◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」★2 ->画像>14枚
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調査の結果、3世紀後半にさかのぼる近畿中央部系の物が含まれていることが判明した土器片=三重県大紀町教委提供
三重県大紀町の沿岸部で1950年代に発見された土器片の中に、3世紀後半に近畿中央部で作られたとみられるものが確認された。調査に当たった桜井市纒向(まきむく)学研究センターの橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」と見ている。
土器片は地元の中学生らが見つけた後、現在は町が所蔵している。橋本統括研究員はうち20点余りを分析。その結果、20点が3世紀後半〜4世紀中ごろの近畿中央部系の「庄内式・布留(ふる)式土器」の破片で、うち5点ほどは3世紀後半にさかのぼると判明した。近畿中央部で作られた土器が、大紀町へ運び込まれたと考えられるという。
3世紀後半は邪馬台国の最有力候補地とされる纒向遺跡(桜井市)の最盛期に当たる。橋本総括研究員によると、同様の土器片は瀬戸内海や福岡県博多湾沿岸などで見つかっているが、紀伊半島の熊野灘沿岸では初めて。橋本統括研究員は「ヤマトとの関係を示す証拠と言える」と話す。
調査された土器片は大紀町役場錦支所で公開されている。問い合わせは、大紀町教委。【藤原弘】
毎日新聞:2019年6月8日
https://mainichi.jp/articles/20190608/ddl/k29/040/458000c?inb=ra 関連記事:6/2(日) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00000609-isenp-l24 ★1:2019/06/11(火) 20:03:48.44
http://2chb.net/r/newsplus/1560251028/ ◆卑弥呼は何者? 総合的に説明を
九州か近畿か。中国の史書、三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」の所在地論争は、古くは江戸時代から続き現代に至るが、諸説入り乱れて決着がつきそうにもない。
その中で最新の統計論を駆使して九州北部と推定し、卑弥呼=天照大御神(あまてらすおおみかみ)伝説へと論理を進める安本美典・産業能率大元教授(84)。
「邪馬台国の会」を主宰し、関連する著書は九十冊を超える。邪馬台国を熱く語った。
−邪馬台国問題を考えるうえで大切なことは?
古代史の全体を見て議論することです。私は九州説ですが、畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。
「長江はある岸辺で見ると南や北に流れ、別の場所では東や西に流れたりしている。しかし、全体としては西から東に流れている」。
これは毛沢東の言葉ですが、学問も同じです。ある特定の岸辺に立って観察して得られた事実が全体として正しいとはかぎりません。
「全体をうまく説明できるのか」が大事です。
−具体的には?
考古学的な議論では「魏志倭人伝」の記述から出発し、データ全体を総合的に公平に比較すべきです。
「倭人は、鉄の鏃(ぞく)(矢尻)を使った」と魏志倭人伝にあります。「鉄の鏃」の福岡県からの出土数は奈良県からの出土数の約百倍です。
弥生期の「絹」は九州からは出土するけど畿内からはほとんど出土していない。
「鏡」や「勾玉(まがたま)」でも同じ傾向が認められます。
全都道府県について、出土数を調べ、その傾向を公平に比較すべきです。
つづく
>>2 つづき
−纏向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかと言う人もいますが。
纏向の大きな建物の近くからモモの種が出土して放射性炭素(C14)年代測定で分析すると、卑弥呼の時代を含む西暦一三五〜二三〇年代という結果が出たと報道されたことがあります。
しかし、この方法による場合、箸墓古墳から出土したモモの種で測定すると、四世紀を中心とする年代が出てきます。箸墓古墳では年代の古く出がちな土器付着物で測ると、三世紀という年代が出てくるのです。
C14年代測定法というと科学的な印象を与えますが、何を測定するかで年代がかなり変わってくるし、年代推定の誤差の幅も広いのです。
畿内説に都合の良い測定値はマスコミに持ち込み、都合の悪いデータは報道されていないのです。
またモモの種や大型建物のことは倭人伝に記載がありません。古事記・日本書紀(記紀)の記述と倭人伝の記述の擦り合わせも必要です。
−卑弥呼の鏡と騒がれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)はどうみるべきでしょう?
これは古墳時代になってからしか出土していませんし、わが国からは五百面以上出ているのに中国からは一面も出ていません。
日本国内でつくられたとみるのが妥当です。三世紀後半から四世紀はじめごろの、いわゆる「西晋鏡」でさえ、おもに福岡県を中心に分布しています。
「庄内様式」といわれる弥生時代の土器の時期が卑弥呼の時代と重なるといわれていて、この時期の鏡は奈良県からの出土は三面のみなのに対し、福岡県からは三十面も出ています。
もうひとつ、倭人伝に「棺(ひつぎ)あって槨(かく)なし」と墓制が記されています。
おもに三世紀ごろ福岡県を中心に分布する箱式石棺は、これにあてはまります。奈良県のホケノ山古墳からは、木槨が出土していて、倭人伝の記述に合いません。
−里程の問題からは?
帯方郡(現在のソウル周辺)から一万二千余里のところに邪馬台国があると倭人伝に記されています。一里が現在の尺度で何メートルになるかは議論がありますが、
同じ三国志韓伝には現在の韓国あたりを四千里四方としており、これから一里の距離が割り出せます。
記述では帯方郡から一万里で九州に着きます。残りは二千里ですから、これまでの行程からすぐ想像はつきますよね。
とても畿内まで行ける距離ではありません。九州しか有り得ません。
「邪馬台国」に関する記述は教科書から削除していいと思う。
歴史の教科書は1行に纏めろ
「邪馬台国以降は戦後の混乱期で重要性は皆無」とな
前スレの最後で
「畿内説がわざわざ5ch対策担当を設置してるのが異常だよ。
印象操作は犯罪だぞ。」
とかいう寝言を書いてるやつがいたが、
畿内説は定説・通説をその根拠とともに紹介しているだけだよ?
九州説みたいに、根拠のない「ぼくの考えたすごい魏志倭人伝の読み方」なんてのは
書いてないってだけだ
よほど九州説の印象が悪いって自覚があるんだろうな
まあ、近畿パー連呼(ID:qNe1dpbj0)だとか、
無駄スレ大量立て(ID:jV6swXdX0)だとかが九州説なんだから仕方ないけれど
>>3 科学を尊重するだけ畿内説有利
デマ
女王国までが12000
ヤマト奈良までではない
福岡奴国が女王の境界
ゴッドハンドの人ってどうなったんだ?
もうお亡くなりになってるかなー
>>2>>3
弥生時代を通算した鉄の累積出土でドヤったり、
別のC14年代測定の一部の試料で4世紀だと出た例外を持ち出して、桃の種のC14を批判したり
後漢鏡を西晋鏡と言い張ったりするような騙しをやってるから、
安本=インチキってイメージが定着するんだろうな
まあ、自業自得だけど
纏向って4〜5世紀の遺跡だろ?
なんで邪馬台国が関係するの?
旧石器時代捏造の再来だなw
畿内説は都合の良い情報のみメディアにリークさせる。
その後で各関係者に報告する。
間違いが発覚した場合、沈黙のあとコッソリ修正する。
修正についての発表はメディアを使わず身内に口頭説明のみ。
マイナーな業界だけにゴミ学者の温床になってるんだよな。
印象操作による水素水の拡販活動と全く一緒だw
日本人の6割以上が、九州説を支持していると言う現実www
2007年3月14日(水)の夜、NHKのテレビ番組「その時歴史は動いた」(松平定知、上田早苗司会進行)で、「邪馬台国はどこか−近畿説vs九州説−」を放映していた。
この番組は、「双方向企画・歴史の選択」と題し、番組放映中に視聴者が、近畿説と九州説とのどちらを支持するかを、調査していた。
投票結果
九州説支持 35087票 (62.4%)
近畿説支持 21102票 (37.5%)
合計 56189票 (100%)
結果は九州説の圧勝である。近畿を中心とする考古学者はこれまで、なにか大きな発掘があると、ほとんど邪馬台国と結びつくとは思えないことまで、「邪馬台国近畿説」と結びつけて発表し、新聞をはじめとする報道機関も、それを大報道してきた。
それは、ほとんど近畿説プロパガンダの一種のようにさえ思えた。やや忿懣をおぼえるところであった。
にも関わらず、国民は九州説を支持している。
プロバガンダでは国民は納得しないというところか。
>>19 纏向遺跡が3世紀から始まってるからじゃね?
>>20 マスコミに取り上げられるのは大和朝廷ばかり
なんの成果もない九州妄想は辛いよな
倭人の教科書には邪馬台国の場所が書いてあったんだな。
https://imgur.com/aoXGq7Z 邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志いわく、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
また南、至る邪馬嘉(臺)国。
日本がこんな何か自分の国のことも
よく分かってない時代に三国志とかで
バチバチやってて、その三国志の
人達が古代の歴史として語るような
そこからさらに600年くらい前に
孔子とか孫子とか秦の始皇帝とか
いたわけで歴史に関しては
中国すごいといつも思う
>>23 声闘やっても、真実にはならないよ
マスコミっても、毎日変態新聞だけじゃん
畿内説を信じてるのはwww
>>23 つい最近見た番組では圧倒的に九州説だったなw
>>23 そのまま素直に大和王権の成り立ちを研究すりゃいい
無理矢理邪馬台国絡めるからゴッドハンドって言われるw
魏志倭人伝
邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
邪馬台国の官の筆頭
伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。
>>31 半島を征服し新羅王となった倭人は大和朝廷出雲から進出したんだね
>>32 倭人って、九州人の事だから
大和朝廷は、倭種
半島から土地を分どってきたのがスサノオでそれは出雲地方の伝承では孝霊天皇の事。
倭国が乱れた時代とは孝霊天皇の世。
その孝霊天皇の娘が箸墓の百襲姫、卑弥呼。
もう邪馬台国問題なんてとっくに解決済みだよ。
畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によってヤマト政権が始まる様子が記述されている。
畿内征伐によって誕生したヤマト政権の主体は、尾張、出雲、吉備。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
初期のヤマト政権に虐げられていた元々の畿内の人々、九州北部の人々と関東の先住民が手を結び神功皇后応神を旗頭に立ち上がったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子の討伐、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で住吉明神と共に、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。
3世紀後半(実質4世紀)の話題で邪馬台国という文字を
タイトルに使うNHKってまた捏造が発覚してたよな。
邪馬台国の時代は3世紀前半だから無関係だろうに。
>>35 種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同
「禾稲、紵麻を種(う)え、蚕桑す。緝績して細紵、縑、緜を出す。その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲無し。兵は矛、盾、木弓を用いる。木弓は下を短く、上を長くす。竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃。有無する所は儋耳、朱崖と同じ。」
その地には「牛」、馬、虎、豹、羊、鵲無し。
残念www
>>35 ここまでさんざんやり取りしてきて、
まだそんな妄想論を垂れ流すのか?
空気読めよw
巻向と熊野灘が辺りが直結してた事が証明さるたのも大きいな。
倭人伝にある倭の風俗にピッタリな場所が
紀伊半島南部、弥生時代水銀朱を普段から精製していた痕跡がある場所だからな。
しかも海人の里で冬も温暖だ。
>>35 新羅を征服し王朝を打ち立てた倭人勢力が裏切ったのかな
僕達はIDを変換する方法を探しているのだが、難しいな。。。
伊支馬はイクメイリビコ(垂仁)で、
弥馬獲支はミマキイリビコ(崇神)じゃないかな?
朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から同じ祭祀連合の内部の伊都国に一大率を派遣し、九州を検察し恐れさせたという空想を、どのような詭弁を使用しても、整合性を守りながら説明することができないので、破綻しました。
学部の掲示板の討論会で、僕達に徹底的に論破された奥山氏が、嘘の悪口を言い放ち、重大な名誉の既存の罪を犯しているな。。。
11名無しさん@1周年2019/06/13(木) 15:56:33.12ID:cRLWgUcb0
前スレの最後で
「畿内説がわざわざ5ch対策担当を設置してるのが異常だよ。
印象操作は犯罪だぞ。」
とかいう寝言を書いてるやつがいたが、
畿内説は定説・通説をその根拠とともに紹介しているだけだよ?
九州説みたいに、根拠のない「ぼくの考えたすごい魏志倭人伝の読み方」なんてのは
書いてないってだけだ
よほど九州説の印象が悪いって自覚があるんだろうな
まあ、近畿パー連呼(ID:qNe1dpbj0)だとか、
無駄スレ大量立て(ID:jV6swXdX0)だとかが九州説なんだから仕方ないけれど
学部の掲示板の討論会で、僕達に徹底的に論破された奥山氏が、嘘の悪口を言い放ち、重大な名誉の既存の罪を犯しているな。。。
という部分は、
学部の掲示板の討論会で、僕達に徹底的に論破された奥山氏が、嘘の悪口を言い放ち、重大な名誉の棄損の罪を犯しているな。。。
とタイピングするべきだったな。。。
11名無しさん@1周年2019/06/13(木) 15:56:33.12ID:cRLWgUcb0
前スレの最後で
「畿内説がわざわざ5ch対策担当を設置してるのが異常だよ。
印象操作は犯罪だぞ。」
とかいう寝言を書いてるやつがいたが、
畿内説は定説・通説をその根拠とともに紹介しているだけだよ?
九州説みたいに、根拠のない「ぼくの考えたすごい魏志倭人伝の読み方」なんてのは
書いてないってだけだ
よほど九州説の印象が悪いって自覚があるんだろうな
まあ、近畿パー連呼(ID:qNe1dpbj0)だとか、
無駄スレ大量立て(ID:jV6swXdX0)だとかが九州説なんだから仕方ないけれど
旧唐書の時代の倭奴国とは、北部九州〜出雲勢力の事かな?
旧唐書より
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
■倭國条 〜631年
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
倭奴国とは、漢委奴国王の金印を貰った国。
「去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。」
(新羅の東南一万四千里)
北部九州から東へと移動している。
郡の位置が変わったので補正された。
■日本条 701年〜 ヤマト政権
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国の別種である)
日本は倭国とは別物と言い切っている。
以下、日本人使者の言い訳が続く。
「以其國在日邊,故以日本爲名。」
(日出る国だから改名した)
「或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。」
(字が嫌いだから改名した)
「或云:日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
「其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。」
(日本人は不誠実なので中国はこれを信用しない)
九州説の嘘コピペ貼り付け係は24時間監視してんの?
8世紀の大和朝廷と3世紀の邪馬台国は無関係
無理にこじ付けようとするから訳が分からないようになる。
>>50 捕まってもいいから掘ってこいよw
一部からは英雄扱いされるかもよw
学部の掲示板の討論会で、僕達に徹底的に論破された奥山氏が、重大な名誉の棄損の罪を犯しながら言い放った嘘の中の、、、
畿内説は定説・通説をその根拠とともに紹介しているだけだよ?
、、、という意見の中に使用されている「根拠」という言葉の定義は、互いに独立した、75パーの確率で予想できる物事だったのでは、ないのかな。。。
11名無しさん@1周年2019/06/13(木) 15:56:33.12ID:cRLWgUcb0
前スレの最後で
「畿内説がわざわざ5ch対策担当を設置してるのが異常だよ。
印象操作は犯罪だぞ。」
とかいう寝言を書いてるやつがいたが、
畿内説は定説・通説をその根拠とともに紹介しているだけだよ?
九州説みたいに、根拠のない「ぼくの考えたすごい魏志倭人伝の読み方」なんてのは
書いてないってだけだ
よほど九州説の印象が悪いって自覚があるんだろうな
まあ、近畿パー連呼(ID:qNe1dpbj0)だとか、
無駄スレ大量立て(ID:jV6swXdX0)だとかが九州説なんだから仕方ないけれど
>>19 >纏向って4〜5世紀の遺跡だろ?
それ、どこの聞きかじり?
4世紀後半には廃絶されてるよ
開始期はおそらく2世紀末
>>52 捕まってもいいから掘りたいが
正式な発掘じゃないと何が出てもゴッドハンド扱いやからなあ・・・
>>49 24時間体制の畿内説宣伝係さんですかw
ところで時給いくら?
https://ja.wikipedia.org/wiki/東夷伝
これ全部読むと九州と近畿は別物、後になって大和政権に取り込まれた。
>>49 これの事か?
誤字が多いだけで、内容が嘘だと証明するのは不可能だぞ?
それこそ纏向で封泥でも掘り出さなきゃな。
24名無しさん@1周年2019/06/13(木) 16:19:18.11ID:ZF7V2SAW0
倭人の教科書には邪馬台国の場所が書いてあったんだな。
https://imgur.com/aoXGq7Z 邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志いわく、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
また南、至る邪馬嘉(臺)国。
>>49 >>59 伊都国の南らへんは硯が沢山出てるし可能性は否定出来ないよな。
>>21 >2007年3月14日(水)の夜
この日付が重要
「1989年(平成元年)2月23日、一部の報道機関によって大々的な報道が始まる」
「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」
九州説が一番盛り上がってた時代だよ
1990年(平成2年)5月に史跡指定
1991年(平成3年)4月に特別史跡に指定されている
一方、纏向遺跡の方は2013年(平成25年)10月17日に史跡指定
まあ、多数決ではないけれどねw
>>55 地道にファイバーを差し込むとかw
そしてその映像を配信してくれよw
>>30 そのまま素直に大和王権の成り立ちを研究した結果、
初期ヤマト王権がそのまま邪馬台国と三国志に記録されてたってことが分かってきたんだよ
>>63 3世紀の畿内の縄文系豪族は古墳時代になって渡来系弥生人に滅ぼされてるよ。
巻向の掘立柱の穴の跡に通勤できる範囲には、同じ時代の人民の住居が数件しかないのだったな。。。
>>55 そもそも発掘したからって、何残ってない可能性もあるけどな。
巻向の掘立柱の穴の跡に通勤できる範囲には、同じ時代の鉄の武器が全く発見できないのだったな。。。
>>31 きちんとした古代史の研究者は記紀はほぼ相手にしないけれど、素人の身勝手さで書けば
倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇のヒコヒメのペアが卑弥呼と佐治国の男弟で、のちの記紀では
男系原理で王位を記しているから男系だけが王と書かれていると考えればいい
そう考えれば、筆頭官伊支馬は、崇神の皇太子イクメイリヒコでよいことになる
成人した皇太子が政権中枢にいるのは自然な想定だ
>>62 どっちにしても正式じゃない以上意味はない
宮内庁が許可して正式にやるしかない
邪馬台国論争は決着済みですよ
九州説みたいな俗説はどうでもいいです
国立歴史民俗博物館FAQ
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c >>65 縄文系は主権争いなんかしない民族性だろ?
平和的で。
奥山氏が、また、頭の悪い者が考え付く意見を発表してしまった。。。
69名無しさん@1周年2019/06/13(木) 17:18:35.92ID:cRLWgUcb0
>>31 きちんとした古代史の研究者は記紀はほぼ相手にしないけれど、素人の身勝手さで書けば
倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇のヒコヒメのペアが卑弥呼と佐治国の男弟で、のちの記紀では
男系原理で王位を記しているから男系だけが王と書かれていると考えればいい
そう考えれば、筆頭官伊支馬は、崇神の皇太子イクメイリヒコでよいことになる
成人した皇太子が政権中枢にいるのは自然な想定だ
>>68 隣の唐古鍵の木製農具は、鉄製の工作器具で加工されてたことまでは確認されてる。
鉄器が今見つかってない事は間違いないが、そのうち出てくる可能性を秘めてる。
その時、鉄器だけに頼った九州説は大ゴケになりかねない。
もっと他に物証がいる。
>>68 畿内説は正式にゴットハンドやるから信用出来ないんだよな。
>>33 九州説の人はこれが大好きだけれど、
女王國東、渡海千餘里、復有國、「皆」倭種
の「皆」を読み落としている
渡海千余里の前も倭種なんだよ
倭種の人が倭人
魏略では冒頭に対応する箇所があり
倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種
となっている
これだと、途中に千余里の海峡がある列島はどこも倭種・倭人の国になっている、というだけ
>>65 洋食で体格良くなった現代人の先祖は子孫に滅ぼされたことにされて大変だな笑い
昔の民家はドアの高さあからさまに低い
頭の悪い奥山氏は、倭迹迹日百襲姫命と崇神の皇太子イクメイリヒコが、何世代離れているか考えることができないようだな。。。
69名無しさん@1周年2019/06/13(木) 17:18:35.92ID:cRLWgUcb0
>>31 きちんとした古代史の研究者は記紀はほぼ相手にしないけれど、素人の身勝手さで書けば
倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇のヒコヒメのペアが卑弥呼と佐治国の男弟で、のちの記紀では
男系原理で王位を記しているから男系だけが王と書かれていると考えればいい
そう考えれば、筆頭官伊支馬は、崇神の皇太子イクメイリヒコでよいことになる
成人した皇太子が政権中枢にいるのは自然な想定だ
>>67 盗掘されてたとしても、残った副葬品から男性か女性か、くらいは判る気はする
あれが卑弥呼の墓かはともかく、纒向遺跡に深い関わりがある人の墓だろうし
何がしかの発見はありそう
>>80 耳飾りとか径の小さい腕輪があれば女性だろうな。
>>48
>「日本國者,倭國之別種也。」
>(日本国は倭国の別種である)
> 日本は倭国とは別物と言い切っている。
それ読み方が違う
日本は倭の別種の建てた国ではなく、日本は倭国のことだけれど別種の呼び方、というだけ
旧唐書
「日本國者,倭國之別種也。」
日本国は倭国の別の国号である
→今後はこれまで倭国と呼んでいた国を日本国として記すという説明
「以其國在日邊,故以日本爲名。」
その国が日の出の方角にあるという理由で、日本と名乗るようにした
→あるいはいうの前のここまでが本論であり、これが旧唐書撰者の公式見解
「或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。」
あるいは曰う、倭国が自らその「倭」が雅でないことを嫌い、国号を日本に改めた
→別伝の紹介:改号の理由の推定 上記の本論と齟齬はない
「或云:日本舊小國,併倭國之地。」
あるいは云う、日本は旧くは小国で、倭国の地を一つの国とした
→別伝の紹介:日本(旧倭国)は最初から全国政権ではなかったが、
倭国の地全体を一つの国とした(併せた)
これは宋書の倭王武の上表文
「自昔祖禰躬甲冑跋渉山川不遑寧處
東征毛人五十五國
西服衆夷六十六國
渡平海北九十五國
王道融泰廓土遐畿」の意訳 甘木(朝倉)、筑紫野付近の遺跡は、3世紀末でその集落が終わっているかのようである(その後の発展の様子がない)
そして奈良盆地には甘木周辺ととそっくりの位置関係や呼び方がそっくりな場所がある
記紀では九州北部にとつぜん筑紫国というでかい国が生まれる(魏志倭人伝ではまったく出てこない地名)
これらの事実を総合すると、3世紀末に九州から大勢が奈良都の創設にかかわっていると考えるのが自然
その後設立した大和朝廷によって九州北部を筑紫国とし、韓国遠征の重要拠点として整備した。
こうした流れが事実だとすると、この大きな変化には韓国南部の狗邪韓国が関係してるのではないか
狗邪韓国というのは、後漢書では倭の西北端の国、三国志魏書東夷伝倭人条によると、倭国の朝鮮半島における倭国の北限であり
韓は南は倭と接するということから、半島の南部が倭国であったと解釈できる。
半島情勢に詳しい狗邪韓国や邪馬台国等の倭人によって奈良へ倭国の本拠地を作り
各地豪族と連合国家を設立したのち、朝鮮半島へ再進出したんだろう。
奈良が4世紀ごろから急速に発展したことも裏付けられる。
>>81 そういうのが出ればほぼ決まりかな
モモソヒメ=卑弥呼が確定に近くなるかも
>>76 ポイントズレとるやろw
海を約千里渡ったところに又国がある。
それらが倭種だと言ってるんだろ?
で畿内説はそれを伊豆だとか言ってたはずだ。
お前畿内説か?
魏志の邪馬台北部以外の国々は九州外周の里数も記述されていることから、九州沿岸沿いにあった国々を順に記し最終奴国に至ると言う九州一周した記述
>>82 アホかw
北史でカンカンに怒らせとるやろw
そして、なめとんかゴラ!と書かれた国書を小野妹子は隠滅したんだよなw
別種と記載されたのは、同じ倭人だが別の政権だ、という意味。
色々言い訳しとったが中国は信用しない、と締めくくっているわけ。
>>84 それおかしいやろw
卑弥呼は独身の老婆だぞw
>>72 後漢書で建武中元二年(57年)に光武帝から金印、
さらに古い建元元年(紀元前140年)にも使節を送っている。
なぜ、文字が伝来しないのかが不思議。九州王国の書簡を燃やしたのか?
