1939年、独ソ不可侵条約が締結されていなければ、ソ連がナチス・ドイツに抗うチャンスはほぼなかった。元国防相で、現在、ロシア軍事史協会の会長を務めるセルゲイ・イヴァノフ氏はスプートニクからの取材にこうした見解を表した。
「第2次世界大戦前夜に欧州諸国で作られた戦線のなかで(ナチスドイツに抵抗できる)力のあるものは1つもなかった。全てが攻撃を受け、結局、破られるか、降伏していった。もしドイツが1939年9月16日のような攻撃をソ連西部の国境で準備していたとすれば、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の死守など到底あり得なかっただろうし、ミンスクやキエフはそれよりずっと前に陥落していたはずだ。」
だがイヴァノフ氏が最も重要だと考えているのは、条約がなければ、国防産業を疎開させるチャンスはずっと少なかっただろうという点だ。
「仮にこれで1941年は持ちこたえることができたとしても、1942年にはソ連には事実上、戦う術は残されていなかったはずだ。」
「1941年夏、(秘密裡に結ばれた独ソ不可侵条約によって)ドイツに一時的に領土の一部への侵入を許しながら、その裏でソ連司令部は何十もの師団の動員、装備に間に合ったため、結果的に戦線での戦況を安定させて、モスクワへの侵攻を阻止することができた。」
「独ソ不可侵条約が結ばれていなかったら、1941年、ドイツ軍はベラルーシ西部、ウクライナを数百キロも進軍する必要はなかったはずだ。」
イヴァノフ氏は、この独ソ不可侵条約のおかげで日本のソ連に対する宣戦を防ぐことができたと考えている。日本はドイツが日本の見解を考慮せずにこの条約の締結を決めたことに「ショック」を受けていたというのが、その理由だ。
「ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、日本がノモンハン事件でソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、ソ連との間に不可侵条約を結んだ。この結果、日本政府は(編集部注:関東軍内での)更迭を余儀なくされたのだ。自分の同盟国の結んだ条約のせいで!私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。」
こうして日本は軍事産業および海軍力の構造改造に着手し、ソ連との国境から踵を返し、まもなく東南アジアの領土獲得に乗り出していく。
1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻し、この瞬間、1939年8月23日にモスクワで締結されていた独ソ不可侵条約は効力を失った。
ドイツとソ連は互いに暴力的行為、攻撃を慎み、論争や紛争を平和的に解決することを約束した。
この条約と同時に補足する秘密議定書が結ばれていた。これにはソ連とドイツの間で境界線をどう分けるかが記されていた。
議定書ではラトビア、リトアニア、エストニア、ベラルーシ西部、ウクライナ西部、ベッサラビアがソ連の影響下に入ることになり、これにより、ソ連と欧州を隔てる境界線は著しく西進した。
独ソ不可侵条約およびこれと同時に秘密議定書によってドイツの手は解かれた形となった。1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、その西部地域を最短時間でいとも簡単に占領。そして9月17日にはソ連軍がポーランド領の一部であったウクライナとベラルーシの西部に進軍した。
2019年07月08日 21:30
https://jp.sputniknews.com/opinion/201907086448948/ ちなみにこの条約で、日本政府は思わず内閣解散するほど驚いて逃げた
外交オンチってレベルじゃない
これが原因で当時のソ連軍は、条約破って北方領土を占領したのだ
・アメリカの不参戦
・独ソ不可侵条約破棄
この2つがあったら枢軸国は勝てた?
チャーチルの要請だけど米ソで日本半分統治の算段があったんだろう
日本としてはマジむかつくよな
ロシアとは一切約束事するべきじゃない
そのくせに火事場泥棒で樺太や千島列島に侵略してるのね
>>1
>日本はドイツが日本の見解を考慮せずにこの条約の締結を決めたことに「ショック」を受けていたというのが、その理由だ。
こ、これは核心をついてる。まさにその通りだが。
>私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。
さて、そのベクトルとは。南方戦線への日本軍の拡大のことかな。仏印進駐、そして日ソ中立条約。 >>8
不参戦でも援助は死ぬほどしてたから勝てない ドイツと日本、療法と不可侵条約結んでおきながら、最終的には両方に攻め込んでるからな
ソ連は約束やぶりすぎというかそもそも最初から守るつもりがない
>>1
日ソ中立条約が一方的に裏切られたので、今の日本政府は条約を重視しすぎて身動きできなくなってるだけ
国際的な公約約束である条約は未来永劫遵守しなければならないと思い込まされてる日本人はこのトラウマやね
条約は破って良いのだよ、真面目な日本人よ
元日教組の大阪府下中学校社会科教諭より ソ連は「第3次5ヶ年計画」の最中でした。
これは軍事力によって西欧を凌駕する
大軍拡構想であって、
ドイツは、そうなってからでは
勝てなくなることを恐れて
先手を打って奇襲を駆けたのです。
ポーランドをいとも簡単にというが独ソに東西国境から侵攻されそれでもポーランドは独力で1ヶ月粘ってその後亡命政府として戦いを継続した
翌年の西方電撃戦でフランスは1月半であえなく降伏した
英仏が対独宣戦布告と同時にドイツ西方国境を越えてルールを占領してしまえばドイツは戦争継続は出来ずそれで大戦は終了していた
或いはポーランドを見捨てて対独参戦しなければヒトラーは西方に向かわず独ソ戦が開始され西側は共産主義とナチズムの泥試合を見物していればよかった
英仏の対応はあまりに中途半端だった
ロシア国営放送「ナチスと手を結んだロシアは正しかった」
↑ナチスとの技術協力やポーランド分割、バルト三国やフィンランドルーマニアへの侵略などを正当化する恥知らず
>>8
イタリアが足引っ張ってどっちみち欧州は詰んだんじゃねーかな >>13
日本も火事場泥棒で仏領インドシナを奪いましたよね ロシアってのは信用してはならない 仲良くしたいのは安倍ちょん売国奴だけだよ
ていうか世界にマトモな国ってマジで日本しかないな
みんながみんな裏切るし暴力振るう
日本が今の状態でいるのってあの戦争で強さを見せたからだろ
倭猿脳では欧州の外交を理解するのは無理
複雑怪奇とか言ってる時点でガキの使い同然
>>20
破りまくってるよ。国際連盟脱退とか。
戦前から、日本は条約尊守って柄じゃない。
不平等条約の改正が国是のひとつだったのだから。
対華21カ条要求のような一方的要求のつきつけ、とかやってた。 独ソ不可侵条約のおかげで
ドイツは安心してポーランドに攻め込めたし
ソ連は当面ドイツの侵攻を先延ばしにできた
双方ともウィンウィン
ヒトラーは日本人を人間扱いしないで下等な生物として利用しただけ
>>34
軍縮違反で戦艦陸奥造ったりとやりたい放題よねw >>23
イギリスは陸軍を送れない。WW1のときの西部戦線がトラウマ。
アメリカのモンロー主義が最大の要因だね。 >>34
国際連盟脱退は条約破りではない。
お前は日本語が分からんようだな。 じゃあ、日露の平和条約も
領土問題が解決されたら締結することにためらう必要ないな
香港を見たら無理だろうけど
>>42
北方領土が戻るまでは平和条約なんて結び必要すらない。今は返す気ゼロみたいだから先送りでええよ 日本が真珠湾をヤラかしたから、米は対独に正式参戦した
>>6
本当は4月くらいを予定してたが、イタリアの馬鹿がバルカン半島にちょっかいだして、ドイツが尻拭いということやって、6月まで遅れた。タイフーン作戦の失敗に繋がった。 日帝の外交戦略は稚拙かつ正直だったよな。
まぁ国内情勢も複雑化してたから仕方ない部分があるにせよ
ソビエトは途中ヤバかったけど実にうまく泳ぎきったわ。
>>51
その外交音痴は今もきっちり引き継がれているんだよな。
日本人の手でちゃんと真の戦犯を裁かなかったから。 >>20
それは帝国主義時代だから
条約なんて国益のための駆引きとしての意味しかなかった
二国間条約ですら影響国への武力的牽制の意義が大きかった時代の話
今の時代、なんの意義もなく国益にも逆効果なことやってるのは韓国くらいだろ >>51
4ヶ国同盟構想が一番ダメ。松岡だけど。
ヒトラーは反共は崩してないだろ。
天皇制の日本が共産化の危険のある4ヶ国同盟って、国体に沿った方針じゃない。
でも、一番の失態は国際連盟脱退。 >>41
国際連盟とか、EUも全部そうだけど、特定の条約批准をする国々としての連合。
あたりまえに条約だよ。ヴェルサイユ条約とかの。 日本人を倒すのは条約より優先される
生きると言ってるのと変わらないことだ
ゲッベルス博士との密約で
ボーランドの東半分もらうから
不可侵条約を締結したんだろ
>>40
英軍は派遣軍をフランス、ベルギー、ノルウェーに送ってたぞ
全て敗退したが、後の兵力として敗残兵(少なくとも激戦を経験した兵)をかなりの人数を帰還させられた作戦で有名になったのがダンケルク >>13
その頃は日本政府はまだ降伏文書への調印はしてないんだけどな 白人社会の欲望に日本は翻弄されただけ。状況に窮してドイツと手を組む事になったが、結局はドイツやイタリアとは大戦に踏み切った目的も意義も共有できるものは無かった。
極東の最果ての地で欧米列強の強欲に黄色人種として真っ向から反発し孤独な戦いを仕掛けたのが日本だった
さっさと叩き潰してウラジオストック取っておけば良かったのにね。
独ソ不可侵条約を結んでいながらソ連はドイツ国境に軍を集結させてたけどな
>>52
>日本人の手でちゃんと真の戦犯を裁かなかったから。
昭和天皇が退位しないで、GHQの犬になったのが
拝金主義の始まり。独立とか毅然とかいう言葉が
失われた平和ボケバンザイ社会は醜悪だ 独「だってフランスをあんなにあっさりおとせるとは思わんかったんよ…」
フィンランドとかいう矮小国家相手に大損害出した赤軍さんにも問題がある
こんなのみたら伍長も誘われてしまうわ
>“独ソ不可侵条約”のおかげでソ連は1941年ドイツの侵攻を許さず
というよりナチスドイツとグルになってポーランドへ侵攻したことについて述べろよ
ベルサユ条約で貧乏どん底だったドイツがどうしてあんなにたくさんの戦車に航空機を揃えられたんだろうね
>>20
日米安保条約が未来永劫普遍と勘違いしてる生徒も多かった
一方的に更新しないと宣言すれば消える条約てことも知っておかなきゃね
とにかく間違ったことを教えまくっている中学校の社会科とその教科書でした
もうね、自分でプリント作るんだけどね、それすると受験に役立たないとか最近は言うわけで
もう、馬鹿馬鹿しくなって辞めたです お前ら深読みしろよ。
日ロ平和友好条約が締結されればロシアの国際的地位は大幅アップする。
問題は日本に北方領土と南樺太を返還する件だが、これを承諾してもロシアに大きなメリット。
というのがこの話の核心だ。
>>66
攻め難い国というのはあるんだよな
フィンランドもだがベトナムやアフガニスタンとか
手を出すと大火傷する 満州と南洋でアメリカと適当に折り合いつけて防共協定結べてればなぁ
>>67
日本の南方進出はABCD包囲陣が原因。ドイツとまったく無関係。
日本が北進せず南進した話を聞いてヒトラーが大激怒、大暴れしたのは有名な話。 一次大戦の教訓でドイツが二正面作戦を回避したかったんだろ
ソ連も戦争準備が出来ていなかったから渡りに舟
お互いぶつかることは分かってたが(ドイツの戦争目標は東方)今はマズいと時間稼ぎしたかった
>>8
フランス侵攻は果たせたけど思ったより国力増強にならなかったから似たような結果だったんじゃないかな
それを踏まえるとイギリス侵攻したところで期待できそうにないし、その前にバトル・オブ・ブリテンで敗退したし
ノルマンディ上陸以前に、対ソ戦は既に敗走しつつあったしな ソ連からしたら、対ソ戦重視の皇道派が壊滅した226事件は万々歳だったろう。
>>78
ゾルゲを日本の政官軍へ手引きしたのは尾崎秀雄(朝日新聞編集主幹)
日本を滅ぼしたのは朝日新聞 >>1
それよりも独ソよりも日ソ不可侵条約のほうがソ連にとって幸運だった
なぜなら対独戦に全戦力を差し向けられたからな ドイツと日本はせっかく同盟を結んだのだから、
日独で共同してソ連を倒してしまうべきなのに、
ドイツだけがソ連と戦争を始めて日本は傍観している。
もうひとつの大国であるアメリカが参戦すると困るのに、
日本はわざわざアメリカとの戦争を始めて、
ソ連相手に苦労しているドイツの敵を増やしている。
>>74
日独伊三国同盟に意思統合は皆無だから当然だよ
同盟国同士今後の方針とか全く共通認識がなく好き勝手に戦線を拡大してるんだから
ドイツはバルバロッサ作戦発動するにあたり日伊に事前に相談ナッシング
日本は真珠湾攻撃にあたり独伊に説明ナッシング
そりゃあこんなガイキッチに付き合ってられないイタリアが日独に説明ナッシングで同盟離脱も当然だ
なんで英仏とだけ戦っていてまあまあ有利に進んでいたはずなのが米ソに喧嘩売るのか こんな同床異夢同盟に加わらなかったスペインは先見の明があったわ 昭和の天ちゃんもね、三国同盟の話を聞いた時、やっぱり周囲に質問してんのよ。
あんな国(ドイツ)と組んで大丈夫か?って。
イギリスはドイツに降伏しないで粘り強く戦ってたから凄い。元覇権国の意地か
>>17
ノモンハンのあと辻正信が「なら南だ!」と騒いだがまわりはこの馬鹿何言ってんだとまともに取り合わなかったらしい
それがいつの間にか南方進出、対米戦当たり前に変わってしまった
声のデカい奴は恐ろしい >>86
イギリスは四万人以上が空襲で死んでるからね。 >>1
バルト三国が主権回復したタイミングで
北方領土もなんとかすればよかったのに >>68
ソ連とドイツでエストニア、ラトビア、リトアニアでも無茶苦茶してたしな >>71
交渉次第では可能と楽観的な俺も思うが、上手くやっても国後までだろう
択捉は沖縄本島の2.5倍あるからウラジオストクの太平洋艦隊の母港移管には十分だからな
直接太平洋に面してるしセバストポリに固執するロシア海軍としては要塞島構築は悲願とすら思える今日この頃 日本が南方に向かったのは石油禁輸されたから南方の石油を
取りに行ったからだ インドネシアのパレンバンとかな
>>82
広大なシベリアを日本軍が占領できるかというと……
対米戦も米国本土を占領するつもりなどなく日本の対外利権をアメリカに認めさせればそれで良かった >>85
というかドイツとの同盟は露骨に嫌がってたろ。対独同盟推進派の松岡に白鳥を凄く嫌ってて、コイツラが合祀されたから靖国に参拝しなかったくらいだし。 実際、ドイツとなんか組んじゃいけなかったんだよなあ……
