から移ってきたと書かれており、3世紀にはとっくに政権ができている
解説:神武東征の痕跡無し。各地の伝承を時間軸上で直列に並べてしまったため紀元前660年となってしまったと思われ。
Bもっと成立年代が近い隋書には、魏志の邪馬台国は飛鳥時代の大和と同じと書かれている
解説:隋の時代より以前に纏向遺跡は消滅しており、当時の邪靡堆がどこなのかは不明。
また、邪靡堆を国とは書かれていない。
C物証に矛盾した作り話にすぎない
解説:まさに畿内説がそれです。単なる妄想だった模様(過去形) 卑弥呼を神功皇后とみなす記載?
そんなのあったかな?
魏志倭人伝(280年ごろ)
>倭國亂 相攻伐歴年
後漢書(5世紀ごろ)
>桓 靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主
倭国大乱て言うけど一番古い三国志だと倭国乱れるとなってる
ものすごい戦いがあったんじゃなくて軽い小競り合いだったと思うよ
最終的に共立してるし
神功皇后の伝承は元々あったようだ
ただ、各氏族の色々な伝承を無理に時系列にしようとした結果混乱が起こっている
紀元前後は九州北部を中心に鏡などが発掘されるが、邪馬台国の頃になると畿内中心の分布に遷移はしている
銅鐸を鋳つぶして鏡にした国産鏡もあったようだ
日本書紀の神功皇后の年代記には、即位39年、40年、43年に魏志によると倭女王が魏に使者云々という話を記載
即位66年に、晋の起居注によると倭女王の使者が来たという話を記載
干支を繰り上げて、神功皇后を卑弥呼の時代に合わせたのでは、という話もあるな(神功皇后の時に百済の肖古王が出てくるが、これは四世紀半ばの人)
まあそれ以前に、晋の時代の時は卑弥呼は死んでるけど
>>189
>ものすごい戦いがあったんじゃなくて軽い小競り合いだったと思うよ
>最終的に共立してるし
うん、だからトンデモ説は、へたな妄想過大。 @阿波 >>186 A「近畿ヤマトは 自国が 九州出身と思っていた」という元のカキコミに対するレスであって
日向から移ってきた時期は紀元前660年の認識だという意味だ
そう書かれているだけで、史実だとは言ってない
B日本の教育を受けた人間なら、飛鳥時代の都が大和に置かれていたことは誰でも知ってるはずだが?
裴世清の記述などは、日本書紀と隋書で一致している
しかも纏向遺跡が消滅云々とはまったく意味不明
奈良盆地の中で転々としてただけのこと
Cイト国が日向に移ったとは全く根拠がないが
畿内説が作り話だと言うのはただの誹謗中傷
神武東征は神武らしき人物が九州を平定した事を指す
その時期は魏志倭人伝の時代より前とは限らない
卑弥呼と神功皇后は別人
三国時代かもだが、五胡十六国時代や南北朝時代も中国はかなりカオスなんだよな。戦争のために異民族を引き入れまくったもんだからもう滅茶苦茶
<<@日本書紀では、卑弥呼を神功皇后とみなす記載がある
<<A紀元前660年に日向から移ってきたと書かれており、3世紀にはとっくに政権ができている
<<Bもっと成立年代が近い隋書には、魏志の邪馬台国は飛鳥時代の大和と同じと書かれている
<<C物証に矛盾した作り話にすぎない
1 神功皇后を 魏志にある 卑弥呼になぞらえるのは無理 それぐらい誰でも分かる
2東征が紀元前の話だというのは 歴史を飾る嘘だとは 誰でも知ってること
3中国人は 近畿ヤマトが魏志の邪馬台国の末裔だと書いてるが 肝心の和人は 違う イト国の末裔だと言ってる
4近畿ヤマト=イト国は完全に歴史文献や考古学物証と矛盾しない見方だ
希望の友で読んでたな横山光輝三国志
紅巾党〜劉備玄徳あたりで挫折
>>178 公孫に会いに行ったという記録がないから却下
公孫が完全に滅びる前にすでにルートは確保してて中華(魏)に会いに行ったと考えるほうが自然
>>54 三国志のことならなんでも知ってるとか?
結局最後は張飛の墓番?
ここは三國志が好きな人達のスレだから、たまには争い離れて三國志の話したら、日本の歴史と合わせながらでいいから、三國志の時代、阿波は何やってたのよ?
>>197 1邪馬台国と別の国という認識をヤマト政権は持っていない
魏志倭人伝に記載があるから、卑弥呼を神功皇后とみなして日本書紀に記載したまでのこと
2元々は、ヤマト政権の認識について書いてたはずだが、史実がどうなのかと論点をすり替えたのか?
それなら神武東征が3世紀後半以降の史実だと証明すればいい
3旧唐書のことを言ってるなら、邪馬台国の時代から数百年もあとに、日本人が3種類の話をしただけのこと
中国人はそれを信用しなかった
しかも、イト国の末裔などとは、どの文献をどう曲解してるかも不明
4言い張ってるだけで、客観的には根拠は皆無、物証も皆無
むしろ、物証に矛盾している
邪馬台国なんて女王だから国がまとまってて
死んで男が王になったら乱れて
代わりに13歳の少女が継いだらようやく収まったんだろ
男系の日本とは違う世界観だよね
>>205 それこそが嘘。関羽は神様として崇拝の対象であり、曹操の子孫を名乗る曹さんは中国に大勢いる。
>>203
>三國志の時代、阿波は何やってたのよ?
三國志どころか、前漢時代から中国と交流していたよ。 わははははは @阿波
破鏡(異体字銘帯鏡)
中国前漢朝時代の様式である青銅(銅と錫の合金)製の鏡が出土した。
http://tokudaimaibun.jp/pdf/rist/syo/syo17cyuuou.pdf 3世紀初頭の前方後円墳
奈良県桜井市 纒向石塚古墳
徳島県鳴門市 萩原1号墳、2号墳 ←
3世紀前半の前方後円墳
滋賀県東近江市 神郷亀塚古墳
兵庫県姫路市 山戸4号墳
岡山県総社市 宮山古墳
宮崎県西都市 西都原81号墳
阿波は真っ先に近畿に服従した忠実な属国
卑弥呼が使者を送ったのは五丈原の戦いから4年後だけど、まるで日本の戦国時代のように生き生きと描かれる
三国志の世界と、邪馬台国の場所すら特定されて居ない当時の日本では絶望的な差があったと痛感する
>>207 曹操の子孫を名乗る曹姓のおっさんと曹操の墓とされる墓にあった遺骸を
DNA鑑定したら同じY染色体が検出されたってニュースが割と最近あった。
>>186 日本書記で、卑弥呼を神功皇后とみなす記載があるかな?
どの部分だろ?
まあ確かによく言われることではあるが
未婚で、誰にも合わない、鬼道を使う卑弥呼と、
結婚した皇后で、熊襲や三韓征伐したり、応神天皇産んで摂政になった神功皇后ではぜんぜん違うと思うんだけども
>>209
徳島県鳴門市 萩原2号墳は、前方後円墳の原型墓だよ。 なに言ってんの?
自慢そうに、お墓を列挙してるけど、それら全部、「忌部はん」 のお墓だよ。
古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、一目で「忌部はん」 のお墓と判るのに、いつまでもwww @阿波 阿波は隔離地
奈良は「平和の神」である大物主神が祀られていて
阿波は「災害の神」である大和国魂が祀られている
どちらが首都かは明らか
災害の神の地が首都のわけない
なんか売ってる横山三国志グッズが最高にキャッチーらしいなw
魏の皇帝曹叡が239年1月22日に崩御してその日のうちに
新たな皇帝曹芳が即位して新しい補佐として曹爽・司馬懿がつく
曹叡が危篤になってから崩御まで時日時があったことで
いろいろと決められたと思われ
>景初二年六月、倭女王は大夫、難升米等を遣わして郡に詣り、
>天子に詣りて朝献せんことを求む。
>太守、劉夏は吏を遣わし、将(ひき)い送りて京都に詣る。
>その年十二月、詔書が倭女王に報いて曰く。
238年6月から12月の間となってるけど
239年という説が有力でそうなると
新皇帝曹芳に最初に朝貢したのは
卑弥呼の使者だった可能性が高く
新皇帝曹芳と新補佐の曹爽、司馬懿はおおいに喜んだと思われる
>>213
>奈良は「平和の神」である大物主神が祀られていて
それを祀ったのは、倭国(阿波)の「忌部はん」 だよ。 なに言ってんの? @阿波 >>203
>三國志の時代、阿波は何やってたのよ?
三國志どころか、前漢時代から中国と交流していたよ。 わははははは @阿波
破鏡(異体字銘帯鏡)
中国前漢朝時代の様式である青銅(銅と錫の合金)製の鏡が出土した。 晋書に西晋の司馬炎が皇帝になった266年に
台与が西晋に朝貢したと書いてる
曹芳への朝貢のタイミングもそうだけど
倭国はかなりアンテナを広げていたと思われる
前方後円墳の時代比定がなあ
正直どこまで信じていいのか
司馬懿-司馬師(兄)
-司馬昭(弟)-司馬炎
三国志ファンも劉備が死んだあとのことはよく知らない人多いよな
老人孫権がすごくいやなやつになるよ
三国志の魏書東夷伝倭人条だから、一応三国志と絡めてもいいけど
まあ魏に朝貢してきた地方にはこんなんがありました、てな感じで
本編には基本的に絡まないからなあ
>>205 中国だともっと古い時代の歴史などが人気なだけで
詳しくない事はないよ
普通に観光名所だし有名武将の名前は知ってるし書籍も売れてる
ただ日本おける幕末や戦国みたいな主力の人気ではなく
鎌倉時代みたいな人気がない訳じゃないが中途半端な人気なだけで
>>220 孫権は「晩節を汚した」「老害」の例として簡単にだけど触れらてる事が多いから多少知ってるんじゃないかな。
>>220 知らないのは孔明が死んだ後だろう
吉川はそこでぶった切りだし、横山もダイジェストになるし
その後はあまりおもしろいものでもないから、物語的には順当な扱いだなけれど
>>205 中国は名字が同じなら同族って考え
自分と同姓の人物なら知っててもぜんぜんおかしくない
>>227 初めて会った相手でも同郷、同姓なら酒場へGOして我等今日から義兄弟!って国だものな。
>>207 孔明の末裔達が住んでる村もあるしな
そもそも、国策として三国志演義の観光地を色々作ってるし
学校で少し習うのに知らない訳がなかろうにな
中国なら岳飛の方が有名なヒーローって感じがする
文天祥もだろうか。文天祥は幕末の日本じゃえらく人気だったけど
卑弥呼は三国志(歴史書のほう)の登場人物
魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝倭人条
>>216 それを祀ったのは崇神天皇です。
日本書紀に書いてあります。
日本語は、中国語を利用したピジン語として形成されている。
日本語と朝鮮語は文法的によく似ているとされるが、共通して
利用されている漢語を除くと、発音とイメージの関連が大きく
違っていいる。
このスレは三国志マニアと邪馬台国マニアのどっちを狙って建てたんだ?
>>232
>それを祀ったのは崇神天皇です。
どうでもいいけど、その崇神天皇も「忌部はん」 だよ。 わははははは @阿波 曹操の墓発見ってガチだったん?
朱然の墓の出土品もあるのかな?