古墳を調べさせない宮内庁。
邪馬台国は畿内で、九州北部から北関東にかけて支配してた
邪馬台国が大和朝廷になったのではなく邪馬台国が大和朝廷そのものだった
>>88 モモソヒメは神と結婚やから、神に捧げられたって意味で
対人としては独身って事になる
第七代考霊天皇の娘で、第10代の崇神天皇10年くらいに死んでるから
結構ババアな可能性が高い
まあ卑弥呼と確定出来る訳ではないけども
キープという縄で情報を伝える方法があった
南米にも似たようなものがある
仏教文化を取り入れる過程で文字文化に変わっていった
>>46 いやもう否定された。
旗色どころの騒ぎちゃうww
朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から同じ祭祀連合の内部の伊都国に一大率を派遣し、九州を検察し恐れさせたという空想を、どのような詭弁を使用しても、整合性を守りながら説明することができないので、奥山氏が元気を失ってしまったな。。。。。。
宮内庁は何を根拠に陵墓を決めてるんだろ?
相当間違えてるようだが訂正する気も無いのかな?
邪馬台国畿内説を宣伝するプロ固定の奥山氏は、5ちゃんねるの学部の掲示板での討論に完全に敗北し、このニュースの掲示板で宣伝しているが、
やはり、学部の掲示板での討論会で最期まで正々堂々と闘い、毅然とした態度で敗北を宣言すれば良いのではないのかな。。。
http://2chb.net/r/history/1560272776/l50 >>88 崇神も皇太子が成人しているからいい年齢だぞ
欠史八代の部分は大王の継承順くらいしか情報が残っていなかったのを
すべて直系父子相続にしているだけ
古系譜研究家の宝賀寿男氏は、皇統の系譜と豪族の古系譜の世代対応を追うことで、
神武から崇神までを五世代としている
そして、復元系譜の一案として、考霊と考元が兄弟、開化が考元の子、崇神を考霊の子と
考え、開化、崇神を従兄弟としている
この系譜だと、考霊と崇神は皇位の代数では7代と10代で3代離れるが、実際には
親子ということになり、考霊皇女の倭迹迹日百襲姫命とは姉弟となる
四道将軍も記紀の系譜どおりだと4人が4世代とばらばらになるが、この系譜だと
親子二代の範囲に収まる
>>85 むしろ、列島周りの船で行ける島も含めてみんな倭種ってことだろ
隠岐とか佐渡とか伊豆諸島、が「皆」倭種で、本州も九州も倭種
>>87 正解だよ。
畿内説は抜粋ばかりで辻褄あわせ。
なんで二十四史の東夷伝読めばいいのに。
>>86 なかなか浸透しないけれど、周旋は一周したりもとの場所に戻ったりしない
福岡の奴国と余傍国最後の奴国は別の国
もし同じ国で一周しているのなら、此女王境界所盡にならない
>>106 君ちょと周回遅れやと思う。
畿内説はそんな事は言ってないぞ。
>>95 九州のヤマトは、ご指摘の山門も含めてみんな小さな地名しかない
七万戸の大国があったことをうかがわせる遺跡もない
「九州のヤマト」説は、遺跡がないことで否定される
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳。
よって卑弥呼の時代は邪馬台国は御井。
>>103 >相当間違えてるようだが訂正する気も無いのかな?
これに関しては、宮内庁の公式見解がすごいぞ
今城塚古墳が継体天皇の真陵であることは確定
継体天皇陵の治定を変えないのかと問われて答えたことには、
「ずっと三嶋藍野陵でお祀りしてきており御霊もお移りしていると考えるので
治定の見直しは行わない」だそうだ(記憶だけだからそこまで正確ではない)
>>84 平原遺跡から出たもの見てから言おうなwww
なんかもう、第二の藤村さんを探せみたいになってきてる感が
>>115 すげえ
その理屈がOKなら皇居かどっかに土饅頭つくってご先祖お祀りしたら古墳全部掘れそうだな
>>113 大和の「国」のような広域を示す地名が大きな地名
町村名、あるいはその下の大字程度の狭い地域を示す地名が小さな地名
九州のヤマトは、山門が旧郡の名前で一番大きいが、それでもこの大きさ
まあ、郡レベルが昔の国の大きさではあるのだけれど、山門には遺跡がないし
弥生末期にはまだ半分くらい海の底
>>116 平原遺跡は日本唯一、女性の耳飾りが出てるのは知ってるよ
ただ時期と墓のサイズがね
それに、魏との繋がりを伺わせる発掘品が無いのがな
(出た鏡はほぼ日本製だったと思うが)
平原遺跡は、あるいは卑弥呼の墓かも知れないが、今の時点では
決定打はない、てとこだろう
>>116 仿製鏡ばかり38面も出て、舶載鏡は100年以上古いものが2枚だけ
後漢末の鏡も魏晋鏡も1枚もなくて、卑弥呼の鏡が1枚もないことが確定の
径十歩以下の小さな墓がなんだって?
鉄剣については、丹波の弥生墳丘墓の方がたくさん出ているし、ガラス製品も
丹波の大風呂南墳丘墓の方が豪華
卑弥呼の墓は祇園山古墳で100%間違い無い。
ならば邪馬台国は、恐らくはあの無駄に広い筑後国府跡辺りかな。
あの下に邪馬台国は眠ってる。
>>121 だから、ヤマトの地名だけで「邪馬台国はここ」って言っても
誰も相手にしないよってこと
>>90 ?頭大丈夫?NGにしておくね!(^_^)/~
>>122 全部、国宝指定なんだよねwww
平原から出たものは
九州説の場合、多くの人は不弥国から投馬国まで南へ水行20日ってとこ、
南って方角にこだわってるけど、その割に末廬から伊都(糸島に比定した場合)
の東南って明らかにおかしい方角はみんなスルーするよねw
末廬から伊都って船でも行けるしそっちのが自然なのに、
陸行ってのも十分おかしいけどさ。
そのくせ使者って恐らく伊都までしか行ってないのに、
伊都より先の不弥から投馬の方角にやたらこだわるw
>>122 >舶載鏡は100年以上古いもの
まさにそれが、鏡は編年に使えないという理由の一つなんだよ。
とにかく箸墓を掘れば、何がしかの成果は得られる
宮内庁は特別に発掘を許可すべき
>>129 そんなことにこだわって無いよアホwww
祇園山古墳が卑弥呼の墓なのは100%間違い無い。
邪馬台国もこの周辺なのはまず間違い無い。
とりあえずはあの無駄に広い筑後国府跡がとても怪しい。
>>116 その平原は当時の畿内方面に多い古墳の形状なんだがw
つまり単なる当時の北部九州は畿内からの出張所を証明してるだけだよ。
>>132 じゃなんで南じゃなく東の間違いじゃね?ってとこ否定したがんの?w
>>133 あんたも相変わらずバカンスだねw
七万戸は無理だし丹山もないのに。
邪馬台国は畿内だよ、間違いない。
>>135 何の話しだ?
魏志倭人伝は伊都国基点の放射読み。
>>136 女王の領域は山陰も含む。
筑紫平野+山陰。
七万戸はよゆー
>>134 >北部九州は畿内からの出張所
逆だなw
横穴式、船型石、葺石、どれも畿内は後発だろw
九州説はせめて卑弥呼の墓の候補を見つけてよ
九州のどこかーじゃなくてさ
>>138 共通項が薄いね、むしろそれらは奴国で山陰は投馬だな。
邪馬台国は畿内辺りで確定だよ。
しかも巻向は熊野とも近い事が証明されてきたしな。
卑弥呼の墓が邪馬台国に造られたとか一言も書かれてないんだよな
>>140 畿内説はせめて伊都国や奴国の候補を見つけてよ
畿内のどこかーじゃなくてさ
祇園山古墳が卑弥呼の墓なのは100%間違い無い。
邪馬台国もこの周辺なのはまず間違い無い。
とりあえずはあの無駄に広い筑後国府跡がとても怪しい。
>>20 『魏志倭人伝』に記されている事物で、遺跡・遺物として残りうるものは、圧倒的に福岡県を中心とする北九州から
出土している。
確実なもので、奈良県から出土しているものは、ほとんどない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
この基本的な事実を、直視すべきである。
「畿内説」の考古学者たちは、なにか出土すれば、すぐ邪馬台国と結びつけて、マスコミ発表を行なう。そのほうが、
マスコミにとりあげられやすく、発掘費などを獲得しやすいということなのであろう。
「かすったら畿内説」主義である。「証明」よりも、「宣伝」主義である。
このくりかえしが、我が国の古代史像を、大きくゆがめている。
>>123 今度は径二十歩未満の方墳か
九州説はすごいなww
>>139 それがなにか?
倭人伝は三世紀末の話だぞw
三世紀末、邪馬台国は畿内である事と何の関連もない。
>>149 馬具が出て、「ハイ!消えた!」の箸墓古墳よりも可能性があるwww
>>1の時代(3世紀後半)は卑弥呼が死んで倭国が乱れていた時代であり、
魏志倭人伝によると1000人ほど死者を出している。
畿内では呑気に土器作ってたのか?w
>>148 また邪馬台国の怪の工作ですか?
九州説のバカは未だに倭人伝を邪馬台国伝曲解するんだなww
祇園山古墳は30m弱のありふれた方墳だからまさしく卑弥呼の墓にドンピシャ。
ここで間違い無い。
>>155 涙拭けよ近畿パーwww
畿内説は否定証明完了済み。
>>156 涙拭けよ近畿パーwww
魏志倭人伝は伊都国基点の放射読みが正しい。
>>153 その理屈なら文字を使わない倭人の国から硯が出るのもダメなんだぞww
>>139 >横穴式、船型石、葺石、どれも畿内は後発だろw
横穴式は、畿内の竪穴型石室に横口をつけたもの
本質は畿内様式の改良
船型石って重要か?
葺き石は畿内は後発だが、その祖形は北部九州ではなく出雲だ
で、何が言いたいんだ?
>>160 魏志倭人伝の倭人は文書使ってるんやけど?
皇室公認 柏原芳恵 の画像をどぞー
同世代のアイドルの中で
なぜ彼女だけこんな「汚れのビッチ」になってしまったのか?
令倭天皇がファンだというのになw
令倭天皇が人格者とはとても思え無い。
お気にいりの芸能人をやり捨てにして廃人にしたクズじゃないのか。
t
>>158 また日本史板で相手にされず出張荒らしかな?
>>146 オウム返しは楽しいかい?
畿内説でも伊都国は三雲遺跡群だし、奴国は比恵那珂遺跡群で問題ないよ
そこからさらに、水行20日で投馬国・出雲、
さらに水行10日陸行一月で邪馬台国・ヤマトまで進むだけ
>>161 考古学では、横穴式は6世紀に前方後円墳に採用された、となっているが?w
現実に西都原の方が先に九州式横穴を採用してるなw
方角の通りなら、末盧から東南で小城の辺りが伊都国(土生遺跡か)で
そこから更に東南で(実際は東だが)吉野ヶ里あたりが奴国かも
吉野ヶ里からは舟で南に行けたから、熊本の山鹿あたりの方保田東原遺跡が
投馬国とかだったりして
まあ通説と違うんですが
>>165 すげえ不自然なルートで笑う
水行十日で陸に上がる理由ってなに?
>>162 馬具だって大陸人の来ていた証明だろw
二世紀の伊勢遺跡なんて煉瓦の技術まであるんだからな、これなんて通説より数百年遡る。
ふーん、古代から三重県は近畿地方の勢力下にあったのか。
じゃあ、東海地方から三重県を外そう。
>>157 >高良大社のふもとに有りながら、 荒れ放題の祇園山古墳とは、なんだったのか、、、
現在、列島で知られた古代墓の中で、
「大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人」という文献的条件を満たし得て、
庄内や、三角縁や、「甕棺の鏡片の成人女性」などという考古的条件を満たす墓は、
久留米の祇園山以外に見つからない
>>160 文字を使わないなどと、魏志倭人伝には一言も書いてませんが?
逆に、
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯
字を使ってた形跡なら有るが?www
>>164 お、必殺自己紹介ビーム炸裂しましたね。
いただきました。
>>99 インカ文明だな。
ラファエル・ラルコ・エレラ博物館で
見たよ。
中国の殷がインカ帝国(15世紀前半)
飛鳥がアステカ(1428年頃から1521年)、アラスカ
マヤ(BC300年〜800)は?
畿内では5世紀ぐらいから船型石、葺石に阿蘇石を使い出したんだよな。
それぐらい様式の伝達には時間がかかる。
となると前方後円墳の広がる速度は異常だ。
つまり、勢力拡大して広めなくても倭人はもともとそういうネットワークを
持っていたということ。
=原住民文化の名残りだ。
現代日本でも政権と宗派は無縁だろ。
一応仏教国だがチベットの属国では無い。
>>172 墨書文字の描かれた土器なら三重の松阪辺りから出土するけどなw
そこは丹山もあるしな
つまりそれが弥生末期の重要ルートという訳だよw
全然九州南へ向かってないんだよww
>>169 またちょっとズレとるなお前w
佐賀で硯を作製所が発見されたというニュースを知らんのか?
硯は形は中国型だが、国産だ。
>>177
数が異常 20万もある
ちなみに多い順に、茨城、千葉、長野 ←意外 iPhoneが落ちてたらそこはアップルの工場か?
畿内説の思考で最も問題視されるところだが?
冬温暖で海人が多くて丹山のある場所、それは紀伊半島南部だったという事だ。
そこは猿田彦やアメノウズメ、勿論伊勢神宮の所在地もここだ。
そこに巻向はと結び付きが強かった事も証明されちゃったなw
>>179 それがどうしたんだ?
マツラから奴国辺りなんだから当然だろw
それより河内からは弥生中期に水銀朱を計測していた分銅まで見つかってるぞ?
>>183 狗奴国なら九州南部から四国太平洋側だろwwt
祇園山古墳が卑弥呼の墓なのは100%間違い無い。
邪馬台国もこの周辺なのはまず間違い無い。
とりあえずはあの無駄に広い筑後国府跡がとても怪しい。
>>188 5世紀の馬具が出土しちゃった箸墓古墳じやね?www
>>185 何の話しとんねん?w
なんかコミュ障でも持ってんのか?w
>>188 日本史板には奈良県御所市の高天彦神社境内の蜘蛛屈(通称こんもり)が卑弥呼の墓だと言う糖質ならいるけどな。
丹(辰砂)なら、嬉野温泉あたりでも出る
塩田川は丹生川とも呼ばれてるし、川沿いには丹生神社が幾つかあったりするし
候補では無くて確定。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
100%間違い無い。
九州説
邪馬台国の場所→九州のどこかー
卑弥呼の墓→九州のどこかー
卑弥呼→九州のだれかー
>>191 時代以前に魏王より遥かにデカい墓っていうのがありえんよね。
魏には後ろ盾にはなってほしいし、冊封は受けて列島支配の正当性はほしいけど、
それはそれでウチらの女王の方が曹操よりも偉大だから遥かにデカい墓作って後世にまで伝えないとねw
ってことだよな?
>>179 その出土物の写真見たことあるかい?
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/339867 ただの石片3点が硯扱いになってるだけだよ。
大量に出てきてるわけでもないし、明確に中国のデザインとわかった貴方は凄いよ。
>>180 陸路、海路ルートの確立を日本武尊に集約
九州出雲王国(邪馬台国)、熊襲等、近畿から東の倭国
畿内説
土器編年早めて邪馬台国だー
馬の使用早めて邪馬台国だー
候補では無くて確定。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
100%間違い無い。
中国の書物に邪馬台国ってのが書かれていたから
実在したするってのどうかの?
その書物、ラノベみたいなもんかもしれないじゃん?
魏志倭人伝の記述と何もかもあう。
大きな矛盾が何も無い。
卑弥呼の墓は祇園山古墳で100%間違いない。
距離や位置がピッタリ。
三世紀の造築で、かつ当時北部九州で最大級の古墳。
前方後円墳のような特異な形状では無く、ありふれた方墳。
30m弱だから短里で丁度径百余歩。
棺があって槨が無い。(棺が直接埋まっている)
朱が使われている。
百名近くの殉葬者がある。
何もかもピッタリ合う。
しかも、このように何もかも魏志倭人伝の記述と合う遺跡は
祇園山古墳以外全く存在しない。
卑弥呼の墓は祇園山古墳で100%間違い無い。
>>207 まあ中国には他国の歴史作ってやる動機が
薄いから、ある程度信頼できるって前提な。
歴史学的にも考古学的にも九州以外ありえないんだけど、「日本の歴史で九州モンには負けんタイ!」っていう矜持で関西人頑張ってるんだよ。
>>198 こりゃヒドイ
マスコミに取り上げられないわけだ
硯が墓に入ってたっていいそう笑い
>>166 だから、九州の初期の横穴式と呼ばれているものは、畿内様式の竪穴型石室に横口をつけたものであって、
のちの畿内大古墳の横穴式石室とは繋がらないんだよ
心ここにあらざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
食らえどもその味を知らず。
大学
>>168 そこが畿内の日本海側の玄関口だからだよ
四道将軍がわざわざ丹波を攻略に行ってるし、欠史八代の皇子で最重要のヒコイマスが
丹波の祖先になっている
開化天皇の妃に竹野姫の名が見えるが、上陸地点として丹波竹野を想定している
日本海3大古墳と呼ばれる網野銚子山古墳、神明山古墳、蛭子山古墳がすべて丹波にある
大和と出雲の行き来は、大和から丹波まで陸路、丹波から出雲までが海岸水行
魏使もこのルートで大和・邪馬台国を訪問したと考えるのが最も合理的
>>196 >葛城爺なw
最近は「左側スロープ君」って呼ばれているから、
今度見かけたらそう呼びかけてあげてね!
北九州から出雲だと、南どころか東北なんだよな
いくら方角が当てにならないとは言っても、135度違うってのはどうかと
>>217 吉備 ももそ 吉備津彦 桃大量
西王母は山に住み桃園持ち
鏡
瀬戸内海
だから大君は九州から紀伊半島に移住したからどちらも正しい
方角はその場にいた人と、記録だけ見て他の文書との整合性を考える人では、
立場も見解も異なるから
その場で魏使が方角を間違えないということと、それを記録して持って帰って
報告書にして、史書に残されて、それを参照して私撰史書である三国志が編纂されるまで
間違えないということを同列視してもしょうがない
前スレでも書いたけれど、魏使が例えば木簡で倭国滞在を記録したとして、
どれだけの情報量を持ち帰れたのか、と考えるとそこまで事細かな記録が正確に
大陸に伝わるかと言えばまあ無理だろうとしか言えない
海岸水行の部分は海沿いに行ったと記録すれば、方角は書かなくてもいいし、
そこで陳寿が倭国が南北に長い列島だと認識していれば、南水行に化けてしまう
>>149 わかっとらんなあ。
武田鉄矢を見てもわかるように、九州の男は足が短いのだ。
これを短足説と言う。
方角も距離も戸数も当てにならんとするなら
やはり親魏倭王の印綬か封泥かな
部下の貰った銀印でもいい
>>217 なのに魏志倭人伝に全く記載なしw
不自然な山越えで地形も全く無視するルートだしマジ無理筋
硯にしろ横穴にしろ、今日の畿内説は一段とレベルダウンしてるなw
しかもBS見てないあたり、受信料払ってない連中だなw
奥山氏は流石に飽きて巣に帰ったかなw
>>217 丹波のみちのしり丹後の天橋立には元伊勢と言われる籠神社、真名井神社があって、そこは天皇家より古い系図を持つと言われる海部氏が宮司で、かつての海岸線には天孫の神々をフルラインナップで祀る和貴宮神社があって、その港を宮津と言うんだよね。
畿内の玄関な感じがするわな。
>>225 投馬国が出雲だと水行十日陸行一月でヤマトにつく行程に見合う
>>225 特に高い山越えもないし、現代でもJRや国道の通っているルートだよ
弥生時代から古墳時代初期の遺跡のあるところ=人がいたところを通るルートだ
ちなみに上陸地に想定している竹野は先に書いた日本海三大古墳の一つ神明山古墳のあるところ
もう少し具体的に書くと
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う
どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って
纏向というルート
私のオリジナルの考えという訳でもなくて、村井 康彦氏の
「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」を参考にしている
>>229 魏志倭人伝に記載すらされないような山越えルートを選ぶ必然性が皆無
少し先の舞鶴から山越えするとか小浜まで行って琵琶湖利用するとかならまだしも
JRや国道が通ってるからとかマジ勘弁して
>>226 >BS見てないあたり
これ、BS-TBSの「諸説あり」のこと?
日本古代史も三国時代も専門じゃない中国人の教授にギャラを払って九州説っぽいことを
話してもらっただけなんだけど?
>>232 邪馬台国への行程なんて水行十日陸行一月しか書いてないだろw
行程に見合ない九州より現実味がある
>>230 古墳後
倭人伝は古墳前からの話
吉備の形式墓が古墳
祀る土器も吉備から
>>232 高い峠は一切ないから、大陸の感覚なら山越えではないよ
JRや国道が通ってるからというのは、通行の利便性を示しているだけで
ルートの選択は
>>231に書いたように弥生時代=古墳時代初期の遺跡のあるところ
=当時の重要拠点をたどるルートにしてある
魏使様を接待しながら案内するのに最適なルートだよ
>>233 Bsで心理学者がコメントしてる歴史番組もひどいな
古墳の形式については安本氏が7月に
出版する本で取り上げているそうだ。
■魏志
・韓伝,夫余伝:「槨あって棺なし」
・高句麗伝:「石を積みて封となす」
・東沃沮伝:「大木の槨を作る、長さ十余丈」
・倭人伝:「棺あって槨なし」←卑弥呼の墓
■畿内説が卑弥呼の墓と言い張る
箸墓古墳(前方後円墳)の形式は
「棺あって槨あり」
※ちなみにホケノ山古墳は
「木槨あり木棺あり」
>>235 >古墳後
弥生終末期と古墳時代初期は、古墳を作るかどうか、以外の違いのない一続きの社会だ
つまり、古墳時代初期に大古墳が作れるところは、弥生終末期に十分な人口の集積のあった重要拠点であり
大きな勢力の所在地
その意味で北部九州では、那珂八幡古墳を作った比恵那珂遺跡群・奴国が最大勢力であり
魏志倭人伝の記述が裏付けられる
>>236 重要拠点?
>女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、
>其の他の傍国は遠く絶たっていて、詳に得ることができない。
>斯馬国、己百支国 (中略) 烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である。
つまびらかにできないほど遠くの国さえ記述されてるのに
重要拠点がまったくノータッチとか笑える
九州説でも、この程度の想定ルートというのを図示してみてくれないかな?
>>233 専門家なんて普通はおらんわw
専門家に丸投げしていたから閉鎖的な環境が生じて旧石器時代捏造事件に発展したんだよ。
海外では様々な視点からの見解で一致するものをコツコツと確定させていく方式だ。
日本のように権威ある学者の一声で確定させるような事は無い。
日教組に子供らの教育を丸投げできるか?w
今日は久留米説の人がいて、宇佐説の人はいないのか
一大國から千里という末盧國の位置が分かれ目
そう思うが、バトルにはならないのね
卑弥呼の墓は祇園山古墳で100%間違いない。
魏志倭人伝の記述と何もかもあう。
大きな矛盾が何も無い。
距離や位置がピッタリ。
三世紀の造築で、かつ当時北部九州で最大級の古墳。
前方後円墳のような特異な形状では無く、ありふれた方墳。
30m弱だから短里で丁度径百余歩。
棺があって槨が無い。(棺が直接埋まっている)
朱が使われている。
百名近くの殉葬者がある。
何もかもピッタリ合う。
しかも、このように何もかも魏志倭人伝の記述と合う遺跡は
祇園山古墳以外全く存在しない。
卑弥呼の墓は祇園山古墳で100%間違い無い。
さっきから、琵琶湖を通れとか言っている人がいるけれど、
福井から琵琶湖に出るときは結構な山越えになるよ?