ソ連はそうだけど、ドイツもまだソ連と戦う余裕がなかったから不可侵条約が必要だったんじゃん。
でもお互いに着々と侵攻の準備をやってて、どっちが先に準備整えて条約破るかだけの問題
>>4
日ソ中立条約に関しては、陸軍よりも松岡外相をはじめとする当時の外務省が主導したという説があるね。
なんか、しっくりくる。 >>93
南方への第一歩たる仏印進駐の主目的は、援蒋ルール遮断だよ。
日中戦争が収拾つかなくなって、援蒋ルート遮断だ!と動いてさらに敵を増やした。 >>92
ロシアは国際的地位なんて気にしていない 領土にはシビアなんだよ
一島も返さないだろ ロシアはアラスカがトラウマなんだよ ああ、いや。
正しくはその前の三国同盟からして、外務省主導だったと。
>>82
日本に相談もなく独ソ不可侵条約結んだ挙げ句勝手に攻め込んでおいて何言ってるんだか。
きちんと日本に話通しておけばソ連国境に関東軍貼り付けてたかもしれないのにな。 >>86
アメリカの参戦を引き出すために色々やったからな。これだからジョンブルは侮れない。 >>103
外務省っつーか、外務省の革新派ね。
これが吉田ら英米協調派と争ってたが、軍部と組んで突っ走った。
元軍人の宇垣一成が外務大臣になり日中戦争収拾でかなり前進したのに、
近衛を動かしてこれを潰したのも外務省革新派。 >>92
朝鮮の外交部ならもっとうまく返して自国メリットをさんざん喧伝する。
こういうことができないポンニチ外務省は、アフリカ最貧国以下の底抜けクソ役人。 >>94
そう ロシア内陸に侵攻は難しい 海軍に比べ近代化が遅れてたから
ブリキの戦車では無理だっただろう 大陸は戦車の戦いだからな >>110
日本には最初から満州での遅滞戦闘しか戦略になかったからな。
大戦末期で配色に染まった状態でさえ、日本は想定の通り遅滞戦闘に成功した。
おかげでソ連の北海道や東北への侵攻を防げたと言える。被災者は莫大だったがね。 つーか五十六は講和持ち込みたかったらしいけどダメリカと講和なんて無理げーじゃん
>>91
ラトビア、ベラルーシ、ポーランドに囲まれたカリーニングラードは未だにロシア領の飛び地だしな
ドイツ占領時はケーニヒスベルクという大戦末期に戦線から切り離されて(補給も途絶え)ソ連軍に包囲され孤立したので、都市としては血塗られた歴史だが、それ以前の歴史的建造物が現存してるとても優美なとこだった >>8
アメリカ完全中立
ソビエト枢軸同盟加入
この第二次世界大戦がみたい T-34ってコウソウシュバランスとれた戦車って言われてるけど
あれもアメリカの膨大な物質的な援助の賜物だな。
>>114
ソビエトが枢軸に入るためには、ウラル以西のロシア領をドイツ人が植民し、
スラブ民族はその奴隷とすることを党是とするナチス政権が倒れないと無理。 >>114
その2つの条件が並立しうる世界情勢なんて考えられないのだが。 >>110
地政学的にはロシアは守に最強らしいな。 独ソ不可侵条約が成立しなければポーランド侵攻も起こらず、第二次世界大戦は起こらない。
>>114
松岡洋介と近衛文麿は日独伊三国軍事同盟にソ連を加えるべきと主張してたが、
ヒトラーもスターリンもあんまり考えてなかったな。 ドイツはイギリスを攻める為に背後をやられないように
独ソ不可侵条約を結んだんだよ そしてイギリスを攻め落とせないから
ソ連に向かった 日本はドイツとソ連に対抗しようとしたのに独ソ不可侵条約を
結ばれて欧州は複雑怪奇と言ったのは有名な話
>>108
非主流派でコミュ障で説明不足な五十六も問題あったけどな
ただ、人事権無し現場で指揮出来ん日本代表監督みたいなもんだからアレ以上は無理だったんだろうな 不可侵条約が無いとギリギリだった西方電撃戦に回す戦力が減るし
先に東方電撃戦やるにも西方に張り付ける戦力が必要でそんな余裕無いし
不可侵条約よりも一緒にポーランド食い物にして稼いだ距離が重要そう
というかロシアってナチと組んでポーランド侵攻してWW2始めた事を隠すのが好きよな
日本はノモンハンで、大敗。
単独での北進はする能力は無かった。
ソ連が独ソ戦で兵力引き抜くタイミングで
死力尽くしてイルクーツク占領までが関の山
一方、ドイツは腐ったドアは一蹴りで崩れると
豪語して短期決戦志向でソ連進行
220個師団倒してもまだまだ湧いてくるー
とハルダー参謀総長が嘆く
ソ連の国力、兵力、粛清による体制強化、
アメリカの援助をなめすぎた
>>120
四国同盟が成立してたら米国はもっと早い段階で参戦していただろ。 >>115
もとはクリスティー戦車といって
アメリカ人の民間人の開発品
アメリカ陸軍が無関心だったのでソ連に売り込んだ
ディーゼルエンジンや広いキャタピラー
装甲の強化で主力戦車に >>1
無能な松岡洋右のおかげよ(岸信介の親戚)
【岡崎久彦「重光・東郷とその時代」(PHP)単行本P.261-265(文庫本アリ)】
松岡は、満州事変に際して国際連盟を脱退したときのヒーローとして虚名を博していた。
松岡自身は、当初は連盟脱退を外交の失敗と思ったのだが、世論の意外な喝采を受け、
その後次第に自ら右派の英雄として振る舞うようになっていた。
近衛はあらゆる実力者、有名人、知識人を傘下に集めるのが好きだった。有名人を
自分のまわりに取り込みたいという貴族の習癖であろう。その裏として、近衛は批判勢力が
あること、とくに近衛が自ら人気があると思っている軍、右翼から批判が出ることを嫌った。
新体制運動についても、それができるころにはもう近衛の熱が冷めていたのは、一つには
右翼の一部からそれが「幕府的存在」であるという批判が出ていたからだという。
そういう近衛にとって、右翼、国権主義者のなかに人気があり、軍からも忌避されていない
松岡のような人物は外相にうってつけと思われたのであろう。
しかし、松岡は、近衛内閣の看板の一つとして、近衛内閣の人気を高めるだけの役割に
甘んじるにはアクが強すぎた。
前章で述べたとおり、松岡は就任早々、迅雷耳を覆う暇も与えず三国同盟を結んでしまった。
その際リッベントロップの訪独招請もあり、松岡はすでに同盟国歴訪を考えていた。
松岡訪欧の一つの直接的な動機は、日ソ国交調整がはかばかしく進んでいなかったことにある。
三国同盟のために訪日したスターマー公使が、ドイツは日ソ間を斡旋する用意があると
いっていたので期待したのであるが、一向にその気配もない。
松岡の外交顧問であった斎藤良衛によれば、松岡は日ソ国交調整問題について直接ヒットラー
と相談するつもりであり、「もし調整実現の望みがないならば、アメリカ牽制は一場の夢と化し、
同盟条約の存在価値は皆無となるから、……独伊と握った手を解き離すより外はない」
とまで考えていたようである。
(つづく) まあでも、個々人からしたら高い塀の男のような結果になったとしたら
現在の中国以上の監視社会の息苦しい社会になってた可能性があるな。
ヒトラーの経済政策は
安倍、麻生の何倍もの公共事業の大盤振る舞い
景気は回復し、産業界は回復するも
財政破綻は必至
どこで埋めるか 東方の生存圏(キリッ
全部我が闘争に書いてあった
ガチでやると思ってたのは戦争狂の
チャーチルだけ
>>126
それと生産性がよかった 簡単に造れた だから数で対抗できた (>>127の続き)
松岡訪欧に先立って一九四一年二月三日、政府は交渉案要綱を決定した。それによれば、
戦後の講和会議では、世界を大東亜圏、欧州圏(アフリカを含む)、米州圏、ソ連圏(インド、
イランを含む)の四大圏とし、英国には豪州、ニュージーランドを残すこととしている。
いまから思うと、こんな誇大妄想的な計画をよく大真面目に政府決定したものと思う。
松岡に押しまくられたことと、近衛内閣の世界新秩序ムードのためであろう。
しかし、これはじつにリッベントロップが一九四〇年十一月、ベルリンでモロトフに提案した
ところのものである。キッシンジャーによれば「モロトフはこのあまりにも誇大な提案に興味を
もたなかった。ドイツが提供するといっているものはドイツがまだ所有しているわけではなく、
ソ連はこの領土を占領するためにはドイツを必要としなかった」のである。
ソ連のボルシェビキ外交はもっと現実的であり、ドイツからは、ドイツがげんにもっているもの、
つまり東欧、北欧における大幅な譲歩を要求した。それは日本に対しても同じであった。
日本が、各国は南北に勢力を伸張すればお互いに衝突しないという観念的な論理で北樺太の
買収を希望したのに対して、ソ連は、日ソ間に中立条約ができれば日本はシナにおいて有利に
なるという理由で、その代償として北樺太の利権解消を要求している。共産党員はヒットラーや
松岡のような子供じみた空想の世界に生きていないのであった。
したがって、独ソの関係調整はドイツの思惑どおりにいかず、松岡がベルリンを訪問する前に、
ドイツはすでにソ連との話し合いを諦め、ソ連攻撃のバルバロッサ作戦を決断していた。
ドイツ外務省(ワイツゼッカー次官)および海軍はバルバロッサ作戦を松岡に通知したほうがよいと
進言したが、ヒットラーの司令部は作戦の秘匿を指令した。ただ、ヒットラーもリッベントロップも、
松岡に対して独ソ関係がうまくいっていない状況と独ソ衝突の可能性には言及している。
(つづく) >>102
そこは日露戦争絡みで表向き親日と言われる諸国に取り入る策ということで、あえて譲ると言うことも…
ないかw >>127
松岡自身がソ連も同盟に引き入れて
その功績で首相になりたがっていた (>>131の続き)
その代り松岡に対してドイツ側が執拗に迫ったのは、日本がシンガポールを攻撃して、英国海軍を
アジアに釘づけにすることであった。しかし、松岡は出発前にシンガポール攻撃について何ら
言質を与えないよう陸海軍から強く釘を刺されていたので、「自分は決める立場にないが、日本が
いつ攻撃に出るかは時間の問題であり、自分はなるべく早いほうがよいと考えている」と答えている。
こうして松岡は、日独ソが協調してアメリカとのあいだにバランス・オブ・パワーを築きアメリカの
参戦を防ぐという大戦略については、ドイツの意向について確信がもてないまま、帰路モスクワを
訪問した。そして往路モスクワに立ち寄ったとき、すでにモロトフに示しておいた日ソ中立条約について
モロトフと交渉した。条約交渉は、ソ連との交渉のいつもの型のごとく一度は物別れの状況となるが、
最後のギリギリの段階でソ連側が交渉再開を望んで、妥協した。
条約はきわめて簡単なもので、第一条で相互の領土の不可侵、第二条で第三国との戦争における
中立を規定し、第三条で、条約は五年間有効で満期の一年前に廃棄通告がなければ自動延長とした。
そして松岡は、北樺太の利権問題を数ヶ月以内に解決することを合意した。
この条約は、日本を、米、英、と戦わせるソ連の大戦略からいっても、ドイツとの関係が緊迫している
状況からいってもソ連の大成功であった。スターリンは、モスクワ駅で松岡外相を見送るという
異例のゼスチュアを示し、さらに松岡を抱擁して別れの挨拶をした。
日独ソ提携して対米牽制をするというこの松岡の戦略は、独ソ開戦でたちまち崩れることとなるが、
条約成立の時点では、ドイツが言を左右にして協力してくれなかった日ソ国交調整を松岡は
自分独りの力で達成したのである。まんまとソ連の策略に乗ったのも知らない松岡の得意思うべし。
また、それはもともと松岡の意図したところではないが、日ソ中立条約は、大東亜戦争に際して
背後の懸念をなくしてくれた意味で悪いことではなかった。そして戦争末期、まだ条約の有効期間中の
ソ連の参戦という中立条約違反の負い目をソ連に負わせた効果もあった。
(おわり) フランスとイギリスがポーランドを犠牲にして宣戦布告しなかったら関係なかったけどね
>>108
この革新派って、戦後も吉田茂が失脚したあと復活したからな。
鳩山を唆して近視眼的に二島返還を盛り込んだのもこいつらだし、さんざん売国してるんだよね。
しかも今も外務省革新派人脈が生きていて、対外交渉で一方的譲歩を繰り返している。
安倍になって、外務省を交渉から外して経産省に管掌させるケースが増えたのは非常に良い傾向だ。 ヒトラーはもともと絵描き芸術家なんだよ
芸術家が政治をやればああなっちゃうのかな 本来は芸術は政治に対抗するもの
日本は捕虜の扱いが酷かったと白人は言うけどさ、独ソ戦の捕虜の扱いもたいがいだよな
>>134
日ソ中立条約なかったら
世界最強の関東軍の精鋭師団は南方に送れない
南方戦線はもっと早期に敗退していたと思う
ペリリュー、沖縄、サイパン、フィリピンも
あれだけ戦い抜いたのも関東軍の精鋭師団のおかげ >>139
日本軍は降伏しないからな 降伏しない軍隊なんだよ
だから降伏した奴にはきつかったのかも ドイツなんて何万人とか降伏だからな >>129
ドイツは景気回復なんてしてないんだよ
強烈に統制してインフレを無理やり押さえつけただけだ
それがどうにもならなくなった時にやったのが一連の領土拡張政策
でもヒトラーがもっと成功する道は後知恵とは言えいくつかあったんだよね
オランダに宣戦せずに枢軸国に取り入れてしまうこと
英国をダンケルクで逃げさせずに大陸派遣軍はすべて捕虜にすること
これで全欧州はもちろん、南方まで日本の勢力圏になる
そっからソ連、アメリカとやれば世界征服だな >>139
SSは捕虜もとらず捕虜にもならない
ソ連兵は軍命令で降伏が禁止されている
死ぬか勝つかしかないの >>139
スターリングラードで捕虜になったドイツ兵10万人のうち、祖国に帰れたのは
8000人に過ぎなかったらしいな。 >>86
それは偏に海軍大臣から更迭されて陸軍の大隊長にまで成り下がってから復活したチャーチルのお陰だな
イギリスは実際、降伏(ナチスとの和平交渉)寸前で経済的にはナチスと取引した方が国益になるという論調に傾いてたし、ナチス信奉の極右組織が堂々と台頭し始めてたからな
アメリカが参戦した時ですら進駐してきた兵隊よりも市民の食生活は貧相だったくらいだ
チャーチルのある意味トリッキーでもあった手腕が国民の戦意を維持し続けたと思う
でもイギリス人には意外と嫌われてるんだよな >>144
パウエルも元帥にして総統の死守命令が飛んだのに降伏してしまったな。
包囲されて >>146
でもチャーチルの「ナチと妥協・共存することはない、滅ぼすしかない」は正しかった
ソ連やポーランドでやったことはキチガイでしかないよ
人を殺すだけの組織だ >>143
英国派遣軍とフランス軍を
ダンケルクで包囲せん滅
バトルオブブリテンで勝利し、英国本土上陸作戦
チャーチルはインドかエジプトから反撃するだろうから
チャーチルは捕まえねばならぬ
でもう2ヶ月早くソ連進攻
結構無理ゲー >>147
国防軍だからね。生粋の国防軍の軍人からしたら、
本音はヒトラーとかならず者の伍長上がりよ。 >>150
ダンケルクで大陸派遣軍全員捕虜になる時点で内閣が倒れるよ
ドイツは英仏と講和してWW2は終了だ ドイツが第一次大戦後戦車の製造禁じられてる間に独ソで極秘に共同で戦車を開発するくらい仲がよかったはずだが
>>151
んなわけないんだよな
対仏戦勝利の時点で国防軍はみんな英雄になったからウッキウキで総統バンザイ!!やぞ??