見に行ってみるか
>>64 本宮ひろ志で貂蝉ファンになる(なぜか呂布の妹だw)
アマテラス=卑弥呼説はヤマトを矮小化しようとしている
三国志で邪馬台国語るの頭悪そうだから止めて欲しいんだよな
お前らだけじゃなく学者連中もな
陳寿「最近東方辺境を旅してきた人に会ったって人が都にいたから話聞いて記述しといたよ」
また聞きのまた聞きだぜ
>>236 三国志のスレはワイワイしてるが
邪馬台国のスレは殺伐としてるぞ
>>239 あれはどうやらガチモン
夏侯惇だろうって言うやつ居るけど
実は夏侯惇の墓は、宅地造成される時に調査されて壊されてるから(笑)
近くに夏侯名義の墓が2つ程見つかってるし
>>92,
>>110,
>>105 史実かどうか知らんけど、孔明に南蛮征伐された雲南省の
人たちは孔明大好きだよね。
お茶を伝えたとか鋤をもたらしたとか、そこかしこに伝説があるw
いい加減「卑弥呼」って書くのやめろよ
これはは中国が付けた蔑称だぞ
正しくは「日御子」または「日巫女」
>>244 ガチのようですね ありがとう
しかし盗掘した輩がいたんかい…
>>247 姫巫女説もある
こっちっぽいような気がするな
ヒミココなんてのもいるし
>>247 正しくは当時中国は存在してないし本邦では漢字を使ってない
>>205 多分日本人のほうが詳しいと思うけどその人が詳しくないなんて断定できないぞ
>>171 その残党をつかまえて、魏に渡したのが
生口なんだな。244年8月,毋丘俭もまだ
高句麗で戦ってるし、なかなか安定していないのが、
わかる。
>>248 そもそも、盗掘した人がフリマで捨て値で売ってた所から始まってるんで(笑)
観光出来るようにしてるみたいだから、もう少ししたら見れるかもね
そうそう、当時の色とか付いてたりすると、発掘すると劣化して壊れるからラップ巻いて保存するらしいよ
三国志時代の魏の役人は東も南も区別がつきませんでしたが邪馬台国畿内説。
魏は245年に高句麗をボコボコにしてる
これによって半島ルートができて
248〜249年?張政が邪馬台国が建業の東の海にあるかのように
報告書に書いて呉を包囲する作戦を提案したと思うんだよ
ただ247年と249年の姜維による北伐
249年の司馬懿のクーデターで曹爽一族の壊滅(高平陵の変)
とかあって張政の建業包囲作戦はお蔵になったというか
どのみち不採用だったと思うんだよね 赤壁で水軍は失敗してるし
>>220 陸抗とか羊?とか施績とか杜預とかあのあたりの時代ですかな
潘竣や顧雍あたりが一番いい時期に世を去ったんだろな
>>10 全巻持ってるよ
ドラマでも日本は中国に負けちゃうのかよって思ったわ
三国志と邪馬台国の関係性ってどうでもいいんだよね
趙雲さえいればどうでもいい
>>253 魏志倭人伝の方角に誤りがあることさえ知らないで、間抜けなイチャモンをつけてる九州説論者
248年あたりに卑弥呼の名前で狗奴国(熊本市)との戦いで困ってると
魏の帯方郡に倭国の使者がくる
そして帯方郡太守は張政を派遣して
張政は伊都国(福岡県糸島市)に来る
張政が伊都国にきたら卑弥呼は死んでて台与が新女王になってた
張政は狗奴国(熊本市)に対する対応を
奈良にいる台与に公文書で教え諭して伊都国で返事を待った
この間すごく日時があったらしく張政は伊都国で倭人を観察する
報告書を書くんだけど
>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。
なんてでたらめを書く
そして台与が用意した20人と共に帯方郡に帰る魏志倭人伝
この張政が邪馬台国が建業の東の海にあるかのように
報告書に書いた可能性が一番高い
方角がおかしくなったのは建業包囲作戦をやって
手柄をあげたかった張政のせいだと考えてる
そしてこの張政の報告書を鵜呑みにした陳寿はこう書いてる
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。
>有無する所は?耳、朱崖と同じ。
持っている物、いない物は?耳、朱崖(海南島)と同じである。
>倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
倭地を考えてみると、遠く離れた海中の島々の上にあり、
離れたり連なったり、巡り巡って五千余里ほどである。
はいぜんぜん違う〜
>>257 趙雲いいよなあ。白馬のイケメンw
どうでもいい話だが、俺の中では
「三国志」の趙雲
「三銃士」のダルタニアン
がどうも被るんだよね。
本人も超絶な力を持っているんだけど、先輩3人が化け物級なので、
なんとなく地味に見えちゃう後輩キャラw
>>137 漢民族こそ正統な中華の主人と考えていたからだろ
九州が衰退したのも唐と対立したから
>>247 だから蔑称じゃ無いつってるだろ。
大体が卑弥呼の墓の祇園山古墳をあんな状態にしといて
蔑称だケシからんとかカタワかよw
>>253 そうなんだけど、それ以前にもう畿内説は完全に否定されちゃった。
最近の学者は奈良から徳島に乗り替えたってところ話ではないのか?
曹操好きの大半は反発に憧れを抱く中2病患者のまんま
大人は一周してやっぱ劉備だよな、となる
孫権好きは変態
>>260 九州のことじゃん
台与の時代も邪馬台国は九州
>>261 一応はイケメンらしいな
他に取り柄はないけど
孫策、周瑜、荀ケあたりが顔面偏差値は高いな
まぁオクタヴィアヌスたんが世界史上最強のイケメンだがな
お姉さまも絶世の美女だし
イスカンダルの双角王くらいかなライバルは
倭って朝鮮半島にあったんだろ
2-3世紀に、倭人1000人単位で列島から難民として半島に来たり、しょっちゅう半島の国に攻め入ったりするのは、負可能だよ
>>246 あっちの伝承では何度か孔明に勝ってたり結構いい勝負したことになってるのが微笑ましい
>>96 当時の朝鮮半島は楽浪、真蕃、臨屯、玄菟
韓民族の国は東南部にしかなかった
>>273 魏志倭人伝に半年南部が倭人の国の北端と書いてある。
任那日本府の時代まで鉄鉱石を採取して製鉄しインゴットにして九州に運んでいた。
>>270 リーダーとしては曹操の方が好きだけどな
劉備も好きだが、やっぱり五虎将軍と孔明先生が居てこその劉備だからなぁ
>>272 「美周郎」周瑜が三国志で一番なんかな。
美男子で頭も良くて武力もあって音楽もできる完璧男子。
孔明なんぞキライじゃ。
>>275 7回負けて掴まった人とかいたけど、あっちじゃ孔明が7回負けたことに
なってるらしいw
>>272 美形というだけなら五賢帝のハドリアヌスのアッーい人であるアンティノウスも
ホモだけど
美形かつ有能なら、チェーザレ・ボルジアも中々
>>284 唯一の難点が息子の出来…ですかね
あんまり鵜呑みには出来ないんですが
>>270 ポジション的には劉(王章)とか
張魯だな
天然の要害に守られた、身内や信徒だけの
引きこもり国家
>>284 実は家柄もいいw
なんだこの完璧超人
>>286 なぁに、アレクはバイだ
たいした問題じゃない
でも政治家でも軍人でもない人はちょっとw
>>170 ほかと書き方が違う
日本側資料に基づく部分に、後から付け加えて挿入し、考察を加えている
つまり言語学でいう「知識表明文」と「推量判断実践文」の違いがある
>>290 たぶん、その完璧超人がやり込められる話を読んで、
「ザマァw」と思うのが、何の取柄もない一般庶民の娯楽だったんだろうな。
まあ、気持ちはよくわかるw
どうもメチャクチャ書いてると思ったら、ツアコン上がりの雑文家かw
>>286 周瑜には孫策
チェーザレにはミケロットですか
お友達に恵まれてるよなぁ
>>290 チェーザレ・ボルジアなら政治家かつ軍人かつ
当時の人に、美形認定されとるしな
マキャベリが絶賛する手腕もあった。最後は失敗したけど
残った肖像画は死後に描かれたものだが、それでも美形
若干馬面だけど
昔は横山光輝三国志の周瑜がそんなにイケメンじゃない事が不満だったが、今考えるとちょび髭さえなかったら問題なく美男子であった
>>194 大和国の都のうち、纏向はだれ天皇のどれ宮だ?
>>296 ミケロットはチェーザレ死後、色々雇われたけど、あまり活躍せずに
最後は暗殺、だったかな
ある意味節をチェーザレに立てた将軍だったなあ
>>300 兄貴と親父に振り回された可哀想な人、てイメージ
飯田の川本美術館にいくと、いやでも三國志に関心もつようになる
自分は三國志よく知らなかったし人形劇のフィギュアにも関心ないが
裁縫趣味があるので人形の衣装に惹かれそれから三國志を読み始めた
「〇〇が××であることも知らないで」論法を使い始めると何でも言えてしまう件
>>291 『日本書紀』の編纂者が卑弥呼(神功皇后)を重視した証拠だね。
他の天皇の年代がおかしくなっても神功皇后と卑弥呼だけは一致させたかったことがわかる。
呉があんなに突っ張るからグタグタなった
孫権が劉備に禅譲しとけば蜀の天下統一で決まりだったのに
鳴門市・板野郡(旧板野郡)には,きわめて重要な遺跡群がある。 このような特異な遺跡群は畿内にも九州にも存在しない。
萩原墳丘墓・・・前方後円墳のルーツ,2号墓で中国鏡の破片・中国の朱,1号墓で画文帯神獣鏡の副葬
阿王塚古墳・・・2面の画文帯神獣鏡の副葬(宮内庁所蔵の優品)
天河別古墳群,西山谷古墳群・・・国内最古級の古墳を含む古墳群
黒谷川郡頭遺跡・・・朱の精製,弥生後期〜終末期の県内最大級の規模の住居遺跡
鳴門市大代古墳・・・甲冑の出土
これらの遺跡群の真の重要性はまだ一般には知られていない。 @阿波
>>305 正史である三国志を重視したことはわかる
>>273 朝鮮半島南部にも倭国の領土はあったよ。
正確には氷河期のピークが終わって朝鮮半島が人が住めるような温暖な気候になってから
最初に国を作ったのは倭人と思われるが
朝鮮半島よりも南にある九州のほうが人口爆発した時期がはやいからね
「〇〇の重要性はまだ一般には知られていない」論法を使えば何でも言えてしまう件
日本人なのに信長の野望やらないで
三国志ばっかやってるやつなんなの
邪馬台国=邪などという当て字
卑弥呼 =卑しい巫女
差別用語を与えられて、ありがたがっているのは日本だけ
>>308 だからその三国志は神功皇后紀に引用されてるでしょ
『日本書紀』の編纂者が卑弥呼(神功皇后)を重視した証拠
>>313 だから三国志を重視したことはわかる
それだけ
>>314 ジンギスカンは頼朝選べるからセーフだよな?
アイツあの年代だと死んでたような気がするが
three Kingdomsで曹操を魅力的、人間味あふれた描写は評価する
演義とか日本の書物は曹操大悪党としか書かれてない
規制すんな
で贔屓の引き倒しは自分には分からなくても贔屓は贔屓
>>310
本論を批判できないから、どうでもよいことを批判する件。 @阿波 >>7 当時の14800円は現在の貨幣価値に換算すると(´・ω・`)
本論では反論できないから、「どうでもいいこと」としか反論できない件
>>323
鳴門市・板野郡(旧板野郡)には,きわめて重要な遺跡群がある。 このような特異な遺跡群は畿内にも九州にも存在しない。
萩原墳丘墓・・・前方後円墳のルーツ,2号墓で中国鏡の破片・中国の朱,1号墓で画文帯神獣鏡の副葬
阿王塚古墳・・・2面の画文帯神獣鏡の副葬(宮内庁所蔵の優品)
天河別古墳群,西山谷古墳群・・・国内最古級の古墳を含む古墳群
黒谷川郡頭遺跡・・・朱の精製,弥生後期〜終末期の県内最大級の規模の住居遺跡
鳴門市大代古墳・・・甲冑の出土
これらの遺跡群の真の重要性はまだ一般には知られていない。 @阿波 >>283 曹操は死ぬまで戦略家だったが晩年の劉備は関羽失ったあたりから急速にブラック化して自滅
なお死ぬ直前は孔明に全権を託すだけの分別を取り戻した模様
『日本書紀』は神功皇后と卑弥呼・台与を一致させようとしてる。
『日本書紀』によると
170年 神功皇后が産まれた
200年 神功皇后が即位
238年 神功皇后が魏に朝貢 (卑弥呼が魏に朝貢したのも238年)
265年 神功皇后が普に朝貢 (台与が普に朝貢したのは266年でわずか1年の誤差)
269年 神功皇后が死亡
卑弥呼が女王になったのは184年頃と考えられているので
卑弥呼が産まれたのは170年頃(神功皇后が産まれた年)と推測できる。
※台与は13歳で女王になった。卑弥呼もそれくらいの年齢で女王になったと考えられる。
記紀の中で古事記は国内向けに天皇家の正統性をPRするツールで、日本書紀は中国向けに大和朝廷の正統性を主張するツール。
つまり魏志倭人伝に書いてある卑弥呼や台与を天皇家にして、かつて朝貢した邪馬台国と同じだと工作した。
つまりそういうことだ。
>>154 狗奴国が邪馬台国の
南説が宋版魏志倭人伝で
東説が後漢書東夷伝
>>194 「紀元前660年」は辛酉革命説による捏造
●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「 日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ 」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。
●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま 。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。
◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant ◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです 。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?
ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm
ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php >>329 九州にあったことにしたいために、でっち上げたデタラメ妄想
九州説ってこんなやつばっかり
>>329 申し訳程度に山門国の田油津媛出してるのが泣ける
日本人なら三国志関連でまた中国寄りにでもなるとアルどもが安易に考えてるのだろう。
>>337 畿内にあったことにしたいために、でっち上げたデタラメ妄想
畿内説ってこんなやつばっかり
>>312 卑字の考えは誤り。
一番分かり易いのが邪馬臺の臺。
これは皇帝が居る場所と言う意味があり、卑字などでは無い。
日本語のピの音を聞いて中国人は卑の字を一番最初に思いつき易かったということなだけ。
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
何で邪馬台国ジジィは何処でも空気読めずに
ボクの邪馬台国始めるんだろ?