敦賀湾まで行って塩津街道か西近江路を通ることになるけれど、
それだと水行距離がさらに十日分くらい余計にかかる
>>238 紙の本は辛いな。。。
Kindle版なら読むんだけどw
>>241 >つまびらかにできないほど遠くの国さえ記述されてるのに
>重要拠点がまったくノータッチとか笑える
先にも畿内皇統の皇子ヒコイマスが丹波の祖であり、四道将軍が丹波を抑えていると
書いただろ?
丹波は出雲と大和の接点であって、独立勢力扱いされてないのだろう
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
>>248 つか頭から論外。
近畿へは瀬戸内海を通る海路が常識。
ただの近畿パーの妄想。
>>243 >専門家なんて普通はおらんわw
前スレで、新井宏氏を14C年代の専門家って言い張る九州説がいたんだが、
専門家がいると普通に考えてはいけないんだww
専門家でもない人の話をありがたがっている体で番組を作るのはいいのか?ww
三世紀などと言う時代には橋はロクにかかっていない。
陸路で一月など100%無い。
海路で瀬戸内海を通ればいいだけなのにバカか。
頭から論外。
本居宣長もこれを根拠に近畿説を否定している。
>>248 難波の津から陸1日
百舌鳥から真東1日
だ
随中国人が倭人伝と同じと公認のヤマト
>>246 >末盧國の位置が分かれ目
どうして?
唐津平野で問題ないだろ?
問題ないから定説になってるんだし?
┏( .-. ┏ ) ┓
【イオンビーム】
*成田のイオンは、量子サーバーを50台保有している
富里のイオンは30台である
昨年のSONYやIBMの保有台数を超えている
*安田電子体が、イオンの量子サーバーを乗っ取り
フジテレビ🐝抱える、古舘電子体兵器を量産し続けて
私に対して、超伝導素粒子の石(針)礫を飛ばして来ている
頭部から爪先まで、粉砕骨折や神経が断絶されたと云われている
一時間余りで、数千箇所身体内から切られまくってます
尚、私への暴行は連日連夜続いており、Googleと安倍首相側も、この虐殺手法を推奨しており
私がフジテレビ電子体兵器を撤収させないと、この件を書きますよと云っても、全く無視されたので書く事に致しました
全国の拠点的なイオンに、量子サーバーが置いてあり
タイムマシンがあった頃の名残りで、勢力圏が巨大になっている ei
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
卑弥呼の墓は発掘されているだったか
まーまーやったな
>>253 >じゃあ上陸した時点で邪馬台国じゃね?
邪馬台国七万戸の範囲には入るんじゃね?
でも、邪馬台国は女王の都するところであって、全体が女王の都じゃないから
女王の都まで行かないと
>>262 ちなみに丹波まで邪馬台国って言ってる学者さんはどれくらいいるの?
>>256 >海路で瀬戸内海を通ればいいだけなのにバカか。
ただ通ればいい訳じゃなくて、魏使は倭国の情勢調査も仕事のうちだから
倭国第二の大国、投馬国五万戸・出雲を通るルートを採る必要があるんだよ
>>230 4世紀後半から5世紀前後で新しきないか?
出雲の国譲りに関係するかも?
九州(南九州除く)山陰山陽、四国の一部が
女王の範囲。次の台予以降に山陰(出雲周辺)が大和に寝返り
邪馬台国を滅ぼす。
>>263 いないと思うよ
通常は、畿内第V様式土器が出る「大和+河内〜環大阪湾の範囲」だと想定するし
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
おれは、福岡から水行20日移動したと思ったら、いつのまにか福岡にいた
さらに水行10日と陸行1月移動したと思ったのだが、やはり福岡にいた
しかも、戸数だけは5万戸、7万戸と増えてやがる
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
>>258 唐津から「東南陸行五百里」って素直に解釈すれば佐賀
そこから宇佐ってかなり厳しい
千里を重視して博多あたりにすれば、宇佐もありかなと
畿内以外の古墳の編年は、古墳時代の始まりが遅く考えられていた時期のままになってたりするからね
それを九州説は、畿内だけインチキしているというのだけれど、他の地域の古墳も順に編年を修正すればいいだけのこと
>>254 陸行一月と書いた陳寿もパーということか?w
>>242 やっぱり前スレの基地外はキナイコシだったのかw
謝って損したww
活動時間が丸かぶりだから怪しいと思ってたが、尻尾をあらわしよったわww
もう一度言うw
365日24時間5chの邪馬台国スレに張り付いて、
地獄にいるおっ母さんも泣いてるぞww
>>265 そんな必要は無い。
魏志倭人伝のどこに出雲へ行ったと書いてある?
お前ら近畿パーのただの妄想。
非近畿説だけど丹波は、卑弥呼の範囲ではない。
出雲周辺までと思う。
使節が通ったのに魏志倭人伝に記載されてないってことは
そこには国とよべるようなものは何もないレベルで無人の山野だと思っていいんじゃねーかな
記載されてすらいないのにまかり間違っても重要拠点はないと思う
>>268 ザ・ワールドで時間止めた隙に元の位置に戻しといたから、もう一度歩いてね
十日だの二十日だの書いておいて、三十日だけ一月と書くと言うことは、駢儷文の観点から言って100%無い。
また、三世紀などという時代には川にはロクに橋が架かっておらず、陸行一月できる場所は事実上物理的に存在しない。
そのような長距離は必ず水行するのであり、これは本居宣長が畿内説を否定した根拠でもある。
つまり、陸行一月は誤り。
梁書の倭人条は魏志倭人伝をほぼパクって作ったものだが、これには陸行一月日とある。
つまりこの当時すでに陸行一月の資料と陸行一日の資料とが両方あったのだろう。
陸行一月は陸行一日の単なる写し間違いである。
>>268 随の中国人が奈良が倭人伝のヤマトと公認公言してるのにバカなんだろうな
心ここにあらざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
食らえどもその味を知らず。
大学
ガチ正論
「日本の学者は、『魏志倭人伝』を
読めないのが問題なのでは無く、読めないということを
知らないことが問題なのだ」
あれ?初なのにすでに6ってw このスレでIDかぶりは致命的やなw
大好きな神獣鏡とか土器の話を一生懸命我慢して、昨日一日中珍説唱えてたキナイコシクソワロスww
>>280 それはない。
一日で行ける距離なら里数を書く。
>>278 「月」と「日」なら写し間違いは理解できるな。
「南」と「東」の写し間違いはあり得ないがw
古代人の方向感覚はだいたい信用出来るはずだよな。
なんたって九州の縄文人は琉球まで往復出来てたんだろ?
>>281 全部、読んで
https://zh.wikisource.org/wiki/隋書/卷81?uselang=ja
前置きに魏書引用の邪馬台、卑弥呼
隋朝最初の年号581年 - 600年
時点の話だよ。奈良が倭人伝のヤマト
文献 しかも海を渡った隣国の
こんな小さなものに縋りつくのが間違ってるよな
日本に残されてる遺物からその歴史を当てはめれば良いだけ
畿内だけしかないよ
畿内じゃないなら邪馬台国も卑弥呼も存在しなかったで良いかもね
>>288 月と日の書き間違いは方角間違いよりあり得ない
>>287 魏の使いは二回来ている。一回目は伊都国に留まった。
倭人からの伝聞。倭人は里程を知らないと隋書にある。
3世紀後半は邪馬台国の最有力候補地とされる纒向遺跡(桜井市)の最盛期に当たる。
は?最有力候補は九州だろが!!
>>287 隋書
東夷の人は里数を知らない、ただ日を以って計っている。
>>293 一日なら予想はできる
それまでの行程よりはるかに近いんだからw
>>294 そうそうそう、3世紀後半は倭国内乱の真っ最中だし。
狗HKは捏造が平常だからなw
こないだも問題になってたしw
>>297 月と日の書き間違いの方が妄想だよ
陳寿をバカにしすぎw
魏の使いは二度来ている。
一回目は伊都国に留まって、不弥国と奴国だけは近くだから分遣隊を派遣し里程を百里と算出している。
邪馬台国と投馬国は遠いので、倭人から伝聞で聞いたものを記述した。
倭人は里程を知らない。日にちで考える。
だから邪馬台国と投馬国は里数ではなく日にちになっている。
ID:hOCnPDmz0
この人、孝霊厨だよな?
久しぶりに見た気がする
前に丹について熱く語ってた人いたけど、あの人も孝霊厨だったかもしれない
猿がいるが、もちろん間違えたのは陳寿では無く、写本した人間な。
塞曹掾史張政は訪れてるし壹與にも会ってる
帰り部下つけて壹與は送り出してる
複数回訪れているか、滞在していたかどちらか
砦にかかわる軍師という点から、滞在していた節を取るね
>>300 ちゃう
邪馬台国までは帯方郡からの距離と日数両方で表してる。
伊都国から水行十日陸行一日とは筑紫平野の御井のこと。
また、一度目は倭国大乱が終わったばかりで太宰府周辺は物騒だったから通れなかった。
二度目は太宰府を通って邪馬台国まで行っている。
その里程が一万二千余里。
ピッタリ合う。
誰が書いたじゃなく
当時の日本に何があったかだよな
歴史の見方を間違ってるわ
もし記されたところに何にもなかったらどうすんだよw
>>290 え?両方じゃないの?
後の権力者でどうにでもなるのよ。
移動可能な遺物からとるの?
書簡があっても燃やしたりできる。
動かしにくい墓、殉教者埋葬位になる。
日本は中国初代国家の夏王朝に使いを送ったらしき記録がある
殷を挟んだ周王朝では確実に箕子経由での献上はあったが、それが昔から交流ある倭国と書かれていたので、
夏王朝が華南倭人の王朝で、日本に稲作をもたらせるなど倭人(複数民族の連合体)として日本が古代中国から王家から認識されていたことが間違いなさそう
しかし戦後GHQによる自国自尊心解体政策により、日本は中国から朝鮮半島を経て少しずつ文化を輸入して成り立ったと学説を創らされた
また伊都国から水行二十日とは西都原の妻のこと。
投馬国はtuma国で、妻国のこと。
囎唹のことでもあり、ハヤ(隼人のハヤ)のことでもある。
神武の故郷。
>>310 GHQは、古墳しらべているよ。
日本がアメリカにべったりの理由のひとつ。
憲法1条に天皇もってくるんだよ。
おわかりにならないのか?
>>1 纒向は邪馬台国と違うだろ。
記紀では天皇が居たことになってる。
女帝じゃない。
陳寿は天才だ。
侏儒国とは高知西部の幡多のことであり、
ワダツミとは「幡多つ宇美」のことで、宿毛湾のこと。
因みに宇美は海の語源で、元々は博多湾のこと。
宿毛湾には小筑紫と言う地名もある。
侏儒とはスクナビコナのことであり、これは恐らく海流にのって漂着したポリネシア人。
足摺岬は日本で唯一黒潮が直接接岸する場所。
また古代の灯台である唐人駄馬遺跡もある。
東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイへ漂着している。
裸国、黒歯国とはハワイのこと。
心ここにあらざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
食らえどもその味を知らず。
大学
攻撃的なレスをしている人はサイコパスだから放っておいた方がいい。
>>310 たしかGHQの出した見解というのは、昭和天皇に確認した結果だぞ?
しかし昭和天皇自身が「よくわからん」かったそうだ。
>>311 え、帶方から水行二十日で投馬國
さらに水行十日・陸行一日で邪馬壹國説ではないの
伊都国は糸島市説なら、東南陸行がめんどくさい
唐津からそのまま東南陸行してはダメなんだろか
倭國之極南界也光武賜以印綬
これは過去の読みは誤り。
倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜る。
と読む。
(極南界など意味を成して無い)
奴国の人間がポリネシア人であるスクナビコナの助けを借りて、ハワイまで行って戻った。
この壮挙に対して金印が贈られた。
この当時、ハワイへ行って戻って来るなど月旅行くらいの壮挙だから。
魏志倭人伝では伊都国の紹介のあとすぐに全ての郡の使いがここに駐留すると明確に書いてある。
駐留するのなら、それ以降を放射読みするのは
あったりまえ。
>>319 終戦直後の憲法制定時には天皇の名前を使うと国民が逆らわないのを利用したとして、
その後の自虐史観教育は日教組を使って行われている
権威の東大教授による弥生、渡来、朝鮮人学説は有名
調べてみると戦後教科書が日本の古代史そのものを歪曲していると判った
纒向は、2世紀末に突然現れ、4世紀に突然消失した大集落。また発掘に携わった考古学者は、外部勢力の侵入を考えざる得ないとも言っている
巨大古墳が幾つもあり掘りが巡らされており、鍬ではなく鋤が沢山出土してることからも、多くの民が土木作業に従事していたのが分かる。
農業中心の集落跡とは違い、かなり特殊。いざ戦になれば、兵として駆り出される人々だったんだろう。
そして大量の桃の種。酒を作り神事に利用していたのかもしれない。
纒向には、万単位の人々が暮らし、土木作業を行っていた。纒向集落は、ヤマトの地が外部勢力に征圧され、その結果できた集落。
纒向は、ヤマトの地を征圧した兵と徴用された地元民が万単位で土木作業に従事した大集落。
卑弥呼は鬼道で民、兵を纏める役割を担っていた。
さらに4世紀に突然消失し武器などの遺留物が無いこと(もぬけの殻)を考えると、記紀の四道将軍の記述と合致する。
纒向は、4世紀に意図的に解散し、民は兵として全国平定に駆り出されたと推測できる。
帯方郡から南に水行20日の投馬国=殺馬国=薩摩国
完璧だな
当時の日本列島の大部分は殷文化の影響が強かったんだろう
獣の肩甲骨を使った卜占、動物や人の生贄、殉葬、酒を使ったトランス状態で神託をきく、太陽神の末裔、
邪馬台国の記述や纒向遺跡の祭祀遺構に合致する
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高く、飲酒は神事であった
桃の種は大量の酒を作った跡だろう
卑弥呼のいた邪馬台国、ヤマトは戦争の最前線
纒向遺跡は、対狗奴国の前線基地
南河内、和泉の狗奴国と争っていたんだろう
この錦のあたりに赤土が取れるところがあって、どうもそれがものすごく重要な土みたいで伊勢神宮とか大神神社の祟り鎮めとかのための平瓦を焼く土なんじゃないかと言う話
で、それを運ぶための交易ルートだったんじゃないかと思うのだが
倭人が中国人の憧れの地である扶桑の国へ行って戻って来た。
この大壮挙に対して金印が贈られたわけだ。
また、なぜ宿毛湾に小筑紫と言う地名があるのかも分かるだろう。
スクナビコナはタカミムスビ(またはカミムスビ)の子供とされている。
多分、これらは奴国王だろう。
(もしかしたら帥升かも知れない。)
>>326 畿内説は否定証明完了済み。
ハイ論破w
>>326 新羅を征服して新羅王朝を打ち立てた倭人が奴隷を強制連行して労働させたんだね
近畿は4世紀に半島の帰化人が興した国
倭の五王含めた邪馬台は九州熊襲族の話。
近畿は推古の時代も王権が九州だから
天多利思比孤を日本書紀に書けないんだろ。
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流していたが、
纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、纒向遺跡ではまったく出土していないことから、
魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されておらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
倭國之極南界也光武賜以印綬
これは過去の読みは誤り。
倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜る。
と読む。
(極南界など意味を成して無い)
奴国の人間がポリネシア人であるスクナビコナの助けを借りて、ハワイまで行って戻った。
この壮挙に対して金印が贈られた。
この当時、ハワイへ行って戻って来るなど月旅行くらいの壮挙だから。
倭人が中国人の憧れの地である扶桑の国へ行って戻って来た。
この大壮挙に対して金印が贈られたわけだ。
また、なぜ宿毛湾に小筑紫と言う地名があるのかも分かるだろう。
スクナビコナはタカミムスビ(またはカミムスビ)の子供とされている。
多分、これらは奴国王だろう。
(もしかしたら帥升かも知れない。)
気象庁のホームページより
この海流をポリネシア人であるスクナビコナは知っていたと言うこと。
だから海神なわけな。
まあ近畿の前方後円墳掘ると朝鮮人が出てくるから掘れねえわな。
高松塚だって朝鮮人だし
足摺岬から黒潮に乗ってハワイ=扶桑のある国へ行き、さらに北赤道海流に乗って足摺岬まで戻って来た。
この大航海に対して、光武が金印を授けたわけな。
丹後半島、丹波、丹庭の歴史も興味深い
紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは【鉄】工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、朝鮮半島に類似した墓、朝鮮半島製と思われる鉄刀が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
化け鳥のオロチ、八衢のオロチ、風の神、息長
さて、では扶桑とは何か?
無論答えは出るわけが無い。
しかし非常に面白い仮説なら提示出来る。
それは扶桑はハラフルーツでは無いか?と言う仮説。
ハラフルーツ
http://labaq.com/archives/51781217.html かも知れない。
桑の実とハラフルーツの実は似ており、
ハラフルーツは太平洋諸島や東部オーストラリアが原産なので中国人には珍しかったろう。
また扶桑の扶は広がって大きいと言う意味がある。
扶桑とは桑の実を大きくしたような実を持つ木と言う意味かも知れない。
ならハラフルーツは扶桑の重要候補になり得る。
扶桑とは、「桑の実を大きくしたような実を持つ木」と言う意味かも知れない。
ならば、ハラフルーツは扶桑の候補になり得る。
>>340 なるほど
ヤマト出雲連合に半島は征服され倭人の新羅王、倭人の宰相支配となったのか
黒歯はハワイじゃないよ、五倭王は黒歯氏を従えてるはず。
杵築大社の天井図、八雲が一つ欠けて七つしかないだろ?
島根の神庭地方で【オオナムチ】以前に信仰されていたのは【幸神】、【東】から来て文物をもたらした【クナトの神】、そして二神の子【サルタヒコ】
追放されたんだろう。八雲が欠けた理由
八雲を出た一族、出雲。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で見つかっている
逃れたサルタヒコが見つかったのは、天の【八衢】
道が幾つにも分かれるところ、【方違】
堺に方違神社があって、方違【幸】大神が祀られている
その近傍にイシズ川が流れている。サルタヒコが消えたのはイスズ川の川上。
サルタヒコが溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香
浅香の北がオサカ、大阪
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小阪
伊勢のサルタヒコ関連の神社
阿射加、大阿坂、小阿坂
伊勢と同じものが揃っている 、凄い偶然
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていたんだろう
邪馬台は熊本だよ。
北部九州を含めた九州の土器類はここに集積されてる。
伊都から南下し行き着く場所も熊本。
顔に塗る丹朱は阿蘇ベンガラ
九州の中心部でもあり、この場所を巡って狗奴と争ってたわけだ
倭国の建国前、紀元前後
日本海側の二大勢力の王族がその地を追われたんだろう
八衢のクナトの元に逃れてきた神庭の幸神一族と丹庭のヤマタノオロチ一族とクナトが協力して国作りを行ったんだろう
芦原中津國、倭国の建国、1世紀中頃の出来事
>>348 熊本は狗奴国な。球磨国のこと。
そして恐らく徐福伝説は狗奴国のこと。
ハワイか〜
昨日だったか、対馬海峡渡れない人いたのにな
九州説でも、まぁ色んな人がいるものだ
黒歯とは黒い歯では無く、暗い歯の意味。
ハワイの原住民は前歯を折る奇習があった。
子供が死んだ母親が悲しみのあまり気が触れることがある。
その気付けとして前歯を折った。
多分そんなこと。
これがお歯黒の風習となった。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になる
級長津彦命 級長戸辺命
しなは息が長いという意味
息が長い、吹子のことだろう。 鉄の加工に関係する神様ということか
>>349 新羅王朝を打ち立てた倭人が故郷に返ってきたのかな
なぜ3世紀の近畿圏からは鉄が出土しないのか?
■考えられること
鉄の潤っていた九州とは交易が無かった。
=一大率や大倭は近畿とは無縁である。
=魏志韓伝に出てくる「倭」に近畿は含まれていない。
■裏付け
実際、同時期の纏向遺跡からは九州産の土器が
出土せず、東海・伊勢地方のものが多数を占める。
■名言
もと歴博の館長もやった佐原真は、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
とマジで答え、・・・
ヤマト政権が始まる前の八十神がいた芦原中津國は何処だろうか?
芦が散るはなにわの枕詞
聖武天皇の難波行幸に従駕したの笠朝臣金村詠んだ一首にも
押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし郷と‥
と歌われている
芦原中津國はなにわを中心とした近畿地方なんじゃないか?
芦原醜男は大国主の別名
大国主とスクナヒコナが国作りをしたクニはなにわを中心とした芦原中津國では?
芦原はアイヌ語で【サル】
サルで思い出すのがサルタヒコ
そしてサルタヒコは出雲の姫神である幸神とクナトの神の子
芦原中津國とクナトが結びついたな
芦原中津國は狗奴、クナ、クニのことかもしれない
魏志倭人伝
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。
いずれも倭人である。
その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。
また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。
倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連 結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
ハワイは、地球上で最も大陸から離れた場所。
またハワイ島の周囲が、実に短里でちょうど五千里くらい。
裸国も黒歯国もハワイ島の上。
ハワイには溶岩で暖かい海がある。これが湯谷。
ゲツヨウインテイ山とはハワイの火山のこと。
>>357 なるほどヤマトと出雲連合が半島に進出して征服したんだね
日本の文献、新羅の文献の通りだ
ハラフルーツ=扶桑の実が太陽の子供見たいに見えたんだろう。
中国人にも日本人にもハラフルーツはショッキングな植物だっただろうから。
一年かけてようやっとたどり着いた絶海の孤島の島にあんな植物があったら、神話の植物になり得るだろう。
【八衢】と延喜式祝詞にある道饗祭の神々との関係が興味深い
【八衢】彦、【八衢】姫、クナト
上記の神々は、高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。
事を始める=建国するということなんじゃないか?
クニ、狗奴(対外的には倭国)を作ったが、倭国大乱で根の国、底の国の侵略を受けた
正に卑弥呼と対立している狗奴国そのものだろう
邪馬台国の南の狗奴国
魏志倭人伝当時の狗奴国の版図は南河内と和泉
元々狗奴国は畿内くらいの版図があったんじゃないか
2世紀末の畿内征伐で、なにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力によって征伐されたんだろう
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦
なにわの地には、ヤマト征伐の折、生島神と足島神を鎮魂したという謂れが残る生国魂神社がある。元々は大坂城の地にあったらしい
心ここにあらざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
食らえどもその味を知らず。
大学
>>305 注釈抜きで「距離と日数両方」で地理や旅程を表記しているところが、後にも先にも一切ないんだが?
二重表記だというのは、結論ありきの無理読み
そこまで無理をしないと水行陸行記事を解釈できない時点で、九州説は成り立つ余地すらない
>>361 古代船で一日に進む距離、どの程度の見積もりかな
ハワイだと6-7000キロぐらいか
>>306 どうぴったりなのか、具体的に示してね!
>>362 確かに
倭王朝新羅はスサノオにとってはなんの魅力もないところだし
>>311 投馬国の発音は上古音でdug-mag国だよ
雑にカタカナに直せばヅマ
出雲の最初のイは弱く発音されると聞き取られにくい
ィヅモとヅマは外国語の聞き取り音訳としては上出来だろう
生国魂神社と関係が深いのが【八十島祭】
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀ある。
なぜ大阪で行われていたのだろうか?
大阪湾が国生みの舞台であり、なにわの地が国作りの舞台だったんじゃないか?