それでみんな調子に乗った結果が独ソ戦や >>139
ドイツ軍の捕虜になったソ連兵が一番哀れだ
扱いはユダヤ人と同レベル なんとか生き延びて解放されたらスターリンに捕虜になった事を咎められてシベリア送り >>136
デタラメもいいとこだなw
鳩山の日ソ交渉を外務省が徹底的に妨害したというのにwwwww
(重光葵外相、門脇季光事務次官、下田武三条約局長、
田中三男情報文化局長、寺岡浩平欧州参事官)
鳩山による日ソ交渉で日本側の全権代表の松本俊一は、
のちに第2次岸内閣で官房副長官になってるからなw
岸=安倍ってのは終始一貫して鳩山側なんだよ
改憲の議員連盟に鳩山由紀夫が入っていることに
自民党の右派議員たちが強烈な不満を表明したときに、
かばったのは誰あろう安倍晋三やで?wwwwww >>151
言ってることが支離滅裂で
将校不向きの評価
伝令としては超優秀なので階級あげて
別な役職つけたくなかったとか
入隊時にクソッタレのハプスブルグのために死ぬことは絶対に嫌だ
光栄ある大ドイツのために命もすべてささげると
演説して
わかったわかったといなされたとかなんとか >>146
イギリスが持ちこたえられたのはドーバー海峡とレーダーとスピットファイアとハリケーン
のおかげだよ >>140
日米戦なんて最初からやる必要ないからね┐(゚〜゚)┌ >>155
しかもポケットマネーから気前よくボーナスボンボン
元手は我が闘争の印税w
しかも東方の占領地が広がるにつれ
貴族将校には荘園を気前よくぷれぜんとなので
実は結構ノリノリの将軍たち >>135
民主主義国家は「怒って」戦争をするんだよ
P.233-235
東郷が指摘したように、日独防共協定には本来的に英国の猜疑心を招く要素があった。
ヨーロッパの覇権をドイツが握るということは、英国の伝統的な欧州大陸における
バランス・オブ・パワーの政策と衝突することになる。
しかしヨーロッパ大陸で、フランスが有事の際に英米の支持を受けてバランス・オブ・パワーの
要素として残るかぎり、英国としては、ドイツの東方進出は絶対に困るという性質のものでもない。
リデル・ハートの『第二次世界大戦史』によれば、一九三七年十一月の
ハリファクス英国上院議長の訪独によって、ヒットラーは、英国が東ヨーロッパにおける
ドイツの行動にフリーハンドを認めた、との印象を得た。英国側は、
そこまではっきりいわなかったとしても、ドイツの東方進出には十分理解を示したようである。
英国の態度がミュンヘン会談とポーランド侵入のわずか半年のあいだに百八十度変わるのは、
英国の世論が第一次大戦後はウィルソン主義の影響を受けて、従来の現実主義的な思考と
並行して道徳的な原則を重視するようになっていたからである。また島国である英国には、
そうした道徳的な思考を許す地政学的な余裕が与えられていた。
「ヒットラーの失敗は、バランス・オブ・パワーという歴史的原則を破ったことではなく、
第一次大戦後のイギリス外交の道徳的前提を踏みにじったことであった」――キッシンジャー
イギリス人はヴェルサイユ条約の不公正さは知っていた。だから、ドイツ人が同じ人種である
オーストリアの併合を禁止されているのは不合理だと思っていたし、ドイツ人居住地域である
ズデーテンラントをチェコスロヴァキアから回収することにも反対しえないと思っていた。
しかし、その後ナチスが強引にチェコスロヴァキアを解体し保護国化したことには
同じ民族自決原則からいって道徳的に許せなかった。そして民主主義特有の現象として、
それまでの宥和政策に対する反動が世論を正反対の方向に引っ張って、
ポーランド侵入に際しては対独宣戦に立ち至らせるのである。
(つづく) >>160
やらなきゃ両洋艦隊法通したアメリカが
戦艦20 空母50 巡洋艦100
駆逐艦400と連合艦隊の4倍の兵力整って
油切れて動かせなくなった頃に一方的に攻め混んでくるんだぞ クラウゼヴィッツは「戦争とは政治の一部である」と西洋では初めて気づいたわけだが
総統閣下はとうとう分からなかったんだなあ
でも全欧州を5年間殺人工場にするっていう野望は達成できた
ほんまにいかれとるw
>>161
マンシュタイン閣下も荘園貰ってんだよね
今はポーランド領のはずだけどw
一将功成りて万骨枯るは東西共通やで・・・ >>155
まあ、ナチに反抗した国防軍の軍人勢力は、基本的にシュライヒャーと共に消えてるからな。
ただ、ヒトラー個人に対する忠誠なんて乏しいんだよ、基本的に。 (>>162のつづき) P.235-236
このように、英国を敵にまわすことはもともとヒットラーの意図でもなく、またパワーポリティクスの
必然でもなかった。それなのに枢軸同盟が、ついには英米を主要目標にするようになるのに
重要な役割を果たしたのはリッベントロップである。
リッベントロップはヒットラーの腹心であり、外務省の外に特別事務所を設けて、ヒットラーの特命を
受けて英独海軍協定(一九三五年)を結んだりしていた。その種の立場にある人物の常として、
外務省を出し抜いて外交を行うことに自己の存在感、満足感を求める風があった。それがまた
外務省をバイパスすることで快を貪る傾向のある日本陸軍と波長が合って、双方の外務省が
知らないうちにどんどん話を進める結果となった。
リッベントロップは、正式な外相に就任する前に駐英大使となったが、ヒットラーから命令された
使命には失敗した。教養がなく傲慢なリッベントロップはロンドンでは相手にされなかった。そこで、
チアノ伊外相のコメントによれば、彼は「裏切られた恋人」の憎悪に駆られ、英国に対する私怨を晴らそうとしたのである。
一九三八年一月の「総統のための覚書」で、「私は過去数年、イギリスとの友好のために働いた。
これが実現すればこれ以上の喜びはない。しかし、今日私はもはや英独の相互理解を信じない。
イギリスをもっとも危険な宿敵であるという考慮を根本的に維持していかなければ、われわれの
敵は利益を得ることとなろう」と書いて、テオ・ゾンマーによれば「まったく支離滅裂なひどいドイツ語で」、
日本、イタリアと組んで英国に対抗する同盟を結ぶことを主張した。
この覚書脱稿の四週間後にリッベントロップは外相に任命された。テオ・ゾンマーは「この覚書の
歴史的価値は、ヒットラーの十一月の大演説の価値にほとんど劣るものではない」と書いている。 >>165
軍人は基本的に玩具とバッジがもらえたら誰でもいいからね
我が国でも「俺たちの日本海海戦」のためにアメリカに条約破って奇襲したおりこうさんたちがおったわけだがw >「ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、日本がノモンハン事件で
ソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、ソ連との間に不可侵条約を結んだ。
この結果、日本政府は(編集部注:関東軍内での)更迭を余儀なくされたのだ。
自分の同盟国の結んだ条約のせいで!私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵
条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。」
こうして日本は軍事産業および海軍力の構造改造に着手し、ソ連との国境から踵を
返し、まもなく東南アジアの領土獲得に乗り出していく。
この部分は多少はあるかもしれないな。ただ、日本が南方への海軍力を準備していたのはもっとずっと前だ。
>>163
はぁ?( ゚Д゚) お前何言ってんの?w
アメリカ世論もアメリカ議会も、
最後の最後まで日米戦なんて大反対だったんだけど?w >>163
あれだけ開戦理由に苦労していたルーズベルトが一方的に攻めてこれるのか
そもそもルーズベルトが参戦したいのは欧州じゃないの
欧州で英独ソが死力を尽くしてるのに太平洋で日米が独自に戦争する意味はあるのか >>1
ドイツはどうか知らんが、
日本はソ連軍を恐れてた。
二度のノモンハン事件で痛い目にあって懲りてた。
だから日本軍がソ連に侵攻することは無い。
それよりも南下だよ。
南には資源が豊富にあったし。
石油が欲しかった。 だいたい満州で止まっておけば、
または北進する限りは、アメリカもイギリスも介入しようもないしな┐(゚〜゚)┌
(すでにイギリスは独力で極東の植民地を守る力は失っていたが)
>>159
レーダー網とスピットファイアに異論はないけど
ドーバー遠泳達成した人が津軽海峡に二度挑戦したけど失敗だったはずw
沿岸砲で撃ち合える距離だし、実際に列車砲持ってきて撃ってみて届いたけどあまり意味ないから止めたんじゃなかったかな
ハリケーンは数が揃えば何とかなると思うが、BF109相手でも荷が重いと思うけどな、後にサンダーボルト同様に対地攻撃や偵察が主要任務になった訳だし このままロシアの人口と国力が減っていけば
沿海州、極東シベリアは中国のものだ。
その時は中露対立だが
日本がそれまで待てれば良いが
日本も人口と国力が減るからな。
内政に失敗する民度だと、外交も失敗する。
>>1 日本バカにされているやんけ。( ゚Д゚)<氏ね!Russia 第二次大戦は第一次大戦の第二ラウンドみたいなものだから、だいぶ前から見ないとだめだ。
またそうなると、独仏戦争とか、ナポレオンとか、ローマ帝国までずっと辿らないとわからない。
ま、あれだ。ヨーロッパは各国でトーナメントやって、最後にイギリスとドイツが
決勝に残ったってわけだ。騎士の試合みたいなもんだね。
スターリングラードでの大敗北が日米開戦の前なら日本は開戦せずに我慢したのかな?
>>176
そうなりそうだから
国境紛争のダマンスキー島
手打ち式したんだぜ
あいつら強いやつとは約束守る >>179
春に巻き返します(キリッ
に踊らされて結局奇襲攻撃w あとになって考えると第二次大戦は戦略的視点でめちゃくちゃだよな
日独同盟はどうみてもソ連挟撃のためにあるようなものなのに不可侵条約やら中立条約でなんのための同盟かわからなくなった
アメリカはアメリカで共産国家のソ連、中共を助けて後の冷戦の敵を生き延びさせるしなにがなんだかw
どの道ドイツが東に向かうことは決まってたけどイギリス戦をきっちりやり終えてから東進すべきだった
バトルブリテンで失った航空機も結果的には補充可能だったわけだし上陸して東進が遅れてもイギリスさえ占領できてればその後の展開は変わったはずマリーンエンジン手に入ってたら勝ってたかもねw
>>183
ナポレオンもおんなじこと
やったけどなー 太平洋はね、大事ですよ。
20世紀は太平洋の時代だと言われてた。
その太平洋を軍事で支配していたのは日本だった。
アメリカはパナマ運河ができるまで東西に二分されてたからね。
当時の日本の海軍力は太平洋一。
ロンドン軍縮がまずかったという意見もあるね。
どっちにしろ、太平洋をアメリカが支配するには日本をたたく必要があった。
アメリカ大陸が発見されたときも不毛の土地として喜ばれなかった。
当時はアジア、金のなる木であるアジアにみんな行きたかったわけだ。
オランダ、スペイン、イギリス、ドイツ、アメリカ、みんなアジアに来ただろ?