社会に居場所が無いのかもしれないけど、もう少し空気読め
でも一番好きなのは三好徹の興亡三国志
ゲームではナムコの三国志
卑字の考えは誤り。
一番分かり易いのが邪馬臺の臺。
これは皇帝が居る場所と言う意味があり、卑字などでは無い。
中国には外国の地名や人物名に中国の漢字を当てるときに使う辞書のようなものがあり
それを使って漢字を当てただけ。
日本語のピの音を中国人が聞いた時に、その辞書を見たら項の最初に卑の字があった、それだけのこと。
むろん外国の名前だから配慮を余りせずにややぞんざいに扱ったと言う面はあるかも知れないが
ことさら選んで卑字を使ったと言う考えは明らかに誤り。
大体、記紀に伊邪那岐だの伊邪那美だの書いてるのに何を言うかって話しでもあるし、
卑弥呼の墓の祇園山古墳をあんな扱いしておいて、
崇神の墓である箸墓をモモソがどうの卑弥呼がどうの散々不敬な言動とっておいて
何を言うかって話し。
>>284 荀ケも葬儀にいかせるのが適当って言われたらしいから分からんぞ
それに当時のイケメンは姿が立派ってことだ
荀ケは化粧していい匂い漂わせてたらしいから自分は荀ケに1票ww
>>351 三国志の一番終わりの時期だね
曹操も劉備も諸葛亮も死んだあとで、孫権と司馬懿が爺さんの頃
>>354 ほぼ三国志関係ないレベルの時代だな
邪馬台国とは無関係で話し終わり
邪馬台国なんざどうでもいいわ
当時の日本なら曹豹ひとりに無双されて滅ぼされそうだよな
しかし司馬氏も八王の乱でズタボロになるのであった・・・
>>333 本物のユダヤ人は縄文人の末裔としての日本人には興味がないだろう
でも弥生人=中華民族の枝分かれとしての日本人には興味あると思うよ
中国にイスラエルが公式に認める12氏族の末裔がいるのは有名な話。検索すりゃ出てくる
その集落の一部がかつて、日本に最も近い中国である江蘇省、浙江省にあったんだ
中国から日本への移民は江戸までずっとあったからね
>>1 今ちょうど吉川三国志を30年ぶりに買いなおして毎晩1節程度ずつ
読み直してるんだが、ハズキルーペ買ってしまった orz
で、誰か 物語中の人物の所在地や移動状況を地図上で年月別に線で表示したり
画面クリックするとその周辺の状況がわかるとか、人物名で検索できるとか、
そんなPC用アプリケーション作ってくれないもんかね・・・
Googleマップ連動で現在の地名、当時の地名両方わかるような感じで。
>>362 お前が1番要らんわカス
近畿?邪馬台国?
三国時代から周回遅れの時代が同列にすんなカス
>>361 KOEIに提案して見ては?
大手旅行会社とか
>>128 趙雲は兵としては優秀てタイプ。典偉とか許褚みたいな物だろ。将軍としてはあまり良いタイプじゃなかったから、後発の黄忠や魏延やらの方が出世が早かった。
ふつうなら、関羽や張飛に次いで古参の将としてもっと早く出世してたろう。
子孫の残した「趙雲別伝」が悪い。実際以上にマンセーしたのを後世で真に受けてしまった結果、今の趙雲の評価になってしまった。
>>366 都市はともかく野戦場の比定はかなり難しいんじゃないかなー。
三国志好きなやつによくあることだが
「最後がどうなったか知らない」(諸葛亮が死ぬのは知ってるが、それ以降を知らない)
周瑜「ふふふ、孔明どの、なにか策があるのでは?」
孔明「周瑜どのも策があるのでは?」
周瑜「ならば、てのひらに書いて、一斉に見せましょう」
孔明「そうしましょう。では……」
周瑜孔明「えいっ!」
三国志好きなやつによくあることだが
曹操が活躍してる場面を全く知らない(横山光輝版しか見てない)
呂布最強!
関羽って巨乳女子高生でしょ?
>>372 京アニの放火事件で大変な事になってるのにチョット不謹慎w
>>373 一時期中国人が嘆いてたよ、関羽で画像検索すると巨乳のネーチャンばかり出てくると。
>>309 その国ってのは、列島の国が作ってかつ支配してたの?
それとも半島の倭人が勝手に作って自分で支配してたの?
>>343 >>349 歴代中国には「闕(缺)字/闕(缺)画」という伝統があって
12世紀宋版の魏志倭人伝の卑弥呼の「卑」は
第一画の「ノ」が闕(缺)画となっている。
「卑」という漢字が必ずしも軽蔑を表わす漢字でないことは
12世紀版の魏志倭人伝の百有余年前に刊行された
広韻 上平声 第1卷 第28ページを見てもわかる。
(h)
http://www.cidianwang.com/guangyun/img/49128.htm 亦姓、蔡邕胡太傅碑有太傅椽鴈門卑整。
「卑」は姓にも使われた。
>>113 ID:HPnXLHwy
>>341 ID:76DynDab
ID:GEatDAXH
親日派の棄民白丁
>>373 いや横山光輝版って、フツーに曹操活躍しとるぞ
死ぬときの「欠点もあったが長所がそれに勝った」って評価通りの扱い
孔明の引き立て役になってるシーンばかり有名(特にネット上)だから、そういう印象になるのも仕方ないけど
>>365 お前が1番要らんわ
死ね糞食い
カスが偉そうに
なんか三国志のスレが連続しているな
それに釣られるオイラも
そういや、数十年前のエロ漫画狩り事件のとき、
書泉ブックマートのエロ漫画売り場が一夜にして、
「横山光輝三国志売り場」に変貌してたな・・・
>>380 いやホント、横山光輝版もちゃんと曹操活躍しとるぞ
呂布倒したのも曹操だし
「史実に比べたら」って話なら、たしかにかなり物足りないが
ただ、横山光輝版の曹操って苦戦してたり苦悩してるシーンの方が印象に残る事はたしか
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
なんだかよく知らないが、日本でも古代から中国語を話す連中が支配的な
勢力であったことは間違いないだろ。日本語は中国語の表現をピジン語として
使うことによって形成されている。あいうえおの「あ」から、中国語の
「岸(àn)」の発音とイメージを利用している。「お」は、凹凸の「凹(āo)」
の発音とイメージを利用しているし、「の」は、「隆(lōng)」の発音と
イメージ、その他、多数の例を挙げることができる。「く(刳)る」という
表現の「く」の発音とイメージ、「ふ(伏)す」という表現の「ふ」の
発音とイメージ、「○す」の「す」≒中国語の「使」、「食ふ」などの
「○ふ」という動詞の「ふ」≒中国語の「複/复」(ふた(二)つの「ふ」や
ふたた(再)びの「ふ」でもある)、その他、多数の例が容易に見つかる。
「〜する『な』」というときの禁止の「な」は、反語表現において
用いられた中国語の「哪(那)nǎ 」に対応し、日本語で「なに(何)」、「なぜ」
などの疑問に用いられる表現に現れる「な」でもある。
>>319 あれは割と史実よりみたいだな
正史でもはめ外して料理の皿に顔突っ込むだの陽気なオッサンだったらしい
なお丞相府で居眠りする部下を見つけると棒で殴りつけてた模様
「〜です『か』」という疑問を表す「か」も中国語そのものだし、
「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば」という学校で誰でも習う歌に
出てくる「ゆ」=「由」も中国語そのもの。
「わ(侘)びさび」の「わ」、「わ(我)が国」の「わ」、倭国の「わ」も
中国語の「微 wēi」の発音とイメージを利用したものだ。
土人国家邪馬台国情けない限りだわ
自国の歴史を文字で残す事すらできないとか
四書五経や史記がすでに中国にはあるというのに
three Kingdomsの役者みんなはまり役だったよな
曹操、呂布、関羽、魯粛、魏延、司馬懿
この辺は特によかった
>>371 自分は司馬懿仲達の勝利だと思ってる
そのあとゴタゴタして600年頃に隋(ほんの一瞬)唐って覚えてる
それくらいザックリやらないと近代まで辿りつかないw
>>400
涙拭けよ糞食いのカタワ近畿パーwwwww
で、卑弥呼とやり取りしてた時代は曹操だったの曹丕だったの?
調べたらきりがないから、そういうのはそうそうに切り上げてるけど
こういうスレが立つと気になるよなw
なんぼなんでも三国志と邪馬台国はなあwww
まあその卑弥呼が登場するのが「魏志」倭人伝であるように
そりゃ厳密にいやまんま無関係とはいえないだろうが
あれで三国志に日本が関係あるといわれてもにんともかんとも。
ってか親韓左派のウリに言わせれば三国志で一番読みごたえがあるのは
言うまでもなく諸葛孔明の孟獲をはじめとする面白軍団たる南蛮退治だがw
あの人外な南蛮カテゴリと同じだからね。東夷のジャップはwww
古日本が出てくる漢籍といえば「魏志」倭人伝か後漢書「東夷」伝、でしょ?www
>>392 バカ目www
>中国語の「岸(àn)」
「岸」がnganからanに変わったのは
13世紀クビライが即位したあとの中原の中国語。
しかし「使」は広島弁、岩国弁の「・・・てつかさい」と
関係ある鴨菜
関連語「中原音韻」=12世紀の始めの口語を反映した元曲の歌詞の押韻できる漢字字書。
隋唐音は切韻体系という文語音の正音、押韻字書体型で
その後中原を支配した自称漢民族が北狄と混血して
民族が更新される都度改定された。
これは朝鮮人のための中国語会話教科書「老乞大」でも同様に改訂されてる。
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
高校あたりの日本史の授業で邪馬台国のやってる時に
魏志倭人伝とか新魏倭王の印とか出てきて
先生が「これは三国志に出てくる中国の魏の時代で云々、あったでしょう三国志」と
横の話持ち出してくるとすごい混乱するのなw
日本史時系列で必死で縦に覚えてる時に、横から世界史やら中国史出すんじゃねーよと
思ってた
そういうの余裕をもって見られるようになったのは社会人になってからなんだよな
>>373 呂布さ、横山光輝漫画にきとんと出てて、そこだけB級恋愛小説みたいになってて、違和感あるんだよなw
昔ツタヤでも呂布だか呂布の恋だかっていうDVDが全巻10巻くらいあって
こんなところまで見てられんわと思った記憶がある
今まで見た三国志関連コンテンツどれも面白いから凄いと思う
・NHKの人形劇三国志
・横山光輝の三国志の漫画
・吉川英治の小説
・光栄の三国志ゲーム
・中国映画 レッドクリフ
・中国ドラマ Three Kingdoms
>>407 >「岸」がnganからanに変わったのは
浅いな。13世紀であろうと、nganからanに変わり得るということは、
その発音を用いる人々の間では、そのような変化がいつの時代でも
生じ得るということだ。そういう限定的/確定的な考え方が、文献主義
の限界。「岸(an)」という中国語の発音が日本語の「あ」に似ているという
単純な判断だけに基づいて、そのような主張をしているわけではない。
ちなみに、ガンバ大阪というJ1サッカー・チームに昔、大活躍した
「エムボマ」というカメルーン出身の助っ人選手がいたが、
本名に「エム」などという発音は含まれていない。日本語では
「Mboma」という名前をどう発音していいか分らないから、
エムボマになったのだ。
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
朝鮮語でも見てみるといい。「盧(lu)」が「ノ」になり、「龍(long)」が「ユン」
になっているだろう。自らの中国語の発音とその変化の常識だけで、すべてが
確定的に判断できるなどと考えるのが愚か。日本語で中国語を利用した人間が
中国語ではない多用な言語を話していたと想定しているから、中国語がピジン語
に利用されたと言っているのだ。
>双方の言語を操る通訳がいたとは思えず
数人は居たと考えるのが普通
>中国語と朝鮮語の両方を操れる者
シナ語は当然だが、「朝鮮語」?。そんなくまだ無い時代だぞw
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
>>361 昔、学研の歴史群像シリーズの付録で
よくその手の地図がついてたなあ
三国志のは、もうボロボロだけど今でも持ってる
>>413 そういうのは猿の浅知恵
住んでる民族、人種が変わってて
特に朝鮮人は言葉の先頭にあるngが発音できないんだわwwww
卑弥呼から魏晋までの時代の中国人は岸をngan
五をngo、疑や義をngiと発音してたが
今の北京に住んでる中国人や朝鮮半島の糞食いどもは
an、wu/o、yi/wiなどと発音してる。
もともと別の発音だった「安」も「岸」も区別しなくなった
八王の乱、永嘉の乱でいち早く華南に逃げ延びた本来の漢民族は
魏晋時代の発音を保存してるのだ。
秦の始皇帝、項羽と劉邦、三国志と違ってその後の時代はなぜ話題にならないんだ?