後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌
天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば 津守経国
八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。
仁徳天皇
おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば
淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ
難波の崎からオノコロ島、淡路島見えるとある。
古代の人々は国生み神話は、大阪湾の話であるのを当たり前のように理解していた。
楽浪海中に倭国百何か国ありその中30国は親しい、から魏史が半島南から南が倭国、近畿までは遠すぎるし広すぎる。まずは馬、馬が渡って来ないと近畿までは支配出来ない。その逆もそう、邪馬台は九州とは思うが半島の倭人がまず支配しただろ、本土の倭人じゃ乗りこなせない。
>>326 >そして大量の桃の種。酒を作り神事に利用していたのかもしれない。
桃は糖度が低くて酒は造れないよ
桃は仙果として祭祀に使われたのだろう
九州説の主張。
・註釈なしに放射読み
・註釈なしに短里
・註釈なしに水行陸行は帯方郡起点
・投馬国は朝鮮半島に存在。
・末盧国は松浦ではなく呼子。
その後魏使様たちは山中をレンジャー部隊のように全力疾走。
・魏国の度量衡では1歩は左右合わせた長さで、1歩=6尺。
他方、径100余歩の卑弥呼の墓を10数mクラスの墳丘墓に比定。
なので1歩は10数センチと言うガンプラ並みの長さ。1尺は2〜3センチ≒1寸。
・倭の五王も九州人。古墳だけ川内まで造りに行った。
・裸國・黒歯國はハワイ←(※NEW)
>>357 サルタの「ル」は、格助詞「ヌ」(ノ)が変化したものという説があるらしい。
オオヒルメの「ル」も同じ。
てなわけで「サタ」だが、これは岬(御サキ)なんだそうな。
だから全国にサタ岬が乱立しとるw
銅鐸は鈴
スズという音で思い出すのは、サザキ
スズは古語で小さいという意味らしい。
小、少、スクナい
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ
日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子スクナヒコナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな
神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します
倭国大乱前に存在した畿内の国は滅ぼされたのだろうか?
畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている
池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。
これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか?
仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。
弥生時代の勾玉勢力と何か関係があるのだろうか?
ホツマツタエという真偽不明な言い伝えがある
スズ(銅鐸)は【暦】の源
とか物の化成の話とか色々書かれていて、結構面白い
ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、
その中でも
ウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び【飛鳥、アマタラシ】、
カゼ【風】の勝る鳥は美声で囀り【鶯、オキナガタラシ】、
ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ【鴨、ニニギホアカリ一族】、
特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります
【絹、蛾の服を着ていたのは神産巣日の子スクナヒコナ、神魂を迎えた、タマムカエドリ=時鳥】
畿内から環濠が消えていく1世紀後半〜2世紀中頃の、守山の伊勢遺跡
政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう
国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろう
中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。
伊勢遺跡の祭祀は夜に行われていたと言われている。
夜の食国を治めたのは月夜見
農作業に使う暦を作って、首長たちに伝えていたのかもしれない
魏志倭人伝の魏略からの引用に女王国には暦がないという記述は興味深い
万葉集の奈良時代後半の歌を読むと、月やホトトギス時鳥の来訪の期待感が、次第に高まっていくのが感じられる
桓武朝で神代の王統が復活したのだろうか?
信長秀吉家康の例え話
ホトトギスは何を指すのだろうか?
記紀持ち出しても意味ない、当初近畿は百済に操られた傀儡。
魏が邪馬台国と交流してたのは北部九州だが、陳寿が魏志倭人伝をまとめる3世紀後半には都はすでに奈良へ移転しており
そんなことを知らない陳寿は資料をまとめるにあたって、都が九州から遠いことだけは直近の調査で分かっていたので、過去の使者の記録がどこか間違ってると勘違いし
一つは九州までの詳しい行程が残された記録の後に、帯方郡からおおざっぱな日数だけが残された記録を付け足して距離的にはだいたいあってるっしょということにした
>>366 短里の一歩は靴の長さ、だそうな
一里300歩という縛りがあるから、そうなる
誰が計っても同じという利点はあるかもだが
歩きづらくて計るのにすごく不便そう
>>365 古代は沿岸航行だよ
夜は陸に上がって、火を起こして料理を作り飯を食う
渡海は1日でできるところ限定
>>326 九州には3世紀末ごろまで住んでた集落跡が残ってる
奈良へ駆り出されたのはそこの人たちだろ。
>>371 >魏史が半島南から南が倭国
半島上にも倭国があったら、帯方東南「大海之中」とは書かれてないだろうに
>>385 船は竜骨が無いから、うんしょと砂浜に引き上げればOKだもんね。
港湾設備とかいらないw
>>385 実際、人間は古代にハワイまで行っているわけで
無謀な奴がいるとして、星を頼りに大海原
運よく海流捕まえたら、100キロぐらいいけるか無理か
>>390 昨夜、熊野灘から多くが出発した補陀落渡海の話が出たけど、
あれで琉球列島に着いちゃった人がいるんだよね。
おそらく、黒潮に乗ったまま北太平洋を一周したはずで、
途中でハワイに着いた人も居たかも知れん。
>>364 合計万二千里で既に女王国に到着してるのに、
そこからさらに水行陸行するわけないやろ。
注釈無しで里表記から日数表記に変わる方がおかしい。算数なら0点。
あと鬱陶しいからIDコロコロ変えるなや
>>377 糖分が少ないと酵母が増えるだけで糖が消費されてしまってアルコールになる分には足りないんだよ
(あまり正確な表現ではないけれど)
ブドウ酒が作れるのはブドウの糖度が20%くらいになるから
桃は糖度が13度以上で一級品という扱いだから差は歴然
>>382 これ(ID:gH+Y1cGCO)がコークリ君?
>>393 逆に、一か月間漂流してたどり着いたって人が
伝承を残すってことはあり得るな
たぶん言葉は通じないから、ただ南の方角を指さすと
>>384 >短里の一歩は靴の長さ、だそうな
デタラメw
短歩はない、からの三百歩=一里だから短里もないことが確定
「歩」は文字の成り立ちからいっても複歩
#1歩(あゆ)む。足をふみ出してゆく。
#2歩(ある)く。歩行する。
#3止は左足の足あと、𣥂は右足のあしあと。左右の足あとを連ねて歩行の意とする。武は半歩、歩は六尺、合わせて「歩武堂々」のようにいう。足を地に接して歩くことは、その地の地霊に接する方法で、重要な儀礼に赴くときには歩するのが常法であった。(字通)
#4右の足+左の足。左と右の足をふみ出すことを示す。(漢字源)
https://jigen.net/kanji/27497 説文解字
步,行也。从止𣥂相背。凡步之屬皆从步。
行くなり、止と𣥂の相背に従ふ、凡そ步の屬は皆な步に従ふ。
実際の大陸の度量衡でもすべて複歩の長さ
長さとしての歩は、古代中国の周代に制定された。
右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ
(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺
周歩=約 1.35 m
秦漢歩=約 1.38 m(始皇帝の度量衡の統一)
魏晋歩=約 1.45 m
隋歩=約 1.77 m
唐歩=約 1.56 m(1歩=6尺から1歩=5尺に変更)
伊能忠敬の歩測では、複歩で約138センチで秦漢代の一歩とほぼ等しい
単歩で69センチだな
現代では、歩測は複歩で150センチになるように調節する訓練をするそうだ
この場合は単歩で75センチ
ソースも付けておこうか
http://www5a.biglobe.ne.jp/kaempfer/kodomo/taiken/hosoku/hosoku.htm さらに、年齢別の単歩の集計結果も見つけたので、貼っておく
男性は、15歳から49歳の範囲で、70センチを超えてるよ
>従郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓国 七千余里
狗邪韓国 七千余里 はどうすんの?
>>391 狗邪韓国は狗邪・クヤ国で、後の金官伽耶・カヤだ
韓のクヤ国だから狗邪韓国
韓伝の弁辰十二国の一つ、弁辰狗邪国のこととするのが通説
倭国だったら狗邪倭国だ
>>403 当時の韓国は国名ではなく地名
倭国もそうだ
>>394
>合計万二千里で既に女王国に到着してるのに、
>そこからさらに水行陸行するわけないやろ。
北部九州までで一万里
そこから二千里が水行陸行2ヶ月分で進む距離になる
>注釈無しで里表記から日数表記に変わる方がおかしい。
これは別の所でも例がある
混在は珍しくない。単に情報の精度差と解するのが妥当であろう。
(且末國)去長安六千八百二十里。…西北至都護治所二千二百五十八里、
北接尉犂、南至小宛可三日行、…西通精絶二千里。
(精絶國)去長安八千八百二十里。…北至都護治所二千七百二十三里、
南至戎盧國四日行、…西通「手偏に于」彌四百六十里。
(ケイ賓國)去長安萬二千二百里。不屬都護。
…東北至都護治所六千八百四十里、東至烏「禾偏に宅の旁」國二千二百五十里、
東北至難兜國九日行、西北與大月氏、西南與烏弋山離接。
(烏弋山離國)王去長安萬二千二百里。不屬都護。
…東北至都護治所六十日行、東與ケイ賓、北與撲挑、
西與犂「革偏に于」・條支接。
行可百餘日、乃至條支。…自條支乘水西行、可百餘日、近日所入云。
(大月氏國)去長安萬一千六百里。不屬都護。
…東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日行、南與ケイ賓接。
(姑墨國)去長安八千一百五十里。
…東至都護治所二千二十一里、南至于闐馬行十五日、北與烏孫接。 >>395 それは新説だなw
帯方東南が帯方郡から見て、ではなかったら、帯方って書かなくてよくね?
>>402 >狗邪韓国 七千余里 はどうすんの?
渡海は距離が測れないから一律で千餘里
陸行は近ければ百里、少し遠ければ五百里というざっくりしたもの
全体距離は遠くからの朝貢を示すために漢土の大きさに合わせた数字が使われている
漢委奴國王の時代に、九州上陸までが漢土方萬里に合わせて一万里とされ、それが踏襲されている
魏志倭人伝では、淮南子の東方之極つまり世界の果てまでの距離の萬二千里が
女王國までの距離に援用されてる
で、半島の循海岸水行は九州上陸までの一万里から渡海千里×3を引いて、
数合わせで七千里になってるだけ
で、この七千里に合わせて、南北4千里、東西は東 端まで行かないから3千里という計算で
韓地方四千里もでてくる
魏志倭人伝の距離は実測値ではないし、短里なんてない
畿内説の皆さんに業務連絡です。
私たちは品位を保ち、エビデンスやロジックや常識に基づいた議論を進めましょ。
嘘、暴言、人格攻撃、エビデンスに欠けた一方的な決めつけなどの品位に欠けるレスの連投は、
九州説の皆さんにお任せしましょう。
>>405 大月氏国の「去長安萬一千六百里」より遠いんだね女王国
長安を起点にしたらもっとか
邪 馬 台 国 へ よ う こ そ
■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
https://imgur.com/bmslFbs ■アクセス
伊都国の南 徒歩すぐ
>>403 ここからは推理でしかないんだけど
おそらく、当時は半島内で勢力争いや領土争いが激しくなってきており
3世紀中から後半にかけて半島の倭国領土から九州に撤退し
台与の晋との交流以降、大陸との交流が一時途絶えるんじゃないかな。
半島-北部九州には渡来系の倭人が多く住み、航海技術に優れてたので簡単に日本側へ侵略されることはなかったが
大陸との交易や覇権争いに備えるために、倭国統一を目的とした畿内への拠点を移動して九州北部を筑紫国とし
半島奪還と防衛の拠点にしたんだよ。
楽浪〜海中が漢書でしょ、倭人伝だから、魏の都から見たら、帯方東南大海の中でしょ、半島南からみたら対馬見えるらしいから、大海ってのはどうかねぇ?
>>407 じゃあそれを大月氏国でやってみるとどうなるの?
>>405 大月氏の朝貢は、曹氏の曹真の功績
曹真と晋の高祖司馬懿がライバル関係にあったから、倭国は大月氏に比肩する、というか
大月氏以上の遠国として描く必要があった
>>412 今までの中で一番目が覚めるレスだ。
司馬懿が公孫淵を討伐しても半島はしばらく混乱してて
たまに反乱も起きていた。このへん台与の3世紀中後半くらい。
んで313年に帯方、楽浪両郡が魏の直轄じゃなくなって相当数の半島人が
九州に渡ってきたのは遺跡から判明してる。
この時期、壱岐のルートが滞るんだよね。
郡の陥落に伴い、北部九州を放棄して畿内に拠点を移動したってのなら
納得できるわ。
ただ、地政学から北部九州完全放棄ってことはできないから、大陸用の
機関は置いてた。
>>416 ごめん、魏の直轄は間違い。
西晋だね。
>>418 高句麗が攻めてきた。
んで、楽浪郡は取られて帯方郡の方は孤立した。
>>119 あの辺って北部九州最大の古墳群があるのでない?
>>416 そう、急速に発展した畿内と国つくりがなぜできたのか
中国や半島の勢力は、当時の日本よりはるかに広い地域を支配し、税を徴収し安全な場所に拠点を作り強い軍を作る、強くなければいずれ滅ぼされる。
こうしたことを学べたのは、半島と北部九州に住んでた倭人だけだろ。
>>419 軍事行動行ったならなおさら距離とか真っ先に確認する情報じゃね?
なんでほったらかしにしたんだろうな?
そういや佐賀県鹿島市に在る祐徳稲荷神社って、なんなんだろう
参拝時は四拍手なんだが、これって伊勢神宮とか出雲大社とか特殊な神社でしか行われない作法だよな?
四拍手ってどういう意味が有るのだろう?
此処って元々は何を祭ってた場所なのだろうかとか考えてしまう
>>423 元々は参拝の作法は神社によって差異があったのよ。
ニ礼ニ拍手一礼に統一されたのも明治以降で、それまでは三礼三拍手一礼が主流だったりしたしね。
統一の流れに乗らず、今でも明治以前の作法でやってる神社も、実はかなりたくさんある。
出雲大社の作法が他と違ってるというと、ミステリアスに映るので、話題にしやすい。
俺の知ってるだけでも、今でもMAX八度拝八開手というのもある。
そう言えば出雲大社って名前自体も明治?以降になって改名されたもので、その前は杵築大社だったしね。
意図したものか、たまたま偶然か色々ミステリーに映っちゃってる。
>>31 >伊支馬は生駒。生馬。火の神。
>弥馬獲支はミミ鷲、日鷲
「支」の読み方が一定してないなw
「尻滅裂」「ああ言えばこう言う」は九州説派の特徴
>>379 >唐古・鍵遺跡、鉄鉱
「鉄鉱」は「褐鉄鉱」の間違いなw
個人的に思う事を少々
箸墓古墳を掘れ掘れ言う人がいるけど、あそこを掘っても卑弥呼かどうかなんてわかりやしないよ。
公式な埋葬者である倭迹迹日百襲姫命にしても女性なんだし、女性の物が出てきても区別がつくわけがない。
箸墓は、卑弥呼の墓かどうか以前の話だが、大和政権の本当の初代王の墓だ
もし女性の墓だと判明してしまったら、右寄りの人には受け入れがたい状況になってしまう
>>390 伊豆の狩野川の「狩野」はカヌーが訛った物。
饒速日が乗ってきた「天の磐船」
岩の船が仮に水に浮いたとしても荒波に揉まれれば水が入って沈んでしまう。
イワとは何を隠そうハワイ語で軍艦鳥のこと。
軍艦鳥は一度空に舞い上がると航続距離が長い。
夕方になると島に帰ってくる。
だからカヌーで遠洋航海するときには捕まえた軍艦鳥をカヌーに積んで
夕方放鳥すると近くの島を目指して飛んでいくからそれを追いかけていけば
島にたどり着くことが出来た。
すなわちイワフネとは軍艦鳥というナビゲーションシステム搭載のカヌーを表す。
「磐」は当て字。
>>429 右の人が日本の正史の記述に逆らうわけがない。
神武天皇陵から女性の遺骨が出たら、そりゃ動揺したり受け入れ難かったりはするとは思うけど。
天皇陵ではなく、皇女の墓だと言うのが記紀と大本営の公式見解。
むしろ卑弥呼とかなに抜かしとんじゃーと怒ってそう。
>>431 まあ神武天皇陵は偽物の墓だから何かが出ることは絶対にないからな
永久に不明ってことで押し通せるわけだ
>>432 偽物ではなく、後世に大増築したのでは?
旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない
これが神武天皇陵の実態
大本営発表の宮内庁管轄古墳が定まるまでの道筋自体には何ら問題はないよ。
むしろそうするしかないだろうと思える。
1.何十、何百という記録から奈良時代に記紀が編纂された。
2.その記録を元に、平安時代延喜式に管理すべき皇室の墓の一覧が作られた。
3.1と2の記録を元に、今の宮内庁管轄古墳が定まった。
堺県令が仁徳天皇陵だっけか、盗掘して捕まったよな
盗掘されてない古墳なんて上に何か建てられてでもいない限り
0じゃねぇか?
>>434 延喜式に諸陵寮というものがある。
畝傍橿原宮御宇神武天皇。在大和國高市郡,兆域東西一町,南北二町,守戶五烟。可注陵名字。
大和国の高市郡に東西に約100m、南北200mの規模。守戸が5家族あって、陵名も確認できる。
平安時代の時点でしっかり確認できてる。
そもそも旧洞村の古老の話しと言うのが辻褄が合ってなくて
神武天皇陵の守戸の5家族と言うのは洞村に住む5家族の事
守戸は家族が絶えると、別の家族が引き継いでいくもの。
洞村に住んでいた人物がこの事を知らないはずもない。
陰謀論的な言い回しで良くはないと自覚してるけど、丁度解放運動があった頃に、トンチンカンな古老のコメント。
なんだかなあ、、、と、思ってしまう。
橋のない川はこれ題材らしいし、いろいろ言われはあるんやろ
>>438 洞村一帯の立ち退き騒ぎやね。
畝傍山周辺は微妙に色々デリケートな土地柄だから、コメントが難しい。
ただ平安時代の延喜式の記述なんて簡単に調べられるのに、この話でキャッキャッ喜んでた古田某の書物だけは信憑性は無いと思った。
邪馬台国は大分あたりで決定だけど、倭人伝に出る裸国や黒歯国はこれこそ大和朝廷ちゃうんか?
女王国の東に海渡ること1000里の倭人の国。そこはまず間違いなく四国西部。
そこから南へ行くと小人の国、侏儒国。女王国から4000里。足摺岬をまわって高知か?
さらに南東に水行1年で裸国、黒歯国。
渡海と水行は別で水行は沿岸部を舟で進むこと。
倭人伝は方向が45度ぐらいずれてるから東南は実は東。
日本列島を海岸沿いを東に進むのが正解。
1年もかかる場所のことがそうそう情報入るか?、よってひたすら進むって意味かも。
とくれば高知から室戸岬まわって淡路島経由で大阪湾ないし紀伊半島をまわれる。
>>405 そんなこと言っても、
どうやっても畿内までは届かないよ。
ネイティブが読んでそうなんだから。
以下宝賀寿男氏のHPから抜粋。
↓
謝銘仁・王金林・沈仁安という台湾系・大陸系の日本歴史専門の中国人学者は皆、同記事を読む限り、邪馬台国は北九州ないし九州にあったと判じている。元北京大学教授の沈仁安氏によると、大陸系の古代史学者は殆ど全てといってよいくらい、同じ立場ということである。
>>405 さらに
胸が痛まないかい?
↓
考古学の研究成果を用いることについては、
前項で基本的なことを記したが、
年代確定がたしかな考古遺物に限定される
べきであり、三角縁神獣鏡を用いた議論が
既に破綻していることは、
周知のことであろう。
まるで検証されない、そして実際にはかなりの幅があるはずの自然科学的手法による算出年代値を一義的に用いて、古墳開始年代を繰り上げさせるという関西系考古学者の手法は、むしろ人文科学の発展を阻害するものである。
>>429 >大和政権の本当の初代王の墓だ
初期大和政権はヒメヒコ制で初代ヒメ王の墓でいいんじゃないの?
>>442 >実際にはかなりの幅があるはずの自然科学的手法による算出年代値
かなり幅のある算出年代値をかなり幅のあるものとして扱っていますが、それが何か?
年代幅の中で最も新しい年代を採っても、纒向遺跡が卑弥呼の遣使の頃に存在したのは確実
>>442 >年代確定がたしかな考古遺物に限定される
>べきであり、三角縁神獣鏡を用いた議論が
>既に破綻していることは、
自説に都合の悪い事物は年代確定が確かではないと言えば議論から排除できるという主張かな?
平原一号墓の年代は不確実だから、議論に含めると破綻するんだね?
すると、九州説では卑弥呼の墓の候補はゼロだ
>>420 岩戸山古墳は八女古墳群で旧郡の地図では上妻郡に入る
>>441 >ネイティブが読んでそうなんだから。
誰が読んだかは関係ないだろ?
その3人に日本の発掘情報を見てもらえば、畿内説に鞍替えするよ
>>445 なに開き直ってるんだ。
C14は同じ方法で、同じ試料を用いても、検査機関によって50年から100年、ひどいときには300年以上のばらつきがある。
紀元前1万年か1万5千年かを調べる方法としては有効だか、数百年程度の違いはこの方法では確定出来ない。
>>450 >検査機関によって50年から100年、
図は見たのか?
西暦130年から230年の「100年幅」で示されているだろ?
その最も新しい230年を採っても、卑弥呼の遣使の景初三年239年よりも前だ
これは二ヶ所で独立の測定して一致した結果になっているから、
「検査機関によって」という批判もあたらない
>>449 三角縁神獣鏡論を展開して畿内説の支柱
ともなった小林行雄氏ですら、
邪馬台国の存在は、
「あくまで文献上から真理を論ずべき
問題であって、考古学的に云々しうる
ことではない」と早くに記している(『古墳時代の研究』1961年刊)。
考古学がモノに即した展開をするのなら、
無闇に想像論を展開する姿勢や、
自らの学問の限界を認識しない姿勢は
いかがなものかと思われる。
>>451 測定方法自体の特性で最大300年程のバラつきがあるから、数百年の違いはわからない。
本来数千年の違いを調べるのに用いる
測定方法。
>>440 大分も邪馬台国の一部だが倭人伝に記された傍国のどれか
卑弥呼は伊都国に居たと考えられるね。
裸国や黒歯国は大和朝廷以前の地方豪族だね。
>>449 「ネイティブが読んでそう」 というのが少しおかしくて
ネイティブな中国人考古学者は「短里」なんてものを認めていない。
つまり「ネイティブが読んでそう」というのは、距離は一般的な一里494mで
どこ起点でどこまでの距離が何里と書いてあるか、その文面通りに解釈した事になる。
ここに短里という、ネイティブな中国人考古学者が認めていない度量衡で上書いた上で
導き出したのが九州説となる。
そもそも魏志倭人伝は、誰かが距離を改竄しているのは明白なのだから
距離の数値だけが絶対不可侵だと妄信するのも少しおかしい。
方向、国名、戸数、その国の詳細、色んなものが改竄されていると考えるべき。
まず戸数にも改竄が疑われるし、人々の描写にしてもおかしい(身長1m以下や100歳以上)
魏志倭人伝に書かれている内容に正しいことなんて書いてないと疑ってかかった方がいいし
「魏志倭人伝に〇〇と書いてあるからこれが正しい」は、そもそも成り立たない。
当然、帯方郡から女王国までの萬二千里だってあてにできたものではない。
>>453 変動係数って言葉は知ってるかい?
一万年に対して数百年の誤差が出るのと
2000年に対して数百年の誤差が出るのとは同列視できないだろ?
>>453のやってることは、前提を切り離して都合のいい単語を繋いだチェリーピッキングだよ
https://www.radiocarbon.com/jp/about-carbon-dating.htm >>405 魏志倭人伝では旅の行程を説明しているのに対して
これらは地誌の説明だから行程の説明が里表記から日数表記に変わってるのではく
複数の情報を寄せ集めた為に地誌の説明で混在しているだけだよ。
残念でした。
>>456 だから変動係数の話じゃない。
同じ資料を同じ測定方法で測定しても
300年程のバラつきがでる測定方法なのだから、
数百年の違いはわからない。
本来数千年の違いを測定する方法。
>>454 黒歯國、裸國は、倭国が出てこない淮南子などからの転載だよ
倭国に黒歯國、裸國があると考えても無駄
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民;
倭国は淮南子の、大人國あるいは君子國に擬せられているように見える
倭国の風俗が蕃夷の民のものとしては異例に持ち上げて書かれているのはそのせいかも
>>405 且末國、精絶國、ケイ賓國、烏弋山離國、大月氏國、姑墨國を起点して
長安六千八百二十里や西北至都護治所二千二百五十八里とかは記してある
これを長安からとは読まない。
なぜ3世紀の近畿圏からは鉄が出土しないのか?
