【太平洋戦争秘話】74年前、七夕の空に散った日本初ロケット戦闘機
潜水艦がドイツから持ち帰った最新技術
現代ビジネス 20190707 神立 尚紀カメラマン・ノンフィクション作家
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65686
太平洋戦争末期、日本全土が米軍の高性能爆撃機B-29の空襲にさらされ、主な都市は軒並み甚大な被害を被っていたが、迎え撃つ日本の戦闘機が持つ性能では、米軍の新型爆撃機B-29に対して対抗するのは困難だった。
そこで、日本軍はロケットエンジンを積んだ戦闘機によって一矢報いんと、同盟国ドイツから提供された最新技術をもとに開発を急ぐのだが……。
●試作機の初飛行は失敗、搭乗員は殉職
その日、プロペラも水平尾翼もない、後退翼でずんぐりと異様な形をした小さな飛行機が、轟音を上げて横須賀・追浜飛行場を離陸した。
昭和20(1945)年7月7日、午後4時55分のことである。
試作機であることを示すオレンジ色に塗られたこの飛行機の名は「秋水(しゅうすい)」。日本本土に空襲を繰り返す米陸軍の大型爆撃機・ボーイングB−29に一矢を報いるべく、開発が急がれていた日本初のロケット戦闘機だった。
昭和20年7月7日、初飛行直前のロケット戦闘機秋水。薬液が漏洩して火災になるのを防ぐため、ホースで水を地面に撒いている
ドイツからもたらされた、世界初のロケット戦闘機・メッサーシュミットMe163Bのわずかな情報をもとに短期間で作り上げられた秋水は、主翼に威力の大きな30ミリ機銃2挺を装備、高度1万メートルまでわずか3分半で上昇し、B−29を攻撃したのちは、滑空で帰還することになっていた。
プロペラで推進する従来の飛行機をはるかに凌駕する最高速度時速900キロで水平飛行が可能、ロケットの噴射時間は約5分。離陸後、車輪を切り離し、着陸時には機体下面に装備された橇(そり)を使う。胴体は金属製だが、主翼は金属桁に合板の外板を貼った木製である。
――約10秒の滑走ののち、滑走路の中ほどで秋水は無事、空に浮かんだ。日本で初めてロケット機が飛んだ瞬間だった。秋水はぐっと機首を持ち上げ、そのまま順調に急上昇するかに見えたが、離陸から約16秒後、突然、黒煙を吐いてロケットエンジンが止まってしまう。
万一、故障で飛行が続けられなくなったら、そのまま直進して東京湾に着水することとなっていたが、テストパイロット・犬塚豊彦海軍大尉は、貴重な試作機が失われることを恐れたか、機首を右に転じるとそのまま旋回を続け、飛行場に戻ろうとした。だが、あと一息というところで機体は失速、滑走路を目前にして墜落してしまう。
犬塚大尉は瀕死の状態で救出されたが、頭蓋底骨折で翌7月8日午前2時に絶命した。享年23。
●技術資料をドイツから潜水艦で運ぶが……
ロケット戦闘機「秋水」。ドイツのメッサーシュミットMe163Bをもとに開発された
●難航するロケットエンジンの開発
軽滑空機での飛行を終え、着陸した犬塚豊彦大尉。機体は全面オレンジ色。離陸後に車輪を切り離すため、機体下面の橇による胴体着陸となる
秋水の操縦訓練用に作られた軽滑空機「秋草」。形状は秋水とほぼ同じだが、木製羽布張りのグライダーである
●飛行場に戻らなければ助かった
昭和20年7月7日、初飛行直前の「秋水」。操縦席に座るのは犬塚大尉
秋水の離陸。滑走路脇で白旗を掲げるのは飛行長・山下政雄少佐
終戦後すぐ、米軍が撮影した横須賀基地の航空写真。秋水は矢印の方向に離陸、急角度で上昇中にエンジン停止、右旋回で滑走路に戻ろうとして直前で墜落した