まだ朝鮮民族は、小便で手を洗ってた時代だろ、一番汚い民族と言われてた時代だろ
三国志に直接関係のある展示物は少ない。貴重なのは曹操の墓から出土した物が数点、日本初公開。
全体的には同時代の間接的遺物や後代の美術品が多い。
NHK人形劇の人形と横山漫画の原画も展示されているけど言うまでもなく考古学・歴史学上の価値は全く無い。
少し光量不足な物や金印とか小さな物もあるから普通程度のカメラがあれば便利。ただしフラッシュは禁止。
>華南に逃げ延びた本来の漢民族は魏晋時代の発音を保存してるのだ。
私は、日本語が中国語の表現をピジン語として利用することで形成された
と想定を述べているのであって、ピジン語を使っていたのが漢民族だったなど
とは主張していない。その反論自体が、ピジン語とはどういうものかを
理解していないことを示しているのではないかな。
英語のdenyは日本語の「でない」
ドイツ語のNameは日本語の「なまえ」
発音より漢字が先にあると信じ込んでしまい、しかも、系統論的にしか理解できなくなる。
すべての漢字は当て字だ。元の絶対的に正しい漢字などというものは存在しない。
先ず朝貢する為には漢語が使えないといけない。
金印は漢の時代に既に漢語を使って貢物と数量を記録していた事を示している。
朝鮮語とかバカだろ。
「全ての人間は非人間的だ」
「それを人間というのではないかね」
古代中国は尊敬できる
民族的に繋がっていない今の中国は論外
日本語は、中国語の発音とそのイメージを多用している。後に多用されるように
なった漢語については、朝鮮語と日本語で共通性が目立つが、それ以外の発音
とイメージの関連については、朝鮮語と日本語は大きく異なっている。
中原あたりの漢字音であったか、半島あたりの漢字音であったかは一つの問題
中国語が大元で、それが変化して日本語になったというような捉え方では、
中国語と日本語の共通性を認識できない。逆に、日本語自体が用いている
発音とそれが想起させるイメージを頼りに中国語を探ると、すぐに対応
する表現が見つかり、その対応する表現が汎用化されたことを容易に推測
することができる。
大野晋がタミル語起源説とか言い出したのは、結局のところ、中国語と日本語の
関係を隠蔽したかったのではないかな。岩波古語辞典の語源説でもやたらに
こじつけの朝鮮語起源説が主張されている一方で、中国語との関係はほとんど
完全に無視されていて、不自然過ぎる。
毎週同じような書き込みでスレ消費するの好きだな君ら
「古代日本語は中国語と関係がある」
「それぐれーみんな知ってるよトーシローが」
どのような漢字が使われているかばかりにこだわる人は、表記よりも発音の
類似性の方が重要であることを認識していない。漢字表記そのものが言葉の
関係を探るのに重要でないことは、日本語でも明らかに同じ語源の派生表現
にまったく別々の漢字が当てられていることからも分る。
「茶」と「ちゃ」と「चाय」では、表記はまるで似ていないが、発音は
とてもよく似ている。
>それぐれーみんな知ってるよトーシローが
専門家が知っていて、それが一般の人々に知らされていないのであれば、
それを隠蔽と呼ぶ。古語辞典を見ても、古文の解説書を見ても、中国語
と日本語の表現の関係は、漢語の場合を除いて、まったく説明されて
いないといっていい。古代日本語については、むしろ、大野晋の
タミル語説や、南方系民族の言語や北方系民族の言語との関係の示唆
のようなものばかりがとりあげられていて、意図的な誤誘導があからさま
に行われている印象が強い。
>>427 ピジン語
洋泾浜原是旧中国上海租界里的一条河名,
那一带华人洋人杂处,语言混杂,
流行着夹有汉语成分的英语,被称为洋泾浜语。
后来语言学中也用来泛指混合语。
「魚は、現代ではウオと読むが、地方ではイオといったり、古代にもイヲと言った。これは中国語のngioと関係がある」
「ふーん。他に疑母とイの対応ってないの?」
「語は現代でユー、イウという。これは中国語のyü…」
「おいおいちょっちょっ」
上野、国立博物館の特別展はいつ行っても満員
大雨の平日でも行くかなww
「梅は今ではバイと読むが、古くはm音だった。日本語のウメ、ムメは、中国語と関係がある」
「で」
「キクも中国語の菊と関係がある」
「そりゃそうでしょ」
>>449 そういうやり方は、表現の対応関係の探り方そのものを知らないと言っていいし、
さらに言えば、言葉の表現とはどのようなものであるのかを理解していない。
>>420 あれは当時としては良かったな
戦況図とか都城再現とか大好きだったわ
ウガヤフキアエズはかなで漢字では無い、ウガヤ王朝の時代にはかなが使われていただろ、ひみこもかなだよ、ひみ、ひみこで当て字が卑弥と呼ばれてたか、卑弥呼かだろ
>>416 南朝鮮人は焼き肉食いすぎて
脳の血管に脂が詰まった脳梗塞のせいで
聴覚が可笑しくなった異常体質。
西城秀樹も脳梗塞繰り返していただろ。
民族病だ。
>>429 英語のeachは日本語の壱
英語のkneeは日本語の二
英語のsunは日本語の三
英語のseaは日本語の四
英語のgo日本語の五
英語のrockは日本語の六
後略
>>437 もしかして戸籍を元に人口減って漢人は絶滅したとか言いたい感じ?
それ違うからね。
戸籍人口=納税人口
戦争嫌った農民が国の力が及ばない場所に逃げたり、豪族の下に入って納税者が減っただけの話。
>>451 梅をバイと読むのは唐代長安の発音が
mbaiだったから
呉音はマイ
だからニニギにニギハヤヒなんて新新羅に新羅速日で間違いないな。いつ入れ替わったんだろうな?
>>1 行軍の兵糧 == 人肉
易姓革命のたびに人口激減
大体お前ら
唐会要に
事実上邪馬台国は九州だって書いてあるの知らなかっただろ?
そういう状態だぞ。
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
「丹」の採れない九州に、邪馬台国があるはずが無い。 以上。 @阿波
「丹」の採れない九州に、邪馬台国があるはずが無い。 以上。
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
言葉の点で言えば今の北京辺りの出身の劉備がよくはるか南の四川省の人々とやりとりして根を張れたよな
九州に居た渡来人の逆賊ヒミコは、神功皇后が成敗済みだぞ!
( `ハ´)魏志倭人伝のヒミコが存在した年代は偽。 支配して立って主張するためにナー
日本ヒストリー、朝鮮Fantasy、( `ハ´)Propaganda
>>464 >南は越州に相見える
この箇所より、少なくとも邪馬台国は北部九州では無いことが確定する。
なぜなら、北部九州は越州に相見えないから。
三国志の魅力についてのニュースなのに
邪馬台国位置論を持ち出してくる奴はリアルのキチガイだな
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
行ってきた
・古代中国人はフィギュアがお好き
・遼東の公孫氏、士燮のコーナーがある
・シャッター音消さずに撮影しまくるバカが大勢いてウザい
三国志だけじゃなく中国史に興味があるなら面白い
そうじゃない人は620円だけ払ってスルーして他を見たほうがいい
奈良大和四寺のみほとけがとても良い
>>467 九州特に大分では丹が豊富に取れたのに必死で捏造するのが阿波れ過ぎて泣ける
>>474 >正史派と演義派で争うんですね
三国志って、どれ読んだらいいの?
史記と左伝、論語や荘子、呂氏あたりを読んで
商周〜春秋〜戦国〜秦漢あたりは押さえたんだけど
正直なところ三国時代って、たった100年でしょ?
短すぎてイマイチなんだよな
>>26 ちゃんと情報掴んで使者が訪問したと考えた方がスッキリするね
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
三國志はフィクションに近い歴史書だけどな巍志倭人伝だって後付け作品
世界観をより深めるために周辺の状況も必要だしね
巍志倭人伝書いた作家は人から聞いたことをベースにしているだから経路がおかしい邪馬台国自体もあやしい
「丹(に)」は、もともとは粘土のような土のことだろう
青丹よし(あおによし)
https://cjjc.weblio.jp/content/泥
白水社 中国語辞典
泥 ピンインní ⇒ [異読音] nì
1 名詞 〔‘团・块・堆・坨・摊’+〕泥,壁土.≡坭.
用例 脚踩在泥里头了。=足を泥の中にぐにゃっと突っ込んだ.
用泥抹 mò 墙。=壁土で壁を塗る.
「に(煮)る」は、茹でて柔らかくすることだろう
硬い食材も、よく煮れば、「泥(ní) 」のようにぐにゃっとなる。
「に(似)る」も粘土で「かたど(模)る」ことと関係している可能性が
考えられるんじゃないかな。
>>483 史記や左伝をホントに読んだのなら三国時代を知るにはどれを読めば?
などとは絶対に聞かない
左伝集会の編者は杜預だぞ
法螺吹きも大概にせい
阿波は、かかとをつけないで歩く人々か、耳を布団がわりにしている人達でしょ?
>>482
「丹」の採れない九州に、邪馬台国があるはずが無い。 以上。 @阿波 邪馬台国なる存在を中国の歴史書に確認せざるを得ないなんて本当に文明度低すぎるなジャパン
>>494 お前にも何度も説明してやったはずなんだけど、
丹の記述は倭人たちが住む地域での事なので
邪馬台国という一地域で産出している必要はない
>>496
>丹の記述は倭人たちが住む地域での事なので
つまり、九州は倭人たちが住む地域ではないと言いたい訳だな。 わははははは @阿波 >>495 大化の改新の折に証拠隠滅しちゃったんで
たぶん鎌足くんが燃やした
>>495 多分帝紀だの旧辞だのには書いてあったんだろうな。
だから焚書したわけだが。
>>499
>丹の記述は倭人たちが住む地域での事なので
つまり、九州は倭人たちが住む地域ではないと言いたい訳だな。 わははははは @阿波 >>495 稗田阿礼の子孫に聞けばいい
暗記力スゲーらしいし
お前はウソつき野郎だから不幸に決まってるだろカタワ
>>489-490 「に」の場合もそうだが、日本語は、中国語の発音とそのイメージを流用して、
身体感覚によって再編成して、日本語として形成している感じがする。
中国語の「泥(ní) 」には「ぐにゃっ」として柔らかいイメージが
伴っているが、「ぐ『に』ゃっ」という表現にも見て取れるとおり、
日本語でも「に」は、柔らかいイメージを表現するのに用いられ、
古語の「にこげ(和毛)」や現代語の「にこにこ笑う」などにはっきり
とその用法を見ることができるが、それと同時に「に」は、「ぬ」
や「ね」のイメージにも関連付けられて構造化されている。
「ね(練)る」や「ね(捻)じる」の「ね」は、中国語の「nia」の
発音との対応が見られるが、「泥をぬ(塗)る」という場合の「ぬ」は
中国語には対応していない。それでも、日本語では、「に」を
身体感覚に基づいて「なにぬねの」の関係において構造化する
ように捉えている、というより、そのような構造化によって
日本語が形成されたと見ることができる。
>>508
>丹の記述は倭人たちが住む地域での事なので
つまり、九州は倭人たちが住む地域ではないと言いたい訳だな。 わははははは @阿波 演技では主人公3人の一人のはずなのに
その補正あってすら、酒飲んで暴れて不当に部下殺したりする
ただのチンピラに描かれてる張飛
実態はどんだけ酷かったんだろうな。それを腐れ縁で面倒見てた関羽さんまじすげー
意味。それは不可思議なこと
意味。それは他愛もありませんようなこと
意味。それは・・・お前へのにくしみ
>>426 お前のレス読んだら行く気なくなったわ
どうしてくれる
面白くない連投野郎あぼんしたらほぼなにもないスレになったな
よそいきゃいいのになんでこんなところに居座るんだか
>>511 釣りなのか本気で言ってるのか悩むわそれ
ちなみに三国時代の酒って粗悪品だからなかなか酔えないよ
張飛の設定も勿論演義のフィクションで劉備のしたことが張飛に置き換えられてるなんて基本中の基本
変な邪馬台国九州説が暴れてるけど、この必死さは何なの?
変な邪馬台国畿内説が暴れてるけど、この必死さは何なの?
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
>(吉備の内側削りで薄く仕上げる)庄内式・布留式土器
器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法は、阿波の「東阿波型土器」が元祖だよ。
>>487 前の王朝の歴史を書くっていうのに自分で見てきて書けっていうのか
「其山有丹」でも阿波。 「橘」でも阿波。 「楠」でも阿波。 なにがどう転んでも、阿波。 @阿波
「埴輪(はにわ)」とかの「はに」は、赤い粘土を指していて、
中国語で粘土のような土は、「泥(ní) 」であり、赤は、
「红(hóng) 」なのだから、日本語の「はに(埴)」は、
中国語の表現を借りた「红+泥(hóng+ní)」という造語だろう。
https://kotobank.jp/word/埴-603838
埴(読み)ハニ
きめの細かい黄赤色の粘土。瓦・陶器の原料。
>>487 お前がフィクションだから大丈夫だよカタワww
ついでに、埴輪(はにわ)の「わ」も中国語の「环(環)huán」に
対応してるんじゃないのかな。
https://cjjc.weblio.jp/content/环;
日本の古代史とか、古語とか研究していれば、当然、漢文や中国語もかなり
勉強するわけだから、こういう対応関係に気づかないはずがないわけで、
それを記述や検討の対象から外すというのは、意図的な隠蔽としか言いようが
ないよね。
『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。
この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。 @阿波
そもそも、卑弥呼のような大王墓は奈良盆地や福岡平野のような平地なんぞに築かない。 神は山稜に宿るもの。
ましてや、前方後円墳など何をか言わんや 無礼極まる話である。 @阿波
板野命婦」(いたののみょうぶ)
生年:生没年不詳。
奈良時代の女官。粟凡直国造若子とも。 外従五位下。 藤原房前の七男 楓麻呂を出産。
阿波国板野郡貢上の采女で,光明皇后の御所に仕え、写経事業のための経典貸借などの責任者として活躍し、造東大寺司との連絡係などを務めた。
出家し、尼となった。 <参考文献>『正倉院文書』、「板野命婦」(『角田文衛著作集』5巻)
「板野命婦」も8世紀の奈良遷都に伴い、天皇家に付き従い、阿波国板野郡から奈良の都へ移住したとみられる。 @阿波
>>515 関羽が華雄を瞬殺した場面を読むと燗酒だから
アルコール度数がそこそこ高いのかと思っていたが、
あれも演義だからなのかのお。
>>525 だいたい裴松之が「臣考えるに、〇〇が正しい」と注釈付けてるのが真実に近いと考えてよろしいかと
諸葛亮を神聖視してるので、ここだけはちょっと眉唾だが
>>60 正史での評価は曹仁が一番で張遼はその次やね
よしとりあえず曹操は冷酷ながら魅力がウンヌンとかやってれば玄人として見てもらえるな!