■考えられること
鉄の潤っていた九州とは交易が無かった。
=一大率や大倭は近畿とは無縁である。
=魏志韓伝に出てくる「倭」に近畿は含まれていない。
■裏付け
実際、同時期の纏向遺跡からは九州産の土器が
出土せず、東海・伊勢地方のものが多数を占める。
■名言
もと歴博の館長もやった佐原真は、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
とマジで答え、・・・
■結論
近畿は邪馬台国とは無関係である。
年代確定がたしかな考古遺物?
移動されたらどうなんるの?
物の年代は確定しても、元来あった場所は確定できない。
文献との照合性がないとね。
>>465 しかも考古学でいう「確か」は誤差50〜100年を含む。
弥生時代の事象を正確に識別したければば、最低でも誤差30年以内。
そんな測定方式はこの世に存在しません。
>>445 これ、そもそも年輪年代法がおかしいと言われてるから
なので学術誌にも載せられない
正確な年代測定は不可能だという事実は
理系音痴には理解出来ないんだよ。
>>458 14CではなくC14 と書いている時点で半可通
14Cのベータ崩壊を数えて換算していた時期ならともかく、
原子質量を直接測って統計的に換算値を出すAMS法では
試料の前処理がきちんとしていればそんなに大きくぶれないよ
都合の悪意ことは否定しないと成り立たない
それが九州説のデフォルトだってだけ
>>460、
>>461 倭国には黒齒国も裸国もない
より古い文献に記載されていて、その文献から情報が増えていない
これで、転載じゃないと考える理由が分からない
>>462 同様に、水行二十日を帯方郡から、とは読まないんだよ
納得したかな?
里程と日程が同一記事の中に普通にある例であって、
零列で同じ行程が書いてある訳ではない
理解できるかい?
AMS法は精度を売りにしてるんじゃないよ。
短時間で測定できるのが売り。
しかも装置が安くなってきた現代では非常にコスパがいいんだよ。
印 3種ある
漢、魏、晋
志賀島で発見、運搬途中で難破、盗難、虐奪?
奴国?伊都国?とも取れる。
魏・晋の印は発見されず、返却があった記述もない。
最低でもAD57年には、国交があったのだから文字の伝来あってもよさそうだが、
日本国内で書かれた文献は、物部氏?が古事記を編纂した6世紀ごろ。
それ以前の文献が出てきて良さそうなのに出てこない。大部分は、処分されたのかな?
或いは、魏・晋の印も含め、宮内庁管轄の古墳にあるのか?
>>469 そんなにぶれないてどの程度?
10年ありゃ、物の移動もできる
俺は未だ確定はしていなけど奈良はない。
>>373 >・註釈なしに短里
陳寿自身が短里に付いて知らなかった、公孫氏から押収した資料を参考に記載されていた距離をそのまま転記しただけ。
>・註釈なしに水行陸行は帯方郡起点
単位が里(距離)から日(時間)に変わる。
帯方郡から伊都国、奴国までで12000里を超える。
記述通り進むと不弥国は内陸で、不弥国から水行は不可能。
起点を帯方郡に戻さないと理解不可能。
>・投馬国は朝鮮半島に存在。
少し後の時代に任那が存在している、投馬国は任那の前身である。
>・末盧国は松浦ではなく呼子。
魏使は帯方郡から船で移動しており、国や島の端に着けば到着したと認識できた
壱岐対馬でも島の北岸に着いたら到着で、島を半周して次の目的地に向かった。
末盧国の北岸に着けば末盧国に到着なので呼子に着けば末盧国に到着したことになる。
また呼子付近は天然の良港であり魏の船を停泊させておくには最適。
>その後魏使様たちは山中をレンジャー部隊のように全力疾走。
時速3〜4kmで12〜16時間程度歩くのだから特に早くはない。
荷物は港で倭人に引き渡し目録のみ持参だから楽なもの。
>>472 倭までの帯方郡起点で情報を集めて日数のものと里数のものがあったんだよ
だから
>>405の参考と同じように日も里も帯方郡起点なんだよ
理解できた?
>>474 日本書紀の編纂の後、焚書されてる。
奈良時代か平安時代にまだ持ってるやつがいたら罰するよ?と勅も出てる。
豪族たちが一族の歴史書を改編しまくって意味不明になりかけたから日本書紀が編纂された。
それまでの記録を照らし合わせて日本書紀に纏めたというのが実態。
一例をあげると、素盞嗚命が地上に降りた場所について、朝鮮説を目にすることもあるが、あれは本採用されていない傍説。
素盞嗚命の降臨だけでも、日本書紀には一書曰くと異説を8つも載せている。
恐らく移民系の豪族の記録で、そういう改編が成されたのであろう。
本採用は決めるが、本採用でないものは一書曰くで併記するのが日本書紀の方針なのだろう。
>>466 >最低でも誤差30年以内
また話をずらしてごまかしている
AMS法による14C年代測定は、2000年前で誤差100年程度で測れる
その誤差の端の値を採っても、纏向遺跡の存在が確認できる年代の最も新しい値は出せる
纏向遺跡が230年代には既に存在していたことは確実
100年幅の誤差の範囲で、もっと古い時代からあった可能性も当然にある
誤差のあるなしと、誤差のあるデータ解釈の手法をごっちゃにすることで、
誤差を含む数値は一切使えないというミスリードをしてごまかそうとしているのが、
ID:ZfmozoRI0
>>477 実際には卑弥呼のいる所までは行っていない。
宗教的な儀式なら山岳地帯にあってもおかしくない。
卑弥呼(日巫女)で山で天体観測の日々で数学に強いんだろうな。
元々は交易が盛んな所で生まれ、育たんだろうな。
>>461 倭人伝の内容って張政のレポートが原資料なの?
新井白石君が300年前から探しても確証が得られなかった良い加減
>>482 使者が卑弥呼に会わずに帰るなんて有り得ないですよ
実際に卑弥呼のいる所までは行って対面してます。
>>471 君も勘違い組だね、魏志倭国伝じゃないんだよ、倭人伝なんだよ。倭人の住んでる国の記録
>>477 >時速3〜4kmで12〜16時間程度歩くのだから特に早くはない。
>荷物は港で倭人に引き渡し目録のみ持参だから楽なもの。
荷物を倭人に持たせている以外は、十分にレンジャー部隊並み。
陸行一月を、強引に一日にしようとするから、こんな無理が生じる。
こう言うことを本気で主張する所が九州説クオリティ。
>>483 倭人伝の内容は張政の報告書だけでなく魏が公孫氏から押収した資料も参考にしている。
>>481 纏向遺跡のサンプルて何?
別の所あった200年前の物が運びこまれたたら、
そうなるしな。
>>480 歴史は、権力者側に作り替えられる。
そうなるよな。中国の文献は、国内には影響しない国外だから
残ったんだろうな。
>>487 時速3〜4kmって普通に人の歩く速さだよ?
そもそも邪馬台は「やまと」と読むのが正解。
「やまたい」なんて読むから変な連中が湧いてくる。
>>481←この奥山氏は日本史板で超理系音痴で有名なんですよ。
複数回線で自演やりながら畿内説を宣伝するのが仕事らしい。
しかし時給は不明なんだとか。
>>490 ワロタ
山中を16時間も歩いて、それが普通という感覚か
しかも平地並みの速さ
>>489 んー言いたいことは逆で、本採用と異説として日本書紀に取り込んであるから、これ以上オリジナルを作られたら困るだろうと。
明らかに捏造された豪族の歴史書なんかが残ると、本当に何がなんだかさっぱりわからなくなる。
今ですら一書に釣られて真実はこうだ!ってやってるのに、それが更にスケールアップしてたらどうにもならない。
中国の文献には残ってはいるが、辺境の東夷の記録でまともに検証もされてないので嘘だらけの役立たずだけどな。
>>472 地誌と行程文を混同してはいけないよ
地誌なら距離や時間記載が混同しても情報が多い方がいいけど
行程文だと途中から距離と時間が混在した訳が分からなくなり行程文として用をなさなくなる。
みんな自分の手柄と観光資源にしたくて争ってる感じだな
正直どうでもいいんだが
>>494 東松浦半島は丘陵地帯だし
二丈は海岸だし険しくはないよ
現地調査してみろよ。
>>491 読み方不明の、邪馬壹國をヤマトなんて読むから、変な連中が湧いてくる。
>>494 末盧国は葦が茂って歩くのは大変そうだとわかる。
ということは歩く際は歩きやすい場所を歩いたはずだ。
あぜ道なんて対して歩きにくくはない。
>>492 そんな使者はいないよ、会わずに帰った使者の例があるなら出してみろよ。
>>500 港が呼子付近に在ったとしたら都の伊都国と港を繋ぐ道くらいはあるよな。
>>498 今と1800年前が同じという事は無いと思ったほうが良い。
河内湾が河内湖になったのは紀元後。
その後埋め立てが行われて、今の大阪平野になっている。
邪馬台国に首を突っ込んでたら大抵は知ってる実例だよな?
>>486 そうなんだよ。
文献では、福建省の山奥民族も倭人と記あるね。
文化も似ているな。
>>485 使者はいっているけど編纂者の陳寿だよ。
陳寿が書いたころには、すでに貢ものは途絶えている。
>>503 東松浦半島は丘陵地帯だし呼子付近は天然の港だから
大阪と違って殆ど風景変わってないよ
舗装道路が出来たくらだろ。
高天原と言われる所はどうも平野じゃなさそうな気がする。
アマテラスは狭くて長い田んぼを作っているから
紀州みたいな所じゃないか?
>>500 わざわざ前の人がみえないって書くくらいだから草が生い茂った藪の中を藪こきしながら歩いてるだろね
>>500 そこまで無理に無理を重ねて、
陸行一月を陸行一日にしないと成立しない時点で、無理なんだよ九州説は。
>>500 「濱山海居」・・・呼子や名護屋浦付近の切り立った断崖の下の海岸沿いに家が立ち並ぶ風景
「草木茂盛 行不見前人」・・・東松浦半島内の丘陵地帯を進む風景
「好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之」・・・二丈付近の海岸沿いの風景
>>506
山で天体観測だもんな。
九州山地、四国山地も候補になるよね。
きついだろうな。
>>508 逆を言えば近畿なんて到底無理なスケジュールともいえる
>>507 東松浦半島へ行ってこい
別に草が生い茂った藪の中を藪こきしながら歩いたのではなく
道の周囲の緑が濃いんだよ。
何をどうしたら近畿説が出てくるのか理解に苦しむ
書物のどのにも近畿のこと書いてなくね?
学問じゃねえよこんなもん
まだ懲りずにやってたのか。そんなに必要か?邪馬台国
>>505 いやいや
1800年の間に風景の変わってない土地なんてないよ。
近代の工事だけでなく、江戸時代やそれ以前に港の整備や、街道の整備なんてそこら中でやってる。
呼子なんて特に古くから栄えた浜は何度も整備が繰り返されていて当然と思ったほうが良いし
浜を整備するという事は、そこまでの街道も当然整備されるもの。
東松浦半島にしても、遣唐使船で使われたり、それ以降の歴史でもそれなりに登場する土地柄だよ?
>>512 昨日もJRがどうとか国道がどうとか書き込みあったけど
1800年後の世界を基準に考えるのは止めたほうがいいと思う
いや俺は末盧国には上陸していないという説だから。
俺は壱岐から見た記述だと考えてる。
海を渡れば末盧国だが歩きにくそうだ。
東南に見える伊都国まで500里はある。
直接伊都国に向う。
>>516 この辺は田舎ですからw
行って見てみるといいよ。
>>513 書物が嘘ばっかりでアテに出来ないからだよ。
>>513 畿内説では南と書いて東と読むそうだ。
ただし2箇所だけw
裴世清は筑紫から難波までいくのに水行だけで二か月かかってるわけで
まあそういう時代の旅を想定しないといかんと思う
>>2 馬鹿にされすぎて↓の部分を削除してるの笑う
>最近はビッグデータ処理の技術が、進歩してきています。私は便利な
>確率計算法であるベイズ統計学によって確率計算をしました。その結果、
>邪馬台国が福岡県にあった確率は、99・9%以上となり、奈良県である確率は、
>ほとんど完全にゼロです。畿内説の方に議論の出発点として検討していただきたいものです。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018072002000264.html >>2と
>>3の間に入るはずなのに
呼子を末盧国とごり押ししてるのは、伊都厨こと糸クズ
無視でおk
>>519 人が行き来しやすいように海岸沿いを整備することぐらいはあったさ。
それこそ、ご当地の偉人的に、大変苦労しながら道を通しました。みたいなのは日本中に見られることだろ?
>>524 >呼子を末盧国とごり押ししてるのは、伊都厨こと糸クズ
呼子が末盧国ではなく呼子は末盧国の北の端で上陸した場所
末盧国自体は唐津、二丈付近まで含む。
天体観測に気象観測、山だろうな。
鬼道、時間でいうと牛と虎の刻、角に虎のパンツ。夜中2時ごろ
丑三つ時?
昼間は合わない理由。人を避ける理由。想像し過ぎかな?
>>525 東松浦半島や二丈では地形は変わってない
道路や線路が出来たくらい
唐津市付近で土砂が堆積して平野が広がったくらいだろうな。
>>511 >>514 畿内説の場合は、日本海航路で、
丹後半島から一月かけて奈良盆地まで。
一日約6kmののんびりした行程。
魏使様はあちこちで接待責めに逢い、
雨の日は当然移動しないので、一日約6jmは妥当なペース。
対馬島は北側は住めないので、南半分を指し、その南端と壱岐を結ぶラインが南北を示す。
>>503 そもそも畿内説は日本海ルートなので
河内湖とか出されても、は?なわけですが
>>529 そんな旅ならまず水行三十日で丹後までたどりつかない
出雲を完全無視して航行するの?
>>531 畿内説のルートの話しではなく、邪馬台国に首を突っ込んでたら河内湖、河内湾なんていくらでも目にするっしょ?ということ。
1800年前とまるっきり同じ状態の土地はないというのの、わかりやすい例じゃないか?
纏向遺跡から出土する東海系の土器って、ひょっとして三重県の土器なの?
愛知県の朝日遺跡の赤彩土器(パレス・スタイル土器)みたいなのが出土するのかと思ってた。
弥生時代の日本と朝日遺跡
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/161397_267791_misc.pdf >>529 そんな風に言うなら一日に進む距離弄りまくりで
どこでも行けるわ
>>481 詳しくは知らないので教えてほしいんだが
たとえ纏向遺跡から3世紀の土器が出てきたとしても、当時の纏向遺跡が大きかったとは限らないんじゃない?
4世紀以降のものがたくさん出てれば、そこにずっと人が居るんだから、小さい集落を拡大していったと考えるのが妥当だと思える。
九州の場合、3世紀以降のものが出てきない遺跡が沢山あるんじゃないかな。
そういうのと規模を単純比較するのはどうも理解できない。
>>521 まぁそう言うな
九州説だって短里を編み出したり、九州の北岸から北を監視したり、海の上に国がいくつもあったり
方角にルーズなのはどっちもどっち。
魏志倭人伝の記述に一喜一憂してたらハゲるよ?
前スレでも福岡平野の鎌倉時代の古地図と縄文海進の海岸線が出てたけど
福岡平野は沈降地域で縄文海進から江戸時代からの海の埋め立てが始まるまで
ほとんど海岸線が変わってない
むしろ鎌倉時代かそのあたりが一番内陸に入ってるらしいんだよね
弥生時代の遺跡が海の下にあった時代があるっぽいんだよね。ロマンやねぇ
逆に、唐津平野は昔の海岸線がかなり内陸で松浦川が内陸まで入り込んでる
おかげで古代の道は呼子から佐賀に抜ける
方角を是正するための呼子上陸はリアリティにかけるんだよね。ロマンやねぇ
おまけ、筑後平野も福岡平野に似たようなタイプな
>>521 魏が呉を牽制するためにわざと東を南として会稽東冶の東に同盟国の倭があるとした。
>>537 しかし、複数の王国が存在する時代を無理矢理統一国家に仕立て上げる
ネトウヨ的ゴットハンドは見過ごせんぞw
実際日本史板で畿内説宣伝してる奴はネトウヨだとカミングアウトしてる。
>>533 平野は昔海だったり、湖だったりするけど
山は噴火でもしないと形変わらないですからね
呼子や二丈の地形は殆ど昔のままですね。
紀伊半島だから、あり得ない話では無いな
九州はあり得んわ。物理的に無いだろ
>>539 呉が滅亡した後に書かれた三国志で魏が呉を牽制とか、頭沸いてるな。
>>537 短里は三国志だけでなく三国史記でも使われてるから
大発見で偉大な功績だな。
>>540 >しかし、複数の王国が存在する時代を無理矢理統一国家に仕立て上げる
そんなこと畿内説では主張してないのに、勝手に空想の畿内説をでっち上げて、それに文句をつけてる
藁人形論法だな
>>539 魏志倭人伝が編纂された時代は普だよ。
邪馬台国=女王国が無くなる時代でもある。
>>536 九州では遺跡は弥生時代から律令時代まで連続してる
博多なんて弥生時代から続く日本最古の都市だよ。
>>547 またこっち来たんかw
さんざん強大なヤマト政権が九州を制圧し〜
などとほざいて置きながらどの口で言ってんだ?w
1980年代に文化庁で全国遺跡地図と言うものがまとめられてる。
実際にまとめたのは、本物のプロの学者さんたちだけど
これで日本全国各都道府県の遺跡の数と規模、年代が網羅的に纏められた。
※勿論1980年代以降に見つかった遺跡は含まれてない。
このデータは嘘ばかりの魏志倭人伝なんかを信じるよりも、実際に出たもののデータを年代で横串で見られるのが面白い。
九州は1800年前遺跡数1877、人口10万人程度。
近畿も遺跡数1934で、人口は九州とほぼ変わらない。
九州も近畿も同程度に栄えてた事が、データではっきりと見て取れる。
なので、互いに田舎と罵り合うのは、まるっきりの的外れ。
大陸から近いから九州が先進的な技術を早く、多く得ていたことは疑いようがないが、どっちもどっちだったという結果。
>>542 両方とも、ありうるよ。
九州から瀬戸内海抜ける
山岳地帯、火山に地震、難所多いよ。日数も掛かる。
>>544 朝鮮系弱小国?
小国の連合の代表が卑弥呼、大和政権とは別もの
>>543 >>548 三国志は魏国誌、呉国誌、蜀国誌から陳寿が撰集したもので、陳寿が客観的な視点で書いた物ではない。
>>550 >さんざん強大なヤマト政権が九州を制圧し〜
>などとほざいて置きながら
また誰も言ってないことを捏造してるわw
>>553 魏国誌、呉国誌、蜀国誌?
なんだそれw
>>2 毛沢東の発言を引いている時点でこの回答者の信頼性が劣る
>>556 畿内説はそうやって話を広げ、調べようのない空想を元に仮説を立てるんだよw
テレビで言ってたので、ちょっと前まで、邪馬台国は奈良にあると思っていたが、皆の話を聞くと間違いなのだとわかった。
>>549 いや広域な遺跡の数の話じゃなくて、弥生時代限定の古墳だけを見ないと比較対象にならないって話。
3世紀だけの遺跡しか出ない弥生時代で消滅した集落は九州に多数あって、4世紀以降の出土も沢山ある遺跡とは比較対象にするのはおかしいって話。
>>556 魏国志、呉国志、蜀国志
陳寿が大昔のことを参考文献無しに書いたわけないだろw
>>559 「邪馬台国は奈良(紀伊半島)じゃないよ。ソースは5チャンネル(キリッ)(ドヤッ)」
って言って恥をかくんですね
どうぞどうぞ
まあ、現実的には住みやすいところには
ずっと住みやすいから重なるのはある程度仕方がない。
吉野ヶ里も9世紀くらいまでの遺物があり
太宰府なんかは遺物を掘り返して
また遺物が積もっているので
上下がひっくり返ってる遺跡があるくらい。
倭人は、楽浪から九州まで居たんだよ。五王は百済は落とせなかった、近畿が五王のものか?百済のものか?だね。
橋本は巻向が邪馬台国と関係ないことぐらいは知ってるよ
>>564 太宰府の下はもっとちゃんと調査して欲しいな。
すぐ滅ぶ土人の小国ならともかく、紀伊半島以外で大国の元が出来上がるはずがない
常識で考えたら
>>567 責任者の白石さんも纒向=邪馬台国とは言わなかったな。
単に奈良にあると豪語してた。
>>570 邪馬台国は3世紀末に滅びてる。
ヤマト王権とは別物だよ。
畿内だけでそこを探ると朝鮮色が濃くなる。
だから九州由来を主張して天皇の正当化をはかったと考えられる。
もとはよそ者だったんだろう。
毎回思うんだけど、毎日新聞が勝手に
邪馬台国の最有力候補地って書いてる
だけで、学者は特に邪馬台国に言及してないよねw
>>564 それで纒向遺跡内における3世紀時の遺物の種類と出土量と範囲はどれほどなの?
なんか記事見る限り、古い土器をやっとこさ見つけた程度で、それだとそこに3世紀の小さい集落があり
4世紀以降大きな施設を開発しただけとしか思えない。
卑弥呼の墓はちっちゃいんだろ、かめかんぼだろ。でカリスマ教祖だろ、ヤマト政権あるいは前に滅ぼした五王連中だって徹底的に葬っちゃうよ、信者が永遠に弔うから。仏教を入れたのは薄めるためと、土人を飼い慣らす為だよ。
>>574 しかも肝心な4世紀半ばで終了している。
あまり価値があるとは思えない。
村おこしなんだろうけど、ちょっとやり過ぎかなと。
>>559 俺も定まっていないけど奈良はない。
時の権力者に物が集まるから年代も幅がある。
動かしにくいものと文献との照合。
文献も記の間違いや意図もある。
卑弥呼の生まれた年、女王についた年や死亡は推測できる。
なんで女王に推挙されたのか?13歳で168年金環食予言、
30才ごろ女王になり1〜2年位で内乱納まる。247、248?
で部分日食と自分の死(90代)を予言。当時だったら恐怖だろうな。
又、内乱し同じ一族の13才でトヨで納まる。晋に貢もの
その後空白150年。何があった?
>>561 当時、魏国志、呉国志、蜀国志なんて文献ないよ
それぞれの国の数多くの資料を集めて書いたんだよ。
>>572 >邪馬台国は3世紀末に滅びてる。
根拠は?
橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」というが、
近畿中央部から買い付けに来る、ただの漁村だったのではないのかな。
統括研究員というレベルになれば、土器片だけで、熊野灘の航行まで見抜けるものなのだろうか。
>>579 266年を最後に朝貢記録から女王の文字が消える。
そして4世紀に入ると様相の異なる複数の人物たちが朝貢している。
いわゆる倭の五王の時代。
>>580 なんでも勢力圏にしたがる畿内説だからなw
1里は短里80m、
島巡りと国の端に着けば至、
邪馬台国は都市国家の連合体(投馬国、狗奴国も同じ)、
里数行程と日数行程は同じ行程
伊都国が卑弥呼の都、
これを前提として魏志倭人伝を読めば矛盾なく理解出来るな。
>>578 唐王朝の蔵書目録である経籍志、芸文志にあるんだよね
確かに統括研究員は邪馬台国とは一言も言っていないが、まるで、3世紀には近畿中央部に、熊野灘で航行を実行することができた勢力があったと宣伝しているな。
橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」
573名無しさん@1周年2019/06/14(金) 12:32:38.73ID:ntR6jHcD0
毎回思うんだけど、毎日新聞が勝手に
邪馬台国の最有力候補地って書いてる
だけで、学者は特に邪馬台国に言及してないよねw
>>581 倭の五王も壹與(倭與)の後継者でしょう
倭讃、倭珍、倭済、倭興、倭武
讚が何者なのか謎だよね。賛だから単純に代わったんだろうけど
なぜ、橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」という考えを発表したのだろうか。
発見された土器片は、どのような土器の片鱗だったのだろうか。
奈良は意外と狭いんだぞ。
可住地面積
(人が住むことの出来る土地)
奈良県 853(km2)
福岡県 2773(km2)
佐賀県 1332(km2)
熊本県 2732(km2)
耕作可能な土地の面積
[畿内]
奈良盆地:450km2
河内平野:200km2
[九州]
福岡平野:250km2
筑紫平野:950km2
中津平野:180km2
宮崎平野:800km2
30万人が生活すると仮定すれば
最低でも700km2は必要。
>>564 邪馬台国は現在の都市の下に眠っていて見つからないだけなのかもね。
卑弥呼陵も戦国時代あたりに砦を築くために解体されてしまったとか。
>>586 それは誰にもわからんよ。
100%想像するしかない。
橋本輝彦・統括研究員が、発見された土器片から、「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」 という考えを発表したので、
他の考古学者がこの発表を、ヤマト王権は熊野灘を航行できたという75パーの確率を持つ「根拠」にしてしまうのではないだろうか。
橋本輝彦・統括研究員が、発見された土器片から、「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」 という考えを発表したので、
他の考古学者がこの発表を、ヤマト王権は熊野灘を航行できたという75パーの確率を持つ「根拠」にしてしまい、ヤマト王権は黒潮に逆らって航行ができると発表し、
さらに、他の考古学者がその発表を、ヤマト王権は3世紀に対馬海峡を自力で横断できるという75パーの確率を持つ「根拠」にしてしまうのでは、ないだろうか。。。
なぜ、橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」という考えを発表したのだろうか。
発見された土器片が、どのような土器の片鱗であれば、現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だった可能性が発生するのだろうか。
そもそも、「庄内式・布留(ふる)式土器」が3世紀後半〜4世紀中ごろの近畿中央部系の物体だという仮説は、真実だと科学的に証明されているのだろうか。
>>589 ちょっと前に平安時代前半の各国の米生産量資料が貼られてたけど
肥後がダントツで九州全体は多いのに日向、薩摩、大隅は少ないんだよな。
3世紀に当てはまるかはどうかは別にしても薩摩大隅はともかく、日向国ってなんで少ないんだ?