潜水艦がドイツから持ち帰った最新技術
現代ビジネス 20190707 神立 尚紀カメラマン・ノンフィクション作家
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65686
太平洋戦争末期、日本全土が米軍の高性能爆撃機B-29の空襲にさらされ、主な都市は軒並み甚大な被害を被っていたが、迎え撃つ日本の戦闘機が持つ性能では、米軍の新型爆撃機B-29に対して対抗するのは困難だった。
そこで、日本軍はロケットエンジンを積んだ戦闘機によって一矢報いんと、同盟国ドイツから提供された最新技術をもとに開発を急ぐのだが……。
●試作機の初飛行は失敗、搭乗員は殉職
その日、プロペラも水平尾翼もない、後退翼でずんぐりと異様な形をした小さな飛行機が、轟音を上げて横須賀・追浜飛行場を離陸した。
昭和20(1945)年7月7日、午後4時55分のことである。
試作機であることを示すオレンジ色に塗られたこの飛行機の名は「秋水(しゅうすい)」。日本本土に空襲を繰り返す米陸軍の大型爆撃機・ボーイングB−29に一矢を報いるべく、開発が急がれていた日本初のロケット戦闘機だった。
昭和20年7月7日、初飛行直前のロケット戦闘機秋水。薬液が漏洩して火災になるのを防ぐため、ホースで水を地面に撒いている
ドイツからもたらされた、世界初のロケット戦闘機・メッサーシュミットMe163Bのわずかな情報をもとに短期間で作り上げられた秋水は、主翼に威力の大きな30ミリ機銃2挺を装備、高度1万メートルまでわずか3分半で上昇し、B−29を攻撃したのちは、滑空で帰還することになっていた。
プロペラで推進する従来の飛行機をはるかに凌駕する最高速度時速900キロで水平飛行が可能、ロケットの噴射時間は約5分。離陸後、車輪を切り離し、着陸時には機体下面に装備された橇(そり)を使う。胴体は金属製だが、主翼は金属桁に合板の外板を貼った木製である。
――約10秒の滑走ののち、滑走路の中ほどで秋水は無事、空に浮かんだ。日本で初めてロケット機が飛んだ瞬間だった。秋水はぐっと機首を持ち上げ、そのまま順調に急上昇するかに見えたが、離陸から約16秒後、突然、黒煙を吐いてロケットエンジンが止まってしまう。
万一、故障で飛行が続けられなくなったら、そのまま直進して東京湾に着水することとなっていたが、テストパイロット・犬塚豊彦海軍大尉は、貴重な試作機が失われることを恐れたか、機首を右に転じるとそのまま旋回を続け、飛行場に戻ろうとした。だが、あと一息というところで機体は失速、滑走路を目前にして墜落してしまう。
犬塚大尉は瀕死の状態で救出されたが、頭蓋底骨折で翌7月8日午前2時に絶命した。享年23。
●技術資料をドイツから潜水艦で運ぶが……
ロケット戦闘機「秋水」。ドイツのメッサーシュミットMe163Bをもとに開発された
●難航するロケットエンジンの開発
軽滑空機での飛行を終え、着陸した犬塚豊彦大尉。機体は全面オレンジ色。離陸後に車輪を切り離すため、機体下面の橇による胴体着陸となる
秋水の操縦訓練用に作られた軽滑空機「秋草」。形状は秋水とほぼ同じだが、木製羽布張りのグライダーである
●飛行場に戻らなければ助かった
昭和20年7月7日、初飛行直前の「秋水」。操縦席に座るのは犬塚大尉
秋水の離陸。滑走路脇で白旗を掲げるのは飛行長・山下政雄少佐
終戦後すぐ、米軍が撮影した横須賀基地の航空写真。秋水は矢印の方向に離陸、急角度で上昇中にエンジン停止、右旋回で滑走路に戻ろうとして直前で墜落した