>>181 魏志じゃないしw
これは邪馬台国と隋に朝貢した王朝に断絶がある証左やね
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
>>326 ホント夷陵のはなんだったんだろうな
あれほぼ全滅だったんでしょ?
>>426 うぅ・・・
行こうと思ってたけど、ちょっと躊躇するわ
>>549 隋の時代も未だ九州に都があったんですね。
>>540 自己レスだが、同時代の倭国の人らは「人性嗜酒(みんな酒好き)」なんだよね。
こっちは米の口噛み酒だろうけど、黄河流域の中原の人らは
コウリャン酒あたりかしらん。
>>540 えっと…
華雄を討ったのは孫堅なんですが?
>>458 この後の五胡十六国で漢族は華南に追いやられてるからね
侵略=皆殺しが当たり前の時代だし、みんな南へ避難してるんじゃね?
>>555 卑弥呼の後、直ぐに邪馬台国は力を失っていくが、
九州倭国から近畿日本に実権が移る境目あたりは隋だね。
そのあと唐の時代には完全に近畿日本に実権が移った。
旧唐書では旧来の中国側の見解を書いたが、もう無理になってて新唐書では嫌々近畿日本の見解を認めた。
こんな感じ。
【祓詞】
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」
高らかに、倭国(阿波)を讃えている。 @阿波
住吉神社 (福岡市)
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
住吉神社から西に約10キロメートルには日向峠、北東に約10キロメートルには古賀市青柳(阿波岐?)がある。
また立花山(橘?)、その北の尾東山麓(小戸?)といった地名が関連づけられる。
隋書
>開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使 を王宮に詣でさせる。
倭王とは奴国王のこと。アメタラシヒコとは天垂らし彦のことで天は邪馬台国。邪馬台国が地上の王として任命したと言う意味。
>上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
>使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、
天=邪馬台国、日=近畿日本と言うこと。
>天が未だ明けない時、出 でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
もうすでに実権は奴国から近畿日本に移ってたってこと。
>高祖が曰く「これはとても道理ではな い」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。
こんな二重国家三重国家があるかアホ、改めろ。
と言う意味。この訓令があの小野妹子が無くした訓令書のこと。
「お前ら近畿日本は認めんぞ」
と書いてあった。
だから恐らく推古天皇の承認の上で紛失したことにした。
こういうこと。
>>559 演義はねぇ…
当時存在してない武器とかナチュラルに出てくるし(まぁ羅漢中の生きた明代には普通にあるものなんだが)
あくまでラノベ感覚で接しないと
>>562
めちゃくちゃなこじつけだね。 わははははは @阿波 >>29 呪われた地、疫病の発生地
って恐れられて、罪人の流刑地にされてた
どこでハマったよ?
吉川英治
横山光輝
人形劇
天地を喰らう
光栄三国志
ナムコ中原の覇者
アニメ三国志
蒼天航路
一騎当千
恋姫
『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と近接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相見える。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致しやすい。
邪馬台国の話とか、魏志倭人伝とかまるで関心がなくて、何も知らないんだが、
「卑弥呼」が「ひみこ」と読まれるという根拠はどこにあるの?
「卑弥(ひみ)」はいいとして、万葉仮名で見る限り、「呼」は、「を」
と発音されて、「こ」とは発音されないよね?
数ある倭人伝の中で一番面白いのは魏志倭人伝ではなく
実は隋書。
九州倭国から近畿日本へ実権が移る、一番ドラマティックなところが書いてあるから。
>>574 ヒミコで良い。日の巫女のこと。
翰苑が卑弥娥だからカ行音で間違いない。
東夷伝とか邪馬台国とか方技伝なみにどうでもいいですから
万葉仮名で「を」の発音に「呼」や「乎」が割り当てられているのは、
とても自然に感じられて納得がいくんだよね。なぜなら、日本語の
古語で「を」は、「をく」、「をす」、「をかし」などの表現に
見られるとおり、呼びかけ/呼び寄せの声を表しているのが明らか
だから。
古代に「呼」が「こ」と発音されたとするなら、それなりの根拠を
示す必要があるんじゃないかな。
>翰苑が卑弥娥だからカ行音で間違いない。
古代の中国語の漢字の読み/発音とかまったく知識がないけど、
「娥」を中国語辞典で引くと、発音は「é」とされている。
漢字の構成は発音を表している場合が多いから、「娥」の
発音が、「女」を外した「我」と共通すると考えた場合、
発音は、「我(wǒ)」で、やはり「を」だね。
それに、「卑」の「ひ」が、本来、「日」であるはずの漢字を卑しい漢字
に置き換えたものだと考えるなら、正しい漢字い戻すと、「卑弥呼」⇒「日弥呼」
となって、漢字の意味から考えても、「日が満ちることを呼び寄せる者」
となって、祭祀的な権力を司る者としてはぴったりの名称だと思うけど。
おまえらアホか?
倭国には文字が無いと魏志倭人伝に書いてあるから、卑弥呼は魏の誰かが勝手に当て字しただけ
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354 大分、時代が下るけど、これも日の光のパワーを身に付けるための儀式
露が日の光のエネルギーを蓄えるから、それを綿で吸い取って、
その綿で体を拭くと、暗黒が取り除かれて、光のパワーを身にまとう
ことができるというイメージ。
菊の被綿(読み)きくのきせわた
大辞林 第三版の解説
きくのきせわた【菊の被綿】
中古、陰暦九月八日の夜、菊の花にかぶせてその露と香りとをうつしとった綿。
翌日の重陽ちようようの節句にその綿で身をなでると、長寿を保つといわれた
倭国には文字が無いということは、もとになる文字も無い。ヒミコと呼ばれていただけ。意味は太陽の子だったのは間違いない。当時、シャーマンを巫女と呼ぶ可能性も無い。
>倭国には文字が無いと魏志倭人伝に書いてあるから、卑弥呼は魏の誰かが勝手に当て字しただけ
いろいろあやしいから、何かを絶対に確実なこととして、それに頼るのは危ないね
>>511 史実の張飛は粗暴ではあるけど意外に智将
残っているエピソードの多くが頭を使って勝ったもの
>それは現代の話しだろww
だから、古代の漢字の読み方/発音の知識があるなら、その典拠を明示すれば
いいだけじゃん。
その当時の日本の側に文字がなかったとして、その当時の日本語が中国語
を流用していなかったかどうかは分らない。中国語の表現を流用していた
なら、それを中国側が記述しようとすると、合わせ鏡のような効果が生じる
だろう。
>因みに漢音では我の読みは「ガ」。
じゃあ、「ひみが」だってあり得るわけだw
>>544 玄人扱いしてほしかったら、とりあえず呉を持ち上げておけばいい
曹操上げは演義から正史に踏み出した初級者レベル
漢字ほど発達していなかったが、
カナの原型となる神代文字は、縄文人の持つ文化だよ
紙が無いので、刃物で木に刻む表音文字だったようだ
漢字が導入された後、神代文字は漢字に習合され、後にカナとして合法化された
この基礎を作ったのは、四国エミシ出身の空海だよ
>>595 中国人は基本濁音と清音の区別は無いだろ。
好きなのは横山三国志だろ
あと光栄の三国志の影響が大きいよな
>>595 「ひ゛み゛か゛」みたいな発音かな? 東北人だww >中国人は基本濁音と清音の区別は無いだろ
じゃあ、「ひみか」じゃん。
で、濁音と清音の区別がないのなら、「我」も「か」だよね
マジレスすると何千年前の事が現代にそのまま正確に伝えられてる
もしくは語り継がれてるとは到底思えない
魏志倭人伝
王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國、及郡使倭國、皆臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。
王が使者を京都(洛陽)や帯方郡、諸韓国に派遣したり、郡使が倭国に及ぶときは、皆、港に臨んで点検照合し、文書、賜物を女王に詣でて伝送するが、間 違いはあり得ない。
文書をやり取りしてんのに、
何をほざいているのかねこのキチガイどもは。
>>603 カとコの違いは中国人にはそんなに無いだろうな。
マジレスすると何千年前の事が現代にかなり正確に伝えられてる
もしくは語り継がれてるとは到底思える
特に陳寿は天才
>カとコの違いは中国人にはそんなに無いだろうな。
すると、「卑弥呼」の読み自体が不確定で、日本側でどう発音されていたのか
不確かとしか言いようがないですね。
変化球での中国ageとかもういいから
中国のためのイメージアップとかもうウザキモい
>>606 可口可楽(クコクラ?)をコカコーラと読めちゃうくらいだもんな。
1800年前のちうごくか
実際はどうだったか見てみたい
total warやってるけど改革システムが慣れない
数が多すぎてわかりづらい
>>513>>554
たった1600円だし、興味があるならせっかくの機会だから行った方がいい
中国の博物館に行かなければ見ることができないものを、日本で見れるんだから
>>607 陳寿は金で三国志の記述に手心を加えるような大馬鹿野郎じゃねーか
>>10 あのドラマで俺の中で三国志がリバイバルしたな
倭人が『超長い何とか何とかのヒメミコ』
と言ったが、中国人はそんな長い名前を聞き取れないし表記も出来なかったので、
ヒメミコ=卑弥呼にしたんだろ?