富があったからだ。インド、中国は太った豚。
太平洋が最大の富だったんだよ。
じゃまなのは日本だった。
>>183
制海権を獲れる見込みがない、それどころか制空権も取れなかったから無理だろう。
何十年もかけて戦力を蓄えるしかなさそうだな。 >>179
スターリングラードは大きな損失だったけど、あの時点じゃまだベラルーシとウクライナをまるまる占領してたからまだ形勢が逆転したとは言えない
その後の43年夏のクルスクが潮目で、あそこで西側に飛び出した突出部を潰せなかったことでドイツ軍の退潮が止まらなくなった ナポレオンもドイツもロシアでは負けた。
実は両方とも戦争で負けたのはわずかで、大半は風土病と寒さにやられたのだという。
ロシア軍はロシアの外で戦うとあんまり強くないが、ロシアの地の利があると
とても強い。独仏はロシアの冬の寒さに慣れてない。
>>188
あと、祖国防衛というのがでかい
負けたら親兄弟子供は皆虐殺
女房や恋人は輪姦の上虐殺では
戦わざるを得ない >>179
南方に手を出し始めた時点で米国との間が最悪だし
時間の問題というか、選択肢がそもそもなかったと思うよ
ルーズベルトさんは特に有色人種に価値無しの困ったちゃんだし
おまけに最初から型に嵌める形で結託して締め上げ続けてるんだから
どう振る舞っても最終的には戦争状態にさせられてたんじゃない
当時油の調達手段が無いってのは交渉のカードや抗う力すら断たれるということだもんな >>179
ノモンハンからずーっと反省ポイントはあったのに、全力で無視して突き進んでるから
情勢なんて関係ねえ。やって滅びるのみw あの時代の日本は国民とマスゴミ含めてどうしょもないw >>186
制海権を獲るために策定した最低限の整備計画が未達で
整備計画の原資は詐欺手形で
詐欺手形の償還=詐欺がバレる期日が開戦した時期とか見込みなさ過ぎだよなあ >>1
> 「1941年夏、(秘密裡に結ばれた独ソ不可侵条約によって)ドイツに一時的に領土の一部への侵入を許しながら、
> 「独ソ不可侵条約が結ばれていなかったら、1941年、ドイツ軍はベラルーシ西部、ウクライナを数百キロも進軍する必要 はなかったはずだ。」
この辺の意味がよくわからん。 日本が北進せずに、南進したのにはいろいろな理由があると思うが、
ひとつは海軍が米英と戦いたがった。海軍はイギリスで教育を受けたが、
差別がひどかった。で、海軍軍人は米英と戦って、やつらの鼻を空かしたかった、
見返したかったらしい。海軍説。
もうひとつは、当時政府は北進、満州開拓を進めた。しかし、日本人の多くは
南方気質なので、寒い北には向かいたがらなかった。一方、民間会社や財界は南方に
向かいたがった。結果、後者の圧力が勝った。国民が南を志向した説。
他にもあるが、眠いのでこの辺にしておく。
大正時代に日本もシベリアへ7年も出兵して敗れたことを思い出そう
>>191
ノモンハンの戦訓は
ソ連は強い
補給能力 機甲師団 砲兵火力も
向こうは強い
だから軍備近代化しないとヤバイ
でもそれには工業力の増強、鉄鋼生産量増強
技術革新 開発
とお金も時間も遠大に掛かるもの
ましてや極東ソ連軍の増強で
対米6割 対ソ2割までさがついてしまってたら
好機生かして電撃戦で短期講和しかみちがない >>194
2年で油がなくなるのに
(出撃しなくて訓練等で
油が取れず実り少ない北に進む意味がない >>194
不可侵条約で北進できなくなったのと、西方進出よりも南方の方が海が輸送路として使える分
リスクとリターンでともに勝るのと、駐屯する兵力や進出の容易さでも南になるかねえ
ただ、獲得地分だけ前線が拡がるし、インフラも港湾も防御施設もないから稼働までにえらい手間がかかるし
維持も大変 どこで足を止めて防衛するかぐらいの計画は予め決めてほしいもんだ >>8
レンドリース法で検索
アメリカ参戦しなくても枢軸国の負けは揺るがない >>198
トラック島防備のために
ラバウル占領 その防備のため
南部ソロモン諸島までと主張したのが海軍
補給できない北部ソロモン諸島までと
強硬に主張したのが陸軍
で妥協案が中部ソロモン諸島
ガダルカナル ヒトラーはたしかに、ドイツと日本でソ連をはさみうち、ユーラシア大陸の西と東から
進軍して、ユーラシア全体を二国で支配することを夢見ていたらしい。
ナポレオンもたしかそんな雄大な計画をもっていたんだよな。
それがなぜ実現しなかったかはよくわからない。
もともと荒唐無稽だったのか。
アメリカもバカじゃないから、そう手をこまねいて見てはいないだろう。
20年も経てば、満州の工業化が完成して、日本は巨大な生産力をもつことに
なったろうから、それまでにたたきたかったわけだ。
しかし真珠湾は見事な作戦だったね。
結局あの戦術が今も続いているわけだからね。
第一次大戦の塹壕戦も、実は日露戦争でのそれがモデルだという。
日本はけっこう戦術では革新的だったんだよね。
日本海決戦も、正確な砲撃での艦隊戦はあれがはじめてだったわけだし。
砲弾計算ができる兵士は西欧と日本にしかいなかった。
それまでは海賊のように体当たりがふつう。
>>100
こいつら南北朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれているからな。
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンストを被ったような朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は、
朝鮮人がいつもやっている汚い手口だからな。
韓流アピールしてる人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレているから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやっている。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
https://s.webry.info/sp/14819219.at.webry.info/201201/article_8.html
. >>179
1年も後の話だから、意味のない仮定だね
>>194
南部仏印進駐は松岡ですら反対してたのに何言ってんだこいつ >>197
日米戦を大前提にしている時点で、
お前は反米左翼丸出し、議論が破綻してるんだよ┐(゚〜゚)┌ ドイツの戦争準備を過大評価してると思う
1939年時点でのドイツの戦争準備はかなりヤバイ状態だった
弾薬の生産能力と集積が不足の状態だし、戦車も不足
そんな状態でフランスとロシアを同時に相手にするなんて不可能だ
逆に日ソ中立条約がモスクワを救った面の方が大きいだろう
モスクワが陥落した所でソ連が降伏することは無いにしても
極東ソ連軍をモスクワ正面に投入出来たことは大きかった
降伏したフランスの植民地
なんて当事者能力ないんだから
切り取るんなら今
位の強硬論
武田滅んだあとの甲斐、信濃とらないでどうする位の勢い
怖ろしい話で、独ソ不可侵条約の締結した範囲が、現代ロシアの東欧圧迫とほぼ被るのはどうなんだい
プーチンにしたら日本の北方領土と同じような感覚なんだろうな
いずれプーチンが分捕るんだろうな
石原莞爾によると、南方での最大の失敗は用兵だという。
徴兵した陸軍の兵士を、たくさんある島に二千、三千の単位で送りこんで、
守備に当たらせた。これはだめなんだそうである。
徴兵された兵士というのはプロではないので、数万の単位で動かさないと
使えない。二千では孤立して何もできない。
そういうのには、海兵隊のようなプロの兵士を使わないと駄目なのだそうである。
日本にも海兵隊はいないわけではなかったが、数が少なかった。
仏領進駐のときに、フランスはドイツに敗北してたというのに気づいてない人
多いよね。
>>55
連合は離脱する自由がある。
国同士の条約を破るのとは違うわな。 北進論にしても南進論にしても
結局はドイツが独ソ戦で勝利する前提でないと、お先真っ暗だったのは事実
北進してソ連をドイツと共同で倒して、ドイツから石油を得るか
南進して自力で石油を調達するか?
前者は、日本の石油が尽きるまでにソ連が倒れないと日本は崩壊する
後者は、歴史通りのリスク
後者でもドイツがソ連を屈服させないと
日本は対英米戦で単独で勝てる見込みは無かったから、ドイツ頼みにならざる得ない
もし、タイフーン作戦が成功したとしても、ソ連はモスクワを放棄して
更に後方に下がって戦いを継続するだろうし、工業力も英米の援助も十分に得られる状態だったので
遅かれ早かれドイツは敗退したと思う
日本軍は、ノモンハンを本格的な戦争とは考えてないから敗北
気が付いたら10倍の敵が攻め込んでいたみたいな状態
敗北というわりにソ連軍の損害が日本よりでかいところが味噌
武器がしょぼいのに、ジューコフもドイツ軍よりすごかったというほどの日本軍
スターリンも絶対勝てると見込んだ敗戦寸前までとぼけきったわけだが
日本ではあまり知られてないけど、イギリス王室というのはドイツ系なんです。
だから、当然戦争中も親ナチスだった。ヒトラーは王室を足がかりに講話が
できると思っていたらしい。また親独派のイギリス人も意外と多かった。
しかし、一番の頼りの皇太子かなんかが恋愛問題で、王位を放棄して
しまったので、とっかかりがなくなった。
もし、その人が王位を放棄しなかったら、世界の歴史は変っていたかもしれない。
>>209
石原莞爾は、どうしても開戦が避けられないなら北進を選ぶべき、
南方作戦に関しては、日本軍の作戦範囲はニューギニア島西部までとし、
同島東部やソロモン諸島方面には進出せず、
海軍はシーレーン防衛に徹する、というものだったと思う。 独ソ戦になぜ負けたのかというのは、個別の戦術論になるから詳しくないけど、
時期なんですよ。戦えるのは冬までなんで、冬が来るまでに落とせていたら、
勝ちだし、それができないと負け。ナポレオンも同じ展開です。
ノモンハンも後に知られるように善戦していて現場将兵は勝てる見込みが有ったから41年7月に関東軍特種演習で動員出来たんじゃ無いの?守りに適したソ連も独ソ日と挟撃で勝てたろ。何故か南方対米に目移り
>>216
シーレーン防衛の海防艦もなければ
制空権もなく
アメリカの潜水艦は待ち受けるでどうしろと 石原は日中戦争ですら反対だったですからね。シナはでかすぎて取れないと。
でも、現地部隊は自信過剰になっていて、シナなど組みし易しとあなどる。
大本営の戦線不拡大の方針を伝えにいさめに行かされるんだけど、
現地の将校に、あんただって満州で勝手に軍を動かしたじゃないかと言われて
何も言い返せない。
>>220
言った武藤章も
太平洋?お前らバカか?と言ったら
お前が言うなと部下から突き上げを
という因果応報 >>221
ソロモン諸島の戦いで3000機喪失
空母の航空隊まで陸上基地に移して決戦だったので
終わったときには戦力枯渇 ドイツでも二方面戦は避けるという原則があったのです。だから、もしイギリスと
講話できていたら、ソ連戦も勝てた可能性がある。両面戦争になったのが敗因ですね。
あとイタリアが弱すぎて、アフリカに戦力を裂かなければいけなかった。
>>217
冬季装備はワルシャワに山積みで
前線に持っていけなかったとも
これだと補給と兵力の問題
攻勢の限界点ごえ >>222
そして、上司の東條英機にサイパン陥落後、日本は負けましたので講和しましょうと進言して、
フィリピン送り。そこで皇道派として冷や飯食わされてた山下奉文に、統制派はやり過ぎましたと謝り、
最期はA級戦犯で東條の巻き添え食って死刑に。 北進論を取ってソ連領に侵攻しても、彼らの工業の中心地は日本から遥かに遠い
中国以上の領土を日独とも持て余して、攻勢限界に達して疲弊すると思われる
占領地も、パルチザンが湧いて中国以上の抵抗を受けるだろうし
過大に大きな獲物を飲み込んだ蛇みたいになると思う
でもまあ、イギリスを落とせなかった、講和できなかったのがまあ最大の敗戦理由
ですね。なんで落とせなかったのよくわかりませんけどね。圧倒的に勝ってたのに。
>>229
そもそも、長年対ソ戦を練ってた皇道派の小畑敏四郎や鈴木率道の対ソ戦プランは短期決戦だからね。
日本の国力から見て長期は無理と彼らは結論してた。 >>211
頭が悪いわ。契約が解除できることが、連合の離脱の要件。 独ソ戦のタイフーン作戦が成功したとしても
ドイツ軍は更に今まで侵攻した距離以上の進軍をしないと
疎開したソ連の工場群を叩けない
レンドリースの経路を断つのも容易ではない
北のアルハンゲリスク経由と南のイラン・カスピ海経由の遮断は不可能に近い
奥に進軍すればする程、兵站線はキツくなる
私は、モスクワ辺りがドイツ軍の攻勢限界点だったろうと思うので
独ソ戦でドイツが勝つというのは無理だったと思う
日本が参戦したとしても、日本はドイツより攻勢限界が早く来ると思う
工業力も独ソ戦並の本格的な陸戦をするには不足だったろうからね
>>231
そして彼らですら
下手打つと国境付近の要塞突破に
時間か犠牲がでかい場合
ウラジオどうしようか、
ハバロフスク付近で会戦か
イルクーツクが限界点かと
決め手欠いてたわけで
↑日本が太平洋戦争を史実より後1週間でもより長く戦っていたらこうなったか
↑あるいはこうなっていた。 1945年11月に南九州に上陸
オリンピック作戦
ここを占領して基地にする
兵力25万 戦艦24隻 空母42隻
作戦機1200
1946年3月 コロネット作戦
兵力72万を2分し相模湾と九十九里に上陸
東京を包囲殲滅
あわせてダウンフォール作戦
手も足も出ずに負けただろうな
>>230
電撃戦あたりで、ヒトラーは時々不安になって、
侵攻を中断するので、イギリス陸軍は無事本国に撤退できた。
次にドイツ単発戦闘機にドロップタンクがないもんで、
ドーバー渡って戦闘して戻ってこれないという。
Bf110の双発戦闘機に期待したけど、ぼろ負けで制空権とれず、
上陸前に撤収ですな。
アフリカは、ロンメルだし、空軍と権力争いするしで、
米の支援を受けて増強しまくったイギリスに勝てずに、
アフリカ軍団降伏。 >>215
第一次大戦じゃジョージ5世は王家の名前をドイツ系のサクス・コバーグ・ゴータからウィンザーに変え、従兄のヴィルヘルム2世が皇帝のドイツ帝国とはガチで戦争してるけど
第二次大戦でも親独的だったウィンザー公(前エドワード8世)をバハマ総督という事実上の島流しにしてその影響力を排除してるが フランスってソッコーでドイツに落とされたのになんで戦勝国なんだ?
