卑弥呼とヤマト王権は無関係ぞ
卑弥呼がおったのは九州の邪靡堆や
隋書「邪靡堆には火を吹く阿蘇山という不思議な山がある」
畿内に火山はない
ひとつもない
こいつが死んでも畿内説が有力のままだもんなぁ…
世間一般で九州説が都市伝説止まりなのは事実だし
纏向が近畿説に終止符を打ったから
もう畿内邪馬台説は終焉を迎えたよ。
既に議論の余地はなく今後九州王朝の乗っ取りに
考古学のメスが入りだろう。
今の若い考古学者は九州がメインになる。
卑弥呼に会って邪馬台国はどこにあったのか確認してくらさい
こいつが死のうが生きてようが九州説が有力のままだもんなぁ…
世間一般で畿内説が都市伝説止まりなのは事実だし
畿内説の場合、敗北したってよりそもそも存在してなかったってオチだもんな。
まあ辛いのは分かるよww
旧唐書にある通り。
倭国とは、古の倭奴国なり。
つまり九州のこと。
九州倭国と近畿日本の二つの国があって、最初小国だった近畿日本が強大化して九州倭国を併呑し、
名前(ヤマト)も騙った。
>隋書「邪靡堆には火を吹く阿蘇山という不思議な山がある」
1 阿蘇山も、畿内勢力の範囲内だったと思えば、ヤマタイ国畿内説と矛盾はない。
そもそも、ヤマタイ国畿内説は、九州のかなりの部分は勢力圏という大前提によることを知らんのか?
2 隋の使者が、物見遊山で阿蘇山へ登って噴火の様子を観察したとは考えにくい。
この記事は伝聞によるものであり、使者がやってきたルート上に阿蘇山があるとは限らない。
隋書の「有阿蘇山」のくだりを重視するのは、古田教の信者の無理解によるもの。
カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。
言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w