>>617 行ってきたけど三国志が好きってだけだと退屈だと思うぞ
歴史とか考古遺物が好きで三国志も好きだって奴なら存分に楽しめると思うが
>>622 曹操の副葬品は見たいわね
朱然の名刺はないのか…
蒼天航路は原作者というかストーリー考える人が途中で死んじゃってからつまらなくなって読むのやめた
>>620 姫命=ヒメミコと彦命=ヒコミコかもな
天皇家の権威なんて影も形もなかったであろう3世紀に、姫とか命とかの概念は無理筋かもしれないが
>>571 羅貫中を翻訳したやつだよ
NHK人形劇の人形が扉だったけどいまYouTubeで人形劇見てみるとあれは羅貫中の三国志とも吉川三国志とも違う独自ストーリーだな
子供の頃ジャッキーチェンとかキョンシーとか中国のコンテンツが人気あったし、キン肉マンのラーメンマンなんかもあって中国って近いのになんか不思議な魅力のある土地のイメージだったんだよな
水滸伝とか三国志とか子供にはちょい難しい話だったけど面白かったから読破した
最近ドラマのスリキンみて再加熱
>>628 バブル期は、中国に憧れて大学で中国語を専攻しても、就職先が無く途方に暮れるといった笑い話があったそうだが、今は中国語が出来ればまず職には困らない。
>>620 敵対国の王が卑弥呼弓だもんな
こんな同じ様な名前の訳ないわな
官職や象徴名だろうな
弓の字が敵対を意味してるのだろう
随時、中国人は日本に来たが主流にはなれなかった
なぜなら、日本語は中国語とまったく違うから
主流派の言語が標準語になる
>>631 敵対してる国とは書かれていない
卑弥呼と和せずとあるだけ
いろいろな解釈があって、邪馬台国連合の中での揉め事か反乱という解釈もある
何でもまず額面どおりに受け取って、その枠組みの中で整合性を考えるアプローチ
は必ずしも賢明であるとは言えないね。中国が探査機による調査で月の裏側が
どうなっていたか詳細に報告したとして、その報告に基づいて月の形成について
論じても、議論の土台自体どうなのかという。
>>574 万葉集で3世紀の日本語はわからない
「奴」をナと読む理由も、無いっちゃ無い
古代の日本語のハヒフヘホは、パピプペポだったという説があるから、
その説が正しいなら、卑弥呼は、ひみこではなく、ピミコだったかもな
>>578 意味と音の対応は、全く汎用性が無い
気のせい気のせい
>>635 しかし資料を信用しないで議論しようとしても、文字通り「話にならない」んだよね
>「奴」をナと読む理由も、無いっちゃ無い
人称代名詞として使われたことの反映じゃないかな。
「ナ」が一人称か、二人称で使われて、自分が卑下するか、相手を低く見る。
「出土しました!」
「あーゴッドハンドね」
「いやこれはガチ」
「はいはい」
>>641 だから意味は無視
呉智英氏曰く、「娘に『亜美』なんて名前つける親がいるが、自分の娘を『亜流の美』なんて思っているのか?」
>>640 でも、資料を信用するなら、アポロ月面着陸に成功して、米国からオランダに
正式ルートで寄贈された月の石は木の化石だったことが判明しているのだから、
月面にはかつて木が生い茂っていたことになる。
古代朝鮮語で、古事記と日本書紀を理解しようという試みがあったね
エミシ言語をアイヌ語から推定して、これで古事記日本書紀を理解する必要があるかも
>>644 でも、資料を信用しないなら、
「邪馬台国は畿内」
「いや九州」
「いや徳島@」
↓
「お前ら暇だなwww」
で終わり
吉川英治と横山光輝と光栄は偉大だった
KOEIになってからは…
史料批判、文献批判は、別に史料を「信用してない」わけではない
どのくらい信用していいのかの心づもりをしておくくらいじゃないの
>>648 邪馬台国がどこにあったかという論争について、「お前ら暇だなwww」
というのは私の態度そのものだけど、違うアプローチの仕方があると思うよ。
月面からアポロ宇宙飛行士が持ち帰った「木の化石」にしたって、どういう
木の種類か、月面以外のどこでよく採れるものか詳しく調べてみるなら、
いろいろ興味深い事実が判明するだろう。それが月の性質についての理解
を深めるかどうかは別として、月面探査についてよりよく理解できるように
なることは確かでしょ。
>>647 間違えた、コーエーになってからは…だった
あらゆる史料を『一次史料としてしか評価しない』というのも一つの見識だが、それは現実的じゃない
良くも悪くも、『とりあえず信用してしておく』ことの積み重ねで近代学問は発達してきた
それが『まずは信用できない』となると、進歩のスピードは極端に停滞する
まあ「日本古代史がそういう業界だから仕方ないじゃん?」ということなのかもしれんがなあ(嘆息)
漫画の蒼天航路からのアニメの恋姫無双
三国志のソシャゲいっぱいあるな
最近、有名な画家の絵のコピーとされる作品のポスターを手に入れたんだけど、
それでも、その模倣作品自体は16世紀に描かれたものとされているんだよね。
ところが、その絵画の表現を詳しく見てみると、どう見ても、模倣された画家
の技法よりもずっと洗練された、高度な技法が使われている。こういう絵画が
作成されることに、有名な画家の絵を模倣した偽作が存在するということ
以上に面白さを感じる。
三国志といっても本当に興味があるのは三国志演義だよね
漢の劉邦の時代、文字が無い匈奴の長の冒頓単于だけど
ボクトツゼンウなんて読む訳ない
冒頓がバガトル(勇者、英雄)後のモンゴル語バータル(英雄)に似てる
単于の読み不明だが(王、皇帝、)の意
>>647 俺もこの二人がきっかで中国古代に興味が出て
宮城谷昌光の本を読破した
中国にも何度も脚を運び多くの遺跡を見てきたよ
中国の春秋時代は本当に面白い
1984年前後かなあ、
三国志アニメで、架空の女子が凧に乗ったり
その女子が温泉に浸かってる孔明に迫ったりする
アニメ映画見た気がするのだが
>>655 モンゴル最後のハーンの名がボグド・ハーンなのでそんな感じの名前に当て字したんだろ
ボグド・ハーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B3 >従来「ボグド・ゲゲーン(お聖人さま)」と呼ばれていた8世は、以後「ボグド・ハーン(聖なる皇帝)」とよばれるようになった。
この記述からするとボグドは「聖なる」といった意味のようだ
日本にとって邪馬台国などどうでもいい
卑弥呼も戦乱対策に影武者が複数いて120年、娘五代に渡って自称していた可能性もあるんだから
当時は九州は日本というより魏の飛び地みたいな認識だから攻め込まれ、その対策に九州から近畿まで連合して一大王国(後の大和王朝)になったことが重要
「無いことが証明されない限り、可能性はあるんだからな、覚えておくように」
>>658 やはり、匈奴とモンゴルには言語系統の共通点はあるね
となると、卑弥呼も音に漢字を当てた可能性が高いか
日本語wikiより
>イザヤ・ベンダサン (Isaiah Ben-Dasan、公称1918年生まれ[1][2]) は、山本七平の筆名。
>『日本人とユダヤ人』の著者として一躍有名になり、その後しばらくの間は、
>ベンダサン(引用者注:便出さむ)名義の書籍も続けて多数発行された。
>神戸市中央区山本通で生まれたユダヤ人という設定
『日本人とユダヤ人』はウンコ喰い大好き邪馬臺国九州派オススメの1970年ベストセラー。
一世風靡した日本人論
マジレスすると何千年前の事が現代にかなり正確に伝えられてる
もしくは語り継がれてるとは到底思える
特に陳寿は天才
>>633 邪馬台国の周りが全部邪馬台国に恭順していて狗奴国だけ和せずだから敵対していると言う意味。
>>635 問題は正しいかどうか。
中国かどうかでは無い。
陳寿の記述は無類のもの。
>>640 まさしくそれが近畿パーの目的。
近畿パーは畿内説自体どうでもいい。本当は。
だから「近畿では鉄が溶けやすいんですキリ」とか学会でやって平気な顔してる。
議論を誤魔化しケムに巻くのが近畿パーの目的なんだから、
実は連中の中では近畿では鉄が溶けやすいんですで辻褄があってるww
>>639 あるか無いかと明確な区別をしていたかどうかとは別のこと。
古代日本語の甲音、乙音と同じ。
緩やかな区別はあったのだろう。しかしツクヨミなどと言う重要な神の名前が書物によって甲乙バラバラな状態。
そして現に甲乙の違いは消えてしまう。
清濁も同じ。
緩やかな区別はあったのかもしれ無いが、それは決定的なものでは無い。
大体が、清音濁音を日本人のようにうるさく区別するのは他に余り無い。
英語でもsとzとか明確に清音用濁音用の文字があるにも関わらずごた混ぜになる。
日本語以外はそんなもん。
>>636 >「奴」をナと読む理由も、無いっちゃ無い
ここらへんと関係していそうな気がするな
https://cjjc.weblio.jp/content/儂
白水社 中国語辞典
白水社白水社
侬(儂)
ピンインnóng
((方言)) 代詞 あなた.≦你.
代詞 (唐宋明清時代の詩・詞・小説に用い)私.≦我.
三國志の最高傑作は蒼天航路。
三國志は蒼天航路だけでOK。
万葉仮名では、「ナ」の音に「奴」が当てられている事例はあるが、
「儂」が当てられている例はない。それでも、「ヌ」の発音には、
「奴」と「儂」がともに割り当てられていて、「奴」と「儂」が
同じように発音された可能性は十分に考えられる。
>>633 ↑
こんなんもそうだが、少なくとも漢文は自然な読み方をすることを前提に、分かりきったことはクドクド言わず
簡潔に、要点だけを言うことを良しとする明確な意図があるから
このような読み方をいつまでもいつまでもやろうとするのは近畿パーと同じ。
議論を誤魔化し、ケムに巻くのが目的。
邪馬台国の周辺の国は邪馬台国に従っていて、
狗奴国だけ和せずと書いてあるのだから
それは狗奴国だけ敵対していたと言うこと。
他に意味など無い。
他に意味があるなら、筆者はそれを明確に書いている。
間違った読み方。
>>633 ↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
中国語の表現の発音とイメージと日本語の表現の発音とイメージの関係は、
割り当てられている漢字を固定的に考えずに、徹底的に洗い出す必要が
あると思うな。むろん、詳細な検討には、時代的な考証が必要になるに
しても、中国側、日本側で古代の状況を全体的にうまく把握できていない
のだから、何かを絶対的に確実な根拠に据えて判定を下すべきではない。
最初に追求すべきは、仮説的に可能な関係性の構築だ。
漢文は分かり切ったことはクドクド書かないと言う明確な意図があって書かれているのだから
不自然な読み方であると言うことが、つまり間違った読み方である証拠。
>>681 そんなことはもう散々やったよキチガイ野郎ww
>>633 ↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
>そんなことはもう散々やったよキチガイ野郎ww
最新の成果を示す、最も信頼性のおける包括的な研究書を挙げてみてください。
>>685 おいキチガイ。
今までそんな研究が無かったと思ってるのか?
ww
近畿パーの目的は
議論を誤魔化し、ケムに巻くこと。
>>633 ↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
具体的な研究書を挙げることができないんですか?
個々の事例の漢字、発音、意味についてのケース・スタディを挙げろと
言っているのではなく、包括的にまとめた成果を示す研究書の代表例を
示してくださいと言っているだけですよ?
この記者馬鹿だな
三国志と卑弥呼は時代が微妙に違うだろ
僅かに重なる感じか?
>おいキチガイ。
>今までそんな研究が無かったと思ってるのか?
実際にそういう成果が存在するのなら、日本語の古語の代表的な権威の1人
とされる大野晋が平然とトンデモのタミル語起源説を提唱することもなかったのでは?
朝鮮自体、そもそもその当時の領域が魏の国の辺境。
×朝鮮語○中国語と日本語間でやり取りしてるのが自然と考えられる。
>>691 近畿は鉄が溶けやすいんですと言った近畿パーは歴博の館長だが?
>>633
↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
>>690 烏丸鮮卑東夷伝に収録だから一応は三国志関連
時代も明帝の時の話だから三国時代であってる
ま、ここで邪馬台国論争おっ始めるのは知恵遅れの所業だが
>>633
↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
私は、邪馬台国がどこにあったとか、近畿がどうの、九州がどうのなんて
どうでもいいんですよ。関心がない。
ただし、古事記の記述は、素直に読むなら、明らかに火山噴火の様子が
描かれていて、言葉の表現についてもそれにうまく対応しているので、
活火山の見られない近畿地方の記述であるわけがないと思っているけどね。
>>699 そんなこと言わなくても畿内説は否定証明完了済み。
>>633
↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
>>632 朝鮮人も朝鮮語も同じ理由で主流になれず
縄文系日本人に同化した。
漢文は書き言葉だけど話し言葉も似たような文法だったと推定される。
書経=尚書の漢文は史記、三国志などの漢文と異なるので
言語的連続性が無い。
孔子が収集したと云われる詩経もイミフで解読不可能な字句が出てくるから
今の中国人と文化的ギャップがある。
現代の標準中国語は漢や隋唐の漢文に比べると
「名詞+的、動詞+得、形容詞+得」というふうに「的、得」などの
助詞=膠着辞が発生して膠着語化しているし
文法≒語順も漢文的な広東語に比べると一定程度日本語のように変化している。
>>685 >>686 読んだこと無い研究書は挙げられないw
>>240 短い上に一度しかない人生、貂蝉のように生きたいものだ
>>694 冗談を真に受ける九州パーwww
唐古鍵から褐鉄鉱=赤錆た鉄混じりの壺状容器が出土してる。
中には翡翠の勾玉が入ってた。
>>636 >万葉集で3世紀の日本語はわからない
>「奴」をナと読む理由も、無いっちゃ無い
「ナ」に「奴」が当てられたことは、それが「ナ」という発音の
人称としての使用に由来すると考えるなら解釈は容易だ。
その場合、「奴」と、その後にも人称として用いられ続けた
「儂」は同じ発音で、互換的であったと推測することができる。
「ナ」は1人称としても、2人称としても用いられたとされるが、
この1人称/2人称の用法の反転は、「奴」という漢字によって
表されるとおり、「ナ」が相手との上下関係を表していたと考える
なら、直ちに理解できる。これは、例えば、「手前(てまえ)は」と
丁寧に言えば、それが1人称として用いられていることになり、
ぞんざいに、または乱暴に「手前(テメェ)は!」と言えば、それが
2人称として用いられていることになるのと同じことである。
相手との上下の身分の違いがあらかじめはっきりしている場合、
「ナ(奴/儂)」が1人称として用いられているのか、2人称として
用いられているのかに混乱が生じる恐れはない。しかし、アプリオリ
には対等の身分と認識されている相手のとの間で「ナ(奴/儂)」が
多用されたなら、それが謙遜を表すように1人称として使われて
いるのか、相手を見下すように2人称として使われているのか
解釈に不安定さが生じる。それが、「ナ」が使われなくなっていった
理由だろう。
>>32 荊州の人たちが魏呉蜀の全陣営にいるから
荊州の人たちの言葉なら普通に通じそう
戦災を避けて知識人も避難してきたわけだし
(諸葛亮も避難組)
>>458 三国志開始時の総人口6000万人
終結時1200万人
税務調査がいい加減でろくに徴税できない勢力が統一できるとは思えないがw
>>596 呉の孫権が皇帝になる根拠のなさワロスw
曹丕「漢の皇帝から禅譲されたんで皇帝になります」
劉備「それ認めないから!劉邦の末裔の俺が漢の皇帝だから!」
孫権「皆名乗ってるからうちも皇帝名乗るようにするわw」
>>500 昔は文書が世間に広く出回っているわけじゃなく貴族だけが見るのが前提だから
焚書されちゃったら本当にアウトなんだよな
>>699 論理としておかしい
というか、180度逆の論理
>>709 文書マジ貴重
アホほど資料や娯楽作品まで残っている江戸時代がおかしい
孫子もオリジナルは無くって曹操がまとめたものがベースの物しかないんだっけ?