>>240
フランス軍は弱かったけどレジスタンスが頑張ったから >>8
日本がソ連に参戦しなかったら無理。
アメリカのレンドリース品(主に兵站関連物資)の半分がウラジオストクからシベリア鉄道経由でバンバン送られていた。
日米開戦前はアメリカの商船、開戦後はソ連の商船が、大手を振って津軽海峡などを通過していたよ。 フランスはイギリスに助けられたのになんでドイツよりイギリスが嫌いなん?
>>242
ドゴールがイギリスで亡命政府をつくり、自由フランス政府なるものがある。
そのため、フランス軍は枢軸国側にいたけど、自由フランス軍は連合国側
フランス軍はアメリカ軍ともちゃんと交戦してる。
アジアに駐屯してたフランス軍は日本軍と協力関係にあり、
遠すぎた橋、サルの惑星の原作者ピエール・ブールはアジアで自由フランス軍に参加
日本軍に捕まっている、その時の体験で猿の惑星を書いたといわれているが
実は、日本軍は捕虜にした後、フランス軍に引き渡していてこの人、日本軍の
捕虜収容所には入ってないんだよねw ヒトラーは、ソ連はスターリンの恐怖政治で国民が支配されているだけで、
戦争になればすぐに内部崩壊を始めると考えていたんだろ。
この予想が外れた時点で、ドイツに勝ち目はなかった。
>>246
実はドイツ軍人の作戦立案者たちは、ソ連軍と事を構えるな。
二面作戦は失敗すると警告してたんだけど、総統閣下は聞く耳持たずに
作戦を決行しようとした、その時、功を焦ってたイタリアがアフリカで孤立してた
イギリス軍に手を出した。地中海を挟んでるので、ほかっておいてよかったんだけどね。
負け戦が続いたムッソリーニがヒトラーに泣きつき、ロンメル率いるアフリカ軍団を派遣
そのため、バルバロッサの決行時期が遅れると不運続きだったんだよ。
国防軍、海軍は、ヒトラーのこと、伍長wごときが!とよく馬鹿にしている。
たまたま、初期に作戦がすべて成功したのが原因で、自分が天才だと思い込んだ結果。
結局、現場が与えられた目標をクリアしようとして奮闘してただけなんだよね。 レーニン「スターリンをトップにすえたらヤバい」
廬武鉉「文をとっぷにすえたらヤバい」
>>1
関東軍は赤軍って呼ばれるくらいに革新主義思想に染まってた連中だらけだったんだよ
実際に戦後、関東軍や満州人脈の多くが共産党や社会党に入党してる
自民に入った革新は官僚も岸信介を筆頭に、国家統制経済を行った連中ばっかり
要するに、資本主義国家同士(日本とアメリカ)を戦わせて、日本を壊滅させ、
壊滅した日本で敗戦革命による新たな共産国家を樹立する作戦だったんだよ
共産系人脈の内ゲバや、社会主義者との血みどろの対立で成功しなかったけどね
共産主義者や社会主義者は、イデオロギーという夢物語に熱を上げすぎて現実を認識できなくなり、
その結果、分裂し内ゲバ闘争始めて自滅してくという、妙な業病を抱えてる >>5
39年でもソ連落とすのは無理。
領土が広大過ぎるのと冬将軍で敗戦する。
イギリスとの2正面作戦で、更に危険。
日本軍も装備で圧倒的な優位に立ちながら、広大な領土の中国と8年間の泥沼の戦争だった。 後付けなら誰でも言えるんだよな。
当時を生きる人間、ましてや庶民が情勢を的確に把握して
対中戦争や対英米戦争は絶対に避けるべき、なんて判断は下せなかった。
いや、下してる人間はいても圧倒的多数の人の声に押しつぶされていた。
それは今の時代と全く同じ。
松岡がトンチキだったから貴重な時間を浪費したんだよね。
あと近衛さんがいまいちで肝心なとこで対処を誤ったし
最期は政治にサジをなげたw
マスコミや国民は一貫してまともな判断なんか下してない。
>>230
イギリスのレーダー開発。
これでドイツ空軍を遊撃できた。
ユダヤ人を迫害した時点で、ドイツの科学者はナチスに協力しなくなる。
表面上は協力する振りをするが、内心は反発する。
頭の良い人は、頭の悪いネトウヨとは逆の思想を持ってる。
日本軍が敗戦したのも、科学者が本心では協力しなかったからだ。
ノーベル賞受賞するような天才は、殆どがネトウヨ言うところの反日左翼。
本当はネトウヨが反日なんだけど。
科学者を敵に回す、右翼思想では戦争に勝てない。 >>45
当時、ドイツでイギリスより明らかに優位なのは潜水艦と戦闘機だけ
イギリスを屈服させるだけの戦力は無かった >>115
アメリカが膨大な数のトラックや機関車とか色々と送っていたからソ連は戦車、戦闘機とかの
第一線の兵器の生産に注力できたといえるな >>1
>私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。
ノモンハンで負けたことで比較的に簡単な南に切り替えたのと
ソ連との戦いじゃ海軍が予算取れないから艦隊が活躍できる戦場が欲しいだけ >>254
レーダーもあるが、ドイツ軍の暗号を解読して筒抜けにしたのも大きい >>244
ラグビーとかサッカーでもそうだし世界中の共通認識だけど
世界で一番嫌われてる国がイギリス・・・
正確にはイングランドだけどむしろイギリス大好きなんて国がどこにあるのかとw
覇権握って世界中で好き放題して現代まで禍根を残す地域紛争の
原因のほとんどがイギリスのせいだし
サッチャーとかいうクズはフォークランド紛争で時代錯誤な覇権主義とるし
ロシアのクリミアなんか笑えないレベルの無法者がイギリス ソ連が助かったのはアメリカ議会で武器貸与法が可決されたのが一番影響力があったんだがロシア人はそこを隠したがる
当時のソ連兵はスパム食べてたくらい武器だけでなく食糧も依存してた
、、、ロシアはメルケルに毒を持ったんじゃないか?タイミングが良杉
結局、この条約によりドイツの期待に反してソ連は軍備増強して、結果、ドイツはソ連に負けたのだがら、ドイツはアホなことをしたなあ
>>28
最後はじりじり押されて日本が戦場になるのは間違いないぞ?
勝てたとしてもピュロスの勝利、最後はやっぱりソ連が得する 中国軍みたいな三流を相手にいつまで戦ってんだよ
と先進各国の軍人から日本陸軍が馬鹿にされてたのは
意外に知られていない
>>8
アメリカ不参戦じゃダメ、むしろ枢軸国参戦してないと
ドイツがアメリカから石油、軍需物資あらゆるものを当時の倍くらい買って
英国を占領した暁には、英国の負債は全部ドイツが肩代わりする
植民地の割譲
もろもろやった上で、日本もソ連に石油を求めて南下しない、中国満州で満足、満州の石油は秘密裏に確保
とかまでやれてればあるいは?じゃねーの
とにかく英国に加担しないとアメリカ経済がやばいって状況を無くせないとな まあドイツに条約破られたら同盟国の日本は同じことされるわなw
Q)「独ソ不可侵条約がソ連をドイツから守った」って本当?
A)微妙なところです。この条約は10年間有効でしたが、1〜2年で反古にされていますし
独ソ戦でドイツの敗退は、補給軽視が主な原因です
−−−−−−−
『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") その1
■1941年6月独逸軍350万人はソ連領に侵攻を開始した。3軍に分け
北方軍はレニングラードを、中央軍はモスクワを、南方軍はウクライナを目指した。
それぞれ600マイル、700マイル、900マイル離れていた。
人数はナポレオンのモスクワ遠征の5倍。補給をどうするかが問題だった。
■300マイル進んだ所で弾薬燃料が不足して前進が難しくなった。
ヒトラーは自動車を活用しようとしたが、トラックの数が全く足りなかった。
鉄道は1本あればトラック1600台分の輸送能力があったが柔軟性にかけた。
100個師団以上あるうち自動車化されていたのはわずか16個師団で
他は徒歩で進撃した。歩兵師団は馬車を使って輸送した。
このためすぐに距離が開いてしまいこれを待つ必要があった。
■自動車輸送連隊はわずか3つしかなく約2万トンの輸送力しかなかった。
連合軍は47万の部隊に7万トンの輸送能力があったがこれでも足りなかった。
■ロシアは悪路で有名であり雨が降るとすぐに泥沼となり輸送ができなくなった。
ロシア軍の抵抗のため損耗率も数割に達した。
『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") その2
■ロシアの鉄道を活用する予定だったが規格が独逸と異なりあまり活用できなかった。
■食料は50%現地調達できたが、燃料なども規格がことなり使えなかった。
■レニングラード近くまでいった北方軍は補給困難で必要な弾薬量の数分の1しかなく
作戦開始を何度も延期した。このためレニングラード市は防衛を固めることができた。
8月8日に攻撃開始したが遅かった。
■モスクワを目指す中央軍は歩兵部隊が追随できず停止した。燃料消費は少なくなったが
弾薬使用量が激増した。
■11月になると冬がきて零下20度になり泥沼が凍土となった。はまった車両を
引き上げることができず、進むことも退くこともできなくなった。
■鉄道も停止した。独逸の汽車はパイプが外側にあり凍り付いて破損したためだ。
■結果饒舌につくしがたい物資不足が生じた。
■戦争の仕事の9割は兵站(補給)の問題と言われる。独逸軍の作戦はこの欠如のため失敗した。
>>265
あれは降伏決意してた国民党政府を相手とせずとか抜かした近衛が悪い
あいつホント何度も意味不明なことやらかしてくれたがこれが一番の意味不明さだわ
戦犯として裁かれりゃ助かったやついたのにさっさと自殺して逃げやがったし >>5
39年はノモンハンで日本とソビエトが戦っていた
その後ろから ドイツが襲えば チャンスは十分にあった
また零戦の配備が1年はやければ単独でも勝てた >>ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、
>>日本がノモンハン事件でソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、
>>ソ連との間に不可侵条約を結んだ
ドイツは、英仏とソ連による挟撃を恐れて外交していて近視眼的だね。
愚にもつかない急降下試験などはやめて
とっとと中国戦線に送り込むべきだった
ソビエト戦車など木っ端微塵に粉砕できる
>>260
>ソ連が助かったのはアメリカ議会で武器貸与法が可決されたのが一番影響力があったんだがロシア人はそこを隠したがる
それだよな
開戦当初の大敗で戦車など大型装備の大半を失ったのだから
米英の軍事援助がなければドイツに太刀打ちできなかった
でもロシアがそこを隠してがる >>164
>マンシュタイン閣下も荘園貰ってんだよね
>今はポーランド領のはずだけどw
荘園貰ったのはグデーリアン
マンシュタインとの会話で出たネタなので
よく勘違いされるけど >>271
まだポーランド戦も始まってない時期じゃん
国境も接してないのにどうやって後ろから襲うんだよ だから自分らが日本との条約が守らなくてもいいのかね
>>23
幼稚園は言うことが違うなwwwwwwwwwwwwwwwww
最初から英仏はドイツとソ連を戦わせて日和る
気だったんだよ。ルールなんか占領したらソ連に
ドイツが敵対できない。
また西側の圧力が無いとソ連が対抗できる保証もない。
スペイン内戦ではドイツ側が勝利しただろ。
我が闘争を読め。ヒトラーは共産主義やユダヤのみならず
異常なくらいスラブ人への敵愾心が強いのがわかる。
何回も出てくるからなそれが。
そして英仏には少女のように外交的なラブコールをしているんだよ。
この馬鹿は正直の上に馬鹿が100回つくほど我が闘争の通りに
戦争をしている。
つまりな英仏は最初から東部戦線に対して西部戦線が温くなるのは予想していた。
そしてその通りの戦争になったからスターリンは第二戦線の構築の遅れに
後々激怒する。英米は呑気にアフリカ経由でハイキングしてたからな。
えーとトーチとか言うハイキングだwwwwwwwwwwwwwwww
第一次大戦でもスペインは中立を維持していたがおそらくこれも予想していた
かもしれない。フランコもアリバイ的な戦争はするが本格的に参戦してドイツ
側にはつかなかった。事実上は中立しその政権は1975年まで存続する。
どこがファシズムとの戦争なんだかなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
スペイン内戦同様、ファシズムと共産主義を戦わせて弱体化するための戦争だよ。
そして冷戦に入る分けだろ。
お前は馬鹿だからゴーストライターが書いたノーベル賞文学作品、大戦記とか
言うボケ老人チャーチルの出した本の史観を鵜呑みにしている。
わかったか?糞馬鹿幼稚園???? >>28
ぶぁかwwそんなことあるわけねーだろw
そんなんならスペイン内戦なんか起こるか馬鹿www >>264
第一次大戦の成功体験があったしな
ナポレオンはロシアで敗れたがヒンデンブルグはロシアに勝った
帝政ロシアはガタガタだった ソ連もガタガタだと思ったんだろう
しかし帝政ドイツはレーニンを支援しロシア帝国を崩壊させる努力をしたがナチスはただ力押しで民族主義に訴えてウクライナ人等を反乱させるなどスターリンの権力を弱めるなんらの努力もしなかった
しなかったというより総統の思想的に出来なかったんだろうけど >>243
日本も思い切って、アメリカみたいに、フライングタイガースみたいな海軍義勇軍とか作ってドイツへ送り込んで
ドイツ軍から金貰って米軍の輸送船とか撃沈してたら真珠湾なんかせんでもよかったろうに あの時の日本の無計画でいい加減な行動は
今も昔も変わらんね
>>34
>対華21カ条要求
早稲田大学のせいだな ドイツは中欧という位置にあるので、両面戦を避けるのは国是のようなもの。
これを分かっていない人はいない。
では、なぜこの国是を犯してまで、ソ連戦に突入したのかと言えば、石油だと
思う。ヒトラーがイギリスを完全に叩かずに、講和に拘ったのも石油ゆえだろう。
イギリスと講和して、ローヤルオイルから供給を受けるつもりだったのだろう。
日本もドイツも資源国ではないので、石油などの資源をどうやって手に入れるかが
戦争遂行上の難問だった。
ヒトラーは共産主義を敵視していたから、いずれはソ連に攻め入るつもり、真の
目標はソ連にあったのだけど、イギリスとの講和がならないままにソ連に入ったのは
石油を求めてだ。アフリカにも石油はあるが、イタリア軍が弱くてどうにもならなかった
からな。
ソ連戦に敗退したあとは、石油がいよいよ枯渇してくる。最後のバルジ大作戦なんか
では、戦車用の石油を集めるのに苦労したらしい。最後の一滴までかき集めた。
ま、というわけで、日独は戦後も中東などの産油国と関係を深めていくわけだけどね。
>>287
第一次も第二次も自分から両面戦に突っ込んだのはどこのドイツだ? もし独ソ戦開始と同時に
日本もソ連侵攻してたら東西挟撃でソ連に勝ってた?