日向国が貧しいから神武は東征したんじゃないかと思えてくる。
邪馬台国畿内説を宣伝しているプロ固定の奥山氏は、解雇されたのだろうか、、、
>>326 争った跡がない。外部勢力ではなく
でてきた土器の範囲のひとが集まった。
それ以外の解釈はない。
>>600 奥山氏はまだいるけど、発言は減ったね。
発言するネタが蛙の骨、桃の種、剣の部分が無い剣の柄と鞘しかないもんね。
>>595 九州でも15万戸も抱えられねーだろうがw
>>574 遺跡の範囲はこの図で確認できる
内側の線で囲まれているところが3世紀中頃まで、外側の線で囲まれているところが3世紀後半以降に拡大した範囲
纒向は一般庶民が住んでた場所でないから、吉野ヶ里の内郭に相当するような施設に近いかも
大きさは3世紀前半でも、吉野ヶ里の内郭の100倍以上になる
出土品はここに載ってる
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html 余談だけど、Wikipediaは九州説論者が悪意を持って編集してるから、重要情報は載ってないが、どうでもいい情報は載ってる
あと、畿内説のポイントは遺跡そのものの大きさではないよ
版図の広さと勢力範囲の広さ、それに中国との交流の証拠
畿内に土器の産地を統合する勢力があったが、
それは非常に縄文色の濃いグループだった。
それが結論。
>>606 3世紀の九州の人口は多いものだと100万人との推定もある。
>>517 >昨日もJRがどうとか国道がどうとか書き込みあったけど
ああ、やっぱり九州説の人は論理が分からないんだな
JRも国道も、人が通るのに無理のないところ、昔から人の往来のあったところを
つないで路線を通してるんだよ
これが高速道路や新幹線になると、別の論理でトンネル作りまくりで
まっすぐ通すけれど、古いJRの路線や国道は昔ながらの街道沿いだと思っていい
>>608 畿内勢力範囲きたw
あと巨大古墳w
前方後円墳体制だっけ?w
現在の畿内説の根拠
@南と書いて東と読む
A年代不明の箸墓古墳
B大型倉庫と書いて宮殿と読む
C垣根と書いて城柵と読む
D蛙の骨
E桃の種
>>547 寺澤薫は、卑弥呼が初代大王とかトンデモを言ってたけど
撤回したの?
>>610 それは邪馬台国人口論っつー何の根拠もない世迷い言だろーがw
>>610 それは邪馬台国人口論だな。
つまり魏志倭人伝に書いてる戸数から人口を無理やり計算し、それだけの人間がいたと強弁する行為で
何らかの実地調査も伴わない与太話にすぎない。
奈良時代以降のある程度人の管理の出来だした時期でも、九州の総人口が100万人を超えるのは鎌倉から室町に掛けて。
それを3世紀に突破しているなどということはあり得ない。
魏志倭人伝の数字を本気にするから、そんなあり得ない数字を無理やり正当化しなきゃいけない羽目になる。
>>469 君が貼ったリンクに炭素14(C14 or 14C)と書いてるのはどうすればいいのでしょうか?
それにスカスカ纏向とか江南神獣鏡が
三世紀としても誰も困らん。
この土器発見のニュースは近畿の土器が三重で見つかったと報道するに留めるべきだろ
後半が想像力を盛り過ぎで誘導的
5ch住人、畿内説宣伝係奥山氏の脳内説w
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
>>620
564 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2016/04/27(水) 15:31:43.34
白石などの考古学者はそれを知ってるから
軽々しく卑弥呼=百襲姫命とは口にしない
↑こいつ、言ってるじゃん く卑弥呼=百襲姫命 極めて悪質
例えば箸墓の場合それまで100m前後のものが一気に200m超えて300m近くにまで拡張する
↑これ、卑弥呼と何の関係もない
畿内厨の脳内 女王だからでかいはず →そこに箸墓があった → だから卑弥呼 笑…
↑畿内説のガクシャどもも多かれ少なかれ、これ 徐福伝説を主張しているのは田舎が多いから「町おこし」なのかもな。
>>455 ネイティブで且つ教養ある人が読んだ場合ね。
中国の歴史家はわざと事実に反することを書いて、権力者から隠されたメッセージを
込めると何かで読んだことがある。
それを筆法といって、専門の教科書もあるとか。
>>624
「漢の委の奴の国王」
わ な
↑3段細切れ読み 根本的にまちがい!! イトまたはイドと読みます
金印は当然、政庁におかれた
皇帝の金印が地方の首長に下賜されるわけがない
印文のルールとは、二段国名が取られていたこと
現代中国人は漢委奴国王をどう読むか?
仏教大学の黄當時教授は、2014年の10月に開催された
「第8回金印シンポジウム志賀島」において、
「金印の韻文は『漢の委奴の国王』と2段に読むしかない」
『3段読みは』致命的ともいえる欠陥を抱えている。固執は不毛である」
と述べ、また委奴国という漢字を見せられて、「ヤマト」「ワノナ」
と読む中国人はいないと断定している。
↑畿内厨!!! 失笑 >>469 ぶれるぞ
AMSの本を読め、4000円くらいで買える
4000円くらいで買える本を読めばわかるAMSとは、どのような物事なのだろうか、、、
>>504 漢語としての倭人は、背が低く、猫背で、かがみ腰の人を意味する。
そもそも中原人のいう倭人とは、朝鮮半島沿岸部から渤海湾、黄海に至る沿海地区、
さらには東シナ海に至る広大な海域にまで居住範囲が及ぶ、水辺の生活文化をもつ集団を指していた。
『史記』李斯伝によれば、倭人は浙江省から西は広東・広西、雲南、越南におよぶ広汎な海域に居住しており、
種族の多種多様さから百越とも呼ばれるに至っている。
『馬の文化と船の文化』
越智などという言葉に残滓が見られるように元々は倭と越は同じwoと発音したらしい
彼らにしてみれば言葉にに区別なんかつけてなかったんだろうが、中原の人間が別の字を当て区別したのだろう
倭人とは越人の事である(逆もまた然り、てか寧ろ倭人の記録の方が古いのか?
越が滅んだ時、同族のツテを頼り、大量の倭人が日本に移住したのは自然な流れといえよう
>>624 であるなら、その隠された筆法を解析するのが先だろうね。
字面通りに読んでる限り、正解にはたどり着かんのだろう。
にしても、俗物的な人物のはずの陳寿がそんな手の混んだことを、わざわざ東夷伝に仕込む意味もわからん。
金で書きっぷりを加減してやると持ちかけるようなやからやぞ?
奥山氏が宣伝していた、畿内第五様式という物体の斉一性は、ヤマト王権の発生とは関係がないのだったな。
>>624 魏志倭人伝で秋冬の筆法が使われているかどうかだね。
国内ならあり得るけど、国外の記録で何か遠回しに表現するべき箇所があるかなあ?
AMSというのは、炭素の同位体の存在比率を測定する方法の一つなのだな。
>>628 結局は炭素14で年代を測定する方式。
従来のように地道に崩壊数をカウントするのではなく、ダイレクトに
資料中のC14、C12の個数をカウントしてその比率を割り出す。
しかし、その比率を年代に変換する為の参照表が定まっていない。
永遠の課題。
炭素の同位体の存在比率は、炭素14が内部の事情からだけ一定速度で崩壊するので、時計代わりになるという考えがあるのだが、
真実は、炭素の同位体の存在比率は、炭素の原子核が空気シャワーの中の中性子を捕獲するという外部の事情でも変化するのだったな。。。
>>611
旧街道ですらこんなルートよ?
もっと容易に進めるルートある気がするなあ
>>504 壹與が晋に入朝しているから陳寿が三国志を書いた頃は倭との交流は続いていた時代だよ。
>>616 文献を信じないの?
遺跡と文献を突き合わせないと真実は見えてこないよ。
>>640 あり得ない事を信じる方がどうかしてるよ。
徐福伝説と同じで邪馬台国を主張したい所はどこでも主張していいと思う。
>>629 というか、移住とかでなくて
地域を指す言葉は時代と共にずれる
朝鮮は今の遼東半島〜東北平野南部あたりまでだし
楚の位置はどんどん南東にずれてったし
倭も元々は朝鮮半島南西部〜沖縄あたりまでの沿岸部の雑多な人らなのが、日本列島に限定されてったし
徐福なんて崇めてるのは
サヨク臭いジジィだけじゃね?
実際詐欺以外してないだろ
>>641 奈良時代の人口からすると100万人はなくとも70万人くらいならありそうだがな
逆に10万人は少なすぎて絶対にあり得ないなw
>>645 10万というのは1980年までに見つかっている遺跡の数、規模、集団の密度から推計されたものなので確定数ではないが
1980年以降に、人口密度の推測に影響を及ぼすような大規模な遺跡が新発見され続けていない限り早々には変わらない。
当時既にサンプリング数が1000を超えてる九州や近畿はまず望み薄だよ。
しかしこんだけ歴博が宣伝しても
一般人では55:35だったかで、九州支持の方が多いんだよな(余りは分からないと回答)
旧石器捏造の件もあって、みな慎重となってるのかな?
>>648 一般人はえらいさんに忖度する必要がないから・・・
>>646 統計学的に考えて僅か500年で人口が7倍とか余程の農業で技術革新がないと不可能だけど
北部九州地域では3世紀の段階で鉄器も普及していたし500年間で人口を7倍にする要因が無い
10万人とか異常な数字だよ。
>>648 興味を持ったらまず魏志倭人伝を読む。
しかし南を東と読む日本人は少ないだろう。
自ずと九州のどこかだと考えるようになる。
大抵の人はまずは南九州を探すね。
魏志倭人伝に興味を持ってるのは老人に多い
そして、新しく老人になる人はさほど魏志倭人伝に興味がない
ゆえに、魏志倭人伝という単語を知ってても、方向とかそんな話はそもそも知らん
故に死んでいく人数除けば数はあまり変動しない
「大作家 徑百餘歩・ 徇葬者奴婢百餘人」
大きな墓も主観だから
足の大きさ?歩幅?で両方とると直径25m〜100m以内、半径13.5m〜50m
殉教100人位、出てきた所は?
>>652 教科書に載ってただろ?
そして一月が一日の間違いであれば九州、南が東の間違いであれば畿内、と習ったぞ?
>>650 それだけの規模密度の遺跡しかないんだから、しょうがないだろ?
鎌倉から室町の西暦1400年代に九州で100万人
そこから500年弱後の明治維新頃の九州の人口は500万人
いうて、異常ではないような?
>>656 近代は技術革新が著しいから同じ500年でも全然違うよ
3世紀から8世紀なんて社会的には殆ど変わってないからね。
>>655 通常、魏志倭人伝という単語しか覚えてないよ
あと、卑弥呼という単語な
内容なんて覚えてない
記紀だって基本的には、編纂された年だけだろ。記憶してるの
大概の人はそれ以上は踏み込まない
故に、新しく踏み込んでくる人より、老衰で死んでく人のが多い
レスにもジジィ臭さが滲み出るのはそのせい
>>658 一般的にマイナーな話であることは確かだなw
>>657 明治維新頃というのは、まだ鎖国が解けた時点の事ね。
説明不足やった。なので、文明開化の影響を受ける前と受け取って欲しい。
後、鎌倉以降では戦国時代に人口は減少も経験してるので、跳ね返して5倍というのはまあ順当。
それに江戸時代は亨保以降停滞期を迎え人口変動が殆ど無くなるった時期でもある。
せっせと開墾して古墳作ってただけの時代の方が順当に人口は増やしやすいのと、源平合戦も所詮武家だけの争いだからね。
栄養不足が解消されてくると、乳幼児死亡率が下がってくる。
弥生の10万人は確定値ではないと書いたが、遺跡の数、遺跡間の距離、各遺跡の住人数で出しているものなので
極端な変動はないにしろ、2倍までは許容範囲らしい。
戸数だから倉庫、宿泊施設も含んでいるじゃないの?
小国の連合だから、大掛かりな工事で回りの国に応援求めたり、助けたりしていたかも?
有○万戸ではなく、可○万戸と書いてあるから、平野の広さの事を言ってるのじゃないかな?
人口ってのは国の基本だからね
把握してなきゃ税を取ったり徴兵したりできない
精度はともかく概ね正しいよ
>>662 成程ね。
長寿の国みたいだから、
病院・保育園みたいな施設もあったかも?
昭和初期くらいに多肥料農法になって
反あたりの米の生産量が3倍くらいになった。
それ以前は弥生時代から明治時代までで
倍程度しか増えていない。
現在では一反あたり10俵〜12俵取れるが
昔は3俵程度が目安。
反あたりでそのうちの一俵が年貢に取られる。
>>660 10〜5倍くらい違ってるな
魏志倭人伝の記述では北部九州の一部の6か国だけで3万戸(15万人?)だからな
余りにも違い過ぎる。
人口の何倍もの大量の倉庫とか、どんどん言い訳が苦しくなってきたな。
そこまで七万戸が大事なのかよ?
そんな遺跡どこからもでてやしないっつーのw
>>666 江戸時代には下肥を肥料にするようになって収穫が増えてるな。
>>662 そうかもしれんね
いずれにせよ、九州であれ畿内であれ100万は無理
>>663 倭人伝読むと、米は重要ではないみたい。
海で貝や魚、陸では、野菜を食べる。酒もある
この頃の税、徴兵てなんだろう?
>>668 意味不明、九州・近畿説も共通項
そのまま7万戸残る方が不思議だよ。
>>662 三国志の東夷傳以外の文章を読んでみろ、助動詞および接頭辞としての「可」は
許可-不可、可能−不可能、おおよその意味以外では使われてない
つまり、「有」は確定情報、「可」は未確定情報だということだな
>>636 >その比率を年代に変換する為の参照表が定まっていない。
それに関しては、水月湖年縞という7万年さかのぼれる1年単位で絶対年代の分かる
炭素試料があるから、この解析が進めばかなり較正曲線の精度があげられる
ただ、これが使えるようになるのは光谷氏が鬼籍に入ってからじゃないかと
ちょっと邪推している
いったん公開されながらすぐになかったこと扱いにされているJcalという較正曲線は
年輪年代法から来た値を土器編年に合うように修正している面がある
つまり、Jcalを作ったグループは年輪年代法の数値を信頼していないことを
意味してるんだよな
まあ、チラ裏の落書きだと思ってくれ
>>675 なるほどね。
まず土器編年というのが胡散臭いのに、なぜそこに合わせようとするかなあ。。。
しかも編年基準は少しずつ変化してるし。
その理由として○○式の継続年数が短くなり過ぎるから広げたとかw
遺伝子学的に見たら
渡来系弥生人(北部九州を起源とした邪馬台国)が
弥生時代末期に畿内へ移動して大和朝廷を設立していったとしか思えないよね
chrome-extension://oemmndcbldboiebfnladdacbdfmadadm/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics1964/30/11/30_11_923/_pdf >>642 徐福伝説みたいに喧嘩しないようにやってくれなw
>>674 「可」は推測したって意味で
「可○○戸」は「○○戸ほどか」と訳されるね
未確定情報・・・少し意味合いが違うかな、確定ではなく推測値
学者は邪馬台国に言及してないけど、
すでに纒向学という学問に別けてて纒向を
ヤマト王権の始祖にしないといけない
から、桃の種、柄、蛙程度でも纒向が
中心になるような結論にしないといけないのがツラいとこ。
>>667 北部九州の3万戸は有だから確定数なんだよな。
卑弥呼が魏の前に朝貢していた公孫子は呉派だったのか?
そうだとしたら九州を大きく見せようと誇大表現したのは呉かも?
邪馬台国は過去に日本にあった国として地域を主張するのは問題ないが
邪馬台=ヤマト説の日本万世一系統一国家説を主張する畿内バカが全ての癌だな
>>685 畿内説ならヤマト王権との関わりがテーマになってくるからな
九州説ならなぜ消えたのか
地表面に平準ではない影響を与える空気シャワーの効果の前では、どのような較正曲線も全く意味はないのだが、
それにしても、ブラックボックスで作製した曲線の、肝心要の3世紀での落ち込み加減は酷いな。。。
>>684 呉と繋がっていたけど、どこぞの国の前身というか、
同じ地勢で同じような外交してたんで魏に攻められた時、
呉に泣きついて、嫌味たっぷりに断られてたレベルの繋がりw
>>684 戸数は実際に倭に来た魏の張政の報告でしょう
張政が道中で見た戸数。
>>688 最近四面楚歌になってる某国そのまんまw
7万なんて数えられる訳ねーべ
どれだけ滞在してて、そんなに暇なんかよ
常識考えろよ
徐福が、熊野や名古屋に来てるということは、
卑弥呼の時代よりずっと前に、奈良より東に、
当時の世界最先端技術者集団が住んでいた
ってことだよね?
老害は中2病だから、詐欺師の徐福をありがたがるのか?
>>691 七萬戸は全部数えたんじゃなくて一部から全体を推定したんだ
数えたのは有の付いてる北部九州6か国の三萬戸だけ。
一部から全体推定なんて出来ると思ってんのかね
戸数で
さすが老害
妄想が凄いわ
7万が事実なら聞いた意外にはねーよ
まぁ、事実かどうかは分からんがな
>>695 可が付いてるから七萬戸は一部から全体推定ですよ
何でも出来ないと?
>>677 その論文の5ページ目にある日本列島の図で、弥生時代の北東アジア系と表示されてるのは
北部九州の甕棺から出た人骨と土井ヶ浜で見つかったものが中心
弥生時代といっても紀元前に、北東アジア系と埴原が定義した人たちが
北部九州にはいたことを示すのみ
ところが、邪馬台国は古墳時代の直前であり、渡来系の拡散・移住が終わった後の時代
学者によっては古墳時代に含めている人もいる
しかも、青谷上寺地遺跡で見つかった2世紀後半の人骨32体の
ミトコンドリアDNAハプログループを調べたところ、ほとんとが渡来系であった
(Y染色体も4体ほどだが調べたところ、縄文系が多かったから完全に渡来系とは断言できないが)
最近の知見が反映されておらず、資料が古すぎるのを置いておいても、
邪馬台国時代の実態に近いのは、その図では古墳時代の方であろう
>>192 倭の海人は文字は使わないが丹山があり
それをを使うんだからな、
つまりお前がバカなだけだw
>>682 九州バカは未だに巻向が邪馬台国だと勘違いしてるんだなw
巻向は邪馬台国の祭祀場所だというのがまともな畿内説。そもそも卑弥呼は鬼道使いだと書いてあるだろ。
邪馬台国の会とかによくいる老害をいい加減信じるなよw
>>700 さっきあっちで纒向は古墳造営基地局だと確定してたぞw
別冊のとある章に数行書いてあるけど、確証もされていない資料で
オマケに推定と書いてあると力説してるバカ
論じる価値もない話って事を理解出来る日は来そうにもないな
年取り過ぎて
>>651 >南を東と読む日本人は少ないだろう。
遅レスご免!
方角については意外と間違って覚え込むことがあるよ。
俺の場合は、「イギリスはフランスの西にある。」と長い間思い込んでいたが、
実際は「イギリスはフランスの北にある。」だった。
>>701 あっちってなんだ?知らんわw
そもそも古墳を造る意味だって充分鬼道的だろ、転生や甦りを願うんだからな。
造る場所には意味があるんだぞ。
まぁ、無知なのかピュアなのか
論文に嘘や間違いはないと思うタイプなんだろうな
今の時代でも論文に嘘や捏造、及び間違いがあるというのに
>>703 そのとおり、モスクワだって思ってるよりはるかに西だ。
>>707 そもそも弥生末期、道教なんてものはまだ中国でも初期段階だよ。
>>703 方向感覚じゃなくて、書き写す際の写し間違いの話だろ?
>>709 畿内は中国より先に馬に乗ってたんだろ?
可7万戸は、ざっと7万戸はあるやろな、という意味。
古墳を造るために全国から人を動員できるってことは
奈良に相当大きな政治権力が存在してたということじゃん
畿内説が主張してる説より、遥かに進んでるだろ
>>686 狗奴国の神武が邪馬台国(ヤマタノオロチ)を滅ぼして東征したから。
>>711 肝心の馬の骨が周辺から出ない時点で話にもならないけどな
九州説の人に限らず
東京の西に大阪や福岡あると思わずに
福岡なんて東京のかなり南にあるとイメージしてる人は居るな
何となく九州という文字だけで南国と思ってしまうんだよな
鹿児島辺りは南でもいいけどさ
距離で表す行程と、日数で表す工程はどちらも帯方郡が出発点で
投馬国は半島南部の倭国領地で5万戸
邪馬台国は北部九州全体の名称で7万戸
上にくっついてる詳しいルートは別の使者の報告書から抜粋
なんでそうなったかはわからん。
魏志倭人伝を書くときには、すでに畿内が中心でもっと遠くにあることを示したかったのかもしれない。
という風に解釈すれば大体の距離と方向と戸数はあってない?
>>713 しょーもないアイドルが死んでも全国から人が集まるが?
実際箸墓は人々の同情により、大きく作られた墓であり、権力を示すものではないだろ。
>>716 そんなんやからお前はバックするところを前進してコンビニに突っ込むんだよ。
年取ると誤差ってのが理解出来ないんだろうな
この程度なら誤差の範囲ってのが若いと理解出来るんだろうけど
年取るとほんのちょっとでも違うと、全然違うと言い出す
年は取りたくないな
>>720 もう十分ジジイだろ。
若者ヅラするなよ。
>>573 毎日新聞の元記者が畿内説やってんだよな?
新手のマッチポンプだろこれ。
>>723 読み書きが不自由なのか?
学校行けよ。
>>717 >投馬国は半島南部の倭国領地で5万戸
これを言うやつ、自分はバカだと自白してるようなもの
>>698 それはそうだ。
>>712 それは間違い。
当時の日本列島の大部分は殷文化の影響が強かったんだろう
獣の肩甲骨を使った卜占、動物や人の生贄、殉葬、酒を使ったトランス状態で神託をきく、太陽神の末裔、
邪馬台国の記述や纒向遺跡の祭祀遺構に合致する
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高く、飲酒は神事であった
桃の種は大量の酒を作った跡だろう
卑弥呼のいた邪馬台国、ヤマトは戦争の最前線
纒向遺跡は、対狗奴国の前線基地
ヤマトの南の南河内、和泉の狗奴国と争っていたんだろう
>>725 あなた任那日本府否定派の朝鮮人ですね。
>>703 >>716 九州人の自分は長野は雪深いから地図でも東京の右側に
あるような感覚がある。実際は左上で驚いた子供の頃。
多分、東北や関東の人が九州を語るのもこういうレベル
だと思う。
北海道の人に旭川と稚内を同列に語るような感じかな。
殷っていつの時代だと思ってんだよ
邪馬台国があったとされる時代より1000年以上前だぞ
九州説の老人は年表も地図も見れないのか
九州説の人間は
九州のどこが代表なのか
さっさと統一して発言してくれ
畿内の代表は纏向遺跡だ。九州はどこだ、吉野ヶ里なら吉野ヶ里でいいから早く一か所に決めてほしい。
>>732 聞くが、畿内説は纒向&箸墓で固定してんのか?