日本は娯楽作品が残っててすごいんじゃなく
実は娯楽作品しか残してもらえなかったんだよね
高度な学術書の古典は敗戦後、GHQさんが持ってっちゃったし
漢文教育も今レベルに時間を減らして日本人が漢文を読めなくした
江戸でも学術書は漢文だった
ほんで、日本人が読めず価値がわからなくなったそういうハイレベルな学術書を
今中国人が買い漁ってんだ。漢文がわからない日本人は安易に売ってしまう
まあ今の日本人が持っててもタンスの肥やしなだけだから
中国に行ったほうが本も幸せかも。敗戦は根深いね
翰苑には、卑弥娥となってんだから、卑弥と呼ばれてたんだろ。卑弥弓と呼ばれ
>>711 馬王堆帛書は名高いけど全文読める程の代物ではないのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒメタタライスズヒメ
>大物主神は丹塗り矢(赤い矢)に姿を変え、勢夜陀多良比売が大便をする
>ところを狙って川の上流から流れていき、勢夜陀多良比売の陰部(ホト)を突いた。
例えば、古事記に記載されるこういう話は、どうみてもアレゴリーなわけで、
実在の女性が厠で大便をしているところをレイプした話の言い伝えとして
読むのは、そちらの方が変なわけですよ。
アレゴリーとしては、「糞(くそ)をする」というのは、火山灰を降らせたり、
溶岩が流れ出ることの隠喩であって、「丹塗矢」は火山雷の隠喩でしょう。
「噴火+落雷」で画像を検索してみれば、どういう様子を記述した話
であるのか、まともな感覚の人であれば、すぐに理解できると思うけどね。
>>633
↑
こんなことは言うくせに
伊都国のあと「全ての郡からの使いはここに駐留する」
と明確に書いてあるのだから伊都国基点の放射読みが正しい
と言っても聞こえないフリをする。
こんなものが学問なわけがない。
明確に書いてあることを勝手に無視して
やれ魏志倭人伝は信用出来ないだの
これがクズ近畿パーの正体。
本来なら大和国の姫皇子なのに
汚い当て字をつけられたもんだな
倭人「女王の名はくぁwせdrftgyふじこです」
魏人「え?何?ピミウォ?じゃあ卑、弥、呼っと」
↓
現代日本人「卑弥呼はヒメミコに違いない!」
>>674 両形あるということと区別がないということとはイコールではない
フロイトとフロイド、ウィトゲンシュタインとヴィトゲンシュタイン
また後世区別がなくなった場合、普通は混用を以って「区別がなくなった」と見なすが、混用されているからといって区別がなくなっていたかどうかは、本当のところはわからない
(区別は健在だが、「書き分けなくなった」だけかもしれない。日本語の清濁しかり)
大野晋をトンデモと断じる向きは、多分に
・インドだなんて信じたくない
・大野が嫌い
に過ぎないところがあるから、ちょっと精査する必要がある
なぜ中国側の記述なのに、音仮名じゃなく訓仮名説が出てくるのか理解に苦しむ
イススキ?
スス(煤)なんだから、黒煙を出すことでしょう
大体歩いて1ヶ月もかかるような何処に支配されてるなんてありえないよな。
モンゴル帝国「まあ馬だからな」
ローマ帝国「海運が主だし」
>>725 支配層の間では漢字が用いられていて、それが反映されている可能性も
考えられるし、中国側の読みに固執するなら、日本語としての音読みを
当てはめるのも誤りで、当時の中国語の発音を特定する必要があるね。
「卑」は、中国語でも「ピ」の可能性が高いんじゃないの?
よく知らないけど。「呼」は確実に「コ」なの?現代の中国語の
漢字の読み方だと「hu」みたいだけど。
黒歯国も侏儒国も裸国m説明できないのに、近畿も九州もないよな
>>705 そいや、荒川弘が描いてた四コマ漫画の貂蝉が面白かった。
超怪力の呂布と超デブの董卓を相手にするもんで、
(物理的な意味で)ズタボロになっちゃうのw
>>730 侏儒国(女王国から南に四千里)は種子島というのが定説
ゆえに邪馬台国は九州
>>730 その辺は存在が疑わしい国だし、はっきり言ってどうでもいい
・身長1メートル未満の人間はいない
・山海経にも出てきて、世界の果てにある伝説の国のようなもの
・太平洋を1年も外洋航海は不可能
>>730, 732
新唐書によると、長安から靺鞨を超えて北に1万7千里に流鬼国があり、
その北は夜叉国らしい。南の方の小人とか裸ん坊とかに比べたら、
だいぶ殺伐としたネーミングだw
行ってきたけど大半はどうでも良いような展示が多かったかな
蜀の俑とか一部はへぇ〜って思ったけど
小物とか後世の作の展示が多過ぎてあんまり満足感無かった
まぁ行って損はしないけど期待し過ぎると拍子抜けするかもしれない
>>729 hは、日本語ではカ行でしょ
ハ行になったのは最近のこと
古い時代にはワ行であった可能性もある
いずれにしても3世紀の「日本語」の実態はほとんど分からないから、ハ行だのカ行だのパ行だの言っても意味ないんだけど、後世の日本語との対応ということで話をする
決して「今の日本人が耳で聞いたら何に聞こえるか」という話をしているわけではない
>>732 方角が合わんだろ、、、
東に千里の倭種の国の「其南」だから、女王国から南とは書いてない。
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
そもそも当時の船で一年東南方向へ航海すること自体が不可能。
全員死んでしまうぜ?
>>730 侏儒国だが、場所はさておき
日本住血吸虫に感染すると成人男子でも140cm程度までしか成長しなくなるので
関連性があるかも知れない
島嶼化、コロボックルなどの可能性もある
>>732 じゃあ邪馬台国の東千余里の倭人の国はどこよ?
>>725 みんな我田引水したいからだなw
私利私欲、町興しが昂じると歴史が歪められる
三国志モノの最新刊はコレだな
吉川英治とか北方謙三とかと毛色がちょっと違う
https://www.books.or.jp/books/detail/2286501 烈火三国志 上 中 下
著:成 君憶
訳:漆嶋 稔
>>733 やって来たぜニューオーリンズって無いわ。
>>724 >インドだなんて信じたくない
これは80%間違い。
大野晋は上代日本語の研究成果に基づいて
インド南部とスリランカ(旧セイロン)で使われているタミル語文法との類似、
発音・音韻の対応関係を指摘した。
>倭迹迹日百襲姫(ヤマト・トト・ヒ・モモソ・ヒメ)のような日本の神の名も
>タミル語で解読できる事例もある。タミル語でツタや蛇瓜の意味を持つ語が
>日本語では蛇となっている例が多いところから、
>タミル語で蛇瓜を意味するtatt-anは列島内でtotoに変化し「ヘビ」を意味し、
>またタミル語maimai[崇拝の意]は日本語mom-oと対応し、
>日本語に「ももす」という動詞があったと想定し[12]、倭迹迹日百襲姫は、
>ヤマトの「toto(ヘビ)霊を崇拝する姫」ということになる。
>そして倭迹迹日百襲姫は日本神話上、ヤマトの蛇巫(へびふ)とされているので、
>それにふさわしい神名となる。
フロイト派の心理学で女性の蛇など細長い物を夢に見るのは性欲の現れであるとしている。
>>729 >「卑」は、中国語でも「ピ」の可能性が高いんじゃないの?
可能性じゃ無くて現実にpiと発音してる。
母音の発音が北京官話より複雑な広東語で
「卑」は
ペーイではなくペイーと発音していてエが副母音、イが主要母音だというのが分かる。
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳。
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話 私家版
続法窓夜話 私家版
https://twitter.com/0Idm3vd9TYmFDaQ/status/1144182365134061568 (直リンNGのためtwitterが開きます)pfz
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
>>730 侏儒国は高知県西部の幡多のこと。
ワダツミとは「幡多つ宇美」のことで宿毛湾のこと。
(因みに宇美とは博多湾のこと)
ここは小筑紫と言う地名もある。
裸国、黒歯国とはハワイのこと。
東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイに到着している。
侏儒=スクナビコナで恐らく足摺岬に漂着したポリネシア人のこと。
天の羅摩船とは丸木舟のこと。
唐人駄馬遺跡は、古代の灯台でスクナビコナ漂着を記念して作ったものだろう。
足摺岬は黒潮が直接接岸している日本唯一の場所。
こういうこと。
>>690 魏志倭人伝というのは、三国志の中の魏書の東夷伝の中の一節だよ
三国志の中のごくごく一部でああだこうだと大騒ぎしてんの
>女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
女王の領域は筑紫平野+山陰だからこれは山口ではなく四国のこと。恐らく愛媛。
>その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。
宇佐あたりから船を出して四国の愛媛辺りに行きそこから南下するのだから高知県の西部の幡多のこと。
ドンピシャ。また距離も良く合う。間違い無い。
>また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。
>倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
ハワイは各大陸から最も離れた所にある島。
またハワイ島は周囲が短里で五千里くらい。
ドンピシャ。
間違い無い。
侏儒国は高知県西部の幡多。
裸国、黒歯国はハワイ。
>>677 蒼天もだけどキングダムの始皇帝とか、
向こうじゃ悪役を主演させるのが好きだよね日本人
因みに黒歯とは黒い歯では無く暗い歯の意味。
ハワイの先住民は前歯を折る奇習があった。
後漢書
>倭國之極南界也。光武賜以印綬。
これは従来の読みは誤り。極南界など意味不明。
「倭国の南界を極めるや、光武印綬をもって賜る。」と読む。
これはポリネシア人であるスクナビコナの手引きで倭人がハワイへ行って戻って来たことに対するもの。
この当時ハワイ=扶桑国へ行って戻って来るのは月旅行に匹敵する壮挙だったから。
気象庁のホームページより
この下の図の足摺岬から黒潮に乗ってハワイを通ってぐるっと回って戻って来るヤツを奴国がスクナビコナの手引きでやって見せたわけね。
これが奴国が金印を貰った理由。
そして、この大航海を指揮し成功させた奴国王が
吉武高木遺跡に葬られている大王。
早良王朝などでは無くて、奴国の祖形。
縄文文化の表音文字が神代文字(日本のルーン)
ここに漢字が導入され、表音文字と表意文字が混在したんだよ
縄文系は朝鮮半島にも居たから、こっちではハングルとして別の進化を遂げた
ハングルが『発明された』というのは嘘で、被征服民族の文字文化は禁止されており、
日本では土着文化の合法化・公認が早かっただけの違い
また近畿パーを連呼する九州説のやつが暴れてんのかよ
どんだけ必死なんだか
金印が志賀島のあの位置から発見されたのは
少しも不自然では無い。
能古島=淤能碁呂島と、奴国の最初の大王が葬られている吉武高木遺跡とを南に望みながら、
奴国の代わりに宇美国が金印を使って祭祀を行ったわけな。
海の中道は由来の分からない名前と言われているが
宇美の中道のことだった。
普段は砂洲の根元に住んでいる宇美国人は、祭祀の時は宇美の中道を通って志賀島へ行き、
金印公園のあるあの位置へ行きそこで祭祀を行った。
こういうこと。
また近畿パーの畿内説のやつが暴れてんのかよ
どんだけ必死なんだか
(これかwここ掘れワンワンwww)
気象庁のホームページより
この下の図の足摺岬から黒潮に乗ってハワイを通ってぐるっと回って戻って来るヤツを奴国がスクナビコナの手引きでやって見せたわけね。
これが奴国が金印を貰った理由。
そして、この大航海を指揮し成功させた奴国王が
吉武高木遺跡に葬られている大王。
早良王朝などでは無くて、奴国の祖形。
また近畿パーの畿内説のやつが暴れてんのかよ
どんだけ必死なんだか
何でもかんでも自分宛だと解するのやめれくっさい近畿パーwwww
私も近畿説は成り立たないと思っている者だが
かくの如き輩に対処しなくてはいけない近畿説論者たちに対して、同情を禁じ得ない
私も近畿説は成り立たないと思っている者だが
かくの如き輩に対処しなくてはいけない九州説論者たちに対して、同情を禁じ得ない
金印が志賀島のあの位置から発見されたのは
少しも不自然では無い。
能古島=淤能碁呂島と、奴国の最初の大王が葬られている吉武高木遺跡とを南に望みながら、
奴国の代わりに宇美国が金印を使って祭祀を行ったわけな。
海の中道は由来の分からない名前と言われているが
宇美の中道のことだった。
普段は砂洲の根元に住んでいる宇美国人は、祭祀の時は宇美の中道を通って志賀島へ行き、
金印公園のあるあの位置へ行きそこで祭祀を行った。
こういうこと。
気象庁のホームページより
この下の図の足摺岬から黒潮に乗ってハワイを通ってぐるっと回って戻って来るヤツを奴国がスクナビコナの手引きでやって見せたわけね。
これが奴国が金印を貰った理由。
そして、この大航海を指揮し成功させた奴国王が
吉武高木遺跡に葬られている大王。
早良王朝などでは無くて、奴国の祖形。
海は恐らく宇美が語源で、元々は博多湾のこと。
ワダツミは幡多つ宇美の意味で、元々は宿毛湾のこと。
宿毛湾の沿岸に小筑紫があるのは、こういうこと。
そして竜宮もここ。
浦島子伝説もここ。
蓬莱(とこよのくに)に行くが、ポリネシアのどこかの島のこと。(無論ハワイかも知れないが)
当然同じく常世の国に戻って行くスクナビコナが原型。
こういうこと。
生まれて初めて海を見たとき、
「ウ!」
と声が出たのが海の語源
>>779 そうすると常世とは常夏の意味だったのかな?