>>1
その代り不可侵条約を破ったことにより
ロシアは条約を破る国だということになったけどな。
これからも永久にそう見なされる。 >>4
なんか適当な理由つけて辞めたかったんだと思う >>286
関東軍ってどこから金ひっぱってたのかな? 現地調達? >>287
石油じゃなくて食料でしょ
東方生存圏構想がヒトラーの目的 >>8
アメリカは日本と戦争をしたくて仕方なかったのだから、アメリカの不参戦はあり得ない。
ドイツがポーランドに侵攻して、東西二正面の大戦略に突入した時点でドイツ勝利の目は消えた。
フランスが降伏しても英国が単独で戦い続けると見抜けなかったのは致命的な失策。
バルバロッサ作戦は壮大な自殺行為。
日米開戦で対米宣戦せざるを得なくなったのも見通しが悪すぎる。
総じてドイツは戦略・戦術のレベルでは強かったが、政略・大戦略のレベルでは行動が稚拙に過ぎた。
日本については言わずもがな。
これでは所詮、枢軸国に勝ち目はない。 >>289
それをなんとしてでも防ぎたかったのがルーズベルト
ハルノートを突きつけ
真珠湾をさしだし
ドゥーリットル爆撃で挑発した また年表も見たことがないバカのハルノート陰謀論か
ハルノート手交前に、御前会議で開戦が決まってるだろっつーの
>>297
毎度お馴染みの日本の戦争指導部はコミンテルンのスパイだ説じゃないの 独ソ不可侵条約したのに、英に勝ち切れんかった。
英を残したままソ連に侵攻した。もう無茶苦茶。
陸戦なら圧倒できると思ったんだろうけど、舐め過ぎだよなぁ。
初めからソ連を潰すって選択肢はなかったのかね。だったら日本もシベリアに向かったのに…。
>>299
支那事変が泥沼化して、蒋介石を屈服させるために、
陸軍が英蘭と戦争するとか言い出して、海軍は英米不可分論で対抗
バトルオブブリテンが始まって、
「あれ、ドイツがイギリスに勝つんじゃね?じゃ勝ち馬に乗っとこう」
で三国同盟だから、ドイツが初めからソ連と戦っても、三国同盟がなくなるだけじゃないかな
シベリアに行くのではなく、独ソ戦の状況次第でドイツに宣戦布告したら戦勝国にはなるかもしれん
肝心の支那事変がどうなるかわからんけど >>295
> アメリカは日本と戦争をしたくて仕方なかったのだから、
この時点でデタラメもいいとこ、
アメリカ議会も、アメリカ世論も、最後の最後まで日米戦には大反対
英仏蘭の植民地・極東権益を守るために、支那(笑)を救うために
アメリカ人の若者が血を流すなんて馬鹿げてるからね┐(゚〜゚)┌ 人は記憶型と思考型に大別できる
日本が北進してたらソ連は潰れていただろうな
シベリア鉄道の遮断
↓
極東ソ連軍を壊滅
↓
シベリア鉄道を西へ
↓
中央アジアやシベリアの勢力を味方にする
↓
ロシア革命の白軍の生き残りを援助してウラルの西に送り込む
↓
ソ連崩壊
>中央アジアやシベリアの勢力を味方にする
この辺が問題だな。
そういう工作は日露あたりからやってたんだけどね。
モンゴルやトルコあたりが日本の味方につくかどうか
トルコって枢軸国側だっけ?
>>302 の続き
白軍の生き残りといったらこいつらコサックも当然加わる
>>305 の続き
ノモンハンは国境紛争ではないと思うぞ
ソ連の兵力は7万人
準備万端でソ連が攻め込んできたんだ
やる気マンマンで満州における全面戦争をするつもりだったんだね
その第一陣がノモンハン
日本は負け必至、戦略・戦術的には完全なるソ連の勝利
なのに兵卒1人1人の戦闘力で日本は凌いだ
ソ連も真っ青だよ。勝ってるのに何で勝てないんだよ>< >>289
ソ連は日本のシベリア侵攻に備えてそちらにも戦力を割いていたが
日本の対米開戦に先立つ1941年9月には日本の対ソ開戦無しと情報を掴み
極東の日本への備えをモスクワに迫っていたドイツに向けた
モスクワは落ちていただろうがソ連はまだ降伏しない
ドイツの勝利条件はウラル山脈まで占領すること
何故なら軍需物資生産拠点をウラル山脈近辺に移動していたから
日本軍が進出できるのはせいぜいシベリアの東端部に限られただろう
ソ連軍は後退時にシベリア鉄道や橋は当然破壊する
凌いでいたと思うがアメリカの参戦が無く日独が東と西から攻め立てれば戦意喪失で降伏することが絶対に無かったとも言えない >>301
まあねぇ
真珠湾をやらなければ太平洋戦争は勝ってた可能性が高いからな コサックは白軍でも赤軍でもない。コサックはコサックだよ。
どっちについた部族もいた。
ただ騎兵が味方したとしても、日露戦争ではないんだから、
大して役立たない。
外モンゴルが味方についたかどうかはかなり疑問。
内モンゴルからの工作は成功していたといえるかどうか?
部族がちがうし。
ノモンハン事件ってのは、かつては左翼プロパガンダで、
日本軍が一方的にやられたとされていたけど、
勢力で4:1、死傷者では向こうの方がずっと多かった。
ま、これもアメリカが真珠湾を知っていてやらせたの類いと同じ、
占領軍史観、プロパガンダだったんだろうね。
戦車が圧倒的だったのは確かみたいだけど。
一次は相手は外モンゴル軍だしね。
>>1
アメリカから大量の武器を援助して貰っていたから助かったんだろ
少しは自分の国の歴史を勉強しろ間抜け ゾルゲ事件だっけ
北進論、南進論だけど、ぎりぎりまで迷ってたんだね。
御前会議で両論併記で、一応南進、けど場合によっては北進もなんて
結論だったんだね。あるいはこれは作戦を隠すためだったのか。
>>306 の続き
>>309
コサックは赤白に分かれたが白軍の方が多い
多くは殺され土の中
赤軍のコサックは革命後も存続していたが数が少ないから最早コサックとしての体は為していない
日本はシベリア出兵当時から赤に対抗するため中央アジアの各勢力に工作を仕掛けてる
随分と広範囲にやってたようだよ >>306
あの広大な満州に対し7万程度の動員で全面戦争はないだろ
ノモンハン直後の冬戦争で小国フィンランド攻撃に45万を動員だよ
極東の大国日本と本気で全面戦争やる気なら極東ソ連軍が全力で南下してくるだろう 一回負けたくらいで北進をあきらめるなんて
それで南に行ってアメリカ敵に回してどうすんだよ・・・
>>313
だから第一陣
あの広大な満州に日本軍は30万人しかいない
満州は守るには不利な場所
1箇所に7万人を投入されたら対応が難しい 条約結んだおかげでソ連はポーランド東半分という緩衝地帯を手に入れることができたから
あながち間違いではない。ドイツ軍がソ連領に攻め込むのに旧ポーランド東側を通過するという
無駄が生じたからね。その間に疎開できる時間が稼げるしね。
いまだに世界はソ連に騙され続けているけど
先にポーランド侵攻を決定したのはソ連の方なんでしょ?
馬鹿なヒトラーがソ連に騙されたのが第二次大戦のきっかけ。
けっきょく、欧州がトーナメント戦であったのと同じく、太平洋もトーナメント戦
だったんですよ。日本とアメリカが残った。だから、戦わざるをえなかった。それだけだ。
>>318
それはどうかなあ
ソ連軍は通常多数の箇所を同時に大軍を持って侵攻する
冬戦争もスターリングラードもバグラチオンもそうだったし大戦末期のソ連の満州侵攻もまさにそれだった
第一陣だけ出長く戦っていたのだから威力偵察みたいなもんじゃないのかな 規模はデカイけど
本当にやる気だったら次々に各戦区から侵攻するんじゃないのかな >>306
>準備万端でソ連が攻め込んできたんだ
それは違う
独立して間もないモンゴルを防衛するために派遣した軍
モンゴルと満州で国境紛争があったから、後ろ盾の日ソ両国がそれぞれ軍を増強してた >>323
モンゴルは「柔らかい脇腹」と言われていたんだよ。
もし、日本軍にモンゴルを東から西に痛打されたらどうなると思う?
一気にカザフスタンまで到達されてしまう。
広大な領土を有していたソ連は、ど真ん中がスカスカの手薄だったんだよ。
だから必死になって満蒙の国境紛争に大兵力を投入したのさ。
それに比べて日本は、大本営が不拡大方針で援軍も送らず、関東軍はただの国境紛争だと油断して大敗。
そりゃ、さらに強大なアメリカ相手に戦争を吹っ掛けるようなバカな真似をするはずだよ。
上級国民がバカだったんだよ。 >>324
あのジュコフが司令官だったからな
相当本気だったんだろう >>324
当時の日本軍の兵站能力からして、ユーラシア大陸を横断するような大打通作戦なんか可能なのか?
シベリア鉄道が無傷で手に入っても難しいだろ。ましてや、鉄道網すらない大ステップ地帯とか。 第二次世界大戦の連合国で欧州の主役は英米とソ連で
アジアの主役は中国とアメリカであってる?
>>327
日本機は航続距離がながい
渡洋爆撃なんてこともやってるから
大陸でも航続距離のながさは有利だろ まあユーラシアを西と東から攻めるというのもイメージ的なもので、本気でそう主張
していたわけではないけどね。
ナポレオンは本気でインドまで行くつもりだった。当時既にイギリスがインドに手をかけて
いたので、それを妨害するためにエジプトまで行った。
だからアレクサンダー大王とかそういうイメージだったんだと思う。
>>289
> もし独ソ戦開始と同時に
> 日本もソ連侵攻してたら東西挟撃でソ連に勝ってた?
日本はやる気満々で大兵力を集めたが、ソ連が東部から西部へ兵力を動かさずに
粘ったので出来なかった。
>>307
戦線の状況からして多分日独のそれぞれが戦線を拡大できずに居るうちに
冬になってそれぞれが同じようにコケてたと思うけどねぇ。
まあ日本としてはそこで負けて南部方面に行けなかった方が相対としては
傷が浅かったかも知れないけどね。
いずれにしろ中立条約結んだ直後に戦争しかけようとかアホとしかいえない。 東ドイツからすれば
ロシアのスパイと話しをすればなんかいいことあるん?
>>290
厳密に言うと日ソ中立条約を先に破ったのは日本からの形になってるけどね。
ちなみに先というのは関特演のことじゃないよ。 >>329
航続距離の長さで長距離侵攻が可能だったのは途中を
チンタラとエコランしてても迎撃喰らう可能性が低い海上だったからで
迎撃機の配置が楽な大陸だと的になってしまうので無理でしょ。
ヨーロッパ戦線の戦闘機が軒並み速度重視になっていたのは
別にその方がかっこいいと思ったからじゃないんだよ。 >>78
ゾルゲのお墓見に行ったことあるけど綺麗にしてあった
ロシア大使館の人が掃除してるらしい 日本の潜水艦もインド洋はおろか、地中海あたりまでふつうに出撃していたからね。
ドイツまで行ったやつもあるでしょう。
バルチック艦隊だって、地球を半周してきたわけで。
それこそ、シルクロードを通れば、黒海とかすぐでしょ。
オランダやイギリスなんて、近世から極東に領地もってたわけで。
マルコポーロ、西洋人の感覚からすると、そんなに遠くないのでは。
それに抵抗する勢力がほとんどないですよね。満州から国境越えたら、あとは
鉄道で無人地帯を進むだけ。
ソ連は陸軍が中心で、戦車は優秀だったが、空軍が存在しないような状態。
木製飛行機しかなかった。戦闘機もほとんどなし。
第二次大戦は航空機による戦争だったので、空軍力にまさる日本の敵ではなかったと思う。
ソ連相手に参戦してもソ連領内進出なんて戦力の無駄遣いをする必要はない。
ウラジオストク沖を優勢な海軍力と陸上の航空兵力で封鎖すれば事足りる。
インド洋には空母機動部隊と潜水艦部隊を進出させて、中東ルートへも圧力をかければ良い。
当時のソ連は戦線維持にアメリカからのレンドリース品に完全に頼っていたからな。
北極海で壊滅的な被害を受けたPQ17船団も、護衛戦力が確保出来ないために派遣を渋っていた米英に、スターリンが強硬に派遣を要請した結果だからな。
そのくらいソ連は1942年当時追い詰められていた。
戦闘機がほとんどないわけですから、空母もなし。これで太平洋で戦えますか?
ちなみに、現在もロシアが所有する空母は一隻のみ。
これでわかるでしょ。当時の太平洋を二分していた軍事力は日本とアメリカのみなのです。
ロシアとかイギリスとか中国とかオースストラリアとか問題外。
>>339
>ソ連は陸軍が中心で、戦車は優秀だったが、空軍が存在しないような状態。
独ソ戦の初期に主力のBT戦車が1万両以上失われて戦車部隊が壊滅的なダメージを受けたのに
バスに乗り遅れるな!の日本はなぜか手負いのソ連じゃなく米英に宣戦布告 ロシアは港ももってない。不凍港ね。これを求めて、バルカンに進出しようと
したが失敗。それで今度は極東側で南下したが、日本に阻止されて失敗。
この状態だから、太平洋で戦えるわけないし、陸軍しかないのです。
航空機も空母もない国があの戦争で勝てますか?