一部ではそれは纒向説だという畿内説もいたがどつなんだよ?
毎日
他に弥生遺跡も無いからしゃーないんやろうけどよ?
九州説の数だけ存在すんじゃね?
ボクの邪馬台国だし
ボクの素直読み
ボクの短里
ボクのシリーズ
>>732 魏志倭人伝を読めば分かるが伊都国が卑弥呼の都だよ。
>>731 それからさらに1800年もたってるのにいまだに亀卜やってんだぞ
>>697 個人的には系統だから縄文系っていうのも疑問符なんだけどね‥‥
これ俺以外に、自然人類学に詳しい人も似たようなの呟いてるんだけど
篠田さん達はmtDNAだと良いんだけど、Y染色体だと情報アップデートされてなかったりであまり明るいとは思えないんよね
子孫と自称したとされる呉の太伯も1000年以上前の人だけどな
よくそんな古い中国の歴史を知っていたなと感心する。
>>729 あれは根拠に出来ないよ
そもそもあなたの読み方が間違ってる可能性がある
>>738 結果がヤバすぎて情報出せないんじゃないか
Yハプロの情報をなぜか出さない。
九州説は 筑紫平野の麓 山門(やまと)に女王国があったとは
日本書紀にも記述がある ただし記紀の年表記は 問題があるが
>>697 古墳時代に現代日本人が日本列島に拡散は衝撃的な話ですね。
>>740 史記や竹書紀年があったからね
てか倭って必ずしも今の日本列島を限定して指してるてわけでもないんだけどね
一か所に10,000人も住んでいるだけでウザいぞ
俺なら、新天地を求めて一日で50q程度楽々歩ける
10人も仲間が居れば,僅か500q歩くなんて楽しくて仕方ない。
>>742 いたそもそもあれはD系だけで縄文人だって言ってるわけで
でも縄文人で分かってるのは現代人に多いD1b1でなくてD1b2aの祖型なのね
で、D1b1とD1b2は今から2万年以上前に分かれたもの
だから渡来系弥生人にD1b1がかなり多かったんじゃないの?ていうね
>>734 鍵唐古なんて巻向のすく近所だぞw
しかもその周辺から橿原や桜井にかけて弥生遺跡なんて隣接してるのだが。
発端が三国志 魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝 「倭人条」だもんね。
倭国伝ならまだわかるけども。
要は倭人が住んでた所を倭と言ってただけで。
>>747 いやあれは核DNA全体の縄文と渡来比率だと思うが
男だけのグラフじゃないし
核DNA全体でみると日本人は縄文人と中国人のちょうど半分まじりあったような遺伝子だが、弥生人はほぼ縄文人
一番渡来人比率が多い人でも現代人と同じ程度
纒向HPでは、西の北部九州遺跡群に対し邪馬台国の東の有力候補地ってな一文だけで
全般的に邪馬台国推ししてないけど、吉野ヶ里HPはかなり攻めてるよねw
吉野ヶ里の全盛期3C頃で5400人位の集落だったとか。
>>747 縄文土器は半島南部でも出てるから、日本列島から移住した縄文人もいただろう
その子孫が数百年後に、渡来人として日本列島にやってきたことも十分考えられる
Y染色体ハプロがD系統だけど、mtDNAハプロは大陸と同じ渡来系の人が存在したと思う
Y染色体はもう少しサンプル数が欲しい
>>732 八女:「また吉野ヶ里がやられたようだな」
御井:「フフフ、奴は北部九州説の中でも最弱」
宇佐:「纏向ごときに負けるとは傍国の面汚しよ」
>>735 九州の人間ではないが、関西の人間
消去法で真っ先に奈良が消えた。
>>742 あり得るな。
>>748 坪井か?ショボい。
ぃまだ唐古鍵がトップだろ。
3箇所って話にならんぞ。
発表できないということでだいたい予想はつくけどな
従来の常識と逆の結果なので中韓に配慮して結果を公表できないって感じなんだろうなあ。
DNAウンチク言うとるやつは自分のDNA見てみろ。
間違いなく韓国人やから。
のっぺり顔の乾燥耳垢で薄毛のハゲやろ?
>>754 伊都「まぁまぁ御三方、吉野ヶ里をそう攻めるな」
西都原「奴は新参すぎたのよ」
>>758 のっぱりだけど、それ以外は、当てはまらない
混血かな?
>>754 本命 御井の祇園山古墳。オッズ2.0
八女、宇佐 4.0、吉野ヶ里 12
四国・山陰・山陽 20〜40
近畿勢40〜万馬券
>>667 そう。
違いすぎるのは、魏志倭人伝が事実と異なるからだ。
事実より史書を優先してたら、真実なんていつまで経っても辿り着かんよ。
何度でも書くが魏志倭人伝は間違いだらけだから鵜呑みにしてはいけない。
>>758 薄毛のハゲってハゲじゃないのかよ
ハゲで思い出したが、女王国って男少なすぎじゃね
普通4−5人、下人でも2−3人女囲ってるって、男女比率おかしい
敵の男皆殺しで女さらったとしても、その後生まれてくるだろ身内の男
>>760 俺は髪が直毛な以外縄文式だわ。
祇園山は集団墓地の中にあるが、それらは卑弥呼の死後に起きた内乱での死者の墓なのかな?
そうだとしたら確率は高いな。
>>750 SNP解析とかはある程度保存状態悪くても、出来るけど
Y染色体などの一つの染色体に注目する場合は限られてくるのね
で、Y染色体を観察可能だったのが4体、うち3体がハプロDだったから縄文系というのがあの発表
ただD1b1は今のところ、縄文人では見つかってない
なのでD系統だからといって縄文系と断定するのは可笑しいという話ね
>>734 邪馬台国は女王国の都があった地名だから邪馬台国が動くということはない。
邪馬台=ヤマトだとしたら、三輪山の所で山処なんだろう。
邪馬台=ヤマタイなら、台は宮殿や城の意味があるから、三輪山の宮殿なんだろう。
古代から神の山である三輪山の前の遺跡である 纒向で間違いないと思う。
>>761 んじゃ邪馬台国自体無かったんじゃん 卑弥呼も居ないし
倭人も居なけりゃ倭国も存在しない
ましてや日本なんて国も絵空事 めでたしめでたし
>>765 卑弥呼が女王となったのは2世紀。
そして魏略には邪馬台国は出てこない。
魏志編纂時に別の史料から追加されたとすれば、水行陸行は郡からの道程と考えられる。
つまり、邪馬台国は半島南部を指す可能性は十分にある。
纒向?
蛙の食って桃は食わない道教の施設だろ?
鬼道とは無縁だ。
宗派が違う。
>>763 初めは、墓じたいは、倭人伝のような規模大きかった。
殉教者も埋めた。その後の内乱で死者も多数
それで、崩して集団墓地になったかも?
記紀以前の書簡や魏・晋の印が出てくればいいけどね。
宇佐はトヨと思っている。
俺は、「短里を導入しなくても九州説は成立する」という立場だがそこはそれ。
>>384,
>>399 「三百歩の縛り」の方が案外脆いものかも知れんぞ。
中世の日本ではそういう例の「短里」が存在した。
天正年間の伝馬の駄賃が駿河西部を境に西では6銭、西では1銭だった
ことから検証を重ねた結果、西国では1里=36町、東国では1里=6町だった
ことが証明されたんだと(相田二郎「中世の関所」1943)。
こういう例があるから里程のローカルルールがあった可能性は否定できないし、
そのローカルルールの中の人間は注釈無しに同じ「里」という言葉を使うから、
外部の人間には気づかれないというのもわかる。
ただしこういう場合、普通の里と短里との比は単純な整数になってなきゃウソだよね。
>>762 だから半年に1回もの頻繁に何しに行ってるのか意味不明の新羅攻めをやってたんじゃないのかね
延々やってたんじゃないのかね
>>608 それに巻向遺跡の直ぐ西、大和川を
数キロ西に行けば鍵唐古遺跡だしな。
しかもその西はモモソ姫の生誕地とされる保津、宮古遺跡と弥生集落が連続している。
そういう地理的感覚が全く抜けてるのが九州説論者なんだよ。
>>767 卑弥呼の世に道教なんて観念はそもそもないわw
>>771 ゴールはココ
・〜2世紀 : 唐古鍵遺跡
・(〜3世紀末:邪馬台国消滅)
・〜4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末〜:↓奈良・高取
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html 邪馬台国のゴールはココ
邪 馬 台 国 へ よ う こ そ
■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
https://imgur.com/bmslFbs ■アクセス
伊都国の南 徒歩すぐ
>>767 対岸を狗邪韓国これは伽耶だと思うが、そこから対馬を経て伊都まで来て都が半島にあるはずがない。
>>105 あんだけ馬鹿にしてた研究家を引用するとはいいったい‥‥
そりゃもう日本人は蓬莱とか持ち上げられてホルホルしてしまうわなあ
>>776 神仙思想自体は古来からのものだからな、
だが道教なんて極めて雑多な物で時代によっての解釈も事なる。
弥生末期では道教はまだまだ初期段階だよ、
鬼道なんてのも、もしかしたら景教みたいなのかもしれないし、俺はインドからのヤマ教みたいなモノだろうと思ってるけどな。
>>775 半島南部の邪馬台国の女王が統治した北部九州を女王国という。
という意味だ。
>>773 最後の一文
遺構はすでに埋め戻されていおり、、、
証拠隠蔽工作かよ。
そもそも三輪山の主、大物主は海を渡ってきた
と書いてあるだろ。
しかもクンピーラ、インドだぞw
ヤマとは本来は山の意味じゃない、天に近い場所をヤマと言うんだよ。ヤマは後の閻魔でもあるからな。
それが高い場所の意味になるから勘違いしてる奴が多い。
>>766 そういう可能性もあるが、すべてがでっち上げだとすると誰が何のために?という問題が残る。
>>779 卑弥呼の鬼道は半島式だろ。
熊本で鬼道やってた巫女と見られる遺骨が発見されたわな?
変形頭蓋骨の。
>>783 取り合えずコピペしまくって仕事はしたんだから無問題じゃん
他国のことなんだから真実だろうが捏造だろうが
当時の人間にはどうでもいいことだ
つまり何の問題も無い これで邪馬台国論争も無くなって晴れて大団円
>>782 金毘羅と聞いて、アップを始めようか無視しようか迷う阿波説w
>>785 陳寿は金にならんことはしないやつだし誰がやらせた?
>>787 コピペと寄せ集めと想像で正史でございだぜ?
どんだけコスパの良い仕事なんだろ
>>784 変形頭蓋骨の巫女は弥生中期だし、そもそも卑弥呼像にそんな記述が倭人伝にはない。
>>786 女王国自体は瀬戸内海だろう、モモソが神格化されている場所だし。
>>789 鬼道が九州に上陸してるのは事実。
その巫女の末裔が卑弥呼の可能性もあるだろ。
>>791 それは別に否定はしないよ、だが三世紀末の卑弥呼像ならモモソが間違いなく一番近い。
瀬戸内海から出雲、紀伊半島まで伝承が残っているんだからな。
>>794 ワロタ。否定されちゃったものが他人に証明足りないって難癖つけてんのかw
>>787 こらこら糞食って死んどけよ近畿パーww
>>791 変形頭蓋骨や卑弥呼の「事鬼道 能惑衆」なんかは、シャーマニズムっぽい気がする。
一方の道教は、その源流の神仙思想は明瞭にアニミズムなんだよなあ。
女王国は玉名から阿蘇カルデラにかけてだよ。
魏志の北部要所国以外に記述される九州内の国は
過去の地名と合わせると志摩から反時計回りに南下してるのが分かる。
これはそのまま邪馬台の拡張方向が温暖な有明から南下しているのは明らかで一年を通し温暖なオンドルなど必要ない魏志の記述がそのまま当てはまる
狗奴国は多良木辺りだよ。
>>670 可能。
それから女王の領域は筑紫平野+山陰。
>>797 しかし卑弥呼が変形頭蓋骨だったらちょっと幻滅してしまう。。。
>>373 こらこら猿。
>>324 魏志倭人伝では伊都国の紹介のあとすぐに全ての郡の使いがここに駐留すると明確に書いてある。
駐留するのなら、それ以降を放射読みするのは
あったりまえ。
>>373 猿
>・裸國・黒歯國はハワイ←(※NEW)
これは正しいぞ。
東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイへ漂着している。
陳寿は天才だ。
侏儒国とは高知西部の幡多のことであり、
ワダツミとは「幡多つ宇美」のことで、宿毛湾のこと。
因みに宇美は海の語源で、元々は博多湾のこと。
宿毛湾には小筑紫と言う地名もある。
侏儒とはスクナビコナのことであり、これは恐らく海流にのって漂着したポリネシア人。
足摺岬は日本で唯一黒潮が直接接岸する場所。
また古代の灯台である唐人駄馬遺跡もある。
東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイへ漂着している。
裸国、黒歯国とはハワイのこと。
俺が思うに半島南部にいた卑弥呼を女王に立てたがゆえに、熊本の狗奴国は
地元の巫女を採用し、分裂したのではないかと。
>>782 ヤが神の意味だとして
マは間?空間という意味かな
つまりはヤマ=神の住まう領域
なんとなく辻褄は合うねw
倭國之極南界也光武賜以印綬
これは過去の読みは誤り。
倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜る。
と読む。
(極南界など意味を成して無い)
奴国の人間がポリネシア人であるスクナビコナの助けを借りて、ハワイまで行って戻った。
この壮挙に対して金印が贈られた。
この当時、ハワイへ行って戻って来るなど月旅行くらいの壮挙だから。
倭人が中国人の憧れの地である扶桑の国へ行って戻って来た。
この大壮挙に対して金印が贈られたわけだ。
また、なぜ宿毛湾に小筑紫と言う地名があるのかも分かるだろう。
スクナビコナはタカミムスビ(またはカミムスビ)の子供とされている。
多分、これらは奴国王だろう。
(もしかしたら帥升かも知れない。)
倭國之極南界也光武賜以印綬
これは過去の読みは誤り。
倭国の南界を極めるや、光武印綬を以って賜る。
と読む。
(極南界など意味を成して無い)
奴国の人間がポリネシア人であるスクナビコナの助けを借りて、ハワイまで行って戻った。
この壮挙に対して金印が贈られた。
この当時、ハワイへ行って戻って来るなど月旅行くらいの壮挙だから。
倭人が中国人の憧れの地である扶桑の国へ行って戻って来た。
この大壮挙に対して金印が贈られたわけだ。
また、なぜ宿毛湾に小筑紫と言う地名があるのかも分かるだろう。
スクナビコナはタカミムスビ(またはカミムスビ)の子供とされている。
多分、これらは奴国王だろう。
(もしかしたら帥升かも知れない。)
邪馬台なんて字を充てられた時点で既に山の意味ではないw
ヤマとは閻魔だよ、閻魔は元々は神だ。
神に近い場所がヤマ。
だから奈良は盆地なのにヤマト。要するに人が裁かれる場所の意味だから。まだ勘違いしてる奴が多すぎだな。
だから権力者は奈良盆地に古墳を作りたがるようになるんだよ、死んで天に行きたいからな。
神仙思想とも被ってゆく。
>>2 安本美典は修羅の国福岡のルーツである岡山の出身。
岡山と福岡は朝鮮半島の影響が色濃い。
名前・岡山出身・福岡贔屓などからほぼ在日朝鮮人。
気象庁のホームページより
この海流をポリネシア人であるスクナビコナは知っていたと言うこと。
だから海神なわけな。
足摺岬から黒潮に乗ってハワイ=扶桑のある国へ行き、さらに北赤道海流に乗って足摺岬まで戻って来た。
この大航海に対して、光武が金印を授けたわけな。
さて、では扶桑とは何か?
無論答えは出るわけが無い。
しかし非常に面白い仮説なら提示出来る。
それは扶桑はハラフルーツでは無いか?と言う仮説。
ハラフルーツ
http://labaq.com/archives/51781217.html かも知れない。
桑の実とハラフルーツの実は似ており、
ハラフルーツは太平洋諸島や東部オーストラリアが原産なので中国人には珍しかったろう。
また扶桑の扶は広がって大きいと言う意味がある。
扶桑とは桑の実を大きくしたような実を持つ木と言う意味かも知れない。
ならハラフルーツは扶桑の重要候補になり得る。
黒歯とは黒い歯では無く、暗い歯の意味。
ハワイの原住民は前歯を折る奇習があった。
子供が死んだ母親が悲しみのあまり気が触れることがある。
その気付けとして前歯を折った。
多分そんなこと。
これがお歯黒の風習となった。
魏志倭人伝
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。
いずれも倭人である。
その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。
また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。
倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連 結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
ハワイは、地球上で最も大陸から離れた場所。
またハワイ島の周囲が、実に短里でちょうど五千里くらい。
裸国も黒歯国もハワイ島の上。
ハワイには溶岩で暖かい海がある。これが湯谷。
ゲツヨウインテイ山とはハワイの火山のこと。
ハラフルーツ=扶桑の実が太陽の子供見たいに見えたんだろう。
中国人にも日本人にもハラフルーツはショッキングな植物だっただろうから。
一年かけてようやっとたどり着いた絶海の孤島の島にあんな植物があったら、神話の植物になり得るだろう。
クナ国=熊野国だよな、発音から言ってどう考えても。
邪馬台は阿蘇山を御神体にしてんだよ。
侏儒とか裸国は種子島と屋久島な
南国で服がいらない
侏儒国=高知西部の幡多
裸国、黒歯国=ハワイ
これはまず間違い無いよ。
問題は扶桑が何か?
ハラフルーツは全く仮説に過ぎ無いが、オレは自信ある。
多分正しいはず。
浦島太郎の元ネタの浦島子は多分幡多の人間で、
常世へ行ったとあるが、これが多分ハワイのことだろう。
>>814 奥山くん、ネトウヨなのは知ってるがここでのヘイトスピーチはやめたまへ
>>806 狗奴国はやはり熊本だね。
よって邪馬台国は熊本の北ということ。
スクナビコナは、
天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、
波の彼方より来訪し、
神産巣日神の命によって義兄弟の関係となった
ガガイモの実
http://manekineko44.blogspot.com/2011/10/blog-post_22.html?m=1 無論、ポリネシア人が使っていた丸木舟のことだろう。
波の彼方から来訪と言うのが、海流に乗って足摺岬へ流れついたと言うこと。
唐人駄馬遺跡はこれを記念して作られたものなのかも知れない。
カミムスビの神が多分奴国王。
また、国づくりを手伝ったあと常世へ帰って行ったとあるが、つまり故郷のポリネシアのどこかの島へ帰ったと言うこと。
卑弥呼の鬼道とは
■魏志倭人伝、晋書倭人条
「骨を焼いて占う」
■隋書倭国伝
「筮竹を使って占う」
■畿内説
桃をお供え物として穴に埋め、
カエルをかじって占います。
畿内説の根拠は妄想です。
まあ女王国はかつて京都と呼ばれた行橋。
景行天皇なんて近畿の朝鮮人が考えた妄想だし
五王の時代はこの辺りが中心になった
>>792 つまりデタラメだなw
水行10日では帯方郡から九州まで物理的にたどり着けない
水行の起点を帯方郡とするのは九州に決まっているという結論決め打ち前提のインチキ読みにすぎない
>>800 九州の山門には遺跡もないし3世紀には山門郡の半分は海の底
ただの地名の語呂合わせ以上のものではない
>>838 奥山くん、もう無理だよお前w
纏向センター解雇決定だw
>>839 そりゃ単なる発祥の地だから。
卑弥呼の時代は御井だよ。
祇園山古墳が卑弥呼の墓。
>>835とか
魏志東夷伝ではいくつかの国で「鬼道」とか「鬼神」という単語が出てくるけど、
弁辰の条では「ここの鬼神の祀り方は他のところと違う」という記述が見られる。
この書き方から考えると、陳寿が考えていた鬼道は、五斗米道や太平道などという
特定の宗教を指した言葉ではないんだよね。
つまり、こういうことだろう
高天原 → 伊勢湾
葦原中国 → 大和
根の国 → 熊野
>>803 駐の字の読み方がおかしいんだよ
常所駐を勝手に並べ替えて常駐するところるんだろう
「常に」は「ずっと」ではなく、「いつも必ず」という意味
一大率の臨津搜露に対応しないといけないから、伊都国には必ず立ち寄るという意味だ
>>843 地域性があるのかな?
そういえば先日、天皇は亀卜?で占ってたね。
亀の甲羅を使ったと言ってた。
ということは天皇家は卑弥呼と関係ないということだね。
卑弥呼は「骨卜」、天皇家は「亀卜」。
よって邪馬台国 ≠ ヤマト王権。
奥山氏は、魏志倭人伝時代についての討論会での討論で、邪馬台国畿内説が破綻したことを気付いているのだが、なぜか、邪馬台国畿内説を宣伝し続けるね。。。
邪馬台国は半島南から九州半分位。一大率があったのが半島南、卑弥呼が政務を執ってたのが伊都国、出身が邪馬壱国。
そもそも三国志の東夷伝を史料として扱えると思ってる奴は
絶対に三国志を通読していない
本国の記事でさえ諸説紛々で錯綜してるのに
>>848 いや神武と卑弥呼は遠い血縁関係のはず。
>>848 鹿は北方、亀は南方の雰囲気があるけど、やってることは同じだしなあ…。
どうなんじゃろ。
東征や東遷がウソだと言うだけ。
神武は実在。
神武まで捏造するなら、そもそも九州から引っ張って来ない。
神武は実在だが、東征したのでは無く近畿日本に呼ばれて頭に据えてもらった雇われ店長。
記紀にある神武東征は、単なる旅行譚からの創作。
同様に、天孫降臨も神武の血を飾るための創作。
卑弥呼は白山ヒメと関係あるかもな
亀と瓜
胡瓜が大好物なのは河童
蜻蛉日記にはアマテラスは河辺に住む河伯とある
河伯は黄河の神、黄河文明の流れを引くのかな
崇神の代に創建されたと言われている白山比め神社
その神紋は三子持亀甲瓜花
亀甲が三重になっているが
三子持が気になる
崇神の前は、卑弥呼、男王、台与
饒速日と神武は同格のはずなのに、饒速日は自分の部下を斬り殺してまで神武の「軍門」に降る。
そして理由が全く書いて無い。
これは従来の説では説明不能。
神武雇われ店長説では簡単に自然な説明が可能。
軍門に降ったと言うことにしないと、
神武を征服者に出来ないし、
かつ同格と言うことにしないと近畿側が単なる敗北者で奴隷と言うことになってしまうから。
また創作なんだから理由が書けるわけが無いwww
こういうことね。
掘って
掘って
考古学の通説を覆した男
私には50万年前の地形が見える
>>824 KUNAとKUMAは子音が違うから手放しに同じだとは考えられない
国と組を同じだとは考えないだろ?
九州説の主張
・註釈なしに放射読み 。
・註釈なしに短里 。
・註釈なしに水行陸行は帯方郡起点 。
・投馬国は朝鮮半島に存在。
・2C中ばの日本人口は約60万人。
そして3Cの九州だけで100万人以上に人口大爆発。
・奴国、投馬国、邪馬台国、狗奴国は全て九州に入るが、人口が足りない分の戸数は全て「倉庫」。
・末盧国は松浦ではなく呼子。
その後魏使様たちは山中をレンジャー部隊のように12〜16時間強行軍。
理由は伊都国(糸島市)まで何としても陸行一日で行かなければならないから。
・魏国の度量衡では1歩は左右合わせた長さで、1歩=6尺。
他方、径100余歩の卑弥呼の墓を10数mクラスの墳丘墓に比定。
なので1歩は10数センチと言うガンプラ並みの長さ。1尺は2〜3センチ≒1寸。
・倭の五王も九州人。古墳だけ川内まで造りに行った。
・裸國・黒歯國はハワイ←(※NEW)
>>841 それがデタラメだってこと
日本では同じことを何度も大声で言ったからってそれが真実にも現実にもならないんだよ
近畿説は狗邪韓国まで7000里どうすんだ?なかったことにすんのか?