>>720 でも男性であるヒミココってのも記述されているじゃない
だから「姫皇子」では無いんじゃないかな
隋書百済伝を見ていたら、
・百済は東西四百五十里、南北九百余里で1里4〜500mくらいか
・南に海行三月、聃牟羅国、これが、済州島だというんだが、南北千余里、東西数百里
で、済州島の形と東西南北がどうも合わない
むしろ済州島じゃなく台湾かともおもうがわからん
>>753 ホント、枝葉末節に過ぎないんだが、ヤマタイ厨が荒らしたせいで本来の三国志マニアが
スレからいなくなるという状態っていう
左慈伝の奇術とか呉主伝の建業に降った甘露とか本気で考察するヤツなんていないのに
なんで東夷伝だけこうなんだか
>>786 聃牟羅国は百済の属国として書かれているから台湾はない
済州島で確定
里数について、その頃の東夷関連の史書では離島には短里が使われている
例えば三国史記新羅本紀の中の鬱陵島の大きさについて
「于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里」(『三国史記』巻第四 新羅本紀)
鬱陵島は突出部を除くと10km弱四方ほどの小さな島なので、方一百里は短里となる
>>786 あと、東西の表現方法が現代人の考えかたとは逆だったらしい
http://blog.livedoor.jp/senjou_/archives/481270.html >『隋書』西域伝高昌條(以下、『隋書』高昌伝という)に次の記述があります。
>高昌國者則漢車師前王庭也去敦煌十三日行 其境東西三百里南北五百里四面多大山
>
>これまでの学問では、高昌國の国境である「東西三百里南北五百里」は、東西の長さが300里で、南北の長さが500里ということになります。
>言い換えれば、横が300里で縦が500里の縦長の区域をあらわしていることになります。
>しかし、これは衛星写真や地形図を見れば明らかに間違いです。トルファン盆地は、東西に横長の区域です。
>「東西三百里南北五百里」の記述は、高昌國の国境を「方」の概念であらわし東辺、西辺が300里、南辺、北辺が500里を意味しています。
>言い換えれば、縦が300里で横が500里の横長の区域をあらわしているのです。
>>786 >>789の続き
http://blog.livedoor.jp/senjou_/archives/481268.html >耽牟羅國の例から、「南北」は「南辺・北辺」の意味であり、「東西」は「東辺・西辺」の意味だと理解するのが適切でしょう。
>『隋書』における「東西」や「南北」の表現方法は、現代の常識とは異なっていると認識を改めなければなりませんね。
>>789 その考えだと、百済国本体は東西に長く南北に潰れた形になる
>>793 実際そのとおりだったんだろうよ
其國東西四百五十里、南北九百餘里、南接新羅、北拒高麗 (『隋書』百済伝)
訳:その国は、東西に四百五十里、南北に九百余里、南は新羅に接し、北に高句麗を拒む。
北は高句麗で南は新羅にサンドイッチされた国だったとある
東西に横長で何も問題ないだろ
むしろ縦長だったら新羅が入るスペースが無くなる
と思ったら、百済の領土も随分諸説というか変遷というかあるんだな
倭国伝の東西五月行南北三月行はどっちの意味だ
縦長だとするとえらいことになるぞ
>>794 やっぱ短里でバッチリ合うわけな
しかし近畿パーのウソつきぶりは半端無いな
百済から聃牟羅国(済州島)まで三ヶ月、これも正しく、倭国も三ヶ月×5ヶ月の縦長、これも正しいとすると、倭国は九州島にせいぜい周辺の対馬とかを加えた程度の大きさしかないことになる
えらいこっちゃ
>>795 百済新羅は取ったり取られたりを繰り返してるからなぁ
いつの時点の記録かによって相当変わるだろう
>>801 百済本国は長里、耽牟羅國は短里で書いてあるのは間違いない
じゃないと属国の耽牟羅國(済州島)が百済本国よりも大きくなっちゃうからね
百済本国:其國東西四百五十里、南北九百餘里、南接新羅、北拒高麗
耽牟羅國:其南、海行三月有耽牟羅國、南北千餘里、東西數百里、土多獐鹿、附庸於百濟
>>788の通り、別の史書でも離島は短里になってるし
大英帝国「属国の方がでかいな」
アメリカ「属国だと? 独立したるわ」
>>804追記
済州島の実際の大きさを見ても、東西の考えを
>>789の通りとすると
1里約80メートルでいわゆる短里説にピタリと一致する
>>802 倭国と日本は別と書いてある
倭とは中国では刺青の意味なので
畿内は刺青が無い日本で
九州は刺青がある倭国
中国の文献調べれば新たな歴史が分かると言うことか
いとおかしたが文化大革命で燃やしたからなー
百済本体が長里で横長だとすると、うまく描けない
黄海から日本海まで突き抜けてしまうが、そんな説、歴史地図、あるのかなあ
かといって短里だとすると、ほんとちっさ
>>83 そもそも当時の朝鮮半島に、
今と同じニダニダ系言語を話す民族が住んでいたのか?ってことからだよな
そうか、隋書には九州までしか出てこないのか
日出ずる国とか言ってたのは九州政権
マジか
>>812 それは近畿日本。
だから煬帝は怒ったんだよ。
訓令書(小野妹子が失くしたことにしたやつ)でお前らは認めんと言っただろうがってね。
そして九州倭国の様子が不安になり、翌年裴世清を九州倭国に送ったと。
そういうこと。
近畿パーが裴世清の会った倭王は近畿だと言うが、このとき近畿の天皇は推古天皇で女。
倭王は側室が多量に居る男ww
全然おおウソw
ちょっと考えて見ればいい。
激怒して「二度と取り次ぐな」と言った国に翌年裴世清を送るか?
あるわけがない。
当然国書を送った国と煬帝が裴世清を遣わした国は別の国だ。
6〜7世紀のことだ。
準備があるから翌年裴世清が倭国へ行ったと言うことは
煬帝は激怒した直後に裴世清に支度しろと言ったはずだ。
二度と取り次ぐなと言って、直ぐその国に行く為の支度をさせるか?
あるわけが無い。
>>779-780 日本語の「う」は、表面化を表すように用いられ、「み」は、「○む」と
関連して満ちることを表しているのだから、「海(うみ)」は、「水が満ちて
表面が上がってくること」を表している。うみ(膿)、う(倦)み、う(産)み
などと関連するだろう。
三国志の最高傑作はスリーキングダムだろ
あそこまで忠実にイメージ壊さず演義を描ききったものは小説にも漫画にも映画にもないと思うわ
>>804 >耽牟羅國:其南、海行三月有耽牟羅國
この海行三月も海行三日の誤記だな
朝鮮半島南部から済州島までだから海行三日。
>>796 倭国伝の東西五月行南北三月行も東西五日行南北三日行の誤記
東西五月行南北三月行だと超大陸級の大きさだ。
スリーキングダムズの理知的な論戦は日本の大河も見習ってもらいたいところ
中国では歴史上の人物は理知的なのが好まれるみたいだしね
中国人が日本で呂布が人気知って困惑したそうだ
>>825 逆じゃない?
中国では武将タイプの方が人気あると思う
楽毅、白起、伍子胥とか
逆に日本の方が管仲、張良、孔明とか
軍師タイプの方が好まれない?
日本で呂布なんか人気あるっけ?
「嫁さんになれよ」だなんて
管仲「はい」
日本で言ってしまっていいの
>>825 三国志だと張飛が人気だったようなw
水滸伝だと黒旋風のリキ
呂布は京劇だと一応主役の話がある程度の人気
ここでは董卓を殺した関係でヒーロー扱いで悪い女に騙される人w
>>779 ワダツミ><幡多つ宇美
日本語の単語の先頭にあるwaとpa(奈良時代)/fa(平安〜徳川幕府樹立)/ha(徳川家光以降)が相互に交替する
例(エビデンス)を挙げて証明しろ>九州詐欺師
ワダツミは海水が波に揉まれて泡立って綿のように見えたことが語源だ。
>>829 ダントツ人気はやっぱり関羽じゃなかろうか。
なにしろ神様になって各地の関帝廟に祀られてるし(なぜか商売の神だけどw)。
呂布は紀霊と劉備の仲をとりもった場面が好き。
粗暴なバカだけど、気の良い兄ちゃんかも知れん。
>>829 中国古代史が好きでよく移籍見に中国に行くんだけど
確かに張飛は人気あるね
三国志だと趙雲や司馬懿なんなは誰それ状態
春秋戦国時代の将の方が圧倒的に人気あるよ
日本語のオノマトペは古代の発音が現代にまで受け継がれている。
トボトボ歩く>徒歩徒歩
旗がパタパタと旗めく パタパタ=旗旗≒幡幡
小さい旗>コバタ 小さい鳩>コバト
ピカピカ光る 「光る」の古語は「ピカる」と無理なく推定できる。
三国志は日本人好みの血沸き肉躍る作家の演出技法で
面白おかしくなっているけど
中国人からしたら頭が変わるだけで
生活には何の変化もあまりないから
物語としてしらけている部分も多い
>>832 趙雲が中国でも二枚目確定の一番人気でしょ?
まあ、張飛が大人気ってのとベクトル違うのはわかってるけど
>>821 それは違う。逆。日だと小さすぎる。
九州と中国を行き来するのに半年かかってるから
別におかしな数字では無い。
>>821 そう。陸行一月は陸行一日の写し間違い。
また伊都国基点の放射読みが正しいから
邪馬台国は筑紫平野のどこかで間違い無い。
卑弥呼の墓が祇園山古墳だから、この周辺。
帯方郡から伊都国まで一万五百里プラスアルファで、
帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里だから、
伊都国から(太宰府を通って)邪馬台国まで千里〜千里五百里。
ピッタリ合う。
べうべう→ワンワン
い→ヒヒーン
保持してるのかいないのか
伊都国から水行十日陸行一日、
伊都国から陸路で太宰府あたりを通って千里強くらい。
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳。
邪馬台国は御井。
御井は筑紫平野の軍事的要衝でもある。
何もかも合致する。
ピッタリ。間違い無い。
近畿パーがうんこを漏らしながら
↓
>>833 心臓がドキドキ
鈴がチリーン
肩をトントン
花火がドン
戸がバタン
肉がジューっと焼ける
拍手パチパチ
ズルッと滑る
紙をビリビリに破く
どぞ
↓
>>319 曹操のリアクションがいちいちおもしろかったw
司馬懿もよかったなあ
長阪の趙雲は今までの映像作品で飛び抜けて化け物だった
>>836 >九州と中国を行き来するのに半年かかってるから
それの出典は?
>>846 魏志倭人伝にあるだろ。
倭国から使いが来てから、
中国側がその返信で使いを倭国に送るまで半年かかってる。
>>848 それインドネシア
しかも5万年前に絶滅
西暦がはじまって以降にまだ居たとしたら、邪馬台国なんか軽く吹き飛ぶくらいの歴史的発見。
>>844 何気に正史準拠なんだよな
劉備もこれまでとは違って上品だが何考えてるか分からん凄みが感じられてよかった
日本語の数の数え方は中国語直輸入なんだな
http://ja.wikipedia.org/wiki/ビン南語
漢字 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
文読 it lī sam sù ngó͘ lio̍k chhit pat kiú si̍p
数の数え方だけが孤立して輸入されるわけがないのだから、
数え方に付随する表現や、数を数えるような状況全体に
かかわる表現も同時期にそのまま日本語に入っているはず。
>>850 あれは、演義ベースだぞ
趙雲とかおかしい点いっぱいだっただろ
>>双方の言語を操る通訳がいたとは思えず、
何でいきなり決め付けるの?
人の行き来くらいあったと考えるのが普通だろ
英語と日本語覚えるより
支那の各州の言語を覚えるほうが楽だろ
いつも暴れてる九州説のやつって、聖徳太子も九州王朝の人物だと思ってるのか
頭おかC
>>856
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>851 一は日本語では「ひと」と読む。
イチやイツというのは、中国語由来の読み方(音読み)
日本古来の読み方を「訓読み」と言う。
漢字の読み方を○○だったんだ!をやる人は、まず音読み訓読みの区別から勉強してほしい。
>>850 確かに劉備はただの仁君じゃなくて胸に一物っつか、いい意味で胡散臭かったw
まさに詐欺師並みの人タラシw
>>860 ご先祖の(ということになっているw)劉邦を意識しとるんかな。
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
(邪馬台国に)男王が移住して70-80年、倭国は乱れ、互いに攻撃し合った
この男王は他所の土地からやってきたと読み取れる
何処からやって来たのか
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