負けはせんかったが、勝ってもいない。
ものすごい数の人が死んで、あの戦争で兵隊だった世代は
ごっそり人口が欠けてるんですよね。
>>329
ウラル以東の生産拠点に嫌がらせ程度の爆撃は出来るだろうけど、占領は夢のまた夢だよなぁ。
敵防空部隊による迎撃を考慮し、友軍戦闘機の為に結構な数の前線飛行場を維持しなければ
ならない訳で、それだけで当時の日本軍の兵站能力を超えるだろ。 知っているスパイのイメージは既に無く、
エージェントが当たり前になっているのかなと思ったりした。
飛行機に兵站なんて関係ないでしょ。空母から飛ぶし。重慶爆撃だってやってますやん。
飛行機ができてから戦争はまったく変ったんです。地の利とか地形とかがまったく
意味をもたなくなった。スイスがいい例で、第二次大戦までは山岳国だから、難攻不落の
天然の要塞のような国。だから永世中立が成り立った。
しかし、飛行機ができて、あっという間にどこでも上から爆撃される。スイスの地の利は
失われたのです。日露戦争の201高地だって、飛行機があれば一瞬でしょ。
日本は当然これに気づいて、第一次大戦時から飛行機に力を入れた。
すでにドイツよりも最新鋭の戦闘機を導入していたのです。パイロットの技量を上だった。
だから、太平洋戦争と真珠湾で世界中がびっくりしたのです。
>>15
ソ連は1941年のナチス・ドイツ軍のバルバロッサ作戦によって独ソ不可侵条約を一方的に破られたのですけど? 北方軍集団→レニングラード攻略
中央軍集団→モスクワ攻略
南方軍集団→油田地帯攻略
最初からレニングラードには目もくれずに
モスクワを目指してたら・・・。
当時あれだけ多くの空母と航空機を運用できてた国はアメリカと日本だけでしょ。
現在も空母を運用できる国は少ないですよね。しかもあっても1,2隻
冬将軍、非情なスターリン体制、無尽蔵の人材、アメリカの軍事援助……どっちにして
もソ連がドイツに勝ったと思うよ。おもしろい説だとは思うけど。
>>344
ウラジオもムルマンスクも不凍港だよ
ロシアが欲しかったのはそんな辺境の不凍港ではない >>351
工場疎開があったのでモスクワを落としても苦しい 欧州の勝敗を決定したのはイギリス海軍とドイツ海軍の死闘で
アジアでは中国陸軍と日本陸軍の死闘が全て
対ソ戦や対米戦は敗者の暴走でしかない
その割にはドイツは1000万人、ソ連は2000万人という
とんでもない人命が失われたわけで
独裁者が人命とか屁とも思っていないことが
うかがい知れるわな。
ソ連のスパイ、ゾルゲが暗躍して日本がソ連軍などの北を攻めずに南進したから、
ドイツと日本の挟撃に遭わずに持ちこたえられた、って話は史実じゃない?
単に戦略上結ばれたものだ
無用に攻撃されたら他とやれないからだよ
こういう協定なんて戦争する国は当たり前に締結する
秀吉の中国大返しで毛利と講和したのと同じ
>>339
ヤコブレフとラボーチキンは優秀な戦闘機造ったぞ
確かに木製だけど性能はかなりの物。イタリア空軍機よりは確実に上。 >>20
北野や天王寺の学生なら教えがいあるけどそれ以下は猿に教えるようなものだからな
そいう、おいらも高校時代、金玉均やら李鴻章、袁世凱について教えてもらったけど
中国、大韓帝国について学んでもしゃあないって思ってたものな >>362
仮にソ連を日本が昭和15年あたりで攻めたところでジューコフが待ち構えているから
瞬殺だっただろうな
そちらのほうが戦争が長引かずよかっただろうし
今の日本を仕切る満州閥も始末してもらえてよかったかもなあ 日本は不可侵条約を踏みにじった国の同盟国だったのか。。。
>>367
ジューコフがノモンハンで日本と対戦済み >>355
戦争後半のソ連軍歩兵師団は定数の2割くらいにまで兵員数がすり減っていた
戦争が長引いたらソ連軍は完全に攻勢不能になっていただろう
だから>>354は正しい。しかし枢軸側もウラルの彼方まで攻め込む力はないので
ウクライナを占領してAAラインで戦線膠着、そこで講和だろうね 大体ナチと組んだ時点で日本は詰んだんだよ
中華民国にナチの軍事顧問団がいてあれらに手厳しくやられたので
懲りて陸軍がナチと組んだらあれらを引っぺがして中華民国丸裸と
考えたら後釜にアメリカが納まってさらに英国がビルマあたりから
補給して長期戦になったんだよ。
戦略的視点に昔も今も欠けまくりw
>>353
だって空母ってのは典型的な外征兵器なんだから、おまけに
それしかできないのに酷い金食い虫。
だから基本的に外征国家でなければ数を揃える意味がないんよ。 枢軸国は植民地を持ってなかったし反共主義だったわけでさ
英米を始めとした国々がアホだったんだよ
しれっと、そこら辺を勝てば官軍で壮大に誤魔化しただけでさ
>>370
この辺がいかにも「戦は相手の本陣を踏んだら勝ち」って
戦国時代の価値観からほとんど進歩していない典型だよね。
広大すぎる領土と人口はそれ自体が戦略兵器となりうる事を
本当の意味では理解していない。 ネトウヨ軍オタが汚い眼鏡をクイクイさせながら非情な国際社会のリアリズムを語っているスレ
リアルを語るならまずその汚い眼鏡をフキタマエと思うんだが
まあ眼中の梁は見られないという箴言もあるからねwww
んま、それはともかくいつも不思議に思うのはネトウヨって自称愛国者で反共の闘士じゃん
そんでもってネトウヨ大先生の御説によるとコミンテルンが反日大同盟を結んでいると
そういってるくになぜか国際共産主義の総本山ソ連は1ミリもdisらないんだよなあw 白人国だからねwww
一昔前の右翼といえばソ連を主敵としてdisり、北方領土奪還を叫んでいたものだが
2ちょんのネトウヨはおそロシアを連呼し、北方領土は割譲してウィンウィンなんだから驚かされるwww
まあ前述の通り自称愛国者にして自称民族主義者ネトウヨは白人は1ミリも批判できないからねwww
だから白人同士の独ソ戦はどちらに味方するべきかそのチキンハートは千々に乱れるわけか。
いうまでもなくネトウヨ軍オタは一人残らずナチス崇拝家でもあるしなwww
>>339
無知にもほどがある。
関特演の頃になるとソ連空軍の戦力は余りにも膨大で日本陸軍の航空戦力では全く歯が立たない状態だった。
日本が北進策を諦めたのもソ連の圧倒的空軍力に抗する術がなかったから。 >>380
キミだよ
国が戦争を遂行するのに何が必要なのか考えてみて >>374
南京戦がそうだったよね
敵の首都を落としたら勝ちだと勢いだけで進軍、首都落としたら民間人を
便衣隊として処分、女は戦利品・・・
ちなみに南京での蛮行を世界に広く知らしめたのがナチのラーべって
なんだかなあ・・・
宮様司令官が統率できず松井司令官が戦後責めを負って処刑ってのも
なんだかなあ・・・ >>351
無理だよ。ソ連はエカテリンブルクに後方1500キロまで後退できる。 ソ連を巻き込んで、枢軸側が四カ国同盟結べてればなあ…
アメリカ参戦しても逆転無理だったと思う
不可能ではなかったと思うけど
>>383
まあいくら退いても同じような堅さの防衛線を引けるわけではないが…
しかしモスクワだけ陥としてもソ連を崩壊に追い込むのは無理だな
重要拠点をいくつも奪ったうちの一つにモスクワが含まれていれば勿論ポイントは高いことにはなるけれども。 >>1の発言の背景には''WW2開始時点でソ連がナチスと組んでた''
という後ろめたいことがあるから
実際の分析とはまた別 ラーベはナチではない。一時代前の帝政時代のドイツ人、つまり植民地主義者だ。
17歳でドイツを出ているので、ナチスドイツもヒットラーも見たことなかったんじゃないか。
中国で党籍はもったかもしれんが。彼は中国を植民地化しようと30年もやったのに、
日本軍にあっさり追い出されたので、極東の黄色い猿を恨んでいた。
30年ぶりにドイツに帰った彼は、中共のプロパガンダ写真で反日活動をするが、
ナチスは親日だったので、逮捕されてブタ箱入り。
結局彼はまた中東かどっかに転出していった。ドイツでは生きられない体質に
なっていたのだな。
そういう非常に特殊な立場の人をもってきて、それがどんな人だったかを解説もせずに、
南京があったとかなかったとか言っているのが左翼詐欺師。
>>4
まるで今の日本人が外交音痴じゃないような物言いだな 結果はわからんが条約がなければ互いに侵入されないように準備はするだろう
やはりアメリカの不参戦だけで枢軸が勝ったのは間違いない
何をもって勝利とするかでいえばソ連にとっての生命線であるウクライナを枢軸が
押さえて講和になればまぁ勝利と言っていいだろう。
アメリカの本格参戦がなければ人口、国力、戦力ともに枢軸国と連合国でほぼ互角になる
>>294
そんな合理的な発想ではない。
ヒトラーは情感や直感で動くような人物。 >>289
ヨーロッパとアジアからの挟撃なんて
言っている時点で妄想。
普通は国の両方を言うのであって
大陸の両翼からの挟撃なんて発想は無い。
シベリア鉄道の距離は約1万キロだよ。 >>289
多くの歴史家はその場合は枢軸が勝っていたとみている
日独双方から打撃を受けていればソヴィエト国家はおそらく持ち堪えることができず
崩壊したであろう(ドミートリー・ボリーソヴィチ ハザーノフ) モスクワをドイツ軍に占領されたら連合国からの支援が打ち切れていた可能性が大きい。
ただでさえ共産主義の連中に支援するなだとか
負けて無駄になる等々アメリカ議会内で反対も強かった。
また、歴史的に独裁政権の崩壊の過程では
独裁者が支配のために築いた拠点から逃げ出すと急速に支配力を失うので
モスクワ陥落の時点で戦争は終わらないかもしれないが統一した戦争指導は全く無理になる
スターリンは元中ソ大使だったハリスに言っている
「ドイツは失敗した。3つの方向へ軍を分散した。もしモスクワに集中していれば
陥落していただろう。我々は組織だった抵抗ができなくなり敗北していただろう」と
モスクワを失ってもソ連は戦い最終的に勝利したという人々が多いがスターリンは
信じていなかった。政治・経済の中心であり、交通の要衝、通信の中枢であったからだ
他に代替可能な都市はなかった。レニングラード(現サンクトペテルブルク)は
包囲下にあり元々は通信の中枢になりうる資質はあっても不可能だったのだ。
だからこそ極東から呼んだジューコフの15個師団全てをモスクワ防衛にあて
38kmまで迫ったドイツ軍を160km後退させたのだ。
>>396
>ヨーロッパとアジアからの挟撃なんて言っている時点で妄想
それ以上の妄想が
「独ソ不可侵条約」だったわけだが
世界中が共産ソ連とナチスが手を組んだ事に驚愕した
平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇なり」と言って瓦解したが
当時としてはまだドイツと日本がソ連を挟撃する事事態は
イデオロギー的に見てもかなりマトモな考えの部類だった >>370
そこで必ず講和できると言う楽観論は
戦前の日本軍と大差ない。
中国やソ連やベトナムの共産圏の戦い方を
見ていると消耗戦や持久戦や長期戦に強いのがわかる。
これは共産主義体制が夢の社会主義から生まれた体制ではなく
内戦に特化された体制として生まれたから。
強力な統制力と監視、独裁体制とプロパガンダ等の
方法論は内戦を勝ち抜くための優れた体制だから。
これを辛くも証明したのは英国のチャーチルである。
英国保守党が労働党に戦勝直後の選挙で負けたのは
労働党が主張していた体制がチャーチルの敷いた
体制そのものだったからと言われている。
20世紀の国民総力戦にもっとも向いていたのは共産主義体制とも言える。
軍の反抗や暴走にしてもドイツや日本では頻繁に起きていたがソ連では
一切ない。これは国内が完全に統制されていたから。
1910年代から1930年代までのソ連国内での内戦から権力闘争は共産党が
完全に近い統制力を維持する期間として十分であった。
戦争とは只管政治である。 >>400
それは大陸の両方から政治的圧力を
掛けると言う意味で東西から進軍するなんて
妄想ではない。 不可侵条約があったのは確かだけど、
本当に破る気も戦力も無いってのをゾルゲに調査結果出させた諜報力はすごい。
>>399
事実としてスターリンは今のエカテリンブルクを
工業都市化していて独ソ戦ではここに工場等を
退避させている。 >>397
日本軍は燃料が枯渇して早々に戦線離脱。
帝大の資源調査隊が奇跡的に満州油田を発見していれば粘ることもできたろうが、
その場合はソ連側から仕掛けて油田地帯まるごと占領するはずだ。 >>402
参謀本部に北進論の計画自体が存在したわけだから
「妄想」では無いんだよ
結果として南進論を選択したというだけの話で >>407
ドイツに無くても日本には確実にあった
もちろん「友邦ドイツに加勢する」のは単なる建前で
利権分捕りが本音だが >>395
いやいや『我が闘争』に書いてある構想ではないの? >>409
どんな形であれ反対方向から軍事的圧力をかけたら「挟撃」でしょ モロトフ-リッペントロップ協定以外に不可侵条約があったってか?
何でも言うな、ロシキは。
>>409
結果的に二正面からの攻撃を受ければそれは挟撃になる
可能性の程度問題であって当時の状況に照らせば起こり得るケース
何も宇宙からUFOが攻めてくるようなファンタジーを唱えてるわけじゃない >>410
ほー読んだのか?