>>868 また近畿パーの必殺自己紹介ビーム炸裂ですか。
頂きました。
近畿は無い。魏史倭人の風俗でジサイが奈良周辺から直接中国はこの時代行かない。半島南〜九州西岸の倭人の風俗。一万二千里は郡〜邪馬台国の境界果てまで邪馬台国の大きさは、一万二千里−7500里あと海。
>>867 君たち九州説の主張を、分かりやすくまとめてあげたのだけど?
他にも主張があったら、追加するにはやぶさかではないですよ。
>>816 裸国、黒歯国は侏儒国(高知西部の幡多)から舟で一年で、東南にある。
ピッタシ。
>>842 発祥の地なら、なぜその地名がより大きな範囲に使われるようになってないんだ?
大和は大和盆地内の小地名から令制国の大和国、ひいては日本全体を示すようになっているし
筑紫も筑紫野市の大字から筑紫国、九州全体を指すようになっている
出雲もそう
では九州の山門は?となったときに、結局山門は九州の中でも中心になったことがないと知れる訳だ
近畿パーの必殺自己紹介ビームが凄まじい威力を発揮中です。
みんなの憧れ近畿パー。
頑張れ僕らの近畿パー。
>>876 何言ってるかまるでイミフだわw
近畿の大和は山門から来てるんだよクソボケ
>>865 キナイコシ=奥山
どうしてIDコロコロ変えるのは?
たった一人の畿内説が寂しいの?
九州説の主張
・註釈なしに放射読み 。
・註釈なしに短里 。
・註釈なしに水行陸行は帯方郡起点 。
・投馬国は朝鮮半島に存在。
・魏使様たちは中国製の大型帆船からわざわざ倭船のハニワ船に乗り換え、シラミだらけで悪臭を放つ持衰と一緒に対馬海峡を渡る。
・2C中ばの日本人口は約60万人。
そして3Cの九州だけで100万人以上に人口大爆発。
・奴国、投馬国、邪馬台国、狗奴国は全て九州に入るが、人口が足りない分の戸数は全て「倉庫」。
・末盧国は松浦ではなく呼子。
その後魏使様たちは山中をレンジャー部隊のように12〜16時間強行軍。
理由は伊都国(糸島市)まで何としても陸行一日で行かなければならないから。
・魏国の度量衡では1歩は左右合わせた長さで、1歩=6尺。
他方、径100余歩の卑弥呼の墓を10数mクラスの墳丘墓に比定。
なので1歩は10数センチと言うガンプラ並みの長さ。1尺は2〜3センチ≒1寸。
・倭の五王も九州人。古墳だけ川内まで造りに行った。
・裸國・黒歯國はハワイ←(※NEW)
カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは神で王朝の始祖と言う意味。井沢の説で良い。
ヤマトは山門
イワレは謂れ
ヒコは王
神武は近畿がヤマトと呼ばれるようになった謂れとなる王であり、王朝の始祖であると言う意味。
つまり、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。
>>852 だから半島に倭人がいたとしてもそこは倭国じゃないし投馬国も半島にはない
倭人伝が「倭人、在帶方東南大海之中。依山島爲國邑。」から始まるのを無視するなって
古墳の形式について
■魏志
・韓伝,夫余伝:「槨あって棺なし」
・高句麗伝:「石を積みて封となす」
・東沃沮伝:「大木の槨を作る、長さ十余丈」
・倭人伝:「棺あって槨なし。」←卑弥呼の墓
■畿内説が卑弥呼の墓と言い張る
・箸墓古墳(前方後円墳)の形式は
「棺あって槨あり」
・ホケノ山古墳は
「木槨あり木棺あり」
■隋書
・倭国伝:「棺あり槨あり」←前方後円墳
<考古学参考書より>
横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に
大きく分けられる。
■「九州型」は
4世紀末頃から福岡・佐賀県沿岸部を中心に
前方後円墳の埋葬施設として築造され、その後
5世紀には九州各地へ拡がっていく。
普及する過程で「肥後型(熊本県)」や
「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、
地域色がみられるようになる。
九州外へもわずかに拡散するが、肥後型石室の
構造をよく残しているのは岡山市の千足古墳である。
■「畿内型」は
5世紀終わり頃に出現するが
6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。
近畿パーはもうただ発狂するだけになったな
自己紹介ビームすら使え無くなった近畿パー
どうする近畿パー
世界が君を待っているのに
畿内の前方後円墳の様式も九州の影響を受けてるんだなw
>>886 お前もそろそろ頭から生えたチン毛が脳髄まで達しそうな勢いだな。
>>870 宇宙戦艦ヤマト 往復29万6千光年の軌跡を見てみよう。
第2話 地球を出発
第10話 太陽系脱出(0.00005光年)
第20話 バラン星(7万4千光年の中間地点)
第25話 イスカンダル星(14万8千光年の折り返し地点)
第26話 地球に帰還
まあこんなもんだw
>>885 突っ込まれてしまった…orz
>>870 何度も説明してるんだがな
九州上陸まで一万里っていう設定が先にあって、渡海も1回当たり一律で千里と設定されている
渡海千里が対馬海峡で3回あるから10000−1000×3=7000という単純計算だよ
一万里は倭国が遠絶の地にあると表現するために、
漢土方萬里、万里の長城と同じ萬里に設定されている
邪馬台国の官、伊支馬、イキマ
生駒、イコマ、火の神
島根の生馬神
伊熊、猪熊、生目など、i.K.Mの地名人名は何やろな
酒呑童子の部下にも寅熊童子がいる
寅はイン、i.K.M
熊KMとイン
亀KMと瓜
インは殷かもな 黄河文明
熊とか亀とかは何やろな
邪 馬 台 国 は ど こ ?
アンケート結果(重複投票不可)
1位は九州説で54.4%
2位は近畿説で35.7%(≠奈良説)
その他が9.9%
https://imgur.com/UNP7rJ5 これが現実です。
>>888 涙拭けよ否定証明完了済みの近畿パーwwwww
>>888 邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
>>874 裸國、黒歯国は、倭国が記載されていない山海経、呂氏春秋、淮南子に
書かれている由緒ある伝説の国
実在の国じゃないんだよ
その程度のことも知らず分からず知ったかぶりをしているのはみっともないよ
頑張れ僕らの近畿パー
脳みそチン毛でも近畿パーは近畿パーだ気にするな!
よく読め?昔は楽浪から海中までが倭人百余国でしたが今は30国余りになりましね、今も倭人国は帯方東南楽浪から半島東南にはあるんだよ、帯方から海岸沿いを行くと韓人国と邪馬台国の北の境界に着きましただよ、で検察をここで受けていざ初めて海を渡るだよ。
>>816 東日本大震災の震災瓦礫が丁度一年でハワイに漂着している。
裸国、黒歯国は侏儒国(高知西部の幡多)から舟で一年で、東南にある。
ピッタシ。
>>870 畿内説にとっては距離とか方角とか大したことない。
畿内説に必要なのは、どんな嘘をついても心が痛まないサイコパス性だよ。
キナイコシのような人格破綻者にピッタリな
カルト宗教。
>>895 史料なき学問は、妄想学ですw
畿内説× → 畿内悦〇
>>900 近畿パーは学問されるほう。
精神病理学の。
黄河文明の邪馬台国vs長江文明の狗奴国
縄文系はどちらにもいたやろな
>>878 >近畿の大和は山門から来てるんだよクソボケ
その証拠は?
安本美典氏の邪馬台国の会は畿内の地名は九州の地名が写されたものだと主張していて
甘木朝倉からの地名の配置と大和から見た地名の配置が同じだと言っているが、
肝心の大和が甘木朝倉にはない
甘木朝倉と山門は遠く離れていて無縁だな
>>900 九州説は魏志倭人伝の解釈の仕方がすべてで何も出てこないから
方形周溝墓も見落とさているが面白いぞ。
東アジアでも珍しい墓制らしく、「朝鮮半島南西部に著しく集中」し、
その後列島に向かって広がった痕跡があるが、当時列島で流行していたのは
甕棺式で、こちらは列島のみならず大陸でも多数見られる様式だとか。
方形周溝墓の集団は、だから、北部九州にはほとんど根付かないで、ほぼ一世代で
近畿地方にまで到達して土着、そこで前方後円墳の祖型が出来上がったんだと。
頑張れ僕らの近畿パー!!!
真実なんかに負けるなっ!
巫女さんたち
「卑弥呼様の埋葬は、身内だけでひっそりとやりましょうね」
「お墓は、10数メートルの小山で十分よ」
「若い人10人で、10日くらいで造ってもらいましょう」
‥後の平原遺跡である。
>>911 そいつ畿内説宣伝係だから全て脳内妄想だよw
スルーでOK
>>870 それ短里なんてありえないことを行程から証明してる例だろ
>>881 その論だと倭迹速神浅茅原目妙姫はどう説明するのかな?
>>912 でも、裸國・黒歯國はハワイなんでしょう?
>>915
つまりこういうことでいいの?
>>870 その理屈を立てたら九州説なんて絶対ないんじゃないの?
欠史8代、纏向、東征、銅鐸の消滅、このあたりの様子って無茶苦茶気になるよね。
大和朝廷はそもそも東海地方勢力が設立して崇神天皇はそこの王、そこから各地に進出を始める。
だけど王位継承を巡るゴタゴタに突っ込まれて九州から流れてきた一団に王位を簒奪された。これが現在の天皇家。
こうなるのかなぁ?
この推理だったら神功、応神、仁徳天皇あたりが怪しい?
三重県の関のあたりに遺跡が出たけど調査費用なくて雨ざらしだったな
まだ雨ざらしなんだろうか、勿体ない
>>920 長里だと奈良すっとばして浜松とかあるいは長野とか新潟とかその辺まで行ってしまう
神功皇后は和泉から三韓征伐の為に九州に出立しているんだが
応神が生まれて喜んだのはスクナヒコナ
国作りをした、芦原中津國の在地の人々が盛り返したんじゃないか?
九州説の主張
・註釈なしに放射読み 。
・註釈なしに短里 。
・註釈なしに水行陸行は帯方郡起点 。
・投馬国は朝鮮半島に存在。 後の任那である。
・魏使様たちは中国製の大型帆船からわざわざ倭船のハニワ船に乗り換え、シラミだらけで悪臭を放つ持衰と一緒に対馬海峡を渡る。
・2C中ばの日本人口は約60万人。
そして3Cの九州だけで100万人以上に人口大爆発。
・奴国、投馬国、邪馬台国、狗奴国は全て九州に入るが、人口が足りない分の戸数は全て「倉庫」。
・末盧国は松浦ではなく呼子。
その後魏使様たちは山中をレンジャー部隊のように12〜16時間強行軍。
理由は伊都国(糸島市)まで何としても陸行一日で行かなければならないから。
・魏国の度量衡では1歩は左右合わせた長さで、1歩=6尺。
他方、径100余歩の卑弥呼の墓を10数mクラスの墳丘墓に比定。
なので1歩は10数センチと言うガンプラ並みの長さ。1尺は2〜3センチ≒1寸。
・倭の五王も九州人。古墳だけ川内まで造りに行った。
・裸國・黒歯國はハワイ←(※NEW)
近畿説だと方角も距離も完全無視しないと到着しない
ちなみに水行十日、二十日、陸行一月も無視しないと奈良に到着しない
>>894 >これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
それでいいよ
畿内説でも軍事的に制圧していたなどと主張する人はいない
卑弥呼の共立はヒメ王、祭祀王の統一であり、兵を動員するような世俗権力は
各地のヒコ王がそのまま担い、のちの豪族になっていく
卑弥呼が統一祭祀王として共立されたため、共立に参加した首長の支配地域では
共通の祭祀供献土器=庄内式、布留式土器と前方後円墳が導入される
九州説では説明できないことばかり
>>920 あるわい!
上古の人々にとって世界は大きかったのじゃ(フラクタル的な意味で)。
>>913 あ、使ってた鏡は割ってね
台与様は新しいのにしなくっちゃ
あと、祇園山古墳を卑弥呼の墓に推す人がいるけれど、
祇園山古墳は段築・葺き石を伴う古墳時代の古墳
段築も葺き石も、九州の伝統的な墓制には存在しない要素であり、
他所からの移入文化であるのは明白
>>927 全くその通りですね。
大変ですが今後もよろしくお願いします
。
畿内説は、
すべて仮説の先にまた仮説を積み重ねて構築した
「ウリナラファンタジー」です。
仮説1)魏志倭人伝で至南邪馬台国の「南」は「東」の間違いである
裏付け)なし。
仮説1-2)投馬はズマと読み出雲国の事である
裏付け)なし。
仮説1-3)若狭湾で上陸し、陸行一月で纏向に至る
裏付け)なし。一月も歩けば串本に至る
仮説1-4)祭祀で桃とカエルを用いた
裏付け)なし。卑弥呼は骨を焼いて占ったと記述されている
仮説1-5)女王国南の敵国「狗奴国」は熊野である
裏付け)なし。熊野は串本より北である
裴世清は筑紫から難波まで二か月かかってる
海岸沿いに手漕ぎ舟で雨風避けつつ休みつつ三十日ほど水行し
けものみちを藪こきしながら陸行一月ほどしたって奈良には到着しない
>>898 「楽浪から海中までが」
これの根拠は?
大陸の記録の原典原文で示しておくれ
>>934 奥山くん、ばれてるんだからいちいち自演すなw
>>880 何回も下らないコピペ貼るなよなw
>>883 東夷伝の倭国条じゃなくて倭人条だからな。
>>890 漢土方萬里の出展は?
東夷伝以外にも短里が三国史記にも使われてるのは何故?
欠史8代って要は
初代の神武以降10代の崇神天皇まで
話のネタなるような事績ないせいで
口伝で伝えようよにも
妻と子供の名前以外伝えようがなかったて
だけの可能性が・・・
記紀神話を謡曲のメモ帳と見ると
宴会で盛り上げるネタが詳細で
地味なのカットされ気味
>>888 邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
>>936 うむ。
上古はそんなもんなのだ。
ホメロスの「オデュッセイア」は10年に及ぶ壮大な放浪の叙事詩だが、
その舞台であるエーゲ海は日本海よりも小さいのだ。
>>909 え?当然じゃん 邪馬台国って魏志倭人伝にしか出てこない(後世は除く)
んだからそれ読み解くしかないじゃん
畿内の人はおかしなこと言うんやな 不思議だ
>>930 でも、裸國・黒歯國はハワイなんですよね?
そもそも倭人条の「邪馬台国」って記述を引用してるのに
そこ以外の倭人条を否定してる時点で成立しないんじゃないの?
もうそれって魏から見たら違う世界だよね。
魏の認識してる倭人ではない。
>>941 欠史八代は神武のタネが無能だったからだと思う。
記紀もさすがにそこまで捏造する気が無かっただけ。
大王崇神が現れたのは、母方の血が良かったからだと思う。
応神のところて血統が乱れているのは、
無能な神武系と有能だが傍系の崇神の母方との
確執が原因。
>>899 日本語が十分に読み書きできない人なんだな
日本人なら理解できるぞ
倭国のことを気にもしていない秦代の呂氏春秋や、大陸の妖怪や伝説伝承を記した山海経に
黒歯国、裸國が出てくる
それらをまとめた淮南子にも出てきていて、三国志魏志倭人伝の黒歯国、裸國の
直接のネタ元は淮南子
伝説の国だから、倭国上の実在の国と考えるのは間違い
>>936 当時と地形自体変わってるのは?
3世紀7世紀20世紀で
そもそも大阪湾の地形すら変わってるという・・・
3世紀の日本の地形再現してからじゃないと
無駄
で、近畿説は残り2000里どうすんの?
あと方角を90度捻じ曲げちゃうと、伊都国なんか海の上よ?どうすんのこれ
>>939 でも、呼子から糸島市まで何としても一日で踏破するため、
魏使様たちはぶっ続けで12〜16時間歩いたのですよね?九州説によれば。
>>936 >裴世清は筑紫から難波まで二か月かかってる
これソースは?
>>936 書紀の記述だと難波津まで詳細があるのに
隋書だと行った形跡がほぼ不明なのがすごいよね。
>>952 お偉いさんは倭人が輿で運んだんじゃないかな。
応神は武内宿禰の子供だろう。
そして武内宿禰は崇神の母方系の人間。
正統だが無能な神武系の仲哀を暗殺して、
崇神の母方系の血統に変えたわけな。
>>944 文献解釈が正しいかどうかを物証と突き合わせるんだよ
合わないなら、その解釈は間違っているということ
応神に神が着いているのはこれが理由。
井沢が言うように、神が付くのは王朝の始祖の意味。
3世紀の九州と畿内が無縁だったという事実。
■魏志韓伝より
國出鐵穢韓倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、穢、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。」
3世紀頃、鉄は貴重なものでお金として使えるほどだった。
その時代の畿内の遺跡からは鉄が出土しない。
ということは、
・畿内からは採りに行ってない
・九州に分けてもらえなかった(一大率は畿内を無視?)
北部九州と畿内の関係は希薄だったという事。
それは纏向で出土した土器の産地からも分かる。
■纏向遺跡出土の土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
>>949 つまり倭に行ったら山海経、呂氏春秋、淮南子に書かれてる伝説の国を見つけたと思ったんだな。
>>959 紀では半ば仲哀帝の子ではないことを仄めかしてるもんな。
隠しようのない公然の事実だったんじゃろ。
>>963 そのくらい神武は無能だったってことだよ。
神武は、いずれ自分の故郷の敵となるかも知れない近畿日本に寝返ったカス。
恐らく志村のバカ殿みたいな存在だったと思われ。
欠史八代は、神武のタネの無能ブリを表している。
古墳時代に現代日本人が日本列島全体に広がったとする核DNAの研究結果は
邪馬台国九州説と一致してるな。
畿内説はもう5chしかすることが無いのです。
ソース
読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
>>952 陳寿の間違いじゃないか?
もっとも、畿内説は方角も変える。
ウンコが目糞に文句いっているもんだ。
卑弥呼遺体解体され地方へ分散、町おこしに。
なる。
>>966 九州説はどこを見学したらいいですか?w
>>963 産気遅らせてるし、他の仲哀天皇の子供とガチ対決してますが
何か、みたいなw
レス拝見するに、ものすごく知識豊富の方と見るので。
宇佐八幡の創祀725年(宗像三女神が733年か)、香椎宮創建723年、書紀完成720年
この関係性にものすごい含みを感じるのだが、どう思われる?
神武は邪馬台国の時代より後
河内湾や河内湖が消滅し流れのある草香の江が出来た以後
つまり5世紀以後に東征をしているな
河内湾や河内湖では流れがなく難波の碕から白肩の津へは遡れない
古墳時代に現代日本人が日本列島に拡散した事実ともあってる。
>>961 でも、魏使様は大型帆船の中国船から、
わざわざ小型の倭船のハニワ船に乗り換えて、
シラミと垢まみれの持衰と一緒に対馬海峡を渡ったんですよね?
九州説によれば。
九州説によれば!
また、宇佐に応神と神功皇后と比売大神(トヨ)が祀られて
いるのも、
応神で血統が変わったことを誤魔化したかったからだろう。
神武はそもそもただの雇われ店長。
卑弥呼と遠い血縁関係にあっただろうが、あくまで傍系。
それより、純粋に近畿系の崇神の母方系に血統を変えたほうが
近畿日本としては都合がよい。
だから、記紀では仲哀暗殺を事実上是認している。
>>958 そう 考古学は歴史史料学を補うために存在するんだよ
なんの史料も無い畿内で何を突き合わせるんだよ
畿内は記紀の証明をがんばればいいだけ
>>971 魏使様は大型帆船の中国船で末盧国(呼子付近)に上陸し卑弥呼の都の伊都国まで陸上移動
小型の倭船なんて乗ってませんよ。
>>959 仲哀天皇が神託を無視したからバチが当たって亡くなったと対比して
男勝りの神功、八幡神の応神、名君主仁徳。
暴虐な武烈と後継者の継体。
このあたりも怪しいよな。王朝交代説も当然な内容。
>>965 そんな民族総取っ替えを想定するたら、渡来人100万人説程度じゃ全然足りないぞw
もっとトンデモを主張しないといかんな
>>969 知識なんぞありゃしませんがなw
さておき、
> 宇佐八幡の創祀725年(宗像三女神が733年か)、香椎宮創建723年、書紀完成720年
これは初めて知ったが面白いな。
たしか出雲大社創建もこのあたり(古事記と書紀の間あたり)だった気がする。
「正しい歴史」を力技で物証込みで創造したということか。
>>971 対馬、壱岐にその文化が色濃く残ってて後代でも
持衰的な役割の位があった。
>>976 で、その後は陸行一月ではなく、
陸行一日を守るため、「走れメロス」のように、
魏使様たちは12〜16時間ぶっ続けの強行軍をするんですよね?
九州説によれば。
九州説によれば!
>>968 九州よりご先祖の遺構を見学してください。
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html あーーーっ!
「遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。」
また欠史八代や仲哀の熊襲征伐失敗のように
神武系の無能さに近畿日本は多分嫌気が差していた。
だから有能な崇神の母方系へ血統を変えることは恐らく皆んなの望みだった。
>>911 漢時の朝貢の時は北部九州の奴国の朝貢でその当時は漢土方千里と考えられていたから
北部九州までが萬里に設定されている
卑弥呼の朝貢までに大陸の哲学、世界観が淮南子で整理され、
大陸王朝の直轄地=中央之極も、東の世界の果てまでの距離・東方之極も
萬二千里と考えられるようになった
これは大陸知識人の常識だから陳寿もこれを踏まえて書いている
魏への卑弥呼の朝貢では北部九州からさらに水行陸行で2ヶ月進む
二千里の移動としては妥当な日数
>>980 自分はそう見てる。
福岡の糟屋郡付近で神功皇后伝説広報が面白い程
行われてるんだよ。書紀完成の数年で。
元々の古い神様の背乗りで神功皇后伝説ができてるしね。
>>982 宿泊地は伊都国だから11〜15時間だけどね
港と都を繋ぐ道は整備してただろうからね
「其地無牛馬虎豹羊鵲」とあるから輿で運んだ可能性も高いね
漢書地理史、楽浪海中倭人あり、百余国。魏史は昔はこうだったから始まってんだよ
>>989 こじつけ出鱈目もいいとこだけども
近畿説だと末盧国から90度方角まげて長里でどこに到着するの?
日本徐福協会みたいなのを作って仲良く邪馬台国のロマンを語り合えばいいのに。
>>928 相変わらず、理由も根拠もなしの言葉だけの否定しかできないねぇ
こっちがきちんと理由や根拠を丁寧に書いている間に
一言コメントを大量に書き込んで多数派のように見せかける
九州説のやってることはたったのそれだけ
>>990 俺、まさにその糟屋郡出身なのだw
小学校の頃に遠足で行ってた池の横の神社には、
は村人が産気づいた神功皇后の輿を担いだ伝承があるんだぞ。
他にも「皇后が雨宿りした」とか「水を飲んだ」とか「笠を木にかけた」とか、
どうでもいい伝説が濃密に残っているw
>>988 神武、欠史八代、天武の間に九州の初代王、倭奴国王、崇神等の歴史を挟み込んだんだと思うよ。
>>991 ほらほら。
11〜15時間、輿に乗りっぱなしで、
何としても陸行一日で呼子から糸島市まで行くんですよね?
何故にそんなに急ぐのか訳が分かりませんが、
とにかく一日でと。
>>989 「旧唐書」では一万四千里ですが?
■倭國条
倭國者,古倭奴國也。
(倭国はいにしえの倭奴国也)
※倭奴国=漢から金印を貰った国
去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。
(新羅の東南海に在り、郡から一万四千里)
※九州〜山陰あたりか?
■日本条←畿内政権
日本國者,倭國之別種也。
(日本国は倭国の別種である)
※畿内政権は倭国とは別物だと言い切ってる
以下、日本使者の言い訳が続く
以其國在日邊,故以日本爲名。
(日出る国だから改名した)
或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。
(字が嫌いだから改名した)
或云:日本舊小國,併倭國之地。
(小国だった日本が倭を併合した)
其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。
(日本人は不誠実なので中国はこれを信用しない)
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