で、どんな内容なの? 「こうすれば良かった」と言っているのが、
秋丸機関擁護論者の妄想です。
確かに枢軸軍が勝つ服案はありました。
しかし、それは1941年初頭にまで遡って
ドイツが対ソ開戦せず、日本が対米開戦しなかったら
という前提があって初めて成り立つ構想でした。
要はアフリカ・中東・インド西部を独伊が攻めて
東南アジア・東インドを日本が攻めて、
英帝国を屈伏させるという事です。
だから、12月8日では、遅すぎました。(^_^;)
まともに中学の歴史もやってないような人に一から説明するのは無理だし、
迷惑ですよ。やってもまた同じようなバカが乱入してくるから。
まぁ対米開戦に関してはペリー来航以来の
必然かな。
「海を制する者は世界を制する」
ペリーの弟子の言葉だな。
>>371
原材料の輸入元も製品の販売先も海外に依存する3のシーパワーが1と2のシーパワーを敵に回し、
連携しようのない遠隔地のランドパワーと組むって時点で、戦略として成立してないのは明白だよな。
イタリアはシーパワーだけど、ジブラルタルとスエズを押さえられると地中海から出てこられないから
全く意味ないし。 疎開した兵器生産工場でバンバン造った兵器はソ連は鉄道輸送に頼っていたけど、それに使った機関車約2000輌の内約1900輌がレンドリースされた米製だった事を考えれば、
アメリカの支援無しでは独との戦争継続は難しかった。
アメリカがソ連を必要以上に強くし過ぎました。
もし、蒋介石がヤルタ会談から除外された事に激怒して
シナ派遣軍との講和を実現したら、
日本軍は百万人以上の将兵が満州に移動した
でしょうから、
満州を防備は極東ソ連軍を凌駕することになって
ドイツ降伏3ヶ月後の参戦を躊躇して
対米講和の仲介に応じたでしょう。
>>419
そもそもソ連自体の工業力は欧州に集中してるから、いくら生産設備を疎開してても
鉄道網が急に整備されるわけじゃないし、人口だって圧倒的に欧州側の方が多いから
本当に欧州側をドイツに取られたら、外部援助なしにドイツと戦えない >>405油田発見して製油所作るのに何年かかると思う?
そこから輸送インフラ作るのにまた何年?
>>401つーかパルチザン
革命時の組織があっという間に再構築ってのが大きい
そもそもあいつらスターリンがどうなろうと知ったこっちゃない
でもドイツに立ち向かって結構な戦果を挙げてたのね
Q)独ソ戦でモスクワが陥落していたら、どんな展開になっていたの?
A)おそらく米国はソ連へのレンドリースを止めていたでしょう。
ドイツのものになってしまう恐れがあるからです。ソ連の鉄道網は
モスクワが中心になっているので、物流も情報も一気に数分の1になる。
ソ連はもう全く反撃もできず立ち枯れでしょう。
Q)工場疎開していたから大丈夫なんて意見もあるけど
A)ばかばかしい限りです。疎開工場の生産額なんて微々たるもの。
だいたい生産するための材料や工員などを考えればそれもいつまで続くか不明です。
残敵掃討戦に移り、どこかでスターリンの身柄確保→銃殺となっていたでしょう。
−−−−−
★米武器貸与法(LendLeaseAct1941/03)
■1941年03月から1945年9月30日まで米→ソ連に対して出荷された軍需物資
■約7兆円相当
■輸送は北極海の輸送船団、ペルシア回廊、太平洋ルートで行われた。太平洋ルートはレンドリース援助の
およそ半分が運ばれ、アメリカ西海岸からソ連極東へ輸送船団で、ウラジオストクからはシベリア鉄道で
運ばれた。[1]を参照。アメリカの参戦後、ソ連の船舶のみがこのルートでは使われた。
日本はソ連とは友好国だったので攻撃できなかった。
■内訳は以下の通り:
航空機 14,795
戦車 7,056
ジープ 51,503
トラック 375,883
オートバイ 35,170
トラクター 8,071
銃 8,218
機関銃 131,633
爆発物 345,735 トン
建物設備 10,910,000 ドル
鉄道貨車 11,155
機関車 1,981
輸送船 90
対潜艦 105
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%B3%95 >>379
>ソ連空軍の戦力は余りにも膨大で
1945年8月にソ連空軍が北海道を爆撃しなかった理由は何だとお考えですか? >>424
別に必要ないからじゃないの
前もって念入りに航空撃滅戦を展開しなければならないような有力な邀撃部隊はいなかった。 >>425
無抵抗のところはともかく、反撃した部隊に撃退されてたぞソ連
当時連合国が危惧してたのはのが日本がドイツと違って無傷の陸上部隊が700万も居たから
無理に上陸作戦やったら大損害出してしまう >>426
無傷といっても本土にいたのは実戦経験ゼロの兵だしな
実戦経験豊富な精鋭は中国大陸や南方に置きっ放しで遊兵化
ドイツのように逐次後退しつつ古参兵中心に再編したのとは随分差がある 一方的に条約破って侵攻してきたソビエト連邦
絶対に許せない
声優にロシアが好きな奴がいるが、そいつもロシアも嫌いだ
あなたはどのタイプ?
A:条約違反のソ連は許せない派
B:日本も条約を破って北進すれば勝てた派
C:AとBを同時に言うクルクルパー
>>428
実情じゃなく連合国が危惧してる要素
実戦力が半分でも300万相当なら連合国も躊躇する >>428
独ソ戦末期だと古参云々のレベルじゃないぞ
ベルリン攻防戦のドイツが動かせる防衛部隊はソ連の兵力の数十分の一しかなかった >>429
一方的ではないと思うんだな。
参戦はアメリカの要請だけど、アメリカはドイツに負けそうになってた
ソ連に大量の物資を援助して救った。
かたや日本はドイツの軍事同盟を結んで連合国に対抗してたから、
ソ連がどっちに義理だてするかと言えばそりゃアメリカだろ。
しかも日本もドイツも独ソ不可侵条約破ったり宣戦布告なしの
パールハーバーで条約違反の参戦の仕方してるんだよ。 >>381
ソ連は侵攻を受けた側で祖国防衛戦の防衛側の立場なのに何言ってんの?
寝言は仕掛けた側とその尻馬に載ろうとした方に言えって。 >>433
デター、共産左翼のすり替え印象操作
日ソ関係と他の国の関係は何も関係がない
ソ連の日ソ中立条約違反は完全なる明白な国際法違反
それ以上でもそれ以下でもない >>418
ってか、戦争遂行の為の物資と兵器を製造するための工作機械の相手国に
依存している状態で仕掛けるのが無理なんだから。
で、それで大敗して70年も経ってるのに、いまだに「日本が開戦したのは
英米を攻撃するための兵器を作る材料を英米がが売ってくれなくなったからだ」と
真面目に主張しているバカがいる。 >>430
> A:条約違反のソ連は許せない派
ちなみにソ連が違反した条約とはどれでいつのことさ? >>436
唐突にそんな自己紹介をされてもしょうがないのだが。 >>439
レスも読めない馬鹿が頓珍漢な精神論や人民戦争論を言ってゲーム脳を擁護したから
ゲーム脳の精神論者で間違いないだろうおまえ 一方日本は、日ソ中立条約をシカトしたソ連に攻撃された
>>59
しかも降伏しろと言ってきた国の中にソ連はない(勿論ポツダム宣言にソ連は関わってるが当時の日本はそんなの知る由もない) ゾルゲってソ連人のスパイをドイツ人に
化けさせて 日本のドイツ大使館に送り込んで
スパイ活動させてて 日本がソ連に攻めないって
電報をソ連に打って情報教えてたよね
日本がドイツと共同でソ連に攻め込んだら勝てたの?
>>5
なお落としても旨味が薄すぎる模様
アラスカまで追い込んで放置するくらい進行しなければならないからな アメリカなんて構わず最初から日独で挟み撃ちにしてボコっておけば良かったのにね
>>445
そうならないために日本が対米攻撃に踏み切るよう共産主義者が工作していた 日本は暢気なもんで、カチューシャ歌ってるような国
背景の張鼓峰事件なんかもはや忘れている
ヒトラーは挟み撃ちなんて考えてないからw
松岡との会談でヒトラーが問いただしたのはシンガポール攻撃だよw
ドイツ語版wikipediaにおける独ソ不可侵条約の記事、その効果の項目
[ドイツ]
懸念されていたフランス、イギリス、ソ連三国の同盟が成ることにより生じたで
あろうドイツ包囲網を回避できたことで、ヒットラーにはソ連の干渉を恐れること
なく、ポーランドに侵攻できる可能性が生まれた。西側連合国は、ポーランドに
対して国防上の義務を負っていたため、ドイツにとっては、ソ連を中立に保つだけ
ではなく、この巨大帝国を経済上の同盟国として確保できたことが重要であった。
さらに、ソビエトは貿易上のパートナーあるいは供給国、重要な原材料の中継国と
しても役立つことになった。第一次大戦の際には、食料不足や重要資材の不足と
なって現れたイギリスによる海上封鎖の深刻な影響をも回避できたことで、戦争への
経済上の足かせを除くことができた。
一連の経済面での協定によって、互いの供給量やその内容が具体的に合意された。
ドイツは基本的にテクノロジーや機械を、ソ連は膨大な穀物や食料品、貴重な
石油製品ならびに非鉄金属を供給することになった。これらは、ドイツの戦争遂行に
とって不可欠な品々であった。
ドイツがロシアに侵攻したのは1941年6月
日本の真珠湾は1941年12月
半年あるんだから日独で連絡取り合えっての
ドイツは1941年12月にモスクワ直前で力尽き
その後何年も、ロシア極東部隊(が西に移動)に苦しめられた
ロシアを日本が攻めていれば、独ソ戦の様相は根本から変わってただろう
[ソビエト連邦]
(略)
1939年9月28日(訳注:ポーランド侵攻後)の独ソ両国による和平交渉が、
イギリスとフランスによって拒否されたあと、ソ連の外交政策はより親ドイツの
方向へと舵を切っていく。1939年10月31日のソビエト連邦最高会議において、
モロトフ首相は国際政治の状況を分析し、それに沿って今後の共産主義陣営での
プロパガンダ方針を決定した。それによると、ドイツは強国としての地位を回復する
正当な権利を有しており、一方の西側連合国は、ヴェルサイユ体制の維持のために
帝国主義戦争を始めようとする侵略者であるとされた。
「彼らの目的は、ドイツに戦争を仕掛けることで、ヒットラー体制を破壊する
ことである。(...) そのような戦争には、けっしていかなる正当性もない。
その他のどんなイデオロギーについても同様であるが、人はヒットラー体制の
イデオロギーを受け入れたり、拒否したりはできる−−いわゆる政治的見解の相違である。
しかし、誰もが分かるとおり、イデオロギーは暴力によって破壊されてはならない。
けっして戦争によって根絶されてはならないのである。」
(『ベルリン問題に関する文書1944-1966』 出版社1987年、347ページ)
(略)
>>451
何の準備もなく厳寒期のシベリアに出兵すんの?
敵と戦う前に凍え死ぬんちゃうw モンゴロイドは寒さに弱く、白人は暑さに弱い
シベリアでなく南方に進撃して白人と戦うのは間違ってはなかった
>>431
確かに躊躇する
日本とて九州南部や関東の上陸正面に張り付けられる数は限られるし 張り付け部隊は砲爆撃で減らせるにせよ硫黄島や沖縄での損害を考えたら本土上陸など恐ろしい被害算定となる
連合国は事実上勝利しておりここから何十万もの兵の損害は意味がないしトルーマンはそれに耐えられない
原爆が完成し通常爆撃の基地もふんだんにあり護衛機もつけられる もう上陸は不要であり通常爆撃の継続 原爆攻撃 港湾の機雷封鎖と鉄道網の破壊 艦砲射撃 これなら連合軍の損害はほとんどない この鳥取城戦法をとられたら日本は自壊するしかない
本土決戦の決号作戦の最大の懸念は連合国が上陸してくれないと何も出来ないという点にある >>451
1941年4月に日ソ中立条約を結んだがその直前に松岡がドイツに行ってヒトラーやリッペントロープに会い日独伊蘇4ヶ国同盟をぶち上げた
もうバルバロッサ作戦はすっかり出来上がって 侵攻準備中に物凄くズレた事を言い出す日本の外相にヒトラーもびっくりでリッペントロープは遠回しにソ連との条約はどうなんでしょうみたいな事を告げたらしい
しかし凄まじい饒舌家で人の話を聞かない松岡にそういう腹芸は全然通じず独ソ開戦で松岡は驚くわけである イヤイヤあんたドイツで何聞いてきたのよと まあずっとドイツにいた大島も全然わかってなかったが
こんなのが外相だの駐独大使なんだからそりゃあ欧米の外交についてけるわけがない 松岡が日本に帰る時、スターリンはわざわざ駅まで見送りに出た
スターリンはすこぶる上機嫌だったそうだ
そりゃま、そうだろ
馬鹿を手玉に取ってやったわ、ハラショーだよ
[日本]
日本はドイツとの間に1936年11月25日に日独防共協定を締結していた。この協定では、
国際共産主義の活動について常に情報を交換し協議するとともに、万一ソ連から攻撃
された場合は、互いに中立を守る義務があるとする秘密項目が含まれていた。
(訳注:1939年8月の)独ソ不可侵条約の締結は前もっての日本との協議なしに行なわれたため、
日本側から見れば明らかな防共協定違反であるとともに、協定の精神にも反するものであった。
その上、日本では独ソ不可侵条約とハルバ川付近でののちの元帥シューコフ率いるソ連軍との
戦闘(ノモンハン事件)における関東軍の手痛い敗北との関係が取り沙汰されたため、1939年
8月27日に親ドイツ内閣であった平沼内閣が総辞職した。これにより1938年来続いていたドイツと
軍事同盟を結ぶ交渉は大きな後退を余儀なくされた。日本はドイツへの軍事的信頼を失い、
1939年9月15日にはモンゴル−満州国境紛争を戦闘停止という形で終結させた。このことによって、
日本のシベリア方面への拡大というオプションも終了し、一層その比重を南洋方面に強めて
いくことになる。1941年4月には、大日本帝国自身がソ連邦との間に日ソ不可侵条約を結んだ。
日米同盟は大切だなユーラシア大陸の人達と性質が違うから